>> 2016年3月




2016年3月1日(火)

「──くぁ、うー……」
止まらない生あくびに、思わず目元をこする。
ちゃんと寝たのに、なんか眠い。
「よこになったほう、いいよ?」
「七時間は寝たのになあ……」
「ねむいときは、ねたほうが、いいの」
「そうかな」
「だって、◯◯、ぐあいわるいんだもん」
「──…………」
自分の額に手を当てる。
「……俺、具合悪いの?」
「うん」
うにゅほが深々と頷く。
「ぐあいわるいときのかお、してる」
「そうかー……」
ぜんぜん気づかなかった。
こと俺の体調に関しては、俺自身よりうにゅほのほうが詳しい。
「さむくない?」
「寒い」
「くつしたはいて」
「はい」
「はんてんきて」
「はい」
「ぎゅってして」
「はい」
「あったまったら、ふとんね」
「はい」
ぎゅー。
うにゅほを抱き締めていると、心も体もぽかぽかしてくる。
「風邪かなあ」
「わかんない」
「そっか」
「◯◯、かぜじゃなくても、ぐあいわるいときあるから」
「……心配かけて、ごめんな」
「◯◯のたいちょうかんり、わたしのしごと」
「仕事なんだ」
「うん」
「××は、仕事多くて大変だなあ」
「すきだから、だいじょぶ」
「……そっか」
仕事が好きなのか、俺のことが好きなのか、聞く度胸はないのだった。



2016年3月2日(水)

風呂上がり、化粧水をつけるために眼鏡を外した。
タイミングよく携帯が鳴ったので、出た。
友人だった。
ちょっとした確認の電話だったため、五分ほどで切った。
改めて化粧水をつけ、眼鏡を掛けようとした。
「──…………」
眼鏡が見当たらなかった。
「××」
「?」
「俺の眼鏡、知らない?」
「しらない……」
だろうなあ。
「めがね、なくしたの?」
「なくしたというか、どこに行ったのかわからない……」
「それ、なくしたっていう」
ごもっともである。
「化粧水をつけようとして外したのは覚えてるんだ」
「けしょうすいのちかく?」
「悪いけど、一緒に探してくれないか」
「いいよ」
「ほんと何も見えなくて……」
ショボショボと目を細めるが、視力に大差はない。
右が0.02、左が0.03。
眼鏡なんて半分は透明なもの、鼻先まで近づかなければ目視できない。
「うと、このへん?」
「たぶん」
「ないなあ……」
「ないか」
「ほんだなのうえは?」
「本棚の上……」
本棚の上と言えば、小さめのぬいぐるみがひしめいているエリアである。
「……んー?」
カピバラさん、ニワトリ、うさぎ、まるねこ、眼鏡、きつね──
「あ、あったあった!」
「あった?」
「なんでこんなところに置いたんだろう……」
「さあー」
無意識というのは恐ろしいものだ。
「気をつけないと。眼鏡なくしたら、なにもできなくなる」
「なくしてもいいよ」
「?」
「おせわするから」
「ええと、ありがとう……」
嬉しいような、複雑のような。



2016年3月3日(木)

「◯◯、ひなあられたべる?」
「食べる食べる」
「ぎゅうにゅう、のむ?」
「飲む飲む」
「ひなまつりのケーキあるから、たのしみにしててね」
「わーい」
ふと思った。
これでいいのか、俺。
「──こほん」
咳払いをひとつ。
「なんかごめんな、ひなまつりなのに」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「いや、××の日なのに、俺ばっかはしゃいでるみたいで……」
しかも、甘味につられて。
考えれば考えるほど、情けないことこの上ない。
「あやまることないのに」
「でもなあ」
「わたし、◯◯が、あまいのたべてるの、すき」
「……なんで?」
「◯◯、あまいのすきだから」
「好きだけど……」
なんだろう、餌付けしている感覚なのだろうか。
「××がいいなら、まあ、いいんだけどさ」
ボリボリとひなあられを噛み砕く。
甘くて美味しい。
「ばんごはん、ちらしずしだって」
「ちらし寿司かー」
「すき?」
「好き」
「たのしみにしててね」
「はーい」
もう、なんでもいいや。
素直に餌付けされとこう。



2016年3月4日(金)

「わあー!」
薄く積もった雪の上で、うにゅほがくるりと回ってみせた。
「ゆきかきだ!」
「最後になるかもしれないなあ」
「うん……」
寂しげな表情を浮かべるうにゅほの頭に手を乗せる。
「大丈夫。冬が来れば、どうせまた降る」
忌々しいことに。
「……うん!」
うにゅほに笑顔が戻る。
出会ったころに比べ、随分と表情が多彩になった。
俺がうにゅほをそうしたのだと、自惚れていいのだろうか。
「──…………」
なんだっていいや。
俺は、いまのうにゅほのほうが、好きだ。
そんなことを考えながらスノーダンプで雪を運んでいたとき、

ぐき。

「のはッ!」
左足を思い切り挫いてしまった。
「──◯◯!」
「ぐねって言った、ぐねって」
「だ、だいじょぶ?」
駆け寄ってきたうにゅほが俺の傍に膝を突き、足首にそっと触れる。
「……いたい?」
「痛い」
「くつぬいで」
「はい」
「くつしためくります」
「はい」
「はれてないけど、はれるかも……」
「腫れるのは嫌だなあ」
「ゆきかき、わたしするから、◯◯はやすんでて」
「はい……」
無理に続けても、迷惑と心配を掛けるだけだ。
最近、俺、いいとこないなあ。
雪かきが終わるのを待ち、うにゅほに肩を借りて自室へ戻った。
幸いなことに痛みはすぐ引いたが、絶対安静を言いつけられてしまった。
腫れたら明日は病院らしい。
腫れないことを祈るばかりである。



2016年3月5日(土)

「あし、だいじょうぶ?」
「大丈夫みたい」
「みして」
「はい」
靴下を脱ぎ捨て、左足を差し出す。
痛くないし、腫れてもいない。
大したことはなかったらしい。
「よかったー……」
「ごめんな、心配かけちゃって」
「ううん」
うにゅほが首を横に振る。
「しっぷ、はりかえるね」
「もういいんじゃないか?」
「いちおう」
モーラステープを貼り替えてもらいながら、考える。
最近、してもらうことばかりだ。
うにゅほにしてあげられることって、なにかないだろうか。
「──と、思ったんだけど」
「なにか?」
「なにか」
「うと……」
うにゅほが小首をかしげる。
「けが、しないとか」
「すいません……」
「かぜ、ひかないとか」
「〈しない〉ではなく、〈する〉でお願いできませんか」
「する……」
反対側に首をかしげる。
「やさしくする……」
「優しくしてませんか」
「やさしい」
うへーと笑う。
可愛い。
「おもいつかない……」
「まあ、うん、いまじゃなくてもいいよ」
「いいの?」
「適当に、思いついたときで」
「わかった」
なんか、忘れ去られそうだなあ。
「◯◯、ひざ、のっていい?」
「いいよ」
「あ、いまのって、なにかにはいる?」
「あー……」
しばし思案する。
「……どっちでもいいや」
俺たちは、互いに、依存しあって生きている。
相手のために〈なにか〉をするなんて、日常茶飯事ではないか。
「なんというか、ええと……これからもよろしくな」
「? うん」
うにゅほが不思議そうに頷く。
きっと、それでいいのだ。



2016年3月6日(日)

体調が芳しくなく、横になっていることが多かった。
しかし、
「……なんか、いつもと違う」
「おきてだいじょぶ?」
「上手く表現できないけど、苦しさの種類が違う、というか……」
右手で首筋を撫で、左肩を揉む。
「──!」
硬い。
硬すぎる。
もう、ガッチガチである。
「そうか、肩凝ってたんだ……」
「かたこり?」
うにゅほが俺の肩に触れる。
「かた!」
「たまーにあるんだよな、気づくと死ぬほど肩凝ってるのって」
「いつも、もっとやわらかい」
もみもみ。
「かたい……」
もみもみ。
「しっぷ、はる?」
「貼る……」
「わかった」
うにゅほにサロンパスを貼ってもらったものの、すぐに効果が表れるわけではない。
「いたいー……」
膝枕をしてもらいながら、痛みが取れるのを待つ。
「痛いだけなら我慢できるけど、だるくて苦しいのはつらい……」
「よしよし」
なでなで。
「ねてもいいよ?」
「寝れない……」
「おはなしする?」
「お話しよう……」
「なんのおはなし、する?」
「あー、そうだな。9日にパソコン売りに行こうと思うんだけど──」
そうしてしばらく雑談していたのだが、一向に痛みが治まらないので、ロキソニンを飲むことにした。
「ろきそにん?」
「痛み止め」
「いたみどめ……」
「あんまり好きじゃないんだけど、こうまで痛いとな……」
「そうなんだ」
ロキソニンを服用して三十分ほどすると、だんだん痛みが和らいできた。
なるほど、常飲する人が多いのもわかる。
「なおった?」
「治ってはいないと思うけど、まあ、うん」
「よかったー」
よかったのだろうか。
よくわからないが、痛みに苦しんでいるよりはずっとましだろうと思った。



2016年3月7日(月)

「かた、だいじょうぶ?」
「昨日よりは……」
すくなくとも、痛み止めを飲むほどではない。
「さわっていい?」
「いいよ」
うにゅほが俺の肩を揉む。
「かたいねえ……」
「硬いか」
「こりこりしてる」
「肩凝りだからな」
「こりこりしてるから、かたこりなの?」
「たぶん違う」
「そか」
適当な会話を交わしながら、思案する。
「どうして急に凝ったんだろう」
「しせい?」
「姿勢が悪いのは否定しないけど、それならいつも凝ってないとおかしいだろ」
「いつもはこってないもんね」
「なんか、変なことしたかなあ……」
「へんなこと?」
「たとえば──」
「たとえば」
「……思いつかないけど」
「おもいつかないの」
「あとは、寝違えたとか」
「ねちがえたら、かたこるの?」
「あり得ない話ではない」
「ふうん……」
「××も、変なカッコで寝ないようにな」
「へんなかっこでねてたら、おこしてね」
「ああ」
「でも、へんなかっこって、どんなかっこ?」
「マットレスから半分落ちてたりとか……」
「おきるとおもう」
「いや、××って、熟睡したら全然起きないぞ」
「そなの?」
「よく、ほっぺたとかふにふにしてるけど」
「してるの……」
「嫌だった?」
「いいよ」
許された。
「◯◯がへんなかっこしてねてたら、おこしてあげるからね」
「ああ、ありがとう」
寝違える確率が減ればいいのだが。



2016年3月8日(火)

「──あふ……、ぁ」
大きなあくびをひとつして、上体を起こす。
午後一時。
午前中に一度起きていたとは言え、あんまりな起床時刻だ。
「おはよー」
「おはよう」
「ぐあい、わるい?」
「具合は悪くないけど、眠い……」
揉むように目元をこする。
「まだねむい?」
「眠い」
「ねむいときは、ねたほういいよ」
「そうかな……」
「◯◯、たぶん、ぐあいわるい」
「悪そうに見える?」
「みえる」
うにゅほが深々と頷く。
「からだがね、ねたいって、おもってるんだとおもう」
「──…………」
そうかもしれない。
「……じゃあ、もうすこしだけ寝る」
「うん」
布団を肩まで引き上げると、うにゅほが俺の左手を取った。
「てーにぎってる」
「いいのに」
「まえ、わたしかぜひいたとき、てーにぎっててくれた」
「……そうだっけ」
「うん」
「じゃあ、頼む……」
「うん」
目蓋を閉じると、すぐに眠気がやってきた。
「……おやすみ」
「おやすみ」
次に目を覚ましたのは、午後四時のことだった。
寝ても、寝ても、眠い。
そういえば、春はいつもそうだった気がする。
春眠暁を覚えず。
暁どころが黄昏まで眠ってしまったが、そんなこともあるだろう。



2016年3月9日(水)

古いPCを売却するため、DEPOツクモ札幌駅前店へと赴いた。
「……××」
「?」
展示用のキーボードを人差し指で叩いていたうにゅほに告げる。
「査定に四時間かかるって」
「よ!」
「いったん帰る?」
「かえる……」
「それとも、どっかで時間潰す?」
「どっか?」
「ドライブとか」
「!」
うにゅほが元気よく右手を挙げる。
「ドライブしたい!」
「よし、わかった」
目的地のないドライブなんて、最近していなかったからな。
駐車場へ戻り、ミラジーノに乗り込む。
「雪解けたから、走りやすくていいな」
「うん」
「雪かき、もうできないな」
「ふゆきたら、またできる」
そう言って、うへーと笑う。
去り行く季節を惜しみながら、新しい季節に楽しみを見出す。
日本人は、かくあるべきだ。
コンビニで中華まんを食べ比べし、
喫茶店で軽食を取り、
本屋で新刊を購入し、
ゲームセンターで三毛猫のぬいぐるみを落とし、
札幌市を一巡りして戻ってくると、時刻は既に午後五時を回っていた。
古いPCは、五万円で売れた。
「だいたい予想通りだったな」
「でも、たくさんおかねつかっちゃったね」
「特にぬいぐるみな」
「にせんえん……」
「五百円あれば取れると思ったんだけどなあ」
プライズゲームは難しい。
「今日、楽しかったな」
「たのしかった!」
この笑顔が見れるのなら、少々の出費など痛くない。
問題は、出費に心を痛めるのが俺でなくうにゅほであるという点だが、PCもそれなりの値段で売れたし、今日はまあよしとしよう。



2016年3月10日(木)

うつ伏せで読書をしていると、うにゅほが背中に乗ってきた。
「なによんでるの?」
「CoCのルールブック」
「いっしょによんでいい?」
「いいけど、面白くないと思うぞ」
「うん」
首を左に傾けると、うにゅほが顔を突き出してきた。
ぺた。
ほっぺた同士が触れる。
「ほのほん、でっかいねえ」
「お」
うにゅほが喋ると、ほっぺたが振動して面白い。
「あー、いー、うー、えー、おー」
「……?」
「ほっぺた、ぶるぶるしない?」
「ぶるぶる?」
「あー、いー、うー」
「あ、ぶるぶるする!」
「うー、くー、すー、つー、ぬー」
「あはは、ぶるぶるー」
ウ行が主にぶるぶるするらしい。
「わたしもやる!」
「おう」
「うー、うー、うー」
「お、震える震える」
「うへへ」
誰かとほっぺたをくっつけ合ったまま喋る機会なんてそうはないので、楽しい。
「あぶどる、あるはざーどというなまえは、あきらかに、てお、ら、どす──」
「テオドラス・フィレタス」
「の、かきちがい、あるいは……これ、なんのほん?」
「CoCのルールブック」
「しーおーしーってなに?」
「……まあ、ゲームの説明書みたいなものだよ」
「ふうん」
内容それ自体に興味はなさそうだったが、ほっぺたがぶるぶるするのが楽しくて、しばらくふたりで朗読を続けていた。



2016年3月11日(金)

「……?」
珍しくノートパソコンをいじっていたうにゅほが、小首をかしげて言った。
「ぬ、かけない」
「ぬ?」
「ぬ、おしても、いちってでる」
「どれ」
「はい」
覗き込むと、うにゅほが指を掛けていたのは、半角/全角キーの隣だった。
「これはたしかに〈ぬ〉のキーなんだけど、普通はローマ字入力なんだよ」
「ろーまじ」
「ローマ字、わかるか?」
「わかるよ」
「ローマ字で〈ぬ〉は?」
「うと、えぬ、ゆー」
「正解」
「うへー……」
うにゅほの頭を撫でてやりながら、説明を続ける。
「つまり、〈ぬ〉って入力したいときは、NとUを続けて打つ必要がある」
「えぬ、えぬ……」
「スペースキーの上」
「すぺーすきー」
「なにも書いてない横長のキー」
「あ、あった」
「Uは、そのふたつ上かな」
ぽち。
Yahoo!の検索ボックスに、〈ぬ〉という文字が表示される。
「ぬ!」
「よくできました」
「ぱそこんでじーかくの、たいへんだねえ……」
「慣れるまでの辛抱だな」
「なれたら、◯◯みたいに、たたたたーってできる?」
「できるできる」
「そか」
お、なんかやる気だ。
やる気があるのはよいことだ。
「ところで、なんて検索しようと思ってたんだ?」
「ぬりかべ」
「……ぬりかべ?」
「うん」
「ぬりかべ、好きだったっけ」
「ふつう」
なんでもいいから検索してみたかっただけらしい。


2016年3月12日(土)

「……すう」
「──…………」
親亀子亀状態で、うにゅほが昼寝に突入してしまった。
吐息が耳元をくすぐる。
背中が熱い。
睡眠中に体温が上がるというのは、どうやら本当のことらしい。
「……トイレ行きたい」
小声で呟いてみたが、起きない。
素直に起こせばいいのだが、安眠を妨害したくない。
仔猫が膝の上でうとうとしている時のことを想像していただきたい。
たぶん、同じ心境だ。
「……××さん?」
「──……すう……ふう……」
寝ている。
すこぶる安眠である。
這ったままトイレに行けないかなあ。
ああ、駄目だ。
仮に行けたとしても、小用を済ますためには立ち上がらなければならない。
では、おんぶに移行するのはどうだろう。
いかんいかん。
寝ている女の子をトイレに連れ込むことになってしまう。
「うう……」
いずれ我慢の限界が訪れて、うにゅほを起こすことになるのは目に見えている。
だったらいま起こしたって大差ないのだが、それでも躊躇してしまう親心的なサムシング。
そんなことを考えながらもじもじしていると、
「──……う」
うにゅほが目を覚ました。
くしくしと目元をこすりながら、問う。
「ねへた……?」
「寝てたな」
「おきた……」
「起きたな」
「──…………」
「──……」
「……んにぅ」
「──…………」
「──……」
「……××さん?」
「──……すう……ふう……」
また寝た!
「ぐ、う……」
その後、またしばらく我慢を続けた俺なのだった。



2016年3月13日(日)

「◯◯、ふとった?」
「ぐ!」
いきなり正鵠を射抜かれた。
「太りました……」
「やっぱり」
「見てわかりますか」
「うん」
「……どこでわかった?」
「からだとか、おなかとかは、かわんない」
「筋トレしてるからなあ」
「ほっぺた、ちょっと、まるくなった」
「ほっぺたかあ……」
もにもにと自分の頬をこねる。
たしかに、以前よりもふくよかになった──ような?
「でも、(弟)よりマシだろ」
「うん」
俺は面長だが、弟は丸顔である。
「……ここしばらく、食べ過ぎていた気がする」
「うん……」
「ダイエットします」
「むり、だめだよ?」
「無理しません」
「よろしい」
「……ほんとはちょっと無理します」
「だめだよ」
「ちょっとだけ」
「だめ」
「朝はもともと食べてないし、昼抜いて、夜だけ食べます」
「いちにちいっしょく?」
「それくらいしないと」
「おやつたべなかったら、やせるとおもう」
「××なら、それでも痩せるかもしれないけどさ……」
基礎代謝が徐々に落ち始めている。
いい加減、若くないからなあ。
「ともあれ、無理のない程度に頑張ります」
「ほっぺたまるいの、かわいいのに」
「頑張ります!」
可愛いとまで言われては、黙っていられない。
俺は、うにゅほに、カッコいいと言ってほしいのである。
「──…………」
窓の外を見る。
雪解けが近い。
そろそろ、活動的になってもいい時期だろう。



2016年3月14日(月)

ホワイトデーである。
「××、これ」
「?」
「市販品で悪いけど、ホワイトデーだからさ。ちょっと高いマカロン」
「!」
さては、忘れてたな。
「◯◯、ありがと!」
「いろいろ考えてはみたんだけど、いいアイディアが思い浮かばなくて……」
「こらなくていいのに」
「だから、俺も、隠すことにした」
「かくす?」
「バレンタインのとき、××、チョコ隠しただろ」
「うん」
「それ、開けてみな」
「うん?」
うにゅほがマカロンの箱を開ける。
「あ、からっぽ!」
「高級マカロンは家のどこかに隠した! 食べたくば、見つけ出すがよい!」
「たからさがしだ!」
「そう、宝探し」
「おおおおお……」
うにゅほのボルテージが上がっていく。
「フタの裏側に手掛かりが記されているぞよ」
「ふた、ふた……」
うにゅほがフタを裏返す。
「はじまりのばしょから、いちを、ぎゃくにたどるべし」
〈いち〉とは、英数字の〈1〉である。
「……はじまりのばしょ?」
「ヒントはいつでも受け付けているぞよ」
「ひんと!」
早いな。
「始まりの場所とは、玄関です」
「げんかん……」
階段を下り、玄関へと移動する。
「うーと」
ばたん、がさごそ。
「さすがに食べ物を靴箱には入れんぞよ」
「ちがうかー」
「手掛かりについて、よーく考えてみること」
「いちを、ぎゃくにたどる?」
「形が重要」
「──…………」
しばし熟考したのち、
「あッ!」
うにゅほが、胸の前で両手を打ち鳴らした。
「おふろだ!」
「どうして?」
「したからまっすぐいって、ちょっとひだり!」
〈1〉を逆から。
つまり、玄関からまっすぐ突き当りまで進み、左に進む。
そこには浴室がある。
「あったー!」
「おめでとう、謎はすべて解けたぞよ」
「◯◯、まかろん、いっしょにたべよう!」
「いや、ダイエット──」
「たべよう!」
「あ、はい、食べましょう」
謎が解けたのがよほど嬉しかったのか、うにゅほはずっと上機嫌だった。
またやろうかなあ。



2016年3月15日(火)

病院の待合室でポメラとにらめっこしていると、探検に出ていたうにゅほが戻ってきた。
「ただいまー」
「おかえり」
「くろあめなめる?」
「……ああ、うん」
いまさら何も言うまい。
俺の肩に顎を乗せ、うにゅほが尋ねた。
「なにかいてるの?」
「次の企画」
「きかく」
うにゅほが画面を覗き込む。
「よんでいい?」
「いいけど、つまらないと思うぞ。覚え書きだし」
「うん」
テーブルの上のポメラを反対側へ向けると、うにゅほがそちらに腰掛けた。
「──…………」
「──……」
すっかり冷めたココアを啜る。
「面白くないだろ」
「んー……」
なんら繋がりのないアイディアの切れ端を綴っただけのものだ。
人に読ませる段階ではない。
「……うーん」
「せっかくだから、タイピングの練習でもしてみたら?」
「たいぴんぐ?」
「キーボードを使って文字を入力すること」
「ぽめらとぱそこん、おなじなの?」
「配列は同じだよ」
「へえー」
うんうんと頷く。
「じゃ、ぬりかべって打ってみて」
「ぬりかべ、もううてるよ」
うにゅほが自信満々に両手の人差し指を立てる。
「えぬ、えぬ、えぬ……ゆー……、える、える、あい──あれ?」
「どうかした?」
「りーじゃなくて、ちっちゃいいーになった」
「LIじゃなくて、RIって打ってみな」
「ちっちゃいいー、どうやってけすの?」
「右上のBackSpaceって──」
そんな会話をしていると、あっという間に名前を呼ばれてしまった。
ポメラの画面には、〈ぬぃr〉という謎の文字列が残されている。
理由はないけど消さないでおこう。



2016年3月16日(水)

「──決めた」
拳を握り締め、立ち上がる。
「今後しばらく、台所には立ち入らないことにする」
「どうして?」
うにゅほが小首をかしげる。
「用もないのに冷蔵庫を開けるのが癖になってるから……」
「あー」
うんうんと頷く。
「あけちゃうよねえ」
「開けちゃうんだ」
うにゅほの場合、俺の癖がうつっただけのような気がするけど。
「見つけてしまうから食べたくなるのであって、そもそもあることを知らなければ、食べたくなることもないはず」
「なるほどー」
「名案だと思わないか」
「おもう」
うにゅほがこくりと同意する。
「◯◯のおさら、わたしかたづけるね」
「夕飯のときの?」
「うん」
「それは悪いよ」
「でも、だいどこはいんないと、おさらかたづけれない」
「そのときは例外としよう」
「だめ」
「駄目か」
「やるなら、ちゃんとやる。やらないなら、やらない」
一理ある。
「じゃあ、悪いけど、食器だけ片付けてくれな」
「うん」
「あと、なんか用事あったら、頼むかも」
「ようじ?」
「お茶のペットボトル取って、とか」
「いいよ」
やるならやる。
やらないなら、やらない。
いい言葉だ。
ここまでうにゅほに協力してもらったら、やらないわけには行くまい。
ダイエット成功の兆しを感じる俺だった。



2016年3月17日(木)

トイレへ行こうと腰を上げたとき、うにゅほが言った。
「◯◯、こしいたいの?」
「どうして?」
「なんか、ななめになってる」
「……よくわかったな」
本当に、よく見ている。
「痛いっても、あれだぞ。ちょっとだけだぞ」
「ほんと?」
「嘘ついても仕方ないだろ」
「わたしに、しんぱいかけないように、とか」
「──…………」
「──……」
「今回は嘘じゃないです」
「しんじます」
「腰の、左のほうが、ちょっとな」
「みして」
うにゅほに背を向ける。
さわさわ。
「そこは尻」
「うん」
「もうすこし上」
「うん」
なでなで。
「ここ?」
「そのあたり」
「こしもむから、ねて」
「はい」
マットレスの上に伏臥すると、うにゅほが太腿の上に腰を落ち着けた。
「もむよー」
「頼むー」
もみもみ。
「きもち?」
「ああ、気持ちいい」
痛みが取れる気はしないけど、気持ちいいのは嘘じゃない。
「へんなねかた、したのかな」
「してた?」
「してないとおもう」
「なら、ちゃんと寝てたんだろう」
「なんで、こし、いたくなったのかな」
「明確な理由なんてなくても、たまに痛くなるもんなんだよ」
「そうなの?」
「そうなの」
腰の痛みはよくならなかったが、満足した。
うにゅほがマッサージしてくれるなら、軽い腰痛くらい、たまにはいいだろう。



2016年3月18日(金)

「た、ただい、ま……」
「……?」
母親と一緒に美容室へ行っていたうにゅほが帰宅した。
帰宅したのだが──
「おかえり。どうかした?」
「──…………」
扉の隙間からこちらを窺うばかりで、部屋に入ってこようとしない。
「……わらわない?」
「髪型、失敗したのか」
「うん……」
「笑わないよ」
「ほんと?」
「笑いません」
「わかった……」
扉が、ゆっくりと開いていく。
「……あの、にあう?」
そこにいたのは、かつてのロングヘアを肩のあたりで切り揃えた、快活そうな少女だった。
「──…………」
「……◯◯?」
しばし唖然としたのち、慌てて口を開く。
「なんか、すごい、うん、新鮮というか、あー、ええと……」
「にあわない……?」
「いや、似合う。可愛い」
「……うへえ」
両手でほっぺたを包みながら、照れくさそうにうにゅほが笑う。
「なんつーか──」
「?」
「あ、いや、なんでもない」
髪が長かったときに比べて、二、三歳は幼く見える──なんて言ったら怒られそうだ。
「それにしても、バッサリ行ったなあ」
「おかあさんが、はるだから、きったらって」
「そっか」
母さん、ナイス。
「……そうか、とうとう切ったかあ……」
うにゅほは、自分の髪を、とても大切にしている。
来たばかりの頃はそれが顕著で、自分の価値は髪にしかないのだと言わんばかりだった。
それを、切ったのだ。
ごくあっさりと、自然に、切ることができたのだ。
「××、こっち来て」
「?」
とてとてと寄ってきたうにゅほを、ぎゅうと抱き締める。
「わ」
「──…………」
「どしたの?」
「なんでもないけど、抱っこされてなさい」
「はい」
しばらくのあいだ、気が済むまで、そうしていた。



2016年3月19日(土)

「それにしても──」
うにゅほの襟首に鼻先を埋め、深呼吸する。
嗅ぎ慣れたシャンプーの香り。
「随分と思い切ったよなあ」
「……かみ、ながいほう、いい?」
「長いのも好きだけど、短いのも新鮮でいい」
「どっちいい?」
「どっちも」
「えらんでほしい……」
躊躇なく答える。
「じゃ、長いほう」
「!」
があん、とうにゅほが打ちひしがれる。
「まあ待て、理由を聞きなさい」
「──……はい」
「短いほうが好きって言ったら、ずっと短くするだろ?」
「うん……」
「長いほうが好きって言ったら、伸ばしてくれるだろ?」
「はい……」
「長いのも短いのも両方見たいから、長いほうが好きって言ったんだよ」
「──……?」
あ、理解してない。
「長いほうが好きだけど、短いのも似合うよってこと」
「のばしたほう、いい?」
「伸ばしてほしいな」
「じゃ、のばす」
「んで、たくさん伸びたら、また短くしてほしいな」
「ながいほう、すきなのに?」
「短いほうも、好きだから」
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「いいくるめられてるきーする」
「くるめられときなさい」
「はーい」
この手の質問には正解がないから困る。
でも、相手がうにゅほだと、困るのもなんだか楽しい気がする。
のろけとか言われそうだけど。



2016年3月20日(日)

父親の誕生日である。
今年は、うにゅほとお金を出し合って、ちょいと高めのウイスキーをプレゼントした。
「おとうさん、よろこんでたね」
「お酒あげときゃ間違いないから、選ぶのは楽だよな」
「うん」
日本酒は当たり外れが大きいので、迷ったときはウイスキーに限る。
「◯◯、ういすきーのまないの?」
「飲まないなあ」
「きらいなの?」
「ウイスキーが嫌いというか、そもそもお酒が好きじゃない」
「ワインは?」
「あー」
たしかに、一時期ハマっていたっけ。
「ワインは好きかな。チーズにも合うし。でも、もっと好きな飲み物がいくらでもあるからなあ」
「ミルクティー?」
「好き」
「コーヒーぎゅうにゅう」
「大好き」
「……ぎゅうにゅう?」
「お酒より牛乳のほうが好きだな」
「けんこうてき」
「××も、牛乳のほうがいいだろ」
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「うめしゅ、あまくて、おいしかったきーする」
「……飲ませたことあったっけ?」
「ひとくち」
あったような、なかったような。
「またのみたいな……」
「お酒は二十歳になってから」
「おしょうがつは?」
「──…………」
しばし黙考する。
「……ちょっとだけだぞ」
「やた!」
「でも、梅酒って度数高いからな。ほんとに舐めるだけだぞ」
「わかった」
大人の真似をしたい、というのは、子供の普遍的な欲求である。
押さえつけるばかりでは可哀想だ。
酔うまで飲ませなければ問題ないだろう。
……たぶん。



2016年3月21日(月)

「──よし、完成っと」
たん!
エンターキーを得意げに叩き、凝り固まった背筋を伸ばす。
「かし、できた?」
「できた。今回の依頼は、これでおしまい」
「おつかれさまー」
「あんがとさん」
うにゅほが、座椅子から腰を上げ、俺の肩を揉む。
「なんきょくかいたの?」
「三曲」
「カラオケなるの?」
「さあー」
俺の与り知るところではない。
「かし、みていい?」
「いいぞ」
うにゅほにイヤホンを渡し、作詞用の音源を開く。
「よあけの、つづき……」
「あ、読み上げないで。なんか恥ずかしいから」
「うん」
「──…………」
「……♪」
ふんふんと鼻歌を聞くことしばし、
「ね」
「どした」
「あうりてうりって、なに?」
「さあー」
「あうりてうりのはこにわ、ってかいてる」
「書いてるな」
「なに?」
「適当だから、自分でもわからない」
「わからないの?」
「わからない」
「いいの?」
「わからない……」
「あと、とれ、ま、れぼろ、ってなに?」
「わからない」
「これもわからないの」
「うん」
「いいの?」
「さあ……」
依頼主は寛大だから、笑って受け取ってくれるだろう。
たぶん。
きっと。



2016年3月22日(火)

「──…………」
チェアの背もたれに体重を預け、天井を仰ぎ見る。
「あー……」
「?」
「うー……」
「◯◯、どしたの?」
「考え事」
「なにかんがえてたの?」
「んー」
脳裏で言葉をまとめ、口にする。
「自分には何ができるんだろう、みたいなこと」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる気配。
「俺は神様じゃないから、なんでもはできない」
「うん」
「超能力者じゃないから、心も読めない」
「うん」
「でも、ある程度はできるし、ある程度は読める。神様でも超能力者でもないけど、すこしはできる」
「うん」
「資源は有限だし、コストもかかる。すべては費やせない」
「うん」
「そういったことを、考えてた」
「うん」
す、と。
頭を抱き寄せられた。
「……××?」
「うん」
「──…………」
柔らかな胸の感触に包まれながら、目を閉じる。
「◯◯は、だいじょうぶ」
「うん……」
「だいじょうぶだよ」
「──…………」
しばらくのあいだ、何も考えず、抱かれるにまかせていた。



2016年3月23日(水)

「──…………」
部屋が寒い。
だが、ストーブをつけるほどではない。
手のひらを吐息であたためていると、うにゅほがとてとて寄ってきた。
「◯◯、てーさむい?」
「寒い……」
「わたしも、てーさむい」
うへーと笑いながら、うにゅほがこちらに両手を差し出した。
「では、繋ぎましょう」
「はい」
真正面から向かい合い、両手の指を絡ませる。
「◯◯のてーつめたい」
「××は、俺よりあったかいな」
体温と体温が交じり合い、徐々に同じ温度になっていく。
「あったかくなってきた……」
「そうだな」
「◯◯、ひざさむい?」
「寒い」
「わたし、おしりさむい」
「膝に座る?」
「うん」
うにゅほが俺の膝に乗る。
「あったかい」
「あったかいなあ」
「うん」
「××、背中は寒くない?」
「さむい」
「俺は、おなかが寒いな」
「……うへー」
うにゅほがこちらに寄り掛かる。
「あったかいね」
「ああ、あったかい」
「もっかいてーつなぐ」
「はいはい」
寒いときは、くっつくのが一番である。



2016年3月24日(木)

「あー、あー、あー」
「……?」
「あー、うー、ういー、あうー」
「どうした、変な声出して」
「のど、いたい、かも」
「かもなのか」
「かも」
「症状は?」
「なんか、のど、うにうにする……」
「つば飲んだら、引っ掛かる感じする?」
「──…………」
ごくん。
「……するかも」
「風邪の初期症状かもしれないから、着替えて、横になったほうがいいな」
「うん……」
うにゅほの額に手を当て、熱を測る。
「──…………」
あるような、ないような。
「……◯◯、あれ、やりたい」
「あれ?」
「おでこ、こつんて」
「はいはい」
うにゅほの前髪を掻き上げ、額を合わせる。
「──…………」
あるような、ないような。
「ねつある?」
うにゅほの呼気が口元をくすぐる。
「わからん」
「うひ」
俺の呼気がくすぐったいらしい。
「ともかく」
「うし」
「風邪なら風邪で」
「うしし」
「いまのうちに治しておいたほうが」
「くふふ」
「いいと思う」
「くふぐったい……」
「いいと思う」
「ひひ」
額を離す。
「おわりー?」
「俺に伝染ったら困るだろ」
「そか」
「治ってから」
「なおすね」
「ああ」
風邪が治ったら、額をくっつけ合う理由はないのだが、うにゅほが楽しそうなのでまたやろうと思う。



2016年3月25日(金)

うにゅほを膝に乗せて読書をしていたとき、不意にiPhoneが震えた。
「あ、おとうさんからメール」
「どれ」
「はい」
iPhoneを受け取り、メールを開く。
「……うわ」
「どうしたの?」
「会社の人が事故起こしたんだって」
「じこ!」
「ほら、写真」
バンパーがひしゃげた軽トラの写真を開き、うにゅほに見せる。
「わあ……」
「乗ってた人も、相手も、怪我はしてないってさ」
「よかった」
「俺も気をつけないとなあ……」
「うん……」
「わりと安全運転なほうだとは思うけど」
「そなの?」
「××と一緒のときは、特にそうだよ。制限速度も守るし、一時停止もするし」
「ひとりのとき、してないの?」
あ、余計なこと言った。
「制限速度をすこしはみ出すことなら、たまに……」
「だめだよ」
「ですよね」
「ひとりのときも、きーつけてね」
「ひとりで運転すること、あんまりないけどな」
「そだけど……」
うにゅほが物憂げに目を伏せる。
「しらないところでけがしたら、しんぱい……」
「心配症だなあ」
うにゅほの頭をうりうりと撫でる。
「俺が事故ったこと、あるか?」
「がりってやったこと、ある……」
「……あったっけ」
「ある……」
そういえば、あった気がする。※1
「えーと、大丈夫だから!」
「ほんと?」
「相手のあることだから絶対とは言えないけど、安全運転は心がけます」
「うん……」
自分ひとりの体ではない。
気をつけよう。

※1 2015年9月11日(金)参照



2016年3月26日(土)

「あ゙うー……」
「声、枯れてるな」
「けふ、のど、いたいー……」
「熱は──」
うにゅほの額に手を当てる。
「……うん、ないみたいだけど、寒気はする?」
「だいじょぶ……」
「鼻水は?」
「でない」
「喉風邪みたいだな。とりあえず、イソジンでうがいしとこう」
「はい……」
洗面所へ連れて行き、イソジンの原液を薄めてうにゅほに手渡す。
「ほら、がらがらぺーって」
「うん」
がらがらがら、ぺっ。
がらがらがら、ぺっ。
「おわった」
「ほら、顔こっち向けて」
「むぶ」
タオルでうにゅほの口元を拭いてやり、自室へ戻る。
「加湿はしてるし、あとはマスクつけて横になるだけかな」
「のどいだいー……」
「そんなに痛い?」
「うにうにする」
「うにうにするのか……」
ウニ。
痛そうである。
「じゃ、喉にスプレーするか?」
「すぷれー?」
「喉に直接シュッてする薬が、ある」
「ちょくせつ……」
でもこれ患部に当てるの難しいんだよな。
「やってみる?」
「やる」
「わかった」
引き出しから喉スプレーを取り出し、うにゅほに手渡す。
「あー、って言いながら、シュッてするんだぞ」
「うん」
こくりと頷き、うにゅほが口を開く。
「あー……」
シュッ!
「──んべっ! へんなあじするう……」
「××、喉は?」
「へんなあじする……」
「すーすーしない?」
「べろ、すーすーする」
「……それ、たぶん、喉に当たってない」
「えー!」
「もっかいやる?」
「……いい」
諦めた。
「……◯◯、てーにぎっててくれる?」
「甘えっ子め」
「うへえ……」
うにゅほが寝つくまで、手を握りながら新書を読んでいた。
こういうとき、片手で読書ができると、はかどる。



2016年3月27日(日)

パソコンチェアに腰掛けて読書をしていると、うにゅほがとてとて寄ってきた。
右手にワールドトリガーの最新巻を持っている。
「◯◯ー」
「はいはい」
自分の膝をぽんぽんと叩く。
「♪」
うにゅほが膝に腰掛けて、読書タイムの始まりだ。
そう思ったとき、
「……?」
うにゅほが不思議そうにこちらを振り返った。
「どうかした?」
「◯◯、ふともも、ちょっとかたい」
「……硬い?」
「ちょっとやせた?」
「あー」
たしかに、体重はすこし落ちてきている。
「痩せた、かも」
「そか……」
「どうして残念そうなんだよ」
「すわりごこちが」
「えー……」
せっかく頑張ったのに。
「痩せないほうがよかった?」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「でも、ふともも、もちもちしてて、よかった」
「そんなに……」
いつの間にかハイエンドな椅子と化していたらしい。
「足が骨張ってきたら、もう座らない?」
「ううん」
首を振る。
「すわる」
「座るのか」
「すわる」
「座り心地よくないのに?」
「……おこった?」
「怒ってないよ」
「◯◯のひざにすわるの、すき」
「そっか」
「うん」
「なら、いくらでも座っていいぞ」
「うん」
俺も、うにゅほの椅子になるのは好きである。
座り心地をよくするために太ろうとまでは思わないけれど。



2016年3月28日(月)

「──……あふ」
生あくびを噛み殺し、指の腹で目元をこする。
「ねむいなら、ねたほういいよ?」
「そうは言ってもなあ……」
iPhoneで時刻を確認する。
午後三時半。
「かれこれ十二時間は寝てるんだが……」
寝ても寝ても眠気が取れない。
「ぐあい、わるくない?」
「特には」
「ねつとかない?」
「眠いだけ」
「はるだからかなあ……」
「春眠暁を覚えず、か」
案外的を射ているかもしれない。
「去年の今頃はどうだったかな」
日記を遡ってみる。
「……あ」
「どう?」
「去年の今日も、あくび噛み殺してる」※1
「やっぱし……」
うにゅほがうんうんと頷く。
「あったかくなってきたもんね」
「そうだな」
羽毛布団に半纏では、いささか暑すぎるくらいだ。
「──……は、ふぅ……」
幾度めかもわからない生あくびが、口の端から漏れる。
「ねたほういいよ」
「うん……」
やるべきことは多いが、このままでは効率が悪い。
コンディションのいいときを狙って、一気に進めてしまうべきだろう。
「××、アイマスク取って」
「はい」
「耳栓そのへんに落ちてない?」
「あるよ」
完全防備で布団に潜り込むと、うにゅほが俺の手を取った。
「ねるまで、てーつなぐ」
「ありがとう」
厚意は素直に受け取っておこう。
次に目を覚ましたのは、午後五時のことだった。
在宅仕事でよかった。

※1 2015年3月28日(土)参照



2016年3月29日(火)

「あ゙ー……」
喉元を押さえながら、声を引き絞る。
「◯◯、こえひくい」
「やっぱ風邪だったか……」
数日前のうにゅほと同じ症状だ。
「のど、いたい?」
「すこし」
「うにうにする?」
「たぶん……」
〈うにうに〉というのがどういう感覚なのか、いまいちわからないのだが、現状を鑑みるにそう遠くはあるまい。
「うがいしないとねえ」
「そうだな……」
イソジンでうがいを済ませ、自室へ戻る。
「……!」
ぽすぽす。
うにゅほが、鼻息荒く枕を叩いてみせる。
早く寝ろということらしい。
「待って、喉にスプレーしてから寝る」
「へんなあじするやつ?」
「そう」
「あれ、へんなあじするよ?」
「上手くやれば、喉の粘膜に直接当てられるんだよ」
「そなんだ……」
デスクの引き出しから喉スプレーを取り出し、口を開けて、シュッとひと吹き。
「ほらな」
「へんなあじ、しない?」
「多少する」
「するの……」
「でも、すこしだけだよ。気にならない程度」
「──…………」
しばし思案し、うにゅほが口を開く。
「……やってみていい?」
「喉痛いのか?」
「もういたくないけど……」
「……まあ、練習しておくのもいいか」
うにゅほに喉スプレーを手渡す。
「やってみな」
「うん」
「あーって言いながらな」
「あー」
シュッ!
「うべ!」
「もっと口を大きく開けて」
シュッ!
「うぶぃー……」
「もうすこし上に傾けて」
シュッ!
「──けへッ! えほ、けほん!」
「当たった?」
「へんなあじするし、のど、すーしゅーしゅるう……」
「上手くできたみたいだな」
「……これでいいの?」
「喉が痛いときは、楽になるよ」
「そなんだ……」
痛くないときは、すーすーするだけだけど。
夕暮れまで横になっていると、体調もだいぶマシになった。
明日にはよくなるだろう、たぶん。



2016年3月30日(水)

「──…………」
自分の二の腕を撫でる。
硬い。
「──…………」
二の腕の裏側に触れる。
ふにふに。
「……筋肉が落ちた気がする」
「そなの?」
「このあたり揉んでみ」
「うん」
ふにふに。
「あ、やわらかい」
ふにふに。
ふにふに。
ふにふに。
「揉みすぎ」
「はい」
「腕立て、してるんだけどなあ……」
「ダイエットのせいかも」
「かもしれない」
食事制限をすると、筋力が低下する。
しかし、食事制限をせずして体重を落とすことはできない。
「××、二の腕揉ませて」
「いいよ」
うにゅほの細い二の腕に手を伸ばす。
「──…………」
ぷにぷに。
「俺の腕より弾力がある」
「そなの?」
ぷにぷに。
ぷにぷに。
ぷにぷに。
「まだもむの?」
「触り心地がよかったから、つい……」
「◯◯のにのうでも、さわりごこちいい」
「じゃあ、俺の腕揉んでいいから、××の腕触らせて」
「いいよ」
ぷにぷに。
ふにふに。
ぷにぷに。
ふにふに。
ぷにぷに。
ふにふに。
しばらくのあいだ、そうして互いの二の腕を揉み合っていた。
なにやってんだ。



2016年3月31日(木)

ミラジーノのタイヤ交換を済ませ、久し振りに外出した。
「雪、解けたなあ」
「とけたねえ……」
「春だなあ」
「はるだねえ……」
「春、好きか?」
「すき」
「冬は?」
「すき」
「夏は?」
「すき」
「秋も?」
「すき」
「いちばん好きなのは?」
「うと──」
うにゅほが、しばし思案し、答える。
「なつ、かなあ……」
「冬かと思った」
「ふゆ、ゆきかきすきだけど、なつ、◯◯げんきだから」
「……そんなに違う?」
「ちがう」
うんうんと頷く。
うにゅほが断言するからには、冬場の俺は、本当に元気がないらしい。
「まあ、自覚はある」
「◯◯、いつがすき?」
「……夏、かなあ。虫は出るけど、暑いの嫌いじゃないし」
「おそろいだ!」
「お揃いだな」
「うへー」
些細なことで喜ぶうにゅほを見ていると、心がほっこりする。
出会えてよかったなあ、と思う。
「──さて、これからどこ行こうか」
「きめてないの?」
「適当に走ってるだけだよ。タイヤの調子、見たかっただけだから」
「きめていいの?」
「いいよ」
「やた!」
「ゆっくり考えな。いつものコース、ぐるっと回るから」
「うん」
たっぷり五分ほど考えた結果、
「まかろんたべたい」
と、うにゅほが言ったので、最寄りの不二家に立ち寄った。
すっかりマカロン好きになってからに。

← previous
← back to top


inserted by FC2 system