2019年1月1日(火)
「──改めまして、あけましておめでとう」 「あけまして、おめでとうございます」 床に両膝をつき、深々と頭を下げる。 「良い子の××にお年玉です」 小さな黒猫の描かれた可愛らしいポチ袋を取り出し、うにゅほに差し出す。 「ありがと!」 「大事に使うんだぞ」 「うん」 ふと思う。 「……つーか、××ってお金使う機会あるの?」 「あんましない……」 「だよなあ」 たいてい俺と一緒に出掛けるため、遊興費は俺持ちだ。 コンビニで何かを買う機会があっても、俺がまとめてカードで支払ってしまう。 物欲が薄いのか、何かを欲しがることも少ない。 「……××さん」 「はい」 「実は、けっこう貯金あったりする?」 「うん、あるよ」 「どのくらい?」 「うーと、まってね。いま、つうちょうもってくるから」 「──…………」 立ち上がりかけたうにゅほの両肩に、そっと手を置いた。 「?」 「持ってこなくていいよ」 「でも、ちょきん……」 「人の預金額を無闇に尋ねるのも、ちょっとどうかと思うし」 「そういうもの?」 「そういうもの」 「そか」 「でも、せっかくだから、パーッと使いたいよな。貯金するだけじゃなくてさ」 「うーと、どっかいく?」 「行くにしても、今日はダメだな。元日だし」 「みせ、やってないかー……」 「なので、今日はだらだらしましょうか。お正月だもの」 「する!」 というわけで、食べたいときに食べ、飲みたいときに飲み、寝たいときに寝るという自堕落な元日を過ごしたのだった。
2019年1月2日(水)
「──…………」 自分の横っ腹をつまむ。 「……太った」 「うん」 「見てわかる?」 「なんか、おおきくなった」 「そうか……」 覚悟はしていた。 年末年始にごちそうを我慢するくらいなら、多少太ったところで構うまい。 だが、 「……多少、かなあ」 つまめる。 伸びる。 ズボンがきつい。 これ、ヤバいのでは。 「××、ちょっと来て」 「?」 とてとて無防備に寄ってきたうにゅほの横っ腹をつまもうとして、 「うひ」 つまめなかった。 「××も、けっこう食べてたと思うんだけど……」 「うん」 「どうして俺だけ?」 「うーと、おさけかなあ……」 「そんなに飲んだっけ」 「うん」 「そうだっけ……」 あまり記憶がない。 「すーごいたべて、すーごいのんで、すーごいねてたよ」 「あー……」 そら太るわ。 「……エアロバイク漕ごう」 「がんばってね」 「うん」 千里の道も一歩から。 そのひと漕ぎひと漕ぎが脂肪を燃焼させるのだと信じて、頑張ろう。
2019年1月3日(木)
「ふー……」 大きく息を吐きながら、エアロバイクを降りる。 「はい、タオル」 「ありがとな」 差し出されたタオルを受け取り、首筋の汗を拭う。 「やっぱ、寝正月はダメだな。ちゃんと運動しないと」 「ふとるもんね」 「××も漕ぐか?」 「うん、すこしこぐ」 「ペダル軽くしとくな」 「ありがと」 うにゅほがエアロバイクを漕ぐさまを、ぼんやりと眺める。 「?」 息を弾ませながら、うにゅほが小首をかしげた。 「どしたの?」 「見てるだけ」 「ふうん……」 しばしして、 「……たのしい?」 「楽しい」 「そか……」 さらに凝視し続ける。 「なんか、はずかしい……」 「気にすることないのに」 「きになる……」 「じゃあ、見ない」 視線をディスプレイに戻し、適当にブラウジングする。 「──…………」 「──……」 「……◯◯?」 「んー」 「おこった……?」 「え、なんで?」 思わずうにゅほに視線を向ける。 「はずかしいっていったから……」 「そんなことで怒るわけないでしょうに」 「……でも、◯◯、こっちみなくなった」 「恥ずかしいって言うから……」 「──…………」 「──……」 「……ちょっとみて」 「はいはい」 めんどくさいけど、そこが可愛くもある。 うにゅほがエアロバイクを漕ぐあいだ、意味もなくちらちらと目配せをするふたりなのだった。
2019年1月4日(金)
カレンダーを覗き込み、思わず溜め息をこぼす。 「三が日が終わってしまった……」 「やすみ、いつまで?」 「6日まで」 「いーち、にー、あとみっかかあ」 「今日は半分以上終わってるから、実質あと二日ですね」 「あとふつか……」 うにゅほが小首をかしげる。 「あと、ふつかもあるよ?」 「もともと九日あったんだよなあ……」 「いま、きんようびのよるだよ」 「金曜日の夜だな」 「きんようびのよる、いつもうれしそうなのに」 「──…………」 ふと、うにゅほの言いたいことを理解する。 「……そうか。過ぎた七日が仕事だろうが休みだろうが、今日が金曜の夜であることは変わらないんだな」 「うん」 サンクコストという考え方に近いものがある。 「なんか、気が楽になった」 「そかな」 土曜と日曜の二日間を楽しみにしながら、毎週仕事をこなしているのだ。 正月休みの有無に関わらず、その価値は目減りしない。 "あと二日しかない"などと正体のない焦燥を覚えながら過ごすのは、馬鹿げている。 「──よし、土日は遊ぶぞー!」 「なにするの?」 「ノープラン」 「のーぷらん」 「急ぐことないだろ、二日もあるんだし」 「そだね」 なんだか、大切なことを教わった気がする。 純粋な視点は、時に、知恵で濁ったものの見方に新しい知見をくれる。 さて、週末なにをしようかな。
2019年1月5日(土)
「──…………」 すこしだけ髪の伸びてきた坊主頭をさらりと撫でる。 「××さん」 「?」 「これ、どう思う?」 「どれ?」 自分の頭を指差す。 「あたま……」 うにゅほが座椅子から立ち上がり、俺の頭を覗き込む。 「あ、へこんでる」 「……わかる?」 「わかる」 「坊主だからって油断してヘッドホン着けっぱなしにしてたら、こうなってしまいました……」 正面から見るぶんにはわからないが、上から見れば明らかだ。 頭頂部を横断する形で、短髪が見事にへこんでしまっている。 「……どうしよう、これ」 「うーん」 うにゅほの小さな手のひらが、俺の頭を撫でさする。 「あ、これむり」 「無理ですか」 「ぺたんこなってる……」 「立たない?」 「たたない」 「……シャワー浴びるしかないかなあ」 「あびて、なおる?」 「──…………」 「──……」 「……五分五分?」 「ごぶごぶ」 俺の髪は、針金のように硬い。 ひとたび癖がついてしまえば、生半可なことでは元に戻らない。 「やっぱ、ヘッドホン常用するのは無理があるのかなあ……」 「そうかも……」 「いっそ××くらい長ければ、ヘッドホン癖なんて気にならないんだけどな」 「◯◯も、のばす?」 「……背中まで?」 「うん」 ロン毛の自分を想像する。 「あかん……」 「あかんかー」 「想像の中でどう自分をこねくり回しても、気持ち悪い」 「そかな」 「そうです」 ヘッドホンと髪型については、今後の課題とする。 解決できる気がしないけれど。
2019年1月6日(日)
──パキン!
右手の親指と中指が、硬質な音を鳴らす。 「おー……」 軽い痺れが心地良い。 「××、××!」 「?」 漫画に没頭していたうにゅほが、顔を上げる。 「見てな」 「うん」 得意満面の顔で、再び指を鳴らす。
──ペシッ!
「あれ」
──ペシッ! ピシッ!
「鳴らない……」 「なってるよ?」 「いや、さっきまで、すごい良い音が──」
──ペチッ!
「……うーん」 「いいおとって、どんなおと?」 「こう、カスタネットを鳴らすみたいな」 「そんなおと、なるの?」 「鳴ったんだけど……」 自信を失いかけながら、再度指を鳴らす。
──パキン!
「あ」 「なった!」 「ほら鳴った!」 「うん、おとたかいね」 「もう一度だ」
──ペチッ!
「……あれー」 「もどった……」 「どうもムラがあるなあ」 完璧な指パッチンを習得するためには、まだまだ努力が必要のようだ。
2019年1月7日(月)
「◯◯、◯◯」 「んー?」 「きょう、なんのひかしってる?」 「七草粥食べる日だろ」 「ななくさがゆ?」 うにゅほが小首をかしげる。 「セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ、これぞ七草」 「あ、きいたことある」 「まあ、俺も食べたことないんだけど」 「そなんだ」 あまり美味しくなさそうだし。 「ところで、××は何の日って言いたかったんだ?」 1月7日と言えば、七草粥。 それ以外には思い当たらない。 「うーとね、つめきりのひーなんだって」 「爪切りの日……」 「しんねん、はじめてつめきるひーだっていってた」 「誰が?」 「テレビ」 「──…………」 自分の爪を検める。 「……昨日、切っちゃったんだけど」 「!」 「ほら」 うにゅほに両手を差し出す。 「ほんとだ……」 爪はこまめに切るほうだ。 手入れなんて、面倒だし。 「××も、何日か前に切ってなかったっけ」 「──…………」 うにゅほが、自分の爪を見る。 「……きったきーする」 「だよなあ」 「これ以上切ると、深爪になりそうだ」 「うん……」 「……せめて、ヤスリで磨いとく?」 「そだね」 合っているのか、間違っているのか。 よくわからないが、爪を整えて損をすることはあるまい。 たぶん。
2019年1月8日(火)
冷えた指先を擦り合わせながら、呟く。 「寒いな……」 「!」 うにゅほが、びっくりしたように顔を上げる。 「さむいの?」 「今日、寒くない?」 「──…………」 うにゅほの視線が本棚へと向かう。 温湿度計の表示は、 「にじゅうろくてんはちど……」 「……マジだ」 「さむいの……?」 「寒い……」 「──…………」 「──……」 ぴと。 うにゅほの手のひらが、俺の額を覆う。 「あつい」 「熱ある?」 「ある……」 「まーた風邪か……」 すんすん。 うにゅほが、俺の首筋で鼻を鳴らす。 「風邪の匂いは?」 「すこし」 「うーん……」 「あったかくして、ねたほういいよ」 「そうなんだけどな」 わかってはいる。 わかってはいるのだが、 「寝て過ごすの、好きじゃないんだよなあ……」 「すきじゃなくても、ねないとだめだよ」 「うん……」 駄々をこねても仕方ない。 節制を怠った俺が悪いのだ。 「……マスク持ってきてくれる?」 「わかった!」 ああ、仕事が溜まっていく。 明日頑張ろう……。
2019年1月9日(水)
「うー……」 下腹を撫でながら、トイレより帰還する。 「熱っぽさは抜けたけど、今度は下のほうが止まらん……」 「げり?」 「下痢」 「あかだま、のむ?」 「さっき飲んだ……」 赤玉はら薬。 富士薬品の常備薬である。 「じゃあ、おなかなでる?」 「反時計回りにお願いします……」 「はーい」 ベッドに寝そべり、服従した犬のように腹を見せる。 「なーで、なーで」 「──…………」 「げーりとーまれー」 言霊の籠もったなでなでが心地いい。 「とまりそう?」 「止まりそう」 「じゃあ、もっとなでるね」 「お願いします」 十分ほど撫でてもらったころ、 「──うッ」 また、便意が迫り上がってきた。 「××、ちょ、トイレ行ってくる……」 「うん」 うにゅほをその場に残し、小走りにトイレへと駆け込む。
しばしののち、 「ふー……」 しっかりと手を洗い、トイレから帰還した。 「だいじょぶ?」 「大丈夫、と言いたい」 「いえる?」 「言いたい……」 「そか……」 「悪いけど、また、お腹撫でてもらえるか」 「いいの?」 「下痢は止まってないけど、だいぶ楽になったから……」 「わかった!」 トイレとベッドを往復すること数度、腹痛もようやく治まった。 「なでなで、きいたかな」 「赤玉より効いたぞ」 「うへー……」 お世辞ではなく、本当に効いた気がするのだ。 手当てとは、こういうことを言うのだなあ。
2019年1月10日(木)
ニンテンドースイッチを購入した。 当初は、うにゅほから俺への誕生日プレゼントの予定だったのだが、価格が価格なため、俺、うにゅほ、弟の三人で折半をする形となった。 「HDMIケーブル繋ぐだけで、テレビと接続できるのか……」 あまりの手軽さに感動すら覚える。 「ソフト、どうする?」 ニンテンドーアカウントの設定をしながら、弟が尋ねた。 「まず、ダークソウルは確定。居間のテレビでやりたい」 「言ってたね」 「(弟)は?」 「俺、ゼルダ買う」 「ゼルダ評判いいよな」 「実況動画も見たけど、すげえ面白い」 「へえー」 気が向いたら、俺もプレイしよう。 「××、気になったのある?」 「わたし?」 ドックを指でいじっていたうにゅほが、顔を上げた。 弟が言う。 「せっかくだし、皆で遊べるソフト欲しい。追加でジョイコン買ってさ」 「スプラとか、スマブラとか?」 「こないだ友達んちでやったけど、スマブラ難しいよ」 「難しいならやめとくか」 「わたし、そんないいけど……」 遠慮がちなうにゅほの頭を撫でてやる。 「俺、××と一緒に遊びたいなあ」 「──…………」 「(弟)も、遊びたいって」 「まあ……」 「遊びたいよな?」 「いや、さっき皆で遊ぶソフト欲しいって言ったじゃん」 「そうだった」 「マリカーでも買っとく?」 「だな」 「まりかー?」 うにゅほが小首をかしげる。 「マリオカート。プレイ動画は何度か見てると思う」 「あ、みたきーする」 「あれを、自分でプレイする」 「じぶんで……」 「ま、いずれにしてもジョイコン届いてからかな」 ゲームハードを購入するのは久し振りだ。 年甲斐もなく、わくわくしている自分がいる。
2019年1月11日(金)
60インチあるリビングのテレビにスイッチを接続し、ダークソウル リマスタードを起動する。 OPムービーが流れ出し、 「……迫力あるな」 「ある……」 とんでもない臨場感である。 「やっぱ、パソコンのディスプレイとは違うなあ」 「うん、すごい」 大画面テレビで、誰憚ることなく好きなゲームをプレイする。 子供のころの自分が羨みそうな環境だ。 「これ、まえぱそこんでやってたゲーム?」 「2と3はSteamでやったな」 「すちーむ」 「Steam」 「すちーむ」 「で、これが1に当たる」 「つーとすりーやってから、わんやるの?」 「ダークソウルシリーズがSteamに──つまり、パソコンでプレイできるようになった順が、2→3→1なんだよ」 「へんなの」 「PS3と4からの移植だからなあ」 「そなんだ……」 「正確に言うと、いまやってるのは1のリマスター版なんだけど」 「りますたー?」 「より高解像度にしたってこと」 「こうかいぞうど……」 「もっと簡単に言うと、画質がよくなった」 「あー」 うにゅほが、うんうんと頷く。 理解してもらえたようだ。 「綺麗だろ」 「きれいだけど……」 うにゅほの視線の先で、高解像度の亡者が、直剣の柄で切られて消え去った。 「きれいなの、けしきだけでいいのに」 「それはそれで不自然な気がするけど……」 いずれにしても、以前ほどの恐怖感はなさそうだ。 しばらくゲーム漬けの日々が続きそうである。
2019年1月12日(土)
誕生日である。 行きつけのステーキハウスで600gの牛肉を胃袋に収めたのち、帰宅した。 「たくさんたべたねえ」 「頑張れば、もうすこし行ける」 「がんばらなくていいとおもう……」 たしかに。 「たんじょうび、おめでとうね」 「××、それ三回目」 「そだっけ」 「まあ、うん。ありがとな」 うにゅほの頭を撫でる。 「うへー」 また、ひとつ年を重ねた。 憂鬱なはずの誕生日も、お祝いしてくれる人がいれば、気分は変わってくるものだ。 「──さて、エアロバイク漕ぐか!」 「さいきん、まいにちこいでるね」 「運動不足解消を目指します」 「えらい」 「それに、肉なんてのは食べるプロテインみたいなもんだからな。摂取したら運動しないともったいない」 「たんぱくしつ?」 「タンパク質」 「わたしも、あとでこごうかな……」 「漕げ漕げ。一緒に運動不足から脱却しよう」 「あし、ふとくならない?」 「負荷を軽くすればいい。俺は5にしてるけど、3か4に落とせば問題ないはず」 「わかりました」 廊下のエアロバイクを自室へと運び込み、L字デスクの前に設置する。 PCで適当な動画を流しながら漕ぐのが俺のスタイルだ。 「……頑張れば、ゲームしながら漕げるかも」 「がんばらなくていいとおもう……」 たしかに。 誕生日くらい、うにゅほに呆れられないよう、大人しく、大人らしく行動しよう。 普段からできていれば、苦労はないのだけれども。
2019年1月13日(日)
「うう……」 連休を返上しているのに、仕事がまだまだ終わらない。 「……ゲームしたい」 スイッチを買ったばかりなのに、あまり遊べていない気がする。 俺の手元を覗き込み、うにゅほが呟いた。 「しごと、たくさんあるねえ……」 「終わらないんです……」 「なんで、こんなにあるの?」 「図面、前倒しで上げてほしいって言われてさ」 「まえだおし……」 「簡単に言うと、仕事の先取りだな」 「さきのしごと、いましてるの?」 「そうなる」 「どうして?」 「会社にも都合があるんだろ」 理由は知らないし、聞いたところで仕事の量が変わるわけでもない。 平社員は、上から与えられる仕事を黙々とこなすのみだ。 「さきのしごと、いましてるなら、あとのしごとなくなる?」 「なくなることはないかな。緊急の仕事も多いし」 「そか……」 「まあ、でも、来月か再来月かは楽できると思う」 「よかったー」 うにゅほが、うへーと笑う。 「ともあれ、いまは集中集中。早く片付けてゲームするんだ」 「やるきだ」 「ダクソ、ほとんど進んでないし……」 弟は、心ゆくまでゼルダを楽しんでいるらしい。 羨ましい限りである。 「あと、友達が誕生日プレゼントとして贈ってくれたSteamのゲームもあるんだよな。六本くらい」 「ろっぽん!」 うにゅほが目を見張る。 「積みゲーばかりが増えていく……」 「すごいねえ」 「そのうち、まとめて時間作って、ゲーム三昧しよう」 「たのしそう」 「きっと楽しいぞ」 そのためには、まず、この仕事をこなしてしまわなければならない。 千里の道も一歩から、である。
2019年1月14日(月)
──ぴぴー! ぴぴー! ぴぴー!
ファンヒーターが電子音を鳴り響かせる。 「灯油切れたか」 「!」 うにゅほが、期待に満ちた目をこちらへ向ける。 「はいはい、いま汲んできますから」 「わたしもいくね」 「気にしなくていいぞ。今日、寒いし」 うにゅほは、俺の手に付着した灯油の匂いが好きである。 この冬も何度嗅がれたやら。 「でも」 「帰ってきたら、あっためてくれ」 「わかった!」 こうでも言わなきゃ、ついてくる。 その気持ちは嬉しいのだが、俺としては、うにゅほに寒い思いをしてほしくない。 灯油を汲んで戻ってくると、 「おかえりなさい!」 ぎゅー。 「あっためー……」 正面から抱きすくめられた。 「××、灯油タンク入れてから」 「あ、そか」 ファンヒーターに灯油タンクを戻し、チェアに腰掛ける。 膝をぽんぽんと叩いてみせると、 「うへー……」 うにゅほが、対面する形で、俺の膝を跨いで腰掛けた。 「あっためますね」 「お願いします」 ぎゅー。 「おきゃくさん、ひえてますねー」 「今日、ほんと寒いわ……」 「とうゆ、いれてきてくれて、ありがとね」 「……嗅ぐ?」 うにゅほの鼻先に、右手を差し出す。 「かぐ!」 ふんすふんす、 はー。 ふんすふんす、 ほー。 灯油の匂いを嗅いで幸せそうなうにゅほに抱き締められながら、俺も幸せな気分に浸るのだった。
2019年1月15日(火)
「♪~」 うにゅほが手際よくダスキンモップでホコリを拭い取っていく。 最適化され、ルーチンワークと化した自室の掃除は、ものの十分ほどで終わりを告げる。 たまには手伝おうかと思わなくもないのだが、逆に邪魔をしてしまいそうで、あまり申し出たことはない。 「──…………」 うにゅほの鼻歌を尻目に無言でキーボードを叩いていると、
ゴツン!
「た!」
──ぶおおおおおおおおッ!
寝室のほうで、何かが唸り声を上げ始めた。 「くうきせいじょうき、おこった!」 「足でもぶつけた?」 「ぶつけた……」 自室にある加湿空気清浄機は、衝撃を与えると、直後にニオイセンサーランプが真っ赤に点灯し、激しく吸気を行い始める。 それが、怒ったように見えるらしい。 「ごめんなさい……」 見れば、うにゅほが空気清浄機に頭を下げていた。 毎度のことだが、ちょっと面白い。 「空気清浄機、許してくれた?」 「まだ……」 「ダスキンで撫でてあげな」 「うん」 モップのパイルが、空気清浄機の上部を優しく撫でていく。 しばらくして、 「あ、ゆるしてくれた」 ニオイセンサーランプが緑色に戻り、唸るような轟音も鳴りを潜めた。 「よかったな」 「うん」 「足、痛くないか?」 「だいじょぶ」 「今後は気をつけるように」 「はーい」 この空気清浄機も、既に四年選手だ。 大事に使わなければ。
2019年1月16日(水)
「──たッ!」 柱とテーブルの隙間を通ろうとして、内くるぶしを思いきりぶつけてしまった。 「!」 うにゅほが即座に膝をつく。 「みして」 「はい……」 「かわ、すこしめくれてる」 「マジか」 「さびおはるね」 「お願いします……」 子供みたいで、すこし恥ずかしい。 そんなことを思っていると、 「子供じゃねえんだからよ、もうすこし気ィつけろよな」 と、父親に呆れ顔で言われてしまった。 「子供じゃなくたって、怪我くらいするだろ……」 「鏡見ろ、鏡。同じこと言えるか?」 「──…………」 反論できない。 「でも、おとうさん、こないだこゆびぶつけてちーでてた」 「うッ」 「おかあさんに、さびおはってもらってた……」 父親が目を逸らす。 「人のこと言えないじゃん」 「俺はいいんだよ、俺は」 その様子を見ていた母親が、誰にともなく呟いた。 「ほんと、親子だねえ」 「──…………」 「──……」 父親と顔を見合わせる。 面立ちも性格も似ていないが、やはり似通う部分はあるらしい。 苦笑していると、 「どうでもいいけど、ドラマ見てるんだから静かにしてくんない?」 ソファに寝転がった弟に注意されてしまった。 我が家の日常は、たいていこんな感じである。
2019年1月17日(木)
「──さっぶ!」 「さむいねえ……」 休憩のため自室へ戻った俺たちを、冷え切った空気が出迎えた。 「休憩どころじゃないぞ、これ」 「ストーブ、ストーブ」 ぴ。 うにゅほが、ファンヒーターの電源を入れる。 「わ」 「どした」 「へや、じゅうにどだって」 「──…………」 ファンヒーターの表示は当てにならない。 そう思い、本棚に設えた温湿度計を覗き込むと、 「……11.7℃」 ファンヒーターは正しかった。 俺たちが部屋を空けたのは、ほんの数時間ほどだ。 よほど冷え込んでいるらしい。 「そと、なんどかなあ」 「調べてみるか」 「うん」 iPhoneで、天気予報アプリを起動する。 「……寒いはずだ」 「なんど?」 「-10℃」 「ま」 うにゅほが目をまるくする。 「まいなすじゅうど……」 「バナナで釘を打つには、すこし足りないか」 濡らしたタオルを振り回せば、すぐさま凍る気温ではある。 試したことないけど。 「あったまるまで、しごとべやいる?」 「……いや、あの部屋にいると休んだ気がしない」 「そか……」 「布団にくるまってようかなあ」 「ふとん、つめたいきーする」 「──…………」 しばし思案し、 「××」 「?」 「湯たんぽになあれ!」 「はーい」 即答である。 こうして、部屋が暖まるまでのしばしのあいだ、うにゅほと同衾したのだった。 人肌こそが至高の暖房器具である。
2019年1月18日(金)
「──よし、土日返上回避ッ!」 仰向けに倒れ込み、そのまま伸びをする。 テーブルに積み上がった大量の図面が、俺の努力を物語っていた。 「おつかれさまー」 「頑張ったぞ」 「がんばった、がんばった」 「今週こそは休みたいからな……」 今年に入ってから、繁忙期でもないのに大量の仕事が舞い込んできている。 先週だって連休をすべて潰したのだから、今週こそは休まないと、何連勤になるかわかったものではない。 「◯◯、なんかのむ?」 「飲むー」 「あったかいの、つくるね」 「ココアがいいな」 「わかった」 微笑み、うにゅほが台所へ消えていく。 「──…………」 目が痛い。 しばし目蓋を下ろし、目を休ませる。 「──…………」 ココア、まだかな。 なんとなく右手を持ち上げ、シーリングライトに翳す。 そして、
──パキン!
指を鳴らした。
──パキン!
中指と、親指の付け根が、軽く痺れている。 数日前から、コンスタントに良い音が鳴るようになった。 コツを掴んだらしい。
──パキン! パキン! パキン!
調子に乗って鳴らしまくっていると、 「ココアだよー」 マグカップを大事そうに持ったうにゅほが、仕事部屋に帰ってきた。 「お、ありがとな」 「ゆび、いいおとなるね」 「だろ」 「わたし、ゆびならない……」 「コツがあるみたい」 「どんなこつ?」 「わからない……」 そもそも、鳴らし方を変えた覚えはないのだ。 「ま、いいや」 ココアを受け取り、啜る。 「美味しい」 「そか」 明日は休みだ。 何をしようかな。
2019年1月19日(土)
午前のうちにエアロバイクを漕いだあと、外出し諸用を済ませた。 「──……んあー!」 運転席に腰掛け、伸びをする。 「なんか、とても健康的な生活をしている気がする」 「けんこうてき?」 うにゅほが小首をかしげる。 「午前中から運動して、出掛けて、帰ってもまだ午前中なんだぞ」 「◯◯、おきるの、ひるだもんね」 「……だいたい、十時半くらいには起きてると思います」 俺は、宵っ張りである。 二時三時は当たり前、四時や五時まで起きていることもある。 「じゅうじはんて、もうひるちかいきーする」 「そんなイメージなのか……」 「うん」 「××、早起きだからなあ」 「◯◯が、おそおき」 「……返す言葉もございません」 うにゅほの起床時刻は、ぴったり午前六時だ。 ぼくにはとてもできない。 「昼ごはん買ってく?」 「おかあさん、ピザやくって」 「市販のやつ?」 「うん」 「あれにチーズ足して焼くと、美味いんだよなあ」 「おいしいよね」 「じゃあ、コンビニ寄ーらない。おやつとか余計に買っちゃいそうだし」 「そうしましょう」 「せっかく毎日エアロバイク漕いでるんだから、無駄にしたくないもんな」 「◯◯、がんばってるとおもう」 「頑張ってます」 「すごい」 「もっと褒めてもいいぞ」 「えらい、えらい」 うにゅほが俺の頭を撫でる。 「──…………」 よし、もっと頑張ろう。 そんなことを思う単純な俺なのだった。
2019年1月20日(日)
「寒い……」 ファンヒーターを消すと、一瞬で寒気が忍び寄る。 かと言って、つけたままだと茹だってしまう。 「あいだはないのか……」 ないのだった。 「ほんと、さむいねえ」 「大寒近いしな」 「いちばんさむいひ、だっけ」 「必ずしも一番ではないけど、寒さが厳しい時期なのは確か」 「へえー」 「具体的に、いつだったっけ……」 キーボードを叩く。 「あ」 「?」 「近いもなにも、今日じゃん」 「!」 「寒いはずだ……」 得心が行った。 「きょう、だいかんだったんだ」 「そうみたい」 「いま、なんど?」 「えーと──」 iPhoneを起動し、気温を調べる。 「……-4℃」 「あれ、さむくない」 思ったよりは、という意味だ。 「大寒も、当てにならないな」 「そだねえ」 梅雨の時期には雨が降りやすいが、必ず降るわけではない。 それと同じことだろう。 「しかし、もう大寒かあ……」 「うん」 「なんか、一瞬だな。このまま一瞬で人生が終わりそうな気がする」 「なんとかのほうそく?」 「そう。××も、すぐにわかるようになるよ」 「そか……」 ジェットコースターのような速度で一年が過ぎて行く。 せめて、ふたりで楽しい時間を。
2019年1月21日(月)
「──…………」 「──……」 ほけー。 パソコンチェアに体重を預けながら、天井をぼんやり見上げる。 暇だった。 「仕事がない……」 「ないの?」 「正確に言うと、少ない。パパッと終わるから後でやる」 「がんばったもんね」 先週までの忙しさは、言わば"仕事の先取り"によるものだ。 仕事の絶対量はある程度決まっているため、先にこなせば後が楽になる。 先に済ませるか、後に回すか、それを自分で選べないのが平社員のつらいところである。 「ずっとらくなの?」 「どうだろ。たぶん、今週中はこんな感じだと思うけど」 「よかったー」 うにゅほが、ほにゃりと笑う。 「たくさんしごと、たいへんだもんね」 「──…………」 目を逸らす。 「?」 うにゅほが小首をかしげた。 「……たぶん、来週また忙しい」 「そなの……?」 「三百件、先取り」 「!」 うにゅほが目をまるくする。 「ちなみに、先週までのは二百四十件」 「はー……」 「毎日コツコツやらせてほしい……」 「ほんとだね……」 だが、ぼやいても始まらない。 「せめて、暇なうちはだらだらする。ごろごろする。ゲームもする」 「うん」 世間一般に比べれば、俺の仕事は楽なほうだ。 英気を養い、来週の修羅場に臨むことにしよう。
2019年1月22日(火)
スイッチで、ヒューマンフォールフラットを購入した。 正確に言うと、弟がいつの間にか購入していた。 「あ、これ、よいこのやつ!」 「そうそう」 よゐこが、〈インディーでお宝探し生活〉という動画でプレイしていたゲームである。 「ちょっとやってみようぜ」 「むずかしそう……」 渋るうにゅほにコントローラーを押し付け、ヒューマンフォールフラットを起動する。 二分割された画面に、子供がこねて作ったような白い人形が立ち並んだ。 「わ、わ、これ、わたしどっち?」 「俺が左で、××が右」 「みぎ……」 「これ、視点変えるのどうすんだろ」 「あ、ジャンプした」 うにゅほの操作するキャラクターが、ぼってりと鈍く跳ね回る。 「ジャンプはいいけど、視点回せないぞ……」 もたもた。 しばしして、 「──あ、コントローラー傾ければいいのか!」 「そんなのあるの?」 「スイッチはジャイロセンサー入ってるから」 「じゃいろ……」 「傾けてみ」 「うん」 うにゅほが、上半身を右に大きく傾ける。 「あれ……?」 視点が変わらない。 当然である。 「××さん、手元が傾いてませんよ」 「!」 可愛い。 「……うへー」 笑って誤魔化そうとするさまも、また愛しい。 「ほら、さっさと行くぞー」 うにゅほのキャラクターを引っ掴む。 「わ、かってにうごく!」 「ほれほれ」 「これ、どうなってるの?」 「LとRで掴める」 「つかみたい!」 「いいぞ」 そんな具合で、さっぱり進みやしない。 最初のステージすら覚束ないふたりだったが、これはこれで楽しいのだった。
2019年1月23日(水)
「うはー……」 窓の外が、白い。 ふっくらとした牡丹雪が、目まぐるしく視界をよぎっていく。 猛吹雪だった。 「これ、夜には雪かきだな。場合によっては明日の朝も」 「ゆきかきかあ……」 「?」 雪かきが好きなはずのうにゅほが、何故だか憂い顔だ。 「どしたー?」 うにゅほの頭を、ぽんと撫でる。 「雪かき、嫌になったか。気持ちはわかるぞ。すごくわかる」 「ちがくて」 やっぱり。 「ゆきかき、すきだけど、ふぶきのときにがて」 「あー」 「かお、つめたい……」 「すごくわかる」 寒いだけならまだしも、顔にビシビシ雪の粒が当たり続けると、やる気ゲージがモリモリ削れていく。 除雪する傍からどんどん積もって行くため、賽の河原にいる気分になるし。 「××は、どんな雪かきがしたい?」 「うーと」 しばし思案し、うにゅほが答える。 「はれててね、さむくてね」 「うん」 「ゆき、きらきらしてて」 「うん」 「ゆき、ふーってしたらとぶくらいかるくてね」 「うん」 「◯◯と、いっしょにするの」 「──…………」 「これ、さいこう」 「そっか」 うにゅほの髪を手櫛で整える。 「明日、晴れたら、一緒に雪かきしような」 「うん!」 「……まあ、晴れてなくてもするんだけど」 「うん……」 晴れろと贅沢は言わない。 せめて、吹雪はやんでくれ。
2019年1月24日(木)
「◯◯、◯◯」 「んー」 卓上鏡で眉毛を整えながら、うにゅほに生返事を返す。 「◯◯」 「はいはい」 「きょう、なんのひか、おぼえてる?」 「今日……」 1月24日。 何かあっただろうか。 「えーと」 キーボードを叩く。 「……郵便制度執行記念日?」 「──…………」 じ。 うにゅほの双眸が、俺を射抜く。 あ、これ思い出さないとまずいやつだ。 しばし本気で思案し、 「──あ、婆ちゃんの命日か!」 「うん」 危ないところだった。 「◯◯、わすれてた?」 「忘れてないよ、思い出した」 「それ、わすれてた……」 「まあまあ」 うにゅほの手を取り、階下へ向かう。 「命日くらい、ちゃんと手を合わせないとな」 「うん」 「しかし、婆ちゃんが死んでから、もう二年か……」 「さんねんだよ」 「……マジ?」 「うん」 月日が経つのが早すぎる。 「三年、か……」 祖母がいなくなって、三年。 この三年間で、何を成しただろう。 成長はした気がする。 だが、失ったものも大きいはずだ。 「──…………」 なむなむと呟くうにゅほの隣で、同じように手を合わせながら、そんなことを考えていた。
2019年1月25日(金)
「──…………」 ずうん。 電源を落とした液晶タブレットに突っ伏しながら、ただ呼吸のみを行う。 落ち込むことがあった。 人から見ればそう大したことでもないのかもしれないが、ちょっと気落ちするくらいは許してほしい。 「◯◯……」 「──…………」 「◯◯?」 「んい」 「だいじょぶ……?」 「だいじょばない」 「だいじょばないかー……」 「ごめん、一時間くらいほっといて」 「わかった……」 しばしして扉の開閉音が響き、自室が無音に包まれる。 「──…………」 無音。 そう思われた自室も、ひとりになってみれば、決して静かではない。 ファンヒーターの駆動音。 風が窓を叩く音。 そして、自身の呼吸音。 「──…………」 落ち着かない。 ひとりでないことに慣れ過ぎた。 「……一時間、か」 時計を見る。 まだ五分ほどしか経っていなかった。 「──…………」 寂しい。 チェアから腰を上げ、階下へ向かう。 ぼんやりテレビを見ていたうにゅほと、目が合った。 「◯◯?」 「あー」 目を逸らしながら、言う。 「……なんか、大丈夫になった」 「ほんと?」 「まあ、うん」 「よかった!」 ストレートな笑顔が、胸にくる。 「……ごめんな」 「なにが?」 「なんでもない」 気落ちしていても仕方ない。 前を向こう。 その手伝いをしてくれる人が、隣にいるのだから。
2019年1月26日(土)
「ねむみが深い……」 「ねむみが」 「早起きしたからなあ」 「くじ」 「俺にしては早起きなの!」 「そだね」 くすりと笑われてしまった。 「なんじにねたの?」 「普段と変わらないよ。四時くらい」 「ごじかんかー」 「五時間だな」 「わたし、きょう、ろくじかんくらい」 「××って、けっこうショートスリーパーだよな」 「しょーとすりーぱー?」 「睡眠時間が少なくても大丈夫な人」 「そかな」 「寝るのは基本十二時、起きるのはピッタリ六時。たまに一時まで起きてるときもあるし」 「あー」 うにゅほが、うんうんと頷く。 「でも、ひる、うとうとするひーある」 「食後とかな」 「うん」 「気持ちよさそうだから、起こさないようにしてる」 「うん、きもちい」 うへーと笑う。 「寒そうだったら半纏掛けてるぞ」 「しってる」 「知ってたか」 「ありがとね」 「どういたしまして」 「ねむみ、まだふかい?」 「深いですね……」 「うとうとする?」 「うとうとって、意識的にできるもんじゃないから」 「うとうとしたら、はんてんかけるね」 「ありがとう」 ちょっと嬉しい。 しかし、そんなときに限ってうとうとしない俺なのだった。
2019年1月27日(日)
「──…………」 カチ、カチ。 左クリックでページをめくり、先へ先へと読み進める。 「◯◯、なによんでるの?」 「回転むてん丸」 「むてんまる」 「くら寿司の販促用Web漫画なんだって」 「へえー」 「面白いって聞いたから読んでみてるけど、まあ、良くも悪くも子供向けだな」 「おもしろくないの?」 「そこそこ」 「そこそこかー」 「最後まで読んだら、感想教えるよ」 「うん」 回転むてん丸は、二部構成だ。 第一部は、一弾から七弾。 第二部は、一章から八章。 「……?」 第二部一章を開いた瞬間、違和感に襲われた。 背景の描き込みが、これまでとは明らかに異なっている。 主人公のむてん丸がいなければ、別の漫画と見紛うほどだ。 小学◯年生からコロコロコミックへと掲載誌が移ったくらいの変化を感じる。 「これ、面白いな……」 思わずそんな呟きが漏れた。 「むてんまる、おもしろいの?」 「だんだん面白くなってきた」 「おー」 第二章。 第三章。 次々と読み進めていく。 第六章。 第七章。 「──…………」 俺は、寿司屋の販促用漫画に泣かされていた。 第八章を読み終え── 「──……××」 「うん」 「すげえ面白かった……」 「◯◯、ないてたもんね」 「××も泣く、絶対」 「よみたい!」 「じゃあ、タブレットでな」 「うん」 うにゅほが、iPadで回転むてん丸を読み始める。 読み終えたら、ふたりで語り合うのだ。
2019年1月28日(月)
うにゅほが、膝に乗せたiPadの画面の上で、時折指を滑らせている。 「××」 「んー」 「むてん丸、どこまで読んだ?」 「うーと、いま、かんふーたわーのとこ」 第五弾か。 第三弾から第六弾まではサイドストーリーだから、ちょっと間延びしてるんだよなあ。 「……面白い?」 「うん、おもしろい」 「そっか」 この時点で面白さを感じているのなら、きっと最後まで読み切ってくれることだろう。 「──…………」 ぽりぽり。 むてん丸を読みながら、うにゅほがふとももの裏を掻く。 先程から幾度も同じ場所を掻いているのが気になった。 「××、ふともも痒いの?」 「かゆい……」 温湿度計を覗き込む。 「湿度44%か。ちょっと乾燥してるな」 「あー」 うにゅほが、うんうんと頷く。 「かしつするの、ずっとわすれてたね」 「わかりやすく効果が表れるわけじゃないから、つい後回しにしちゃうんだよな……」 「うん……」 思えば最近、目が疲れやすかった気がする。 これでは、なんのために温湿度計を設置しているかわからない。 「タンクに水汲んでこよう」 「おねがいします」 「××、痒み止まらなかったらユースキン塗ろうな」 「ほしつのやつ?」 「そう」 「おろないんと、どっちいいかな」 「用途が違うから……」 うにゅほは、オロナインを万能薬か何かだと思っているらしい。 用途に合わせた使い分けが大切なのだと、ちゃんと教えておかねば。
2019年1月29日(火)
「××ー」 「?」 「握手」 そう言って、右手を差し出す。 「はい」 うにゅほが俺の手を握る。 「つめた!」 「冷たいだろ」 「てー、だいじょぶ?」 うにゅほの小さな両手のひらが、俺の右手を優しく包む。 温かい。 すこし熱いくらいだ。 「××の体温が染み渡る……」 「すりすりするね」 「お願いします」 「おわったら、ひだりてね」 「はい」 「あしは?」 「靴下履いてるから大丈夫」 「そか」 足も冷たいと言えば、温めてくれたのだろうか。 「──…………」 たぶん、してくれただろうな。 うにゅほだもの。 しばしして、左手が汗ばんできたころ、ふとあることに思い至った。 「そう言えば、××も冷え性じゃなかったっけ」 「うん」 「手、あったかいけど……」 「てーもつめたいときあるけど、つめたいの、あし」 「足か」 「うん」 「──…………」 「──……」 「靴下は?」 「……うへー」 あ、笑顔で誤魔化しにかかった。 「はいはい、靴下履きましょうねー」 「はーい……」 「履かせてあげるから」 「うん」 靴下嫌いなのは俺も同じだから気持ちはわかるが、心を鬼にして履かせなければ。
2019年1月30日(水)
仕事が一段落して自室へ戻ると、うにゅほが滂沱の涙を流していた。 「──…………」 理由はすぐにわかった。 うにゅほの膝の上に、iPadがあったからだ。 「××」 「ふい……」 ずひ、と鼻を啜るうにゅほに、ティッシュを箱ごと手渡す。 「むてん丸、面白かった?」 「おもじろがった……」 回転むてん丸。 くら寿司の販促用Web漫画である。 「七章の過去編あたりから、涙腺ヤバいよな……」 「わがる……」 目元を拭い、幾度も鼻をかみながら、うにゅほがうんうんと頷く。 「目、赤いぞ。目薬をさしてあげましょう」 「おねがいしまう」 天井を見上げて待ちの姿勢に入ったうにゅほの両目に、ぽたりぽたりと目薬をさしてやる。 「う」 「はい、ぱちぱちして」 うにゅほが目をしばたたかせる。 「で、最後まで読み終わったのか?」 「うん、さっき」 上着の袖に視線を向ける。 濡れていた。 「袖で拭いたら、バイキン入るぞ」 「うへー……」 「……まさか、鼻水も拭いてないよな」 「ふいてないですー」 「本当に?」 「こどもじゃない……」 微妙に心外そうな表情を浮かべる。 「まあまあ、むてん丸の話をしよう。××は誰が好きだった?」 「うーと、うみみかなあ」 「海美か。シセラの話、王道で切なくてよかったよな……」 「◯◯は?」 「普通にシャムかな。あと、シックも好き」 「おー」 そんな具合に、しばし回転むてん丸の話で盛り上がった。 面白い作品は、人と共有することで、さらに楽しむことができる。 物語は終わっても、コンテンツは終わらないのだ。
2019年1月31日(木)
ふとカレンダーに目を向ける。 「2019年も、なんだかんだで一ヶ月か……」 「いろいろあったねえ」 「……いろいろあったか?」 「うん」 「そうだっけ……」 言われてパッと思いつく出来事がないのだけれど。 「スイッチかった」 「買ったな」 「マリオカート、むずかしいねえ……」 「(弟)、なんであんなに速いんだろうな。意味わからん」 「みにたーぼ?」 「ミニターボの成否より明らかな差がある気がするんだけど……」 「うん……」 弟を見返すためには、うにゅほとふたりで特訓するしかないだろう。 もっとも、最近はまた仕事が忙しくなってきていて、ゲームをする時間もなかなか取れないのだが。 「一ヶ月、一ヶ月──」 今月あった出来事を思い返そうとして、ふと気づく。 「そう言えば、大掃除してからちょうど一ヶ月でもあるな」 「そだね」 自室をぐるりと見渡してみる。 「──うん、わりと綺麗に使えてると思う」 「せいりせいとん、できてますね」 「本を読み終わったら、ちゃんと元の場所に戻すようにしてるからな」 「えらいマンだ」 「えらいマン……」 意味はわかるがよくわからんことを言い始めた。 「その、えらいマンとはいったい」 「えらいマンは、えらい」 「偉いんだ」 「だから、◯◯はえらいマン」 「××はえらいウーマン?」 「うーん……」 しばし思案し、うにゅほが答える。 「ごろが、へん」 「まあ……」 わからんでもない。 「えらいマンは、えらいマン」 「概念かな」 「がいねん」 まあ、素直に褒められたと思っておこう。 |