>> 2019年4月



2019年4月1日(月)

仕事部屋に詰めていると、新元号の発表があった。
「──◯◯、◯◯!」
「んー」
「へいせいのつぎ、きまった!」
「レイワ?」
「うん」
「テレビの音は聞こえてたからな。漢字ではどう書くの?」
「うーと、めいれいのれいと、へいわのわ」
「令和」
「れいわ」
「昭和とちょっとかぶるんだな」
「あ、ほんとだ」
「でも、いいんじゃないか。新しい感じするし」
「うん、そんなかんじする」
「これ、首相官邸のエイプリルフールネタだったら笑うよな」
冗談めかして言うと、
「!」
うにゅほが目をまるくした。
「……そうかも」
「いや、ないない。言ってみただけ」
「でも、エイプリルフールだし」
「エイプリルフールだろうとなんだろうと、そんなことしたら暴動起こるぞ」
「そか……」
しかし、命令の令だからって難癖つける人、多そうだなあ。
そんなことを考えていると、
「──うッ」
ぐるると腹が蠢動した。
「トイレ行ってくる……」
「うん」
「朝から、どうも、腹具合が悪いんだよな……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫大丈夫。出せばいったん治まるし」
「──…………」
ふと、うにゅほが何やら考え込んだ。
「……それ、うそ?」
どうやら疑心暗鬼に駆られているらしい。
「××に心配かけるような嘘、つかないって」
「う」
「(弟)の風邪、伝染ったかな……」
「……ごめんなさい。あかだまだしとくね」
「頼む」
無闇に疑った自分を恥じてか、うにゅほは、今年は嘘をつかなかった。
ちょっと楽しみにしていたので、残念だ。



2019年4月2日(火)

──びりッ!

床に落ちたゴミを拾い上げようと屈んだ瞬間、作務衣の膝小僧が音を立てて破れた。
「わ!」
「……あー」
来るか来るかと思い続けた瞬間が、とうとう訪れてしまった。
「いきなしやぶれた……」
「実は、いきなりじゃないんだよ」
「そなの?」
「腿から膝にかけて、生地がだいぶ薄くなってたんだよな」
ぴ、と生地を伸ばしてみせる。
「ほんとだ、すけてる」
「セクシー?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「忘れてくれ」
「うん」
「だから、まあ、破れるのは時間の問題だったと思う」
「きじ、すーごいうすい……」
「上衣はそんなことないんだけどな」
「なんで、ひざのとこだけうすいんだろ」
「××が座るからじゃないか?」
「!」
そのとき、うにゅほに衝撃走る。
「わたしすわるから……」
あ、やべ。
「いや、××のせいって意味じゃなくて!」
「でも」
「物理的にはそうかもしれないけど、責任は俺にあって……」
うにゅほが目を伏せる。
「わたし、もう──」
言いかけたうにゅほを、慌てて抱き締める。
「これからもずっと、俺の膝に座ってください!」
「──…………」
勢い余ってプロポーズみたいになってしまった。
「……はい」
うにゅほが、頬を染めて頷く。
「──…………」
「──……」
なんだ、この空気。
「……とりあえず、YouTubeでも見る?」
「みる」
うにゅほを膝に抱き、マイクラ動画を再生する。
たかだか作務衣が破れたくらいで、この幸せを打ち捨ててなるものか。



2019年4月3日(水)

「……なーんか体調悪いっスねえ」
「わるいっすか」
「風邪のひき始め感ある」
「ねてるとき、せき、ちょっとしてたっす」
「風邪の匂い、する?」
「んー」
うにゅほが、俺の首筋に鼻先を埋める。
すんすん。
「まだしてない。……す」
「じゃあ、まだ間に合うな。いまのうちから暖かくしておこう」
「そうしましょうっす」
「それ、気に入ったの?」
「ちょっと」
「さっき、一瞬忘れかけてたな」
「そんなことないっす」
「料理のさしすせそ」
「?」
「"さ"は?」
「さとうっす」
「"し"は?」
「しおっす」
「"す"は?」
「すっす」
「すっす」
「せは、しょうゆ」
「"そ"は?」
「みそ!」
「"す"は?」
「すっす」
「"プリニーっス!"って言って」
「ぷりにーっす?」
「よし」
「ぷりにーって、なに?」
「……ペンギン?」
「ペンギンっすか」
「いや、ペンギンじゃないかも……」
「?」
「そんな感じの語尾のキャラって、他に誰いたっけ」
「うーと、いとのこけいじとか?」
「……あんまり可愛くないな」
「そすねー」
「あと、なんだろ。スープーシャンとかか」
「すーぷーしゃん?」
「……白いカバみたいな?」
「かば……」
「ムーミンにも似ているっス」
「なつかしいっす」
しばしのあいだ、語尾を変えて遊ぶ俺たちだった。



2019年4月4日(木)

「んー……」
キーボードを叩いては文章を消し、キーボードを叩いては文章を消し、そんなことを十五分ほど繰り返している。
「にっき、かけないの?」
膝の上でくつろぎながらiPadをいじっていたうにゅほが、そう尋ねた。
「スランプかなあ」
「スランプ」
「今日、何もしてないのが致命的な気もするけど」
「かくことないと、かくことないもんね」
トートロジーかな。
「しゃーない。話したこと、そのまま書こう」
「にっき?」
「その日の出来事には違いない」
「そだね」
「××、会話はいったん中断だ。いま話してたこと、タイピングするから」
「はい」
五分ほどかけて、以上の内容をWordに打ち込んだ。
「よし」
「かけた?」
「書けた」
「まだ、はんぶんくらいだねえ」
「会話してればすぐだよ」
「──…………」
ふと、うにゅほが黙り込む。
「どした」
「なんか、きんちょうする……」
「緊張?」
「はなしたこと、ぜんぶかかれる」
「いいじゃん」
「うかつなこといえない」
「日記読んでる人は、××の迂闊な発言を楽しみにしてるよ」
「……ますますいえない」
うにゅほが警戒モードに入ってしまった。
「なんか喋れー」
脇腹をくすぐる。
「うひ」
うにゅほが身をよじる。
「やめれー!」
「喋ったらやめる」
「しゃべる、しゃべる」
「あ、いまのぶん書いちゃうな」
「うん」
五分ほどかけ、再びいまのやり取りを打ち込む。
「なにしゃべったらいいの?」
「あ、だいたい一日分になったから、もういいぞ」
「えー……」
うにゅほがぶーたれる。
「かくごしたのに」
「書いてほしいこと、あった?」
「ないけど」
「ネタがないときは、また頼むな」
「いいけど……」
会話の内容をそのまま打ち込んだあと、推敲をして出来上がり。
書くべきことの思いつかない日は、また楽させてもらおう。



2019年4月5日(金)

「……生活サイクル、だいぶ乱れてる気がする」
「うん」
うにゅほが、あっさりと頷く。
「みだれてます」
断言されてしまった。
「わたしおきたとき、たまにおきてるしょ」
「……気づいてた?」
「ねたふり、わかるよ」
「ふりではないんだけど……」
「◯◯、さいきん、あんましねてない……」
「仮眠はとってる」
「かみんばっかし」
「いや──」
言い返そうとして、口をつぐむ。
我ながら言い訳がましい。
「今日は、早く寝ます」
「きょうは?」
「……今日から」
「よろしい」
うにゅほは、こういうところで厳しい。
だらしない俺が悪いのだけど。
「最近、いろいろと忙しかったけど、それも片付いたから」
「ほんと?」
「ちゃんと寝て、ちゃんと起きて、半端に仮眠をとらないようにする」
「わかった」
うにゅほが頷き、小指を差し出す。
「やくそくね」
「はい」
うにゅほの小指に小指を絡め、
「指切りげんまん!」
「うそついたら、はりせんぼん、のーます!」
「指切った!」
そう言って、指を離す。
「やくそくだよ」
「はい」
ふと、うにゅほが小首をかしげる。
「げんまんって、なに?」
「ゲンコツ一万回のこと」
「こわい」
「約束破ったら、××が俺にやるんだぞ」
「やらない……」
「××のゲンコツなら怖くないな」
「はりせんぼん、のむ?」
「ごめんなさい」
約束したのだ。
今日から早く寝よう。



2019年4月6日(土)

「──…………」
頭がぼんやりする。
思考が上手くまとまらない。
総計十数時間も寝て寝て眠り果てたのだから、それも無理からぬことだろう。
「◯◯、みずのむ?」
「飲む……」
「まっててね」
うにゅほの介護を受けながら、自分の情けなさに涙が出そうになる。
発熱のせいか、情緒が安定していないらしい。
「はい、みず」
「ありがとう……」
ベッドの上で上体を起こし、グラスの水を舐めるように飲む。
「……ごめんな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「いや、今日、遊びに行くって……」
「うん」
「だから、ごめん」
「んー……」
しばし思案し、うにゅほが頭を下げた。
「わたしも、ごめんなさい」
「……?」
うにゅほの謝る理由が、本気でわからなかった。
「かぜのにおい、きづかなかった」
「いや──」
「ひどくなったの、わたしのせい」
「……そんなわけないだろ」
腹から声を絞り出す。
「俺の体調は俺が管理すべきだ。すべて俺の責任で、すべて俺の落ち度だ。××が謝る必要なんてない」
「──…………」
「だから、謝らないでほしい」
「わかった」
ほっと胸を撫で下ろしていると、うにゅほが言った。
「◯◯も、あやまらないで。おなじきもちだよ」
「──……!」
ああ、そうか。
"謝る"という俺の自己満足で、うにゅほを戸惑わせていたのか。
「ごめ──」
言いかけて、口をつぐむ。
そんな俺の頭を撫でて、
「おやすみなさい」
と、優しく告げた。
「……おやすみ」
次に目を覚ましたときには、体調はすこしだけ戻っていた。
日記を書き終えたら、今日は早めに寝てしまおう。



2019年4月7日(日)

「ん」
額に触れていたうにゅほの手が、そっと離れていく。
「ねつさがった」
「そっか」
ほっと胸を撫で下ろす。
休日が潰れるのは致し方ないとしても、仕事に穴は空けられない。
「ご心配をおかけしまして」
俺がぺこりと頭を下げると、
「いえいえ、おきになさらず」
と、うにゅほが頭を下げ返した。
「この埋め合わせは必ず」
俺が、ぺこりと頭を下げる。
「おきもちだけで」
うにゅほが、ぺこりと下げ返す。
「そう仰らずに」
ぺこり。
「いえいえ」
ぺこり。
「遠慮なさらず」
ぺこり。
「そんなそんな」
ぺこり。
そんなことを繰り返したのち、ふたりでくすりと笑い合う。
「ちゃんと治ったら、今度こそ遊びに行こうな」
「なおったらだよ」
「わかってる、わかってる」
「たのしみ」
「久々にカラオケとかでもいいなあ」
「いいねー」
「××も歌うんだぞ」
「うん」
「レパートリー増えた?」
「わかんない」
「最近、あの人の曲聞いてたじゃん。米津玄師」
「よねづ?」
「ヨネツだったっけ?」
「わかんない……」
名前の読み方はわからなくとも、曲は覚えているだろう。
楽しみだ。



2019年4月8日(月)

さて今日は何を書くべかとキーボードを空打ちしていると、うにゅほが覗き込んできた。
「にっき?」
「日記」
「なにかくの?」
「まだ決めてない。ダイエットの話でも書こうかな」
「やせてきたもんね」
「××はダイエットしちゃダメだぞ。消えてなくなる」
「なくなりはしない……」
うにゅほが苦笑する。
「最終的に、××の体重の半分くらいはこの世から消し去りたいなあ」
「だしがらになっちゃう」
「前より痩せるくらいの気概がないと」
「からだ、こわしたらだめだよ」
「はーい」
食事制限は行っているが、最低限の栄養はちゃんと確保している。
倒れて迷惑を掛けるようなことにはならないはずだ。
「あ、そだ」
「うん?」
「きになってたこと、きいていい?」
「いいよ」
「にっき、わたしのいったこと、なんでひらがななのかなって」
「気づいてしまったか……」
「まえから……」
「お前には消えてもらう!」
「ひや!」
うにゅほを抱き寄せて、わしわしと頭を撫でる。
「──……ふいー」
あ、リラックスし始めた。
「真面目に答えると、俺と××、どちらが発言したか一瞬で判別させるためかな」
「あー」
「あと、キャラ付け」
「きゃらづけ」
「ひらがなで話してると、可愛くない?」
「そかな」
「××が嫌ならやめるけど……」
うにゅほが、首を横に振る。
「きになっただけ」
「そっか」
よかった。
いまさら変えるのも不自然だもんなあ。
うにゅほの発言は、今後もひらがなで描写していきます。



2019年4月9日(火)

月に一度の定期受診ののち、チョコボールを荒稼ぎするため万代へと立ち寄った。
「──さて、腕の見せどころだな」
「がんばれー!」
筐体の端に積み上げられた無数のチョコボール。
下の段のチョコボールに輪が取り付けられており、そこにアームの先を引っ掛ければ、その塔が倒れるという仕組みである。
さっそく五百円を投入し、いちばん手前の輪を狙う。
だが、
「ダメか……」
アームの先が、輪と輪のあいだをかすめていく。
「あー」
「クレーンの速度が速い。奥から狙ったほうがいいな」
「おく、むずかしくない?」
「チョコボールを高く積んでるから、それが目印になる。箱に合わせればいいだけだから」
ボタンを操作し、いちばん奥の輪にアームを引っ掛ける。
チョコボールの塔がクレーンにもたれ掛かり、崩れた。
「おー!」
うにゅほが目を輝かせる。
十箱ほどのチョコボールが坂を滑り落ち、そのうちひとつだけが取り出し口に落ちた。
「ひとつかー……」
「まあ、あと四回あるから」
「うん」
肩を回し、筐体を睨む。
そして、六回中五回、アームを輪に引っ掛けることに成功した。
「──…………」
「──……」
「ぜんぶで、みっつ」
内訳は、ピーナッツふたつに、キャラメルがひとつ。
「……万代、渋いな」
「うん……」
「やっぱ、いつものキャッツアイがいちばんだなあ」
「いく?」
「今日はやめとこう。仕事あるし」
「わかった」
「仕事少ない日か、土日だな」
「ぎんのえんぜる、あとさんまい」
「すぐ集まるだろ」
たぶん。



2019年4月10日(水)

「今日は、駅弁の日らしい」
「えきべん」
「駅の弁当と書いて、駅弁」
「えきべん、たべたことない」
「実は、俺も食べた記憶がない」
「◯◯もないの?」
「あるのかもしれないけど、具体的には覚えてないなあ」
そもそも、列車で遠出をした記憶がない。
「地元に駅があれば別だったのかもしれないけど……」
「ないもんねえ」
俺たちの住む街には、駅がない。
列車が通っていないため、乗る習慣ができなかったのだ。
「さて問題です」
「?」
「4月10日は、何故駅弁の日でしょうか!」
「ひんと!」
「早い!」
「だってわかんない……」
仕方ないなあ。
「4月は英数字の4、10日は漢数字の十で考えてみよう」
「ひんと!」
「早い!」
「だってむずかしい」
「4と十を、組み合わせてみよう」
「んー……」
うにゅほが、メモ帳とペンを取り出す。
「よんとー、じゅうとー」
しばしメモ帳とにらめっこしたあと、
「──あ、べんにみえる!」
「正解!」
「なるほどー」
うんうんと頷いたあと、うにゅほが小首をかしげる。
「おべんとうのひでもよかったのでは?」
「まあ、記念日なんて制定したもん勝ちだから……」
無理のある語呂合わせの記念日なんて、いくらでもあるし。
黄ニラ記念日、お前のことだぞ。※1
「そう考えると、駅弁の日はかなりましだな。納得できるもの」
「そだね」
「さて、休憩終わり。仕事するか!」
「がんばってね」
「はいよー」
そんな、他愛のない、いつも通りの一日なのだった。

※1 2019年2月12日(火)参照



2019年4月11日(木)

音楽を聴きながら階段を上がっていると、ふとしたことで作務衣のポケットからiPhoneが滑り落ちた。
「やべ」
イヤホンが耳からすっぽ抜け、数段分の踏み板がiPhoneと衝突し大きな音を立てる。
慌てて拾い上げ、傷がないかを確かめていると、
「どしたのー?」
物音を聞きつけてか、うにゅほが二階から顔を出した。
「iPhone落としちゃって……」
「こわれなかった?」
「たぶん」
見た目に傷はない。
だが、損傷がないとは限らない。
iPhoneの動作を確認しながらイヤホンを耳に挿入すると、

ツー……

謎の高周波音が鼓膜を揺さぶった。
「──…………」
iPhoneからヘッドホンジャックアダプタを引き抜き、音楽を再生する。
階段に、サカナクションの「表参道26時」が響き渡る。
「イヤホンかアダプタが断線したみたい」
「いやほん、かったばっか……」
「アダプタであることを祈ろう」
「あだぷたって、なんだっけ」
「イヤホンとiPhoneを繋ぐ、この白いやつ」
「あー」
「これなら安いし、予備がある」
自室に戻り、引き出しから未開封のヘッドホンジャックアダプタを取り出す。
「音が鳴れば、アダプタが原因。鳴らなければ、イヤホンが原因」
そう告げて、イヤホンとiPhoneを新品のアダプタで接続する。
再び音楽を再生すると、
「──鳴った!」
「よかったー」
「ヘッドホンジャックアダプタなんて純正品でも千円ちょっとだし、ほんとよかったよ」
うんうんと頷き合っていると、ふとあることに気がついた。
「……このアダプタ、何個目だろ」
「よっつめくらい?」
「壊れすぎじゃない?」
「こわれすぎだねえ……」
もうすこしなんとかならないものか。
Appleに搾取されている気しかしないのだった。



2019年4月12日(金)

「うーしょ、と」
うにゅほが布団を運んできた。
「なつぶとんにするよー」
「おー」
最近暑かったもんな。
「手伝う」
「うもうぶとんのカバー、はずして」
「はいはい」
手分けして、ふたりぶんの羽毛布団と夏布団とを取り替える。
「よし!」
綺麗に整えられた二台のベッドを前にして、うにゅほが満足気に頷いた。
「春モードだな」
「はるモードですね」
「夏モードになると、夏布団がなくなる」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なつなのに……」
「不思議だな」
「でも、なつぶとんあると、あついもんねえ」
「丹前一枚でいいよな」
「うん」
「秋モードになると、夏布団が復活する」
「あきなのに……」
「冬モードになると、羽毛布団になる」
「ふつうだ」
「──…………」
「──……」
「夏布団って呼び方が間違っているだけでは?」
「そうかも……」
「春秋兼用布団と呼ぼう」
「ながい」
「長いな」
「うん」
「夏布団でいいか」
「そうしましょう」
夏になるとなくなる夏布団。
人生における何かを象徴しているようで、たぶんしてない。



2019年4月13日(土)

右目を隠し、文字を読む。
「──…………」
やはりだ。
やはり、文字が二重に見える。
「疲れ目かなあ」
「め、つかれてるの?」
「わからない。でも、他に心当たりないし……」
場所が場所だけに、心配だ。
「がんか、いく?」
「……このまま治らなかったら、行く」
「そうしましょう」
「なんなんだろうなあ……」
「しんぱい」
「ちょっと調べてみよう」
キーボードを叩き、症状で検索をかけてみる。
「えーと、単眼複視、かな」
「たんがんふくし?」
「片目で見ても二重に見える症状のことを、そう呼ぶらしい」
「そなんだ」
「で、この単眼複視の原因は──」
「げんいんは……」
「──…………」
「──……」
「……白内障」
「!」
「マジか……」
うにゅほが、恐る恐る尋ねる。
「……やばいやつ?」
「ヤバいやつは、緑内障のほう。白内障は、すぐさまどうこうって感じではない」
「そか……」
ほっと胸を撫で下ろす。
「でも、最悪手術かなあ」
「しじつ……!」
言えてない。
「めのすずつ、するの……?」
言えてない。
「わからない。とりあえず眼科行ってみないと……」
白内障って、四十代とか五十代からなるイメージがあったんだけどなあ。
二重の意味でショックである。



2019年4月14日(日)

指先を襟元に引っ掛け、パタパタさせる。
「……暑くない?」
「なんか、むしむしするねえ……」
温湿度計を覗き込む。
「26.5℃……」
「あつい」
「今日、ストーブつけてないよな」
「つけてない」
「エアコンも」
「つけてないよ」
そもそも、室外機のカバーを外していない。
「昼間晴れてたから、輻射熱かなあ」
「そうかも……」
「窓、開けようかな。どうしようかな」
うにゅほが立ち上がる。
「あける?」
「うーん……」
「あけない?」
「開けたら逆に寒くなる気しかしない」
「きーしかしないねえ……」
窓を開けて、寒くなって、ストーブをつける。
ストーブをつけて、暑くなって、窓を開ける。
その繰り返しはいささかアホっぽい。
「……まあ、我慢できないほどじゃないし」
「んー……」
がらり。
うにゅほが窓を開く。
「開けるのか」
「うん」
「そんなに暑かった?」
「くうき、こもってるきーした」
「あー」
たしかに。
「うしょ」
「?」
うにゅほが、俺の座っているパソコンチェアを半回転させ、
「……うへー」
俺の膝にすっぽりと腰掛けた。
「さむくなるから、しかたない」
「それは仕方ないな」
「うん」
仕方ないのだった。



2019年4月15日(月)

単眼複視の件で、眼科へ行ってきた。
「ただいまー」
ばたばたという足音と共に、うにゅほが階段を駆け下りてくる。
「めーどうだった!」
「Lチキ買ってきたけど、食べる?」
「たべる、けど、ちがくて!」
「白内障じゃなかった」
そう告げると、
「ちがった……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろした。
「じゃあ、なに?」
「疲れ目……?」
「つかれめ」
「具体的な病名はないけど、ピントが合いづらくなってるんだって」
「びょうきじゃないんだ」
「ちょっと複雑でもあるけど……」
「びょうきのほう、よかった?」
「白内障の治療って、眼内レンズを入れるんだけどさ」
「がんないレンズ?」
「目に直接レンズを挿入する」
「ひ」
うにゅほが肩をすくませる。
「そのとき、良いレンズを入れると、視力が回復するんだ」
「!」
「手術費かなりかかるけど、どうせしなきゃならないならいっそのことと思って、覚悟してたんだよ」
「あー……」
「覚悟を決めると、手術の怖さより、視力の回復のほうが楽しみになってきてさ」
「わかる」
「だから、ちょっと残念かも」
「しゅずつ、いくらくらいかかるの?」
「両目で六十万くらいかなあ」
「するねえ……」
「出せないことはないけど、ちょっと躊躇う数字だよな」
「でも、はくないしょうじゃなくて、よかったとおもう」
「まあなー」
うにゅほには心配をかけてしまった。
あまり目を酷使しないようにしなければ。



2019年4月16日(火)

友人からskypeで満開の桜の写真が送られてきた。
「わ、きれい」
「長野県だって」
「ながの、もう、さくらさいてるんだねえ」
「散ってるところはもう散ってるけどな」
「おきなわとか?」
「九州以南はだいたい散ってそう」
「ほっかいどう、いつさくのかな」
「調べてみるか」
「うん」
"桜前線"で検索し、それらしいページを開く。
「札幌は、26日に開花。5月1日に満開だって」
「れいわだ」
「令和だな」
「さくら、ことしもみにいこうね」
「ああ」
微笑みながら頷いて、開花予想日の一覧に目を戻す。
「やっぱ、稚内は遅いんだなあ。開花が5月12日だって」
「くしろのがおそいね」
「本当だ」
「わっかないのがきたなのに」
「東のほうが遅いのかもしれない」
「あー」
「逆に、沖縄は──」
沖縄地方の欄に視線を移し、絶句する。
「……一月に咲いて、二月に散ってる」
「はや!」
「梅とか、十二月のうちから咲いてるんじゃないだろうな……」
「さくらより、うめのが、まえだもんね」
「よく知ってるな」
「はなふだでおぼえた」
うにゅほが小さく胸を張る。
「牡丹は?」
「ろくがつ」
「九月は?」
「きく」
「完璧だ」
「うへー」
「(弟)誘って花札するか」
「する!」
そうして、久方振りにオイチョカブに興じる三人なのだった。
弟の一人勝ちだった。



2019年4月17日(水)

右手で首筋をあおぎながら、思わず声を漏らす。
「──あっつ!」
「はちいねえ……」
「なんだ今日、夏か今日は」
見れば、温湿度計の表示も30℃近い。
「窓開けよう、窓。せめて風を入れよう」
「うん……」
「××、そこの窓開けて。俺は寝室側の窓開けてくるから」
「わかった」
手分けして窓を開けると、季節相応の涼しい風が──
「……入ってこないな」
「あつい」
「暑い上に風もないのか……」
「あつい……」
八方塞がりである。
「──…………」
「──……」
じりじりと不快指数が上がっていく。
ここまで暑いと、さすがにくっつく気も起きない。
「……俺たちには、三つの選択肢がある」
「せんたくし……」
「まず、自室を放棄して一階へ向かう。直射日光が入らなければ、いくらかましなはずだ」
「なるほど」
「ふたつ、このまま耐える」
「たえるの」
「頑張って耐える」
「あんましたえたくないねえ……」
「俺もそう思う」
「さいごは?」
「何らかの方法で、部屋を涼しくする」
「エアコン?」
「エアコンでもいいし、扇風機でもいい」
「せんぷうき、いいね」
「出すか」
「だそう!」
ストーブの奥にある古びた扇風機を引っ張り出し、代わりにストーブを押し込める。
「スイッチオン!」
青い羽根が回転を始め、微風が髪をそよがせる。
「涼しい……」
「ふぶふぃー……」
気分はまさしく夏である。
しばらく扇風機の前を離れられないふたりなのだった。



2019年4月18日(木)

いそいそと部屋の掃除に勤しむうにゅほの姿を眺めていて、ふと気づく。
頭頂部の髪が、一房、ハネている。
「××」
「はーい?」
ダスキンモップを手にしたうにゅほが、こちらを振り返る。
「このへん、寝癖」
「ねぐせ……」
うにゅほが姿見を覗き込み、
「ほんとだ」
と、頭頂部の寝癖を左手で押さえた。
「珍しいな」
「あさ、とかしたのに」
「直すなら、代わりにモップかけとこうか」
「うと……」
うにゅほが逡巡する。
「たまには本棚の上の方も掃除しないといけないしな」
「じゃあ、おねがいします」
「了解いたしました」
モップを受け取り、立ち上がる。
宣言通り本棚をモップがけしていると、うにゅほがすぐさま戻ってきた。
「ありがとー」
見れば、寝癖の立っていたあたりが、しっとりと濡れている。
「水だけで直ったのか」
「うん」
「いいなあ……」
うにゅほの髪の毛は、絹糸のように柔らかい。
針金のような俺の髪とは違うのだ。
「◯◯も、ねぐせ、なおしたほういいとおもう」
「どうにかしたいんだけどね……」
「なおらない?」
「もうすこし長さがないと、直す余地がない。どうしようもない」
「あー……」
「ある程度伸びるまでは、帽子で隠すしかないなあ……」
「ぼうず、もうしないの?」
「坊主はたしかに楽なんだけど、さすがに飽きた」
「そか」
早いところまともな髪型にしたいものだ。



2019年4月19日(金)

「──あっ」
ふと、唐突に思い出す。
「ドラえもんの映画!」
「!」
「今年、まだ観に行ってない……」
「わすれてた!」
「××も忘れてたのか」
「さいきん、テレビのドラえもんみてなくて……」
「見てればCMで思い出すもんな」
「うん」
「そっか、今年ももうそんな季節か……」
一年が、本当に早い。
加齢と共に更に加速していくと考えると、目が回りそうだ。
「いつみにいくの?」
「混み合う土日は避けて、平日の仕事の少ない日かな」
「ごーるでんうぃーくのまえ、いきたいね」
「あー……」
ゴールデンウィークも近いのか。
「……ゴールデンウィーク中の映画館とか、考えたくもない」
「すーごいこんでそう」
「昔は、流行の映画だと、立ち見とかあったんだぞ」
「……えいが、たってみるの?」
「そう」
「にじかん?」
「長い映画だと、三時間」
「うひー……」
うにゅほが、信じられないという顔をする。
「◯◯も、たちみしたの?」
「俺、昔から、混んでる映画館嫌いだったし」
「しなかったんだ」
「立ち見どころか満席も好きじゃない」
「そなの?」
「だって、隣に知らない人が二時間も座ってるんだぞ。嫌だろ」
「わかる……」
「平日に映画観に行ける仕事でよかったよ、ほんと」
「そだねえ」
今年は、「のび太の月面探査記」か。
楽しみだ。



2019年4月20日(土)

ふと思い立つ。
「カラオケ行くか」
「カラオケ?」
「行かない?」
「いく」
「よし」
「いくけど、いきなしだねえ……」
「そのうちカラオケ行こうって話はしてた気がする」
「したきーする」
「今日、"そのうち"が来たわけです」
「こないことあるもんね」
「すみません……」
「あ、ちがくて」
うにゅほが慌てて首を振る。
「そういういみじゃなくて……」
「──…………」
「──……」
しばしの沈黙ののち、
「……行くか!」
「いく!」
とりあえず、テンションで誤魔化すことにした。
車で十分程度のカラオケボックスへ赴き、ワンオーダーの飲み物を待ちながら、デンモクで歌いたい曲を探す。
「◯◯、じゅぴたーうたうの?」
「最初にあれ歌わないと、声が出ないんだよな」
「わたし、なにうたおうかなあ……」
「米津玄師?」
「うたえるかな」
「音域は合ってそうだけど」
「……うたえなかったら、◯◯、うたってくれる?」
「曲による」
「えー」
「米津玄師は聴き込んでないから……」
「レモンは?」
「サビしか」
「うみとさんしょううお」
「聴けばわかるかも」
「アイネクライネ……」
「アイネクライネはわかるけど、声出るかな」
「でなくてもだいじょぶ」
「じゃあ、頑張る」

──二時間後、
「あ゙ー……」
「のど、かれたねえ」
「××はぜんぜん枯れてないな……」
「へいき」
声の出し方の問題だろう。
「あ、万代寄っていい? ジーンズ買いたい」
「いいよー」
「××も、春用の羽織るもの見繕おう」
「うん!」
カラオケから古着屋へ。
わりと真っ当なデートコースではあるまいか。
ジーンズを一本と、うにゅほのアウターを一着購入し、ファミレスで夕食を取って帰宅した。
実に充実した一日だった。



2019年4月21日(日)

「──…………」
「──……」
デスクの上に、イヤホンがある。
右側の本体が、継ぎ目から真っ二つになっている。
「PHILIPSめ……」
まさか、一ヶ月半でこうなるとは。
「かったばっかしなのに……」
「本当だよ」
「こうかんできないの?」
「……保証書、捨てちゃった」
「──…………」
あ、呆れてる。
「ネット通販の返品交換って面倒で、つい……」
「あたらしいの、またかうの?」
「んー……」
銅線で辛うじて繋がっているイヤーピースを耳に挿入し、音楽ファイルを再生する。
「おと、なる?」
「音は鳴るみたい」
「みみ、すぐぬけそう……」
「しゃーない、瞬間接着剤でくっつけようか」
「おー!」
うにゅほは、この手の作業を見るのが好きである。
「くっつくかな」
「プラスチックだし、問題なくくっつくだろ」
言いながら、引き出しから瞬間接着剤を取り出そうと──
「あれ」
「?」
「接着剤、ないぞ」
「あったきーするけど……」
「俺も、買った覚えはあるんだけど」
だが、事実として、ない。
「せっちゃくざい、かいいく?」
「もう夜だしなあ」
「じゃあ、あした」
「明日にしましょう」
「そうしましょう」
結果として、何もしていない日記になってしまった。
まあいいや。



2019年4月22日(月)

近所のホームセンターで瞬間接着剤を購入し、帰宅後さっそくイヤホンを修繕する。
「くっついたかな」
「たぶん……」
「ひっぱっていい?」
「ダメ」
「だめかー……」
「完全に硬化しきったあとじゃないと」
「はがれたら、またくっつけないとだもんね」
「どのくらいで硬化するのかわからないけど、二、三時間は見ておきたい」
「しゅんかんなのに」
「余裕を持って、ですね」
「にさんじかんしたら、ひっぱっていい?」
「いいぞ」
「やた」
「それだけ待ってすぐ剥がれるようなら、強度に問題があるってことだもんな」
「うん。すぐこわれたら、いみない」
「ひとまず仕事しながら待つか」
「わたしも、そうじするね」
「お願いします」
「おねがいします」
互いに互いの仕事をこなしつつ、時間の経過を待つ。
しばしして、
「くっついたかな」
「そろそろいいかも」
「ひっぱっていい?」
「全力はダメだぞ」
「しないよー」
うにゅほが苦笑する。
「こわれてなくても、こわれちゃう……」
「××の腕力でも余裕だろうなあ」
「だから、ちょっとだけ──」
うにゅほが、イヤホンの本体とイヤーピースを掴み、ぐ、と力を込める。
「あ、くっついてる!」
幾度か引っ張るが、大丈夫そうだ。
「こわれたの、ほかにない?」
「ちょっとないかな」
「そか……」
「次また壊れたら、××に頼もう」
「うん!」
その笑顔のためだけに、またイヤホンを壊してもいいかなと思ってしまう俺なのだった。



2019年4月23日(火)

YouTubeで動画を見ながらペンダントヘッドをいじっていると、

──ブチッ!

と、胸元で音がした。
「あ」
ペンダントヘッドが床に落ち、コトリと音を立てる。
チェーンが切れたのだ。
「?」
膝の上のうにゅほが、不思議そうに振り返る。
「なんか、おとした」
「チェーン切れた……」
「えっ」
首に引っ掛かっていたチェーンを外し、うにゅほに手渡す。
「ほんとだ……」
「……こんな急に切れるもんなんだな、チェーンって」
「えんぎわるいねえ……」
水晶石のペンダントヘッドを拾い上げ、シーリングライトに翳す。
「でも、切れたのが家でよかったよ。外だと、最悪、失くす可能性もあったんだし……」
「ほんとだね……」
このペンダントヘッドは、何年か前の誕生日に、うにゅほがプレゼントしてくれたものである。
肌身離さず愛用し、もはや体の一部と言って良いくらいの品物だ。
もし紛失したりすれば、一ヶ月は落ち込む自信がある。
「あたらしいチェーン、かわないと」
「いや、たしか予備が──」
引き出しを探る。
「あった!」
ビニール製の小袋から取り出したチェーンは、
「……なんか、ふとい?」
「太いな……」
いままで着けていたものより、ひとつひとつのコマが大きかった。
チェーンにペンダントヘッドを通し、首の後ろで留める。
「どうかな。ごつくない?」
「ごつい」
「ごついかー……」
「でも、へんではない」
「そう?」
「チェーンふといほう、きれないとおもうし……」
それはたしかに。
「まあ、ヘンじゃないなら、このままで行こうかな」
「うん」
もしものときのために、予備のチェーンを注文しておこう。
チェーンそのものは丈夫でも、留め具は壊れやすいのだし。



2019年4月24日(水)

「あまぞんからなんかきたー」
「おー」
うにゅほからメール便の包みを受け取る。
「まんが?」
「漫画」
「なんだろ」
「新刊とか適当に予約注文してるから、それかな」
メール便を開封し、中身を取り出す。
「えーと、異世界おじさんの2巻と──」
「と?」
「異世界おじさんの2巻……」
「おなじの……」
やってしまった。
「……Amazon側の発注ミス、じゃ、ないよなあ」
一縷の望みをかけて、Amazonの注文履歴を確認する。
だが、
「はい、二回注文してました」
「やっぱし」
「本棚整理してから、やらかしてなかったんだけど……」
「にさつあるほん、けっこうある」
「あるな」
「みなみけじゅうさんかんとか」
「みなみけ14巻とか」
「あと、ゆるめいつごかんとか」
探せば十冊くらいはありそうだ。
「どうすっかなー。売りに行くのも面倒だし」
「あんましきにしなくていいとおもう」
「そうかな」
「おなじの、またかうとおもうし」
「──…………」
ずうん。
うにゅほの的確な指摘に、思わずうなだれる。
「あ、ちがくて!」
「……いや、違わない。たぶんまたやらかすから……」
「(弟)も、ワンパンマンのじゅうはちかん、にさつかってたし……」
「──…………」
「──……」
「……兄弟だなあ」
「ね」
予約注文をするときは、ちゃんと履歴を確認してからにしよう。



2019年4月25日(木)

映画「ドラえもん のび太の月面探査記」を観に行ってきた。
シネコンに足を踏み入れたとき、ふと違和感に気づく。
「──あれ、チケット売り場移動してる?」
「ほんとだ」
「カウンターがなくなって、券売機になってる……」
人件費削減だろうか。
二人分のチケットとポップコーンを購入し、シアタールームに入る。
「今年も貸し切りだな」
「うん!」
封切りから二ヶ月経った映画を、平日の午前中に観に来ているのだ。
当然と言えば当然である。
「……それにしてもでかいな、このポップコーン」
「でかい」
「去年も同じこと言ってた気がする」
「たべきれるかな……」
「大丈夫だろ」
NO MORE 映画泥棒が放映されたあと、東宝のロゴマークが輝いた。
「始まるぞ」
「……うん」
既にスクリーンに見入っているうにゅほにならい、俺も映画に集中することにした。

──二時間後、

「おもしろかった!」
「面白かったなー」
去年の「のびたの宝島」のように泣ける作品ではないが、爽やかな視聴後感で、非常に満足の行く一作だった。
「ここ数年の大長編、ハズレないよな」
「◯◯とみにきたの、ぜんぶおもしろい」
「ほんとほんと」
「らいねん、のびたのなにかなあ」
「予告で、恐竜出てたな」
「でてた」
「……まさか、のび太の恐竜の再リメイクとかないよな」
「さんかいめ?」
「三回目」
「ないとおもう……」
「だよなあ」
最近の大長編は、リメイクよりオリジナル作品のほうが面白い。
来年もオリジナルだと良いのだが。



2019年4月26日(金)

「──ひッ、ぷし!」
口を押さえる手が間に合わず、唾液が飛散する。
「うー……」
「◯◯、かぜっぽい?」
「鼻風邪かも」
うにゅほにそう答え、鼻をかむ。
「きょう、さむいもんねえ……」
「ほんとな」
「わたし、あさ、さむくておきたもん」
「俺も……」
「なつぶとんにするの、はやかったかも……」
「そんなことないだろ。昨日までは暑いくらいだったんだし」
「そだけど」
「季節の変わり目だ、──ッきし!」
今度は右手が間に合った。
ティッシュで手のひらを拭いながら、言葉を継ぐ。
「季節の変わり目だから、しゃーない。どうしようもない」
「そか……」
「寒いし、ストーブつけよう」
そう告げたあと、気づく。
「……あー。灯油切れたんだった」
「エアコンにする?」
「そうだな」
ぴ。
エアコンの室内機が稼働し始める。
「あ、カバー」
「室外機のカバーなら、こないだ外しといた」
「さすが」
「もっと褒めてもいいぞ」
「えらい!」
「当然のことをしたまでですから」
「あ、くつしたはいたほういいとおもう」
「その言葉、そのままお返しします」
「わたしもはくから、◯◯もはこ」
「はーい」
「あと、ますくね」
「わかりました」
対処が早かったおかげか、鼻風邪程度で済みそうだ。
せっかくのゴールデンウィーク、病床に伏したまま過ごすのは虚しすぎるものな。



2019年4月27日(土)

父親に勧められ、久し振りにワインを飲んだ。
「──……ふー」
たった一杯だけにも関わらず、脳内が甘く痺れている。
すこしだけ頭が重い。
まばたきの回数が増えた気がする。
端的に言えば、
「なんか、酔った……」
「はやい」
「毎日ワイン飲んでたときは、二杯飲んでも平気だったのに」
「さいきん、おさけ、のんでなかったもんね」
「弱くなったのかな」
「そうかも」
「あるいは、ダイエットで晩ごはん抜いたから」
「それかも……」
「××ー」
背中から覆いかぶさるようにして、うにゅほに抱き着く。
「はいはい」
「楢山節考」
「ならやま……?」
「姥捨山」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……酔ってるな、俺」
「うん」
「膝枕してくれー」
「はいはい」
のそのそとベッドへ向かい、うにゅほのふとももに頭を乗せる。
「はー……」
ふにりとした肉の感触が、俺の意識を落ち着かせていく。
「ねる?」
「重いだろうし、悪いよ」
「さんじゅっぷんくらいなら、だいじょぶ」
「……なら、お願いしようかな」
「うん」
眼鏡を預け、目を閉じると、うにゅほの手のひらが目蓋を覆い隠した。
至れり尽くせりだ。
そのまま十五分ほど休息すると、いつしか酔いは覚めていた。
二日酔いの心配はなさそうである。



2019年4月28日(日)

せっかくのゴールデンウィーク、寝て過ごすのもつまらない。
そう思い立ち、洗面所で寝癖を整える。
「──…………」
整わない。
まあ、帽子で隠せばいいや。
「××」
「はーい」
「特に用事とかないけど、出掛けない?」
「どこいくの?」
「考えてない」
「いくー」
「東西南北、どれがいい?」
「うーと、ひがし」
「日、出ずる方角だな」
「うん」
「じゃ、なんとなく東に行ってみるか」
「おー!」
コンテカスタムに乗り込み、一路東へ。
「こっちのほう、なにあったっけ」
「最近行ってないけど、クレープ屋とか」
「いいね」
「寄ってく?」
「よってく」
久方ぶりのクレープ屋は、案の定混み合っていた。
二十分ほど待ち、塩キャラメルナッツクレープと、生チョコモンブランクレープを受け取る。
「おー……」
「相変わらず、こんもりしてるな」
五百円少々にも関わらず、とんでもないボリュームだ。
「たべきれるかな」
「前は食べ切れたんだから、大丈夫だろ」
「ふたくちあげるから、ひとくちちょうだいね」
「はいはい」
自信がないらしい。
クレープを胃に収めたあとは、ゲームセンターをはしごしてチョコボールを稼ぎ、喫茶店で軽食をとって帰途についた。
遠回りして立ち寄った桜並木は、まだ満開とは言い難い様相だった。
「さくら、さいてるねえ」
「ここ数日寒いからか、まだ蕾のが多いな」
「うん」
「満開まで、あとすこしか」
「たのしみ」
満開は、5月1日前後だったろうか。
晴れることを祈る。



2019年4月29日(月)

──カチカチカチカチカチカチカチカチッ

適当な動画を眺めながら、マウスの左ボタンをひたすら連打し続ける。
「?」
クリック音が気になったのか、うにゅほがディスプレイを覗き込んだ。
「なにしてるの?」
「……ゲーム?」
「ゲーム……」
うにゅほが小首をかしげる。
「ゲームってかんじ、あんましないねえ」
無理もない。
画面に表示されているのは、増え続ける数字とシンプルな図柄、そして四角いボタン程度のものなのだから。
「ジャンルとしては、クリッカーゲームってやつだな。放置ゲームとも言うけど」
「ほうちするの?」
「放置する」
「……ゲームなの?」
「ゲームなんだよ」
「……?」
あ、うにゅほが混乱している。
「クリッカーゲームは、クリックから始まる。クリックすると、数字が1増える」
「クリックしてないのに、すーごいふえてる」
「クリックして得たポイントで、自動でポイントを獲得してくれるアイテムを買うんだ」
「アイテム……」
「ポイントを更に溜めると、高効率のアイテムが次々現れる。そうすると、ポイントが爆発的に増え始める」
「いまみたいに?」
「この程度じゃ済まない。もっと、もっと、インフレし始める。そのインフレを楽しむゲームかな」
「クリック、いみないきーする」
「意味はあるよ。いま、クリック一回でポイントが500増えるアイテム買ったから」
「いんふれしてる……」
「まあ、ずっとはクリックし続けられないから、最終的には放置することになるんだけど」
「だから、ほうちゲーム?」
「その通り」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なにもしないゲームって、すごいねえ」
「たしかに……」
それでいてゲームとして成立しているのだから、よく考えるととんでもない話だ。
クリッカーゲームを考え出した人は、天才なのかもしれない。



2019年4月30日(火)

「そーいや、今日、平成最後の日だな」
「!」
うにゅほが、はっと振り返る。
「そうだ……」
「そうだぞ」
忘れていたらしい。
「どうしよう、どうしよう」
わたわたと慌て始めたうにゅほに、素直な疑問をぶつける。
「なんで焦ってるの?」
「だって、へいせいおわっちゃう……」
「終わっちゃうな」
「れいわ、きちゃう」
「来ちゃうな」
「そうじとか、したほういいかなあ……」
「朝してただろ」
「おおそうじとか」
「あー」
理解する。
「××、大晦日の気分なんだろ」
「だって、へいせいおわっちゃうんだよ」
「うん」
「いちねん、いちねんしかないけど、へいせい、さんじゅうねんあったんだよ」
「……たしかに」
あまり意識はしていなかったが、言われてみればすごいことだ。
「やりのこしたこと、ないかなあ」
「やり残したこと……」
「◯◯、ない?」
しばし思案し、首を横に振る。
「思いつかない」
「えー……」
「そんな大仰に構える必要もないんじゃないか。平成だろうが令和だろうが、明日は来るんだから」
「そだけど」
「世界は、そんなに変わらないよ」
「そだけど……」
どうにも落ち着かないらしい。
「なんか食べにでも行く?」
「いく!」
「平成最後の外食だな」
「なにたべいく?」
「一昨日は甘いもの食べたから、いつものステーキハウスとか」
「いいねー」
変わり映えはしないが、それでいい。
日々は続いていくのだから。

← previous
← back to top


inserted by FC2 system