>> 2017年4月




2017年4月1日(土)

4月1日、エイプリルフールである。
「うー……」
部屋の隅にうずくまって、うにゅほがなにやら考え込んでいた。
「××」
呼び掛ける。
「──あ、まって!」
「?」
「もすこしまって……」
「はあ」
しばし待つ。
「……きくらげは、くらげなんだよ?」
「××」
「まって、いまのなし!」
「いいけど」
しばし待つ。
「……えのきがそだつと、ホワイトアスパラになる……」
何故きのこ縛り。
「今年の嘘は、それでいいのか?」
「ばれた」
むしろ、バレないと思っていたのだろうか。
「まあ、それはいいとして」
「うー」
「夜、友達とごはん食べてくるから」
「そなんだ……」
「そんなに遅くはならないと思うけど、もし遅くなったら──」
「あ、それうそ?」
「残念ながら、本当です」
「そか……」
「というか、エイプリルフールのことなんて、今の今まで忘れてたよ」
「えー」
「もし遅くなったら、早めに寝てていいからな」
「うん」
うにゅほが素直に頷く。
「……それ、嘘だろ」
「うへー」
こんなとき、うにゅほが先に寝ていた試しがない。
「待つなとは言わないけど、あったかくしとくんだぞ」
「うん」
「ココアとコーンポタージュ、どっちがいい?」
「ココア!」
「わかった。帰りに買ってくるから」
「うん」
帰宅したのは、日付が変わるころだった。
せっかく起きていてもらったので、すこし遊んでから寝かしつけようと思う。



2017年4月2日(日)

Amazonから新しいアイマスクが届いた。
いま使っているものと同じ、テンピュールのアイマスクだ。
「──…………」
新しいアイマスクと古いアイマスクを両手に取り、見比べる。
形状は同じ。
肌触りも大差ない。
だが、
「……どう見ても、色違いだよなあ」
「うん」
新しいアイマスクは、グレー。
古いアイマスクは、薄いブラウン。
「やっぱし、さいしょからちゃいろだったのかなあ……」
「いや」
メーラーを立ち上げ、検索をかける。
「ほら、これ」
「?」
「2015年12月9日、注文したのは確かに灰色のアイマスクだ」
「ほんとだ……」
「つまり、購入してから一年少々で、灰色だったアイマスクがいつの間にか茶色に変色したことになる」
まあ、だからなんだということもないが。
「ちゃいろのあいますく、すてちゃうの?」
「そのつもりだけど」
マジックテープはくたくた。
ゴムはゆるゆる。
寝返りひとつでずれてしまうのだから、もはやまともに使えない。
「わたし、ほしいな」
「いいけど、××は頭小さいからなあ……」
「ちいさいと、だめ?」
「着けてみ」
「うん」
うにゅほが古いアイマスクを装着する。
すとん。
「あ」
アイマスクが一瞬で首飾りと化す。
「おっきい……」
「いちばんきつく調整して、それだからな」
「そか……」
「捨てていいか?」
「──…………」
残念そうな顔をしながらも、うにゅほが首を縦に振る。
使えないものを取っておいても仕方がない。
「あたらしいの、つけてみていい?」
「いいぞ」
このアイマスクも、いずれ変色していくのだろうか。
不可解である。



2017年4月3日(月)

耳鼻咽喉科からの帰途の車中、うにゅほがほっと口を開いた。
「なんでもなくて、よかったねえ」
「本当にな」
鼻からファイバースコープを入れたし、CTスキャンも受けた。
それで異常が見つからなかったということは、安心していいということである。
「ごめんね、わたし、びっくりして……」
本日の受診は、うにゅほの強硬な意見によるものだ。
「まあ、仕方ないさ。俺もびっくりしたし」
今朝、多量の鮮血が痰に混じっていた。
就寝中、激しい咳によって喉を傷めただけだったのだが、そんなこと素人にはわからない。
「おかね、わたしだすね」
「そんなことしなくていいから」
「でも、けんさ、むだだった……」
「無駄じゃないよ」
「……?」
「××は、検査って、何のためにするものだと思う?」
「うと、わるいところをみつけるため……」
「半分正解」
「はんぶんだけ?」
「半分だけ」
「もうはんぶんは?」
「悪くないことを確かめるため」
「──…………」
「××、検査の結果を見て、安心したろ」
「うん……」
「だったら、その検査は無駄じゃない。検査を受けることで、安心を手に入れたんだから」
あと、薬も出してもらったし。
「でも、いちまんえん……」
「安心には代えがたい」
「そだけど……」
いまいち不服そうである。
「……どうしてもって言うなら、半分だけ出してくれ」
「あ、うん!」
声を弾ませ、頷く。
律儀なのか何なのか。
まさか、家計簿の出費を抑えるためではなかろうな。

……あり得る。



2017年4月4日(火)

「──…………」
マウスを握り締めながら、遠い目で天井を仰ぐ。
「××」
「はい」
「新しいマウス、買ったよな」
「うん……」
ロジクールのM705t、電池が三年もつというワイヤレスマウスである。
「買ったはいいけど、カーソルの動きがおかしくて、初期不良ってことで交換してもらったよな」
「うん」
「いま俺の右手にあるマウスがそれなんだけどさ」
「うん」
「ホイールクリックが反応しない」
「──…………」
「初期不良、再び」
「へんぴんしたほうが……」
正直、俺もそうしたい。
この初期不良ラッシュでは、ロジクール製品の不買に走っても不思議ではないだろう。
しかし、
「ワンタッチサーチがなあ……」
「わんたっち?」
「ロジクールの旧型マウスにしかない便利機能があるんだよ」
「そうなんだ」
「その機能が使えるから、このマウス買ったのに……」
ホイールクリックが効かないのでは、機能以前の問題である。
「申請したら、また新しいの送ってくると思うけどさ」
「こわれてなかったらいいね……」
「そうだな……」
当たり前のことを願わなければならないのは、なかなかつらいものがある。
「次も初期不良だったら、もう諦めよう」
「うん……」
ロジクールさん、お願いします。
多くは望みません。
今度こそ、まともに動く製品を送ってください。



2017年4月5日(水)

耳掃除に使った綿棒を、ゴミ箱に投げ捨てる。
目測を誤り、ゴミ箱のふちに当たって跳ねた綿棒が、

──すぽ。

隣に置いてあった空きペットボトルの中に、見事に入った。
「ふお!」
唐突なミラクルに、思わず変な声が漏れる。
「?」
買ったばかりの単行本を読みふけっていたうにゅほが、声に反応して顔を上げた。
「どしたの?」
「いや、いま、すごいことが起きて」
「すごいこと?」
「綿棒をゴミ箱に投げたら──」
いまの出来事を興奮気味に解説する。
「ほら、ペットボトルに綿棒入ってるだろ」
「ほんとだ」
「こんなことあるんだなあ」
「みたかったな……」
うにゅほが残念そうに顔を伏せる。
「ね、◯◯」
「うん?」
「もっかいやって?」
「無理」
「うー……」
「試すだけ試してもいいけど、期待しちゃ駄目だぞ」
「やた!」
ペットボトルから綿棒を取り出し、ゴミ箱のふち目掛けて幾度か投擲する。
だが、もちろん入らない。
跳ねすらしない。
「やっぱ、無理だなあ」
「むりかー……」
「無理だー」
ゴミ箱に入った綿棒を拾わず、PCに向き直る。
「そうそう奇跡は起こらないってことだな」
「ざんねん」
こればかりは仕方ない。
いつか、別のミラクルが起きたときは、一緒に目撃できればいいのだが。



2017年4月6日(木)

ぷち、ぷち。
「♪~」
顎の下から伝わるかすかな痛みと爽快感。
ふにふにと弾力のある極上の枕に頭を預けながらヒゲを抜いてもらうのは、至上の悦楽である。
「──…………」
エステ気分でうとうとしていると、
「えい」
ぷち。
「いてッ」
「あ、ごめんなさい……」
「鼻の下のはちょっと痛いんだ」
「そなの?」
「顎の周辺はさほど痛くないんだけど……」
「なんでだろねえ」
「神経が集まってる、とかじゃないかな」
「ふうん……」
目蓋を閉じ、身を預ける。
「──…………」
「──……」
いつまで経っても再開されないので、不思議になって目を開いた。
「どした?」
「うーと……」
毛抜きを構えたまま固まっていたうにゅほが、口を開く。
「けーがね、いっぽん、きになるの」
「ふむ」
「いっぽんだけくろくて、きになる……」
「……もしかして、鼻の下にある?」
「うん……」
なるほど。
「一本くらいなら抜いちゃっていいぞ」
「でも、いたいって」
「急に抜かれるとびっくりするけど、覚悟してたらそうでもないから」
「……じゃー、ぬいていい?」
「どうぞ」
ぷち!
「──…………」
「いたかった……?」
「すこしだけな」
「ごめんね」
ヒゲをあらかた抜いてもらってからも、しばらく膝枕でリラックスしていた。
極楽極楽。



2017年4月7日(金)

「ありがとうございましたー!」
店員の挨拶を背に浴びながら、ソフトバンクショップを後にする。
以前の機種変更から二年が経過したため、iPhone6から7へと乗り換えたのだった。
「──…………」
「──……」
「……あの店員さん、圧がすごかったな」
「うん……」
「危うくタブレットを契約させられるところだった」
「あいぱっど、あるのにねえ」
逆に言うと、なければ危なかった。
「××がハッキリ断ってくれて、助かったよ」
うにゅほの頭をぽんぽんと撫でる。
「うへー……」
「さ、次は保護ガラスとケースを買いに行くぞ」
「ヨドバシ?」
「ヨドバシ!」
「やた!」
「ついでだ、いろいろ見て行こう」
「わたし、まっさーじちぇあみたいな」
「見るだけでいいのか?」
「すわりたい!」
「××、マッサージチェア好きだなあ……」
お疲れ気味なのだろうか。
「いつかね、おかあさんとおとうさんに、かってあげるの」
「……そっか」
心がほっこりと温かくなる。
「でも、おくばしょないんだ……」
「仏間かな」
「おけるかなあ」
「ソファ捨てたら置けると思うぞ」
「なるほど……」
いつの日か、叶えてほしい。
このまま大人になってほしい。
そのときは、半分くらいカンパしてあげようと思った。



2017年4月8日(土)

「◯◯、きょう、やくにくたべにいくひ?」
「そうだよ」
「そかー……」
うにゅほが寂しげな顔をする。
「日付が変わるころには帰ってくるって」
「うん……」
「それとも、××も一緒に行くか?」
「!」
答えはわかりきっているけども。
「……しらないひと、いる?」
「そもそも、××が知ってる人がいない」
「──…………」
あ、悩んでる。
「◯◯、といれいく……?」
「人間だから行きます」
「そか……」
「俺がトイレに行ったら、××、気まずいな」
「うん」
「だからって、トイレのたびに一緒に席を立つのもどうかと思うし」
「うん……」
「やめとく?」
「やめとく……」
まあ、仕方ない。
面識のある友人がいれば、また違ったのだろうけど。
「……はやくかえってきてね?」
「終電は逃さないようにするよ」
「しゅうでん、なんじ?」
「わからない。地下鉄乗るとき、時刻表で調べる」
「そか」
「ココアとコーンポタージュ、どっちがいい?」
「ココアがいいな」
「あったかいの、買ってくるから」
「うん」
「……早く寝ろとは今更言わないけど、無理はしなくていいからな」
「むり、してないよ」
「眠くなったら寝るように」
「はーい」

「……ただいまー」
「おそいー……」
「ごめん」
思いきり終電を逃し、タクシーで帰ってきたのだった。
「やきにく、おいしかった?」
「美味しかった」
「よかったねえ」
「今度はふたりで行こうか」
「うん!」
「はい、ココア」
「ありがと」
せっかくの夜更かしだ。
先週と同じく、すこし遊んでから寝かしつけようかな。



2017年4月9日(日)

「だるー……」
ベッドに倒れ込み、うだうだする。
「◯◯、きのう、おさけのんだ?」
「飲みました」
「たくさんのんだ?」
「どうだろう。酔うほどは飲んでないけど……」
「◯◯、おさけのんだら、つぎのひ、だるだるしてる」
「わかる?」
「わかるよ」
「二日酔いって感じでもないんだけど、なーんか次の日に残るんだよなあ」
もう若くないということだろう。
「ふつかよいじゃないの?」
「二日酔いは、もっとひどい」
「そなんだ」
「頭痛いわ吐き気はするわ、水を飲んでも飲んでも喉の渇きがなくならないし……」
「そんななるのに、なんでおさけのむの?」
「それは──」
うにゅほの素朴な疑問に、思わず言葉を詰まらせる。
「……それは、難しい質問だなあ」
「のまないほういいとおもう」
「飲まないほうがいいのは、もちろんその通りなんだけどさ」
「うん」
「でも、たまに飲みたくなるんだよなあ……」
「そか……」
「自分の限界はわかってるつもりだし、××に心配かけないようにするよ」
「……げんかいまでのんだら、だめだよ?」
「限界の半分くらいまでにします」
「よろしい」
「××が大人になったら、一緒にお酒飲もうな」
「うん」
いずれ来るその日を楽しみにしておこう。
「おさけ、あまいのがいいなあ」
「甘いカクテルなら、いくらでもあるぞ」
「うめしゅ」
「そういえば、梅酒はちょっとだけ舐めたことあったっけ」
「おいしかった」
「梅酒は度数きついから、気をつけるんだぞ」
「うん」
まあ、気をつけるべきは、うにゅほではなく俺だけれど。
世の中には、知らなくていいことがある。
二日酔いのつらさなど、その最たる例だろうから。



2017年4月10日(月)

iPhone7用のクリアケースが届いた。
ヨドバシでは良い物が見つからなかったので、Amazonで注文しておいたのである。
「とうめいだ」
「透明です」
「ぷらっちっく?」
「TPUかな」
「てぃーぴー?」
「俺もよく知らないけど、プラスチックより柔らかくて、シリコンより硬い素材らしい」
「ふうん……」
「ソフトケースあんまり好きじゃないんだけど、ストラップホールのあるシンプルなハードケースってなかなかなくてさ」
「◯◯、すとらっぷ、ずっとおんなじのつかってるもんね」
「お気に入りですから」
愛用のストラップの紐をストラップホールに通そうとして、思わず手を止める。
「──…………」
「?」
「……穴が小さい」
「!」
「入らない」
「こまった……」
「でも大丈夫。ソーイングセットの中に、糸通しがある」
「あ、あれつかったら」
「万事解決」
ストラップホールに糸通しの先を挿入し、紐を差し込んで抜く。
ぶち。
「あ」
「こわれた……」
針に糸は通せても、紐を通すには強度が足りなかったらしい。
「すとらっぷ、つけれない?」
「まだまだ!」
ソーイングセットからタコ糸を取り出す。
「糸通しの真似事なら、これでもできる」
要は、ストラップの紐を巻き込んで引っ張り出すことができればいいのだ。
「──よし、通った!」
「おー!」
糸通しという犠牲は払ったが、無事にストラップを付けることができた。
ありがとう、人類の叡智。



2017年4月11日(火)

「あ」
病院からの帰途の車中、うにゅほが歩道を指差した。
「あのこ、さむそう……」
その視線の先にいたのは、半袖半ズボン姿の男子小学生だった。
「あー、今も昔も変わらないなあ」
「むかしも?」
「俺が小学生のときも、いたよ。冬でも半袖半ズボンのアホガキ」
「ふゆも!」
「冬も」
「さむくないのかなあ」
「いや、寒いよ。絶対寒い。寒いに決まってる」
「さむいのに、きないの?」
「むしろ、寒いから着ないんだろうな」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「寒ければ寒いほど、寒いの平気な俺カッケーとなる」
「かっけー、かなあ……」
「ぜんぜんカッコよくないぞ」
「うん」
「でも、それは、冷静な大人の意見というものだ」
信号が青になったことを確認し、アクセルを踏む。
はしゃぎながら下校する小学生の集団が、徐々に遠ざかっていく。
「アホガキ当人はそれがカッコいいと思ってるし、その友達もたぶんスゲーと思ってる」
「そうなんだ……」
「ちょっと精神年齢の高い子は、アホだと思って見てるけどな」
「おしえてあげないのかな」
「アホにアホって言っても仕方ない。大人になって、自分で気づくしかないのさ」
「──…………」
うにゅほが俺の顔を覗き込む。
「◯◯、こどものころ……」
鋭い。
「……一回だけな」
「そか……」
深くは聞くまいとばかりに、うにゅほが視線を前に向ける。
「でも、小学一年から六年まで、春夏秋冬一日も欠かさず半袖半ズボンだったやつがいて、そいつのことは今でもスゲーって思う」
「それは、ほんとすごいね……」
「だろ」
それが何であれ、一念を貫き通すことは素晴らしい。
あやかりたいものだ。



2017年4月12日(水)

ロジクールからM705tの代替品が届いた。※1
「おー……」
マウスカーソルは機敏に動き、ホイールクリックは完璧に動作する。
「そうそう、これが本来あるべき姿なんだよ」
「あたらしいの、こわれてない?」
「快適!」
「よかったねえ」
うにゅほがほにゃりと笑う。
「でも、こっち、どうしよう」
「どっち?」
「これ」
うにゅほが指差したのは、初期不良の烙印を押されたふたつのM705tだった。
「どうするって、捨てるしかないと思うけど」
「なんか、もったいないきーする」
見た目は新品そのものだ。
もったいないと思う気持ちもわかる。
「でも、壊れてるのを取っておいてもなあ」
「だれかに、あげる、とか」
「壊れてるのに?」
「うーん……」
「ちょっとくらい壊れてても欲しいって人はいるかもしれないけど、オークションに出品したりしたら法に触れる気がする」
「そかー……」
代替品を請求して初期不良品を横流しするとか、なんか詐欺っぽい。
「結局のところ、万全に動作しないマウスに使い道なんてないさ」
「しかたないねえ」
「付属の電池だけは貰っておこう」
「いいでんち?」
「マウスに入れて三年もつ電池だから、いい電池だと思う」
「とくしたね」
「得、したかなあ……」
購入してから三週間ほどまともに使えなかったのだから、あからさまに損している気がする。
「……まあ、得したってことにしとくか」
「そうしよう」
電池4つぶん、得した。
金額に換算してはいけない。

※1 2017年4月4日(火)参照



2017年4月13日(木)

「××、久々に喫茶店行こうか」
「いく!」
即答である。
「スフレたべるの?」
「今日はフレンチトーストな気分」
「いいねえ」
「食べたいのは食べたいけど、どちらかと言えばネタ出しがしたくてな」
「ねただし?」
「久々にこいつの出番だ」
「あ、ぽめら」
「ポメラです」
愛用のデジタルメモを鞄に入れ、肩から提げる。
「なんか天気悪いから、さっさと行こうか」
「うん!」

出立して十分後、
「雪が降り出した」
「かぜ、すごいね……」

出立して二十分後、
「……吹雪で前が見えないんだけど」
「ゆっくりいこ、ゆっくり」

出立して三十分後、
「──…………」
「──……」
「……駐車場、満車だな」
「うん……」
「このへんにゲーセンあったと思うから、軽く時間潰してこよう」
「そだね」

出立して一時間後、
「依然として満車かあ……」
「てんきわるいから、みんなでたくないのかなあ」
「そうかも」
「仕方ない、今日は出直そう」
「ざんねん……」
ゲームセンターで取った大量のチョコボールを食べながら、失意のうちに帰宅した。
いまいち消化不良な一日だった。



2017年4月14日(金)

「あー……」
天井を振り仰ぎ、首を大きく回す。
「なーんか凝ってるなあ」
「くび?」
「首も」
「かた?」
「肩も」
「どっちももむね」
「お願いします」
うにゅほが正面から俺の首に手を掛ける。
「──…………」
さわ、さわ。
やわ、やわ。
「きもちい?」
「気持ちいいけど……」
「?」
「なんか、首締められてるみたいな体勢だなって」
「しめないよ」
「あなたを殺して私も死ぬ、みたいな」
「しないよー……」
さわ、さわ。
やわ、やわ。
「くびのうしろ、こりこりしてる」
「そこ効く」
「はーい」
もみ、もみ。
こり、こり。
「おー……」
「おきゃくさん、こってますねえ」
「お疲れです」
「おつかれですか」
「それなりに」
「むりしたらだめですよ」
「はい」
「──…………」
「──……」
じ。
見つめ合う。
「◯◯、めやについてる」
「マジで」
「かおあらった?」
「洗ったけど、昼寝したからなあ……」
「まっさーじおわったら、もっかいあらおうね」
「はい」
「かたおわったら、こしももむね」
「お願いします」
うにゅほのふわふわマッサージのあいだに、三度寝落ちする俺だった。



2017年4月15日(土)

「──……暑い」
ぐでー。
左の肘掛けにもたれかかりながら、手の甲で額の汗を拭う。
「今日、やたら暑くない?」
「あついねえ……」
「何度ある?」
「うーと──」
うにゅほが、本棚の最下部にある温湿度計を覗き込む。
「わ、にじゅうはちど」
「春はどこ行った、春は」
「なつだねえ」
「窓開けるか悩むなあ……」
「あけないの?」
「開けたら開けたで速攻で寒くなりそうでさ」
「あー」
「だって、一昨日吹雪いてたんだぜ」
「さむかったねえ……」
ゲームセンターで取ったチョコボールを口内へ一気に流し込み、立ち上がる。
「──ひゃーない、ちょっほ出掛けてくるふぁ」
「どこいくの?」
「ここではない、どこかへ」
「どこ?」
「GLAY」
「ぐれい?」
世代が違う。
「××、行きたい場所ある?」
「きっさてん……」
「俺も行きたいけど、土曜日だからなあ」
「だめ?」
「平日でダメだったのに、土曜の昼時に空いてるかどうか……」
「そか……」
「ま、適当にそこらへん回って、思いついたら寄ってこう」
「うん」

数時間ほどドライブして、帰宅するころには、日が傾き始めていた。
「ただいま」
「ただーいま!」
「部屋、だいぶ涼しくなったな」
「そだね」
「いま何度?」
「うーと」
うにゅほが温湿度計を覗き込む。
「……にじゅうななてん、はちど」
「──…………」
気のせいでした。
この日は、夜になっても室温が下がらなかった。
今年の夏は猛暑になりそうな気がする。



2017年4月16日(日)

「──……あちい」
ぐでー。
チェアの背もたれを限界まで倒し、天井を仰ぐ。
「昨日に引き続き、今日も暑い……」
「はちーねえ……」
「何度?」
「きのうにひきつづき、にじゅうはちど」
「窓開けるか」
「うん」
重い腰を上げ、南東側の二重窓を僅かに開く。
隙間から流れ込む春の空気。
「涼──しくもないか」
思いの外、暖かい。
当然と言えば当然である。
「……でも、きもちいね」
春の風。
春の空気。
部屋に立ち込める湿った冬の残り香が、春の匂いに押し出されていく。
「──そういえば、空気の入れ換えなんて何ヶ月ぶりかな」
「ゆき、あったもんね」
「寒いしな」
「うん」
新鮮な空気を肺いっぱいに吸い込もうと、深呼吸をした瞬間、

「──うんこー!」

遠くから、男子小学生の奇声が轟いた。

「ちんこー! うんこちんこー! ちんこー!」

「──…………」
「──……」
うにゅほと顔を見合わせる。
「……その、げんきだね」
「元気なのはいいけど、いろいろ台無しだ……」
オリジナルのうんこちんこソングを聞き流しながら、溜め息をつく。
漫画から抜け出してきたようなアホガキだ。
「春だなあ」
いろいろな意味で。
「はるだねえ」
桜のつぼみは、いつほころびはじめるだろう。
楽しみだ。



2017年4月17日(月)

カチ、カチ、カチ。
iPhone7のホームボタンを、親指の腹で連打する。
「──…………」
続いて、人差し指の爪を立ててホームボタンを押してみる。
「?」
しーん。
ボタンが反応しない。
それどころか、クリック音すらしない。
「──…………」
人差し指の先で、ホームボタンにゆっくりと圧力を掛けていく。
カチッ。
「んー……?」
首をかしげていると、
「どしたの?」
うにゅほが俺の手元を覗き込んだ。
「iPhone7のホームボタンの違和感について、検証してた」
「いわかん?」
「押してみ」
iPhone7を手渡す。
「?」
うにゅほが、左手に持ったiPhone7のホームボタンを、右手の人差し指でぎこちなく押した。
カチッ。
「あれ」
カチッ、カチッ。
「なんかへん……」
「なんか変だろ」
「うん」
「6と比べて押した感がないというか、押し込んだ感じがしないというか」
「いわかん……」
「違和感」
そうとしか表現できない語彙力がもどかしい。
「あと、爪で押しても、綿棒で押しても、カチッて鳴らないんだ」
「なんでだろ」
「わからん。わからんから、調べてみよう」
「うん」

調べてみた。

「──iPhone7のホームボタンは感圧式で、押したら振動し、押したように感じる、とかなんとか」
「よくわかんない……」
「つまり、ボタンとして、物理的に押し込まれているわけではないらしい」
「へんなの」
「iPhone7は防水仕様だからかな」
「そこからみず、はいるから?」
「そういうことだと思う」
「へえー」
理由のない変更でないなら、違和感も受け入れられる。
「ま、そのうち慣れるだろ」
「うん」
いまのところ調子もいいし、わりと満足である。



2017年4月18日(火)

「──……あふ」
昼前に起床し、階下へ向かう。
「?」
リビングの端に、見慣れないものがあった。
「……ルンバの偽物?」
円形ではなく、ルーローの三角形。
部屋の隅に強そうである。
「にせものじゃないよ」
ソファでくつろいでいたうにゅほが、非難するように口を開いた。
「ほんものの、おそうじロボットだよ」
「いつ買ったんだ?」
「ダスキンからかりたんだって」
「レンタルか」
「うん」
「いまは充電中?」
「このこ、すごいんだよ。じぶんでじゅうでんのばしょいくの」
「あー、なんか聞いたことある」
「さっきまで、ぜんぶおそうじしてたんだよ」
「ずっと見てたのか」
「うん」
終始観察するくらいなら、自分で掃除したほうが早いような。
「もうすこし小さければ、部屋にも置けるんだけどなあ」
自室は物が多すぎる。
ロボットクリーナーが入り込めない隙間ばかりでは、スペックを活かしきれないだろう。
「へやは、いいの」
うにゅほがえへんと胸を張る。
「わたしそうじするから、いいの」
「いつもありがとうな」
なでなで。
「うへー」
「なんか食べるものある?」
「あるよー」
遅めの朝食は、チーズオムレツだった。
美味しかった。
「──あ、明日ドラえもん観に行くか」
「いく!」
ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険。
ポスターがやたらとカッコよかったので、期待している。



2017年4月19日(水)

映画「ドラえもん のび太の南極カチコチ大冒険」を観に行ってきた。
「おー」
うにゅほとふたり、シアタールームを見渡す。
誰もいない。
「ことしもかしきりだね!」
「そうだな」
これが三週間前なら、春休みを謳歌する子供たちでごった返していただろう。
平日に時間の取れる仕事でよかったと、つくづく思う。
「それはいいけど、ポップコーン買い過ぎたな……」
「えるさいず、こんなおっきいとおもわなかったねえ」
「去年はMにしたんだっけ?」
「たぶん……」
正直、食べ切れる気がしない。
「でも、えびしおあじおいしい」
ぱくぱく。
さくさく。
「××さん、席についてから食べましょうね」
「はい」
シアタールームの中央に陣取り、ポップコーンをつまむ。
「あ、美味いなこれ」
「ね」
「ありそうでなかった味だなあ」
ぱくぱく。
さくさく。
「……した、いはくなってきた……」
「早っ」
うにゅほの舌は敏感らしい。

──二時間後、

「──おもしろかった!」
「面白かったな」
「うん!」
「……なんというか、その、すごく狂気山脈してた」
狂気の山脈にて。
H・P・ラヴクラフトの小説である。
「まさか、ドラえもんの映画でクトゥルフを感じるとはなあ……」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ま、帰りしな説明するよ」
「わかった」
「いつものジェラート屋、寄ろうな」
「うん!」
来年は、南海大冒険のリメイクのようだ。
あまり内容を覚えていないが、どうなることやら。



2017年4月20日(木)

「よし、今日こそ喫茶店に押し入るぞ!」
「おー!」
愛車のコンテカスタムに乗り込み、いざリベンジである。※1
出立して三十分後、
「──よかった、駐車できそうだ」
「よかったー……」
うにゅほと共に胸を撫で下ろす。
「さ、入ろうか」
「うん」
禁煙席に案内してもらったあと、テーブルの真ん中でメニューを開く。
「××は何がいい?」
「うーと、はちみつとうにゅう」
「食べものは?」
「◯◯、なににするの?」
「アメリカンとフレンチトーストかな」
「そか」
しばらくメニューとにらめっこしたあと、
「すふれ、ぱんけーきにする」
「パンケーキか」
「うん」
「ダブルにしない?」
「おおい……」
「余ったぶんは俺が食べるから」
「いいよ」
一枚ずつ頼むより、ダブルにしたほうが安く上がるのだ。
「んじゃ、悪いけど集中するな」
「うん」
カバンからデジタルメモを取り出し、開く。
「わたしもまんがよむね」
そう言ってうにゅほが手にしたのは、狂気山脈のコミカライズ版だった。
南極カチコチ大冒険の件で興味が湧いたらしい。
「……大丈夫か?」
グロいけど。
「ぱらぱらってみたから、だいじょぶ!」
「そっか」
古畑任三郎の殺人シーンすら見れなかった子が、成長したものだ。
これ言うと恥ずかしがるから言わないけど。
「──さ、集中集中っと」
考えるべきことが多いので、しばらく喫茶店に通うことになりそうである。

※1 2017年4月13日(木)参照



2017年4月21日(金)

「ぬー……」
眠い。
眠いときは、何をしても眠い。
「──…………」
うと、うと。
半分寝ながら朝食を口に運んでいると、
「?」
隣に座っていたうにゅほが、唐突に、俺の鼻の頭を押した。
「いて」
「あ、ごめんなさい……」
「鼻、どうかしてる?」
「あかい」
「できものかな」
「ぷち、ってかんじじゃないよ」
「ぷち?」
「にきびみたいかんじ」
「ではないと」
「うん」
よくわからなかったので洗面所へ向かう。
鏡の向こうに、ボサボサ頭の眠そうな男が立っていた。
「あー……」
鏡面に顔を近づけてみると、たしかに鼻の頭が赤い。
指先で触れると、痛い。
「……なんか、奥のほうが腫れてる感じだなあ」
「おく?」
「毛穴の奥……?」
「けあなの」
「ごめん、適当言った」
「オロナインぬろ」
「オロナインって、できものにも効くんだっけ」
「きくよ」
「そうなんだ」
「にきび、ふきでものって、こうのうのとこにかいてる」
「なら効くな」
「きく」
朝食をたいらげたあと、鼻の頭にオロナインを塗って上から絆創膏を貼った。
「似合う?」
「あはは、にあう!」
「それじゃ、二度寝します」
「おやすみなさい」
次に起きたのは、正午近くになってからだった。
いつの間にか枕に顔を突っ込んでいたので、それを見越して絆創膏を貼っておいてよかった。
外出するときは、さすがに剥がすけれど。



2017年4月22日(土)

ぺり。
卓上鏡を覗き込みながら、鼻の絆創膏を剥がす。
「赤みは取れたかな……」
鼻の頭を軽く押す。
「いたい?」
「いや、痛みもない」
「なおった」
「オロナイン、すごいな」
「でしょ」
オロナイン信者のうにゅほが、えへんと胸を張る。
「でも、かさびたみたいなってるから、もっかいさびおはろうね」
「かさびた?」
「?」
「かさぶた」
「かさびた」
「正確には、かさぶた」
「そなの?」
「そのはず」
「おかあさんかおとうさん、かさびたっていってた」
「方言なのかな」
「でも、かさびたのがいいやすい」
「そうか?」
「うん」
「かさぶた、かさびた、かさぶた、かさびた──」
幾度も繰り返し呟いていると、だんだんよくわからなくなってきた。
「ぶた」
「びた」
「びた」
「びた……」
「デカビタCってあったな」
「かさびたしー?」
「みずびたし」
「みずびたしー」
「××、サビオ貼って」
「はーい」
この様子なら、明日には完治しているだろう。
オロナイン、侮れない。
侮れナインというくだらない駄洒落を思いついてしまった人は、先生と一緒に廊下に立ってましょう。



2017年4月23日(日)

「──…………」
すう、はあ。
小さく呼吸を整える。
「……だいじょぶかな」
「大丈夫、のはず」
「つかえるかな」
「使えるはず」
「……いく?」
「行きましょう」
調整豆乳と黒豆大福をふたつずつ手にし、レジへと向かう。
そして、
「カードでお願いします」
届いたばかりのクレジットカードを店員に差し出した。

「買えた……」
「かえたねえ……」
コンテカスタムに乗り込み、クレジットカードを眼前にかざす。
カード自体は以前から持っていたものの、ネット通販にしか利用したことがなかったのだ。
「しかも、超楽だった」
「うん」
「サインとか必要ないんだ」
「これで、ポイントたまったのかな」
「たぶん……」
今回新しく作ったのは、ヨドバシカメラのゴールドポイントカード・プラスである。
ヨドバシカメラ以外の店舗で使っても、1%のポイントがつく。
「月の出費をクレジットカードに頼れば頼るほど、ヨドバシのポイントが手に入る」
「うん」
「年に百万使うとすれば、一万円ぶんだ」
「すごい……」
「なかなか馬鹿にできないよなあ」
「いちまんえんあったら、なにかえるかな」
「それはもう、よりどりみどりですよ」
「すごいねえ、べんりだねえ」
「一括払いに限れば、デメリットはないからな」
たぶん。
「でも、つかいすぎだめだよ」
「そのときは、××が止めてくれるだろ」
「うん」
「なら、問題ないな」
明細書が届くから、買い物のたびにいちいち家計簿アプリを起動させる手間も減る。
財布を落とさないようにだけ、これまで以上に気をつけねば。



2017年4月24日(月)

マットレスに顔から突っ伏したまま、呟く。
「はぶは、へうい……」
「ぼくは、ねむい?」
「惜しい……」
「もっかい」
マットレスに突っ伏しなおし、再び口を開く。
「あぶは、えむい……」
「はるは、ねむい」
「正解」
「やた」
「やー、眠いっす……」
目蓋がぴくぴくしているのが自分でもわかる。
「なんじにねたの?」
「三時くらい」
「いつもくらいだね」
「春は、ほんと、寝ても寝ても寝足りない……」
「まいとしそんなかんじだねえ」
「──春はあけぼの、やうやう白くなりゆく山際、すこし明かりてうんぬんかんぬん」
「あ、きいたことある」
「枕草子」
「まくらのそうし」
「こっちゃ明け方なんてぐーすかぴーですけどね」
「ひるも、ぐーすかぴー」
「そうならないように頑張って起きてるじゃないですか……」
「ねむいなら、ぐーすかぴーしたほういいよ」
「気に入ったの?」
「うん」
「……まあ、わりと毎年抵抗虚しく昼間っからぐーすかぴーしてる気はする」
「むりしない」
「はい」
「ひざまくら、する?」
「してほしいけど、この感じだと、どうも数時間単位の睡眠が必要な気がする……」
「ちょっとつらい……」
「トイレも行けないしな」
「うん」
「膝枕は、仮眠のときにお願いします」
「はーい」
布団に潜り込み、目を閉じる。
意識を取り戻したのは、午後三時を回ったころだった。
昼食を取り損ねるほど眠ったにも関わらず、眠気が完全に取れないのだから、春の魔力は恐ろしい。
今日は早めに寝ることにしよう。



2017年4月25日(火)

帰途の車中のことである。
「くれじっとかーど、ほんやさんでもつかえるんだねえ」
「便利だよな、ほんと」
「べんり」
小銭の数が最小になるよういちいち計算したりせずに済むし。
「くれじっとかーどだしたとき、◯◯なにしてたの?」
「うん?」
「てんいんさんが、なんかだして、◯◯、ぴっぴっ、て」
「あー……」
ようやく思い至った。
「暗証番号を入力してたんだよ」
「あんしょうばんごう」
「本人確認のためだろうな」
「コンビニはいいの?」
「コンビニより高額を扱うところだから、そこんとこ厳しくしてるんじゃないかな」
「なるほど」
うにゅほがうんうんと頷くのを横目に、ウインカーを出して右折する。
「──あ、にじ!」
「おー」
七色の光の束が、視界の端で弧を描いていた。
「久し振りに見たなあ」
「きれい」
「せっかくだから、写真に撮っとくか」
「──…………」
道路脇に停車し、ジーンズのポケットからiPhoneを取り出す。
「ね」
「?」
「にじのそと、もうひとつ、うすいにじない?」
「──…………」
目を凝らす。
「……本当だ、二重に掛かってる」
「そんなことあるんだ……」
「珍しいもの見たなあ」
「◯◯、しゃしんしゃしん!」
「おっけー」
ふたつめの虹は薄すぎて、上手く写真に収めることができなかった。
だが、どうやら縁起はいいらしい。
なにかいいことありますように。



2017年4月26日(水)

「父さん母さん旅行行くのって、明日からだっけ」
「うん、そだよ」
どこへ行くかはよく知らないが、とにかく旅行に行くらしい。
「いつ帰ってくるって言ってた?」
「さんじゅうにちだって」
「んで、またすぐ出掛けるとか」
「ふつかに、また、べつのとこいくの」
「慌ただしいなあ」
「そだねえ」
ゴールデンウィークを限界まで満喫しきるつもりのようだ。
「××、一緒に行かなくてよかったのか?」
「うん」
「旅行なんて、滅多に──」
そこまで言って、ふと気づく。
「そもそも、××って、うち来てから泊まりがけで旅行したことあったっけ」
「ちとせ?」
「抜きで」
母方の実家に一泊するのを旅行とは言うまい。
「うーと、ない、かも……」
「ないよな」
「ひがえりはある」
「日帰りは何度かあるな」
「うん」
「……ほんと、一緒に行かなくてよかったのか?」
「◯◯、おとうさんとおかあさん、どこいくかしらないの?」
「聞いたと思うけど、覚えてない」
「こうやさんに、おきょうもらいにいくんだって」
「……あー」
思い出した。
「あんましたのしくないとおもうから、いえにいたほういいよって、おかあさんいってたの」
「なるほど……」
賢明である。
「2日からの方は?」
「うーとね、ともだち、いっしょなんだって」
「……それは、ちょっと嫌だな」
「うん」
両親だけならともかく、見も知らぬその友人が一緒となれば、俺だって遠慮したい。
「今度、家族だけで旅行しようか」
「それならいきたいな」
いつになるかはわからないが、いつか実現させたいものである。



2017年4月27日(木)

「ね、ね、ね」
うにゅほが俺の袖を引く。
「んー?」
「きょう、なにたべたい?」
「夜か」
「うん」
両親が旅行に行ってしまったため、弟を含めた三人で食事を賄わなければならない。
家事万能のうにゅほがいるので不安は一切ないけれど。
「食べたいものなあ」
「ない?」
「強いて言うならプリンが食べたい」
「プリンつくったことない……」
「まあ、それはコンビニで買うとしてだ」
「うん」
「材料はあるの?」
「れいぞうこ?」
「そう」
「あんましない」
「じゃあ、何を作るにせよ買い物に行かないとな」
「おかねあるよ」
「ああ、いくらか置いてってくれたんだ」
「いちまんえん」
「……奮発したなあ」
「たべにいってもいいよって」
「よし、三人で焼肉だ!」
「なくなっちゃう……」
「冗談」
「◯◯、にくたべたいの?」
「食べたい」
「なににく?」
「豚肉」
「じゃあ、しょうがやきにしましょう」
「お願いします」
「ぶたにく、かいにいかないとね」
「生姜は?」
「チューブのやつあるよ」
「スーパー行くなら、明日以降のぶんも買いだめしておきたいな」
「あした、なにたべたい?」
「買い物しながら考えよう」
「はーい」
うにゅほの作った生姜焼きは、母親と同じ味がした。
キャベツの千切りは、ほんのすこしだけ太かったけれど。



2017年4月28日(金)

二度目の起床後、空腹を抱えて階下へ向かったときのことである。
「……?」
リビングに何か違和感を覚えた。
ぼんやりした頭でしばらく考えて、ようやく原因に思い至る。
ロボットクリーナーが所定の位置になかったのだ。
「どこ行ったんだろ……」
和室、ではない。
台所、でもない。
廊下、にもない。
おかしいなあと首をひねって脱衣所を覗くと、あった。
脱衣所と浴室のあいだの段差に腹で引っ掛かり、進退窮まって動作を停止したらしい。
「──…………」
すこし切ない。
どうすればいいか判断がつかなかったので、自室からうにゅほを呼んできた。
「ひっかかっちゃったんだ……」
「そうらしい」
「おふろば、こんどから、とーしめないとだめだね」
「気をつけないとな」
ロボットクリーナーを段差から救出し、操作パネルを開く。
「このボタンおしたら、じゅうでんのばしょもどる」
「ほうほう」
「ぴ」
うにゅほが、ホームと書かれたボタンを押す。
ういーん。
高らかな駆動音と共に掃除を再開したロボットクリーナーが、
「あ」
「あー……」
再び浴室に特攻し、段差に引っ掛かり、動作を停止した。
「……まっすぐ充電のとこ戻るわけじゃないんだな」
「とーしめないと……」
浴室の扉をちゃんと閉めて、再々起動。
ごつんごつんと頭をぶつけながら所定の位置に戻っていくロボットクリーナーを見て、
「……ちょっと可愛いな」
と思ってしまった。
「でしょ」
何故うにゅほが胸を張るのかは、よくわからないが。



2017年4月29日(土)

「きょうは、シチューをつくりますね」
「豚肉たくさん買ってあるしな」
「うん」
一昨日の生姜焼きのあまりである。
「暇だし、なんか手伝おうか」
「んー」
うにゅほが小首をかしげる。
「でも、あんましすることない……」
「材料切るとか」
「きって、いためて、ルーいれて、にるだけだから」
「簡単」
「かんたん」
「俺は豚肉切るから、××は野菜を切ってくれ」
「はーい」
ふたり並んで台所に立つ。
「◯◯、にくきれる?」
「馬鹿にしてはいけない」
「してないけど、にく、きるのむずかしいから……」
「まあ見てな」
スッ。
薄切り肉を重ね、包丁を入れる。
「はい」
「おー」
うにゅほが小さく拍手する。
「包丁を、弧を描くように動かすのがコツだ」
「うん」
「まあ、知ってるか」
「しってる」
「というわけで、心配無用。××は野菜を切るのだ」
「はい」
切って、炒めて、ルーを入れて、煮る。
時間は掛かるが、工程は少ない。
「あと、しばらくにこんで、おしまい!」
「お疲れさまでした」
「おつかれでした」
ふたりで作ったクリームシチューは、とても美味しかった。
まあ、俺は肉しか切ってないけど。



2017年4月30日(日)

両親が旅行から帰宅した。
おみやげは、何故か竹製のしおりだった。
鹿のイラストが印刷されている。
「かわいい」
「甘いものがよかった……」
「しおり、だめ?」
「竹は甘くない」
「あまくても、たべちゃだめだよ」
「食べないけどさあ」
「しおり、べんりだよ」
「まあ……」
しおりを受け取り、シーリングライトに翳す。
竹の繊維が美しい。
「しおり、けっこう持ってたと思うんだけど……」
「うん」
「どこやったっけ」
「うーん……」
たぶん、読みさしの本に挟まりまくっているのだろうけど。
面倒なので、探さない。
「わたしの、ちゃんとあるよ」
うにゅほが自慢げに取り出したのは、金属製のブックマーカーだった。
いつだったか俺がプレゼントしたものだ。
「××、物持ちいいよなあ……」
「そかな」
「それ、たしか、出会ったころにあげたやつじゃん。誕生日でもなんでもなく」
「うん」
「俺がそのまま使ってたら、今頃なくしてたな……」
「えー」
うにゅほがブックマーカーを背中に隠す。
「隠さんでも」
「うへー」
冗談だったらしい。
「××、竹のしおり使う?」
「わたし、これあるから、いいよ」
「そっか」
なら、遠慮せずに使わせてもらおう。
読みさしの本に挟んだまま本棚に仕舞う未来が見えるけれど。

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