>> 2018年2月




2018年2月1日(木)

風呂上がり、寒い廊下を抜けて自室へと舞い戻る。
「××、風呂空いたよ」
「はーい」
読んでいた漫画に愛用のブックマーカーを挟み、うにゅほが顔を上げる。
そして、
「あ──」
俺の顔を指差した。
「◯◯、ちーでてる……」
「血?」
両頬に触れる。
「ちがくて」
ティッシュを一枚抜き取ったうにゅほが、俺の唇に手を触れた。
「いて」
「ごめんね」
唇を拭ったティッシュには、そこそこの量の血液が付着していた。
「◯◯、ひげそるの、へたっぴい」
「ほんとな……」
視力がすこぶる悪いため、鏡を見ながらヒゲを剃ることができない。
剃るたびに流血するわ、剃り残しも多いわとなれば、"へたっぴい"のそしりを受けるのも仕方のないことであろう。
「オロナインぬるね」
「はい」
ぬりぬり。
うにゅほの細い指先が、俺の唇を撫でていく。
いささか官能的である。
「はい」
「ありがとな」
「きーつけてね」
「気をつけたいんだけどな……」
気をつけてどうにかなる問題なら、既に解決しているはずだ。
何かしらのブレイクスルーが必要だった。
「フェイスシェーバー、どこやったかな」
「かおそるやつ?」
「産毛しか剃れないけど、ないよりいいかなって」
「そだねえ」
革命的なヒゲ剃りの開発が待たれる。



2018年2月2日(金)

フェイスシェーバーを求めて引き出しを整理したところ、花札が見つかった。
「問題です」
「はい」
「二月はなーんだ」
「うめ!」
「正解」
「ぜんぶいえるよ」
「十一月は?」
「……やなぎ?」
「十二月」
「きり」
「──…………」
「──……」
「正解!」
「やた!」
「いえー」
「いえー」
ハイタッチを交わす。
「にがつはね、あのよろしもあるよ」
「赤短か」
「あかたん」
花札には短冊の描かれているものがある。
中でも、一月、二月、三月の短冊には字が書かれており、これを赤短と呼んで区別する。
「ほい」
見るからに「あのよろし」と記された二月の赤短をうにゅほに手渡す。
「これ、実は、"あかよろし"って読むんだってさ」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「あのよろしってかいてる……」
「よーく見てみな」
「うん」
「"の"の上に、ちょんって点があるだろ」
「ある」
「昔はこれで、"か"って読ませたんだって」
「──…………」
あ、納得行ってない顔してる。
「ほら、"る"みたいに書いて"ゑ"って読ませる字があるだろ。あれみたいなもん」
「あー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
厳密には違うけれど、雑談ついでの解説には十分だろう。
「じゃあ、みよしのは?」
「"みよしの"は、そのまま"みよしの"」
「へえー」
「"みよしの"はたしか、桜の名所の──」
聞き上手なうにゅほに甘え、使いどころのない雑学をここぞとばかりに披露する俺なのだった。



2018年2月3日(土)

今日は節分である。
豆まきを粛々と済ませ、南南東を向いて恵方巻きにかぶりつく。
「──…………」
「──……」
あぐあぐ。
「──…………」
「──……」
むぐむぐ。
「ふー」
美味かった。
だが、
「──……!」
はぐ、はぐ。
口の小さいうにゅほは、まだまだ食べ切れそうにない。
うにゅほの身をかばうように周囲を警戒していると、
「──××、なんでそんなとこで太巻き食ってんだ。行儀悪いぞ」
「!」
風呂上がりらしき父親に見つかってしまった。
いつもは階段なんか覗かないくせに!
「××、もう少しだ!」
「……!」
うんうんと頷きながら、うにゅほが恵方巻きを食べ進めていく。
「変なやつら」
父親が、首をひねりながらリビングへ戻っていった。
しばしして、
「あー、節分か!」
バレた!
だが、時間は十分に稼いだ。
「──ぷあ!」
恵方巻きをすべて平らげたうにゅほが、笑顔でピースサインを出す。
「よし、今年も無言で食べきったな」
「うん!」
「父さんの妨害がなければ、こんなもんよ」
「妨害?」
父親が、不思議そうに声を上げる。
「ンな幼稚なこと、俺がやるわけねえだろ」
「いや、毎年……」
「じゃましてくる……」
「そうだっけ?」
本気で言っているのか、冗談なのか、いまいちよくわからない。
何はともあれ、験は担げた。
縁起の良い年になりますように。



2018年2月4日(日)

壁掛けカレンダーに目をやり、ふと気づく。
「あ、もう二月じゃん」
「にがつだよ」
「カレンダーめくり忘れてた」
「ほんとだ」
てててと歩み寄り、うにゅほがカレンダーに手を掛けた。
「気をつけてな」
「うん」
ホルダーを左手で押さえながら、一月のカレンダーを慎重に切り離していく。
だが、
「──あっ」
何かの弾みで画鋲が落ちてしまった。
「ごめん、ひろってー」
「ほいほい」
うにゅほの足元に膝を突き、画鋲を探す。
だが、見当たらない。
カレンダーの真下は、電源コードのたぐいがごちゃごちゃしているゾーンだ。
コードの陰に隠れてしまったのかもしれない。
「踏んだら危ないから、見つかるまで動かないように」
「はい」
電源コードをまとめながら、画鋲を探す。
落ちても針が上を向かないプラスチック製の画鋲だが、踏めば危ないことに変わりはない。
「……ないなあ」
「ない?」
「どっか転がってったのかな」
「かも……」
困った。
これでは、安心して部屋のなかを歩くことができない。
「──…………」
カレンダーを抱えて困り顔のうにゅほを見て、ある可能性が脳裏をよぎった。
「××」
「?」
ずぼ。
「わ」
うにゅほが着ているパーカーのポケットに手を突っ込む。
ごそごそ。
「うひ、いひひ」
指先に、硬い感触。
針に気をつけながら、それをつまみ上げる。
「──あった!」
「えっ、あ、ほんとだ!」
「ポケットが大きいから、入っちゃったんだな」
「あぶない……」
ぞっとしたのか、うにゅほが眉をひそめる。
「◯◯、ありがとね」
「いえいえ」
怪我をせずに済んだのは僥倖である。
針や刃物を扱うときは、細心の注意を払わねば。



2018年2月5日(月)

いつものように自室でくつろいでいると、うにゅほが廊下からひょいと顔を出した。
「◯◯、といれっとぺーぱーとって。なくなりそう」
「あいよー」
重い腰を上げ、トイレへと向かう。
「──ほいっ、と」
トイレの上棚から8ロール入りの袋を抜き取り、うにゅほに手渡す。
「ありがと」
「ハサミある?」
「あるよ」
取り出したる小型のハサミでトイレットペーパーの袋を切り開きながら、うにゅほが呟くように言った。
「せーおおきいと、いいねえ」
「言うほど大きくもないんだけどな」
「おおきいよ」
「家ではいちばんだけど、成人男子の平均身長から見れば大したことない」
「へいきん、なんセンチ?」
「171cmだったかな」
「◯◯、ひゃくななじゅうごーてんご? ろく?」
「そのくらい」
「おおきい……」
「大きいったって、これくらいだぞ」
親指と人差し指を適当に広げてみせる。
「……うーん?」
うにゅほが首をかしげる。
「でも、◯◯、おおきいきーする……」
「××が俺の近くにいるからじゃないか?」
「?」
「近くのものは、大きく見える。いつも隣にいるから見上げる必要があるだけだよ」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「でも、やっぱし、おおきいきーするな」
「……××が小さいのでは?」
「!」
うにゅほの手が止まる。
「わたし、ちいさい?」
「平均よりは」
「そか……」
「……もしかして、気づいてなかった?」
「うすうすは……」
そうなんだ。
「まあ、ほら、俺は、××くらいの身長が可愛いと思うぞ」
「ほんと?」
「本当」
「……うへー」
うにゅほが、はにかむように笑う。
トイレでなんの話をしてるんだと思いつつ、その笑顔に安堵を覚える俺だった。



2018年2月6日(火)

左耳に掛けたイヤホンを外すとき、ふと引っ掛かる感触がした。
確認してみると、イヤハンガーから耳を保護するためのラバーサポートが千切れていた。
「あー……」
「どしたの?」
「これ」
うにゅほにイヤホンを見せる。
「きれちゃった?」
「切れちゃった」
「そか……」
「でも、これは好都合かもしれないぞ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ほら、このイヤホン調子悪かったじゃん」※1
「なおってないの?」
「直ってない。いまだに、たまーにノイズが混じる」
「そなんだ……」
「ちゃんと壊れてからと思ってたけど、交換ついでに見てもらおう」
「うん」
「高かったから、大事に使わないとな……」
「たかかったの?」
「高かったぞ」
「おいくら?」
あ、やべ。
「……××」
「?」
「値段なんていいじゃないか。ここにイヤホンがある。それだけが変わらぬ現実なのだから」
「ごまかしてる……」
「誤魔化してない」
「かたばん、けんさくしていい?」
妙な知恵を!
「言います、言います」
「はい」
「……ヨドバシポイント一括で払ったから、現金はびた一文出してない。そこは理解してほしい」
「わかった」
深呼吸し、口を開く。
「……17,000円」
「たか!」
「ポイントだぞ、ポイント!」
「はー……」
「……怒った?」
きょとんとした顔で、うにゅほが問い返す。
「なんで?」
「なんとなく……」
「たいせつにつかわないとねえ」
「そうだな」
三年保証だから、そのあいだは別の耳掛けイヤホンを購入せずに済む。
安物を買って壊して次々と消費していくほうが、結局は高くつくのだと信じたい。
音質も付け心地もいいしね。

※1 2017年10月10日(火)参照



2018年2月7日(水)

「よいせッ、と」
立ち上がるのが面倒だったので、チェアに腰掛けたまま冷蔵庫の扉へと手を伸ばした。
その瞬間、

──ビリッ!

作務衣の腋のあたりから、嫌な音が響いた。
「なんか、へんなおとした」
「しましたね……」
「なんのおと?」
「──…………」
右腕を上げ、該当箇所を覗き込む。
「……作務衣が破れる音」
「!」
「とうとう限界かあ」
「なおせる?」
「繕おうと思えば繕えるけど、根本的な解決にはならないかな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「この作務衣、もう十年選手だからな。あちこちボロボロなんだよ」
襟首は擦り切れて小さな穴が開いているし、裾に入ったゴムも伸び切って既に用をなしていない。
部屋着としても、いささかみすぼらしいと思っていたところだ。
「……さむえ、すてちゃうの?」
「いい機会だと思う」
「わたし、なおす」
「ダメ」
「だめ……」
「ここで××に直してもらうと、愛着が湧いて捨てられなくなる」
「うー」
「唸ってもダメです」
捨てるべきときに捨てるべきものを捨てる。
それができなければ、部屋がたちまち物で溢れ返ってしまう。
「わかりましたか?」
「はーい……」
なんとか納得してくれたようだ。
ただでさえ物の多い二人部屋なのだから、そこんとこ気をつけねば。



2018年2月8日(木)

故障したイヤホンを、オーディオテクニカのサービスセンターへと送付した。
「ゆうびんきょくのひと、おくれるかもっていってたね」
「福井、いま雪でひどいらしいからな……」
「うん。ニュースでみた」
「すごかった?」
「すごかった……」
他人事ではないが故に、福井県民の安否が気遣われる。
「いやほん、どのくらいかかるかなあ」
「二、三週間は見たほうがいいかもしれない」
「そのあいだ、だいじょぶ?」
「大丈夫。予備ならいくらでもあるからな」
「そんなにあるの?」
「ちゃんと数えてないけど、かなりある。××に貰ったヘッドホンもあるし」
「ふうん……」
「──…………」
「──……」
うにゅほの目が言っている。
何故そんなにイヤホンばかり持っているのか、と。
「まず、予備がいるだろ」
「うん」
「予備が壊れたときのために、予備の予備がいるだろ」
「うん?」
「聞くぶんには問題ないけどイヤーパッドが取れたやつとかも、予備に回すだろ」
「うーん」
「そしたら、ほら、イヤホンがたくさん」
「たくさん……」
「まあ、その連鎖を断ち切るために、高いの買ったんだけどさ」
「たかいのかってから、やすいのかってない?」
「買ってない。高品質なイヤホン持ってるのに、安物を買い足す必要ないし」
「なるほどなー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「結局、安物買いの銭失いってやつだったわけだ」
「いやほん、はやくもどってきたらいいね」
「そうだな」
保証期間はあと二年ある。
頑張ってくれよ、ATH-EW9。



2018年2月9日(金)

「……んー」
ソフトバンクから届いた圧着ハガキとにらめっこをする。
「◯◯、どしたの?」
「ソフトバンクがTポイントを3,000円分くれるらしい」
「なんで?」
「長期継続特典だって」
「そなんだ」
「まあ、それはありがたく受け取ったんだけども……」
ハガキのある一点を指し示して見せる。
「このポイント、半年で失効する」
「はんとし」
「半年」
「なんか、みじかいきーする」
「実際、短い。Tポイントの有効期限は、最後に使ってから一年間だもん」
「なんでだろね」
「タダで買い物されたら損だからだろ」
「なんか、ずるい」
俺もそう思う。
「おまけに、ここ読んでみ」
「?」
うにゅほが目を細める。
「じー、ちいちゃい」
「このポイントは、普通のTポイントと違って、Yahoo!ショッピングとかの特定の場所でしか使えないと書いてる」
だったらそれTポイントじゃないだろ。
「やることがこすいんだよなあ……」
「……ほんとにつかえるの?」
「使っとくか。忘れないうちに」
「うん」
ブラウザからYahoo!ショッピングを開く。
「──とは言え、何を買えばいいやら」
「いやほん?」
「イヤホンはもういいって」
「じゃあ、さむえ」
「なるほど」
ちょうど破れたばかりだものな。
3,000円前後で良さそうな作務衣を注文したところ、送料で足が出た。
タダで買い物は難しい。



2018年2月10日(土)

「──……ふあ、ふ」
大きなあくびをひとつかまし、呟く。
「暇だなー……」
「ひまだねえ」
やるべきことはいくらでもあるが、絶えず集中してはいられない。
暇だ暇だと繰り返しながらチェアの上でうだうだしていると、うにゅほが俺の膝に腰掛けた。
「うへー」
「お、なんだなんだ」
「すわりたかっただけー」
「そっか」
なるほど。
うにゅほのほっぺたを両手でもちもちしてみる。
「ふぁにー?」
「触りたかっただけ」
「ほか」
うにゅほが俺の右手に頬擦りする。
「どした」
「すりすりしたかっただけー」
「そっか」
うにゅほの長髪をまとめて、ヘアゴムで留めてみる。
「なにー?」
「ポニテの××を見たかっただけ」
「にあう?」
「似合う」
「……うへー」
対面するように座り直したうにゅほが、俺の前髪をヘアゴムで縛る。
「どした」
「しばりたかっただけー」
「似合う?」
「にあわない!」
「だよなあ」
しばらくのあいだ、謎の「したかっただけ遊び」で暇を潰す俺たちなのだった。
やってるときは楽しかった、うん。



2018年2月11日(日)

すこし早いが、知人からバレンタインのチョコレートを頂いた。
「あ、ロイズだ」
それも、ちょっと良いアソートメントだ。
「──…………」
「──……」
「その、××さん?」
「──…………」
うにゅほの小さな背中が、「私は機嫌が悪いです」と明朗に物語っている。
「……ひとつ食べる?」
「いい」
完全にぶーたれている。
「××」
「──…………」
「××ー」
「──…………」
ぷい。
困ることは困るのだが、これはこれでちょっと楽しい。
「××、今年もチョコくれる?」
「……あげる」
「どんなの?」
「ひみつ」
「わかった、手作りだ」
「……ひみつ」
「楽しみだなあ」
「あてないでー……」
手作りらしい。
「もうできてるの?」
「──…………」
ぷい。
「まだ?」
「──…………」
ぷい。
「明日あたり、出掛けたほうがいい?」
「だいじょぶ」
「いつの間に作ったんだ?」
「──…………」
あ、口元が笑ってる。
ハズレか。
「あ、わかった。明後日病院行くから、そのあいだに作るのか」
「!」
正解らしい。
「◯◯、ぜんぶあてちゃう……」
「何年一緒に暮らしてると思ってるんだ」
「すごい」
「機嫌治った?」
「あ」
うにゅほがこちらに背を向ける。
「──…………」
「──……」
「こちょこちょこちょ!」
「ひゃ! いひ、うししし!」
バレンタイン楽しみだなあ。



2018年2月12日(月)

起きては寝てを繰り返し、気づけば既に午後三時。
動き出すには少々遅い時刻である。
「……最近、休みのたびにこんな感じだ」
「つかれてるのかな」
「ごめんな、どこにも連れて行けなくて……」
「んー」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「とくにでかけたくないので……」
「……そうなの?」
「うん」
「気を遣って言ってるとかではなく?」
「さむい」
「あー」
わかる。
「はるになったら、でかけたい」
「スパンが長いなあ」
「すぱん?」
「フランスパン」
「フランスパン、ながい」
「長いな」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
面白い。
「きょう、なんのひだっけ」
「たしか、建国記念の──」
カレンダーを見やる。
「振替休日だな」
「ふりかえきゅうじつ」
「振替休日です」
「たまにあるけど、なんのひ?」
「祝日が日曜日だったとき、休みと休みが重なって、一日損だろ」
「うん」
「そんなとき、月曜日を休みにするのが振替休日」
「じゃあ、けんこくきねんのひ、きのう?」
「そうだよ」
「にほん、きのうできたんだ」
「……改めて考えたことなかったけど、そういうことになるな」
調べたところ、初代天皇とされる神武天皇の即位日が、現在の暦であるグレゴリオ暦の2月11日に当たるらしい。
「へえー」
「初めて知った……」
そう考えると、なかなか趣深いものがある。
まあ、昨日なんだけど。
純粋無垢な視点には気づかされることが多いと感じた冬の一日だった。



2018年2月13日(火)

「ペットボトルを潰したい」
「?」
「縦に潰したい」
「たてに……」
「縦に潰せたら、だいぶ嵩張らなくなると思うんだ」
「そだけど」
「でも、難しいよな」
「むずかしいとおもう」
「そんなあなたに、ペットボトル潰し器!」
「!」
「ペットボトルをセットして、上から足でワンプッシュ! あっという間にぺしゃんこだ!」
「おー」
「──という商品を買おうか悩んでるんだ」
「いいとおもう」
「売り文句通りならいいんだけどさ」
手近にあったカラのペットボトルを手に取る。
「これ、踏んだくらいで潰れるかなあ……」
「あー」
1.5リットルのペットボトルは、相当に丈夫である。
体重をかければ潰れることは潰れるだろう。
だが、期待するほどの圧縮率が得られなければ、物置の肥やしになるだけだ。
うにゅほにペットボトルを手渡しながら、尋ねる。
「どう思う?」
「んー」
ペットボトルをいじくり回したあと、うにゅほが答えた。
「わたしのっても、つぶれないとおもう……」
「うん」
だろうな。
「◯◯のったら、つぶれる、かなあ」
「多少潰れるくらいじゃ必要ないんだよな。ぺしゃんこにならないと」
「ぺしゃんこ、なるかなあ……」
「試せればいいんだけど」
「うーん」
「……まあ、保留かな」
「そだね」
ホームセンターあたりで実演できないかなあ。
難しいか。



2018年2月14日(水)

「──さて」
起床し、伸びをする。
「チョコを探すとしましょうか」
「うへー」
うにゅほが満足げな笑みを浮かべる。
バレンタインの宝探しは、毎年の恒例行事だ。
「部屋のなか?」
「はい、へやのどこかです」
「こっちだな」
自室の書斎側へと迷いなく向かう。
「朝方、ごそごそしてたのは、なんとなく覚えてるんだ」
「──…………」
うにゅほが視線を逸らす。
正解らしい。
「冷蔵庫は、と」
ない。
「ストーブの裏は?」
ない。
「引き出しのなか……」
ない。
「……うーん」
壁一面の本棚を凝視していると、ふとあることに気がついた。
「幽遊白書って、こんな手前に出てたっけ」
数冊ほど手に取ってみると、
「あ」
奥に、可愛らしい包みが隠されていた。
「バレンタイン、おめでと!」
「ありがとな」
「うん」
「開けていい?」
「いいよ」
包みを開くと、手作りらしいトリュフチョコと、あるものが入っていた。
「……××」
「はい」
「これ、父さんや弟と、中身同じ?」
「うへー……」
照れくさそうに微笑み、うにゅほが答える。
「……ちょっとだけちがう」
「そっか」
では、一枚だけ入っていたハート型のチョコレートは、最後に食べることにしよう。



2018年2月15日(木)

Tポイントで購入した作務衣が届いた。※1
「おー」
「丈夫そうな生地じゃん」
縫製もしっかりしており、これで三千円少々ならば良い買い物に入るだろう。
まして、払ったのは送料だけなのだし。
「ね、きてみて!」
「はいはい」
着てみた。
「──うん、サイズもちょうどいいな。着やすい」
「かっこいい」
「カッコいいなんて言ってくれるの、××だけだよ……」
「そかな」
「そうそう」
うにゅほ以外に言われたところで、さして嬉しくもないけれど。
「かみ、のびたねえ」
「あー」
姿見を覗き込む。
「……そうかも」
最後に髪を切ったのは、いつだったろう。
去年であることは確かだから、二ヶ月ほどは経っているはずだ。
「かみ、のばすの?」
「伸ばさないって。似合わないし」
「みたことない」
「見せたことないな」
「みたい……」
「嫌です」
「えー」
「床屋、いつ行こうかなー」
「えー!」
「……××のショートヘア、見たことないな」
「!」
うにゅほが、艶めいた長髪を押さえる。
「大丈夫大丈夫。切れとか言わないから」
「そか……」
「俺、××の髪、好きだもん」
「……うへー」
てれり。
「でも俺自身の髪は好きじゃないので切ります」
「えー」
時間を作って、今月中には床屋へ行こうと思う。

※1 2018年2月9日(金)参照



2018年2月16日(金)

ストーブの前に寝そべりながら今週のジャンプを読み返していると、うにゅほが俺の背中に跨った。
「なによんでるの?」
「ハンター」
「はんたーはんたー、よくわかんない……」
「最近、コナン並みに文字多いもんなあ」
「あと、まえのはなし、おぼえてない」
「まあ、うん」
残当である。
「昔はそんなことなかったんだけど」
「むかし……」
「読みやすかったし、理解しやすかったし、何より毎週ちゃんと載ってた」
休載は多かったけれど、いまよりはマシだ。
「むかしって、どのくらいむかし?」
「──…………」
しばし思案し、答える。
「俺が高校くらいのとき、とか」
「はんたーはんたー、そんなまえからやってるんだ……」
「二十年くらい連載してるんじゃないかな」
「はー……」
うにゅほが目をまるくする。
「二十年と言えば、こち亀なら100巻達成したころなんだけどな」
「はんたー、なんかん?」
「こないだ本屋で35巻を見た気がする」
「すくない」
「冨樫が生きてるあいだに完結するかな……」
あまり期待はしていない。
「◯◯、ジャンプ、いつからよんでるの?」
「小学生のときからかなあ」
「そんなに」
「ラッキーマンとか連載してた気がする」
「あ、きいたことある」
ふと気づく。
「……俺、二十年以上、毎週欠かさずジャンプ読んでるのか」
「すごい」
「うーん……」
すごいはすごいのだが、この継続力を何かに活かせたのではないかと考えると、なんとなくモヤッとする俺なのだった。



2018年2月17日(土)

「──◯◯、◯◯」
「ん……」
目を覚ますと、布団が揺さぶられていた。
空気の冷たさが、まだ早朝であることを教えてくれる。
「……どした」
嫌な予感があった。
こんな時間にうにゅほが俺を起こすことなど、そうはない。
うにゅほが、躊躇いがちに口を開く。
「あのね」
「うん」
「おじさん、しんだ……」
「──…………」
呼吸を整え、尋ねる。
「どの、おじさん?」
「おかあさんとこの、おじさん……」
「……急に?」
俺の知る限り、母方の伯父は、病気らしい病気を患っていなかったはずだ。
「のういっけつ、だって」
「脳溢血か……」
急死だ。
苦しむ間もなく逝ったのだろう。
それは、あるいは幸福なことなのかもしれない。
「──…………」
不安げな表情を浮かべたうにゅほが、俺の手を取り頬擦りする。
俺には、うにゅほの気持ちがわかる。
怖いのだ。
人は死ぬ。
ある日突然、死ぬ。
その事実を、眼前に突きつけられたのだから。
「……××」
「──…………」
「腹減ったな。朝ごはん、なんかある?」
「きのうのカレーある……」
「××は、食べた?」
「まだ」
「一緒に食べるか」
「……うん」
通夜は、月曜日の夜になった。
一泊してくるので、月曜日の日記はお休みとなります。
あしからず。



2018年2月18日(日)

早朝のことである。
「──…………」
つんつん。
「──…………」
つんつん。
「……んー」
ほっぺたをつつかれている。
「◯◯ぃ……」
「どした」
「いきてる?」
「生きてる、生きてる……」
「そか」
簡単な受け答えをして、再び眠りの淵へと落ちていく。
しばしして、
「──…………」
つんつん。
「──…………」
つんつん。
「……どした」
「◯◯、いきてる?」
「生きてる、生きてる……」
「そか……」
伯父の急死が余程ショックだったのだろう。
すこし寝息が静かだと、俺が生きていることを確認せずにはいられないらしい。
このままでは睡眠不足まっしぐらである。
「──…………」
つんつん。
「──…………」
つんつん。
「……××さん」
「はい」
羽毛布団をめくり、うにゅほを引きずり込む。
「わ」
「一緒に寝りゃ、確認せずに済むだろ……」
「……うん」
「寝るの遅かったから、昼まで起こさないように」
「はい」
湯たんぽ代わりにうにゅほを抱き締めて、目を閉じた。
暑くて逆に寝苦しかった。

※ 明日の「うにゅほとの生活」はお休みとなります



2018年2月19日(月)
2018年2月20日(火)

葬儀は滞りなく行われた。
伯父の人徳か、家族葬であるにも関わらず、弔問客が後を絶たなかった。
「なんか、夢でも見てる感じ」
「うん……」
伯父は、急死だ。
祖父母が亡くなったときとは異なり、心の準備をする暇がなかった。
苦しむ間すらなかった伯父の死をどう扱っていいか、この日記を書いている今もわからない。
家族葬用の会館が狭かったため、俺とうにゅほは伯父の家に泊まることになった。
伯父の家には、伯父の気配があった。
霊的なものではない。
芸術の素養があった伯父の油絵であるとか、
遊びに来るたびに淹れてくれたコーヒーメーカーであるとか、
伯父の好きだった三国志の本であるとか、
つまりはそういったものだ。
「──…………」
ああ、これはいけない。
この家には、伯父の形の穴がある。
うにゅほの手を強く握り、泊まる予定の和室に引きこもる。
「……さっさと寝ちゃおう。明日もあるし」
「うん」
喪服から作務衣に着替え、トイレへ向かう。
トイレの扉には、手作りらしきカレンダーが飾られており、今月と来月の予定が途切れ途切れに書き込まれていた。
「──…………」
伯父は、今日を生きるつもりだった。
明日を、明後日を、来月を、来年を、生きるつもりだったのだ。
伯父の人生は、ぶつ切りにされた。
やるせない。
怒りを向ける相手もいない。
身内が亡くなるたび、同じことを思う。
何故、もっと言葉を交わさなかったのか、と。
いつか両親が死んだときも、きっと同じ後悔をするのだろう。
「……いつか、なら、いいけどな」
「?」
「なんでもない」
うにゅほを抱きすくめたまま、眠くなるまでテレビを見ていた。
何故、もっと抱き締めなかったのか。
そんなことを思わないように。



2018年2月21日(水)

「◯◯、◯◯」
「んー?」
振り返ると、プラスチック製の櫛と寝癖直しスプレーを装備したうにゅほが立っていた。
「──…………」
両手で髪型を確かめる。
寝癖なら、ちゃんと直したはずだ。
「まだどっか跳ねてる?」
「はねてないよ」
「そっか」
では、何故そんなものを手にしているのだろう。
不思議に思っていると、うにゅほが口を開いた。
「かみいじっていい?」
「いいけど……」
「やた!」
「いじるって、どういじるんだ?」
「うーと──」
しばし思案し、答える。
「まんなかのけーをね、ひだりにもってくの」
「分け目を変えるってこと?」
「そう」
「ふうん……」
「かみきったらね、できないから」
短髪だと、分け目もクソもないからなあ。
「しゅーってするね」
「はいはい」
シュッ、シュッ。
前髪が濡れて、雫が額を伝う。
「わ」
「自分で拭くから大丈夫」
「ごめんね」
目を閉じ、身を任せる。
うにゅほの手つきは、臆病なほどに優しく、心地よい。
「──できた!」
「似合う?」
「うん、にあう」
卓上鏡を覗き込む。
真ん中分けの男が右分けの男になっただけだが、口にするのも野暮だろう。
「かみきるまで、このままね」
「はいはい」
うにゅほが満足そうだから、なんだっていいや。



2018年2月22日(木)

ふとディスプレイの右下を見ると、2がみっつ並んでいた。
「2月22日か」
「ねこのひ」
「猫の日だな」
「にゃん、にゃん、にゃん」
あざとい。
でも、嫌いじゃない。
「猫飼いたいなあ」
「ねー」
「弟が猫アレルギーでさえなければなあ……」
「うん」
こればかりは仕方ない。
「でも、子供のとき、一週間だけ猫飼ったことあるんだぜ」
「いっしゅうかんだけ?」
「捨て猫でさ。拾ったときには、もうだいぶ弱ってて」
「……しんじゃった?」
「──…………」
無言で肯定する。
「なまえ、ききたいな」
「……名前か」
「おぼえてない?」
「いや、覚えてる。覚えてるけど……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……笑わないように」
「わらわないよ」
しばし天井を見上げたのち、答える。
「──……にゃあ」
「にゃあ……」
「小学生のネーミングセンスなので……」
「かわいい」
どちらのことを言っているのだろう。
まあいいか。
「結局、衰弱して死んじゃって、庭にお墓を作ったのを覚えてる」
「……そか」
「たぶん、いまでも庭土の下に──」
ふと気づく。
「……お墓を作った庭って、いまガレージ……」
「あ」
切ないオチがついてしまった。
生まれ変わって愛されていることを祈ろう。



2018年2月23日(金)

昨夜のことである。
「──ヨドバシのポイント、また貯まってきたなあ」
「なんぼくらい?」
なんぼて。
「二万ポイントくらいかな」
「にまん!」
「二万あれば、あれが買えるなあ……」
「いやほん?」
「イヤホンではなく」
「なに?」
「……"また?"って言われる気がする」
「いわないよ」
「本当?」
「ほんと」
「キーボードが欲しい」
「──…………」
うにゅほが、いわく言い難い表情を浮かべる。
「"また?"って言わない?」
「いわない」
「言いたい?」
「いいたい……」
「しょうがないじゃないか! REALFORCEが16年ぶりに新モデルを出したんだから!」
「ほしいの?」
「ダメ?」
「いいけど……」
「やった!」
呆れ顔のうにゅほを横目に、ヨドバシドットコムでREALFORCEのR2-JPV-IVを注文した。

今日の午後五時ごろ、玄関のチャイムが鳴った。
「……キーボード届いた」
「はや!」
「Amazonだと二、三日はかかるのになあ」
まさか、注文して二十四時間以内に届くとは思わなかった。
札幌店から発送されたのかもしれない。
「はやくとどいて、よかったね!」
「ああ」
「こんど、どんなきーぼーど?」
「開けてみましょう」
「うん」
本日の日記は、新しいREALFORCEで打っている。
すこぶる快適です。



2018年2月24日(土)

両手を擦り合わせながら、呟く。
「今日も寒いっすなあ……」
「さむいっすねー……」
「──…………」
うにゅほの後輩口調、新しい。
「××、しばらくその口調で話してみて」
「?」
「返事は?」
「はい」
「ではなく?」
「……はいっす?」
無言で親指を立てる。
「やー、そろそろ二月も終わるなあ」
「そうだね、……っす」
「雪が解けたら何をしようか」
「さくらみたい、っす!」
「桜は四月まで待たないとな」
「うんっす」
「××」
「?」
「下手」
「!」
があん、とうにゅほがショックを受ける。
「俺がお手本を見せるっすよ」
「うんっす」
「まず、頷く場合は"はいっす"を使うといいっす。基本的に敬語につける形っすね」
「なるほど、っす」
「やー、そろそろ二月も終わるっすねえ」
「そうです、っすね?」
「"です"の代わりに使う感じっすよ」
「そうっす?」
「そんな感じっす」
「わかったっす!」
「雪が解けたら何をしたいっすか?」
「さくら、みたいっす」
「桜は四月まで待たないとダメっすねー」
「まつっす」
「そうそう、上手いっすね」
「うへー、っす!」
「──…………」
ソファでテレビを見ていた風邪気味の弟が、こちらを振り返って言った。
「すーすーうるさい」
「「ごめんっす」」
リビングでやる遊びではなかったな。
反省反省。



2018年2月25日(日)

「──…………」
無心でゲームパッドを操作していると、うにゅほが自室へ戻ってきた。
「◯◯、こわいゲームしてる……」
「……はァ……」
深い溜め息をつき、ゲームを終了する。
「……あの」
「?」
「こわいゲーム、してていいよ……?」
戸惑いまじりのうにゅほの言葉に、自分の態度を振り返る。
「──あ、違う違う。ごめん。××が帰ってきたからゲームやめたんじゃないよ」
「ちがうの?」
「単に、ゲームの内容がさ……」
再び、溜め息をつく。
「……××、リメイクってわかる?」
「(弟)やってる、せいけんつーみたいの?」
「そうそう」
チェアを回転し、うにゅほへと向き直る。
「たとえば──そうだな。桃太郎で考えてみよう」
「ももたろう」
「犬、猿、キジを仲間にして、鬼退治をする。テーマは、正義が悪を正すとか、そんなとこだろ」
「うん」
「では、現代日本を舞台をにして、犬、猿、キジも、そんな名前の人間にしてみよう。鬼はSFXで、バトルもド派手に演出だ」
「おー」
「これは桃太郎だと思う?」
「ちがうとおもう……」
「人によると思うけど、俺は、このタイプのリメイクは許せるんだ。テーマが一貫して同じだから」
「てーま」
「次に、こんな桃太郎だ。犬、猿、キジは女の子。鬼ももちろん女の子。桃太郎はハーレムで、めでたしめでたし」
「──…………」
うにゅほが眉根を寄せ、難しい顔をする。
「俺、このタイプのリメイクはダメなんだよな……」
「はーれむ?」
「ハーレムは、ただの喩え。問題は、テーマが完全にすり替わってしまっていることでさ」
「てーま……」
「チョコレートをリメイクしてチョコレートケーキを期待してたところに、チョコ味のカレーが出てきたようなもんかな」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「……まあ、厳密には、"リメイク"じゃなくて"リイマジン"だそうだけど」
「?」
言い訳がましいと思うのは、俺だけではあるまい。
悪しざまに言ったのでタイトルは伏せるが、あまりオススメはできません。



2018年2月26日(月)

作務衣の上衣をはだけ、エアロバイクを漕ぎ続ける。
「はい、すいぶん」
「さんきゅー」
うにゅほから十六茶のペットボトルを受け取り、漕ぎながら封を開ける。
ペットボトルに口をつけたところで、
「あ!」
うにゅほが不意に声を上げた。
「?」
ペットボトルを検める。
特におかしな部分はない。
「◯◯、あおたんなってる……」
青たん。
つまるところ、青痣である。
「どこ?」
「ここ!」
うにゅほが指差したのは、二の腕の内側だった。
「本当だ……」
見事に青く染まっている。
我ながら痛々しいほどだ。
「ここ、どしたの?」
「俺が聞きたい」
何をどうすれば、二の腕の内側を痣が出るほど打撲できるのだろう。
「……ラリアットとか?」
「らりあっと……」
当然、誰かにラリアットをかました覚えはない。
「ね、いたくない?」
「痛くはない」
「しっぷ、はる?」
「いらないかな……」
青痣くらい、放っておけば消えるだろう。
そもそも、うにゅほに指摘されなければ、気づかぬうちに治っていた可能性すらある。
「きーつけないとだめだよ」
「はい」
どう気をつければいいかわからないが、頑張って気をつけようと思った。



2018年2月27日(火)

家の前の通りにロータリー除雪車が入り、根雪まで削り取っていった。
その結果、道路の端に立ち現れたのは、俺の身長を優に超す雪の壁だ。
「わー……」
うにゅほが壁を振り仰ぐ。
「たかい!」
「今年、雪多かったもんなあ」
「うん」
「登る?」
「のぼらないよー……」
うにゅほが苦笑する。
「何年か前、登りたがってた気がするんだけど」
「そだっけ」
「××も大人になったのかな」
「うへー」
嬉しいような、寂しいような。
「……本当に成長したよなあ」
「そかな」
「母さん、××がなんでも手伝ってくれるから、体がなまって困るって言ってたぞ」
「──…………」
うにゅほが、真剣な顔で言う。
「……かじ、しないほういい?」
「違う違う。嬉しい悲鳴ってやつだよ」
「うれしいひめい……」
「嫌よ嫌よも好きのうち──は、違うか。ぜんぜん違うな」
「うーん?」
「たとえば、こう、すごく美味しいお菓子があるとするだろ」
「うん」
「美味しいから食べ過ぎて、太っちゃった。これがいわゆる嬉しい悲鳴だな」
「わたし、おかし?」
「美味しいお菓子」
「へえー」
うんうんと頷く。
理解していただけたようだ。
「わたし、あれがいいな」
「どれ?」
「チョコまん」
「……それ、××が食べたいだけじゃないか?」
「うへー……」
「ま、いいけど。本屋行く途中で、コンビニ寄ろうか」
「うん!」
中華まんの季節も終わりを告げようとしている。
春は、もうすぐそこだ。



2018年2月28日(水)

「あ゙ー……」
凝り固まった背筋を伸ばしながら、呟く。
「今月も、もう終わりかあ」
「え!」
うにゅほが、まるくなった目をカレンダーへと向ける。
「そだ、にがつだ」
「二月だぞ」
「わすれてた……」
うへーと照れ笑いを浮かべながら、誤魔化すように言葉を継ぐ。
「にがつ、なんでみじかいんだろねえ」
「調べたことはあるぞ」
「なんでだった?」
「忘れた」
「えー」
「たしかだけど、かなり歴史に切り込んだ理由だったんだよ。俺、歴史苦手だから」
「あー……」
「××も歴史苦手だしな」
「うん、れきしにがて」
「マルクス・アウレリウス・アントニヌス!」
「ま、え?」
「たぶんローマ皇帝。詳しくは知らない」
「へえー」
「墾田永年私財法!」
「こんでん……」
「新しく開墾した土地は自分のものにしていい、みたいな法令」
「そなの?」
「むかーしのやつ」
「むかーしのやつかー」
「そうそう」
「なんでいまいったの?」
「理由が必要かい」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「アウストラロピテクス!」
「あすとらろ?」
「最古の猿人だか類人猿だか」
「そなんだ」
「なんか語呂のいい単語、他になかったかなー」
「ぴてかんとろぷす……」
「木星に着きそう」
古今東西うろ覚えの歴史用語みたいな会話で、二十分ほど時間を潰すふたりだった。

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