2018年10月1日(月)
「──よし」 作務衣を着替え、外出の準備を整える。 「××。俺、ちょっと出掛けてくるから」 「あ、まって」 いそいそと、うにゅほが肩にバッグを提げる。 「どこいくの?」 「──…………」 「?」 うにゅほが小首をかしげる。 「……えーと、俺ひとりだけで行こうかと」 「!」 があん。 ショックを受けたのか、うにゅほが目をまるくする。 「ともだち、あいにいくの……?」 「違うけど」 「じゃあ、どこ?」 「──…………」 「──……」 「……病院」 「!」 があん。 ショックを受けたのか、うにゅほがすこしよろめいた。 「◯◯、どっかわるいの……?」 「──…………」 目を逸らす。 「わるいんだ……」 「……まあ」 「どこわるいの? いたい?」 「──…………」 「どこ……?」 ああ、もう。 丸坊主の頭を掻きむしりながら、はっきりと告げた。 「尻が痛いから、肛門科行くの!」 「あ」 「ちょっと恥ずかしいから、言いたくなかったんだよ……」 「ごめんなさい……」 「……いや、××は心配してくれただけだから」 変に隠そうとせず、素直に言えばよかった。 「じゃあ、行ってくる」 「がんばってね……」 何を? 診察の結果、痔ではなく、ただ炎症を起こしているだけだった。 ひとまず安心である。 今後も気をつけていきたいものの、何をどうすればいいのかよくわからないのだった。
2018年10月2日(火)
「んー……」 Amazonのページを見ながら、低く唸る。 「ほんかうの?」 「どうしようかなって」 「ほん、いつもすぐかうのに、めずらしいねえ」 「本だけは、買うのに躊躇しないことにしてるからな」 漫画に小説、学術書──欲しいと思った本はすぐに購入する。 本こそが今の自分を形作っていると信じているからだ。 「ただなあ……」 「?」 小首をかしげるうにゅほに告げる。 「この本、Kindle版と、中古しかないんだよ」 「きんどる」 「スマホとかタブレットで読める電子書籍な」 「あー」 「電子書籍は便利だけど、肌に合わないっていうか……」 「わかる」 「読みにくいよな、あれ」 「うん」 タブレットならまだしも、スマホだと、画面が小さすぎる。 外出先で読めるという利点もあるにはあるが、たいていうにゅほと一緒なので、外で本を読む機会はあまりない。 「じゃあ、ちゅうこでかう?」 「──…………」 マウスを操作し、ポインタで価格を指し示す。 「一万四千円」 「いちま!」 「プレミアついちゃってるんだよ」 「そんなことあるんだ……」 「本一冊に一万円出せるほど、お金持ちじゃないし」 「せんげつディスプレイかったから、こんげつせつやくだもんね」 「だから、Kindleで買うべきか否か、迷ってるってとこ」 「なるほど」 「……まあ、保留かな。重版されるかもしれないし」 されないと思うけど。 欲しいものを、いくらでも、迷わず買えるようになりたいものだ。
2018年10月3日(水)
俺は、在宅ワーカーである。 比較的自由が利く仕事ではあるのだが、今日は机に張り付きっぱなしだった。 緊急の案件が大量になだれ込んできたのだ。 「……この量を、週末までに……」 このまま行くと、三連休までなくなってしまうかもしれない。 「◯◯、だいじょぶ……?」 「大丈夫、大丈夫」 図面を引きながら、心配そうなうにゅほに答える。 「普段楽してるんだから、たまにはな……」 「がんばってね」 「頑張る」 「かたもむ?」 「あとで、腰と背中揉んでくれ」 「わかった」 数時間が経ち、今日こなすべき最低ラインの半分ほどを消化したころ、会社から連絡が入った。 「──…………」 通話を終えたのち、仕事机に突っ伏す。 「はは、ははは……」 「どしたの?」 「いまやってる仕事、やらなくてよくなった……」 「えっ」 「あーもー、夜に回せばよかった!」 「──…………」 うにゅほが眉をひそめる。 「◯◯、がんばったのに……」 「しゃーない、こういうこともある」 「でも」 「この数時間は無意味だったけど、この先の数十時間が空いたんだ。俺としては、そっちのほうが嬉しい」 「そか……」 「全部こなしたあとに言われたら、さすがに怒ったけどな」 「それは、わたしもおこる」 「××が怒ると、怖いからなあ」 「うん」 さて、空いた時間で何をしようか。 自由って素晴らしい。
2018年10月4日(木)
「──……つ」 「◯◯、いたい?」 「痛いけど、まあ、ちょっとだし……」 右膝の外側が痛み出したのは、今朝からのことだ。 歩かなければ気にならない。 だが、それは、歩けば気になることの裏返しでもある。 「ねちがえたのかなあ……」 「……足を?」 どんな寝相だ。 「ともあれ、今日は安静にしとこう。なるべく動かないように……」 「ごはんとか、もってくる?」 「そこまで重症じゃないよ」 「そか……」 階段の上り下りを最低限にしたいのは確かだが、あまり大事にしたくないのも本心だ。 「びょういん、いく?」 「うーん……」 行きたくないなあ。 「とりあえず、二、三日は様子を見よう。痛みがひどくなったら、すぐに整形外科へ行く」 「はやくいかないと、ておくれなるかも……」 どんな病気を想定してるんだ。 「医療費をケチるつもりはないけど、なんでもかんでもすぐ病院じゃ財布がもたないよ」 「そだけど」 「初診料だけならともかく、検査となるとけっこう取られるしなあ」 「うん……」 「だから、膝が痛いあいだは、××がお世話してくれ」 「うん!」 ふんすふんすと鼻息荒く、うにゅほが頷いた。 やる気満々である。 「ね、ね、なにしたらいい?」 「えーと……」 急に言われても、用事は特に── 「あった」 「なに?」 「空きペットボトルに、水を汲んできてくれないか。冷蔵庫で冷やすからさ」 「わかった!」 ペプシの空きペットボトルを二本抱え、うにゅほが階下へ駆け出していく。 「転ぶなよー」 「はーい!」 張り切りすぎて、怪我でもしなければいいのだが。
2018年10月5日(金)
右足をかばうように歩く俺の様子を見てか、うにゅほが心配そうに尋ねる。 「◯◯、ひざ、だいじょぶ……?」 原因はわからないが、昨日から右膝が痛むのだった。 「大丈夫──ではない」 「ではないの……」 「ではないけど、悪化もしてない。歩かなければ痛くないし」 「びょういん……」 「二、三日は様子を見るって言ったろ。まだ一日しか経ってないって」 「そだけど」 「心配してくれるのは嬉しいけどな」 うにゅほの頭を、ぽんぽんと撫でる。 「しかし、この足だと出歩けないなあ……」 「うん」 「車の運転くらいはできると思うけど、すこし歩くと痛むから」 「むりしたらだめだよ」 「しない、しない」 俺は、無理と無茶をするのが何より嫌いな男である。 などと言いつつ、けっこう無理も無茶もしているような気がするのはご愛嬌だ。 「期限を決めようか」 「きげん?」 「二、三日だから、明後日までに良くならなかったら病院へ行こう」 「あさって……」 しばし思案し、うにゅほが言う。 「あさって、にちよう」 「あ」 そうだった。 ついでに言うと、月曜日も祝日だ。 「……9日までに良くならなかったら?」 「ておくれなるかも……」 だから、どんな病気を想定してるんだ。 「まあ、すぐ治るさ。大丈夫大丈夫」 「うん……」 俺は楽観的で、うにゅほは悲観的である。 ふたりの意見を足して2で割れば、きっとちょうどよくなるはずだ。
2018年10月6日(土)
「ろくがつ、むいかに、あめざあざあ、ふってきてー」 雨のそぼ降る窓の外を眺めながら、うにゅほがたどたどしく歌う。 「かわいいコックさん?」 「……?」 うにゅほが小首をかしげる。 「それ、かわいいコックさんの絵描き歌だろ」 「そなの?」 「知らないで歌ってたのか……」 「あめのうただとおもってた」 「雨の歌かどうかは微妙なところだな」 「えかきうたなの?」 「そうだよ」 「かいて!」 「はいはい」 かわいいコックさんの歌い出しを思い返しながら、メモ帳とペンを用意する。 「えーと、棒が一本あったとさ」 メモ帳に、横棒を一本引く。 「葉っぱかな、葉っぱじゃないよ、カエルだよ」 カエルの顔が出来上がる。 「カエルじゃないよ、アヒル──アヒル?」 「どしたの?」 「待って、思い出す」 たしか、このフレーズで顔の輪郭を描いたような。 全体を丸で囲み、続きを口ずさむ。 「6月6日に雨ざあざあ降ってきて……」 なんとか形になってきた。 「──…………」 「?」 「……あっという間にかわいいコックさん」 頭に帽子をかぶせる。 「おわり?」 「いや、明らかに下半身が足りない」 「ほんとだ」 「仕方ない。こんなときは検索だ!」 Google先生に尋ねると、あっという間にかわいいコックさんの歌詞が表示された。 「──三角定規にヒビいって、あんぱんふたつ、豆みっつ、コッペパンふたつくださいな」 「あっというまに、かわいいコックさん!」 随分とあいだが抜けていたものだ。 「かわいいコックさん、あんましかわいくないねえ」 俺もそう思う。 「これ、種族はなんなんだろうな。人間ではないと思うんだけど」 「……あひる?」 「アヒルにこんなでかい耳ないだろ」 「そか……」 暇つぶしがてら、メモ帳に落描きをして遊ぶふたりだった。
2018年10月7日(日)
「──◯◯。あし、どう?」 「足か」 チェアに腰掛けたまま、右足を持ち上げる。 「歩くのは問題ないかな。小走りくらいなら大丈夫」 「はしったらだめだよ……」 「数歩だよ、数歩」 苦笑する。 相変わらず過保護だ。 「ただ、歩くのは問題ないけど、ひねるとまだ痛いんだよな」 「びょういん」 「よくはなってるから……」 「そだけど」 本当に過保護である。 「しかし、本当に原因がわからん。覚えがない」 「やっぱし、ねちがえたのかなあ」 「──…………」 そんな気がしてきた。 「こう、半分ベッドから落ちかけながら寝たら、あるいは寝違えられるんじゃないか」 「ねぞうわるい」 「そんな寝方してるの、見たことある?」 「ない……」 「さすがに起こすよな」 「うん、おこす」 「××は、どんな寝方したら、足を寝違えると思う?」 「……んー、と」 うにゅほがベッドに上がり、右足を折り畳んだまま仰向けに寝そべった。 「こんなかんじ?」 「××、体柔らかいなあ」 「うへー」 「俺がそれやったら、たしかに筋は痛めると思うけど……」 「おもうけど?」 「その前に、激痛で起きる」 「そかな」 「俺、××が思ってるより体硬いぞ」 「でも、ぜんくつして、てのひらゆかにとどく」 「前屈しかできないとも言う」 「わたしとはんたい」 「××は、体柔らかいけど、前屈だけできないもんな」 「なんでだろねえ……」 「暇だし、一緒にストレッチでもするか」 「するー」 思い出したようにストレッチをしても、すぐさま効果が表れるわけではない。 だが、やらないよりはましだろう。 右膝も、早いところ完治してくれればいいのだが。
2018年10月8日(月)
「体育の日だなあ」 「たいくのひだねえ」 「……あんま関係ないな」 「ね」 運動しようにも、足を痛めている。 無理して悪化させては事だ。 「体育の日とはまったく関係ないけど、マウスがそろそろまずいかもしれない」 「ぷしゅーってする?」 以前調子が悪くなったとき、マウスホイールの隙間にエアダスターを噴射して直したことがあったのだ。※1 「いや、何度かやったんだけど……」 「だめ?」 「ダメみたい」 「そか……」 「この型、まだ売ってるかな。新型は買いたくないし」 「しんがた、だめなの?」 「ロジクールの旧型にしかない機能があるんだよ。ワンタッチサーチっていうんだけど」 「わんたっちさーち」 「そうだなあ」 昨日の日記を開く。 「この、"ストレッチ"って単語をGoogleで検索したいとする」 「うん」 「単語をドラッグして範囲選択、右クリックしてコピー、ブラウザを開いて、アドレスバーに貼り付けて、エンターキーを押す」 ブラウザに検索結果が表示される。 「これが検索の手順になる」 「うん」 「でも、ワンタッチサーチ機能を使うと──」 単語を範囲選択し、親指でマウスのスイッチを押す。 先程の経緯をすっ飛ばし、ブラウザに検索結果が表示された。 「はや!」 「手軽だろ」 「うん、すごい……」 「新型だと、この機能がない」 「なんで?」 「わからない。わからないけど、PC界隈って、アップデートで改悪されるのが当たり前って風潮あるから……」 「へんなの……」 「俺もそう思う」 幸い、同じ型番の製品は、まだ定価で売っていた。 完全に壊れたときのために、予備としてひとつ買っておこう。
※1 2018年8月15日(水)参照
2018年10月9日(火)
「長崎くんち……」 「?」 唐突な俺の呟きに、うにゅほが小首をかしげる。 「だれ?」 「うん、そうなるよな」 「……?」 「長崎くんちは、長崎くんの家じゃない」 「だれのいえ?」 「長崎で行われるお祭りの名前だ」 「──……?」 うにゅほの首の傾きが、どんどん深くなっていく。 「俺もいま知ったばかりだから、ぜんぜん詳しくないんだけどさ」 「うん」 「"くんち"というのが、お祭りの名前らしい」 「うん?」 「長崎の"くんち"だから、長崎くんち」 「あー……」 「なんとなくわかった?」 「なんとなくわかった」 うんうんと頷く。 「なんで、ながさきくんち?」 「今日やってるらしくて」 「へえー」 「──…………」 「──……」 「まあ、だからなんだってこともないけど」 「にっき、かくことなかったの?」 見透かされていた。 「だって、足もほとんど完治して病院行く必要ないし、だからって病み上がりに出歩くのもなんだし、特に書くこと思い浮かばなかったんだ……」 「かくことないとき、やすんだらだめなの?」 「ずっと毎日続けてきたことだから、そう簡単に変えたくないなあ」 「そなんだ」 「まあ、こうやって雑談してれば、その内容を書き留めるだけで済むんだけどさ」 「そんなんでいいんだ」 「急に変な話題を振るときは、たいていそれ」 「あー」 心当たりがあるらしい。 「これからも、急に変な話題を振り続けていくから、面白いリアクション頼むな」 「むずかしい……」 うにゅほは、うにゅほであればいい。 でも、頑張って面白いリアクションを取ろうとする姿も見たい。 業の深い俺だった。
2018年10月10日(水)
露出した腕を手荒く撫でながら、呟く。 「涼しいどころか、肌寒くなってきたなあ……」 「そかな」 うにゅほが温湿度計を覗き込む。 「うーと、にじゅうさんてんはちど」 「……そうでもないな」 「そうでもない」 「じゃあ、単にダイエット中だからか」 「そうかも……」 横っ腹を掴む。 「これ、さっさと落とさないとなあ」 夏のあいだに随分と太ってしまった。 ダイエットをする時期と太る時期との繰り返しで、体重を一定に保つことができない。 ゼロかイチかの極端な性格のためだ。 「あんましむりしないでね……」 「無理はする、と思う」 「──…………」 うにゅほが口を尖らせる。 「でも、無理のし過ぎは、なるべくないようにする」 「ほんと?」 「……なるべく」 「──…………」 「──……」 「むりしたら、とめるからね」 「お願いします」 うにゅほというストッパーがいてくれるのは、本当にありがたい。 自分ひとりだと、肉体の限界を易々と飛び越えてしまいかねないからだ。 「よし、適度に無理して痩せるぞ!」 「むりするの、てきどじゃないとおもう……」 「多少は無理しないと痩せないんだもん」 「そだけど」 「このまま延々と太り続けて体重三桁とか、××も嫌だろ」 「うーん……」 しばしの思案ののち、 「……いやかも」 「だろ」 「むり、しすぎないでね」 「わかった」 物心ついてからもう何度目かわからないダイエット生活が、始まる。
2018年10月11日(木)
「お、おう……」 腹部を強く押さえながら、前傾姿勢で耐える。 「腹が、腹がぐるんぐるん言いよる……」 「だいじょぶ……?」 「……まあ、大丈夫」 「だいじょぶじゃなさそう……」 「完全に下ってますね、これは……」 「といれは?」 「弟が入ってた……」 「いっかいの、といれ」 「いや、ノックしたら、すぐ出るって言うから」 「そか……」 便意は強いが、一刻を争うほどではない。 「なんか、わるいものたべた?」 「皆と一緒のものしか食べてないし、そもそもダイエット中だから量も控えてる……」 「そだよね……」 「うッ」 ぐるぐる。 胃腸が蠕動している。 「やっぱし、いっかいのといれ──」 うにゅほがそう言い掛けたとき、二階のトイレから水を流す音がした。 「行ってきます……!」 「いってらっしゃい」 俺は、うにゅほに敬礼すると、小走りでトイレに駆け込んだ。
しばしののち、 「ふー……」 スッキリ。 洗面所で手を洗っていると、階下からうにゅほが現れた。 「はい、あかだま」 常備薬の、赤玉はら薬だ。 「ありがとな」 うにゅほの頭を撫でようとして、やめる。 ちゃんと手を洗ったとは言え、トイレから出たばかりだ。 「へんなのたべてないなら、おなかだしてねてたのかなあ……」 「可能性はある」 「おなかなでる?」 「お願いします」 どうにも腹の調子が悪い一日だった。
2018年10月12日(金)
「ふー……」 以前に書いた小説の改稿作業を終え、大きく伸びをした。 「おわったの?」 「終わった」 「おつかれさま!」 ここ二週間ほどかかりきりだったのだが、ようやく手が空いた。 もっとも、やるべきことは幾らでもあるのだけれど。 「とりあえず、今日はゆっくりしようかな。読書もいいし、ゲームでも──」 そう言い掛けたとき、 「──うッ」 唐突に、右腕が重くなった。 「どしたの?」 「いや、なんか……」 何が起こったのか、自分でもよくわからなかった。 「右腕が、急にだるくなって」 「きゅうに?」 「ああ」 「みして」 作務衣の右袖をまくり上げ、うにゅほに右腕を差し出す。 もみ、もみ。 うにゅほが俺の右腕を揉んだ。 「うで、ぱんぱん……」 「マジで」 「にのうでも、かたも、すーごいかたい」 「左は?」 「んーと」 もみ、もみ。 「ひだりは、そうでもない」 どうして右腕だけ。 「◯◯、みぎてだけでうでたてふせとか、した?」 「してない。できないし」 「だよねえ……」 「悪いけど、ちょっとマッサージしてくれるか。だるくてつらい……」 「わかった」 うにゅほのふわふわマッサージをしばらく受けていると、だるさがだんだん取れてきた。 「……ありがとな。だいぶよくなった」 「もうだいじょぶ?」 「たぶん」 「つらくなったら、いってね」 「遠慮なく言うぞ」 原因はよくわからなかったが、治ったからいいや。
2018年10月13日(土)
「──あ、そうだ」 「?」 「明後日、××の誕生日じゃん」 「うん」 「誕生日デートで、映画観に行こうぜ」 「いく!」 うにゅほが目を輝かせる。 「まえいってたやつ?」 「そう。"カメラを止めるな!"ってやつ」 「ぞんびでるやつだっけ……」 「"ゾンビランド"は面白かっただろ」 「おもしろかった!」 「総製作費300万円だから、出てきても安っぽくて怖くないんじゃないかな」 「それ、おもしろいの?」 「この映画の面白さは、お金をかけられる部分とは関係ない──らしい」 「らしいの」 「だって、まだ観てないもん」 「そだね」 「先にひとりで観たら怒るだろ」 「おこる」 映画を観るだなんて、俺たちにとっては一大イベントだ。 うにゅほを置いてひとりで行くなんて選択肢は、はなから存在しない。 「さて、上映時間は──」 キーボードを叩き、行きつけのシネコンのサイトを開く。 「げ」 「どしたの?」 「朝からと夜からしか上映してない」 「ひるは?」 「すっぽり抜けてる」 「あー……」 「夜だと絶対混むよな」 「こんでるの、やだな……」 「じゃあ、朝一択だ」 「◯◯、おきれる?」 「頑張る」 「そか」 「起きなかったら、叩き起こしていいから。思いきりビンタしていい」 「しないけど……」 「つねってもいいぞ」 「それくらいなら」 「起きれなかったら、絶対後悔するからな……」 「……わかった。ほんきでおこす」 「頼むな」 「うん!」 うにゅほが、覚悟を決めた表情で頷く。 起きなかったら何をされるのか、怖いような、興味があるような。
2018年10月14日(日)
パワーボールというトレーニング器具を購入した。 「……?」 俺の手に握り込まれたパワーボールを、うにゅほが不思議そうに覗き込む。 「これなに?」 「パワーボール」 「ぱわーぼーる」 「これを使って、前腕部の筋肉を鍛えるのだ」 「……にぎにぎするの?」 「にぎにぎしない」 「どうやるの?」 「見てな」 野球のボールより一回り小さいそれの内部には、更に小さいボールが内蔵されている。 一部露出した内部のボールを、両手の親指を使って矢印の方向にしばらく回し、指を離す。 すると、
ぶいー……
「──まわった!」 内部のボールが回転を始めた。 「そうしたら、手首を使ってパワーボール自体を回転させて──」
ブウゥ──────ン……
内部のボールの回転に合わせて手首を動かすことで、回転数が徐々に上がっていく。 回転数の上昇は、高くなっていく音でも判断することができる。 「おー……」 「とまあ、こんな感じ」 「……?」 うにゅほが小首をかしげる。 「なんで、うで、きたえれるの?」 「回転数が上がると負荷が上がって──まあいいや。やってみればわかるよ」 パワーボールをうにゅほに手渡す。 「矢印の方向にボールを回して」 「うん」 「止まるまで回して」 「んッ、んッ!」 「回したら、指を離す」
ぶいー……
「まわった!」 「中のボールが回ったら、パワーボールを握り込んで、手首を使って回す」 「んッ! んにッ!」 「──…………」 「んいッ! いッ!」 内部のボールの回転が止まる。 「まわらない……」 「手首、回ってなかったぞ」 「!」 「上下にしか動いてなかった」 「もっかい」 何度やっても回らない。 「つかれた……」 「……まあ、うん」 不器用だなあ、とは言わないでおこう。 「あ、つかれたから、きんにくつくかも」 「そういう道具じゃないです」 「そか……」 まあ、前腕部ムキムキのうにゅほなんて見たくないから、これでよかったと思うことにしよう。
2018年10月15日(月)
「──…………」 目を覚ます。 「あ、おきた」 寝顔を見ていたのか、うにゅほがベッドサイドに立っていた。 「いま何時?」 「うーと、はちじ、にじゅうごふん」 「余裕だな」 「はちじはんになったら、おこそうとおもってた」 「ビンタされずに済んだか……」 「しないよー」 うにゅほが苦笑する。 「××」 「?」 「誕生日、おめでとう」 「うん!」 今日は、うにゅほの誕生日である。
「"カメラを止めるな!"、面白かったな!」 「おもしろかった!」 「これはたしかにネタバレ厳禁だわ」 「おかあさんに、どんなえいがかきかれたら、どうしよう」 「父さんと一緒に観に行けって言えばいいよ」 「そか」 「帰り際、喫茶店でも寄ってくか。お昼も食べたいし」 「いつものとこ?」 「いつものとこは逆方向。今日は、別のチェーン店を開拓しよう」 「いいねー」 ケーキ以外の甘いものに舌鼓を打ちながら、一時間ほど映画の話で盛り上がる。
古着屋、本屋、ゲームセンター── デートをたっぷり楽しんで帰宅すると、既に日が暮れかけていた。 夕飯はカレーだった。 カレーとバースデーケーキの食い合わせはどうなんだろうと思ったが、うにゅほが喜んでいたのでなんだっていいや。 両親からの誕生日プレゼントは、安定の図書カード。 弟からのプレゼントは、ネイルケアセットだった。 「ほんやいくの、あしたにすればよかったね」 「たしかに」 俺からのプレゼントは、 「ちょっとお高めのヘアケアシャンプーと、トリートメントのセットです」 「わあ!」 「弟のネイルケアセットと合わせて、いい女になるがいい」 「うん、いいおんなになる」 うにゅほと出会って、ちょうど七年。 幸せな毎日を過ごしている。
2018年10月16日(火)
「ない」 「……ないねえ」 近所のホームセンターに、ダンボール箱入りのペプシが入荷していない。 震災のあとから急に品揃えが悪くなった気がする。 「しゃーない、別の店を探そう」 「そだね」 慣れたものだ。 ホームセンターを出ると、パラパラと降っていた小雨がやんでいた。 ミラジーノに乗車し、駐車場を出る。 「あのサツドラは確実に置いてるけど、ちょっと遠いんだよなあ」 「うん」 「アークスは近いけど、数が不安定だし」 「かいんず、なんでないんだろうねえ……」 「スペースと値札はあるんだよな」 「あった」 「にも関わらず常にないってことは、入荷が少ない上に、タイミングが悪いんだと思う」 「そか……」 しばしミラジーノを走らせていると、 「──……?」 うにゅほが口をつぐみ、前方に目を凝らした。 「どした」 「なんか、にじいろ……」 「虹色?」 運転をおろそかにしない程度に、ほんのすこし目を細める。 「……たしかに、うっすら虹色がかってるな」 虹色の光が街を覆っているように見える。 「にじかなあ」 「虹にしては太すぎないか?」 「ふといにじ……」 「そんなの、あるのかな」 「わかんない」 だが、虹の太さが一定と決まっているわけでもあるまい。 「なんか、珍しいものを見た気がする」 「そだね」 「いいことあるかもよ」 「なにかな」 「五百円拾うとか」 「うーん……」 「千円拾うとか」 「おかねからはなれたい」 「図書カード拾うとか」 「きのうもらった……」 少なくとも、気分は悪くない。 虹を見るのもいいものだ。
2018年10月17日(水)
ブウゥ────ン……
左手でパワーボールを回しながら、ぼんやりと動画を眺める。 「◯◯、それ、よくまわせるねえ……」 「慣れじゃないかな」 「なれ……」 「慣れる以前に、まずコツを掴む必要があるとは思うけど」 「うーん」 「──って、腕パンパンだ」 パワーボールの回転を止めて、左腕を揉む。 「"ながら"でできるわりに、負荷大きいんだな……」 「そなの?」 うにゅほが俺の左腕に触れる。 「わ、かたい」 「筋肉痛になりそう」 「そんな、すごいうんどうに、みえないのにねえ……」 「傍から見れば、ボール持って手首回してるだけだからな」 「うで、そんなつかれるの?」 「いちおう、最大で16kg相当の負荷がかかるらしい」 「じゅうろっきろ」 「ペプシのダンボール箱を片手で持つよりすごいってことになる」 「!」 うにゅほが目をまるくする。 「そんなにすごいの?」 「数値上は」 「……ほんとに?」 「あくまで数値上はな」 「ちがうの?」 「実際、ダンボール箱を片手で持ったほうが腕に来ると思う」 「そなんだ……」 「回したあと、持ってみる?」 「みる」
ブウゥ──────ン……!
右手でパワーボールを可能な限りの高速で回転させる。 「両手出して、落とさないように」 「はい!」 パワーボールを、うにゅほに手渡す。 「──わッ! わ、わわ!」 うにゅほの両手の中で、パワーボールが暴れる。 やがて、内部のボールに指が触れたのか、回転が徐々に止まっていった。 「ふー……」 「これを握力で制御しながら、ずっと回し続ける」 「うで、ぱんぱんなるはずだねえ……」 「だろ」 デスクで手軽に筋力トレーニング。 なかなかに悪くない。
2018年10月18日(木)
「……寒い、気がする」 冬用の靴下を履き、半纏を羽織り、ブランケットを膝に掛けている。 だが、それでも寒い。 「いま何度?」 「うーと、にじゅうにど」 「22℃でこれか……」 これから先が思いやられる。 「××は寒くないの?」 「はだざむい、かなあ」 「うーん。冷蔵庫でキンキンに冷やした水をがぶ飲みしてるからかなあ……」 「それだとおもう……」 俺もそう思う。 「そんなにのどかわくの?」 「渇くわけじゃないけど、あると飲んじゃう」 「かたづけとく?」 「そうだな。冷蔵庫に入れといて」 「わかった」 うにゅほが、半分ほど中身が減ったペットボトルを冷蔵庫に仕舞う。 「みずは、のどかわいたらにしましょう」 「はい」 「よろしい」 「それはそれとして寒いのは変わらないから、膝に──」 途中で言葉を止める。 「?」 うにゅほが小首をかしげた。 「そんなんどうだっていいから、冬のせいにして、暖め合おう!」 「はい」 うにゅほが膝の上にちょこんと座る。 「まだふゆじゃないけど、さむいもんね」 俺の台詞に違和感はないらしい。 「いや、いまの、なんかの歌の歌詞でさ」 「へえー」 T.M.Revolutionだっけ。 「じゃあ、あたためあわない?」 「暖め合おう、うん」 うにゅほを背中から抱き締める。 暖かい。 「あったかいねえ」 「持つべきものは人肌よなあ」 「うん」 うにゅほには、今年も湯たんぽになってもらおう。
2018年10月19日(金)
Amazonから荷物が届いた。 「なにかなー」 「なんだと思う?」 「わかんない!」 考える素振りすら見せない。 「まあ、開ければ済む話だもんな」 「うん」 「では、開封の儀を執り行う」 ダンボール箱を開き、中身を取り出す。 「あ、これ、ふっきんのやつ?」 「そう、腹筋のやつ」 腹筋のやつことアブローラーである。 「したにあるのに……」 「まあ、そうなんだけど」 父親がドン・キホーテで買ってきたアブローラーが、いまでも一階に置いてある。 「あれ、弟が使ってるじゃん」 「うん」 「勝手に持ってくると、怒るじゃん」 「うん」 「でも、自分の部屋でやりたいじゃん」 「なるほど……」 「それに、安いんだよな、これ」 「そなの?」 「千円ちょっと」 「やすい……」 「部屋にあれば、暇なときやるかと思って」 「ふっきん、ばきばきにするの?」 「バキバキにする」 「おー」 「××も、バキバキにする?」 「しない」 「それがいい」 ムキムキマッチョマンのうにゅほというのも、あまり見たくはないし。 「多少は鍛えておいたほうが、スタイルはよくなるらしいけどな」 「そなんだ」 「お腹、ぽっこりしてない?」 「してない」 「本当に?」 「……と、おもう」 「どれ」 「うひ」 うにゅほのお腹を撫でる。 「お腹、へこませてない?」 「ない」 「じゃあ、大丈夫かな……」 「でしょ」 とは言え、油断はできない。 たまには一緒に筋トレするのもいいだろう。
2018年10月20日(土)
予定があったので、午前十時にアラームをセットした。 起床すると、まだアラームは鳴っていなかった。 「──…………」 むくり。 「あ、おきた」 「いま何時……」 「うーと、じゅうじ、じゅっぷんまえ」 「……あと十分寝れるな」 「おきないの?」 「あと十分寝る……」 ばたん。 「おきたらいいのに……」 うにゅほの言うことも、よくわかる。 だが、それでも人は、僅かな睡眠を尊ぶのだ。 もともと半寝ぼけだった意識が、あっという間に夢へと滑り落ちていく。
──長い、長い夢を見た。
その内容は、日記を書いている今や、思い出すことは叶わない。 だが、一大叙事詩とは行かずとも、長編小説の一編ほどの長さはあっただろう。 起きた瞬間に感じたのは、ある種の満足感と、焦燥感。 確実に寝過ごした。 慌てて飛び起き、充電しっぱなしのiPhone引っ掴んで時刻を確認する。 「──…………」 「やっぱしおきるの?」 「……××、いま何時?」 「くじ、ごじゅうごふんくらい」 「マジで」 「なにが?」 うにゅほが首をかしげる。 「リアル邯鄲の夢だ……」 「かんたんなゆめ?」 「いま、この五分で、すごい長い夢を見てたんだよ」 「すぐおきたのに」 うにゅほにとっては五分でも、俺にとっては遥かに長い時間だったのだ。 「……起きるか」 「あとごふんあるよ」 「まあ、うん。目、覚めちゃったし」 「そか」 アラームを鳴る前に解除して、うんと伸びをする。 面白い体験だった。
2018年10月21日(日)
「──…………」 うと、うと。 マウスを握りながら、船を漕ぐ。 「◯◯?」 「!」 はッ、と姿勢を正す。 「ねむいの?」 「寝てない……」 「ねてたの?」 「……ちょっと寝てた」 うたた寝していたことを指摘されると、つい反射的に否定してしまうのは何故なのだろう。 かすかな罪悪感でも覚えているのだろうか。 「ぽかぽか陽気で、あったかくて……」 「ねるなら、ちゃんとねたほう、いいとおもう」 「そうなんだけどな」 うたた寝はうたた寝で心地よいのだ。 あふ、と小さくあくびをして、 「……なーんか、今日、ずっと眠いや」 「ほんとねむそうだね」 「休日はたいてい眠いけど、今日は特に」 「ねるの、おそかったの?」 「そうでもないと思うんだけど……」 「なんじかんねた?」 しばし思案する。 「……合計、六時間くらい?」 「あんましねてない……」 「あんまり寝てなかった」 「ねむいはずだねえ」 「たしかに」 たっぷり寝た気がしていたのは、ただの気のせいだったらしい。 「やっぱし、ちゃんとねたほういいよ」 「そうだな……」 うたた寝では睡眠のうちに入らない。 ベッドでまるくなると、うにゅほが布団を掛けてくれた。 「あとでおこす?」 「とりあえず、三十分で」 「わかった」 結局、あと十分、あと二十分と繰り返し、二時間ほど寝入って気づけば夕方なのだった。 気持ちよかったし、後悔はない。
2018年10月22日(月)
「ただいまー!」 母親と一緒に出掛けていたうにゅほが、意気揚々と帰宅した。 「おかえり。どこ行ってたんだ?」 「うへー……」 ぴたりと身を寄せて、上目遣いでこちらを覗き込む。 「わたし、なんか、ちがわない?」 「──…………」 じ、とうにゅほを観察する。 言われてみれば、たしかに、普段とはすこし雰囲気が違う気がする。 「美容室──じゃ、ないよな。髪型変わってないし」 「うん、ちがう」 「……もしかして、化粧した?」 なんだか目元がハッキリしたように感じる。 「おしい」 「惜しいのか……」 「わかんない?」 「参った、わからない」 両手を挙げて、降参の意を示す。 「まつげパーマ、してきたの」 「……まつげパーマ?」 聞いたことのない単語だ。 「かお、よこからみて」 「ああ」 うにゅほの横顔を注視して、ようやく理解する。 「──まつげがカールしてる!」 「うん」 もともと長めなうにゅほのまつげが、くるんと上に曲がっていた。 「へえー、けっこう印象変わるもんだな」 「でしょ」 どちらかと言えば素朴な印象を受けるうにゅほの顔が、すこし華やいで見える。 「◯◯も、まつげパーマ、する?」 「俺はいいよ」 どうでも。 「そか……」 「でも、まだまだ弟の域には手が届かないな」 「(弟)、まつげながいもんねえ」 「ラクダみたいだもんな」 「らくだ……」 弟のまつげは、人種が違うんじゃないかってくらいに長い。 「あれにパーマかけたら面白そう」 「おもしろそう!」 「絶対嫌がるけどな」 「そだねえ……」 ひと笑いのためにサロンへ行くほどサービス精神旺盛な性格はしていない。 想像に留めておこう。
2018年10月23日(火)
病院からの帰り際、古着屋へ立ち寄った。 「なにかかうの?」 「んー……」 特に目当ての品があったわけではない。 「まあ、秋用のジャケットとか」 「さむいもんね」 「××、気になるものある?」 「わたしはないかなあ……」 「そっか」 数着のジャケットを試着してみたものの、いまいちしっくり来ない。 「……帰るか」 「そだね」 駐車場へと足を向けたとき、ふと、古靴のコーナーが気になった。 「靴見てっていい?」 「くつかうの?」 「ひとまず見るだけな」 中古の靴は、現品限りだ。 デザインが好みでも、サイズが合うとは限らない。 だが、 「──このスエードのブーツ、悪くないんじゃないか。28cmだし」 「はける?」 「試してみる」 左足の靴を脱ぎ、靴下を履き直して、ブーツに爪先を差し込んだ。 「お」 「はけた!」 「いいな、これ。履き心地も悪くない」 「かう?」 「買いましょう」 お買い上げである。 ホクホク顔で車に戻ると、心配顔でうにゅほが言った。 「でも、だいじょぶかな」 「うん?」 「みずむし」 「──…………」 たしかに。 「……帰ったら、内側をアルコール消毒しよう」 「そのほういいとおもう」 頼むぞ消毒用エタノール。 白癬菌を駆逐するのだ。
2018年10月24日(水)
PCに向かい、キーボードに指を乗せながら、うにゅほに話し掛ける。 「××さん」 「はい」 「なんか話して」 「あ、かくことないやつだ」 「書くことないやつです」 「きょう、なにもなかったっけ」 「特筆すべきことは特に思い浮かばないなあ」 「ばんごはん、ゆどうふだったよ」 「湯豆腐だったな」 「おいしかった」 「美味しかったけど、美味しかったとしか書くことないぞ」 「だめなの?」 「いちおう人が読むことを想定してるから、食べたものを羅列するだけってのもなあ」 「むずかしいねえ……」 「難しいんです」 「あ、ふっきんのころころ、やった?」 「アブローラーか」 「うん」 「あれ、毎日やると逆によくないんだって」 「そなの?」 「らしい」 あいだに超回復を挟むことで、より効果が見込めるのだとか。 「(弟)、まいにちやってる」 「やってるな」 「でも、ふっきん、われてない」 「毎日やってるからかな……」 「そうかも」 なんとなく、刃牙のジャック・ハンマーを思い出す。 「よし、だいぶ書けたぞ」 「よかった」 「××のおかげだな」 「でも、それ、にっきなの?」 「──…………」 痛いところを突く。 俺は、ブラウザを呼び出し、辞書を引いた。 「日記。日々の出来事や感想などを一日ごとに日付を添えて、当日またはそれに近い時点で記した記録」 「?」 うにゅほが小首をかしげる。 「日々の出来事や感想には違いないから、なにも問題ないな!」 「そか」 この日記は、"うにゅほとの生活"と題している。 たとえ会話に終始したとしても、それはうにゅほとの生活を描いたものに他ならないのだ。 文句があるなら法廷で会おう。
2018年10月25日(木)
落ち込むことがあった。 「──…………」 膝の上のうにゅほを、ギュウと抱き締める。 「どしたの?」 「うん……」 「だいじょぶ?」 「うん……」 「ほんとに?」 「うん……」 「そか」 「うん……」 うにゅほが、俺の右手に手を重ねる。 「よし、よし」 「……子供じゃないって」 「しってる」 苦笑する気配。 「おとなは、よしよししたらだめ?」 「──…………」 しばし思案し、答える。 「……いいけど」 「◯◯、いったんはなして」 「あ、うん」 抱き締める腕を緩めると、うにゅほが立ち上がり、今度は対面するように膝にまたがった。 そして、 「よし、よし」 俺の頭を、優しく撫でた。 「──…………」 「だいじょぶ、だいじょぶ。◯◯、つよいこ」 「子供じゃないんですけど……」 「つよいおとな」 「……強い大人、かなあ」 決してそうとは言い切れない。 むしろ、大人としてはだいぶ弱いほうな気がする。 そんなことを考えていると、うにゅほが俺を抱き締めた。 「ぎゅー」 「──…………」 「つよいこも、つよいおとなも、だめなときあるから」 「……ああ」 その一言で、すこし救われた気がする。 うにゅほが落ち込んだときは、俺が励ましてあげようと思った。
2018年10月26日(金)
「……右膝が痛い」 「まえとおなじとこ?」 「同じとこ」 「なおってなかったんだ……」 「そうみたい……」 眉をしかめ、うにゅほが言う。 「……ずっといたかったの?」 「いや、いったん治ったんだ。それは本当」 「そか」 「……実は、心当たりがまったくないわけじゃないんだよな」 「そなの?」 「エアロバイクを漕いだ次の日、痛んでる気がする。たまたまかもしれないけど」 「じゃあ、えあろばいく、だめ」 言うと思った。 「でもさ」 「?」 「エアロバイクって、膝に負担が掛からない運動の代表例みたいなものなんだよ」 「そなんだ……」 「そのエアロバイクで膝を痛めるのもおかしな話だよなって」 「うーん」 うにゅほが、大きく首をかしげる。 「……へんなこぎかた、してる?」 「エアロバイクで変な漕ぎ方って、よほどだと思うけど……」 「ぱそこんみながらこいでる」 「テレビ見ながら漕ぐのと同じだろ。キーボード打ってるならともかく」 「そだねえ……」 「ともあれ、一週間くらいはエアロバイクやめとこうか」 「びょういん」 「もう夜だし、明日土曜だし……」 「……まえもそうだった」 「う」 前回、膝を痛めたときも、同じ理由で病院へ行かなかったのだ。 「びょういんいきたくないから、いわなかったの?」 「そういうわけじゃ──」 すこしある。 「……あんまし、あるかないようにね」 「はい」 「しっぷ、はる?」 「お願いします」 しばらく安静にしていよう。
2018年10月27日(土)
──けたたましい音と共に、目を覚ました。 枕元のiPhoneが、緊急速報のアラートをがなり立てたのだ。 「◯◯! ◯◯……!」 うにゅほが駆け寄ってきて、俺の腕に抱き着いた。 血の気が引く。 震災から一ヶ月半、あの地震の恐怖を拭い去るにはまだ時間が必要だ。 「──…………」 うにゅほの肩に手を添えながらしばし固まっていたが、覚悟していた揺れは来なかった。 「……地震、じゃ、ないのか」 「そうなのかな……」 アラートの止まったiPhoneを手に取り、緊急速報の内容を確認する。 「──土砂災害?」 「どしゃ?」 「雨で、どこか土砂崩れを起こしたらしい」 「どこ?」 「……ここから車で一時間くらいのところかな」 「──…………」 うにゅほが、なんとも言えない表情を浮かべた。 「大変だし、大切なことだけど、もうすこし範囲を絞って──」 再びアラート。 「わ!」 「えーと、土砂災害の避難準備、だって」 「──…………」 うにゅほが、また、なんとも言えない表情を浮かべた。 「……もうすこし、範囲絞ってほしいな」 「うん……」 うち、関係ないし。 その後も、幾度も繰り返しアラートが鳴るものだから、すっかり目が冴えてしまった。 「まあ、地震じゃなくてよかったよ」 「そだね」 また地震が来るくらいなら、取り越し苦労のほうが百倍ましだ。
午後六時過ぎ、本日幾度めかのアラートが鳴り響いた。 「……避難の解除、だって」 「えー……」 「解除で音鳴らす必要なくない?」 「わたしもそうおもう……」 心臓に悪い一日だった。
2018年10月28日(日)
「……うーん」 ディスプレイの前で腕を組む。 「どしたの?」 「今日は、10月28日だ」 「うん」 「さて、何の日でしょう! ──を、やろうと思ったんだけど」 「なんのひしりーずだ」 「何の日だと思う?」 「うーと」 首をひねりながら、うにゅほが思案する。 「じゅう、じゅう、と、にーや、にや、にーはち、とにはち、とにや──」 しばしののち、答える。 「……とつやのひ?」 「とつやって?」 「ちめい……?」 十津谷。 ありそうだけど、存在しない。 「こたえ」 「速記記念日」 「そっき?」 「特殊な記号を使って、人の発言を書き記す手法のことだな」 「とつや……」 「とつやは関係ない」 「ごろあわせ、ないの?」 「語呂合わせ、ないんだよ」 「そか……」 「だから、あんまり面白くないなあって」 「ごろあわせ、したいな」 「すこし遡ってみるか」 「うん」 調べてみると、 「お、10月26日に語呂合わせあった」 「おー」 「これは難しいぞ」 「とにろ、とにむ、じゅにむ、じゅにろく、とつろく、とにむ、とにむ──」 しばしののち、答える。 「……じゅげむのひ?」 「"げ"はどっから出た」 「……うへー」 笑って誤魔化した。 「こたえは?」 「これ、絶対出ないよ。青汁の日、だって」 「あおじる……」 「青汁」 「じ、る、はわかるけど、あお、わかんない」 「"10"を、アルファベットの"I"と"O"に見立てて、青、だって」 「あいと、おー?」 「そう」 「……いおじる?」 「そうなるよなあ」 「むりがあるとおもう……」 「同じく」 アサヒ緑健さん、ゴリ押しが過ぎますよ。 しばらくのあいだ、10月の記念日を遡りながら談笑するのだった。
2018年10月29日(月)
両手を擦り合わせながら、呟く。 「さあ、末端が寒い季節がやってまいりました」 「そだねえ……」 俺も、うにゅほも、冷え性の気がある。 冬場はなかなかつらいのだ。 「そろそろ初雪が降るかもなあ」 「じゅういちがつだもんね」 「積もるのはずっと後だろうけど、そう考えると憂鬱だ……」 「そかな」 「××は、雪好きだもんな」 「すき」 「俺は嫌い」 「えー」 「正確に言うと、見るのは好き。かくのは嫌い」 「わたし、ゆきかきすき」 「知ってる」 「うへー」 へんなやつである。 うにゅほにとっては、雪遊びの一環なのかもしれない。 「除雪機あるから、だいぶ楽にはなったけどな」 「じょせつき、すごい。ばーって」 「ほんとな」 ジョンバで雪をまとめスノーダンプで雪捨て場へ運ぶのが馬鹿らしくなる効率である。 「でも、究極はあれだよ」 「どれ?」 「ロードヒーティング」 「あー」 雪かきをしたくないなら、そもそも積もらせなければいい。 面倒くさがりの発想である。 「だが、究極に思えるロードヒーティングにも、ひとつ問題がある」 「なに?」 「考えてみよう」 「うーと、たかい……」 「それもある」 「ひとつじゃない」 「気にしない」 しばしの思案ののち、うにゅほが首を横に振った。 「わかんない……」 「では、答えだ」 「うん」 「大雪のとき、雪の積もっていない敷地内と、積もっている道路とのあいだに段差ができる」 「あ」 「北海道の積雪量だと、下手すりゃ雪の壁になるな」 「くるま、でれない……」 「スロープを作るために、結局、雪かきみたいなことをする羽目になるわけだ」 「うまくいかないね」 雪のないところに住めば、今度は大きな虫が出てくる。 ままならないものだ。
2018年10月30日(火)
「はーさむさむ……」 帰宅し、階段を駆け上がる。 「おかえりー」 物音を聞きつけたのか、うにゅほが部屋の扉を開けて出迎えてくれた。 「は、どうだった?」 「虫歯じゃなかった。銀歯取れただけ」 「よかった」 「ガムの噛みすぎも問題だな……」 ダイエット中なので、ガムの消費が非常に激しい。 「ぎんば、くっつけたばっかだから、きょう、ガムかまないほうがいいかも……」 「そうする」 自室へ入り、作務衣に着替える。 「──って、部屋も寒いじゃん」 「うん、さむい……」 「ストーブ、灯油入ってないしなあ」 「うん……」 見れば、うにゅほも半纏を羽織っている。 「……エアコン、つけちゃう?」 「いいの?」 「必要なとき使わずに、なんのための家電か」 「たしかに……」 うにゅほが、うんうんと頷く。 「真冬になると使えなくなるんだから、いまのうちに酷使しておかないと」 「でんきだい」 「込み込みで家賃払ってますし……」 「そだった」 「そんなわけで、スイッチオン!」 ぴ。 エアコンが駆動音を響かせる。 しばらくして、 「おー……」 「文明の利器、ばんざい……」 痺れるような温風が頬を撫でていく。 「真冬まではこれで凌ごう」 「うん」 もう、エアコンのない生活には戻れない。 そんなことを思うのだった。
2018年10月31日(水)
「うーん………」 PCを睨みながら、うんうん唸る。 「どしたの?」 「PCの調子が悪い」 「だいじょぶ?」 「悪いから、WindowsUpdateをした」 「あっぷでーと」 「したら、もっと悪くなった」 「えー……」 うにゅほが、呆れたような顔をする。 「俺も同じ気持ちだよ……」 WindowsUpdateなど、もとより罠みたいなものだ。 それでも、不要な更新、有害な更新はチェックを外して行ったというのに、結果はご覧の有り様である。 「もう絶対やんねえ」 固く心に誓う。 「ちょうしわるいの、どうするの?」 「システムの復元しかないかなあ……」 「ふくげん、できるの?」 「機能としては」 「そなんだ」 「まあ、何度かやったことあるし、すぐに終わるさ」
一時間後── 「……終わらない」 「おわらないねえ……」 「アップデート直後だから、復元するものが多いのかもしれない」 以前は数分で終わった記憶があるのだが、それは考えないことにする。
二時間後── 「終わらない!」 「ながいねえ……」
三時間後── 「終わってくれえ……」 「わたし、そろそろねるね」 「おやすみ……」 「おやすみなさい」 ぺこりと一礼して、うにゅほがベッドへ向かう。 時刻はすでに十二時半。 MacBookで書いているこの日記は、果たして投稿できるのだろうか。 |