>> 2015年05月




2015年5月1日(金)

「いて」
風呂上がりに姿見の前で髪を乾かしていると、親指の先が擦り傷に触れた。
「◯◯、けがしてるの?」
「怪我──というか、ただのカミソリ負けだよ」
「かみそりまけ?」
「俺、ヒゲ剃るの苦手だからなあ……」
極度の近眼のため鏡を見ながら剃ることができず、そもそもあまり生えないから経験自体が少ない。
「オロナインぬるからすわってて」
言われるままチェアに腰を下ろすと、うにゅほが軟膏を指に取った。
「いたいかも」
「大丈夫」
顔が近くて気恥ずかしかったので、目を閉じた。
「──…………」
ぬりぬり。
頬骨の上を指先がなぞる。
「──…………」
「──…………」
沈黙。
「……?」
目蓋を開くと、うにゅほの顔があった。
「……どうして人の顔をじっと見ている」
「んー?」
うにゅほの視線が上下に動き、
「ここ」
こめかみ付近を指さした。
「うぶげ、ここ、それてない」
「あー……」
そのあたり、髪の毛ごと剃ってしまいそうで怖いんだよな。
「とこやさんのおじさんとこ、いかないとね」
「そうだな」
髪も伸びたし。
でも、ちょうどゴールデンウィークなんだよなあ。
思い立ったときに実行できないと、いまいち据わりが悪い感じだ。
「──…………」
「──……」
そして、まだ顔が近い。
耐え切れなくなって目を逸らすと、
「かった」
うにゅほが、にひーと笑ってそう言った。
いつの間にか勝負になっていたらしい。
言ってくれれば面白い顔のひとつやふたつしたものを。



2015年5月2日(土)

「……ぐ」
ヘッドホンを外し、伸びをする。
「××、今日──」
あったかいな。
そう続けようとして、慌てて口をつぐんだ。
ソファに腰を掛けたまま、うにゅほがうとうとしていたからである。
「──……すう」
春風に前髪がそよいでいる。
ああ、気持ちよさそうだなあ。
起こしたら悪い、けど、このままでは風邪を引かないだろうか。
毛布は大きい。
半纏は暑い。
思案した結果、膝にバスタオルを掛けてあげることにした。
「ん……」
身じろぎと共にバスタオルが落ちる。
そっと掛け直す。
「──…………」
じー、とうにゅほを観察する。
靴下を履いていない。
うにゅほは冷え性の気があるので、すこし心配である。
でも、靴下を履かせるとなると、さすがに起こしてしまうのではないだろうか。
熟考の末、ふかふかもちもちの巨大クッションを足の先に立て掛けることにした。
うん、これで大丈夫。
クッションが、爪先を冷やす風をシャットアウトしてくれるはずだ。
「──…………」
あとは、たぶん、問題ないかな。
リビングでお茶を飲んで戻ってくると、バスタオルがずれ、クッションが倒れていた。
「……はあ」
深く溜め息をつき、元の状態に戻す。
窓を閉めればいいと気づくのは、それからしばらく経ったあとのことだった。



2015年5月3日(日)

自宅前の駐車スペースにミラジーノを止め、助手席のうにゅほに尋ねた。
「車、曲がってない?」
「うーと……、ちょっとひだりむいてる?」
「わかった」
いったん前に出て、慎重に駐車しなおす。
「今度は?」
「だいじょぶ」
新しく借りた本を膝に抱えたうにゅほが、不思議そうな声音で言った。
「◯◯、くるまとめるのにがて?」
「──…………」
実を言うと、そうなのだ。
より正確に言うならば、駐車自体が苦手なのではなく、車体が曲がっているかどうかの判別が難しいのである。
「……××、どうやって見分けてるんだ?」
「みわける?」
「曲がってるかどうか」
うにゅほが小首をかしげる。
「まがってるな、っておもったら、まがってる」
なるほど、感覚的なものらしい。
「あー……」
改めて情けない。
免許を取ってもう随分になるというのに、自宅での駐車すら完璧にできないのだ。
いや、できてはいるんだけど、ちょっと曲がるのだ。
「……どうやったら直ると思う?」
「れんしゅうする……」
「駐車だけなら一万回は軽くやってると思うけど……」
「うと、」
うにゅほが、大きく首をかしげ、絞り出すように口を開いた。
「れん、しゅうー……、する?」
結論は同じだった。
「要は、まっすぐ止めた状態を体で覚えればいいんだよな」
「ふんふん」
その精度が甘いから、曲がってしまうのだろう。
「──…………」
バックミラー、
サイドミラー、
前後左右の風景を頭に叩き込む。
「……よし、覚えた」
「もうだいじょぶ?」
「ああ。次は大丈夫──の、はず。たぶん」
エンジンを切り、降車して、ミラジーノの正面に回り込む。
車体が右に曲がっていた。
駄目じゃん。



2015年5月4日(月)

寝癖が直らない。
水で濡らしても、ドライヤーで乾かしても、蒸しタオルを当てても、びくともしない。
左耳の上の一房がピコンとはねてしまう。
「──…………」
そんなときに限って、帽子を忘れて外出してしまうのだった。
「──……」
じ。
助手席から視線を感じる。
向き直ると、うにゅほの視線が動いた。
逸らされたのではない。
俺の寝癖を目で追っているのだ。
「……そんな気にしなくても」
「うん」
「そのうち重力に負けるかもしれないし……」
「うん」
うにゅほの右手が寝癖を押さえる。
くすぐったい。
「──…………」
「──…………」
離す。
「なおんない」
「……だろうね」
ほんの十秒押さえつけた程度で直るのならば、こんなことにはなっていない。
「──…………」
「──…………」
「……あの、××さん」
「はい」
「運転してる最中、ずっと押さえてるの?」
「うん」
「──…………」
まあ、邪魔にならないから、いいけど。
当然のことながら、俺の強靭な寝癖は、帰宅するまで直らないのだった。
いまも直ってないけど。
シャワーを浴びればなんとかなるだろう、たぶん。



2015年5月5日(火)

「……かふんしょう、こわいね」
借りてきたばかりの「まんがでよくわかる花粉症のひみつ」を携えて、うにゅほが心配そうに言った。
詳しく知った病気を一時的に怖がるのは、うにゅほの癖みたいなものだ。
「たしかに、花粉症はつらいなあ」
「◯◯、かふんしょうだもんね」
「あんまりくしゃみは出ないけどな」
俺の場合、とにかく眠気がひどい。
いまだって眠いくらいだ。
「××も、怖いならマスクしといたほうがいいかも」
「ますく……」
「あ、外出するときだけな」
念を押しておかなければ、マスクをしたまま床につきかねない。
「あとは、なるべく窓を開けないようにするとか……」
「──…………」
うにゅほが無言で窓を閉める。
「空気清浄機を使うとか……」
「──…………」
ぴ、ぴ、ぴ。
うにゅほが空気清浄機を花粉モードに設定する。
「誰かをマッサージするとか……」
「──…………」
もみもみ。
うにゅほが俺の肩を揉む。
「誰かを膝枕するとか……」
「──…………」
うにゅほが俺の腕を引く。
導かれるまま、うにゅほのふとももに頭を乗せた。
「……あ、ふ」
口元を隠し、ちいさくあくびをする。
「三十分くらいこのままでいい?」
「うん」
「ちなみに、途中から嘘なんだけど」
「しってる」
そりゃそうか。
それでも付き合ってくれるのだから、優しい子だ。



2015年5月6日(水)

「──……あつー」
うにゅほが両手で首筋をぱたぱたとあおいでいる。
うららかな日和。
こんな日は、大きく窓を開けて、匂い立つ春の空気で肺を満たしたいものだ。
しかし、
「まど、だめだよ。あけちゃだめ」
「すこしくらい……」
「かふんはいるから、だめ」
取り付く島もない。
花粉症である俺のために言ってくれているのはわかるのだが、いささか過保護のような気もする。
「××も暑いだろ」
「あつい……」
「ほら、ふたりでマスクしよう」
「だめ」
うにゅほが「まんがでよくわかる花粉症のひみつ」を胸元に掲げた。
「かふん、へやにいれないようにって」
「──…………」
くそ、学研め!
正しいから反論できないじゃないか!
「……アイス買いに行こうか」
「いく」
部屋が暑いのなら、せめて体の内側くらいは冷やしたい。
「マスクね」
「はいはい」
身支度を整え、マスクを着ける。
「あ、つるつるしたふくのほうが、かふんつかないって──」
ぴし。
「あう」
うにゅほの頭頂部にチョップを落とした。
「やり過ぎ」
「むー」
「家に入るとき、服を払えば十分だろ」
「かみも……」
「××の髪は、俺が払ってあげよう」
「うん」
うにゅほは、生真面目ゆえに歯止めが利かないことがある。
そんなときは、俺が止めてあげるのだ。



2015年5月7日(木)

「はー、さっぱりした……」
「さっぱりしたねえ」
伯父の経営する床屋で、久し振りに髪を切ってきた。
「かみ、おちたの、すごかったね」
「山盛りだったな」
俺は、髪の量が多い。
伸びる速度も人一倍である。
将来に向けて貯髪できればと思うが、そうそう上手くは行かないものだ。
「──……ところで」
「うん?」
「どうして、ずっと俺の頭を撫でてるんだ?」
さり、さり。
うにゅほのちいさな手のひらが、俺の頭頂部を這いまわっている。
「いや?」
「嫌──では、ないけど」
「うん」
「──…………」
「──……」
さり、さり。
「……理由は?」
「うん?」
「理由」
「うーん」
しばしの思案ののち、
「ちくちくしてきもちいから」
と、答えた。
「チクチクって……」
バリカンで剃り上げたわけでもあるまいに。
そう思い、無造作に髪に触れる。
「て」
毛先が刺さった。
「……チクチクしている」
「ね?」
「これが気持ちいいのか」
「うん」
まあ、痛いってほど痛くはないし、うにゅほにとっては心地いい刺激なのかもしれない。
「あと、たのしい」
「楽しい?」
「◯◯、ちょっとはずかしそう」
「──…………」
知らぬ間に羞恥プレイが行われていた。
「よし、撫でるの禁止!」
「えー」
「じゃあ、交代」
「うん」
髪を手櫛で梳いてやると、うにゅほが気持ちよさそうに吐息を漏らした。
俺ばかり気恥ずかしくて不公平だと思った。

〈2015年5月6日(水)の仕返しと思われる〉



2015年5月8日(金)

「──あっち向いて、ホイ!」
「ほい!」
俺の指先に従うように、うにゅほが右の方を向く。
「あー……」
「××、弱い」
「もっかい、もっかい」
「はいはい」
ぴ、と指を立てる。
「あっち向いて──……、ホイ!」
「ほい!」
俺の指先に従い、うにゅほが再び右を向いた。
「弱い……」
「──…………」
あ、ぶーたれている。
「仕方ない、コツを教えてあげよう」
「こつ?」
「××、指につられてそっちを見てるよな」
「うん……」
「つられないためには、あらかじめ向く方向を決めておけばいいんだよ」
「ほー」
「そうすれば、確率的に、四分の三は負けないはず」
「なるほどー」
ぴ、と指を立てる。
「行くぞ」
「うん」
「決まったか?」
「うん」
「あっち、向いて──……、ホイ!」
「ほ!」
指先は右。
うにゅほの首も右。
「──……まけた」
不信の目。
「確率、確率だって!」
「……ほんと?」
「どんなに頑張ったって四回に一回は負けるんだから」
「うーん……」
「じゃ、もう一回な」
「うん」
ぴ、と指を立てる。
「どっち向くかは決まったか?」
「うん」
「俺は、あれだぞ」
「うん?」
「ちょっとひねくれてるから、ジャンケンのとき、グー、グー、グーと来て、またグーを出したりするぞ」
「……うん」
「決まったな?」
「うん」
「──…………」
「──……」
「あっち向いてホイ!」
「ほい!」
指先は右。
うにゅほは、左。
「やた!」
「──…………」
ほう、と溜め息をついた。
接待プレイも楽ではない。
「かった!」
「いや、勝ってない勝ってない。負けなかっただけ」
「えー」
「次は××があっち向いてホイするほうな」
「うん」
なにやってるんだろうと思わないでもないが、楽しいと言えば楽しいので、いいや。



2015年5月9日(土)

「♪~」
助手席のうにゅほは、借りたばかりの本を膝に抱いてごきげんである。
「たくさん借りちゃったな」
「うん」
本日借りたのは、
クレジットカードのひみつ、
家庭用殺虫剤のひみつ、
がんのひみつ、
衛星多チャンネル放送と衛星通信のひみつ、の四冊である。
俺の目論見どおり、学研のまんがでよくわかるシリーズにハマってくれたようだ。
「どれから読むんだ?」
「うと、クレジットカード、かなあ」
「……へえー」
嫌な予感がする。
具体的には、ネット通販でのクレジットカードの使い過ぎを指摘されそうな気がする。
話題を変えよう。
「というか、よく衛星チャンネルなんたらなんて小難しそうなの借りたなあ」
「うん」
「面白そう?」
「うん」
意外である。
「なんか、なまえながくて、おもしろかった」
「名前が?」
「うん」
気持ちはよくわかる。
実を言うと、俺もすこし気になっていたのだった。
「××、知らないことを知るのは面白いだろ?」
「おもしろい!」
「前に勧めた世界奇食大全、読む?」
「……うと、」
しばし逡巡し、
「ちょっとだけ、よんでみる」
と、答えた。
「よーしよしよし!」
「うあー」
ウィンカーを上げて路肩に停車し、うにゅほの頭を撫でくり回す。
興味を共有できるのは、喜びだ。
次の目標は学術書かな。



2015年5月10日(日)

「──……暑い」
初夏めいた陽光が部屋に射し込んでいる。
「××、暑い」
「あついねえ……」
「窓開けていい?」
「えー」
「花粉が気になるのはわかるけど、このままじゃ茹だっちゃうって」
「うと……」
「ちゃんと網戸するから」
「……わかった」
網戸に意味はないと思うが、とにかく許可は出た。
使い捨てマスクを着け、意気揚々と窓を開く。
「はー……」
開けた瞬間、北側のベランダから東側の窓へ向けて、部屋の空気が押し出されていくのがわかった。
「すずしー……」
「ああ、涼し──」
うにゅほに笑い掛けたとき、空気清浄機が突如として轟音を立て始めた。
「……?」
視線を向けると、ニオイのランプが赤く輝いている。
どうしたのだろう。
「──くさ!」
「草?」
数秒後、理解した。
「臭ッ!」
それは牧場のにおいだった。
近所に酪農牧場があるため、風向きによっては堆肥のにおいが漂ってきてしまうのである。
「駄目だ、駄目だ」
慌てて窓を閉じる。
このままでは、花粉以前に部屋が臭くなってしまうだろう。
「はあ……」
「くさかったねえ……」
涼しくなったはずの室内が、たちどころに熱気に包まれる。
暑い。
「……牧場行って、アイス食べてくる?」
「!」
うにゅほが、うんうんと頷く。
このにおいを嗅ぐと、牧場のアイスが食べたくなる。
嫌な広告効果もあったものだ。



2015年5月11日(月)

「おかあさん、よろこんでたね」
「ああ」
「よかったね」
「そうだな」
一日遅れの母の日に、うにゅほと折半でサーモスのシャトルシェフをプレゼントした。
シャトルシェフとは、真空断熱構造の保温容器で余熱での調理を可能とした調理器具である。
調理鍋を一度煮立てて保温容器に移せば、放っておいても勝手に煮込まれてくれるというスグレモノだ。
「母さんもそうだけど、××も楽になるな」
「?」
うにゅほの頭上で疑問符が揺れる。
「××、よく鍋の火加減とか見てるじゃん」
「うん」
「あれしなくてよくなるだろ」
「えっ」
もしかしてと言うべきか、やはりと言うべきか。
「××、よくわからないままプレゼントしたろ」
「……うへー」
きまり悪そうに笑みを浮かべる。
仕方ない。
「いいか、保温調理ってのは──」

「──だから、火にかけ続ける必要がないんだ」
「ほー」
「わかった?」
「わかった」
本当かなあ。
いささか不安ではあるが、あとは実地で覚えればいいだけのことである。
「◯◯、ありがと」
うにゅほがぺこりと頭を下げる。
一瞬、意図が掴めなかった。
「あのおなべ、わたしもつかうもんね」
うにゅほは、母親の台所仕事の手伝いをしている。
母親が楽になるということは、うにゅほも楽になるということだ。
「……まあ、うん」
ちと照れる。
「あ!」
唐突にうにゅほが声を上げた。
「でも、わたし、じぶんつかうやつプレゼント……」
「あー」
そうなるのか。
「まあ、いいんじゃない?」
「いいのかな」
「そもそも俺だって、シャトルシェフで作った料理を食べるわけだし」
「あ、そか」
納得してくれたようだ。
「相手が喜んで、自分も喜べるなら、それが最高のプレゼントだろ」
「うん!」
「──…………」
「?」
口元を押さえる。
「……ごめん、いまのなし」
「えー」
面映いことを言ってしまった。
「いいことばなのに」
「やめて」
いい言葉だろうとなんだろうと、恥ずかしいものは恥ずかしい。
気をつけよう、気をつけよう。



2015年5月12日(火)

「××、××」
「?」
うにゅほの眼前に手をかざす。
「すげーぷるぷるしてる」
「!」
ダイソンのハンディクリーナーでたっぷり掃除をすると、いつもこうなってしまう。
「……だいじょぶ?」
「大丈夫」
うにゅほが俺の手を取った。
「まっさーじ、する」
「ありがとう」
もみ、もみ。
もみ、もみ。
華奢な指先が手のひらを刺激する。
「きもちい?」
「ああ」
「なおる?」
「どうかなあ」
経験上、なにもしなくとも明日には治るのだけど。
「だいそん、おもいもんね」
「重いし、震えるしな」
「あー」
うんうんと頷く。
「だいそん、ふるえるから、◯◯のてもふるえるんだ」
それは、なんかちょっと違う気がする。
「──…………」
「──……」
もみ、もみ。
もみ、もみ。
「きもちい?」
「ちょっと痛くなってきた、かも」
「あ、ごめん……」
「今度は腕のほう揉んでくれるか」
「うん」
もみ、もみ。
もみ、もみ。
「いたくない?」
「気持ちいい」
「そか」
しばらくマッサージを受けていたが、手の震えは止まらなかった。
ダイソン重すぎ。



2015年5月13日(水)

ぐう、と腹が鳴った。
「腹減ったなー」
「うん」
「なんかある?」
「あ、うまいぼうあるとおもう」
「チーズ?」
「ううん」
うにゅほが首を横に振る。
「やさいさらだと、ぎゅうたんしおあじ」
「なんか中途半端だな……」
「そかな」
階下の仏間へ赴くと、うまい棒の30本入りパックがふたつ置いてあった。
「牛タン塩ねえ」
食べてみる。
「……あ、美味い」
後味がちゃんと焼肉している。
癖は強いが、好きな味だ。
「はんぶん」
「はいはい」
食べかけのうまい棒を、うにゅほの口へ差し入れる。
「──…………」
サクサクサクサク
心地よい振動が指先に伝わる。
「おいしい」
「美味いよな」
欲望のまま食べ進め、気づけば牛タン塩味が残り十本を切っていた。
「──…………」
胃のあたりを撫でる。
「……なんか、気持ち悪い」
「だいじょぶ」
「げふ」
意図せずして沸き出したげっぷは、牛タン塩の味がした。
においだけでなく、本当に味がした。
「──…………」
うにゅほが自分の胸を押さえる。
「……けふ」
押し殺したような、ちいさなげっぷ。
「××、大丈夫か?」
「ちょっときもちわるい……」
牛タン塩味のうまい棒は、食べ過ぎると胸焼けしてしまうらしい。
読者諸兄も気をつけるように。



2015年5月14日(木)

「──…………」
俺は、あるものの処分に困っていた。
「?」
うにゅほが俺の手元を覗き込む。
「……たこやきキャラメル?」
正確に言うと、大阪限定たこ焼き風味キャラメルである。
「◯◯、またへんなの……」
「誤解だ!」
このキャラメルは友人の大阪みやげであり、意図して購入したものではない。
「そもそも俺は、マズいものが好きなわけじゃない」
「……そなの?」
うにゅほの視線がサルミアッキ周辺へと向かう。
「俺は珍しいものが好きなの!」
「あー」
うんうんと頷く。
なんとなくわかってもらえたようだ。
「たこやきキャラメル、めずらしくないの?」
「うーん、大阪限定って意味では珍しいのかもしれないけど──」
キーボードを叩き、ある単語で画像検索する。
「……じんぎすかんきゃらめる?」
「そう。十年くらい前、爆発的に売れた北海道みやげなんだけどさ」
「おいしいの?」
「クソマズい」
「まずいの……」
「マズいから売れたんだよ」
「えー?」
うにゅほには理解しがたい感覚のようだ。
「ジンギスカンキャラメル以降、マズいご当地キャラメルが雨後のタケノコみたいにぽこぽこ現れ始めた」
「それが、これ?」
「そういうこと」
「ふうん……」
「──でも、わざとマズく作ったものに価値なんてあるか?」
「?」
「それも、何番煎じの出涸らしでさ」
友人には申し訳ないが、決して嬉しいおみやげとは言えない。
「あのまずいあめ──」
「サルミアッキは、フィンランドでは大人気のお菓子なんだぞ。わざとマズく作ったわけじゃない」
「はー」
うにゅほが気圧されたように頷く。
「だから、こういう狙っただけのキャラメルは嫌いなんだ」
「たべないの?」
「……いちおう、ひとつ食べる」
マズかった。
もちろん、うにゅほには食べさせなかった。



2015年5月15日(金)

うにゅほが首を寝違えた。
「くびいたい……」
「ほら、モーラス貼るから髪の毛持ち上げて」
「はあい」
後れ毛を指で払い、うにゅほの首筋にモーラステープを貼る。
「うう……」
ハクメイとミコチを開きながら、うにゅほが苦しげにうめいた。
「ほんよむといたい……」
「首、傾けて読んだら?」
「したむくといたい」
「じゃあ、腕上げて」
「うん……」
しばしして、
「うでつかれる……」
「横になって読むとか」
「うん……」
しばしして、
「──……すう」
うにゅほの寝息が聞こえてきた。
「××、××」
「う」
「その体勢で寝ると、余計に寝違えるぞ」
「うん……」
そうなると、途端にすることがない。
「ひま」
「そっか」
「さむいねー」
「本当だよな」
「◯◯、くつしたはく?」
「履こうかな」
「わたしもはく」
「そのほうがいいな」
「くびいたい」
「大丈夫か?」
「うん」
「──…………」
「──……」
仕方ない。
俺は、自分の膝を叩いてみせた。
「××、なんかDVDでも見よう」
「でぃーぶいでぃー?」
「パソコンチェアなら回るから、首に負担を掛けないように微調整できるだろ」
「おー」
「……それに、寒いしな」
「そだね」
うにゅほを膝に抱きながら、水曜どうでしょうの中米コスタリカ編を一緒に見た。
今日の作業は進まなかったが、まあいい。



2015年5月16日(土)

祖母の見舞いを終えたあと、うにゅほが泣き止むのを待って帰途についた。
「──…………」
ぐし、とうにゅほが目元をこする。
「……おばあちゃん」
「──……」
「おばあちゃん、いつ──」
そこまで口にして、再びしゃくり上げる。
うにゅほは、祖母の苦しみを傍で見てきた。
うにゅほは、祖母が延命治療を拒否していることを知っている。
うにゅほは、既に覚悟している。
俺と同じように。
「……わからない」
わからないよ、俺には。
早いほうがいいのか、遅いほうがいいのか、その程度のことでさえ。
「──…………」
「──……」
沈黙。
カーステレオから流れる桑田佳祐の歌声だけが、車内を賑やかしていた。
「……××」
「──…………」
「クレープ、食べに行くか」
「……いい」
「じゃあ、俺が食べたいから、付き合ってくれるか」
「……うん」
行きつけのクレープ屋へと立ち寄り、生チョコモンブランクレープを食べた。
うにゅほも、ふたくちだけ食べた。



2015年5月17日(日)

目を覚ますと午後三時だった。
「──……あつ」
胸元を開き、ぱたぱたと風を送る。
ここまでがっつりと寝過ごしたのは久し振りだ。
「あ、おきた」
「……おはようございます」
すぐ傍で漫画を読んでいたうにゅほにぺこりと頭を下げ、マットレスの上であぐらをかいた。
「なんじにねたの?」
「三時くらいだと思うんだけど……」
「じゅうにじかん……」
「……十二時間ですね、はい」
「ぐあい、わるくない? だいじょぶ?」
「──…………」
あふ、とあくびをひとつ。
「……まだ眠い」
これは、たぶん、寝過ぎて眠いのだ。
「あー……」
頭をゆっくりと左右に振りながら、呟くように口を開く。
「具合は悪くないんだけどなあ……」
「からだ、いたくない?」
「痛い」
主に背中が痛い。
「まっさーじしてあげましょう」
「お願いします」
布団を端に折りたたみ、うつ伏せになる。
うにゅほが、俺の両足を挟むように膝立ちになり、親指の腹で背筋を押した。
「ん、しょ」
「──…………」
「ん、しょ」
「──…………」
「きもちいい?」
「──…………」
「……?」
「──…………」
一瞬で眠りに落ちていた。
「◯◯、◯◯!」
「──はっ」
結局、完全に目を覚ますまで三十分ほど掛かってしまった。
なんでこんなに眠かったんだろう。



2015年5月18日(月)

「あ!」
うにゅほが、唐突に、タイルカーペットをばんばんと叩き始めた。
「どうした?」
「が!」
「蛾?」
「ちいちゃいが!」
を、見つけたらしい。
しばらく窓を開けていないのに、いったいどこから湧いて出てくるのだろう。
「蛾、どのあたり?」
「くうきせいじょうきんとこ」
キンチョール☆の缶を手に取り、空気清浄機の傍に膝を突く。※1
「あ、いた!」
そして、うにゅほの指さした先に、大量に噴霧した。
体長1センチほどの小さな蛾がバタバタとのたうち回り、やがてその動きを止める。
同時に、

──ぶおおおおおおおおッ!

空気清浄機が唸りを上げた。
「うお、ニオイランプとハウスダストランプがダブルで真っ赤になってる!」
「ほんとだ!」
初めて見た。
「きんちょーるのせい?」
「他にないだろ」
「ちいちゃいが、はいったとか……」
「──…………」
無言で蛾の死骸を示す。
「あ、そか」
「蛾なんて入ったら大事だぞ」
「そだね」
一枚目のフィルタに引っ掛かると思うけど。
「──…………」
「──……」
「……いちおう確認しとくか」
「うん」
我ながら小心者である。

※1 2014年7月1日(火)参照



2015年5月19日(火)

「……いえ、ゆれてるね」
「ああ」
震える窓、耳障りな家鳴り、暴風が市街地を駆け抜けていく。
「平気か?」
「うん」
「本当は?」
「ちょっとこわい」
「どうしたら怖くなくなる?」
「……てーつなぐ」
「はいはい」
苦笑し、うにゅほに右手を差し出した。
成長しているようでいて、していないようでいて、やっぱりしている。
出会ってすぐの頃は、頭から布団をかぶっていたものな。
「ゆびげ」
「痛い、痛い」
「ごめんなさい」
「暇なのか」
「うん」
「テレビでも見るか?」
「うん」
うにゅほの手を引いて、リビングへと赴いた。
「先週のナイトスクープでいい?」
「いい」
「ナイトスクープ、北海道だと半年ずれてるんだよなあ」
「そなの?」
スリムクラブ真栄田の服装を指さし、
「ほら、コート着てる」
「ほんとだ」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんで?」
「いや、俺にもよくわからんけど」
いろいろと細かな事情があるのだろう。
「もともとは関西ローカルで──」
不意に、大きく家が傾いだように感じられた。
「わああ」
いささか間の抜けた声を上げて、うにゅほが俺に抱きついた。
「ゆれた、ゆれた」
「大丈夫だって」
頭を撫でて落ち着かせる。
「地震のほうが揺れるだろ」
「かぜでゆれるからこわい……」
仕方がないので、しばらくのあいだくっついたままテレビを見ていた。
寒かったからちょうどよかった。



2015年5月20日(水)

評判がよかったので、プリングルズのマヨチーズポテト味を買ってみた。
「せーのでね」
「はいはい」
「せーの!」
うにゅほの掛け声に合わせ、ポテトチップスを口に放り込む。
チーズともマヨネーズともつかない強い酸味。
「ふうん……」
そこそこ美味しい。
「しょぱ!」
うにゅほには味が濃すぎたようだ。
「◯◯、ぎゅうにゅういる?」
「頼むー」
とてとてとリビングへ向かううにゅほを見送り、もう一枚。
「──…………」
更に一枚。
「……?」
なにかが記憶に引っ掛かる。
「はい、ぎゅうにゅう」
「ありがとう」
ポテトの欠片を牛乳で流し込み、尋ねた。
「××、この味、なんかに似てない?」
「なんかって?」
「なんだろう……」
大きく首をかしげても、耳から答えは出てこない。
「たくさんたべたら?」
うにゅほが、プリングルズの缶に手を突っ込み、五枚まとめて取り出した。
「あーん」
多い。
「──…………」
ボリボリと骨に響く音と共に、極めて塩気と酸味の強い味が口いっぱいに広がった。
これは、そう──
「ふぁんはーはーだ!」
「ちゃんとのみこんで」
「……ハンバーガーだ!」
「はんばーがー?」
「マクドナルドのチーズバーガーそっくりだ」
「へえー」
「似てない?」
「あんまし……」
「ほら、チーズのしょっぱさとピクルスの酸味がさ」
「わたし、ぴくるすきらい」
「あー」
そうだった。
「ぴくるすはいってると、こんなあじするの?」
「かなり近いと思う」
「じゃあ、こんどたべてみる」
「ああ」
「……ひとくちだけ」
酢漬けの苦手なうにゅほだった。



2015年5月21日(木)

「あ、あー……」
プリンタのインクカートリッジを交換していたところ、人差し指の腹にマゼンタが付着してしまった。
「どしたの?」
「これ」
「!」
うにゅほが息を呑む。
「──ち! ち、ち、ちー、じゃない」
「血じゃない」
「ちじゃなかった」
うへー、と苦笑する。
血にしては色が明るすぎるものな。
「プリンタのインクがついちゃったんだよ」
「エイさんのインク?」
「……えーと、まあ、そうかな」
久し振りに聞いたな、エイさん。
「かして」
うにゅほが俺の左手を取り、細い親指でインクを擦った。
俺のインクは薄くなり、うにゅほの指がピンクに染まる。
「なにやってんだ」
「とれるかとおもって」
「素直に手を洗いに行きましょう」
「そうしましょう」
しかし、プリンタのインクは、そう簡単に落ちなかった。
「どうしよう……」
「ニ、三日ほっといたら落ちるんじゃないかな」
「きになる」
「まあ、気にはなるけど」
うにゅほが落ち着かない様子だったので、「プリンタ インク 手」で検索をかけてみた。
「お」
「わかった?」
「シャンプーで落ちるらしいぞ」
「シャンプー?」
「ああ」
「ビオレはだめなのに」
「そうだな」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんで?」
「いや、なんでかは知らないけど……」
「ふうん」
風呂から上がって確認すると、インクは見事に落ちていた。
なにはともあれ、よかったよかった。



2015年5月22日(金)

マイピクチャを整理していると、三年ほど前に撮った写真が出てきた。
「××、××、ちょっと見てみ」
「?」
うにゅほが顔を上げる。
「わたし?」
「そう」
その写真は、ソファに腰掛けてぼんやり天井を見上げているうにゅほを、こっそり撮影したものだった。
「ちょっと口開いてる」
「わあ!」
うにゅほが慌てて立ち上がり、手のひらでディスプレイを隠す。
「あんまみないでー……」
「可愛いのに」
「かわいくない、かわいくない」
画像ビューアを閉じ、改めてうにゅほを観察する。
「××、ちょっと変わったよな」
「かわった?」
「ああ」
以前より顔色がよくなったし、ずっと表情豊かになった。
そして、
「ちょっと太ったな」
「ふと!」
があん、とうにゅほが凍りつく。
「ああ、違う違う! ××が太ってるって意味じゃない!」
「ふとったって」
「三年前よりってことだよ」
「ふとったって」
「ガリガリが痩せになったからって、前よりかは太ったにしても、太ってることにはならないだろ!」
「ふとったって……」
「……ごめん、表現を誤った」
これまで体重を気にする素振りを見せたことがなかったから、こんなにショックを受けるとは思わなかった。
ああ、ちゃんと女の子しているのだなあ。
風呂上がり、体重計に乗るうにゅほの姿を見た。
体重は教えてくれなかった。



2015年5月23日(土)

「──……うぐ」
腹部を押さえながら、前傾姿勢で自室の扉を開く。
「◯◯、だいじょぶ?」
「大丈夫……」
普通に腹を下しているだけだから、さほど深刻ではない。
まあ、痛いけど。
「あかだまのんだ?」
「飲んだ」
「なんかへんなのたべた?」
「パンしか食ってないよ」
ずっと一緒にいただろうに。
「ふしぎだねえ……」
うにゅほが小首をかしげる。
「もともと病弱だからな、仕方ない」
ソファに体を横たえると、うにゅほが傍に膝を突いた。
「おなかなでる」
「ありがとう」
うにゅほの右手がへそのあたりをぎこちなく這いまわる。
不思議とくすぐったくはない。
「きもちい?」
「ああ」
手のひらの熱が腹の底に染み込んでいくようだった。
「てをあてるから、てあてっていうんだって」
「それ、前も言ってなかったか?」
「そうだっけ」
そのフレーズが気に入っているらしい。
「俗説らしいけどな」
「ぞくせつ?」
「本当は違うってこと」
「ちがくないよ」
うにゅほが自信たっぷりに言う。
「おなかなでたら、おなかいたくなくなるし、あたまなでたら、あたまいたくなくなるよ」
「そういう意味じゃ──」
「◯◯になでてもらったら、いたくなくなるもん」
「──…………」
そこまで言われてしまっては、否定なんてできない。
「……そうだな、違わないな」
「うん」
なでなで。
通説とか、俗説とか、どうでもよくなる程度には心地いい。
そのまましばらく撫でられていると、五分ほどで腹痛は治まった。
半端な知識なんかより、その事実のほうが重要である。



2015年5月24日(日)

作務衣の尻の部分が破れてしまったので、裏から布を当てて補修した。
「──…………」
「──……」
「……目立つな」
「うん」
紺青色の作務衣に、薄群青の当て布。
青は青だが色味がまったく違う。
「変、だよな」
「はいてみないと……」
穿いてみた。
「どうだ?」
「パンツみえてるみたい」
予想通りだった。
「こんな仕上がりになるなら、いっそ、アップリケみたいにすればよかったかもなあ」
「あっぷりけ」
完成図を想像する。
「あ、駄目だ。どっちにしろ駄目だ」
「だめ?」
「作務衣の尻に猫の顔があるのを想像してしまった」
「かわいい」
「成人男性の尻だぞ……」
うにゅほのおしりでもギリギリだと思う。
「──…………」
いや、やっぱりアウトだ。
「さむえ、すてちゃうの?」
「いや、捨てない。箪笥の奥にでも仕舞っておくよ」
いちおう祖父の形見でもあるし。
「じゃあ、わたし──」
「サイズが合わないから、駄目」
「えー」
「××、甚平持ってるだろ。そろそろ暖かくなるし、そっち着なさい」
「はあい」
うにゅほは、要らなくなった俺の衣服を欲しがる傾向にある。
構わないと言えば構わないのだが、サイズが違いすぎて下衣が脱げてしまったりするのが悩みどころだ。※1
手ぬぐいやハンカチに加工し直そうかと思ったが、水を吸う生地ではないので、やめた。
面倒だし、ミシン苦手だし。

※1 2013年5月1日(水)参照



2015年5月25日(月)

耳鼻科から帰ってくると、うにゅほが俺のベルトをいじっていた。
「ただいま」
「あ、おかえりなさい」
「なにやってんだ」
「◯◯のベルトつけてる」
「いや、それは見ればわかるけど……」
うにゅほが、スカートの上からベルトを絞る。
「あなない」
「そりゃなあ……」
俺のウエストとうにゅほのウエストとでは、20cm以上の開きがあるだろう。
「◯◯いまつけてるやつ、あなたくさんあるやつ?」
「ああ」
シャツの裾をめくる。
ベルト全体に均等に穴があるタイプの二つ穴ベルトだ。
「俺は──、何列目だ?」
「いち、にー、さん、よん、ごー、れつめ」
「五列目か」
「ぎりぎり?」
「いや、もっと絞れば六か七まで行くけど」
ベルトを外し、渡す。
「わたし、なんこめくらいかな」
「十くらいは行くんじゃないか?」
うにゅほが俺のベルトを締める。
「いち、にー、さん──はっこめ!」
「八か……」
そんなに太いはずないと思うけど。
「このベルトなら、わたしもつけれる」
「やらんぞ」
「えー」
狙ってたのかよ。
うにゅほが手を離した瞬間、
「あっ」
すとん、とベルトが足元に落ちた。
「──…………」
「──……」
「落ちたの、ベルトだけで良かったな」
「うん」
やはり、絞りが甘かったらしい。
改めて俺が締め直してやると、ぴったり十列目だった。
「ちょっときつい」
「腰骨に引っ掛けないと、また落ちるからな」
「そか」
今度、同じようなデザインのベルトを買ってあげようかな。
うにゅほ、お揃い好きだし。



2015年5月26日(火)

部屋の拭き掃除をするために雑巾をしぼっていると、うにゅほが俺の手元を覗き込んだ。
「あ!」
「うん?」
「◯◯、ぞうきんのしぼりかた、ちがうよ」
「雑巾にしぼり方なんてあるのか?」
うにゅほが得意げに頷く。
「そうじのひみつにかいてた」
「ほう」
学研のまんがでよくわかるシリーズが、着実に力になっているようだ。
「どうやるんだ?」
「たてにしぼる」
「縦?」
「うん」
「縦だと、なんか違うの?」
「……?」
小首をかしげる。
知識はあっても経験が伴っていないのだ。
「まあ、やってみようか」
「かして」
うにゅほが、バットを握るように雑巾を持った。
「ん!」
しぼる。
少なくない量の水が雑巾から垂れ落ちた。
「しぼりやすい?」
「──…………」
「──……」
「はい」
うにゅほから雑巾を受け取る。
よくわからなかったらしい。
同じように雑巾を持ち、軽く手首を捻ってみた。
「……?」
横に持ってしぼるのとでは、なにかが違う。
幾度か持ち変えてみて、気がついた。
「縦にしぼると、右手も左手も内側に捻り込めるんだ」
「うちがわ?」
「ほら、横に持ってしぼると──」
左手が順手、右手が逆手となって、均等に力が入らない。
「あー」
「なるほどなあ」
これは、実際にしぼってみなければわからないだろう。
「たてしぼりっていうんだよ」
「へえー」
雑巾の正しいしぼり方か。
覚えておこう。



2015年5月27日(水)

最初に見つけたみっつの言葉。
ひと昔前にtwitterで流行した心理テストである。
ふとした拍子に見かけたので、うにゅほに勧めてみることにした。
「××、××」
「なにー?」
「この画像を見てください」
「……?」
「ひらがながたくさん書いてありますね」
「うん」
「この中から、意味のある言葉を探してください」
「いみのある──」
うにゅほが画像下部を指さす。
「けんりょく」
「権力……」
予想だにしない単語が飛び出した。
「あとふたつ……」
「うと」
すこし迷ったあと、中央付近を指し示す。
「せいこう」
「成功……」
「あ、さるあった」
「……猿?」
「これなに?」
「えーと、このみっつが、あなたが人生で手に入れたいものなんだって」
「えー……」
権力、成功、猿。
すごい単語が出揃ったものである。
「猿、欲しい?」
「べつに……」
だよなあ。
あまり当てにはならなそうだ。
「ね、◯◯は?」
「俺はたしか、自由、時間、余裕──だったかな」
「あってる?」
「合ってる気はする」
「わたしの、へん……」
権力、成功、猿。
「なんか、裏社会のボスっぽい」
「えー」
「もうひとつだけ探してみるか?」
「うん」
じ。
うにゅほがディスプレイとにらめっこをする。
「──あ、へいわ!」
「平和か」
「へいわ、あってる、かも」
「俺もそう思うよ」
いかにもうにゅほらしい単語だ。
権力、成功、猿については、あまり深く考えないことにしよう。



2015年5月28日(木)

プリンタが紙詰まりを起こし、印刷を停止してしまった。
「あー……」
「エイさん、さいきんちょうしわるいね」
「なんかな」
「エイさーん……」
プリンタのスキャナ部を、うにゅほが優しく撫でる。
「──……××」
「?」
「機械は、撫でても直らないぞ」
「わかってるよー」
うにゅほが不興な面持ちでこちらを睨む。
よかった、わかってた。
「エイさん、どしたんだろね」
「買ってから一年以上経つから、どっか壊れてるのかもしれない」
「うん……」
「まあ、保証書あるし、最悪──」
取扱説明書の袋から保証書を取り出し、気がついた。
「……これ、エイさんの保証書じゃない」
「え」
「Logicoolって書いてある」
「ろじくーる」
うにゅほが小首をかしげる。
「エイさんは?」
「EPSON」
「ろじくーるは?」
「マウス……」
「なんで?」
「わからん……」
「ほしょうしょないと、どうなるの?」
「修理するのにお金がかかる」
「たいへんだ」
うにゅほと一緒にプリンタの保証書を探したのだが、これがまあ見つからない。
「困った……」
「どうするの?」
「騙し騙し使うしかないなあ」
「そか……」
エイさん用のインクを大量に買ってしまったから、買い換えるわけにもいかないし。
本格的に壊れないことを祈りながら、大切に使おう。



2015年5月29日(金)

「うへー……」
うにゅほがソファでとろけている。
窓を開けても暑いのだ。
「……アイス食べたいなあ」
「うん……」
「せっかくだから、映画館の途中にあるジェラート屋さん行こうか」
「いく!」
途端にシャキッと立ち上がる。
現金なものだ。
海沿いの国道をミラジーノでひた走り、たっぷりと風景を堪能したあと、道を間違えていたことにようやく気づき、慌てて引き返した。
「うみきれいだったねー」
「晴れててよかったな」
「うんうん」
うにゅほが喜んでいたので、たまにはこんな回り道もいいだろう。
「俺は──ミルク、かぼちゃ、きなこのトリプルで。
 ××はどうする?」
「うと、きなこと、チョコ……」
「ダブルでいいのか?」
「うん」
ジェラートを受け取り、ベンチに座る。
「──あ、きなこ美味いな」
「うん、おいしい」
スプーンをひとなめするたびに、初夏の暑さが心地よく引いていく。
「あ!」
うにゅほが唐突に声を上げた。
「◯◯、◯◯、あーん」
「……?」
差し出されたスプーンを無言でくわえる。
「おいしい?」
「美味い」
「きなことチョコ、いっしょにたべると、とうにゅうココアのあじする」
「……あー、するかも」
豆乳もきなこも同じ大豆だしな。
「きなことかぼちゃ、一緒に食べてみるか?」
「なんのあじ?」
「きなことかぼちゃを一緒に食べた味」
「あはは、ふつうー」
仲良くジェラートをたいらげ、帰宅した。
夏になったら、また来よう。
夏を待たずに来るかもしれないけど。



2015年5月30日(土)

「あ゙ー、あ゙──……」
喉が痛い。
軽い風邪を引いてしまったようだ。
トローチを口に放り込み、使い捨てマスクを着けて、横になった。
「◯◯、だいじょぶ……?」
「いまんとこは……」
喉は痛いが、咳もない。
明日には治っているだろう。
ちいさくなったトローチを噛み砕き、頭から毛布をかぶる。
「ちょっとだけ寝る」
「うん、ねたほういいよ」
「おやすみ」
「おやすみなさい」

しばしして、
「……ぶはー!」
暑い!
毛布を蹴り飛ばし、枕に顔を突っ伏した。
肌寒さから毛布にくるまったが、速攻で蒸してしまった。
「あ、だめだよ」
「暑くて……」
「なんかかけないと、かぜひどくなっちゃうよ」
「でも、汗だくになったら体温下がるし……」
「じゃあ──」
がら。
うにゅほが、すこしだけ窓を開けてくれた。
「すずしくなった?」
「ああ、ありがとう……」
再び毛布を掛けてもらい、目を閉じた。
至れり尽くせりである。

しばしして、
「──……寒い」
毛布一枚では足りないと、足元の布団を引き上げる。

しばしして、
「暑い!」
俺は、毛布ごと布団を引き剥がした。
「どしたの?」
「毛布だけだと寒くて、布団掛けると暑い……」
帯に短したすきに長しである。
「うーん」
小首をかしげながら、うにゅほが言った。
「タオルケット、だす?」
「たのむう」
うにゅほが押し入れから持って来てくれたタオルケットをかぶり、小一時間ほど横になると、すこしだけ楽になった。
どうか長引きませんように。



2015年5月31日(日)

ぼり。
ぼりぼり。
飴を噛み砕く振動が、奥歯を伝わって頭蓋を揺らしている。
「◯◯、もうかんじゃったの?」
「もう噛んじゃった」
「◯◯、すぐかんじゃうねえ」
「なんかなー」
ココアキャンディの残りカスを噛み潰しながら、新しい飴の個包装を破ろうとして、

──ガリ!

「……?」
不意の異物感に顔をしかめた。
なんだろう。
指先に吐き出すと、白く、半透明な、2mm角ほどの小さな破片だった。
「なんだ、これ」
「なにー?」
「なんか、口から出てきた」
「くちから──」
うにゅほが俺の口元を覗き込み、はっと目を丸くした。
「◯◯! まえば!」
「前歯?」
「かけてる!」
「──……えっ」
卓上鏡を手に取り、恐る恐る確認する。
「あー……」
小さく目立たないが、確かに前歯の一部が欠け落ちていた。
「あめかむから……」
言葉も無い。
「……これ、歯医者行ってなんとかなるのかなあ」
「わかんない」
鏡に向かい、笑顔を作ってみる。
間が抜けていた。
「──……はあ」
溜め息と共に、大きく肩を落とす。
「飴は、奥歯で噛むことにしよう……」
「かむんだ……」
「あと、なるべく小さくなってからにしよう」
「かむんだ……」
「××も気をつけろよ」
「うん」
うにゅほが真剣な瞳で頷いた。
女の子だもの、前歯が欠けるなんて嫌だよな。
男だって嫌だけど、欠けてしまったものは仕方がない。
現代の歯科技術に委ねよう。

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