>> 2017年11月




2017年11月1日(水)

「11月だなあ」
「じゅういちがつだねえ……」
「11月と言えば? ──はい、××さん」
「え!」
「五、四、三、ニ──」
「うと、うと、じゅうにがつのまえ……」
11月が聞いたら泣くぞ。
「まあ、あんまりイベント感のある月ではないよな」
「うん」
淡々と過ぎ去っていくイメージがある。
「1月は?」
「いちがつは、◯◯のたんじょうび!」
「お正月もあるな」
「うん」
「2月は?」
「えほうまき」
先にバレンタインが出てほしかった。
「3月」
「はる」
「4月」
「さくら!」
「5月」
「うと、ごーるでんうぃーく……」
「6月」
「──…………」
うにゅほが考え込む。
「……たしかに、6月もイベント感ないな」
「うん……」
「7月」
「なつ!」
「8月」
「はかまいり」
「9月」
「あき」
7月が夏で9月が秋であるあたり、北海道である。
「10月」
「とりっく、おあ、とりーと」
「ハロウィンな」
「はろうぃん」
「11月は、コロの命日くらいしかないな」
「うん……」
今年もビーフジャーキーを供えてあげよう。
「とりあえず、6月と11月には、もうすこし頑張ってもらわないとな」
「そだね」
何がどうなれば頑張ったことになるのかはわからないが、是非頑張ってほしい。



2017年11月2日(木)

「××、××」
「?」
「来てみ」
「はーい」
うにゅほを膝に乗せ、YouTubeの再生ボタンを押す。
「わ」
「ポメラニアンの赤ちゃん」
の、動画。
「かわいー……」
うにゅほが、食い入るように画面を見つめる。
「しろいこ、わたあめみたい」
「美味しそうだな」
「たべちゃだめだよ」
「食べないよ」
二分程度の動画が終わると、次のおすすめ動画が自動的に再生された。
今度は、ポメラニアンにシャンプーをする動画だった。
「しなしなだ」
「洗い立てはな」
一分後、
「ふわふわだ!」
「美味しそうだな」
「たべちゃだめだよ?」
「食べないって」
そんな会話を交わしていると、次の動画が始まった。
「はりねずみのおふろ、だって」
「どれどれ」
「はりねずみ、とげとげだねえ」
「ハリネズミだからな」
「いたいかな」
「優しく触れば大丈夫じゃないか?」
「はな、ぴくぴくしてる」
「可愛いな」
「うん、かわいい」
動画が終わり、また次の動画が始まる。
しまった、これ永遠に見れるやつだ。
そんなこんなで、二時間ほど、うにゅほと一緒に可愛い動物動画を楽しんだのだった。
また見よう。



2017年11月3日(金)

「うへー……」
「わ」
ぐでんぐでん。
負ぶさるように、うにゅほに抱きつく。
「お、も、いー……!」
「頑張れ」
「がんばるー……」
うにゅほの負担にならない程度にかける体重を調整しつつ、自室へ向かう。
「◯◯、やきにくのにおいする」
「焼肉食べてきたからなあ」
「おさけのにおいもする」
「お酒も飲んできたからなあ」
「だいじょぶ?」
「大丈夫!」
「ほんとかな……」
「では、証明してみせよう!」
ぱ。
うにゅほから身を離し、しばし屈伸運動をする。
「なにするの?」
「片足でしゃがんで、そのまま立つ! 立ってみせる!」
「むり、むり」
うにゅほが苦笑する。
「シングルレッグスクワットといって、実際にあるトレーニングだぞ」
「でも、あぶないよ」
「危ない」
「うん」
「だが、男には、やらねばならないときがあるのだ」
「それ、いま?」
「今!」
「いまなんだ……」
「行きます!」
右足で廊下を踏みしめ、左足を高く掲げる。
いくら酔っていたとしても、この程度でふらつくような鍛え方はしていない。
「だいじょぶ……?」
「まあ、見ていなさい」
ゆっくりと右膝を曲げていき、やがてかかとが尻につく。
「おー……」
「待て、ここからだ……」
ぐ。
ぐぐぐ、ぐ。
「──ハイ!」
なかば無理矢理に立ち上がる。
「おー!」
ぱちぱちぱち!
「つ、足攣りそう……」
「わ、だいじょぶ?」
うにゅほが俺の右足に触れる。
「いや、なんか、左足の太腿が……」
「え、ひだり?」
「左」
「なんでだろ」
「わからん……」
証明したのは、酔っていないことではなく、むしろ酔っていることではあるまいか。
酒の勢いでおかしなことを始めるのは、危ないのでやめましょう。



2017年11月4日(土)

「──××、今日は何曜日?」
「うーと、どようび」
「そうなんだよ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「もう二日休んでるのに、明日も休みなんだよ!」
「さんれんきゅう、だもんね」
「毎週三連休だったらいいのに……」
ごろんごろん。
「あ、そうだ。こないだ借りたDVD観る?」
「なんだっけ」
「"アイヒマンの後継者"って映画と、"ゾンビランド"ってやつ」
「ぞんび……」
「ゾンビは出るけど、観て楽しいのは"ゾンビランド"のほうだと思うぞ。ホラーコメディだし」
「そなの?」
「むしろ、精神的にきついのは、"アイヒマンの後継者"のほうだと思う」
アイヒマンの後継者。
スタンレー・ミルグラムの電気ショック実験を描いた映画である。
エンタメ作品としては、どう考えたって、ゾンビランドに軍配が上がるだろう。
「じゃあ、ぞんびみる……」
「そうしましょう」
トレイにDVDをセットしたあと、膝の上にうにゅほを乗せる。
「だっこしてて……」
「はいはい」
左腕でうにゅほを抱き締め、右手でマウスを操作する。
メニュー画面で字幕を消し、日本語吹き替えにして、本編再生ボタンを押した。

一時間半後──
「はー……」
「面白かったな」
「おもしろかった!」
うにゅほが笑顔でこちらを振り返る。
ゾンビ映画だから、多少はグロいし、ゴア描写もある。
だが、それを補って余りあるほどの勢いのある映画だった。
「……ていうか、ぜんぜんホラー映画じゃなかったな」
ゾンビが出てくるアクション映画、という感じだ。
「こわくないほういいよ」
「俺は、怖いのけっこう好きなんだけど」
「うーん……」
よくわからん、という顔をされた。
面白いのになあ。
押しつける気はさらさらないけれど。



2017年11月5日(日)

「寒い……」
「さむいねえ」
ぽんぽんと膝を叩く。
「××」
「はーい」
以心伝心。
うにゅほが俺の膝に腰掛ける。
「あったかいな」
「あったかいねえ……」
じんわりと、うにゅほの体温が伝わってくる。
「いんたーねっとしていい?」
「いいぞ」
無害なまとめサイトを開き、うにゅほにマウスを譲る。
「変なページを開いたら言うように」
「はーい」
読みさしの文庫本を開き、うにゅほの肩越しに文字を追う。
しばしののち、
「……?」
うにゅほが、とあるGIF画像をぼんやりと見続けていることに気がついた。
それは、キャンドルの火をパンチで消している猫の画像だった。
たしかに可愛いが、二分も三分も見入るものではない。
「どした」
「んー……」
うにゅほがこちらを振り返る。
「コロも、これしてたなって」
コロ。
数年前に亡くなった愛犬の名だ。
「ひーついたたばこ、おとうさんがすてたら、ばしっ、ばしって、きえるまで」
「あー、やってたなあ」
何が気に入らなかったのか、あるいは逆に気に入ったのか、火を見るや、前足で叩いて消す犬だった。
「懐かしいな」
「うん」
こくりと頷き、うにゅほが言葉を継ぐ。
「ぽいすて、だめだよねえ」
「……そっち?」
「?」
小首をかしげる。
「まあ、うん、それは今度言っておこう」
「そだね」
命日が近づいているためか、愛犬のことを思い出すことが増えた。
センチメンタルな季節である。



2017年11月6日(月)

「……あー」
溜め息とも吐息ともつかない声が口から漏れる。
「DVD観ないとなあ……」
「みないの?」
「観る。観るけど、いまはちょっと気分じゃないかなあ」
「かえすの、いつだっけ」
「明日」
「みないの?」
「観ないとなあ……」
観たくて借りたものなのに、いつしか義務になっている。
百円だから気にしなくても良いと言えば良いのだが、同じ作品は二度は借りないものだ。
「明日観るか、夜観るか」
「こわいやつだっけ」
「怖くはないけど、観ててスカッとする映画ではないと思う」
「うーん……」
「××向けではないかな」
「どんなの?」
「ミルグラム実験って知ってる?」
「しらない」
知ってたら逆に驚く。
「本棚にも何冊か資料があるけど、人間はどのくらい権威に服従してしまうか、という実験なんだ」
「ふうん……」
「スカッとすると思う?」
「おもわない」
「だろ」
「◯◯、そういうのすきだねえ」
「大好き」
「そか」
うにゅほが鷹揚な笑みを浮かべる。
俺とうにゅほの好みは違う。
けれど、否定しあったり、押しつけあったりはしない。
特に気をつけているわけでもないが、自然とそうなってしまった。
「……大切なことだよなあ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんでもない」
そう告げて、うにゅほの頭を撫でる。
さて、DVDはどうしようか……。



2017年11月7日(火)

ローソンに立ち寄ったときのことである。
「あ、まかろん」
「本当だ」
「なんか、ひさしぶりにみたきーする」
「ローソン自体が久々だからな」
うにゅほが、上目遣いでこちらを見上げる。
「たべたいな……」
「えーと、和栗とピスタチオか」
最初に食べたときも、この組み合わせだった記憶がある。
「和栗とピスタチオ、どっちがいい?」
「うと、どっちかなあ」
「両方?」
「……りょうほうがいいな」
「了解」
二個入りのマカロンをふたりぶん購入し、車内に戻る。
「たべていい?」
「食べよう食べよう」
コンビニの前で食べれば、ゴミを持ち帰らずに済むのだし。
「いただきます」
「いただきます」
さく。
軽い食感の皮の下に、ねっとりとした濃厚な生地。
秋らしい栗の匂いが口内から鼻腔へと香る。
「美味い」
「おいしいねえ……」
顔を見合わせ、笑い合う。
笑顔になれるお菓子ほど、素敵なものはないだろう。
機嫌よく食べ進めていると、

──ガリッ!

なにか、硬いものを噛んだ。
「──…………」
嫌な予感がする。
俺は、この感触を知っている。
舌先で歯列をなぞると、
「……あー」
「どしたの?」
やはりだ。
それを吐き出し、うにゅほに見せる。
「銀歯取れた……」
「こないだいれたやつ?」
「いや、ぜんぜん関係ないとこみたい」
「はいしゃいこ」
「空いてるか、電話してみるか」
「うん」
せっかく幸せな気分だったのに、空気を読まない銀歯である。
歯医者は明日だ。
銀歯を接着し直すだけで済めばいいのだが。



2017年11月8日(水)

銀歯を接着するために歯医者へ行くと、案の定虫歯が見つかった。
「──と、いうわけで、削ってまいりました」
「おつかれでした」
ぺこり。
うにゅほが小さく頭を下げる。
「ま、ちょびっとだけだけどな」
「ちいちゃいむしば?」
「そう。取れた銀歯で隠れてたみたい」
「そか……」
「おかげで銀歯、作り直しだよ」
「おかね、かかるねえ」
「ごめんな。俺の歯磨きが甘いせいで……」
「そんなことないけど……」
だが、事実だ。
「……うーん、ちゃんと磨いてるつもりなんだけどなあ」
「──…………」
うにゅほがしばし思案し、
「◯◯、はーみがくの、いつ?」
「寝る前かな」
「わたしも、ねるまえ」
「磨いてるな」
「わたしといっしょに、はーみがく?」
「あー……」
虫歯ゼロのうにゅほに、歯の磨き方をご教示願うのもいいかもしれない。
「うん、そうしようかな」
「わかった!」
「よろしくお願いします、××先生」
「うへー……」
うにゅほが照れる。
うにゅほに何かを教えることはあっても、教わることは珍しい。
歯磨きの様子は、明日の日記で詳しく述べることにしよう。



2017年11月9日(木)

窮屈な洗面台を、ふたり並んで覗き込む。
「では、はーみがきます」
「お願いします」
前回までのあらすじ。
虫歯ゼロのうにゅほから、正しい歯の磨き方を学ぶことになったのだった。
「いーして」
「前歯から?」
「うん」
「いー」
「いー」
口角を真横に開き、歯磨き粉をつけた歯ブラシでガッシガッシと前歯を磨く。
「だめ」
「?」
手を止める。
「もっとやさしく」
「優しく……」
「はぐき、ちーでちゃう」
「あー」
たまに出る。
「ねもと、やさしく、ながくみがくの」
「わかりました」
なるほど。
豪快に磨くから、磨き残しが出るのか。
歯の一本一本を注意して磨くことで、力を入れずとも、確実に歯垢を除去することができる。
「おくばのうらはね、はのすきまに、けさきをいれるの」
「ほうは」
「そう」
ごしごし。
「はぶらしは、ちょちょちょってうごかすんだよ」
「ほう?」
ごしごし。
「そんなかんじ、そんなかんじ」
歯ブラシを大きく動かすと、歯と歯の隙間がおろそかになる。
言われてみれば当たり前なのだが、指摘されなければなかなか気づかないものだ。
「はい、おしまい」
「おー……」
たっぷり五分ほどかけて歯を磨き終えると、生まれ変わったような心地になった。
「わかった?」
「わかった、けど……」
これを毎日かあ。
「あしたも、いっしょにみがこうね」
「はい」
まあ、慣れだ慣れ。
うにゅほと一緒に虫歯ゼロを目指そう。



2017年11月10日(金)

今日は、特に何もない一日だった。
記すべきことも、さほどない。
「あー……」
キーボードに向かいながら、首をがくんがくんと揺らす。
「書くことが、なー、いー……」
「ないの」
「ない」
「ばんごはん、ステーキだったよ?」
「うん」
会話をしながら、キーボードを叩く。
ネタがないときの最終手段だ。
「今日、他に何あったっけ」
「うーと、どくたーえっくすみた」
「それ、俺は見てないからなあ」
録画してあるドラマを両親と一緒に見るのが、うにゅほの日課のひとつである。
「おもしろいよ?」
「ドラマ、あんまり興味ない……」
「そか」
「あと、何したっけ」
「まいにちしてるの、なし?」
「掃除とか?」
「おふろとか……」
「なしで」
うにゅほが大きく首をかしげる。
「……なにしたっけ」
「何もしてないわけじゃないけど、書くことがない……」
「なにかする?」
「するか」
「あたまとり、する?」
「あたまとり、××やたら強いからなあ」
「しりとり」
「しりとりになると、今度は俺が強すぎる」
「そだねえ」
「なんか、新しい遊びが欲しいよな」
「ほしいねえ……」
何かないかとうんうん唸っていると、今日の日記が仕上がった。
「──とりあえず、日記はこれくらいでいいや」
「かけた?」
「書けた」
「よかったー」
うにゅほがほにゃりと笑う。
新しい遊びは新しい遊びで、何か考えておこう。



2017年11月11日(土)

今日は、うにゅほとふたりでカラオケに行った。
「あー、歌った歌った!」
「うたったー!」
「××も、レパートリー増えてきたな」
「うへー」
基本はやはりデュエットだが、ひとりで一曲歌いきることも珍しくなくなってきた。
「あ、プライズ見てこうぜ」
「うん」
併設されているゲームコーナーへと足を向ける。
ぐるりと一周したところ、東方Projectのぬいぐるみが気になった。
「フランとこいしは持ってるけど、アリスとパチュリーは取ってなかったなあ」
「とる?」
「アームの強さを試してみよう」
財布から百円玉を取り出し、筐体に投入する。
操作すること、しばし。
「……弱いな」
「だめ?」
「一発で取るのは無理だけど、横向きにすれば鷲掴みできると思う」
「そなんだ」
「試しに、千円いい?」
「うん」
千円札を両替し、百円玉を五枚投入する。
アームの操作に集中していると、
「──兄ちゃん、頑張っとるか」
唐突に、見知らぬお爺さんに話し掛けられた。
「!」
うにゅほがぺこりと頭を下げる。
「んー、なかなか難しいですね……」
「ほうか、ほうか」
お爺さんは、好々爺然とした笑みを浮かべると、
「彼女にちゃあんと取ってやれよ!」
と、俺の尻を軽く叩いて、その場を後にした。
「かのじょ、だって」
「そう見えたんだな」
珍しい。
普段はだいたい兄妹に見られるからなあ。
「……うへえー」
ばんばん!
うにゅほが俺の背中を叩く。
照れているらしい。
アリスとパチュリーは、二千円ちょっとで取れた。
フラン、こいしと、並べて飾ることにする。



2017年11月12日(日)

葉の落ちた公園の木々を窓から眺めながら、呟く。
「11月、か……」
「ゆき、ふるかな」
「昨夜、××が寝たあと、霰降ってたぞ」
「あられ?」
「霙かも」
「みぞれ……」
うにゅほが小首をかしげる。
「どうちがうの?」
「氷の粒が霰で、雨混じりの雪が霙」
「そなんだ」
「そうなのだ」
「はつゆき?」
「このあたりだと、初雪かも」
「みたかったなあ……」
「風は強いわ雨は混じるわで、びちゃびちゃだったぞ」
「……んー」
うにゅほが苦笑する。
思っていた初雪の光景とは、少々趣が異なっていたらしい。
「◯◯、なにかんがえてたの?」
「アイス食べたいなあと」
「アイス……」
「ほら、もう11月だろ。いつものジェラート屋、まだやってるのかなって」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「せんもんてん、だもんね」
「冬は経営が厳しそうだ」
「いく?」
「無駄足になるかも……」
「そしたら、ドライブしたいな」
「……そっか」
雪が積もったら、そうそう出歩けないものな。
「んじゃ、行くか」
「うん!」
ドライブがてらジェラート屋へと赴いたところ、正月以外は営業しているとのことだった。
「冬にアイスって、なんか贅沢な感じするよな」
「そんなきーする」
「黒糖ひとくち」
「はい」
ジェラートは、相変わらず美味だった。



2017年11月13日(月)

所用で外出したときのことである。
「──あ、やべ!」
慌ててアクセルを踏み込むが、間に合わない。
早々に諦めて、赤信号で停止する。
「この道通ると、たいていここで引っ掛かる……」
「そんなきーするね」
「ここの信号、長いんだよなあ」
「うん、ながいきーする」
「実際長いんだよ。こっちが生活道路、向こうが幹線道路だから」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「向こうの道路のほうが、太いし、車通りも多いだろ」
「うん」
「だから、向こうの道路が優先されて、そのぶんこっちは待ち時間が長くなる」
「なんか、ずるい」
「ずるいかどうかは知らんけど……」
苦笑し、ハンドルから手を離す。
「それにしたって、ここは長いよな。知ってる道でいちばん長い」
「そだねえ」
実際は二、三分なのだろうが、五分くらいに感じる。
「いつも、なかみちとおるよね」
「いつもはな」
「きょうは?」
「ほら、下校時間だからさ。子供がいたら危ないし」
「あー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「こうえん、あるもんね」
「公園の傍は、できれば通りたくないな」
「うちのまえは?」
「うちの前の公園は、通らないと帰れないだろ」
「そか」
「気をつけてます」
「あぶないもんね」
などと幾許かの会話を交わしても、眼前の信号は、いまだに赤い光を灯らせたままだ。
「……ながいねえ」
「長い」
理由はわかるのだが、もうすこしなんとかならないものか。
一度測ってみたいものだ。



2017年11月14日(火)

趣味のお絵かきのために、デッサンフィギュアを購入した。
しかし、
「……思ったより小さいな」
「ちいちゃいねえ」
可動域はすごいのだが、せいぜい15cmほどしかない。
手のひらの上に、すっぽりだ。
「うーん……」
ポーズを取らせてみる。
だが、どうにも上手く行かない。
「けっこう難しい」
「わたしもやってみていい?」
「いいぞ」
デッサンフィギュアをうにゅほに手渡す。
「おー……」
ぐりぐり。
「からだ、かたいね」
「そうか?」
「ゆかにてーつかない」
「……××、ついたっけ?」
「ついたことあるよ」
「最近は?」
「……うへー」
あ、笑って誤魔化した。
「またも、わたしのほうひらくよ」
「前屈以外は柔らかいもんな」
「うん」
「──…………」
「──……」
「もしかして、自分をモデルにしろって言ってる?」
「や」
うにゅほがふるふると首を横に振る。
「はずかしい……」
恥ずかしいんかい。
デッサンフィギュアに対抗意識はあれど、実際にモデルにされるのは面映いらしい。
複雑な乙女心である。
「まあ、写真に撮って使うんだから、サイズはそれほど気にならないかな」
「そなんだ」
文句ばかり言っていないで、しばらく使ってみよう。



2017年11月15日(水)

「──あ!」
うにゅほが窓に走り寄る。
「ゆきだ!」
「おー」
ふわりと大きな牡丹雪が、空から無数に舞い落ちている。
「はつゆき、じゃないけど、はつゆき!」
「××にとっては初雪だな」
「うん!」
「道理で寒いと思ったよ……」
半纏を羽織っても、なお寒い。
体の芯から冷えるようだ。
「××、寒くない?」
「さむい!」
「……嬉しそうだな」
「うへー」
本当に雪の好きな子だ。
「えい」
「わ!」
背後からうにゅほを抱きすくめる。
「二人羽織しようぜ」
「するする」
半纏の紐を解き、うにゅほに覆い被せる。
袖口から伸びたうにゅほの手が、軽く中空をさまよった。
「てーにぎっていい?」
「ああ」
小さな手のひらと、指を絡ませる。
「◯◯のてー、あつい」
「平熱は同じくらいだと思ったけどな」
「わたし、ひえしょうかも……」
「あー」
わりと冷え性の気があるんだよな、うにゅほ。
「靴下、ちゃんと履かないとな」
「──…………」
「──……」
「……うへー」
誤魔化した。
「まあ、そのうち言ってられなくなるし」
「そだねえ……」
北海道の冬は、厳しい。
床暖房があればなあ。



2017年11月16日(木)

台所で、朝食代わりのヨーグルトを食べていたときのことである。
「──…………」
ういーん。
駆動音と共に、ロボットクリーナーがリビングを斜めに駆け抜けていく。
そして、
がつん、がつん。
「××さん」
「あらー」
「こいつ、俺のかかとに頭突きしてくるんですけど」
「どかすね」
「頼む」
うにゅほがロボットクリーナーを抱きかかえ、リビングの端に放す。
ういーん。
ロボットクリーナーは、先程と同じルートを辿り、
がつん、がつん。
「……××さん」
「あー」
「俺、ゴミだと思われてるのかな」
「たまたまとおもう……」
「台所でなんか食うたびに寄ってくる」
「どかす?」
「いいや、食べ終わったし」
ヨーグルトの容器を軽く水洗いし、ゴミ箱に捨てる。
「◯◯になついてるのかも」
「嬉しくないなあ……」
「そかな」
ソファに側臥し、うにゅほの膝に頭を乗せる。
ういーん。
「あ、こっちきた」
「……やっぱ、俺のことゴミだと思ってるんじゃ」
「そんなことないよ」
ロボットクリーナーは、俺たちのいるソファの下に滑り込み、ごつんと壁にぶつかった。
そして、
「……あれ、止まった?」
「とまった……」
しばらく待っても動き出さないので、ソファをどかして救出する羽目になった。
いまいちポンコツな我が家のお掃除ロボットである。



2017年11月17日(金)

──ぴー!

久方ぶりの電子音が、自室の端で鳴り響く。
電源を入れて早々にファンヒーターの灯油が切れたのだ。
「!」
期待に満ち満ちた瞳で、うにゅほがこちらを振り返る。
「とうゆ」
「はいはい」
重い腰を上げ、ファンヒーターの灯油タンクを取り出す。
「うへー……」
うにゅほは、俺の手についた灯油の匂いが大好きである。
あくまで"俺の"手についた匂いが好きなのであって、自分の手だと物足りないらしい。
「××も行こう、道連れだ」
「うん!」
ふたりで玄関へ向かい、電動の灯油ポンプを起動する。
「そんなに良い匂いかなあ……」
「うん、いいにおい」
「──…………」
嗅ぎ過ぎて体調悪くするとか、ないかな。
手に付着した程度なら大丈夫か。
給油を終え、灯油タンクの蓋を閉じた瞬間、うにゅほに手を取られた。
「♪」
ふんすふんす、
はー。
ふんすふんす、
ほー。
「××さん」
「?」
「寒い」
「あ、ごめん……」
「部屋に戻ってからにしましょう」
「はい」
階段を上がりながら、右手の匂いを確かめる。
「……よくわからん」
灯油くさいとしか思えない。
ただ、灯油を直接嗅ぐよりかは、かなりマイルドだ。
「ストーブつけたときの匂いとは、違うの?」
「ぜんぜんちがうよ」
「そうなんだ……」
ますますもって、よくわからん。
まあ、うにゅほが満足そうなので、なんの文句もないけれど。



2017年11月18日(土)

──ケン、ケン。
目を覚まし、上体を起こした途端、空咳が俺の喉を震わせた。
「!」
ひょこ。
その咳を聞きつけてか、うにゅほが顔を覗かせる。
「いま、やなせきした」
「おはよう」
「おはよ」
「聞こえましたか」
「きこえました」
「風邪ってほどではないんだけど……」
「ほんと?」
ぽす。
うにゅほが俺の胸元に顔をうずめ、すんすんと鼻を鳴らす。
「風邪の匂い、する?」
「んー」
すんすん。
「しない?」
「んー……」
すんすん。
「◯◯のにおいする」
「風邪の匂いは?」
「わかんない」
「わからないってことは、しないのかな」
「……んー?」
すんすん。
「やっぱし、わかんない……」
「そっか」
しないのなら、しないと言うだろう。
言葉では言い表せない程度の微妙な差異があるのだろうか。
「わかんないけど、ねたほういいとおもう」
「起きたばっかりなんですが」
「ねれない?」
「──…………」
ゆっくりと目蓋を閉じる。
目蓋の重さで、眠気がわかる。
「……眠れる、かな」
「ねよ」
「わかった」
俺の健康に対し、うにゅほは妥協を許さない。
この六年で、体が弱いところを散々見せてしまったからなあ。
ありがたいやら、申し訳ないやらである。



2017年11月19日(日)

ふと、目を覚ます。
起きた理由は探すまでもない。
「さむ……」
落ちかけていた羽毛布団を肩まで引き上げたとき、ふと視線を感じた。
「──…………」
「──……」
眼鏡を掛ける。
うにゅほが物陰からこちらを覗き込んでいた。
「えーと……」
「◯◯、おきた?」
「起きたけど」
「おはようございます」
「……おはようございます」
ちょいちょい。
うにゅほが俺を手招きする。
「?」
ベッドから下りる。
床が、やけに冷たい。
「こっち!」
手を引かれるままに両親の寝室を訪れると、
「──……うわ」
窓から覗く公園が、一面、白い絵の具で塗り潰されていた。
積雪は見るからに厚く、一晩で季節を跨ぎ越したかのようだ。
「寒いはずだ……」
「ね」
「××、足冷たくない?」
「くつしたはいた」
「……本当だ」
靴下嫌いのうにゅほが自主的に靴下を履くのだから、どれほど寒いかおわかりだろう。
「こりゃ、根雪になるかもなあ」
「なるかな」
「初雪は根雪にならないのが常だけど、ここまで降ると……」
「なるかも!」
「嬉しそうだな」
「うへー……」
「ともあれ、朝飯食べたら雪かきだ」
「うん!」
「雪かき終わったら、俺は寝る」
「まだはちじだもんね」
「あと二時間は寝たい……」
暖かい格好をして、外へ繰り出す。
初雪は、水を吸って重く、今がまだ11月であることを思い知らせてくれた。
うにゅほは、終始楽しそうだった。
うにゅほが楽しいと俺も楽しいので、ふたりでする雪かきは嫌いじゃない。
さすがに好きとまでは言い切れないけれど。



2017年11月20日(月)

慌ただしい物音で目を覚まし、階下へ赴くと、母親が松葉杖をついていた。
「どうしたの」
「やっちゃった……」
母親が、自嘲気味に笑みを浮かべる。
「おかあさん、すべって、ころんじゃったんだって……」
「またか……」
「またっていわないの」
「あ、ごめん」
今年の夏頃にも、脚立から落ちて怪我をしていたものだから。※1
「骨は?」
「膝のお皿に、ヒビがちょっとね」
「あちゃー……」
「全治一ヶ月だって」
母親が、大きく溜め息をつく。
「……まあ、でも、××がいてよかった。また頼むね」
「うん!」
うにゅほが背筋をピンと伸ばし、口元を引き結ぶ。
やる気満々だ。
「とりあえず、お昼を──」
母親がそう言い掛けたとき、車庫のほうから異音がした。
「?」
「なんだろ」
うにゅほと顔を見合わせる。
しばしして、
「やっちまった……」
玄関から、表情を曇らせた父親が姿を現した。
「どうしたの」
「いや、シャッター半開きのままバックしちまってよ」
「ガリッ、て?」
「ベコッ、と」
「あー……」
間違いない。
今日は、我が家にとっての厄日だ。
「……××、今日は大人しくしてような」
「うん……」
巡り合わせが悪い日というものは、まれにあるものだ。
階段の昇り降りにすら気をつける一日だった。

※1 2017年7月11日(火)参照



2017年11月21日(火)

足を怪我した母親に、買い物を頼まれた。
「──コーヒー確保。モカだっけ?」
「うん、もか」
「キリマンジャロとは味が違うのかな」
「たぶん……」
「いちご味とかチョコ味とかなら、違いがわかりやすいのにな」
「そだねえ」
うにゅほが苦笑する。
「次は?」
「うーと、ふりかけ」
「味道楽?」
「◯◯、あじどうらく、すきだねえ」
「××は?」
「すきやきのふりかけ、すき」
「俺も好き」
「すきやき、おいしいよね」
「最悪、ごはんとふりかけがあれば、おかずがなくてもいい」
「おかず、つくるよ」
「おかずがあれば、そのほうがいい」
「きょう、なにしようかなあ……」
「決まってないの?」
「うん」
「いまならリクエストし放題というわけだ」
「にく?」
「何故わかった」
「◯◯、にく、すきだもん」
見透かされている。
「からあげは、おとといやったから、ちがうのにしましょう」
「そうだな」
「ピーマンのにくづめ……」
「──…………」
「は、やめて」
「うん」
「にくやさいいため、かなあ」
「いいと思う」
「ぶたにくと、たまねぎと、キャベツと、もやしもいれましょう」
「関係ないけど、さけるチーズ買っていい?」
「いいよ」
乳製品コーナーへ赴き、さけるチーズ全種を買い物カゴに入れる。
「たくさんだ」
「せっかくなので……」
人の財布で買い物をすると、心が軽い。
プリンも買ってしまったが、これくらいならば母親も許してくれるだろう。



2017年11月22日(水)

「ぶえ」
さけるチーズを食べながら、思わず小さく舌を出す。
「どしたの」
「舌がいはい」
「いたいの……?」
うにゅほが、俺の舌を覗き込む。
「そこじゃなくて、奥のほうが痛い」
「おく?」
「舌の付け根なんだけど、そこ噛んじゃってさ」
「みして」
「……えーと、めっちゃ奥なんだけど」
「うん」
見せないと納得してくれなそうだ。
「──んべ」
舌を、思いきり前に出す。
「んー……」
うにゅほが小首をかしげる。
「どこ?」
「いひ」
「みぎ?」
こくりと頷いてみせる。
「みぎの、つけね……」
「!」
うにゅほが躊躇いなく俺の舌をつまみ、左へ寄せる。
「あ、あった」
「あっは?」
「しろくなってる」
「てほほは、ほーはいへんになってるっぽいは」
「こうないえん、いたそう……」
「びはいんはいあるはら、ほりはえず、ほれほんどく」
「こうないえんは、ビタミンびーつーだもんね」
「ほうほう」
俺の言ってること、よくわかるなあ。
うにゅほが俺の舌を離したので、ティッシュをドローして差し出す。
「指、拭きな」
「ありがと」
しばらくのあいだ、ものを食べるたび痛みに苛まれそうである。



2017年11月23日(木)

コンビニへ立ち寄る機会があったので、ついでにチョコボールを購入した。
俺は、定番のピーナッツ。
うにゅほは、
「きんのきなこもち、だって」
「美味しそうだな」
「きんのえんぜる、いまだけにばい、だって」
「ピーナッツは二倍じゃないのかな」
「かいてないねえ……」
「俺も、きなこもちにすればよかったかも」
うにゅほに貰えばいいやと思って、いつも通りのセレクトにしてしまった。
「ぎんも、にばいかなあ」
「銀のエンゼル、あと一枚だったっけ」
「うん」
「金が当たったら、どうする?」
「──…………」
うにゅほがぴたりと動きを止める。
「おもちゃのカンヅメと交換する?」
「うー……、んー……」
しばしかくかくと頭を左右に振ったのち、
「……とっとく?」
「取っとくか」
「うん」
世にも珍しい金のエンゼルを交換したくないというのもあるし、既に四枚揃っている銀のエンゼルをどうするかという問題もある。
「──って、皮算用にも程があるな」
「そだね」
「開けてみよう」
「うん」
うにゅほがチョコボールを開封する。
「きいろ」
「黄色かあ」
「だめだったねえ……」
「きなこもち、一粒ちょうだい」
「あーん」
「あー」
ぱく。
「……なんか、ぐにぐにしてる」
「ぐにぐに?」
「グミかなこれ」
「たべてみる」
ぱく。
「ぐにぐにふる」
「まあ、美味しいけど」
「うん」
「でも、ピーナッツのほうが好きかな。俺は」
そう言って、自分のチョコボールを開封する。
「──あっ」
「?」
「銀のエンゼル……」
「わ!」
五枚揃ってしまった。
「おもちゃのかんづめ、もらえるね!」
「よかったよかった」
うにゅほ、金のキョロちゃん缶欲しがってたからな。
さっそく森永に送りつけることにしよう。



2017年11月24日(金)

「──…………」
愛用の座椅子で読書中のうにゅほに、ちらちらと視線を送る。
そろそろ言わねば。
さすがに言わねば。
そう思い始めて、既に十日が経過している。
「?」
と、うにゅほが視線を上げる。
そして、にこーと微笑んだ。
「う」
言いにくい。
言いにくいが、言わねばなるまい。
言うと約束したのだから。
「……××さん」
「なにー?」
「12月9日、俺いないんで……」
「!」
うにゅほが目をまるくする。
「……なんで?」
「ちょっと、友達に会いに……」
「とうきょう?」
「横浜」
「さらいしゅう……」
「再来週ですね、はい」
「わたし、いけない?」
「オールで飲む話になってるので、未成年はちょっと……」
「そか……」
「──…………」
「──……」
沈黙。
そして──
「わかった」
うにゅほが鷹揚に頷く。
「……いいの?」
「よくない、けど、ちゃんといってくれたから……」
「……FRENZの際は申し訳ありませんでした」
あのときは、五日前まで言い出せずにいたからなあ。※1
今回も、航空券を取ってから十日は言い淀んでいたのだけれど。
「でも、いつか、りょこうつれてってね」
「泊まり?」
「とまり」
「……わかった、約束する」
「うん」
でも、うにゅほが成人するまでは、ちょっと難しいかな。

※1 2017年9月12日(火)参照



2017年11月25日(土)

「あ」
「?」
「甘いものが食べたい」
「あまいもの……」
「あったっけ」
「ろいずのおいしいやつ、たべちゃったもんねえ」
「てことは、もうないか」
「たぶん……」
「あれ、どうしたっけ。赤福」
「あかふく」
「随分前に貰ったけど、そのときダイエット中でさ」
「あー」
「俺以外食べないから、冷凍するとかしないとか言ってなかったっけ」
「うん、ある。しゃこのれいぞうこ」
「食べていい?」
「いいよ」
「うし」
小さくガッツポーズをし、意気揚々と車庫へ向かう。
そして、
「──ガッチガチだな」
「かたい」
箱一面の凍ったあんこを、うにゅほが指でつんつんつつく。
「常温で解凍したほうがいいのかな」
「そのほういいとおもう」
「しばらく我慢か……」
「がまん、がまん」

──三時間後、

「お、溶けてる溶けてる」
「あんこ、やわくなったね」
「試しに食べてみよう」
赤福をへらでこそげ取り、まるまるひとつ口に放り込む。
「──…………」
むぐむぐ。
「おいしい?」
「……もちが、硬い」
「とけてなかった?」
「いや、溶けてる。これたぶん、劣化して硬いんだ」
「そか……」
「しゃーない、電子レンジ先生の出番だな」
「やわくなるかな」
「わからんけど」

──三分後、

「……えらいことになった」
「でろでろだ」
溶けに溶けた赤福が一体化して、もはやなんだかわからない。
「味は……、まあ、美味いんだろうけど……」
「はい」
手渡されたへらで、半液状化した赤福をすくい取る。
そして、ひとくち。
「──あッ、づ!」
「わ」
見事、上顎をやけどしたのだった。



2017年11月26日(日)

ヨドバシカメラのトイレの前で、スマホをいじりながらうにゅほを待つ。
しばしして、
「ごめん、ごめん」
ハンカチをポシェットに仕舞いながら、うにゅほがトイレから出てきた。
「行くか」
「なにみるの?」
「……考えてなかったなあ」
単に、暇だったから来てみただけである。
「ね」
「うん?」
「といれっとぺーぱー、おってあるの、なんでだろねえ」
「あー……」
三角折りのことか。
「理由はいろいろ聞くけど、実際どれが正解なのかはよくわからんな」
「いろいろ?」
「次の人が引き出しやすくするためのマナーだとか、トイレ掃除しましたよっていうサインだとか」
「へえー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「マナーとしての三角折りは、衛生的に間違いらしいけど」
「そなの?」
「想像してみよう」
「はい」
うにゅほが目を閉じる。
「トイレットペーパーを三角折りにするのは、個室を出る前だよな」
「うん」
「てことは、手を洗う前なわけだ」
「あ」
「衛生的には?」
「きたない……」
「そういうこと」
「そか」
「ノロウイルスの感染源になるって話も聞くから、やらないように」
「わかった」
「テレビ見よう、テレビ」
「かうの?」
「買わないけど、4Kの画質ってちょっと気になるし」
「あ、きになる」
しばしウィンドウショッピングに興じるふたりなのだった。
ヨドバシカメラ、楽しいです。



2017年11月27日(月)

「……あー」
パソコンチェアの肘掛けを撫でる。
「やっぱ、安い合皮使ってるよなあ……」
「どしたの?」
「見ればわかる」
そう言って、肘掛けを指差す。
「?」
膝立ちのうにゅほが、肘掛けを覗き込んだ。
「わ」
「合皮、ひび割れちゃってさ」
「ぱりぱりなってる……」
つんつん。
「はがれそう」
「剥がさないでおくれ」
「はがさないよ」
「まだ、買って一年くらいなんだけど」
「そだねえ」
ふう、と溜め息ひとつ。
「座り心地はいいんだ、座り心地は」
「うん」
「チェア変えてから、腰痛なくなったし」
「すーごいリクライニングするし」
「そうだな」
実のところ、その機能はあまり使っていないけれど。
「くろいテープ、はる?」
「肘掛けは、それでもいいんだけど……」
「?」
両足を、大きく開く。
「座面も割れ始めてるんだよ」
「あー……」
肘掛けも、座面も、同じ素材でできている。
同じように劣化するのは当然と言えるだろう。
「座り心地に不満はないから、安物買いの銭失いとは言いたくないけどさ」
「いくらだっけ」
「たしか、一万七千円」
「やすもの……?」
「高いチェアは、ほんと高いから」
アーロンチェアとか。
「まあ、しばらくは、補修してなんとか」
「そだね」
ほんと、安い合皮でさえなければなあ。



2017年11月28日(火)

「◯◯ぃ……」
チェアで読書をしていると、うにゅほがか細い声で俺を呼んだ。
顔を上げると、
「いやほん、あらっちゃった……」
心なしか、しなっとした赤いコードが、うにゅほの両手から垂れ下がっていた。
「あ、やべ」
そう言えば、ポケットにイヤホンを入れたまま、作務衣を洗濯に出してしまった気がする。
「ごめんなさい……」
「いや、俺が悪い俺が。××はひとつも悪くない」
「こわれてないかな……」
「試してみよう」
DACからヘッドホンのプラグを抜き、イヤホンに挿し換える。
「きこえる?」
「まだイヤホンつけてない」
「あ、そか……」
左耳にカナル型イヤホンを装着する。
「きこえる?」
「まだ何も流してない」
「そか……」
マイミュージックを開き、適当なwavファイルを再生する。
「──あ、おとする!」
「うん、聞こえる。問題ないよ」
「よかったー……」
「まあ、もともと半分壊れてるしな。トドメになっても、それはそれで」
「こわれてるの?」
「うん」
うにゅほにイヤホンの右側を渡す。
「つけてみ」
「はい」
いそいそ。
「……きこえる、けど、おとちいちゃい?」
「買い替えようか迷ったんだけど、聞こえるのは聞こえるし……」
「そだねえ」
「もったいない、もったいない」
「うん。もったいない、もったいない」
完全に聞こえなくなったら、買い替えることにしよう。
洗濯にも耐えたのだ。
もうしばらく頑張ってほしい。



2017年11月29日(水)

「はー、食った食った……」
「くったー、くったー」
俺の真似をして、うにゅほが自分のおなかを撫でる。
「ステーキ、美味しかったな」
「うん」
俺としては、量が少々物足りなかったけれど。
「それにしても、語呂合わせに乗っかるなんて、なんか珍しい気がする」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ほら、今年はポッキーの日もスルーしたし」
「あ、わすれてた……」
「やっぱり」
「おしえてよー」
「俺も、次の日気づいた」
「そか……」
「……今度出掛けたとき、ポッキー買っとく?」
「かう」
あまり意識したことがないけれど、うにゅほはポッキーが好きなのかもしれない。
「しかし、これなら毎年でもやってほしいな」
「ポッキー?」
「ステーキ」
「……?」
あれ、話が噛み合ってないぞ。
「今日、いい肉の日だからステーキにしたんじゃないの?」
「いいにくのひ……」
「11月29日」
「あ」
ようやく気がついたらしい。
「……特に関係なくステーキだったの?」
「おかあさん、なにもいってなかった」
「てことは、たまたまか」
「たぶん……」
珍しいこともあるものだ、と思っていたら、もっと珍しい偶然が起きていた。
「まあ、なんでもいいや。美味しかったし」
「うん、おいしかった」
12月2日は、弟の誕生日である。
どっか行くのかな。



2017年11月30日(木)

今日は、愛犬の命日だった。
庭にある墓石を軽く撫で、口を開く。
「雪、解けてよかったなあ」
「そだね」
「去年、墓石埋まってたもんな」
「さむそうだった……」
「雪の下って、意外とあったかいらしいぞ」
「そなの?」
「真冬の外気温に比べれば、だけどな」
「ふうん……」
「さ、お供えお供え」
戸棚からくすねてきた父親のビーフジャーキーを取り出し、墓前に供える。
そうして、ぱん、と手を合わせた。
「──…………」
「──……」
愛犬が死んでから、今年で何年になるだろう。
実を言うと、それすらおぼろげだ。
かつて、一日は、午後六時でくびられていた。
愛犬の散歩を中心にして、生活が組み立てられていた。
朝は、うにゅほが。
夕方は、ふたりで。
愛犬を連れて、毎日、町内をぐるりと巡ったものだった。
「コロの墓参り、するとさ」
「うん」
「散歩したくなるよな」
「……うん」
「セイコーマートに、ポッキー買いに行くか」
「いく!」
「××、ポッキー好き?」
「すき」
「プリッツとどっち好き?」
「プリッツって、ポッキーのチョコないやつ?」
あ、やっぱりそんな認識なんだ。
「わたし、チョコあるほうがいいなあ……」
「じゃあ、財布取ってくるか」
「うん」
墓石に背を向ける。
その瞬間、
「──またね」
と、うにゅほが愛犬に告げた。
墓石は、ただ無言で立ち続けるだけだった。

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