2019年2月1日(金)
灯油タンクをがたごと揺らしながら、逃げ込むように自室へ戻る。 「はー、寒い寒い! 寒い!」 「おかえりなさい」 「××、今日クソ寒いぞ!」 「そんなに?」 「玄関出たら、一瞬で体温持ってかれた……」 「あったまる?」 うにゅほが、招くように両腕を開く。 「あっためろ!」 ファンヒーターに灯油タンクをセットしたのち、躊躇なくうにゅほの胸に飛び込んだ。 「ぎゅー」 しっとりと柔らかい体が押し付けられる。 温かい。 心地良い。 「ふいー……」 温泉に浸かったような心持ちだった。 「◯◯、あったかい?」 「あったかい……」 「さむくなくなったら、てーかがしてね」 「はいはい」 うにゅほは、俺の手に付着した灯油の匂いが大好きである。 「──…………」 考えてみれば、灯油の匂いを嗅ぐのを我慢してまで、凍える俺を温めてくれているのか。 「××は、いい子だなあ」 「そかな」 「えらいマンだな」 「◯◯も、さむいのにとうゆいれてきてくれて、えらいマン」 「仲間だな」 「なかま、なかま」 うへーと笑う。 俺の大好きな笑い方だ。 「──うん、だいぶあったまった。ありがとな」 「はーい」 「手、嗅ぐ?」 「かぐ!」 しばしのあいだ、心ゆくまで灯油の匂いを堪能するうにゅほなのだった。
2019年2月2日(土)
「──よし、投稿完了!」 ブラウザのページが切り替わるのを確認し、独りごちる。 肩の荷が下りたようだった。 「とうこう?」 座椅子から腰を上げたうにゅほが、ディスプレイを覗き込む。 「ほら、十周年の」 「はつねミク?」 「そうそう」 十年前の1月10日、俺は、ある動画を投稿した。 それは、戯れに友人と作った、一曲のボカロ曲だった。 「あれから十年か……」 ニコニコ動画への投稿数は七十に届き、まだ動画化していない楽曲も十以上ある。 よくもまあ、飽きずにコツコツ作り続けたものだ。 「じゅうねんまえ、わたしいなかった……」 「いなかったな」 「ずるい」 そんなこと言われましても。 「……えーと、その、曲の話をしていいですか?」 「はい」 「今回の曲は、十年前に作った曲のリミックスなんだ」 「さいしょのきょく?」 「最初ではない。でも、最初期の曲ではあるかな」 「へえー」 「十年前より良い機材で、十年前より良い腕で、知人にギターを弾いてもらって仕上げたのだ」 「すごい」 まあ、頑張ったのは主に作曲担当なのだが。 「聞いてみる?」 「あ、くらべてみたい」 「いいぞ」 うにゅほをチェアに座らせて、ヘッドホンを手渡す。 「では、原曲から」 音楽ファイルを再生する。 「おー……」 「どんな感じ?」 「ぼんぼんしてる」 「ぼんぼん……」 まあ、わかる。 「続いて、リミックス」 別のフォルダを開き、再生する。 「わ!」 「どんなもんだい」 「ぶいんぶいんしてる……!」 「ぶいんぶいん……」 たしかに。 「その、"ぼんぼん"と"ぶいんぶいん"の差が、十年の重みなのだよ」 「なるほど……」 うにゅほが、うんうんと頷く。 日記の最後に、当該動画へのリンクを貼っておく。 是非聞いてみてほしい。
初音ミクV4X / 侵蝕フェルミオン2019 https://www.nicovideo.jp/watch/sm34563809
2019年2月3日(日)
節分である。 「ふくはー、うち!」 イベント好きなうにゅほと母親がきゃっきゃと撒いた落花生を拾って枡に戻したあと、家族で恵方巻きを食べることにした。 「今年の恵方は?」 「とうほくとう、だって」 「東北東……」 iPhoneのコンパス機能を使用し、東北東を特定する。 「……コンパスって、恵方を探すとき以外使わない気がするなあ」 「たしかに……」 「東北東、あっちみたいだ」 洗面台の方角を指差す。 「わかった!」 俺とうにゅほ、母親が、東北東を向いて恵方巻きにかぶりついていると、 「──ほら、◯◯! ゲーミングパソコンだってよ、ゲーミングパソコン!」 出た。 ひとり恵方巻きを食べ終えた父親が、俺の肩を叩きながらリビングのテレビを指し示す。 「──…………」 「──……」 はぐはぐ。 父親を無視し、無言で恵方巻きを食べ進める。 何故かはわからないが、うちの父親は、俺たちが恵方巻きを食べるのを毎年邪魔してくるのだ。 「ほれ見ろって、普通のパソコンとすげー差があるんだってよ!」 喉に詰まらせかけながら急いで恵方巻きを食べ終え、うにゅほに視線を送る。 口の小さなうにゅほは、まだまだ食べ切れそうにない。 うにゅほをかばうように姿勢をずらし、 「それ、なんの番組?」 「今朝のがっちりマンデー」 「ああ、BTOの話か。たしか、(弟)のパソコンもネットで──」 会話によって父親の気を逸らし、時間を稼ぐ。 しばしして、 「──ぱ!」 うにゅほが、恵方巻きをすべて平らげた。 「よし、食べきった!」 「うん!」 「今年も、父さんの妨害に負けず、なんとか乗り切ったな」 父親が、きょとんとした顔をする。 「妨害?」 とぼけやがった! ともあれ、今年も一年健やかに過ごせますように。
2019年2月4日(月)
「寒い……」 ファンヒーターをつけているのに、一向に室温が上がらない。 外気温が低すぎるのだ。 「これ、設定温度上げたほうがいいな……」 「うん……」 膝の上のうにゅほが、小さく頷く。 くっついていてもまだ寒いのだから、今日の冷え込みは筋金入りである。 チェアを滑らせ、ファンヒーターの前へと移動する。 「××、設定温度上げて」 「はーい」 うにゅほが右足をもたげ、 「うしょ」 ぴ、ぴ、ぴ。 爪先で、フロントパネルのボタンを押していく。 「これ、お行儀が悪いですよ」 「◯◯もしてる……」 「そうだった」 俺はいいけどお前はダメだ、などと、理不尽なことは言えないし言いたくない。 「どうせなら、足癖を鍛えてみよう」 「きたえるの?」 チェアを更に滑らせて、ストーブの奥にある扇風機を指し示す。 「扇風機に掛かってるブランケット、足で取ってみて」 「うと……」 今日のうにゅほは、ちゃんと靴下を履いている。 足の指は使えない。 「──うーしょ、と!」 両足をピンと伸ばし、ブランケットを挟み込む。 がに股でブランケットを引き寄せながら、うにゅほが得意げにこちらを振り返った。 「とれた!」 「よーしよし、上手い上手い」 「うへー」 「じゃあ、そこのペットボトルを取ってくれ。丸いから難しいぞ」 「わかった」 そんなことを繰り返していると、うにゅほの体が徐々にぽかぽかしてきた。 「計算通り……」 「?」 うにゅほが頭上に疑問符を浮かべる。 「なんでもない、なんでもない」 この手は使える。 なんと優秀な湯たんぽであることか。
2019年2月5日(火)
「グエー……」 仕事を終え、ベッドに倒れ込む。 「疲れた寒い眠いー!」 ばたばた。 「しごと、また、いそがしいねえ」 「金曜の朝までに、310件上げなきゃならない……」 「あとなんけん?」 「80件くらい」 「がんばった」 「褒めてくれて構わないぞ」 うにゅほが俺の頭を撫でる。 「えらい、えらい。えらいマン」 「それ気に入ってるの?」 「うん」 「寒いマン」 「さむいマン……」 「眠いマン」 「ねむいマン、ねむいの?」 「眠い」 朝も早よから仕事仕事で、睡眠時間が足りていない。 「でも、まだおふろはいってない……」 「眠いマンは、仮眠マンになろうと思います」 「かみんマン」 「三十分経ったら起こして」 「はーい」 もぞもぞと布団に潜り込む。 「あ、悪いけどストーブつけてくれる?」 「うん」 「アイマスクどこだ……」 「おちてたよ」 「手が冷たい……」 「てーにぎる?」 「お願いします」 「はい」 ぎゅ。 「……××のほうが仮眠マンだなあ」 「わたし?」 「仮眠の平和を守る、仮眠マン」 「あー」 「お世話になっております」 「いえいえ、こちらこそ」 あれこれ話しているうちに三十分ほど経ってしまって、結局仮眠できない俺だった。
2019年2月6日(水)
「──んッ、くあー……!」 指を組んだ両手のひらを、思いきり真上に突き上げる。 「今日の仕事、終わり!」 「おつかれさま」 「ココア飲みたい……」 「まっててね」 「あーい」 生返事を返し、畳の上に寝転がる。 しばしiPhoneをいじりながら待っていると、うにゅほがマグカップを手に仕事部屋へ戻ってきた。 「あついから、きーつけてね」 「ありがとう」 マグカップを受け取り、ココアを啜る。 体に染み渡るようだった。 「しごと、きんようびまでにおわりそう?」 親指を立ててみせる。 「余裕」 「おー!」 「毎日、多めに片付けてきたからな」 仕事がどんと積まれた直後は徹夜も視野に入れていたが、ちゃんとコツコツこなしていけば、意外となんとかなるものだ。 「ひとまず金曜日は楽できそう」 「よかったー」 「金曜空いたから、免許の更新行ってこようかな」 「はがききてたやつ?」 「そうそう。2月12日までだから、けっこうギリギリだし」 「まえのとき、わすれてたもんね」 「二ヶ月くらい忘れてましたね……」 失効する前に気づいてよかった。 「わたし、ついてっていい?」 「ダメ」 「だめかー……」 「ずっと隣にいられればいいけど、講習とか、関係者以外教室に入れないし」 「あー」 「知らない場所に一時間ひとりきりとか、嫌だろ」 「うん……」 俺も心配だし。 「まっすぐ帰ってくるから」 「うん、わかった」 運転免許試験場なんて、面白いものは何ひとつない。 さっさと行って帰ってきて、うにゅほ孝行でもしてあげよう。
2019年2月7日(木)
明日の朝締め切りの仕事を早めに上げて、自室でだらだらとくつろいでいた。 「そういえば、今朝ヘンな夢見たなあ……」 「どんなゆめ?」 「××、クラゲの増え方って知ってる?」 うにゅほがふるふると首を横に振る。 「クラゲは、卵から産まれると、岩なんかに張り付いてポリプって形態になるんだ」 「うん」 「細長いポリプは、成長するにつれ、くびれが幾つもできはじめて、徐々に重ねた三度笠みたいになっていく」 「うん」 「その三度笠が切り離されて、クラゲになるんだ」 「たまごいっこから、たくさんふえるの?」 「そうだな」 「へえー」 感心したように、うにゅほがうんうんと頷いた。 「みたの、くらげのゆめ?」 「いや、椎茸の夢」 「しいたけ……」 うにゅほの頭上に巨大な疑問符が浮かぶ。 「椎茸が、実は、クラゲと同じ増え方をするって内容の夢だった」 「ぽりぷ?」 「そう」 「そうぞうがむずかしい……」 「ほら、柄の部分がないキノコって、クラゲっぽいじゃん」 「あ!」 ピンと来たのか、うにゅほが頷く。 「傘の部分だけ無数に重なったミミズみたいな椎茸ポリプが、どるるるる!って感じで地面を掘り進めていく夢」 「──…………」 「たまに椎茸が分離して、落ちる」 「ちょっとわかんない……」 「俺もわからない」 意味のないのが夢とは言え、意味不明にも程がある。 「へんなゆめ、わたしもみたいなあ」 「見たいのか」 「うん。◯◯にはなしたい」 「期待しとこう」 「がんばる」 頑張ってどうにかなるとも思えないが、その気持ちは嬉しい。 楽しみだなあ。
2019年2月8日(金)
予定通り、免許の更新に行ってきた。 「ただーいまー……」 「おかえり!」 お出迎えしてくれたうにゅほに微笑みを返し、財布から新しい免許証を取り出す。 「ほら、これ」 「おー……」 「今回こそゴールドだと思ったんだけど、普通に青だった」 うにゅほが小首をかしげる。 「ゴールド?」 「免許証に、青い帯があるだろ」 「ある」 「無事故無違反だと、そこが金色になるんだ」 「つよいの?」 「強い」 「つよいんだ……」 「免許証の有効期間が五年になるし、更新のときの講習も三十分で済む」 「つよい」 「でもなあ、ここ数年で違反した記憶なんて──」 ふと、脳裏をよぎることがあった。 「あー……」 「?」 「あったわ。納得行かないのが」 「なに?」 「××がいないとき、駐車違反で切符を切られたことがあったんだよ」 「あったの……」 言わなかったけど、あった。 「住宅街で、基本的には駐車禁止の区画なんだけど、よくよく標識を確認さえすれば、駐車できる通りがぽつぽつあったんだ」 「なのに、だめだったの?」 「戻ってきたら駐禁ステッカー貼ってあった」 「──…………」 あ、難しい顔してる。 「警察呼んで文句言ったけど、一度貼られたステッカーは取り消せないとかなんとか言われて、結局泣き寝入りだよ」 「それ、おかしい」 「俺もそう思う」 「もんくいおう!」 「今から?」 「ゴールドにしてもらう」 「難しいんじゃないかな……」 「うー……」 うにゅほが、悔しそうに唸る。 義憤に駆られているらしい。 「とりあえず、次の三年を無事故無違反で過ごせば、ゴールドは取れると思う。気をつけて運転するしかないかな」 「そか……」 李下に冠を正さず。 法的に問題なくとも、判別が難しい場所には駐車しないように気をつけよう。
2019年2月9日(土)
四十年ぶりの大寒波が来ているらしい。 「道理で暖房の効きが悪いわけだよなあ……」 「ねー」 膝の上のうにゅほを湯たんぽ代わりに抱き締めながら、チェアをぐるぐる回転させる。 「-10℃もあれば、なんか面白いことできそうだよな」 「おもしろいこと?」 「バナナで釘とか」 「うてるかなあ……」 「空中に熱湯撒き散らしたりとか」 「あ、どうがでみたことある」 「濡れタオルを振り回して、凍らせるのとか」 「あれ、ほんとにできるのかな」 「やったことない」 「そか」 「──…………」 「──……」 「よし、やってみるか」 「みる!」
やってみた。
「さぶぶぶぶぶ……」 ぶん、ぶん、ぶん。 極寒の外気に晒されながら、濡れタオルを振り回す。 手が冷たい。 首元が寒い。 すぐ終わるだろうと油断せず、素直にマフラーを巻けばよかった。 「◯◯、がんばって!」 「頑張るー……」 玄関から出ないようにと厳命したうにゅほが、隙間から声援を飛ばしてくれる。 一分ほど振り回したところで、 「あ、表面が凍ってきた」 「ほんと?」 「でも、棒状にはならないな」 「もすこし?」 「もうすこしやってみよう」 ぶん、ぶん、ぶん。 ぶん、ぶん、──フォン! 無心でタオルを回すうち、ふと風を切る感覚を覚えた。 手を止める。 「凍ってる……」 「ほんとだ!」 「ほら、××。持ってみ」 うにゅほにタオルを手渡す。 「わ、わ、つめた! かた!」 「タオル、本当に凍るんだなあ……」 「すごいね!」 やってみるものだ。 だからなんだと言われても困るが、楽しかったのでよしとする。
2019年2月10日(日)
「ニートの日」 「?」 「いや、2月10日だから……」 「ニートのひなの?」 「適当」 「てきとうだった」 「まあ、そんな記念日ないだろ。なにを記念してるんだよ」 「そだねえ」 言いながら、キーボードを叩く。 「……あった」 即落ち2コマである。 「ニートのひ、あったの?」 「ちゃんとWikipediaに載ってました」 「おー」 「2月10日には、他にも、語呂合わせの記念日があります。当てられるかな」 「うと……」 小首をかしげ、 「に、と……、に、じゅう……、に、と……」 しばしの思案ののち、うにゅほが答えた。 「……にとのひ?」 ニートの日に引きずられているようだ。 「"にと"って?」 「にとをおうものは、いっともえず……?」 疑問形にされてもなあ。 「残念不正解!」 「やっぱし……」 「まず、ニットの日だろ」 「あ!」 うにゅほが、思わずといった様子で声を上げた。 「でそうだったやつ!」 「出そうだったのか」 「うん」 「負けた気分?」 「まけたきぶん……」 「わかる」 俺も、喉まで出掛かったことを調べざるを得なくなったとき、負けた気がするもの。 「他には、ふとんの日」 「あー」 うにゅほが、うんうんと頷く。 「ふきのとうの日」 「……きーと、のーは?」 俺が聞きたい。 「左利きグッズの日」 「ぜんぜんわかんない……」 記念日に限らず、語呂合わせには無茶なものが多すぎる。 もうすこし頑張りましょう。
2019年2月11日(月)
連休だというのに仕事が終わらない。 こなしても、こなしても、新しい仕事が舞い込んでくる。 「はあ……」 思わず溜め息を漏らす。 会社の経営が順調なのはいいことだが、こうまで多いと辟易してしまう。 「◯◯、◯◯」 仕事机に向かっていると、うにゅほが俺の名を呼んだ。 「んー」 意識を仕事に残したまま、横目で見やる。 うにゅほが、マグカップを持って立っていた。 「ホットミルクつくったよ」 「お」 ちょうど、喉が渇いていたところだったのだ。 「ありがとな」 マグカップを受け取り、礼を言う。 「しごと、おわらない?」 「まだ終わらないかな……」 「そか……」 「これでも、普通の会社員より随分楽なんだけどな。出退勤の移動時間もないし」 おまけに、待機時間を趣味に当てられる。 この環境で文句を垂れるほど、俺は世間知らずではない。 「──…………」 ホットミルクを啜る。 好みの甘さだった。 「うん、さすが××。わかってるな」 「うへー」 他の人にとっては甘すぎるかもしれないが、俺にとっては最高のホットミルクだ。 「疲れた脳に糖分が染み渡る……」 「しみわたるの、はやい」 「そんな気がするだけです」 「ぷらしーぼ?」 「ちょっと違う気がするな」 「そか」 「でも、××のホットミルク飲んで元気が出てきたのは気のせいじゃないよ」 「よかった」 うにゅほが、微笑む。 その笑顔すら活力となる。 「──さーて、残りもさっさと片付けるか!」 「がんばってね」 「頑張るー」 仕事仕事で忙しないが、うにゅほがいれば乗り切れそうだ。
2019年2月12日(火)
「──…………」 ぼへー。 パソコンチェアにだらしなく腰掛け、天井を見上げる。 「暇だ……」 「ひまなの?」 「土、日、月と、三連休が仕事で潰れたから、無理に休みを取ってるんだけどさ」 「うん」 「休日って、どう過ごしてたっけ……」 「◯◯……」 あ、気の毒な人を見る目だ。 「いや、わかってる。わかってるぞ。部屋にいるときは、動画見たり、読書したり──」 「しないの?」 うにゅほが小首をかしげる。 「なんか、やる気出ない」 「でないの……」 「半端に期間が空くと、追い掛けてたものを再開するのが面倒になるんだよな」 「あー」 うにゅほが、うんうんと頷く。 「わかる?」 「ちょっとわかる」 「いま、そんな感じ」 「そか……」 「まとめブログでも見て暇潰すかな」 しばしブラウジングに興じ、 「──あ、××。今日は何の日か知ってる?」 「なんのひしりーず?」 「暇だからね」 「うーと、ごろあわせ、ある?」 「ある」 「……にー、いち、にー……、にいに、にーにー……」 しばし頭を悩ませたあと、 「……おにいさんのひ?」 「兄の日は、6月6日らしい」 「どうして?」 「知らんけど」 「じゃあ、きょうなんのひ?」 「黄ニラ記念日」 「きにら……?」 「"に(2)っこりいい(1)ニ(2)ラ"の語呂合わせ、だって」 「──…………」 あ、納得行かない顔してる。 「むりある」 「俺もそう思う」 「きいろせいぶんないし」 「俺もそう思う」 「ほかはー?」 「えーと、ダーウィンの日とか──」 そんなこんなで、もう夜である。 今日もだらだら過ごしてしまった。
2019年2月13日(水)
「太った」 「うん」 「わかる?」 「わかる」 「だろうなあ……」 ただいま、自己最重を更新中である。 うにゅほが気づかないはずもない。 「ダイエットをします」 「なにするの?」 「エアロバイクは毎日漕いでるから、やっぱ食事制限かなあ……」 「たべないと、からだこわすよ?」 「でも、食べると太るんだ」 「りょうのもんだいとおもう……」 「それはそうなんだけど」 適切な量だけ食べることができていれば、これほど太りはしなかった。 「ひとまず、夕食をプロテインに置き換えようかと」 「ぷろていん」 「買ったきり未開封のがあるし」 「しょうみきげん、だいじょぶかな」 「──…………」 1kgの袋を裏返し、賞味期限を確認する。 「2020年5月1日まで!」 「よゆう」 「余裕だった」 「まえのぷろていん、しょうみきげんきれてたから……」※1 「腐るものではないと思うけど、一年過ぎるとさすがに怪しいよな」 「はんとしでもだめだよ」 「一ヶ月は?」 「いっかげつなら……」 「二ヶ月」 「にかげつー……、なら……?」 「三ヶ月」 「さんかげつうー……、は、だめ……」 「じゃあ、四ヶ月」 「だめ」 うにゅほ判定では、二ヶ月までなら大丈夫らしい。 ひとまずしっかり運動しつつ、食べる量を減らして頑張ろう。
※1 2018年7月12日(木)参照
2019年2月14日(木)
L字デスクの前に設置したエアロバイクを漕ぎながらYouTubeで動画を見ていたところ、 「──◯◯、◯◯」 俺の名を呼びながら、うにゅほが自室の扉を開けた。 「んー?」 「くちあけて」 「あー」 素直に口を開く。 「はい」 ころん。 舌の上で、何かが転がった。 ほんのり苦い。 ココアパウダーだ。 「──…………」 漕ぐ足を止め、味覚に意識を集中する。 舌と上顎で潰せるほど柔らかく、潰せば香りが鼻へと抜けていく。 甘い。 美味しい。 「これ、トリュフチョコ?」 「あたり」 「なんか手作りっぽいな」 「うん、てづくり」 「──…………」 「──……」 「あ、バレンタイン!」 「そだよ」 完全に忘れていた。 「それでか」 「うん」 「ありがとな。すごい美味しい」 「うへー……」 照れ笑いを浮かべるうにゅほの眼前に、両手を差し出す。 「?」 うにゅほが小首をかしげた。 「残りは?」 「のこり?」 「一個じゃないだろ」 「いっこだよ」 「えっ」 「◯◯、ダイエットちゅうだから、いちにちいっこね」 「……あー」 なるほど。 たしかに、一度にもらうと一度に食べてしまいそうだ。 「俺のことわかってるなあ……」 「いちばんしってる」 うにゅほが胸を張る。 「……もう一個だけ、ダメ?」 「だーめ」 「じゃあ、明日を楽しみにしておこう」 「うん」 バレンタインが毎日来るようなものだと考えれば、それはそれで嬉しいものだ。
2019年2月15日(金)
「◯◯、あーん」 「あー」 口のなかに、うにゅほ謹製のトリュフチョコレートが放り込まれる。 幸せの味だ。 「おいしい?」 「美味しい」 「うへー」 うにゅほが、てれりと笑みを浮かべる。 「ところで、あと何個あるんだ?」 「うーと──」 「あ」 「?」 「いや、言わなくていい。終わりが見えたら寂しい」 「そか」 「──…………」 「──……」 「いや、やっぱ言って! いきなり最後って言われたら悲しい!」 「うーとね」 「待って」 「どっち……?」 「……今月中は、もつ?」 「もつよ」 「けっこう作ったな」 「うん」 「来月の──最初の週に、なくなる?」 「なくなる」 「残り二十個くらいか」 「あたりー」 「えっ」 「?」 うにゅほが小首をかしげる。 「……ちょうど、二十個?」 「そだよ」 「あー……」 終わりが見えてしまった。 「さみしい?」 「寂しい」 「またつくるから……」 「──…………」 ふと気づく。 「よく考えたら、まだ二十個もあるんだよな」 「うん」 「二十日間楽しめると」 「うん」 なんだ、寂しがる必要なんてないじゃないか。 「明日も楽しみだなあ……」 「うへー」 「……もう一個ダメ?」 「だめです」 「はい」 そのあたりは厳しいのだった。
2019年2月16日(土)
「ちょ、トイレ」 「んー」 膝の上のうにゅほを抱き下ろし、自室を後にする。 小用を済ませて戻ると、 「◯◯、◯◯」 「はい」 「おしりみして」 「……はい?」 何を言い出したんだ、この子は。 「あ、ちがくて」 うにゅほがパタパタと手を横に振る。 「うしろむいて」 「後ろ……」 言われた通り、背を向ける。 「──…………」 「──……」 「やっぱし」 「どういうこと……?」 「◯◯、ちょっとやせた」 「……たしかに、夕食をプロテインにしてから、1kgちょっと減ったけど」 すぐにわかるものなのだろうか。 「おしり、すこしちいさくなった」 「マジで」 「◯◯、ふとると、おしりからふとるから、すぐわかる」 「そうなんだ……」 知らなかった。 「おしり、あし、さいごにおなか。やせるときも、おしり、あし、さいごにおなか」 「よく見てるなあ」 「いちばんしってるから」 そう言って、うにゅほが胸を張る。 「おしりやせてきてるから、がんばって」 「頑張る……」 なにせ、すこし怠ればすぐにわかってしまうのだ。 うにゅほに良いところを見せたい俺としては、頑張らざるを得ない。 さっさと痩せて、どこか外食にでも連れていってあげよう。
2019年2月17日(日)
知人から、遅れて義理チョコをいただいた。 「うーん……」 小箱を前に思案する。 「ダイエット中だし、どうすっかな」 「たべるの?」 「一個だけ食べるか悩み中」 今日のぶんのうにゅチョコは、とっくに俺の胃の中だ。 「……××は、食べていいと思う?」 「いっこなら」 「よし」 "JEWEL"と書かれた小箱を開封し、中身を検める。 「あ、トリュフチョコだ」 「ほんとだ」 「××のと、どっちが美味しいかな」 「うってるほうとおもう……」 「わからないぞ」 俺が毎日の楽しみにするくらいには美味しいのだし。 「いただきます」 艶めいた黒い球体を、口のなかへと放り込む。 「!」 噛んだ瞬間、鼻へ抜けていくウイスキーの香り。 「あー……」 思わず顔をしかめる。 「どしたの?」 「これ、かなりお酒入ってる……」 「ぼんぼん?」 「ウイスキーボンボンってほどじゃないけど、濃い目に練り込んであるみたい」 「◯◯、ぼんぼんあんましすきじゃないもんね」 「そうなんだよな……」 好みで言えば、安い板チョコのほうが好きである。 「……××、食べる?」 「もらったの、◯◯なのに、いいの?」 「いいよ、義理チョコだし」 「じゃ、いっこ」 うにゅほが、明るい茶色をしたチョコレートを半分齧る。 「おいひい」 「あれ、××はウイスキーボンボン大丈夫な人だっけ?」 「おさけのあじ、しないよ?」 「えっ」 「あーんして」 「あー」 うにゅほの食べかけを頬張る。 「……ほんとだ、これは普通に美味しい」 「ね」 洋酒が練り込んであるものと、そうでないものがあるらしい。 「まあ、いいや。そのうち食べよう」 「うん」 冷蔵庫にでも入れておこう、うん。
2019年2月18日(月)
「ふん、ふん、ふん、ふん、ふんふーふーふーふふー♪」 ダスキンモップを手にしたうにゅほが、鼻歌交じりに本棚のホコリを落としていく。 「──…………」 なんだろう。 聞き覚えのある曲なのだけれど、思い出せない。 「××」 「ふん?」 「それ、なんの歌だっけ」 「うと……」 しばし思案し、うにゅほが答える。 「わかんない」 「……わからない?」 「たぶん、おとうさんがうたってたやつ」 「あー」 父親の鼻歌が伝染ったのか。 「悪いけど、もっかい歌ってみて。気になる」 「うん」 ふん、ふん、ふんと、うにゅほがたどたどしく鼻歌を口ずさむ。 「──あ、わかった!」 「なんのうた?」 「マル・マル・モリ・モリだ」 「まるまるもりもり」 「芦田愛菜と鈴木福くんがやってたドラマの主題歌」 「へえー」 「知らない?」 「しらない……」 「まあ、俺も見たことないんだけど」 「そなんだ」 「ごめんな、掃除の邪魔した。なんか手伝う?」 「うん、だいじょぶ」 やがて、掃除を終えたうにゅほが、階下へと消えていく。 自室が沈黙に支配され、 「──…………」 脳内で、芦田愛菜と鈴木福がマルモリダンスを踊り始めた。 「がー!」 ぐわんぐわんとかぶりを振る。 しばらくのあいだ、マル・マル・モリ・モリが頭のなかで再生され続けたのだった。
2019年2月19日(火)
台所で夕食代わりのプロテインを作っていると、うにゅほが手元を覗き込んできた。 「ぷろていんだ」 「プロテインだぞ」 「おいしい?」 「水で作ってるから、美味しくはないかな」 「のんでみていい?」 「はい、どうぞ」 タンブラーを手渡す。 「いただきます」 くぴ。 うにゅほが、舐めるようにプロテインを飲み下す。 「──…………」 「美味しくないだろ」 「おいしくない」 「ココア風味だから、牛乳で作るとそれなりに飲める味にはなるんだけどな」 「ぎゅうにゅうでつくったらいいのに」 「味を追い求めてないから……」 「ぷろていん、おいしいイメージあった」 「あー」 「いまのぷろていん、おいしくないのかな……」 「いや、前に飲んでたときは、かなり味にこだわって作ってたんだよ」 「そだっけ」 「覚えてないか」 「あんまし」 「バニラ味のプロテインにきな粉とココアを足してみたり、別の味のプロテインをりんごジュースで割ってみたり」 「──あ、してた!」 思い出したのか、うにゅほが大きく頷いた。 「また、おいしくしたらいいのに」 「ダイエット中だからさ。なるべくカロリーは増やしたくないの」 「でも、おいしくないの、ながつづきしないきーする」 「そこは我慢のしどころです」 「そかな……」 「美味しかったら、飲み過ぎるかもしれないし」 「……それはあるかも」 「だろ」 俺は、自分の自制心に自信がない。 美味しいものであれば、際限なく飲み続けてしまうかもしれない。 「味は、ある程度痩せてきたら考えよう」 「そか」 心配してくれたうにゅほの頭をぽんと撫でて、味の薄いプロテインを一気に飲み干した。
2019年2月20日(水)
「──……あふ」 こみ上げたあくびを噛み殺す。 「つん」 「おふ!」 チェアの背後からにじり寄ってきたうにゅほに、脇腹をつつかれた。 「××ー……」 「うへー」 笑って誤魔化すつもりのようだ。 「きょう、しごとすくないね」 「仕事が少ないというより、仕事が残ってないんだよな」 うにゅほが小首をかしげる。 「のこってない?」 「ぜーんぶやっちゃった」 「あー」 うんうんと頷く。 「◯◯、がんばったもんね」 「頑張ったぞ」 「えらい、えらい」 「脇腹は撫でなくていいから」 「うへー」 「……誤魔化せてないからな?」 「そかな」 「──…………」 「──……」 「まあ、誤魔化されてるわけですけど……」 「うん」 「なんだ、今日はいたずらっ子だな」 「ひざ、のっていい?」 「いいぞ」 チェアを半回転し、うにゅほを膝に抱く。 「まわしてー!」 「はいよ」 床を斜めに蹴ると、チェアがぐるぐる回りだした。 「ひゃー!」 ぐるぐるぐる。 目が回る。 ふと気づく。 「……××、遊びに行きたかったりする?」 「うん……」 「そっか」 最近、忙しかったものな。 「じゃあ、久し振りにゲーセンめぐりでもするか!」 「うん!」 仕事仕事と言い訳しながら、うにゅほをないがしろにしてはいけない。 そんな当たり前のことを改めて心に誓う俺だった。
2019年2月21日(木)
「──……あっつ!」 布団を蹴り飛ばすように目を覚ます。 シャツの下が、汗でしとどに濡れていた。 「おはよー」 「おはよう……」 自室の書斎側から顔を出したうにゅほに、尋ねる。 「……いま何度?」 「うーと」 うにゅほが温湿度計を覗き込む。 「わ、にじゅうごど!」 「ストーブ、つけてないよな」 「つけてない……」 「──…………」 燦々と降り注ぐ陽光が、俺ごとベッドを照らし出している。 暑いはずだ。 「……カーテン閉めとけばよかった」 アイマスクを外しながら、ベッドを下りる。 「今日、だいぶ雪解けそうだな」 「そだねえ」 「二月も下旬だもんな。いい加減、春が近づいてきてもいい」 「はる、たのしみだねえ」 「冬はもう飽きた?」 「あきてないけど、はるもすきだから」 「夏」 「すき」 「秋」 「すき」 「なんでも好きだなあ」 「すきじゃないの、あるよ」 「なに?」 「たいふうとか……」 「あー」 家、揺れるもんな。 「吹雪は?」 「ふぶきも、すきじゃない」 「雨は好きだったっけ」 「すき」 「スコール」 「スコールは、ちょっとこわい……」 「俺は、非日常感あってわりと好きかな」 「そなんだ」 「抱き着いてくれても構わんぞ」 「うん」 ぎゅー。 「──…………」 いま、という意味ではなかったのだが、まあいいか。
2019年2月22日(金)
「はー……」 俺の腕を抱きながら、うにゅほが溜め息を漏らす。 「じしん、もうこないかな……」 「どうだろうな」 昨夜、震度5弱の地震があった。 去年の九月に起こった胆振東部地震を思わせる規模の地震だ。 あの恐怖を思い出し、すっかり怯えてしまったうにゅほは、昨夜から俺の腕を離してくれないのだった。 「──…………」 いい加減左腕がだるいのだが、言いづらい。 そんな懊悩を胸に抱いていると、
──ぴんぽーん!
インターホンの音が自室に鳴り響いた。 「!」 ビクッ! うにゅほが身を竦ませる。 「大丈夫、大丈夫。誰か来ただけ」 「う、うん……」 子機で応対すると、ヤマト運輸だった。 Amazonから荷物が届いたらしい。 なんとかうにゅほに離れてもらい、配達員から大きめのダンボール箱を受け取る。 「これ、なに?」 「まあ待て、いま開けるから」 ハサミの刃先で梱包テープを裂き、ダンボール箱を開封する。 「──ようやく来たか、新しいプロテイン!」 「わ、おおきい!」 3kgのアルミパックは、小柄なうにゅほからすれば、一抱えほどもある。 「まえのやつ、きのうきれたもんね」 「あらかじめ注文しておいて正解だった」 「うーと、チョコチップミルクココアふうみ、だって」 「試しに飲んでみるか」 「うん」 「じゃあ、まず水で──」 容器に入っていた付属のスプーンで、すりきり二杯。 タンブラーに水を注ぎ、マドラー代わりの菜箸で混ぜ溶かす。 「なんか、くろいのはいってる」 「チョコチップ、なのかなあ……」 小指の爪の先ほどのチップが無数に浮いたプロテインドリンクを、ひとくちあおる。 「──…………」 ボリ、ボリ。 口内に流れ込んできたチップを噛み砕き、呟いた。 「……美味い。水で作ったのに」 「ほんと?」 「というか、このチップが美味い。砕いたオレオみたい」 「ひとくち!」 「はい」 タンブラーをうにゅほに手渡す。 くぴ。 ぼりぼり。 「おいしい……」 「な?」 「これ、ぎゅうにゅうでつくったら、もっとおいしいのでは」 「作ってみるか」 「うん!」 牛乳で溶かしたプロテインドリンクを美味しい美味しいと飲み交わすうち、うにゅほはすっかり元気を取り戻していた。 プロテインのおかげと表現すると、なんだか誤解を招きそうだけれど。
2019年2月23日(土)
目蓋を幾度も強く閉じながら、呟く。 「眠い……」 「またねむいの?」 「眠い」 「きょう、ずっとねむいね」 「うん……」 休日が訪れるたび、異様な眠気に襲われる。 最近、ずっとこんな感じだ。 「ひるね、する?」 「する……」 このままでは、何も手につかない。 それくらい眠かった。 「……ひとまず、仮眠にする。三十分経ったら起こして」 「うん、わかった」 うにゅほの頭をぽんと撫で、のそのそと自分のベッドに潜り込む。 「おやすみ……」 「おやすみなさい」 目蓋を閉じると、一瞬で意識が遠のいた。
──夢を見た、気がする。
「──…………」 目を覚まし、アイマスクを外すと、窓の外に夜の帳が下りていた。 「……何時に寝たっけ」 覚えていない。 ただ、まだ明るかったことだけは確かだ。 重い体を引きずるように自室の書斎側へ向かうと、うにゅほがタブレットでYouTubeを見ていた。 「あ、おはよー」 「おはよう。もしかして、起こしても起きなかった?」 「おきたけど、またあとでおこしてって」 「……ヤバい、記憶にない」 うにゅほが心配そうに口を開く。 「◯◯、つかれてる……?」 「どうだろ……」 忙しかった先週に比べ、仕事は格段に減ったはずだ。 「寝過ぎで眠いのかも。とりあえず、シャワー浴びてくる……」 「うん」 シャワーを浴びてもいまいちシャッキリせず、頭にもやがかかったような一日だった。 明日は健康的に過ごせればいいのだが。
2019年2月24日(日)
寝過ぎで痛む首を回しながら、呟く。 「……今日も眠い」 「ねむいの……」 うにゅほが心配そうな表情を浮かべる。 「ねたほういいのか、ねないほういいのか、わかんない」 「確かに」 困ったものだ。 「でも、昨日よりかはマシかな。ちょっとだるい程度だから」 「そか……」 すこし安心したのか、うにゅほが微笑みを浮かべた。 「毎日エアロバイク漕いでるから、運動不足ではない」 「うん」 「夕飯はプロテインに置き換えてるけど、他はちゃんと食べてるから、食生活は健康的なほうだと思う」 「うん」 「なんだろうな。××は眠かったりしない?」 「いま?」 「いま」 しばし小首をかしげたあと、うにゅほが答えた。 「ちょっとねむい、かも」 「──…………」 ふと、思い当たることがあった。 「……××。最後に換気したの、いつだっけ」 「あ」 「もしかして、空気悪いんじゃ……」 「そうかも……」 一月二月は寒すぎて、換気どころの話じゃなかったからなあ。 「部屋の換気って、五分でいいんだっけ」 「たしか」 「念のため、十分くらい窓開けてみようか」 「そだね」 手分けして自室の扉を開けると、極寒のそよ風が舞い込んだ。 「寒ッ!」 「◯◯、だっこして」 「了解……」 うにゅほを膝に乗せて、抱き締める。 暖かい。 「……なんか、目が冴えてきたな」 「やっぱし、くうき、わるかったのかな」 「寒いからだと思う」 「あー」 しかし、換気によって幾分か呼吸が楽になったことは確かだった。 要因のひとつではあったのだろう。 気をつけねば。
2019年2月25日(月)
「なーんだろうなあ……」 ぐるんぐるんと肩を回しながら、口を開く。 「月曜になると、途端にシャッキリする」 「きょう、ねむくない?」 「眠くない」 「──…………」 うにゅほが俺の顔を覗き込む。 「ほんとだ、めーぱっちりしてる」 「だろ」 「◯◯のからだ、えいきをやしなってたのかなあ……」 「仕事のために?」 「うん」 「……英気を養ってまで挑むほど、仕事ないんだけど。今週」 「まえがんばったぶん、まだのこってるの?」 「残ってる。ひとまず今月中はイージーモード。来月は、ちょっとわからないけど」 「えいき、やしなわなくてもよかったねえ」 「ほんとだよ」 自分の体というものは、思うほど言うことを聞いてくれない。 ままならないものだ。 「でも、げんきになってよかった」 うへーと笑いながら、うにゅほが俺の手を取った。 「心配かけちゃったな」 「ずっとねむかったら、どうしようかなって。かぜのにおいしないし……」 風邪であれば、対処はできる。 暖かくして眠ればいい。 だが、原因がわからなければ、そもそも対処のしようがない。 「病み上がりかどうかわからないけど、今日はゆったり過ごすよ」 「えあろばいくは?」 「漕ぐ。漕ぐけど、いつもの半分にしとく」 「それがいいですね」 「いま元気だからって、油断は禁物だからな」 「うん」 自分の体調がどうこうより、ただただうにゅほに心配をかけたくない。 無理をしないこと。 それが、俺がいまできる最高のうにゅほ孝行なのである。
2019年2月26日(火)
「──◯◯!」 自室の窓を全開にして空気の入れ替えをしていると、うにゅほが部屋に飛び込んできた。 「まどだめ! かふんはいる!」 「花粉?」 「かふん、もうとんでるんだって!」 そう口にしながら、うにゅほが窓を閉めていく。 「下旬とは言え、まだ二月なんだけど……」 「テレビでいってたもん」 「あー」 わかった。 「その番組、全国ネットだろ」 「わかんない……」 「スギ花粉って言ってなかった?」 「いってたきーする」 「北海道、スギあんまりないんだよ」 「そなの?」 「ついでに言うと、俺はスギ花粉の花粉症ではない。シラカバだ」 「しらかば……」 うにゅほが小首をかしげる。 「かふんしょう、しゅるいあるの?」 「花粉症は、要はアレルギー反応だからな。甲殻類がダメな人、蕎麦がダメな人、いろいろいるだろ」 「あー……」 うんうんと頷くうにゅほの頭をぽんと撫でて、閉じた窓を再び開く。 「この時期の北海道にスギ花粉は飛んでないし、そもそもスギの花粉症じゃない。だから、心配いらないよ」 「……なんか、はずかしい」 「恥ずかしがることないだろ。俺のこと、心配してくれたんだから」 「そだけど」 「シラカバの季節は五月と六月だから、そのあたりは気をつけないと」 「ますく、しないとだめだよ」 「はい、わかりました」 「よろしい」 換気をするようになってから、幾分か調子がいい。 水然り、食物然り、体に取り入れるものには細心の注意を払うべきなのだろう。
2019年2月27日(水)
イヤホン越しにiPhoneで音楽を聴いていたところ、作務衣のポケットからiPhoneが滑り落ちた。 「あっ」 iPhoneが床に衝突し、その勢いでイヤホンがすっぽ抜ける。 「わ、だいじょぶ?」 「大丈夫、大丈夫。バンパー丈夫だし、ガラスフィルムも貼ってるし」 iPhoneを拾い上げ、うにゅほに差し出す。 「ほら、傷ひとつない」 「ほんとだ」 「腰の高さから落ちただけだからな。外で通話中とかなら危なかったかもだけど」 「ふゆならだいじょぶかも」 「雪に刺さっても、防水だしな」 「うん」 そんな会話を交わしながら、再びイヤホンを耳に装着しようとして、 「……あれ?」 何故か、上手く耳に嵌まらない。 手に取って確認してみると、 「こっちが壊れてる……」 愛用のイヤホンの左側が、継ぎ目から真っ二つになっていた。 継ぎ目に負荷がかかったらしい。 「あらー……」 「……仕事のとき、どうしようかなあ」 困った。 iPhoneで音楽を聴きながら仕事をするのが習慣なのだ。 NO MUSIC, NO WORKである。 「いやほん、よびないの?」 「まあ、あるけど」 「よかった」 「あるにはあるけど、Y字型ケーブルなんだよな」 「わいじって、みぎとひだり、ながさおなじやつだっけ」 「そう」 「へんないやほんだねえ」 世間一般的には、右側だけ長いU字型ケーブルのほうが珍しいのだが、それは言わないお約束である。 「仕事中は左耳にだけ着けるから、右側がちょっと邪魔くさいけど、新しいのを買うまでの繋ぎなら問題ないかな」 「よかった」 「ご心配をおかけしまして」 「いえいえ」 U字型イヤホン、また探しておかないとなあ。 絶滅危惧種だから、見つけたら買い溜めしておくべきかもしれない。
2019年2月28日(木)
「にがつ、にじゅうはちにち」 「うん?」 「ことし、にじゅうくにち、ないとし?」 「閏年じゃないから、ない年だよ」 「うるうどし」 「知らない?」 「きいたことはあります」 「ありますか」 「よねんにいっかい、うるうどし」 「その通り」 「うへー」 「基本的に、4で割り切れる年は閏年。だから、来年2020年は2月29日がある」 「そなんだ」 「でも、たしか、必ずではないんだよな……」 「そなの?」 「百年に一度、4で割り切れるのに閏年じゃない年があったはず」 「ひゃくねんにいちど……」 「だから、2100年は閏年じゃない」 「とおい」 「死んでるかもなあ」 「そだねえ」 「……でも、まだルールがあった気がする。2000年は、百年に一度なのに、閏年だったはずなんだよ」 「ふくざつ……」 「ちょっと調べてみるか」 「うん」 調べてみた。 「──4で割り切れる年は、原則として閏年」 「うるうどし」 「ただし、100で割り切れる年は、閏年じゃない」 「うるうどしじゃない」 「でも、400で割り切れる年は、閏年」 「うるうどし……」 「わかった?」 「わからん……」 「……まあ、俺たちが死ぬころまでは、四年に一度、必ず閏年が来るから」 「うるうどしも、むずかしいんだねえ」 「そんなもんだよ」 うんうんと頷くうにゅほを微笑ましく思いながら、Wikipediaのタブを閉じた。 |