>> 2015年12月




2015年12月1日(火)

「──……ぁふ」
漫画を読みながら大あくびをかましたのは、俺ではなく、うにゅほだった。
「こんな時間からあくびなんて、珍しいな」
「うん……」
「眠れなかったのか?」
「もうふ、おもくて……」
「あー」
本格的な冬の到来を肌で感じ、昨夜から毛布を二枚に増やしたのだった。
「毎年、慣れるまでちょっとつらいよな」
「うん……」
「羽毛布団でも買おうか?」
「……うーん」
うにゅほが小首をかしげる。
「かるすぎても、ねむれなそう」
「わかる」
包み込むような毛布の重みは、羽毛布団にはない安心感を与えてくれる。
「まあ、すぐに慣れるよ」
「そだね……」
なんだかんだと言いつつ毎年慣れているのだから、それは間違いない。
「眠いなら、すこし横になったら?」
「ひるねしたら、よるねれなくなる……」
「すこし目を閉じるだけでも、けっこう違うぞ」
「さんじゅっぷんくらい?」
「三十分くらい」
「……ひざまくら、してくれる?」
「はいはい」
うにゅほの頭を膝に乗せ、前髪を掻き上げてやる。
「んー」
「アイマスク、いるか?」
「いい……」
「丹前、肩まで掛けなくて大丈夫か?」
「──…………」
「?」
「……すう」
既に眠っていた。
のび太ほどとは言わないが、なかなかの早業である。
「──…………」
ぷに。
「むい」
「──…………」
ぷに。
「ふぃ」
起こしてしまわないよう細心の注意を払ってほっぺたをぷにぷにしながら読書に戻る。
仮眠をとったうにゅほは、とてもすっきりした顔をしていた。



2015年12月2日(水)

今日は弟の誕生日だった。
「(弟)、よろこんでくれたかなあ」
「たぶんな」
今年は、ふたりでお金を出し合って、肘掛けつきの立派な座椅子をプレゼントした。
いまごろ感動にむせび泣いていることだろう。
「××用の座椅子も買おうか?」
うにゅほプレイスに設置してある座椅子は、俺の仕事用のものだ。
仕事の始まる時刻になると、どうしても回収せざるを得ない。
「うーん……」
うにゅほが小首をかしげる。
「いらない、かなあ」
「俺が仕事してるとき、困るだろ」
「ううん」
ふるふると首を横に振る。
「◯◯がしごとしてるの、みてるの、すきだから」
「──…………」
仕事中に隣にいるのって、行き場がないからじゃなかったのか。
ちょっと照れる。
「……そうだ、今日、ケーキはあるのかな」
誕生日と言えば、ホールケーキだ。
これを楽しみに日々を生きているようなものだ。
「きょう、ケーキないって」
「えっ……」
あからさまにがっかりした俺を見かねてか、うにゅほが言葉を続ける。
「あ、その、きょうはないけど、こんどあるって」
「……クリスマス?」
「どにち!」
「本当に?」
「たぶん……」
自信はないらしい。
「パーティとかどうでもいいけど、ケーキは食べたい」
「ケーキ、すきだねえ」
「ホールケーキなんて、誰かの誕生日くらいしか食べる機会ないからなあ……」
「そだね」
カットケーキとホールケーキは別腹に入る。
読者諸兄にも、この感覚を理解できる方は、少なからずいるはずだ。
「……さいきん、ケーキつくってないね」
「そうだなあ」
だいぶ腕がなまっている気がする。
「クリスマス、つくっていい?」
「じゃあ、作るか」
「うん!」
スポンジから焼くのは面倒だから、市販のものを買ってきて、デコレーションだけ凝ろうかな。



2015年12月3日(木)

牛乳を飲もうとグラスを取り出したとき、慌てた様子でうにゅほが駆け寄ってきた。
「うと、なにのむの?」
「牛乳だけど……」
「わたし、つぐね!」
と、グラスを奪われてしまった。
「──…………」
「どうして後ろ向いてつぐんだ?」
「……うへー」
「なんか誤魔化してる?」
「ごまかしてない……」
「本当?」
「ほんと……」
嘘のつけない子である。
「はい」
「ありがとう」
牛乳のなみなみとつがれたグラスを受け取り、テーブルにつく。
「おかわりしたくなったら、いってね」
「わかった」
うにゅほがこちらに背を向けた瞬間、牛乳を一瞬で飲み干し、冷蔵庫を開けた。
「わあ!」
牛乳パックを取り出す。
「──……?」
パックの注ぎ口が、よれよれになっていた。
「うー……」
「なんでこんな──」
言いかけて、気づいた。
「……××、逆から開けたな」
「ごめんなさい……」
「いや、謝ることはないんだけどさ」
ぽんぽんと頭を撫でる。
「あと、隠すほどのことでもない」
「──…………」
「俺だってたまにあるし」
「……ほんと?」
「半分寝ぼけてたりするとな……」
「そかー……」
安心したように、うにゅほがほにゃりと笑う。
「ま、つげればいいんだ、つげれば」
そう言って、二杯目の牛乳をグラスに注ぎ、コストコのパンを口に放り込んだ。



2015年12月4日(金)

「──……う」
目を開ける。
近視に滲んだ天井が見えた。
「あ、おきた」
「おはよう……」
「おはよ」
枕元に手を伸ばし、眼鏡を拾い上げる。
そのまま片手で掛けようとして、
「ぐあ!」
眼球に痛み。
一瞬で覚醒し、状況を把握する。
「──…………」
つまり、その、眼鏡のつるが目に刺さったらしい。
「◯◯、どしたの! だいじょぶ!?」
うにゅほが心配の声を上げる。
「いや、あのー、ええと、大丈夫、大丈夫だから……」
眼鏡を掛け損なっただなんて、恥ずかしくて言えやしない。
「でも、すごいこえした」
「ちょっとびっくりして……」
「びっくり?」
「うん」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんにびっくりしたの?」
「──…………」
どうしよう。
なんと答えるのが正解なのだろうか。
「えーと、だな……」
「うん」
「つまり、その、半分寝ぼけてて」
「うん」
「眼鏡が……」
「めがねにびっくりしたの?」
「その、眼鏡がだな」
「うん」
あ、これ誤魔化すの無理じゃない?
「……眼鏡のつるが、目に刺さった」
「つる?」
「耳に掛けるところ……」
「え、だいじょぶ?」
「大丈夫だと思うけど」
「みして」
うにゅほが俺の右目を押し開く。
「ちょっとあかい」
「寝起きだからじゃないか?」
「ひだりめより、あかいよ」
「そうか……」
「めぐすりもってくるね」
「──…………」
素直に心配されるのって、笑われるより恥ずかしいな。
うにゅほに目薬をさしてもらいながら、そんなことを考えていたのだった。



2015年12月5日(土)

「ぶー……」
鼻が詰まっている。
また、風邪を引いてしまった。
今日は会社の忘年会だったのだが、
「いっちゃだめ」
という鶴の一声によって欠席する運びと相成った。
「やさいジュース、つくったよ」
「ありがとう……」
うにゅほの作る野菜ジュースは絶品である。
レシピはよくわからないが、どうやらキウイと柿が入っているらしい。
「やさいジュース、まいにちのんでるのにねえ」
「ああ……」
病弱は病弱なりに努力しているのだけど、風邪を引く頻度はあまり変わらない。
「筋トレしてるし……」
「うん」
「あったかくしてるし……」
「うん」
「栄養もとってるし……」
「うん」
「毛布も増やしたし……」
「あ」
うにゅほが声を上げた。
「どうかした?」
「◯◯、もうふ、けとばしてた」
「今日?」
「うん」
「じゃあ、それだ」
「うん」
寝相は悪くないが、よくもない。
毛布を蹴り飛ばすこともあるだろう。
「もうふ、にまいにふやしてから、よくけとばしてる」
「そうなのか……」
「きづいたらかけなおしてるけど……」
「それは、うん、ありがとう」
毛布を増やすのは、すこし早かったかもしれない。
うにゅほも重い重いと嘆いているし、もうしばらくは一枚で様子を見てみようかな。



2015年12月6日(日)

弟の誕生日ぶんの持ち越しで、今日はちょっとしたごちそうだった。
「……和牛、美味かったな」
「うん……」
「一枚いくらだったっけ……」
「にせんえん……」
「五人分で一万円か……」
「うん……」
「……たまになら、いいな」
「うん……」
「脂、マジで溶けるんだな……」
「うん……」
「テレビの食レポとかで、肉食べて甘い甘い言ってるの見てさ」
「うん」
「馬鹿っぽいなーって、ずっと思ってたんだよ」
「ほんとにあまかったね……」
「ああ……」
滲みかけた唾液をすすり、胃袋に消えた和牛に思いを馳せる。
「また食べたいなあ……」
「◯◯のたんじょうび、わぎゅうにする?」
「それもいいなあ……」
ぐう。
腹が鳴った。
「……◯◯、まだたべれるの?」
「ステーキ肉一枚なんて、腹三分目ってところだぞ」
「すごい」
うにゅほが目をまるくする。
「でも、あんましたべたらふとるよ」
「今日はもう食べないよ。ケーキしか」
「あ、ケーキきる?」
「頼む」
「おたんじょうびおめでとうのチョコ、いる?」
「……それは弟にあげてくれ」
「わかった」
弟の誕生日。
それは、ごちそうとケーキを頬張るための口実の日。
まあ、誕生日プレゼントはちゃんとあげたんだし、いいじゃん。



2015年12月7日(月)

「ただい──うわっ」
歯医者から帰宅すると、部屋が異様に蒸し暑かった。
「おかえりー」
「ストーブ強すぎじゃないか?」
「そかな」
電源を落とそうとストーブに近づくと、そもそも稼働していないことに気がついた。
「なんだ、もう消したのか」
「さっき」
「それにしても暑いな……」
ジャケットを脱ぎ、温湿度計を覗き込む。
23℃。
「……あれ?」
そんなに暑くない。
首をひねりかけたが、真相はそのすぐ下にあった。
「あ、湿度50%!」
なるほど蒸し暑いはずである。
「空気清浄機の加湿機能、オンにしたのか」
「うん」
うにゅほが笑顔で頷く。
「◯◯がかぜひくの、しつどのせいかなっておもって」
「あー……」
あるかもしれない。
「乾燥してると、風邪引きやすくなるからな」
「なんでだっけ」
「たしか、鼻とか喉の粘膜が乾燥するから──だったと思う」
正直、あまり詳しくはない。
「最近やたら体が痒かったのって、たぶん、乾燥肌のせいだろうな……」
いま気づいたけど。
「かんそうはだって、かゆくなるの?」
肘をボリボリ掻きながら、頷く。
「なる。すごいなる」
「そなんだ」
うにゅほにはまだまだ無縁の話である。
羨ましい。
「……保湿クリームとか、買ってこようかなあ」
「ぬってあげるね」
「ありがとう」
よくわからないが、ニベアとかだろうか。
ドラッグストアで探してみよう。



2015年12月8日(火)

「──……ずひ」
鼻をすする。
「かぜ、なおんないねえ」
「ああ……」
「かしつき、きかないねえ」
「加湿は、あくまで予防だからな……」
「よぼう」
「××のことは守ってくれると思う」
「◯◯のこと、まもってほしい」
「それは、いったん完治してからだな……」
「うん」
「……悪いけど、ちょっと寝るな」
「おやすみなさい」
布団にもぐりこみ、枕元に置いてあったアイマスクを装着する。
ぶち。
「──…………」
紐が、切れた。
「……なんか壊れた」
「ほんとだ……」
「どうしよう」
アイマスクがなければ眠れないわけではないが、睡眠は明らかに浅くなる。
「なおす?」
「……いや、いい。だいぶへたってるみたいだ」
修繕したとしても、またすぐに千切れるだろう。
「しかし、困ったな……」
アイマスクはまた新しく買うとしても、いま使えるものがない。
「とりあえず、タオルでも巻くか」
「あ、ねてていいよ」
うにゅほが俺の肩を押さえる。
「悪いけど、適当にタオルとか手ぬぐいとか──」
そう言いかけたとき、視界がふと暗くなった。
ちいさなふたつの手のひらが、俺の両目を隠したのだ。
「……××」
「わたし、あいますくするね」
「いや、ちょっと無理があるんじゃ」
「おやすみなさい」
「……おやすみ」
目を閉じる。
暗い。
アイマスクとしての機能は申し分ない。
だが、
「──…………」
「──……」
僅かな身じろぎ。
吐息。
手のひらの熱さ。
無理をさせているという罪悪感。
総じて、落ち着かない。
「……××」
「んー?」
「ごめん、眠れそうにない」
「……そか」
明るさに目を開くと、うにゅほが残念そうな笑みを浮かべていた。
今度はどんなアイマスクにしよう。



2015年12月9日(水)

キーボードを叩く音だけが自室の空気を震わせる。
仕事用の書類を作っているのだが、これがなかなか難しい。
「──ね、◯◯」
「ん?」
「くび、まがってる」
うにゅほの方へ振り返ると、視界が斜めになっていた。
「……ほんとだ」
おもむろに首を戻す。
「◯◯、じーうってるとき、いつもくびまがってる」
「そうか?」
意識したことがない。
「日記書いてるときも?」
「うん」
「どのくらい?」
「おれそう」
「そんなに」
「くび、いたくないの?」
「首……」
首筋に手を這わせると、すこし凝っているようだった。
「……うーん、痛めてる、か?」
よくわからない。
座椅子から腰を上げ、うにゅほが言った。
「くびもむね」
「ああ」
うにゅほに背中を向ける。
もみもみ。
やわやわ。
「きもちい?」
「お、お、おー。気持ちいいぞ」
肩に比べて力が込めやすいのか、うにゅほの握力でもけっこう効く。
「おきゃくさん、こってますねー」
「そんなに凝ってるかな」
「わたしよりこってる」
「そりゃそうだろ」
「おかあさんより、こってない」
「母さんはな……」
苦労してるし。
「××、母さんの首も揉んであげてくれな」
「さっきもんだ」
「そうなのか」
「うん」
俺なんかよりずっと親孝行だもんな。
しばらくのあいだされるがままにしていると、随分と首が軽くなった。
マッサージの腕が上達しつつあるのかもしれない。



2015年12月10日(木)

羽毛布団の購入を検討するため、最寄りのニトリへと赴いた。
「うーん……」
ふかふかとした薄手の布団を撫でながら、思案する。
「これ、本当にあったかいのか?」
「わかんない」
「もっと分厚いものを想像してたんだけど……」
値札を睨みつけながら、うにゅほが呟く。
「おたかい……」
「羽毛布団なら、安いほうじゃないか」
「そなの?」
「もっとお安いのもあるぞ」
と、七千円の羽毛布団を指さす。
「うすい……」
「薄いなあ」
「あたたかさレベル、さん、だって」
「こっちの、吸湿発熱掛け布団ってやつのほうが、あったかそうだな」
「かう?」
「買わない」
安物買いの銭失い。
半端なものなら、買わないほうがいい。
「どっちにしろ、今日はお金が足りないし」
「おかね、いれてなかった?」
「いちおう入れたけど、二万円でふたりぶんの羽毛布団は無理だろう」
「おたかいもんね……」
「とりあえず、実物を見れてよかった」
半端なものを買うつもりはないが、予算というものがある。
今回であれば五万円程度だ。
二万五千円あれば、それなりのものを揃えられると思うのだが、どうだろう。
「どうしようねえ……」
「どうしようなあ」
今年中には決着をつけよう。
冬が終わってからでは、意味がない。



2015年12月11日(金)

「ゆすきん、えー」
「ユースキンAな」
「これ、ほしつクリーム?」
「そう」
「へえー」
うにゅほが中蓋を剥がす。
「──…………」
すんすん。
「やくようのにおいがする」
「薬用?」
「はい」
鼻先に突きつけられたユースキンの匂いを嗅ぐ。
「あー……」
「ね?」
「メンソレータム系の匂いだな」
「そう、めんたむけい」
うんうんと頷きながら、うにゅほがユースキンを指に取った。
「ぬるよー」
「はいはい」
右腕をまくり、差し出す。
「ぬりぬり」
「──…………」
うにゅほの手のひらが、俺の腕を這い回る。
ちょっとくすぐったい。
「ひだりもー」
「はいはい」
ひとしきり塗り終わったあと、うにゅほが俺にユースキンの容器を手渡した。
「わたしも、ぬって」
「どこに?」
「どこでもいいよ」
どこでもって言われてもなあ。
「じゃ、腕な」
「うん」
指先にクリームを取り、手のひらに伸ばしたあと、うにゅほの腕に触れた。
「うひ」
ぬりぬり。
「うし、ししし」
「くすぐったい?」
「ちょっと」
「我慢」
「はい」
塗り終わる。
「つぎ、ひだりー」
「……くすぐったいんじゃないのか?」
「くすぐったい」
「でも塗るのか」
「うん」
いい度胸じゃないか。
左腕に塗る。
「うふ」
右足に塗る。
「ひひ、ひー!」
左足に塗る。
「うひは、ふふ」
足の裏に塗る。
「ひひ、ひゃ、うししし! ひ、ひー! もうらめ、ぎぶ! ぎぶ!」
「脇腹には塗らなくていいのか?」
「しぬ!」
うにゅほが笑い転げるさまは、たいへん面白かった。
保湿クリームの使用法を根本的に間違っている気がするが、もうなんでもいいや。



2015年12月12日(土)

Amazonで注文しておいたアイマスクが届いた。
「わ」
アイマスクをふにふにと触りながら、うにゅほが口を開く。
「ぶあついねえ」
「テンピュールだからな」
「てんぴゅーる」
「そう」
「てんぴゅーるって、なに?」
「……なんだろう」
素材かな。※1
「ともあれ、これだけ分厚ければ遮光性も抜群のはずだ」
「あいますく、してみていい?」
「いいぞ」
うにゅほがアイマスクをつける。
「ほー」
「どうだ?」
「なにもみえない」
「光は?」
「ひかりはない」
世界に絶望したラスボスみたいなこと言ってる。
「次、俺な」
「はい」
アイマスクを受け取り装着すると、そこはまさしく光のない世界だった。
「いいな、これ……」
三千円の価値はあるというものだ。
「ちょっと昼寝してみようかな」
「どうぞ」
ぽん、ぽん。
アイマスクをずらすと、うにゅほが自分の膝を叩いていた。
「××って、膝枕好きだよな」
「うん」
「するのも、されるのも」
「うん」
「三十分経ったら、交代な」
「うん」
うにゅほも、俺も、よく眠れた。
いい買い物をした。

※1 テンピュール ── スウェーデンの寝具メーカー



2015年12月13日(日)

「──……暑い」
ストーブをつけて十五分と経たないうちに、耐え切れないほどの室温になった。
「××、悪いけど、ストーブ切ってくれるか」
「はーい」
ぴ。
室温が下がり始める。
「もうすこし安定しないもんかなあ」
「おんど?」
「そう」
エアコンがあれば文句はないのだが、そこまで高望みはしない。
20℃以上、25℃未満くらいの室温を維持してくれるだけでいいのだけれど、灯油ストーブには荷が重すぎるようだった。
「……着込むしかない、か」
チェアの背もたれに掛けてあった半纏を羽織る。
「さむいの?」
「まだ寒くないけど、すぐに寒くなるだろ」
「そだね」
「なんか、こう、安定してあったかいものないかな……」
「──…………」
うにゅほが立ち上がり、俺の顔を覗き込む。
「うへー」
そして、自分を指さした。
「あんていして、あったかいもの」
「あー……」
たしかに、安定してあったかいものだ。
「じゃあ、膝に乗ってくれるか?」
「うん!」
んしょ、とうにゅほが俺の膝に座る。
ちいさなおしりが太腿の上で潰れる感触が心地いい。
「あったかい?」
「ああ、あったかい……」
冬は、人肌が一番かもしれない。
うにゅほを抱き締めながら、そんなことを思った。



2015年12月14日(月)

「××、お茶取って」
「はい」
俺の膝で漫画を読んでいたうにゅほが、デスクの上のペットボトルに手を伸ばす。
うにゅほの上半身を左腕で支えているため、手が届かないのだ。
「のませてあげましょう」
「いや、そこまでは」
「さあさあ」
「むぐ」
飲まされてしまった。
子供に戻ったようで、すこし気恥ずかしい。
しばしネットサーフィンを楽しんでいると、
「──……う」
うにゅほが不意にべそをかきはじめた。
「どした?」
「う、うう……」
ページを開き、こちらに見せる。
「……なるほど」
金色のガッシュ!! 23巻。
泣きどころの多い漫画である。
ティッシュを数枚ドローし、うにゅほの目元を拭ってやる。
「何回も読んでるのに、何回も泣くよなあ」
「うん……」
「鼻も、ちーんってしな」
「ふぶ」
涙と鼻水で重くなったティッシュを捨て、見ていた動画を再び再生する。
このように、互いにできないことを補い合いながら、灯油の切れた部屋で身を寄せ合って過ごしているのです。
トイレに行くときだけは面倒だけど、あとはけっこう快適です。



2015年12月15日(火)

「──……あふ」
大あくびを手のひらで隠し、ぐっと伸びをする。
「最近、外出てないなあ……」
「そだねえ」
「出掛ける? 用事ないけど」
「んー」
しばし思案し、うにゅほが答える。
「いまは、いい」
「ガッシュ読んでるし?」
「よんでるし……」
誘えば外に出たがると思ったのだが、拍子抜けだった。
「また雪が積もる前に、いろいろ済ませておかないとな」
11月末に降った雪は、もうすっかり解けてしまった。
窓の外の風景は、季節がひとつ巻き戻ったようで、秋の終わりにも似た様相を呈している。
「このまま来年まで積もらなかったりして」
「──…………」
「そんなわけないけどさ」
「うん」
うにゅほが深々と頷く。
「……もしかして、雪が解けたの、ちょっと面白くない?」
「まだゆきかきしてないのに……」
言ってることが本末転倒な気がする。
「雪かき好きだなあ……」
「うん」
「どういうとこが好きなんだ?」
「うと」
すこし考え込み、
「◯◯と、てわけしてできるとこ」
「手分けして……」
「◯◯があつめて、わたしがもってく」
「なるほど」
当然だが、うにゅほひとりに雪かきを押しつけたことはない。
うにゅほにとって、雪かきとは、俺との共同作業なのだ。
「……まあ、そのうち絶対降る。嫌でも雪かきする羽目になるんだから、楽しみにしときな」
「うん」
俺も、雪かきを楽しむ努力をしてみよう。
うにゅほが楽しんでいると思えば、自然と楽しく感じられる気がする。



2015年12月16日(水)

「──…………」
俺の膝の上で猫のように丸まっているうにゅほの頭を撫でながら、ふと思った。
「××、二番目に好きなのって誰?」
「にばんめ?」
「そう」
「いちばんは、◯◯だよ」
「知ってる」
「◯◯のいちばんは?」
「××」
「うへー……」
うにゅほがてれりと笑う。
「にばんめ、にばんめ……」
しばしの思案ののち、
「……おかあさん、かなあ」
と答えた。
なるほど、予想通りだ。
「三番目は?」
「おとうさん……」
「四番目」
「……おばあちゃん?」
「弟は最後か」
可哀想に。
「あ、でも、(弟)すきだよ?」
「わかってるよ」
うにゅほは、家族に対する愛情がとても深い。
その代わり、家族以外に対する興味がまったくない。
うにゅほの世界を閉じたものにしてしまったのは、他ならぬ俺であり、家族だ。
しかし、そこに後悔はない。
「……××、いま、幸せか?」
「うん」
即答。
それだけで、自分は間違っていなかったと思える。
「──…………」
なでなで。
「♪」
幸せの形は人それぞれらしい。
他人からはどれほど歪に見えたとしても、自分の感情に嘘はない。
俺は、いま、幸せである。



2015年12月17日(木)

ネットで注文しておいた羽毛布団が、ふたりぶん届いた。
「ちょっと早いけど、クリスマスプレゼントってことでいいか?」
「うん」
一枚二万円。
二枚で四万円だ。
今年の出費は、これで最後にしたい。
折り畳まれた状態の羽毛布団をばふばふ叩きながら、うにゅほが小首をかしげる。
「なんか、うすい……」
「空気を抜いてあるからな」
「くうきいれるの?」
「ああ」
羽毛布団を広げ、ばさばさとはためかせる。
「あ、ふくらんできた!」
「こないだニトリで見た七千円のやつとは違うだろ」
「ちがう!」
心中で、ほっと胸を撫で下ろす。
違ってよかった。
同じだったら、困る。
「くうきがあるから、あったかい」
「そう」
「にじゅうまどと、いっしょ?」
「よくわかったな」
「うへー……」
気体は、液体や固体に比べ、熱伝導率が非常に低い。
よって「動かない空気」は極めて優秀な断熱材なのである。
「もうふ、どうしよう」
「片付けるか」
「にまいとも?」
「今日は、羽毛布団と丹前だけで寝てみて、寒かったら毛布を一枚足そう」
「そだね」
うんうんと頷く。
「……◯◯、ねむくない?」
「眠くないけど……」
「ひるね、しない?」
「気になるのか」
「うん」
「じゃ、ふたりでくるまってみるか」
「うん」
一枚の羽毛布団にふたりでくるまってみたところ、なかなかの保温性だった。
しかし、実際に寝てみないことにはわからない。
値段相応の価値があればいいのだが。



2015年12月18日(金)

ぱち、と目を開ける。
朝だ。
軽い布団を押しのけて立ち上がり──
「寒ッ」
思わず自分の両腕を撫でさすった。
「──…………」
予感があった。
目を覚ます前から感じていた。
カーテンを開く。
「……ああ、そうか」
一面の銀世界。
冬が、そこにあった。
呆然と見入っていると、リビングへ通じる扉が開いた。
「あ、おはよー」
半纏を着込んだうにゅほだった。
「さむいねえ」
「寒いな」
「ストーブつけるね」
「ああ」
ベッドに戻り、羽毛布団にくるまる。
「……はー、あったかい」
「うもうぶとん、ちょっとあつかった」
「毛布いらないな」
「いらない」
どうやら、二万円の価値はあったようだ。
「こりゃ、根雪になるな」
「ほんと?」
「ここから解けるってことはないと思うぞ」
「そか」
うにゅほがほにゃっと笑う。
「さっそく雪かきかな」
「おとうさん、しごといくまえに、ゆきかきしてった」
「おー」
そいつはありがたい。
「ゆきかきき、べんりだって」
「雪──ああ、除雪機か」
「じょせつき」
「除雪機の使い方、覚えないとな」
「……うーん」
うにゅほが小首をかしげる。
「ゆきかき、ふつうにしたいな……」
うにゅほにしてみれば、除雪機は邪道なのだろう。
「わかった。ふたりで雪かきするときは、そうしような」
「うん!」
この笑顔を見られるならば、雪かきなんてなんのそのだ。
腰痛にだけ気をつけておこう。



2015年12月19日(土)

「♪~」
ふんふんと機嫌よく、うにゅほが掃除機を掛けていく。
掃除の邪魔にならないよう、マットレスの上でイカ娘を読んでいると、
「──…………」
うにゅほの動きがぴたりと止まった。
視線の先には、部屋の隅に積み上げられた読みかけのハードカバーが数冊。
「あ、いまどけるから」
本を抱えて膝に乗せると、うにゅほがほっと胸を撫で下ろした。
「どけてよかったんだ」
「どけちゃ駄目なものなんて、幾つもないぞ」
PCとかルータとか。
「でも、なんか、いみあるきがして」
「ないない」
ひらひらと手を振ってみせる。
「掃除の邪魔だったら片付けていいし、面倒だったら俺に言えばいいし」
「そか」
「……つーか、そもそも、俺が掃除を手伝えばいいんだけど」
「そうじ、わたしのしごと」
うにゅほが薄い胸を張る。
「じゃ、片付けは俺の仕事だな」
「おねがいします」
「はいはい」
と言っても、基本的には片付いている俺の部屋である。
「しごとないね」
「ないなあ」
「いかむすめ、よんでていいよ」
「……そうします」
なんか、あしらわれた気がする。
うにゅほは、これでいて、自分の職分に手出しをされたくないほうだ。
手伝うのは好きなのに、手伝われるのは嫌いらしい。
「大掃除は、ふたりでやろうな」
「うん」
大掃除までまかせきりでは、男が廃るというものだ。



2015年12月20日(日)

「うわー、またAVケーブルだよ」
「たくさんあるねえ」
「ACケーブルも何本目なんだか……」
備え付けの洋服ダンスを整理していたところ、LANケーブルだのUSB延長コードだの不要なケーブル類が出るわ出るわの大騒ぎだった。
「えーぶいと、えーしーって、どうちがうの?」
「AVはオーディオ・ビジュアルで、音声信号と映像信号を送るやつ」
「えーしーは?」
「よく知らんけど、コンセントに繋ぐやつ」
「へえー」
ACが交流で、DCが直流だったっけ。
「なんか、古いスピーカーもあるぞ」
「どんなの?」
「ほら──」
広辞苑ほどもあるスピーカーをうにゅほに渡そうとして、
「あ」
手が滑った。
このまま落とすと、床を傷つけてしまう。
そう判断した俺は、咄嗟に爪先を突き出した。

──ゴッ!

骨に、響いた。
「──…………」
落ちたスピーカーと床とを交互に見る。
傷ついてはいないようだった。
「◯◯! だいじょぶ!?」
「ああ」
「……いたくないの?」
「すげー痛い……」
眉ひとつ動かなかったのは、あんまり痛くて顔に出す余裕すらなかっただけだ。
表情に出なくても、痛いもんは痛い。
「……あー、あかくなってる」
「本当だ……」
スピーカーのカドが当たった場所が、赤い線になっている。
痛いはずだ。
「しっぷはって、ほうたいまく」
「頼む……」
うにゅほの適切な処置によって、痛みはだいぶ引いた。
骨にヒビは入ってないと思う。
たぶん。



2015年12月21日(月)

「ただいまー」
整形外科から帰宅すると、うにゅほが二階から駆け下りてきた。
「おかえり!」
「ただいま」
「あし、どうだった?」
薬局の袋を掲げながら、答える。
「骨に異常ないって。湿布と痛み止めもらったよ」
痛み止めを使うほどではないと思うが、あるに越したことはない。
「よかったー……」
うにゅほが、ほっと胸を撫で下ろす。
「大丈夫って言ったろ」
「うん」
心配性なんだから。
靴を脱ごうと身を屈めたとき、
「──……ん?」
ふと、鼻腔をくすぐるものがあった。
「なんか、いい匂いがする」
甘い。
そして、瑞々しく爽やかな香り。
「りんごだよ」
「りんご?」
「あおもりから、りんごとどいた」
うにゅほの視線を辿ると、玄関の隅に、青森りんごと書かれた段ボール箱があった。
「──…………」
すんすん。
「──……」
はー。
「いいにおい」
「ああ」
「ぎんがてつどうの、りんごみたい」
「そうだな」
これほどまでに香るのだから、さぞ甘くて美味しいのだろう。
「きょうのやさいジュース、このりんごつかうからね」
「楽しみにしてる」
「うん!」
夕食時に出された野菜ジュースは、いつもと同じ味がした。
いつも美味しいのだけど、すこし拍子抜けだった。
ここまでぐちゃぐちゃになってしまうと、りんごの質など誤差に等しいようである。



2015年12月22日(火)

朝起きると、雪が積もっていた。
「……××、ごめん」
「?」
「一緒に雪かき、まだできそうにない」
痛み止めを飲むほどではないが、歩くだけですこし痛む。
「あー」
うにゅほが苦笑する。
「むりしないでね」
「しない、しない」
無理は嫌いな性格だ。
できることを、できるだけしか、するつもりはない。
「おとうさん、ゆきかき、ひとりでしちゃったし」
「仕事行く前に?」
「うん」
「除雪機か」
「すごいたのしそうだった」
新しいおもちゃを手に入れたようなものだからなあ。
「……飽きるまで邪魔しないようにしよう」
ガレージの一角を占拠して秘密基地にしてしまった父親である。
童心を忘れないと言えば言える。
「××も、除雪機使ってみたいか?」
「──…………」
ふるふると首を横に振る。
「いい」
「いいのか」
「こわい」
「怖いのか」
「なんか、ぐるぐるってしてて、あぶない」
「俺の友達、小学生のころ、あれに巻き込まれてなあ」
「!」
ひ、とうにゅほが息を飲む。
「おそろしい……」
「使うなら、気をつけて使わないとな」
「あぶないよ」
「危ないって言ったら、車のほうが危ないぞ」
「でも……」
除雪機の回転刃に生理的な恐怖を覚えるのは、なんとなくわかるけど。
「使い方を間違わなければ、大概は大丈夫なものだよ」
「うん……」
しぶしぶ頷くうにゅほの頭を撫でたあと、布団に戻って二度寝を決め込んだ。
次に起きたのは、昼頃だった。



2015年12月23日(水)

「──はい、しっぷおわり」
うにゅほがぽんぽんと足の甲を撫でる。
「じゃ、くつしたね」
「いや、靴下くらい自分で」
「へんにはいたら、しっぷ、ぺろんてなっちゃうよ」
「──…………」
耳が痛い。
昨日、ぺろんとなってしまって、湿布を貼り直したばかりだからだ。
「……履かせてください」
「♪」
俺の世話を焼くときのうにゅほは、本当に満足そうだ。
この表情を見るためだけにダメ人間になってもいいとさえ思う。
ならないけど。
「はい、はけました」
「ありがとう」
「みぎもはく?」
「いや、右は自分で──」
「──…………」
じ。
「……履かせてください」
「はーい」
世話どころか、介護されている気すらしてきた。
「××」
「?」
「なんか、してほしいことないか?」
バランスを取らなければ。
「してほしいこと……」
うにゅほが小首をかしげる。
「うと」
「──…………」
「えっと」
「──…………」
「あ」
「あるか?」
「うん」
「なんだ?」
「あんまし、けがしないでほしいな」
「……はい」
ぐうの音も出ないのだった。



2015年12月24日(木)

「──よし、できた!」
「かんせい!」
「いえー」
「いえー」
うにゅほとハイタッチを交わす。
市販のスポンジにナッペを施しただけのシンプルなホールケーキに見えるが、実は違う。
スポンジのあいだに嫌と言うほどくるみを敷き詰めた「くるみのショートケーキ」なのだ。
「じゃ、これは冷やしとこうな」
「うん」
「今日の晩ごはんは?」
「てまきずし、だって」
「豪勢だな」
「クリスマスだもん」
うへーと笑う。
「晩ごはんのあと、ケーキを食べて」
「うん」
「そのあとは?」
「ぎんがてつどうのよる!」
クリスマスイヴの夜、映画版の銀河鉄道の夜をふたり静かに観賞する。
毎年の恒例行事だ。
「えーと──」
指折り数えながら、呟く。
「もう、五回目になるのか」
「ごかいめ?」
「××がうちに来たのが2011年の10月で、その年のクリスマスイヴに初めて見ただろ」
「うん」
「2012、2013、2014と来て、今年は2015だから、五回目」
「まだ、ごかいめ……」
まだ五回目。
その声音に秘められた感情に気づき、俺はうにゅほを背後から抱き締めた。
「来年は、六回目」
「──…………」
「再来年は、七回目」
「──…………」
「八回目、九回目、十回目。ずっと続けていけばいい」
「……うん」
「一緒にいような」
「うん!」
うへーと笑いながら、うにゅほがこちらへ振り返る。
この笑顔を、ずっと見ていたい。
そう思うのだ。



2015年12月25日(金)

消費税増税前に我が家をリフォームしようという話が持ち上がっている。
「水回りを一階に集めて──」
「弟の部屋は二階に──」
「こことここの壁はぶち抜いて──」
「キッチンはL字型で──」
間取り図を挟んで侃々諤々の議論を交わす両親を尻目に、昨日のあまりのケーキをパクつく。
「りほーむだって」
「ああ」
「どうなるのかな」
「俺たちの部屋は、大して変わらないよ」
「そうなんだ」
「ただ──」
言いかけて、やめる。
「なんでもない」
「?」
家をリフォームするとなれば、ひとつ、どうしても避けられない問題が出てくる。
「──××!」
父親がうにゅほを手招いた。
「なにー?」
「お前の部屋は、どこがいい?」
「……?」
小首をかしげる。
「いつまでも◯◯と同じ部屋っちゅーわけにもいかねーだろ」
「──えっ、う、え?」
目を白黒とさせながら、うにゅほがこちらに視線を向ける。
つまりはそういうことだ。
「お前たちの部屋を真ん中で間仕切って──」
「一階の和室をフローリングにしたほうがいいんじゃ──」
「いや、それだとリビングが──」
「二部屋にするとさすがに狭いと──」
両親のあいだで狼狽えていたうにゅほが、意を決したように口を開く。
「──や!」
そして、俺の左腕に抱きついた。
「◯◯といっしょがいい!」
「──…………」
「──……」
両親が、無言で、互いに顔を見合わせる。
その目に込められた感情は、ふたりとも同じだ。
「やっぱり……」
「しゃーねえなあ」
そして、何事もなかったように議論を再開する。
「◯◯と、いっしょがいい……」
呟くように繰り返すうにゅほの頭を撫でてやる。
「一緒でいいってさ」
「……ほんと?」
「ああ」
正直、今更である。
両親としても、いちおう尋ねてみただけだろう。
「よかった……」
ほっと胸を撫で下ろすうにゅほの姿に苦笑しながら、ケーキの最後のひとかけらを牛乳で流し込んだ。



2015年12月26日(土)

年末年始に向けて、箪笥の中身を整理することにした。
「──これは、着ないだろ。これも着ない。これも、さすがに着れないよな」
箪笥の肥やしになっていた衣服を、ぽいぽいと選別していく。
「ぜんぶすてちゃうの?」
「捨てる。着ないのに持ってても仕方ないだろ」
「もったいない……」
「売ったって、全部まとめて十円だよ」
ブランドものなんて一着もないし。
「これは?」
うにゅほが手に取ったのは、高校のときの青ジャージだった。
「……むしろ、捨ててなかったのが不思議なくらいだ」
「わたし、もらっていい?」
「駄目」
「えー……」
「どう考えたってサイズが違いすぎるだろ」
ジャージの下がずり落ちる未来しか見えない。
「じゃ、うえだけ」
「上だけ?」
「うえなら、ぬげない」
「袖が余るぞ」
「あったかい」
「……そういう考え方もあるか」
試しに着せてみた。
「どかな」
「──…………」
下スカートの上ジャージって、なんかこう、すごく、女子高生っぽい。
「……悪くない」
むしろ、いい。
萌え袖なのも好評価である。
「うごきやすいねえ」
「家のなかで一枚羽織りたいときとか、いいかもな」
「もらっていいの?」
「ああ」
「やた!」
「ものを持つときは、袖まくれよ」
「はーい」
胸元に刺繍された苗字を指先でなぞりながら、うにゅほがうへーと笑う。
なるほど、それが嬉しかったのか。
「××も、着ない服出しとけよ」
「うと……」
「ないなら、出さなくてもいいよ」
「うん」
相変わらず、ものを捨てるのが苦手な子だ。
思い出を捨て去るようで、気が咎めるのだと思う。
断捨離とまでは行かずとも、捨てる技術くらいは磨いておいたほうがいいかもしれない。



2015年12月27日(日)

眼鏡を外し、蛍光灯に透かす。
思ったとおり、だいぶ汚れている。
「──…………」
ティッシュを二枚ドローし、四つ折りにして、右手に構える。
クロスは使わない派だ。
「めがねふくの?」
「ああ」
「ふいてみたいな」
「いいけど、大して面白いもんじゃないぞ」
うにゅほに眼鏡を手渡す。
「ひだりてで、めがねもって」
「うん」
「みぎてで、めがねふく」
「そうそう」
「めがねふくとき、はーってする」
「わかってるじゃないか」
「うへー」
てれり。
「じゃ、はーってする」
はー。
うにゅほの呼気でレンズが曇る。
「ふくね」
「ああ」
ふきふき。
「あれ、あんましきれいになんない……」
「そういうときは、何度も拭く」
「はい」
はー。
ふきふき。
はー。
ふきふき。
パキ。
「あっ」
「……なんか、鳴ったな」
慣れていないためか、変なふうに力を込めてしまったのだろう。
「ごめ、ごめなさ……」
「ちょっと貸して」
泣きそうなうにゅほから眼鏡を受け取り、検める。
「……壊れては、ない、かな」
「ほんとう……?」
「どこが鳴ったんだろ」
ともあれ、
「やっぱ、俺がやるな」
「はい……」
すっかり落ち込んでしまったうにゅほの頭を撫でてから、眼鏡を拭き直した。



2015年12月28日(月)

「◯◯、やさいジュースのむ?」
「飲むー」
うにゅほの作る野菜ジュースは絶品だ。
キウイと柿と、それからリンゴが入っていることは確かだが、詳しいレシピはわからない。
たぶん、トマトは入っていないと思う。
「はい」
「いつもありがとな」
グラスを受け取ると、ずしりと重かった。
「……ちょっと、りんごいれすぎちゃった」
「あー」
「すりりんごみたいになっちゃった」
随分と色味の悪いすりおろしリンゴである。
「つくりなおす?」
「いや」
グラスの中身をすすり、軽く噛んでから飲み下す。
「けっこう美味い」
「ほんと?」
「味見しなかったのか?」
「したけど、ジュースっぽくないなって」
「……まあ、ジュースではないな」
「なんだろう」
「スムージー──は、違うか」
「すむーじー」
「なんか、ふわっとした飲み物だよ」
「ふわっとは、してないね」
「シャリッとしてるな」
ひとくちすする。
「……噛まないと飲み込めない」
「えきたいでは、ない?」
「液体ではない」
「こたい?」
「固体ってほどでもないなあ」
「なんなんだろう……」
「ま、美味いから、なんだっていいじゃないか」
またひとくち。
「……なんかこれ、すごい腹に溜まるな」
ダイエットにはいいかもしれない。
「あしたは、りんご、いれすぎないようにするね」
「ああ」
どちらも美味しいからいいのだけど、やはり、うにゅほ的には失敗作なのだろう。
健康的な食生活は、うにゅほ印の野菜ジュースから。
そんなフレーズが脳裏をよぎったのだった。



2015年12月29日(火)

「はー、さむさむ……」
無意識に両手をこすり合わせる。
ほんの一時間ほど部屋を空けただけで、あっという間にこの冷え込みようだ。
「さむいねえ……」
はー。
俺の隣では、うにゅほが吐息で両手をあたためている。
「ストーブつけよう」
「そうしよう」
「──うわ、椅子まで冷たい」
「ほんと?」
うにゅほが座椅子に腰を下ろす。
「わ」
そして、ぴょこんと立ち上がった。
「つめたい」
「そのスカート、薄いんじゃないか?」
「そかも……」
パッチワーク風の可愛らしいスカートだが、冬用ではないのかもしれない。
「ゆたんぽ」
「?」
「ほら、ゆたんぽ、こっち来い」
「!」
理解したらしい。
「……うへー、ゆたんぽです」
照れくさそうにそう言って、うにゅほが俺の膝に乗る。
「はー……」
ふにふにとしてあたたかい。
首筋に鼻先をうずめると、いい匂いがする。
なんて素晴らしいゆたんぽだろう。
「うしし」
「どうした?」
「くすぐったい」
「我慢」
「はい」
「……あったかいなあ」
「あったかい」
俺にとってうにゅほがゆたんぽであるように、その逆も然りである。
俺があったかいと、うにゅほもあったかいのだ。
「やっぱ冬場はくっついてるのが一番だな」
「うん」
まあ、部屋の温度が上がってきたら、暑苦しくなって離れるんですけどね。



2015年12月30日(水)

祖母の病院を辞し、駐車場へ戻る。
「おばあちゃん、きてくれてありがとうっていってたね」
「ああ」
「げんき、なるかな」
「……どうかな」
「たいいんできるかな」
「わからない」
祖母が入院して、そろそろ一年が経とうとしている。
もう長くはない。
食事をしても吐いてしまうのだから、当然だ。
「……たいいん、できるかな」
うにゅほもそれを知っている。
知っているから、泣いているのだ。
「ほら、こっち来い」
うにゅほを抱き寄せる。
「うぶ……」
慰めることしかできない。
誤魔化すことしかできない。
俺は無力だ。
胸元を濡らす涙と鼻水の感触に苦笑しながら、呟く。
「……なんだか俺も泣きたいよ」
泣きたいけど、泣けない。
覚悟ができてしまったから。
「ぐじゅ、ぶー……」
泣きたくないけど、泣いてしまう。
避けられない未来と理解してしまったから。
残る時間は、僅かだ。
後悔するだろう。
どんなに手を尽くしたって、後悔するに決まってる。
だから、せめて、慰め合おう。
ひとりではないのだから。
家族がいるのだから。



2015年12月31日(木)

「──今年もあと数分かあ」
「あ、本当だ」
ガキの使いを見ながらぼんやり呟くと、弟がスマホをいじる手を止めた。
「今年も短かったな」
「そうだね」
「(弟)は、ガキの使い見たら寝るのか?」
「部屋戻るけど、まだ寝ない」
「そりゃそうか」
弟も、俺に似て宵っ張りである。
「兄ちゃん、初詣行くんだっけ?」
「友達とな」
「兄ちゃんの膝で寝てるやつはどーすんの?」
「連れてく」
「まあ、黙って行ったらうるさそうだしね」
「それ以前の問題として、起こさないと立つこともままならないし……」
「まあねえ」
俺の膝の上で安らかな寝息を立てているうにゅほの鼻先をちょいとつまむ。
「ふぐ」
しばし苦しそうな寝息を立てたあと、
「ふひゅー……」
と、口呼吸を始めた。
「……そんなことしていいの?」
「お前は駄目だぞ」
「いや、しないけど」
「兄弟のよしみだ。ほっぺたをつつくくらいなら、許してやるぞ」
「しないって」
つんつん。
「うふ」
うにゅほが吐息を漏らす。
「柔らかいのに」
「はいはい」
弟がスマホに視線を戻す。
「あ、新年」
「あけましておめでとう」
「おめでとう」
「おとしだまくれ」
「兄ちゃんがくれたらな」
「いや、××に」
「××には、ちゃんとやるよ」
「……悪いけど、二千円にしといてくれないか?」
「なんで?」
「いや、俺からは三千円にしようと思って」
「はいはい、二千円ね」
そんな汚い談合が頭上で行われているとは露知らず、幸せそうな寝顔を晒し続けるうにゅほなのだった。
あけましておめでとうございます。

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