>> 2016年7月




2016年7月1日(金)

「あぢー……」
「あついねえ……」
「エアコン欲しい……」
「ほしいねえ……」
「扇風機でもいい……」
「うん……」
「……あぢー」
「あついねえ……」
座椅子に背中をもたれながら天井を仰ぎ見ていると、うにゅほがのそりと這い寄ってきた。
「どした」
「◯◯のひざ、すわっていい?」
「暑いと思うけど……」
「あえて」
「あえてか」
あえてなら仕方がない。
うにゅほの矮躯を引っ張りあげて、膝に乗せる。
「うへえー……」
喜んでるんだか、苦しんでるんだか。
「──…………」
うにゅほと触れている胸元が、じっとりと汗で蒸れていく。
「あぢー……」
「あちーねえ……」
「アイス食べたい……」
「たべたいねえ……」
ぎゅー、とうにゅほを抱き締める。
「××、体温高いなあ」
「ごめんなさい……」
うにゅほの頭頂部に口をつけて、吐息を送り込む。
「あついー」
「はっはっは」
うにゅほが、俺の着ている作務衣の袖を食む。
「ふー」
「あっつ!」
「うへー……」
暑い暑いと言いながら、じゃれ合う俺たちなのだった。



2016年7月2日(土)

自室の窓から外を覗きながら、うにゅほが口を開く。
「あめだー……」
「雨だな」
「ざあ、ざあ、あめだ」
「涼しくていいな」
「うん」
本降りの雨粒が世界を叩き、空気を音で満たしている。
「おじさんのかさ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「小学生のころ、国語の教科書にそんなのが載ってたなって」
「どんなはなし?」
「ええと──」
記憶を掘り起こす。
「おじさんの傘が、雨に当たって、いい音が鳴る話……」
「……おもしろいの?」
「さあー」
「きしょうてんけつ……」
「いや、たぶん、ちゃんとした話だよ。俺が覚えてないだけで」
「そなの?」
「なにしろ、二十年以上も前の話だからなあ」
「わたし、うまれてない……」
「そう考えると、面白いもんだ」
「おもしろい?」
「いま、ここで、こうしてること」
うにゅほの頭頂部にあごを乗せる。
「──あめ、ふってたね」
「初めて会ったとき?」
「うん」
「ほんの一時間ずれてたら、会えなかったかもしれないんだよな」
「うん……」
「会えて、よかったな」
「……うん!」
出会えてよかった。
心の底から、そう思うのだ。



2016年7月3日(日)

「んー……、う、う?」
市民プールからの帰りの車中、うにゅほが左耳を押さえていた。
「どした?」
「なんか、みみ、かさかさいう……」
「水かな」
「みず、かさかさいう?」
「言うような、言いそうにないような……」
「んぅ」
左耳を下にして、とんとんと頭を振る。
「でないー」
「水なら乾いて終わりだと思うけど……」
「みずじゃなかったら?」
「耳鼻科だな」
「えー……」
とん、とん。
「でないー……」
「明日まで様子を見て、かな」
「うー」
「うーではなく」
「ぬー」
「ぬーでもなく」
「やだ……」
「病院なんて行き慣れてるだろ」
「それ、◯◯のつきそい……」
「俺がちょっと具合悪かったら、すぐ病院行け病院行け言うくせに」
「う」
「××は俺のこと心配かもしれないけど、俺だって××のこと心配なんだぞ」
「はい……」
うにゅほがしゅんとする。
「帰ったら、綿棒で耳掃除してやるから」
「うん」
帰宅したのち、あれこれ試していたら、耳の奥から一本の産毛が出てきた。
これが鼓膜に触れていたらしい。
「……なんか前にも似たようなことがあったような」※1
「うん……」
たかだか数ミリの産毛で調子が狂うだなんて、人間の感覚器官は繊細なものである。

※1 2014年10月16日(木)参照



2016年7月4日(月)

「──…………」
キーボードの前で腕を組みながら、呟く。
「……書くことがない」
「ないの?」
「ない」
「かくことないの、たまにあるね」
「毎日書いてるとなあ」
起伏に富んだ日常とは、決して言えない。
だが、穏やかで満たされている。
「……××、なんかない?」
「なんか?」
「こう、秘密にしてることとか」
「……ひみつにしてること、にっきにかくの?」
「やぶさかでない」
「やぶさか……」
「ごめん、適当言った」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
俺だって、自分の発言に首をかしげたい。
「ひみつ、ひみつ……」
「自分で聞いといてなんだけど、言いたくないことなら言わなくていいぞ」
「うと、ちょっとまって……」
しばしの思案ののち、うにゅほが口を開く。
「ひみつ、ない」
「ないのか」
「ない……」
「質問したら、なんでも答えてくれる?」
「うん」
「ほほーう」
目を輝かせてみたものの、改めて聞きたいことなど特にない。
うにゅほのことなら、だいたい知っているからだ。
「じゃあ、パ──」
「ぱ?」
「……いや、なんでもない」
なにを尋ねようとしたのかは、ご想像にお任せします。
「──あ、日記書けた」
「これでいいの?」
「今日の出来事には違いないし……」
「そか」
無理矢理だけど、こういう日だってある。
日記は続けることが大事なのだ。



2016年7月5日(火)

市民プールへ向けて車を走らせている途中、ふとあることに思い至った。
「××」
「?」
「俺の水着、袋に入ってる?」
「うと」
ごそごそ。
「ない……」
「やっぱりかー……」
替えの下着やバスタオルばかり気にしていて、肝心の水着を入れ忘れてしまったらしい。
「とりもどらないと」
「いや、いいよ。ここまで来たら戻るのも面倒だし」
「でも、プールはいれない……」
「たしか、三百円くらいで水着のレンタルやってたろ」
「あ、やってた」
「あれでしのごう」
受付でLサイズの水着を借り受け、プールサイドでうにゅほと合流する。
「──…………」
「──……」
「◯◯、ぴちぴち……」
競泳水着だった。
「……ブーメランパンツじゃなかっただけマシか」
「ぶーめらん?」
「なんか、こんな感じの、三角形の──」
「うへえー」
うにゅほが苦笑する。
喜んでるんだか引いてるんだか。
「そんなん出てきたら、水着取りに帰るけどな。さすがに」
「はかないの?」
「穿かないよ……」
いまの水着だって、ビジュアル的にギリギリなのだ。
「……それにしたって、この水着、ピチピチ過ぎやしないか?」
「うん」
「すげえきつい……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫っちゃ大丈夫だけど……」
プールで小一時間ほど遊び、更衣室に戻って気がついた。
「……これ、Mサイズだ」
きついはずである。
受付のお姉さん、間違えやがったな。
教訓、プールへ行くときは水着を忘れてはならない。
小学生か。



2016年7月6日(水)

「──……はあ」
作務衣の共襟をパタパタさせながら、溜め息をひとつつく。
暑い。
七月に入ってから暑い日が続いていたけれど、そのなかでもひときわだ。
「♪~」
ぼけらーっとしていると、眼前でちいさなおしりが揺れた。
ワールドトリガーの新刊を手にしたうにゅほが、俺の膝に腰掛ける。
そして、
「──あつ!」
と、慌ててこちらを振り返った。
「◯◯、あつい……」
「そら暑かろうよ」
「ちがくて」
対面するように座り直したうにゅほが、俺の額に手を添える。
「……◯◯、ねつある」
「熱?」
「うん……」
「体調とか、べつに悪くないけどなあ」
「ぐあい、わるそうじゃない」
「だよなあ」
「うん」
「敢えて言うなら、全身はメチャクチャ痛い」
「きんにくつう?」
「たぶんな」
昨夜、興が乗ったので、力尽きるまで筋トレしまくったのだった。
「それで、あついのかなあ」
「他に思いつかないから、そうかも」
筋肉痛とは、言うなれば筋繊維の炎症である。
当然、発熱することもある。
「いっきにやるから……」
「うん……」
「きーつけないと、だめだよ」
「はい」
「よろしい」
「──…………」
「──……」
「……こっち向いたまま読むの?」
「だめ?」
「いいけど……」
そんなわけで、いまいち落ち着かない時間を過ごしたのだった。



2016年7月7日(木)

「たなばた」
「七夕だな」
「ななゆう」
「ななゆう?」
「ななゆうってかいて、たなばた」
「そうだな」
「なんで、たなばたってよむの?」
「あー……」
「たなぼたとなんらかの」
「関係ないと思うぞ」
「たなから、ばたもち」
「バター餅?」
「ばたもち、おいしそう」
「確かに……」
「バターとしょうゆをひいたフライパンで」
「──…………」
「ひょうめんが、ぱりっとするまで」
「……腹減ってきた」
「おもちやく?」
「もち、ある?」
「ないとおもう」
「だよなー……」
「さがしたら、おやつあるかも」
「いや、いいよ。ダイエット中だし」
「あ、こないだこすとこで、びーふじゃーきーかった」
「お」
「おおきいやつ」
「マジか」
「びーふじゃーきー、ダイエットにいいもんね」
「ほとんどタンパク質だから、しょっぱいプロテインみたいなもんだ」
「でも、たべすぎだめだよ」
「はい」
「◯◯、ほっといたらぜんぶたべちゃう」
「気をつけます……」
「よろしい」
「ははー」
「……あれ、なんのはなしだっけ」
「七夕だろ」
「たなぼた」
「七夕」
「うへー」
「短冊とか、いいの?」
「べつにいい」
「そっか」
うにゅほにとって、七夕は平日である。



2016年7月8日(金)

「ぐ、ぬぬ、ぬー……」
「あと1センチ!」
「う、う、う」
「もうすこし!」
「──なー!」
いまいち気の抜ける気合と共に、うにゅほの指先がフローリングをかすめる。
「ついた!」
「ついてない!」
「ついた……」
「右手だけな」
「うー」
「でも、ストレッチの成果は出てるよ」
「がんばった」
「よしよし」
「うへー……」
頭を撫でてやると、うにゅほがてれりと笑みを浮かべた。
うにゅほは前屈が苦手である。
背中側には猫かと思うくらい反れるのに、前屈だけができない。
「要するに、ふとももの裏が硬いんだな」
「そなの?」
「前屈したとき、どこが突っ張る?」
「うと……」
うにゅほが上半身を折り曲げる。
「ぐぬ、う、う──」
「そのまま」
ふとももの裏側──大腿二頭筋に触れる。
「うひ」
「ここが硬い」
「うー……」
「あと、膝曲がってる」
「も、も、いい?」
「いいよ」
「ふー……」
うにゅほが寝床に倒れ込む。
「も、すこし……」
「そうだな」
「◯◯みたいに、てのひらつきたい……」
「続けてれば、そのうちつくよ」
「うん」
「ほら、マッサージしてあげよう」
「おねがいします」
継続は力なり、である。
体それ自体は柔らかいのだから、さほど苦もなく目標達成できるの思うのだけど。



2016年7月9日(土)

市民プールからの帰途の車中でのことである。
「はちー……」
「あちーねえ……」
「プールから上がると、急に暑いよな」
「うん……」
カーエアコンを僅かに強め、窓を閉める。
「コンビニでアイスでも買ってくか」
「そうしましょう」
「俺、ガリガリ君」
「あ、わたしも」
「じゃ、BLACKアイスにしよう」
「わたしも……」
「お揃いもいいけど、別の選んでひとくち分け合いたい」
「あ、そか」
うんうんと頷くうにゅほを横目に、直近のコンビニへと車を止める。
「××、ゴミある?」
「あるー」
うにゅほからヴァームのペットボトルを受け取り、店先のゴミ箱へと放り込む。
「あ!」
「?」
「◯◯、かんのほういれた……」
「ああ、コレ系のゴミ箱って、缶もペットボトルも中で繋がってるんだよ」
「しってる」
「知ってるのか」
「でも、ペットボトルは、ペットボトルのほういれないとだめなんだよ」
「……どっちに入れても同じなのに?」
「うん」
うにゅほなりのこだわりがあるらしい。
「わかった、今度からそうするよ」
「うん」
満足げに頷くうにゅほの手を引き、店内へ入る。
「……涼しい」
「すずしいねえ……」
「エアコン欲しいなあ」
「ほしいねえ……」
文明の風に晒されながら、ガリガリ君とBLACKアイスをついつい大量購入してしまう俺たちなのだった。



2016年7月10日(日)

「──…………」
洗面所の鏡を覗き込みながら、寝癖を軽く整える。
丸刈りにしてから一ヶ月以上が経過し、髪もだいぶ伸びてきた。※1
「そろそろ切ろうかなあ……」
「!」
ソファでくつろいでいた鏡の向こうのうにゅほが、見えないしっぽを振り始める。
「ぼうず、するの?」
「このあいだほど短くはしないけどさ」
「しないの……」
しゅん。
がっかりしすぎである。
「ほら、だんだん横に膨れ上がってきただろ」
「うん」
「床屋のおじさん曰く、人間には耳があるから、自然とこういう伸び方になるらしい」
「なめこみたい」
「──…………」
鏡を見る。
なめこ。
首をかしげる。
なめこ。
ふと、思い至る。
なめこ。
「……髪切ります」
顔のシルエットがなめこに見えてしまった以上、他に道はない。
「ぼうず?」
「丸坊主にすると、一ヶ月でまたこうなるからなあ……」
「そしたら、またぼうずにする」
「撫でたいだけだろ」
「うへー……」
図星である。
撫でられるのは嫌ではないが、万年丸坊主もどうだろう。
出家したわけでもあるまいに。

※1 2016年6月1日(水)参照



2016年7月11日(月)

「眠い」
「ねむいの」
「ねーむーいー……」
「わ」
うにゅほの膝に頭を乗せる。
「ねていいよ」
なでなで。
「寝ない」
「ねむいなら、ねたほういいよ」
「仕事がね、まだ終わらないんですよ」
「おつかれさまです」
「ありがとうございます」
「きゅうけい?」
「充填」
「じゅうてん?」
「エネルギーの充填中」
「えねるぎー……」
「××エネルギー」
「そんなの、あるの?」
「ある」
「あるんだ」
「××エネルギーは、××に触れることで補給できる」
「ほきゅうできないと、どうなるの?」
「死ぬ」
「しぬの」
「死にたくないので、定期的に補給しなければならないのです」
「そうなんだ」
うにゅほがうんうんと頷く。
「……馬鹿言ってないで、仕事に戻るか」
「だめ」
上体を起こそうとして、うにゅほに止められた。
「◯◯えねるぎーのじゅうてんちゅうだから、だめ」
「俺エネルギーもあるんだ……」
「ある」
「補給できないと、死ぬの?」
「しぬ」
「そうなんだ……」
「うん」
「なら、仕方ないな」
「しかたない」
というわけで、しばらくのあいだ膝枕されていた。
仕事?
終わればいいんだよ、終われば!



2016年7月12日(火)

「あっ!」
パソコンデスク代わりの座卓の上に立ててあったタブレットペンが、ことりと倒れた。
「ごめんなさい……」
申し訳なさそうな表情を浮かべ、うにゅほがペンを立て直す。
「いや、そんな謝らなくても」
「でも」
「掃除してもらってるのはこっちなんだから、むしろ片付いてなくてごめんとしか……」
「もの、おおくなってきたね」
「引き出しないからなあ」
「すてるの、すてる?」
「そうしたいんだけど、捨てるものがなくて」
「そなんだ」
「……んー?」
座卓の上を見回して、ふと思う。
「物が増えたのは確かなんだけど、なにが増えたのかわからない……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「言うなれば、必要なものしかない」
「これは?」
うにゅほが指差したものは、
「PC用のマイク。仕事で使ってるだろ」
「これ、まいくだったの」
「どこに向かって話してると思ってたんだ?」
「これ」
「ディスプレイかあ」
ノートパソコンにはWebカメラとマイクが内蔵されていたりするから、決して的外れではないのだけど。
「くすりと、つめきりと、めぐすりと」
「鼻炎用のスプレーと、耳栓……」
「つかわないの、ないねえ」
「でも、なにかが増えたんだよ」
「なんだろうねえ……」
「さあー……」
改めて考えてみても、よくわからない。
最初から、いまと同じものが揃っていたような気もする。
しかし、乱雑になっていることは確かなのだ。
「とりあえず、まとめて端に寄せといて」
「はーい」
とは言え、わりとどうでもいいことなので、謎は謎のままにしておこう。



2016年7月13日(水)

泡立て器が音を立てるたび、ボウルの中身が混ぜ合わされていく。
「なにつくってるの?」
「プロテイン」
「ぷろていんかー」
「このところ、プールとか行って、体動かしてるからな」
「いいことですね」
「いいことでしょう」
しばしして、粉末プロテインとアップルジュースの混合溶液が出来上がった。
ひとくち飲んで、
「うん」
「おいしい?」
「美味しい」
セブンイレブンのアップルジュースは、サワーミルク味のプロテインを溶かす際の最適解である。
「いい加減、このプロテインも使い切らないとなあ」
「さいきんのんでなかったもんね」
「味はいいんだけど、作るのが面倒で……」
粉のまま噛むわけにも行かないし。
「まあ、ちまちま消費してくさ」
氷を入れたグラスにプロテインドリンクを注ぎ、ちびりと飲む。
「──……んー」
「?」
「◯◯、ふくろみして」
「プロテインの?」
「うん」
「そこにあるよ」
うにゅほがプロテインの徳用袋を抱え上げ、何事かを確認する。
「……◯◯、ことしなんねん?」
「2016年だけど」
「しょうみきげん、にせんじゅうごねん……」
「──…………」
「のんじゃだめ」
「……粉末だから、大丈夫じゃない?」
「だめ」
「はい」
古くなったプロテインは、無事、廃棄される運びとなりました。
3kgは多過ぎた。



2016年7月14日(木)

「あちー……」
「あちーねえ……」
「……うわ、汗でべとべとだ」
「シャワーあびてきたら?」
「そうするかな」
「うん」
「……なんか、俺たちの部屋だけ妙に暑くない?」
「ひあたりいいからかな」
「日当たりなら、弟の部屋も同じじゃん」
「そだねえ」
「弟の部屋と俺たちの部屋で、違うことってなんだろう」
「うと、れいぞうこがある……」
「なるほど、有力だな」
「そなの?」
「冷やしたぶんの熱は、どこへ行くと思う?」
「そと」
「正解」
「だから、あちーのかあ」
「他にも可能性はある」
「どんなの?」
「弟の部屋と比べて物が多いから、風の通りが悪いのかもしれない」
「あー」
「まあ、これはどうしようもないな」
「ふたりいるからね」
「──…………」
「──……」
「あと、最も有力な説がひとつあってな」
「?」
「××が俺の膝に乗ってるから……」
「……うへー」
「首筋、汗ばんでるぞ」
「うん」
「俺のあと、シャワー浴びたらいいよ」
「そうする」
果たして、真夏日になってもくっついていられるのか。
俺たちの挑戦が始まる。



2016年7月15日(金)

「んー……」
ぐー、ぱー。
ぐー、ぱー。
両の手のひらを、開いたり、閉じたり。
「どしたの?」
「なんか、指の調子が悪い」
「ゆび、ちょうしとかあるんだ」
「俺も初めて知った」
ぐー、ぱー。
ぐー、ぱー。
「いたいの?」
「うーん」
「いたくない?」
「痛くはないけど、すこし重いと言うか、いまいち鈍いと言うか……」
言葉にするのが難しい感覚だ。
「てーかして」
「はい」
うにゅほに左手を取られる。
熱い。
体温が高いのだろう。
「こうしたら、いたい?」
人差し指が、優しく折り曲げられる。
「痛くない」
「こうは?」
「痛くないよ」
「こっち」
「大丈夫」
しばしして、
「わかんない……」
「むしろわかったらびっくりするけど」
「したら、いたいこと、ある?」
「あー……」
ぱき。
「──つッ」
「◯◯?」
「指を鳴らすと、すげえ痛い」
「──…………」
うにゅほが白い目をこちらに向ける。
「……わかってるなら、ゆびならすのきんし」
「あ、はい……」
わかりやすく例を見せただけのつもりだったのだが、怒られてしまった。
指の使い過ぎだろうか。
しばらくのあいだ、安静にしておこう。



2016年7月16日(土)

髪を切った。
「んー……」
なでなで。
助手席のうにゅほが、俺の頭へと手を伸ばす。
「ちくちくする」
「××、危ないから、運転中はやめなさい」
「はい」
素直である。
「丸坊主じゃなくて残念か?」
「ちょっとだけ……」
「坊主も、悪くはないんだけどな」
「うん」
「手入れ楽だし、寝癖つかないし──」
「あ、あかだ」
信号を確認しブレーキペダルを踏み込むと、うにゅほが再び俺の頭に手を伸ばした。
「ちくちくするー」
なでなで。
「ちくちく」
なでなで。
「──…………」
「♪」
「楽しい?」
「たのしい」
「坊主じゃなくてもいいのでは……」
「ぼうずは、すごくたのしい」
「そうですか」
「ぼうずはね、じゃりじゃりしてて、てがきもちい」
「うん」
「ひとさしゆびと、なかゆびで、ぺぺぺってやると、だんだんまえのほういく」
「……?」
「こう、ぺぺぺって」
うにゅほが、人差し指と中指を交互に上下させてみせた。
まったく意味がわからない。
わからないが、
「そうなんだ」
とりあえず頷いておくことにした。
「……坊主は、まあ、うん。気が向いたとき、またするから」
「はーい」
青信号。
アクセルペダルに足を掛け、ミラジーノを発進させる。
丸坊主かあ。
また、出家しただのなんだの言われるんだろうなあ。
しかし、うにゅほと約束してしまったからには仕方ない。
そのうち、そのうち。



2016年7月17日(日)

「──……ぶあ!」
ペットボトルの中身を一気に飲み干し、溜め息をつく。
「はー、苦い……」
「にがいやつ、おいしい?」
「苦い」
「にがいのにのむの……」
「苦いのが効くらしい」
「たいしぼう」
「本当に体脂肪率が下がるかどうかは知らんけど、体に悪いものじゃないだろ」
ヘルシア緑茶のラベルを剥がし、ゴミ箱に捨てる。
「たいしぼう、きになるの?」
「気になるねえ……」
「◯◯、そんなふとってないのに」
「太ってるとか、太ってないとか、そこが問題じゃないんだ」
「どこがもんだい?」
「前より太ったことが問題なんだ」
「……?」
うにゅほが首をかしげる。
「父さんより痩せてるとか、弟は腹出てるとか、そんなこと言われても嬉しくない」
「うん」
「太ったねって言われるのが嫌だから、痩せたいんだよ」
「……うーん?」
「まあ、××にはわからない感覚かもしれないな」
痩せっぽちだし。
「あ、のこってる」
うにゅほが、ラベルを剥がしたペットボトルを手に取り、底に残ったひとしずくを啜る。
「……にがいー」
「苦いだろ」
「◯◯、よくのめるねえ」
「味わおうとしないで、一気に流し込むのがコツだ」
「たいしぼう、へったらいいね」
「どうかな……」
実を言うと、あまり信じていなかったりする。
「おたかいから、きいてほしい」
「ほんとな」
楽して痩せようとすると、金がかかる。
そういうものかもしれない。



2016年7月18日(月)

「うへえー……」
「涼しいな」
「すずしいねえ、すずしいねえ」
うにゅほが子供のようにはしゃぐ。
リフォーム中の我が家から、扇風機を発掘してきたのだった。
「これで、くっつき放題だな」
「うん、くっつきほうだい」
うへーと楽しげに笑いながら、膝の上のうにゅほがこちらへ体重をかける。
暑い。
でも、汗ばんだ箇所から順に体温が奪われていく。
扇風機さまさまである。
「──…………」
「♪」
伸ばした足をパタパタさせているうにゅほを見ながら、ふと思う。
仮住まいに引っ越してきてから、密着する頻度が目に見えて高くなっている気がする。
「……部屋が狭いせいかな」
「?」
「ひとりごと」
「そか」
いまの部屋は六畳間だから、ちょっと頑張ればどこにいたって相手に触れることができる。
どうせ近いならいっそのこと密着してしまえ、という感覚だ。
「××」
「?」
うにゅほが肩越しに振り返る。
「……いや、なんでもない」
「そか」
元の家へ戻るのがすこし寂しくなった──だなんて、女々しくて言えるはずもない。
「リフォーム、もうすぐ終わりだな」
「うん」
「さっき見てきたけど、ほとんど完成してたもんな」
「すごかったねえ」
「あと十日で、また引っ越しかあ」
「うん……」
「……涼しいな」
「すずしいねえ」
軽く現実逃避をしながら、うにゅほをぎゅうと抱き締めた。



2016年7月19日(火)

あてどなくネットサーフィンをしていると、ステレオグラムを集めたサイトに行き着いた。
「うわ、懐かしい……」
「?」
うにゅほが俺の肩越しにディスプレイを覗き込む。
「……もよう?」
「立体視だよ」
「りったいし」
「ある特殊な見方をすると、模様から文字が飛び出して見える」
「ほ!」
あ、食いついた。
3Dとか大好きだもんな、うにゅほ。
「どうやったらみえるの?」
さっさと俺の膝に陣取ったうにゅほが、鼻息荒く尋ねた。
「まず、力を抜いてください」
「はい」
ふにゃふにゃの肩をマッサージしてやりながら、続ける。
「画像の上に、点がふたつありますね」
「はい」
「ぼやーっとしたら、点がよっつに見えませんか?」
「ぼやー?」
「ぼやー」
「ぼやー……」
しばしして、
「よっつにみえる……」
「そしたら、ずれた点を重ね合わせて、みっつにしてみてください」
「みっつ……」
「ぼやー」
「ぼやー……」
またしばらくして、
「──あ!」
「見えた?」
「つち、ってかいてある!」
「正解」
「すごいねえ、すごいねえ!」
大興奮である。
「もっと見たい?」
「うん!」
いまさらながらステレオグラムにハマるうにゅほなのだった。



2016年7月20日(水)

「うーん……」
卓上ミラーを覗き込みながら、顎の下を撫でる。
「三十路を過ぎてから、ヒゲ伸びるのが早くなった気がする」
「そなの?」
「ほら」
首を後ろに反らせ、顎の下を見せる。
「あ、ぽつぽつしてる」
「な?」
「とこやのおじさんとこで、そってもらったばっかしなのにねえ……」
俺は、ヒゲが濃いほうではない。
二十代のころは、一週間は剃らなくても大丈夫だったものだ。
「……老けたのかな」
「かんけいあるの?」
「ヒゲって、年齢と共に濃くなってくらしくてさ」
「そうなんだ」
「なんか、男性ホルモンがうんぬん」
「ほるもん」
「よく知らんけど……」
「うしょ」
うにゅほが座卓に手を伸ばし、なにかをつまみ上げた。
「毛抜き?」
「◯◯のひげ、ぬいていい?」
「いいけど」
「やた!」
敷布団の上に正座したうにゅほが、ぽんぽんと膝を叩く。
「はい」
「ヒゲ抜くの好きだなあ」
「すき」
うにゅほの膝に頭を乗せ、目をつぶる。
「もすこしうえ」
「はいはい」
「くびそって」
「はいはい」
「ぬくよー」
「あいよー」
ぷち、ぷち。
僅かな痛みを心地よく感じながら、しばらくヒゲを抜かれていた。



2016年7月21日(木)
2016年7月22日(金)

「──……んが」
頬の熱さに目を覚ます。
液晶タブレットの画面に突っ伏しながら眠っていたらしい。
「……?」
こめかみの微かな痛みを気にしながら、状況の把握に努める。
まず、ここは自室である。
明かりは既に落とされており、すぐそばの布団では、うにゅほが寝息を立てている。
時刻は、
「──一時半?」
普段であれば、まだ眠るような時間ではない。
ぱさ。
肩に掛けられていた半纏が、座椅子の上に落ちた。
「……んぃ……」
うにゅほの目蓋がゆっくりと開いていく。
「◯◯、おきた……?」
「ごめん、起こした」
「──…………」
もそもそとこちらへ這い寄ってきたうにゅほが、
「えい」
ぺし!
「いて」
俺の脳天にチョップをかました。
「おさけ、のみすぎ」
「酒──」
思い出した。
濃い目のコーラハイで晩酌をしていたところ、そのまま寝落ちしてしまったのだ。
「やばい、日記書いてない!」
「えい」
ぺし!
「いて」
再びチョップ。
「にっきじゃなくて、ちゃんとねないとだめ」
「でも」
「さいきん、あんましねてなかったでしょ」
「忙しくて……」
「そんななのにおさけのむから、へんなねかたするの」
「はい……」
「ほら」
うにゅほが俺の手を引く。
「ふとんはいって」
「はい」
「あさまでおきたらだめだよ」
「はい」
「てーつないでねるからね」
「はい……」
「おやすみなさい」
「おやすみなさい」
目が覚めたのは、午前十時を過ぎたころだった。
久方ぶりにたっぷりと睡眠をとったためか、油を差したかのように調子がよかった。
人間、やはり寝ないと駄目なようだ。



2016年7月23日(土)

「──…………」
すんすん。
膝の上でくつろいでいるうにゅほの髪の毛を鼻先で掻き分ける。
「塩素の匂いがする」
「えんそ?」
「プール行ったからなあ」
「プールのにおい」
「そう」
「くさい?」
「臭くはないよ。夏の匂いだ」
「なつのにおい……」
まあ、市民プールは年中開いているのだけど。
「かとりせんこうのやつも、なつのにおい?」
「そうだな」
「はなびのにおいとか」
「ラムネの匂いとか」
「ラムネ、のみたいねえ」
「祭りで買おうな」
「おまつりのにおいも、なつのにおい」
「祭りの匂いか」
「なつのにおいじゃない?」
「夏の匂いだよ。ただ、いろいろ混じってるからな」
火薬の匂い。
焼き鳥の匂い。
人混みの匂い──
「たいこのおと」
「それは、音だろ」
「おとだけど、においするきーする」
「あー……」
共感覚というほどではないにしろ、言いたいことはわからないでもない。
音も、匂いも、明かりも、味も、すべてが混じり合って、祭りの空気を形作っている。
ガサガサのスピーカーから流れる盆踊りの歌。
腹を揺さぶる太鼓の響き。
赤橙の提灯に彩られた世界。
「……祭り、行きたくなってきた」
「うん」
「もうじきリフォームも終わるし、夏祭りに間に合いそうだな」
「うん!」
家の前の公園では、今年も夏祭りが執り行われるだろう。
今から楽しみである。



2016年7月24日(日)

「──すん!」
「どした」
「ぶー……」
うにゅほが上体を軽く反らし、
「ぷし!」
と、ちいさくくしゃみをした。
「ティッシュいる?」
「いるー……」
「はい」
ずびー。
「さっきの、くしゃみする前のやつって、不発?」
「……?」
「すん、ってやつ」
「あれは、しっぱい」
「くしゃみって、失敗するのか」
「しない?」
「我慢を失敗することはあるけど……」
「……あれー?」
うにゅほが小首をかしげる。
「不発だったから、くしゃみし直すことならある」
「たぶん、それ」
「ムズムズするよな」
「うん、はなむずむずする」
ずびー。
「……ぶー」
「風邪でも引いたかな」
「わかんないけど、ちがうとおもう」
「わからなくても、気をつけておかないと」
「うん……」
「窓は閉めて、扇風機も止めておこう」
「あついとおもう」
「あと、膝の上においでなさい」
「はい」
「暑いと思うけど」
「しかたない、しかたない」
「都合いいなあ」
「つごういいの」
風邪を引くより、ずっといい。



2016年7月25日(月)

カレンダーを見ながら、ぼんやりと呟く。
「そろそろ荷造りしないとなあ……」
「ひっこし、にじゅうくにち?」
「そう」
「あとよっか……」
「荷造りしないとなあ」
「しないとねえ」
「引っ越しは29日だけど、荷造りは28日までに終わらせないと駄目だぞ」
「あとみっか?」
「あと三日」
「──…………」
「──……」
「にづくりしないと」
「しないとなあ」
「うん」
口ではそう言いながら、動く気はさらさらない。
「──…………」
「──……」
「にづくり、しないの?」
「しないとなあ……」
「うん……」
「しないけど」
「しないの」
腰を浮かしかけていたうにゅほが、再び俺の膝の上に座り込んだ。
「考えてもみなさい」
「かんがえてもみる……」
「いまから全部ダンボール箱に詰めたら、引っ越しするまで何もできないぞ」
「うん……」
「仕事もあるし、着替えもあるし、読むものだってなくなるし」
「それいがいは?」
「それ以外って、そもそも持ってきてないだろ」
「──…………」
しばし思案し、
「あ、そか」
「最低限の荷物しか持ってきてないんだから、荷造りだって最低限」
「うん」
「むしろ、家に戻ってからが本番だぞ」
「ほん、あるからね」
「2,500冊な」
「ほん、あるね……」
「本棚増やしたから、まだまだ入るぞー」
「うへー……」
うにゅほが苦笑する。
結局のところ、俺は、本に囲まれていないと落ち着かないのである。



2016年7月26日(火)

「──終わっ、たー……!」
ぐてー。
仕事用のテーブルに突っ伏し、目をつぶる。
「おつかれさま」
「はちー……」
「せんぷうき、つけるね」
かち。
小気味良い音と共に、柔らかな風が髪をそよがせていく。
「涼しいー……」
「きょう、あついもんねえ」
甚平の共襟をパタパタさせながら、うにゅほがひとつ溜め息をついた。
「扇風機、使っててもよかったのに」
「しょるいとぶからって」
「俺のほうに向けなければいいわけだし」
「えー……」
うにゅほが口を尖らせる。
「わたしだけすずしいの、いや」
「嫌ですか」
「や」
「普通は逆だと思うんだけど」
うにゅほらしいと言えば、うにゅほらしい。
「◯◯、しごとしてるのに、あついのに、わたしほんよんでるのに、わたしだけすずしい……」
「うん、言いたいことはわかる」
「そか」
「でも、そういう××だからこそ、涼んでてほしいって気持ちもある」
「──…………」
あ、なんとも言えない顔してる。
「なんつーか、こう、××は、守りたい度が高い」
「まもりたいど」
「守りたい度が高い子は、守りたくなる」
「◯◯も、まもりたいど、たかいよ」
「……高いのか」
「たかい」
微妙に複雑である。
「……まあ、うん、守り守られで行きましょう」
「そうしましょう」
扇風機の前にふたり並んで涼む俺たちなのだった。



2016年7月27日(水)

「××、ほら」
「?」
うにゅほにiPhoneの画面を見せる。
「ポケモンGO」
「ぽけもんごー」
「知らない?」
「なまえはしってる」
「××、ポケモン興味ないもんなあ」
「ぴかちゅうはしってる……」
「まあ、俺も大して興味ないんだけどさ」
「そなんだ」
「なんか、外を歩くとポケモンが見つかるらしい」
「そと……」
ふたりで窓の外を見やる。
「……あめふってる」
「降ってるな」
「いく?」
「行かない」
「うん」
「あと、ポケストップってところに行くと、アイテムを入手できる」
「ぽけすとっぷ」
「公園とかが多いな」
「いえのまえのこうえん、ぽけすとっぷ?」
「その通り」
「へえー」
「だから、家から出なくても、いくらでもアイテムが手に入るのだ!」
「すごいの?」
「わからない」
「わからないの」
「だって、あんまりやる気ないし」
「ないの」
「××、やってみたい?」
「んー……」
しばし小首をかしげたあと、
「◯◯がやるきないなら、わたしもやるきない」
「まあ、大して知らんモンスター集めるために長距離歩くのもな」
「うん」
そんなわけで、俺たちのポケモンGOは、密やかに幕を下ろしたのだった。
そもそも幕が上がらなかったとも言う。



2016年7月28日(木)

「はい」
「ほい」
Tシャツを受け取り、ダンボール箱に入れる。
「はい」
「ほい」
ワンピースを受け取り、ダンボール箱に入れる。
「はい」
「ほい」
靴下の束を受け取り、ダンボール箱に入れる。
「はい」
「──…………」
うにゅほのパンツを受け取る。
「……いや、まあ、いいんだけどさ」
「?」
同じ箪笥にごちゃ混ぜで衣類を仕舞っている時点でお察しである。
箪笥の中身を詰め終わったあと、うにゅほがそっと口を開いた。
「ぞうさんのたんす、さよならだねえ……」
プリントされた象の絵柄を愛おしげに撫でる。
引っ越しにあたり、箪笥を買い替えることにしたのだった。
「いい加減、カビ臭くなってたからな」
「うん……」
「まあ、いままで頑張ったよ」
うにゅほに倣い、箪笥の天板を撫でる。
「……そうか。このぞうさんも、見納めか」
子供の頃から見慣れた絵柄。
箪笥自体には、良い思い出も、悪い思い出もない。
だが、記憶の各所をたしかに彩っている。
「◯◯」
「んー」
「ぞうさんのしゃしん、とる?」
「……なるほど」
箪笥そのものはなくなってしまっても、ぞうさんの絵柄だけはデータに残る。
「ナイスアイディア」
「うへー……」
便利な世の中になったものだ。
写真とは、記憶のしおりである。
差し挟むことで、思い出すことができる。
「××の写真も撮っていい?」
「だめー」
なんか嫌がられるのだった。



2016年7月29日(金)

「──…………」
ぼす。
仮置きしたマットレスに思いきり倒れ込む。
「うあー……」
ぽす。
「ぐえ」
マットレスに倒れ込んだ俺の上に、うにゅほが優しく倒れ込んだ。
「づーかーれーたー……」
「つかれたねえ……」
我が家のリフォームがようやく完了し、アパートから復路の引っ越しと相成った。
そして、ガレージに取り置いてあったダンボール箱すべてを運び入れたところで燃え尽きたのだった。
「ほん、かたづけないとねえ……」
「……今日?」
「うと、きょうは──」
「──…………」
「──……」
「きょうは、もう、おわり?」
「うん、明日やろう。明日からやろう。ゆっくりやろう」
「そだね」
うにゅほが苦笑するのが気配でわかった。
「ほんだな、すごいねえ……」
「すごいだろ」
「としょかんみたい」
「図書館に住むのが夢だったんだよ」
壁一面と言わず、壁二面が、上から下までまるっと本棚である。
2,500冊程度の蔵書など、造作なく収まるだろう。
まあ、収まるほうに造作はなくとも、収めるほうにはふんだんにあるのだが。
「……××、ちょっとだけ寝ていい?」
「あ、どけるね」
「いや、布団代わりに乗ってて」
「いいの?」
「××も、一緒に休もう。朝早かったし」
「うん」
「じゃ、おやすみ」
「おやすみー」
親亀子亀で昼寝をしたら、妙な悪夢を見てしまった。
いくらうにゅほが軽いとは言っても、人一人を背負ったまま眠るのは無理があったらしい。



2016年7月30日(土)

「あぢー……」
甚平の共襟をパタパタと動かしながら、あまりの湿度に喘ぐ。
「はちーねえ……」
「服の下とか、汗でべたべただよ……」
「わたしも……」
「……動きたくねえー」
「うん……」
無数のダンボール箱をひとつひとつ開封して本を整理しなければならないのだが、とてもじゃないけどやる気が起きない。
「××、扇風機つけよう。幸せになろう」
「なる……」
ダンボール箱でできた山の向こうから扇風機を掘り出し、コンセントを繋ぐ。
「──…………」
「はー……」
「涼しい……」
「すずしいねえ……」
「さっきとは別の意味で動きたくない……」
「うごきたくないねえ……」
柔らかな風が頬を撫で、気化熱が体温を奪っていく。
「……寒くなってきた」
「そう?」
湿度が異様に高いだけであって、気温自体はさほどでもない。
当然の帰結と言えた。
「弱にしよう」
「うん」
弱にした。
「暑い……」
「あついねえ……」
「中にしよう」
「うん」
中にした。
「寒い……」
「あいだ、ないよ?」
「うーん……」
しばし思案し、
「××、強にして」
「うん」
強にした。
「ちょっとさむいかも……」
「そこでだ」
「わ」
うにゅほを抱き上げ、膝に乗せる。
「これで、ちょうどいいはず」
「なるほど」
うんうんと頷く。
「──…………」
「──……」
「まえがさむくて、せなかあつい」
「……そりゃそうか」
脳が働いていないらしい。
数時間ばかり扇風機の前でうだうだしていると、いつしか日が暮れていた。
有意義な一日ですね。



2016年7月31日(日)

「──…………」
「♪」
家の前の公園で、今年も夏祭りが執り行われていた。
熱気。
喧騒。
祭囃子。
そういったものが自室にいても感じられるのは、公園の傍にある我が家の特権だ。
「ラムネおいしい」
「ひとくち」
「はい」
扇風機の前でふたり寄り添いながら、舌で祭りを楽しむ。
「焼き鳥少なかったかな」
「やきとりのぶた、もすこしたべたい」
「あとでまた買いに行くか」
「うん」
「……涼しくなったらな」
「うん……」
暑い。
あまりに暑い。
雨の予報は外れたものの、湿度の上昇までは避けられなかったようだ。
「××、ほら」
「?」
「あまりの湿気に書類がたわんでいる……」
「ほんとだ……」
「でも、まあ──」
焼きそばを割り箸でほぐしながら、言う。
「暑いほうが、祭りっぽいけどな」
「そだね」
「ラムネ、もう二、三本欲しいなあ」
「のみすぎ」
うにゅほがくつくつと笑う。
「いやだってこれ、200mlくらいしか入ってないんじゃないか?」
「そうかも……」
「ペットボトルで持って来い、ペットボトルで」
「ぺっとぼとるだと、おいしくないよ」
「まあなー」
ぬるいラムネも、生焼けの焼き鳥も、祭りだから美味しいのである。

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