>> 2015年09月




2015年9月1日(火)

部屋の隅から未開封のお部屋の消臭元が出てきたので、設置することにした。
「──…………」
「──……」
「これ、なんのにおい?」
「香りきらめくエッセンシャルアロマ、と書いてある」
「……なんのにおい?」
「エッセンシャルアロマ……」
具体的なことが一切わからなかった。
「ちょっと臭いな」
「くさい」
「なんか、トイレのにおいがする」
「えー?」
うにゅほが小首をかしげる。
「トイレ、と言うか、トイレの芳香剤のにおいかな」
「といれのしょうしゅうげん?」
「いや、お部屋の消臭元」
「おへやのしょうしゅうげんだから、といれにおいちゃだめだもんね……」
「そのあたりは個人の自由だと思うけど」
「……おいていいの?」
「でも、トイレにはもう炭の香りのやつが置いてあるからな」
「あー……」
うにゅほが肩を落とす。
「……ふたつ、だめ?」
「ふたつは駄目だろう」
「そっか……」
再び肩を落とす。
「……リビングにおいちゃだめかな」
どうしても自室に置いておきたくないらしい。
嫌われたものだ。
「こっそり置いたらバレなかったりして」
「こっそり……」
「ソファの裏とか」
「テーブルのした、とか?」
「そうそう」
「カーテンのとこ」
「いいな」
「テレビのうら!」
「それなら、母さんのパソコンの裏もいいぞ。あのあたり汚いからな」
「いいねー」
お部屋の消臭元の隠し場所について、うにゅほとふたりで語り合う。
なかなか楽しい。
「……でも、このにおいだと、すぐバレるかもしれないな」
「くさいもんね」
「もうすこし、なんとかならんもんかな……」
呟きながら、ろ紙の長さを調節する。
「あ」
「お」
「ちょっとくさくなくなった」
「本当だ」
「これならばれないかも……」
「……というか、このくらいのにおいなら、部屋に置いといてもいいんじゃないか?」
「あ、そか」
自己解決しました。
エッセンシャルアロマの香りの消臭元は、本棚の上に置かれることになった。
結局なんの香りなんだ、これ。



2015年9月2日(水)

「どわー!」
「ひー!」
尋常ではない大きさの雨粒が、尋常ではない密度で降りしきっている。
ミラジーノの運転席から玄関までの僅か数メートルを走り抜けただけで、あっという間に濡れねずみになってしまった。
「あめすごい……」
「ほんとだよ」
袖口がびしょびしょである。
「……××、透けてる」
「あ」
うにゅほが胸元を両手で隠す。
「これでいい?」
「いいけど、もうすこし恥ずかしがったほうがいいと思うぞ」
「──…………」
しばし思案し、
「……いやーん?」
「棒読みでそんなこと言われてもなあ」
俺しか見ていないのだから、いいっちゃいいのだけど。
「──あ、ワイパー立てるの忘れた」
理由はよくわからないが、駐車時にはワイパーを立てるのが習慣となっている。
「ちょっと行ってくる」
「うん」
こころなしか前傾姿勢で玄関を飛び出すと、ひときわ大粒の雨がヒヤリと首筋を叩いた。
「うへえ……」
背筋を濡らす驟雨に耐えながら、急いでワイパーを立てる。
かたん。
「あっ」
ブレードが外れてしまった。
慌てて取り付けようと試みるが、頭頂部に降り注いだ雨水が汗のように額を流れ落ちはじめた。
「だーもー!」
ブレードを持ったまま、いったん玄関へと避難することにした。
「◯◯、びしょびしょ……」
「……知ってる」
嫌というほど。
「これ、どうしようかな」
ワイパーブレードを両手でもてあそぶ。
「──…………」
つん。
うにゅほの胸元をブレードでつつく。
「隠すの忘れてる」
「あ」
「外では気をつけなきゃ駄目だぞ」
「わかってるよー」
「……いや、家でも気をつけなきゃ駄目だぞ」
「はーい」
家族とは言え、父親や弟にうにゅほの濡れ透けを見せるわけには行かない。
俺だって見ないようにしてるのに。
結局、ワイパーは雨がやんでから取り付けることにして、さっさと家に入った。



2015年9月3日(木)

「──…………」
「──……」
ぷち。
「いて」
「あ、ごめんなさい……」
「──…………」
「──……」
ぷち。
「いて」
「ごめん……」
「──…………」
「──……」
ぷち。
「痛いって」
「……ごめんなさい」
「何故スネ毛を抜く……」
「ぬけちゃう」
「引っ張るから抜けるんだよ」
「うん……」
「……自分にないから珍しいのか?」
「そう」
「だからって、触ってて気持ちのいいもんでもないと思うけど」
小動物のようなふわふわの毛ならともかく、三十男の剛毛である。
「◯◯、すねだけけーある」
「なんでかな」
胸毛も背毛も腹毛もなく、ヒゲすらあまり生えないのに、どうしてかスネだけ毛深い。
体毛の濃い父方の血がスネだけに発現したのだと思っている。
「そんなに気になるなら、自分の無駄、毛──」
「?」
頭の上から爪の先まで、うにゅほの全身を視線が一周する。
「……無駄毛、あるのか?」
「ゆびのここに、ちょびっとある」
「あるんだ」
差し出された手を覗き込む。
「……ないじゃん」
「あれ」
うにゅほが小首をかしげる。
「ぬいたっけ……」
「何度も抜いたら生えてこなくなるらしいぞ」
「ふうん」
あまり興味はなさそうだ。
「じゃあ、足の指は?」
「はい」
「こちょこちょ」
「うひ、うししし」
差し出された足の裏をこちょばしながら、指の付け根に視線を落とす。
「あ」
「あった?」
「細いのが一本だけ生えてる」
「どれ?」
ぷち。
「た!」
「ほら、これ」
抜いた指毛を吐息で飛ばす。
「あー……」
「処理しました」
「うん」
「なんだ、見たかったのか?」
「そうでもない」
そりゃそうだ。
女性の指毛はちょっと気になるので、見かけたら抜いておくことにしよう。
事後承諾で。



2015年9月4日(金)

百円ショップで新しい耳かきを購入した。
「──…………」
ぽんぽん。
ふんすふんすと鼻息荒いうにゅほが、自分の膝を叩いて示す。
耳掃除させろということらしい。
「……あんまり奥まで入れないでくれよ」
「はい」
眼鏡を外し、うにゅほのふとももに頭を乗せる。
慣れた感触だが、心地よさと満足感はいつまで経っても変わらない。
「い、いくよー……」
竹製の耳かきの先端が、ためらいがちに外耳道へと侵入してくる。
「ぐ」
こちょばい。
耳壁に触れないように入れるから、余計にくすぐったいのだ。
「……××、ちょっとそのへん掻いて」
「このへん?」
さりさり。
「そう、そこそこ」
これは、文句なしに気持ちいい。
爪が届くほど浅くないから新鮮な感触だし、かといって深すぎないから不安もない。
「あー、いいわあ……」
「でも、みみくそないよ」
「毎日ちゃんと掃除してるから、もともとないんだよ」
「ふうん……」
あ、不満そう。
「気持ちいいから、なんだっていいよ」
本音である。
「そか」
「そうそう」
「じゃー、はんたいがわ」
「はいはい」
くるりと反転し、うにゅほのおなかに顔をうずめる。
「ふー……」
「あつい、あつい」
うへーと笑う。
うにゅほは、こうして、服の上から吐息を吹き込まれるのが好きである。
「ぷー」
「あち!」
甚平の肩に熱がともる。
やり返されたようだ。
「耳かきしろよー」
「はーい」
掃除のし甲斐はなかったようだが、お互いに楽しかったのでよしとしよう。



2015年9月5日(土)

「……夏が終わってしまった」
「すずしくなったねえ」
「終わってしまった!」
「うん」
「──すまん!」
うにゅほに深々と頭を下げる。
「え、え、なに?」
「夏のあいだにどこか行こうって言ってたのに、結局どこにも行けなかった……」※1
「?」
しばし小首をかしげたあと、
「……あ!」
ようやく思い出してくれたようだった。
「忘れてた?」
「わすれてないよ」
「本当に?」
「……わすれてないよ?」
そもそも期待されていなかったらしい。
罪の意識は薄まったが、それはそれで悲しいものがある。
「雨の日が多かったり、車が使えなかったり、具合悪かったり、都合のいい日が取れなくてなあ……」
「そだねえ」
うんうんと頷く。
「──だが、今月は違う!」
ばん!
九月のカレンダーを叩く。
「十八日から二十三日──シルバーウィークのあいだ、父さんと母さんが長野へ旅行に出かける!」
「うん」
「つまり、車が自由に使えるわけだ」
「あっ」
気がついたようだ。
「シルバーウィーク、俺たちもどこか出かけよう」
「ほんと!」
「ああ、今度こそ本当だ」
二度も約束は破れない。
「観光地は混んでるだろうから、日帰りのドライブとかになると思うけど──」
「いいよ!」
うにゅほが笑顔で頷いた。
「デジカメもあるし、景色の綺麗なところがいいなあ」
「でじかめ、わたしとっていい?」
「もちろん」
「わあ!」
今度こそ、楽しみにしていてくれるだろう。
いずれか一日でいいから、快晴になりますように。

※1 2015年8月5日(水)参照



2015年9月6日(日)

「◯◯、てーかして」
「うん?」
手伝って、という意味ではなさそうだ。
うにゅほの眼前に右手を差し出すと、両手で軽く引っ張られた。
「なにかくか、あててね」
なるほど、そういう遊びか。
うにゅほが人差し指を俺の手のひらに──
「いひィ!」
思わず腰が浮いてしまった。
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
ああ、そうだ。
普段意識することはないが、俺は手のひらがとびきり敏感なのだった。
「ちょ、ま、××、手の甲にして、手の甲にして」
「こっち?」
「そう」
手の甲であれば、さほどでもない。
「じゃ、かくよー」
「はいはい」
「ひー、と」
二画の文字。
「人!」
「せーかい!」
突っ込まないぞ。
「もっと難しくても大丈夫」
「わかった」
ふんふんと鼻歌を漏らしながら、うにゅほが手の甲に文字を書いていく。
「──…………」
マルが多い。
韓国語?
まさか。
崩し字だろうか。
すくなくとも、一文字ではない。
「できた」
「うーん……」
しばし思案し、
「……小吉?」
「しょうきち?」
「ほら、おみくじの」
「ぶー」
正直、見当もつかなかった。
「──降参!」
「かった」
うへーと笑う。
「負けでいいから、答えは?」
「ころすけ」
「あー」
なるほど、マルが多く感じたのは、ひらがなだったためか。
「ころすけの、かお」
「……顔?」
「うん」
「わかるか!」
「ぶみ」
うにゅほのほっぺたを両手で挟み、うにうにとこねくり回す。
「むぃー」
「次、俺の番な」
「うん」
「次からは文字だけだからな」
「はい」
なんだかんだで一時間くらい遊んでしまった。
けっこう楽しい。



2015年9月7日(月)

「◯◯、これ、もう……」
「そうだな……」
自室の冷蔵庫の霜が、製氷皿まで取り込んで、上部の空間を侵食しつつあった。
「こないだ霜取りしたのになあ」※1
「すごいねえ……」
「やっぱ、夏だからかな」
「なつ、しも、すごくなるの?」
「高温多湿だと、霜がつきやすくなる」
「はー」
仕方がないので、再び霜取りをすることにした。
「××、バケツと雑巾」
「はい」
「俺は中身出しとくから」
「わかった」
一度やったことだから、互いに手際がわかっている。
コンセントからプラグを抜き、扇風機を設置し、あとはこまめにバケツの水を捨てるだけ。
「完璧だ」
「かんぺき」
「さ、ぬるくなる前にゼリー食おう」
「うん」
セブンの寒天ゼリーに舌鼓を打っていると、うにゅほが冷蔵庫を覗き込んだ。
「どした?」
「しも、なめたら、おいしいかな」
「……それ、俺も子供のとき考えたことあるわ」
「なめてみていい?」
「やめとけ」
「だめ?」
「たぶんだけど、腹壊すんじゃないかな……」
「ゆきとおなじ?」
「雪よりはマシなはずだよ」
溶けかけた霜を指先でなぞる。
「ただ、部屋の空気ごと凍ってるからな。ホコリが混じってる」
「それくらいなら……」
「……掃除したあと手を洗った水、飲みたいか?」
「──…………」
顔を青く染めたうにゅほが、ふるふると首を横に振った。
わかっていただけたようだ。
「白くて美味しそうなのは、まあ、わかる」
「うん……」
「臭くてまずいけどな」
「うん?」
うにゅほが小首をかしげる。
それ以上はなにも言わないことにして、寒天ゼリーを掻き込んだ。

※1 2015年7月24日(金)参照



2015年9月8日(火)

「──さぶッ!」
唐突に、全身が冷え切っていることに気がついた。
作業に集中しすぎていたらしい。
「××、窓閉めて、窓」
「さっきしめた……」
見ると、うにゅほも、丹前にくるまったまま震えている。
「……いま何度?」
「うと、じゅうきゅうど……」
「十九度ってこんなに寒かったっけ……」
「うん……」
冬でもいちおうストーブをつける室温ではある。
「××」
「?」
ぽんぽんと自分の膝を叩く。
「!」
丹前を脱いだうにゅほが寄ってきて、
「♪」
機嫌よく俺の膝の上に座った。
「はー……」
うにゅほを背後から抱きすくめる。
「あったかいねえ……」
「あったかいなあ……」
あと、やわらかくて、いいにおいがする。
ボキャブラリーが少ないように感じられるかもしれないが、他に表現のしようがない。
「◯◯、てーつめたいね」
「そうなんだよ」
冷え性の気があるうにゅほだが、いまは俺の手のほうが冷たいようだった。
「んー」
すりすり。
うにゅほが俺の右手を取り、両の手のひらで挟んでこする。
「あったかい?」
「あったけー……」
握ってくれるだけでも十二分に暖かいのだが、してくれるのならしてもらおう。
「次は左手」
「はい」
空いた右手でマウスを握る。
「なんか適当に動画でも見るか」
「さぎょう、いいの?」
「この状態でできると思うか?」
「あー」
「いいのいいの、休憩休憩」
その休憩が三時間に渡ろうとは、そのときの俺たちには知る由もなかったのである。



2015年9月9日(水)

「──……んが」
派手な物音で目が覚めた。
上体を起こし、眼鏡を掛ける。
「──……」
うにゅほが部屋の隅で固まっていた。
「どした?」
「びっくしした……」
「?」
「それ……」
うにゅほが指差したのは、派手にひっくり返された仕事机だった。
仕事机といっても、安っぽい折りたたみ机に座椅子を据え付けただけのものだけど。
「……どうしたんだ、これ」
「◯◯、けった……」
「蹴った?」
「うん」
言われてみれば右足の爪先がこころなしかじんじんしているような。
「これ、寝ながら蹴ったのか」
「うん……」
元の位置を鑑みるに、相当な威力で蹴り飛ばしたらしい。
「……うわあ」
自分が怖い。
「俺、寝相いいと思ってたんだけど……」
「いつもはいいよ」
「今日だけか」
「なんか、ゆめみた?」
「夢──……」
しばし記憶を探る。
「……あ、なんか見た、気がする」
「けるゆめ?」
「よく覚えてないけど、蹴ろうとする夢だったと思う……」
たしか。
「なに、けろうとしたの?」
「……父さん」
「え」
「なんか、許せないことがあって、父さんの尻を──」
「おしりはれちゃう……」
「……腫れちゃう威力だな、これは」
蹴ったとき近くにうにゅほがいなくて、本当によかった。
「とにかく、この、部屋中に散乱したクリップをなんとかしないと」
「そだね」
仕事机の上にゼムクリップの容器を置いたままにしてあったのだった。
つまるところ大惨事である。
五分ほどかけてふたりで掻き集めたが、これですべてとは思えない。
ああ、変な夢さえ見なければ……。



2015年9月10日(木)

「あー……」
長く苦しい戦いが、いま終わった。
「できたー……」
初期構想から二年、実際に書き始めるまで一年掛かった長編小説が、幾度もの中断を乗り越えて、いまようやく完成を見たのだった。
「──…………」
不思議と、あまり感慨はない。
小説を書き上げたときは、いつもそうだ。
「××ー……」
「はーい?」
「膝枕してくれ」
「うん」
重い頭をうにゅほの膝に乗せて、そっと目を閉じる。
「なんかあった?」
「まあ、うん」
「いやなこと?」
「いいこと」
「ふうん……」
前髪が優しく掻き上げられる。
「いいことー、いいことー」
「……いい子いい子?」
「そう」
「ちょっと寝ていいか」
「うん」
「三十分経ったら起こしてくれな」
「わかった」
いまはただ、熱く火照った脳を休ませてやりたかった。
最近はろくに外にも出ていなかったっけ。
うにゅほと一緒に出掛けようか。
ああ、そうだ。
シルバーウィークにどこ行くか、まだ決めてなかったっけ。
どこがいいかな。
一度行ったところのほうが、うにゅほも安心するだろうか。
景色もいいけど、美味しいものも食べたい。
前に友人と行った──
九月ならまだ──
最近はガソリンが安いから──……

「さんじゅっぷんたったよー」
「……えっ」
二、三分しか横になった気がしないのに、時計を見るとしっかり三十分経過している。
相当疲れていたらしい。
うにゅほに礼を言って起き上がると、えらくスッキリしていた。
膝枕効果である。
そうに違いない。



2015年9月11日(金)

脱稿して気分もよかったので、久方ぶりに本屋へ行くことにした。
「なんか新刊出てるといいな」
「うん」
愛車のミラジーノを駆って近所の本屋へ向かうと、平日であるにも関わらず駐車場がほぼ満杯だった。
「混んでるなあ」
「あ、あっこあいてる」
「どこ?」
「あっこ」
「あー……」
うにゅほが指差したのは、駐車場の隅の隅だった。
バックで駐車しなければ非常に出にくいという厄介な場所だ。
「××、人いないか見てて」
「はい」
幸いにして俺は、運転が得意でも下手でもない。
普通に車体を枠線に収め、駐車場の壁との距離をじりじりと詰めていく。
「たしか、みかべるの──」
口を開いた瞬間、

──ガリッ

嫌な音が車内に響いた。
「──…………」
「──……」
互いに顔を見合わせる。
壁まではまだ距離がある。
恐る恐る車を降り、車体の後部を確認すると、車止めの縁石が妙に高かった。
「ああ……」
やってしまった。
削れてしまった。
リアバンパーに白い線が引かれてしまった。
「……ま、いいか」
「いいの?」
「俺はどうでもいいけど、父さんは怒るかもなあ」
車好きだし。
「いいのかなあ……」
「しー」
唇の前に人差し指を立てる。
「しー?」
「そうそう」
「しー……」
あまり納得の行っていないご様子である。
「車洗うとき、父さんが気づいたら自首するから」
「ほんと?」
「ああ」
仕方あるまい。
どうか気づきませんように。



2015年9月12日(土)

両親が、十年選手だった掃除機をようやく買い換えた。
「わあ!」
「随分と小さいな」
サイクロン式の掃除機を撫でながら、うにゅほが溜め息まじりに言う。
「かわいいねえ……」
「そうか?」
「かわいいよー」
掃除機を可愛いと思ったことがないのでよくわからないが、小さくてまるっこいところがうにゅほの感性に響いたようだ。
「よし、せっかくだから掃除してみるか」
「うん!」
掃除機を手に自室へ戻る。
軽い。
これは取り回しが良さそうだ。
「すう?」
「吸う吸う」
「かしてかして」
「はいはい」
ふたりで順番に掃除機を掛けていると、
ことん、
と音がして何かが落ちた。
「──……?」
掃除機をオフにして、足元のそれを拾い上げる。
「あっ──」
二年前、誕生日プレゼントとしてうにゅほから贈られた、オーロラオーラのペンダントヘッドだった。※1
思わず首筋に手をやると、金具の壊れたチェーンが指先に引っ掛かった。
「──っぶねーッ!」
「すっちゃうとこだったねえ」
「違う違う!」
慌てて首を振る。
「これ、部屋のなかだったからよかったけど、外で壊れてたら完全に失くしてたって!」
「……あっ」
うにゅほが固まる。
事の重大さに気づいたようだ。
「××からの誕生日プレゼント失くしたら、一ヶ月はへこむわ……」
「あぶなかったね……」
「まあ、逆に言えば、いまここで壊れてくれてよかったよ」
チェーンなら、新しいものを買えば済むのだから。
「……わたしの、だいじょぶかな」
胸元を飾る琥珀のペンダントヘッドに触れながら、うにゅほが不安げに呟いた。
「確認しとくか」
「うん」
ペンダントを常に身に着けていると、こういった危険もある。
気をつけよう。

※1 2013年3月2日(土)参照



2015年9月13日(日)

無意識に胸元に手をやって、ペンダントがないことを思い出した。
「──…………」
ペンダントをいじるのが、なかば癖になっていたらしい。
「……なんか落ち着かないなあ」
「ちぇーんかいいく?」
「いや、もうネットで注文した」
「はやい」
「アクセサリー用のチェーンって、経験上、貴金属店行くと高いのしかないし、パワーストーン系の店行くとちゃっちいのしかないんだよな……」
「そうなんだ」
「まあ、店にもよるんだろうけどさ」
右手が胸元で空を切る。
「……落ち着かない」
「ちぇーん、ほかのないの?」
「いや、いちおうあるにはあるんだが──」
デスクの引き出しを開き、乱雑な中身を漁る。
「あった」
「ほそい!」
「スエッジだかなんだかって種類のチェーンだよ」
たしか。
「ほそいからだめなの?」
「いや」
「ちがうの?」
うにゅほが小首をかしげる。
「……まあ、見せたほうが早いな」
スエッジチェーンにペンダントヘッドを取り付け、装着する。
「あ」
「わかっただろ」
「ながい……」
「そう、長いんだよ」
金具の壊れたチェーンは50センチ。
対して、スエッジチェーンは60センチである。
具体的に言うと、ペンダントヘッドが乳首と乳首を結んだ直線上に来るくらい長い。
「逆に落ち着かない」
「うーん」
「だから、まあ、二、三日くらい素直に待つさ」
「そか……」
ペンダントを外し、チェーンを引き出しに仕舞う。
「どうしてものとき、いってね」
うにゅほが自分の首筋に手を掛ける。
「ちぇーんかすからね」
「……ああ、ありがとうな」
その気持ちだけで、もう、胸元が寂しくないのだった。



2015年9月14日(月)

それは、暇を持て余したいつもどおりの午後のことだった。
「──…………」
ぺら。
ページを繰る音と互いの息遣いだけが、静かな部屋に響いている。
平和だ。
実に平和だ。
「くぁ……」
チェアの背もたれに体重を預け、大あくびをかました瞬間、

── ド ン ッ !

轟音と共に、ディスプレイの映像が乱れた。
「!?」
一瞬にして視界が暗くなり、

──ジャッ!

熱した油に水をぶち撒けたような音と共に、窓の外が白く霞んだ。
「……◯◯、◯◯……」
うにゅほが俺の袖を引き、不安げに見上げる。
「……雷?」
「かみなり……」
近くに雷が落ちた。
それは、たぶん間違いない。
では、この、窓の外はなんだ。
スコール?
違う。
「霰だ」
「あられ……?」
「……はは、九月だぞ」
乾いた笑いが口から漏れる。
異常気象にも程がある。
九月の霰はすぐに解け、驟雨へと移り変わった。
しかし、雷は止まない。
「──…………」
下唇を噛みながら俺の腕にすがりつくうにゅほを膝の上に導き、そっと抱きしめる。
これはさすがにしょうがない。
俺だって、一瞬、世界の終わりかと思ったもの。
「最近の天気は、ほんと、心臓に悪いな……」
「うん……」
五分ほどよしよしとうにゅほを宥めていると、一瞬にして雨が引き、晴れ間がさした。
「……どういうこっちゃ」
竜の巣でも通り掛かったのか?
「××、もう大丈夫みたい」
「……ほんと?」
「たぶん」
「──…………」
ぎゅ。
まだ駄目か。
なんだかんだ言いつつも悪い気はしないので、しばらくそのまま抱き締められていた。



2015年9月15日(火)

ちょいと小腹が空いたときなどに、鳥のささみの燻製を食べることが多い。
低脂肪高タンパクでお馴染みのささみは、いくら食べてもまず太ることがないからだ。
難点があるとすれば、ふたつ。
ひとつは、売っている場所が限られること。
「──……ぶ」
もうひとつは、同じ商品であるにも関わらず、包装ごとの味のバラつきが異常に大きいということである。
「……××、これちょっと一口食べてみ」
「?」
はむ。
うにゅほが食べかけの燻製の端にかぶりつく。
「うぶ……」
そして、慌てて口元を押さえた。
「あじない」
「そう、味ないんだよ……」
これまでも、味が濃すぎたり薄すぎたりすることは多々あったが、まったくないのは初めてだった。
「まずい……」
「不味いんだよ……」
色も微妙に薄いし、本当に燻製液に漬けたのか疑わしいレベルである。
「……××、悪いけど、なんか味持ってきてくれない?」
「あじ」
「なんでもいいから」
「あじ……」
曖昧にもほどがある頼み方をしてしまったと気がついたのは、うにゅほがリビングへと向かったあとのことだった。
飲み込めないまま噛み続けている口のなかのささみが俺の判断力を奪っていたらしい。
しばしして、
「──はい!」
うにゅほが持ってきてくれたのは、マスタード&チョリソー風味のベビーチーズだった。
「おお、ありがとう!」
塩コショウでも十分だったのだが、これはこれで美味しそうだ。
「あぐ」
チーズを千切って口に入れ、ささみの燻製と同時に咀嚼する。
「──…………」
美味い。
美味いが、塩気が足りない。
ささみの物量にチーズが負けてしまっている。
「××、あと二個くらいチーズを……」
「はーい」
結局、低カロリーなんだか高カロリーなんだかよくわからないおやつになってしまった。
おのれ◯ニ食品。



2015年9月16日(水)

「ふー……」
バスタオルを首に掛けたまま、パソコンチェアに腰を下ろす。
窓から吹き込む涼風が、火照った肌に心地いい。
「──…………」
自室に戻ってきたうにゅほが、不意に俺の頭を撫でた。
「……?」
なでなで。
わしわし。
「なにやってんの?」
「ねぐせ……」
頭頂部に触れる。
うにゅほの言うとおり、不自然に髪の逆立っている箇所があった。
「××、これはもう寝癖じゃない」
「ちがうの?」
「言うなれば──、癖だ」
「くせ」
「だってこれもう髪切るまでずっと立ちっぱなしなんだぜ」
「うん」
俺の髪の硬さについては、うにゅほも既に熟知している。
「なにやってもなおんないもんね」
「本当にな……」
ドライヤー、×。
ヘアアイロン、×。
ワックス、×。
蒸しタオル、×。
もう、メタルスライムかよと。
「──…………」
なでなで。
わしわし。
「……いつまでやってんの?」
「いや?」
「嫌じゃないけど」
「ちくちくして、きもちい」
「さいですか……」
俺の頭なんかでよければ、好きなだけ撫でるといい。
あとで俺も、うにゅほの頭を、いいだけ撫でくりまわしてやろう。



2015年9月17日(木)

注文してあったペンダント用のチェーンが届いた。
「──…………」
「──……」
短かった。
「間違って、40センチの注文しちゃってたみたい……」
「つけれない?」
「どうだろ」
つけてみた。
「……俺の首周りって、ちょうど40センチくらいなんだな」
「うん……」
駄目だった。
「返品できるらしいけど、面倒だし、いいや。別の注文しよう」
「おいくらだったの?」
「二千円ちょっと」
「にせんえん……」
うにゅほが、むう、と唸る。
「にせんえん、おやすいの?」
「チェーンとしては普通くらいじゃないか」
「ふうん……」
「××のペンダントチェーンのほうが、ずっと高いぞ」
「そなの?」
「だって、金だからな」
「──……?」
小首をわずかに傾けたあと、
「……きん!?」
うにゅほの背筋がピンと伸びた。
「あれ、言ってなかったっけ」
「はじめてきいた!」
恐る恐るといった様子で、首筋のチェーンを指先でなぞる。
「……お、おいくら?」
「18Kの50センチだから、一万ちょっとくらいじゃないか」
「いちま!」
反応がいちいち面白い。
「ちぇーんだけでいちまんえん……」
「値段で言えばそうだけど、使ってなかったやつだしな」
俺、ゴールド似合わないし。
「はー……」
「──あ、送料込みで880円のチェーンがある。これにしよう」
「やすい!」
「ステンレスだって」
「◯◯、そのちぇーんでいいの?」
「安っぽくなきゃ、こだわりないよ」
「そうなんだ……」
「……べつに、自分は安物で我慢してるとか、そういうわけじゃないからな」
「うん」
うにゅほがこくりと頷く。
わかっているなら、よろしい。
「ステンレスとプラチナなんて、ほとんど見分けつかないし」
「そうなんだ」
「そんなもんだよ」
ステンレスチェーンをポチり、ページを閉じる。
早めに届いてくれればいいけど。



2015年9月18日(金)

「行ってらっしゃい」
「いってらっしゃーい」
長野へと旅行に出かける両親を送り出し、うにゅほと顔を見合わせた。
「……いっちゃった」
「ああ」
「さみしくなるねえ……」
「俺はそうでもないけど……」
弟もそうだろう。
「これが高校生くらいだったら、自由だ自由だってはしゃぎ回るんだろうけどなあ」
「おとうさんとおかあさん、いないと、うれしいの?」
「やっぱ、多少の解放感はあるからな」
「いまは?」
「たまにはいいか、くらい」
「ふうん……」
くい。
うにゅほが不安げに俺の袖を引く。
「ちゃんとかえってくるかな……」
「そのレベルの心配は、さすがに過剰だと思うぞ」
ジャングルの奥地や真冬の八甲田山へと向かったわけでもあるまいに。
「それより、いましかできないことを探そう」
「いましか?」
「そう」
「たとえば」
「──…………」
しばし思案し、
「……リビングで、なんかする?」
「なんか」
「あるいは、大音量で音楽を流すとか」
「あー」
「他には──……」
「ほかには?」
「……特にないな」
「えー」
そもそも、日常生活を送るに当たり、不自由を感じることがあまりない。
「多少、だらしない生活を送れる、とか……」
「うーん」
「ピンと来ないな」
「こない」
「いつでも遠慮なく車を使える──」
「いま(弟)がつかってる」
「──…………」
「──……」
「……今日の晩飯は?」
「まーぼなす」
「楽しみにしてるわ」
「うん」
特に盛り上がりもなく、比較的自由な日々が始まったのだった。



2015年9月19日(土)

「……はあ」
溜め息をつきながら上着を羽織る。
中学時代の友人と飲みに行くことになってしまった。
はっきり言って行きたくないのだが、付き合いというものがある。
「──…………」
「なるべく早く帰ってくるから……」
「うん……」
不安げなうにゅほの頬に手を添える。
「──おい、弟!」
「はいよ」
「俺が出てるあいだ、××が寂しくないようにしてくれ」
「寂しくないようにって……」
「リビングでスマホいじりながらテレビ見てるだけでいいから」
「そんなんでいいの?」
「ああ」
うにゅほを背後から抱きしめる。
「むしろ、変にコミュニケーション取ろうとしてセクハラされるほうが問題だ」
「……それはセクハラじゃないの?」
「ハラスメントじゃないだろ」
「まあ、そうか……」
「お前はやっちゃ駄目だぞ」
「するか!」
「××、弟にいたずらされたら言うんだぞ」
「せんわ!」
「まあ、冗談だけど」
「……半分くらい本気に聞こえたんだけど」
半分くらい本気だからな。
「──じゃあ、行ってきます」
「いってらっしゃい……」
「さっさと行け」
ふたりに見送られながら家を出た。

午後十一時半──
「ただいまー……」
玄関の扉を開くと、階上から足音が鳴り響いた。
「──おかえり!」
「おわ」
俺の胸に飛び込んできたうにゅほを、ぎゅーっと抱きしめる。
「寂しくなかったかー?」
「さびしくなかった!」
「……本当に?」
「ちょっとさびしかった」
弟は、しっかりと自分の仕事を果たしたらしい。
やれやれと部屋へと戻る弟に、不二家のポップキャンディを手渡す。
「なにこれ」
「おみやげだ」
「はあ……」
溜め息をつかれてしまった。
「……なんか、妙に疲れたよ」
「スマホいじりながらテレビ見てただけだろ」
「そうだけど、なんか疲れた……」
まあ、そんなものかもしれない。
ともあれ、無事に留守番が済んで、よかった。



2015年9月20日(日)

祖母のお見舞いへ行った帰り、コンビニでビーフジャーキーを買った。
自室でがじがじとビーフジャーキーを噛んでいると、
「……どくたーぺっぱーのみたいねえ」
と、うにゅほが言った。
「ハマったか」
「うん」
以前コストコで同時に購入して以来、うにゅほのなかでは、ビーフジャーキーと言えばドクターペッパーであるらしい。※1
「ドクペ、北海道ではなかなか売ってないからなあ」
「そなの?」
「コンビニで見たことないだろ」
「うん」
「まあ、一般受けする味じゃないってことなんだろうなあ」
「どくぺ、おいしいよ?」
「××も最初は駄目だったろ」
うにゅほが小首をかしげる。
「……そだっけ?」
「最初というか、最初の一口だけだけど」
「あー」
うんうんと頷く。
思い出したようだ。
「なんか、もっと、しょっぱいのかとおもった」
ペッパー=香辛料というイメージだったのだろう。
気持ちはわかる。
「ペッパーさんは人の名前だけどな」
「そなんだ」
「なんか由来とか調べたことあった気がするけど、あんまり覚えてない」
「そか」
興味なさそうだ。
「はー、どくたーぺっぱーのみたいねえ……」
あにあに。
「今度コストコ行ったときな」
「うん……」
かみかみ。
「──……あごいたい」
「一気に食べすぎ」
「いたいー」
「ほら、お茶で流し込みなさい」
「はい」
セブンイレブンのビーフジャーキーは、ちょっと硬い。
美味しいけど。

※1 2015年8月30日(日)参照



2015年9月21日(月)

しとしと、しとしと。
窓の外の景色が雨に煙っている。
「あめだねえ……」
「雨だな」
「きょうにしなくて、よかったね」
「ほんとだな」
本来であれば、今日、うにゅほと一緒に小旅行へと出かける予定だった。※1
予備日を取っておいて正解だ。
「あした、たのしみだねえ」
「ああ」
「ね、ね、どこいくの?」
「どこがいい?」
「決まってないの?」
「いちおう決めてはいるけど、行きたい場所があれば、そっち優先するぞ」
「うと……」
しばし思案し、
「……おもいつかない」
うへーと笑う。
だろうと思った。
「ま、宗谷岬とか言われても困るしな」
「そうやみさき?」
「北海道──というか、日本の最北端だな」
「あ、いきたい!」
「……本当に?」
にやりと笑みを浮かべてみせる。
「う?」
うにゅほが小首をかしげた。
「去年の十一月ごろ、増毛町に行ったのは覚えてるか?」※2
「おすしと、いくらどん?」
「そうそう」
「おぼえてる」
「あそこまで、だいたい百キロくらい」
「はー……」
「片道二時間半くらいかかったよな」
「うん、つかれた」
「宗谷岬は三百キロ」
「──…………」
うにゅほが絶句する。
「……ほっかいどう、ひろすぎる」
「本当だよな……」
うんうんと頷き合う。
「ま、今回も、片道百キロくらいで考えてるから」
「そか」
「夕方には帰る腹積もり」
「たのしみ」
うへーと笑う。
明日こそは晴れてほしいものである。

※1 2015年9月5日(土)参照
※2 2014年11月12日(水)参照



2015年9月22日(火)

「──晴れた!」
「わー!」
うにゅほとハイタッチを交わす。
「よし、九時には出るぞ。準備しろ!」
「はーい!」
外出用のポシェットを肩に提げながら、うにゅほが尋ねた。
「ね、どこいくの?」
「ニセコだよ」
「にせこ」
「ニセコの牧場に、ソフトクリームを食べに行くんだ」
小樽、余市を経由し、国道5号線に沿ってひたすら南下していくと、二時間ほどで左手に富士山に似た山が見えてくる。
「ほら、あれが羊蹄山だ」
「ようていざん?」
「あー、頂上に雲かかってるな……」
「しゃしんとっていい?」
「おう、撮れ撮れ」
ウインカーを出し、停車する。
うにゅほは、友人から貰ったデジカメがお気に入りらしく、適当な被写体を見つけては、事あるごとにシャッターを切っていた。
「ぼくじょう、とおいねえ」
「そろそろだと思うけど……」
ニセコの高橋牧場に辿り着いたのは、十二時ちょうどのことだった。
「うあー……」
周辺をぐるりと見渡し、うにゅほが俺の袖を引いた。
「こんでる……」
「シルバーウィークだからなあ」
混んでいるのは予想していたが、ソフトクリームを買うのに十分以上も並ぶとは思わなかった。
「うへー」
純白のソフトクリームを片手に、うにゅほが期待に満ちた笑みを浮かべる。
「いっせーのーで、ね」
「いっせーのーで?」
「いっせーのーで、で、たべる」
「はいはい」
よくわからないが、それくらいならいくらでも付き合おう。
「──いっせーのー、で!」
うにゅほの合図と共に、自分のソフトクリームにかぶりつく。
「あ、美味い」
「ほいひいねえ!」
「さすが、牧場のソフトクリームって感じだな」
「うん!」
普通のソフトクリームより甘さは控えめなのに、コクが強く、後味がさっぱりしている。
「シュークリームも食べるか」
「たべる!」
「チーズケーキも売ってるから、これはおみやげにしよう」
「そだね」
干し草のロールベールや農業機械などをパシャパシャと撮影し、高橋牧場を後にした。
帰り際、
「──あ、ようていざん!」
「おー、雲、晴れてるじゃん」
「しゃしんとっていい?」
「ああ」
道路の端に停車し、車を下りる。
ミラジーノのボンネットに寄り掛かりながら、尋ねた。
「……来てよかったか?」
パシャパシャと羊蹄山を撮影しながら、うにゅほが答えた。
「うん!」
なら、よかった。
ちなみに、うにゅほの撮影した写真は、デジカメの設定が悪かったのか、ほとんどが真っ白でなにも写っていなかった。
うにゅほががっかりしていたが、有意義な一日であったことに変わりはない。
今度は、デジカメの設定を確かめて、紅葉の綺麗な場所にでも赴くことにしよう。



2015年9月23日(水)

両親が旅行から帰宅した。
おみやげの小布施堂の栗鹿の子をふたりでつついていると、母親が尋ねてきた。
「留守中、変わったことなかった?」
うにゅほと顔を見合わせる。
「なかったよなあ」
「うん」
「それならいいけど……」
いくらかは心配してくれていたらしい。
「××がいたから、食事面でも困らなかったし」
「うへー……」
うにゅほが照れる。
「××も、もう、一人前ねえ」
「そうだなー」
「うへえー……」
うにゅほが、両手でほっぺたを包み、くねくねする。
とても照れているらしい。
「どこにお嫁に出しても恥ずかしくないわねー」
「──…………」
ぴた。
うにゅほの動きが止まる。
「およめ……」
そして、不安げな瞳で俺を見上げた。
「あー、いらんいらん。お嫁になんて行かなくていいぞ」
「ほんと?」
「ずっとうちにいなさい」
「はい」
こくりと頷く。
母親が、苦笑しながら言った。
「……◯◯、責任取って××を養いなさいよ」
「はいはい」
そのつもりだ。
誰が嫁になんて出すものか。
「──…………」
「──……」
うにゅほと目が合った。
「……うへー」
にへら、と笑う。
その笑顔が可愛かったので、うにゅほの頭を撫でくりまわしてやった。



2015年9月24日(木)

「ぶー……」
鼻が詰まっている。
頭が重い。
肩が痛いし、目の奥も痛い。
「風邪っぽい……」
「……だいじょぶ?」
額にちいさな手が添えられる。
「ねつは──ある、ような、ないような……」
「……あっても微熱だろ」
そんな感じがする。
伊達に病気慣れはしていない。
「ま、季節の変わり目の軽い風邪だ。寝てれば治る」
「そか……」
うにゅほが、ほっと、表情を和らげる。
「あ、ますく」
「悪いけど、持ってきてくれるか」
「うん」
軽い風邪とはいえ、家族に伝染しては事である。
「はいこれ」
「……ありがとう」
うにゅほが持ってきてくれた使い捨てのサージカルマスクを装着し、マットレスの上で横になった。
「あいますく、いる?」
「いる……」
そこらに落ちていた愛用のアイマスクを拾い上げ、うにゅほがこちらへとにじり寄る。
「つけてあげる」
「いや──まあ、うん、好きにしてくれ」
目蓋を閉じたまま、頭をすこし持ち上げる。
ごそごそ。
「できた」
「──…………」
上下逆のような気がする。
でも、アイマスクの用途は完全に満たしているので、問題ないと言えば問題ない。
細かいことを気にしている余裕がないとも言える。
「……じゃ、寝るから」
「おやすみなさい」
「おやすみ」
うにゅほが部屋を後にするのと音で確認し、アイマスクの位置をすこし直してから、ゆっくりと眠りについた。
起きたら風邪はよくなっていた。



2015年9月25日(金)

「◯◯、ざらめせんべいあった」
「食べる食べる」
「はい」
うにゅほからせんべいを一枚受け取り、包装を破る。
ザラメせんべいは、けっこう好きだ。
「いただきます」
「あ、わたしも」
「はいはい」
「いっせーのーで!」
うにゅほの合図に合わせ、ザラメせんべいに齧りつく。
ぱり。
「──……?」
かりかり。
「……甘くない?」
なんだか妙な風味だった。
「しょっぱい……?」
「いや、甘い。すっぱい。なんだこれ」
上半分を破り捨てた包装に目を落とす。
「梅ザラメ……」
「うめざらめ」
「甘じょっぱいものに更にすっぱいものを足しやがった!」
そりゃあ味覚も混乱するってものである。
「うと、あまじょっぱすっぱい?」
「甘じょっぱすっぱい、だな」
「はー……」
ぱり。
うにゅほがふたくちめを食べる。
「──すっぱ、あま、じょっぱい。すっぱい。うん」
うんうんと頷く。
「……美味いか?」
「おいし、く、は……ない?」
「美味しくないよなあ」
食べられないほど不味くもないが、普通のザラメせんべいを期待した舌にはそぐわない。
「……これ、コーヒーと一緒に食べたらどうなるかな」
「あま、じょっぱ、すっぱ、にがい?」
「うん」
「はー……」
うにゅほが目を白黒させる。
「まあ、コーヒーはないんだけど」
「あ、いちみとうがらし、かける?」
「甘じょっぱすっぱ辛いのか……」
それはなんか想像できるな。
「……まあ、食べものをおもちゃにするのもな」
「そだね」
あまり美味しくない梅ザラメせんべいを適当にたいらげたあと、口直しにかりんとうを食べた。
牛乳と一緒に食べるかりんとうは、美味い。



2015年9月26日(土)

「──…………」
布団のなかからもそもそと手を伸ばし、携帯で時刻を確認する。
午後二時半。
かすかに重い頭を持て余しながら、ゆっくりと上体を起こす。
「あ、おきた」
「……おはようございます」
「おはようございます」
ぺこり。
「かぜ、だいじょぶ?」
「風邪ってほどじゃないと思うんだけど……」
事実、一昨日ほど体調は悪くない。※1
「……でも、いくらでも寝れるってことは、そういうことなのかもな」
「おだいじにしなくちゃだめだよ」
うにゅほが俺の肩を押し、再び横にさせる。
「──……あふぁ」
あくびがひとつ。
「でっかいくちだねえ」
くすくすとうにゅほが笑い声をこぼす。
「××の拳くらいなら、全部入ると思うぞ」
「おー」
「××の手、ちっちゃいからな」
「うーん」
うにゅほが握り拳を作って、言った。
「やっていい?」
「……駄目」
「えー」
「手、べっとべとになるぞ」
「うん」
「いや、うんじゃなくて……」
あ、わくわくしてる。
本気だ。
「……ほら、ばっちいし」
「てーあらってくる?」
「いや、口が、ほら、ばっちいだろ」
「そかな」
「そうそう」
「そんなのべつに──」
「ほら、あご外れたら困るし!」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
ようやっと納得してくれたようだ。
「やってみたかったなー……」
「何故そこまで」
「◯◯のくち、あったかそう」
「そんな理由で……」
うにゅほ、恐ろしい子。
風邪っぽさはいつの間にか失せていたが、油断はできない。
しばらくは気をつけて生活しよう。

※1 2015年9月24日(木)参照



2015年9月27日(日)

「ああ、日曜が終わっていく……」
「そだね」
「××はあんまり関係ないか」
「うん」
「蒟蒻畑食べる?」
「たべる」
「ぶどうとマスカット、どっちがいい」
「うと、ぶどう」
「ララクラッシュも美味いけど、俺は普通のほうがいいかな」
「わたしも」
「××、ずーっと口のなかで転がしてるの好きだよな」
「おいしい」
「まあ、なんか、気持ちはわかる」
「ゼリーすき」
「セブンの寒天ゼリー、買ってこないとなあ」
「みかんあじ、さいきんみないね」
「りんご味が出たせいで押し出されたんだろうけど、あれ不味いよな」
「なんか、にがい」
「ぶどう味はぶどう味で、薄いし」
「うん」
「牛乳寒天はどうしようかな」
「たべたいねえ」
「ついでに買ってこよう」
「ダイエットは?」
「あれ、ひとつ80kcalだし……」
「◯◯、あったらあるだけたべちゃうから……」
「反省してます」
「よろしい」
「ダイエットで食事制限してると、体調がいいんだよな」
「ぎゃくじゃないの?」
「いや、食べないほうが気分いいんだよ」
「おなかへらないの?」
「いや、減るんだけど、なんて言ったらいいのかな……」
「へんなの」
「普段から暴飲暴食してるってわけでもないんだけどなあ」
「でも、たべないとしぬ」
「それはそうなんだけど」
「きょくたんはだめだよ」
「……そうだな」
「なんかたべる」
「ビーフジャーキーでも買おうかな」
「びーふじゃーきー、たかい……」
「じゃあ、コストコ行ったとき買おう」
「あ、どくたーぺっぱー」
「一緒に買おうな」
「いついくの?」
「……俺、コストコの会員じゃないんだよな」
「おかあさん、かいいんだよ」
「じゃ、母さん行くときだな」
「うん」
こんな感じにだらけた一日だった。



2015年9月28日(月)

「♪~」
「──……?」
マットレスに寄り掛かって読書をしていると、うにゅほが俺の右手で遊びはじめた。
ぱき。
ぺき。
自分の指は痛いから、俺の指を鳴らすのが楽しいらしい。
「人差し指は痛いから駄目な」
「はーい」
ぱき。
ぽき。
「ね、なによんでるの?」
「えーと、グレッグ・イーガンのディアスポラ」
「おもしろい?」
「わからん」
「わからないの?」
「面白いかどうか以前に、意味がわからん……」
「……おもしろい?」
「まあ、そこそこ」
まだ一割も読了していないけれど。
「ハードSFは、ほんと、わけわからんな」
「ふうん……」
ぺき。
「あ」
うにゅほが声を上げる。
「ひとさしゆび、つめながい!」
「どれ」
言われて右手を見ると、たしかに人差し指の爪だけが伸びていた。
「◯◯、ここだけせいちょうそくどが」
「いや、切り忘れたんじゃないかな」
「あ、そか……」
残念そうに頷き、立ち上がる。
「つめきっていい?」
「いいけど、深爪しないように頼む」
「はーい」
うにゅほに爪を切ってもらいながら読書をするという、贅沢なんだかなんなんだかわからない時間を過ごした。
左手の爪は、自分で切った。



2015年9月29日(火)

遠雷。
「──…………」
また、遠雷。
「……かみなり、すごいねえ」
「ああ」
「さいきん、かみなり、おおいねえ」
「異常気象かな」
ぺら。
文庫本のページを繰る。
「ちゃんと隠しとかないと、雷様にへそ取られるぞ」
「へそ?」
うにゅほが両手でおなかを押さえる。
「なんか、きいたことある」
「昔からの言い伝えだな」
「へそ、とられたら、つるつるになるの?」
「……どうだろ」
「えぐられるの?」
「でべそなら、まあ、わかるけどな」
「でべそ……」
うにゅほが小首をかしげる。
「みたことない」
「俺もないなあ」
「ジャイアン、でべそ」
「でべその場合は、治るってことなのかな」
「さあー……」
「治るなら──」
そこまで口にしたときのことだった。

──カッ!

一瞬、視界が真っ白に染まり、

ドォン──……

数秒後、轟音と共に家が揺れた。

「ぴ!」
「うわ、近いな」
音は秒速340mだから、およそ1キロ先に雷が落ちた計算になる。
「なに、なに!」
うにゅほが俺の首根っこにしがみついた。
「だいじょぶ? だいじょぶ!?」
混乱している。
「だいほうふだって」
「……ほんと?」
「本当、本当」
この距離なら、たとえ火事が起きたとしても延焼はすまい。
うにゅほの頭を撫で、膝に導く。
「とにかく、落ち着きなさい」
「うん……」
膝の上のうにゅほがちいさく膝を抱える。
しばらくのあいだ、遠雷の音は鳴り止まなかった。



2015年9月30日(水)

「──…………」
闇に没した天井を、ぼやけた瞳で見つめ続ける。
「……くあ」
生あくび。
眠い。
だが、眠れない。
携帯で時刻を確認する。
午前四時二十分。
かれこれ二時間以上は布団のなかで悶々としていることになる。
「……あふ」
また、生あくび。
あくびばかりが出ていくが、目はギンギンに冴えている。
「──…………」
「……すう」
耳をそばだてると、うにゅほの寝息が聞こえてきた。
安眠である。
「はあ……」
なんとまあ、羨ましい。
上体を起こし、眼鏡を掛ける。
仕方ない、眠くなるまでネットでもしていよう。
ぎ。
俺の体重を受けたチェアが、ちいさく軋む。
「……ん」
うにゅほが声を上げた。
起こしてしまっただろうか。
「ん、んー……」
もぞもぞ。
「──……すう」
ディスプレイの脇からうにゅほの寝姿を覗くと、ちょうど寝返りを終えたところだった。
よかった。
俺の不眠にうにゅほを巻き込んでは、さすがに悪い。
「──…………」
だが、こうまで安眠の様子を見せつけられると、なんだかいたずらしたくなってくる。
しばし頭をひねったあと、携帯のアラームを六時にセットしておくことにした。
うにゅほの体内時計は強靭で、なにがあろうと午前六時前後には起床する。
実害なく、ちょっとだけ驚かせることができるだろう。
「……ふふ」
うにゅほの枕元に携帯をそっと置き、ほくそ笑む。
そして、五時過ぎにようやく就寝した俺は、午前六時を告げる携帯のアラームに叩き起こされたのだった。
馬鹿なのか。

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