>> 2016年11月




2016年11月1日(火)

「……◯◯、あれって痛いのか」
「痛くはない。でも、入れてる最中はけっこう苦しいよ」
「苦しいのか……」
「検査とは言え、ある程度はね」
「浣腸とかされるのか」
「指示通りに下剤飲めば大丈夫だから」
「パンツとか、歯ブラシとか、必要なんだっけ」
「持ってったほうがいいかな。ポリープ見つかれば一晩入院だから」
「入院か……」
「見つからなければ、そのまま帰れるよ」
父親が、人生初の大腸内視鏡検査に臨むことになった。
健康優良児の父親は、検査が不安なのか、先達である俺にやたらと質問を重ねてくる。
答え疲れて自室へ戻ると、うにゅほが苦笑しながら口を開いた。
「おとうさん、しんぱいそうだったね」
「病院慣れしてないからなあ」
「ちょっとかわいい」
「……そうか?」
理解しがたい感覚である。
「でも、だいじょぶかな……」
「検査?」
「うん」
「たぶん大丈夫だと思うぞ」
いつガタが来てもおかしくない年齢ではあるものの、あれだけ快食快便なら、大腸に問題はないだろう。
どちらかと言えば、心配なのは肺のほうである。
「ぽりーぷ、ないといいね」
「そうだな」
「あったら、にゅういん?」
「一晩だけな」
「おみまい、いこうね」
「父さん喜ぶぞ」
「うん」
何事もなく終わることを祈る。



2016年11月2日(水)

「そろそろ焼けたかな」
オーブンレンジのドアを、なんとなくノックする。
すると、背後から、
「やけましたー」
と、声がした。
「……かぼちゃさん、美味しく焼けましたか?」
「おいしくやけました」
「では、取り出していいですか」
「どうぞー」
くすくす笑い合いながら縦開きのドアを開くと、香ばしい香りが鼻孔をくすぐった。
かぼちゃのマドレーヌ。
ハロウィンは過ぎてしまったが、かぼちゃが余ったので作ってみたのだ。
「あとは、冷まして完成だな」
「うん」
「粗熱を取ったら、ラップにくるむんだっけ」
「たしか……」
焼き菓子なんて滅多に作らないので、ちゃんと覚えていない。
そもそもレシピも適当だし。
「ひとつだけ味見してみようか」
「しようしよう」
焼きたてのマドレーヌを半分に切り、アルミカップから外す。
「いただきます」
「いただきます」
ぱく。
もぐもぐ。
「うん」
美味い。
「おいしくできたね」
「勘で作ったわりには、上出来だな」
「おとうさんとこ、もってこうね」
結局、ごく小さいポリープがひとつ見つかって、一晩入院する羽目になった父親である。
「父さん、今日は、おかゆしか食べられないから」
「そなの?」
「十分で終わるとは言え、手術は手術だからなあ」
「そなんだ……」
「だから、明日、退院したらにしような」
「わかった」
大したことがなくて、よかった。
一晩とは言え暇しているだろうから、あとでiPadでも持って行ってあげよう。



2016年11月3日(木)

「──…………」
ぐう。
腹の虫が鳴る。
「おなか、なったねえ」
「うん」
「ごはん、たべないの?」
「食べない」
「たべないの……」
「今日から一日一食です」
いい加減、ダイエットしなければ。
「正直に言ってほしい」
「うん」
「××も、前より太ったって思うだろ」
「おもうけど……」
即答である。
正直である。
「ここらできっちり減らしておかないと、クリスマスだ正月だでえらいことになるんだ」
「◯◯、きょねんもおなじこといってたきーする」
「たぶん、一昨年も同じこと言ってたと思うぞ」
毎年この時期になるとダイエットを思い立つ。
恒例行事みたいなものだ。
「なんキロやせるの?」
「ひとまず3kgかな」
「そんなに」
「そんなでもないよ」
うにゅほが3kg落とすのは至難の業だが、俺なら一週間で容易に可能である。
無理をすれば、だけれど。
「大丈夫。二、三週間かけて、ゆっくり落としていくから」
「ゆっくり、なのかなあ」
「ゆっくりですよ」
「……むりしないでね」
「しない、しない」
うにゅほに心配をかけるのは、本意ではない。
だから、風邪が完治して体力が戻るのを見計らっていたのだ。
「年末年始は、美味しいものいっぱい食べような」
「うん」
いまから楽しみにしておこう。



2016年11月4日(金)

「──……んが」
上体を起こし、伸びをする。
嫌な夢を見たせいか、寝汗がすごい。
「あ、おきた」
「おはようございます……」
「おはようございます」
ぺこりぺこりと頭を下げ合う。
「いま何時?」
「いま、にじはんだよ」
「……えーと、ちょっと待って、計算するから」
記憶を辿る。
まず、昨夜は、午前三時には床についたはずだ。
いったん七時に起きて、朝食を食べたあと、十時くらいに再び眠くなった。
つまり、
「だいたい八時間くらいか」
「けんこうてき」
「睡眠時間を確保できてるのはいいんだけど、途中で半端に起きるのがなあ」
「ね」
睡眠障害の気がある俺は、長く眠ることができない。
仕事が在宅でなければ、まともに社会生活を送ることは難しかっただろう。
「ま、いいや。腹減ったな」
「あれ?」
うにゅほが小首をかしげる。
「◯◯、いちにちいっしょくって」
「……ああ、そうだった」
昨日からダイエットを始めたのだった。
「あ、いわなかったらよかった……」
「ありがとうございます」
「うー」
「ははは」
笑いながら、うにゅほの頭を撫でる。
「むりしたら、おにぎりつくるからね」
「それは、ずるい」
うにゅほの作ったものを残せるはずがない。
「本当につらくなったら、ちゃんと言うから」
「うん……」
心配してくれるのは嬉しいが、いささか過保護の感もある。
ままならないものだ。



2016年11月5日(土)

「さむ……」
蓬髪を掻きむしりながら上体を起こす。
寒い。
思わず両肩をさすっていると、ベッドにもたれかかっているうにゅほと目が合った。
「──……?」
「◯◯」
「おはようございます……」
「おはよう、ゆき!」
「雪?」
「じゃーん!」
うにゅほが勢いよくカーテンを開く。
「……雪だ」
「うん!」
雪が降っていた。
のみならず、積もっていた。
「うわー……」
冬が来てしまった。
律儀に来なくてもいいのに。
「ふゆだねえ、ふゆだねえ!」
うにゅほのテンションが、いやに高い。
「ほんと、××は冬が好きだなあ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「そかな」
「嫌い?」
「すき!」
「好きなんじゃん」
「すきなの、ふゆだけすきなんじゃないよ」
「春は?」
「すき」
「夏は?」
「すき」
「秋は?」
「すき」
「俺は?」
「すき!」
「──…………」
言わせておいてなんだが、ちょっと照れる。
「……まあ、雪は嫌いじゃないけどさ」
「ゆき、きれい」
「降ってるあいだはな」
「つもっても、きれいだよ」
「道路の雪は?」
「……ちょっと、きたない」
「それがなあ」
「うん……」
べちゃべちゃのドロドロで茶色い雪がなければ、もうすこし冬が好きだったかもしれない。
「……まあ、来てしまったものは仕方ないな」
「うん」
「ちっちゃい雪だるまでも作るか」
「つくろう!」
窓を開けて、雪に触れてみる。
懐かしい冷たさが、手のひらでじんわりと溶けた。
窓際のふたつの雪だるまは、いつまで残っているだろうか。



2016年11月6日(日)

「あー……」
「──…………」
「××、なに読んでるん?」
「キノのたび」
「キノ旅かー」
「うん」
「何巻?」
「にかん」
「二巻かー」
「うん」
「そっかー」
「◯◯、なによんでるの?」
「ドグラ・マグラ」
「どぐらまぐら」
「下巻」
「そなんだ」
「うん」
「ひまなの?」
「読んでて退屈なところに差し掛かってしまって」
「こっちくる?」
「行く」
「ひざまくらする」
「××」
「?」
「発想を逆転するんだ」
「ぎゃくてん?」
「俺が、××に、膝枕をしてあげましょう」
「いいの?」
「いいとも」
ぽんぽんと太ももを叩き、うにゅほを招き入れる。
「──…………」
「どうよ」
「ちょっと、まくらたかい……」
「足太いからなあ」
そういえば、前にもそんな話になった気がする。
「わたし、ひざまくらするほう、すき」
「俺も、されるほうが好きかな」
「りがいのいっちですね」
「難しい言葉を知ってるなあ」
「うへー……」
「では、改めて」
「はい」
うにゅほの膝に、頭を預ける。
「足、しびれないのか?」
「なれてきた」
「正座と同じで、だんだん慣れてくるんだな」
「そうみたい」
「では、三十分でお願いします」
「はい」
いつでも枕になってくれる膝があるのは、この上なく幸福なことだなあ。



2016年11月7日(月)

「雪、解けてきたな」
「うん」
「さすがに根雪にはならないか」
「ざんねん」
言葉に反し、さほど残念そうな様子はない。
その点を尋ねると、
「いそがなくても、ゆき、つもるから」
悟った答えが返ってきた。
「積もるのはいいけど、積もりすぎは勘弁してほしい」
「たくさんふると、きれいだよ」
「たくさん降ると、雪かきがな」
「ゆきかき、たのしい」
「楽しくない……」
「うんどうになるよ」
「それは、まあ」
引きこもりがちな冬場において、体を動かすことのできる機会は貴重である。
問題があるとすれば、貴重と言いつつ、ほぼ毎日だったりすることであろう。
「ゆき、たくさんがいいなあ」
「××……」
うにゅほの両肩を掴み、こちらを向かせる。
「××は、本当の豪雪を知らない」
「そなの?」
「そうなの」
「すごいの?」
「すごい」
「どのくらい?」
「まず、家から出られない」
「──…………」
「車は完全に埋まってるし、道もない」
「すごい……」
「排雪が入るまで、二、三日のあいだ、どこへも行けないことが、十年くらい前にあったのです」
「たのしそう」
「実を言うと、ちょっと楽しかった」
「いいなあ」
各地の被害を考えると、そんなこと言ってられないのだろうけど。
「なんでも適度がいいよ、適度が」
「そだね」
冬を楽しむには、雪が必要だ。
雪かきがつらくない程度の積雪を望む。



2016年11月8日(火)

「……さむ」
組んだ足をさすりながら、思わずそう呟く。
「ストーブつけても、足元が寒いな」
「うん」
「××は大丈夫か?」
パソコンチェアに腰掛けている俺と違い、うにゅほがいるのは座椅子の上だ。
「わたし、ストーブちかいから」
「寒くない?」
「あつい」
「逆に」
「ぎゃくに」
ならよかった。
我慢ならないほど暑くなれば、ファンヒーターから距離を取ればいい。
「◯◯のとこ、さむい?」
「ちょっとな」
「どれー」
うにゅほがこちらへにじり寄り、L字デスクの下にすっぽりと収まった。
「──……ほー」
「寒くない?」
「おちつく」
「落ち着くのか」
「うん」
「なんか、みつどもえのひとはみたいだな」
「◯◯もはいる?」
「ふたりは無理があるだろ」
「こうたい」
「交代か」
交代してみた。
「──……ぐ」
「どう?」
「眺めはいいけど、めっちゃ狭いぞ……」
猫背になって首を横に曲げ、それでギリギリ収まりがつく。
「ながめ?」
「お気になさらず」
「……?」
「とりあえず、出ていいか。首が痛い」
「こうたいしていい?」
「気に入ったのか」
「ひみつきち」
「……ほどほどにな」
「うん」
というわけで、日記を書いているいまも、うにゅほが足元に隠れている。
爪先でつつくと喜ぶので、たまにつついて遊んでいる。



2016年11月9日(水)

昨日に引き続き、うにゅほがデスクの下にすっぽり収まっている。
「うへー……」
「そこ、好きだなあ」
「すき」
「落ち着くの?」
「おちつく」
「暗くない?」
「ちょっとくらい……」
「そうか
チェアを左右に動かし、デスクの下にも明かりが差すよう微調整する。
「ありがと!」
「××がそこにいてくれると、俺も助かるからな」
うにゅほが小首をかしげる。
「たすかるの?」
「なんか、足があったかい」
直接触れていなくとも、熱源が傍にあるだけで違うものだ。
「どれー」
「うひ」
うにゅほの指先が、無遠慮に俺の足を撫で回す。
「あし、つめたいよ」
「多少はな」
「くつしたはかないと、だめだよ」
「それはお互いさま」
「……うへー」
靴下嫌いなふたりである。
「◯◯、あしのばして」
「こうか?」
「うん」
ふに。
うにゅほが俺の爪先に腰掛ける。
「あったかい?」
「あったかい」
「おもかったらいってね」
「大丈夫」
暖かいのはいいのだが、
「──…………」
うにゅほが俺の膝を机代わりにして本を読み始めてしまったので、非常に身じろぎしにくいのだった。
あちらを立てればこちらが立たず。
難しいものである。



2016年11月10日(木)

「××、喫茶店行くけど、行く?」
「いく!」
即答である。
「かまやきスフレ、たべるの?」
「××が食べたいなら」
「◯◯、たべないの?」
「ダイエット中だからなあ」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「たべないのに、いくの?」
「ちょっと集中したいことがあって」
ポメラを掲げてみせる。
今年の誕生日にうにゅほがプレゼントしてくれたデジタルメモだ。
「喫茶店でこれ開くと、集中できるからさ」
「へえー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「ちょっと相手できないと思うから、××も小説とか持ってくといいよ」
「キノもってく」
「何巻?」
「さんかん」
相変わらず、読むの遅いなあ。
片道二十分ほどかけて行きつけの喫茶店へ赴き、ブレンドコーヒーとはちみつ豆乳、フレンチトーストを注文する。
「──…………」
「──……」
コーヒーを啜りながらしばし無言でキーボードを叩いていると、フレンチトーストが届いた。
「◯◯、たべないの?」
「ああ」
「ひとくちも?」
「……ダイエット中だから」
「おいしいよ」
「知ってます」
「あーん」
「──…………」
「あーん」
「……あー」
ぱく。
しっとりとした生地とメープルシロップ、生クリームとが絡み合い、なんとも言えず美味である。
「おいしい?」
「美味しいです……」
「そか」
「でも、もういいから。ひとくちで十分だから」
「はーい」
満足したのか、素直に引き下がる。
そんな一幕を除けば、作業はたいへんに捗った。
喫茶店は、すごい。



2016年11月11日(金)

「◯◯、◯◯!」
「どした」
「きょう、ポッキーのひだって」
「あー、11月11日だもんな」
「うん」
「ポッキーは?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××、母さんと一緒に買い物行ってきたんだろ」
「はい」
「ポッキー買わなかったの?」
「あ」
スーパーのPOPでポッキーの日であることに気づいたはいいものの、買うという発想に至らなかったらしい。
「なんでかわなかったんだろ……」
「そんなこと言われても」
「あ、げんじパイかったよ」
「よくやった」
うにゅほの頭をぐりぐり撫でる。
「牛乳は?」
「ちゃんとあるよ」
「最強タッグじゃないか……」
「うへー」
正直、ポッキーより源氏パイのほうが好きである。
「××、ほら」
「?」
「源氏パイはハート型だが、これを横から見ると──」
「うすいね」
「数字の1に見えないか?」
「!」
うんうんと頷く。
「源氏パイを4枚並べると」
「じゅういちがつ、じゅういちにちだ!」
「というわけで、今日を源氏パイの日と名付けよう」
さく、と源氏パイを噛み砕く。
「ダイエット、いいの?」
「う」
忘れていた。
「……明日から、また頑張ります」
源氏パイ、美味しいです。



2016年11月12日(土)

ダイエット中なので、今日の朝ごはんはトーストが二枚とデザートのプリンだけだった。
「たりる?」
「量は問題ないけど──」
サクッ、と、何も塗っていないトーストに囓りつきながら答える。
「ちょっと、味気ないかもな」
「マーガリンぬる?」
「あれ、油の塊だからなあ……」
「そかー」
食パンは好きだ。
何も塗らずに食べることも多いが、二枚となると口寂しい。
「さすがに味が欲しくなってきた」
「さとうは?」
「砂糖……」
まずもって間違いのない調味料ではあるものの、いささか侘しすぎる感もある。
「しお」
「次は、酢?」
「せうゆ」
「味噌」
「うへー」
「仕方ない、砂糖でも振り掛けるか……」
不味くはなるまい。
「あ!」
重い腰を上げかけたとき、うにゅほが声を上げた。
「プリンは?」
「……プリン?」
「プリン、トーストにぬるの」
「ええ……」
「だめ?」
「──…………」
思案する。
今日のプリンは、オハヨーのなめらかカスタードプリンだ。
卵たっぷり固めのプリンとは異なり、スプーンの裏で塗ることも難しくはない。
「……試してみるか」
「ためしてみよう」
試してみた。
「──うお、なんかフレンチトーストみたいな味するぞ!」
「おいしい?」
「美味しい」
「ひとくち!」
「あーん」
「あー」
プリンをトーストに塗ると、美味しい。
新発見である。



2016年11月13日(日)

「寒いなあ……」
「さむいねえ……」
「いま何度?」
「うと、じゅうきゅーてん、ぜろど」
「寒いなあ……」
「さむいねえ……」
「ストーブつけてくれるか」
「うん」
「半纏着よう」
「きよう」
「靴下は──」
「はこう」
「仕方ない、履こう」
「うん」
「……まだ寒いなあ」
「じゅうきゅーてんぜろど、かわらず」
「ストーブつけたばっかだからな」
「うん」
「二人羽織するか」
「するー」
「はー……」
「ふー」
「あったかいな」
「あったかいねえ……」
「くっつくのが、いちばんあったかい」
「うん」
「左手、繋ぐか」
「みぎては?」
「マウス」
「マウス、ずるい」
「ずるいかなあ……」
「ずるい」
「──…………」
「──……」
「……暑くなってきたな」
「うん……」
「ストーブ、切るか」
「きろう」
「いまからチェアを動かすから、××が爪先で電源を押してくれ」
「はい!」
そんな感じで、日曜日はだらだらと過ぎていくのだった。



2016年11月14日(月)

「あー……」
天井を振り仰ぎながら、溜め息を漏らす。
「暇だ」
「ひまなの?」
「暇じゃない」
「ちがうの?」
「暇だ……」
「どっち?」
「やることあるけど、やる気が起きない」
「……いいの?」
「よくはないけど、根を詰めても仕方ないと思う」
「そだね」
「で、一時間くらい休憩しようかなって」
「うん」
「そしたら、休憩中にやることなくてさ」
「そういういみかー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「ひるねは?」
「昨夜ちゃんと寝たから、あんまり眠くない」
「おさんぽ」
「寒い」
「おでかけ……」
「××、どこか行きたい場所ある?」
「きっさてん」
「遠いんだよなあ……」
行きつけの喫茶店は、車で片道三十分近くかかる。
往復するだけで時間切れだ。
「あそぶ」
「なにして?」
「うと……」
「指相撲でもするか」
「いちじかんも?」
「飽きたら違うことすればいい」
「そだね」
両手で同時に指相撲をしたり、
両腕で同時に腕相撲ができるか試してみたり、
本当に相撲を取ってみたり、
うろ覚えのプロレス技に挑戦したり、
思いつくまま遊ぶうち、気づけば一時間以上が経過していた。
「……ふー」
「あっついねえ……」
襟元をパタパタさせて、服のなかに空気を送り込む。
「楽しかったけど、疲れたな」
「うんどうになった」
「気分転換にもなったよ」
「よかった!」
うにゅほが、うへーと笑う。
その後の作業は、それなりに捗った。



2016年11月15日(火)

ぴー、ががががが。
「──…………」
がっしょん、がっしょん。
「──…………」
が、ががが、が。
「──…………」
しーん。
「──…………」
コピー用紙を片手にプリンタの前で待つこと十分、一向に印刷が始まらない。
「エイさん、ちょうしわるいねえ」
「うん……」
A4なら放っておいてもいいのだが、A3サイズの印刷は手差し給紙が不可欠なのである。
「なんか、いま、めっちゃ時間を無駄にしてる感じがする」
「エイさん、がんばれー……」
うにゅほがプリンタを優しく撫でる。
「頑張らないと新しいプリンタ買うぞー」
「が、がんばれ!」
「××、エイさん好きだなあ」
三年くらい前のCMだと思うのだが。
「エイさん、かわいい」
「ちいサメは?」
「ふつう」
「買ったとき、ぬいぐるみとかくれればよかったのにな」
「ね」
がが、ががががが。
がっしょん、ぴー、がっしょん。
「──…………」
「──……」
ピー!
用紙を1枚だけ縦方向にセットしてください。
「やっとか……」
長かった。
本当に長かった。
「……でも、ここからも長いんだよな」
「なんまいいんさつするの?」
「十二枚」
「たいへん……」
「まあ、仕事だから」
オフィス向けの大型複合機が欲しい今日この頃である。



2016年11月16日(水)

「ぐぬー……」
風呂上がりのストレッチをしながら、唸る。
「どしたの?」
「前から思ってたんだけどさ」
「うん」
「俺、左足の内腿だけ固い」
「そなの?」
「ぜんぜん伸びる気がしない……」
「まいにちやったら、のびるよ」
「××、毎日ちゃんと前屈してるか?」
「う」
うにゅほは前屈限定で体が固い。
他の部分は猫のように柔らかいものだから、余計に際立ってしまう。
「おふろはいったら、やります……」
「よろしい」
部屋の中央に佇立し、両腕で体重を支えながら、徐々に足を開いていく。
時計で言う四時のあたりでいったん停止し、顔を上げた。
「このあたりでもう付け根が痛い」
「みぎあしは?」
「余裕」
「なんでだろうねえ……」
「頑張れば、まだもうすこし行けるけど」
「あんましむり──」
無理しないで。
うにゅほがそう言いかけたあたりで、かかとが滑った。
びき。
「うッ!」
股関節に響く激痛に、思わずぺたりと座り込む。
「◯◯!」
「だ、大丈夫、大丈夫……」
たぶん。
「たてる?」
「立て──は、する」
左足の付け根に違和感はあるものの、日常生活を送るぶんには問題なさそうだ。
「びっくりした……」
「ごめんな」
数日ほどは安静にしていよう。
怪我を予防するストレッチで怪我をしていては世話がない。



2016年11月17日(木)

つん。
「うへ」
つんつん。
「うひひ……」
デスクの下にすっぽり収まったうにゅほを爪先でつつきつつ、反応を楽しむ。
「つんつくつん!」
「おわ」
反撃してきた。
膝小僧がくすぐったい。
しばし応戦していると、
「あれ……」
「どした」
「ズボンのひざんとこ、あなあいてる」
「……マジ?」
足を組んで確認すると、膝のあたりの縫い目がほつれ、そこからすこし破れていた。
愛用のジーンズだけに、ショックが大きい。
「補修するか……」
「なおせるの?」
「たぶん、これくらいなら」
繕い物は久しぶりだが、やってやれないことはない。
ジーンズを脱ぎ、作務衣に穿き替える。
そして、引き出しから裁縫セットを取り出すと、糸通しを使って針に糸を通した。
「まず、仮縫いだ」
「かりぬい」
「最初に閉じておかないと、縫いにくくて仕方ない」
「なるほど……」
ちくちくと破れ目を閉じ、本縫いに入る。
「さっきは並縫いだったけど、今度は返し縫い」
「くるってもどすやつ?」
「そうそう」
並縫いに比べて強度が高く、一直線で見た目も良い。
「──でーきた!」
「おー!」
うにゅほがぱちぱちと拍手する。
「出来は微妙だけど、目立たない位置だし……」
数年ぶりなら、こんなものだろう。
「◯◯、なんでもできるね」
「なんでもはできないぞ」
できることしか、できない。
「××だって、ボタン付けくらいはできるだろ」
「さいきんしてない……」
「取れてないもんな」
「うん」
「取れたら頼もうかな」
「うん!」
力強く頷き、もそもそとデスクの下へ戻っていく。
「──…………」
つん。
「うしし」
楽しそうだから、いいや。



2016年11月18日(金)

「──……んが」
切ったばかりの短髪を撫でつけながら、上体を起こす。
「あ、おきた」
「おはよう……」
「おはようございます」
「なんか、夢を見ていた」
「どんなゆめ?」
「こう、魔法のようなものを使える夢なんだが……」
「ききたい!」
「──…………」
ベッドの上であぐらをかき、先刻まで見ていた夢の内容を思い出す。
「……あんまり面白くないと思うなあ」
「ききたいな」
まあ、いいか。
「まず、ふたつの呪文があってな」
「じゅもん!」
「ひとつは、フラッシュニード」
「かっこいい」
「効果は、青いフタの衣装ケースを片付ける」
「かっこいい……?」
「もうひとつは、フラッシュミート」
「こうかは?」
「オレンジ色のフタの衣装ケースを片付ける」
「……ほかにないの?」
「ない」
「あんましかっこよくなかった」
「ちなみに、さだまさしの声真似をしながら唱えると、いいらしい」
「いいの」
「なにがいいのかは、よくわからないけど」
「おもしろいねえ」
「面白いか?」
「ゆめのはなし、おもしろい」
「ちょっとわかる」
荒唐無稽な夢の話は、起承転結の整った物語とはまた違う面白さがある。
「××は、今日は夢見なかったのか?」
「みた」
「どんな夢?」
「うーと──」
しばし考え込み、
「……わすれた」
夢の記憶なんて、そんなものだ。
一握の砂のように、あっという間に記憶からこぼれ落ちてしまう。
「覚えてたら、今度聞かせてくれな」
「うん」
うにゅほはどんな夢を見るのだろう。
ちょっと興味があるのだった。



2016年11月19日(土)

「──……あー」
頭がぼーっとして、考えがまとまらない。
たぶん、睡眠時間が足りないせいだ。
「◯◯、ねむそう」
「眠くはないんだけど……」
「めーはんびらき」
「マジか」
慌てて目元をこする。
「開いた?」
「あいた」
「よし」
「あ、さがってきた」
「マジか……」
「ねたほういいよ」
「じゃあ、三十分だけ」
「うん」
自分のベッドに潜り込み、アイマスクを額に装着する。
「三十分経ったら、声かけてくれるか」
「はーい」
俺と入れ替わりに座ったパソコンチェアでくるくる回転しながら、うにゅほが頷いた。
それを確認し、アイマスクを下ろす。
「──…………」
夢未満の、想像力の断片。
言語化できないイメージの群れに包まれながら、ゆっくりと意識を沈めていく。
浮上は一瞬。
しょぼしょぼとまばたきをしながら上体を起こし、眼鏡を掛ける。
「おはよー」
「……××、何分経った?」
「うーと」
うにゅほがiPhoneに目を落とす。
「あ、にじゅうきゅうふん」
「ぴったりだな」
「すごい」
三十分間の仮眠を取り続けてきたせいか、専用の体内時計が構築されつつあるのかもしれない。
「すっきりした?」
「多少は」
「そか」
仮眠を取ると、効率が違う。
休養は大切である。



2016年11月20日(日)

「♪~」
パソコンチェアに格納されたフットレストを伸ばし、両足を乗せる。
左手でレバーを引き、ほぼ水平のリクライニング。
「ふー……」
「あ、リクライニングしてる!」
「してます」
「ねごこち、いい?」
「悪くないねえ」
「のりたい」
「……これで横になってると、××、絶対乗りたがるよな」
「だめ?」
「いいけどさあ」
側臥するように体をひねり、僅かなスペースを作る。
「はい、どうぞ」
「うへー……」
その空間に矮躯をねじ込んだうにゅほが、いたずらっ子の笑みを浮かべた。
「あたらしいいす、いいねえ」
「ほんとな」
購入してから三週間経つが、いまのところ不満点は見当たらない。
「ね」
「んー」
「ふとん、もってきていい?」
「布団?」
「ここでねるごっこ」
「あー……」
しばし思案する。
「……この上で寝たら、さすがに腰痛めると思うけど」
「ねないよ」
「寝ないの?」
「ねるごっこ」
なんだそれ。
少々嫌な予感を覚えつつ、承諾する。
十分後、
「──……すう」
うにゅほが、寝た。
「ごっこじゃなくなってるじゃんか……」
腰を痛めては可哀想なので、五分ほど寝顔を堪能し、起こした。
「……う、ねへた?」
「寝てた」
「ねるごっこなのに……」
だから、なんだそれ。
くっついているぶんにはファンヒーターの灯油が減らないので、大歓迎なのだけど。



2016年11月21日(月)

「◯◯、◯◯!」
「んー」
自室で適当に仕事をこなしていると、階下からうにゅほが戻ってきた。
「おかあさんに、おさがりもらった」
「ん?」
「みてー」
ば!
うにゅほが自分のスカートを躊躇なくまくり上げた。
「ちょ!」
一瞬どきりとしたが、本当に一瞬だけだった。
何故なら、
「……それ、タイツ?」
「うん」
視界に入ってきたものが、デニール数を求めるのも馬鹿らしいくらいモコモコの黒タイツだったからだ。
当然、透けていたりはしない。
「随分あったかそうだなあ」
「あったかい」
うへーと笑う。
「おかあさんがね、くつしたいやなら、これはきなさいって」
「あー……」
これならたしかに靴下を履く必要はないわな。
いつの時代の代物なのやら。
「──…………」
ふと、思いついたことがあった。
「××」
「?」
「スカートめくりしていい?」
「めくるの?」
ぺろん。
「いや、俺がめくる」
「いいよ」
やったぜ。
「では、さっそく──」
遠慮がちに、ちらりとめくってみる。
「──…………」
「──……」
無言で見つめ合う。
「もうすこし、こう、反応が……」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「いえ、いいです。ありがとうございます」
「いいの?」
「うん」
理解する。
スカートめくりとは、中身それ自体ではなく、相手の恥ずかしがる顔を楽しむものなのだ。
なるほど、深い。



2016年11月22日(火)

「んー……」
キーボードに指を掛けながら、唸る。
「どしたの?」
デスクの下で読書をしていたうにゅほが、足のあいだから顔を出した。
「いや、日記に書くことないなって」
「そかな」
「そうなの」
「びょういんいった……」
「月に一度の定期受診だから、取り立てて何もなかったし」
薬を出してもらっただけである。
「かえりに、ぎゅうにゅうかったよ」
「買ったな」
「うん」
買っただけである。
「◯◯、しごと、がんばってた」
「頑張りました」
「えらい」
うにゅほが膝を撫でてくれた。
くすぐったい。
「あ、あした、きんろうかんしゃのひだよ」
「勤労感謝の日なのか」
祝日なのは知っていたが、何の日かまでは意識していなかった。
「いつも、おしごと、ありがとうございます」
ぺこり。
「いえいえ、こちらこそありがとうございます」
ぺこり。
「わたし、しごとしてない……」
「家事してるだろ」
「おかね、かせいでない」
「……それ、苦労してる専業主婦のひとに言ったら、怒られそうだな」
「?」
「家事も立派な仕事です」
「そかな」
「そうです」
「そか……」
うにゅほが、照れ笑いを浮かべる。
「××さん、いつもありがとうございます」
ぺこり。
「いえいえ、◯◯さんこそ、ありがとうございます」
ぺこり。
「──って、勤労感謝の日は今日じゃないよ」
「あ」
フライング気味に感謝をし合うふたりなのだった。



2016年11月23日(水)

「──…………」
枕元の眼鏡を半分寝ながら探り当て、もそもそと起床する。
ベッドから下り、数歩。
たった数歩で踵を返し、布団のなかへと逃げ帰った。
「さッぶ!」
死ぬほど寒い。
手の届くところにあったiPhoneで、札幌市近郊の気温を確認する。
「-6℃……」
寒いはずだ。
しばらく布団から出られずにいると、階下からうにゅほが戻ってきた。
「あ、◯◯おきた」
「おはよう……」
「おはよ」
「××、ストーブつけてくれ……」
「はーい」
ぴ。
ファンヒーターが暖機運転を開始する。
「今日めっちゃ寒くない?」
「さむい」
「××は平気そうだけど」
「タイツはいてる」
ぺろん。
「見せなくても──いえ、なんでもないです」
「?」
小首をかしげる。
「あとね、いま、そうじしてたから」
「そっか」
体を動かしていたなら、納得である。
「俺ちょっと寒くてここから動けない……」
「いま、まだくじだよ」
「うん」
「ねててもいいよ」
「……うん」
祝日だし、起きてもすることないしな。
「じゃあ、もうすこし横になってる」
「そか」
「おやすみ……」
「おやすみ」
布団にもぐり、目を閉じる。
睡魔はすぐに訪れた。
あまりの暑さに飛び起きるのは、それから一時間後のことであった。



2016年11月24日(木)

「今日も寒いなあ」
「さむいねえ……」
「ストーブつけるか」
「うん」
一時間後、
「……暑いなあ」
「あつい……」
「ストーブ消すか」
「うん……」
一時間後、
「寒い」
「さむい……」
無限ループである。
「××、最後の手段だ」
半纏を着込み、ぽんぽんと膝を叩く。
「ににんばおりしたい」
「いいぞ」
うにゅほが、俺の膝に、対面で座る。
「──…………」
「うへー」
「こっち向いて座ったら、二人羽織できないと思うけど」
「できるよ」
「……まあ、やるだけやってみるか」
「うん」
うにゅほが俺に抱きつき、半纏の袖に腕を通す。
「できた」
「できたけど……」
マウスを手に取ろうと、右腕を上げる。
「ぐ」
左腕を後ろに回されたうにゅほが、苦しげな声を上げた。
「この体勢、致命的な欠陥があるのでは……」
「あったかい」
「あったかいけども」
いろいろと試行錯誤した結果、左を向けばいいことに気がついた。
「……これはこれで、いいな」
「うん」
いつもの二人羽織より、密着感がある。
「動画でも見るか」
「みるー」
ふたりはなかよし。



2016年11月25日(金)

「──あっつ!」
「あついねえ……」
「ストーブ消そう」
「うん」
今日も今日とて無限ループである。
「──…………」
腕を組み、顎を撫で、しばし思案に暮れる。
「……××」
「はい」
「ストーブを消すとすぐさま寒くなるのは、どうしてだと思う?」
「さむいから……」
「まあ、そうなんだけど」
「?」
「要は、部屋の一部──俺たちの周囲の空気しか暖まってないからじゃないかな」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「つまり、部屋全体が暖かければ、ストーブを消してもしばらく保つ……」
「なるほど」
「そのために必要なものが、実はここにある」
「なに?」
チェアを反転させ、冷蔵庫の隣を指差す。
「あ、せんぷうき!」
「そう」
夏場に仕舞い忘れていた扇風機である。
「これを利用して、暖かい空気を部屋全体に循環させる」
「◯◯、あたまいい」
うにゅほが俺の頭を撫でる。
「ふふふ」
「うへー」
「というわけで、さっそく試してみよう」
「うん!」
ストーブの送風口へ向けて扇風機を設置し、スイッチを入れる。
「あ、くびふりにしたほういい?」
「ナイスアイディア」
より熱気が拡散するはずだ。
準備は整った。
思いついたのがついさっきなので、結果は明日報告いたします。



2016年11月26日(土)

「──…………」
少々の肌寒さを覚え、半纏を羽織る。
「××、いま何度?」
「うーと、にじゅうにーてん、ぜろど」
壁掛け時計を見上げ、時刻を確認する。
「十時半、か」
「じゅうじはんだ」
チェアから腰を上げ、うにゅほに握手を求める。
「××助手、実験は成功だ」
「?」
握手に応じたうにゅほが、小首をかしげた。
「ストーブを切ってから二時間以上ものあいだ、この部屋は暖気を保ったのだ!」
「あ、そか」
「忘れてたろ」
「わすれてません、さー!」
「博士と呼びたまえ」
「はかせ!」
ファンヒーターの熱風を扇風機によって拡散し、部屋全体を暖める。
室温を快適な範囲に保つための工夫が、見事に功を奏したのだった。
「扇風機、片付け忘れててよかったな」
「はい!」
「××助手、ストーブをつけたまえ」
「はい、はかせ!」
ぴ。
「××助手、扇風機もつけたまえ」
「はい、はかせ!」
かち。
「××助手、肩が凝ったので揉んでくれたまえ」
「はい、はかせ!」
もみもみ。
「××助手、膝枕」
「はい、はかせ!」
ごろん。
「──…………」
楽しい。
博士と助手ごっこに飽きたころ、再び部屋が暖まった。
今年の冬は例年より快適に過ごせそうである。



2016年11月27日(日)

「うー……」
デスクに突っ伏しながら、うめき声を漏らす。
暇だった。
実に暇だった。
「××」
「はい」
「××ー」
「はーい」
「××さん」
「はい」
「かまって」
「ひまなの?」
「暇なの」
あればあったで憂鬱なくせに、なければないで暇なのだから、仕事というのは始末に負えない。
「ひまかー」
「暇」
「なにする?」
「××、したいことない?」
「ある」
「それをしよう」
「いいの?」
「いいよ」
この停滞を打開できるのであれば、なんだっていい。
「うへー……」
うにゅほがこちらへにじり寄る。
「ね、あぐらかいて」
「はいはい」
言われるがまま、チェアの上であぐらをかく。
すると、
「ぐるぐるー!」
うにゅほが背もたれの後ろに回り込み、チェアを回転させ始めた。
「おー」
「──えい!」
そして、タイミングよく俺の上に飛び乗る。
「あぶ!」
チェアの上でバランスを保ちながら、うにゅほの矮躯を抱きしめた。
「随分とダイナミックなことをしたかったんだなあ……」
「うへへ……」
わずか数秒のコーヒーカップ。
減衰していく速度を保つため、右足を下ろして床を蹴る。
「まだまだ行くぞー!」
「わ!」
一分ほど回転を続けたところで気持ち悪くなったのはご愛嬌である。



2016年11月28日(月)

「◯◯、むししよみたい」
「ほいよ」
チェアから立ち上がり、本棚の高い段にある蟲師全巻に手を伸ばす。
「いつもすみませんねえ……」
「いえいえ」
無理にひとりで取ろうとして怪我でもされては事である。
十巻ぶんの単行本を両手で受け取ったうにゅほが、ぽつりと呟いた。
「わたし、せーおっきかったらよかったのになあ」
「どのくらい?」
「◯◯くらい」
「でか」
俺の身長は175cmである。
女性だとしたら、かなりの長身だ。
「俺は、いまの××くらいがいいと思うけどな」
「そかなあ」
「ちょいと膝にお乗りなさいな」
「はい」
チェアに腰を下ろし、うにゅほを膝の上に招く。
うにゅほの肩に顎を乗せると、頬と頬とがくっついた。
「いまの身長差だと、頭の位置がだいたい同じになりますね」
「うん」
「同じ身長だと、どうなる?」
「うーと、◯◯、まえみえなくなる……?」
「たぶんな」
「うん……」
「おまけに、体重も増えるはずだから、長時間乗せていられなくなる」
「やだな……」
「だろ」
そもそも、スタート地点からして間違っているのだ。
好きな子に頼られて嫌な気がする男など、そうはおるまい。
「あ、そだ!」
なにを思いついたのか、うにゅほが瞳を輝かせる。
「わたしがせーおっきくなって、◯◯がちいさくなればいいんだ!」
「ええ……」
ろくなことを考えつかない。
「そしたら、わたしが、◯◯ひざにのせる」
「──…………」
「ね」
ちょっとだけ試してみたいと思ってしまったのだった。



2016年11月29日(火)

「──…………」
尿意を感じ、もそもそとベッドから這い出る。
「あ、おきた」
「おはよう……」
「おはようございます」
トイレにて小用を済ませ、再び暖かな布団のなかへ戻っていく。
「ねるの?」
「おやすみ……」
「おやすみなさい」
日照時間が短いせいか、眠くて仕方がなかった。
「……あー」
しばしして再び起床し、半纏を羽織る。
「こんどこそ、おきた?」
「今度こそ起きた」
「おはようございます」
「おはようございます」
「ぐあいわるい?」
「ただただ眠い……」
「◯◯、ふゆ、いつもねむいもんね」
「冬眠かな」
「とうみんかなあ」
「春まで寝たい」
「ずっと?」
「うん」
「たまにおきてほしいな……」
「──…………」
半纏で包み込むようにして、うにゅほを抱き締める。
「わ」
「一緒に冬眠しようぜー」
「する!」
「洞窟がいいかな」
「さむそう」
「ストーブ持っていこう」
「まんが、もってっていい?」
「本棚ごと運び込むぞ」
「うへー……」
「もちろんPCとネット環境も完備で──」
理想を語るごとに、徐々に自分の部屋へと近づいていく。
「……つまり、俺たちは、既に冬眠していたのか」
「あんましそとでないもんね」
「寒いからなあ」
「うん」
できることなら部屋から出ずに冬をやり過ごしたい俺だった。
でも、うにゅほは、雪かきとかしたがるんだろうなあ。



2016年11月30日(水)

今日は、愛犬の命日だった。
「──よっ、と」
手のひらで雪を掘り返すと、質素な墓石が顔を出す。
「◯◯、てーつめたくない?」
「すこし」
うにゅほが俺の手を取る。
「つめたい」
「大したことないよ」
こうして暖めてくれる人がいるのだから。
ポケットからビーフジャーキーの袋を取り出し、ひとかけら供える。
「いぬようのじゃなくて、だいじょぶかな」
「喜んでバクバク食べると思うぞ」
「えんぶんとか……」
「それ、毎年言ってるな」
「そだっけ」
「死んだあとくらい、健康に気を遣わずに好きなもの食べたいよなー」
墓石を撫でながら、そう告げる。
「でも、コロ、のどかわくかも」
「雪があるから大丈夫だろ」
「あ、そか」
「……はは」
ビーフジャーキーの塩辛さに負けて、雪をはぐはぐ食べる愛犬の姿を想像してしまった。
可愛らしい。
だが、ひどくおぼろげだ。
当然だろう。
四年だ。
あれから四年が経った。
思い出す回数も減った。
命日すら、うにゅほに言われて気がついたくらいだ。
「──…………」
人は、悲しみ続けられるようにはできていない。
それが、悲しい。
それが、切ない。
だから──
「……大切なものは、逃がさないようにしないとな」
今度は、俺が、うにゅほの手を取る。
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「わたし、にげないよ?」
「知ってる」
「どこにもいかないよ」
「知ってる」
この手を離すまい。
俺は、そう思った。

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