>> 2017年5月




2017年5月1日(月)

「五月だ!」
「ごがつだー」
「桜だ!」
「さくらだー」
「よし、ヨドバシ行くか」
「うん!」
コンテカスタムに乗り込み、エンジンを掛ける。
目的地はヨドバシカメラだが、特に用事があるわけではない。
新川沿いを南下していくと、
「わあ!」
「おー、咲いてる咲いてる」
10.5kmに及ぶ日本最長の桜並木が姿を現した。
もっとも、Wikipediaによると、本当に日本一かどうか定かではないらしいが。
「五月に入ったのに、まだ咲き始めだな」
「ことし、おそいねえ」
「毎年いまくらいの時期には満開になってるイメージあるけど」
「うん」
「綺麗だな」
「きれい……」
助手席のうにゅほが、こちらへ身を乗り出して、桜並木に見入っている。
少々危ないが、赤信号のときくらいは構わないだろう。
今年初めて見る桜。
何故なら、
「──うちの近くの桜の木、切り倒されちゃったからな」
「うん……」
誰のものとも知れない小さな庭園が、潰され、アパートと成り果てたのは、去年の出来事だ。
「……さくら、きれいだったのにね」
「そうだな」
「コロ、おちたはなびらたべたことあるんだよ」
「なんでも食うなあ、あの犬」
「ふふ」
数年前に死んだ愛犬の話をしながら、桜並木を行く。
時は移ろう。
何もかもが変わっていく。
それでも変えたくないものを、変わらないように、守っていく。
そうできたらいいと思うのだ。



2017年5月2日(火)

「行ってら」
「いってらっしゃーい!」
旅行に出掛ける両親を見送り、うにゅほと顔を見合わせる。
「……また、いっちゃった」
「行っちゃったな」
「こんど、どこいくんだっけ」
「聞いてないの?」
「いつしくまのじんじゃ、っていってたきーする」
「いつしくま?」
「うん」
「厳島じゃなくて?」
「そうだったかも」
「厳島神社なら、広島県だな」
「どこ?」
「……近畿?」
「きんき?」
「中国地方だったかも」
「ちゅうごく……」
「チャイナのほうじゃないぞ」
「わかる」
「まあ、俺も偉そうなこと言えた立場じゃないけど。地理苦手だし」
「◯◯も、にがてあるんだ」
「人間ですからね」
「なににがて?」
「いま言ったけど、地理は苦手だな」
「ほかは?」
「えーと──」
苦手な分野。
改めて尋ねられると、難しい質問だ。
「……英語は苦手かも」
「えー?」
うにゅほが意外そうに声を上げる。
「とくいだとおもってた」
「得意ではない」
「だって、えいけんもってるって」
「準2級はあるけど、取ったの高校の頃だぞ」
もう一度受けるとするならば、4級も怪しいところだろう。
「にがて、ほかにない?」
きらきらとした目で質問を浴びせてくるうにゅほに、こちらから問い返す。
「……なんでそんなに苦手を知りたいんだ?」
「わたしがね、◯◯におしえてあげるの」
「だったら地理を教えてくれ」
「ちり、わたしもしらない……」
だろうなあ。
「思いついたら、また言うよ」
「うん」
うにゅほ先生に教えを乞うのは、いつの日になるのやら。



2017年5月3日(水)

ゲームセンターのプライズコーナーで、大量のチョコボールをゲットした。
金額的にはトントンくらいだが、この手の筐体では十分だろう。
「♪」
助手席のうにゅほが、チョコボールのフィルムを剥がす。
「それ、何味?」
「うーと、カスタードプリンあじ、だって」
「そんなのあるんだ」
「うんてんちゅうだから、たべさせてあげるね」
そう言って、くちばしを開く。
「あ!」
「エンゼル出た?」
「ぎんのえんぜる、でた!」
「おー」
「ふたつめ」
「そういえば、前にも当たってたっけ」
「うん」
調べてみたら、二年半も前だった。※1
チョコボールを食べる頻度がそう高くないとは言え、相変わらずの低確率である。
「あとさんまい……」
うへーと笑う。
「銀のエンゼルが出る確率は、1/25だって聞いたことがある」
「ななじゅうごこかったら、そろうかな」
「75個買って三枚当たる確率は、だいたい2/3だな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「確率というのは不思議なものなんだよ」
「そなんだ……」
カスタードプリン味のチョコボールをふたりで分け合い、続いてピーナッツを開封する。
「──あっ!」
「え?」
「ぎんのえんぜる、またでた!」
「マジか」
二連続とは珍しいこともあるものだ。
「あとにまい」
うへーと笑う。
だが、事はこれだけでは終わらなかった。
帰宅してから開封した残りのチョコボールの中に、エンゼルがもう一枚隠れていたのである。
「あといちまい!」
「こんなことあるんだな……」
二年半出なかった銀のエンゼルが、たった一日で三枚も手に入ってしまった。
豪運である。
どうせなら、もっと別のところで発揮したかったなあ。

※1 2014年10月10日(金)参照



2017年5月4日(木)

「……暑い」
「はちーねえ……」
「窓開けたのに、ぜんぜん涼しくならない……」
「いま、にじゅうはちど……」
「うわ」
暑い暑いと言い合いながらうだうだしていると、
「兄ちゃん、いるー?」
自室の扉を開き、弟が顔を出した。
「うわ、あっつ!」
「お前の部屋は……?」
「俺の部屋、日当たり悪いもん」
「たしかに」
「あと、エアコンつけてる」
「貴様ァ!」
「兄ちゃんたちもつければいいだろ」
「まあ、そうなんだけど……」
いまいちタイミングが掴めないのだ。
「──って、んなことどうでもいいんだ。ネット、いきなり繋がらなくなった」
「こっちは繋がってるけど」
「兄ちゃんのパソコン、有線だろ」
「てことは、ルータがイカれたかな……」
重い腰を上げ、無線LANの親機を点検する。
「壊れた?」
「よくわからん」
「壊れてるなら、新しいの買ってきてよ」
「なんで俺が……」
「兄ちゃん詳しいじゃん」
「詳しいことで余計な手間が増えるなら、詳しくなんてなりたくなかったよ」
「父さん母さん旅行中の風呂掃除とか食器洗いとか、ぜんぶやるからさ」
「──……ふむ」
うにゅほと視線を交わす。
「◯◯、いこ」
苦笑しながら俺の袖を引くうにゅほに頷きを返し、弟に確認を取る。
「……ルータ代は、お前が出すんだよな」
「当然」
「ヨドバシのポイントは貰っていいな」
「いいよ」
「請け負った」
クレジットカードの効果もあいまって、ヨドバシのポイントがみるみる貯まっていく。
何に使おうかなあ。



2017年5月5日(金)

「◯◯、こんなのみつけた!」
「んー?」
差し出された手を覗き込む。
「こんぺいとうだ」
「うん」
「包装からして、ひな祭りのときのやつかな」
「たべる?」
「食べよう」
開封し、色とりどりのこんぺいとうを手のひらに開ける。
橙色の一粒をつまみ上げ、うにゅほが呟いた。
「こんぺいとう、かわいいねえ……」
「どうして凹凸ができるのか、いまだに解明されていないんだってさ」
「へえー」
あまり興味はなさそうだ。
「んじゃ、いただきます」
ガリッ!
ピンク色のこんぺいとうを口に放り込み、噛み潰す。
「甘い」
「さとうだもんね」
「あと、イチゴっぽい。香料が入ってるみたい」
「これ、みかんのあじするかな」
「食べてみ」
「うん」
がり、ごり。
「みかんのあじする」
「黄色はレモンとして、緑は何味だろう」
「メロンかな」
「どれ、ひとつ──」
緑色の一粒を口に入れようとして、不器用にも取り落としてしまった。
ころん、すぽ。
「あ」
作務衣の前合わせに、うにゅほが反射的に手を突っ込んだ。
「うひあ!」
思わず身をよじる。
「わ、ごめんなさい」
「いきなりは勘弁して……」
「はい」
立ち上がり、上衣をはだける。
「あれ、落ちてこないな」
「したは?」
「下でもないと思う」
チェアを調べる。
ない。
床を調べる。
ない。
物陰を調べる。
ない。
「あれー……?」
「ないなあ」
確かに落としたはずなのに、いまだに見つからない。
よくあることだが、不思議である。



2017年5月6日(土)

「──…………」
むくり。
「あ、おきた」
「……おあようございます」
「おはようございます」
ぺこり。
「いま何時?」
「さんじ」
「……おそようございます」
「おそようございます」
ぺこり。
「連休とは言え、寝るのが遅すぎました……」
「わたしおきたとき、まだおきてたから、びっくりした」
「はい……」
「なにしてたの?」
「何をしてたってわけでもないんだけど、気づいたら朝の六時過ぎだった」
「そなんだ……」
「××、起きる時間いつもと変わらないんだな」
「うん」
「寝る時間が同じだから、当然と言えば当然だけど」
「わたし、あんまし、おやすみかんけいない」
「そうだけど、父さん母さんいないから、朝ごはんの用意も自分のぶんだけだろ」
「うん」
「俺が寝てるあいだって、どう過ごしてたんだ?」
「うーと、あさごはん、つくってたべて──」
「朝ごはんは?」
「フレンチトースト」
「俺も食べたい」
「ひたしてあるから、やいてあげるね」
「やった」
「そんでね、テレビみてね、そうじして、またテレビみて、ほんよんで、おひるたべて、ほんよんでた」
「いつもそんな感じ?」
「うん」
「……フレンチトースト食べたら、どっか行くか」
「うん!」
遠出は無理でも、ドライブくらいはできる。
街を一回りして帰宅するころには、とうに日が暮れていた。
夜更かしばかりしていないで、もっとうにゅほと遊んであげようと思った。



2017年5月7日(日)

「父さん母さん、帰ってくるの何時って言ってたっけ」
「うーとね、くじにフェリーつくって」
「じゃあ、十時くらいかな」
「たぶん」
チェアの背もたれに体重を預け、天井を仰ぐ。
「連休も終わりかあ……」
「そだねえ」
「××は、逆に忙しかったかな」
「?」
「ほら、家事とかさ」
「ぜんぜん」
うにゅほが首を横に振る。
「◯◯も、(弟)も、てつだってくれたから」
「あいつが風呂掃除担当になったのって、俺たちがルータ買ってきてネット回線復旧したからじゃなかったっけ……」
「しなくても、してくれたとおもう」
それはそれで納得が行かないのだが、まあいい。
「──ともあれ、お疲れさま」
「わ」
うにゅほの背後に回り込み、やわやわと肩を揉む。
「ふひー……」
「凝ってないけど、気持ちいいの?」
「きもちい」
「では、揉み返しが来ない程度に揉み倒してあげよう」
「もみかえし?」
「強く揉み過ぎて、あとから痛くなることがあるんだよ」
「そなんだ」
もみもみ。
やわやわ。
もみもみ。
やわやわ。
「ふいー……」
うにゅほがとろけていく。
やはり、疲れていたのだろうか。
「つぎ、わたしまっさーじするね」
「お願いします」
「はーい」
午後十時過ぎ、両親が無事帰宅した。
大量のおみやげは、明日以降に開封することにしよう。



2017年5月8日(月)

「はー……」
口内のあんこを牛乳ですすぎ、溜め息をひとつ。
「もみじまんじゅう、おいひいねえ」
むぐむぐ。
「美味しいけど、新鮮味がない」
「しんせんみ?」
「言うなれば、食べ飽きた味というか……」
「わたし、はじめてたべる」
「でも、どっかで食べたことある味じゃないか?」
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「──ほっちゃれ」
「?」
「北見銘菓の、鮭の形をした細長いお菓子あるだろ」
「あれすき」
「俺も好きだけど」
「うん」
「あれともみじまんじゅうって、形が違うだけで、ほとんど同じ味だと思う……」
「──…………」
ぱく。
むぐむぐ。
「……そうかも……」
「ほっちゃれは醤油の風味があるから、まったく同じではないけどさ」
いずれも、小麦粉と卵、砂糖で作ったカステラ状の生地で、こしあんを包んだお菓子である。
味が似通うのも当然だろう。
「でも、おいしいよ?」
「まあ、美味しいけど……」
個包装を解き、かぶりつく。
「あ、チョコあじあるよ」
「マジで?」
「こっちのはこはあんこだけど、おっきいはこは、あじたくさんある」
「マジか……」
「うん」
企業努力をしているのだなあ。
チョコ、クリーム、抹茶クリームを食べ比べてみたところ、やはりこしあんがいちばん美味しいという結論に達した。
定番であり続けることには、理由があるということだ。
「◯◯、たべすぎ」
「すみません」
おみやげは、まだまだたくさんある。
ゆっくり消費していこう。



2017年5月9日(火)

病院からの帰り道、ゲームセンターへと立ち寄った。
「チョコボールとるの?」
「銀のエンゼル、あと一枚だしな」
「うん!」
アベレージで言えば買うのと大差ないため、最近は、おやつと言えばゲームセンターである。
ワンコインで七個ほどゲットし、店内を見て回る。
「わ、あれおっきいねえ!」
うにゅほが指差したのは、50cm×20chほどの巨大なビッグカツの箱だった。
「たくさんはいってるのかな」
「箱に騙されちゃ駄目だぞ」
「?」
「ほら、よく見たら10枚入りって書いてある」
「ほんとだ……」
「ビッグカツが1枚三十円だから、三百円で取れなきゃ赤字だな」
「◯◯、やって!」
「いいけど……」
結果、ぴったり三百円で取れた。
「すごい!」
うにゅほが小さく拍手する。
「いや、いまのはたまたま──」
などと言いつつ悪い気はしないので、ついついゲームセンターに通ってしまうのだった。
「××も、好きなのやればいいのに」
「わたし、へただから、おかねたくさんかかる……」
「俺だって、言うほど上手くないからな」
チョコボールの筐体が放出台なだけである。
「たとえば──ほら、あれとか」
一抱えほどもあるマンガ肉のぬいぐるみが入った筐体を指差す。
「あれ、にく?」
「マンガ肉」
「まんがにく……」
「知らない?」
「しらない」
「知らないのか……」
ジェネレーションギャップを感じる。
「あのタイプの筐体なら、まぐれ当たりがある。コツコツ進めなくても大丈夫」
「じゃあ、いっかいだけ……」
財布から百円玉を取り出し、投入する。
「こ、ここ……?」
うにゅほがためらいがちにボタンを押すと、三本のアームがマンガ肉目掛けて下りていった。
「!」
「あ、骨に引っ掛かった」
「わ、わ、わ」
「──…………」
「──……」
「落ちた」
「おちた……」
「そう上手くは行かないか」
「◯◯、やって!」
「いいけど、俺このタイプ苦手なんだよなあ……」
百円玉を投入し、
「あ、取れた」
「とれた!」
取れてしまった。
「◯◯、すごいねえ! すごいねえ!」
褒められるのは嬉しいのだが、うにゅほの中で俺がプライズゲーム名人ということになりつつある気がする。
実際の腕前は、中の中だ。
どうしたものか。



2017年5月10日(水)

ぐ、ぐ、ぐ。
幾度か膝を曲げたあと、屈んだ状態から左足を伸ばしていく。
「──いたッ、た、たたた」
「むりしないで……」
「うん……」
左足を元の位置に戻し、今度は右足を伸ばす。
「こっちはぜんぜん痛くないんだけど……」
「どこいたいの?」
「左の内腿の、奥の筋かなあ」
「ここ?」
「うひ」
思わずその場から後じさる。
「……急にきわどいところを触らないように」
「ごめんなさい」
「ともあれ、ここを伸ばそうとすると鬼のように痛い」
「おにのように」
「体が硬いとかじゃなくて、明らかに怪我の痛みなんだよな……」
「けがしたの?」
「わからん」
「わからんの」
「だって、久し振りに柔軟しようと思ったら、いきなりこれなんだもん」
もともと左足の内腿は硬かったが、痛みの質が明らかに違う。
「うったとか……」
「内腿を?」
「むずかしい?」
「内腿を打ったとするなら、股間を打たなかったことを神に感謝しなきゃならないかな」
「きんたま?」
「金玉とか言わない」
「はい」
「……しばらく柔軟しないほうがいいのかなあ」
「いたいのに、むりすることないよ」
「そうだな……」
「わたしもしないね」
「××はしていいんだぞ。前屈」
「……うへー」
あ、笑って誤魔化した。
まあいいけど。
ともあれ、謎の痛みが治まるまでは安静にしていよう。



2017年5月11日(木)

両親の寝室にあるブルーレイディスクレコーダーが壊れたので、新しいものを買ってくるよう頼まれた。
「ふっふっふー……」
快諾したのは他でもない。
「××くん、七万円の10%はいくらだい?」
「ななせんえん!」
正確には、七千円ぶんのヨドバシゴールドポイントである。
「やー、美味しいアルバイトだな!」
「うんうん」
接続から設定まですべてやらされることを考慮しても、お釣りが来る。
「そろそろ使い道を考えてもいい頃かもしれないなあ」
「なにかうの?」
「まだ考えてないって」
「そか」
「××は、欲しいものないのか?」
「ほしいもの……」
通路の端で立ち止まり、しばし思案する。
「ヨドバシで、うってるもの?」
「ヨドバシのポイントだから、そうなる」
「うと──」
うんうん唸ったあと、
「……おもいつかない」
「そっか」
「ごめんなさい……」
「謝ることじゃないってば」
うにゅほの頭を撫でる。
「そもそも、年頃の女の子が買い物をする場所として適切じゃないし」
「そなの?」
「××くらいだと、服やら雑貨やら化粧品って感じじゃないかな」
「ふうん……」
「あんまり興味ない?」
「うん」
相変わらず物欲のない子である。
「まあ、無理して欲しいものをひねり出す必要はないし、そのうち思いつくでしょう」
「そだね」
いずれ訪れるその時に向けて、たっぷりポイントを貯めておこう。



2017年5月12日(金)

自室でくつろいでいたところ、うにゅほがぽつりと口を開いた。
「ははのひ、どうしようねえ」
「母の日……」
「うん」
「母の日って、いつ?」
「あさって」
「マジで」
「まじ」
完全に忘れていた。
「××、よく覚えてるなあ」
「テレビでやってた」
「俺、テレビ見ないからなあ……」
「いっしょにみよ」
「何を?」
「めざましテレビ、とか」
「寝てる」
「ぜんろくあるから、いつでもみれるよ」
「朝の情報番組を、昼に……」
「だめ?」
「駄目じゃないけど、それならもっと映画とか見たい」
「さいきん、えいがみてないねえ」
「見てないな」
「つたや、いってないねえ」
「行ってないな」
「みたいえいが、ない?」
「ないことはないけど、××はあんまり好きじゃないと思う」
「なに?」
「貞子vs伽椰子……」
「──…………」
うにゅほの顔が、さっと青ざめる。
「……こわいやつ」
「怖いやつ」
「こわくないの、ない?」
「友達に勧められたの、だいたい借りて見ちゃったんだよな」
「そか……」
「……Amazonのプライムビデオで、ドラえもんの映画でも見る?」
「みる」
「じゃ、おいで」
「はーい」
うにゅほを膝に乗せて、パラレル西遊記を観賞した。
母の日のことは、すっかり忘れていた。



2017年5月13日(土)

「──えほッ、けほ、けほ」
いがらっぽさを吐き出すように、こっそりと咳をする。
うにゅほに心配をかけるつもりはなかったのだが、
「……◯◯、かぜ?」
あっさりバレてしまった。
「いや、風邪ってほどでも……」
「ほどでも?」
「──…………」
「──……」
「すこしだけ、体調悪い。本当にすこしだけな」
うにゅほが俺の手を引く。
「ねましょう」
「いや、仕事あるから……」
「しごと、あしたじゃだめ?」
明日は日曜日である。
「……まあ、なんとかは、なる」
「ねよ」
「ほら、母の日のプレゼント買いに行くって約束──」
「あしたにしましょう」
「うう……」
もう反論が思い浮かばない。
気付けばベッドに寝かされて、肩まで布団を掛けられていた。
「昼間から寝てる場合じゃないんだけど……」
「でも、ねないとなおらないよ」
「まあ、うん……」
「なおらないと、いろんなこと、できない」
「そうですね……」
うにゅほが、俺の両目に手のひらを翳す。
「め、とじて」
「──…………」
「ねておきたら、なおってるよ」
「はい……」
落ち着いた声音が、睡魔を呼び起こす。
次に目を開いたのは、日が暮れかけたころだった。
「あ、おきた」
「……起きました」
「ぐあい、わるい?」
「──…………」
頭痛はない。
喉の痛みも失せている。
「たぶん、大丈夫かな」
「そか」
微笑むうにゅほの頭を撫でて、立ち上がる。
仕事をしよう。
明日こそ、母の日のプレゼントを買いに行かなくては。



2017年5月14日(日)

「──ま、こんなもんかな」
「うん」
うにゅほとお金を出し合って、カーネーションのアレンジメントを購入した。
むろん、母の日のプレゼントである。
「おかあさん、よろこぶかな」
「喜ばなかったら、誕生日プレゼントはナシの方向で」
「ひどい」
「母の日って、母さんの誕生日と近いから、何買っていいか難しいんだよなあ」
「そだねえ」
「でもって、ひとまとめにするにはちょっと遠い」
「うん……」
困ったものである。
「たんじょうび、どうしようねえ」
「母の日は花にしたから、誕生日は実用品かな」
「じつようひん……」
「家事とかしてて、何か足りないものってある?」
「うーと」
しばし思案し、
「ない、かなあ……」
「ないか」
「うん」
「包丁の切れ味が悪くなってきた、とか」
「おかあさん、といでる」
「研ぐよなあ……」
「とぐ」
「……うーん」
悩む。
「父さんの誕生日は楽なんだけど……」
「おさけ、すきだもんね」
いいものを買うとそれなりに値段は張るが、迷わなくていいのはたいへんありがたい。
「しゃーない、本人に聞くか」
「そだね」
カーネーションのアレンジメントを渡したのち、母親に尋ねてみた。
曰く、
「いきなり言われても、思いつかない」
そうである。
アレンジメントはとても喜んでいたので、誕生日プレゼントに何を贈るか、じっくり考えてみようと思う。



2017年5月15日(月)

今日は一日、風が強かった。
「さむ……」
半纏を羽織り、手のひらをこすり合わせる。
「さむいねえ……」
「二人羽織するか?」
「するー」
うにゅほが俺の膝に座り、半纏の袖に腕を通す。
「……うへー」
密着感が嬉しい。
左手を繋ぎながら右手でマウスを操作していると、うにゅほが口を開いた。
「まど、がたがたいってる」
「二重窓閉めたっけ」
「しめてないかも」
「閉める?」
「うーん……」
しばし思案し、
「がたがたいうの、にじゅうまど、しめてないから?」
「そうだな」
「さむいのも?」
「そうかも」
「……ま、いっか」
「そうだな」
面倒くささと離れがたさが勝った結果である。
しばらくして、

──がらッ!

「!」
「……なんだ?」
窓の方から大きな音が鳴り響いた。
慌てて立ち上がり、二人羽織のままのたくたと窓へ向かう。
「まどわれた?」
「そんな感じの音じゃなかったけど……」
カーテンを開くと、理由がわかった。
「風で、網戸が右に動いたんだ」
「ひだりにあったもんね」
「強風か暴風か知らんけど、すごいなあ……」
「うん」
のたくたとチェアに戻り、うにゅほを抱き上げる。
「──あ、ついでに二重窓閉めればよかった」
「もどる?」
「いいや、めんどい」
「そだね」
二人羽織は、人を怠惰にする。



2017年5月16日(火)

「──……ッ!」
跳ね起きる。
「わ」
目を白黒させるうにゅほを尻目に、大口を開けて姿見を覗き込んだ。
「──…………」
「……?」
「夢、か……」
ほっと一息ついて、ベッドに腰を下ろす。
「こわいゆめみたの?」
「怖い──とは、すこし違うかも」
前髪を掻き上げながら、先程の夢を思い返す。
「なんせ、見ているときは、ちょっと気持ちよかったくらいだからな……」
「どんなゆめ?」
「──…………」
すこし躊躇したあと、観念して口を開く。
「……自分で歯を抜く夢」
「ほわ」
「しかも、けっこうリアル」
「リアルなんだ……」
「歯がぐらぐらする感じとか、頭蓋骨に響くメキメキって音とか」
「うひー……」
うにゅほが自分の口元を押さえる。
「いたくなかったの……?」
「痛くなかった」
「きもちかったの?」
「抜くたびにすっきりして、さあ次だって感じ」
「──…………」
「全部抜かないと入れ歯を作れないとか、ぶっ飛んだこと考えてた気がする」
「へんなゆめだねえ……」
「ここ一年でいちばん変な夢だな」
「わたし、ゲームセンターで、うまいぼうとるゆめみた」
「取れた?」
「たくさんとれた」
「平和な夢だなあ」
「うん」
できれば俺もそっちを見たかった。
夢占い的にどうなんだろうとふと思ったが、信じてないので調べない俺だった。



2017年5月17日(水)

「むー……」
L字デスクの下にすっぽり収まったうにゅほが、すぐ隣にあるPCケースをつつきながら唸り声を上げた。
「どした」
「ぱそこんのうえ、きたない」
「あー」
PC周りは俺の担当である。
そういえば、しばらくサボっていたっけ。
「ごめん」
「ダスキンしようね」
「はい」
階下からハンディモップを持って戻ってくると、
「──…………」
うにゅほがPCケースの隙間から内部を覗き込もうとしていた。
「見える?」
「みえない……」
「PCの中も、掃除してないなあ」
「どのくらい?」
「半年くらい」
「だいじょぶかな……」
「大丈夫だと思う」
「ほんと?」
「なんなら開けてみるか?」
「うん」
PCの電源を落とし、ケースの側面を開く。
開き戸になっているため、非常に手入れがしやすい。
しやすくても、しないのであれば、まったく意味がないけれど。
「ほら」
そこにあったのは、ホコリひとつない清潔な空間だった。
「きれい……」
「な?」
「まえのぱそこん、あけたらほこりすごかったのに」
「このケースにしてから、ぜんぜんホコリ溜まらなくなったんだよ」
「すごいねえ」
「ケースなんてどうでもいいと思ってたけど、やっぱ違うんだな」
店員のオススメを鵜呑みにして正解だった。
次にPCを買い換えるときも、ケースだけは流用することにしよう。



2017年5月18日(木)

愛用しているBluetoothキーボードの接続がブツブツと途切れるようになったため、サポートセンターに電話を掛けた。
しばらくして、
「──あなたの言うとおりにして、繋がらなくなったんでしょうがッ!」
思わず声を荒らげた。
当然である。
担当者に従った挙句、症状が悪化して、更には「こちらのサポートに不備はありません」と来たものだ。
「いい加減に──」
怒鳴りかけたところで、俺の腕に抱きつくものがあった。
「……!」
うにゅほだった。
激昂した俺を、泣きそうな顔で見上げている。
「──…………」
すう、と頭が冷えていく。
「……構えてるみたいですが、俺が求めてるのは、金銭じゃない。迅速な解決です」
うにゅほの頭を撫でながら、言葉を継ぐ。
「壊れたなら壊れたで、修理を受け付けてほしい。それだけです」
それから十分ほどやり取りをして、メーカーへ現品を送り返し、無償修理を受けることとなった。
通話を切り、不安そうな顔をしたうにゅほを抱きしめる。
「はー……」
落ち着く。
「……◯◯、おこってない?」
「もう怒ってない」
「あんましね、おこったらね、だめだよ……?」
「はい」
あんな顔を見せられては、怒る気も失せてしまう。
「……びっくりした?」
「びっくりした……」
「ごめんな」
「うん……」
ぎゅー。
「あつい」
「暑いな」
「うん」
「でも、こうしてると、腹の虫が治まってくる」
「そか……」
うにゅほがこちらに体重を預ける。
その髪に鼻先を埋めたまま、しばらく無言でいた。



2017年5月19日(金)

「あちー……」
「はちーねえ……」
室温は29℃、陽射しは夏の様相である。
ただでさえ暑いのに、
「……××」
「?」
「何故俺と背もたれのあいだに入る」
こうしてうにゅほと密着しているのだから、汗だくにもなろうというものだ。
「うへー……」
あ、笑って誤魔化した。
「あついねえ」
「主に背中が暑い」
「わたし、おなかあつい」
「××、暑いとくっついてくるよなあ……」
「うん」
「寒いときもくっついてくるけど」
「うん」
「春と秋は、そうでもない感じ」
「そかな」
「イメージな」
パソコンチェアから腰を上げると、うにゅほと切り離された背中が、すうと涼しくなった。
「といれ?」
「いや、エアコンつけようと思って」
「おー」
リモコンを手に取り、24℃に設定する。
頭上のエアコンが唸りを上げて、冷たい風を吐き出した。
「これでよし、と」
チェアに腰を下ろし、うにゅほと再び密着する。
「あ、まどしめないと」
「そっか」
再び立ち上がり、二ヶ所の窓を手分けして閉める。
すると、
「あれ、挟まらないの?」
「うん」
うにゅほが淡々と自分の座椅子に戻っていった。
「──…………」
なんとなく寂しい。
「……膝枕してください」
「いいですよ」
依存しているのは、果たしてどちらなのか。

……両方だな、うん。



2017年5月20日(土)

銀のエンゼルを五枚揃えるため、ちょくちょくチョコボールを購入している。
「はずれ……」
「こっちもハズレだ」
「あとひとつなのにねえ」
「こないだが運良すぎたんだよな」
「うん……」
二週間ほど前、一日に三枚のエンゼルを当てた反動か、あれから一枚も手に入れることができていない。※1
チョコボールの箱の背面を見ながら、うにゅほが言う。
「だまされちゃうかんづめ、だって」
「おもちゃのカンヅメ?」
「そう」
「いまのって、そんなんなんだ」
「いまの?」
「ああ、おもちゃのカンヅメの中身って、けっこう変わるんだよ」
「へえー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「◯◯、こどものとき、どんなのだったの?」
「俺が子供のときか……」
しばし過去に思いを馳せる。
「──……あれ」
「?」
「よく考えたら、俺、おもちゃのカンヅメを手に入れたことがない」
「そなの?」
「銀のエンゼルが当たった記憶はあるけど、五枚集める前になくしちゃってたからなあ……」
金のエンゼルは、見たことすらないし。
「ほしい?」
「……まあ、欲しいかも」
「がんばろうね!」
ふんす、と、うにゅほが鼻息を荒くする。
やる気だ。
「まあ、こうしてチョコボールを買って食べることしかできないんだけどな」
ピーナッツを一粒、口に放り込む。
「うん、美味い」
「キャラメル、いる?」
「銀歯が怖いから、いらない」
「そか」
おもちゃのカンヅメを手に入れるのは、いったいいつになることやら。

※1 2017年5月3日(水)参照



2017年5月21日(日)

友人とシュラスコを食べたあと、午後八時に帰宅した。
「ただいまー」
「おかえり!」
うにゅほの頭を軽く撫で、階段を上がる。
「しゅらすこ、おいしかった?」
「美味しかった」
「たべてみたいな」
「今度行こうか」
「うん!」
「××と行くなら、食べ放題じゃないほうがいいかもしれないなあ」
「わたし、そんなたべれない」
「だよな」
襟元に指を掛け、シャツの内側に空気を送る。
「ふー……」
「どしたの?」
「めっちゃ暑い」
「そかな」
「ほら」
うにゅほの手を取る。
「あつ!」
「な?」
「◯◯、かぜひいた?」
「いや、死ぬほど赤肉食べたからだと思う」
「あかにくたべたら、ねつでるの?」
「少なくとも、俺は出る」
「そなんだ……」
「この感じだと、37℃はありそうだなあ」
「(弟)、かぜひいてるんだよ」
「──…………」
「ねつあるんだって」
「マジで?」
「まじで」
「もしかして、これ──」
「かぜかも……」
赤肉を食べたにしても、熱すぎるとは思ったのだ。
「あったかくして、はやめにねようね」
「はい……」
風邪かどうかはわからないが、風邪であると仮定して対処すべきである。
資格試験が近い。
体調を万全に整えておかなければ。



2017年5月22日(月)

起きては寝てを繰り返し、最終的に午後一時に起床した。
「あー、あー、ん゙ー」
「のどいたい?」
「すこし」
「ねつあるかな」
「ないと思う」
「おでこかしてね」
マスクを着けたうにゅほが、俺の前髪を掻き上げ、額にそっと手を当てる。
「うん、ねつない」
「そっか」
「(弟)、さんじゅうきゅうどあったの……」
「……大丈夫なのか?」
「びょういんいって、こうせいぶっしつもらってきたって」
「いまは?」
「ねてる」
「寝てなきゃ寝かせてるか」
「うん」
「それで、××マスクしてるんだな」
「はい、◯◯も」
「ありがとう」
手渡されたサージカルマスクを装着し、立ち上がる。
「おひる、たべる?」
「食べる」
「ますく、たべてからにしたらよかったね」
「下げて食べるから大丈夫」
「そか」
「弟は、食べた?」
「おかゆたべたよ」
「おかゆ余ってるなら、それでいいや」
「わかった」
「それにしても、39℃か……」
「しんぱい?」
「そりゃ心配だよ」
「うん」
「インフルエンザとかかな」
「ちがうみたい」
「とにかく、伝染らないようにしなくちゃな」
「ほんとね」
うがい、手洗い、マスクの着用。
冬ではないけど、徹底しなければ。



2017年5月23日(火)

「──あっ」
普段通りに日記を書こうとして、ふとあることに気がついた。
「?」
不意に漏れ出た声を訝しんでか、うにゅほが顔を上げる。
「どしたの?」
「今日、2000回目じゃん」
「にせんかいめ?」
小首をかしげる。
「日記を書き始めてから、ちょうど2000回目」
「こないだせんかいめだった」
「それ、三年近く前だぞ」
「そだっけ」
「月日が経つのは早いものだ」
「そだねえ……」
うにゅほと出会ってから五年半、それは矢の如き日々だった。
「──…………」
うにゅほの顔を、間近で覗き込む。
「うへー……」
あ、照れた。
「……君、五歳は確実に年を取ったはずですよね」
「はい」
「──…………」
「──……」
「なんと言いますか、こう、あんまし変わってない気が……」
「◯◯も、かわってないとおもう……」
出会ったころから大人だった俺とは、事情がまた違うと思うけれど。
「ま、いいや」
変わらず可愛いままでいることに何の問題があろうか。
「それはそれとして、2000回に到達したら、やろうと思ってたことがあるんだよ」
「なに?」
「ふっふっふー……」
Google検索から、あるサイトを開く。
「文字数カウントー!」
「にっきの、ぜんぶの、もじすうわかるの?」
「その通り」
読者諸兄の中にも、気になっている方がおられるかもしれない。
この五年半に渡る長大な日記が、文庫本に換算して何冊程度になるものか。
半年ごとに区切られている日記をテキストボックスに次々とコピペして行き、
「──いざ!」
カウントボタンをクリックした。
結果が一瞬で表示される。
「うーと、ひゃくさんじゅうよんまん、はちじゅうもじ……」
「百万字超えたか」
「すごいの?」
「平均的な文庫本が、一冊十三万字くらい」
「……じゅっさつぶん?」
「十冊ぶん」
「すごい!」
「書いた俺も俺だけど、最初から今まで読んでる人も読んでる人だよ」
「そんなにいるの?」
「けっこういるみたい」
「すごいねえ……」
お付き合いありがとうございます。
「とりあえず、日記書くのをやめるつもりはないから、まだまだ溜まると思う」
「そか」
「××、ちょっと、これからもよろしくお願いしますって言って」
「これからも?」
「これからも、よろしくお願いします」
「これからも、よろしくおねがいします……」
ぺこり。
「よし」
「どしたの?」
「いや、日記に書くから」
「ふうん」
よくわかっていないようだが、まあいい。
ともあれ、今後も続けられるだけ続けていきますので、どうぞよろしくお願いいたします。
あらあらかしこ。



2017年5月24日(水)

ビラーゴ250の整備が終わったので、試運転がてら喫茶店へと赴くことにした。
タンデム用のヘルメットをかぶりながら、うにゅほが口を開く。
「バイク、ひさしぶりだねえ」
「自賠責取る取る言いながら、去年は結局取らなかったからな……」
「うん」
「乗り方、覚えてるか?」
「おぼえてる」
タンデムシートに跨ったうにゅほが、俺の腰に抱き着きながら背中に顔をぎゅうと押しつけた。
「ふぁい」
「……そんな乗り方だったっけ?」
「こわい」
「久しぶりだもんな」
「うん」
「まあ、そのうち慣れるだろ」
十分後、
「──きもちいね!」
慣れた。
赤信号の隙に会話する。
「晴れてたら、もっと気持ちよかったんだけどな」
「くもり」
「空気が湿ってるから、雨降るかも」
「てんきよほう、あめじゃなかったよ」
「なら大丈夫か」
「うん」
片道三十分かけて喫茶店へと辿り着き、コーヒーとソイラテ、フレンチトーストを注文した。
「さて、俺は勉強しようかな」
「しかく?」
「試験日まで、もう二週間切ったからな……」
「がんばってね」
「頑張ります」
「わたし、あいふぉんみてていい?」
「動画?」
「うん」
うにゅほにiPhoneを手渡す。
「イヤホンも、ほら」
「ありがと」
その後、一時間半ほど効率的に勉強を行うことができた。
喫茶店の雰囲気は、すごい。



2017年5月25日(木)

「──…………」
視力の悪さに目を細めながら、眼鏡のつるを睨む。
「右側が、かなり開いている……」
「?」
「ヘルメットのかぶり方が悪かったせいで、眼鏡のフレームが歪んだみたい」
「だいじょぶ?」
眼鏡を掛ける。
右側のつるが、浮いているように感じられた。
「大丈夫と言えば大丈夫だけど、掛け心地が悪いなあ……」
「めがねやさん」
「調整か」
「うん」
「これ買った眼鏡屋さん、潰れちゃったんだよな」
「あー……」
「チェーン店はあるけど、最寄りが厚別みたいだし」
以前、検索してみたことがあったのだ。
「あつべつって、どこ?」
「北区の向こうが東区で、東区の向こうが白石区で、白石区の向こうが厚別区」
「──…………」
うにゅほが絶句する。
「遠いだろ」
「とおい……」
「ちなみに、××がよく行く美容院は、白石区」
「びよういん、とおい」
「うん」
「めがねやさん、もっととおい……」
「さすがに面倒でさ」
「めがね、じぶんでなおせないの?」
「自分でか……」
「ねじのやつ、あったきーする」
眼鏡用の精密ドライバーのことだろうか。
「あるにはあるけど、フレームの歪みはどうしようもないかな」
「そか……」
「まあ、こうして──」
親指と人差し指でつるの根本をつまみ、内側に力を込める。
「自分で、だましだまし調整していくしかない」
「こわれない?」
「加減はしてるけど、どうかな」
眼鏡を買い換える時期が来ているのかもしれない。



2017年5月26日(金)

パジャマの襟元をパタパタさせながら、うにゅほが呟く。
「ぽかぽかするう……」
「赤肉たくさん食べると、こうなるんだよ」
「◯◯、こないだ、かぜじゃなかったんだね」
「たぶんな」
母親の誕生日ということで、家族で先日の店へシュラスコを食べに行ってきたのだった。※1
「しゅらすこ、おいしかったけど、おなかいっぱい……」
「二時間食べ放題はちょっと長いよな」
「おとうさん、すごいたべてた」
「肉食系って感じ」
見た目もわりとそんな感じ。
「おかあさん、ピアスよろこんでたね」
「お金出したのはこっちだけど、選んだのは自分だしな」
「にあってた」
「似合ってたな」
「──…………」
うにゅほが遠い目をする。
「××も、ピアス欲しいのか?」
「!」
ふるふると、慌てて首を横に振る。
「こわい」
そんなに。
「でも、可愛いなーとか、おしゃれだなーとか、それくらいは思ったんだろ」
「うん……」
なるほど。
「たとえば、俺がピアス穴を開けるって言ったら、どうする?」
「う」
「──…………」
「──……」
「か、かんがえさせてください……」
よほど怖いらしい。
気持ちはわかる。
「大丈夫、いまのところ予定はないから」
「……そか」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
ピアス穴か。
開ける日は来るのだろうか。

※1 2017年5月21日(日)参照



2017年5月27日(土)

「グエー……」
折りたたみテーブルに突っ伏し、うだうだする。
「おつかれさまでした」
とん。
「?」
芳しい香りに目を開くと、テーブルの上にマグカップが置かれていた。
「コーンスープ?」
「うん」
「ありがとな」
「うん」
プラスチックスプーンで濃いめのコーンスープを混ぜ、そっと口をつける。
「……美味い」
「◯◯、ごはんたべてなかったから」
「そういえば」
来週に迫った資格試験の勉強をしていたら、三食がすっかり抜け落ちていた。
「べんきょう、すごいしてたねえ」
「こんなに勉強したの、久しぶりだよ」
「なんじかん?」
「えーと、一時半くらいから今までだから──」
壁掛け時計を見上げる。
「休憩込みで、八時間ちょっとかな」
「すごい」
「俺なりには頑張ったほうだけど、受験生とか起きてるあいだずっと勉強してるんだぞ」
「うひー……」
うにゅほが苦笑を浮かべる。
「××、勉強嫌い?」
「すきくない……」
だろうなあ。
「◯◯は、べんきょうすき?」
「好きではない……」
「おんなじ」
「そうだな」
「あんましむりしないでね」
「無理しない程度に頑張るよ」
「うん」
無理はしないが、合格しなければならない。
両立せねばならないのが、つらいところである。



2017年5月28日(日)

「ぶべー……」
力尽き、折りたたみテーブルに突っ伏す。
「べんきょう、おわり?」
「終わりじゃない……」
終わりじゃないが、もうしたくない。
土日を潰して計十四時間の猛勉強、三十路の身にはあまりにつらい。
「……遊びに行きたい。ゲーセン行きたい」
「いこ」
「でも、あと一週間切ってるし」
「べんきょう、するの?」
「したくない……」
「ねる?」
「眠くはない」
「いこ」
「……試験前なのに、遊んでていいのかなあ」
「だめ?」
「良いか悪いかで言えば、悪いのでは」
「そかな」
うにゅほが小首をかしげる。
「べんきょう、まだする?」
「今日はやめとく……」
根を詰めすぎても効率が悪い。
「しないとき、あそんじゃだめなの?」
「──…………」
試験期間は自粛するのが当然だと思っていたが、四六時中勉強をしているわけにもいかない。
ならば、余った時間を気晴らしに費やすのも悪くはないのではないか。
「よし」
立ち上がり、うにゅほの頭を撫でる。
「ゲーセン行くか」
「うん!」
近所のゲームセンターへと赴き、大量のチョコボールと魔理沙のフィギュアをゲットした。
おもちゃのカンヅメまで、銀のエンゼルあと一枚。
果たしてこの中に含まれているのだろうか。
乞うご期待。



2017年5月29日(月)

平成18年度の過去問を解き、採点する。
「──よし、合格圏内!」
「おー」
ぺちぺち。
不器用に拍手をしながら、うにゅほが尋ねる。
「なんてんだったの?」
「82点」
「なんてんとったら、ごうかく?」
「60点」
「よゆう!」
「そう言ってあぐらをかいてたら、受かるものも受からないんです」
「そなんだ……」
「落ちたらまた来年だから、油断できない」
「むりしたらだめだよ」
「大丈夫」
「たおれるひと、いるんだって」
「そこまで真面目じゃないよ」
「そかな」
「いったん休憩です」
「はーい」
うにゅほが、冷蔵庫からチョコボールを取り出す。
「あまいもの、あたまにいいんだって」
「ありがとな」
「うん」
フィルムを剥がし、くちばしを立てる。
「あ」
「?」
「銀のエンゼル……」
「あたった?」
「当たりました」
「やた!」
「いえー」
「いえー」
ハイタッチを交わす。
「五枚揃ったな」
「うん!」
「おもちゃのカンヅメ、もらえるな」
「うん!」
うにゅほが満面の笑みで頷く。
ハガキか封書で送れとあるが、ハガキの場合はくちばしをセロテープか何かで貼り付ければいいのだろうか。
「……うーん」
それもどうだろう。
素直に封書で送ることにしよう。



2017年5月30日(火)

行きつけのマックハウスで、ふたりぶんのジーンズを購入した。
「おそろい……」
うにゅほがにまりと笑みを浮かべる。
「二本目半額、ラッキーだったな」
「うん」
「裾上げ終わるまで、適当に走ってくるか」
「うん」
タンデム用のヘルメットをうにゅほに渡し、自分のヘルメットに手を掛ける。
シールドに触れた指先が、不自然にざらついた。
「……?」
ヘルメットの内側を覗き込む。
「うわ」
「どしたの?」
「インナーパッドが朽ちてる……」
「みして」
「はい」
見せる。
「──……!」
うにゅほが息を呑んだ。
「ヘルメットって、古くなると、ここまでボロボロになるんだなあ」
もちろん、急に朽ちたわけではない。
気づかないようにしていた、というのが、本当のところである。
「かみ、よごれてない?」
「払えば大丈夫」
「へるめっと、いつかったの?」
「従兄から貰ったんだ」
「そなんだ」
「それが、十年ちょっと前かなあ」
「ふうん……」
「でも、たしか、ヘルメットの寿命って五年くらい──」
そこまで言ったところで、
「あたらしいの、かいます」
うにゅほがきっぱりそう告げた。
「あ、はい……」
「へるめっとかうまで、バイクのっちゃだめだよ」
「帰りは?」
「かえったら!」
「はい!」
そんなわけで、裾上げが終わるまで店の前でおとなしく待つことになった。
出費がかさむが、こればかりは仕方ない。
安全第一である。



2017年5月31日(水)

やつらが再び現れた。
「──◯◯!」
「わ、と」
試験勉強をしている俺の背中に、うにゅほが勢いよく抱きついた。
「どした」
「きて……」
手を引かれるまま、一階へと赴く。
そこで見たものは、
「──……うわ」
数十のアリの圧死体と、それに近い数の生きたアリたちの姿だった。
「また湧いたのか……」
「うん」
「潰したのは、××?」
「さいしょ、にひきだったの」
「ああ」
「つぶしたらね、たくさんでてきたの……」
「そっか」
「おこったのかなあ……」
「関係ないと思うぞ」
アリは社会性昆虫だが、復讐をするという話は聞いたことがない。
「とにかく、侵入口を特定して、そこを塞ごう」
「わかる?」
「ちょっと、可能な限り潰しててくれるか」
「はい!」
手のひらでアリをまとめて圧殺するうにゅほを尻目に、台所から砂糖の容器を取ってくる。
「生きてるの、あと何匹くらいいる?」
「いっぴき!」
大虐殺である。
「そいつに、ちょこっと砂糖をまぶす」
「あり、きちゃうよ?」
「もちろん、すぐに片付ける」
最後のアリが砂糖をひとつぶ担ぐのを確認したのち、ハンドクリーナーで清掃する。
「よし」
「どうするの?」
「このアリを追跡する。エサを確保したら、巣へ戻るはずだから」
「そしたら、いりぐち、わかるんだ」
「その通り」
追跡の結果、部屋の隅の壁紙が数ミリ浮いていて、そこから入り込んできていることがわかった。
「──侵入口を見つけたら、戻る前に殺す」
ぷち。
指先に、嫌な感触。
「あとは、ダクトテープで目張りして様子を見よう」
「おー……」
幾度も襲撃を受けているので、対処は慣れたものである。
あとは、アリの巣コロリ的なもので、巣ごと全滅させればいい。
アリどもよ、此度は完勝させてもらうぞ。

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