>> 2018年5月




2018年5月1日(火)

限界までリクライニングしたチェアに寝そべり、うとうとと口を開く。
「ゴールデンウィークだなあ……」
春風に長髪をそよがせながら、うにゅほが答える。
「ごーるでんうぃーくだねえ」
今年のゴールデンウィークは、平日二日を潰して九連休なのだった。
「あー……」
ごろん。
チェアの上で寝返りを打つ。
「……どっか行きたい気もする、けど」
「けど?」
「ねむい……」
「そか」
顔は見えないが、うにゅほが苦笑しているのがわかる。
「次の日が休みだと、つい夜更かししてしまう……」
「◯◯、まいにちよふかし」
「……朝更かし?」
「あさふかし」
「まあ、それはそれとして」
上体を起こし、軽く伸びをする。
「バイクの保険も戻したし、明日はどこか出掛けようか」
「んー……」
「?」
喜んでくれるかと思いきや、うにゅほが神妙な表情を浮かべた。
「うとね、あした、あめって」
「マジか」
風邪を引く恐れを押してまで雨の日に強行するほど、俺はバイク好きではない。
まして、うにゅほと一緒なら尚更だ。
「じゃあ、明後日かなあ」
「あさっても……」
「──…………」
リクライニングを戻し、PCで天気予報を確認する。
「げっ、5日までずっと雨か」
「うん」
「ごめん、今日出掛けてればよかったな」
時刻は既に午後四時で、外の空気は肌寒くなり始めている。
今からでは、いささか遅いだろう。
「むいか、はれ?」
「6日は晴れって出てるな」
「じゃあ、むいか、どっかいこ」
「そうだな。予報が変わって晴れたら、その日でもいいし」
「うん」
どうせ、予定はひとつもないのだ。
5日の夜は、早めに寝よう。



2018年5月2日(水)

座椅子に腰を下ろしたうにゅほが、反り返って窓の外を見上げる。
「くもりー……」
「雨が降るのは夜だってさ」
「そか」
「今のうち、どっか行く?」
「んー」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「でかけたあと、あめがふらないともかぎらない……」
「たしかに」
出先で降られるのがいちばん困る。
「バイクにこだわってるわけじゃないから、車で出掛けてもいいけど」
「うとね」
うにゅほが、申し訳なさそうに言う。
「わたし、みたいのあるの」
「見たいの?」
「うん」
「何が見たいんだ?」
「さくら……」
「あー」
なんとなく理解する。
「もしかして、晴れてるときに見たいとか」
「そう」
なるほど。
「じゃあ、晴れるのを待たないとなあ……」
「うん……」
キーボードを叩き、天気予報を開く。
「予報、変わってないな。6日まで待たないとダメみたい」
「そか」
「なんかする?」
「なんか?」
「なんも思いつかないけど」
「でも、なんかしたいね」
「トランプ」
「トランプ……」
「大統領じゃないほう」
「うん」
「──…………」
「──……」
「考えてみたら、ふたりでトランプってしたことないな」
「ないとおもう」
「やってみるか」
「うん」
「えーと、ふたりでできるゲームってなんだろ。ジジ抜きとかかな」
「じじぬき?」
「待って、いまトランプ探すから」
ふたりでやったジジ抜きは、それなりに盛り上がった。
ふたりで遊べるトランプゲームを幾つか見繕ってみようかな。



2018年5月3日(木)

「……えー、残念なお知らせがあります」
「?」
ディスプレイを丁重に指し示す。
「6日、雨になりました」
「!」
「ほんとごめん。一昨日出掛けてれば……」
眠いだのなんだのと言ってる場合ではなかった。
「ずっとあめ?」
「7日まで、ずっと雨みたい」
週間天気の欄に、曇り時々雨のマークがずらりと並んでいる。
「そか……」
うにゅほの表情が目に見えて翳る。
「8日は晴れる、らしい」
五日後の天気予報など、どれほど信頼できるかわかったものではないが。
「……さくら、ちっちゃわないかなあ」
「そこだよな」
「うん……」
「仕方ない、こうしよう」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「晴れ間が差し次第、急いで出掛ける」
「いそいで」
「いつ雨が降り出すかわからないから、バイクはやめて車で吶喊だ」
「うーん……」
「ダメ?」
「くるまでもいいけど、もすこしゆっくりみたい……」
ですよね。
「いずれにしても、まず晴れないとなあ」
「うん」
「……てるてる坊主でも作る?」
「つくる」
「そう言えば、作ったことないな。ティッシュで作れるかな」
「やってみましょう」
「そうしましょう」
かくして、自室の窓際にふたつ、小さなてるてる坊主が鎮座することとなった。
本当、晴れてくれればいいのだが。



2018年5月4日(金)

ペプシの備蓄が切れた。
補充しようとホームセンターへ向かう際、雲の切れ間から陽光が射し込み、あたり一面が明るく晴れ渡った。
「──はれた!」
「よし」
対向車がいないことを確認し、Uターンする。
「わ」
「桜、見に行くぞ」
「うん!」
環状線を左折し、新川沿いを南下する。
すると、
「あ、さくら!」
10.5kmに及ぶ新川の桜並木が見えてきた。
「でも、散り際だな……」
「そだねえ……」
今年の桜は早咲きなのだと言う。
悪天候も重なり、例年より早く散ってしまったのだろうか。
「──…………」
「──……」
しばし無言で車を走らせていると、視界の端に白く瞬くものがあった。
「××、あれ!」
品種が違うのか、はたまた狂い咲きなのか。
枝振りのよい満開の桜が、花吹雪の向こうに悠然と立っていた。
「わあー……!」
車道の端に停車し、窓を開ける。
「きれい!」
「綺麗だな」
「うん!」
スマホを掲げる観光客を横目に、しばし見事な桜に見入る。
「急いで来て、よかったな」
「うん……」
「天気予報を信じて8日まで待ってたら、散ってたかも」
「◯◯」
「ん?」
「ありがと!」
「ん」
たっぷり桜を堪能したのち、帰宅した。
作務衣に着替えてくつろいでいると、ふと何かが脳裏をよぎった。
「……なんか忘れてる気がする」
「あれ、ペプシ……」
「あっ」
面倒だ。
ホームセンターへは、明日また行こう。



2018年5月5日(土)

ホームセンターで購入したペプシのダンボール箱を玄関に運び入れていると、ふとあることに気がついた。
「……名前、変わってる?」
「なまえ?」
「ほら」
ダンボール箱を持ち上げ、側面を示す。
「じぇいこーら、ぜろ」
「ストロングゼロじゃなくなってる」
「ほんとだ……」
「つーか、最初はペプシネックスだったよな」
「あじ、ちがうのかなあ」
「同じか、違っても大差ないと思う」
「そなの?」
「そこまで有意に違うのなら、まずは別フレーバーとして出すだろ」
「そだねえ」
「つまり、そういうこと」
「ふうん……」
「要するに、"新発売!"って名目で売り上げを伸ばしたいのさ」
「ずるい」
「俺もそう思う」
苦笑し、階段を上がる。
「ゴールデンウィークも、残り二日かあ」
「きょう、こどものひだって」
「俺たちには関係ないな」
「うん」
「明日は何の日だっけ」
「にちようび」
「あー……」
曜日感覚が完全に狂っている。
「ジャンプが水曜日発売だったのが悪い」
「あはは」
「九日間も休みだと、すんなり仕事に戻れるか不安だなあ」
「だいじょぶだよ」
「根拠は?」
「うん」
「ないんかい」
「うへー」
そんなこんなで、今日ものんびり過ごしました。



2018年5月6日(日)

「んあー……」
ソファの背もたれに沿って反り返りながら、上下反転した台所を見やる。
「?」
フリトレーのポップコーンの袋を抱えたうにゅほが、俺の顔を覗き込んだ。
「のびしてるの?」
「ゴールデンウィークの終わりを嘆いている……」
「あしたから、しごとだもんね」
「うッ」
思わず胸を押さえる。
「……仕事もせずに給料だけもらえる仕事をしたい」
「それ、しごと?」
「仕事とはいったい……」
哲学的思考に陥った俺を見て、うにゅほが苦笑する。
「ポップコーン、たべる?」
「食べる」
「あーん」
「あー」
バター醤油味のポップコーンが、舌でバウンドして上顎をノックする。
さく、さく。
「おいしい?」
「あー」
再び口を開く。
「はいはい」
ポップコーンが再び投入される。
さく、さく。
「あー」
さく、さく。
「あー」
「たくさんたべるねえ」
「美味い」
「そか」
しばしポップコーンを食べ進めるうち、
「ぐ」
「どしたの?」
「歯に挟まった……」
「つまようじ、いる?」
「お願いします」
姿勢を正し、爪楊枝の先を奥歯の隙間に突き立てる。
だが、
「……取れない」
「だいじょぶ?」
「××、あれなかったっけ。フロス」
「ぐろす?」
「デンタルフロス。糸。歯の隙間を掃除するやつ」
「なかったとおもう……」
「──…………」
舌先で奥歯をつつく。
妙な挟まり方をしたのか、異物感が尋常ではない。
「……ツルハ行く」
「ふろす、かいいくの?」
「行く」
「わたしもいく」
妙な姿勢でものを食べてはいけない。
ゴールデンウィークの最終日に、なにをやっているんだか。



2018年5月7日(月)

「──よし、今日の仕事終わり!」
「おつかれさま」
うにゅほが俺の肩を揉む。
もみもみ。
「こってますねえ……」
「凝ってますか」
「しごと、ひさしぶりだからかな」
「そうかも」
元から凝っていたような気もするが、そういうことにしておこう。
「みちのえき、あたらしいのできたんだって」
「道の駅?」
「さっきテレビでみたの」
「へえー」
「すーごいこんでるんだって」
「道の駅が?」
「うん」
「まあ、ゴールデンウィーク中に開業したなら、そんなもんか」
「じゅうたい、ななキロだって」
「……道の駅が?」
「うん」
よほど娯楽がないのだろうか。
「××さん」
「はい」
「その道の駅、行きたい?」
「?」
肩を揉む手が止まり、小首をかしげる気配がした。
「べつに……?」
「そう……」
本当に、ただテレビで見たことを話したかっただけらしい。
「まあ、そのうちバイクでどっかは行きたいよな」
「うん」
「行きたい場所、ある?」
「きっさてん、いきたいなあ」
「あー」
そう言えば、最近行っていない気がする。
「じゃあ、そのうち」
「そのうち」
「モスバーガーも忘れてないぞ」
「うん」
出掛ける予定が溜まっていく。
順々に消化して、また新しい予定を詰め込もう。



2018年5月8日(火)

「××さん」
「はい?」
「ふと思ったんだけど」
「はい」
「俺は男だし胃袋でかいからいいけど、ハンバーガーって普通は一食として数えるよな」
「そうかも」
「いま、午後三時じゃないですか」
「さんじ」
「おやつとして、行けそう?」
「もすばーがー?」
「うん」
「いく!」
うにゅほがその気なら、否やはない。
手早く支度を整えて、近場のモスバーガーへと車を走らせた。
「まえあたったの、なんだっけ」
「普通のモスバーガーとペプシかな」
「◯◯、なんにするの?」
「メニュー見てから決めるけど、いまのところは安定のテリヤキ」
「てりやき、おいしいもんねえ」
そんなこんなで最寄りの店舗に着くと、期間限定クリームチーズテリヤキバーガーののぼりが立っていた。
「──…………」
「──……」
視線が絡み合い、どちらともなく頷き合う。
クリームチーズテリヤキバーガーふたつとフレンチフライポテトが運ばれてきたのは、注文してからほんの五分後のことだった。
「思ってたより早いな」
「そだねえ」
以前は、もうすこし待たされた気がするのだけど。
「では、いただきます」
「いただきます」
大口を開けて、クリームチーズテリヤキバーガーにかぶりつく。
美味い。
正面のうにゅほを見やると、小さな口を一所懸命に開きながら、攻略すべき場所を見定めているところだった。
こう言ってはなんだが、可愛い。
口が小さいと、ハンバーガーを食べるのも一苦労らしい。
帰り際の車中、
「おいしかったねえ……」
うにゅほが満足げにおなかを撫でた。
「晩御飯、食べられるか?」
「だいじょぶ」
俺の心配をよそに、夕飯の麻婆春雨をぺろりとたいらげるうにゅほなのだった。
見た目より食べるんだよなあ、この子。



2018年5月9日(水)

右手に提げた買い物袋から、中身を取り出す。
「キュウリを買ってきました」
「きゅうりを……」
「本格的にダイエットをしようかと思いまして」
「きゅうりダイエット?」
「食前にキュウリを食べるだけで、痩せるらしい。なんかで見た」
「えー……」
うにゅほが胡散臭そうな顔をする。
「実を言うと、俺も信じてない」
「そなの?」
「なに食べるだけで痩せるとか、どれするだけで痩せるとか、そんなん聞き飽きたよ」
うにゅほが不思議そうに首をかしげる。
「なんできゅうりかってきたの?」
「そのダイエットの話を聞いて、間食を我慢する方法を思いついたんだ」
「ふんふん」
「まず前提として、俺はキュウリが嫌いだ。トマトと同じくらい嫌いだ」
「うん」
「なので、間食をする前に、キュウリを一本まるまる食べるという習慣をつけることにした」
「うん?」
「シュークリームだろうがモスバーガーだろうが事前にキュウリを食べなければいけないので、自然と間食が減るという寸法だ」
「うまくいくかなあ……」
「わからん」
実験的手法である。
自分自身に対する躾みたいなものだ。
「きゅうりたべたくないから、おやつたべなくなる?」
「そういうこと」
「おやつたべたいから、きゅうりたべるのすきになったりしない?」
「──…………」
「?」
その発想はなかった。
「……そのときは、ほら、好き嫌いがひとつなくなるから」
「あー」
「ともあれ、まずは一本食べてみよう」
「なんかつける?」
「塩でいいや」
というわけで、塩のみでキュウリをまるまる一本食べてみた。
「……うぶ」
「だいじょぶ?」
「吐きそう……」
「わあ」
これをするくらいなら、間食なんてクソ食らえだ。
しばらく続けてみようと思った。



2018年5月10日(木)

「──…………」
布団の下からのそりと這い出し、スマホの通話履歴を確認する。
父親の名前は、ない。
安堵の息を漏らすが、まだ夢と決まったわけではない。
「××」
「あ、おはよ」
「おはよう」
挨拶を交わし、本題に入る。
「父さん、事故ってないよな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「わかんないけど、じこってないとおもう……」
「……そっか」
ここに来て、ようやく、ほっと胸を撫で下ろす。
「いや、妙にリアルな夢見てさ……」
「どんなゆめ?」
「父さんから電話が掛かってきて、人を轢いたって言うんだよ」
「わ……」
「その言い方とか、そのときの感情の動きとかが、いかにもありそうでさ」
「こわいね……」
「夢でよかったよ、本当」
「うん」
「──…………」
ふと、ある可能性に思い至る。
家族の誰かが気を利かせて、うにゅほに話を通していないだけなのではあるまいか。
「……ちょっと、弟の部屋行ってくる」
「?」
弟に同様のことを尋ねると、
「それ、夢」
一蹴されてしまった。
「でも、あり得ないことじゃないから、怖いと言えば怖いね」
「だろ」
「兄ちゃんも安全運転しろよ」
「してるよ……」
運転免許証、青だけど。
自動車は、人を容易に殺傷し得る、"走る凶器"だ。
悪夢ひとつでそれを再認識できたことは、もしかすると僥倖だったのかもしれない。



2018年5月11日(金)

「◯◯、さんぽうろくたべる?」
「三方六……」
三方六とは、ミルクチョコレートとホワイトチョコレートで外皮を包んだバウムクーヘンである。
そのマーブル模様で白樺の木肌を表現しているらしい。
甘いもの好きの俺からすれば、垂涎の品である。
だが、
「……いい」
「たべないの?」
「食べない」
三方六を見た瞬間、その美味しさより先に、喉元から鼻腔へ突き抜ける青臭さが想起されてしまったのだ。
「きゅうり、や?」
「嫌だ、食べたくない……」
「そんなに」
「……××、昔、豆乳ダメだったろ。そんな感じ」
「でも、いまのめるよ」
うにゅほが小さく胸を張る。
「だから、◯◯も、きゅうりたべれるようになるよ」
「それだと本末転倒なんですが……」
「あ、そか」
「まあ、キュウリが食べられるようになったら、トマトでやるだけなんだけどな」
「◯◯、トマトきらいだもんね」
「生のトマトは、キュウリと同じかそれ以上に嫌い」
「あおくさいのがだめなのかな」
「たぶん」
「でも、りこぴんがふくまれています」
「××、リコピンが具体的にどう体にいいのかわからないで言ってるだろ」
「うへー……」
誤魔化すように、てれりと笑う。
「俺のぶんの三方六は、××が食べてくれ」
「んー」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「わたしも、やめとく」
「気にしなくていいのに」
「いっしょにたべたほう、おいしい」
「そっか」
手早くダイエットを成功させて、うにゅほと優雅なティータイムと洒落込みたいものである。



2018年5月12日(土)

「晴れた!」
「はれた!」
「暖かい!」
「あったかい!」
「絶好のバイク日和だ!」
「だ!」
「いえー」
「いえー」
うにゅほとハイタッチを交わす。
「いつもの喫茶店行って、スフレパンケーキ食べるか。考えごと、まとめておきたいし」
「うん!」
「ちょっと待って、キュウリ食ってくる」
「たいへんだねえ……」
だが、自分で決めたことだ。
河童のようにキュウリを貪り食ったのち、久方ぶりにバイクに跨った。
俺の腰にぎゅうと抱き着いたうにゅほを労るように、ゆっくりとアクセルを回していく。
「わあ……!」
二速、三速、四速、五速。
景色が左右に流れていく。
「きもちいねー!」
「そうだなー」
条件さえ整えば、バイクほど爽快な乗り物もそうあるまい。
本当のバイク好きは、冬であろうと悪天候であろうと構わず乗り回すのだろうが、そこまで行くと理解できない。
片道三十分ほどかけて、行きつけの喫茶店へと辿り着く。
いつものように注文を済ませ、さっそくとばかりにカバンからポメラを取り出した。
「ほら、iPhone。イヤホンも」
「ありがと」
「最近、なんの動画見てるんだ?」
「うーとね、まいんくらふとのやつ」
「よゐこの面白かったもんな」
「うん」
時折追加注文をしつつ、頭の中身をポメラに出力していく。
曖昧だったアイディアが、言語という形を得て、広がり、そして、まとまり始める。
「ふー……」
コーヒーカップの底に溜まったグラニュー糖を噛み潰し、小さく伸びをする。
あっと言う間に二時間が経過していた。
「かんがえごと、できた?」
「ああ」
「きっさてん、もっとちかくにあればいいのにねえ」
「わかる」
太りそうだけれど。
バイクの初乗りもできたし、喫茶店にも行けたし、なかなか有意義な一日だった。



2018年5月13日(日)

母の日である。
今年は、ふたりでお金を出し合って、瓶詰めにしたカーネーションのハーバリウムをプレゼントした。
「はーばりむ」
「ハーバリウム」
「はーばりうむ」
「そう」
うにゅほが小首をかしげて言う。
「はーばりうむ、きれいだけど、なんていみ?」
「植物標本のことらしい」
「ひょうほん……」
「ドライフラワーをオイルに漬け込んで、長持ちさせてるんだってさ」
「へえー」
うんうんと頷く。
「おかあさん、よろこんでたね」
「喜ぶのはいいけど……」
「けど?」
「あそこに飾るのは、どうかな」
「ストーブのうえ?」
「ああ」
「へんかなあ」
「変じゃないけど、危ない。いまはいいけど冬場はマズい」
「あ、そか」
ぽん。
うにゅほが胸元で手を合わせた。
「オイルって、あぶらだもんね」
「しかも、縦長の瓶だからな。地震で倒れてストーブに落ちたら、一発で火事だ」
「あぶない……」
「寝室にでも置いてもらおう」
「うん」
両親の寝室が油まみれになるぶんには、単に清掃が面倒なだけで済む。
「……問題は、母さんの誕生日に何を贈るかだ」
「そだね……」
母親の誕生日は、母の日から二週間と離れていない。
かと言って、ひとまとめにするほど近くもないので、何をプレゼントすべきか毎年悩むのである。
「せめて、一ヶ月くらいあればなあ」
「うん……」
通販を利用するのなら、あと一週間少々で決めなければならない。
喜んでもらえるように頑張ろう。



2018年5月14日(月)

「──……はー」
ぐったりとチェアに座り込む。
起床してからたったの数分で、ここまで疲れたことはない。
「どしたの……?」
うにゅほが心配そうに尋ねる。
「ごめんな、バタバタして」
「でんわきてたけど……」
「うん。最初から説明する」
iPhoneを両手で弄びながら、言葉を探す。
「──まず、電話な。母さんからだった」
「おかあさん」
「着信音で叩き起こされて電話に出たんだけど、母さん何も言わなくてな」
「うん」
「時折、くっ、くっ、みたいな感じで、泣き声みたいな音が聞こえてきたんだ」
「え……」
うにゅほの顔が青ざめる。
「あー、心配しなくていい。結果的には何もなかったから」
「……ほんと?」
「あったら、こんなのんびりしてないよ」
「そか……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「何を言っても返答ないから、いったん切って父さんに掛けたんだ。ほら、父さんが事故った夢見たばっかだし」※1
「うん」
「父さんに何事もなかったことを確認して、母さんに掛け直したらさ」
「かけなおしたら?」
「……普通に出た」
「ふつうに……」
「なんか知らんうちに俺に掛けてたらしくて、泣き声みたいのは歩いてるときの物音じゃないかってさ」
「あー」
「無駄に心配して、無駄に疲れた……」
「おつかれさま」
うにゅほが俺の頭を撫でる。
「でも、なにもなくてよかったねえ」
「そうだな……」
電話に出た瞬間、日常の壊れる音を聞いた気がした。
取り越し苦労で、本当によかった。
「……半端に起こされたから、眠い」
「おやすみなさい」
二度寝して起きると、正午だった。
寝過ぎた。

※1 2018年5月10日(木)参照



2018年5月15日(火)

「あちー……」
「はちーねえ……」
ぐでー。
フローリングの床が、冷たくて気持ちいい。
「いま何度ー……?」
「うと」
隣に寝そべっていたうにゅほが上体を起こし、温湿度計を覗き込んだ。
「にじゅうはってん、ごど……」
「……窓開いてる?」
「あいてる」
「だよなあ」
さっき俺が開けたばかりだもの。
「うーしょ」
「うぐ」
「ほー」
俺の背中に覆いかぶさったうにゅほが、耳元でほっと息を吐く。
くすぐったい。
「××さん、××さん」
「はい」
「暑くない?」
「あついねえ……」
「──…………」
「──……」
下りる気はないらしい。
仕方ない。
体温でぬくまった床に別れを告げ、より涼しい場所を求めてにじにじと匍匐前進を始める。
「おー!」
楽しそうだ。
せっかくなので、更に楽しませてみよう。
「よいしょ、と」
「わ」
うにゅほを背中に乗せたまま、四つん這いになる。
どたどた。
「あはははは! すごい!」
しばし這い回った結果、
「──……あつ……」
「はちーねえ……」
ぐでー。
我ながら、何をやっているのだか。
楽しいからいいけど。



2018年5月16日(水)

キッチンの冷蔵庫でチューハイを発見した。
銘柄は、既に缶を潰してしまったので、よくわからない。
アルコール度数は高かったように記憶している。
「◯◯、よっぱらった?」
「ほろ酔い」
「ほろよいって、どんなかんじ?」
「××、間違って、俺のお酒飲んだことあったじゃん」※1
「そだっけ……」
覚えていないらしい。
「そうだなあ」
右手をぐーぱーさせながら、全身の感覚を言語化していく。
「まず、頭がすこし重い。ふらふらする」
「ふらふら」
「視覚や聴覚が鈍くなって、世界が遠くなる。現実感が薄くなる感じ」
「げんじつかんが……」
「あとは、若干火照るくらいかな」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「なんか、あんましだね」
「そうか?」
「うん」
「酔っ払ったときの××、すげー楽しそうだったけど」
「おぼえてない……」
「覚えてなくていいよ、うん」
あのときのうにゅほ、厄介この上なかったし。
「──…………」
じ。
うにゅほが、飲みかけの缶チューハイを見つめる。
「ダメだぞ」
「うん」
「次の日、二日酔いで死にかけたんだから」
「──あっ」
「思い出した?」
「おもいだした……」
うにゅほの顔が青く染まる。
「おさけはだめだ……」
「そうそう。お酒なんて、飲まないに越したことはない」
そう言いつつ、缶チューハイをあおる。
「◯◯はいいの?」
「一本か二本程度なら、大丈夫」
「そか……」
「ところで××さん」
「はい?」
「嗅がせろー!」
「ひや!」
うにゅほを抱き寄せて、その首筋に鼻を埋める。
笑い上戸、泣き上戸、種々様々な上戸があるが、俺は嗅ぎ上戸なのかもしれない。
ただし、うにゅほの匂いに限る。

※1 2015年4月2日(木)参照



2018年5月17日(木)

「──…………」
「──……」
目を皿のようにして、花壇の周囲をぐるりと回る。
「いた?」
簡潔な俺の質問に対し、うにゅほが首を横に振る。
「……不気味だな」
「うん……」
我が家は、過去に二度、アリの被害に遭っている。
吸蜜性の小さなアリが、屋内に道を作るのだ。
去年は、ダスキンの害虫駆除サービスによって、いちおうの決着を見たのだが──
「……あのあと、また、繁殖してたよな」
「してた……」
プロの手による駆除を経ても、アリは全滅しなかった。
屋内へ再び侵入することこそなかったものの、花壇は相変わらずアリどもの城のままだったのだ。
「そりゃ、いないに越したことないけどさ……」
「もやもやする」
「わかる」
悪魔の証明だ。
アリがいれば、対処すればいい。
そのための道具は既に揃えてある。
だが、アリがいないことを確信するためには、それこそ花壇を掘り返すほどの手間が必要となる。
「……仕方ない、引き上げよう」
「いいの?」
「よくはないけど、どうしようもない」
「そか……」
「まったくいないなら安心してもいいけど、ごくたまに一、二匹だけ見かけるのがな……」
「こわいよね」
たまたま通り掛かった無関係なアリならいいのだが、楽観はできない。
「花壇は定期的に。今後は、家の周囲も捜索範囲に入れよう」
「はい」
今年こそ、アリから家を守るのだ。



2018年5月18日(金)

『──しやー……もー……』

どこか遠くから、ノイズ混じりの声が聞こえてくる。
「あ、いしやきいもだ」
「……五月に?」
さすがに季節外れではあるまいか。

『──いしやー……いもー……』

「本当だ……」
「ね」
うにゅほが小さく胸を張る。
「石焼き芋って、秋と冬しかやってないんだと思ってた」
「わたしも」
「年中やってるのかな。知らないだけで」
「そうかも」
「……でも、真夏に石焼き芋は、さすがに売れないだろうなあ」
「うん……」
SNS隆盛のこの時代、逆に話題になりそうではあるけれど。
「ふと思ったんだけど」
「?」
「焼き芋屋さんって、シーズンオフのときは何やってるんだろうな」
「あー」
「売り上げで一年食っていけるのかな」
「いも、つくってるのかも」
「農家のひとの副業ってこと?」
「うん」
「ありそうだな……」
と言うか、それが答えのような気がする。
「なかなかやるな、××」
「うへー」
うにゅほが得意げに笑う。
「……それにしても、今日は冷えるな。寒いから焼き芋売ってるのかも」
「かも」
「××、こっちゃ来い」
「はーい」
うにゅほを膝に乗せて、暖を取る。
焼き芋も温まるが、やはり人肌がいちばんである。



2018年5月19日(土)

「おっと」
足元に落としたペットボトルの蓋を拾い上げようとしたとき、

──びき!

「はう!」
腰のあたりに一筋の電流が走った。
「わ」
膝の上のうにゅほが、目をまるくして振り返る。
「どしたの?」
「腰が……」
「いたいの?」
「痛いというか……」
「わたし、おりたほういい?」
「乗ってて。寒いし」
「はい」
うにゅほを左手で抱き締めながら、ゆっくりと背筋を伸ばしていく。
「──……んー」
「だいじょぶ……?」
「次は、回してみる」
「うん」
デスクを両手で掴み、チェアを徐々に捻っていく。
まずは、左。
「ぐー……」
次は、右。
「んいー……」
最後に、もう一度左。
「ん゙ッ……」
問題はない。
再度、ペットボトルの蓋を拾う動作をしてみる。
「……んー……?」
「いたい?」
「痛くはない」
「さっき、どしたんだろうね」
「さあー……」
再現性はないが、そこはかとない腰痛の予感がする。
気をつけておこう。



2018年5月20日(日)

──びき!

「ゔッ……」

──びき!

「おフ!」

──びき!

「ぎッ……!」
唐突な痛みに、思わず背筋が反り返る。
「だいじょぶ……?」
「大丈夫、大丈夫……」
日常生活の至るところで、前触れなしに腰が痛む。
痛み自体は大したことないのだが、急に襲い来るのが面倒だ。
「腰に悪いこと、した覚えないんだけどなあ」
「こしにわるいこと……」
「重いもの持ったり」
「あー」
「急に走ったり、急に捻ったり」
「してないよねえ」
「……もしかして、寝過ぎかな」
「ねすぎ?」
低気圧のためか、ここしばらく、ベッドから抜け出せない日々が続いていた。
それで腰を痛めたのかもしれない。
「あんせいにしてたのに、こし、いたくなるの?」
「そういうときもある」
「こしいたいとき、あんせいにするのに?」
「まあ、うん……」
なんと説明してよいやら。
「過ぎたるは猶及ばざるが如し、と言いましてな」
「はい」
「度が過ぎると、なんでもよくない」
「ねすぎはよくない?」
「そうなりますね」
「そか……」
寒暖差、気圧差が激しいと、睡眠時間がどんどん長くなってしまう。
俺の腰のためにも、さっさと安定してほしいものだ。



2018年5月21日(月)

「犬を撫でたい」
「いきなり……」
「××も、これを見れば、同じ結論に至るはず」
「?」
うにゅほを手招きし、膝に乗せる。
そして、犬のおもしろGIF画像集を開いてみせた。
数分後、
「いぬなでたい……」
「な?」
「うん」
「猫もいいけどなー」
「いぬがいいな」
「柴かな」
「しばすき」
「コーギーもいいよな」
「あしみじかいの?」
「そうそう」
「かわいい」
「柴犬とコーギーのミックスもいるぞ」
「ほう」
「シバーギーというらしい」
「あんちょく……」
「俺もそう思う」
「でも、みてみたいな」
「検索してみるか」
「うん」
Googleを開き、「シバーギー」で画像検索を行う。
「──…………」
「──……」
「かわいい、けど」
「可愛いけど、なんか違う……」
「うん……」
「アップルパイとロールケーキを足して2で割ってみました、みたいな」
「あー」
「美味しいけど、混ぜなくてもよかったよねって感じ」
「わかる」
愛犬を亡くしてから、早五年。
ペットが欲しい今日このごろである。



2018年5月22日(火)

「──…………」
「──……」
暑い。
クソ暑い。
なかばとろけながら温湿度計に目をやると、30℃の大台に届きそうな勢いだった。
「暑かったり寒かったり、寒かったり暑かったり、体壊すって……」
「うん……」
既に壊れかけている気がしないでもない。
「──…………」
震える手が、エアコンのリモコンへと伸びていく。
「……早いかな」
「はやい、きーする……」
「昨日の夜、暖房つけたばっかだもんな。寒くて」
「うん……」
「──…………」
「──……」
こほん、と咳払いをする。
「時期が早いとか、遅いとか、果たして意味はあるのだろうか」
「……?」
「僕たちは、純粋に、暑いか寒いかのみを判断基準としてエアコンを利用すべきではないでしょうか」
「いちりある」
「よし、××。窓を閉めるぞ!」
「はい!」
窓を閉め切り、扉を塞ぎ、エアコンの電源を入れる。
しばしして、
「ほあー……」
エアコンの真下に陣取った俺たちの頬を、冷涼な風が撫でていった。
「すぶふぃー……」
「嗚呼、人類の叡智……」
ごろんごろん。
「信じられるか、××。これで26℃設定なんだぞ」
「?」
「冷房暖房の違いはあれど、昨夜も26℃設定」
「……そなんだ」
「気候、おかしいって」
「うん……」
本格的に体を壊す前に、気温が安定してくれればいいのだが。



2018年5月23日(水)

「──…………」
むくり。
時計を見ると、午前八時。
珍しく早起きし、階下へ向かう。
「おはよ……」
キッチンで洗い物をしていたうにゅほが、こちらを振り返った。
「あ、おは──」
うにゅほが、目をまるくする。
「どした」
「◯◯、ほっぺた……」
「?」
洗面所へ向かい、鏡を覗き込む。
「うわ」
左の頬が見事に赤くなっていた。
「どしたの、それ……」
「──…………」
ふと、左手を軽く振る。
痺れている。
「たぶん、ほっぺたの下に左手敷いて寝てたんだと思う……」
「あー」
「そーいや、変な夢見たもんなあ……」
「どんなゆめ?」
「──…………」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
自分の頬にナイフを刺して口の端を裂く夢、とは言いにくい。
「まあ、うん。嫌な夢」
「いやなゆめ……」
「グロい夢」
「ぐろ……」
「聞きたい?」
「……やめとく」
「それがいい」
変な姿勢で寝ると、変な夢を見る。
寝相は大事だなあ。



2018年5月24日(木)

ぱちん、ぱちん。
左手の爪を切る。
「──…………」
「──……」
ぱちん、ぱちん。
うにゅほが、そのさまを、じっと覗き込んでいた。
「××」
「はい」
「危ないぞ。爪が飛んだら、顔に当たるかも」
「あ、そか……」
「珍しくもないだろうに」
手の爪なんて、週に一度は切っているのだし。
「うーとね」
「?」
「◯◯のつめ、わたし、きりたいなって」
「いいけど……」
「やた」
「じゃあ、右手の爪は頼むな」
「うん」
爪切りを渡し、右手を預ける。
「おおきいてですねー」
「××よりはな」
「つめきりますね」
「深爪だけは気をつけて」
「はい」
真剣な瞳で指先を睨みつけ、
「──…………」
ぱちん。
「──…………」
ぱちん。
すこしずつ、丁寧に、爪の先を切り落としていく。
まるで職人のようだ。
しばしして、
「ふー……」
深い溜め息と共に、うにゅほが顔を上げた。
「おしまい!」
「ありがとな」
「うへー」
爪を切ったばかりの俺の手に、うにゅほが指を絡ませる。
「かんぺき」
「次は、俺が××の爪を切ってあげよう」
「まだのびてないよ?」
「じゃあ、爪やすり」
「おねがいします」
「お願いされます」
特に理由もなく、なんとなく、互いに互いの爪の手入れをした。
ちょっと楽しかった。



2018年5月25日(金)

「──ぎゃ!」
どたどたどた。
色気のない悲鳴と共に、階段を駆け上がる音が聞こえてきた。
「◯◯! げじ! げじ!」
「マジか……」
今年もまた、奴と対峙せねばならぬ季節が来てしまったか。
げんなりしながら、うにゅほに尋ねる。
「どこに出た?」
「げんかんとこ……」
「わかった」
ともすれば重くなりがちな腰に胸中で鞭を入れつつ、立ち上がる。
逃げられるのが、いちばんマズい。
見えないところにゲジがいる。
そんな恐怖には、耐えられない。
覚悟を決めて階下へ向かうと、

──ぶおー!

父親が、ダイソンのハンディクリーナーで廊下の掃除をしていた。
「父さん、××が、玄関にゲジ出たって」
「ゲジ?」
「うん」
「吸ったぞ」
「──……え゙ッ」
ダイソンの、ハンディクリーナーで?
「見るか?」
「見ない!」
「全部の足が取れて、棒みたいになってたぞ。ほら」
「見ねえー!」
慌てて自室へ逃げ帰る。
「どしたの……?」
「ええと──」
思案し、答える。
「父さんが、なんとかしたって」
「そか……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
足のすべて取れたゲジの話なんて、うにゅほの耳に入れたくない。
田舎育ちのせいか、父親は虫に耐性がある。
心強いが、それ故の無神経さと、年甲斐のない悪戯心を併せ持つ厄介な男なのであった。



2018年5月26日(土)

今日は、母親の誕生日だった。
「ただいま」
「ただいまー!」
階下へ向かい、母親とうにゅほを出迎える
「おかえり。いい服あった?」
「あった!」
「うん、いろいろ買えた。ありがとうね」
「いえいえ」
家族全員からの誕生日プレゼントとして、好きな服を好きなように買ってもらうことにしたのだった。
うにゅほは、その付き添いである。
「わたしもね、いっちゃく、かってもらった」
「よかったな」
「うん!」
うにゅほの頭を撫でる。
「◯◯、いっしょにきたらよかったのに」
「……あー」
母親のファッションショーに興味がなかったから──なんて、口が裂けても言えない。
「ほら、女同士のほうが、ほら、あれだろ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
ものすごくぼんやりした言い訳になってしまった。
「えーと、夕飯は、何時ごろに出掛けるんだっけ?」
「なんじだっけ」
母親が答える。
「六時か六時半かな。混むと嫌だし」
「わかった」
「ステーキ、ひさしぶりだね」
「たしか、父さんの誕生日以来だったか」
「うん」
「てことは、二ヶ月だな」
「あのステーキやさん、おいしい」
「ほんとな」
「××はいいけど、◯◯、食べ過ぎないように」
「わかってます」
ダイエット中だし。
結局、脂身を避けてヒレステーキを注文する俺だった。
美味しかったです。



2018年5月27日(日)

「◯◯ー」
うにゅほが、俺の名を呼びながら自室を覗き込む。
「アイスあるよ」
「具体的には?」
「ゆきみだいふく」
「一個ずつにしていい? ダイエット中だし」
「いいよ」
階下へ向かい、冷蔵庫からキュウリを取り出す。
ボリ、ボリ。
塩のみで食べるまるごと一本のキュウリは、この上もなく青臭い。
痩せるために、自分で決めたことだ。※1
そのはずなのだが、
「……なんか、慣れてきた」
「きゅうり、すきになってきた?」
「嫌い」
「そか」
「でも、耐えられないほどではなくなってきた……」
「あー」
予想された事態ではある。
俺は、大嫌いなキュウリを、間食をするための関門として設定した。
こんな辛い思いをするくらいなら、間食などしなくとも構わない。
そう感じるための自主的な艱難辛苦だ。
だが、こうは考えられないだろうか。
「──キュウリを食べると、褒美に間食ができる」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「俺の無意識がそう解釈して、キュウリを食べられるようにしてしまったんじゃないかなって」
「そうかも……」
「仕方ない、プランBだ」
「ぷらんびー?」
「キュウリをやめて、トマトジュースにする!」
「トマト、すきになったりしない?」
「うん……」
可能性はあるが、他に手はない。
しばらくのあいだ、トマトジュースで頑張ってみよう。

※1 2018年5月9日(水)参照



2018年5月28日(月)

「──…………」
液晶タブレットに向かい、黙々とペンを走らせる。
「◯◯、えーかいてるの?」
「んー」
「なにかいてるの?」
「見る?」
「みる」
上半身を左に傾けると、うにゅほが液晶タブレットを覗き込んだ。
「あ、ゆかりさんだ」
「そうそう、結月ゆかり」
「ぼかろ」
「ボイロな」
「ぼいろ」
「……いや、ボカロでもあったっけ」
「どっち?」
「たぶん、どっちも」
「へえー」
うんうんと頷く。
わかっているやら、いないやら。
「えーかくの、ひさしぶりだね」
「久し振りでもないけどな」
「そなの?」
「××が寝たあととか、たまに描いてる」
「えー……」
うにゅほが、不満そうに眉をひそめる。
「わたしおきてるとき、かいてほしい……」
「──…………」
ふう、とひとつ息を吐いて、答える。
「……恥ずかしいじゃん」
「◯◯、えーうまいのに」
「まあ、うん」
下手ではないと思うけど。
「でも、いま、はずかしくなさそう」
「今は、ほとんど完成して、表情差分を作ってるだけだから」
「?」
「完成したのはいいんだ。でも、ラフ描くとこ見られるのが恥ずかしいんだよな……」
「どうして?」
「……苦手だから」
「うまいのに」
「ラフは下手」
「へたとかあるの?」
「あるの」
「そなんだ……」
線画に起こすときにボディバランスを取るので、ラフは見られたものではないのだ。
「はずかしいの、ひとによって、ちがうんだね」
「そういうこと」
このとき描いた結月ゆかりは、フリー素材の立ち絵として各所に投稿した。
誰かが動画に使ってくれるといいな。



2018年5月29日(火)

「……んー」
目蓋を強く閉じ、薄く見開く。
目が痛い、ような。
目薬でもさそうかと眼鏡を外し、デスクの上にあるはずの容器を手探りで探し始める。
だが、一向に見つからない。
仕方がないので眼鏡を掛け直すと、こちらをじーと見つめるうにゅほと目が合った。
「──…………」
「──……」
恥ずかしいところを目撃されてしまった。
「……なんか、こう、癖なんだよな」
「くせ?」
「眼鏡を外してから、目薬探すの……」
「あ、めぐすりさがしてたの」
「……はい」
「なにしてるのかなって」
まあ、眼鏡外してごそごそしてたら、何事かと思うよな。
改めて目視で探すと、目薬の容器はあっという間に見つかった。
「……目って、大切だな」
「そだねえ」
「××も、視力下がらないように気をつけないとな」
「うん」
素直に頷いたあと、うにゅほが俺に尋ねる。
「◯◯、なんで、めーわるいの?」
「子供のとき、本ばっか読んでたからかな」
「ほんばっか……」
うにゅほが手元に視線を落とす。
漫画。
「……よまないほう、いい?」
「暗いところで読んだりしない限り、大丈夫じゃないかな」
「◯◯、くらいところでよんでたの?」
「覚えてないけど、起きてるときはずっと読んでたらしいから」
「そなんだ……」
変わった子供だった、らしい。
「わたしも、めぐすりさそうかな」
「俺がさそうか?」
「おねがいします……」
目を酷使したら、ちゃんと休ませる。
当たり前だが、大切なことである。



2018年5月30日(水)

作務衣の襟元をパタパタさせて、内側に空気を送り込む。
「あつ……」
「あついねえ……」
見れば、うにゅほも同様にしている。
「暑い上に、蒸すなあ」
「うん、むす……」
パタパタ。
「……窓、開いてるよな。開けた記憶がある」
「あいてる、はず」
「確認」
「うん」
南東と南西の窓を、手分けして確認する。
「あいてた」
「こっちもだ」
風通しは良いはずなのに、自室の空気が滞留している。
単純に、風が吹いていないのだ。
「……エアコン案件かな」
「うーん」
「どうしようなあ」
「うーん……」
なるべくなら、使わずに済ませたい。
エアコンは快適だが、電気代の問題もあるし。
そんなことを考えていたときのことだ。

──ピシャッ! ゴゴ……ゴ……

「わ」
怯えたうにゅほが、俺の腕を取る。
遠雷だ。
そして、数瞬ののち、スコールじみた雨音が窓の外から響き始めた。
「××! 窓!」
「はい!」
たったいま開いていることを確認したばかりの窓を、慌てて閉める。
「──…………」
「──……」
「あつ……」
「あついねえ……」
「……これは、もう、仕方ないな」
「うん、しかたない」
手頃な言い訳を手に入れた俺たちは、大手を振ってエアコンで涼むのだった。



2018年5月31日(木)

「あ」
カレンダーを見ていて、ふと、くだらないことを思いついた。
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……なんでもない」
「きになる」
「いや、本当、大したことじゃないから」
「──…………」
じ。
「──……」
見つめ合う。
「……はい、わかりました」
「やた」
不用意に声を漏らした時点で、こうなることは確定していたのだ。
仕方あるまい。
「今日、何の日かなって思ったんだよ」
「なんのひ?」
「わからんけど、とりあえず語呂合わせしてみたんだ」
「ごがつ、さんじゅういちにち」
「五歳の日だなーと」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「で、31日は隔月だから、一歳、三歳、五歳、七歳、八歳、十歳、十二歳の日が毎年あるんだなあって」
「それだけ?」
「それだけ……」
「──…………」
「──……」
沈黙。
「だから言ったじゃん……」
「うーとね」
「?」
「はちがつさんじゅういちにちは、はっさいより、やさいってきーする」
「野菜の日だからなあ」
「そなんだ」
「ああ」
「くがつ、さんじゅういちにちなくて、よかったね」
「どうして?」
「くさいのひになるから」
「あー……」
その後、日付の語呂合わせの話題で意外と盛り上がった。
大したことなくても、言ってみるものだ。

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