>> 2018年3月




2018年3月1日(木)

「ひー……」
スノーダンプに体重を預け、呼吸を整える。
豪雪である。
それも、水気をたっぷりと含んだ、重い、重い、牡丹雪だ。
「最高気温がプラスなら、雨降れってんだ……」
呪詛すら込めた呟きが、雪に吸われて消えていく。
「◯◯ぃ……」
水色のジョンバを引きずったうにゅほが、泣きそうな顔で俺の名を呼んだ。
「ゆき、くっついて、おもくて、うで、いたくて、も、むりい……」
「あー」
帽子の上からぽんぽんと撫でる。
「玄関で休憩してな。あと、俺がやるから」
「でも」
「まとめたあと、除雪機で吹き飛ばす。××が頑張ってくれたから、もう少しだ」
「うん……」
名残惜しげに玄関へ向かううにゅほを見送って、得物をジョンバに持ち替える。
そして、
「──よし!」
活溌溌地、雪の塊にジョンバを突き立てた。

除雪機の力を以てしても、雪かきを終えるまでに、それから三十分の時間を要した。

「つー、かー、れー、たー……」
ぼふ。
水滴だらけのツナギを干したあと、ベッドに思い切り倒れ込んだ。
「おつかれさま」
「うーい」
「ホットミルク、のむ?」
「飲むー」
「わかった」
しばしして、マグカップを手にしたうにゅほが自室へ戻ってきた。
「──…………」
「?」
こぼさないよう、慎重に歩く。
自然な行動だ。
だが、いささか慎重すぎるような──
「××」
「?」
「もしかして、腕痛い?」
「いたい……」
「あー、ほら。ホットミルク置いて!」
「わ」
「軽くマッサージしたあと、湿布貼るからな」
「ありがと……」
二度目の雪かきは、俺と、帰宅した父親のみで行った。
明日も大雪らしい。
考えたくない。



2018年3月2日(金)

「──…………」
ばたり。
ソファに倒れ伏す。
「おつかれさま……」
「……うん」
「ごめんね、わたし、うでいたくて……」
「いや」
「?」
「腕痛めてなくても、××にはさせられない。それくらい重かった」
上体を起こし、うにゅほに向き直る。
「××より力ある母さんでも無理。俺でギリギリ。父さんは馬鹿力だから問題ないけど……」
「そんなに」
「てか、厳密にはもう雪かきじゃないんだよ。雪じゃないから」
「ゆきじゃないの?」
「雪より氷に近い。柔らかめの氷だ」
「こおり……」
「あんまり重すぎて、スノーダンプ押す手のひらが打撲したみたいになってさ……」
「!」
うにゅほが俺の手を取る。
「あおたんは、なってない……」
「痣にはなってないけど、押すと痛い」
「しっぷはる」
「いや、いいよ」
「だめ」
こうなると、うにゅほは頑なだ。
「……風呂のあとでいい?」
「ほうたい、だしとくね」
「大仰じゃない?」
「てのひらだから、ほうたいまかないと、はがれちゃう」
たしかに。
「じゃあ、右手だけ頼む」
「ひだりては?」
「左手は、そんなに痛くないから」
「そんなに……」
しまった、言葉を間違えた。
「いや、マジで痛くないから。本当に」
「いたくなったら、いってね」
「言う言う」
というわけで、本日の日記は、右の手のひらに包帯を巻いたまま書いている。
キーボード打ちにくいです。



2018年3月3日(土)

小さな袋を手にしたうにゅほが、戻ってくるなりこう言った。
「◯◯、ひなあられたべよ」
「ひなあられ」
「おかあさん、かってきてくれたの」
「そういえば、今日って3月3日か」
「うん、ひなまつり」
すっかり忘れていた。
「ごはんのあと、ケーキもあるよ」
「おー」
ダイエット中だが、イベントごとの時くらいは構うまい。
「じゃあ、熊の雛人形も飾らないとな」
「うん!」
数年前に百円ショップで購入した陶器製の熊の雛人形を、うにゅほはたいへん気に入っている。
「……お雛さま、首だけしかないけど、いいの?」
落として壊してしまっているにも関わらず、だ。
「いいのー」
いいならいいけども。
控えめな甘さのひなあられをふたりでパクついていると、ふとあることが気になった。
「ひな祭りと言えばさ」
「うん」
「菱餅ってあるじゃん」
「ひしもち?」
「トランプのダイヤみたいな形してて、たしか──ピンクと白と緑?」
「かさなってるやつ?」
「そうそう。あれ、食べたことある?」
「あれ、たべれるの?」
「わからん……」
「かざりだとおもってた」
「でも、菱餅って言うからには、餅なんだろうし」
「ほんとにおもちなのかな」
「調べてみるか」
「うん」
アカシックレコード的なものとチャネリングを行った結果、菱餅は本当に餅であることが判明した。
「ほんとにおもちなんだ」
「食べてみたい?」
「とくに……」
「だよなあ」
「ひなあられ、おいしいね」
「美味い」
俺とうにゅほには、ひなあられとケーキで十分である。



2018年3月4日(日)

うにゅほが俺の前髪を引っ張りながら言った。
「かみのびたねえ」
「伸びたなあ」
前髪を下ろすだなんて、何年ぶりの出来事か。
「きらないの?」
「んー」
手櫛で髪を整えながら、答える。
「いままで髪を伸ばしてこなかったのって、結局のところ、眼鏡を掛けてるともみあげが膨らむからなんだよな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ふくらんでない……」
「ああ、自分で切ったんだよ」
「じぶんで」
「先月、床屋行く暇なかったからさ」
「……うん」
いろいろあったものな。
「だから、まあ、ちょっと伸ばしてみるのもいいかなって」
「やた!」
うにゅほが小さくガッツポーズを取る。
「そんなに見たいものかねえ」
「みたい」
「いいけど……」
髪を切るのは一瞬でできる。
だが、伸ばすとなれば、数ヶ月単位の期間が必要だ。
うにゅほが見たいと言うのであれば、床屋へ行くのを遅らせるくらいは構うまい。
「──…………」
卓上鏡を手に取り、覗き見る。
「……なんか、テレビでたまに見る、茶髪で前髪モッサリの俳優みたいになってきたな」
「まえがみもっさり」
「名前は知らない」
「だれだろ」
「わからん。もしかすると茶髪じゃないかも」
「◯◯、テレビみないもんね」
「嫌いなわけじゃないんだけど……」
ともあれ、あと一ヶ月くらいは様子を見てみよう。
案外似合うかもしれないし。



2018年3月5日(月)

「問題です」
「はい」
「雪が解けたら、何になるでしょう」
「みず?」
「ぶー!」
「ちがうの?」
「雪が解けたら、春になります!」
「あー」
「──てななぞなぞが昔からあるけど、これってずるいと思わないか?」
「みずでもあってるとおもう」
「××が春って答えてたら、ぶー、答えは水ですって言うつもりだったからな」
「ずるい」
「答えがふたつあるから、出題者が意図的にそれを切り換えられるんだよ」
「ずるい……」
「いわゆるところの"いじわるなぞなぞ"って、こういうのが多いから好きになれないんだよなあ」
うにゅほがうんうんと頷く。
「他にもあるぞ」
「どんなの?」
「では、問題です」
「はい」
「いま、なんじ?」
「うと、くじはん──だけど、くじはんじゃない?」
「正解は、二文字です」
「?」
うにゅほが首をかしげる。
「"いま"は、二文字だろ」
「あー」
「でも、現在時刻が九時半であることは間違いないわけだ」
「うん」
「なんか、すっきりしないよな……」
「うん……」
我ながら三十路も越えて何を言っているのだろうと思わないでもない。
「あ、でも、すっきりするなぞなぞもあるぞ」
「おー」
「1tの鉄と、1tの毛玉、どちらが重いでしょう」
「あ、しってる!」
しばらくのあいだ、うにゅほとなぞなぞを出しあって遊んだのだった。
童心に返るとは便利な言葉である。



2018年3月6日(火)

読み終えたジャンプを届けに、弟の部屋をノックする。
「あーい」
在室を確認し扉を開くと、
「──うおッ!」
弟が丸坊主になっていた。
「出家するのか」
「しねーよ」
「1000円カットで失敗したとか」
「それは兄ちゃんだろ」
そんなこともあったなあ。
「行くの面倒だったから、父さんにバリカンでやってもらった」
「面倒ってお前……」
わかるけども。
「──××ー! ちょっと来てみ!」
自室へ向けて、声を張り上げる。
「呼ばなくていいって」
「あとで会うのもいま会うのも一緒だろ」
「まあ……」
しばしして、
「なにー?」
うにゅほが廊下に顔を出した。
「こっちこっち」
「?」
頭上に疑問符を浮かべながら、とてとてこちらへやってくる。
「ほら、あれ」
「わ!」
「出家するんだって」
「しゅっけ?」
「しねーよ!」
「ほら、撫でさせてもらいなさい」
「うん」
「やめろって!」
「えー」
「女の子に頭を撫でてもらえる機会だぞ」
「そんな機会はいらん」
「照れちゃって」
「照れとらんわ!」
しばらくのあいだ、丸坊主の弟をいじって遊んだのだった。
最後にはすこしだけ撫でさせてもらって、うにゅほもご満悦だった。



2018年3月7日(水)

「××ー」
「はい」
「お手」
「わん」
うにゅほがお手をする。
ノリがいい。
「おかわり」
「わん」
「おすわり」
「すわってるわん」
「伏せ」
「わん」
「立って」
「わん」
「構えて!」
「かまえ?」
「撃てー!」
「ばん!」
「うッ」
自分の胸を押さえる。
「××、幸せになるんだぞ……」
「◯◯!」
「ばたり」
「ひまなの?」
「暇なの」
「そか」
「お手!」
「わん!」
「おすわり!」
「わん!」
「立って!」
「わん?」
「スクワット十回!」
「えー!」
楽しい。
「ふひー……」
「くくく、次は何をしてもらおうか」
「かんたんのにしてね」
「つか、なんで言うこと素直に聞いてるんだ」
「なんとなく?」
「よし、空を飛べ!」
「むりー」
「無理か」
「うん」
「じゃあ、俺の膝におすわり」
「わん!」
うにゅほを抱き締める。
「暇だなー」
「ひまだねえ」
そんなことを言い合いながら、チェアをくるくる回転させるのだった。



2018年3月8日(木)

「××、素朴な発見をした」
「なにー?」
ヘッドホンを外し、うにゅほへと向き直る。
「ほら」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
頭頂部を指し示し、答えを告げた。
「髪型があんまり崩れてない」
「あ、ほんとだ」
「髪を下ろしてるから、そもそもへこみようがないみたい」
「なるほど……」
「いつもヘッドホンしてる人ってどんな髪質してんだって思ってたけど、髪の長さの問題だったんだな」
「◯◯、かみみじかいのすきだもんね」
「短いのが好きというか……」
頭がでかいから、無闇に髪を伸ばせないだけである。
「前髪と頭頂部はこの際いいけど、襟足が鬱陶しいなあ」
「えりあし?」
「後頭部の、このあたり」
軽く髪をまとめてみせる。
「しばれる?」
「縛れはしないけど」
「ざんねん」
「縛れるほど長くなったら、さすがに床屋行くよ」
「えー」
「××は俺の髪型をどうしたいんだ……」
「うとね」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「いつもみじかいからね、ながいのみてみたい」
「ロン毛とか勘弁だぞ。一昔どころか二昔くらい流行遅れだ」
「ろんげって、どれくらい?」
「……肩とか?」
「みてみたい」
「絶対イヤ」
「えー……」
うにゅほに遊ばれている気がするのは、気のせいではあるまい。
この悪女め。



2018年3月9日(金)

起床して階下へ向かうと、今日のうにゅほは三つ編みだった。
「おさげだ……」
「おさげだよ」
「久々に見た気がする」
「そうかも」
「引っ張っていい?」
「いいよ」
ぐいー。
「痛くない?」
「いたくないよ」
「ラピュタで、ムスカがシータの三つ編み引っ張るシーンあったよな」
「あったきーする」
「女の子に乱暴してはいけませんね」
「いけませんね」
三つ編みの先端で、うにゅほの首筋をくすぐる。
「うひ」
「こちょこちょー」
「◯◯、ぜったいそれやるー……」
「そうだっけ」
「うん」
「なんか好きなんだよな……」
「あと、ひげもやる」
「ひげ?」
うにゅほが三つ編みを鼻の下に添える。
「ひげ」
「あー、やるやる」
ワンパターンだな、俺。
「先端に墨汁をつけて書き初めをしましょう」
「えー」
「イヤ?」
「や」
「じゃあ、××ロボ」
「?」
「右のおさげを引っ張るとパンチ! 左のおさげを引っ張るとキック!」
「おー」
右のおさげを引っ張る。
「行け、パンチだ!」
「えい!」
ぽこ。
うにゅほの拳が俺の胸を打つ。
正面から引っ張ったのだから、当然である。
「……なんか悪者になった気分だ」
「うしろからやんないと……」
おさげで遊ぶのは、楽しい。



2018年3月10日(土)

──ぴー!

ストーブの表示部に給油アイコンが点灯する。
「……ついに、このときが来たか」
「うん……」
それは、ストーブの断末魔。
我が家にある灯油の残量がゼロになったという合図だった。
「しかし、悩ましいタイミングだな。暖かくはなってきてるけど」
「とうゆ、かいいく?」
「いま買うと、絶対余らせるからなあ……」
買い置きの灯油は数ヶ月で酸化し、ストーブの故障の原因となる。
「仕方ない、なんとか耐え凌ごう」
「うん」
「カモン」
ぽんぽんと膝を叩いてみせる。
「うへー」
うにゅほが俺の膝に腰を下ろし、はにかむような笑みを浮かべた。
「本格的な春が訪れるまで、これが基本の姿勢となる」
「はい!」
「さらに──」
以前ゲームセンターで入手したカービィのブランケットを広げる。
「これで、あったか度アップだ」
「ふかふかしてる」
「触り心地いいよな」
「うん」
「ひとまずこれくらいかな」
「まだあるよ」
「?」
「てーつなぐ」
右手が、右手に。
左手が、左手に。
それぞれ指を絡ませる。
「××さん」
「はい」
「この状態では何もできないんですが……」
「どうがとかみれる」
「あー」
なるほど。
「では、動画を見るときはこのフォーメーションで」
「はい」
このときは、これ。
あのときは、それ。
そんなことを考えているうちに、楽しくなってきてしまった。
春よ、今年はすこし遅くてもいいぞ。



2018年3月11日(日)

「ほいっ、と」
膝の上のうにゅほを抱え上げ、優しく下ろす。
「トイレ行ってくるな」
「はーい」
灯油の備蓄が切れたため、本格的な春の到来まで互いの体温で耐え凌ぐことにしたのだった。
やむを得ずであることを主張していきたい。
所用を済ませ自室へ戻ると、
「♪」
うにゅほがチェアに腰掛けて、たいへんご満悦の様子だった。
「ほれ、どけどけ」
「ん」
小さく首を横に振る。
「どした?」
「きょう、わたしのうえ、すわっていいよ」
「……潰れると思いますけど」
「だいじょぶ」
ぽんぽんと膝を叩いてみせる。
何の根拠か自信満々だ。
「じゃあ、徐々に体重をかけていくから、ギブになったらギブって言うんだぞ」
「はい」
肘掛けに体重を預けながら、ゆっくりとうにゅほの膝に腰を下ろしていく。
尻の下の足は細く、うっかりすると折れてしまいそうだ。
「ぐ」
うにゅほが苦しげな声を上げる。
「ギブ?」
「まだー……」
更に体重をかける。
「うぶ」
「ギブ?」
「ま、まだ……」
八割ほど腰を沈めたところで、
「ぎ、ぎぶ!」
慌てて腰を上げ、うにゅほの手を取る。
「ほらな?」
「◯◯、おもったよりおもい……」
「ぐ」
言葉のナイフが心に刺さる。
まあ、多少ダイエットをしたところで、この体重差は埋まらないのだけど。
チェアに腰を下ろし、うにゅほを改めて膝に乗せる。
「やっぱ、このほういいね」
「そりゃな」
俺はうにゅほ専用の椅子であり、うにゅほは俺専用の湯たんぽである。
役割を違えてはいけないのだ。



2018年3月12日(月)

うにゅほを膝に乗せたままブラウジングをしていると、とあるバナーが目に留まった。
「あ、Steamでクロノトリガー配信してる」
「すちーむ?」
「……あー」
なんと説明すればよいやら。
「PCでプレイ可能なゲームをネットを介して配信するプラットフォーム……?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
ですよね。
「その、なんだ。買うとPCでゲームができる」
「へえー」
「で、クロノトリガーが新しく配信されたみたい」
「くろのとりがーって、まえ◯◯くれた、でぃーえすのやつ?」※1
「そうそう」
元はSFCだけど。
「でも、××の肌には合わなかったみたいだな」
かなり序盤でやめてたし。
「なんかね、むずかしかった……」
「そっか」
当時はそもそもゲーム自体が初めてみたいなもんだったし、仕方ないか。
「──んー、どうしようかな」
マウスポインタが、「カートに入れる」のあたりをうろうろする。
「かうの?」
「正直、欲しい」
「でぃーえすの、あるよ?」
「そうなんだけど……」
PCでゲームするのって、手軽なんだよな。
「あ、そだ」
「ん?」
「◯◯がゲームするとこ、わたしみたいな」
「……なるほど」
クロノトリガーが傑作たる所以は、ゲーム性もさることながら、その壮大なシナリオにある。
横から見ているだけでも、その面白さは十分に伝わることだろう。
「んじゃ、買っちゃうぞ」
「うん」
二千円程度のものだから、迷うほどのこともなかったのだけど。
人には、面白いものを共有したいという欲求がある。
俺が面白いと思うものを、うにゅほも面白いと思ってくれるのなら、それはとても喜ばしいことだ。

※1 2014年12月25日(木)参照



2018年3月13日(火)

「んッ、くあー……!」
病院の玄関先で、思いきり伸びをする。
四週間に一度の定期受診の帰りなのだった。
「今日、やたら混んでたなあ」
「ねー」
「いま何時?」
「うと」
うにゅほが腕時計に視線を落とす。
「よじの、ちょっとまえ」
「予約が二時だから、一時間半くらい待たされたのか……」
「うん」
「予約って、意味あるのかな」
「うん……」
もちろん意味はあるのだろうが、だったら三時に来たかった。
どうにかならないものだろうか。
「今日は××が一緒だからいいけど、ひとりのときだったら暇でしょうがなかっただろうなあ……」
「ひとりのとき、◯◯、なにしてまってるの?」
「まあ、スマホいじってるかな。携帯禁止じゃないし」
「すまほ、なにするの?」
「えーと、twitter見たり──」
「うん」
「twitter見たり……」
「うん?」
「音楽聞いたり」
「あー」
「twitter見たり?」
「ついったーしかみてない……」
「わりと」
「あれ、えふじーおーは?」
「FGOに限らず、外でスマホのゲームやるの好きじゃないんだよな」
「そなんだ」
「だから、twitterしか見るものがない……」
「らいげつも、いっしょにこようね」
「お願いします」
ふたりいれば、雑談しているだけで時間が過ぎる。
けれど、待ち時間は、できれば一時間以内でお願いします。



2018年3月14日(水)

ホワイトデーである。
「××、ほら」
紙袋に入った包みを差し出す。
「バレンタインのお返し」
「おととい、あまぞんできたやつ?」
「……はい」
バレてる。
うにゅほが受け取ったのだから、当然と言えば当然だ。
ネット通販はこの上なく便利だが、家族に贈り物をするには適していないのかもしれない。
「あけていい?」
「いいぞ」
丁寧に包みを開いたうにゅほが、
「わ!」
と、目を輝かせた。
包みの中にあったのは、動物の顔をデフォルメした可愛らしい菓子である。
「これ、おかし?」
「たぶんマカロンの一種」
「まかろん」
「マカロン好きだろ」
「うん、すき」
うへーと笑う。
「◯◯、ありがと!」
「こちらこそ、いつもありがとうな」
うにゅほの頭をうりうり撫でる。
「わたしもね、いつもありがとう」
「いえいえ、御代官さまこそ」
「みとこうもん?」
「あれって、元はどの時代劇なんだろうな」
「あれ……」
「ほら、あるじゃん。黄金色の菓子でございます、越後屋そちも悪よのうみたいな」
ふるふると首を横に振り、うにゅほが告げた。
「しらない」
「──…………」
そうかー。
知らないかー。
心に受けた傷と共に、静かにジェネレーションギャップを受け入れる俺なのだった。



2018年3月15日(木)

雨音が耳にこだまする。
根雪を解かし、春を告げる音だ。
「──あーめ、あーめ、ふーれ、ふーれ」
かすれたような小さな歌声が、ふわりと耳に届く。
「もーっと、ふれー」
「そっちか」
道理で節回しが童謡っぽくないと思った。
「そっち?」
「あーめあーめふーれふーれ母さんがー、のほうかと思ったんだよ」
「あー」
「それにしても、よく八代亜紀なんて知ってたな」
「だれ?」
「その歌を歌ってる人」
「へえー」
「雨の慕情だかなんだか……」
「なんかね、おかあさんうたってた」
「なるほど」
すべてが繋がった。
「越後屋知らないのに雨の慕情は知ってるとか、ちぐはぐだもんなあ」
「そなの?」
「だって、俺が生まれる前の曲だもん。たしか」
「ふるい!」
「俺もサビ以外知らないし」
「◯◯もしらないんだ」
「森羅万象なんでも知ってるわけじゃないからな」
「あーめ、あーめ、ふーれ、ふーれ、もーっと、ふれー」
うにゅほが再び雨の慕情を口ずさみ始める。
「ふーふーふふー、ふーふーふふー、もっとふれー」
「歌詞適当だなあ」
「ほんとはなんてうたってるの?」
「実際に聞いてみるか」
「うん」
YouTubeを開き、雨の慕情を再生する。
「……えんか?」
「演歌、なのかなあ……」
演歌の定義がよくわからない。
「あ、こっちも聞いたことあるかもしれないぞ。舟歌」
「ふなうた」
北島三郎や吉幾三なども聞かせてみたところ、案外聞き覚えがあるらしかった。
さすがは大御所と言ったところだろうか。



2018年3月16日(金)

「──…………」
午睡から目覚め、上体を起こす。
「あ、おはよー」
「……おはよ」
「?」
俯き加減の俺の顔を、うにゅほがひょいと覗き込む。
「なんか、かおいろわるい」
「夢見がな……」
溜め息ひとつ。
最近、妙な夢ばかり見る。
「どんなゆめ?」
「──…………」
「……いいたくない?」
「いや、言葉にするのが難しくて……」
前髪を掻き上げ、先程の夢を思い返す。
夢には夢の道理があり、それはしばしば現実を軽視、あるいは完全に無視してしまう。
荒唐無稽な夢を一続きの物語として語るのは、非常に困難だ。
「えーと、だな」
「うん」
「端折って言うとだな」
「うん」
「……歯が増える夢?」
「は?」
うにゅほが自分の前歯を指差した。
「前歯というより、奥歯だな」
「おやしらず?」
「いや」
口を開き、前歯の奥の上顎を示す。
「ここに、奥歯みたいな平たい歯が、びっしり生える夢」
「──…………」
あ、あんまり見たことない顔してる。
「気持ち悪いだろ」
「はみがき、たいへん……」
たしかに。
「××は、いい夢見れた?」
「うーと」
しばし思案し、
「……わすれた」
「そっか」
まあ、そんなものだよな。
おかしな夢が続いているので、ここらでひとつ明晰夢でも見てみたいものだ。



2018年3月17日(土)

「──…………」
聞こえる。
呼んでいる。
誰かが、俺の名を呼んでいる。
「──……!」
声がする方へふらふらと手を伸ばし、
「◯◯!」
はっと目を覚ます。
「おきた、よかった……」
俺の手を握りながら、うにゅほが安堵の吐息を漏らした。
「ええと、俺……?」
状況が飲み込めない。
「◯◯ね、ねごとでね、ごめん、ごめんって、ずっといってたの」
「──…………」
そうだ。
夢を見ていたっけ。
「……ほんッと、最近、夢見が悪い……」
上体を起こし、溜め息をつく。
「うと、どんなゆめ?」
「……聞かないほうがいいかも」
「そか……」
「──…………」
「──……」
あ、うずうずしてる。
「気になる?」
「きになる……」
まあ、いいか。
「……そうだな。コロが出てきたよ」
数年前に亡くなった愛犬だ。
「コロでてきたのに、やなゆめなの?」
「夢のなかで、俺は、進まなきゃならなかった。進むためにはコロを殺す必要があった」
「……!」
うにゅほが息を呑む。
「道具はない。素手で殺そうとしたら、コロの前足の関節が外れた」
「──…………」
「そこで、ようやく、自分が馬鹿なことをしたと気がついた。関節を嵌めてやると、コロはまっすぐ歩けなくなってた」
「……それで、ごめん?」
「そう。謝ってたんだ、ずっと」
「そか……」
「嫌な夢だろ」
「うん、やなゆめ……」
最近、こんな夢ばかりだ。
なにか原因でもあるのだろうか。



2018年3月18日(日)

「うあ゙ー……」
チェアの背もたれに体重を預け、ぐでんと天井を仰ぎ見る。
「あだまいでェー……」
「だいじょぶ?」
「だいじょばない」
「おさけのんだからかな……」
「たぶん……」
それほど量を飲んだつもりはないのだが、アルコールの摂取自体が久々だ。
肝臓がびっくりしてしまったのかもしれない。
「よこになったほう、いいとおもう」
「うん……」
ふらふらとベッドへ向かい、敷布団の上に倒れ込む。
「ふとん、ちゃんとかけないと……」
「あい」
「めがねはずして」
「ふい」
「あいますく、つける?」
「お願いしまう……」
至れり尽くせりである。
「……三十分くらいで起こして」
「うん、わかった」
うにゅほの気配が離れていくのを感じながら、息を吐き、意識を沈めていく。

「──◯◯?」
「ん……」
「さんじゅっぷん、たったよ」
「あと三十分……」
「わかった」

「◯◯?」
「──…………」
「さんじゅっぷん、たったよ」
「うん……」
「まだねる?」
「寝る……」
「わかった」

結局、二時間ほどたっぷり睡眠をとったのち、この日記を書いている。
頭痛は治まったが、生活サイクルが狂いそうだ。



2018年3月19日(月)

ペプシの備蓄を補充するため、ホームセンターへと立ち寄った。
車から降りようとしたとき、
「わ!」
風に煽られて、助手席側のドアが全開になってしまった。
「××、大丈夫かー!」
「だいじょぶー……」
隣に車がなくて、よかった。
あったら惨事は免れ得まい。
「かぜ、すごいねえ」
「本当にな」
「さむい……」
うにゅほが身を震わせる。
「さっさと買って、さっさと帰ろう」
「うん……」
小走りで入店し、ダンボール箱を二箱抱えて退店する。
「××、後部座席のドア開けてくれー」
「はーい」
「風強いから、気をつけてな」
「うん」
ダンボール箱を積み込んでドアを閉じると、ひときわ強い春風が真正面から吹き付けた。
「──ッ!」
一瞬、息が詰まる。
急いで乗り込み、深呼吸をひとつ。
「こりゃ、一気に雪解けだな……」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「さむいよ?」
「体感温度は低いけど、気温自体はプラスだからな。雪にとってはあったかいんだよ」
「あー」
うんうんと頷き、
「ゆき、つめたいもんね」
「そういうこと」
風の冷たさに春の気配を感じた一日だった。



2018年3月20日(火)

「はー……」
ぼふ!
ベッドに倒れ込む。
「食った食った……」
ぽす。
うにゅほも隣に倒れ込む。
「くったくったー」
父親の誕生日ということで、以前見つけたアメリカンなステーキハウスへと家族で赴いたのだった。※1
「あの店行くと、ほんと、肉食ったーって感じするよな」
「する」
「赤身ばっか食ったから、体ぽかぽかしてきた」
「ほんと?」
うにゅほが俺の額に手を当てる。
「あ、ほんとだ」
「××、ぽかぽかしない?」
「わたしたべたの、わぎゅうだから……」
「和牛めっちゃ高かったな」
「いちばんちいさいのに、いちばんたかかった」
「でも、美味かったな」
「おいしかった……」
うにゅほが幸せの溜め息をつく。
「でも、皆でひとくちくれーひとくちくれーってやったから、××半分くらいしか食べられてないんじゃないか?」
「こうかんっこだから、ちゃんとたべれたよ」
「いや、和牛を」
「わぎゅう、おいしかったけど、たくさんだとあきるかも……」
「あー」
脂っこいもんなあ。
「明日からまた節制の日々か……」
「がんばってね」
「──…………」
ふに。
「ふひ」
うにゅほの脇腹を揉んでみた。
「細い……」
「ふとってないよ」
「ずるい……」
「そんなこといわれても……」
うにゅほが苦笑する。
明日こそは、最近サボり気味のエアロバイクを漕ぐことにしよう。

※1 2017年12月23日(土)参照



2018年3月21日(水)

「ね、◯◯」
「なんぞ」
「しーは、えす、えっち、あい」
「……?」
「つーは、てぃー、えす、ゆー」
ローマ字のことだろうか。
「なんで、えっちとか、えすとか、はいるの?」
「ヘボン式ってやつだな」
「へぼん?」
「ローマ字の表記法のひとつだ。英語圏の人はヘボン式のほうが読みやすいらしい」
「しーとか、つーとか?」
「チ(chi)とかフ(fu)もそうだな」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「外国人が作った表記法だから、当然っちゃ当然だけど」
「にほんじんがつくったの、ないの?」
「あるぞ」
「なにしき?」
「えーと──」
キーボードを叩き、検索する。
「訓令式、だって」
「くんれいしき」
「シはsiで、ツはtu。キーボードに慣れてると、こっちのが馴染み深いな」
「そなの?」
「ヘボン式でも訓令式でも入力はできるけど、siでシって打てるのに、あいだにhを入れる必要ないだろ」
「たしかに……」
「このふたつが入り混じって混乱してるのが、いまの日本の現状みたい」
「どっちかにすればいいのにねえ」
「日本全国いっせーのーでで変えられればいいんだけど、あまり現実的じゃないな」
「そか……」
「ドラえもんの道具にそんなんあった気がする」
「あ、あったきーする」
「なんだっけ」
「うと……」
ふたり雁首突き合わせて五分ほどうんうん唸ったが、答えは出なかった。
検索したら負けな気がするので、いまだ正体はわからぬままである。



2018年3月22日(木)

トイレから駆け戻り、自室の扉を開けるや否や声を荒らげる。
「──ポータブル国会だ!」
「?」
うにゅほが小首をかしげた。
「日本全国いっせーのーででいろいろ変えられるドラえもんの道具だよ!」
「きのうのはなし?」
「そうそう」
あれからずっと心に引っ掛かっていたものが、ようやくポンと出てきたのだった。
トイレで。
「どんなどうぐだっけ……」
「ピンと来ない?」
「うん」
「国会議事堂みたいな形をしてて、法案を書いた紙を入れると──」
「あ!」
「思い出したか」
「うん、おもいだした」
うにゅほが知っているということは、新ドラのアニメでも放送されたエピソードであるらしい。
「やー……っと、スッキリした!」
「よくでたねえ」
「もっと褒めてくれていいぞ」
「すごい、すごい」
ぱちぱち。
「あ、そだ」
「ん?」
「ドラえもんのえいが、いつだっけ」
「あー、そろそろ春だもんな」
「うん」
「アニメ見てたらCMやってない?」
「さいきんみてない……」
「なら、調べてみよう」
チェアに腰を据え、軽やかにキーボードを叩く。
「公開日2018年3月3日──なんだ、とっくに公開してるんじゃん」
「やってるの?」
「らしい。時間作って観に行こうか」
「うん!」
うにゅほが笑顔で頷いた。
サブタイトルは「のび太の宝島」らしいが、南海大冒険のリメイクなのだろうか。
楽しみである。



2018年3月23日(金)

「──……はっ」
うにゅほを膝に乗せたままぼけらーっと動画を見ていたら、いつの間にか午後十一時を過ぎていた。
「日記書かんと……」
「どく?」
「そのままでいいよ、寒いし」
背後からうにゅほを抱き締めるようにして、キーボードに指を置く、
「苦しくない?」
「だいじょぶ」
「漫画読んでていいよ」
「うん」
うにゅほが、からかい上手の高木さん4巻を開き直す。
「──…………」
「──……」
ぺら。
「──…………」
「──……」
漫画の内容が目に入ってきて、いまいち日記に集中できない。
「××、漫画読んでるとき後ろから覗き込まれるの平気なんだな」
「? うん」
「俺、苦手でさ」
不思議そうな表情を浮かべて、うにゅほが振り返る。
「ジャンプとかいっしょによんでるのに……」
「一緒に読むぶんには問題ないんだけど」
「ふうん?」
「よくわからん?」
「よくわからん」
「なんというか、こう、自分がいま何をしてるのか知られるのに抵抗があるんだ」
「あ」
何かを思い出したのか、うにゅほが小さく声を上げた。
「◯◯、あいふぉんつかってるとき、がめんかくす」
「あー、隠す隠す」
「おなじ?」
「同じ心理だな」
「えっちなのみてるのかとおもってた」
「見てないよ……」
たまにしか。
「……そんなこと思われるくらいなら、見せたほうがマシな気がしてきた」
「そだねえ」
他人はどうあれ、うにゅほにだけは隠さないようにしよう。



2018年3月24日(土)

午前十時ごろ起床し、眠い目を擦りながらPCへと向かう。
作詞用の作業ファイルを開き、俺は思わず困惑した。
「小人の靴屋……」
「?」
座椅子に腰掛けて読書に勤しんでいたうにゅほが、俺の呟きに顔を上げた。
「どしたの?」
「起きたら歌詞が完成していた」
「えっ」
うにゅほが目をまるくする。
「わたしじゃないよ……?」
「大丈夫、わかってる。書いたの俺だし」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「だんだん思い出してきた。朝方、半分寝ながら仕上げたんだっけ」
「はんぶんねながら……」
「たまにあるんだよな。自動筆記みたいで楽は楽なんだけど」
「あんましむりしたらだめだよ」
「はーい」
イヤホンを耳に掛け、歌詞の仕上がりを確認する。
「──うん、悪くない」
「わるくないんだ」
「作詞は感性に依る部分が大きいからな。意外となんとかなる」
「へえー」
全国の作詞勢に怒られそうである。
「まあ、さすがにすこし手直しは──」
そこまで言ったところで、
「──……ふあ、ふ」
うにゅほの拳が入りそうなほどの大あくびをかました。
「眠い……」
「なんじにねたの?」
「ええと、四時過ぎまでは覚えてる……」
「──…………」
あ、渋い顔してる。
「もっかいねたほういいよ」
「……寝るかー」
「おひるになったら、おこすね」
「おねしゃす」
春眠暁を覚えず。
暁に寝入ったのだから当然である。
生活サイクルを整えねば。



2018年3月25日(日)

灯油の備蓄が切れてから、うにゅほの定位置は俺の膝の上となった。
雪山遭難よろしく互いの体温で暖め合いながら、残り僅かな冬を耐え凌ぐのだ。
最近流行のVtuberの動画を見漁っていたところ、ふとあることに思い至った。
「……暑くない?」
「あつい……」
見れば、うにゅほの首筋がうっすらと汗ばんでいる。
先程から幾度となく座り直しているのも、おしりが蒸れるからだろう。
「いかにも春って陽気だもんなあ」
「はる、きたかな」
「来たかも」
天気予報によれば、最高気温が10℃前後の日がしばらく続くらしい。
「暑いし、下りる?」
「どうがみたい……」
「だよなあ」
半端だもんなあ。
「椅子持ってきて、隣に座るとか」
「そうする……」
部屋の隅から丸椅子を運んできて、チェアの隣に設置する。
「××、こっち座っていいぞ」
と、パソコンチェアの背もたれを叩く。
「いいの?」
「たまにはな」
「……うへー」
うにゅほがチェアに座るのを確認したあと、丸椅子に腰掛ける。
自然と姿勢が正されて、これはこれで悪くない。
ケツが痛くなるけれど。
うららかな休日も、やがて日が暮れ夜になる。
「……寒くない?」
「さむい……」
「よし、くっつくか」
「くっつくー」
丸椅子を片付け、元の体勢へ戻る。
「……ふう」
「おちつくねえ」
「落ち着くなあ」
桜はいつごろ咲くだろうか。
今年もまた、ふたりで見に行きたいものだ。



2018年3月26日(月)

諸用で外出した際のことである。
「道路、完全に解けたみたいだな」
「あと、はしっこだけ」
「ほぼ春だ」
「ほぼはる」
「あとは桜が咲けばなあ」
「たのしみ」
うにゅほが、うへーと笑ってみせる。
「あ、コンビニ寄らないと」
「なにかうの?」
「ジャンプ」
「げつようびだった」
「月曜日なのだよ」
「わすれてた」
近所のセイコーマートへ立ち寄り、ジャンプと調製豆乳を二本購入する。
車内へ戻り豆乳を啜った瞬間、違和感が背筋を這いずった。
「……?」
妙だ。
妙に甘い。
そして、コクがある。
ストローから口を離し、パッケージに視線を落とす。
「チョコミント……」
「ちょこみんと?」
うにゅほが俺の手元を覗き込む。
「ちょこみんと……」
「チョコミント」
間違って購入してしまったらしい。
「ちょこみんとのあじ、する?」
「──…………」
ストローを啜る。
「チョコの味がする」
「みんとは?」
「ミントの味は、しない」
「しないの」
「少なくとも、気にはならない」
「おいしい?」
「美味しい……」
「おー」
意外や意外、これがまた行けるのだ。
「ひとくち飲んでみる?」
「のむ」
うにゅほがストローを口に含み、恐る恐る中身を吸い上げる。
「あ、おいしい……」
「な?」
「みんとのあじ、あんましないね」
「飲んだあと、かすかにスーッとするような、しないような……」
「うん、そのくらい」
チョコミントからミントを抜けばただのチョコ味だから、美味しいのは当然なのかもしれない。
「でも、チョコミント味のアイスは食べる気しない」
「うん……」
以前に一度食べて懲りたものな。※1
ともあれ、この豆乳であれば、また買ってもいいかもしれない。
チョコミント派閥の人には物足りないのだろうけど。

※1 2016年6月9日(木)参照



2018年3月27日(火)

ぐわん、ぐわん。
前後左右に揺れながら、呟く。
「なんかCD借りたいなあ……」
「つたやいく?」
「行きたいけど、そろそろ仕事が届きそうな気がする」
「あー……」
在宅とは言え仕事が最優先である。
「おわったら、いく?」
「仕事終わるの早くて七時くらいだし、終わったらすぐ飯食って風呂だからなあ」
「おふろのあとでかけるの、ちょっとやだね」
「同感」
「しーでぃー、なにかりるの?」
「スピッツとか……」
「スピッツ、まえかりてたきーする」
「それが、マイミュージックに入ってないんだよ」
「?」
「えーと」
しばし言葉を探し、
「CD返したあとも聞ける状態になってない」
「なんで?」
「わからん」
リッピングし忘れたとしか思えない。
「スピッツだけ?」
「あとは、バンプとかかなあ」
「ばんぷおぶちきん?」
「昔CD持ってたけどどっか行っちゃったから、久々に聴きたいと思って」
「そか」
「××、気になるアーティストとかいる?」
「んー」
うにゅほが小首をかしげる。
「──……んー?」
上半身がどんどん左に傾いていく。
「いないならいないで、無理しなくても」
「いないです……」
「まあ、あとは店頭で気になったのを適当に借りればいいか」
「うん」
「明日な」
「うん」
こんなこと言っといて、明日も出掛けるのを忘れる未来が見える。



2018年3月28日(水)

「──よし!」
切りの良いところで作業の手を止め、軽く伸びをする。
「××、TSUTAYA行くか」
「いくー」
外出の準備を整え、愛車に乗っていざ参る。
「スピッツのなにかりるの?」
「品揃えを見てみないとなあ」
「そか」
五分ほど車を走らせ、TSUTAYAの駐車場に入る。
「?」
様子がおかしい。
車が数台しかないし、
「……なんか、くらい?」
「うん」
昼間とは言え、店内にひとつも明かりがないのは妙だ。
「──…………」
「──……」
うにゅほと視線で会話を交わす。
わかってる。
でも、まだ確定はしていない。
改装中かもしれないのだ。
出入口の前に車を停め、扉に貼られた飾り気のない紙を読み上げる。
「……閉店しました、か」
「──…………」
「最近TSUTAYAがどんどん閉店してるのは知ってたけど、ここもか……」
ぎゅ。
うにゅほが俺の手を強く握る。
「ね」
「うん?」
「さみしいね……」
「……そうだな」
俺が子供のころからあった店だ。
うにゅほと何度も通った店だ。
寂しくないと言えば、嘘になる。
「しゃーない、ゲオ行くか」
「うん……」
CDの品揃えはTSUTAYAのほうが上だったのだが、仕方あるまい。
旧作十枚を千円でレンタルし、帰宅した。
時代の移り変わりとは、時に切ないものである。



2018年3月29日(木)

「──…………」
「──……」
「……暑くない?」
「あつい……」
チェアごと移動し、温湿度計を覗き込む。
「にじゅうろくてん、ななど……」
「──…………」
「わ」
チェアをくるりと二回転し、拳を天に突き上げる。
「ただいまをもって宣言する!」
「?」
「たったいまから、春!」
「おー!」
膝の上のうにゅほが、ぱちぱちと拍手を送る。
「当初の予定だったエイプリルフールより、二日ほど早く訪れましたね」
「よていあったんだ」
「四月はさすがに春かなって」
「そだねえ」
四月に雪が降ることもあるが、一時的なものに過ぎない。
大勢は既に決しているのだ。
「春かー」
「はるだー」
「道理で眠いと思った」
「◯◯、きょう、ずっとあくびしてるもんね」
「睡眠時間は足りてるはずなんだけど……」
「◯◯、はる、まいとしねむそう」
「春眠暁を覚えずと申しましてな」
「それ、なんていみ?」
「春は眠いって意味」
「そなんだ」
間違ってはいない。
「ねむいなら、ねたほういいよ」
「そうだなあ……」
座面の下のレバーを引き、チェアが平らになるまでリクライニングする。
「わー」
「では、このまま一緒に寝ましょうか」
「はい」
うにゅほが俺に抱きつき、目を閉じる。
少々暑いが、役得だ。
三十分ほど仮眠を取ると、眠気も幾分か収まってくれた。
しばらくは眠気と戦う日々が続きそうだ。



2018年3月30日(金)

「んー……?」
左腕を曲げ、伸ばし、軽く振る。
「?」
膝の上のうにゅほが振り返る。
「どしたの?」
「なんか、腕がだるい」
「ひだりだけ?」
「左だけ」
うにゅほが俺の左腕を取り、前腕のあたりをやわやわと揉む。
「きもちい?」
「わりと」
「つづけるね」
ふにふに。
やわやわ。
これが肩なら物足りなく思うところだが、だるい腕にはちょうどいい刺激だ。
「なんでだるいのかな」
「さあー」
「わからんの?」
「朝からすこし重かった気はするけど……」
「へんだねえ」
ふにふに。
やわやわ。
しばしのあいだマッサージを受けたあと、軽くなった左腕を振りながら言った。
「右腕も頼むー」
「みぎうで、だるくなった?」
「だるくないけど、気持ちよかったから」
「うへー……」
うにゅほが俺の右腕を取る。
「おきゃくさん、こってますねえ」
ふにふに。
やわやわ。
「腕って凝るのかな」
「わからん!」
「終わったら、××の腕もマッサージしてあげよう」
「おねがいします」
効いてんだか効いてないんだかわからんマッサージを互いに施し合う俺たちなのだった。



2018年3月31日(土)

「……あれ?」
仕事中、急にイヤホンから音が出なくなった。
iPhone7用のヘッドホンジャックアダプタを軽く曲げると、音が出始める。
伸ばすと、また止まる。
「アダプタ壊れたかもしれん……」
「あだぷた?」
「これ」
iPhone7とイヤホンを繋げる短いコードを指で示す。
「あ、これかー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「なんか、壊れたっぽい。付け根で断線したかも」
「◯◯、よびかうっていってたきーする」
「買った」
「かっといてよかったねえ」
「……それが、そうも言えなくてな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「このアダプタだと、充電しながら音楽聴けないだろ」
「そだね」
「だから、充電も同時にできるアダプタを買ったんだ。穴がふたつあるやつ」
「そなんだ」
「二日で壊れた」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
「××も知らなかったろ。速攻で壊れたから」
「しらなかった……」
安物買いの銭失いを地で行って気恥ずかしかったため、うにゅほには内緒にしていたのだった。
「やっぱ純正だな、純正。純正を買おう」
「じゅんせいのやつ、じゅうでんもできるやつあるの?」
「ない」
「ないの……」
「ないけど、いいんだ。よく考えたら充電しながら音楽聴いたこと一度もないし」
「あー」
「仕事中にしか聴かないんだから、純正で結構」
「そだね」
仕事を終えたのち、純正のアダプタをヨドバシドットコムで注文した。
月曜日までに届けばいいのだが。

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