>> 2015年07月




2015年7月1日(水)

「──……××」
「?」
「腹筋、しちゃ駄目?」
「だめ!」
怒られてしまった。
「しじちゅしたばっかでしょ!」
言えてない。
「ふくあつ、を、つよくかけないようにって、かみにかいてる」
「うん……」
わかってはいるのだが、運動不足が気になってしまうのだ。
「ほら、ここんとこ雨続きでウォーキングもジョギングもできてないし……」
「そだけど」
「習慣が途切れそうで怖い、というか」
イチかゼロかで中間のない俺は、やるとなったらとことんやるが、やらないとなればまったくやらなくなってしまう。
日課になりかけていたものを手放すのが惜しかった。
「でも、だめだよ」
うにゅほが俺の頭を撫でる。
「むりは、だめ」
「……そうだな」
反省すべきだろう。
「──よし、だらだらするぞ!」
「だらだらなら、いいよ」
「××、膝を貸せ!」
うにゅほが、苦笑を浮かべながらソファに腰を下ろし、ぽんぽんとふとももを叩いた。
「はい」
母性を感じる。
膝枕をしてもらいながら、思った。
「駄目になりそうだなあ……」
「だめ?」
「このまま××に甘え続けて、だらしなーくなってしまいそう」
「だめでもいいよ?」
「──…………」
とっくに駄目にされているような気がした初夏の午後だった。



2015年7月2日(木)

「お」
のんべんだらりとネットを閲覧していたところ、不意にあるものを見つけた。
「××、××、いいもの見つけた」
「いいもの?」
「学研の電子書籍ストアで、まんがでよくわかるシリーズが無料配信されてる」
「でんししょせき……」
「iPadで読めるってこと」
「へえー」
うにゅほがうんうんと頷く。
感動が足りない。
まあ、もともと図書館で借りて読んでいるのだから、そんなものか。
「こないだ借りられてた3Dプリンターのひみつもあるぞ」
「あ、みたい」
「ちょっと待ってな」
会員登録を行い、ビューアをインストールし、電子書籍をダウンロードする。
「ほら、これで見れる」
「ほんとだ!」
興味津々といった様子で、うにゅほがiPadを操作する。
kindleなどはよく利用しているが、いずれも小説や専門書ばかりであったため、漫画は物珍しいのだろう。
ブラウザでストアの無料配信コーナーを眺めていると、
「あ、あさりよしとおのまんがサイエンス無料お試し版がある!」
「あさり、よ、とう?」
「カールビンソンの人だよ」
「あー」
「これ、どこの古本屋探しても見つからなかったんだよなあ……」
いい時代になったものだ。
「よんでみたいな」
「カートに入れとこう」
「おもしろかったら、かう?」
「ちょっと待って」
軽く検索をかける。
「うん、kindleのが安い。買うならkindleだな」
「きんどる」
「気にしなくていいよ。普通に読むぶんには、なめこデラックスとなめこネオ程度の差もないから」※1
「ふうん……」
電子書籍もだんだんと浸透してきたなあ。
最初の敷居さえ越えてしまえば、これほど手軽で便利なものもあるまい。
個人的には、まだ、実物の書籍のほうが好ましいけれど。

※1 2015年6月4日(木)参照



2015年7月3日(金)

豆腐で作るヘルシーなチョコアイスのレシピを見かけたので、試しに作ってみることにした。
「おとうふ?」
「そう」
「へえー」
興味津々といった様子で、うにゅほが瞳を輝かせる。
「どうするの?」
「まず──」
冷蔵庫にあったおぼろ豆腐をボウルに空け、ココアパウダーを加えて泡立て器で掻き混ぜる。
「んに、い、い、い!」
かしゃかしゃかしゃかしゃ。
「……やっぱ、完全には混ざらないなあ」
「ふひー……」
「素直にミキサー使うか」
「うん」
最初からそうすればよかった。
台所の奥からミキサーを引っ張り出し、完成したアイスのタネにパルスイートを混ぜて味を調整する。
「××、ちょっと舐めてみ」
「うぶ」
指先でタネをすくい取り、うにゅほの口に突っ込んだ。
「う」
「どうだ?」
「まめまめしい……」
「凍らせたらマシになるかな」
「うーん……」

数時間後──

「うわ、ガチガチに凍ってる」
ちゃんと豆腐の水を切らなかったためだろう。
ステンレス製のスプーンで表面をガリガリと削り取り、口に入れる。
「あ、美味い」
「ほんと?」
「ほら」
ぱく。
「……うーん?」
「駄目か」
「とうにゅうのアイス、みたい」
「××、まめまめしいの苦手だからなあ」
苦笑しながらアイスを食べ進めていく。
「でも、これで反省点が見えたな」
「はんせいてん?」
「まず、ちゃんと水を切ること。
 それだけで豆腐っぽさはいくらか軽減されるはずだし、こんなに硬くもならない」
「なるほど……」
「あと、レモン汁か何か加えたら、もうすこしマシになるかも」
「なるかな」
「試してみないとな」
明日、もう一度作ってみようと思った。



2015年7月4日(土)

「改善点、その一!」
「そのいーち」
「豆腐の水をよく切り、レモン汁を少量入れる!」
以上により、豆腐臭さの低減、及びアイスの硬さを改善することができた。
「改善点、その二!」
「そのにー」
「卵黄を加える!」
以上により、豆腐アイスの長所である、ねっとりとした舌触りが更に強まった。
「改善点、その三!」
「そのさーん」
「砕いたクルミ、ピーナッツ、チョコチップを混ぜる!」
以上により、食感にアクセントを加え、かつ高級感を演出できた。
「改善点、その四!」
「そのよん」
「製氷皿を使う!」
以上により、小分けにして食べやすくなった。
「そして、完成したものがこちらになります」
「わあー」
ピノにも似たサイズの豆腐アイスに爪楊枝を刺し、うにゅほの口元に運ぶ。
「あーん」
「あー」
しゃく。
「……おいしい!」
「どれどれ」
半分になったアイスを口に放り込む。
「お、これは成功だな」
もうすこしレシピを調整すれば、店売りの高めのアイスにも手が届くだろう。
出来に満足しながらアイスを食べ進めていると、
「これ、へるしーなの?」
俺の手が止まった。
もともとは、豆腐で作るヘルシーなチョコアイス──ではなかったか?
「……方向性を見失っていた!」
原材料が豆腐であろうと無関係に高カロリーである。
「あ、でも、おいしいから、ね」
「それだけが救いだよ……」
読者諸兄も是非試してみてほしい。
カロリー高くなっちゃったけど。



2015年7月5日(日)

「××、なんか食べるものない?」
「だいず、ゆでたのあるよ」
「……それしかないの?」
「カップめんとかはあるけど……」
「うーん、おやつにカップめん食べるほど不摂生じゃないからなあ……」
仕方がない。
冷蔵庫から、タッパーに収められた大豆を取り出した。
「××、小皿取って」
「はーい」
「××も爪楊枝いる?」
「いるー」
小皿に振った塩をちょんちょんとつけて、大豆を口に放り込む。
「ちょっと茹で過ぎだな」
「そだね」
まあ、美味いけど。
「三日連続で大豆かー」
「とうふアイス、おいしかったね」
「あれ、ヘルシーさを損なわないようにして、もっと美味しくできないもんかね」
「うと──」
うにゅほが思案し、
「とうにゅうココアつかう……」
「あー、あれ凍らせたら美味しそうだよなあ」
「うん」
たぶん、あずきバー並みのモース硬度でカッチカチに凍りつくと思うけど。
「この大豆も、なんか美味しい食べ方ないかな。塩以外でさ」
「さとう?」
「砂糖は──……うん、やめとこう」
味が想像できるし。
「料理のさしすせそで行くと、次は酢だな」
「すー?」
「……ま、酢はないな」
「しょうゆ」
「醤油は、まあ、ありかな」
「みそ」
「味噌……」
味噌も大豆だから、合わないことはないと思うけど。
「あ」
なにかを思いついたように、うにゅほが声を上げた。
「さとうじょうゆは?」
「お、いいじゃん」
というわけで、茹で大豆を砂糖醤油でいただいた。
正直アリだった。



2015年7月6日(月)

「──……、う」
アイマスクを外し、枕元のiPhoneで時刻を確認する。
午後一時半。
「あ、おきた」
「起きた……」
「おはよう」
「おはよ」
二度目の朝の挨拶を交わし、立ち上がる。
「……なんか、変な癖ついちゃったな」
「へんなくせ?」
「ほら、六時くらいに起きて、十時くらいに二度寝して、一時くらいにまた起きる……」
トータルで言うと寝不足気味である。
「わたし、うれしいけどな」
「……なんで?」
「おきたら、◯◯もおきてるから」
うへー、と笑う。
「──…………」
すこし照れくさい。
「でも、あんまり健全な生活サイクルとは言えないぞ」
「それは、うん……」
「……そもそも、長時間寝ていられないんだよなあ」
俺は、睡眠障害を持っている。
睡眠への導入は問題ないのだが、継続が難しい。
「その点、××は健康的だな」
「うん」
うにゅほは、午後十一時過ぎに寝て、午前六時きっかりに目を覚ます。
理想的な生活サイクルだ。
「◯◯も、いっしょにねたらいいのに」
「……十一時には、さすがに寝られないなあ」
先週の入院でも、寝入るまでに随分と時間がかかったし。※1
「宵っ張りなのは、なかなか変えられないよ」
「そか……」
残念そうに目を伏せる。
「まあ、多少眠くても昼寝はしないようにする」
「うん」
「昼寝すると、夜眠れなくなるからな」
「そだね」
明日は、月に一度の通院日である。
薬、変えてもらおうかなあ。

※1 2015年6月29日(月)参照



2015年7月7日(火)

「ねぐせー」
「ああ、うん……」
案の定直らない寝癖を右手で撫でつけていると、ふと違和感を覚えた。
「……この寝癖、ねじれてないか?」
「ねじ?」
「ちょっと見てみて」
「うん」
うにゅほが俺の頭部を覗き込む。
「あ、ねじねじしてる」
「ねじねじ?」
「うん」
「どう寝たら寝癖がねじれるんだ」
「さあー」
びよんびよんと髪先を引っ張られながら、思案する。
「……回転しながら寝る?」
「ちがうとおもう」
「俺もそう思う」
ねじれた状態で枕に押しつけられれば再現できるかもしれないが、俺は短髪である。
長さが足りない、気がする。
「あ」
唐突にうにゅほが声を上げた。
「どした?」
「わかった」
「わかったのか」
「うん」
つん。
うにゅほが俺の頭部をつつく。
「ここ、つむじ」
「つむじって、……つむじ?」
「うん」
「つむじに寝癖が立ってるってこと?」
「そう」
「はー、なるほど」
そういうこともあるのか。
「あはは、へんなねぐせー」
びよんびよん。
「変な寝癖はいいけど、直さないと病院行けないよ」
「ぼうしかぶる?」
「それは最終手段」
結局、あっさりと最終手段を選択することと相成った。
強靭な寝癖に対する有効な対策が求められている。



2015年7月8日(水)

めくり忘れていたカレンダーをめくると、海のイラストが現れた。
「夏だなー」
「うん」
「あんま夏っぽくないよな」
「うん……」
暑い日があったかと思えば午後から小雨が降り、蒸したかと思えば北風が吹き荒れる。
この地が夏を追い返そうとしているかのようだ。
「窓を開ければ寒くて、窓を閉めると暑い……」
「アイスたべる?」
「閉めとこう」
チョコレートアイスバーをかじりながら、マウスを操作する。
「にっき?」
「去年の今頃もこんな感じだったかなーと思って」
「あ、きになる」
「えーと、去年の今日は──」
マウスホイールを回し、目当ての7月8日を探す。※1
「なんか、地震があったみたいだ」
「じしん?」
「そのせいで××が転んで、俺の腰に尻もちをついた、らしい」
「あはー……」
うにゅほが苦笑を浮かべる。
思い出したようだ。
「あの、ほか、ほかのひは?」
「次?」
「うん、きょねんのあした」
「7月9日は──」※2
黙読する。
「……××のおでこにシールを貼って、怒られてる」
「あー!」
「覚えてた?」
「おぼえてる!」
うにゅほが俺の肩をぺしぺしと叩く。
怒りが舞い戻ってきたらしい。
「ごめんって」
「もうしない?」
「もうしない、もうしない」
去年も同じように怒られた気がする。
損をした気分だ。
「もー……」
「××、牛みたい」
「もー?」
「もー」
「うへへ、もー」
「なんか、牧場のソフトクリーム食べたくなったな」
「アイスたべてるのに」
「いや、いまじゃなくていいんだけど」
「あ、ジェラートやさんいきたい」
「そっちもいいなあ」
もうすこし暑くなったら、両方行こう。
アイスを美味しく食べられるのは、夏の特権なのだから。

※1 2014年7月8日(火)参照
※2 2014年7月9日(水)参照



2015年7月9日(木)

「──…………」
風呂上がり、窓際で夕涼みをしていると、うにゅほが隣に腰を下ろした。
「すずしいねえ」
「ちょっと寒いかな」
「◯◯、チーズたべる?」
そっと差し出した右手に、ベビーチーズがふたつ乗せられていた。
「さんきゅー」
あまり見覚えのない銘柄のチーズを取り、包装を破る。
「……ん?」
チーズの色がおかしい。
「薄紫……」
「え、それチーズ?」
「××が持ってきたんだろ」
「そだけど……」
剥がしかけていたアルミ包装に視線を落とす。
「……梅しそ味」
「う」
「こんなチーズ売ってるんだな……」
不味そう、というか、確実に不味いことが、オーラとなって見えそうになっている。
「おとうさんにあげてくる?」
犬か。
父親の酒のつまみなんだろうけどさ。
「いや、一応ひとくちだけ……」
匂いを嗅ぐ。
梅というよりシソが強い。
舐めてみる。
よくわからない。
カドの部分をちょっぴりかじり──
「うぺ!」
梅とシソと乳臭さが渾然一体となって口内に広がっていく。
「が! がッ! 駄目だ駄目だ駄目だ!」
慌てて立ち上がり、机の上にあった烏龍茶で梅しそチーズを流し込む。
「だめかー……」
「……これは、ひどい」
好きな人は好きなのかもしれないが、俺にはとことん合わないようだ。
「じゃ、おとうさんにあげてくるね」
「××は食べないのか?」
「いらない」
即答されてしまった。
まあ、うにゅほの苦しむ顔なんて見たくないので、いいか。



2015年7月10日(金)

「──…………」
マットレスに背を預けて読書していると、うにゅほが丸椅子に腰を下ろした。
「あついねー」
「ようやく夏って感じだな」
「◯◯、おかきたべる?」
そっと差し出した右手に、チーズおかきが乗せられていた。
「さんきゅー」
包装を解き、口に放り込む。
ぼりぼり。
「おいしい?」
「ふまい」
「まだあるよ」
「ああ」
ばりぼり。
「まだたべる?」
「──…………」
なんか、餌付けされてないか。
「××は食べないの?」
「たべるよ」
「なくなるんじゃないか」
「おかあさん、こすとこでたくさんかってきたから」
「そっか」
ぼりぼり。
「……もういいや」
「もういいの?」
「ほら、ダイエット中だし」
「あ、チーズケーキあったよ」
「ダイエット中……」
「あんまりむりしたらだめだよ」
「無理してるように見える?」
そんなつもりはないのだけど。
「まだ」
「……まだ?」
「むりしてないけど、むりしそうだから」
さすが、俺のことをよくわかっている。
「腹筋割れたから、今度は脂肪を落とさないと駄目なんだけどな」
「ちゃんとたべないと」
「ちゃんと食べるよ」
「ほんと?」
「お菓子じゃなくて、サラダとかな」
「そか」
うにゅほが満足そうに頷いた。
「チーズ、へるしーじゃないの?」
「ヘルシー……では、うーん、どうなんだろう」
脂肪分は多いが、栄養価は高いし。
「ただ、チーズおかきはヘルシーじゃないと思う」
「そなんだ」
「もち米だしなあ」
無理はしない。
うにゅほに心配をかけてまで痩せたところで、なんの意味もないだろうから。



2015年7月11日(土)

「……うーん?」
iPhoneに視線を落としながら、うにゅほが小さく首をかしげた。
「◯◯、これ、なんてよむの?」
「どれさ」
画面を覗き込む。
境内。
「けいだい」
「け、い、だ、い、──あってた!」
「漢字クイズ?」
「そう」
以前、弟が暇つぶしにやっているのを見かけたことがある。
同じアプリを落としてもらったのだろう。
「◯◯、すごいねえ」
「あー、うん」
境内を読めたくらいで凄いと言われてもなあ。
「もっと難しくても大丈夫だぞ」
「じょうきゅう、できる?」
「ああ」
「じゃあ──」
うにゅほがiPhoneを操作し、上級モードを選択する。
「これ!」
「なりふり」
「な、り、ふ、り、──せーかい!」
「まばら」
「ま、ば、ら、せーかい」
「かくせいのかん」
「か、く、せ、い、の、か、ん、──せーかい!」
「つまびらか」
「つ、ま、び、ら、か! せいかい!」
「ぎんなん」
「ぎ、ん、な、ん、──あれ?」
「違ってたか?」
「うん」
「じゃ、いちょう」
「い、ち、よ、う……、あ、せーかいだ」
「ノーヒントで読み分けろってのは、ちょっと酷な話だなあ」
「……?」
小首をかしげる。
「ああ、銀杏って字は、イチョウともギンナンとも読むんだよ」
「そなんだ」
この調子だと、他の同字異音語でも似たようなことが起こっているだろう。
「ぎんなんって、ちゃわんむしのやつ?」
「そうだよ」
「へえー」
「ちなみに、ギンナンはイチョウの実な」
「……うん?」
「イチョウの実が、ギンナン」
「うと、いちょうが、き?」
「そう」
「ぎんなんが、み」
「そう」
「かんじでかいたら、へんだねえ」
「そうだなあ」
銀杏に銀杏がなっている。
知らないとわけがわからない。
「じゃ、つぎね」
「はいはい」
しばらくのあいだ、うにゅほと漢字アプリで遊んでいた。



2015年7月12日(日)

「──…………」
「あちーねー……」
「──……」
頭がぼーっとする。
寝不足だ。
暑くて、寝苦しくて、幾度も目を覚ました。
夏の訪れを最悪の形で実感してしまった気がする。
「──…………」
うにゅほの指先が俺の前髪をくしけずる。
心地よさに思わず目を閉じると、うにゅほが心配そうな声音で尋ねた。
「……◯◯、ねむい?」
「眠い……」
「ねる?」
「寝るけど、もうすこし涼しくなってから……」
俺たちの部屋は、南東と南西にそれぞれ窓があり、やたらと日当たりがいい。
冬場はありがたいが、夏場は地獄である。
「せんぷうき」
「出したいけど、もうすこし涼しくなってから……」
動くのも嫌だった。
「あ、ちょっとまってね」
枕元に膝を突いていたうにゅほが立ち上がり、リビングへ姿を消す。
「じゃーん」
そして、うちわを持って帰ってきた。
「──…………」
ぱたぱた。
「すずしい?」
「涼しい……」
無風の室内に、かすかな涼が訪れた。
「──…………」
「──……」
「ふー」
「……疲れた?」
「つかれてないよ」
ぱたぱた。
「もうすこし冷ましてくれたら、動けるかも……」
「そか」
ぱたぱた。
しばらくあおいでもらったところ、すこし元気が湧いてきた。
いまのうちにと車庫の二階から扇風機を引っ張りだし、慌てて自室に設置した。
「──…………」
「すずしいねえ……」
「──……」
「◯◯、ねむい?」
「眠い……」
「ねる?」
「寝る……」
人工の風を一身に浴びながら、目蓋を閉じる。
こうして俺は、ひとまずの安眠を手に入れたのだった。



2015年7月13日(月)

セブンイレブンの寒天ゼリー(みかん味)が最近のマイブームである。
「~♪」
「美味いなー」
「うん」
「牛乳寒天も美味いけど、夏はこっちかな」※1
「ねー」
うにゅほが寒天ゼリーを半分ほど食べ進めたのを見計らい、話し掛ける。
「××」
「?」
「実は、もっと涼しい食べ方を思いついたんだけど」
「すずしい……」
小首をかしげるうにゅほを横目に、プラスチックスプーンでゼリーをさいの目状に切る。
「××、冷蔵庫からペプシ取って」
「ペプシ?」
「ああ」
「のむの?」
「いや、」
うにゅほが自室の冷蔵庫から取り出したペプシストロングゼロを受け取り、
「こうする」
寒天ゼリーの容器に注いだ。
「え!」
「ふふふ」
「え、あの、いいの?」
「駄目ってことはないだろ」
ゼリーを軽く掻き混ぜ、
「あーん」
「うと、あー……」
躊躇いがちに開いた口に、スプーンをそっと差し入れた。
「──あ、しゅわしゅわする!」
「味は?」
「ふつうだけど、しゅわしゅわする」
「だろー」
残念ながら、味は普通なのだ。
「これ、たのしいねえ」
「こうやって遊んで食べるのも一興ってことだな」
「うん」
「……こないだ、気の抜けたペプシで試したときは、正直微妙だったけどな」
「それは……」
うにゅほが苦笑する。
「こんど、ペプシじゃなくて、みつやサイダーでやってみたい」
「お、いいじゃん。美味しそう」
「でしょー」
この夏のあいだ、食べ飽きるということはなさそうである。

※1 2013年6月26日(水)参照



2015年7月14日(火)

「──……うぅ」
寝苦しさに目を覚まし、這うようにしてリビングの扉を開く。
その瞬間、
「……!」
素晴らしい涼しさが全身を通り抜けた。
「あ、おはよー」
うにゅほの挨拶に手を上げて答える。
「エアコンつけたのか」
「うん、おかあさんがつけていいって」
日記には書いていないと思うが、去年の秋、リビングにのみエアコンを設置していたのだった。
「涼しいなー……」
「エアコン、すごいねえ」
「──…………」
目蓋を閉じ、しばし涼風を肌で楽しむ。
「……つか、寒くないか?」
「そかな」
「設定は?」
「うと、にじゅうろくど」
「26℃……」
って、寒かったっけ。
ぼんやりした頭でちょっと考え、
「……いや、寒くない。26℃は寒くない」
「うん」
「てことは──」
恐る恐る自室を振り返る。
今し方まで眠っていたこの魔窟は、どれほど暑いというのだろうか。
「……しばらくリビングにいよう」
「いっしょにテレビみよ」
「ああ」
ソファに腰を下ろすと、うにゅほがぴたりと身を寄せてきた。
「どした?」
「さむいかなって」
「……汗くさくないか?」
「ちょっと」
すんすんと鼻を鳴らし、うへーと笑う。
そうだ、この子は臭いものを嗅ぐのが好きなのだった。
「──…………」
なんだか複雑な気分だが、臭い臭いと嫌がられるより、ずっとましである。
「このまま扉あけっぱにしといたら、すこしは部屋も涼しくなるかな」
「たぶん」
「……俺、ちょっと寝ていい?」
「いいよー」
うにゅほがぽんぽんと膝を叩く。
ありがたい。
うにゅほの膝枕で小一時間ほど横になると、すっかり気分がよくなった。
しかし、自室は相変わらず蒸し暑いままだった。
さしものエアコンにも限界があるということだろう。



2015年7月15日(水)

睡眠時無呼吸症候群の特集を見て、ふと不安に駆られてしまった。
「……××」
「?」
「俺、寝てるとき、いびきかいてる?」
「いびき……」
「そう」
「ぐがーってやつ?」
「ぐがー……」
まあ、間違いではない。
「◯◯、ぐがーってしてないよ」
「そっか」
ほっと胸を撫で下ろしかけ、
「……ずごー、みたいなのは?」
「ずごー?」
「いや、わからんけど」
「ずごー、もしてないよ」
「じゃあ、どんなふうに寝てる?」
「うと──」
しばしの思案ののち、うにゅほが答える。
「……すはー、すこー、すはー、すこー、みたいな」
「うるさくはない?」
「うるさくないよ」
「そっか」
今度こそ胸を撫で下ろす。
とりあえず、いびきらしいいびきはかいていないようだ。
「わたしはー?」
「××も、静かなもんだよ」
「どんなふう?」
「どんな……」
顎先を撫でつけながら、うにゅほの寝息を思い出す。
「……ふすー、ふすー、って感じ」
「しずか?」
「静かだよ」
「よかったー」
ふたりとも、睡眠時無呼吸症候群の恐れはなさそうだ。
「……それにしても、すはー、すこー、か」
「?」
「口呼吸してそうな音だなって」
「うん、くちあいてる」
「そうか……」
軽度のアレルギー性鼻炎だから、仕方ないけど。
「でも、××も開いてるぞ」
「え!」
「半開きだけど」
「えー……」
うにゅほが両手で口元を隠す。
「……あのね」
「うん?」
「ねてるとき、あんましかおみないでね」
恥ずかしくなってしまったらしい。
乙女よのう。
「わかったわかった」
「ほんと?」
嘘だけど。
うにゅほの寝顔は、俺だけの特権である。
そう簡単には捨てられない。
「とりあえず、いびきかくようになったら教えてくれな」
「うん」
自分がいびきをかいているかなんて、自分自身ではなかなかわからない。
うにゅほがいてくれてよかったと思う瞬間である。



2015年7月16日(木)

「××って、果物で言うと桃だよな」
「もも……」
うにゅほが小首をかしげる。
「動物で言うと、犬」
「そかな」
「絶対そう」
「うーん、いぬは、そうかもだけど……」
犬っぽい自覚はあったのか。
「もも、よくわかんない」
「桃はなー……」
なんとなく、である。
うまく説明できないが、そんな感じがするとしか言えない。
「◯◯は、うーと、えと──」
しばし思案し、
「……くり?」
「それ、前も言ってなかったか」
「そだっけ」
「たぶん、桃栗三年柿八年ってことわざに引っ張られてるぞ」
「あー」
うんうんと頷く。
「ま、果物はいいや」
「うん」
「動物で言うと、俺、なんになる?」
「あ、ある!」
「なに?」
「……うと、なまえわかんない」
明確なイメージはあるが、名前が出てこないらしい。
「あんまりメジャーどこの動物じゃないのか」
「たぶん」
「哺乳類?」
「ううん、とり」
「鳥……」
鳥は予想外だった。
「どんな鳥だ?」
「うん、でっかいとり」
うにゅほが両手を駆使して大きさを表現する。
相当でかいぞ。
「……ダチョウ?」
「ううん」
「タカとかワシとか」
「ちがう」
「──……?」
「あんましうごかない」
「あ、ハシビロコウか!」
「それ!」
「……ハシビロコウ、か?」
似てるかなあ。
「かお、にてる」
「顔が」
「あと、あんましうごかないとこもにてる」
「──…………」
嬉しくなかった。
「……よし、コンビニ行くか」
「いく」
「動くぞー」
「?」
小首をかしげるうにゅほを連れ、近所のコンビニまで歩くのだった。



2015年7月17日(金)

「あ」
「おはよー」
「おさげだ」
「おさげだよ」
右の三つ編みを指先でくるりと回し、うにゅほが微笑んだ。
「おさげだおさげだ」
ソファに座るうにゅほの背後に移動し、両のおさげを手に取る。
「こしょこしょこしょ」
「やー」
おさげの先で首筋をくすぐると、うにゅほが笑いながら身をよじった。
楽しい。
「あ、言い忘れてた」
「?」
「おはよう」
「うん、おはよう」
おさげ姿のうにゅほを見ると、ついいたずらしてしまう。
「ひげ」
「わたしもひげ」
楽しい。
「◯◯、おさげすきだねえ」
「好きか嫌いかで言えば、好きかな」
「そっか」
「でも、髪の毛に癖がつきそうだよな」
「びんぼうパーマだ」
「貧乏パーマ?」
「みつあみにしてねたら、かみのけがうねうねってなるんだよ」
「うねうね……」
それは、パーマを表現する言葉として適切なのだろうか。
「髪は傷まないのか?」
「いたみそうだから、しないの」
うにゅほが苦笑を浮かべる。
艶やかなロングヘアは、うにゅほの宝物だ。
「だから、おさげはたまーになんだな」
「ううん」
うにゅほが首を横に振る。
「◯◯が、たまにがいいっていったんだよ」
「……俺が?」
「うん」
言ったような、言ってないような、たぶん言ったんだろうけど。
「ずっとおさげがいい?」
「──…………」
しばし思案し、
「……いや、やっぱたまにがいいかな」
「そか」
「いろんな××が見たい」
「……そっか」
うにゅほが三つ編みを口元に当てる。
「ひげ……」
あ、照れてる。
「俺も、ひげ」
良い香りのするおさげで遊んでいると、いつの間にか正午を迎えていた。



2015年7月18日(土)

夏用のショートソックスを購入した。
「……相変わらず、履き心地悪いなあ」
「わるい?」
「だって、くるぶしの下を締め付けられてるんだぜ」
「なれじゃないかな……」
「慣れか」
「うん」
そういえば、うにゅほはショートソックス愛用者だったっけ。
「せめて、靴脱ぐとき、引っ掛かって一緒に脱げるのさえなんとかなれば……」
「?」
うにゅほが小首をかしげた。
「ぬげるかなあ」
「脱げない?」
「うん」
「──…………」
ソファの前に膝を突き、うにゅほの足を取った。
「うひ」
「あ、××の靴下、俺のより長い」
「ほんと?」
「ほら」
「ほんとだ」
短いことは短いが、普通にくるぶしが隠れている。
なるほど、脱げないわけだ。
「俺も、それくらいの長さのがよかったなあ」
五足で千円だったから、色違いのソックスがあと四足もあるのだ。
「うーん、たぶん、ちがうとおもう……」
「違う?」
「くつしたは、ふつう」
「普通」
「◯◯のあしが、おっきい」
「あー……」
その発想はなかった。
「××の足、小さいもんな」
「うん」
「俺の足は、ショートソックス向きじゃないってことか……」
「そこまでは」
うにゅほが苦笑する。
「そもそも、足が大きくて得したことがない」
「そなの?」
「甲高幅広で縦にもでかいから、靴買うときも気を遣うし」
「そなんだ……」
まあ、うにゅほに愚痴を言っても仕方がない。
「××、足の大きさ比べるか」
「うん」
「──うわ、ちっちぇー!」
「◯◯、でっかい!」
メリットがあるとすれば、こうして比べたときに、ちょっと楽しいくらいのものである。



2015年7月19日(日)

手の指の毛を毛抜きで処理していると、うにゅほが覗き込んできた。
ぷち。
「い」
ぷちぷち。
「いたた」
「××は痛くないだろ?」
「いたいきがする……」
ぷち。
「いひ」
ぷち。
「う」
ブチブチブチ!
「いたいいたいいたい!」
人聞きの悪い。
「見なきゃいいのに……」
「なんでぬくの?」
「気分的に、ちょっと暑苦しいかと思って」
「いたくない?」
「痛いけど、細い毛だしな」
「ふうん……」
ぷち。
ぷち。
「……わたし、ぬいてもいい?」
「いいけど」
うにゅほに毛抜きを渡し、右手を預けた。
「い、いくよ」
「はいはい」
ぷち。
「いて!」
「あ、いたかった?」
「人に抜かれると、ちょっと感覚違うな」
「あの、やめる?」
「大丈夫」
「──…………」
ぷち。
「ごめん……」
ぷち。
「ごめんなさい」
ぷち。
「ごめんなさい……」
「謝りながら抜くなよ……」
「だって」
「謝るなら、抜くの禁止な」
「うん……」
うにゅほから毛抜きを受け取り、指の毛の処理を再開する。
ぷち。
ぷち。
「……わたし、むいてないのかな」
「なにが?」
ぷち。
「ひとのけ、ぬくの……」
「──…………」
なんと答えればいいのやら。
「べつにいいんじゃないか?」
「いいのかな」
「人生において、人の毛を抜かなきゃいけない場面って、そうないし」
というか、思いつかないし。
「うーん……」
「気になるなら、あとでヒゲ抜くの手伝ってくれよ」
「あ、うん」
指の毛は駄目でも、ヒゲを抜くのは楽しいらしい。
わかるような、わからないような。



2015年7月20日(月)

いびきを録音してくれるアプリを見つけたので、試してみた。
「どういうしくみ?」
「音に反応して録音を開始するみたい」
「へえー」
「んで、これが昨夜のグラフ」
「おだやか、さわがしい、だいおんりょう……」
「上に行くほどうるさいってことだな」
画面に表示されたグラフを指し示し、うにゅほが言う。
「◯◯、おだやか」
「うん……」
芳しくない俺の反応に、うにゅほが小首をかしげた。
「おだやかなの、だめなの?」
「そもそも、アプリが記録を始めた時点で、いびきをかいてると判断されたってことだからな」
「あー」
ちょっぴりショックである。
「聞いてみるか?」
「うん」
グラフの頂点に触れ、再生ボタンを押す。

『──……ごー……、ごー……、ごー……』

「これ、いびき?」
「たぶん……」
「きいたことある」
「あるのか」
「でも、こんなにうるさくないよ?」
「置く場所が口元に近すぎたのかな」
「うん」
ほっと胸を撫で下ろす。
うにゅほの言を信じるのなら、いびきと言うほどのものではないのかもしれない。
「じゃ、今夜は××の番かな」
「えっ」
「俺が気づいてないだけで、××もいびきかいてるかもしれないし」
「──…………」
しばし固まったのち、
「……や」
うにゅほが小さく首を横に振った。
「恥ずかしい?」
「──……」
こくりと頷く。
「なら、やめとこう」
うにゅほの髪を手櫛でくしけずる。
恥ずかしがるかもしれない、とは思っていたのだ。
「……いいの?」
「その程度のデリカシーはあるつもりだぞ」
「ありがと」
なんだかんだで乙女である。
尊重してあげなければ。



2015年7月21日(火)

「のわあ!」
「たた、ちべたいちべたいちべたい!」
土砂降りの雨のなか、1.5Lペットボトル8本入りのダンボールを抱えながら、ただひたすらに愛車を目指す。
「××、足元気をつけて!」
「はい!」
こんなスコールじみた豪雨になると知っていれば、すこし待ってでも出入口の傍に駐車したものを。
「はー……」
「ふう」
荷物をすべて積み込むころには、シャツがずぶ濡れになってしまっていた。
「××、濡れ──」
助手席のうにゅほに話し掛けようとして、絶句した。
「?」
本日のうにゅほは、短めのワンピースの下にホットパンツという出で立ちである。
白のワンピースだ。
当然、透ける。
「──…………」
おもむろに前方へと向き直り、ハンドルを握る。
「……さーて、帰るか」
「あれ、ツルハは?」
「ツルハは、うん、今日はいいや」
「はぶらし……」
「つーか、気づきなさい」
胸元を指で示す。
「……?」
うにゅほが俺の胸を覗き込んだ。
「そうじゃなくて、自分のほうを見る」
「あ」
「わかった?」
「すけてる」
「わかったか」
「うん」
「わかったら隠しなさい」
「はい」
うにゅほが両手で胸元を隠す。
まったく、やきもきさせてくれるものだ。
「かわくまでツルハいけないねえ」
「乾くまで待ってたら、風邪引くって」
「いかないの?」
「歯ブラシなら、明日でもいいだろ」
「わたし、くるまでまってる」
「──…………」
それはそれで、なんだか不安なんだよなあ。
「……ま、いいか」
「うん」
ツルハドラッグで歯ブラシを購入し、帰宅するころには、うにゅほの濡れ透けは和らいでいた。
安心したような、そうでもないような、複雑な気分である。



2015年7月22日(水)

自室のソファでくつろぎながら読書に耽っていると、うにゅほがリビングから顔を出した。
「ね、◯◯」
「んー?」
「こっち、すずしいよ」
「ああ、エアコンか」※1
しおりひもを挟み、ハードカバーを閉じる。
「こっちでよんだらいいよ」
「でもなあ……」
「?」
「なんか、夏の暑さに慣れてきちゃって、リビングはちょっと寒いんだよ」
「──…………」
うにゅほがリビングへ取って返し、すぐに戻ってきた。
「にじゅうななどだよ?」
「27℃でも」
「うーん……」
「なんか、慣れない」
「いまなんど?」
そう尋ねながら、うにゅほが、本棚に据えられた温湿度計を覗き込んだ。
「さんじゅうど……」
「そんなもんか」
「あ、しつどすごい!」
「湿度?」
「ななじゅうにぱーせんと!」
蒸すはずである。
「エアコンって、しつどもさげられるんだって」
「あー、だからか」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「たぶん、湿度が低いから、肌寒く感じるんだろうな」
「へえー」
「わからんけど」
「わからんの」
「だって、エアコンなんて車でしか使ったことなかったし……」
どうにも落ち着かないのである。
「……じゃ、わたしもこっちいる」
あ、いかんいかん。
慌てて立ち上がり、靴下を履く。
「やっぱそっち行くよ」
「でも、さむいって」
「甚平のままだから寒いんであって、普段着に着替えれば問題ない」
「そなの?」
「そうそう」
「ふうん……」
「着替えるから、ちょっと出ててくれな」
「うん」
うにゅほがリビングへ戻るのを確認し、ほっと胸を撫で下ろす。
せっかく夏を快適に過ごせるようになったのに、俺のわがままに付き合わせては可哀想だ。
エアコンの効いたリビングは過ごしやすかったが、なんだか物足りなくもあった。
難しいものである。

※1 2015年7月14日(火)参照



2015年7月23日(木)

「◯◯、このチョコにがいー」
「うん?」
うにゅほが舌を出しながら持ってきたのは、カカオ72%のチョコレートだった。
「なんだ、72%か」
「?」
「俺、ビターなチョコわりと好きだからな」
「へえー」
個包装を破り、チョコレートを口に放り込む。
「おいしい?」
「──…………」
ペットボトルの烏龍茶を無言で飲み下す。
「苦い」
「にがいよね」
「あれ、こんなに苦かったっけ……」
カカオ99%のチョコレートが流行していたころ、この程度の割合のチョコを好んで食べていた気がするのだが。
「ぺ、ぺ、駄目だこれ、後味残る」
「わたしもー……」
「××、甘いチョコない?」
「ない」
「あ、牛乳飲んだらマシになるんじゃないか」
「なるかな」
リビングへと赴き、グラスに牛乳を注ぐ。
「ほら、××」
「うん」
こく、こく。
「あ」
「どうだ?」
「くちのなか、おいしくなった」
「美味しく?」
「はい」
グラスを受け取り、そっと牛乳をすする。
「……ほんとだ、苦味消えるな。すっきりする」
「でしょ」
「牛乳飲みながらなら、このチョコも美味しくいただけるんじゃないか?」
「どかな」
「試してみよう」
「うん」
試してみた。
「あ、美味い」
「ほんとだ」
「やっぱ、チョコにはミルクが必要なんだな」
「ねー」
俺たちのような子供舌には、ミルクチョコレートがお似合いなのだろう。



2015年7月24日(金)

自室の冷蔵庫の霜がえらいことになってきたので、ここらで霜取りをしておくことにした。
「がりがり」
「××、爪じゃどうしようもないって」
「どうするの?」
「こうする」
コンセントから、冷蔵庫のプラグを抜く。
「あ、そか」
「簡単だろ?」
「うん」
「あとは、冷蔵庫の中身を取り出して、底に雑巾を敷き詰めるだけでいい」
「あたまいいね」
「ベーシックなやり方だぞ」
「でも──」
ぺたぺたと霜に触れながら、うにゅほが言う。
「ぞうきんだけでだいじょぶかな」
「……大丈夫じゃない、かな」
なにしろ、霜の量が半端ではない。
備え付けの貯氷箱を飲み込み、一体化してしまっているほどだ。
「どうするの?」
「そこは、まあ、こまめに取り替えるしか」
「うーん……」
しばし思案し、
「……れいぞうこに、ちいちゃいバケツ、いれる?」
「あ、なるほど」
ただ雑巾を敷いておくだけより、ずっといい。
「××、頭いいな」
「うへー」
俺も負けてはいられない。
「よし、扇風機を使おう」
「せんぷうき?」
「扇風機で、冷蔵庫のなかに風を送る」
「すずしくなっちゃうよ?」
「約30℃の空気を大量に送り込むんだ。どうなると思う?」
「あ、そか」
うんうんと頷く。
「扇風機で霜を解かし、バケツで受け、雑巾で拭く。完璧だな」
「かんぺきだ」
「よし、中身をいったん台所に移そう」
「うん」
冷蔵庫の霜取りは、二時間ほどであっさり終了した。
夕食のうなぎは勝利の味がした。



2015年7月25日(土)

両親がリビングのソファを買い替えると言うので、自室のソファと取り替えることにした。
「……これ、かえちゃうの?」
自室のソファを撫でながら、うにゅほが呟くように尋ねた。
「リビングのソファのほうが座面が広いから、よく眠れると思うんだ」
「そか……」
俺は、ソファを寝台にしている。
睡眠障害を持つ身としては、眠りの質を向上させる機会を逃すわけにはいかない。
「──……?」
いざソファを撤去してみたところ、あることに気がついた。
「このスペースがあれば、布団敷けるんじゃないか?」
試してみた。
「……敷けるな、これ」
「うん」
どうして今まで気がつかなかったのだろう。
「ソファ、ないほうがよさそうだな」
「……うん」

軽トラでオフハウスに持って行くと、自室のソファは百円玉になった。

「いやー、すっきりし──」
広くなった部屋。
その真ん中で佇むうにゅほの姿を見た瞬間、俺は、自らの過ちを悟った。
「ああ……」
ソファは、俺の寝台であると同時に、自室でのうにゅほの定位置でもあった。
俺は図らずもそれを奪ってしまったのだ。
「……××、ごめん。リビングのソファ持ってこよう」
「ううん」
微笑みを浮かべたまま、うにゅほが首を横に振る。
「◯◯がねやすいほう、いいよ」
「でも」
「ふとんにすわるから、だいじょぶ」
「──…………」
いじらしい。
この子を軽んじることだけは、あってはならない。
そう思った。
「……よし!」
「?」
「××、ちょっと待ってて」
「うん」
使わなくなっていた座椅子を車庫の二階から引っ張り出し、かつてソファのあった場所に据え付けた。
ふかふかもちもちの巨大クッションをふたつ、座椅子の足元に設置した。
そして、麦わら帽子をかぶったビッグねむネコぬいぐるみを、座椅子の上にぽんと置いた。
「できた!」
「おー」
「ここが、これから、××の場所だ」
「わたしのばしょ……」
ねむネコぬいぐるみを胸に抱き、うにゅほが座椅子に腰掛ける。
「どうだ?」
「いいねー……」
あ、くつろいでる。
よかった。
「ほれほれ」
「やー」
パソコンチェアに腰掛けたまま爪先で膝をつんつんすると、うにゅほが笑いながら身をよじった。
布団を敷くときには座椅子を片付けなければならないが、それくらい手間でもなんでもない。
今夜は、よく眠れますように。



2015年7月26日(日)

ベランダから運び入れられた新しいソファは、ワインレッドのおしゃれな一品だった。
「あしながいねえ」
「長いなあ」
「ものおちたとき、とりやすそう」
「便利だなあ」
「お前ら、もうちょっとこう、ないのか……」
父親が、呆れたようにそう言った。
「いや、カッコいいと思うよ」
「うん」
「硬くて座りやすいし」
「ね」
「弟はさっき、寝にくくなったって嘆いてたけど」
「……まあ、あいつはな」
弟だから仕方ない。
しばし新しいソファと戯れたあと、自室へ戻った。
「あのソファ、ふたつセットで18万円だってさ」
「たか!……い、の?」
「さあ……」
ソファの相場がわからない。
「まえのソファ、いくらしたの?」
「覚えてない」
「きのううったソファは?」
「あれは、お隣さんがくれたんだよ」
「へえー」
「でも、18万円はけっこう高いほうじゃないかな、たぶん」
「◯◯のぱそこんとおんなじくらい」
「そうだな」
ちょっとだけ新しいパソコンが欲しかったりするのだが、口には出さない。
「ね、◯◯」
「うん?」
「きのう、よくねれた?」
「──…………」
窓際に折り畳まれた敷布団に視線を送り、力強く頷く。
「ああ、よく眠れた」
「よかったー」
うにゅほが胸を撫で下ろす。
ソファを犠牲にして得た安眠である。
「やっぱり、ちょっと寂しいけどな……」
「でも、ねむれたほういいよ」
「……ありがとな」
髪の毛を手櫛で梳いてやる。
「うへー……」
うにゅほは物への執着が強い。
自分のほうが寂しいだろうに、優しい子だ、と思った。



2015年7月27日(月)

「──……!」
は、と目を覚ます。
首元に手をやると、かなり寝汗をかいていた。
「あ、おきた」
「嫌な夢を見た……」
「どんなゆめ?」
「──…………」
あっという間に散らばっていく夢の記憶を拾い上げ、まとまらないまま口を開く。
「……玉乗り」
「たまのり」
「玉乗りをさせられた」
「うん」
「でも、玉じゃなかったんだ」
「なんだったの?」
「ムカデ」
「え」
「オレンジと黒の混ざった色をした、何匹ものムカデだった」
「はー……」
「で、起きた」
「やなゆめだねえ」
「おはようございます」
「おはようございます」
ぱたぱたと胸元に風を送りながら、おもむろに立ち上がる。
温湿度計を覗き込むと、31℃だった。
暑いはずである。
「××、リビングで涼んでればよかったのに」
「すずんでたよ」
「今は?」
「ほんとりにきたら、◯◯がうんうんいってたから、みてた」
そう言ってうにゅほが掲げたのは、買ったばかりのスケッチブック11巻だった。
「……そういうときは起こしてくれていいからな」
「わかった」
こくりと頷く。
「夏だなあ」
「なつだねえ」
「ガリガリくん、まだあったっけ」
「あったとおもう」
「リビングで食おう」
「うん」
エアコンの効いたリビングで食べるガリガリくんは、凍らせたネクタルの味がした。



2015年7月28日(火)

「──……、! ◯◯!」
「……?」
目蓋を開く。
うにゅほの顔があった。
「おきた」
「……おはようございます」
「おはようございます」
「どした?」
「うんうんいってたから、おこした」
「あー……」
昨日の言葉を実践してくれたらしい。
「今日も暑いなあ……」
「うん」
立ち上がり、温湿度計を覗き込む。
30℃。
「きょうも、やなゆめみたの?」
「夢……」
悪夢を見た、と、思う。
しかし、夢の記憶は既に霧散して、僅かにその滓を残すのみだった。
「……××は覚えてるか?」
「?」
「今日の夢」
「ゆめ」
「××が起きるころは、まだ涼しかったと思うけど」
「うーと……」
うにゅほが腕を組み、うんうんと唸る。
「……いいー、ゆめー、だった、きが、するー?」
「いい夢か」
「たぶん……」
「どんな夢だった?」
「……あっ」
「?」
「うーん……?」
記憶のサルベージに難航しているらしい。
「……あのね、ねこがね、でてきたとおもう」
「猫かー」
「でもね、ねこじゃないの」
「猫じゃない?」
「せんぷうきなの」
「扇風機……」
「でも、ねこなの」
「──…………」
仮面ライダーに怪人として出てきそうだ。
「わかる?」
「いや、わからん」
「うー」
「わからんけど、夢ってそういうものだからな……」
「そんでね、あるくともじがでるの」
「なんて?」
「おぼえてない」
「そっか」
「うん」
「──…………」
「──……」
夢の話って、だいたいふわっとした感じで終わっていくよな。
「◯◯、おもいだした?」
「いや……、あ、でもひとつだけ」
「なに?」
「象のフンが──」
「ぞうの」
「出てきた、気がする」
「そか」
「うん」
「──…………」
「──……」
ふわっとしたまま、終わる。



2015年7月29日(水)

よく熱した鉄板に水を垂らしたような音がして、慌てて窓の外を見ると、景色が雨に霞んでいた。
「うわ!」
「あめだ」
「××、窓確認してきて」
「うん」
「俺は洗濯物取り込んでくる」
「わかった」
今日は母親がいない。
一階の掃き出し窓から外に出て、洗濯物の濡れ具合を確かめる。
「あー……」
我が家の物干し場はベランダの真下にあるため、突然の雨に強いはずなのだが、今日は風向きが悪かったらしい。
「半分は無事、かな……」
しかし、急がなければ、もう半分も濡れてしまうだろう。
慌てて洗濯物を取り込みはじめるが、すぐにある問題が浮上した。
母親やうにゅほの身長に最適化されているため、物干し竿の位置が非常に低いのである。
「──……!」
腰の痛みを我慢しつつ前かがみになりながら必死で洗濯物を回収していると、
「◯◯、はやくー!」
背後でうにゅほの声がした。
これでも急いでいるのだと振り返ろうとした瞬間、

──ズがん!

鈍い音と共に、視界がぶれた。
頭頂部に激痛。
「◯◯!」
「ぬ、お、お、お、おー……」
物干し竿に思いきり頭を打ちつけたらしい。
「◯◯、だいじょぶ!?」
「──…………」
大丈夫だ、と右手を上げる。
そして、奥歯をギリリと軋ませながら、すべての洗濯物を取り込んだ。
「……だいじょぶ?」
「大丈夫……」
相当強く打ったのか、痛みが銅鑼の音のように残響している。
「なでていい?」
「頼む……」
華奢なうにゅほの手が、俺の頭頂部に優しく触れる。
「なでなで」
「──…………」
「いたいの、いたいの──」
「飛んでいけ?」
「いたいの、こっちきていいよ」
「──…………」
思わず、うにゅほの頭に手を伸ばした。
「痛いの、痛いの、戻ってこい」
「いたいの、いたいの、もどってこーい」
くすくすと笑い合う。
頭を打った痛みは、いつの間にか、どこかに飛んでいってしまった。



2015年7月30日(木)

「あちー……」
シャツの裾を大きく開き、扇風機の前に立つ。
「ふひー」
涼しい。
上半身が一瞬で冷えていく。
「あ、ずるい」
「ふぉふぉふぉ、早いもの勝ち早いもの勝ち」
「わたしもやりたい」
「はいはい」
場所を譲る。
うにゅほが、短めのワンピースを大きくめくり上げ、扇風機に覆いかぶせた。
「ひやー」
「──…………」
ワンピースの裾がぱたぱたとひらめき、その中身があらわとなる。
危なかった。
下にスパッツを穿いていなければ、即死だった。
わかってるから止めなかったんだけど。
「××」
「ふぃー?」
「普通のスカートでそれやったら、駄目だぞ」
「わかってるよー」
わかってるならいいけど。
「スパッツ、やっぱ蒸すか」
「むす」
「見るからに暑そうだもんな」
「ホットパンツにしたらよかった……」
「穿き替えたら?」
「あ、そだね」
ワンピースの裾を下ろし、うにゅほが扇風機から離れた。
「んじゃ、アイス取ってこようかな」
「おねがいー」
「どのアイスがいい?」
「ガリガリくんの、チョコのやつ」
「あったらな」
エアコンの効いたリビングもいいが、蒸し暑い自室でアイスを食べるのも風情である。



2015年7月31日(金)

「──……ぬ」
不快感に目を覚ます。
甚平の懐に手を入れると、指先が寝汗でしとどに濡れた。
暑い。
死ぬほど暑い。
「あ、おきた」
「……おはよう」
「おはようございます」
ぺこり。
「……今日、暑くない?」
「あついねえ」
温度計を覗く気にもなれない。
「××、平気そうだけど……」
「うん」
こくり。
「さっき、シャワーあびたから」
「あー」
いいなあ。
「俺も浴びてこようかな」
「そのほういいよ」
首筋を撫でる。
びちょ。
「……そうだな」
「いってらっしゃい」
「行ってきます」

シャワーを終えて戻ってくると、扇風機が部屋の外に出されていた。
「おかえりー」
「ただいま」
よく見ると、エアコンの効いたリビングの空気を自室へと送り込んでいるようだった。
「おー、頭いいな」
「うへー」
うにゅほが両手でほっぺたを包む。
「しもとりしたとき、せんぷうきつかったから」※1
「なるほど」
ナイス応用である。
「涼しくなってるかなー」
扇風機を避けながら自室に入る。
暑い。
十五分程度じゃそんなものかと顔を上げたとき、
「……××、窓開いてる」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「だめなの?」
「まあ、うん、駄目だな。冷気が逃げるから」
「あ、そか」
詰めが甘いところがうにゅほらしいと思った。

※1 2015年7月24日(金)参照

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