>> 2016年4月




2016年4月1日(金)

「──……むー」
座椅子に逆座りをしながら、うにゅほがうんうん唸っている。
「どうかした?」
「ひみつ……」
「当てていい?」
「?」
「エイプリルフールだから、どんな嘘つこうか悩んでるんだろ」
「!」
驚いたのか、うにゅほの背筋が伸びる。
「もっと当ててやろうか」
「え」
「エイプリルフールだってこと、さっきテレビ見てて気づいたろ」
「!?」
うにゅほの目が驚愕に見開かれる。
「どうしてわかるの?」
「一緒にテレビ見てたじゃん」
「うん」
「俺もあれ見て思い出したし」
「◯◯、すごいねえ……」
すごくないと思う。
「それで、いい嘘は思いつきましたか?」
「うそ、むずかしいねえ……」
「嘘なんて、無理につかなくていいんだよ」
「でも」
「それに、エイプリルフールに嘘をついていいのは午前中だけだし」
「……そなの?」
「午後はネタばらし」
「──…………」
しばし考え込んでいたうにゅほが、不意にハッとした顔になり、
「◯◯、それうそ?」
「本当です」
「そなんだ……」
「ともあれ、考え過ぎてもよくない。××の嘘つけないところ、俺は好きだぞ」
「……それうそ?」
「嫌いって嘘ならまだしも、好きって嘘は最悪だろ……」
残酷極まりない。
「じゃ、ほんとう?」
「本当です」
「……うへー」
うにゅほがてれりと笑う。
「ちゃんとした嘘がつきたいなら、もっと前から考えておかないとな」
「うん」
「そうじゃないと、ホタテはきのこの一種だとか言い出すからな」
「……ほたて?」
「一昨年君がついた嘘です」※1
「あっ」
思い出したらしい。
「わすれて、わすれて」
「はいはい。来年こそは期待してるから」
「うー……」
さて、次はどんな嘘が飛び出してくるだろうか。
楽しみのような、そうでもないような。

※1 2014年4月1日(火)参照



2016年4月2日(土)

母親が、すこしお高めの牛乳を買ってきた。
「これが、特選4.0牛乳……」
パッケージからして威風堂々としている。
「よんてんぜろって、なんのすうじ?」
「乳脂肪分だったかな」
「よんパーセント?」
「だと思う」
「いつものぎゅうにゅう、なんパーセント?」
「たしか、2.5の成分調整牛乳」
「すごいちがう」
「すごい違うな」
紙パックを開き、グラスにそそぐ。
「こい?」
「濃いかな……」
「こいかも」
「さすがに気のせいじゃないか?」
「そかな」
「さっそく飲んでみましょう」
「はい」
グラスを傾け、牛乳をひとくち。
「あ、おいしい」
「──…………」
「こいね!」
「……うーん」
「◯◯、すきくない?」
「いや、美味いよ。ただ──」
「ただ?」
「なんだろう、この後味に覚えがあって」
「おぼえ?」
「ちょっと待って、もうひとくち」
くぴ。
「──あ、わかった」
「なに?」
「泡立てる前の生クリームに似てるんだ」
「のんだことあるの?」
「ケーキ作ったときとか、好奇心で……」
「なまクリーム、おいしかった?」
「生クリームは濃すぎて微妙だけど、この牛乳は美味しいな」
「うん、おいしい」
「季節限定らしいから、また買ってきてもらおう」
「うん」
特選4.0牛乳。
牛乳好きにはたまらない一品である。



2016年4月3日(日)

朝が早かったためか、パソコンチェアでうとうとしてしまった。
八割方寝ながら動画を見ていると、

──ふぁさ。

「……んが?」
なにかが柔らかく肩に触れた。
目蓋を半分ほど開き、確認する。
タオルケットだった。
「あ、ごめん、おこしちゃった……」
「──……ふあ、ふぅ」
垂らしかけていたヨダレを手の甲で拭い、あくびをひとつ。
「いや、ありがと。ちょっと肌寒かったんだ」
そう言って、タオルケットを肩に巻く。
「ここでねるの、めずらしいね」
「なんか眠くて……」
「きょう、しごとないし、ちゃんとねたほういいとおもう」
仕事があるときでも委細構わず昼間から寝ている気がするけれど。
「休みだからこそ、したいことしようかと……」
「どうが、みたかったの?」
「見たかったの」
「ねてたけど……」
「寝てましたね……」
これでは見たうちに入らない。
というか、内容をほとんど覚えていない。
「ちゃんと寝ようかなあ」
「きょう、なんじかんねたの?」
「えーと、眠気が来たのが四時半だから──」
指折り数え、答える。
「だいたい四時間くらい」
「いつもは?」
「もっと早く寝るし、もっと遅く起きるから、八時間くらい……」
「はんぶんだ」
「……半分だな」
眠いはずだ。
うにゅほが俺の手を引き、笑顔で言う。
「おやすみなさい」
「……はい、おやすみなさい」
眠気を取る最も効果的な方法は、いっそ寝てしまうことである。



2016年4月4日(月)

「××、ジャンプ読む?」
「よむー」
うにゅほが、俺の隣に腰を掛け、ぴたりとこちらに身を寄せる。
なるほど今日はこう来たか。
「うへへ」
互いの膝のあいだにジャンプを開いて置き、巻頭カラーのONE PIECEから読み進めていく。
俺とうにゅほがジャンプを読む姿勢は、実に様々だ。
うにゅほを膝に乗せて読む、だっこ型。
俺の背中にうにゅほが覆いかぶさる、おんぶ型。
膝枕をされた状態で読む、膝枕型。
挙句の果てには、うつ伏せになった俺の上にうにゅほが寝そべる親亀子亀型なんてものまである。
どんな体勢で読むかは、その日のうにゅほの気分次第。
「つぎ」
「はいはい」
ページをめくる。
「ヒロアカ、アニメ化するって」
「そうなんだ」
「××、アニメあんまり見ないよな」
「うん」
いっそ母親のほうがアニメ好きなくらいだ。
「ほんのがすき」
「そうなんだ」
「ほんのが、ゆっくりよめるから」
うにゅほの読書速度は、極めて遅い。
一コマ一コマ、隅から隅までを堪能してから、次のページへと移る。
漫画家にとって、これほど嬉しい読者もいないだろう。
「──…………」
当然、俺からすれば遅すぎる。
いささか退屈ではあるが、四年以上も続けている習慣だ。
「つぎ」
「はいよ」
ページをめくる。
「はだかだ」
「……はだかだな」
エロいページはいまだに慣れないけれど。



2016年4月5日(火)

「──……ん、ん、はー!」
思い切り背筋を伸ばしたあと、うにゅほが楽しげに口を開いた。
「きょう、あったかいねえ」
「暑い……」
「はんてんきてるからとおもう」
「脱ぐか」
「そのほういいよ」
半纏を脱ぎ、手のひらでぱたぱたと首筋に風を送る。
「ふー……」
「いま、にじゅうななど、だって」
「暑いはずだよ」
俺たちの部屋には、南東と南西にそれぞれ窓があり、非常に日当たりがいい。
夏場は地獄を見るほどだ。
「そろそろ、半纏と羽毛布団を仕舞うときが来たか」
「うもうぶとんも?」
「朝方、まだ寒いかな」
「ちょっと」
「じゃあ、羽毛布団は今しばらく」
「まどあけていい?」
「いいよ」
ベランダへ通じる南西の窓を開くと、わずかに冷たさを感じさせる風が舞い込んできた。
しかし、冬の空気ではない。
「春、来てるな」
「きてる」
感覚的で言語化しにくいが、肌でわかる。
これは、豊潤な春の風だ。
「ふゆ、いっちゃったかな」
「たぶんな」
「おわかれだ」
「また来るけどな」
「さくら、さいてるかなあ」
「桜は五月くらいかな」
「たのしみだね」
「今年は写真でも撮るか」
「うん」
春は好きだ。
閉塞的な冬が一気に晴れる感覚は、春ならではのものだ。
夏へと通じる階段を一歩ずつ上っているようで、気分が高揚する。
今年はなにが起こるかな。
うにゅほと一緒であれば、大抵のことは楽しいのだけれど。



2016年4月6日(水)

iPhone用のカナル型イヤホンが壊れてしまったので、新しいものを購入した。
Philips SHE9712
絶滅しかけているU型イヤホンの生き残りである。
「──…………」
PCに接続し、音質を確かめていると、ぽんぽんと肩を叩かれた。
うにゅほだった。
「どうかした?」
「それ、あたらしいいやほん?」
「そう、さっき届いたやつ」
「さっきのはこ、いやほんだったんだ」
「iPhone用のイヤホン、また片方聞こえなくなっただろ」
「うん」
乱雑に扱っているつもりはないのだが、一年と保たずに壊れてしまうことが多い。
「おと、いい?」
「悪くはないんじゃないかな。よくわからんけど」
「よくわからんの」
「そんなにこだわりないし」
そもそも、外出時に使用するものに高音質を求めても仕方あるまい。
「いやほん、つけてみていい?」
「いいけど、カナル型嫌いじゃなかったっけ」
「ためしに」
イヤーピースを指先で拭い、うにゅほに手渡す。
「こっち、みぎ?」
「そう」
「んしょ」
「入りそう?」
「ぬ」
「入った?」
「きつい……」
うにゅほの耳の穴は平均より狭いらしい。
「試しにSサイズにしてみよう」
「あ、ちいちゃいのあるんだ」
イヤーピースを取り替えると、あっさり装着することができた。
「なんか、ながして、ながして」
「はいはい」
適当なmp3ファイルを再生すると、
「おー……」
ご満悦の様子だった。
「音、いいか?」
「うん、おといい」
わかって言ってるのかなあ。
まあ、うにゅほが満足そうだから、なんだっていいや。



2016年4月7日(木)

はだしの爪先を擦り合わせながら、呟く。
「──……寒い」
「さむいねえ……」
春めいた一昨日の陽気が嘘のようだ。
「◯◯、くつした、はいたほういいよ」
「××もな」
「……うへー」
あ、誤魔化そうとしてる。
うにゅほの靴下嫌いは筋金入りである。
「あし、こっちむけて」
「はいはい」
パソコンチェアを九十度回転させ、うにゅほのほうへと爪先を伸ばす。
うにゅほが同様に足を上げ、
「ぺた」
と、足の裏同士をくっつけた。
「◯◯のあし、おおきいねえ」
「××の足が小さいんだと思うぞ」
「なんセンチ?」
「27.5cm」
「わたし、なんセンチだっけ」
「22だか、23だか……」
ちゃんと覚えていない。
「ごセンチちがう」
「小さいなあ」
「◯◯がおおきいんだとおもう」
「どっちもどっちだな」
「どっちもどっち」
うへーと笑う。
「あし、あったかくなってきた?」
「足の裏だけな」
「すりすりする?」
「してくれ」
「はい」
うにゅほの両足が俺の左足を挟み、すりすりと擦る。
「あったかい?」
「あったかい、けど──」
「けど?」
「……いや、なんでもない」
「?」
パンツが見えていることは言わないでおこう。



2016年4月8日(金)

「──……ッ!」
飛び起きるように目を覚まし、動悸と共に手のひらを見つめる。
呼吸が荒い。
首筋が汗に塗れている。
「……夢か」
夢でよかった。
「◯◯、どしたの?」
心配そうな表情で、うにゅほが俺の顔を覗き込む。
「わるいゆめ、みたの?」
「見た……」
「どんなゆめ?」
「えーと──」
言葉にしようとして、ためらう。
「……忘れた」
「えー」
嘘だ。
感触まで覚えている。
ただ、反吐の出そうな夢のことなんて、うにゅほの耳に入れたくなかっただけだ。
「たぶん、羽毛布団が暑かったせいだな……」
「きょう、あったかいもんね」
「あったかいか寒いか、どっちかにしてほしいなあ」
「さむくてもいいの?」
「そりゃ、あったかいほうがいいけど……」
ぐっしょりと濡れたシャツを脱ぎ、タオルで首筋を拭う。
「……びしょびしょ」
「シャワーあびたほう、いいよ」
「そうするか……」
午前中からシャワーを浴びるなんて、何年ぶりだろう。
いささか贅沢な気分で湯浴みを終え、自室へ戻った。
「ただいま」
「おかえりー」
「なんか涼しいな」
「さっきまで、まど、あけてた」
「あー、汗臭かったか」
「うん」
実に正直である。
いいけど。
「汗で湿っぽくなってるし、布団も干しておくか」
「わたしのもほす」
「ふかふかになるぞ、きっと」
「ふかふか、いいねえ」
ベランダに並べて干した羽毛布団は、案の定ふっかふかになった。
今夜はいい夢を見られますように。



2016年4月9日(土)

「──……はぅ」
噛み殺しきれなかったあくびが、口の端から漏れ出した。
「◯◯、ねむい?」
「……ちょっと」
「はやおきしたもんね」
「うん」
平日はぐうたらいつまでも寝ているくせに、休みの日となるとこれである。
我が事ながら現金なものだ。
「きょう、わるいゆめ、みなかった?」
「夢……」
無精ヒゲの生えかけた顎を撫でながら、記憶を辿る。
「見た──ような、見ない、ような……」
夢の記憶とは、細かな砂のようなものだ。
すくい上げようとしても、あっという間に手のひらからこぼれ落ちてしまう。
「××は、今日の夢、覚えてる?」
「うーと……」
しばし思案し、
「……おぼえてない」
うへーと笑う。
そんなものだろう。
「◯◯、あのゆめのはなし、して」
「あの夢?」
「しいたけのゆめ」
「あー」
「あのゆめのはなし、すき」
うにゅほが言っているのは、先月の終わりくらいに俺が見た夢のことだろう。
「えーと、超でかいしいたけがあってだな」
「うん」
「茹でようと思って鍋に入れたら、入りきらなくて、鍋のフタみたいになって」
「うん」
「仕方ないから帽子にしようと──……これ面白い?」
「おもしろい」
「そう……」
「つづき」
「外に出たらみんなしいたけ帽子をかぶってて──」
たったいま見た夢より、二週間前の夢の記憶のほうがはっきりしているのは、一度うにゅほに語り聞かせたからである。
夢の話をしている最中、うにゅほは終始楽しそうだった。
面白いかなあ、これ。



2016年4月10日(日)

「──…………」
姿見を覗き込みながら、ぺたぺたと髪の毛を撫でつける。
「……風呂入っても直らない寝癖って、それもう寝癖じゃないよな」
「ぐせ?」
「癖っ毛、とか」
「◯◯、くせっけなの?」
「違う気がするなあ」
針金のように硬いが、髪の毛自体は至極まっすぐだ。
「髪を切るたび、癖の位置が変わるんだよな」
「うん」
「……寝癖を直さないまま寝ると、どうなると思う?」
「うと、すごいねぐせになる」
「すごい寝癖のまま寝ると?」
「……もっとすごいねぐせになる?」
「たぶんだけど、そういうことなんだろうなあ」
しみじみと呟く。
「さいしょのねぐせのとき、なおさないとだめだね」
「そうだな……」
在宅仕事なんてしていると、外に出ない日も珍しくはない。
面倒がって寝癖を放置した結果がこれである。
「××は寝癖つかないの?」
「つくよ」
「つくのか」
あまり見た覚えがない。
「でも、くしですいたら、すぐなおるよ」
「そうなのか」
「つげのくし……」
うにゅほが照れたように笑う。
つげの櫛。
数年前の誕生日に、俺がプレゼントしたものだ。※1
「……うん、買ってよかった」
「ありがとね」
「どういたしまして」
ぺこりと頭を下げ合いながら、考える。
今年の誕生日は、なにをプレゼントしようかな。

※1 2013年10月15日(火)参照



2016年4月11日(月)

とても、とても、がっかりすることがありました。
「──…………」
「◯◯……」
「──…………」
「……だいじょぶ?」
「だいじょばない」
「だいじょばないの……」
「──…………」
「◯◯……」
「──…………」
「……ひざまくら、する?」
「する……」
うにゅほの膝に側頭部を預ける。
「よしよし」
「──…………」
頭を撫でられている。
「あ、ねぐせ」
「──…………」
「ぴこん、ぴこん」
「──…………」
寝癖で遊ばれている。
「ぎょうざー」
「──…………」
耳で遊ばれている。
「しずかにしたほう、いい?」
「どうでもいい……」
「しずかにするね」
「──…………」
「──……」
「──…………」
目を閉じる。
もうすこしだけ、落ち込んでいたかった。



2016年4月12日(火)

「──……うー」
ビッグねむネコぬいぐるみが、うにゅほの腕のなかでギュウギュウに絞め上げられている。
「××」
「……う?」
「膝の上、来るか」
「うん……」
うにゅほが座椅子から立ち上がり、俺の膝に腰を下ろす。
「おなかを撫でてあげましょう」
「はい」
ぬいぐるみの下に手を入れると、腹巻きが汗でしっとり濡れていた。
なで、なで。
「ほー……」
「楽になった?」
「もっと」
「はいはい」
なで、なで。
「……◯◯、きょう、やさしい」
「いつもは?」
「いつもやさしい」
「……昨日、情けないところを見せたからな」
「なさけなくないよ」
「──…………」
「つらいとき、つらいって、いってほしい」
「……そうだな」
「うん」
「××も、つらいとき言うんだぞ」
「おなかいたい……」
「治まるまで撫でてるから」
「ちょくせつなでて」
うにゅほが腹巻きをぺろんとめくる。
「はいはい」
脂肪も筋肉も薄い汗ばんだおなかをさすりながら、うにゅほの髪の匂いを嗅いでいた。
なんかこう書くと変態みたいだな。



2016年4月13日(水)

──不意に、嫌な予感がした。
正確には、予感ではない。
既に過ぎ去ったこと。
しかし、対処に当たるべきは、現在か、未来の自分だ。
そういった意味では、予感と表現するのも間違いではないかもしれない。
「──…………」
財布から免許証を取り出し、確認する。

平成28年02月12日まで有効

「あー……」
免許の更新のことを、完全に忘れ去っていた。
「どしたの?」
「免許の有効期限が、切れてた」
「え」
うにゅほが目をまるくする。
「きのう、びょういんいった」
「無免許運転ってことになりますね……」
「くるま、もう、のれないの?」
「いや、半年以内だったら再取得できるはず」
「それまでは?」
「運転しちゃ駄目」
「うー……」
うにゅほが目を伏せる。
「ドラえもんのえいが、みにいけないねえ……」
「さっさと運転免許試験場行けば、まだ間に合うと思う」
「まにあうかな」
「間に合わなくても、弟連れてけばいいし」
「あ、そか」
なんだかんだ弟もドラえもん好きなので、誘えば車くらい出してくれるだろう。
「ともあれ、しばらくは車乗れないなあ」
「そだね……」
在宅仕事でよかった。



2016年4月14日(木)

「あ、ストプラ新刊出てるみたい」
「そなの?」
「いまから本屋──」
言いかけて、口を閉ざす。
「……行けないんでしたね」
「うん……」
有効期限のことをすっかり忘れていて、運転免許を失効してしまっているのだった。
「めんきょ、いついくの?」
「平日がいいなあ」
「あした?」
「明日は、弟が病院行くらしいから」
「らいしゅう?」
「来週かなあ」
「らいしゅうかー」
「映画以外で、どこか行きたい場所とかあった?」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「あ、わかった」
「?」
「乗れないとなると、乗りたくなるんだろ」
「あー」
「違った?」
「そうかも……」
気持ちはわかる。
「まあ、こればっかりはな。我ながら間抜けだと思うけど、仕方ない」
気がついてしまった以上、意図的に無免許運転をするわけにも行かないし。
「めんきょ、だいじだね」
「××も取るか?」
「!」
慌てて首を横に振る。
「いらない、いらない」
「まだ早いか」
「はやい、はやい」
「冗談だよ」
「……はー」
うにゅほが、ほっと溜め意をつく。
そんなに嫌か。
「ともあれ、ストプラはAmazonでポチっとこう」
「うん」
便利な時代になったものだ。



2016年4月15日(金)

今日は、風の強い日だった。
「わー……」
窓から外を覗きながら、うにゅほが驚嘆の声を漏らす。
「きー、ぐわんぐわんしてる」
「どれ」
うにゅほの頭に顎を乗せ、外を見やる。
新芽をつけた若いシラカバが、折れんばかりに振れていた。
「風、すごいなあ」
「すごい」
「音もすごい」
「うるさいね」
「あと、寒い」
「さむいねえ……」
はー。
うにゅほが吐息で手のひらをあたためる。
「灯油、ちょうど切れたんだっけ」
「うん」
「今日のためだけに汲んでくるのもなあ」
「うん……」
「あれしかないな」
「うん」
うにゅほがこちらに体重を預ける。
「……うへー」
「××、くっつくの好きだなあ」
「うん」
「俺も好きだけど」
「うん」
「寒くなくてもくっついてるけど」
「うん」
「ていうか、夏でもくっついてるけど」
「ぺたぺたして、きもちい」
「汗でな」
「うん」
つまり、年中くっついているのである。
「せなか、あったかい」
「おなかは?」
「さむい」
「半纏、前から着るか?」
「うん」
「押し入れから引っ張り出してこないとな……」
春なのだから、もうすこし春らしくしてほしいものだ。



2016年4月16日(土)

両親の友人の飼い犬が、半年ぶりに来訪した。
滞在は一泊二日の予定だ。
「──…………」
ヒャン!
「ぴ!」
キャンヒャン、ヒャン!
「に゙!」
うにゅほは、よく吠えるこの小型犬がたいへん苦手である。
自室へ逃げ帰ったあと、うにゅほがちいさく呟いた。
「もう、へやでれない……」
「ごはんは?」
「がまん……」
「トイレは?」
「──…………」
もじ。
うにゅほが膝を擦り合わせる。
「いきたい……」
人間とは不思議なもので、トイレに行けないと感じた途端、急に尿意が訪れたりする。
「◯◯ぃ……」
「わかったわかった、なんとかするから」
リビングへ取って返し、数分間の格闘ののち、ようやく犬を抱き上げる。
「××、もういいぞ」
「……ほんと?」
「嘘なんて言わないぞ」
「──…………」
自室の扉が恐る恐る開いていく。
「……なかない?」
「抱っこしてるあいだはな」
「なんで?」
「いや、なんでかは知らないけど」
「ふうん……」
「ほら、トイレ行ってきなさい」
「はい」
うにゅほが尿意を催すたびに、同じことをしなければいけないのか。
いいけどさ。
「あんましでなかった」
「報告は別に……」
律儀と言うか、なんと言うか。



2016年4月17日(日)

「──…………」
こそり。
薄く開いた扉の隙間から、うにゅほがそっと顔を出す。
「……いぬ、かえった?」
「帰ったよ」
「はー……」
安堵の吐息と共に、扉を開く。
「といれー」
「我慢してたのか」
「だって」
「いいから、行ってきなさい」
「はい」
しばしして、
「でた」
「だから、報告はしなくていいって……」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……手は洗った?」
「あらった」
得意げに両手を開いて見せる。
「──…………」
幼児か!
という突っ込みを溜め息へと変換しつつ、口を開く。
「今回も、仲良くなれなかったなあ」
「うん……」
「思うに、だ」
「?」
「××が怯えるから、吠えるんじゃないか?」
「おびえるから?」
「そう」
「せいかくわるい……」
「……ああ、そうか。そうなるよな」
導き出そうとした結論とは異なるところに着地してしまった。
「またくるかなあ……」
「来てほしくない?」
「──…………」
軽く思案し、
「……とまらないなら」
「嫌いじゃないの?」
「きらい、ではない」
意外だ。
「じゃあ、好き?」
「すきじゃない……」
嫌いじゃないけど、好きじゃない。
乙女心は複雑のようだった。



2016年4月18日(月)

「──…………」
「◯◯……」
うにゅほの手のひらが額に添えられる。
あたたかい。
「ねつ、ないとおもう」
「ああ……」
「だいじょうぶ?」
「──…………」
体調が、悪いなんてもんじゃなかった。
目の奥が痛い。
関節が軋む。
体が動かない。
「死ぬ……」
「しなないで……」
「死なないけど、つらい……」
「どうしよう……」
「──…………」
「◯◯、どうしたらいい?」
「──…………」
「てーにぎる……」
ちいさな両手が、俺の手のひらを包み込む。
「……眠い」
「ねたほういいよ……」
「寝る」
薄く開いていた目蓋を閉じる。
「……ねても、しなない?」
「死なないよ……」
「ほんと?」
「本当」
「うん……」
「……寝ていい?」
「ごめん……」
「──…………」
「てーにぎってていい?」
「ああ……」
「──…………」
「──……」
「しなない?」
「──…………」
ちいさく頷く。
「そか……」
手のひらを包む感触に安らぎを覚えていると、あっという間に意識が滑り落ちていった。
次に目を覚ましたのは、午後三時を過ぎたころだった。
「──……すう」
うにゅほが、俺の手を握ったまま、寝落ちしていた。
随分と心配を掛けてしまったようだ。
今度、なにかで埋め合わせることにしよう。



2016年4月19日(火)

「◯◯、きょう、おふろはいる?」
「んー……」
軽く思案し、答える。
「今日はいいかな」
「……ぐあい、まだわるい?」
「昨日よりはマシ」
「そか」
うにゅほが、安心したように笑みを浮かべる。
「でも、いちおうな。湯冷めして悪化したらつまらないし」
「そだね」
「明日、予定もないし」
「くるま、つかえないもんね」
「それ、どうにかしないとなあ……」
運転免許試験場に行けば再交付してもらえるのだが、そこに行くまでの足を用意する必要がある。
「あした、(弟)、くるまつかうんだっけ」
「普段ヒマしてるくせにな」
「あさってとしあさって、おかあさん、どっかいくって」
「言ってたな」
「どにちは?」
「混んでるから行きたくない」
「らいしゅうだね」
「そうなるな」
「──…………」
「……?」
おもむろに近づいてきたうにゅほが、わっしと俺の頭を掴む。
そして、鼻先で髪の毛を掻き分けた。
「♪」
すんすん。
「汗臭いだろ」
「んー」
「臭くない?」
「おもったほどじゃない……」
どうして残念そうなんだよ。
くんくん。
すーはー。
ふんすふんす。
「……でも、嗅ぐのか」
「◯◯、まいにちおふろはいるから、あんまりかげない」
「いいことだろ」
「うん……」
「……まあ、好きなだけ嗅ぎなさい」
「はい」
五分くらい嗅がれて、ようやく解放された。
やっぱにおいフェチだな、この子。



2016年4月20日(水)

薄切りにしたこんにゃくをレンジで五分間加熱すると美味しくなると聞いて、試してみることにした。
「──…………」
ガラス越しにレンジの中を覗きながら、うにゅほが心配そうに呟く。
「ぶしぶしいってる……」
「言ってるな」
「だいじょぶかな」
「大丈夫だと思うけど……」
長時間加熱することがあまりないから、いささか不安ではあった。
無事に五分が過ぎ、熱々の皿を取り出す。
「あ、しわしわなった」
「水分が蒸発したんだろうな」
塩とごま油で作ったシンプルなタレを、こんにゃくにさっと絡める。
「でーきた」
「かんたんだねえ」
「これで美味かったら、つまみ界の革命だぞ」
「たべていい?」
「一緒に食べよう」
「はい」
「いっせーのーで」
「で!」
ぱく。
「──…………」
くにくにとコリコリのあいだの食感。
程よい塩味。
抜けるようなごま油の香り。
「……美味いな」
「おいしい」
「ヘルシーな塩ホルモンって感じ」
「あ、わかる」
「これ、もうすこし水分飛ばしたほうがいいかもな」
「ろっぷん?」
「あと、大きい皿を使って、こんにゃく同士が重ならないようにして」
「ふむふむ」
「これ、ダイエット中のおやつにもいいかもな……」
「ごまあぶらは?」
「油は使わない。塩だけでもいいし、ノンオイルのドレッシングをかけてもいい」
「ふりかけは?」
「うん、ふりかけも試してみるか」
改善案が次々と出てくる。
しばらくのあいだ、こんにゃくで胃袋を満たす日々が続きそうだ。



2016年4月21日(木)

「──……暑いー」
羽毛布団を蹴り上げる勢いで上体を起こす。
春眠暁を覚えずとは言うが、この陽気ではおちおち昼寝もできやしない。
「ねれない?」
「寝れないです」
「まどをあけましょう」
「お願いします」
うにゅほが南西側の窓を開けると、酸素をたっぷりと含んだ新鮮な空気が漂ってきた。
「すずしい?」
「涼しいです」
「ねれそう?」
「たぶん」
もぞもぞと布団に潜り込むことしばし、
「──……寒い」
「さむい?」
「肌寒い」
四月も下旬とは言え、窓を開けたまま眠れるほど暖かくはないようだ。
「まど、しめましょう」
「お願いします」
しばしして、
「──……暑い」
「うん」
すべてを許容する瞳で、うにゅほが苦笑する。
「これもう寝るなってことだな」
「でも、あんましねてないんでしょ」
「三時間くらいは寝た」
「それ、あんましねてないっていう」
「まあ……」
八時間寝ないともたない体だ。
パソコンチェアに戻っても、船を漕ぐのが目に見えている。
「もうすこし涼しくなってから寝るよ」
「よる、ねれなくならない?」
「大丈夫、大丈夫」
たぶん。
「しごと、できる?」
「大丈夫、大丈夫」
きっと。
無事に日記を書いているということは、なんとかなったということだ。
ポンコツな体との付き合い方は心得ている。
今日は早めに寝よう。



2016年4月22日(金)

クレジットカードの利用明細が届いた。
「あ、いちまんえんいってない!」
「ふふふ……」
人差し指と中指でクレジットカードを挟み、不敵に笑ってみせる。
「節制してみました」
「すごいね」
「いや、すごくはない」
一万円近く使っているのだし。
「先々月はパソコンとか買ったし、さすがにな」
「こんげつ、たくさんちょきんできるなあ」
うきうきと微笑みながら、うにゅほがiPhoneの家計簿アプリを立ち上げる。
「うーと……、あ!」
「どうかした?」
「ぱそこんかうまえより、ふえた」
「え、もう補填できたのか」
「ほてん?」
「赤字が無くなったのか、ってこと」
「なくなった」
アプリを見せてもらうと、たしかに二ヶ月前より貯蓄が増えていた。
「ちょっと節制しただけなのに……」
「すごいねえ」
「いや、むしろ、普段どれだけ考えなしに金使ってるかってことだよ」
「あ、そか」
「先月のグラフ見せて」
「はい」
2016年3月分の支出の内訳を表した円グラフが表示される。
「クレジットカードはそれなりだけど……」
グラフの半分を占める緑の領域を指で示す。
「この〈日用品〉四万円って、なに買ったんだろ」
うにゅほがふるふると首を横に振る。
「おぼえてない」
「一気に使ったんじゃなくて、二千円くらいがちょこちょこって感じだな」
「かんてんゼリーは?」
「……それだ」
思い出してきた。
「セブンの寒天ゼリーと一緒にビーフジャーキー買い込んでたから、それが一緒に計上されてるんだ」
「びーふじゃーきー、たかいもんねえ……」
「それにしたって買い過ぎだよ」
もちろん、他にも原因はあるのだろうけど。
「とりあえず、ビーフジャーキー断ちだな」
「そのほういいよ」
必要のない買い物を、できる限り削って行こう。
貯蓄が増えると、うにゅほが喜ぶし。



2016年4月23日(土)

「うう……」
ボリボリ。
へその下あたりが痒くて仕方なかった。
「あんましかかないほう、いいよ?」
「わかってはいるんだけど……」
ボリボリ。
それはもう、耐えがたい痒みなのだ。
「みして」
「はい」
シャツの裾をめくる。
「あかくなってる……」
「なんだろ、これ」
「あせもかなあ」
「こんなとこ、あせもにならないだろ」
「そだねえ……」
まだ春だし、汗をかいた記憶もない。
「蕁麻疹、とか」
「じん、ましん?」
「そう」
「じんましんて、なに?」
「俺もよくわからん」
「わからんの」
「たしか、急に皮膚が痒くなるんだよ。アレルギーかなにかで」
「あ、る、れぎー」
「アレルギー」
「あれるぎー」
「言えたな」
「いえた」
「……ダニにでも噛まれたかな」
「だに?」
「俺、ダニアレルギーだろ」
「うん」
「だから、そうかなって」
「でも、わたし、そうじしてるよ?」
「毎日してるな」
「だに、まだいるのかな」
「うーん……」
うにゅほが一所懸命掃除してくれている部屋に、ダニがいるとは思いたくない。
「……とりあえず、オロナインでも塗るか」
「あ、わたしぬる」
「えー……」
場所が場所だけに、いささか気が引ける。
「だめ?」
気は引けるが、まあ、変な場所ではないのだし。
「頼むー」
「はい」
ぬりぬり。
痒みは治まったが、根本的な解決には至っていない。
皮膚科を受診するべきだろうか。



2016年4月24日(日)

「──…………」
ぷち。
「あ」
「?」
「ごめんなさい」
「黒いの抜いた?」
「ぬいちゃった……」
「べつにいいよ、それくらい」
仮に問題があるとすれば、そこではない。
「……白髪、まだある?」
「まだある」
「増えたかな」
「ふえてないよ」
ぷち。
「まえからこんくらいあるよ」
「そうか」
ぷち。
「……俺の白髪、どうして、前髪のほうに集中してるんだろうな」
「さあー」
ぷち。
「──…………」
そっと目蓋を開く。
小ぶりな胸のふくらみが、眼前にある。
前から白髪を抜くということは、つまり、そういうことなのだ。
「……白髪、まだある?」
「まだある」
「どんくらいあるんだ……」
「じっぽんくらい」
「十本、とっくに抜いてない?」
「くろいの……」
「ああ、はいはい」
前髪、薄くなったりしないよな。
ハゲない家系だから大丈夫だとは思うが、油断はできない。
「──…………」
ぷち。
「あ」
ああ、どんどん減っていく。
いいけどさ。



2016年4月25日(月)

「こ、し、い、た、いー……」
タイルカーペットの上にぐでーんと寝転がる。
「……俺、変な寝相してた?」
「ふつうとおもう」
「なら、単に寝過ぎただけか……」
「うん」
なんだか知らんがやたらと眠くて、たっぷり十二時間は寝たからなあ。
「まっさーじするから、うつぶせなって」
「はい」
ごろん。
俺の太腿の上に腰を下ろし、うにゅほが俺の腰を揉む。
「う、しょ、うん、しょ」
「おあー……」
「きもちいい?」
「気持ちいい」
「きく?」
「……あ、うん」
言葉に詰まったのは、なかば嘘だからである。
うにゅほのマッサージは、すこぶる効かない。
気持ちいいのは確かなのだが、根本的に腕力が足りないのだ。
しかし、
「××、マッサージ上手くなった?」
「うへー」
ちいさな手のひらに、普段より体重が乗っている。
「太ったとか」
「ふとってないよ」
「腕立ては?」
「してないよ」
「してないよなあ」
「うん」
しばしのあいだ、うにゅほ式マッサージに身を任せていたところ、ふとあることに気がついた。
「──……!」
うにゅほのおしりが前後に動いている。
「なるほど……」
つまり、いったん後ろに重心をずらすことで、勢いをつけているのだ。
「考えたな、××」
「なにが?」
あ、意識はしてないんだ。
しばらく揉んでもらっていると、痛みもすこし和らいだ。
このまま自然治癒してくれればいいのだけど。



2016年4月26日(火)

運転免許試験場へと赴き、免許証を再取得してきた。
「ほら、新しい免許証だぞー」
「わー」
「ツヤツヤしてるぞー」
「ほんとだ」
「人相悪いぞー」
「かみ、きりたかったね」
「運転できなかったからな、しゃーない」
「うん」
人相が悪いのはいつものことだし。
「そんなことより、××さん」
「?」
「今日もマッサージしてくれるか」
「こし、まだいたい?」
「ふと気づいたんだけど、痛いの腰じゃないみたい」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「こしじゃないの?」
「腰って、このあたりだろ」
自分の腰に手を当てる。
「うん」
「いま痛いのって、このあたりなんだよ」
手の位置を左下にずらし、患部を中心に撫でてみせる。
「……こしの、した?」
「おしりの上」
「いたいの、おしり?」
その言い方は語弊があります。
「単なる腰痛じゃなくて、尻を寝違えたらしい」
「おしりって、ねちがえるの?」
「わからんけど、他に適当な言い方がない」
「うーん……」
「羽毛布団が暑いからって、足で挟んで寝た記憶があるんだよ」
「してたかなあ」
「なら、××の見てないときかな」
「そか……」
「というわけで、ちょっと揉んでくれるか」
「おしり?」
「左上のあたりを重点的にな」
「はーい」
うにゅほが元気よく手を上げる。
マッサージを頼まれることが、嬉しくて仕方ないらしい。
「うつぶせなってください」
「わかりました」
「いくよー」
もみもみ。
やわやわ。
「──…………」
疲れていたのか、ほんの数分でうとうとしてしまった。
うにゅほ式マッサージのリラックス効果は、相変わらず凄まじい。



2016年4月27日(水)

「いて、いててて……」
臀部を軽く撫でさすりつつ、パソコンチェアから腰を上げる。
「……◯◯、まだいたい?」
「ちょっとだけな」
気遣わしげなうにゅほにそう返し、ぐっと伸びをする。
「せいこついん、いかなくて、だいじょうぶ?」
「この調子なら、たぶん、明日か明後日には完治してると思う」
「ほんと?」
「こんなことで嘘つかないって」
「うん……」
心配してくれるのは嬉しいが、それは杞憂というものだ。
「でもさ、尻を寝違えただけでよかったよ」
「よかったの?」
「腰痛より、よほどまし」
「そなんだ」
「寝違えたのは勝手に治るけど、腰痛はだんだん悪くなるからな……」
「こわいね……」
「××も、腰は大事にしないと駄目だぞ」
「どうしたらいいの?」
「ストレッチとか」
「すとれっち、する」
座椅子からぴょんと立ち上がり、うにゅほが前屈をしてみせる。
「ぬ、う、うー……!」
中指の先が向こう脛で止まっている。
「……相変わらず、前屈苦手なんだな」
「うー」
猫のように体の柔らかいうにゅほだが、どういうわけか前屈だけできない。
「ほら、見てな。こうする──うッ!」
臀部に激痛。
「わああ!」
「ね、寝違えてるの忘れてた……」
「むりしないで!」
「はい……」
一日ゆっくり養生していたら、痛みもだいぶ引いてきた。
これ以上、心配かけずに済みそうである。



2016年4月28日(木)

例年通り、映画「ドラえもん 新・のび太の日本誕生」を観に行ってきた。
「わ、だれもいない」
「貸し切りだな」
「ね!」
旬を逃している上に、ゴールデンウィークの前日である。
人がいないのも当然だ。
「来年も、いまくらいの時期に来ようか」
「◯◯、きーはやい」
たしかに。
「ね、ね、どこすわる?」
「どこでもいいぞ」
「うと……」
しばしの逡巡ののち、うにゅほが恐る恐る口を開いた。
「……◯◯、どこいい?」
「──…………」
ぽん。
うにゅほの頭に手を乗せる。
「う?」
「なら、ちょうど真ん中にしような」
「うん、そうしよう」
貸し切りのシアタールームで、ふたりきりで映画を観る。
ロマンチックな気がしないでもないが、上映されるのはドラえもんである。
「♪」
うにゅほがとても上機嫌だから、なんだっていいけれど。

──二時間後、

「……面白かったな」
「うん……」
「俺、ちょっと泣いちゃったよ」
「わたしも……」
大筋は忠実なリメイクで、元映画の尻すぼみ感だけを上手く解消したという印象だ。
ギガゾンビが23世紀の人間であるという設定を活かした緊迫感のある展開も素晴らしかった。
「来てよかったな」
「うん!」
大満足の俺たちは、帰る道すがら、いつものジェラート屋に寄って帰宅した。
新ドラの映画は、年々クオリティが高くなっている気がする。
来年も楽しみだ。



2016年4月29日(金)

「……寒い」
「さむいねえ……」
「マジ寒い」
「まじ、さむいねえ……」
四月も末だというのに、この冷え込みはちょっと異常である。
雪でも降るのではあるまいか。
「××、ちょっとこっち来て」
「うん」
「膝、座って」
「うん」
うにゅほが俺の上に腰掛ける。
「うへー……」
ちいさなおしりから伝わる体温が、とても心地いい。
「寒いから、あれやるか」
「あれ?」
「つながりごっこ」
「やる!」
つながりごっことは、なにをするにもずっと相手の素肌に触れていなければならないという実にハイブローな遊びである。
「せっかくだから、タイムを計測しよう」
「たいむ?」
「どれくらい繋がっていられたかを計測して、記録を伸ばしていくのだ」
「おもしろそう」
iPhoneのストップウォッチ機能を呼び出し、うにゅほと手を繋ぐ。
「始めていいか?」
「あ、といれ」
「先に行っといたほうがいいな」
「うん」
互いに小用を済ませ、手を洗い、再び同じ体勢を取る。
「行きます」
「はい」
「よーい、スタート!」
開始ボタンを押すと、ストップウォッチが時を刻み始めた。
「どれくらい行けると思う」
「うーと、いちじかんくらい……」
「今日は寒いし、二、三時間は行けるんじゃないか?」

結果:四時間三十二分
中断理由は、俺が尿意を催したから、だった。

「……いきなり大記録を出してしまった」
「おちゃのまなかったら、もっといけるとおもう」
「確かに」
「またやろうね」
「寒い日にな」
夏場はちょっと勘弁してほしい。



2016年4月30日(土)

「ぐへー……」
ぼす。
羽毛布団に倒れ込み、バタバタと泳ぐ。
「疲れたー! つかれたー!」
「つかれたの?」
「疲れた……」
「そか」
うにゅほが傍に腰を下ろし、膝をぽんぽんと叩く。
「ひざまくら、する?」
「頼むう」
「はい」
布団の上を這って動き、うにゅほのふとももに頭を預ける。
「おつかれさま」
なでなで。
「はー……」
気持ちいい。
うにゅほが触れた場所から疲れが溶け出していくような錯覚すら覚える。
「このままねる?」
「……いや、すこし頭を休めるだけで大丈夫そうだ」
「そか」
「遊んでただけだしな」
「ごーるでんうぃーく、だもんね」
「行きたいとこ、あるか?」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「こんでそう」
「まあ、混んでるだろうなあ」
「ドラえもん、みたし」
「映画、また行こうな」
「うん」
「観たいのあったら、言ってくれな」
「いう」
「平日に行こうな」
「かしきり?」
「貸し切りになるかはわからないけど……」
「かしきりなったら、いいね」
「そうだな」
膝枕をしてもらいながら、取り留めのない会話を交わす。
ただそれだけの時間が、たまらなく愛おしい。
「……腹減ったなあ」
「カレーあっためる?」
「後でいいよ」
「そか」
カレーより、いましばらく、この時間を。

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