>> 2016年9月




2016年9月1日(木)

「九月に入ったせいか、今日は涼しいな」
「そだねえ……」
レースカーテンを揺らめかせた涼風が、汗ばんだ額を撫でていく。
「すこしだけ、寂しい気もするけど」
「うん……」
「夏が過ぎて、秋が来たら、すぐに××の誕生日だな」
「うん」
「今年のプレゼント、何にしようかなあ……」
「たのしみ」
「プレッシャーかけるなよー」
「うへー」
「ところで、いま何度?」
「うーと、さんじゅう、にど」
「32℃……」
「さんじゅうにど……」
涼しくなったわけではなく、単に慣れただけだった。
「今年は残暑が厳しいのかな」
「きょねん、こんなにあちかったっけ……」
「あんま覚えてないけど、ここまでではなかった気がするなあ」
「ちきゅうおんだんかだ」
「どーだろ」
局地的な偏差で地球規模の判断を下すのは、いささか軽率な気もする。
「エアコンね、みんなのへやにつけるって」
「随分な出費だなあ」
「でも、ちきゅうおんだんかだから」
「なら仕方ないな」
「うん」
ともあれ、自腹を切らずに済みそうでよかった。
エアコンの価格なんて馬鹿にならないからなあ。
工事やら何やら面倒事はあるが、背に腹はかえられない。
来年は、エアコンのある夏を謳歌しようではないか。



2016年9月2日(金)

カリ。
綿棒で耳掃除をしていたところ、耳の奥で異音が鳴った。
カリ、カリ。
硬い耳垢だろうか。
ひとしきり掃除をして耳の穴から綿棒を抜き取ると、
「血だ」
綿棒の先が、ちょっぴり赤く染まっていた。
「ちー!?」
うにゅほの背筋がピンと伸びる。
「ほら、これ」
「ちーだ……」
「耳の穴のどっかが傷ついたのかな」
「オロナイン、オロナイン」
「待て」
うにゅほの肩を掴んで止める。
「……耳の穴にオロナイン?」
「うん」
「どうやって塗るんだ」
「こゆびに、ぺちょってして……」
「奥のほうだったら?」
うにゅほが小指を立ててみせる。
「わたしのゆび、ほそい」
「俺の指よりは細いけどさあ……」
「どうしたらいいの……」
「どうもしなくていいと思うんだけど」
「だって、ちー」
「ちょびっとだろ」
「でも、ちー……」
耳から血を出したことが心配で仕方ないらしい。
「じゃあ、こうしよう」
引き出しからオロナインを取り出し、ほんのすこしだけ綿棒の先に塗る。
「これでいいだろ」
「あー」
うんうんと頷く。
「はい」
そして、床に正座し、ぽんぽんと自分の膝を叩く。
塗ってくれるらしい。
「んじゃ、失礼して」
オロナインって、耳の穴につけても大丈夫なのかなあ。
そのことだけが微妙に心配な俺だった。



2016年9月3日(土)

最近、セイコーマートでしか売っていない大きなプリンにハマっている。
「××、あーん」
「あー」
デザートスプーンを差し出すと、うにゅほがぱくりと食いついた。
「おいひいねえ……」
「こんだけでかいと、大味になりそうなもんだけどなあ」
ぱく。
卵の味をしっかりと残した、とろけるような、なめらかな生地。
普通サイズで売っていてもトップクラスの味である。
「でもなあ……」
「?」
「カラメルソースが苦いんだよな、これ」
「あー」
プリンの容量が多いから、当然の権利のようにカラメルソースも多い。
それがひときわ苦いのだから、たまらない。
「そもそもの話をするとだな」
「うん」
「プリンにカラメルソースって、いるか?」
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「かんがえたことなかった」
「考えてみよう」
「うん」
「──…………」
「──……」
「やっぱ、いらないんじゃないかな」
「きいろいとこのがおいしい」
「たぶん、飽きないように味を変化させてるんだろうけどさあ」
「あー」
「だったら、カラメルだけ別でつけとけばいいのに」
「ね」
「特に、サラサラのカラメルソースの場合は──」
ここから数分ほどカラメルソースに対する愚痴が続くが、割愛する。
うんうんと俺の意見に真面目に聞き入ってくれるうにゅほの姿が印象的だった。
「──とにかくだ」
「うん」
「プリンは、美味い」
「うまい」
最終的には、そこに行き着くのだった。



2016年9月4日(日)

「今日は涼しいなあ」
「そだねえ……」
自室を通り抜ける風に、肌寒さすら覚える。
「今度こそ、秋が来たかな」
「そうかも」
「いま何度?」
「うーと、にじゅう、ろくど」
「26℃」
「うん」
本当に涼しかった。
「ことしのちきゅうおんだんか、おわり?」
「地球温暖化って、そういうのじゃないから」
「……?」
「説明しようか?」
「いい……」
うにゅほがふるふると首を振る。
賢明である。
「ところで××さん」
「はい」
「ちょっと肌寒いから、こっちへ来んかね」
ぽんぽんと膝を叩いてみせる。
「んしょ」
俺の膝の上で、ちいさなおしりが形を変える。
「うへー……」
「あったかいな」
「あったかいねえ」
「暑いのと寒いの、どっちが好き?」
「さむいの」
「そっか」
なんとなくわかるので、理由は尋ねない。
「雪かきがなければ、冬も好きなんだけどなあ」
「ゆきかき、すき」
「へんなやつ」
ぷにぷにとうにゅほの頬をつつく。
「へんじゃないよ」
「そうかあ?」
「ゆきかき、たのしい」
「へんなやつ」
「へんじゃないよ」
以下、無限ループ。
雪かきが楽しいとは、得な性分だよなあ。



2016年9月5日(月)

「──…………」
のそりと上体を起こし、枕元に置いてあった眼鏡を掛ける。
午後四時。
いささか昼寝が過ぎたかもしれない。
「あ、おきた」
「おはよう……」
「おはよ」
「なんか、イヤーな夢を見てた気がする」
「どんなゆめ?」
「あんまり覚えてないんだけど……」
腕を組み、天井を仰ぐ。
「オオスズメバチが……」
「すずめばち」
「なんか、こう」
「うん」
「鼻の中に潜り込もうとしてくる、みたいな……」
「!」
そう告げた瞬間、うにゅほが目を伏せた。
「どした」
「──…………」
もに。
ほっぺたを両手で優しく引っ張ると、観念したようにうにゅほが口を開いた。
「……◯◯がねへるとき、ね」
「うん」
「いはずらしはの……」
「いたずら」
「うん……」
「どんな?」
「はなのあはまをね、つんつんって」
「貴様のせいかー!」
「ほめんなはい!」
「いや、いいけど」
「……いいの?」
ほっぺたから手を離す。
「鼻の穴にボールペンでも突っ込んだなら別だけど、それたぶん夢と関係ないし」
「そかな……」
「それくらいのいたずらなら、俺も××にやってるし」
「やってるの?」
「うん」
口のなかに指を突っ込んでみたりとか。
「おあいこだ」
「そうだな」
そうかなあ。
まあ、いいけど。
うにゅほになら、むしろいたずらされたい俺だった。



2016年9月6日(火)

「うーん……」
くるくる、くるり。
座面であぐらをかいたまま、パソコンチェアを回転させる。
「あ、あそんでる」
「遊んでるわけじゃないんだけど……」
「ちがうの?」
「違うよ」
チェアから立ち上がり、うにゅほの手を引く。
「ちょっと、ここ座ってみ」
「すわるの?」
「ああ」
うにゅほがチェアに腰掛ける。
「んで、足を上げる」
「……?」
うにゅほが膝を抱えると、パソコンチェアが右に回転し始めた。
「あ、まわる、まわる」
半回転ほどして、止まる。
「すごいねえ……」
「すごいかどうかは知らんけど、この椅子、勝手に回るんだよ」
「すごい」
「すごいのか」
「うん」
「そうか……」
すごいらしい。
「どっかねじれてるのかもしれない」
「ねじれ?」
「輪ゴムとか、ねじったら元に戻ろうとするだろ」
「あー」
「んで、回転させたら直るかと思って」
チェアの背もたれを掴み、うにゅほごと回転させる。
「うあー」
くるくる、くるくる。
「あはは、まわるー」
十回転ほどさせて、目を回さないうちに止める。
「もっと」
「酔うぞ」
「もすこし」
「もうすこしだけな」
椅子が勝手に回る謎は解けなかったが、うにゅほが楽しそうだったのでよしとする。



2016年9月7日(水)

「おらおらー!」
「あはは、まわる、まわる、めーまわる」
くるくる、くるくる。
「逆回転!」
「わ、わ、まわるー!」
くるくる、ぴた。
「はい、おしまい」
「おわり?」
「終わり」
「えー」
「ちょっと立ってみ」
「うん」
うにゅほがチェアから腰を上げる。
「あ──」
ふらり、と。
よろめいたうにゅほを抱き留めて、諭す。
「座ってると気づかないけど、けっこう目が回ってるんだよ」
「そか……」
「やり過ぎると、酔うしな」
「ようかなあ」
「酔うぞ」
「そうかなあ」
信じていない、というか、ただ単にまだ回り足りないだけだろう。
「ぎゃくかいてんしたら、なおる?」
「治らない」
「なおらないかなあ」
「三半規管って、そういうのじゃないから」
「そうかなあ」
「……そんなにぐるぐるしたい?」
「したい」
「仕方ない……」
「わ」
うにゅほを軽く抱き上げて、パソコンチェアに腰掛ける。
「一緒に苦しみを共有しよう」
「やた!」
というわけで、ふたりで飽きるほど回転してみた。
「──…………」
「……わかった?」
「おー……」
ふらふら。
「しばらく立っちゃ駄目だぞ、転ぶから」
「うん……」
「気持ち悪くない?」
「くらくらするう」
「大丈夫?」
「だいじょぶ」
なにやってんだかと思わないでもないが、これはこれで楽しいから困る。



2016年9月8日(木)

「あー……」
くるくる、くるくる。
チェアは回る。
「あ、まわってる!」
「回ってます」
「ずるい」
「ずるくないです」
くるくる、くるくる。
「わたしもまわっていい?」
「はいはい」
回転を止め、自分の膝をぽんぽんと叩く。
「うへー」
うにゅほを膝に乗せ、今度は逆回転。
「ぐるー、ぐるー」
気分はコーヒーカップである。
「◯◯、かんがえごとしてたの?」
「ああ」
「なにかんがえてたの?」
「そうだなあ……」
くるくる、くるくる。
「なにから考えようか、考えてた」
「……?」
「最近、やることが多すぎて、渋滞を起こしててなあ」
「うん」
「んで、なにから手をつけたもんやらと」
「ふうん……」
「……なんか、のび太が似たようなこと言ってた気がする」
「ドラえもん?」
「そう」
「なんて?」
「なにから手をつけようか考えてるうちに眠くなる、とかなんとか」
「おんなじだ」
「同じじゃまずいよなあ……」
くるくる、ぴた。
「……なんか、酔ってきた」
「だいじょぶ?」
「回りすぎた……」
膝の上のうにゅほを抱き締めながら、めまいが過ぎるのを待つ。
考えごとは捗るが、長くはもたないようである。



2016年9月9日(金)

「いへへ……」
夕飯のカレーを食べていたら、ほっぺたの内側を噛んでしまった。
舌先でなぞると、薄く血の味がする。
思ったより深手らしい。
「だいじょぶ……?」
「らいじょーぶ、だいじょーぶ」
「オロナイン、ぬる?」
「オロナインはそこまで万能じゃないぞ……」
「そか……」
心配してくれるのは嬉しいが、しすぎの感は否めない。
「こうないえんなるかも……」
「なるかもなあ」
「こうないえん、いたいよ」
「知ってるよ」
「こうないえんは、ビタミンびーつー」
「よく覚えてたなあ」
「うへー」
「まあ、いまはサプリメント切らしてるんだけど」
「かってこないと」
「……口内炎になってからでよくない?」
「なってからだと、いたいよ」
「そうだけど……」
「かってこよ」
「……そうだな、そうするか」
「うん!」
押し負けた。
「あ、替えの歯ブラシ買っとかないと」
「くたくただもんね」
「涼しくなってきたけど、ガリガリ君補充しとく?」
「うん」
「……そうだ、目薬もなくなりそうだったんだ」
ドラッグストアへ行くとなった途端、買おう買おうと思って忘れていた品々が次々と浮かんでくる。
「用事ができて、よかったかもしれないなあ」
「ビタミンびーつー」
「××も飲んどくか?」
「いい」
きっぱり。
錠剤飲むの苦手だからなあ、うにゅほ。



2016年9月10日(土)

「あー、あー、あー……」
首筋に指を這わせながら、喉の調子を確かめる。
「どう?」
「ちょっとかすれてる……」
「やっぱりか」
「のど、いたい?」
「すこし」
「かぜかなあ」
「ひき始めかもしれない」
「かぜは、ひきはじめがかんじん」
うにゅほにぐいぐいと背中を押され、ベッドに戻る。
「はい、たんぜん」
「はい」
「はい、もうふ」
「はい」
「はい、ますく」
「はい」
「つけたげるね」
「はい」
「めがね、まくらもとおくね」
「はい」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
目蓋を閉じる。
なんでもしてくれるなあ。
「──…………」
どこまでしてくれるんだろう。
「××」
「?」
「寝るまで手を握っててくれるか」
「うん」
ぎゅ。
左手があたたかいものに包まれる。
「××」
「はい」
「子守唄、歌って」
「こもりうた……」
「子守唄」
「うと……」
あ、困ってる。
「こもりうた、あんまししらない……」
「××の好きな歌でいいよ」
「すきなうた……」
「──…………」
「……うたわないと、だめ?」
「駄目」
「う、わかった……」
緊張のためか、左手を握る力が強くなる。
そして、ささやくような声で、
「……あ、る、こー、あ、る、こー、わたしは、げんきー……」
トトロのオープニングテーマを歌い始めた。
「あるくの、だいすきー……」
「──…………」
「どんどん、い、こ、おー……」
ほんと、なんでもしてくれるなあ。
満たされた気持ちになりながら、しばらく子守唄に耳を澄ませていた。



2016年9月11日(日)

所用があり、PCの前から離れることができなかった。
「◯◯、◯◯……」
「ん?」
「ごよう、ない?」
「用?」
「うん」
「えーと、じゃあ、冷蔵庫からペプシ取ってくれるか」
「はい」
いそいそ。
うにゅほがタンブラーにペプシを注ぎ、手渡してくれる。
「ありがとな」
「うん」
しばしして、
「◯◯、◯◯……」
「どした」
「ごよう、ない?」
「んー」
「ない?」
「すこし暑いから、窓開けてくれる?」
「はい」
いそいそ。
うにゅほが、ふたつある窓を開いてくれる。
「ありがとな」
「うん」
しばしして、
「◯◯、◯◯……」
「んー」
「ごよう、ない?」
「──…………」
もしかして。
「……××、構ってほしいのか?」
「かまってほしい」
やっぱり。
「言えばいいのに……」
「だって」
ぽんぽんと膝を叩いてみせる。
「ほら」
「……うへー」
うにゅほが俺の膝に、対面で座る。
「こっち向いて座るのか」
「うん」
ぎゅー。
正面から強めに抱き締められる。
人恋しかったのかもしれない。
ぽんぽんと背中を叩いてやったあと、ディスプレイに向き直る。
なんだか子守りをしている気分だった。



2016年9月12日(月)

「──はーち!」
「……ふ、う……!」
「きゅーう!」
「──…………」
「……きゅー、う!」
「ふはッ、ふう、ふう、も、むりー……」
「記録、八回です」
うにゅほが大の字になって寝転がる。
「ほんと腹筋ないなあ」
「うひ」
うにゅほのおなかは、ほっそりぷにぷにである。
筋肉も脂肪も薄いため、くびれがあまりないのも特徴だ。
「むにむに」
「ひひ、やめへー!」
「わかった」
手を止める。
「──…………」
「──……」
しばし沈黙。
「……むにむに」
「うひ」
「ぷにぷにぷにぷに!」
「ひゃ、うし、ししし、ひー!」
俺の両手から逃れるように、うにゅほが膝を抱え込む。
「横っ腹がガラ空きだぞ!」
「くふ、ひふふ、ひー! や、やめ──」
「わかった」
手を止める。
「──…………」
「──……」
なにかを期待するような目で、うにゅほがこちらを見上げる。
「こちょこちょこちょこちょ!」
「いひゃ、うふ、いししししし!」
しばらくくすぐり倒したあと、
「つぎ、わたしのばん」
「え……」
思わず後じさる。
「かくご!」
「ちょま、ひゃ、あひゃははははははは!」
本日も平和な一日でした。



2016年9月13日(火)

近所の本屋でみなみけ15巻を購入し、帰宅した。
「15巻、持ってなかったよな」
「たぶん……」
日常ものの漫画は、どこまで読んだかを思い出しにくい。
「新刊コーナーにあったから、まずもって間違いないとは思うけど……」
それでもたまに裏切られるのだから、油断ならない。
部屋着の甚平に着替えながら、うにゅほに尋ねる。
「××、何巻まであった?」
「うと──」
うにゅほが本棚の下のほうを覗き込み、
「あ!」
と、声を上げた。
「……もしかして、15巻持ってた?」
「ううん」
ふるふると首を振る。
「じゅうごかんは、なかった」
「なかったのか」
「うん」
こくりと頷く。
「でも、じゅうさんかんと、じゅうよんかんが、にさつずつあった……」
「ええ……」
確認する。
「……本当だ」
我ながら間抜けである。
「これ、どうしよう」
「売るのも面倒だし、捨てるのもなんだし、このままでいいんじゃないか」
「そだね」
「……あと、これを教訓として、15巻は二冊買わないようにしよう」
「そだね……」
どの漫画を何巻まで所持しているか、ちゃんとまとめておいたほうがいいかもしれない。



2016年9月14日(水)

「んー……」
耳が痛い。
慣用句ではなく、実際に痛い。
「××、右の耳たぶ触ってみて」
「みみたぶ?」
「優しくな」
「うん」
恐る恐る、うにゅほが俺の耳たぶに触れる。
ふに。
「あつい……?」
「熱持ってるよな」
「あと、なんかかたい」
「あて」
「あ、ごめんなさい」
「優しく」
「はい……」
ふにふに。
「なーんか、内側にしこりがあるんだよなあ」
「できもの?」
「たまーにできて、いつの間にか治る」
「そなんだ」
ふにふに。
「××」
「?」
「耳たぶの感触が気に入ったなら、左のほうにしてくれるか」
「はい」
うにゅほが左耳に触れる。
ふにふに。
「◯◯、ふくみみ?」
「福耳ではない」
「ではないの」
「福耳の人は、もっと耳たぶでかいと思うぞ」
「どれくらい?」
「いや、厳密な定義はないと思うけど……」
「わたし、◯◯のみみ、ふくあるとおもう」
ふにふに。
「……××が言うなら、あるかもな」
「うん」
うへーと満足げに笑いながら、左の耳たぶを揉み続ける。
「気に入ったのか」
「うん」
まあ、いいけど。
耳たぶ触られるの、ちょっと気持ちいいし。



2016年9月15日(木)

「◯◯、いすかしてほしい」
「椅子?」
「ほんとるの」
「あー」
壁一面、床から天井まですべて本棚だから、踏み台がなければ届かない場所も出てくる。
「どれ読むんだ?」
「ねぎま」
よりにもよって、いちばん上の棚である。
「いいよ、俺が取る。××は椅子支えててくれ」
そう言って腰を上げると、うにゅほがふるふると首を横に振った。
「とどくよ」
「届くかなあ……」
「とどくよ」
「んじゃ、俺が支えるから」
「うん」
うにゅほが自信満々にチェアの上に登る。
「んしょ」
「──…………」
「……んー、しょ!」
「××」
「んぃー!」
「諦めよう」
「はい……」
指こそ棚に掛かるのだが、奥の単行本にまでは、どうしても届かないようだった。
「ほら」
「わ」
うにゅほを肩に担ぎ、優しく床に下ろす。
「おー……」
「俺が取るから、椅子を支えて──」
「んしょ」
うにゅほがチェアの上に登る。
「……?」
「ん」
「──…………」
「もっかい」
「担げと」
「うん」
「はいはい」
担ぐ。
「うへー……」
満足そうである。
「──…………」
ぺし。
「わ」
ぺし。
「たたかないでー」
「鼓みたいだと思って……」
「もー」
うにゅほを肩に担いだまま、しばらくじゃれていた。



2016年9月16日(金)

「じゅーさん、じゅーし、じゅーご──」
のんびりとしたうにゅほのカウントに合わせて、ヒンズースクワットを行う。
「にじゅくー、さんじゅー、さんじゅいち──」
「ぐ……」
タイミングを自分で調整できないためか、これでいて案外きつい。
「さんじゅごー、さんじゅろーく、さんじゅなーな──」
うにゅほがチェアから立ち上がり、
「よんじゅいーち、よんじゅにー、よんじゅさーん──」
「……?」
俺の背後ににじり寄る。
そして、
「──ごじゅー!」
ぴょん。
「わ、とと!」
うにゅほが、俺の背中に飛び乗った。
「こら、危ないだろ」
「ごめんなさい……」
予測していても数歩ばかりたたらを踏んでしまったのだから、完全な不意打ちならどうなっていたことか。
「おんぶくらいしてあげるから、いきなりはやめましょう」
「はい……」
「んで、このままスクワットすればいいのか?」
「うん」
「カウント頼む」
「はい」
うにゅほをちゃんと背負い直し、スクワットを再開する。
「ごじゅいーち、ごじゅにー、ごじゅさーん──」
「うぐ、ぬ、ぬぐ……」
重い。
いくら痩せっぽちとは言え、40kg前後はあるのだ。
「ごじゅろーく……」
「──…………」
「ごじゅろく?」
「……も、駄目……」
うにゅほを背中に乗せたまま、慎重にその場に崩折れる。
「うでたて、する?」
「もっと無理」
それが可能になる頃には、俺も立派なマッスルボディであろう。



2016年9月17日(土)

首の後ろにできものができた。
「──…………」
「あ、またさわってる!」
バレた。
「つい……」
「そんなことしてたら、いつまでたってもなおりませんよ」
「すみません」
たしかに、うにゅほの言うとおりなのだ。
指先から雑菌が入り込み、更に炎症が悪化することは珍しくない。
だが、どうしても気になってしまうのだ。
「オロナイン、ぬりなおしますね」
「はい」
「あと、さびおもはりますね」
「お願いします」
絆創膏の上からなら、多少触れても問題あるまい。
「──…………」
じー。
うにゅほが俺の顔を覗き込む。
「どした?」
「さびおはっても、さわったらだめだよ」
「まさか、そんな」
「──…………」
「……はい」
完璧に心を読まれてしまった。
俺がわかりやすいのか、うにゅほが凄いのか。
「はい、おしまい」
満足げな表情で、うにゅほが包装紙をゴミ箱に捨てる。
「きれいにはれました」
「ありがとな」
「うん」
首の後ろなんて、ひとりでは綺麗になんて貼れないからなあ。
「すぐなおるから、がまんしてね」
「オロナイン塗ったから?」
「うん」
うにゅほのオロナインに対する信頼度は、絶大である。
なんでか知らないけど。



2016年9月18日(日)

近所の神社で例大祭が執り行われていた。
俗に言う縁日である。
神社の境内に屋台が並ぶ、年に一度のお祭りだ。
「行くか?」
と尋ねると、
「いく!」
と諸手を挙げられたので、行くことにした。
とは言え、
「××、大丈夫か……?」
「……ぐへー……」
あまりの賑わいに、うにゅほがすぐに人酔いしてしまったのだけれど。
「ほら、わたあめ」
「わたあめ、たべる……」
なんとか確保したドラえもんの袋を車内で開き、ふわふわのわたあめをを取り出す。
ちなみに、ひとつ500円だった。
なんか値上がりしてない?
「わあー……」
うにゅほが瞳を輝かせる。
「わたあめ、久し振りだな」
「うん」
「手で千切って食べるんだぞ」
「?」
小首をかしげる。
「このままたべたら、だめなの?」
「わたあめは、とても湿気に弱い食べものです」
「はい」
「人間の呼気に含まれる水分でも、シナシナになって固まっちゃうんだよ」
「そなんだ……」
「だから、美味しく食べたいなら、小分けにして食べましょう」
「て、ふいたほうがいい?」
「そのほうがいいな」
ハンカチで手を拭い、わたあめに向き直る。
「いただきます」
「はい、どうぞ」
うにゅほが、わたあめをひとつまみ、そっと口に入れる。
「あまい……」
「美味しい?」
「うん!」
「俺も食べようかな」
「◯◯、あーん」
「あー」
ひとくちめは、甘くて、ふわふわな、子供の夢のような味。
「……美味い」
「でしょ」
うにゅほが満足げに笑う。
わたあめの味にはすぐに飽きてしまったけれど、その笑顔に飽きることはないのだろう。



2016年9月19日(月)

甚平で過ごすには厳しい季節になってきたため、作務衣を出すことにした。
甚平と作務衣の違いは一目瞭然である。
半袖半ズボンのものが、甚平。
長袖長ズボンのものが、作務衣。
「あ、さむえきてる」
「いい加減、寒くなってきたからな」
「さむえから?」
「上手いこと言いやがって!」
うにゅほのほっぺたを引っ張って伸ばす。
「うにー……」
離す。
「ぷあ」
引っ張る。
「うにー……」
離す。
「ぷあ」
まったく抵抗しない。
楽しくなってしばらく繰り返していると、うにゅほがすんすんと鼻を鳴らした。
「◯◯、くさい」
「──……!」
軽くショックを受ける。
「風呂から上がったばっかなのに……」
「ちがくて」
ふるふると首を横に振る。
「さむえ、たんすくさい」
「……あー」
たしかに、いささか樟脳臭い。
「くさいー」
うにゅほが俺に抱きつき、鼻先を共襟の隙間に埋める。
すんすん。
ふがふが。
「◯◯は、せっけんのにおいする」
「せっけん派だからな」
「いいにおい」
「どっちだよ」
「まざったにおい」
「臭そうだな……」
「いいにおくさい」
「なんだそれ」
「うへー……」
すんすん。
ふがふが。
うにゅほはにおいフェチである。
しょーがねーなと苦笑しながら、しばらく黙って嗅がれていた。



2016年9月20日(火)

「──お」
うにゅほの作る野菜ジュースは絶品だが、今日のは特に美味だった。
「××、作り方変えた?」
「わかる?」
「なんか、すごい美味しい」
「うーとね──」
「待った」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「当てる」
「あたるかなあ」
「当ててみせる」
野菜ジュースをひとくち含み、ワインのテイスティングのように口内で転がしてみる。
「うーん……」
「わかる?」
「ニンジンと青汁、りんごとオレンジは──」
「はいってるよ」
「でも、前からだもんな」
「うん」
「キウイもだっけ」
「うん」
「……ぶどう?」
「ぶどうはね、はいってない」
「巨峰……」
「きょほう?」
「大きいぶどう」
「ぶどう、はいってない……」
「なんだろう、ぶどう系の風味がする、ような、気が、しないでもないんだけど……」
「んー」
うにゅほが微妙な顔をする。
「……にてるかなあ」
「じゃあ──」
当てずっぽうで粘ってみたが、一向に答えが出ない。
「……降参です」
「ざんねん」
「答えは?」
「うーとね、ぷるーん」
「プルーン……」
わからないのも当然だ。
「俺、プルーンそのまま食べたことないもんなあ……」
「おいしいよ」
「明日、野菜ジュース作るとき、味見しようかな」
「うん」
果物はあまり好きではないが、プルーンの味に興味が湧いた。
ぶどうに似ているのだろうか。



2016年9月21日(水)

キッチンへ赴くと、うにゅほが野菜ジュースを作っていた。
「あ、◯◯」
「プルーン、ある?」
「あるよ」
うにゅほが指差した先に、巨大なぶどうの実のような紫色の果実が鎮座していた。
「あじみ、する?」
「うん」
うにゅほがプルーンを手に取り、包丁で手際よく四等分にする。
「はい」
「おー……」
カットされたプルーンをつまみ上げ、観察する。
「……なんか、ナスの古漬けみたい」
「そかな」
「この、微妙な茶色が……」
「おいしいよ」
あまり美味しそうには見えない。
しかし、味見したいと言ったのは俺だし、気になることも確かだ。
果実の内側に吸い付くように、プルーンを口へと運ぶ。
「──…………」
甘い。
さほど酸っぱくはない。
見た目から予想していたような、ぶどうに似た風味は感じられない。
「おいしい?」
「んー……」
しばらく味わったあと、飲み下す。
「……普通?」
「ふつうかー」
「なんかに似てるのかなって思ってたけど、なんにも似てないな」
「プルーンあじ」
「うん、プルーン味」
うにゅほがプルーンの皮を剥き、ミキサーに入れる。
「おいしいジュース、つくるからね」
「期待してる」
「うん」
うにゅほの作る野菜ジュースは、やはり絶品である。



2016年9月22日(木)

「──…………」
クレジットカードの利用明細を開き、絶句する。
「マジで……」
リフォームをして本棚が増えたのをいいことに、Amazonでポチりまくったことは確かだ。
だが、正直、ここまで行くとは思っていなかった。
「◯◯、めいさいみして」
「……見せなきゃ駄目?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「みないと、かけいぼつけれない」
「……そうだな。そうだよな」
うにゅほの左手のiPhoneには、既に、家計簿アプリが表示されている。
あとは金額の入力を待つばかりだ。
「──…………」
そっ、と。
開いたままの利用明細を、うにゅほの眼前に差し出した。
「──ろ!」
うにゅほが目をまるくする。
「ろくまん、さんぜん、ごひゃくごじゅうななえん……」
「はい……」
「すごい……」
「使いすぎてしまいました」
「……はー」
とす。
うにゅほがチェアに腰を下ろす。
「ほん、かいすぎたねえ……」
「うん……」
「たくさんかったもんねえ」
「塵も積もれば山となる、ってやつだな……」
「せっせいしないと」
「はい……」
読者諸兄も、クレジットカードの使い過ぎにはご注意を。



2016年9月23日(金)

「──けほ、ごほッ!」
喉の痛みを追い出すかのように、空咳を繰り返す。
風邪だろうか。
そうかもしれない。
「ゔー……」
「はい、ますく」
「むぐ」
〈だーれだ!〉を思わせる体勢で、うにゅほが俺にサージカルマスクをつけてくれる。
背後からだと言うのに器用なものだ。
「ひきはじめが、かんじん」
まったくその通りである。
「あし、つめたくない?」
「冷たい……」
「くつしたはかないと、だめだよ」
そう言って、靴下を履かせてくれる。
「さむけ、しない?」
「する……」
「まっててね」
そう言って、半纏を出してくれる。
至れり尽くせりである。
「かぜぐすり、のんだ?」
「まだ……」
「うーろんちゃ、いる?」
「いる……」
「さむけ、まだする?」
「する……」
「あったかく、する?」
「する……」
「わかった」
パソコンチェアを反転させると、うにゅほが俺の膝に腰を下ろした。
「ぎゅーして」
「ぎゅー」
「あったかい?」
「あったかい……」
本当に、至れり尽くせりである。
いつまでもうにゅほに甘えていたい気持ちもあるが、心配をかけてはいけない。
ひき始めのうちに、さっさと治してしまおう。



2016年9月24日(土)

図書館から帰宅し、自室の扉を開けたときのことだ。
「──……?」
一瞬、何が起こったのかわからなかった。
「さむい!」
うにゅほが自分の両腕をさする。
そう、寒いのだ。
外は汗ばむほどの陽気であるにも関わらず、室内だけが冬のように寒い。
数秒ほど考え込んで、ようやく思い至る。
「──あ、エアコンか!」
「うん」
「試運転してたのかな」
「そかも」
風邪気味であるにも関わらず外出していたのは、そもそも、エアコンの据付工事の邪魔にならないようにという配慮からである。
忘れていたわけではないのだが、意識にのぼっていなかった。
「わ」
ベッドの枕側に据え付けられた室内機を見て、うにゅほが感嘆の声を上げる。
「おっきいねえ……」
「圧迫感あるなあ」
「きりがみね、だって」
「リビングのエアコンと同じやつだ」
ベッドの上に置いてあった取扱説明書をパラパラとめくる。
「冷房、暖房、除湿、送風」
「だんぼう!」
「暖房機能はあるけど、真冬は使わないほうがいいって聞いたな」
「そなんだ」
「でも、××はストーブのほうがいいだろ」
「……うへー」
うにゅほが肯定の笑みをこぼす。
手についた灯油の匂い、大好きだもんなあ。
「──…………」
今年もふがふが嗅がれるのだろうな、などと思っていると、自然と笑みが浮かんできた。
「秋まではエアコンで、冬になったらストーブかな」
「そうしましょう」
「冬、楽しみだ?」
「うん」
うにゅほが楽しみにしているのなら、俺も楽しみにしておこう。
……豪雪でなければいいなあ。



2016年9月25日(日)

残暑が死ぬほど厳しかったので、さっそくエアコンを活用してみることにした。
「はー……」
「すずしいねえ……」
エアコンの真下に位置取り、吹き出す風を一身に浴びる。
「扇風機も悪くないけど、やっぱ質が違うな」
「せんぷうきは、すずしい」
「エアコンは?」
「つめたい」
「わかる」
どちらも一長一短あるが、今年のような猛暑にはエアコンのほうが適しているだろう。
「九月も終わるし、冷房つけるのは今年最後になるかもしれないなあ」
「だんぼうは?」
「昨日も話したけど、雪が降るまでは使ってみようかと」
「ストーブ、つかうよね?」
「ちゃんと使うってば」
苦笑し、うにゅほの頭を撫でる。
「半端に寒いときにストーブつけると、室温上がり過ぎちゃって、すぐに消して、またつけてってなるからな」
「うん」
「逆に、すごく寒いときには、エアコンは力不足だ」
「ストーブだ」
「そう。要するに、使い分けだな」
エアコンの取扱説明書をぱらぱらとめくりながら、呟く。
「……今年の冬は、どうなるかなあ」
「なつあつかったから、ふゆさむくなるとおもう」
「寒いのはいいけど、雪がな」
「たくさんふるとおもう」
「希望?」
「うん」
「俺は、ちょっとでいいんだけど……」
「たくさんのほうが、きれいだよ」
「その感覚はわかるけどな」
世界が白く塗り込められる風景は、滅びの美学をも内包している。
好きか嫌いかで言えば好きだが、実生活に影響を与えるとなると、話はすこし違ってくる。
「……まあ、なるようになるか」
「うん、なる」
逆に言えば、なるようにしかならない。
祈っても無駄なので、祈ることもしない。
降ったら降ったで、愚痴を言おう。
降らなかったら、慰めよう。
うにゅほがいれば、だいたい楽しい。



2016年9月26日(月)

廊下を歩いているとき、うにゅほがふと口を開いた。
「◯◯、こしいたい?」
「腰?」
上体を軽くねじってみると、わずかに違和感があった。
「痛いってほどじゃないけど、すこし……」
「やっぱし」
「よくわかったなあ」
本人ですら自覚していなかったのに。
「うしろからみたら、すぐわかるよ」
「後ろから……」
「くのじになってね、ひょこひょこしてるから」
「マジか」
無意識に、患部をかばうような歩き方になっているのだろう。
「まっさーじ、する?」
「する」
「わかった」
「あ、今日は踏んでくれるか」
「ふみふみ?」
「ふみふみ」
「わかった」
自室へ戻り、床の上にうつ伏せる。
「頼むう」
「はい」
ふみ。
ふみふみ。
「あ゙ー……」
「きもちいい?」
「爪先、爪先、そーそーそこそこ!」
小柄で痩せっぽちなうにゅほと言えど、体重はそれなりにある。
「……はー、極楽じゃあ」
「ふみふみ、すき?」
「大好き」
「ふつうのまっさーじは……?」
「大好き」
「ふみふみおわったら、ふつうのまっさーじしていい?」
「頼むう」
うにゅほのふわふわマッサージは、効きこそしないが極上の心地よさを誇る。
「あ、普通のマッサージするなら、ベッドの上でいいか」
「うん」
たぶん寝落ちする。
案の定寝落ちした。
睡眠障害に効果があるのではないか。



2016年9月27日(火)

「……ゔー……」
座椅子に背中で腰掛けたうにゅほが、苦しげにうめき声を上げる。
「大丈夫か?」
「だい、じょ、ぶー……」
あまり大丈夫そうには見えない。
「おなか撫でるか?」
「うん……」
うにゅほの隣に膝をつき、腹巻きの上からおなかに触れる。
「ちょくせつなでて……」
「はいはい」
腹巻きの下に手を入れると、かなり蒸れていた。
なで、なで。
円を描くように、おなかを撫でる。
「ほー……」
「どうよ」
「とてもいいです……」
なで、なで。
「──…………」
「ふー……」
しばらく撫でていると、空いた左手が手持ち無沙汰になってくる。
読みさしの小説を手に取り、片手で読み進めていると、
「……だめ」
うにゅほに奪い取られてしまった。
「しゅうちゅうしてください……」
「ごめん、ごめん」
「……しおりのとこ?」
「?」
「よんでたの」
「まあ、うん」
「わかった」
こほん、とうにゅほが咳払いをする。
「よん、のうさぎをおって。きゅうかはにしゅうかんよりながかった。マイク・ドノヴァンも──」
ああ、朗読してくれるのか。
「つらくなったら、途中で止めていいからな」
こくりと頷き、続ける。
「ゆーえすロボットしゃは、ふくごうロボットからけっかんを──」
ちいさな朗読会は、うにゅほが疲れるまで続いた。
贅沢な小説の楽しみ方だと思った。



2016年9月28日(水)

「──……雨だ」
寝起きに頭が重いと感じていたら、案の定雨が降っていた。
どうにも気圧の変化に敏感過ぎる体質である。
「あめ、ひさしぶりだね」
「そうだな」
台風も、結局こちらへは一度も来なかったし。
「……◯◯、だいじょぶ?」
「××こそ大丈夫か?」
「わたしは、だいじょぶ」
「なら、俺も大丈夫」
「ならじゃなくて……」
うにゅほが心配そうな顔でこちらを見上げる。
真面目に答えよう。
「……まあ、すこしだるいくらいだよ。本当に大丈夫だから」
「そか」
「それにしても、今日は蒸すなあ」
「うん」
「何度ある?」
「みてくる」
うにゅほが、本棚の隅に飾ってある温湿度計を覗き込み、文字盤を読み上げる。
「にじゅうななど、ろくじゅうごぱーせんと」
「なるほど……」
作務衣の共襟をパタパタと動かし、汗ばんだ肌に風を送る。
「ちょっと湿度が高めだな」
「うん」
「エアコンの除湿機能、試してみるか」
「しつど、さがるかな」
「下がらなかったら困るぞ」
「エアコンのいみないもんね」
「高い金出したんだもの、除湿くらいしてもらわないと」
俺が出したわけじゃないけど。

一時間後──
「うお、48%になってる!」
「すごい!」
「一時間で17%も吸ったのか……」
「すごいねえ」
エアコンの除湿機能、侮れない。



2016年9月29日(木)

「うう……」
ストレッチをしていて、内腿の筋を思いきり痛めてしまった。
「足、開きすぎた……」
「むりしないで」
「はい……」
無理したつもりはなかったのだが、思った以上に体が硬くなっていたらしい。
「前屈はできるんだけどなあ」
「ぜんくつ、できない……」
「逆だな」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××は前屈できないけど、それ以外はだいたい柔らかいだろ」
「◯◯は、ぜんくつできるけど」
「それ以外、だいたい硬くなっちゃったみたいだなあ……」
子供のころは、体が柔らかいことが自慢だったのに。
「しっぷ、はる?」
「いや、いいよ。場所が場所だし」
「えー……」
どうして残念そうなんだ。
「貼るなら肩に貼ってほしい」
「かたこり?」
「こりこり」
「こりこりー」
うにゅほが俺の肩を揉む。
「ほんとだ、こりこりだ」
「最近、肩がすこし重くて」
「こりこりだもん」
「……こりこりって言い方、気に入ったのか?」
「うん」
背後でこくりと頷く気配。
「こりこり、こりこり」
やわやわと肩を揉む手を心地よく感じながら、軽く首を回す。
「くびも、こりこり?」
「首は、そこまででもないかな」
うにゅほが首筋を揉む。
「くびも、すこしこりこり」
「こりこりかあ」
「うん」
そんなことを言い合いながら、しばしマッサージを受けていた。



2016年9月30日(金)

「◯◯、あまぞんからなんかとどいたー」
「お、来たか」
うにゅほから小さな包みを受け取る。
「ほんじゃない?」
「本じゃない」
「なに?」
「まあ待て、いま開けるから」
包みを開封し、中身を取り出す。
「じゃーん」
「……?」
貧乏な家の泡立て器のようなそれを見て、うにゅほが小首をかしげる。
「これ、なに?」
「キープラー」
「……うーと」
「説明するより、見せたほうが早いかな」
PCからキーボードを外し、Jキーをターゲッティングする。
そして、キートップの角に引っ掛かるように針金を滑り込ませ、
「えい」
すぽん!
一気に引き抜いた。
「え!」
「ほら、取れた」
「え、え、それ、とっていいの?」
「取るための道具なんだってば」
「あ、そか……」
「たまには掃除しないとなあ」
そう言いながら、すぽんすぽんとキートップを引き抜いていく。
「……あの」
「うん?」
「やってみたい……」
「いいぞ」
うにゅほにキープラーを手渡し、軽く指導する。
「──ここでひねって、角に引っ掛ける」
「はい」
「んで、あとは引っ張るだけ」
「……いきます」
すうはあと呼吸を整えて、
「ん!」
引っ張る。
「──…………」
抜けない。
「もっと力入れていいぞ」
「こわれない?」
「壊れないって」
「──んっ!」
すぽん!
「ぬけた!」
「抜けたな」
「やった!」
「おめでとう」
「うへー……」
引き抜いたSキーを天井にかざしてご満悦である。
「でも、キーのした、きたないね」
「……俺も、ここまで汚いと思わなかった」
キーボードの掃除は、こまめに行いましょう。

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