>> 2017年2月




2017年2月1日(水)

床屋からの帰途の車中にて、不意に思った。
「豆大福が食べたい」
「いきなりだ」
「急に食べたくなった」
「でも、たべたいね」
「だろ」
「コンビニよる?」
「どうせ食べるなら、本格的なやつにしよう」
「ほんかくてき?」
「通り沿いに、たしか、小さな和菓子屋があっただろ。行ったことないけど」
うにゅほが小首をかしげる。
「あったっけ……」
「あるの」
「あるんだ」
「あります」
「おいしいかな」
「わからないけど、美味しいといいな」
「うん」
自宅までの道のりを行くこと数分、目指していた黄色い看板が見えてきた。
「ほら」
「あ、あっこか!」
「そうそう」
「駐車スペースは──」
愛車のライフの速度を緩め、
「──…………」
店舗の前をゆっくりと通り過ぎていく。
「……ない」
「あー」
切なげな声を上げながら、うにゅほが後ろを振り返る。
「すぎちゃった……」
小さな店舗だ。
駐車場がないことは承知していたのだが、店の前に巨大な雪の壁があるとは思わなかった。
「……あの店、お客さん入ってるのかな」
「わかんない……」
Uターンして再度スペースを探すも、駐車するのは不可能という結論に至った。
「──…………」
「……ローソンのまめだいふく、おいしいよ?」
「知ってる……」
知ってるけど、ちょっと切ない。
「春になったら、買いに行こうな」
「うん」
それまでに潰れなければいいのだが。



2017年2月2日(木)

昼食はパンがいいなと思い、ボストンベイクに立ち寄った。※1
「今日は何にしようかな」
「くいんしー?」
「クインシーは当然食べるとして──」
「あっ」
トングとトレイを取ろうとして、うにゅほに遮られた。
「どした?」
「パン、とってみたい」
「いいぞ」
トングとトレイをうにゅほに譲る。
「♪」
楽しそうにトングをかちかち鳴らすうにゅほを連れて、狭い店内を行く。
「クインシーホワイト、一本お願い」
「はい!」
棒状のパンの真ん中をトングで掴み、トレイに載せる。
「わたしも、くいんしーたべる」
「二本だな」
「うん」
「あ、ピーナツソフトひとつ」
「わたしも」
「これも二本だな」
「うん」
「あと、バニラカスターひとつ」
「わたしは──」
「さすがに食べきれないんじゃないか」
「うん……」
「ひとくちあげましょう」
「はーい」
「そんなとこかな」
「しょっぱいパン、いらない?」
「いらない」
「いらないかー……」
「だって、ここのしょっぱい系のパン、すげえでかいんだもん」
大の男の俺ですら、ふたつは食べられないほど大きい。
小柄なうにゅほであれば、ひとつで一食半は賄えそうなくらいだ。
「たべてみたいけど、たべきれない……」
「今度、気が向いたときな」
「うん」
気が向くことはあるのだろうか。
我が事ながら自信のない甘党の俺だった。

※1 札幌で展開しているベーカリーチェーン



2017年2月3日(金)

「──…………」
「──……」
ぱりぱり。
図面を引く俺の隣で、うにゅほが節分用の落花生を剥いている。
「豆まき終わったの?」
「うん」
「福は内もした?」
「した」
「ぜんぶ拾った?」
「ひろったよ」
うにゅほが剥きかけの落花生をこちらに差し出した。
芳ばしい香りが鼻腔をくすぐる。
「いい匂いだな」
「うん。ことしのまめ、いいにおいするの」
「高い落花生なのかな」
「わかんない」
そもそも、高級な落花生などあるのだろうか。
「──…………」
「──……」
ぱりぱり。
枡が、落花生の殻で山盛りになっていく。
そんなに剥いてどうするのかと思っていたら、
「はい!」
皿いっぱいのピーナッツを、笑顔で手渡してくれた。
「おー」
「◯◯、ピーナッツすきだから」
「好きだけど、こんなに食べたら鼻血出そうだな」
「たくさんたべたら、はなぢでるの?」
「そんな話があったような」
「じゃあ、だめ……」
「一緒に食べたらいい。休憩にするからさ」
「うん」
薄皮まで丁寧に剥がされたピーナッツを一粒口に放り込む。
「あ、美味い」
「おいしいね」
「やっぱ、高い落花生なのかな……」
「そうかも」
恵方巻きは、父親の妨害にも負けず、見事恵方を向いて食べきった。
ただし、母親がうっかり半分に切ってしまったため、縁起が良いかはよくわからないのだが。



2017年2月4日(土)

「うへえー……」
「わ」
うにゅほに抱きつき、ソファに押し倒す。
「飲み過ぎちった……」
「だいじょぶ?」
「だいじょーぶ、らいじょーぶ」
「……ほんと?」
「本当です」
膝枕した俺の頭を、うにゅほが優しく撫でる。
ついさっきまで、幼馴染が子供を連れて遊びに来ていたのだった。
「◯◯、こどもすきだね」
「嫌いではない」
子供相手の職業に就いていたこともある。
「ひこーき」
「──…………」
「ひこーき」
「……やってほしいの?」
「うん」
ヒコーキとは、仰向けの状態から天井へ向けて足を伸ばし、その上に子供を乗せてあやすという技だ。
先程、幼馴染の子供に飽きるほどやってあげたものでもある。
「しゃーないな……」
「やた!」
うにゅほの骨盤に両足をあてがい、手を引きながら持ち上げる。
「わあー!」
「そらそらー」
上下左右にうにゅほを揺らし、満足したところで落として抱きすくめる。
「はい、終わり」
「ほー……」
「如何だったかな、マドモアゼル」
「たのしかった……」
「それはよかった」
「もっかい!」
「はいはい」
通りがかった父親が、ぼやく。
「……仲がいいのはわかったからよ、俺にもさっさと孫見せてくんねえかな」
だが、ヒコーキに夢中なうにゅほの耳には、まるで届いていないのだった。



2017年2月5日(日)

宝焼酎大自然の4リットルペットボトルに直接口をつけて中身をあおっていると、
「わ!」
自室に戻ってきたうにゅほが、慌てて俺の手を止めた。
「だめ!」
「あ、いや──」
「のみすぎ、だめ!」
「違うんだ」
「かして!」
うにゅほが、俺からペットボトルを奪い取り、重さに軽くよろめく。
その体を支えてやりながら、告げた。
「それ、中身水だから」
「……みず?」
「におい嗅いでみ」
「──…………」
すんすん。
「おさけじゃない……」
「水だってば」
「なんで、みず?」
「一日3リットル水を飲むと、ダイエットにいいって聞いたから」
父親が焼酎のペットボトルを空にしたところだったので、ちょうどいいやと拝借した次第である。
「びっくしした……」
「ごめん、言っとけばよかったな」
ペットボトルを受け取り、足元に置く。
「◯◯、へんになったのかとおもった」
「変に……」
「だって、いつも、ペプシとまぜてのむから」
「まあなあ」
ストレートの焼酎なんて、消毒液臭くて飲めたものじゃない。
「でも、そんなにみずのんだら、おしっこちかくなるよ」
「近くなりますね」
「だいじょぶ?」
「デトックス!」
「でとっくす……」
「老廃物は、出したほうがいいってことさ」
「そうなんだ」
「××も、1.5リットルくらい一緒に飲んでみるか?」
「おしっこちかくなるから、いい……」
「そっか」
うにゅほの場合、これ以上痩せても困るしな。
眉唾もののダイエット法だが、大した負担ではないので、すこし続けてみようと思う。



2017年2月6日(月)

「──…………」
「?」
「──…………」
「なにー?」
座椅子にゆったりと腰を下ろして読書するうにゅほの姿を間近で観察する。
一年近く伸ばしきりの髪の毛だが、手入れが行き届いているため、だらしない感じはまったくしない。
前髪だけは自分で切り揃えているようだ。
ぽわぽわとしていて薄い眉毛に、ふくふくとしたほっぺた。
薄い唇は赤みを帯びていて、健康的だ。
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
小動物的なその仕草は、自然で、あざとさを感じさせない。
年齢のわりに童顔であることも、理由のひとつだろう。
「──…………」
「──……」
じ。
見つめ合う。
くりっとした大きな目に、俺の顔が映っている。
その視線はまっすぐで、
「……うっ」
思わず、俺のほうが先に目を逸らしてしまうのだった。
「かった」
「負けた……」
「にらめっこ?」
「いや、じっと見つめてたら、××恥ずかしがるかと思って」
「はずかしくないよ」
「そうみたいですね……」
「◯◯、じっとみられたら、はずかしい?」
「落ち着かない気分にはなると思う」
「──…………」
じ。
見つめ合う。
「──…………」
「──……」
あ、駄目だ。
我慢しきれず、目を逸らす。
「降参、降参です」
「かった」
「××、強いなあ……」
「うへー」
無言で見つめ合うだけなのに、思わず笑ってしまいそうになる。
もしかしたら、俺は、にらめっこが弱いのかもしれない。



2017年2月7日(火)

「ただいまー……」
「おかえり」
チェアに浅く腰を下ろし、くるりとうにゅほに向き直る。
「二階のトイレ、弟が入ってたから、下のトイレに行ってきたんだけどさ」
「うん」
「下のトイレ、便座冷たくない?」
「うん……」
「座ったのを検知してすぐあったまるのはいいんだけど、遅いよなあ」
「ひゃってなる」
「××もそう思うか」
「うん」
「最初からあったまっといてほしい……」
「でんきだいかなあ」
「でも、二階のトイレはいつもあったかいじゃん」
「うん」
「下のトイレのほうがハイテクっぽいのに……」
テクノロジーが省エネのほうに振り切ってしまっているらしい。
「わたし、したのといれのとき、さいしょ、そのまますわる」
「そのまま?」
「ぬがないまま、すわる」
「あー」
「そしたら、あったまるから、あったまったら、ぬいですわる」
「なるほど、頭いいな」
「うへー……」
俺もそうしよう。
そんな会話をしていると、二階のトイレから水を流す音が聞こえてきた。
「……弟、大丈夫かなあ」
「おなか?」
「一週間くらい下してるだろ」
「そだねえ……」
「病院行っても下痢止めしかくれないらしいし」
「うん……」
本格的に検査してもらったほうがいいのではないか。
すこし心配である。



2017年2月8日(水)

「──…………」
パソコンチェアから腰を上げる。
「おしっこ?」
「はい」
「おしっこ、ちかいねえ」
「めっちゃ水飲んでるからな……」
一日3リットル水を飲むと痩せると聞いたので、実践している最中なのだ。※1
「そんな、やせなくていいのに」
「太ったから……」
「◯◯、ふとってないよ?」
「太ったんですが」
「ふとったけど、ふとってないよ」
「……?」
「うーと、まえより、ふとった」
「はい……」
わかっていたことだが、はっきり言葉にされるとショックが大きい。
「でも、ふとってない……」
「太ってるようには見えないってこと?」
「そう」
「たしかに、いわゆるデブではないかもしれないけど……」
「おとうさん、おなかでてる」
「出てるな」
「◯◯、でてない」
「あんなになったら断食してでも痩せる」
「だめだよ」
「そうならないための、こまめなダイエットだ」
「そか……」
「デブになってからでは遅いのである」
「だから、みずのむの?」
「水も飲むし、運動もする。炭水化物も控える」
「たいへんだ」
「大変なんです」
「そか……」
「ところで──」
ちょいちょいと扉を指差す。
「そろそろ、トイレ行っていいですか」
「あ、ごめんなさい」
「いえいえ」
小走りでトイレに向かう俺だった。

※1 2017年2月5日(日)参照



2017年2月9日(木)

排雪が入ったのか、以前和菓子屋の前にあった雪の壁がなくなっていた。
「──××」
「うん」
視線を交わし、頷き合う。
「豆大福だ!」
「まめだいふくだ!」
Uターンし、和菓子屋の前に停車する。
意気揚々と店内に入り、

「すいません、豆大福ぜんぶ売れちゃったんですよお」

意気消沈して店を後にした。
「まめだいふく……」
「今度こそはと期待したぶん、ダメージが……」
「でも、ふつうのだいふくかえた」
「おはぎもな」
負け戦ではなかったのだ。
「コンビニで飲み物買って、食べようか」
「うん」
近場のセブンイレブンに立ち寄り、豆乳を買って車に戻る。
どでか豆大福が売っていたが、今回は見送った。
「いただきましょう」
「いただきます」
手を合わせ、おはぎを半分口に含む。
「!」
粗く潰されたもち米が口のなかでほぐれ、甘さ控えめの粒あんに包まれていく。
「美味い……」
「おいしいねえ!」
「さすが本業の和菓子屋」
「うん、うん」
うにゅほが何度も頷く。
「これは、大福のほうも期待が持てますな」
「うん」
おはぎを完食したあと、白大福にかぶりつく。
「──…………」
「──……」
「ふつうだね」
「普通だな」
普通だった。
次こそは豆大福を手に入れたいが、白大福が普通だったので、ちょっと期待値が下がっている。
おはぎは次も買おっと。



2017年2月10日(金)

用を済ませて自室に戻ると、うにゅほが座椅子の上で丹前にくるまっていた。
「寒いん?」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「ふとんのひ!」
「布団の──」
軽く思案し、
「ああ、2月10日か」
「うん」
「だから、丹前にくるまってるのか」
「うん」
「丹前って、布団?」
「──…………」
丹前とは、掻巻とも言い、着物状の寝具である。
布団ではないような気がする。
「うもうぶとんは、ふとん?」
「羽毛布団だからな」
「じゃあ、うもうぶとんにする」
「いいけど……」
何故、頑なに、くるまろうとするのか。
「♪」
羽毛布団にくるまってごきげんなうにゅほに尋ねる。
「テレビか何かで見たの?」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「きょう、にがつとおかだから、ふとんのひだねって、おかあさんいってたの」
「だからって、くるまれとは──言ってないよな、たぶん」
「うん」
「なんでくるまってるの?」
「ふとんのひだから」
いや、いいけども。
「布団の日って、本来、何をする日なんだろうな」
「くるまるひ」
「違うと思う……」
チェアに腰を下ろし、「布団の日」で検索をかける。
「あ」
「?」
「布団の日って、今日じゃなくて、10月10日だって」
「えっ」
「2月10日だったのは、2009年までらしい」
「えー!」
そういうことってあるんだ。
「──…………」
うにゅほがのそのそと羽毛布団を片付ける。
せっかくごきげんだったのに、悪いことをしてしまった。
「えーと、××さん」
「はい……」
「膝の上、来る?」
「いく……」
「灯油節約のために、一緒に丹前にくるまろう」
「うん」
ふたりでくるまると、ひとりよりずっと暖かい。



2017年2月11日(土)

ずーり、ずーり。
ずーり、ずーり。
丹前を羽織ったうにゅほが、室内を右往左往していた。
「どした」
「ろっかん、ろっかん」
「なんの?」
「グルグル2……」
「あ、悪い。六巻ならたしか──」
小説側の棚に平積みされた未読の漫画のいちばん下から、魔法陣グルグル2の六巻を抜き取る。
「はい、これ」
「ありがと」
「読んだら片付ける癖、つけないとな……」
「そだね」
ずーり、ずーり。
ずーり、ずーり。
丹前を羽織ったまま、座椅子に座る。
「丹前、気に入ったの?」
「あったかい」
温湿度計を覗き込む。
「ちょっと暑くない?」
「ちょっとあつい……」
うへーと笑う。
「せっかくだから、腰のあたり縛ってみようか」
「うん、しばる」
「紐なかったっけ……」
「どうだっけ」
自室を軽く探してみたが、帯代わりになりそうな紐は見当たらなかった。
「二択です」
「はい」
「俺のベルトか、俺のシャツか」
「シャツ、のびちゃう」
「なら、ベルトかな」
「うん」
というわけで、丹前にベルトを締めるという革新的なファッションが誕生した。
「──…………」
ずーり、ずーり。
ずーり、ずーり。
「♪」
気に入ったようなので、よしとする。



2017年2月12日(日)

「♪~」
膝枕した俺のヒゲを、うにゅほがぷちぷち抜いていく。
「楽しい?」
「あ」
「?」
「しゃべったら、あごうごく……」
「すいません……」
「──あ、ちがくて。しゃべっていい、しゃべっていいの」
あわあわ。
「ごめんな、集中してたんだろ」
「うー……」
うにゅほが唸る。
「ちがくて」
「……?」
「◯◯、しゃべっていいの」
「邪魔にならない?」
「いいの……」
「じゃあ、喋る」
「うん」
「でも、喋ってたらヒゲ抜けないだろ」
「きゅうけい……」
そう言って、フローリングの床に毛抜きを置く。
「──…………」
「──……」
話したいことがあって口を開いたわけではないので、話題がない。
「あ」
「?」
「◯◯、くちびるかさかさ」
舌で確認する。
「……本当だ」
随分と荒れているようだ。
「にべあのくちびるのやつ、どこだっけ」
「引き出しのいちばん上かなあ」
「ちょっとまっててね」
ニベアのリップバームを探し出したうにゅほが、俺の頭を再び膝へと招く。
リップバームとは、指に取って塗るリップクリームのようなものだ。
「ぬるね」
「……××が塗るのか」
「うん」
リップバームをすくった指先が、俺の唇に触れる。
以前にもやってもらったことはあるのだが、やはり、ちょっと照れる。
「──…………」
ぬーり、ぬーり。
「はい、おしまい」
「ありがとな」
「ヒゲぬくの、つづきね」
「お願いします」
フェイシャルエステでも受けてるような気分だった。



2017年2月13日(月)

うにゅほに、
「だいどころ、みないでね!」
と言われてから三十分後、俺は一階の廊下から台所の様子を窺っていた。
突き当たりの引き戸をかすかに開き、右目を光らせる。
気分はスパイである。
「──…………」
「──……」
うにゅほと母親が仲睦まじく作業を行っているが、会話の内容までは聞き取れない。
だが、何をしているかは知っている。
チョコだ。
バレンタインのチョコを作っているのだ。
去年は出来合いのチョコアソートだったが、今年は手作りらしい。
しばし観察していると、
「あ!」
うにゅほと目が合ってしまった。
「みたらだめ!」
「いや、ほら、トイレトイレ」
「うえのといれ」
「弟が入っててさ」
実を言うと、嘘ではない。
一階のトイレに行くついでに、様子を窺っていたのだった。
「……だいどころ、みたらだめだよ?」
「わかってるって」
「ひみつだから」
「えらい甘い匂いしますけど」
「ひみつ!」
背中をぐいぐい押され、トイレに押し込められてしまった。
「──…………」
にやにやと自然に口角の上がる頬を、円を描くようにしてマッサージする。
うにゅほが俺のためにチョコを作ってくれているという事実に、心が暖かくなる。
まあ、母親も一緒だし、そもそも俺だけのために作っているわけではないのだけれど。
どんなチョコをくれるのか、今から楽しみである。



2017年2月14日(火)

2月14日である。
つまるところ、バレンタインのデーである。
「──…………」
そわそわと早めに目を覚ました俺がベッドから這い出ると、平たい小箱を持ったうにゅほと目が合った。
「わあ!」
うにゅほが小箱を背中に隠す。
「えーと、おはよう」
「おはよ……」
「……もしかして、宝探しするつもりだった?」
「──…………」
目を逸らす。
図星だったらしい。
「えーと、ごめん……」
「ううん」
ふるふると首を横に振り、うにゅほが両手を前に出す。
「バレンタイン、おめでと」
「ありがとうございます」
バレンタインは特におめでたくないと思うが、そんなことはどうだっていい。
「開けていいですか?」
「はい、どうぞ」
拙いラッピングを解くと、見知らぬブランドのチョコアソートの容器が出てきた。
箱だけ再利用したらしい。
「──…………」
どきどきしながら、蓋を開く。
ふわり。
チョコレートが香る。
「おお……」
そこにあったのは、九個並んだトリュフチョコ。
ココアパウダーのまぶされたそれは、売り物と比べても遜色ない。
「これ、作ったの?」
「うん」
「すごいなあ」
うにゅほの頭を撫でる。
「うへー……」
照れた笑顔が、普段の三割増しで可愛く見える。
「いっこ食べるな」
「うん」
トリュフチョコをひとつ手に取り、半分だけ齧る。
カリッ。
「?」
生チョコレートの柔らかい食感と共に、軽い歯ごたえが口内に響いた。
「くるみだ……」
「それは、くるみ」
「くるみ以外のやつもあるの?」
「ひみつ」
食べてみないと、中身がわからないのか。
これは、楽しい。
俺の好みを知り尽くしているうにゅほだから、俺の嫌いなドライフルーツなんかは絶対に入れないし。
「ナッツ類だと、マカダミアナッツとか、カシューナッツとかありそうだな」
「ひみつー」
うにゅほが、うへーと笑う。
「チョコ、美味しいよ。ありがとうな」
「うん」
おかげで、ホワイトデーのハードルが上がってしまった。
何をお返しすればいいのやら。



2017年2月15日(水)

「──……?」
起床した瞬間、違和感に気がついた。
ベッドに対し、頭の位置が普段と逆だったのである。
前髪を掻き上げながら上体を起こすと、うにゅほと目が合った。
「おきた?」
「起きた」
「おはようございます」
「おはようございます……」
ぺこりと頭を下げ合う。
「◯◯、なんで、はんたいなの?」
「なんでだっけ……」
いまいち思い出せない。
脳が覚醒しきっていないらしい。
「きぶんてんかん?」
「いや、なんか、そうしなきゃいけなくて──」
呟きながら、眼鏡を掛ける。
その瞬間、あるものが視界に入り、すべてを思い出した。
「……そう、エアコンだ」
「エアコン?」
「昨夜、寝ようとしたときに、エアコンがガタッと音を立ててさ」
「うん」
「いつも通りに寝たら、エアコン、頭の真上にあるじゃん」
「ある」
「これが寝てるあいだに落ちてきたらと思って、怖くなったんだよ」
「あぶない……」
重さ15kgの物体が1.5mの高さから顔面に落ちてきたら、当たりどころによっては死にかねない。
「◯◯、これから、はんたいのままねたほういいよ」
「そうかもなあ……」
「ぜったい、そのほういいよ」
落ちるとしても、何らかの前兆があってから落ちるとは思うのだが、気をつけるに越したことはない。
うにゅほを安心させる意味でも、今後はこのまま寝ることにしようかな。



2017年2月16日(木)

「……落ち着かない」
「?」
「ベッドの頭側って、やっぱこっちだって」
抱えていた枕をエアコンの真下に置く。
「あぶないよ……」
「言い出しておいてなんだけど、考え過ぎだと思う」
「でも、がたっていったって」
「寝入り端だったから、正直それも怪しいと思う」
「でも、おちたら……」
うにゅほが目を伏せる。
「要は、落ちないという確信があればいいわけだ」
「……うん」
「そこで、エアコン室内機の落下事故について調べてみました」
「はい」
「エアコンの落下事故には、二通りあります」
「はい」
「まず、取付工事が雑だった場合。これは、ちゃんとしたところに頼んだので、うちには当てはまりません」
「そかな……」
「触ればわかるけど、かなり頑丈に取り付けられています」
「さわっていい?」
「いいぞ」
うにゅほがベッドに上がり、エアコンの室内機に手を触れる。
「ガタガタする?」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「このパターンは、ないと考えていいですね?」
「……はい」
あんまり納得してない感じだけど、続ける。
「もうひとつは、取付強度以上の地震が来た場合」
「!」
「この場合、壁自体が倒壊するので、エアコンとかもう関係ありません」
「こわいね……」
「怖いけど、こればっかりはな」
「うん」
「あと、エアコンが外れた場合でも、真下に落ちることってまずないんだって」
「そなの?」
「外に配管が繋がってるから、ホースでぶらんぶらんする」
「あ、そか」
「というわけで、エアコンの真下で寝ても大丈夫です」
「……うー」
「大丈夫です!」
「わかりました……」
心配してくれるのは嬉しいのだが、それは杞憂というものだ。
安心して床につこう。



2017年2月17日(金)

件の和菓子屋の前を通る機会があったので、立ち寄ることにした。
「──と、先客がいるな」
「ほんとだ」
小さな店舗であるため、店の前に二台停車する余裕はない。
「仕方ない、ぐるっと回ってくるか」
「うん」
数分ほど時間を潰して戻ってくると、店の前にまた車があった。
「……あれ、さっきと別の車だよな」
「さっきのくるま、しろかった」
「タイミング悪いなあ」
「うん……」
同じルートを周回し、三度戻ってくる。
ワゴン車から降りた男性が、和菓子屋に入るところだった。
「──…………」
「──……」
互いに顔を見合わせる。
「……大繁盛だな」
「まめだいふく、うりきれてないかなあ」
「まだ昼過ぎだし、大丈夫だと思うけど……」
そのまま三周目に入る。
四度戻ってきて、
「──…………」
「──……」
無言で四周目に入った。
ここまで途切れなく客が入るとは、恐るべし和菓子屋。
単に俺たちの運が悪いだけのような気もするけれど。
五度戻ってきてようやく入店し、無事、念願の豆大福とおはぎを手に入れることができた。
近場のセブンイレブンでミルクティーを購入し、ふたり同時に豆大福にかぶりつく。
「……普通だなあ」
「うん……」
言ってしまえば、コンビニの豆大福のほうがずっと美味い。
「でも、おはぎは超美味しい」
「うん、おいしい」
「おはぎが食べたいときはあの和菓子屋に行って、豆大福が食べたいときはコンビニへ行こう」
「そうしましょう」
コンビニはすごい。
俺は改めてそう思った。



2017年2月18日(土)

愛車のコンテカスタムを運転しながら、助手席のうにゅほに話しかける。
「春が近いなあ」
午後五時を過ぎているというのに、夕闇はまだ遠い。
幹線道路は既に雪解けを迎え、長らく姿を見ていなかったアスファルトが露出していた。
「さくら、いつさくかな」
「二月は梅だろ」
「うめ?」
「一月は松、二月は梅、三月は桜」
「はなふだだ」
「まあ、北海道の桜は五月だけどな」
「ごがつは、あやめ」
「よく覚えてるなあ」
「ぜんぶいえるよ」
「本当か?」
「ほんとだよ」
「じゃあ、言ってみて」
「いちがつ、まつ。にがつ、うめ。さんがつ、さくら」
「うん」
「しがつ、ふじ。ごがつ、あやめ、ろくがつ、ぼたん」
「合ってる」
「しちがつ、ふじの、あかとくろのやつ」
「萩な」
「はぎ」
「続きは?」
「はちがつ、ぼうず。くがつ、きく。じゅうがつ、もみじ」
「うん」
「じゅういちがつ──」
「十一月は?」
「なんか、だらんてちくちくしたやつ……」
「十二月」
「むらさきのやつ!」
「全部言えませんでしたね」
「はい……」
「オイチョカブで覚えると、柳と桐が抜けるよな」
「じゅういちがつ、やなぎ?」
「十二月が、桐」
「へえー」
うんうんと頷く。
「おいちょ、もみじまでだもんね」
「最近やってないなあ」
「やる?」
「やるとしたら、来年のお正月かな」
「そか……」
うにゅほがすこし残念そうな顔をする。
花札、どこにやったかな。
来年までに探しておかねば。



2017年2月19日(日)

「◯◯、◯◯」
「んー?」
「これ、まだつかう?」
うにゅほが差し出したのは、OA機器用のクリーニングブラシだった。
「……毛先、こんな爆発してたっけ?」
「わかんない」
「大泉洋みたいになってるじゃん」
「ぶふ!」
うにゅほが吹き出した。
「白髪の大泉洋」
「うふ、くふふ……」
「パイ食わねえか」
「ばふう!」
ウケ過ぎである。
「あ、これ、反対側も細いブラシになってるんだ」
何故いまごろ気づくのか。
「つかう?」
「大泉のほうはいらないけど、こっちはキーボードの掃除するとき使うかな」
「でも、おおいずみのほう、きたないかも」
「毛とか巻き込んでるしな」
「うん……」
しばしの思案ののち、
「……刈る?」
「おおいずみのほう、きるの?」
「邪魔くさいし……」
「そだねえ」
「××、大泉の毛まとめてくれるか」
「うん」
うにゅほがまとめたブラシの毛に、思いきりハサミを入れる。
「はい、これで使いやすくなった」
「おおいずみ、まるぼうずになっちゃったね」
「触り心地いいぞ」
「ほんとだ」
「あと、毛かと思ってたやつ、根本から生えてたんだな」
「ほんとだ……」
見た目より不衛生ではなかったのかもしれない。
「お、立つぞこれ」
「たった!」
どちらにせよ、使い勝手がよくなったのは確かである。



2017年2月20日(月)

誕生日に知人から貰ったMA-1風ジャケットのボタンが取れかかっていたので、付け直すことにした。
デスクの引き出しから裁縫セットを取り出すと、
「なにするの?」
興味を持ったのか、うにゅほが四つん這いで近づいてきた。
「ボタン、付け直そうと思って」
「あ、わたしやる!」
「布地厚いけど大丈夫?」
「だいじょぶ!」
「なら、頼もうかな」
「うん!」
ジャケットと裁縫セットをうにゅほに手渡す。
「おさいほう、ひさしぶり」
「どれくらいぶり?」
「うーと、いちねんくらい……」
「……大丈夫?」
「だいじょぶ!」
自信満々である。
大丈夫かなあ。
そんな胸中の心配が杞憂であることに気づくまで、さして時間は掛からなかった。
「♪~」
うにゅほの手つきは淀みなく、迷いなく、ボタンと布地とを手際よく繋いでいく。
ボタン付けなら俺もできるが、たぶん俺よりずっと上手い。
「でーきた」
「おー」
ぱちぱちぱち。
「すごいな、××」
「うへー……」
「仕上がりもバッチリじゃんか」
「まえね、おかあさんとれんしゅうしたから」
「けっこう練習したんだな」
「ひゃっこくらい」
「……マジで?」
「うん」
思った以上に頑張っていた。
なるほど、自信満々なはずである。
「でも、ボタンつけしかできない……」
「それだけできれば十分だろ」
「そかな」
「そうだよ」
ジャケットを受け取り、羽織る。
「うん、頑丈頑丈」
「よかったー」
「むしろ、この上のボタンがぐらぐらして──」
ぷち。
「あ」
「とれた……」
「……××、こっちのボタンもお願いできますか」
「はーい」
掃除、洗濯、料理、裁縫。
家事万能なうにゅほである。



2017年2月21日(火)

「んー……」
PCの前で腕を組み、唸る。
「どしたの?」
「買うべきか買わざるべきか、迷ってるものがあって」
「なにー?」
「エアロバイク」
「えあろ……」
「部屋のなかで自転車こぐやつな」
「うん、わかるけど……」
うにゅほが自室をぐるりと見渡す。
「どこおくの?」
「まあ、そのへんに……」
「……おけるの?」
「××の想像してるエアロバイクって、ジムとかにある、すごい立派なやつだろ」
「うん」
「俺も調べて知ったんだけど、家庭用のエアロバイクって、思ったより小さいみたい」
「そなんだ」
「ほら、折りたたみ式とかある」
Amazonで検索し、画像をいくつか見せる。
「ほんとだ……」
「価格帯も二、三万程度で、十分手が届くし」
「……まあ、うん」
あ、嫌そう。
俺の財布の紐を握ってるのって、うにゅほだからなあ。
「××さん、買ってもいいですか?」
「──…………」
「だめ?」
「……ちゃんと、うんどうする?」
「します!」
「うんどうしたら、かたづける?」
「片付けます!」
「じゃあ、かっていいよ」
「よし!」
思わずガッツポーズを取る。
「今度ヨドバシ行って、実物見てから買おうか」
「うん」
運動不足解消、なるか。



2017年2月22日(水)

「──てッ」
靴下の穴を繕っていたところ、親指の先に針をぶっ刺してしまった。
「だいじょぶ!?」
傍で見ていたうにゅほが、慌てて俺の手を取る。
「ちーでてきた……」
「あー、皮膚で止まらなかったか」
「てぃっしゅ、ティッシュ」
「待ちたまえ」
「?」
「そこは、こう、指をぱくっとするところでしょう」
「こうないのざっきんはいるから、きず、なめないほうがいいんだって」
「──…………」
誰だ、余計な知識を吹き込んだのは。
「そこをなんとか」
「でも」
「痛い思いしたんだから、いい思いだってしたいじゃん」
「……ゆびぱくってしたら、◯◯うれしい?」
「嬉しい」
「うへー……」
うにゅほが照れ笑いを浮かべる。
「ああ、ほら、血が垂れてきた」
「わ!」
ぱく。
うにゅほが俺の親指をくわえる。
「う」
熱い。
にゅるにゅるとした柔らかな舌が傷口を遠慮がちにつつき、血液を舐め取っていく。
「──…………」
「──……」
なんとなく見つめ合う。
「ほういー?」
「ああ、もういいよ」
ちゅぽん。
「おろないんぬるね」
「お願いします」
「さびお、いる?」
「絆創膏はいいんじゃないかな」
「そか」
うん。
満足であります。



2017年2月23日(木)

「××ちゃん」
「!」
眠そうな目で漫画を読みふけっていたうにゅほが、はっと顔を上げた。
「いま」
「どうかした?」
「なんか、へんなよびかたした……」
変な呼び方って。
「してないよ」
「──…………」
「したよ」
「うん」
「××ちゃん」
「う」
うにゅほが両手でほっぺたを包む。
「なんか、はずかしい……」
「××ちゃん、××ちゃん、××ちゃん!」
「うへえー」
本当に照れているらしい。
「××」
「はい」
「××ちゃん」
「……はい」
「××りん」
「?」
「××っち」
「うーん……」
ピンと来ないようだ。
「××さん──は、たまに呼んでるもんな」
「うん」
「××ちゃん」
「う」
「××ちゃん」
「──…………」
あ、慣れてきた。
「××」
「はい」
「寒いから、こっち来て」
「はーい」
うにゅほは、ちゃん付けで呼ぶと、照れる。
面白いことを発見した。



2017年2月24日(金)

Steamの年末セールで購入したダークソウル3をようやくプレイし始めた。
「──……!」
敵に襲われるたび、敵を斬り伏せるたび、チェアの背もたれが軋みを上げる。
うにゅほが背もたれに抱きついているのだ。
「あ、死んだ」
「◯◯、しんだ……」
痒くもない後頭部を掻きながら、誤魔化すように呟く。
「ダクソ、やっぱ難しいなあ」
「むずかしいの?」
「死にまくってるのはわかるだろ」
「うん」
「そういうこと」
「たくさんしんで、たいへんだねえ……」
「死んで覚えるゲームだからな」
「そうなんだ」
「まあ、マリオなんかもそうだけどさ」
「うん」
「マリオ、何面まで行けたんだっけ」
「さんめん……」
一時期、初代スーパーマリオブラザーズにハマっていたうにゅほである。※1
「頑張ったな」
「がんばった!」
「三面って、夜の面だっけ」
「うん」
「だいたい飛ばしちゃうから、あんまり覚えてないな……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「とばす?」
「ああ、ほら、1-2のワープで──」
「わーぷ」
「──…………」
「──……」
「あれ、教えなかったっけ」
「しらない」
「1-2にワープ土管があって、一気に四面に行けるんだけど」
「えー!」
うにゅほが身を乗り出す。
「ずるい!」
「まあ、ずるいかも……」
「わーぷどかんって、どこ?」
「あー、3DS持ってきて」
「うん!」
こうして、うにゅほの初代マリオ熱が再発するのだった。

※1 2015年4月4日(土)参照



2017年2月25日(土)

「──……う」
コンビニのプラスチックスプーンをくわえたまま、唸る。
「このプリン、カラメル苦いやつだ……」
「はずれ?」
「生地は美味しいけど、ハズレだなあ」
「ひとくち」
「苦いところでいいの?」
「うん」
容器の底の変色したあたりをすくい、うにゅほの口元に差し出す。
「あーん」
「あー」
ぱく。
「ちょっとにがいねえ」
「苦いカラメルに限って、なんでサラサラなんだろうな……」
「さらさら?」
「ドロドロしてない、液状というか」
「あー」
「サラサラのカラメルって、生地の底を破ると噴出して、プリン全体を苦く染め上げるじゃん」
「わかる」
「××も、破らないよう気をつけて食べてるもんな」
「うん」
「苦いなら苦いで、せめて、プッチンプリンみたいにカラメルぷるんぷるんにすればいいのに……」
「そしたら、ふんしゅつしないもんね」
「そうそう」
残りのプリンを一気に掻っ込み、空の容器をゴミ箱に捨てる。
「……苦いプリン食べたあとって、別の甘いもの食べたくならない?」
「そかな」
「甘いもの食べたいからプリンを食べたのに、食べたあとに残るのって苦味じゃん」
「あー……」
「そのあたり、なんか不完全燃焼感ある」
「なるほどー」
はあ、と溜め息。
「でもさ」
「?」
「プリン、美味いんだよなあ」
「うん、うまい」
「苦いカラメル差っ引いても美味いから困る」
「そだねえ……」
カラメルソースのない、卵をたっぷり使った固めの生地のプリンが食べたいのです。



2017年2月26日(日)

Amazonで注文してあった折りたたみ式エアロバイクが、今日になってようやく届いた。
電車の脱線事故で配送が遅れていたらしい。
バラバラのパーツを手早く組み上げ、ボルトやナットの締め忘れを確認する。
「──よし、完成!」
「おー!」
うにゅほがぺちぺち拍手する。
「これ、おりたためるの?」
「折りたためるとも」
パーツの交点にあるストッパーピンを抜き、縦に伸ばす。
「これで、ストーブの後ろに置けるだろ」
「すごい……」
「それだけじゃないぞ」
「?」
「密かに画策はしていたんだが、現物を見て可能だと確信した」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「まあ、見ててくれ」
「うん」
「まず、パソコンチェアを移動させる」
「てつだう」
「ありがとう」
「つぎは?」
「チェアのあった位置に、エアロバイクを置く」
「うん」
「うちのデスクは、L字型だな」
「そだね」
「マウスは無線式だ」
「あ」
気づいたらしい。
エアロバイクにまたがり、マウスを手に取る。
「なんと、ネットをしながらエアロバイクを漕げるのだ!」
「──…………」
あ、呆れてる。
「……エアロバイクって、長時間運動するためのものだから、暇を潰す手段って重要なんだぞ?」
「でも、あぶないきーする」
「試してみようか」
ペダルの負荷を調節し、漕ぎ始める。
体勢が僅かに傾いだところで、安定性に問題はなさそうだった。
「ほらほら」
「だいじょぶなら、いいけど……」
「このまま30分くらいテスト走行してみよう」
「タオル、よういしとくね」
「ありがとな」
「うん」
30分程度の運動でも、かなり汗ばむ。
運動不足解消に向けて、新たな一歩を踏み出す俺だった。



2017年2月27日(月)

「ふー……」
購入したてのエアロバイクで10kmほど走行し、汗で濡れた首筋を手の甲で拭う。
「はい、タオル」
「ありがとな」
「うへー」
「……うわ、作務衣びしょびしょだ」
「ほんと?」
うにゅほが腕に触れる。
「しっとりしてる」
「汗臭いかな」
すんすん。
「あせくさい!」
何故満面の笑みなのか。
「シャワー浴びてくっかー」
「うん」
「××、そのあいだ使ってみる?」
「いいの?」
「いいよ」
「じゃあ、やってみる」
「サドル下げるから、ちょっと待ってな」
「うん」
サドルの高さを調節し、
「おっけー」
「うと、またげばいいの?」
「自転車乗るのと変わらないよ」
「わたし、じてんしゃのれない……」
そうだった。
「まあ、うん。とりあえず跨いでみて」
「はい」
「ペダルに足を掛けて、漕ぐ」
「こう?」
「そうそう」
「♪」
エアロバイクを漕ぐうにゅほを横目に、バスタオルや着替えを用意する。
「──…………」
「?」
漕ぐ音が、止まった。
「どしたー?」
「──はッ、は、ふう、ふう……」
たった二、三分で、うにゅほの息がめっちゃ上がっていた。
「はっ、も、だめ、あし、ぱんぱん……」
「大丈夫か?」
「……おりて、ふう、いい?」
「いいけど……」
うにゅほの運動不足のほうが、俺より深刻なのではあるまいか。



2017年2月28日(火)

「──ぱーいーなーつーぷーる!」
とん、とん、とん。
うにゅほが軽やかに階段を上がっていく。
「じゃーんけーん」
「じゃーんけーん」
「しょ!」
「しょ!」
俺は、グー。
うにゅほは、チョキ。
「グ、リ、コ」
三段上がる。
「××」
「?」
「まだやるの?」
「うん」
「そうか……」
三十絡みの男のする遊びではないと思うのだが。
「じゃーんけーん」
「じゃーんけーん」
「しょ!」
「しょ!」
俺は、グー。
うにゅほは、パー。
「ぱーいーなーつーぷー……」
最上段を踏んだうにゅほが、
「る!」
そこで折り返し、一段下がった。
「××」
「?」
「ピッタリじゃないと駄目なの?」
「うん」
「そうか……」
これは長丁場になりそうだ。
途中、部屋から出てきた弟に冷ややかな目で見られながら、階段を一往復半してようやく二階へと辿り着いた。
「たのしかった」
「そっか」
「◯◯、たのしくなかった?」
「……いや、まあ、懐かしくはあったかな」
「そか」
××が楽しかったのなら、付き合った甲斐があるというものだ。
少々気恥ずかしいので、二度はやりたくないけれど。

← previous
← back to top


inserted by FC2 system