>> 2016年8月




2016年8月1日(月)

「終わっ──」
ぱん!
うにゅほとハイタッチを交わす。
「たッ!」
「たー!」
2,500冊の蔵書すべてをとうとう本棚に収めきった。
「いやー、壮観だな!」
壁一面がまるまる本で埋まるというのは、思っていた以上に迫力があるものだ。
「ほんやさんみたい……」
「たしかに、図書館と言うより本屋だな」
半分以上漫画だし。
「──それにしても、暑い……」
温湿度計を覗き込む。
「……31℃」
「まなつび!」
こんな室温のなかで肉体労働を行っていたのだから、そりゃ暑いはずである。
「湿度は60%」
「たか──い、の?」
「わからん」
うにゅほが自分の襟元を開き、覗き込む。
「びちょびちょー……」
「俺なんか、パンツまでぐっしょりだぞ」
「わたしも、ぐっしょり」
「シャワーでも浴びてくるか……」
「そだね」
「××、先入ってきな」
「◯◯、さきはいっていいよ」
「──…………」
「──……」
「××、先」
「◯◯、さき」
「ぬう」
「むー……」
結局、じゃんけんで負けたうにゅほが先に入ることになった。
勝敗が逆のような気もするが、いつものことである。



2016年8月2日(火)

「──シーツ」
「つるはし」
「しお」
「押し寿司」
「し、し、しそ」
「ソテツ」
「そてつ?」
「観葉植物」
「つー、つー、つる!」
「ルーツ」
「つり!」
「利子」
「しー、しもん、しもん、にんしょう……」
「牛」
「しし!」
「出立」
「◯◯、つーか、しーばっかり……」
「そうしないと終わらないし」
「おわらなくていいのに」
「××……」
「?」
「俺もいい年だし、××も子供じゃないんだから、もうすこし知的な遊びをだな……」
「ちてき……」
うにゅほが小首をかしげる。
「しりとり、ちてきとおもう」
「そうかなあ」
「ご、ごいりょくをきたえる……」
「……あー、まあ、たしかに、そういう一面もあるか」
「でしょ」
うにゅほが小さく胸を張る。
「だからって、しりとりばっか延々と続けてもなあ……」
「ちてきなあそびって、なに?」
「──…………」
「──……」
「えーと、だな」
「うん」
具体的に考えていなかった、とは言えない。
「お──」
「お?」
「……覚えてしりとり、とか」
「おぼえてしりとり」
「出た単語をすべて暗誦していくしりとりなんだけど……」
「やる!」
新たな遊びの予感に、うにゅほが目を輝かせる。
こうなっては仕方がない。
「……よし、やるか」
「しりとりの、りーからね」
「倫理」
「りんり、りょうり」
「倫理、料理、陸戦型ガンダム──」
こんなつもりではなかったんだけど、まあ、いいか。



2016年8月3日(水)

自室の整理の際に衣装ケースが入り用になったため、最寄りのニトリへと赴いた。
「いしょうケース、あるかなあ」
「ないこたないと思うぞ」
専用駐車場のゲートで駐車券を取り、軽くくわえてミラジーノを発進させる。
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんで、ちゅうしゃけん、くわえるの?」
「──…………」
駐車券をダッシュボードに置き直し、思案する。
「……あれ、なんでだ?」
考えてみれば、よくわからない行動だ。
「えーと、まず、駐車券を取るだろ」
「うん」
「そのまま持ってると、運転しにくい」
「うん」
「……だから、くわえる?」
「わたしてくれたらいいのに」
「そうだよなあ……」
無意識下の行動だから、ほとんど癖になっているのだと思う。
「いまいちみっともないし、今度から××に渡すよ」
「うん」
「……もしかして、いままでずっと気になってた?」
「すこし」
「そっか……」
「ちゅうしゃけん、きたないかもだから……」
「そこはほら、唇を内側に巻き込んでるから大丈夫」
唾液で濡れたら困るし。
「でも、へんなのくわえたらだめだよ」
「はい……」
幼稚園児並みの注意をされてしまった。
情けない限りではあるが、当を得た指摘なので、素直に受け取ることにする。
「駐車券は、もう、くわえません」
「よろしい」
衣装ケースを購入したあと、ロッテリアでシェーキを飲んで帰宅した。
ずっと半額ならいいのに。



2016年8月4日(木)

「うーん……」
漫然とキーボードを叩きながら、唸る。
「──1708回、かあ」
「?」
うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「にっき?」
「ああ」
「せんななひゃくはっかいめ、なんだ」
「そう」
「すごいねえ」
「──…………」
これは、あんまりわかってないときの「すごいね」だ。
「××、1708回ぶんの日記を全部読むのにかかる時間はどのくらいか想像できる?」
「うーと……」
しばし思案し、
「……わかんない」
「では、計算してみよう」
「はい」
「一日ぶんの日記を読むのにかかる時間を、仮に一分とする」
「うん」
「んで、計算しやすいように、日記を1800回としよう」
「いいの?」
「どうせ三ヶ月後には1800回になるんだから、べつにいいだろ」
「そか」
「1800回ぶんの日記を読むのに、何分かかる?」
「せんはっぴゃっぷん」
「1800分は、何時間?」
「うと──」
しばし暗算し、
「……さんじかん?」
「30時間」
「さんじゅうじかん!」
うにゅほが目をまるくする。
「すごいねえ……」
これが、ちゃんと理解したときの「すごいね」だ。
「もっとすごいのは、これ全部読破してる人が、けっこういるってことなんだよなあ……」
「すごい」
いつもありがとうございます。
「──さ、日記も書いたし、腕相撲でもするか」
「なんで?」
「なんとなく」
「いいよー」
そうして、片手vs両手のハンデ戦が始まるのだった。
勝ちました、いちおう。



2016年8月5日(金)

友人に紹介されたアルバムを借りるため、TSUTAYAへと赴いた。
「──お、あった」
amazarashiの「アノミー」を手に取り、中身を検める。
「わたし、あのきょく、あんますきくない……」
「たしかに、××は苦手そうだな」
「アニメこわかった」
うにゅほがアニメと言っているのは、アノミーのMVのことである。
「怖い、かなあ……」
「こわい」
「そっか」
うにゅほが怖いと言うならば、そうなのだろう。
「んじゃ、一緒にスピッツも借りましょう。スピッツ好きだろ」
「すき」
「よし」
スピッツのアルバムを二枚取り、レジへと向かう。
「あ」
不意に、うにゅほが俺の手を引いた。
「うん?」
「しーでぃー、じゅうまいで、せんえんだって」
「そうなんだ」
「かりたほう、おとく」
「××、借りたいCDある?」
「うと、ない……」
「ならいいじゃん」
聞かないCDを借りたって、仕方ないし。
「あと、ほら、本当に借りたい人が借りられなくなるだろ」
などと、心にもないことを言ってみる。
「あ、そか」
うにゅほがうんうんと頷く。
「かりたいひと、こまるもんね」
「××は優しいなあ」
うりうりと頭を撫でる。
「うへー……」
「新刊も見てこうか」
「うん!」
帰途の最中、またロッテリアでシェーキを買った。
半額だと、ついつい立ち寄ってしまうな。



2016年8月6日(土)

ぶうん、と、耳元で羽音。
「──ッ!」
思わず仰け反ると、視界の端を小さな影がよぎった。
「××、虫だ!」
「むし!」
うにゅほがわたわたと立ち上がる。
「おっきいむし?」
「小さいけど、甲虫だと思う」
「こうちゅう?」
「えーと、コガネムシみたいな」
「おっきい!」
「いや、大きさはテントウムシくらいで──いた!」
天井を仰ぐ。
小指の爪ほどの甲虫が、シーリングライトの周辺で螺旋軌道を描いていた。
「手掴みはしたくないサイズだなあ……」
「はえたたき」
「潰したら、ほら、中身が」
「なかみ……」
うえー、という顔をする。
「──というわけで、キンチョールを持てい!」
「はい!」
うにゅほが敬礼を返す。
「どこだっけ」
「こないだどっかのダンボールで見た気がする」
「さがす」
「俺は、こっち見張ってるな」
「うん」
甲虫は、幾度となく天井に体当たりをしながら、部屋の全域をぐるぐると飛び回っている。
かなり混乱しているらしい。
当然、俺の近くを通ることもあり、
「えい」
べし。
ぽとり。
「あっ……」
「◯◯、きんちょーるあった!」
「××、足元」
「わ」
適当にスイングしたら当たってしまった。
「ぶしゅー」
うにゅほがキンチョール☆を噴霧し、甲虫にトドメを刺す。
ティッシュにくるまれた甲虫は、丁重にゴミ箱へと埋葬されたのだった。
合掌。



2016年8月7日(日)

「××ー?」
「──…………」
「××、ほら、柴犬の──」
ディスプレイを指差しながら振り返ると、ベッドの上でうにゅほが寝落ちしていた。
「……すう」
「口、半開きだぞ」
「──…………」
反応がない。
熟睡しているようだった。
「──……う」
うにゅほの寝顔かかすかに歪む。
眩しいのかな。
カーテンを半分だけ閉め、日光を遮断する。
「──…………」
寝息が安らかになった。
やはり、眩しかったらしい。
せっかくなので、昼寝に最適な環境を整えてあげよう。
「……ふむ」
うにゅほの首筋に手を添える。
「う」
かなり汗ばんでいる。
温湿度計を覗き込むと、32.3℃だった。
これでは寝苦しいのも当然である。
延々と首を振り続ける扇風機の風量を上げ、ベッドのほうへと近づける。
「──……すう」
多少はましになっただろうか。
ああ、そうだ。
おなかを冷やしてはいけないな。
箪笥からバスタオルを二枚ほど取り出し、うにゅほのおなかに掛けてやる。
これでよし。
そうそう、あせもになってはいけないから、首筋の汗を拭いて──
「よし、完璧」
これで、うにゅほの安眠は約束されたも同然である。
満足感と共に額の汗を拭っていると、
「──……う?」
うにゅほの目が、うっすらと開いた。
これはいけない。
「××、××、まだ寝てていいよ」
「──…………」
「おやすみ」
右手でうにゅほに目隠しをする。
しばしして、
「……すう」
よし、寝た!
せっかく環境を整えたのだから、心ゆくまで昼寝を堪能してもらわねば。
うにゅほが目を覚ましたのは、それから一時間ほど経ったころのことだった。
「よく眠れた?」
「……うん、よくねた」
うへーと笑う。
その笑顔ひとつで、すべてが報われるのだった。



2016年8月8日(月)

「あちー……」
「あちーねえ……」
扇風機の送り出す温風が、右手に持ったガリガリ君を見る間に溶かしていく。
「──おっ、と」
垂れ落ちかけた雫を舐め取る。
「33℃の風だもんなあ……」
「さんじゅうさんど……」
「──…………」
「──……」
顔を見合わせ、苦笑する。
もはや笑うしかない。
「……でも、せんぷうき、すずしいよ?」
「それは気化熱だな」
「きかねつ?」
「液体は、蒸発するとき、周囲から熱を奪うんだ」
「あ、あせだ」
「そうそう。汗が蒸発するから、涼しい。汗をかいていなければ、それほど涼しくはないはず」
「──あっ」
なにか思いついたらしい。
「きりふきで、からだぬらしたら、すずしくなる?」
「あー、いいかもなあ」
「もってくる!」
持ってきた。
「しゅっ、しゅっ」
「つめた!」
「うへへ」
「今度はこっちの番な」
「ひや!」
「おらおらー!」
「すずしいねえ……」
「いや、これは単なる水遊びだ」
「あ、そか」
首筋や腕を霧吹きで濡らし、扇風機の前にふたりで陣取る。
「うあー……」
「すずしいねえ!」
「涼しい……」
「──…………」
「──……」
「さむいねえ……」
「たしかに」
やり過ぎた。
だが、涼を取る方法としては効果的である。
お試しあれ。



2016年8月9日(火)

「××、テレビここでいいと思う?」
「いいとおもうー」
「わかった。あ、そこのアンテナコード取ってくれるか」
「これ?」
「そうそう」
「はい」
「さんきゅー」
面倒なテレビの設置が終わり、残る荷物も僅かとなった。
「あと、ごはこ!」
「中身は?」
「うと、しーでぃーとか、でぃーぶいでぃーとか……」
「──…………」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「CDも、DVDも、すぐには必要ないよな」
「うん」
「××」
「はい」
「温度計を見てくれ」
「さんじゅうにーてんにど……」
「……今日はここまでにしましょう」
「はい」
「あぢー……」
へなへなと扇風機の前に崩折れる。
「涼しいー……」
「きりふき、いる?」
「今日はいいかな……」
既に汗だくだし。
「あ゙ー……」
「うへぁー……」
「夏! って感じだなー……」
「うん」
「暑いけどさ。××とこうしてるの、わりと好きだよ」
「わたしも」
「夏はこうでなきゃなー」
「そだねえ」
「……あぢー」
「あちーねえ……」
暑い暑いと言い合うだけなのに、不思議と楽しい。
きっと、ふたりだから楽しいのだ。



2016年8月10日(水)

扇風機の前でうつ伏せに寝転んでいると、背中に腰掛けたうにゅほが口を開いた。
「ね」
「んー?」
「おかあさんと(弟)、どこいったんだっけ」
「なんか岩見沢とか言ってた」
「いわみざわって、どこ?」
「遠く」
「とおく……」
「Googleマップで見る?」
「みる!」
「んじゃどけて」
「はい」
〈岩見沢〉と検索し、マップを呼び出す。
「ここ」
「いわみざわし」
「まあ、だいたい東のほうだな」
「こっち?」
うにゅほが窓の外を指差す。
「そうそう」
「なにしにいったんだっけ」
「いや、知らん」
たぶん知人の家にでも行ったのだろう。
「◯◯は、いわみざわ、いったことあるの?」
「あー……」
記憶を探り、答える。
「子供のころ、通ったことはある」
「へえー」
「あの年は、トンボが大量発生していてな」
「とんぼ?」
「高速道路を走っているだけで、一匹二匹じゃ済まない数のトンボがフロントガラスに当たって中身をぶち撒け──」
「うひえ」
うにゅほが妙な声を上げる。
「とんぼみれなくなるう……」
「はっはっは」
「もー!」
怒られてしまった。
「でも、岩見沢の思い出なんて、本当にそれくらいしかなくてさ」
「そうなんだ」
「行ったことも通ったこともあると思うんだけど、如何せんトンボのインパクトが凄すぎて」
「うん……」
「トンボの夢、見そう?」
「みそう……」
「ごめんごめん」
うりうりとうにゅほの頭を撫でる。
汗で濡れた髪の毛は、すこし通りが悪かった。



2016年8月11日(木)

今日からお盆休みである。
「はー……」
ベッドの上でごろんごろんと寝転がりながら、うにゅほに話し掛ける。
「なんか久々に、休んでるーって感じがする」
「さいきん、ずっと、いそがしそうだったもんね」
「忙しかったんだよー!」
ごろんごろん。
「よしよし」
頭を撫でられる。
「きょう、いそがしくないの?」
「今日は丸一日、ずっと予定ない」
「そか」
なでなで。
「じゃあ、ゆっくりしましょう」
「ゆっくりします」
「なにかする?」
「なにもしない……」
「ひるねする?」
「膝枕してくれー」
「はいはい」
うにゅほが苦笑し、膝をぽんぽんと叩く。
「××の膝枕でぼけーっとして、いつの間にか寝たい……」
「いいよ」
「──…………」
「──……」
「……俺、疲れてたのかなあ」
「うん」
「わかる?」
「わかるよ」
「そっか」
「うん」
す、と視界が暗くなる。
うにゅほが手のひらで陽光を遮ってくれたのだ。
「……ありがとな」
「うん」
そのまま一時間ほどうとうとしていた。
幸せな時間だった。



2016年8月12日(金)

今日は父方の墓参りだった。
菩提寺に参ったあと、両親の友人が経営しているメロン農園へと立ち寄ったのだが、
「──……うぷ」
「◯◯、だいじょぶ……?」
「……メロン食べ過ぎた……」
「ごめんね……」
ランクルの後部座席で、うにゅほが俺の背中をさする。
「わたし、さんきれしかたべれなかった……」
「十分、十分……」
やたらと分厚い切り方だったので、それでも食べ過ぎの範疇だと思う。
「……ほんとにさ、ありがたいんだけどさ」
「うん」
「メロン三個は多過ぎだよな……」
「うん……」
ほれ食べな食べなと言われてしまえば、断る術は生憎と持ち合わせていない。
「えーと、赤肉と、青肉と──なんだっけ」
「きみか?」
「そう、きみか」
「すごいあまかったね」
「俺あんまメロン好きじゃないけど、あれは美味しかったな」
「うん」
「ひとついくらって言ってたっけ」
「うと、きみかは、ななひゃくえんって」
「……絶対もっと高いよな」
「うん」
農家の友人から直接仕入れて七百円なのだから、実売価格はいくらなのだろう。
「ちょっとスマホで調べてみるか」
「おー」
〈きみか メロン〉で検索すると、通販サイトがヒットした。
「えーと、ご──」
息を飲む。
「ご?」
「……5,800円」
「ご!」
「さっきのメロンって、全部でいくらしたのかな……」
「うん……」
恐るべし、友人価格。
帰宅するころには、日はとうに暮れ落ちていた。
疲れた。
今日は早く寝よう。



2016年8月13日(土)

「──……は!」
壁掛け時計を見上げる。
午後五時。
「もう、五時、だと……?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「どうして休日ってやつは、こうも矢の如く過ぎ去ってしまうんだ……」
「うと……」
うにゅほが俺の肩を揉む。
「ま、まだおわってない、よ?」
「そうだろうか……」
「そうだよ」
「……そうか」
「うん」
「そうだな、お盆休みも月曜日──まで……」
「?」
「半分過ぎたのか……」
「はんぶん?」
「あー、あー、働きたくなーい! 働きたくなーい!」
「わ」
「働きたくないオバケじゃー!」
「!」
「くすぐり攻撃じゃ!」
「うひ、ひ、ひは、ししし、ひー!」
おかしなテンションでうにゅほをくすぐり倒すと、なんだか元気が湧いてきた。
「よし、火曜日から頑張ろう」
「ひー……」
「……えーと、正直すまん」
うにゅほがほにゃりと笑う。
「◯◯が、げんきでるなら……」
「──…………」
なんと健気な子なのだろう。
「……よし、俺をくすぐれ!」
ベッドに四肢を投げ出す。
「いいの?」
「応!」
「……うへへ」
わきわき。
「こしょこしょこしょこしょ!」
「うひ、ひゃはひゃひゃひゃひゃッ!」
なべて世は事もなし。



2016年8月14日(日)

「──…………」
「──……」
未開封のダンボール箱に背を預けながら、ぼんやりと天井を眺める。
暑い。
言葉もない。
扇風機が送り出す湿った温風をその身に浴びて、わずかな涼を得るのみだった。
「……あのさあ」
隣のうにゅほに話し掛ける。
「いくらなんでも、暑すぎやしないかね……」
「はちー、ねえ……」
息も絶え絶えである。
「……後ろの本棚に、温湿度計がある」
「うん……」
「さっき見たんだけどさ」
「うん」
「……知りたい?」
「──…………」
しばし思案し、
「しりたくないです」
「賢明だ」
「うへー……」
うにゅほの笑顔も力ない。
「ちょっと出掛けるか。さすがにつらい」
「うん」
「適当に一時間くらい潰してこよう」
「アイスたべたい……」
「コンビニも寄ろう」
「うん!」
途端に元気になったうにゅほを連れて図書館へと赴き、二時間ほどで帰宅した。
「──暑い!」
「あついー……」
午後五時を回っているにも関わらず、室温が32℃を超えている。
「外涼しいのに、なんでこんなに暑いんだ……」
「まども、とびらも、ぜんぶあけてるのに」
「外と同じ温度じゃないと、道理が──」
ふと、記憶を辿る。
昨夜の気温はどうだったろう。
肌寒くはなかったか。
「──…………」
レースカーテンをずらし、ベッドの傍の窓を確認する。
「あ」
「?」
「閉まってた」
「えー!」
「ごめん、寝る前に閉めたの忘れてた……」
暑いはずである。
「もー……」
「申し訳ない」
「かくにんしようね」
「はい……」
窓を開けてしばらくしても30℃を下回らないあたり、まさに真夏といった風情である。
暑いの、嫌いじゃないけどね。



2016年8月15日(月)

数年前に夫と離婚した幼馴染が、子供を連れて遊びに来ていた。
「──…………」
「ほら、もう帰ったぞ」
「──…………」
きゅ。
甚平の裾を握り締めながら、うにゅほが俺から離れない。
「今日はどうしたんだ?」
「──…………」
「××、子供好きだろ」
「──…………」
「あの子も、遊んでほしいって──」
「めが……」
「目?」
「あのひとが、◯◯のことみるの、めが、だめ」
「……?」
「だめなめ、してる」
「もしかして──」
幼馴染は女性である。
「あー、ないない。ないって。ありえません」
「──…………」
「そんな対象として俺のこと見てないと思うぞ」
一度失敗して懲りてるだろうし。
「──…………」
ぎゅ。
うにゅほが俺の腰に抱きついた。
「えーと……」
困った。
「もう会いたくない?」
「──…………」
俺の背中に顔を押し付けたまま、こくりと頷く。
「んじゃ、今度来るときは、ふたりでどっか出かけような」
「うん……」
嫉妬してくれるのは嬉しいが、扱いが難しい。
杞憂だと思うんだけどなあ。



2016年8月16日(火)

「はあ……」
溜め息を漏らしながら、デジタル式の温湿度計に視線をやる。
29.5℃
暑いことは暑いが、連日の猛暑と比べれば、まだましなほうだ。
だが、問題はそこではない。
「……湿度、72%」
「むしむしするう……」
台風が近づいているためか、不快指数がうなぎのぼりである。
「──…………」
自分の腕に触れてみる。
ぺた、ぺた。
「うあ、肌がべたついて気持ち悪い……」
「──…………」
俺の真似をしてか、うにゅほが自分の腕を触る。
「ぺたぺたしない……」
「さらさら?」
「うん」
「いいことじゃん」
「ぺたぺたしたい」
うにゅほがこちらへにじり寄り、俺の腕に触れる。
ぺた、ぺた。
「ぺたぺたする」
「楽しい?」
「うん」
ぺた、ぺた。
ぺた、ぺた。
「……楽しい?」
「うん」
楽しいらしい。
「楽しいなら、まあ、いいか……」
「ほっぺた、ぺたぺたしていい?」
「いいよ」
ぺた、ぺた。
ぺた、ぺた。
むにー。
ぺし、ぺし。
「……ぺたぺたじゃなくなってない?」
「だめ?」
「いいけど……」
「♪」
しばらくのあいだ、うにゅほのおもちゃと化していたのだった。



2016年8月17日(水)

「わあー……」
窓の外を覗き込みながら、うにゅほが驚嘆の声を上げる。
「あめ、すごいねえ……」
「台風が上陸したらしいぞ、珍しく」
「めずらしいの?」
「毎年、上陸する前に、温帯低気圧になって散るからなあ」
「おんたいていきあつって、なに?」
「……正直、俺もよくわからん」
「わからんの」
「たぶんだけど、台風っていうのはすごく不安定なものなんだよ」
「うん」
「だから、北上するにつれて徐々に形が崩れていって、その残骸が温帯低気圧──なのかな?」
「そなんだ」
「いや、わからん」
「でも、わかりやすい」
「合ってるかどうか、保証はしないぞ」
「うん」
うにゅほの髪を手櫛で梳きながら、雨音に耳を澄ます。
「ざあ、ざあ、ざあ」
「雨の音」
「あめのおと、すき」
「俺も、わりと嫌いじゃないかな」
「うん」
「……でも、暑いな」
「まどあけられないから……」
「あと、臭う」
「なんか、くさいねえ」
「新築の匂いだな」
「ぺんきとか?」
「そうそう」
「まどあいてたら、きになんないのにねえ」
「でも、窓開けたら──」
窓の外を見やる。
暴風雨。
「……我慢しましょう」
「はい」
さっさと通り過ぎてくれればいいのだけど。



2016年8月18日(木)

午後三時、うにゅほがお皿を手に自室へと戻ってきた。
「おやつだよー」
「おやつ?」
「うん」
「珍しいなあ」
お皿を覗き込むと、緑色をしたブロック状の物体が綺麗に並べられていた。
「メロン?」
「うん」
「んじゃ、いただきます」
揃えてあった爪楊枝を一本取り、メロンに突き刺そうと──
「かたッ!」
「うへー」
「凍らせてあるのか」
「うん」
「夏らしくていいな」
「でしょー」
爪楊枝を強めに突き刺し、齧る。
「おー、甘くて冷たい」
「うへー……」
「これ、普通のメロンだろ。こんなに甘かったっけ」
「うん、あんましあまくなかった」
「……?」
「これね、メロンをミキサーして、シロップまぜて、こおらしたの」
「カットしたのをそのまま凍らせたんじゃないのか」
「うん」
「手間かかってるなあ……」
「おいしい?」
「うん、美味しい」
フルーツがあまり好きではない俺だが、これはなかなかいける。
「それにしても、高級なアイスだよなあ」
「そだねえ」
「一切れで百円くらいしそう」
「ピノよりたかい」
「ピノは二十円くらいだろ」
「そか」
「××、あーん」
「あー」
ぱく。
「ひゅめた!」
「美味しい?」
「おいひい」
贅沢なおやつで真夏の暑さをしのぐ俺たちなのだった。



2016年8月19日(金)

「俳句の日、らしい」
「そなんだ」
「ほら、8月19日だから」
「あー」
「古池や 蛙飛びこむ 水の音」
「まつおばしょうだ」
「知ってたか」
「うん」
「ギャグマンガ日和で?」
「うん」
「そんなもんだよなあ」
「ごーしちご」
「そうそう」
「あと、きごがはいってるんだよ」
「わかってるじゃないか」
「うへー……」
「では、季語とはなんでしょう」
「うと」
「ごー、よん、さん──」
「き、きせつの、なんか!」
「まあ、正解かな」
「ふー」
「では、先ほどの句の季語はどれでしょう」
「え」
「ごー、よん、さん、にー」
「ふるいけ!」
「蛙でした」
「かわずなんだ」
「蛙は春の季語らしい」
「へえー」
「なんかイメージ違うよな」
「なつっぽいきーする」
「俺もそう思って調べたんだけど、蛙のなかでも雨蛙は夏の季語なんだってさ」
「そなんだ」
「さて、罰ゲームは──」
「!」
「セルフくすぐりです」
「せるふ?」
「自分で自分をくすぐってください」
「──…………」
「──……」
「こしょ、こしょ……」
「くすぐったい?」
「くすぐったくない」
「だろうなあ」
「くすぐってほしい……」
「よし、そこに直れ」
「はい」
「こちょこちょこちょこちょこちょ!」
「うひ、ししし、ひひゃ、ひー!」
そんな夏の日の一幕でした。



2016年8月20日(土)

「──よし、終わり!」
「やたー!」
「いえー」
「いえー」
うにゅほとハイタッチを交わす。
引っ越し用のダンボール箱を、とうとうすべて開封しきったのだった。
「まさか、L字デスク用の引き出しだけ、届くまで一ヶ月かかるとはな……」
「うん……」
ニトリさん勘弁してくださいよ。
「ともあれ、これで、長かった引っ越しがようやく終わったな」
「うん」
部屋の中央に立ち、ぐるりと周囲を見渡す。
壁二面ぶんの本棚。
L字型のパソコンデスク。
木材の匂いのする箪笥。
自分たちで選んだカーテン。
「ここが、俺たちの城だ」
「うん!」
「いえー」
「いえー」
再度ハイタッチし、すのこベッドに倒れ込む。
「はー……」
溜め息ひとつ。
「……終わったら、急に疲れたな」
「おやつにする?」
「甘いもの食べたい」
「メロンアイス、またつくったよ」
「いいねえ」
「もってくるね」
「頼むー」
うにゅほ流ぜいたくメロンアイスは、家族にも好評である。
「◯◯、あーん」
「あー」
しゃく。
「あまい?」
「甘い」
「おいしい?」
「美味い」
「うへー」
次にこのメロンアイスが食べられるのは、たぶん来年の今頃だ。
今のうちに、よく味わっておこう。



2016年8月21日(日)

「……うー」
座椅子に腰を落ち着けて漫画を読んでいたうにゅほが、目元をくしくしとこすっていた。
「めむい……」
「めむい?」
「ねむい」
「眠れなかったのか」
「うん……」
「昨夜、窓閉めて寝たからなあ」
台風が近づいているにも関わらず窓全開で床につく勇気は、生憎と持ち合わせていない。
「昼寝したらいいのに」
「よるねれなくなる……」
「眠れなくなったことなんて、あったっけ」
「あるよう」
やたら頑強な体内時計を持っているイメージがあるのだが。
「眠れないなら、起きてればいいじゃない」
「でも」
「一緒に夜更かししようぜー」
「う」
あ、揺れた。
「でも、あさおきて、あさごはんつくんないと……」
「寝る前に作っとけばいい」
「うー……」
「××は、いい子すぎるからな。たまに寝坊くらいしたって誰も怒らないよ」
「……そ、かな」
「そうそう」
「そか」
「昼寝する?」
「する!」
洗脳完了。
というわけで、本日のうにゅほは夜更かしする気満々である。
さて、何時まで起きていられるかな。



2016年8月22日(月)

さて、昨夜の顛末を記さねばなるまい。

午前零時過ぎのことである。
「××、怖いの見ようぜ怖いの」
「こわいの?」
「ニコニコで、怖い映画とかやってるんだよ」
「こわいの……」
「やめとく?」
「みる……」
恐怖と興味が半々といった面持ちだ。
「ほら」
ぽんぽん。
「うへー……」
うにゅほを膝の上へ導き、該当ページを開く。
「今日は、えーと──投稿された心霊映像をまとめたやつかな」
「こわい?」
「大したことないと思うぞ」
「ほんと……?」
「怖くないほうがいい?」
「──…………」
しばし思案したのち、
「……ちょっとだけ、こわいのがいい」
「そうだな、ちょうどいい怖さならいいな」
「ぎゅってして……」
「はいはい」
明かりを消し、うにゅほを抱き締める。
ディスプレイの中では、漫画喫茶を営む男性がインタビューを受けており──

「……つまんねえー」
「うん……」
まず、インタビューが冗長すぎる。
同じことを幾度も尋ね、似たような受け答えを繰り返す。
そして、肝心の心霊映像をが合成バリバリの安っぽい代物となれば、駄作と評するのに何のためらいもない。
「見るのやめようか」
「そだね」
「わんこの動画でも見るか」
「みる!」
うにゅほがうとうとし始めたのは、午前一時半を回ったころだった。
「そろそろ寝る?」
「ねる……」
うにゅほをベッドへ連れて行き、タオルケットをおなかに掛ける。
「──…………」
すると、うにゅほが甚平の裾を引いた。
「こわくなってきた……」
「あー」
そういうの、あるよな。
「んじゃ、寝るまで隣にいてあげるから」
「て」
「手も繋いでな」
「ん……」
安らかな表情で、うにゅほが目蓋を閉じる。
寝息が聞こえるまで、さほどの時間は掛からなかった。
うにゅほが起床したのは、いつもどおりの午前六時だったらしい。
やはり、強靭な体内時計である。



2016年8月23日(火)

「──……う……」
暑い。
熱い。
アイマスクを外し、首筋を撫でる。
「……うわ」
汗で濡れた指先を甚平の裾で拭い取り、上体を起こす。
「あ、おきた」
「いま何時……」
「いちじすぎ」
「一時……」
午前中に出掛けようと思っていたのだが、完全に寝過ごした。
「……まあ、いいか」
大した用事でもないし。
「それにしても、暑い……」
「そかな」
「暑くない?」
「あついけど……」
カーテンを開く。
「──!」
あまりの陽射しに、思わず目を細めた。
暑いはずだ。
「……台風一過ってやつかな」
「たいふういっか?」
「台風の家族じゃないぞ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「台風が通り過ぎたあとは、いい天気になるんだよ」
「そうなんだ」
「それを、台風一過って言うの」
「へえー」
うんうんと頷く。
「なんで?」
「台風が、周囲の雲ごと持ってっちゃうんじゃないかなあ」
「なるほど……」
納得するうにゅほを横目に、うんと伸びをする。
「腹減ったなあ……」
「めだま、やく?」
「頼んだ」
「はい」
遅すぎる朝ごはんを食べ、うにゅほとぼんやり過ごす。
仕事の少ない穏やかな一日だった。



2016年8月24日(水)

「うーん……」
ヒゲの生えかけた顎を撫でながら思案に暮れていると、うにゅほが俺の顔を下から覗き込んだ。
「どしたの?」
「……××と母さんが買い物行ってるあいだ、父さんが部屋に来てな」
「うん」
「俺たちの部屋があんまり暑いから、エアコン買っていいってさ」
「おー」
ぺん!
不器用な音を立てて、うにゅほが両手を打ち鳴らした。
「いいねえ」
「まあ、うん……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「だめ?」
「駄目ではないんだけど、暑い日がないと夏って感じがしないって言うかさ」
「あー……」
「暑いのなんて、たかだか二週間程度だろ。そのためにエアコン買うのもなあって気もするし」
「そだねえ」
「なんなら、××が決めてもいいぞ」
「えっ」
「暑い夏がいいか、涼しい夏がいいか」
「うと……」
「気軽にさ」
「──…………」
両手をもじもじさせながら、うにゅほが思い悩む。
「……わたし、せんぷうき、すき」
「うん」
「◯◯といっしょにあたるの、すきだし……」
「うん」
「なつ、ずっとあつかったから、あつくなくなると、なつじゃないとおもう……」
「そっか」
「うん……」
「じゃあ、エアコンは無しにしような」
「うん」
「俺も、暑くない夏は寂しいと思うよ」
「ね」
ふたり頷き合う。
エアコンは便利だが、四季を平らにしてしまう。
暑い夏には暑い夏なりの楽しみ方があると思うのだ。



2016年8月25日(木)

まくらカバーを交換した。
「──…………」
すー、はー。
「××さん」
「──……♪」
すー、はー。
「……まくらカバーのにおい嗅ぐの、やめてもらえませんか」
「◯◯のにおいする」
「俺のまくらカバーだからね……」
「くさい」
「どうして嬉しそうなんだよ」
「くさくて、いいにおい」
すー、はー。
もはや言うまでもないことだが、うにゅほはにおいフェチである。
「……間接的に嗅がれるのって、なんかムズムズするんだけど」
「いや?」
「イヤかイヤでないかで言えば、イヤだ」
「ごめんなさい……」
うにゅほがまくらカバーから顔を離す。
「いや、謝るほどでは」
「でも」
「……あーもー、直接来なさい直接」
「ちょくせつ?」
「嗅ぎたいなら、頭を直接嗅ぎなさい」
「いいの?」
「好きにせい」
「♪」
すんすん。
すー、はー。
ふんふん。
すー、はー。
「……楽しい?」
「たのしい」
「あとで俺も××の嗅いでいい?」
「いいよ」
うにゅほの髪の毛は、シャンプーの残り香と汗の混じったにおいがした。



2016年8月26日(金)

「おー」
温湿度計を覗き込んだうにゅほが、うんうんと満足げに頷く。
「何度?」
「にじゅうはちど!」
「だいぶ涼しくなったなあ」
「うん」
「湿度は?」
「うと、よんじゅうはちぱーせんと」
「ちょうどいいな」
「うん」
実に快適である。
「とうとう夏もピークを過ぎたか」
「げじゅん、だもんね」
「来週はもう九月だぞ」
「うへえ……」
苦笑する。
「夏を過ぎたらすぐ冬が来るなあ」
「あきは?」
「北海道の秋なんて、無きに等しいし」
「みじかいもんねえ」
「冬が来たら雪が降って、雪が降ったら雪かきだ」
「ゆきかきしたいねえ」
「俺は、あんまりしたくない……」
「うんどう、なるよ?」
「寒いし……」
「あついのとさむいの、どっちすき?」
「暑いほう」
「そかー」
「××は?」
「どっちもすき」
「冬が来たら、抱きまくらにしてやろう」
「ふゆのがすき……」
うへーと笑う。
「現金なやつめ」
「うん、げんきん」
「そんな××は、膝の上にご招待だ」
「わ」
うにゅほの手を引き、膝に乗せる。
「──……ほー」
「涼しくなったからな」
「なつもすき」
「……ほんと現金だなあ」
とりあえず、くっついてれば満足なふたりだった。



2016年8月27日(土)

とん。
目の前に、複雑な色合いをした液体のなみなみ入ったグラスが置かれた。
うにゅほ謹製の野菜ジュースだ。
「◯◯、これ……」
「……?」
うにゅほは何故か浮かない顔である。
「どうかした?」
「うん……」
しばしの思案ののち、うにゅほがそっと口を開く。
「きょうね、やさいジュース、あんましおいしくないかも……」
「材料が足りなかった、とか」
「りんごがね、なかったの」
「それくらいべつに」
「そんでね、メロンがあったの」
「メロン入れたんだ」
「うん……」
「美味しそうじゃん」
「わたしもね、つくるときは、そうおもったの……」
うにゅほがグラスに視線を送る。
「とりあえず、飲んでみるよ」
「──…………」
グラスに口をつけ、ひとくち飲んだ瞬間、
「ぶ」
思わず吹き出しそうになってしまった。
これは、あれだ。
「……キュウリの味がしますね」
「うん……」
「キュウリにはちみつかけたらメロンの味がするって言うけど……」
メロンの甘みが薄まったことで、ウリ科独特の青臭さが前面に押し出されてしまったのだろう。
「ごめんね、おいしくなかったね」
「……いや、まあ、美味しくはないけど、飲めないほどじゃないよ」
腰に手を当てて、グラスの中身を一気にあおる。
「あしたはりんごかってくるから……」
「楽しみにしてる」
「うん」
頭を強めに撫でてやると、うにゅほが気持ちよさそうな顔をした。
悲しい顔より、こちらのほうがずっといい。



2016年8月28日(日)

「めだまー」
「すこしまっててね」
「はい」
エプロンをつけ、髪の毛をまとめたうにゅほが、慣れた手つきで卵を割る。
「わ」
「どうかした?」
「きみ、ふたつある……」
汁椀を覗き込むと、ちいさな黄身がふたつ、白身のなかで泳いでいた。
「お、双子か」
「ふたご?」
「卵にも双子があるんだよ」
「そなんだ……」
うにゅほが軽く目を伏せる。
「このたまご、あっためたら、ふたごのひよこになったのかな……」
「──…………」
可愛いなあ。
「ならないぞ」
「?」
「なりません」
「ならないの?」
「これ、無精卵だからな」
「むせいらん……」
「ひよこにならない卵のこと」
「へえー」
うんうんと頷く。
「俺も、スーパーの卵あっためたらひよこになるって思ってたなあ……」
「◯◯もおもってたんだ」
「小学生のころだけど」
「う」
うにゅほがほっぺたを両手で包む。
「はずかしい……」
ほんと可愛いなあ。
「ほら、めだまめだま」
「うん、まっててね」
「はい」
トーストにベーコンエッグを乗せたジブリ風ブランチは、たいへん美味しかった。
目玉焼きの黄身は、半熟と完熟のあいだに限る。



2016年8月29日(月)

「──…………」
「あちー、ねえ……」
二十年ものの扇風機が、ゆっくりと首を振りながら、部屋の空気を掻き乱している。
窓は開いている。
扉も開いている。
だが、風は入ってこない。
無風なのだ。
「──…………」
温湿度計を覗き込む。
「……なんど?」
「知りたい?」
「──…………」
「──……」
「いい……」
賢明である。
「……ちょっと、前言を撤回していいかな」
「?」
「たぶん、今日は、この夏でいちばん暑い日だと思うんだけど……」
「うん……」
「これ以上があると、さすがに、まずい気がする」
「うん……」
確実に健康を害される。
そんな危機感を抱くほどの暑気だった。
「エアコンさ」
「うん……」
「つけようか」
「うん……」
「……生きてる?」
「いきてる……」
ぐてー、とベッドに倒れ込んでいるうにゅほの手を、そっと取る。
「リビング行こう。涼もう。脱水症状になりそうだ」
「うん……」
夏は好きだ。
暑いのも好きだ。
だが、じっと耐え抜くものではない。
仮にそうだとしても、うにゅほを付き合わせる謂れはないはずだ。
エアコン、つけよう。
猛暑に対する備えとして、あって困るものではないのだし。



2016年8月30日(火)

「──よし、終わり!」
仕上げた図面をトントンと揃え、クリップで留める。
「おつかれさまー」
やわやわと手のひらを揉んでくれるうにゅほに笑顔を返し、天井付近を仰ぎ見た。
「それにしても、涼しいなあ……」
「そだねえ」
自室の室温が人体に有害なレベルへと達したため、リビングへ避難してきたのだった。
リビングにはエアコンがある。
文明の利器を肌で感じながらする仕事は、思った以上に快適だった。
「……やっぱ、エアコン必要だな」
しみじみと呟く。
「そだねえ……」
まさか、晩夏になって、ここまで気温が上がるとは思わなかった。
北海道の夏もここまで来たかって感じである。
「さ、部屋戻るか。もう夜だし、だいぶ涼しくなってると思うぞ」
「うん!」
うにゅほの手を引き、自室へ戻る。
「あ、すずしい」
「涼しいな」
冷たい空気が、汗ばんだ肌を撫でていく。
「風が出てきたみたいだな」
「たいふう?」
「いちおう、進路ではあるみたいだけど──」
そう言った瞬間、

ジャッ!

と、よく熱した鍋に冷たい水をぶちまけたような音が轟いた。
「あめ!」
「××、そっちの窓!」
「はい!」
慌てて窓を閉め、ほっと一息。
「たいふう、きた?」
「たぶん……」
「……あちーね」
「暑いな……」
温湿度計をそっと裏返し、扇風機の前に並ぶ俺たちだった。



2016年8月31日(水)

「──…………」
ふらふらと頭が前後に振れる。
意識にもやがかかっている。
「……◯◯、どしたの?」
「うん……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫……」
本当に大丈夫かな。
どうかな。
「んー」
うにゅほの手のひらが、俺の額に触れる。
「あつくない」
「熱はないと思う」
「ねつない」
「うん、熱はないんだけど……」
「でも、◯◯、ぐあいわるそう……」
「具合が悪いというか、なんか、ぼーっとする」
「なつばて?」
「どうだろう……」
「あつかったもんねえ」
「あんまり暑いから、エアコンかけてリビングで寝たもんな」
「すずしかったねえ……」
「いまも扇風機ガンガンかけてるし」
「うん」
「……なんか、心当たりがあり過ぎて、夏バテしないほうが不思議な気がしてきた」
「うん……」
「××は大丈夫か?」
「まだ、だいじょうぶ」
「そっか」
「◯◯、よこになる?」
「すこし……」
「せんぷうき、くびふりにするね」
「××、リビングで涼んできな」
「んー……」
「××まで夏バテしたら、誰が俺の面倒を見てくれる」
「ふふ」
くすりと笑って、うにゅほが立ち上がる。
「つめたいの、つくっとくね」
「ああ」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
目を覚ました俺を待っていたのは、メロンミルクのスムージーだった。
美味しかった。

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