>> 2019年3月



2019年3月1日(金)

コンテカスタムのハンドルを握りながら、助手席のうにゅほに話しかける。
「雪、だいぶ解けたな」
「さいきん、あったかかったもんね」
アスファルトの上にあれほど積み重なっていた雪は姿を消し、もうハンドルを取られることも、横滑りすることもない。
「雪かきの季節ともお別れか」
「ざんねん」
「俺は、まあ、嬉しいけど……」
「わたしも、まあ、うれしいけど……」
俺の言葉を真似したうにゅほが、いたずらっ子の笑みを浮かべる。
「あ」
「あ」
「あいうえお」
「あいうえお」
「赤巻紙青巻紙黄巻紙!」
「あかまみ、き、まきまみ!」
「言えてない、言えてない」
「うへー……」
あ、笑って誤魔化した。
「まきがみって、なに?」
「さあ……」
「○○も、しらない?」
「早口言葉なんて、だいたいが意味のない言葉の羅列だと思うぞ」
「となりのかきは、よく──」
「隣の柿?」
「きゃく!」
「客な」
「となりのきゃくは、よくかきくうきゃくだ」
「日常風景だな」
「たけやぶやけた」
「それ、早口言葉じゃない」
「そだっけ」
「逆から読んでも、竹やぶ焼けた」
「あ、かいぶんだ」
「そうそう」
「しんぶんし」
「他には?」
「トマト……」
「だんだん短くなってるぞ」
「あんましらない」
「俺も知らない」
「○○もしらないんだ」
「俺はWikipediaじゃないぞ」
「そだけど」
車内でそんな会話を交わしながら、安全運転でホームセンターを目指すのだった。



2019年3月2日(土)

両手を揉むように擦り合わせながら、呟く。
「……今日、寒くない?」
「そかな」
「寒いと思うんですが」
「あったかいとおもう……」
「マジで」
「うん」
温湿度計を覗き込む。
「21℃……」
「ね」
ファンヒーターに頼らずにこの室温なのだから、うにゅほの言うとおり、今日は暖かな日和なのだろう。
「……じゃあ、なんでこんな寒いんだ?」
「かぜ?」
「風邪の匂い、する?」
「んー……」
うにゅほが俺の胸元に顔を埋め、すんすんと鼻を鳴らす。
「しない」
「じゃあ、風邪でもないのか」
「たぶん……」
小首をかしげながら、うにゅほが俺の手を取る。
「つめた!」
「なんか冷えるんだよな……」
「あしは?」
「足も」
「くつしたはかないと」
「……いつもと逆だなあ」
「そだね」
うにゅほが持ってきてくれた靴下を履くと、すこし寒気が治まった。
今日に限ってどうして末端が冷えるのかはわからないが、そういう日もあるだろう。
「○○、てーだして」
「はい」
うにゅほの小さな手のひらが、俺の右手を包み込む。
「あったまれー……」
すりすり。
「──…………」
先に心があったまる俺だった。



2019年3月3日(日)

桃の節句──つまるところ、ひな祭りである。
「××、ひな祭りおめでとう!」
「ありがとー」
うにゅほがてれりと笑う。
「──…………」
「?」
「ひな祭りって、そういうものだっけ」
「わからん……」
「ところで、なに持ってるんだ?」
「これ?」
手に持っていた袋を、こちらへと差し出してくれる。
「こんぺいとう。たべる?」
「食べる」
こんぺいとうを受け取り、ひとつぶ口に放り込む。
甘い。
「ひな祭りなのに、ひなあられじゃないんだな」
「なんか、こんぺいとうだった」
「せっかくのひな祭りだし、あとでケーキでも買いに行くか」
「あ、だいじょぶ。おかあさん、ケーキかってきてくれた」
「おー」
できる母である。
「あとね、ばんごはん、いなりずし!」
「ハレの日だもんな」
「てんき、かんけいあるの?」
「いや、その"晴れ"じゃなくて、特別な日って意味」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「ひなまつり、とくべつだもんね」
「熊のお雛さまも出しておくか」
「うん!」
熊のお雛さま。
それは、ずいぶん以前に百円ショップで購入した陶器製の雛人形のことだ。
落として壊してしまい、首だけの姿となっても、いまだうにゅほの寵愛を一身に受けている。
「新しいお雛さまは──」
「いらない」
「ですよね」
この通りである。
引き出しから取り出した雛人形を本棚に飾ると、うにゅほが満足げに頷いた。
本人が気に入っているのだから、まあいいか。



2019年3月4日(月)

弟の部屋やリビングでばかりゲームをするのが窮屈に思えて、スイッチ用のディスプレイを購入した。
届いた際の、うにゅほの第一声が、
「──でか!」
だった。
「これ、なんインチ……?」
「43インチです」
届いてから、俺も改めて思った。
でかい。
これはでかい。
「どこおくの?」
「小箪笥と冷蔵庫の上、片付けて置こうかと」
「そこしかないねえ……」
「でも、問題がひとつあってさ」
「?」
「このディスプレイ、スタンドが両端にひとつずつあるタイプなんだよな」
「うん」
「小箪笥と冷蔵庫、高さが違う」
「あ」
理解したらしい。
「このままおくと、ななめなるね……」
「小箪笥のほうが低いから、何か噛ませて高さを合わせないと」
「なにがいいかなあ」
「とりあえず、ジャンプで試してみよう」
「あ、いいかも」
小箪笥の上に、今週のジャンプを設置する。
「……ちょっと厚い」
「だめかー」
「本で、いろいろ試してみよう」
「うん」
本棚にある分厚い本を、片っ端から挟んでみる。
すると、
「──"狂骨の夢"だと、ちょうどいいな」
「きょうごくなつひこ」
「でも、あんま小説は下敷きにしたくないなあ。同じ厚さのものがあればいいんだけど」
「あるかな」
「うーん……」
ふと、あるものが目に留まる。
「……高校の卒業アルバム、同じくらいの厚さじゃない?」
「ほんとだ、おなじくらい」
「これにしよう」
「いいの?」
「捨てるわけじゃないし……」
卒業アルバムを噛ませると、ディスプレイが見事に水平になった。
「よし、さっそくカービィでもやるか!」
「やる!」
大画面でプレイする星のカービィは、たいへん迫力があった。
すこし大きすぎるかとも思ったが、買ってよかった。



2019年3月5日(火)

「○○ー!」
母親と買い物に出ていたうにゅほが、元気いっぱい帰宅した。
「おかえり」
「ただいま! プリンかってきた!」
「お」
うにゅほが手にしていたのは、"カスタード風プリンBIG"と書かれた、かなり大きめのプリンだった。
「カスタード、風……?」
「こんにゃくこ、はいってるんだって」
「へえー」
「はんぶんずっこしてたべよ」
「こんにゃくゼリーみたいな食感なのかな」
「かも」
さっそく蓋を剥がし、プラスチックスプーンを突き立ててみる。
「思ったより硬くない。普通だ」
「たべてみて!」
「ああ」
こんにゃく粉の入っているプリンということで腹持ちはいいだろうし、確認したところカロリーも控えめだ。
なにより、容器の底にカラメルの姿がないのが素晴らしい。
期待に胸を膨らませながら、こんにゃく粉入りカスタード風プリンをひとくち食べる。
「──…………」
「おいしい?」
「うん……」
「おいしくないかー……」
表情でバレた。
「食べてみ」
プリンをひとすくい、うにゅほの口元へと差し出す。
「あー」
ぱく。
「……なんか、あとあじにがい」
「これ、カラメルが生地に混ぜ込んである」
「そんなあじする……」
「あーもー、どうしていらんことするかなあ!」
俺は、プリンのカラメルが好きではない。
とは言え、甘みをより引き立てるためのアクセントであるとか、同じ味では飽きるから変化が欲しいだとかは、共感できなくとも理解はできる。
だが、
「混ぜ込んでしまったら、アクセントも味の変化もないじゃないか……」
食感がよかっただけに、本当に口惜しい。
「……○○、ごめんなさい」
「あ、いや、こっちこそ、買ってきてもらったものに文句つけて──」
「あとね、よんこある」
「──…………」
「かいすぎた……」
「……家族みんなで食べよう」
「うん……」
買い込むときは、味を確認してからにすべきである。



2019年3月6日(水)

「た」
お風呂上がりに爪を切っていたうにゅほが、小さく声を上げた。
振り返ると、親指の端を唇に当てている。
「どした?」
「ふかづめした……」
「見せてみ」
「うん」
指先の唾液を拭ったあと、うにゅほがこちらへ右手を差し出す。
「あんまり深爪って感じしないけど……」
「うーとね、みぎての、おやゆびの、そとがわ」
「……あー」
言われてみれば、少々深い。
「そこ、いつもきりすぎちゃう……」
「オロナイン塗っとこう」
「おねがいします」
デスクの引き出しからオロナイン軟膏を取り出し、患部に擦り込む。
「絆創膏は──まあ、いいか」
「うん、そこまでは」
「深爪、俺もよくやるから、気をつけないと」
「しろいとこ、すこしのこさないとね」
「つい、あのラインから切っちゃうんだよな……」
「そう」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「あれ、めじるしだとおもってた」
「俺も」
「いっしょだ」
「一緒だな」
「うへー」
「深爪って、巻き爪の原因になるらしいから、ほんと気をつけないと」
「こわいね……」
「足の爪、切ってやろうか?」
「ありがと」
「ある程度伸びたら、そこで止まってくれればいいのになあ」
「ほんとね」
そんな会話を交わしながら、うにゅほの足の爪を切る。
べつに足フェチではないのだが、なんだか役得のような気もするのだった。



2019年3月7日(木)

「○○、あーん」
「あー」
口のなかに、うにゅほ謹製のトリュフチョコレートが放り込まれる。
幸せの味だ。
「バレンタインも、そろそろ終わりかあ……」
ダイエットを理由に、うにゅほからのバレンタインチョコレートを一日一個に制限して早三週間。
そろそろホワイトデーが見えてきた。
「残り、あと一個だっけ」
「さいごだよ」
「えっ」
「いまのでさいご」
「マジか」
「まじ」
「マジか……」
気分が落ち込むのを自覚する。
自分で思っていた以上に、毎日のチョコレートタイムを楽しみにしていたらしい。
うにゅほが苦笑する。
「またつくるから」
「お願いします」
「うへー」
「あ、そうだ。ホワイトデーのリクエストとかある?」
「ホワイトデー……」
「まだ用意してないから、欲しいものがあればそれにするけど」
「うーと」
しばし思案し、
「……○○の、てづくりがほしい」
「手作りか」
「うん」
「昔はケーキとかたまに作ってたけど、最近はなあ……」
「だめ?」
「──いや、何か考えとく。××のチョコレートに報いないと」
「やた!」
ホワイトデーまで、あと一週間。
何をするにも準備が必要だ。
急がねば。



2019年3月8日(金)

「あ」
ふと顔を上げたうにゅほが、唐突に言い放った。
「サンバのひ!」
「サンバの日……」
「さんがつようかだから、サンバのひ」
「あー、それっぽいそれっぽい。日本サンバ協会とかありそう」
「じしんある」
「調べてみるか」
「うん」
キーボードを叩き、Wikipediaを開く。
「国際女性デー」
「うん」
「ミモザの日」
「みもざ?」
「なんか、こう、花……」
「へえー」
「みつばちの日」
「みつと、はちで、みつばちだ」
「これは上手いな」
「うん、うまい」
「みやげの日」
「みーと、やーで、みやげ」
「エスカレーターの日」
「それは、ちょっとわかんない」
「サワークリームの日」
「……ちょっとくるしい?」
「俺もそう思う」
「サンバのひ、まだ?」
うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「──…………」
「──……」
「サンバのひ、ない……」
うにゅほが、がっかりと肩を落とす。
「××、落ち込むのはまだ早い」
「?」
マウスを動かし、ある文字列を選択する。
「母子と助産師の日」
「ぼしとじょさんしのひ……」
「助産師のことを、昔は"産婆"と呼んでいたんだ」
「さんば」
「つまり、産婆の日」
「サンバのひ!」
「その通り」
「あってた!」
「合ってたな」
「うへー」
なんでもないことで笑い合える。
それは、とても幸せなことだと思うのだった。
フラグじゃないぞ。



2019年3月9日(土)

「──…………」
チェアの上で液体状になりながら、ぼんやり動画を眺めていると、気づけばとうに日が暮れていた。
「……いけね、もうこんな時間か」
「おつかれですねえ」
「お疲れかも……」
「かた、おもみしますか?」
「お願いします」
「はーい」
握力のないうにゅほの両手が、やわやわと俺の肩を揉む。
効きはしないが、心地いい。
「今週、そんなに忙しくなかったんだけどなあ……」
「うん」
「なのに、どうして疲れるんだか」
「きのう、えあろばいくのった?」
「××の目の前で乗ってたと思うけど……」
「ちがくて」
あ、これは。
「わたしねたあと、のった?」
「……はい」
「やっぱし……」
うにゅほが小さく溜め息をつく。
バレていたらしい。
「いやー、体重が思うように落ちなくなってきたから、つい……」
「がんばりすぎ、よくないんだよ」
「……はい」
わかってはいるのだが、気が逸る。
「ホエイプロテインじゃなくて、ソイプロテインにしようかなあ」
「おいしいの?」
「美味しさの違いじゃなくて、原材料の違いだな」
「げんざいりょう」
「ホエイプロテインは、牛乳。つまり動物性タンパク質」
「そいは?」
「大豆」
「へえー」
「ホエイは筋肉をつけるのに、ソイは体重を落とすのに適してる」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「◯◯、がっしりしてきたもんね」
「そうなんだよ……」
脂肪の下で、筋肉が主張を始めている。
「もともと筋肉つきやすい体質だからなあ」
いまや、ちょっとしたプロレスラーのような体型だ。
目指していた方向とは、すこし違う。
「いま飲んでるプロテインが切れたら、ソイに切り替えて様子を見よう」
「がんばりすぎ、だめだからね」
「はい……」
俺のダイエットはまだ始まったばかりである。



2019年3月10日(日)

午前六時過ぎ。
「──…………」
呼吸のリズムが変わると同時、うにゅほの目蓋がパチリと開いた。
「……◯◯ぃ……?」
「はい」
目元をくしくしこすりながら、うにゅほが上体を起こす。
「うふぁおー……」
「おはよう」
「もしかして、ねてない……?」
「眠れなくて」
「そか……」
「……生活サイクル、だいぶ崩れてきたなあ」
「でも、ねれないの、しかたないもん」
「いまから寝ても、さらにずれ込むだけだろうし……」
困った。
時間の融通がきく仕事とは言え、昼夜が完全に逆転してしまっては、さすがに不都合も出てくる。
「……仕方ない。荒療治をするしかないか」
うにゅほが小首をかしげる。
「あらりょうじ?」
「いっそのこと、寝ない!」
「ねないと……」
「語弊があったな。一睡もしないわけじゃない。ただ、仮眠程度で済ませようかなって」
「ちゃんとねないの?」
「ちゃんと寝ない」
「ねないと……」
「いや、この荒療治は、睡眠不足の状態で夜を迎えるのが味噌なんだ」
「あ、ねぶそくだから!」
「そう。寝不足だから、ぐっすり眠れるはず」
「なるほどー」
「というわけで、まだまだ夜更かしするぞ!」
「あさだから、あさふかしだね」
「昼になったら?」
「ひるふかし?」
「もう、わけがわからないな」
「そだね」
くすくすと笑い合う。
その後、昼過ぎに二時間ほど仮眠して、いまに至る。
ほどよく眠気があるので、今日はしっかりと睡眠が取れそうだ。



2019年3月11日(月)

「んッ──……」
大きく伸びをして、口を開く。
「ひとまず、生活サイクルは元に戻ったかなあ」
「きのう、なんじねたの?」
「三時過ぎくらい」
「おー」
それでも十二分に遅いが、日が昇ってからようやく床に就くよりマシである。
「早めに起きたから、ちょっと眠いや」
「ねたら、よるねれなくなるきーする」
「頑張って起きてよう」
「うん」
仕事部屋にしている和室へ赴き、本日の仕事に取り掛かる。
仕事中は問題ないのだが、いったん休憩に入ると、意識が飛びかける。
「──…………」
「◯◯、◯◯」
「!」
うにゅほに腕をぽんぽんと叩かれ、はっと意識を取り戻す。
「ねてた?」
「寝てた……」
「ねるなら、ちゃんとねないと、かぜひくよ」
「いや、頑張る」
「そか……」
「顔洗ってくる」
「うん」
顔をすすいで、自室へ戻る。
「よし、シャキッとしたぞ!」
「あ、めーあいた」
「眠いときは、冷水を顔に浴びせるに限るな」
「そだねえ」
しばらくして、
「──…………」
「◯◯、◯◯」
「!」
うにゅほに頬をぺちぺち叩かれ、はっと意識を取り戻す。
「ねてた?」
「寝てた……」
「ちゃんとねよ」
「……三十分だけ、そうする」
「うん」
仮眠をとったあとは、眠気に負けることはなかった。
明日は定期受診の日だ。
早めに寝よう。



2019年3月12日(火)

月に一度の定期受診の帰り、あまり行かないスーパーマーケットへと立ち寄った。
「なんかここ、すこし高級感あるよな」
「わかる」
「見たことない商品多いし……」
「あと、ちょっとたかい」
高級スーパーというほどではないのだろうが、非日常感があって面白い。
「なにかうの?」
「おやつ代わりにチーズでも、と思ったんだけど──」
乳製品のコーナーにずらりと並ぶ、見たこともない商品たち。
「さけるチーズ、ベーコン味なんてあったんだ」
「はじめてみた……」
「買ってみよう」
「うん」
さけるチーズをカゴに入れ、周囲を見渡す。
「あ」
「どした?」
「さけそうなチーズ、あった」
「さけそう……」
うにゅほが、その商品を手に取る。
「モッツァレラチーズ、さけるタイプ、だって」
棒状のチーズが三本ほど封入されたパッケージには、「十勝の自然の恵みをお届けします」と書かれている。
「美味しそうじゃん」
「ね」
「いくら?」
「うーと、さんびゃくはちじゅうはちえん……」
「たっか」
「おたかい……」
「でも買おう。気になるし」
「いいの?」
「実家住まいの社会人だもの。それくらいのお金はあります」
「そか」
二種類のストリングチーズを購入し、帰宅する。
「では、さっそく」
388円のストリングチーズを開封する。
「なんか、しっとりしてる」
「さけるチーズより、だいぶ柔らかいな」
裂いたチーズを口に入れる。
「──あ、美味い」
「おいしい!」
「牛乳の味が残ったチーズって感じがする」
「そんなかんじするね」
「今度、また買ってこようか」
「うん!」
さけるチーズのベーコン味は、それなりの美味しさだった。
期待以上でも以下でもない味だったため、詳細は省く。



2019年3月13日(水)

「──…………」
「──……」
ふたり並んで腹部を押さえる。
「おなか痛い……」
「わたしも……」
「……お互い大変ですね」
「そうですね……」
理由は違えど同じ腹痛同士、妙な連帯感を覚える。
「◯◯、げり?」
「いや、下ってはいないんだけど……」
「べんぴ」
「便秘はなった覚えがないなあ」
「え、ないの?」
「二日とか三日とか、ひどいのはないと思う」
「そなんだ……」
あったのかもしれないが、記憶はない。
忘れているのかもしれない。
「おなかなでる?」
「いや、××も痛いんだし……」
「じゃあ、じゅんばんね」
うにゅほが俺の腹部に手を這わせる。
「──…………」
「──……」
なで、なで。
「にく、ついたねえ」
「はい……」
ダイエット、頑張らなければ。
しばしして、
「じゃあ、交代な」
「おねがいします」
うにゅほの腹部に手を触れる。
「うひ」
なで、なで。
「ほー……」
「腹巻き、まだ使ってるんだな」
「うん」
「俺があげたやつ?」
「そだよ」
「もう、七年くらい使ってるんじゃないか?」
「たぶん……」
うにゅほは物持ちがいい。
俺がプレゼントしたものに限らず、なんでも大事にとっておく。
「つぎ、わたしのばんね」
「お願いします」
こうして、互いのおなかを撫であいながら、なんとか腹痛をやり過ごしたのだった。



2019年3月14日(木)

ホワイトデーである。
「えーと……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××のリクエストは、"俺の手作り"だったよな」※1
「うん!」
その目が期待に輝いている。
「……実は、プレゼントを決めるのにも、作るのにも、すこし時間が足りなくて」
「──…………」
「だから、前に作ったもので悪いんだけど──」
小さな紙袋を、うにゅほに手渡す。
「これでなんとか」
「あけていいですか?」
「どうぞ」
かさり。
うにゅほが、紙袋の中身を取り出す。
「あ、これ!」
「見覚えある?」
「ある!」
それは、ずっと以前にワイヤークラフトで手作りした、ガーデンクォーツのペンダントヘッドだった。
「これ、くれるの?」
「ああ」
「やた!」
うにゅほが満面の笑みを浮かべる。
「ね、ね、つけていい?」
「もちろん」
いつもうにゅほの胸元を飾っている琥珀のペンダントが外され、ガーデンクォーツのペンダントヘッドと取り替えられる。
だが、
「……金のチェーンだと、すこし色が合わないな」
「そうかも」
「ちょい待ち」
引き出しの奥に手を入れ、ステンレス製のチェーンを取り出す。
「ついでだ。これもプレゼント」
「わあ!」
「つけてみて」
「わかった!」
うにゅほが、慣れた手付きで首の後ろに手を回す。
ワイヤーに彩られたガーデンクォーツが、胸元で小さく揺れた。
「……にあう?」
「うん、よく似合う」
「うへー……」
喜んでもらえたようで、よかった。
「◯◯、ありがと」
「こちらこそ」
その笑顔を見るたび、プレゼントしてよかったと思える。
すこし遠いけど、誕生日には何をあげようかな。

※1 2019年3月7日(木)参照



2019年3月15日(金)

「♪」
胸元を飾るガーデンクォーツを指先で弄びながら、膝の上のうにゅほが動画に見入っている。
最近のトレンドはキズナアイらしい。
「──ね、にあう?」
「似合う似合う」
「うへー」
もう何度めかわからない質問に、思わず頬がゆるむ。
「琥珀のペンダントは、もうしないの?」
「するよ」
「コーディネートで変えるのか」
「うん」
「××はおしゃれだなあ」
「これも、こはくも、◯◯がくれたのだから」
「……そっか」
こうまで言ってもらえると、さすがに面映いものがある。
プレゼントして本当によかったと思える。
「あ、そうだ。父さんの誕生日、どうしよう」
父親の誕生日は、3月20日である。
迷う時間はあまりない。
「(弟)、にほんしゅかってた」
「やっぱお酒が鉄板かなあ……」
「そだねえ」
「ビールは?」
「おとうさん、さいきん、ふとるからビールのまないって」
「あー……」
たしかに、サントリーのオールフリーを飲んでいる姿をよく見かける。
「じゃあ、ちょっといいワインか、ウイスキーだな」
「どっちにする?」
「俺がウイスキー買うから、××はワイン。これでどうだ」
「そうしましょう」
「この動画見終わったら、リカーショップ行こうか」
「うん!」
父親なら、どんなお酒でも喜んで飲むだろう。
選ぶのが楽で助かるような、選び甲斐がないような。



2019年3月16日(土)

「──……はっ」
と気づけば、時すでに夜。
「なんか、今日、何もしてない気がする……」
「そかな」
「何したっけ」
「うーと、あさおきて、ぱそこんしてた」
「してたな」
「ひる、えあろばいくこいでた」
「漕いでたな」
「ゆうがた、ひるねしてた」
「寝てたな」
「おふろのあと、ぱそこんしてた……」
「……何もしてないな」
「うん……」
「最近、有意義な週末を過ごしてない気がする」
「そうかも」
「××、今日は何してた?」
「うーと──」
しばし思案し、うにゅほが口を開く。
「あさおきて、あさごはんつくって、たべた」
「うん」
「ごぜんちゅう、いっかいのそうじして、テレビみて、おひるつくって、たべた」
「……うん」
「おかあさんかえってきたあと、いっしょにかいものいって、かえってきたらへやのそうじして、まんがよんで、おふろそうじして──」
「──…………」
「ばんごはんつくって、たべて、おふろはいって、◯◯とぱそこんして、いま」
「なんか、すいません……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……俺にとっては休日でも、××にとってはそうじゃないんだな」
「わたし、しごとしてない」
「そんだけ家事してれば、仕事と同じだろ」
「そかな……」
チェアから腰を上げ、うにゅほの肩を揉む。
「お疲れさま。いつもありがとうな」
「……うへー」
折れそうなほど小さな肩を、優しくマッサージする。
凝りらしい凝りはなかったが、うにゅほは気持ちよさそうに微笑んでいた。



2019年3月17日(日)

「◯◯、ひま?」
「暇」
「あそぼう」
「何して遊ぶ?」
「んー……」
うにゅほが思案する。
遊びたいという気持ちばかりが先行して、その内容にまで思い至っていなかったらしい。
「マリオテニスする?」
「マリオテニス、むずかしい」
「マリオカート」
「わたし、おそい……」
「カービィ」
「カービィしよう」
「了解」
Switchの電源を入れる。
「スターアライズも面白いけど、スーパーデラックスみたいのもまたやりたいなあ」
「すーぱーでらっくす?」
「カービィのミニゲームがたくさん入ったゲーム」
「へえー」
「ミニゲームって言っても、ひとつひとつがそれなりのボリュームあるし、それぞれ別の楽しみ方ができてよかった」
「そなんだ」
「いちばん好きだったのは、洞窟大作戦ってやつかな。宝箱を探して、財宝を集めていくの」
「おもしろそう……」
「宝箱の場所なんて全部覚えてるのに、何周も何周もしたっけなあ……」
「やりたい!」
「俺もやりたい。Switchがバーチャルコンソールに対応してくれてたらよかったんだけど」
スーパーファミコンには、もう一度遊びたいソフトが多すぎる。
バーチャルコンソールで出してくれれば、ひたすら買い漁ってしまいそうだ。
「××、コピー能力は何が好き?」
「うーと、アイスすき」
「アイスか」
「◯◯は?」
「ニンジャかな」
「ニンジャ、かっこいい」
「カッコいいし、強い」
「つよい」
そんな会話を交わしながら、スターアライズを進めていく。
Switch、買ってよかったなあ。



2019年3月18日(月)

窓際で春の陽射しを浴びながら、ぼんやりと呟く。
「今日、あったかいなー……」
「こはるびより」
「小春日和は、ちょっと意味が違うかな」
「そなの?」
「秋か冬の、ちょっと春っぽい日のことだったと思う」
「そなんだ」
うんうんと頷きながら、うにゅほが俺に寄り添う。
「あったかいねえ……」
「今年は、春が来るのが早かったよな」
「うん」
「去年の今頃なんて、まだ根雪解けてなかったんじゃないか」
「そんなきーする」
「──…………」
「──……」
しばし目を閉じ、
「あっつ」
「あついねえ……」
「ひなたぼっこと思ったけど、暑いわ。換気がてら窓開けよう」
「そうしましょう」
そう告げて、寝室側の窓を開いたときのことだった。

──ぶうん

懐かしくも嬉しくはない羽音が、耳元で鳴った。
「わ」
「ハエだ!」
「はえ、はるつげむし……」
「××、ちょっと見てて! キンチョール持ってくる!」
「わかった!」
殺虫剤を浴びせかけられたハエは、壁に体当たりを繰り返し、やがて腹を見せたまま動かなくなった。
「しんだ……」
「どこから湧いてくるんだか」
「つちかなあ」
「たぶん……」
いい雰囲気だったのに、台無しである。
ハエに告げられた春を憂いながら、死骸をティッシュにくるんで捨てたのだった。



2019年3月19日(火)

──ぴー!

ファンヒーターが高らかに電子音を鳴り響かせる。
灯油が切れたのだ。
「あー……」
どうしようかなあ。
「とうゆ、いれないの?」
「迷いどころ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「酸化するから、次の冬まで灯油入れっぱなしにしたくない」
「あ、そか」
うんうんと頷き、うにゅほが続ける。
「さいきん、あったかいもんね」
「いま汲んできても、使い切れるかどうか」
「そだねえ……」
判断の難しい問題だ。
「ひとまず、今日だけ我慢してみようか」
「うん」
うにゅほを抱っこしていれば、多少の冷え込みは我慢できる。
それは間違いのない事実だ。
だが、
「──…………」
「──……」
「暑い」
「あつい……」
ファンヒーターがどうこうではなく、普通に暑かった。
「……灯油、いらないなこれ」
「ほんとだね……」
「いちおう、今週の気温だけ調べてみよう」
「うん」
キーボードを叩き、日本気象協会のサイトを開く。
「あ」
「?」
「23日、最高気温2℃……」
「にど……」
「……灯油、入れとくか」
「うん」
さすがに、2℃には耐えられまい。
「てーかがしてね」
「はいはい」
灯油の匂いの付着した手をふすふす嗅がれるのも、今季最後のことだろう。
そう考えると、すこし名残り惜しい気もするのだった。



2019年3月20日(水)

父親の誕生日である。
俺が、お高めのウイスキーを。
うにゅほが、ちょっといいワインを。
弟が、日本酒の飲み比べセットを。
見事なまでの酒づくしに、父親はご満悦の様子だった。
「あんましのみすぎないでね」
「わーってる、わーってる」
返事は軽いが、まあ、大丈夫だろう。
自室に戻り、反省会を行う。
「おさけいっぽんより、たくさんのほうが、うれしそうだったねえ」
「質より量の人だからな」
「やすいワインたくさんのがよかったかなあ……」
「でも、誕生日プレゼントに五百円のワインってのもどうかと思うし」
「そだけど」
「俺は、正解だったと思うけどな」
「そかな……」
「高いお酒はちびちび飲むだろ。だから、自然と飲み過ぎない」
「あ、そか」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「◯◯も、たかいワイン、ちびちびのんでたもんね」
「値段と飲む速度は反比例する……」
「すーごいたかいワイン、すーごいじかんかかりそう」
「まあ、言うほど高いワイン飲んだことないけどな」
「ろまねこんてぃ」
「ロマネ・コンティ、いくらするか知ってる?」
「にまんえんくらい?」
「百万円以上」
「!」
うにゅほが、目をまんまるくする。
「すごいよな」
「……そんなにおいしいの?」
「ここまで来ると、美味しいから高いってわけじゃないと思う」
「そうなのかな……」
「そこらのオレンジジュースと、農家直送搾りたて100%オレンジジュース。後者のほうが高いけど、好みは人それぞれだろ」
「あー」
「ひとくち飲んではみたいけど、お金は払いたくないな」
「わかる」
「飲んでみたいの?」
「ひとくち……」
「ひとくちだけだぞ」
「うん」
まあ、ロマネ・コンティを口にする機会など、これから先の人生で一度もないと思うけど。



2019年3月21日(木)

うにゅほを膝に乗せたままブラウジングしていると、通知音が鳴った。
メールが届いたのだ。
確認してみると、
「……またか」
思わず溜め息がこぼれ出た。
「また?」
「楽天のメールマガジン。読む気もないのに届く届く」
「とどくの」
「一度商品を買っただけなのに、気づけば三種類くらいのメールマガジンに登録させられてる」
「えー……」
「気をつけてるつもりなんだけど、油断するとこうなる。これがあるから楽天は使いたくないんだよな」
チェックをすべて外しているのに、知らないメールマガジンが届くことすらある。
ここまで来るとユーザーへの嫌がらせに近い。
「あまぞん、だめなの?」
言葉足らずだが、"Amazonではダメなのか"という意味だ。
「普段はAmazon使ってる」
「うん」
「でも、楽天には楽天の強みがあってさ」
「つよみ」
「楽天は提携店舗が多くて、特に食べ物なんかに強い。今回買ったのも、母さんへのホワイトデーのお返しだし」
「おいしかった!」
「分けてもらったのか」
「うん」
よく考えずとも、うにゅほが人のものを勝手に食べるわけがない。
「メール、とどかないようにできないの?」
「できる」
「しましょう」
「するけど、手続きに時間がかかるとかで、止めてもしばらく届いたりするからなあ……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「とうろくするの、いっしゅんなのに、とめるの、じかんかかるの?」
「……言われてみればおかしいな」
メールを一通送るたび、どこかからお金が入ったりするのだろうか。
それがなければ、もうすこし頻繁に利用するんだけどなあ。
消極的にAmazonを選んでいる人、多そうである。



2019年3月22日(金)

すこし時間ができたので、うにゅほと外出することにした。
「くつはくの、ちょっとまっててね」
「はいはい」
上がり框に腰を下ろし、うにゅほがブーツに爪先を入れる。
ジロジロ見つめるのも変なので、周囲に視線を巡らせていると、
「──……げっ」
嫌なものを見つけてしまった。
「どしたの?」
「見ないほうがいいと思う……」
「きになる」
「まあ、気になるよなあ」
「うん」
仕方がない。
玄関扉の付け根を指差す。
「蝶番の上」
「?」
うにゅほが、指で示した先を覗き込み、
「う!」
思わず一歩後じさった。
「見ないほうがよかったろ」
「みないほうがよかった……」
それは、玄関扉の付け根でぺったんこに潰された二体のゲジの死体だった。
カラカラに乾き、ひとつは原型を留めていない。
「……見つけたからには放っておけないよなあ」
「うん……」
「××、靴べら取って」
「はい」
うにゅほが手渡してくれた靴べらを使い、ゲジの死体をこそぎ落とす。
ゴリ、ゴリ。
「うひー……」
「見なくてもいいのに」
「こなごな……」
「たぶん、半年くらい誰にも気付かれなかったんだろうな」
「げじ、ふゆでないもんね……」
まったく、出掛ける前にとんだ目に遭った。
久方ぶりのドライブは楽しかったので、終わりよければすべてよしとする。



2019年3月23日(土)

底冷えのする寒さに目を覚ますと、窓の外が白く染まっていた。
「吹雪いてる……」
まるで、季節が巻き戻ったかのような様相だ。
暖かな布団から抜け出し、自室の書斎側へ赴く。
「あ、おはよー」
「おはよう」
「ストーブ、いまつけた」
「そっか」
道理で寒いはずだ。
「最高気温、2℃だっけ」
「たしか」
「……なんか、やたら寒くない?」
うにゅほが、両手を擦り合わせながら答える。
「さむい……」
「寒いよな」
「にど、こんなさむかったっけ」
「どうだろ。週間天気だと2℃になってたけど……」
「しらべてみる」
うにゅほがiPhoneを取り出し、気象アプリを起動する。
「わ」
「何℃?」
「いま、マイナスにど」
「……マジか」
「さいこうきおん、マイナスいちど。さいていきおん、マイナスごどだって」
「納得」
「ふゆ、もどってきた」
「忘れ物かな」
「なにわすれたのかな」
「なんだろ」
「なにかなあ」
のんきな会話を交わしながら、自室の扉に手を掛ける。
「顔洗ってくる」
「うん」
「戻ってきたら、抱っこさせて。部屋があったまるまででいいから」
「あったまるまでー……?」
あからさまに不満げなうにゅほに、思わず苦笑する。
「じゃあ、あったまっても」
「うん!」
寒い日は、そう嫌いではない。
くっつく言い訳が成り立つからだ。
まあ、そんな言い訳などなくても頻繁にくっついているわけだが、それは言わないお約束である。



2019年3月24日(日)

深夜から朝にかけての雪が、露出していたはずのアスファルトを覆い隠している。
これが十一月の出来事であったなら、根雪になるかと騒いでいたことだろう。
「ほんと、季節が巻き戻っちゃったなあ」
「かんのもどり?」
「よく知ってるなあ」
「うへー」
寒の戻りは五月くらいの話だった気がするが、そう大きくは違いあるまい。
「灯油、汲んどいて正解だったな」
「ほんと」
「相互湯たんぽシステムも限界あるし」
「そうごゆたんぽシステム」
「俺が××を温めて、××が俺を温めるシステム」
「そんななまえなんだ」
「いや、適当」
「──…………」
あ、呆れてる。
「でも、わかりやすくない? 相互湯たんぽシステム」
「そかなあ」
「××なら、なんて名付ける?」
「うーと」
しばし思案し、答える。
「ゆたんぽごっこ」
「湯たんぽごっこか」
「うん」
「無難……」
「えー」
「××、なんとかごっこって好きだよな」
「そうかも」
「寝るごっこ、とか」
「ねるごっこ、する?」
「あれ、結局寝るから、ごっこじゃないんだよな」
「ねちゃう……」
「じゃあ、寝ないごっこ」
「ねないごっこ」
「徹夜する」
「ごっこだから、ねないと」
「……なんか、だんだんこんがらがってきた」
「ややこしい」
うにゅほとなら何をやっても面白いから、なんだっていいのだけれど。



2019年3月25日(月)

デスクの上にペットボトルの蓋が転がっていたので、まとめて捨ててしまうことにした。
ゴミ箱までは、すこし距離がある。
適当に狙いをつけ、二個連続で放り投げると、

──コンッ

ペットボトルの蓋がゴミ箱の真上で衝突し、別々の方向へと飛び散った。
「うお」
軽度のミラクルに、思わず声が漏れる。
「どしたの?」
iPadでテレビを見ていたうにゅほが、顔を上げた。
「いや、大したことじゃないんだけど……」
明後日の方向へと転がったペットボトルの蓋を拾い上げながら、いまの出来事を説明する。
「ぽいぽいってして、ぶつかったの?」
「うん」
「くうちゅうで」
「たぶん、一個目は高く、二個目は勢いよく投げたんだろうな」
「みたかった……」
「そう言われましても」
「もっかい」
「狙っては難しいよ」
「えー……」
うにゅほが口を尖らせる。
「……まあ、やるだけやってみるけど、期待はしないように」
「わかった!」
拾い上げたペットボトルの蓋を右手に構え、二個連続で放り投げる。
すると、

──コンッ

ふたつの蓋が、再び、空中で弾けた。
「わ、すごい!」
「できた……」
「◯◯、すごいね!」
「思ったより簡単なのかな、これ」
そう思い、三度ペットボトルの蓋を放り投げる。
だが、以降は成功することなく、偶然が二度重なっただけという結論に落ち着いた。
幸運を無駄に消費した気がしてならない。



2019年3月26日(火)

「あ」
「?」
「おもちゃのカンヅメ、新しいの出てる」
「!」
うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「あたらしいの、どんなの?」
「ふしぎなキョロちゃん缶、だって」
「ふしぎ」
「でんじろう先生監修」
「だれ?」
「えーと」
でんじろう先生について説明しようとして、
「……誰なんだろう」
ほとんど名前しか知らないことに気がついた。
「なんか、よくテレビで面白い科学実験をする人なんだけど……」
「かがくじっけん」
「なんか動画リンク貼ってたから、見てみるか」
「みるみる」
うにゅほが俺の膝に陣取る。
「では、再生」
再生ボタンを押す。
それは、でんじろう先生が、自由自在にシャボン玉を操る動画だった。
「でんじろうせんせい、てじなし?」
「いや、ちゃんと種があるんだよ」
「てじなもたねあるよ」
「そうだけど、こう、科学的な……」
「かがくてき」
「たぶんだけど、この動画の種は、静電気だな」
「せいでんき……」
「静電気で操ってる、はず」
「せいでんき、パチッてなるやつ」
「そうだな」
「なんでシャボンだまうごくの?」
「──…………」
「?」
「わからん!」
なんとなくはわかるが、上手く言葉にできない。
「ふしぎだねえ……」
「不思議だな」
「ぎんのえんぜる、さがそうね」
「またゲーセンで荒稼ぎしてくるか」
「うん」
手持ちの銀のエンゼルは二枚。
あと三枚なら、さほど苦もなく入手できるだろう。



2019年3月27日(水)

「……キープラーが届かない」
「きーぷらー?」
「キーボードのキーをすぽんすぽん取るやつ」
「まえかったきーする」
「前買ったんだけど、見当たらなくてさ」
「ひきだし、ないの?」
「ない」
「ないの……」
「ありそうな場所は全部探したんだけどな」
「なさそうなばしょにあるんだね」
「なさそうな場所だと、範囲が広すぎる」
「たしかに」
「まあ、五百円もしない品だからさ。Amazonで気軽に注文したんだよ」
「いつかったの?」
「一週間くらい前かなあ……」
「おそい」
「普段は二日くらいで届くのにな」
「おそいねえ……」
「カートに入れっぱなしで、注文確定してなかったりして」
「あー」
「──…………」
「?」
ブックマークからAmazonを開き、注文履歴を確かめる。
「……ない」
「ない?」
「注文確定してない!」
「してなかった……」
「たまにやらかすんだよなあ……」
Amazonさん、疑ってごめんなさい。
「──これでよし、と」
「とどく?」
「たぶん、明後日には」
「すぽんすぽんとっていい?」
「徹底的に掃除するつもりだから、全部取っていいぞ」
「もと、もどせる?」
「公式サイトに写真あるから」
「そか」
高いキーボードだ。
しっかりメンテナンスをして、長く使いたいものである。



2019年3月28日(木)

「◯◯、サイダーのむ?」
「飲む飲む」
カシュッ!
うにゅほから350ml缶を受け取り、開封する。
ひとくちあおり、
「くあー!」
喉を焼く刺激に、思わず声を漏らした。
「やっぱ、三ツ矢サイダーだな」
「わたしものむー」
「はいはい」
350ml缶を、うにゅほに返す。
ひとくち啜り、
「かー!」
「それ、俺の真似?」
「うん」
「似てないなあ」
「そかな」
少なくとも、俺はそんなに可愛くない。
「それにしても、いきなりどうしたんだ。三ツ矢サイダーの日だから?」
「みつやサイダーのひ?」
「3月28日だから」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なんか、れいぞうこにあったから」
「たまたまか」
「うん」
まあ、そういうこともあるだろう。
サイダーを飲み干したあと、自室でくつろいでいると、扉がコンコンとノックされた。
「はーい」
入ってきたのは、弟だった。
「兄ちゃん、××、冷やしてたサイダー知らない?」
「あっ」
思わず、うにゅほと顔を見合わせる。
「飲んだしょ」
「はい……」
「箱で買ってあるから飲みたきゃあげるけど、冷やしてるの勝手に持ってくのはやめてくんない?」
「悪い」
「ごめんなさい……」
しゅん。
真っ当な理由で普通に怒られて、うにゅほが凹んでしまった。
「……あー」
話題をずらそう。
「(弟)、やっぱ、三ツ矢サイダーの日だからサイダー買ってきたのか?」
「三ツ矢サイダーの日?」
「3月28日だから」
「いや、もともと好きだから常備してるだけだけど」
「そうなのか……」
「今後は気をつけて」
「はい、きーつけます……」
弟が、扉を閉める。
「……怒られちゃったな」
「うん……」
「三ツ矢サイダーの日、ぜんぜん関係なかったな」
「うん……」
「膝、乗るか?」
「のる……」
膝の上のうにゅほを慰めてやりながら、こうして日記を書いているのだった。



2019年3月29日(金)

「──…………」
うと、うと。
マウスを握り締めながら、不意に意識が遠くなる。
「◯◯?」
「はっ」
「ねてた」
「寝てた……」
「おつかれですね」
「最近、ちょっと」
「ねむいなら、ちゃんとねないとだめだよ」
「でも、出掛ける約束だろ」
今日は仕事が少ないので、うにゅほと遊びに行く約束をしていたのだった。
「むりしないで」
「約束を守るのは、無理じゃない」
「でも、ねむいと、うんてんあぶないとおもう……」
「……あー」
たしかに。
「じゃあ、こうしよう」
「そうしましょう」
「まだ何も言ってないけど……」
「◯◯、まちがったこといわない」
「──…………」
全幅の信頼を寄せられて、嬉しいような、戸惑うような。
「三十分か一時間くらい仮眠を取って、それから出掛けようかなって」
「うん」
「出るのすこし遅れるけど、いい?」
「いいよ」
「じゃあ、失礼して──」
ふらふらと寝室側へ赴き、ベッドで横になる。
「あいますく、おちてたよ」
「ありがと」
うにゅほからアイマスクを受け取り、装着する。
「三十分くらいで起こして……」
「はーい」
ふ、と意識が沈んでいく。
疲れが溜まっていたらしい。
三十分の仮眠を終え、冷水で顔を洗うと、ようやく目が覚めた気がした。
「──よし、ゲーセン行くか!」
「おー!」
荒稼ぎしたチョコボールの中に、エンゼルが隠れていますように。



2019年3月30日(土)

Amazonからキープラーが届いた。
「よし、これでキーボードの掃除ができる」
「ね、ね、すぽんすぽんとっていい?」
「いいぞ」
二本の針金と取っ手のみで構成されたシンプルなキープラーをうにゅほに手渡す。
「やり方、覚えてる?」
「うーと、かどとかどにひっかけて──」
キーボード右下の「→」キーの下に針金を滑り込ませ、
「や!」
すぽん。
至極あっさりとキーキャップを引き抜いた。
「とれた!」
「お見事」
「うへー……」
うにゅほが照れ笑いを浮かべる。
「悪いけど、次々抜いてくれるか。俺はキー拭いてるから」
「はーい」
すぽん、すぽん、すぽん。
コツを掴んだのか、流れるようにキーキャップが引き抜かれていく。
「キーのした、きたないねえ……」
「毛が多いな」
「わたしのけーもある」
見れば、数十センチはある細く長い髪の毛が、キーキャップの下に絡みついていた。
「一本だからいいけど、百本くらいあったらホラーだな」
「こわい」
「自分の髪だろ」
そんな会話を交わしていると、
「◯◯、えんたーぬけない……」
「貸してみ」
「うん」
うにゅほからキープラーを受け取り、エンターキーに引っ掛ける。
ぐい、と力を込めるが、容易には抜けない。
「思いきり引っこ抜くと、壊れそうで嫌だなあ……」
「わかる」
「まあ、やるけど」
すぽん!
「ぬけた」
「真上に力を入れるのがコツだな」
「わかった!」
しばしして、
「はい、おしまい」
スペースキーを最後に嵌め込んで、キーボードの掃除を終える。
「おつかれさま!」
「××も、お疲れさま」
「きれいになった!」
「ああ」
タイピングも、どことなく心地よい。
頻繁にとは言わずとも、年に一度くらいは徹底的に掃除したいものだ。



2019年3月31日(日)

年度末である。
それはそれとして、目を覚ますと午後五時だった。
「──…………」
しばし、呆ける。
「俺の日曜日が……」
独り言を聞きつけたのか、うにゅほが書斎側から顔を出す。
「あ、おきた」
「起きました」
「おそようございます」
「……おそようございます」
「すーごいねてたねえ」
「軽く十二時間以上寝てた……」
「つかれてたのかな」
「そうかも」
のそのそとベッドから抜け出ると、全身の異様な倦怠感に気がついた。
「だっる」
「だいじょぶ?」
「まあ、十二時間も寝れば、こうなるか……」
「きーつけてね」
「うん」
壁に手をつきながら歩き、パソコンチェアに腰を下ろす。
「──あ、そだ。きょう、おじいちゃんのめいにちだって」
「爺ちゃんの?」
「うん」
しばし思案し、
「……あー、そうだった気がする」
完全に忘れてたけど。
「父方の爺ちゃんって、××、会ったことないんじゃないか?」
「うん、ない」
「××がうち来たとき、もう亡くなってたからな」
「どんなひとだったの?」
「うーん……」
腕を組み、天井を見上げる。
「物静かで」
「うん」
「アル中で」
「あるちゅう……」
「酒を飲むたび、くしゃみする人かなあ」
「うと、ほかには?」
「……あんまり思い出せない」
「えー……」
「ほんと、喋らない人だったんだよ」
「そなんだ」
「まあ、あとで線香の一本でも上げておくか」
「うん」
久方ぶりに父方の祖父のことを思い出した。
ずっと一緒に住んでいたはずなのに、こうまで忘れてしまうものなんだな。
時の流れは残酷だ。

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