>> 2015年11月




2015年11月1日(日)

「うーん……」
キーボードの前で腕を組み、唸る。
「どしたの?」
「いや、今日の日記、あんまり書くことないなって」
「きょう、ずっと、ぱそこんのまえいたねえ」
「用事があってさ」
同じ室内にいたのだから会話くらいは交わしているが、書くほどのことは特にない。
「わたし、おかあさんと、かいものいった」
「なに買ってきた?」
「やさいとか、くだものとか」
「あとは?」
「……うと、ちくわとか」
「あとで食べよう」
「ぜんぶたべちゃだめだよ?」
「わかってるって」
ちくわの穴にマヨネーズを入れて食べると、美味い。

「──美味い、と」
エンターキーを叩く。
「かけた?」
「いや、まだ尺が足りないな……」
日記の平均文字数は、六百字から七百字である。
現時点ではその半分しかない。
「……これから、なんかしようか」
「なんかって、なに?」
「じゃんけんとか」
「いいよ」
「三回勝負な」
「うん」
「じゃーん、けーん──」

「かった」
「負けた」
三連敗である。
「……なんか、言うこと聞こうか?」
「なんか」
「なんでもいいぞ」
「なら──」
うにゅほが、俺の膝の上に腰を下ろす。
「キーボード打ちにくいんだけど」
「ばつげーむ」
うへー、と笑う。
ぜんぜん罰になっていない。
「……ま、このくだりを書けば、尺も埋まるかな」
「そか」
「書き終わったら、一緒にアニメでも見るか」
「うん」
さっさと〆よう。
今日の日記、終わり。



2015年11月2日(月)

「「じゃーん、けーん、ほい!」」

「勝った」
「まけたー……」
三勝二敗で辛くも勝利した。
「──で、これは何のじゃんけんなんだ?」
「きのう、じゃんけんした」
「したな」
「おなじじゃんけん」
「……つまり、××が勝ってたら、俺の膝の上に座ったってこと?」
「そう」
負ければよかった。
「つーか、それくらい好きにすればいいのに」
ぽんぽんと膝を叩いてみせる。
「いいの?」
「いいよ」
「じゃまなんない?」
「いま、特に作業してないし」
「♪」
うきうきと座椅子から立ち上がったうにゅほが、思案顔で固まった。
「……うと、やっぱだめ」
「どした?」
「じゃんけん、まけたから……」
「……俺がいいって言ってるのに?」
「まけたから……」
じゃんけんしなければよかった。
「あ、そだ」
うにゅほが両手を合わせる。
「◯◯が、わたしのひざにすわればいいんだ」
「……潰れるぞ」
「だいじょぶ」
手を引かれ、立ち上がると、入れ替わりにうにゅほがパソコンチェアに腰掛けた。
「はい!」
ぽんぽんと膝を叩き、にこやかにこちらを見上げる。
「──…………」
爪先を見ると、床に届いていない。
「?」
俺が、このちいさな膝に、全体重を預けたとしたら──
「いや、駄目だ! 潰れるって! マジで!」
「えー」
「じゃんけんで負けたんだから、言うこと聞きなさい」
「わ」
不満げなうにゅほをすくうように抱き上げ、チェアに腰を下ろした。
「これでよし、と」
肘掛けのあいだにすっぽり収まったうにゅほが、呟くように言う。
「いいのかな……」
「いいんだよ」
寒い日には、これがいちばんである。



2015年11月3日(火)

「はー、満腹、満腹……」
マットレスに倒れ込み、大の字になって寝転がる。
家族で外食をしてきたのだった。
「◯◯、たべすぎ」
「ついつい」
「おなか、ぶにー」
「やめろー」
笑いながら身をよじる。
「でも、1kgは痩せたんだぞ」
「いっしゅうかんで、いちきろ?」
「そう」
「きょうでもどったかも……」
「チーズ入りつくねが美味しくてなあ」
「あれおいしかったね」
「牛モツ煮込みは微妙だったな」
「かたかった」
「ま、明日からまた食事制限するさ」
「……むりしないでね?」
「痩せすぎないよう気をつけないとな」
「うん」
逆のような気もするが、俺の場合はこれで正しいのである。
「……わたしも、ダイエットしようかなあ」
「──…………」
うにゅほの胴回りを両手で掴む。
「うひ」
贅肉なんて、もちろんない。
「いまでも痩せっぽちなのに、これ以上痩せてどうするんだよ」
「でも」
「消滅する気か」
「しょうめつ……」
「××は、すこし太ってもいいくらいだと思うぞ」
「◯◯、ふとってるほうが、すき?」
「痩せてるほうが好きだけど」
「ダイエット……」
「でも、痩せすぎは嫌いかな」
「──…………」
しばし思案し、うにゅほが尋ねる。
「いまのままでいい?」
「いまのままがいい」
「……うへー」
照れくさそうに笑ううにゅほのほっぺたをむにむにしながら、心中で胸を撫で下ろす俺だった。



2015年11月4日(水)

「11月4日、かあ……」
カレンダーを見ながら溜め息をつく。
「きょう、なんかあるの?」
「なんもないけど」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「刻一刻と冬が近づいてるなあ、と、思ったのさ」
「◯◯、ふゆきらい?」
「どちらかと言えば、嫌い」
「ゆきかきあるから?」
「それもある」
「ゆきかきなかったら、すき?」
「いや、寒いからな」
「さむくなかったら、すき?」
「それもう冬じゃないだろ」
「……うん」
不満げに口を尖らせるうにゅほを見て、察する。
うにゅほは冬が好きなのだ。
「でも、まあ、嫌いばかりではないよ」
「すき?」
「好きなところもある」
「どこ?」
「──…………」
ヒゲの生えかけた顎を撫でながら、しばし思案し、答えた。
「冬は、イベントが多いからな」
「イベント?」
「弟の誕生日、クリスマス、お正月、俺の誕生日、バレンタイン──」
「いろいろあるねえ」
「もちとかケーキとか食べられるのは、嬉しい」
「おもち……」
うにゅほがもちに思いを馳せる。
「ケーキよりもちのほうが好きか?」
「ケーキ、すきだよ」
「ああ」
「でも、ケーキはたまにたべれるけど、おもちはふゆしかたべれない」
「たしかに……」
切り餅なんかは年中売っているのかもしれないが、不思議と買ってまで食べる気はしない。
「──…………」
「──……」
「もち、食べたいな」
「たべたい……」
「でも、ここで我慢してこそ、つきたてのもちが美味くなるってものだ」
「うん」
互いに頷き合う。
「◯◯、やせないとね」
「痩せるともさ」
正月に太るぶんを見越して、多めに落としておかなくては。



2015年11月5日(木)

ぱり、ぽり。
大判のえびせんべいが口のなかで軽快な音を立てる。
「おいしい」
「美味しいけど、なんか物足りないよな……」
どこにでも売っているような安物のえびせんべいだから、海老の風味も弱く、味も薄い。
「なんか、前、テレビで見たんだけどさ」
「?」
「これのでかいやつの上に、ベーコンエッグ乗せて食べてた」
「これの、うえ?」
「ああ」
「たべにくそう」
「まあ、うん、食べにくそうではあった」
美味しそうだったけど。
「ソースせんべいって食べたことないけど、これにソース塗るのかな」
「えー……」
うにゅほが眉をひそめる。
「おたふくソース?」
「そうなる」
「おやつじゃなくて、おかずみたい……」
「あー」
わからんでもない。
ソースをつけるという行為は、食事どき特有のものだ。
うにゅほには、それが、お菓子からの逸脱であるように感じられるのだろう。
「マヨネーズは?」
「マヨネーズは、ちくわとかたべるときつかう」
ちくわはおやつらしい。
「じゃあ、あいだを取って、マヨとソースを挟んで食べてみるか」
「うん」
えびせんべいの上にマヨネーズで円を描き、ソースを垂らして、もう一枚で挟む。
「いただきます」
「いただきます……」
ぱり。
「……美味い」
「おいしい!」
思った以上に美味だった。
「おかずってかんじ、しないね」
「駄菓子って感じだな」
感覚としては、うまい棒などに近い。
「でも、ふとりそう」
「ソースだけなら、そうでもないんじゃないかな」
「そかな」
「チーズとかスライスして乗せてみるか」
「あ、いいねー」
えびせんべいの新たな可能性を見出した一日だった。



2015年11月6日(金)

ワンフィンガーの焼酎をペプシストロングゼロで割って飲むのが好きだ。
「おいしい?」
「美味しいねえ……」
タンブラーの中身を、ずず、とすする。
「おさけ、ちょっとしかはいってないのに、おいしいの?」
「すこし誤解があるようだな」
「?」
「俺は、酔うのは好きだけど、アルコール自体は好きじゃない」
「そなんだ」
「そうなの」
「──……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「じゃあ、なんで、ペプシにおさけ、ちょっとしかいれないの?」
「簡単な話だ」
タンブラーを眼前に掲げ、断言する。
「ペプシストロングゼロは、隠し味に焼酎を入れたほうが美味い!」
「へえー」
うにゅほが目を輝かせる。
「ひとくち」
「……む。まあ、ひとくちくらいなら」
使用している宝焼酎大自然は、度数20%。
それを十倍以上に希釈しているのだから、まさか酔うこともないだろう。
「いただきます」
くぴ。
「──あっ」
「どうよ」
「なんか、ちょっと、あまいかんじ」
「カドが取れて、まるくなったような気がしないか?」
「する」
うんうんと頷く。
「もうひとくち」
「もう駄目」
「えー……」
「これくらいで酔うことはないと思うけど、いちおうな」
「じゃあ、つぎのむとき、ひとくち」
「まあ、それなら……」
「やた!」
言質を取られてしまった。
一杯目を飲み干し、タンブラーに二杯目を注いで戻ってくると、うにゅほが笑顔で待っていた。
「ひとくちー」
「えっ」
「つぎのむときっていった」
「──…………」
たしかに。
「……ちょびっとだけだぞ」
「はい」
迂闊に酒の味を覚えさせてしまった。
三杯目は、うにゅほが床についてからにしよう。



2015年11月7日(土)

「──…………」
鼻をすする音が目立たないように、大きく深呼吸をする。
また風邪を引いてしまった。
引いては治り、治っては引き、よくなったかと思えば、またすぐに悪化する。
寄せては返す波のようだ。
「……そんないいもんじゃないけど」
「?」
うにゅほが顔を上げる。
「なんでもない、ひとりごと」
「ふうん……」
できるなら、うにゅほに心配をかけたくはない。
頭痛も、火照りも、寒気もすべて、感じていないように振る舞わなければ。
「◯◯、かぜひいた?」
はや!
「……えーと、どうしてそう思うんだ?」
「め、うるうるしてる」
卓上鏡を覗き込む。
言われなければ気づかない程度だが、たしかに充血している。
「疲れ目、かも」
「こえ、かすれてる」
「そうかな」
「あと──」
うにゅほが立ち上がり、すんすんと鼻を鳴らす。
「やっぱり」
「やっぱり、って?」
「◯◯、かぜのにおいする」
「……風邪の匂い?」
初めて聞く言葉だ。
「◯◯、かぜひいたとき、かぜのにおいするよ」
シャツの首筋を開き、嗅いでみる。
よくわからない。
「もしかして、臭い?」
「くさくないよ」
よかった。
毎日シャワーを浴びているのに臭いと言われたら、もうどうしようもない。
「風邪の匂いって、どんな匂いなんだ?」
「うーと……」
思案し、答える。
「ラムネと、なんか、まじったみたいなにおい」
「──…………」
想像がつかない。
「……まあ、うん、バレては仕方ない」
「マスクね」
「はい」
サージカルマスクを二重にする。
せめて、うにゅほに伝染すことだけは避けたいものだ。



2015年11月8日(日)

冷蔵庫を開けると、あんまんがあった。
「あんまんだ」
「あんまん」
「食べていいのかな」
「いいよ」
「いいのか」
「◯◯のためにかってきたんだもん」
「おお、でかした」
なでなで。
「うへー」
「××も食べるだろ」
「うん」
「何個?」
「いっこ」
「じゃあ、俺は二個食べよう」
「うん」
五個入りのあんまんを三個取り出し、皿の上に乗せる。
「レンジいれるね」
「待って」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「ちょっと濡らしておかないと、固くなるよ」
「そなの?」
「基本的には蒸すものだからな」
綺麗に洗った手であんまんを濡らし、ラップを掛ける。
「これでよし」
電子レンジに皿を入れ、二分間加熱する。
「あち、はちち」
取り出した皿を、食卓テーブルに置いた。
「××、気をつけろ。熱いぞ」
「うん」
ラップを外すと、うにゅほがあんまんをつついた。
「あつい」
「熱いな」
「ぷにぷにしている」
「ちゃんと濡らしたからな」
「おいしそう」
「熱いぞ」
「しばらくまつ」
「それがいい」
五分ほど冷めるのを待ったにも関わらず、猫舌の俺は、盛大に舌やけどをしてしまった。
うにゅほは平気だった。
解せない。



2015年11月9日(月)

「──◯◯、しゃこできた!」
「お、できたか」
腰を上げる。
隣の空き地にコンクリートを打ってから一ヶ月、ガレージの組み立て自体はたったの一日で終わってしまった。※1
「でっかいよー!」
うにゅほが興奮している。
「いや、サイズは知ってるから……」
苦笑しながら玄関を出ると、
「──でか!」
予想以上の迫力だった。
さすが、ランクルを二台も収容できるだけはある。
「ちょっと、中に入ってみるか」
「いいのかな」
「自分ちの車庫に入るのに、いいも悪いもないだろ」
「そか」
ガレージの側面に設置された引き戸を開く。
「暗ッ!」
「なにもみえない……」
「電気系統はまだなんだっけ」
「うん」
携帯を取り出し、ライトをつける。
「天井も高いな……」
「──…………」
ガレージの内部へ足を踏み入れようとしたとき、うにゅほが俺の腕を取った。
「……ちょっと、こわい」
「怖いって──」
周囲を見渡す。
「ランクル置いてた場所に、上からフタしただけだぞ」
「そだけど……」
「そのあたり、コロの小屋があったところだな」
「うん……」
なるほど。
「単に、暗いから怖いわけか」
「……うー」
うにゅほが唸る。
仕方ない。
「中を見るのは、明日にしようか」
「うん」
ガレージ完成記念か、今日の夕食はすき焼きだった。
食べ過ぎた。

※1 2015年10月5日(月)参照



2015年11月10日(火)

今日は、珍しく仕事のない日だった。
「うーん……」
腕を組み、天井を見上げる。
「どしたの?」
「仕事がないのは嬉しいけど、ないならないで時間を持て余すなあ、と」
「やることないの?」
「長期的にはあるけど、短期的にはない」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「とりあえず、差し迫ったものはないってこと」
「そなんだ」
うんうんと頷き、言う。
「じゃあ、あそぼう!」
「いいけど、なにして?」
「うと、なにいいかな……」
「なんでもいいぞ」
暇だし。
しばしの思案ののち、
「──じゃあ、せなかにかいたもじ、あてっこ!」
「はいはい」
いささか子供っぽいが、ふたりでできる遊びなんて数が知れているものだ。
「じゃ、俺からな」
「うん」
うにゅほがこちらに背を向ける。
よし、意地悪してやろう。
ブラジャーの感触を避けながら、とびきり複雑な漢字をしたためる。
「これ、なーんだ」
「うつ」
「え、どうしてわかった?」
「わたし、そんなかくすうおおいの、うつしかしらない」
「なるほど……」
薔薇にしておけばよかった。
「じゃ、わたしのばんね」
「はいはい」
背中を向ける。
うにゅほの指先が、そっと肩甲骨のあたりに触れた。
「♪~」
くすぐったい。
「はい、なーんだ!」
「何文字?」
「にもじ」
「狂骨」
「え、なんでわかったの?」
真正面には本棚があり、京極夏彦の「狂骨の夢」がこちらに背表紙を向けている。
「××のことだから、なにか見て書いたんだと思って」
「すごいねえ……」
「お互いな」
あてっこゲームはしばらく続いたが、二問目以降は散々な結果だった。
なかなか難しいものだ。



2015年11月11日(水)

床屋へ行った帰りの車内でのことである。
「──…………」
「♪~」
なでなで。
「──…………」
「ふふー」
さわさわ。
「……××」
「なにー?」
「運転中に頭を撫でるのは、危ない」
「はい」
うにゅほが手を引っ込める。
素直である。
「……そんなにいい感触かなあ」
後頭部を掻く。
刈り上げたわけではないので、多少ちくちくするくらいだ。
「なでるとね、てがきもちいい」
「手が」
「じんじんしてくる」
「撫ですぎ」
「そかな」
「撫でるなとは言わないけど──」
赤信号。
ブレーキペダルを踏み、助手席へと向き直る。
さり。
前髪を掻き上げられる感触に、思わず強くまばたきをした。
「しんごうあかだから、なでていい?」
「……いいけどさあ」
「♪」
なでなで。
せめて家まで我慢できないものか。
横断歩道を渡る歩行者の視線を気にしながら、俺はちいさく溜め息をついた。



2015年11月12日(木)

「あぢー……」
「あちーねえ……」
「半纏脱げ脱げ」
「うん」
「ストーブ消せ消せ」
「えー」
「何故嫌がる」
「あしさむい」
「人には靴下を履かせておいて……」
「……うへー」
「笑って誤魔化そうとしないで、ちゃんと靴下履きなさい」
「はい」
「いま何度?」
「うーと、にじゅうきゅうど」
「真夏じゃないか……」
「でも、あしさむい」
「暖かい空気は上に行くからな」
「どうして?」
「知りたい?」
「……ひとことで」
「空気は、暖めると軽くなるから」
「へえー」
「扇風機で空気を撹拌するのもひとつの手だけど、片付けちゃったからな」
「うん」
「置き場所もないし」
「あし、うえにあげたらいいのかな」
「頭に血がのぼるぞ」
「だいじょぶ」
「……あと、スカートな」
「わ」
「気をつけなさい」
「みえた?」
「見えるがな」
「うー……」
「足が冷たいなら、布団に突っ込んどけばいいんじゃないか?」
「そうする……」
十分後、布団のなかでぬくぬくと爆睡するうにゅほの姿があった。
自由だなあ。



2015年11月13日(金)

朝起きると、風邪を引いていた。
引き直しているのか、治りきっていないのか、それはわからない。
わかるのは、病院へ行ったほうがいいということだけだ。
「……ただいまー」
ぜいぜいと不快な音を鳴らす気道を持て余しながら帰宅すると、うにゅほが二階から駆け下りてきた。
「◯◯!」
「ただいま」
「だいじょぶ……?」
「抗生物質もらったから、大丈夫」
「こうせいぶっしつ」
うにゅほが小首をかしげる。
「市販の風邪薬は、こほ、基本的に、風邪を治してくれるわけじゃない」
「そなの?」
「熱があるとか、頭が痛いとか、咳で苦しいとか、そういう症状を和らげてくれる薬なんだ」
「えー……」
「つらいの、嫌だろう?」
「いやだけど……」
不満げだ。
騙されたような気分なのだろう。
「逆に、抗生物質は、風邪の原因となる細菌やウイルスを殺し、根本的に治療するための薬だ」
「すごい」
「そうだな」
「こうせいぶっしつだけのむのじゃ、だめなの?」
「……抗生物質は、ごほ、副作用とかあるからな」
「ふくさよう!」
「あと、効果が強すぎて、いい細菌も殺しちゃうらしい」
「いいさいきん……」
「ほっぺたに蚊が止まってるからって、グーで殴るようなもんだと思う」
「だめだー!」
「まあ、用法用量を守って正しく服用すれば、大丈夫」
たぶん。
「そか……」
くるくると表情の変わるうにゅほを微笑ましく眺めながら、薬を飲み、床についた。
再び目を覚ますと、夜だった。
体調は、多少はマシになっていたが、油断はできない。
後顧の憂いを断ち、新しい気分で冬に臨みたいものである。



2015年11月14日(土)

「──よし、取れた」
ちいさくそう呟き、メールソフトを落とす。
「××」
「……んー」
「俺、28日、東京行くから」
「とうきょう……」
座椅子でうとうとしていたうにゅほが、はっと目を覚ます。
「とうきょう!」
「ああ」
「──……?」
うにゅほが自分の顔を指さした。
「××は、行かない」
「なんで」
「観光なら、連れて行くんだけどな」
ふたりきりで泊まりがけはいくらなんでもまずいから、弟でも誘って、三人で観光旅行なんて、いかにも楽しそうである。
「かんこうじゃないの?」
「人に会いに行くんだ。会うだけだから、すぐ帰ってくる」
「ひがえり……?」
「さすがに日帰りは無理だなあ」
「がんばって」
「いや、もう航空券取っちゃったし」
「──…………」
うにゅほが俺の袖を引く。
「……にじゅうはちにち、わたし、ひとり?」
「家族いるだろ」
「ねるとき、ひとり……」
「まあ、うん……」
「──…………」
「──……」
沈黙。
「電話するから、な」
「うん……」
うにゅほは俺に依存している。
いまさら是非は問わないが、こういうときは大変だ。
「なんじにかえってくる?」
「たぶん、七時くらいかな」
「あさ?」
「夜」
「がんばって」
「……頑張る」
頑張ってどうにかなる問題ではないが、他にどう答えればいいのやら。
せめて、寄り道せず、まっすぐに帰ろう。



2015年11月15日(日)

「あ゙ー……」
鼻が詰まって仕方がないので、以前購入したスプレータイプの点鼻薬を使用することにした。
シュッ!
噴霧した薬液が流れ出ないよう、天井を見上げて鼻をすする。
「──…………」
ふと、うにゅほの視線に気付いた。
「どした?」
「はなしゅっしゅ、つかったことないなーって」
「……その呼び方、なんとかならない?」
「おかあさん、そういってた」
「母さんはそう言うけど……」
「なんていったらいいの?」
「点鼻薬、とか?」
「てんびやく」
「そう」
「てんびやく、つかったことない」
「××、あんまり鼻詰まらないもんな」
「うん」
「使ってみたい、と?」
「うん」
「症状が出てないのに使うのって、あんまりよくないんだけど……」
「だめ?」
「……まあ、すこしくらいなら、いいか」
ノズルの先をティッシュで拭い、うにゅほの傍に膝を突く。
「はい、ちょっと顔上げてー」
「うん」
うにゅほの鼻の穴にノズルを差し入れ、
シュ
ほんのすこしだけ薬液を噴霧した。
「ふ」
「はい、鼻で息してー」
すー、ふー、すー、ふー。
「どうだ?」
「すーすーしたきーする!」
「そっか」
「ひだり、じぶんでやっていい?」
「……いいけど、一気に押したら駄目だぞ」
「うん」
「大丈夫かな……」
シュッ!
「ごぺ! えほ、えほッ!」
大丈夫じゃなかった。
「言わんこっちゃない」
うにゅほの背中をさする。
「しゅ、しゅーすーするう……」
「メントール入ってるからな」
「ぶー……」
うにゅほの介抱をしながら、止めてあげればよかったと心中で後悔する俺だった。



2015年11月16日(月)

「うー……」
腕組みをしながら、うにゅほが唸っている。
「……うー」
「──…………」
「──……」
「──…………」
「うー……」
「──…………」
「うー!」
気にしてほしいなら、そう言えばいいのに。
「どした?」
「うん……」
「──…………」
「──……」
「えーと、具合が悪いとか?」
「……うと、ちがう?」
「聞かれても」
「ぐあいは、わるくない……と、おもう」
「思う?」
「わるくない……」
「……本当に?」
「ほんと……」
「じゃ、どうしたんだ?」
「わかんない」
「……わからない?」
「うん……」
「モヤモヤする、とか?」
「……うーん?」
うにゅほが小首をかしげる。
自分でもうまく言語化できないらしい。
いったいどうしたのだろう。
女の子のあれは、まだ先のはずだ。
「よくわからないのか」
「よくわからないのだ……」
「具体的にどうとか、言える?」
「ぐたいてき」
「してほしいこと、でもいいけど」
「してほしいこと……」
しばし思案し、うにゅほが口を開いた。
「ひざまくら」
「膝枕、するほう? してもらうほう?」
「してもらうほう」
「わかった」
パソコンチェアから立ち上がり、座椅子に腰を下ろす。
「ほら、来い来い」
ぽんぽんと太腿を叩くと、うにゅほが頭を乗せた。
「どうよ」
「◯◯、あしふとい」
「枕、高い?」
「たかい」
「我慢」
「うん」
前髪を掻き上げ、額に手を当てる。
「落ち着いたか?」
「……うん」
なんだかよくわからないが、すこしはマシになったらしい。
なんだったのだろう。
甘えたくなっただけなら、いいのだが。



2015年11月17日(火)

俺の膝に頭を乗せたうにゅほの前髪を掻き上げてやりながら、左手で小説のページを繰る。
「なによんでるの?」
「星新一」
「ほししんいち」
「読んだことなかったっけ」
「あるよ」
「本棚の整理してたら出てきたからさ」
「ふうん……」
ごろん。
うにゅほが姿勢を変える。
「調子悪かったの、治ったのか?」
「うん」
「なんだったんだろうな」
「わかんない」
「まあ、治ったならいいけど」
「うん」
不安は残るが、こればかりはどうしようもない。
再発しないことを祈るばかりだ。
「ほししんいち、よんで」
「朗読しろって?」
「うん」
「今日は甘えっ子だな」
「うへー……」
うにゅほは、膝枕してやると、途端に甘えたさんになる。
「9から297まで、適当に数字を言ってくれ」
「すうじ?」
「ページ数。その作品を読むから」
「うと、きゅうじゅうさん」
「93、93──ああ、生活維持省か」
有名どころが当たったものだ。
「じゃ、読むぞ」
「うん」
「課長、おはようございます。このところ──」

「──…………」
二、三作読んでやると、うにゅほの目がとろんとしてきた。
「寝てもいいぞ」
「うん……」
寝入ってしまったうにゅほの頭を撫でながら、俺は、自分の膀胱があとどれくらい耐えられるかに思いを馳せた。



2015年11月18日(水)

俺の肩をやわやわと揉みながら、うにゅほが不意に呟いた。
「かたたたきけん」
「うん?」
「かたたたきけん、あるけど、かたもみけんってないね」
「肩揉み券ねえ」
なんだか急にマッサージのクーポン券みたいになったな。
「かたたたくのと、かたもむの、どっちいい?」
「あんまし叩かれた記憶がない」
「たたいていい?」
「ああ」
たん、とん、たん、とん。
うにゅほのちいさなこぶしが、肩甲骨の上のあたりを適度に刺激する。
「きもちいい?」
「気持ちいい」
「もむのと、どっちいい?」
「……揉むほうかな」
気持ちいいことは気持ちいいが、コリがほぐれている感じがまったくしない。
「そかー」
たん、とん、たん、とん。
「──…………」
「──……」
たん、とん、たん、とん。
「肩叩くの、気に入ったのか?」
「ううん」
背後で、首を横に振る気配。
「もんでたら、てーつかれたの」
「あー……」
なるほど。
「疲れたなら、無理しなくていいぞ」
「うん」
たん、とん、たん、とん。
「かたたたき、まだつかれてない」
「いや、そういう意味じゃなくて、マッサージ自体をだな」
「うん」
あ、わかっててやってるな。
ありがたい。
けど、無理しないでほしい。
でも、嬉しい。
複雑な感情を持て余しながら、しばらく肩を叩かれていた。



2015年11月19日(木)

父親が禁煙を始めると言うので、余ったタバコを押しつけられた。
「……こんなもんもらってもなあ」
「◯◯、たばこ、すえないのにね」
「吸えるぞ」
「え」
「吸える」
こういったたぐいのことは、若いときに一通り経験している。
ニコチン中毒になったことこそないが、タバコを吸っていた時期もある。
「じゃ、これ、すうの?」
「残りは──二本か。二本くらいなら吸うかなあ。捨てるのももったいないし」
「からだにわるいよ」
それは、もっと早い段階で、父親に言ってあげるべき言葉だったような気がする。
聞く耳を持つような父親であれば、とっくにやめていたと思うけど。
引き出しの奥からライターを取り出し、タバコを一本くわえる。
「なんてたばこ?」
「えーと、メビウス、プレミアムメンソール……」
メビウス。
たしか、マイルドセブンが改名したんだったっけ。
「××、髪がタバコ臭くなるから、吸ってるあいだは近づかないほうがいいぞ」
「うん」
うにゅほが一歩だけ後じさる。
「もうすこし」
「もっと?」
「空気清浄機の後ろ」
「うん」
「吸うぞー」
「うん」
興味津々といった様子で、うにゅほが俺を見つめている。
そんなに面白い見世物ではないと思うのだが。
タバコをくわえなおし、火をつける。
フィルター越しの煙を吸い込んだ瞬間、
「──がッ! げほ、げほ!」
思いきりむせた。
「だいじょぶ!?」
「メンソールきっつ!」
マルボロメンソールライトなら吸ったことがあるが、ここまできつくはなかったはずだ。
「◯◯、むりしないで……」
「いや──」
反論しかけて、やめた。
「……まあ、うん、そうだな。やめとこう」
タバコの先端を灰皿に押しつける。
うにゅほに心配を掛けた上、無理をしてまで吸うことはない。
心なしか安心したようなうにゅほの表情に後押しされて、残り一本のメビウスをボックスごとゴミ箱に投げ捨てた。



2015年11月20日(金)

「うう、眠い……」
「ひるねする?」
「いま寝ると、夜に地獄を見るからな……」
「さんじゅっぷんだけ、ねる」
「最後の手段だな」
「さいしょのしゅだんは?」
「××」
「はい」
「なんか、目の覚めることやってくれ」
「めのさめること……」
「デコピンとか、痛い系でもいいから」
「いたいの、しないよ」
だろうなあ。
「うと、じゃあ──」
うにゅほが俺の両頬に手を添えた。
「むにー」
引っ張られる。
「うにー……」
さらに引っ張られる。
「ぱ」
離す。
「どう?」
「──……あふ」
俺は、あくびを噛み殺した。
「だめかー」
「駄目だー」
「うーと」
ぺちぺち。
化粧水をつけるときのように、うにゅほが俺の頬を優しく叩く。
「……眠くなってきた」
「えー!」
「だって、なんか気持ちいいんだもの」
「きもちいの、だめ?」
「駄目じゃないけど、眠気は取れないなあ」
もっと強い刺激が欲しい。
「じゃ、あつくする」
ぎゅう。
「!」
うにゅほが俺を背中から抱き締めた。
「……ちょっと目が覚めた」
「やた」
「もう一押し」
「うと、えっと、じゃあ、おもくする」
「重く?」
「おんぶして」
「はいはい」
うにゅほを負ぶったまま立ち上がる。
「おもい?」
「軽い」
「ねむけは?」
「だいぶ覚めた」
「しばらくこのままね」
「……もしかして、おんぶしてほしいだけじゃないだろうな」
「うへー」
悪びれない。
うにゅほを負ぶったまま掃除などしていると、眠気はすっかり飛んでしまった。
運動にもなった。
これ、健康にいいのではないか。



2015年11月21日(土)

「……暇だなー」
「ひま」
「読書も飽きたな」
「どくしょのあき?」
「秋なんてとっくに終わってる気がするけど」
「ゆきつもったら、ふゆ」
「個人的な感覚だと、12月から3月までが冬だな」
「いまは、あき?」
「いまは初冬」
「しょとう」
「春、夏、秋、初冬、冬──なんかこう、しっくりこないか?」
「あー」
「本州だと、春と夏のあいだに梅雨が入るらしい」
「ほっかいどう、つゆないもんね」
「梅雨がなくて、冬も寒くなくて、雪も少なめの土地に行きたい……」
「あるかなあ」
「あ、虫がいないも追加で」
「さばくとか」
「日本がいいなあ」
「とっとりさきゅう」
「あそこ、広めの砂浜らしいぞ」
「えー」
「砂漠のイメージで行くと、がっかりするらしい」
「そなんだ……」
「まあ、引っ越すつもりなんて、毛頭ないけどさ」
「うん」
「寒いのも雪も好きじゃないけど、ないと冬って感じしないし」
「うんうん」
「年末年始、楽しみだな」
「おもち」
「ケーキも」
「◯◯のたんじょうび」
「弟の誕生日も忘れないように」
「あっ」
「まさか」
「なんちゃって」
「知ってた」
「だまされなかったかー」
「××が家族の誕生日を忘れるわけないもの」
「うん」
「コロの命日もな」
「……うん」
「ビーフジャーキー、お供えしような」
「うん」
冬は、イベントが目白押しだ。
楽しいことも、そうでないことも。



2015年11月22日(日)

近所のスーパーで、六種のチーズアソートなるものを購入した。
それぞれのチーズについてレビューを記していく。

ゴーダチーズ
「……普通だな」
「ふつう」
「まあ、美味しいけどさ」
「くちのなか、ちょっとのこるねえ……」
「お茶が欲しいな」
「あ、わたしついでくる」
「ありがとう」

スモークプレーンチーズ
「おいしい」
「美味い」
「これ、おいしいねえ」
「やっぱ、スモークチーズはハズレないな」
「うん」
「なんのチーズをスモークしたものなのか、とんとわからないけど」
「プレーンチーズじゃないの?」
「プレーンチーズって、チーズの種類だったかな……」

パルメザンチーズ
「……臭くて、固くて、まずい」
「うん……」
「やっぱ、パルメザンは粉チーズにしないと駄目だな」
「こなチーズ、このチーズなの?」
「そうだよ」
「へえー」
「パルメザンが悪いと言うより、食べ方が合ってないんだろう」
「うん」

レッドチェダーチーズ
「あかい」
「赤、と言うか、オレンジだな」
「あじ、ふつうだね」
「特筆すべきことはないなあ」

ゴーダハーブチーズ
「さいしょのに、ハーブはいってるの?」
「そうだな」
「なんのハーブ?」
「わからん」
「ちょっといいにおい」
「味は、普通のゴーダチーズと変わらないな」

コルビージャックチーズ
「やわらかくて、おいしい」
「色も、白とオレンジが混ざり合ってて、なんか面白いな」
「スモークチーズのつぎにすき」
「パンに乗せてトースターで焼いたら美味そうじゃないか?」
「とろけるかな」
「とろけそうな感じするよな」

一緒に買ったさけるチーズ
「……やっぱ、これがいちばん美味いな」
「うん」

六種のチーズを味わうことで、さけるチーズの美味しさを再確認した初冬の午後だった。



2015年11月23日(月)

「──…………」
ぬくぬくとした布団を抜け出し、時刻を確認する。
午前八時。
「あ、おはよ」
「……おはよう」
「きょう、はやいね」
「あんまり眠れなくて」
「そかー……」
胃のあたりを撫でながら、腹具合を確認する。
「朝ごはん、ある?」
「ごはんないよ」
「……なにもない?」
「うん……」
仕方ない。
「コンビニ行ってくる」
「あ、わたしもいく」
「歩いていくか?」
「うん」
「なら、ちゃんとあったかくしないとな」
「うん」
コートを着込み、玄関を出る。
「──寒ッ!」
「さむいねー」
うにゅほが、はー、と白い息を吐く。
「ほら、水たまり凍ってる」
「ほんとだ!」
ぱり、ぱり。
俺たちの足元で、薄い氷が音を立てて割れる。
「ふゆきたねー」
「来ちゃったなあ」
「うへー……」
「××は、ほんと冬が好きだなあ」
「あきもすきだよ」
「夏は?」
「なつもすき」
「春」
「さくら、みたいねえ」
「……どの季節も好きなんだな」
「うん」
「嫌いな季節は?」
「うと……」
うにゅほが小首をかしげる。
「あめおおいのは、あんましすきじゃない」
「夏のちょっと前くらいかな」
「そうかも」
「雪は?」
「すき」
「吹雪は?」
「ふぶきは、すきじゃない……」
「吹雪が好きって人は、あんまりいないか」
「うん」
いまの季節を慈しみ、次の季節を待ち侘びる。
それはきっと、とても素敵なことだ。
そう思った。



2015年11月24日(火)

「──…………」

声が聞こえた、気がした。

「……◯◯……──」

また、聞こえた。

「……ん?」
ゆっくりと目蓋を開く。
「◯◯、おきた……?」
「起きた」
自室のドアの隙間から、うにゅほが顔を覗かせていた。
「……もしかして、さっきから呼んでた?」
「うん……」
「なんでそんな遠くから?」
「おこしちゃいけないとおもって……」
「……?」
よくわからん。
上体を起こし、眼鏡を掛ける。
「◯◯、すごいよ」
「なにが?」
「そと!」
カーテンを開く。
「──……うわ」
そこに広がっていたのは、雪景色という言葉の具現。
しんしんと降り積もる牡丹雪だった。
「もしかして、これを見せたかったのか?」
「うん」
「でも、起こしちゃ悪いと思ったから、小声だったのか」
「うん……」
なるほど可愛い。
「……さぶ!」
もともと寒くはあったが、雪を見た途端にそれが際立った。
「はんてんきたほういいよ」
「そうする」
「くつしたも、はいたほういいよ」
「わかった」
「ストーブつけるね」
「ああ」
「きがえ、ストーブのまえおいとく?」
「ベルトが熱くなるから、ちょっと距離置いてな」
「はい」
「──…………」
「──……」
「××」
「うん」
「……いま、すごくテンション高い?」
「うへー……」
そうらしい。
「着替えたら、すこし外に出てみるか」
「うん!」
初雪だ。
手乗りサイズの雪だるまくらい、ひとつこしらえてみようかな。



2015年11月25日(水)

「はー……」
うにゅほが、両親の寝室から、白く染まった公園を見下ろしていた。
「飽きない?」
「うん」
飽きないらしい。
「ゆき、このままつもるかなあ」
「初雪は根雪にならないってのが、北国の常識だけどな」
「……?」
きょとんとした表情で、うにゅほがこちらを振り返る。
「はつゆきじゃないよ?」
「そうだっけ」
「まえ、ちょっとだけふった」
「……あー」
なるほど、言葉の食い違いがあるらしい。
「俺が初雪って言ってるのは、初積雪のことでな」
「はつせきせつ?」
「その冬で初めて雪が積もった日のこと」
「そなんだ」
「他にも、初冠雪なんてのもあるぞ」
「はつかんせつ……」
「山に、初めて雪が積もること」
「いろいろあるねえ」
「このへんまとめて初雪って言っちゃうから、わかりにくいんだよな」
うにゅほがうんうんと頷く。
「ねゆき、なるかなあ」
「ならないって」
「えー」
「毎年そうだろ。11月中に一度は積もるけど、すぐに解ける」
「だったかも……」
「雪なんて、必ず積もるんだ。すこし遅れてきたほうが、奥ゆかしくていいよ」
「あ、ことし、じょせつきかりるんだって」
「そんなこと言ってたな」
「ゆきかき、らくだよ」
「使い方、覚えないとな」
「うん」
文明の利器、除雪機。
どれほどの性能か、この目で確かめてやろう。



2015年11月26日(木)

「うう……」
左頬を押さえながら待合室へ戻ると、うにゅほが心配そうに立ち上がった。
「は、だいじょぶ?」
「いちおう、神経までは達してなかったみたい……」
「はやめにきて、よかったね」
虫歯と見るやすぐさま歯医者へ駆け込む癖がついたのは、うにゅほがいつもせっついてくれるおかげである。
「……歯磨き、おろそかにしてるつもりはないんだけどなあ」
「はみがきしたあと、たべるから……」
「食べたあとは、また歯磨きしてるぞ」
「うーん」
「飴も、最近は、あんまり舐めてないし……」
体質なのか、歯磨きが下手なのか。
ほとんど同じ生活を送っているうにゅほに虫歯が一本もないというのは、どうにも解せない。
「──…………」
ふと思った。
本当に、一本もないのか?
「いまなら他に患者もいない……」
「?」
「──先生! この子に虫歯がないか、ちょっと見てもらえませんか!」
「えー!」
いいよー、と快諾してもらえたので、うにゅほを診察室へ押し込んだ。

「見てもらえて、よかったな」
「うー……」
助手席でうにゅほが落ち込んでいる。
虫歯こそなかったものの、虫歯になりかけの歯が数本見つかったのだ。
「そのくらいなら、ブラッシングでなんとかなるって話だし」
「ドリル、されるかとおもった……」
「ちゃんと歯磨きすれば、されないよ」
「……◯◯も、ちゃんとはみがきしないと、だめだよ?」
「してるつもりなんだけどなあ……」
「わたしも……」
「歯磨きって、難しいな」
「うん……」
小学生でも知っていることを今更気づいた冬の夕刻だった。



2015年11月27日(金)

「タオルいれた?」
「入れた」
「パンツは?」
「入れたよ」
「はぶらし」
「ちゃんと入れた」
「パジャマ」
「作務衣入れといた」
明日から一泊二日で東京へ行く予定だ。
うにゅほには、それが、心配で心配でたまらないらしい。
「ポケットティッシュ……」
「最初から入ってた」
「さいふにおかね、いれた?」
「大丈夫」
「うと、あれ、ひこうきにのるためのやつ」
「ちゃんと印刷してあるよ」
「ほん、もった?」
「本?」
「ひまつぶしの、ほん」
「あー、まだ入れてない」
「なにもってく?」
と、うにゅほが漫画用の本棚の前に立った。
「漫画は持ってかないぞ」
「じゃあ、ほししんいち?」
「星新一に限らないけど、小説だな。何冊か適当に見繕っておくよ」
「あと、あと──」
「××」
そわそわと落ち着かないうにゅほの両肩に、ぽんと手を乗せる。
「一泊二日だから、大丈夫」
「でも」
「ちゃんと明後日には帰ってくるから」
「うん……」
うにゅほの頭をうりうり撫でる。
「だから、待っててくれな」
「──……う」
べそをかきそうな表情で、うにゅほが口を開く。
「いってらっしゃい……」
「いや、出掛けるの今日じゃないからな。明日の朝だからな」
いまからこの調子だと、出発が不安である。
心配されないのも寂しいが、され過ぎるのもけっこう大変だ。

※ 明日の「うにゅほとの生活」はお休みとなります



2015年11月29日(日)

東京から帰宅した俺を待っていたのは、大量の仕事だった。
それはいい。
織り込み済みで出立したのだ。
しかし、
「うへー……」
「××」
「?」
「ひっつかれると、仕事しにくいんだけど……」
「……だめ?」
そう言われると、弱い。
うにゅほに寂しい思いをさせたのは、俺の勝手な都合である。
さっさと仕事を終わらせて存分に構ってやりたいが、こちらはこちらで尋常な量ではない。
間を取って、うにゅほを構いながら仕事をする以外にないだろう。
「ほら、膝枕してやるから」
「えー……」
「嫌か?」
「ひざまくら、したい」
「いや、俺がしてもらったら、さすがに仕事できないからな」
「しかたないなあ……」
座椅子に座った俺の膝に、うにゅほが頭を乗せてきた。
「うへー」
「快適ですか」
「かいてきです」
「××は俺に定規を渡す係な」
「はい」
「──…………」
「──……」
「定規」
「はい」
「──…………」
「──……」
「雲形定規」
「はい」
「──…………」
「……うへー」
「楽しい?」
「たのしい」
それはよかった。
「じゃあ、色ペンも持っててくれな」
「はい」
共同作業で仕事をこなした。
いつもよりすこしだけ時間が掛かったけれど、楽しかったからいいや。



2015年11月30日(月)

今日は、愛犬の三回忌である。
愛犬の墓前にビーフジャーキーを供え、うにゅほとふたりでそっと手を合わせた。
「雪、解けてよかったな」
「うん」
「掘り出すの、大変だからな……」
いつだったか、ジョンバで雪を掘り起こしてから墓参りをした記憶がある。
「──それにしても、随分と立派になったもんだ」
苔むしかけた墓石を撫でる。
「おはか、かっこよくなったね」
「日陰だからかな」
無関係ではあるまい。
「ひ、あたんなくて、さむくないかな……」
生前の愛犬を思い返す。
「わりと、日陰から日陰へと移動する犬だった気がするけど」
「なつはそうだけど」
「立派な毛皮があるんだから、大丈夫じゃないか」
「そだね」
顔を見合わせ、苦笑する。
「……コロ、げんきかな」
「元気だと思う」
「わかるの?」
「たまに夢に出てくるからな」
「あ、わたしも、ゆめでてくる」
「元気だろ?」
「げんき」
「だから、きっと、大丈夫だ」
「……うん」
冷え切った墓石をぽんぽんと撫でて、立ち上がる。
「さて、散歩でも行きますか」
「うん!」
幽明の境を越えて愛犬が遊びに来ているだなんて、本気で思ってはいない。
死は死だし、夢は夢だ。
だけど、いつの日か、俺とうにゅほが死んだとき、二人と一匹でまた散歩をしたい。
それくらいのことは、願ったっていいだろう。
「──…………」
墓石は、なにも答えてはくれない。
だが、それでいいのだ。
俺が勝手に信じているのだから、それでいい。
「◯◯、さんぽ、いかないの?」
「……ああ、ごめん。いま行くよ」
ほんの何十年か、待っていてくれるだろうか。
待ての得意な犬だったから、きっと大丈夫だろう。
ふと、そんなことを考えたのだった。

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