>> 2017年9月




2017年9月1日(金)

「あ」
仕事の合間にだらだらしていたとき、ふと思い出したことがあった。
「どしたの?」
「今日、資格試験の結果発表だ」
「!」
思わずか、うにゅほがピンと背筋を正す。
「××が緊張しなくても」
「だって……」
「大丈夫大丈夫。たぶん、なんとかなってるって」
「でも、◯◯、はんはんって……」
「あれから何度か試験のときのことを思い返したんだけど、どう考えてもミスはない」
「……そか」
うにゅほの頬が緩む。
「では、ネットで合否を確認してみましょう」
「うん!」
Google検索から、当該ページを開く。
「合格者受験番号検索……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「とりあえず、受験番号を入力すればいいのかな」
受験票とにらめっこしながら、9桁の受験番号を打ち込む。
「わたし、なまえがたくさんかいてるのかとおもった」
「俺は、番号がずらっと並んでるのかと思った」
個人情報保護とか、そういう問題があるのだろうか。
「よし、と」
エンターキーを、気持ち強めに叩く。
切り替わった先のシンプルなページには、赤文字で一行、こう書かれていた。
「入力した受験番号は、合格者一覧にあります──だって」
「……うかった?」
「たぶん」
「やった!」
「いえー」
「いえー!」
ハイタッチを交わす。
「よかったね!」
「ああ、よかった」
「◯◯、がんばってたもんね!」
「それなりにな」
「それなりじゃなくて、すーごいがんばってたよ」
「……それなりにな」
ぽんぽんとうにゅほの頭を撫でる。
照れ隠しだった。
ともあれ、懸念事項がひとつ解決したのは喜ばしい。
来年にはひとつ上の資格を取得しなければならないが、それはそれ。
今くらいは解放感に浸っていてもいいだろう。



2017年9月2日(土)

「──うッ」
ぐるるるる。
内臓が悲鳴を上げている。
「……トイレ……」
「うん……」
腹部を押さえたままのそりと立ち上がり、部屋を出た。
「……ふー」
所用を済ませ、自室に戻る。
「◯◯、おなか、だいじょぶ……?」
「あんまりだいじょばない」
「そか……」
腹痛こそひどくはないものの、下痢が止まらない。
「へんなの、たべた?」
「××と同じものしか食べてないよ……」
第一、ダイエット中である。
食事は普段より少なめだ。
「おなかだしてねたとか……」
「うーん」
睡眠中のことだから、自分ではよくわからない。
「……俺、腹出してた?」
「だしてたら、たんぜんかける」
「だよな……」
「わたしおきるまえ、おなかだしてたかも……」
可能性は否定できない。
しばしして、
「──うッ!」
ぐるるるる。
本日幾度目かわからない便意が下腹部を襲う。
「と、トイレ……」
「いってらっしゃい……」
所用を済ませ、自室に戻る。
拭きすぎて痛くなってきたが、さすがに口には出さない。
「……◯◯、ねて」
「ベッド?」
「うん」
うにゅほに言われるがまま、ベッドに横たわった。
なで、なで。
小さな手のひらが、俺の腹部を這い回る。
「なでなでしたら、なおるかも」
「……××」
「?」
「できれば、へそを中心に、反時計回りに撫でてくれ」
「はい」
大腸の流れに沿って撫でると、便通をよくすると聞いたことがある。
これ以上よくなると、困る。
しばしして、
「うッ……」
「といれ?」
「トイレ……」
そう上手くは行かないものだ。
腹痛は、二時間ほどで嘘のように治まった。
なんだったんだろう。



2017年9月3日(日)

午前十時、準備万端整えて、俺はバイクにまたがった。
友人とツーリングへ行くのである。
「……きーつけてね」
「はい」
「すーごい、きーつけてね」
「すごく気を付けます」
「うん……」
当初は二人乗りでツーリングに挑む予定だったのだが、うにゅほの都合が悪くなってしまったのだ。
理由については各自で推し量るように。
「ちゃんと帰ってくるから」
革手袋をつけた手で、うにゅほの頭をぽんと撫でる。
「……なんじ?」
「それは、ちょっとわからないかな……」
「──…………」
「帰るとき、ちゃんと連絡入れるから」
「うん……」
エンジンをかけ、アクセルを軽く吹かす。
「──それじゃ、行ってくる!」
「うん」
心配そうなうにゅほの顔が、すぐに判別できなくなる。
おみやげくらい、買ってこようかな。

午後九時、帰宅。
「ただいまー……」
どたどたどた!
「おかえり!」
「やー、ずっと快晴だったのに、最後の最後で雨降ってきてさ」
「うん、しんぱいしてた……」
「濡れたの、ちょっとだけだけどな」
「おふろ、いま、あいてるよ」
「んじゃ入ろうかな」
「うん」
「その前に──」
カバンから、紙袋を取り出す。
「おみやげ。カフェが併設されてるパン屋が美味しかったから、クロワッサンを買ってきました」
「おー」
「外はパリパリ、中はしっとり。明日の朝にでも──」
紙袋を開けると、当のクロワッサンが潰れていた。
なまじ外側がパリパリなものだから、無残極まる潰れ方である。
「……ごめん」
うにゅほが、紙袋からクロワッサンの一部を取り出し、食べた。
「──わ、ほんとにぱりぱりだ」
「美味しかったんだけど……」
「おいしいよ?」
「──…………」
いい子だなあ。
「……そのパン屋、今度はふたりで行こうな」
「うん!」
イートインスペースがあったから、焼き立てを食べさせてあげよう。



2017年9月4日(月)

「──んが」
口の端のよだれをすする。
マウスを握り締めながら寝落ちしかけていた。
「疲れが、まだ、抜け切ってないみたい……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈夫」
「きのう、なんキロはしったの?」
「170kmくらいかなあ……」
「──…………」
うにゅほが小首をかしげる。
基準がわからないのだから、当然だろう。
「こないだ、墓参り行ったろ」
「うん」
「あれよりは、まだマシかな」
「そなんだ……」
墓参りは、日帰りで往復六時間の強行軍だ。
それ以上の距離をバイクで踏破するとなると、もはや楽しいも何もなく、ただただつらい。
「でも、一緒に行った連中は、一日に400、500は当たり前バイクキチガイだからなあ」
「うへー……」
「正直、付き合いきれん」
俺はライトユーザーなのだ。
「あんまし、むりしたらだめだよ」
「しないしない。少なくとも俺はしない」
「そか」
「こないだ行った小樽とかで十分だよ」
「おたる、たのしかったねえ」
「また行こうな」
「うん!」
ちなみに、小樽までは往復で100km程度である。
これくらいなら、とても楽しいのだが。
「……あー、背中痛い」
「まっさーじ、しますか?」
「お願いします」
「はーい」
やはり、家がいちばんである。



2017年9月5日(火)

風呂上がり、足の爪を切っていたときのことだ。
「ね、◯◯」
「んー?」
「つめね、わたし、きっていい?」
「爪って、俺の?」
「うん」
「いいけど、足はもう切り終わるぞ」
「じゃー、て」
「手の爪、まだ伸びてないんだけど……」
「みして」
「はい」
うにゅほの眼前に右手を差し出す。
「あー、しろいとこありますねー」
「ちょっとだけな」
「これは、きったほうがいいですねえ」
「──…………」
そんなに切りたいのか。
「……じゃ、お願いします」
「はーい」
小さな手が、俺の指先を這い回る。
くすぐったい。
「深爪には気を付けてください」
「うん、わかった」
うにゅほのことだから、言わなくても大丈夫だろうけど。
「──…………」
ぱちん。
「──…………」
ぱちん。
丁寧に、丁寧に、うにゅほが俺の爪を切っていく。
しばしして、
「あ」
「どした」
「◯◯のひとさしゆび、なんかせんある」
「あー」
これか。
「傷跡だよ。子供のころ、剃刀で切ったらしい」
「……いたかった?」
「覚えてないくらい小さいころの話だからなあ……」
「そなんだ」
ぱちん、ぱちん。
「はい、おしまい」
「ありがとうございました」
「いえいえ、こちらこそ」
指先を電灯にかざす。
自分で切るより、ずっと綺麗な仕上がりだった。
まあ、爪に気を使うような柄ではないけれど。



2017年9月6日(水)

「……腹減った」
ダイエット中ゆえ、食事は控えめである。
「おなかへったなら、たべたほういいとおもう……」
「さてここで問題です」
「?」
「空腹にまかせて食べた結果、どうなったでしょー……か!」
「ふとった?」
「正解」
「そだけど……」
「エアロバイクで運動してるのに太ったってことは、純粋に食べる量が多かったんだよ」
「うーん」
「胃袋が大きくなってるんだな」
「いぶくろが……」
「だから、本当は十分に食べてても、腹が減ったつもりになる。要は気のせいだ」
「でも、おなかへったら、ひもじいよ……」
「××は優しいなあ」
うにゅほの頭を撫でる。
「でも、いまは胃袋を小さくしてる最中だから」
「いぶくろ、ちいさくなるの?」
「なる」
「そなんだ……」
「たくさん食べれば大きくなるし、食べなければ小さくなる。小さくなれば、ちょっとの量でもお腹いっぱいになる」
「へえー」
「××みたいにな」
「わたし、たくさんたべるよ」
たしかに、うにゅほは見た目の印象より健啖である。
「でも、俺よりは食べないだろ」
「そだねえ」
「胃袋を、××と同じくらいにしたいのさ」
「そか……」
「だから、小さくなるまでの我慢だ」
「わかった」
納得してくれたようだ。
俺のダイエットは、まだ始まったばかりである。



2017年9月7日(木)

「……よし」
意を決し、自室の体重計に乗る。
ありのままの現実を見つめるのは耐えがたいものだ。
だが、目を逸らすわけにはいかない。
「──…………」
数日前より、減ってはいる。
減ってはいるが──
「なんキロ?」
「わああ!」
体重計から慌てて下りる。
「みえなかった……」
「秘密です!」
「えー」
うにゅほが不満げに唸る。
「きになる」
「俺にだって、秘密にしたいことくらいあるの!」
「そか……」
ここであっさりと納得してくれるのが、うにゅほの美点である。
「じゃー、やせた?」
「……体重は落ちてるけど、体脂肪率は大して変わってない」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「まあ、いちおう順調ではあるよ」
「そなんだ」
「やっぱ、食べ過ぎてたんだなあ……」
「セイコーマートのクロワッサン、たべてないもんね」
「コンビニ断ちしてるからな」
「しゅっぴもへるし、いいことです」
うんうんと頷く。
「──…………」
ふと、あることが気になった。
「××って、いま何キロなんだ?」
「のる?」
「ああ」
「わかった」
靴下を脱ぎ去ったうにゅほが、体重計に乗る。
「──軽っ!」
「そかな」
「まあ、比較対象が俺だから……」
身長も、性別も、体格も、あまりに違い過ぎる。
「××は、ダイエットの必要なさそうだな」
「うん」
羨ましい限りである。
さっさと痩せよう、うん。



2017年9月8日(金)

「……あれ?」
カナル型イヤホンの左側を外す。
「やっぱり……」
「どしたの?」
「××、これ着けてみ」
「?」
イヤーピースを軽く拭ったあと、うにゅほの両耳にイヤホンを優しく突っ込んだ。
「どう聞こえる?」
「なんか、みぎ、とおい……?」
「だよな」
「いやほん、こわれた?」
「聞こえはするから、断線したわけじゃないと思う」
「こわれてない?」
「壊れかけ、かなあ……」
徳永英明の「壊れかけのRadio」が脳裏をよぎるが、あまりにベタである。
「まだ、半年くらいしか使ってないのに」
「──…………」
しばし目を伏せたあと、うにゅほが口を開いた。
「ごめんなさい……」
「なんで謝る」
「まえのいやほん、こわしたの、わたしだから……」
そういえば、そんなこともあったような。※1
「どうして、いま、前のイヤホンを壊したことを謝る……?」
「まえの、こわしてなかったら、いまの、こわれてなかったかも……」
「──…………」
責任感が強いのか、なんなのか。
「××」
「はい……」
「俺が落ち込んでたら、どう思う?」
「……げんきになってほしい」
「××が落ち込んでたら、俺も、元気になってほしいって思うんだよ」
「──…………」
「イヤホンなんかどうでもいいんだ。十個壊してもいい。だから、そんな顔するなって」
うにゅほの頭を、そっと撫でる。
「……うへー」
「お、笑ったな」
「うん……」
「まあ、まだ壊れてはいないんだし、だましだまし使うよ」
「そか」
完全に聞こえなくなったら、買い替えかな。

※1 2017年3月26日(日)参照



2017年9月9日(土)

「◯◯、つくえのうえ、きたないよ」
「──…………」
L字デスクの上を見やる。
「たしかに」
「たしかに、じゃなくて……」
呆れたように、うにゅほが苦笑する。
「かたづけましょう」
「はい」
促されるまま、整理整頓を始めた。
「これなにー?」
「えーと、資格試験の受験票だな」
「いる?」
「わからないけど、捨てないほうがいい気がする……」
「ひきだし、いれとくね」
「ああ」
「まんが」
「……すみません、いま片付けます」
「けものフレンズの、ガイドブックの、ろっかん」
「片付けます」
「あまざらしのしーでぃー」
「片付けます……」
出したものは出しっぱなし、届いたものは置きっぱなし。
自分が少々恥ずかしくなってくる。
うにゅほがいなければ、いまごろどんなゴミ部屋になっていたことか。
「──うん、きれいになった!」
必要最低限のものしか載っていないデスクは、ひどくこざっぱりしている。
これはこれで、微妙に落ち着かない。
「なんか飾りたいなあ……」
「かざるの?」
「そしたら、その周囲は綺麗に保つ気がする」
「なるほど……」
「あれ、どこやったっけ。黄鉄鉱の結晶!」
黄鉄鉱。
立方体の結晶を形作る鉱物である。
「うーと、ひっこすとき、このはこにいれたから──」
なんとか黄鉄鉱の結晶を引っ張り出し、デスクの上に飾る。
「うん、悪くない」
「うん、いいかんじ」
これで、片付け癖がつけばいいのだが。



2017年9月10日(日)

ぐー。
胃袋が唸りを上げる。
「──…………」
チョコボールを食べていたうにゅほの手が、止まった。
「……たべる?」
ぐー。
「食べない」
「ほんとに?」
「食べません」
ぐー。
「……いっこだけ、たべる?」
「──…………」
うにゅほの親指と人差し指とに挟まれた、ピンク色の芳しい球体。
さっくりパフ入りいちご味。
「……いただ、き、ま」
ふらふらと、意識がチョコボールに吸い込まれていく。
だが、いいのか?
蟻の穴から堤も崩れる。
たったひとつぶとは言え、その油断が惨事を招く可能性だってあるのだ。
「いや、でも──」
「はい」
「うぶ」
うにゅほが、俺の口にチョコボールをねじ込んだ。
「──…………」
ころころ。
口のなかで、甘いものが踊る。
「おいしい?」
「美味しい……」
チョコボールを噛み潰し、飲み下す。
「もいっこ、たべる?」
「……やめとく」
「そか」
ぐー。
「やっぱし、たべる?」
「我慢します」
「そか」
ダイエット、継続中であります。



2017年9月11日(月)

ミント味のボトルガムを口の中へと放り込み、噛み潰す。
途端、
「──ひッ、きし!」
くしゃみが暴発した。
「ミント味のガムを食べるとくしゃみが出るの、なんでなんだろうなあ……」
うにゅほが、目をぱちくりさせる。
「そなの?」
「××、出ないのか?」
「うーとね、みんとあじすきくないから、わかんない」
そうだった。
初めて食べたときなど、反射的に吐き出してしまったくらいだ。
「なんか知らんが、出る」
「すーすーするからかな」
「そうかもしれない」
もっち、もっち、もっち、もっち。
「でも、いざ噛み始めたら、もう出ないんだよなあ」
「ふしぎ」
「ミントに慣れるのかも」
「なるほど」
もっち、もっち、もっち、もっち。
「××も試してみる?」
「?」
「くしゃみが出るか、出ないのか」
ボトルからガムをひとつぶ取り出し、うにゅほの眼前に差し出した。
「……からくない?」
「辛い」
「すーすーしない?」
「まあ、ひとつぶなら大したことはないかな」
「……じゃー、ひとつだけ」
「あーん」
「あー」
うにゅほの舌に、ガムを置く。
恐る恐るひと噛みしたあと、
「──……ッ!」
思い切り顔をしかめた。
「はらい……」
「出しちゃえ出しちゃえ」
うにゅほの口の前に手を差し出す。
「んべ」
吐き出されたのは、ほとんど元の形を残したミントガムだった。
「──…………」
しばし逡巡したのち、ティッシュにくるんで捨てる。
「くしゃみ、でなかったね」
「出る前に吐き出しちゃったのかも」
「あー……」
ミント味のガムでくしゃみが出るのは、よくある現象なのだろうか。
アレルギーとかではありませんように。



2017年9月12日(火)

「──…………」
うにゅほが、部屋の隅に向かって体育座りをしている。
「××さん」
「──…………」
「ごめんて」
「──…………」
ああ、完全にぶーたれてしまった。
「17日に東京へ行く件について、黙っていたことは、本当に申し訳ありませんでした」
深々と頭を下げる。
見えないだろうが、けじめはけじめだ。
「……なんで、いってくれなかったの」
「その、言いにくくて……」
「いってほしかった」
「すみません……」
「──…………」
「──……」
しばしの沈黙ののち、
「……わたしもいきたい」
そう来るよなあ。
「ごめん、それは無理なんだ」
「──…………」
「飛行機のチケットが取れないのは、まあ、言わなかった俺のせいだとしてもさ」
「──…………」
「今回の目的であるFRENZってイベントは、そもそも、18歳未満は入場できないんだよ」
「……えっちなの?」
「違います。深夜のイベントだからです」
正確に言うと、夜の部までは18歳未満でも入れるが、深夜の部はNGだ。
東京都条例に基づくものらしい。
「けものフレンズ……」
「そっちも関係ない」
うにゅほが、小さく振り返る。
「……じゃー、どんなの?」
「新進気鋭の映像クリエイターたちの新作お披露目会、みたいな」
「ふうん……」
「俺たちの曲のMVが流れるから、どうしても行きたいんだよ」
「……いつかえってくる?」
「18日の昼。実質、一晩いないだけ」
「わかった……」
うにゅほが立ち上がり、俺の手を取る。
「きーつけてね」
「ああ」
うにゅほの頭を撫でてやる。
説明すればわかってくれるのだから、東京行きが決まったときに素直に伝えておけばよかった。
猛省である。



2017年9月13日(水)

「──…………」
むくり。
「あ、おきた」
ぐー。
「おなかなった」
「……ケンタッキーフライドチキンを山ほど食べる夢を見た」
「おいしかった?」
「美味しかった」
「そか」
「最近、何かを食べる夢ばっか見る」
「おなかへってるからでは……」
鋭い指摘である。
「……たとえば、大金を拾った夢を見たとする」
「うん」
「起きたとき虚しいのは、何故だろう」
「うーと、ほんとはひろってないから……」
「そう。目が覚めたとき手元にお金がないから、虚しいんだ」
「ふんふん」
「俺はいま、ケンタッキーを食べた夢を見たけれど、実はさほど虚しくない」
「そなの?」
「××は、人間がものを食べるのは何故だと思う?」
「……たべないとしぬから?」
「空腹を満たす。それは確かにそうなんだが、味わうのも理由のひとつだろ」
「あ、そか」
「夢は、"満腹"という結果は残してくれないが、"味わう"という経験はさせてくれる」
「……うーん?」
うにゅほが小首をかしげる。
いまいち納得が行かないらしい。
「いや、すげーリアルな夢だったんだよ。匂いも思い出せるくらい」
「そなんだ」
「そのせいか、なんか微妙に満腹感が──」
ぐー。
「まんぷくかんが」
「……さすがに気のせいでした」
「あさごはん、たべる?」
「少なめに」
「はい」
胃袋は小さくなったが、基礎代謝は変わらない。
すぐに腹が減るのはなんとかならないものか。



2017年9月14日(木)

「最近、読書をしてない気がする」
「……?」
うにゅほが俺の手元を指差す。
「ギャグマンガ日和は読書に入るのだろうか……」
「はいんない?」
「入らないと思われる」
「そなんだ……」
「文字だけの本を読んでないな、って」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「◯◯、さいきん、まんがしかよんでないね」
「うッ」
「?」
改めて人から指摘されると、応える。
「……こう、サイクルがあってな」
「さいくる」
「漫画を読む時期は漫画しか読まないし、小説を読む時期は小説しか読まない。専門書も然り」
「へえー」
「××は、そういうのない?」
「うーと……」
しばし思案し、
「ふく、かなあ……」
「服か」
「うん」
「そのコーディネート、たしかに最近よく見るな」
「うん、これ」
数年前に購入した、セーラー風のカットソーと黒いミニスカートだ。
「にあう?」
「似合う」
「うへー……」
うにゅほが両手でほっぺたを包む。
照れているのだ。
「でも、もう秋だからな。そろそろ見納めか」
「そだねえ」
「また来年も着てくれる?」
「うん!」
このミニスカートだと、けっこう──おっと。
来年も楽しみだなあ。



2017年9月15日(金)

「たいふう、だいじょぶかなあ……」
リビングのテレビで気象情報を見ながら、うにゅほがそう呟いた。
「大丈夫だと思うぞ」
グラスに牛乳を注ぎながら答える。
「北海道に来るころには、とっくに温帯低気圧だよ」
「ちがくて」
「?」
「ひこうき……」
「あ」
完全に考慮の外だった。
iPhoneを取り出し、台風の進路を調べる。
「17日、東京──直撃じゃないか……」
「ね?」
「……これは、飛ばないかもしれないなあ」
「むりしないほういいよ……」
それは航空会社に言ってくれ。
「当日、新千歳で様子を見るしかないか」
「いくの……?」
「飛ぶかもしれないし」
「あぶない……」
「飛ぶときは、大丈夫なときだよ。ダメなときは飛ばない」
「でも」
「それに、行くって約束だし」
「──…………」
「俺は、約束は破りたくない」
「──…………」
「どうしてものときは仕方ないけど、行ける前提で動かなきゃ」
「……わかった」
「心配してくれて、ありがとう。ごめんな」
「うん……」
「牛乳飲む?」
「のむ……」
グラスをうにゅほに手渡し、自分のぶんを再度注ぐ。
いまからでも逸れてくれないかなあ。
……無理か。



2017年9月16日(土)

「──……はー」
うにゅほが小さく溜め息をつく。
「あしたのいま、◯◯、いない……」
「まあ、うん」
「いないのかあ……」
そして、また溜め息。
「××さん」
「……?」
「ちょっと、トイレに行きたくて……」
膝の上のうにゅほに正面から抱きすくめられているため、身動きが取れない。
「まって」
ぎゅー。
「──…………」
「──……」
しばしののち、
「はい」
うにゅほが膝から下りる。
なにかをチャージしていたらしい。
「では、行ってきます」
「はい」
自室を出て、トイレへと向かう。
「──…………」
「──……」
当然のように、ついてくる。
さっきのチャージはなんだったのか。
「……中まではダメだぞ」
「まってる」
「ならいいけど……」
トイレに入って小用を済ますが、落ち着かない。
可愛い。
可愛いがゆえに、厄介である。
何故なら、俺の頬も緩んでしまっているからだ。
ここまで求められたら、嬉しいに決まってる。
「──よし」
水を流し、トイレから出る。
「!」
タックル気味に抱き着くうにゅほを引きずりながら手を洗い、抱き上げた。
「わ」
「俺も、××分を補給しとかなきゃな」
「うん、して」
うにゅほが、うへーと笑う。
たった一日いないだけで、この騒ぎだ。
二泊三泊は無理だろうなあ。



2017年9月17日(日)
2017年9月18日(月)

折からの台風で、帰りの飛行機が欠航となった。
幸い、数時間後の便で帰ってくることはできたのだが──
「──…………」
「××さん」
「──…………」
「××さん?」
うにゅほが背中にぴたりと貼り付き、離れようとしない。
チェアに腰掛けようとすれば、背中と背もたれとの隙間にするりと入り込むのだから、徹底している。
「……しんぱいした」
「ごめんな」
ふるふると首を振る感触。
「◯◯、わるくない……」
「でも、心配を掛けたのは事実だ」
「──…………」
「俺、二度と、台風シーズンに飛行機乗ったりしないから」
「?」
小首をかしげる気配。
「いや、帰りの飛行機めっちゃ揺れたんだよ……」
「そなの?」
「いちばん揺れたときで機体が三十度くらい傾いて、一度は死を覚悟したから」
「──…………」
ぎゅー。
「……ひこうき、もう、のったらだめ」
「あー……」
怯えさせてしまった。
「ほら、飛行機事故で死ぬ確率は、自動車事故で死ぬ確率より遥かに低いし……」
「──…………」
ぎゅー。
こうなってしまうと、しばらくは話が通じない。
「××さん」
「──…………」
「そこに入り込まれると姿勢がつらいから、前から抱き着いてくれますか」
「──…………」
無言で膝の上に移動したうにゅほが、俺の胸にぎゅうと抱き着く。
ぽん、ぽん、と背中を叩いてやりながら、うにゅほが落ち着くのを待つのだった。



2017年9月19日(火)

「あー……」
ぐわんぐわんと首を回す。
肩が痛い。
頭が重い。
総じてだるい。
「疲れが、まだ、抜け切ってないなあ……」
「だいじょぶ……?」
膝の上のうにゅほが、心配そうにこちらを見上げる。
「大丈夫、大丈夫。単に睡眠時間が足りなかっただけ」
「どことまったの?」
「泊まってない」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「イベントが朝の六時に終わったから、泊まる時間がそもそもない」
「はー……」
「本当なら、朝の便で、昼には帰宅して、夜まで仮眠を取るつもりだったんだけどさ」
「ひこうき、おくれたもんね」
「しゃーないから、ネカフェで雑魚寝。布団はないし寒いしで散々だよ」
「たいへんだったね……」
なでなで。
うにゅほが俺の頭を撫でる。
「……やっぱり、家がいちばんだな」
「うん」
「××もいるしな」
「うへー……」
連れて行ければいいのだが、倫理的にはなかなか難しい。
FRENZの会場って、新宿歌舞伎町だし。
「──そういえば、イベント中にどうしても腹が痛くなってなあ」
「え!」
「会場全体は熱気がすごくて暑いのに、俺の席だけエアコン直でさ」
「だいじょぶだったの?」
「ダメだったから、正露丸買って飲んだ」
「あ、にもつにあった」
「会場近くのドラッグストアで買ったんだけど、中国人ばっかで──」
俺の土産話を、うにゅほが楽しそうに聞いてくれる。
いつかは、誰かに、ふたりで土産話ができるようになりたいものだ。



2017年9月20日(水)

「──あれ?」
仕事机の前に腰を据えたところ、愛用の定規がないことに気がついた。
「××、定規知らない?」
「とうめいなやつ?」
「そう」
うにゅほが首を横に振る。
「しらない……」
「昨日も使ったんだから、ないはずないんだけど……」
机の上の書類をひっくり返し、引っ掻き回し、アクリル製の定規を探す。
透明とは言え30cmの長物だ。
一見して気づかないはずがない。
「……わたし、おひる、ここそうじした」
「そのとき見なかった?」
「おぼえてない、けど……」
畳の上に敷かれた夏用のラグを、うにゅほがめくる。
「もしかしたら、おとして、けって、したにはいったかも……」
「あり得なくはない、か」
だが、見つからない。
思いつく限りすべての場所を探し終えたあと、俺は小さく頭を抱えた。
「……困った」
どんな定規でもいいのなら、そこらにある。
だが、透明でなければ、作業効率が目に見えて落ちてしまう。
不要なストレスを仕事に持ち込みたくない。
「仕方ない、買ってくるか……」
「うん」
仕事部屋に放り出した書類や筆入れ、定規などを、机の上にまとめて乗せる。
「──…………」
ん?
書類や、筆入れ、定規などを──
「……あった」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「定規、あった」
「え、どこにあったの?」
「わからん。片付けてたら、いつの間にか手に持ってた……」
「よかったー……」
「なんか、騒がせてごめんな」
「ううん、しごとがんばってね」
「頑張る」
それにしても、あれだけ探したというのに、いったいどこにあったのだろう。
謎である。



2017年9月21日(木)

「──……ふあ……、う」
「おっきなあくび」
「……××の手くらいなら、入るかもなあ」
「はいるかも」
「試してみる?」
「て、たべたらだめだよ」
「食べない食べない」
「うん」
「よだれでべとべとにするだけ」
「ちょっと、や」
そりゃそうだ。
「ある朝、ぬめっとした不快感で起きると、××の右手が俺の口のなかに!」
「やー!」
うにゅほがくつくつと笑う。
「いき、くるしそう」
「鼻が詰まってたら、やばいな」
「はなしゅーしないと」
「したら、食べていいのか」
「だめ」
「駄目かー」
「てー、おいしくないよ」
「美味しそうだぞ」
「そかな」
「きっと甘い」
「しょっぱいとおもう……」
「生クリームでデコレーションして食べよう」
「それ、たぶん、わたしのてでなまクリームなめてるだけ……」
「バレたか」
「わかるよー」
「甘いものが食べたくてな……」
ダイエット中である。
「◯◯、すこしやせた?」
「少しずつな」
目標体重までは、遠い道のりだ。
「生クリーム食べたいなあ……」
「わたしのてーで?」
「食べさせてくれる?」
「うーん……」
真剣に検討してくれるあたり、優しい子である。
まあ、冗談なんだけど。



2017年9月22日(金)

「やー、すー、みー、だー!」
「わ」
仕事を終えた解放感で、うにゅほを背後から抱きすくめる。
「あした、しゅうぶんのひ、だもんね」
「祝日に限らず土曜は休みにしてほしい……」
完全週休二日制、なんと甘美な響きであることか。
「でも、たまに、どようびやすみある」
「うちは週休二日制だからな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「このあたり、なんか詐欺くさいよなあ」
「どのあたり?」
「週休二日制と、完全週休二日制。これらは別物です」
「……?」
あ、混乱してる。
「完全週休二日制は、毎週二日の休みが約束されてる」
「うん」
「週休二日制は、月に一度、二日休める週がある」
「ほかのしゅうは?」
「たいてい一日しか休めない」
「ふつかやすみより、いちにちやすみのが、おおいの?」
「そうなります」
「しゅうきゅうふつかなのに、しゅうきゅうふつかじゃない……」
「俺もそう思う」
誰だこんな用語作ったの。
「毎週土曜も休みなら、いろんなことができるなあ」
「そだねえ」
「たとえば──」
うにゅほを抱っこしたままソファに腰を下ろし、思案を巡らせる。
「──…………」
「たとえば?」
「……昼寝、とか」
「ふんふん」
「あ、××と遊びに行ったり」
「いきたい」
「明日、どっか行くか」
「うん!」
約束したからには、ふたりでどこかへ行こう。
どこへ行くかは明日決めればいいや。



2017年9月23日(土)

昨夜の約束のとおり、ふたりでどこかへ遊びに出掛け──ようとしたのだが、
「……車が」
「ないねえ……」
我が家が現在所有している自家用車は、
コンテカスタム、
ライフ、
ランドクルーザーの三台である。
ミラジーノは父親の友人に貸出中だ。
その三台が、すべて出払っていた。
「……誰もいないと思ったら、三人が三人別々に出掛けてるのか」
「そうみたい……」
「なんというか、……間が悪い」
「うん」
「バイクでもいいけど、雨が降りそうなんだよな……」
「うん……」
「──…………」
「──……」
「……明日でいい?」
「うん、いいよ」
健気なうにゅほの頭を撫でながら、リビングへ戻る。
「誰もいないし、テレビでも見るか」
「うん」
ソファに腰を下ろすと、うにゅほが自前の細いふとももを叩いた。
「はい」
「サービスいいなあ」
ごろんと横になり、膝枕をしてもらう。
「わたし、ひざまくらすき」
「足、痺れない?」
「しびれるまでは、すき」
「痺れたら言うんだぞ」
「うん」
「俺が寝てても、トイレに行きたくなったら起こすこと」
「うん」
「──…………」
本当かなあ。
あんまり起こされた記憶がないのだけど。
「──ま、いいや。テレビテレビ」
特に見たいものがあるわけではない。
強いて言えば、ふたりでいることが目的だ。
テレビをぼんやりと眺めながら、明日こそは出掛けようと決意を新たにするのだった。



2017年9月24日(日)

外出の準備を整え、リビングを覗き込む。
「──家族は、みんないる」
「いる」
玄関を確認する。
「車の鍵は、ある」
「ある」
外に出て、空を見上げる。
「晴れてる」
「うん、はれてる」
「絶好の外出日和である」
「である」
「では、出掛けましょう」
「はい」
コンテカスタムに乗り込み、エンジンを掛ける。
「どこいくの?」
「行きたいところ、ある?」
「うと……」
「ないならゲーセン巡り」
「うん、ゲーセンいきたい」
「ダイエット中だから、チョコボールは少なめで」
「はーい」
「あると食べちゃうからね……」
「わかる」
いつものゲームセンターでチョコボールを三箱ゲットし、大回りして帰途につく。
「ほしいの、あんましなかったね」
「カービィのぬいぐるみは可愛かったけど、あの筐体は苦手なんだよなあ」
「うで、さんぼんのやつ」
「取れるときは一発なんだけど」
「むずかしいねえ……」
「あ、TSUTAYA寄っていい?」
「みたいのあるの?」
「ないけど、まあ、適当に」
結局、特に目的のないドライブになってしまった。
「……やっぱ、どこ行くかくらい決めてから出掛けないとなあ」
「そかな」
「楽しかった?」
「うん、たのしかった」
「ならいいけど……」
「◯◯、たのしくなかった?」
「いや、楽しかったよ」
「ね」
ふたりとも楽しかったのなら、いいか。



2017年9月25日(月)

「ケツが痛い」
「けつ」
「……おしりが痛い」
「ぢ?」
「いや、尾てい骨のあたり」
「おしりのほね?」
「そうそう」
「おしり、うったのかな」
「そういう痛みではなくてだな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「尾てい骨のあたりの、皮膚が痛い」
「ひふが……」
「なんか、擦れたみたい」
「あー」
うんうんと頷く。
通じたらしい。
「びていこつ、でっぱってるもんね」
「しっぽが退化した名残りらしいぞ」
「そなんだ」
「座り方が悪いのかな……」
「うん」
うにゅほが、あっけらかんと頷く。
「……そんなに悪い?」
「こし、いたくなんないのかなって」
「まあ、それはそれとして」
「うん」
「座り方は同じなのに、なんで急に擦れるようになったのかなって」
「やせたからとおもう」
「たしかに痩せてきてるけど、見た目でわかる?」
「うん、しゅってした」
「──…………」
ちょっと嬉しい。
「おしりもね、ちいさくなったよ」
「それでか……」
いままで尻の肉に守られていた尾てい骨が、チェアの座面と擦れるようになったのだろう。
「おろないんぬるから、おしりだして」
「嫌です」
「えー……」
さすがに恥ずかしい。
ともあれ、ダイエットの成果が目に見えて現れるのは喜ばしいことだ。
ケツ痛いけど。



2017年9月26日(火)

月に一度の定期受診の帰り、普段は行かないゲームセンターへと立ち寄った。
「へえー、けっこうプライズ充実してるな」
「あ、けものフレンズのシャツある」
ハシビロコウとアルパカ・スリを意匠したTシャツだ。
「……意外とオシャレだな」
「きる?」
「着ないけど」
これ、許可取ってんのかな。
まあいいか。
「きーぼーどとか、まうすもある」
「キーボード……」
気になる。
たかだかゲーセンの景品風情が、いま使っているHHKB Professional JP Type-Sより使いやすいはずはない。
しかし、プライズコーナーに並ぶキーボードがいかほどのクオリティなのか、微妙に好奇心を煽られる。
「これ、やってみていい?」
「きーぼーど、たくさんあるのに……?」
「千円で取るから」
「せんえんなら……」
しぶしぶながら許可をもらい、筐体に百円玉を投入していく。
「これは、箱の端を押していけば──」
「おー」
宣言通り千円でゲットし、ほくほく顔で帰宅する。
「まず、このキーボードの相場を調べようか」
「そうば?」
「買ったらいくらになるのか、みたいな」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「メーカーは、BLGK? 聞いたことないな。とりあえず型番を──」
キーボードの箱を、くまなく調べる。
「……型番がない」
「ないの?」
「大雑把に"ゲーミングキーボード"としか書いてない」
嫌な予感がする。
封を開け、キーボードを取り出す。
メンブレンなのは予想していたが、
「──無駄に英語配列! 見た目だけRazer! ゲーミング要素なし! 軽くて異常に滑る!」
「つかいにくい?」
「使いにくいです」
「そか……」
こうして、俺たちの部屋に無駄に物が増えていくのだった。



2017年9月27日(水)

「──……!」
は、と気づく。
「九月、終わるじゃん!」
「にじゅしち、にじゅはち、にじゅく、さんじゅう──あとよっかあるよ」
「27日、あと数時間しかないんですが……」
「あとみっかあるよ」
「あと三日しかない」
ふと、グラスに半分だけ入った水の逸話を思い出す。
半分しか入っていないと考えるか、半分も入っていると考えるか。
俺は前者で、うにゅほは後者なのだ。
「……やっぱり、あと三日もあると考えることにする」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「つまり、だ」
「うん」
「この三日間で、どれだけの事を成せるか。それが重要なのではあるまいか」
「なるほど……」
うんうんと頷く。
「うーと、なにするの?」
「作業は溜まってるし、見たいDVDもあるし、積ん読も消化しないとだし、運動もしないとだし」
「たくさんあるねえ」
「秋だからな」
「あきだと、やることあるの?」
「言うじゃん。スポーツの秋とか、読書の秋とか」
「あー」
「個人的には、ひとつに決めてもらいたいけどね」
「◯◯、どれがいい?」
「決めるとしたら?」
「うん」
「──…………」
しばし思案し、
「……食欲の秋、かな」
「おなかすいたの?」
「我慢する」
「ダイエット、むりしないでね」
「はい」
スポーツの秋で、カロリーを消費しようかな。



2017年9月28日(木)

「──◯◯、きのうのよる、しょくパンたべた?」
「!」
ぎくり。
「すこしだけ……」
「なんまい?」
「……三枚」
「すこし……?」
「××が寝たあと、どうしても腹が減って……」
「たべるのいいけど、たべるなら、ごはんのときにちゃんとたべたほういいよ」
「はい……」
言葉もない。
「でも、おかしとかあるのに……」
「お菓子は、まあ、我慢できる。でも、食パンは食べちゃうんだよな……」
「◯◯、そんなしょくパンすきだっけ」
「好きだけど、大好物ではない」
「そだよね」
「パンはパンでも菓子パンとか、ケーキとか、見るからにカロリーが高いのは我慢できるんだ」
「あー……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「しょくパン、カロリーなさそうだもんね」
「……実は、そうでもないんだよなあ」
「そなの?」
「パンは、基本カロリー高い。食パンでも、一枚150kcalくらいあったと思う」
「さんまい……」
「そう、三枚食べちゃったんだよなあ……」
しかも深夜に。
「カロリー高いってわかってるのに、見た目と味に騙されて食べてしまう……」
「マーガリン、ぬった?」
「……塗った」
「あさ、いっしょにたべよ」
「徹夜かな」
「はやくねよう」
「無理です」
「むりかー……」
いまさら生活サイクルを変えるのは難しい。
でも、まあ、一時間程度なら、早く寝てみようかな。



2017年9月29日(金)

両腕を手のひらで交互にさすりながら、呟く。
「……寒い」
秋が深まり、気温も下がってきたが、過度に低いということはない。
ならば、何故寒いのか。
それは──
「じんべ、きてるからとおもう……」
「まあ、そうなんですけどね」
甚平とは、言わば夏用の部屋着だ。
麻で織られた生地は薄く、袖も裾も相応に短い。
「そろそろ作務衣の季節かなあ……」
「うん」
「でも、着替えるのめんどい」
「めんどいの……」
「××が膝の上に来てくれれば、万事解決だし」
「でも、てとかあしとか、さむいとおもう」
「あー……」
言われてみれば。
「……ストーブつける?」
「おとうさん、こないだ、ふるいとうゆ、すててたよ」
「──…………」
「きがえよ」
「着替えたら負けのような気がする」
「だれに?」
「わからん」
「わからんの……」
うにゅほが、呆れたような、困ったような、どちらともつかない笑みを浮かべる。
「じゃあ、ちょっとまってね」
ごそごそ。
「せめて、これだけ」
うにゅほが取り出したのは、愛用の半纏だった。
「おー」
「これきて、わたしのって、あしちょっとつめたいけど……」
「我慢する、我慢する」
しばらくぶりに羽織った半纏は、いささか樟脳臭いものの、その着心地は素晴らしかった。
「ふー……」
「あったかい?」
「あったかい」
膝の上のうにゅほを抱き締めながら、冬の気配を感じるのだった。



2017年9月30日(土)

「──…………」
俺は悩んでいた。
行動、言動、言葉の端々。
僅かな情報から推理できるほどの洞察力は、俺にはない。
そんなものは探偵にでもまかせてしまえばいい。
問題は、うにゅほの物欲が極めて薄いということである。
「……どうするべきか」
「?」
ソファの隣に腰を下ろしたうにゅほが、軽く小首をかしげてみせた。
「かんがえごと?」
「考えごと」
「なにかんがえてるの?」
「──…………」
いっそ、直接尋ねてしまおうか。
「××のこと」
「!」
うにゅほが、ピンと背筋を伸ばす。
そして、
「うへえー……」
両手でほっぺたを包み、こちらから顔を背けた。
照れているらしい。
「正確に言うと、××の誕生日プレゼントのこと」
うにゅほの誕生日は10月15日である。
あと二週間ほどしかない。
「欲しいもの、ない?」
「うと、ほしいもの……」
うにゅほが思案する。
「──…………」
「──……」
「……ない……」
やはりか。
「じゃあ、プレゼントは当日のお楽しみだ」
「うん!」
とは言ってみたものの、アイディアひとつ出てこない。
なんとしても、当日までに間に合わせなければ。

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