>> 2018年4月




2018年4月1日(日)

「……んぅー」
座椅子の上で体育座りをしながら、うにゅほがしきりに小首をひねる。
「エイプリルフールの嘘は思いつきましたか?」
「まって、まって」
「そろそろ午後になるけど」
「うー……」
不満げに唸られましても。
「まあ、午前中しか嘘をついちゃいけないってルール自体、本当かどうか怪しいみたいだけどな」
「そなの?」
「エイプリルフールは世界中で行われてるけど、そのルールってイギリス独自のものらしいんだよ」
「ほー」
「イギリスだけのルールを日本だけが取り入れるのも妙な話だろ」
「──あ!」
うにゅほが唐突に妙な声を上げた。
「どした」
「それうそ?」
「はい、嘘です」
「やられたー……」
うにゅほが頭を抱える。
「いや、嘘ってのが嘘。話は本当」
「どっち……?」
「はてさて」
わざとらしく肩をすくめてみせると、うにゅほがぶーたれて言った。
「……◯◯、ずるい」
「ずるい?」
「わたしも、そうゆうのしたい。わるいおんなになりたい……」
「悪い女に……」
なんだその願望。
「××に悪い女になられると、その、困るんだけど」
「だいじょぶ、ねんいちだから」
「年一……」
なら、まあ、いいか。
「頑張れ××。日付が変わるまで待つから」
「ありがと……」
現在、午後十一時。
年に一度ですら悪い女になれそうもないうにゅほなのだった。



2018年4月2日(月)

「……アダプタが届かない」
土曜日に注文したはずのiPhone7用ヘッドホンジャックアダプタが、まだ届かない。
困った。
「あだぷた?」
「iPhoneとイヤホン繋げるやつ」
「あ、あれか」
うにゅほが、ぽんと手を合わせる。
「あれのなまえ、すぐわすれちゃう……」
「××、横文字苦手だよな」
「にがて」
「パフェって言ってみて」
「ぱへ」
「カフェ」
「かふぇ」
相変わらず、カフェとは言えるのに、パフェとは言えないらしい。
しつこくすると怒るので、これ以上は追求しないけれど。
「手」
「て?」
「英語で」
「はんど」
「指」
「ふぃんがー」
「爪」
「つめ……」
「爪は、ネイル」
「あ、ねいるあーとのねいる」
「足」
「ふっと」
「首」
「ねっく?」
「目」
「あい」
「鼻」
「のーず……」
「口」
「まうす」
「ネズミ」
「……まうす?」
「なんだ、けっこうわかるじゃん」
「うへー」
てれりと笑う。
「しかし、アダプタ届かないと仕事中に音楽が──」
呟きながら、ヨドバシドットコムのトップページを開く。
「あれ?」
「?」
「カートに商品がひとつ入ってる……」
確認すると、案の定、
「……購入手続きしてない」
「どういうこと?」
「アダプタ、まだお金払ってなかった……」
「あー……」
やらかしてしまった。
購入手続きを手早く済ませ、心のなかでヨドバシドットコムに謝罪する。
疑ってすみませんでした。



2018年4月3日(火)

アルコールを摂取した。
桃の果汁を贅沢に搾った度数4%の缶チューハイだ。
本来、大した量ではない。
にも関わらず、
「うへへへへ……」
大いに酔っ払ってしまった俺なのだった。
うにゅほを膝に抱き上げ、首筋に鼻を埋める。
すんすん。
「うひ」
うにゅほが、くすぐったそうに身をよじる。
「××はいい匂いがするなあー」
「そかな」
「なんか、こう、全体的に桃っぽい感じ」
「◯◯、もものおさけ、のんだからとおもう……」
「や、普段からするぞ」
「そなの?」
「シャンプーの匂いかなと思ってたけど、風呂入る前のが桃っぽい」
すんすん。
「かがないでー」
「やだ」
すんすん。
「もー……」
諦めたのか、うにゅほの全身から力が抜ける。
まな板の上の鯉のようだ。
「いい匂いなんだから、恥ずかしがることないじゃん」
「それはそれなの」
「それはそれなのか」
「うん」
「じゃあ、これはどれなのだ?」
「これ?」
「これ」
「どれ?」
「さあ」
「……◯◯、からかってる?」
「からかってる」
「もー」
「ははは」
缶チューハイ一本で酔うとは、随分と酒に弱くなったものだ。
ストロングゼロとか飲まないように気をつけよう。



2018年4月4日(水)

CDを返却したのち、ゲオの出入口にずらりと設置された自動販売機を覗いていくことにした。
「ここのじはんき、ひゃくえんなんだね」
「百円でも採算取れるんだろうな」
偏見だが、深夜に若者がたむろしていそうだし。
「なんか買ってくか」
「うん」
「何にする?」
「うーと、ココアかなあ」
「あったかいの?」
「あったかいの」
「じゃあ、俺はコーンスープかな」
「あったかいの?」
「あったかいの」
「きょう、ちょっとさむいもんねえ……」
うにゅほが両手を擦り合わせる。
その髪の毛を手櫛でくしけずりながら、口を開く。
「俺たちも、随分と贅沢になったもんだよな」
「?」
「ほんの一ヶ月前なら、今日の気温でも、暖かいって言ってたはずだぞ」
「あー、そだねえ」
そんな会話を交わしながら、まずはココアを購入する。
「あちち」
「しばらくポケット入れときな」
「うん」
隣の自動販売機に百円硬貨を投入し、コーンスープのボタンを押す。
「……あれ?」
よく見ると、ボタンに赤文字で「売切」と表示されていた。
「さむいから、みんなコーンスープのむのかな」
「そうかも」
商品を見渡し、
「これでいいや」
と、適当にミルクセーキを購入する。
「あ、ミルクセーキだ」
「ミルクセーキ、あんまり見かけないしな」
「ひとくちのましてね」
「ココアくれるならいいぞ」
「うん」
久し振りに飲んだミルクセーキは、素朴で、どこか懐かしい味がした。



2018年4月5日(木)

チェアでぐりんぐりん回転しつつ、呟く。
「甘いものが食べたい」
「あまいもの……」
「食べたい」
ぐるんぐるん。
「あまいの、なんかあったかなあ」
しばしの思案ののち、膝の上のうにゅほが答える。
「あ、ヨーグルトあったとおもう」
「ヨーグルト……」
「だめ?」
「ヨーグルトを甘いものカテゴリに入れるべきか、除外すべきか、それが問題だ」
「ヨーグルト、あまいとおもう」
「甘いけど、酸味あるだろ」
「うん」
「酸味はいま欲しくない」
「むずかしいねえ」
「難しい」
「なんか、かいいく?」
「んー」
「いかない?」
「行こうかなと思ったんだけど、さっき父さんにウイスキーひとくち飲まされたから」
「◯◯、ぺっぺってしてたね」
「よくあんなもの好んで飲むよな」
「そんなにすごいの?」
「舌がピリピリして、体が一瞬で熱くなる。舐めた程度なのに」
「すごい……」
「だから、運転するのはどうかなって」
「そだねえ」
「歩いてくのは寒いし、風呂上がりだから風邪引くかもだし」
「うん」
ぐるんぐるん。
「でも、あまいの、あれくらいしかない……」
「あれ?」
「バレンタインのときあまった、ざいりょうのチョコ」
「──…………」
「?」
うにゅほのほっぺたを両手で挟む。
「いいのがあるやんけ!」
むにむにむにむに。
「はう、ふほほふ」
「それを食べましょう」
「へも、ただのひょこだお」
「バレンタインじゃないんだから、ただのチョコで十分」
「ほか」
割チョコレートとだけ書かれた素っ気ない装丁のチョコは、思った以上でも以下でもない味がした。
だが、今日の俺はそれで満足なのだ。



2018年4月6日(金)

今日は、伯父の四十九日だった。
母方の親族と会食をして帰宅すると、時刻は既に午後九時を回っていた。
「はー……」
ばふ!
ベッドに倒れ込み、羽毛布団に顔を埋める。
「疲れたー……」
「◯◯、おふろはいる?」
「入るけど、××の後でいいや」
「そか」
きし。
うにゅほが俺の隣に腰掛ける。
「あかちゃん、かわいかったねえ……」
一歳になったばかりの従姉の子供のことである。
「あんなにスッサスッサ歩くんだな、一歳の子って」
「すーごいわらってた」
「機嫌よかったのかな」
「……わたしだっこしたら、ないちゃったけど」
うにゅほが、ずうんと肩を落とす。
「気にしない、気にしない。べつに嫌われたわけじゃないだろうし」
「そかな……」
「たぶん、抱っこの仕方が下手だったんだよ」
「だっこのしかた?」
「××だって、二階の窓から下を見るのは平気でも、脚立で同じ高さに上がれって言われたら嫌だろ」
「うん」
「横で見ててもフラフラしてたし、不安定で怖かったんだと思うよ」
「あー……」
「証拠かどうかわからんけど、座って膝に乗せたときは、普通に笑ってたじゃん」
「──…………」
小さく微笑んだうにゅほが、俺の髪を手櫛で梳いた。
「ありがと」
「事実を言ったまでです」
「うへー」
ちと照れる。
「どうでもいいけど、赤ちゃん、めっちゃツバ臭かったな」
「それは、うん……」
口のまわり、べとべとだったからなあ。
よだれかけが必要な理由が、よくわかった。



2018年4月7日(土)

PCに常駐させているソフトの中に、起動から何時間経過しているかを表示するものがある。
「あー、そろそろ400時間か……」
二週間とすこし、電源をつけっぱなしにしている計算になる。
「そろそろ再起動だな」
「よんひゃくじかんて、なに?」
「PCの起動時間」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷いた。
「──…………」
予想していたリアクションと違う。
「もっとびっくりするかと思ってた」
「なんで?」
「そんなにつけっぱなしなのー、みたいな」
うにゅほが小首をかしげる。
「ぱそこんて、でんげんきるものなの?」
「……あー」
「?」
考えてみれば当然である。
うにゅほと暮らし始めて以降、PCの電源を落としたことなど数えるほどしかないのだから。
「まあ、うん。人によるかな」
「そなんだ」
「寝るとき、うるさかったりしない?」
「かんがえたことない……」
「そもそも、××が寝るときって、俺起きてるもんな……」
「うん」
PCの駆動音がどうとかの問題ではなかった。
「電気眩しいとか、カタカタうるさいとか、そういうのもない?」
「ない」
「ならいいけど……」
「うーとね、ぎゃくにね、◯◯いないと、ねれない」
「そうなの?」
「◯◯、にゅういんしたときとか、ねれなかった」
「寂しいのか」
「さみしい……」
なるほど。
「このままでいいか」
「このままがいい」
うにゅほがいいなら、なんだっていいや。



2018年4月8日(日)

「──…………」
うと、うと。
マウスを握る手に力を込めながら、襲い来る眠気に抗い続ける。
背後からでも様子がおかしかったのか、うにゅほが俺の顔を覗き込んだ。
「わ」
「!」
ビクッ!
思わず背筋がピンと伸びる。
「◯◯、ねむいの?」
「眠い……」
「いま、すーごいかおしてたよ」
「──…………」
どんな顔をしていたのかは、あまり聞きたくない。
「……春はだいたい眠いけど、休みの日は特に眠い……」
「つかれてるのかな」
「そうでもないと思うけど……」
在宅だから通勤する必要はないし、仕事も楽なほうだ。
その代わり、給料は安いけれど。
「ねむいなら、ねたほういいとおもう。おやすみだし」
「まあ、そうなんだけど……」
「?」
「休みだからこそ、寝て過ごすともったいないと言うか……」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「せっかくのおやすみだもんねえ」
「……まあ、こんな状態だと、休みもクソもないけどさ」
そう言って、ひとつ大きなあくびをかます。
「◯◯、くちおおきいねえ」
「それはお前を食べるためだよ……」
「そなんだ」
「うん」
「きゃーっていったほういい?」
「いちおう……」
「きゃー」
「──…………」
「──……」
「三十分くらい寝ようかな……」
「そのほういいよ」
しばし仮眠を取ると、眠気も幾分か落ち着いた。
「──それはお前を食べるためだよ!」
「きゃー!」
リテイクもしておいた。



2018年4月9日(月)

「んー……」
もごもご。
舌先を奥歯の隙間にねじ込み、なぞる。
「?」
不審な様子に気がついたのか、膝の上のうにゅほがこちらを振り返った。
「どしたの?」
「なんか、歯に挟まってる」
「なんだろ」
「昼食べてからだいぶ経ってるし、間食してないし……」
挟まっているものに心当たりがない。
「つまようじ、もってくる?」
「なら自分で──」
俺の言葉を遮るように、うにゅほが膝から降り立った。
「といれいくから、ついで」
「そっか。頼む」
「うん」
しばしして、爪楊枝を持ったうにゅほが戻ってきた。
「はい、つまようじ」
「ありがとな」
爪楊枝を受け取って、うにゅほの頭をぽんと撫でる。
「うへー」
「では、さっそく」
気になっていた歯間に爪楊枝を突き立て、異物を掻き出す。
次の瞬間、
「──うおッ!」
「わ!」
薄緑色の異物が、チーズのように糸を引いた。
「あー、ガムかこれ……」
「びっくりした」
「俺も」
ダイエット中、空腹を誤魔化すために噛んでいたガムが、奥歯の隙間に挟まったまま残っていたらしい。
「ガムが奥歯に挟まったの、初めてだ」
「わたしも、みたのはじめて……」
「挟まったのは?」
「はさまったことない」
「だよな」
微妙にレアケースだと思うのだが、どうなのだろうか。
歯並びによるのかな。



2018年4月10日(火)

今日は、四週間に一度の定期受診の日。
予約しているにも関わらず無闇に長い待ち時間を、うにゅほとの雑談で潰していた。
「そーいや、今朝、夢を見たんだよ」
「どんなゆめ?」
「TSUTAYAが潰れる夢」
うにゅほが言いにくそうに告げる。
「それ、ゆめじゃなくて……」
「……いや、現実を受け入れられなかったわけじゃなくてだな」
近所のTSUTAYAが潰れたのは心苦しいが、致し方ないことだ。※1
「夢の中で、俺は、TSUTAYAへCDを返しに行くところだった」
「うん」
「すると、TSUTAYAが潰れていた」
「うん」
「夢の中で、俺は思った。CDを返せないってことは、延滞料金が永遠に加算されるのでは……」
「あー」
「で、目が覚めた」
「あくむ?」
「悪夢ってほどではないけど……」
缶コーヒーで唇を濡らし、言葉を継ぐ。
「実際には、閉店する一週間前には、レンタル停止するんだと思うけどさ」
「うん」
「ギリギリに借りたはいいけど、何かの理由で閉店までに返却できなくなった人もいるかもしれないじゃん」
「いそう」
「近場に別のTSUTAYAがあれば、そっちに返せばよさそうな気がするけど、おらが村にはTSUTAYA一軒しかないっぺみたいな人はどうすればいいんだろうなって」
「……どうするんだろ」
「本社に郵送してくれー、みたいなのが届くのかな」
「うーん」
「届かなかったら、やっぱり、延滞料金が永遠に……」
「えんたいりょうきん、たかいんだもんね」
「一日につき、二百円だか三百円だか」
「そうでもない?」
「……CD、十枚借りてたら?」
「にせんえん……」
「一年間で七十万円」
「うひ」
「怖いな」
「こわい……」
気をつけよう、甘い言葉と返却期限。
本日の待ち時間は、前回を優に超える二時間強だった。
なんとかならないかな、これ。

※1 2018年3月28日(水)参照



2018年4月11日(水)

「──4月11日」
「?」
「4月11日ですね」
「はい」
「なーんか、誰かの誕生日だった気がする」
「だれ?」
「家族、ではない」
「ではない」
「……親戚?」
「しがつうまれのひと、いたかなあ」
「××、親戚縁者の誕生日覚えてるの?」
「みんなじゃないけど……」
「こないだ会った赤ちゃんは?」※1
「いちがつの、にじゅうさんにち」
「すげえ……」
「こないだね、あったとき、きいたの」
「あー」
それなら納得である。
「わたししってるひとで、しがつうまれのひと、いないとおもう」
「じゃあ、××の知らない人か」
「それか、しってても、たんじょうびしらないひと」
「多そうだなあ」
「うん」
誕生日なんて、いちいち尋ねないもんな。
「てことは、誕生日を聞いたことがあって、それをわざわざ覚えてるくらい親密な誰か……」
「げいのうじんは?」
「芸能人も漫画のキャラも誕生日なんて興味ないし」
「うーん……」
しばしの思案ののち、うにゅほが言った。
「むかしなかよかったひと……?」
その瞬間、すべて思い出した。
「──奥山だ!」
「だれ?」
「小学校のときの友達!」
「……あー」
うにゅほが、そりゃ知らんわという顔をする。
「子供のときって誕生会とかやるから、それで覚えてたんだ」
「なるほど」
「──…………」
「──……」
「なんか、すごいどうでもいいことに時間を割いた気がする」
「あはは……」
奥山くん、誕生日おめでとう。
いま何してるのか全然知らないけど。

※1 2018年4月6日(金)参照



2018年4月12日(木)

「──4月12日」
「?」
「4月12日ですね」
「きょうも、だれかのたんじょうび?」
「なんかのキャッチコピーみたいだな。今日も誰かの誕生日」
「ほんとだ」
「少なくとも、知り合いの誕生日ではない」
「じゃあ、なんのひ?」
「さあー」
「いってみただけ?」
「言ってみただけ」
「そか」
「日記に書くこと思いつかなくて」
「じゃあ、しらべるやつだ」
「はい、調べてみましょう」
「みましょう」
「今日は何の日、ふっふー」
うにゅほが小首をかしげる。
「うた?」
「……なんだっけ、これ」
「わかんない」
「なんかのテレビだった気がする」
「そなんだ」
そんな会話を交わしながら、Googleで「4月12日」を検索する。
「パンの記念日だって」
「パンのきねんび」
「日本で初めてパンが焼かれた日、らしい」
「へえー」
「パンはパンでも乾パンらしいけど」
「かんパンって、パン?」
「……パンなんじゃない?」
パンよりビスケットに近いと思うけど。
「あと、世界宇宙飛行の日」
「おー」
「ガガーリンが、『地球は青かった』って言った日みたい」
「あ、しってる」
「『だが、神はいなかった』みたいな」
「しらない……」
「あと──、なんだこれ。キカイダーDAY?」
「きかいだーって、へんしんのやつ?」
「だと思う。でも、ハワイの記念日って書いてる」
「ハワイ……」
「ハワイで人気らしいけど、記念日にまでなるってすごいな」
「うん」
いったい何があったのやら。
一年三百六十六日、何事もない日は一日もない。
今日が何の日かを調べるのは、なかなか面白いものだ。



2018年4月13日(金)

俺たちの部屋は、整理整頓が成されている。
より正確に言うならば、うにゅほが管理している場所は、と但し書きがつくけれど。
「──…………」
ベッドの足元には折りたたみ式のテーブルがあり、誰が見ても使っていないとわかるテレビが鎮座ましましている。
理由は明白だ。
洗濯済みの俺の衣服が、テレビの前でこんもりと小山を築いているからである。
随分前から思っていたが、この状況はさすがにどうだろう。
俺はテレビにあまり興味がないし、うにゅほはリビングで家族と団欒しながら見るのを好む。
よって、このままでも問題はないのだが──
「……片付けるか」
思い立ったが吉日と言う。
次に思い立つ目処が立たない以上、仮に吉日でなくともすべきことはすべきだ。
綺麗に畳んであるシャツを箪笥へ移していると、
「あ、せんたくものかたすの?」
「まあ、うん。このままじゃテレビも見れないし……」
「てつだうね」
「頼む」
小山の下へ行けば行くほど、服がぐちゃぐちゃになっていく。
うにゅほが畳み、俺が仕舞う。
手分けしながらテキパキ働くと、ほんの五分でテーブルの上が片付いた。
「こんなすぐ終わるなら、さっさとやればよかったなあ……」
「そだねえ」
リモコンを手に取り、テレビを点ける。
「うん、問題なさそうかな」
一年近く点けていなかったが、壊れてはいないようだ。
「ね」
わくわくとした様子で、うにゅほが尋ねる。
「なにみるの?」
「何って……」
特に見たいものがあって片付けたわけではないのだが、そうも言いづらい。
チャンネルを適当に変えていると、
「──あ、火垂るの墓やるって」
「!」
どうやら、亡くなった高畑勲監督の追悼として、火垂るの墓を放映するらしい。
「……見る?」
「みない!」
ですよね。
うにゅほが階下へすたこら逃げてしまったので、テレビを消してチェアへ戻った。
部屋が片付くと、気持ちがいい。



2018年4月14日(土)

「♪」
少々伸び過ぎた俺の髪を、うにゅほが機嫌よく梳かしていく。
「××さん」
「はーい」
「楽しい?」
「たのしい」
「そう……」
楽しいならいいけど。
「××さん」
「なにー」
「フケとか出てない?」
「だいじょぶ」
「そっか」
「ちょっとしかでてない」
「出てるのか……」
「ちょっと」
フケ対策、してるんだけどなあ。
前髪をいじって長さを確かめながら、呟くように口を開く。
「さすがに、そろそろ切らないとな」
「えー……」
うにゅほが口を尖らせる。
「ながいの、にあうのに」
「長さは、まあ、いいんだけどさ。元が短すぎるだけだし」
一般的に言えば、現時点でもミディアムヘア相当だ。
決して長過ぎるわけではない。
だが、
「……毛量がな」
「もうりょう」
「髪の毛が多すぎて、横に広がってるだろ。それが嫌なんだよ」
「あー」
「切るにしろ、梳くにしろ、一度は床屋行かないと」
「そか……」
最後に髪を切ったのは、たしか去年の十二月だ。
二ヶ月程度ならままあるが、四ヶ月伸ばしたのは初めてのことかもしれない。
急ぐ必要もないが、来週中には床屋へ行くとしよう。



2018年4月15日(日)

「……今日、寒いなあ」
二の腕を撫でさすりながら、呟く。
「ねー」
膝の上のうにゅほが同意する。
灯油の備蓄が切れて以降、互いの体温で冬の終わりをやり過ごしてきた俺たちだ。
一ヶ月前より、今のほうが暖かい。
それは間違いのない事実である。
だが、
「あれだな。一回甘やかされると、ダメだな」
「あったかかったもんね……」
「寒の戻りってやつかも」
「かんのもどり?」
「春になって暖かくなったのに、また冷え込む日があるだろ。今日みたいに」
「ある」
「花冷えとかリラ冷えとか聞くけど、あれは五月だっけ」
「りら?」
「ライラックのこと」
「らいらっく」
「なんか紫の花」
我ながら適当な説明である。
「ストーブと、くっつくの以外に、部屋あっためる方法ないかなあ」
「んー……」
「なーんか忘れてる気がして」
「エアコンとか?」
「──…………」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「それだ!」
今の今までエアコンの存在を完全に失念していた。
「わすれてたの」
「忘れてたの……」
「そかー」
苦笑されてしまった。
「使うなら、室外機のカバー外さないとなあ」
「はずさないと、どうなるの?」
「たぶん壊れる。排気ができないわけだし」
「じゃあ、はずそ」
「ああ」
室外機のカバーを物置に仕舞い、エアコンの暖房をつける。
「あったかいねえ……」
「雪解けた時点で、さっさと使ってればよかったな」
「でも、くっつくのすきだよ」
「……まあ、うん」
それはそれ、これはこれ。
ちょっと暑いと思いながら、今日もうにゅほを膝に乗せる俺なのだった。



2018年4月16日(月)

「あー、あ゙ー、ん゙ー……」
喉元を撫でながら、声を絞り出す。
「どしたの?」
「喉が痛い」
「……だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈夫。すこし痛いだけだから」
そう言って、のどぬーるスプレーを手に取る。
「わたし、それにがて……」
「わかる」
のどぬーるスプレーは、喉に直接噴射する薬剤だ。
使用には慣れが必要となる。
「子供のころ、喉の痛みを治すどころか、咳き込んで余計ひどい目に遭ったっけ」
「◯◯もそうなの?」
「最初はな」
「へえー」
「ヨウ素入ってるから味もひどいもんだし、二度と使うかと思ったけど……」
あーんと大口を開け、ノズルを口腔に差し入れる。
シュッ!
喉の内側に、じんわりと熱が灯る。
「ほら、こんなもん」
「すごい」
「慣れだよ、慣れ」
再び口を開き、もう一吹き。
「──けほッ」
最初は異物感。
次の瞬間、焼けるような痛みと共に、呼吸ができなくなった。
「げほッ! えほ、ふッ、けほ、げほッ! がッ! えほッ!」
「!」
うにゅほが慌てて立ち上がり、くの字に曲がった俺の背中を強めにさする。
「◯◯ッ!」
「だッ、ほ、大丈──えほッ! げほッ! きか、ん……、気管に、げえッほ!」
「しゃべんないで……」
半泣きのうにゅほに五分ほど介抱されたのち、ようやくまともに息が吸えるようになった。
「……思い、出した……」
「?」
「子供のころ、も、なった、これ……」
「そか……」
油断大敵と言うほかない。
読者諸兄も、のどぬーるスプレーを使用するときは、気管に入らないよう気をつけてほしい。



2018年4月17日(火)

「──…………」
「──……」
「××さん」
「?」
「今日、暑くないですか?」
「あついですねえ……」
「──…………」
「──……」
「××さん」
「?」
「膝に乗る必要、なくないですか?」
「あります」
「あるの……?」
「あります」
「その心は」
「なつ、もっとあつい」
「そうだな」
「だから、れんしゅうしないと」
「──…………」
「──……」
「……夏も乗るの?」
「まいとしのってる……」
「まあ、うん」
たしかに。
「……◯◯、いや?」
あ、やばい。
「嫌じゃない、嫌じゃないです。むしろ乗ってください」
「うへー……」
うにゅほが、はにかんだ笑顔を浮かべる。
「……××さん」
「?」
「エイプリルフールのとき、悪い女になりたいって言ってたじゃないですか」※1
「はい」
「けっこう女の武器使ってきますよね」
「そかな」
無意識だとしたら、とんだ悪女である。
「俺以外にはそういうこと言わないように」
「わかった」
もっと困らせてほしい。
そんなことを思うあたり、俺はもう末期なのだろう。

※1 2018年4月1日(日)参照



2018年4月18日(水)

映画「ドラえもん のび太の宝島」を観に行ってきた。
シアタールームに入り、周囲を見渡す。
「今年も貸し切りか」
チケットを購入した時点でわかっていたことだが、誰の姿もない。
「◯◯、ここ! いーのごと、ろく!」
うにゅほが機嫌よく指定席に座る。
「んー……」
「?」
「思ったより席が低いな。二段くらい上に移動するか」
「いいの?」
「誰もいないし」
「そだね」
見やすい位置に移動し、ポップコーンをつまむ。
「たしか、去年Lサイズ選んで後悔したから、今年はMサイズにしたけどさ」
「うん」
「……Mでもでかいな、ここのポップコーン」
「たべきれるかな……」
「なんとかする」
去年もなんとかなったのだし。
そんな会話を交わしていると、
「あ、くらくなった」
「NO MORE 映画泥棒の時間だな」
「あたまビデオのやつ?」
「そうそう」
貸し切り同然のこの状況だと、撮影し放題のような気がする。
しないけど。

──二時間後、

「──…………」
「──……」
うにゅほが袖で目元を拭う。
「……普通に号泣してしまった」
「うん……」
「めっちゃ面白かったな……」
「うん……」
物語の導入こそ南海大冒険を彷彿とさせるが、中身はまったくの別物だ。
「ここ数年の大長編で、いちばん面白かったかも」
「うん……」
「××」
「?」
「トイレで顔洗おうな」
「◯◯も……」
「そうする」
帰り際、いつものジェラート屋に立ち寄った。
大満足の一日だった。



2018年4月19日(木)

「暇だな……」
「ひまなの?」
「実を言うと、20日までにしなければいけないことが、あった」
「あった」
「もうない」
「なくなったの?」
「いや、もう終わったの」
「はやい」
「早くもないけどな」
むしろ、ギリギリだ。
「エアロバイクでも漕ごうかな……」
「ひさしぶり」
「一週間くらい漕いでなかった気がする」
「うん」
「毎日──は、無理でも、二日に一度──は、目標として、三日に一度はなんとか……」
「そう……」
苦笑されてしまった。
廊下の片隅にあるエアロバイクを運び込み、デスクの前にセットする。
「さー漕ぐぞ!」
「がんばってね」
表示パネルの走行距離をリセットし、いざ漕ぎ始める。
「──あれ?」
一分ほど漕ぎ進めたあたりで、表示画面がおかしくなった。
漕ぐたびに点滅し、走行距離がゼロに戻ってしまう。
「どしたの?」
「電池、切れたかも」
「えあろばいく、かっていちねんくらい?」
「一年ちょっとかな」
「じゃあ、でんちかも」
「換えてみるか」
「たんさん? たんよん?」
エアロバイクを降り、表示パネルの裏側を調べる。
「単四」
「たんよん、たしか、ひきだしのここに──あった!」
「さんきゅー」
うにゅほから単四電池を二本受け取り、交換する。
「お」
「なおった?」
「液晶の数字の色が、めっちゃ濃くなった」
俺が気づかなかっただけで、電池切れの傾向は以前からあったらしい。
「えあろばいく、がんばってね」
「頑張ります」
時速20kmで、一時間。
気が向けば明日も頑張りたい。



2018年4月20日(金)

「ただーいまー……」
時刻は午前三時。
友人と飲みに行き、たったいま帰宅したのだった。
しんと静まり返った屋内で、自室の扉のみが薄明かりを漏らしている。
やはりか。
まあ、そうだよなあ。
飲みに行くたび先に寝ていてほしいと伝えるのだが、素直に床に就いていた試しがないもの。
「──…………」
物音を立てないように、ゆっくりと扉を開く。
すると、
「……ふすー……」
寝間着姿のうにゅほが、掛け布団の上で眠りこけていた。
実にあられもない寝相だ。
具体的には、がに股でうつ伏せである。
春先とは言え、深夜は冷える。
下敷きになっている布団の代わりに半纏を掛けてやると、
「──は、ふ」
呼吸の乱れと共に、うにゅほが目を覚ました。
「……おはようございます」
「おあよう……」
しばし眠そうに目をしばたたかせたのち、うにゅほが口を開く。
「◯◯、おかえり」
「ただいま」
「いまなんじ?」
「秘密」
「?」
うにゅほが壁掛け時計を見やる。
「……さんじ!」
「はい……」
「◯◯、じゅうにじくらいにかえるっていった……」
「言いました」
「なんじ?」
「三時です……」
「のみすぎ、だめだよ」
「すみません」
「もー……」
溜め息ひとつ。
「はやくねよ」
「いや、日記を書かないと……」
「──…………」
「──……」
「にっきかくまでまってるから、ねよ」
「急いで書きます」
そんな会話を交わしてから、およそ三十分。
うにゅほは再び夢の世界へと旅立っていった。
さっさと仕上げて、俺も寝よう。



2018年4月21日(土)

「──…………」
「──……」
暑い。
うだるように暑い。
うにゅほが俺の膝から自主的に下りるくらい、暑い。
「……窓、開いてる?」
「あいてる……」
「だよなあ」
先程、この手で開けたのだ。
開いていなければ、おかしい。
それでも、つい確認したくなるほどの室温なのだった。
「……聞くのが怖いけど、いま何度?」
「うーと」
うにゅほが、本棚最下段の温湿度計を覗き込む。
「……わー」
なにそのリアクション。
「うとね、にじゅうはってんななど……」
「──…………」
28.7℃
窓を全開にして、この室温である。
「夏かな」
「なつ、はやい……」
「春どこ行った」
「かえった?」
「……どこへ?」
「わかんない」
なるほど、面白い捉え方だ。
どこかから来たからには、帰る場所があるに違いない。
誰も知らないところに季節たちの家があって、順繰りにこちらを訪れたり、忘れ物を取りに戻ってきたりする。
そんなメルヘンなことをうだる頭で考えていると、
「◯◯、アイスたべる?」
「あるの?」
「ゆきみだいふく、あるよ」
「食べる、食べます」
「とってくるね」
暑い部屋で食べる雪見だいふくは、また格別である。
ないとは思うが、この暑さが続くようであれば、ガリガリ君を常備しなければなるまい。



2018年4月22日(日)

「──…………」
「──……」
うにゅほとふたり、目を皿にして、花壇の隅々までを点検する。
春の花を愛でているわけではない。
「××、いたか」
真剣な表情を浮かべ、うにゅほが首を横に振る。
「ひとまず、行動範囲はまだ広がってないみたいだな」
「うん」
事は十分前に遡る。
「──◯◯! ◯◯!」
「んが」
休日の開放感と陽気に負けて昼寝していると、うにゅほに叩き起こされた。
「かだん、ありいた!」
「!」
一瞬で目が冴える。
玄関先の花壇には、吸蜜性のアリの巣がある。
それだけなら構わないのだが、そのアリどもが、毎年毎年家屋内に道を作るのだ。
去年など、何十匹のアリを指先で潰したかわからない。
花壇の調査の結果、
「──縁石付近に数匹か。まだコロニーは小さいみたいだな」
縁石と言えば、去年アリの巣があった場所である。
巣の位置は変わっていないらしい。
「どうしよう……」
「──…………」
しばし思案し、決断する。
「早い段階で叩こう」
「はやいだんかいで……」
「後手後手だと、また家の中に入ってくるかもしれない。それは避けたい」
「うん」
「増えてから潰すより、増える前に潰す」
「なるほど……」
去年、家屋内でアリが見つかったのは、五月の末のことだ。※1
だが、それ以前から縁の下や壁の裏を通り道にしていたことは明白である。
悠長にしている暇はない。
「今年こそ、アリに勝つぞ!」
「おー!」
俺たちの戦いが、今年も始まる。

※1 2017年5月31日(水)参照



2018年4月23日(月)

「──ふっふっふっふー、ふふふふふふふふー♪」
見るからに機嫌の良いうにゅほが、鼻歌まじりに本棚を掃除していく。
聞くともなく聞き入っていたところ、その曲名に思い至った。
「……さそり座の女?」
何故。
「さそりざのおんな?」
うにゅほが小首をかしげる。
「その曲。美川憲一の、さそり座の女」
「そなんだ」
「なんでそんな古い曲知ってるんだ」
「なんか、テレビだとおもう」
まあ、他に聞く機会もないよなあ。
「──…………」
「?」
しばし何かを考え込んだのち、うにゅほが口を開いた。
「わたし、なにざのおんなかなあ……」
「あー」
考えたこともなかった。
「◯◯、なにざ?」
「山羊座」
「わたし……」
「ちょい待ち」
キーボードを叩き、十二星座の早見表を開く。
うにゅほの誕生日は10月15日だ。
本当のところはどうか知らないが、そういうことになっている。
「えーと、××は天秤座だな」
「てんびんざのおんな……」
いいえ、私は天秤座の女。
「語呂はよくないな」
「うん」
「◯◯、やぎざのおとこ」
いいえ、私は山羊座の男。
「……語呂はよくないな」
「おそろい」
「母さんは双子座みたい」
「ふたござのおんな」
「語呂いいな」
「いいね」
そんな他愛ない会話を交わす月曜日の午後なのだった。



2018年4月24日(火)

「あー……」
天井を仰ぎ見ながら、呟く。
「お金欲しいなあ……」
「なんか、ほしいのあるの?」
「お金」
「おかねで」
「うーん」
思案する。
「うーん……」
更に思案する。
「ないの?」
「強いて言えば、ヘッドホン、とか……」
「どれ?」
「いや、具体的にどれが欲しいとかはなくて、お金たくさんあったら買うかなあって」
「そなんだ」
「……うーん……」
深く思案する。
「よく考えたら、欲しいものあんまりない、かも」
「ぱそこんとか」
「いまので十分だから、壊れるまでは……」
「くるま?」
「べつにいらない」
「ふく……」
「××、服欲しい?」
「たくさんある」
「俺も」
「くつ」
「靴って、二、三足あればよくない?」
「とけいとか」
「××が誕生日にくれたのあるし」
「うへー」
うにゅほがてれりと笑う。
「本なんかも、欲しいのは即買ってるもんなあ」
「◯◯、おかねほしいの?」
「欲しい」
「そなんだ……」
たぶん、貯金という名の安定と安心が欲しいのだ。
いつまでこの仕事を続けていられるかもわからない。
両親がいなくなれば、うにゅほを養っていくのは俺しかいないのだから。
「……うん、頑張ろ」
決意を新たにする俺なのだった。



2018年4月25日(水)

Amazonからアリメツが届いた。
内容成分が糖蜜とホウ酸のみという非常に男らしい殺蟻剤である。
「これを専用容器に注いで、巣の近くに設置する」
「はやいだんかいで、たたく」
「その通り」
花壇の縁石の傍に膝をつき、巣の状態を確認する。
「……?」
「どしたの?」
「アリが、いない」
「えっ」
うにゅほが隣にしゃがみ込む。
「いない……」
「縁石をどけてみよう」
「う」
「去年ほどじゃないって」
「うん……」
眉をひそめたうにゅほが、小さく頷いた。
気持ちはわかる。
去年、害虫駆除業者がこの縁石をどけたら、数百匹のアリがうようよしていたものな。
「──…………」
「──……」
がた。
ごと、ごと。
二段になっている縁石を、ひとつずつ動かしていく。
だが、
「……妙だな」
数十匹程度のコロニーを覚悟していたにも関わらず、アリが一匹も見当たらないのだ。
「このあいだ、ここらに何匹かいたよな」
「うん、いた」
「巣の位置が変わったのか……?」
それは困る。
巣の位置を特定する前に屋内へ侵入されてしまえば、去年の二の舞となってしまいかねない。
「××、花壇を中心に巣の捜索だ」
「はい!」
目を皿にして十分ほど探したが、アリの巣は見つからなかった。
今年も苦戦を強いられそうである。



2018年4月26日(木)

「……んー?」
キーボードに向かいながら、上半身を大きくかしげる。
「にっき、かくことないの?」
「いや、ある。あったと思う。あったはず」
「はず?」
うにゅほが頭上に疑問符を浮かべる。
「えーと……」
手探りで言葉を探しながら、口を開く。
「今日の日記はこれ書こう──と、思った記憶はあるんだ」
「うん」
「その内容が思い出せない」
「そか……」
「年かな」
「まだはやいとおもう」
「今日、何あったっけ」
「うと」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「あまぞんきた」
「来たな」
「ありさがした」
「見つからなかったな」
「ちょうないかいひ、はらった」
「──それだ!」
すべてを思い出した。
「町内会の人が来たから、会費を立て替えたんだった」
「それ、にっきかくの?」
「ネタとして弱いかな」
「わからんけど……」
そりゃそうか。
「俺が財布取りに行ってるあいだ、あのおばさんと何か話した?」
「ううん」
うにゅほが首を横に振る。
「でも、あめもらった」
「やっぱり……」
戻ってきたとき、なんかもごもごしてたもんな。
相も変わらず、よく飴を貰う子だ。
「家でならいいけど、外ではあんまり物貰っちゃダメだぞ」
「はい」
いまいち危なっかしいうにゅほである。



2018年4月27日(金)

「うう……」
なで、なで。
うにゅほが俺の頭を撫でる。
「みじかくなってしまった……」
「前が長すぎたんだよ」
「そだけど」
実に五ヶ月ぶりの散髪である。
「きったかみ、すごかったねえ」
「あの量が頭から生えてたんだから、そらモサモサになるわな」
「もさもさ……」
なで、なで。
「またすぐ伸びるって」
「うん……」
まさか、そこまで気に入っているとは思わなかった。
すこしばかり良心が痛む。
「いっそ、坊主にしたほうが良かった?」
「ぼうず、する?」
「しないけど」
「えー」
「××は、長いか短いか、どっちかが好きなんだな」
「そうかも」
「……しゃーない、また伸ばすか」
「やた!」
なで、なで。
「──…………」
「──……」
「××さん」
「?」
「それはそれとして、撫でることは撫でるんだな」
「とこやいったあとのかみ、なでごこちいい」
「そう?」
「ちくちくする」
「そう……」
前髪を掻き上げてみる。
うにゅほの言葉通り、梳いた髪の毛がちくちくと手のひらを刺した。
「……俺は、××の髪を撫でてるほうがいいなあ」
「なでる?」
「撫でる」
しばらくのあいだ、互いに互いの髪を撫で合うふたりだった。



2018年4月28日(土)

「──んがッ!」
羽毛布団を蹴り飛ばし、飛び起きる。
「はあッ、はあ、ふー……」
胸元に手を添えながら呼吸を整えていると、
「──…………」
目をまるくしたまま小動物のように固まっているうにゅほと目が合った。
「……びっくしした」
「ごめん……」
「どしたの?」
「単に、金縛りに遭ってただけ」
「かなしばり!」
うにゅほの背筋がピンと伸びる。
「かなしばりって、ゆうれいのやつ……?」
恐る恐る周囲に目を配るさまが、なんとも言えず微笑ましい。
「いや、金縛りと幽霊は関係ない──と、思う」
「そなの?」
「金縛りというのは、頭は起きているにも関わらず、体が眠ったままの状態のことだ」
「ふんふん」
「意識と肉体の接続が途切れてる、みたいな言い方もするな」
「かなしばり、どんなかんじ?」
「そうだなあ……」
言葉を選び、口を開く。
「まず、苦しい。胸のあたりに圧迫感があって、息ができない感じがする」
「しんじゃう……」
「たぶん、実際には呼吸できてるよ。そんな感じがするだけ」
「ならいいけど……」
「んで、体が動かない。押さえつけられてるとかじゃなくて、そもそも動けって命令が四肢に届いてないんだな」
「むずかしい」
「こればかりは、実際になってみないと」
「なりたくない……」
そりゃそうだ。
「かなしばりになったら、どうしたらいいの?」
「……うーん」
「?」
「俺の方法は、あんまり一般的じゃないかも」
「◯◯、どうするの?」
「気合で動かす」
「きあいで」
「動く動かないじゃなくて、無理矢理動かす。そしたら解ける」
「そなんだ……」
脳筋この上ないが、俺はこの方法で幾度も金縛りを打ち破っている。
「……じしんないな」
「まあ、規則正しい生活をしていれば、金縛りにはなりにくいらしいから」
「がんばる」
うにゅほが金縛りに遭わないことを祈ろう。



2018年4月29日(日)

デスクの引き出しを整理していたところ、ハンドスピナーが幾つか出てきた。
「懐かしいなあ……」
しゅるるるる。
虹色のハンドスピナーを、中指の先で回転させる。
「おー」
「××、一時期取り憑かれたように遊んでたよな」
「そだっけ?」
「放っておいたら一時間でも二時間でもやってるから、さすがに心配になって止めた記憶がある」
「そだっけ……」
記憶にないらしい。
「危険なので、ハンドスピナーは再びボッシュートです」
てれってれってーんと口ずさみながら、ハンドスピナーを引き出しに戻す。
「あー」
「やりたかった?」
「ちょっとだけ」
「……まあ、一回くらいなら」
ハンドスピナーを再度取り出し、うにゅほに手渡した。
「てになじむ」
「あんだけやればなあ……」
しゅるるるる。
回転音が耳朶を打つ。
「──…………」
「──……」
るるる──
数分が経ち、やがてハンドスピナーが静止する。
「……?」
うにゅほが小首をかしげた。
「なにがたのしかったんだろう……」
「それ、こっちの台詞」
「うーん」
一時の流行など、そんなものだ。
ハンドスピナーは、引き出しの奥に押しやられ、再び流行が巡ってくるのを静かに待つことと相成った。
来年くらいにまた取り出して、日記のネタにしようっと。



2018年4月30日(月)

昨日、デスクの引き出しからハンドスピナーを見つけた。
今日、デスクの端に貼り付けられている二枚のシールに気がついた。
「──…………」
二層になっているシールをめくる。
「あたり……」
「?」
「××、ごめん。完膚なきまでに忘れてた」
「なにー?」
うにゅほがとてとて歩み寄る。
「これ」
「うーと、めくってあてよう、もすばーがー……」
「──…………」
「──……」
視線が交錯する。
「わすれてたね……」
「うん……」
ペプシとモスバーガーのコラボキャンペーンに当選していたことを、今の今まですっかり忘れていたのだった。※1
「これ、いつまでのやつ?」
「……2月23日」
「きょう、しがつさんじゅうにち……」
「こんな目立つ場所に貼っといて、よく二ヶ月以上も気づかずにいられたよな……」
デスクの端とは言え、手を伸ばさずとも届く位置だ。
常に視界に入っていたはずなのだ。
「そこにあるのがあたりまえすぎて、わすれちゃってたのかなあ」
「──…………」
なんか深いこと言い出した。
だが、刺さる言葉だ。
「……そうだな。当たり前は、当たり前じゃないんだ」
「?」
「感謝を忘れてはいけないよな」
「もすばーがーに?」
「……まあ、うん。モスバーガーに」
そういうことにしておこう。
「わすれてたけど、こんどいきたいな」
「ゴールデンウィーク中は混んでそうだから、そのあとで行こうな」
「たのしみ」
大切な約束だ。
今度こそ忘れないようにしなくては。

※1 2017年12月13日(水)参照

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