>> 2016年6月




2016年6月1日(水)

「──…………」
なでなで。
さりさり。
「♪」
なでなで。
さりさり。
「……××さん」
「はい」
「撫ですぎ」
「だめ?」
「駄目ではないけど……」
「うへー」
なでなで。
さりさり。
「……そんなに楽しい?」
「たのしい」
「俺は、正直、失敗したと思ってるんだけど……」
「えー」
「父さんには、出家したのかってからかわれるし」
「あー」
「母さんには、見るたび笑われるし」
「うん」
「試しにやってみたはいいけど、俺、坊主あんまり似合わないだろ」
「そかな」
なでなで。
さりさり。
「……撫で心地はいいみたいだけど」
「いい」
なでなで。
さりさり。
「ずっとなでてたい」
「なら、ずっと撫でてなさい」
「はい」
なでなで。
さりさり。
なでなで。
さりさり。
なでなで。
さりさり。
十分後、
「……撫ですぎじゃない?」
「◯◯、ずっとなでてなさいって」
「限度があると思うんですけど……」
「はーい」
丸刈りは失敗だったと思うが、うにゅほが気に入っているようだから、まあ、いいや。
そういうことにしておこう。



2016年6月2日(木)

「だーもー、やっと終わったー……」
「おつかれ、おつかれ」
なでなで。
さりさり。
折りたたみ式の仕事机に突っ伏していると、うにゅほが頭を撫でてくれた。
「……××、俺の頭撫でたいだけだろ」
「うへー」
図星らしい。
「あたらしいざいす、いい?」
「あー」
仕事の多さに忘れ掛けていたが、新しい座椅子を買ってきたのだった。
「うん、悪くないかな」
「よかった」
「座面が低反発素材のせいか、ずっと座ってたけどケツ痛くなってないし」
「◯◯、おしりいたいって、いってたもんね」
「ゴツゴツしてると、どうもな」
「ぢ、だもんね」
「いや、違う。そっちじゃない」
「ぢじゃないの?」
「痔だけど、そうじゃなくて」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「痛い痛いって言ってたのは、穴のほうではなく、尻っぺたのほうです」
座椅子から立ち上がり、ぽんぽんと尻を叩いてみせる。
「あ、そなんだ」
「痔の経過は、いまのところ良好です」
「はい」
「──…………」
何故俺はうにゅほを相手に自分の尻の穴の話をしているのだろう。
「♪」
なでなで。
さりさり。
うにゅほが俺の頭を撫で始めたので、いろんなことがどうでもよくなった。
チューハイ飲みながら動画でも見よう。



2016年6月3日(金)

「──あ、またネット切れた……」
「また?」
窓の外を見やる。
「雨だからかなあ……」
「あめだと、ねっときれるの?」
「前の家では光回線だったけど、いまはWiMAXだからな」
「わいまっくす」
「無線」
「むせん」
「ルーターの位置、変えてみようか」
「るーたー?」
「これ」
PCの上に設置してあったホームルーターを手に取る。
「ここ、赤く点滅してるだろ」
「してる」
「これは、回線が繋がってないってことなんだ」
「いちかえると、つながるの?」
「試してみないと……」
ルーターを頭上に掲げてみる。
「あ、きいろくなった」
「マジで」
そんなに簡単なことだったのか。
「きいろ、つながってるの?」
「すこし繋がってる」
「ふつうにつながったら?」
「緑色になるはず」
「すごくつながったら?」
「虹色に輝いたら面白いんだけど、緑色のままだな」
「そか……」
残念そうなうにゅほを余所に、室内のあちこちにルーターを掲げてみる。
検証した結果、
「高いところか、窓際がいいらしい」
「きいろ」
「たまに緑色になる」
「たまに……」
「繋がらないよりマシだよ」
「そだね」
「とりあえず窓際に置いて様子を見よう」
「うん」
引っ越して初めてわかる、光回線の偉大さよ。
はやくリフォーム終わらないかなあ。



2016年6月4日(土)

「……寒い」
「さむいねえ……」
「──…………」
「──……」
「寒いな……」
「さむいねえ……」
「××」
「はい」
座椅子に座ったまま、ぽんぽんと膝を叩く。
「かもん」
「うん」
膝の上に腰を落ち着けたうにゅほを、背後から抱きすくめる。
「うへー」
「あったかい」
「あったかいねえ……」
「夏、近いのにな」
「ね」
「こうしてくっつけるから、寒くてもいいけどな」
「うん」
「暑くてもくっついてる気がするけど……」
「うん」
「××、くっつくの好きか」
「すき」
「俺も好き」
「うへー……」
うにゅほがてれりと笑う。
「××以外とくっつくのは、あんまり好きじゃないけどな」
「わたしも」
「××が俺以外とくっつくのは、嫌だな」
「わたしも……」
「そんな機会、ないけどな」
「うん」
「……なければいいな」
「うん……」
抱き締める腕に力を込める。
独占欲だ。
独占していることに喜びを感じ、独占されていることに安心を覚える。
それはきっと、うにゅほも同じだろう。
ふとそんなことを考えた初夏の午後だった。



2016年6月5日(日)

今日は、母方の祖父の三回忌法要だった。
午後三時ごろようやく帰宅し、ふたり並んで布団にダイブした。
「うへー……」
「……疲れたー」
「◯◯、もふく、しわなるよ?」
「××もな」
くすくすと笑い合う。
「××、喪服着ると、すこし大人っぽく見えるな」
「そかな」
「ああ」
「みぼうじんみたい?」
「……未亡人って、どういう意味かわかってる?」
「くろいふくの、きれいなひと」
「完全に間違ってるわけではないけど、合ってるわけでもないなあ……」
「?」
「未亡人は、旦那さんを亡くした女の人のことを言うんだよ」
「そうなんだ……」
「だから、喪服のイメージはあるけど、綺麗かどうかは関係ないかな」
「……みぼうじん、なりたくないな」
「──…………」
未亡人になるためには、まず結婚する必要があるんですけど。
「……まあ、うん、しばらく死ぬつもりはないから」
「ほんと?」
「死なない、死なない」
「そか……」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「──とにかく、だ」
「?」
「着替えよう」
「あー……」
「俺、部屋の外出てるから、××先に着替えていいぞ」
「◯◯のさむえ、だしとくね」
「さんきゅー」
礼服は堅苦しくていけない。
これからの季節、やはり作務衣と甚平である。



2016年6月6日(月)

「だうー……」
ぱたり。
平時より五割増しの仕事をこなし、布団の上に倒れ込む。
ここ最近、疲れてばかりいるような気がする。
「おつかれさま」
うにゅほが俺の坊主頭をさりさりと撫でる。
「……三十分くらいしたら起こして」
「ひざまくら、する?」
「する……」
「はい」
ぽんぽんと膝を叩く音に導かれ、うにゅほの元へと這っていく。
「あたまなでたい」
「いいけど……」
「したむいて」
「──…………」
つまり、どうすればいいのだろう。
試行錯誤の結果、薄く開いたふともものあいだに顔を突っ込む形となった。
「♪」
なでなで。
さりさり。
「──…………」
なでなで。
さりさり。
「……××さん」
「わ」
「××さん?」
「いき、あつい」
顔を上げる。
「この体勢には、ふたつ問題があります」
「はい」
「まず、首が反って眠れない」
「あー」
「これだけでも致命的だと思うけど、もうひとつ」
「はい」
「……これ、傍から見たら変態行為なんじゃないか?」
「へんたい?」
「こんなとこ家族に見られたら、変な勘違いされそうな気がする」
「ふうん……」
よくわかっていないご様子である。
「とにかく、普通の膝枕でいいですか」
「はい」
ただでさえ狭い六畳間で枕を並べて寝ているのだから、振る舞いには気を払わねばなるまい。
「──…………」
今更のような気がしないでもないけれど。



2016年6月7日(火)

「──……うー」
「大丈夫か?」
「うん……」
ぬいぐるみの代わりなのか、うにゅほの腕のなかで俺の枕が絞め上げられていた。
「──…………」
ぎゅうー。
ああ、砂時計みたいになっちゃって。
「……◯◯ぃ」
「どした」
「ひだりて、かして」
「いいけど……」
ぽん。
うにゅほの頭に左手を乗せる。
「なでなでして……」
「はいはい」
額に貼り付いた前髪を払いながら、うにゅほの頭を撫でてやる。
「ほっぺた」
「はいはい」
「くび」
「汗ばんでるな……」
「おなかなでて」
「じゃ、上着めくって」
「はい」
「腹巻きずらして」
「はい」
脂肪の薄いおなかにそっと手を当てて、優しくさする。
「ほー……」
強張っていたうにゅほの体が、徐々に弛緩していく。
「楽になった?」
「もっと」
「はいはい」
なで、なで。
「ねむネコくらい持ってきたらよかったな」
「うん……」
「ガレージ探してこようか?」
「◯◯のひだりて、あるから、いい」
「そっか」
そう言ってもらえるのは、なかなか嬉しいものだ。
「言えばいつでも貸してやるから」
「うん」
マウスを握る右手が寂しそうに見えたのは、きっと気のせいだろう。



2016年6月8日(水)

「──……は」
のそりと上体を起こし、口の端から垂れかかっていたよだれをすする。
何度目の寝落ちなのか、もはや覚えていない。
「あ、おきた」
「おはよう……」
「おはよ」
「……いま何時?」
「いま、ごじ」
「──…………」
久方ぶりの平日休みを、まるまる睡眠で潰してしまった。
まあ、いいけど。
「疲れてたのかなあ……」
「むずかしいほん、よんでるから」
「分厚いだけで、難しくはないと思うけど」
「なんページ?」
「えーと……」
ハードカバーの最後のページを開く。
「1001ページ」
「せん!」
「普通の漫画だって、200ページくらいあるじゃん」
「ぜんぶじーでしょ?」
「全部字だけど」
「……おもしろい?」
「読むの二回目だけど、面白いよ」
「にかいめなの……」
「××も読むか?」
「いい、いい」
両手のひらをこちらに突き出して、いやいやと首を振る。
「そんなに嫌がらなくても」
「ごめんなさい……」
「たまには字だけの本もいいものだぞ」
「ほししんいち、とか」
「星新一は一通り読んだんだっけ」
「うん」
「ショートショートなら他にも、小松左京とか、筒井──」
「つつい?」
「……いや、なんでもない」
エログロナンセンスで彩られた筒井康隆のショートショートは、うにゅほには刺激が強すぎる。
「いずれにしても、リフォームが終わってからだな」
「うん」
2,500冊の蔵書は、そのほとんどが、ダンボール箱の中で眠っているのだから。



2016年6月9日(木)

「……××」
「?」
「弟が、アイスを買ってきてくれた」
「わあ」
「くれたんだが──」
「だが?」
「……チョコミント味なんだ」
「ちょこみんと……」
「こないだコンビニで、食べたことないって話したのを覚えてたらしくてな」
「おいしいのかな」
「歯磨き粉の味がするらしい」
「──…………」
クランキーアイスバーのチョコチップミント味を開封し、軽く匂いを嗅いでみる。
「みんとのにおい?」
「チョコの匂い」
まあ、チョコレートでコーティングされてるからな。
「行きます」
ばく。
もぐもぐ。
「──…………」
「おいしい?」
「──…………」
「おいしくない?」
「……ひとくちどうぞ」
「うん……」
かぷ。
もぐもぐ。
「……はみがきこ」
「チョコたくさん食べたあとに歯を磨いたら、たぶん、こんな味するよな……」
「うん……」
厚意にもとるようで申し訳ないが、俺とうにゅほの舌には合わなかったようである。
「ちょこみんと、どうしょう……」
「弟は好きみたいだから、返してこよう」
「ありがとうと、ごめんなさい、しないとね」
「一緒に行くか?」
「うん」
なかば予想していたのか、弟は笑って受け取ってくれた。
いい弟である。



2016年6月10日(金)

「──……ぁ、ふ」
ちいさなあくびを漏らしたうにゅほが、手の甲で目元をくしくしこする。
「眠そうだな」
「うん……」
「昨夜、眠れなかったのか?」
ふるふると首を横に振る。
「ちゃんとねた」
「寝たのに眠いのか」
「うん」
「体調、悪いのかもな」
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげてみせる。
「頭、痛くないか?」
「いたくない」
「おなかは?」
「もういたくない」
「だるさは?」
「うと、すこしだるい……」
「出かける予定もないし、横になったほうがいいな」
「よる、ねれなくなんない?」
「寝れなくなったら、相手してあげるから」
「……うへー」
「ほら」
ベッドメイキングされた寝床をぽんぽんと叩く。
「◯◯」
体を横たえながら、うにゅほが言った。
「ひだりて、かして」
「繋いで寝るのか」
「うん」
うにゅほの右手を取り、優しく握る。
「──…………」
うと、うと。
よほど眠かったのか、うにゅほの目蓋があっと言う間に下りていく。
「……あっ」
先にトイレに行っておけばよかった。
うにゅほが目を覚ますまでの二時間、尿意を我慢し続ける羽目になったのだった。



2016年6月11日(土)

「──…………」
壁掛け時計を見上げる。
午後十時。
「どこへも行かず、何もせず、休日が終わっていく……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「◯◯、ねてた」
「はい、寝てました……」
「ねてたから、なにもしてなくないよ」
「厳密に言えば、そうかもしれないけど」
「ねるのは、ねるのが、ひつようだから、ねるんだよ」
「──…………」
「だから、◯◯は、ちゃんとやすめて、えらい」
「……××さん」
「はい」
「さすがに甘やかし過ぎです」
「そかな」
「そうです」
「うーん」
「……試しに、もっと甘やかしてみて」
「もっと?」
「うん」
「わかった」
うにゅほが、俺の隣に膝を突く。
「めがね、はずしていい?」
「ああ」
「ぎゅー」
ふわり。
風呂あがりの心地よい香りと、顔を包む柔らかな感触。
胸元に抱き寄せられている。
「なで、なで」
「──…………」
「◯◯、がんばってる」
「──…………」
「つかれたら、やすむ」
「──…………」
「ね」
「──…………」
なんか、ちょっと涙が出てきた。
自分が思っているより、ずっと疲れていたのかもしれない。
馥郁たるうにゅほの匂いに包まれながら、しばらくのあいだ、がっつり甘やかされていた。



2016年6月12日(日)

うにゅほに膝枕をしてもらいながら、読書に没頭していたときのことだった。
「──…………」
クゥ……
「あ」
キュルルルル……
うにゅほが自分のおなかを両手で押さえる。
「……きこえた?」
「そりゃ、間近だからなあ」
「うー」
「おなか減ってるのか?」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「下してるとか」
「くだしてない」
「なら、胃腸が活発に働いてるだけだと思う」
「そなの?」
「医者じゃないからわからないけど、心配しすぎも気を病むからな」
「そか」
キュルル
「あ」
クゥ、クゥ、グー
「おなかのおと、きかないで……」
「そう言われてもなあ」
「はずかしい」
上体を起こし、うにゅほに向き直る。
「まあまあ、そう恥ずかしがることでもないよ」
「でも」
「おなかに耳を当てれば、俺でも鳴ってる音なんだから」
「……そなの?」
「腸が蠕動する音だから、ものを食べれば誰でも鳴る。食べなくても鳴る」
「そなんだ」
「気にしない、気にしない」
膝枕の体勢に戻る。
「……でも、ちょっと、はずかしい……」
「なら、耳栓取って」
「あ、うん」
耳栓してても聞こえるけど、それは言わないお約束である。
うにゅほの膝という素晴らしい読書環境を失うわけにはいかないのだ。



2016年6月13日(月)

「うー……」
ふらふらと左右に頭を揺らしながら、独りごちる。
「なんか、半端に眠い……」
「ねむいなら、ねたほういいよ」
「……いや、長年の感覚でわかるんだ」
「?」
「これは、横になったら逆に目が冴えるタイプの眠気だ……!」
「そんなねむけ、あるんだ」
「あるんです」
「でも、よこなったほう、いいよ」
うにゅほが俺の手を取り、引く。
「ねなくてもいいから、めーやすめるだけでちがうって、おばあちゃんいってた」
「言ってたなあ……」
今は亡き祖母の言葉に思いを馳せる。
「……まあ、横にはなろうかな」
「うん」
眼鏡を外し、寝床に体を横たえる。
「──…………」
「ねれそう?」
「……××、暑いから、ちょっとだけ窓開けて」
「はい」
「──…………」
丹前をずらし、側臥する。
「……うーん」
「──……」
「……あー……」
「ねれない?」
「目、冴えてきた……」
「そかー……」
「××、ちょっと、腰揉んでくれない?」
「いたいの?」
「痛くないけど」
「いいよ」
寝床の上でうつ伏せになると、うにゅほが膝の裏あたりに腰を下ろした。
「もむね」
「お願いします」
「いきます」
「──…………」
そのあたりから、二十分ほど記憶がない。
速攻で寝落ちしたらしい。
恐るべし、うにゅほのふわふわマッサージ。



2016年6月14日(火)

「──あれ?」
箪笥の上を見渡す。
ない。
洗濯物をどける。
ない。
上着のポケットを漁る。
ない。
「◯◯、どしたの?」
「財布がない……」
「え!」
Amazonから届いたばかりの左門くん4巻を読んでいたうにゅほが、慌てて立ち上がった。
「さいふ、どこ!」
「わかったらそこ探してるって」
「い、いくらはいってたの……?」
「万札崩した記憶あるから、そんなには」
「きゅうせんえんくらい?」
「金額は問題じゃないんだよ……」
「めんきょしょう」
「そんなの、また発行してもらえばいい」
「ぎんこうのカード……」
「電話して止めてもらえばいい」
「……やまだのポイント?」
「そうじゃなくて」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「あの財布、××からの誕生日プレゼントだろ」
「あ」
「他のものはどうとでもなるけど、財布だけはなんとか取り戻さないと……」
ふたりで部屋中を引っ繰り返すが、見当たらない。
家族に聞いても知らないと言う。
ならばとミラジーノの助手席の下を覗き込んだとき、
「──あった!」
「おー!」
「よかった……」
思わず財布を撫でくりまわす。
「……うへへ」
「どした?」
「なんでもない!」
こうして日記にしたためてみると、うにゅほがどうして笑ったのか、わかるような気がする。
せっかくの誕生日プレゼントだ。
大切に使っていこう。



2016年6月15日(水)

「──…………」
体重計に乗ろうか乗るまいかと足踏みしていると、うにゅほが言った。
「◯◯、ふとったよね」
「う」
疑問形ではなく、断定である。
「……見てわかりますか」
「うん」
「そうかー……」
いつも一緒にいる相手に気づかれるほどだから、今回は相当であろう。
「たいじゅうけい、のらないの?」
「現実が怖くて……」
「のっても、のらなくても、たいじゅうかわんないとおもう」
「そうなんだけど」
わかっていても、恐ろしいものは恐ろしいのだ。
「……すこしダイエットしてから乗ろう」
そう結論づけて、体重計を仕舞う。
「いっしょのたべてるのに、どうして◯◯だけふとるんだろうねえ……」
「たぶん、夜食を食べてるから」
「よる、たべてるの?」
「食べてる」
「たべなかったら、やせるとおもう」
「そうなんだけど……」
わかってる。
わかってはいるのだ。
「……ほら、俺、睡眠導入剤飲んでるだろ」
「うん」
「あれ飲んでから、寝るまでに、どうしても食べちゃうんだよなあ……」
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「のまないと、ねれないもんねえ」
「ああ」
「じゃあ、たべたくなったら、わたしおこして」
「……どうして?」
「おきないと、とめれないから」
「夜食を止めてもらうために、わざわざ××を起こすのか」
「だめ?」
「駄目というか、さすがに気が咎める……」
「いいのに」
いいわけがない。
しかし、幾分かやる気は出た。
うにゅほに迷惑をかけないためにも、自分ひとりでダイエットを成功させねば。



2016年6月16日(木)

スマホをいじりながら、ふと思った。
「最近、出掛けてない気がする」
「うん」
「引きこもりみたいだなあ」
「そだねえ」
「どっか行くか」
「おかあさん、ミラさんつかってるよ?」
「徒歩は──」
窓の外を見やる。
「……雨、降ってるもんなあ」
「うん」
「べつにいいか」
「うん」
「この部屋、狭いわりに快適なんだよな……」
必要最低限を詰め込んだ六畳間では、座りながらにしてあらゆるものに手が届く。
たとえば──
「××、手ー出して」
「?」
差し出されたうにゅほの手を掴み、引く。
「おいでなさい」
「はい」
腕のなかにすっぽりと収まったうにゅほの矮躯を抱き締める。
「落ち着くなあ……」
「おちつくねえ」
「狭いと、近いから、いいな」
「ひろくなったら、さびしくなるかな」
「ならないんじゃない?」
「ならないかな」
「元の部屋に戻ったって、どうせこうしてくっついてるって」
「くっつくの、すき?」
「好き」
「わたしも」
うへーと笑う。
「りふぉーむ、たのしみだねえ」
「……また引っ越しかあ」
「がんばろ」
「頑張る……」
リフォーム完了まで、あと一ヶ月半。
こんな感じでゆるゆると過ごしていこう。



2016年6月17日(金)

午前六時。
「──……んぅ」
伏せられた睫毛がかすかに振れ、うにゅほの目蓋が開いていく。
「おはようございます」
「おはにょ……」
ろれつが回っていない。
「……うふぁ、ふー……」
おおきなあくびをひとつして、くしくしと目元をこすりながらぼんやり口を開く。
「◯◯、ねてないの……?」
「寝てません」
「ねないと……」
「そろそろ寝ます」
「なにしてたの?」
「そろそろ期限も迫ってきたから、OSをWindows10にアップグレードしてた」
「パソコン?」
「そう」
「そっか」
「ほっといたら勝手にアップグレードしてくるくせに、自分でやるとなると途端に面倒なんだよな……」
「おつかれさまです」
「ありがとうございます」
「──……う」
うにゅほが自分の体を抱き締める。
「きょう、さむいねえ……」
「雨だからか、だいぶ冷え込んでるよな」
「◯◯、ねるなら、わたしのふとんつかっていいよ」
「あったかそう」
「あったかいよ」
うにゅほと入れ替わりに寝床へ入り、ゆっくりと深呼吸をする。
「……××の匂いがする」
「かがないでー……」
「いい匂いだぞ」
「うー」
「──…………」
目蓋を閉じる。
「……ねれそう?」
「すこしかかりそう……」
「きがえるから、めーとじててね」
「眼鏡してないから、何も見えないよ」
「あ、そか」
衣擦れの音を聞きながら、意識を底抜けに沈めていく。
「──…………」
ちょっと目を開けてみたりして。
「……◯◯、みてる?」
「ぜんぜん見えない」
「もー」
怒られてしまった。
あくびの止まらない一日だった。



2016年6月18日(土)

母親と弟が病院へ出掛けてしばらく経ったころ、目を覚ました。
「──……暑い」
初夏にしては冷え込みが厳しいと言っても、閉め切っていれば熱もこもる。
「あ、おきた」
「まだ眠い……」
「まど、あける?」
「頼むー……」
体温と同じ温度になった自分の寝床からのそりと這い出し、主のいないうにゅほの布団に潜り込む。
「……はー」
「ふとん、つめたい?」
「気持ちいい……」
「んー」
ぴと。
うにゅほが俺の額に手を当てる。
「ちょっとあつい」
「熱、ある?」
「びねつかも」
「あってもなくても寝るけど……」
「あったかくしないと」
「暑い……」
「あせっぽい?」
「すこし」
「したぎ、かえたほういいよ」
「うん……」
「だしとくから、きがえてね」
「はい」
「たべたいの、ある?」
「いまは特に……」
「りんごは?」
「……すこしなら」
「わかった」
うにゅほの看病もあってか、午後には全快した。
風邪はひきはじめが肝心とは、よく言ったものである。



2016年6月19日(日)

「わあー……!」
リフォーム中の我が家の玄関を開いた途端、うにゅほが感嘆の声を上げた。
「かべ、むきだしだ!」
「入ってみるか」
業者さん、今日休みだし。
「くつぬがなくていいの?」
「いいよ」
「うへへ、へんなかんじ……」
上がり框をまたぎ、一階のリビングへ。
「ひろい!」
「ここ、全部ぶち抜きで使うんだってさ」
「へえー……」
「奥がキッチンで、手前が和室。ロールカーテンで仕切るとかなんとか」
「といれは?」
「位置は変わらないけど、最新型にするって」
「ほー」
「二階、行ってみるか?」
「うん!」
階段を上がると、すぐに気づく。
「あ、あの、あれが、ろうかになってる!」
「吹き抜けな」
「ふきぬけ!」
「奥が両親の寝室で、手前が弟の部屋」
「すごいねえ、すごいねえ……」
「んで、ここが俺たちの部屋だな」
先導して、扉を開く。
「わたしたちのへや、かわんないねえ」
「位置、そのままだしな」
本棚が増えるくらいのものだ。
「でも、そのほうがいいだろ?」
「うん」
うにゅほが、うへーと笑みをこぼす。
時代と共に多くのものが変わり行くなか、それでも変わらないものは、憩いだ。
「××の部屋、作られなくてよかったな」
「あぶなかった……」
「すごい嫌がってたもんな、××」
「◯◯といっしょじゃないと、やだもん……」
嬉しいことを言ってくれるなあ。
リフォーム途中の我が家を十五分ほど見物したあと、アパートに帰宅した。
父の日のプレゼントは、電子タバコのiQOSにした。
本数が減ってくれればいいのだが。



2016年6月20日(月)

「──…………」
それ町の最新刊をそっと閉じ、呟く。
「修学旅行、か……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「××、修学旅行って行ったことある?」
「ない……」
「そっか」
「どしたの?」
「……いまさらだけど、学校くらい通わせてあげたほうがよかったのかなって」
「うーん……」
反対側に首を傾ける。
「べつに、いきたくない」
「友達とか、欲しくない?」
「ほしくない」
「一人も?」
「ひとりも」
断言されてしまった。
「できたことないから、そう思うだけかもしれないぞ」
「うん」
肯定されてしまった。
「うーと……」
しばしの思案ののち、うにゅほが口を開く。
「たしたら、もどるとき、ひかないと、もどれない」
「……?」
「でも、ひいても、もとにもどれないの」
よくわからん。
「うと」
うにゅほが両手の人差し指を立て、一所懸命に説明する。
「たすでしょ」
「うん」
「ひいたら、もどるけど、それは、そうじゃないの」
「──…………」
「もとじゃないの……」
「……とにかく、友達はいらないと」
「うん」
「わかった、無理強いはしないよ」
「うん」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
こうして文章にまとめてみると、うにゅほが何を言いたかったのか、わかる気がする。
足さないことと、足してから引くことは、違う。
そういうことなのだろう。
たぶん。



2016年6月21日(火)

リフォーム中の仮住まいはアパートの二階で、玄関を開けるとすぐに階段がある。
この階段がいやに狭く、また天井も低いため、
「──あでッ!」
「◯◯!」
「大丈夫、大丈夫……」
こうして、よく、頭をぶつけてしまうのだった。
「みして」
「はい」
数段ほど下り、うにゅほに額を見せる。
「……んー、たんこぶはできてない」
「よかった」
「おりるとき、きーつけてね」
「はい……」
「◯◯、せーおっきいんだから」
「そんなに大きくないって」
「いちばんおっきい……」
「家族のなかではそうかもしれないけど」
「あたまぶつけるのは、おっきいとおもう」
「いや、どう考えても、たかだか175cm程度でぶつかる天井のほうが低いんだよ」
欠陥住宅とまでは言わずとも、このアパートについて幾つか思うところはある。
トイレやバスタブが狭いし、
電波の通りが悪いし、
壁紙がたわんでいるし、
フローリングも妙にふかふかしているし。
「仮住まいだから、べつにいいんだけどさ」
「あと、いっかげつちょっと」
「そうだな」
「……でも、わたし、このいえすきだよ」
「狭いから?」
「せまいから」
うにゅほが、うへーと笑う。
「狭いのはいいけど、荷物が入らないのはなあ……」
「ほんだな、ないもんね」
「××も、読むものなくなってきたろ」
「うん……」
「図書館でも行くかー」
「うん!」
コンビニへ行くつもりが、目的地が図書館になってしまった。
特になにも借りなかったが、涼しくて居心地がよかった。



2016年6月22日(水)

母親が、吸水性と速乾性に富む珪藻土バスマットを買ってきた。
「──…………」
シュッシュッ
霧吹きがバスマットを濡らす。
そして、一瞬で乾いていく。
「おー!」
シュッシュッ
「おー……」
シュッシュッ
「ふしぎだねえ、ふしぎだねえ」
「満足したか?」
「もっかい」
シュッシュッ
「ふしぎだねえ……」
科学の実験とか好きそうだよな、うにゅほって。
「けいそうど、なんですぐかわくの?」
「マイクロメートル単位のちいさい穴が無数に空いてて、そこに水を蓄えるんだってさ」
「かわくのは?」
「厳密に言うと、乾いてないんだよ」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「あっと言う間に水を吸うから、表面が乾いて見えるだけ」
「みず、どうなるの?」
「あとからゆっくり放出するんだって」
「へえー」
「箱に書いてあるんだから、自分で読めばいいのに」
「……うへー」
うにゅほが笑って誤魔化した。
「これで、バスマットびちょびちょにしてもだいじょぶだね」
「そうだな」
「◯◯、びちょびちょにするから……」
「……最近は気をつけてましたよ?」
「えらい、えらい」
「今日から気をつけなくなるけど」
「えらくない」
「そのためのバスマットだろ」
「そだけど……」
「はっはっは」
うにゅほの頭をうりうり撫でる。
珪藻土バスマット、なかなか便利な一品だ。



2016年6月23日(木)

「……本が足りない」
「うん……」
持ってきた本も、買ってきた本も、すべて読んでしまった。
「分厚いの選んできたんだけどなあ……」
住み心地のよい仮住まいだが、本棚を置くスペースがないことだけがネックである。
「みつどもえの新刊、読むの何回目?」
「さんかいめ……」
うにゅほが、苦笑しながらそう答えた。
「ガレージ行って、一箱くらい適当に持ってこようか」
「んー……」
小首をかしげる。
「ほんのはこ、すごいおくのほうだったきーする」
「……実は、俺もそんな気がしてる」
自宅にあった荷物は、箱詰めし、ガレージに保管してある。
だいぶ整理はしたけれど、それでもダンボール箱の数は優に百を下らない。
「──…………」
「──……」
互いに目配せを交わし、頷き合う。
「諦めよう」
「うん」
「とりあえず、一緒に動画でも見ようか」
「みる」
うにゅほを膝の上に乗せ、Amazonのプライム・ビデオを開く。
「あ、うちむらさまーずある」
「本当だ」
「むかしのもある……」
「TSUTAYA泣かせだよなあ」
画質を気にしないのであれば、いくらでも暇を潰すことができる。
「……まあ、回線に難はあるけど」
「わいまっくす?」
「WiMAX」
「すぐきれる」
「無線だから仕方ないのかなあ……」
住み心地のよい仮住まいだが、光回線が引かれていないことだけがネックである。
意外とネックだらけだった。
結局のところ、早く元の家に戻りたいのだった。



2016年6月24日(金)

「んー……」
左腕を目一杯折り曲げ、力こぶを作る。
「さわっていい?」
「ああ」
なでなで。
「ちいちゃくなってる」
「やっぱりかー……」
わかりきっていたことだが、すこし落ち込む。
「この部屋狭くて筋トレしにくいんだもんなあ……」
一ヶ月も腕立て伏せをサボっていれば、そりゃ衰えもするってもんである。
「ふとんたたんだら、できるよ」
「そうなんだけどさ」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「筋トレって、ふと思い立ったときにやるものじゃん」
「そなの?」
「俺はそうなの」
「そうなんだ」
「そのときに一手間あると、面倒になるというか」
「──…………」
あ、うにゅほの視線が冷たい。
「……それくらい、って思ってる?」
「うん」
「××だってストレッチサボってるだろ!」
「う」
「おらおら、前屈してみろよー」
「やー」
けらけらと笑いながらじゃれ合ったあと、話を戻す。
「──ともあれ、一手間だ二手間だ言ってられないよな」
「そだね」
「俺は筋トレ」
「わたし、すとれっちやる」
「腹筋するとき、足押さえてくれな」
「うん」
「ストレッチするとき、背中押してあげるから」
「ありがと」
健康的な肉体を維持したいものである。



2016年6月25日(土)

「──……?」
ATMの順番待ちをしている最中、ふと思い立って、全身のポケットをまさぐってみた。
ない。
どこにもない。
「……預金通帳、忘れた……」
通帳記入をしに来たのに、間抜けにも程がある。
「あー、あそこだ。いったん冷蔵庫の上に置いたから……」
「あるよ」
「……ある?」
去年の誕生日にプレゼントした赤いバッグを開き、うにゅほが通帳を取り出す。
「◯◯、わすれたから、もってきた」
「おおー!」
うにゅほの頭をうりうり撫でる。
「××できる子、気がきく子!」
「うへー……」
撫でられるがまま左右に頭を揺らしながら、うにゅほがてれりと笑う。
「……あれ? でも、どうしてそのときに言わなかったんだ?」
「うーとね」
うにゅほの笑顔がいたずらっ子のものへと変わり、
「◯◯、いつきづくかなーって」
上目遣いにそう言った。
「このやろう!」
「うあー」
さらに激しく頭を撫でていると、順番が回ってきた。
「つうちょうきちょう、すき」
「そう……」
変なものが好きだなあ。
「つうちょう、いれていい?」
「いいよ」
「ががー」
特有の機械音がしばらく響き、預金通帳が出てくる。
「ふえてる」
「家計簿で全財産把握してるじゃん」
「それはそれ」
会計士うにゅほがいる限り、収支がマイナスになることは滅多になさそうである。



2016年6月26日(日)

休日の午後。
「──…………」
うつらうつらしながらPCで動画を見ていると、うにゅほにたしなめられた。
「ねむいなら、ちゃんとねたほういいよ?」
「んー……」
「ねるの、おそかったんだから」
「……そうします」
愛用のアイマスクを装着し、寝床に潜り込む。
燦々と降り注ぐ陽光が額を頬をほのかに温もらせるが、テンピュール製のアイマスクの遮光性は抜群だ
「──…………」
だからと言って、すぐさま眠れるとは限らないけれど。
半覚醒状態のまま幽明の境を彷徨っていると、うにゅほが小声で話し掛けてきた。
「……◯◯、ねた?」
寝てません。
「おきない?」
起きてます。
「いたずらするよー……」
するらしい。
どきどきしながら待っていると、唇に何かが触れた。
「あひる」
唇をつままれて、あひる口にされていた。
「うしし……」
楽しそうだ。
昼寝しているとき、いつもこんなことをされていたのだろうか。
「なでなで」
「──…………」
「かみ、のびてきた……」
「──…………」
「……てーつなご」
きゅ。
「うへー……」
可愛いなあ。
しばらく手を繋いでいると、徐々に意識が遠のいていくのを感じた。
幸せな眠りだ、と思った。



2016年6月27日(月)

「──きゅーじゅはち、きゅーじゅきゅ、……ひゃーく!」
「はッ、は、ふー……」
自室のフローリングの上に、大の字になって寝転がる。
「おつかれさま」
「……腹筋、攣りそう……」
「だいじょぶ?」
「ギリ……」
「いっきにやるから……」
「……や、ほんと、なまってる……」
腹筋百回くらい、以前は労せずこなせたものを。
「……よく考えたら、さ」
「?」
「仮住まいだから運動不足になったんじゃなくて、ずっと運動してなかったような……」
「そんなきーする」
道理で錆び付きまくっているわけだ。
「去年はウォーキングとかしてたよな」
「してた」
「いつの間にかしなくなったけど」
「うん……」
「散歩でも行く?」
「いく」
「セコマでアイス買う?」
「か──……、わ、ない!」
「よく言った」
のそりと上体を起こし、うにゅほの頭に手を伸ばす。
なでなで。
「うへー」
「せっかく運動するんだから、消費カロリーも気にしていかないとなー」
「うん」
「……まあ、××はダイエットの必要ないんだし、アイス食べてもいいんだけどさ」
「◯◯たべないなら、わたしもたべない」
そう言ってくれるだろうと思っていた。
「んじゃま、財布は置いていきましょう」
「はい」
「せっかくだから、家の様子でも見に行こうか」
「みたい!」
仮住まいから本宅までは、往復で2km少々といったところだ。
リハビリがてらの散歩としては、ちょうどいい距離だろう。
そんなわけで、久し振りに体を動かした一日だった。



2016年6月28日(火)

「──…………」
「……だいじょぶ?」
フローリングの上で潰れたヒキガエルのように倒れ伏していると、うにゅほが心配してくれた。
「痛い」
「うん」
「足と、腕と、腹筋が痛い」
「きんにくつうですか」
「はい……」
「いっきにやるから……」
腕立てと、腹筋と、スクワット。
たかだか二百回ずつこなしただけで、この体たらくである。
「やると決めたら、ついやっちゃうんだよなあ……」
「ぜろか、ひゃく」
「そんな感じ」
「にじゅうくらいがいいとおもう……」
「俺もそう思う」
「でも、やっちゃうの」
「やっちゃうんです」
「もー……」
うにゅほが俺のふくらはぎに手を添える。
もみもみ。
やわやわ。
「きもちい?」
「気持ちいいです」
「まっさーじするから、いたかったいってね」
「はい」
もみもみ。
やわやわ。
もみもみ。
やわやわ。
「いたくない?」
「痛くない」
ふくらはぎ、太もも、尻、腰、背中、腕、肩、首──
二十分ほどかけて全身をマッサージしてもらい、立ち上がる。
「うん」
痛いものは痛いままだし、凝りもまったくほぐれていない。
しかし、
「すごい気持ちよかった」
「そか」
「もうすこしで寝るところだった」
「うへー……」
この言葉は、嘘ではない。
気持ちいいんだ、うにゅほのマッサージって。
効く効かないなんて二の次である。
今日は一日、筋肉痛に苦しめられたが、それはそれ。
自業自得というものだ。



2016年6月29日(水)

汗ばむほどの陽射しに彩られた初夏の午後のことである。
「暇だなー……」
「ひまだねえ」
「本当は、ぜんぜん暇じゃないんだけどな……」
「そなの?」
「そうなの」
やるべきことが多過ぎるとき、一時的に暇に似た状態に陥ることがある。
それが今だ。
「えーと、いち、にー、さん──」
タスクを指折り数えていく。
「よん、ごー、たくさん」
諦めた。
「たくさんあるんだ」
「たくさんあるんだよ」
「ひましてて、いいの?」
「駄目」
「だめなの……」
「……こう見えて、なにもしてないわけじゃーないんですぞ」
「なにしてるの?」
布団の上で、ごろんと寝返りを打つ。
「なにからしようか、考えてる」
「そうなんだ」
「──…………」
「──……」
「……ツッコミとか、ないんでしょうか」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なにもしてないやないかー、みたいな」
「かんがえてるって」
「まあ、うん」
嘘ではない。
「かんがえるの、◯◯のしごと」
「仕事のひとつではあるなあ」
「◯◯、しごとちゅう」
「──…………」
背筋を伸ばし、PCへ向かう。
「なにからするか、きまったの?」
「ああ」
無条件の信頼に、だらけているのが恥ずかしくなった。
すこしずつ手をつけていこう。
終わらないタスクはないのだから。
それに、
「……減らしていかないと、増えていく一方だからな」
「むりしないでね」
「しない、しない」
うにゅほに心配をかけるようなことは、したくない。
うにゅほの笑顔を守るのが、俺の責務だと思うからだ。



2016年6月30日(木)

「あぢー……」
「あついねえ……」
「……窓、開いてる?」
「あいてる……」
「あぢー……」
「あついねえ……」
「……プール行くか?」
「いく!」
見えないしっぽを千切れんばかりに振りながら、うにゅほが箪笥の引き出しを開く。
「みずぎ、みずぎ……」
「水着、持ってきてたっけ」
「うん」
「用意がいいなあ」
「こんなこともあろうかと」
「……俺が言い出すの待たなくても、行きたいなら行きたいって言っていいんだぞ?」
「?」
「我慢しなくてもさ」
きょとんとした表情を浮かべながら、うにゅほが答える。
「がまん、してないよ?」
「プール行きたかったから、わざわざ水着の準備までしてたんだろ」
「たしか……」
「たしか?」
「みずぎいれてたの、いまおもいだした」
「──…………」
肩から力が抜ける。
「どしたの?」
「なんでもない……」
「プール、ひさしぶりだねえ」
「ほんとな」
「たのしみだねえ」
「とにかく、水に浸かりたい……」
そんなこんなで市民プールへと赴いた。
調子に乗って200mほど泳いだら、まともに歩けなくなってしまい、車までうにゅほに肩を貸してもらう羽目に陥った。
体力が欲しい。

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