>> 2015年04月




2015年4月1日(水)

「──◯◯、◯◯!」
「うん?」
「うへー……」
図書館で借りた本に落としていた視線を上げると、うにゅほがにんまりと笑みを浮かべていた
「◯◯、チョコたべる?」
「あ、うん」
「はい!」
手渡されたのは、ピノほどもある大粒のチョコだった。
海外製なのだろうか、形状に雑さが窺える。
「──…………」
「♪~」
なんだろう、妙に機嫌がいい。
心中で首を傾げながらチョコを口に放り込み、
──ぶにん。
「はう!」
予想外の食感に変な声を上げてしまった。
「……これ、マシュマロ?」
「せーかい!」
チョコパイかと思いきやエンゼルパイだった気分だ。
まあ、美味しいけど。
「チョコ、うそでした」
「嘘……」
ああ、なるほど、エイプリルフールか。
「──あれ、嘘ではなくない?」
「?」
「だって、チョコはチョコだろう」
「ましゅまろ……」
「チョコをくぐらせたマシュマロを、マシュマロチョコって言うんだよ」
たしか。
「うー……」
「嘘というより、イタズラに近いかな」
「──…………」
しばしの黙考ののち、
「……ましゅまろは、おもちなんだよ?」
と、うにゅほが苦しまぎれの嘘をついた。
なんとまあ、わかりやすい。
「えっ!」
とりあえず、大袈裟に驚いてみせる。
「よく知ってるなあ」
「……え?」
「マシュマロって、もち粉と砂糖から作るんだよ」
「そなの?」
目を丸くしたうにゅほの頬を、両手で挟む。
そして、
「うっそーん」
と、ほっぺたをこねまわした。
「ぶー……」
あ、ちょっと怒ってる。
「来年のエイプリルフールまでに、もっと完成度の高い嘘を用意したまえよ」
「ふぁーい……」
すぐに見破れる嘘のほうが、可愛くていいけど。



2015年4月2日(木)

「ふー……、ん?」
バスタオルを首に提げたまま冷蔵庫を開くと、目的のものが見当たらなかった。
「××」
「んぅ……」
「冷蔵庫で冷やしてたタンブラー知らない?」
「……たんぶら?」
「コップ」
「こっぷ」
「──……?」
うにゅほの頭が左右に揺れている。
「……もしかして、飲んだとか」
「おいしーい、ぺぷし?」
「あれ、ぶどうリキュールのペプシ割りだったんだけど……」
風呂あがりに飲もうと冷やしてあったのだ。
「うぇへー」
俺の手を取り、ほっぺたに当てる。
熱い。
そして、しっとりしている。
間違いない。
「飲んじゃったのか……」
「のんらった!」
うにゅほが勢いよく諸手を挙げる。
もう、ぐでんぐでんだ。
「はあ……」
俺は頭を抱えた。
やってしまった。
風呂へ行く前に一言告げておけば、こんなことにはならなかったのだ。
とりあえず、正体をなくしかけているうにゅほを放っておくわけにもいくまい。
頬ずりされている右手を抜き取ろうとして、
「……ぇる」
「ノう!」
うにゅほに手のひらを舐められた。
「駄目! 敏感だから言った手のひらはこの前!」※1
「うへへえ」
泣き上戸、笑い上戸、酒に酔ったときの癖はいろいろあるが、うにゅほはどうやらイタズラ上戸らしい。
なんとまあ、厄介この上ない。
自業自得だけど。
横っ腹をつつかれたり指を甘噛みされたり抱きつかれたりしながらも、三十分ほどかけて、ようやくうにゅほを寝かしつけた。
「──……、はー……」
深く、深く、溜め息をつく。
二日酔いにならなければいいのだけど。

※1 2015年1月14日(水)参照



2015年4月3日(金)

「──……ゔー」
ソファの背もたれに反り返ったうにゅほが、低いうめき声を上げた。
「あだまいだいー……」
「……本当にすいません」
俺の不注意のせいで、うにゅほは絶賛二日酔い中なのである。
「◯◯のせいじゃ、ないよう……」
浮かべた笑みが痛々しい。
「バファリン飲むか?」
「のんだ」
「水分をたくさん摂ったほうがいいらしいぞ」
「うん」
「してほしいこと、あるか?」
「ひざまくら……」
ちいさな頭を太腿に乗せ、乱れた前髪を掻き上げてやる。
すこし汗っぽい。
ストーブが効きすぎているのかもしれない。
「でも、おいしーかったなー……」
溜め息と共にうにゅほが呟いた。
ペプシネックスとぶどうリキュールの相性が抜群だったようである。
そうじゃなきゃ、飲み干したりしないよな。
「……もう駄目だぞ」
「うん」
「俺も、しばらく飲まないから」
「ちょっとならいいよ?」
「禁酒する」
もともと大して酒飲みでもないし。
「──…………」
ふと、気になることがあった。
「味、覚えてるんだな」
「おいしかった」
「それはいい」
うにゅほの額に手を当てながら、尋ねる。
「飲んだあとのことって、どんくらい覚えてるんだ?」
昨夜は、爆笑しながら俺の横っ腹を好き放題にもみつくしたあと、倒れるように寝入ってしまったのだけど。
「のんだ、あとー……?」
ゆっくりと左右に首を揺らし、
「なんか、ふわふわして、きもちかったきーする」
「──…………」
まあ、気持ちはよかっただろうなあ。
「……××、家でもそうだけど、外では絶対に飲んじゃ駄目だぞ」
「? うん」
俺がいても、いなくても、大変なことになりそうだ。
うにゅほがお酒を飲める年齢になるまで、まだしばらくはかかるけど。



2015年4月4日(土)

「──……! っ!」
聞き慣れたSEが響くたび、うにゅほの肩が大きく揺れる。
ここのところ、3DSのバーチャルコンソールで購入した初代スーパーマリオブラザーズにハマっているのだ。
いまはどうやら1-2で詰まっているらしい。
「──…………」
クロノトリガー、やらなくなっちゃったなあ。※1
中世ガルディアの森で無限にシェルターを入手できると教えてしまったのが間違いだった。
まさか、三時間ものあいだ、延々と取り続けるとは思わなかったのだ。
アイテムの所持上限を教えていなかったため、最終的に99個しか手元に残らなかったことに絶望し、それ以降はプレイしていない。
いつかクリアしてくれると嬉しいんだけどな。
「あ、あっ、あー……」
うにゅほの嘆きと共に、ゲームオーバーのBGMが流れ出した。
「どこまで行けた?」
「おれんじいろの、のるやつんとこ」
「お、パックン抜けられたのか」
「うへー」
照れ笑いを浮かべる。
「あとは制限時間だな」
「うん」
楽しくて仕方がない、という様子だ。
「◯◯、おてほんみして」
「はいはい」
うにゅほから3DSを受け取り、スタートボタンを押す。
マリオは苦手ではない。
しかし、3DSは苦手である。
スーパーファミコンのコントローラーであれば、1マスBダッシュジャンプもできるのだが、現状では普通にクリアするのが関の山だ。
「はい、ゴール」
1-2の砦が祝砲を上げる。
「わあー、すごいねえ」
「子供のときからやってるからな」
とりあえず、ワープゾーンのことは黙っていようと思った。

※1 2014年12月25日(木)参照



2015年4月5日(日)

「──……寒い」
「うん……」
ふたりで毛布にくるまりながら、溜め息のように呟いた。
頼みの綱のファンヒーターは、灯油が切れている。
そのままにしているのは、あと数ヶ月は使うこともないだろうと判断したからだった。
空っぽか、満タンか、どちらかの状態にしておかなければ、残存した灯油が酸化してしまう。
「さむいー……」
うにゅほが両手をこすり合わせる。
吐息が白むほどではないが、四肢の先がかすかに痛むくらいには冷え込んでいた。
「……しゃーない、灯油汲んでこよう」
「やた!」
うにゅほが両手でガッツポーズをした。
「いま、灯油の匂い嗅げるって思わなかった?」
「──…………」
唇を噛み、目を逸らす。
わかりやすいやつだ。

玄関にあるタンクから灯油を汲み、ストーブをつけた。
「はー……」
「あったけー……」
放り出した両足に、じんわりと心地よい痒みが走る。
「……◯◯?」
うにゅほが、上目遣いでこちらを見上げた。
「いまさら遠慮せんでも」
「♪」
うにゅほの鼻先に右手を差し出す。
ふすふす。
可愛らしい鼻息が手のひらをくすぐった。
「今季はこれで最後だろうから、よーく嗅いどきなさい」
「はい」
ふすふす。
はー。
はすふすはす。
はー。
これが十分も続くのだから、たまらない。
「……満足したか?」
「うん!」
うっとりと目を細めるうにゅほの姿を横目に、自分の指を嗅いでみた。
「──…………」
既に揮発したらしく、なんの匂いもしなかった。
嗅ぎすぎである。



2015年4月6日(月)

「××、じゃーん」
「あ、ぶどうのやつ」
「そそ」
ウェルチのグレープジュースをレジ袋から出し、食卓テーブルに置いた。
「こないだ××がお酒飲んじゃったとき、すごい美味しかったって言ってただろ」※1
「たぶん……」
記憶が曖昧らしい。
「お酒は駄目だけど、味のほうは再現できないかと思って」
「ペプシとまぜるの?」
「正解」
キンキンに冷えたペットボトルを冷蔵庫から取り出し、キャップを回す。
ぷし。
心地よい音が耳朶を打った。
「××、ジュース適当に注いでくれ」
「うん」
もたもたとキャップを開き、グレープジュースをグラスに注ぐ。
「はい」
「──…………」
「?」
「××、普通に注いだら、ペプシがもう入らない」
「あっ」
両手でグラスを持ち、誤魔化すように苦笑する。
「あはー……」
「うっかりしてたか」
「うっかりしてた」
くぴ。
中身を半分ほど空け、グラスを置く。
「ウェルチは濃いから、もうすこし減らしたほうがいいな」
「そなんだ」
今度は俺がグラスを傾け、指一本分ほど残した。
「すくない」
「大丈夫だと思うけど……」
グラスにペプシを注ぐと、似通った二色の液体が混じり合い、紫色の泡が立った。
「のんでみていい?」
「ああ」
くぴ。
「──…………」
「どうだ?」
「……ぶどうソーダ?」
グラスを受け取り、舐めるように味を確かめる。
「グレープ濃いな!」
「こい」
「さすが果汁100%……」
幾度か比率を変えて試してみたが、あの味を再現することはできなかった。
ぶどうと言ってもいろいろある。
また別のジュースで試してみよう。

※1 2015年4月2日(木)参照



2015年4月7日(火)

目が乾いているような気がして、目薬をさすことにした。
デスクの上に眼鏡を置き、手探りで容器を掴む。
点眼しようとしたとき、それが薬用のリップスティックであることに気がついた。
「──…………」
せっかくなのでリップスティックを塗りたくり、再び目薬を探す。
「……ん?」
デスクの上がごちゃごちゃしているため、一向に見つけ出すことができない。
「? なにしてるの?」
困っている気配を感じ取ったのか、うにゅほが漫画から視線を上げた。
「いや、目薬探してるんだけど……」
「あれ、めがね」
「……ここで掛け直すと、負けた気がして」
「はー」
よくわからないけど、わかった。
うにゅほの顔は見えないが、たぶんそんなことを思っているのだろう。
おもむろに立ち上がり、
「はい」
あっという間に目薬を見つけてくれた。
「……ありがとう」
なんだろう、よくわからないけど、とても情けない気分だ。
「あ、わたしさしていい?」
「すいません、自分でやります……」
「そか……」
目薬を受け取り、点眼する。
なんだか妙に目にしみた。
疲れてるのかな。



2015年4月8日(水)

「──…………」
カーラジオから流れ出す歌声にハッとして、耳を澄ました。
「……この曲、いいなあ」
「このきょく?」
「ああ」
「──…………」
「──…………」
しばし無言。
「……うん、うん」
「な?」
ポケットからiPhoneを取り出し、うにゅほに手渡す。
「××、ちょっと歌詞で検索してみて」
「はい」
「検索の仕方、わかる?」
「……うん」
いささか心もとないが、運転中なので仕方がない。
それにしても、ほんのわずか耳にした曲を気に入って調べるなんて、何年ぶりだろう。
たぶん、RAMJET PULLEYの「overjoyed」以来の出来事だ。
「かし……」
「えーと、たしか──」
脳内でさきほどの曲を再生し、
「光の列車、時を駆け抜け──だったっけ」
「ひ、ひ、ひ、か、り、の、れ、れ──、ちっちゃい、つ?」
「あー……」
普段、文字入力なんてしないもんな。
しばらくして、
「あ、でた!」
「誰の曲だった?」
「……うと、こ、き、あ?」
「KOKIA!」
懐かしい名に、思わず声が高くなった。
「しってるの?」
「知ってる知ってる、マイミュージックにCD何枚か入ってる」
「へえー」
「そっか、KOKIAの新曲かー……」
歌の好みはそうそう変わらないものらしい。
「ききたい」
「ああ、帰ったらな」
「うん」
こうして日記を書いているいまも、後ろのほうから「夢がチカラ」の鼻歌が聞こえてくる。
気に入ったようだ。
好きなものを共有できるということは、なんとも言えず嬉しいものである。



2015年4月9日(木)

歯磨きを終えたあと、買ってきたばかりのデンタルリンスを開封した。
低刺激タイプのものだ。
ラベンダー色の液体をキャップに八分目まで注ぎ、口内に流し込む。
「──…………」
甘い。
成分表示に目を落とすと、サッカリンナトリウムが含有されていた。
そりゃあ甘いはずだ。
一分間ほど口をゆすぎ、吐き出した瞬間、
「……うあ」
肩の上がるような違和感が口内に満ちた。
「?」
歯ブラシをくわえたうにゅほが俺の顔を見上げる。
「なんだこれ、なんか変だ、これ」
例えるなら、口のなかの水分がデンタルリンスに奪われて、すべて流れ出したような。
「はして」
貸して、と言っている。
ぐちゅぐちゅぺっとうがいを済ませたうにゅほが、キャップに注いだ液体をぐいっと空けた。
「──……!」
十秒ほどゆすぎ、吐き出す。
「さとうはいってる?」
「入ってない」
「べたべたする……」
「べたべたするな、うん」
はー、と息を吐いたうにゅほが、
「あ、すっきりしてる」
と言った。
「……てことは、単に長くゆすぎ過ぎただけか」
「たぶん?」
過ぎたるは猶及ばざるが如し、ということだろう。
「◯◯のくち、だいじょぶかな」
うにゅほが俺の口を覗き込む。
「あ、ぎんば。ぎんばいいなあ……」
「いや、よくない。銀歯なんてないほうが絶対いいから」
妙なものに憧れる娘である。



2015年4月10日(金)

ふと調べたいことができた。
iPhoneでSafariを開くと、出した覚えのないタブで溢れかえっていた。
そのほとんどがGoogleの検索結果である。
「……〈まりお〉?」
どうやら、このところ初代スーパーマリオブラザーズにハマっているうにゅほの仕業らしかった。
タブの消し方がわからなかったのだろう。
スワイプし、ページタイトルに目を通す。

〈マリオファミマ〉

予測変換が暴走したのだろうか。

〈ファミコンまりおにめん〉

あ、ワールド2まで行けたのか。

〈にめんみずの〉

そういえば、ワールド2には水中面があったっけ。

〈にめんたすけてください〉

「ぶふッ!」
思わず吹き出してしまった。
かなり切羽詰まっていたようだ。
とりあえず、あとでうにゅほにスペースの使い方を教えてあげよう。
そんなことを考えながら、検索窓をタップする。
「……えー、と? あれ?」
なにを調べようとしていたのか、きれいさっぱり忘れ去ってしまっていた。



2015年4月11日(土)

「いたたたた……」
チェアから腰を上げ、自分の尻をさする。
「低反発クッションでも駄目か」
普通のクッションも、薄手のシートクッションも、ふかふかもちもちの巨大クッションでさえ、俺の尻を守りきることはできなかった。
「……◯◯、だいじょぶ?」
うにゅほの瞳が心配に翳る。
「ああ、大丈夫」
「ぢ?」
「いや、痔じゃない。そっちじゃない」
「どっち?」
「尻っぺたのほうなんだけど……」
うにゅほに背を向け、ぽんぽんと尻を叩く。
チェアに腰掛けているだけで尻に痛みを感じ始めたのは、ほんの数日前のことだ。
はて、姿勢が悪いのか。
はたまた座面が硬いのか。
いろいろと試してはいるのだが、いまだ打開策は見つかっていない。
「──…………」
むに。
「──…………」
むにむに。
「……どうして俺の尻を揉む」
しかも両手で。
「あ、わかった!」
「えっ」
人の尻をわしわし揉んだだけで?
「◯◯、おしりやせてる」
「尻が……」
「うすくなってる」
自分の尻を揉みしだいてみる。
さっぱりわからない。
「ダイエットしすぎ……」
「あー」
なるほど、言われてみれば心当たりはある。
「……どうしようかなあ」
「ふとる?」
「太るのは嫌だな」
体重調整を終えてしばらくすれば、尻の肉も戻ってきてくれるだろう。
たぶん。



2015年4月12日(日)

「──…………」
「──……」
暇だった。
「──…………」
ぴ。
うにゅほの眼前に人差し指を立てる。
「?」
人差し指を曲げ、伸ばし、ゆっくりと左右に振り、くるくると回す。
「──…………」
うにゅほがそろそろと人差し指に手を伸ばす。
掴まれる瞬間、
さ、
と避けた。
「!」
再び掴もうとする手を、
ささ、
と避ける。
「──…………」
「──……」
うにゅほと人差し指が睨み合い、
「!」
すっ、
「!」
すっ、
「!!」
くるり。
鈍重な攻撃をすべて避けきり、ふりふりとうにゅほを挑発する。
「──!」
両手!
しかし、その手は読んでいる。
掴まれる瞬間、一瞬で人差し指を折りたたみ、入れ替わりに小指を立ててみせた。
「──…………」
「──…………」
再び睨み合う。
わきわきと動く両手に意識を集中していたとき、
「……えいッ!」
「おわ!」
うにゅほが俺の胸に飛び込んできた。
「つかまえた」
捕まってしまった。
俺の負けである。



2015年4月13日(月)

パンケーキ専門店でハワイアンパンケーキを食べてきた。
「おー」
「ふわー……」
運ばれてきたパンケーキを一言で表すなら、ホイップクリームの塔である。
薄手のパンケーキは、もはやホイップクリームの土台でしかない。
「どれどれ」
塔の先端をフォークですくい、口に入れる。
「ふわふわ!」
「……あー、なるほど」
羽根のように軽いクリームだ。
市販のホイップクリームなんかより遥かに空気を含ませてあるから、女性でもらくらく完食できるのだろう。
「個人的には、もうすこし食べごたえがあるほうが……」
「たべきれないよー」
うにゅほがクリームをぱくぱくと食べ進めていく。
「んー♪」
満足そうだ。
「──…………」
「ん?」
俺の手が止まっていることに気づき、うにゅほがこちらを覗き込んだ。
「◯◯、どしたの?」
「あのさ」
うにゅほに耳打ちする。
「……味、薄くない?」
「あー」
うんうんと頷く。
「甘かったのは最初だけで、いまはもう牛乳の味しかしない……」
「でも、おいしいよ?」
「嫌いではないけどさあ」
甘いものを求めて遠路はるばるやってきたのだ。
不味くはないが、物足りない。
「……はー」
なんとか完食し、ナイフとフォークを皿に置いた。
「××、ナプキン取って」
「はーい」
ナプキンスタンドに手を伸ばしたうにゅほが、なにかに気がついた。
「このびん、なんだろ」
「瓶?」
うにゅほがラベルを読み上げる。
「めーぷるしろっぷ」
「──……あ」
メープルシロップ前提のパンケーキを、素のまま食べてしまったのか。
「あー、やっちまった……」
「おいしかったよ?」
「美味しかったけど、甘くはなかっただろ」
「うん」
「俺は、甘いものが、食べたかったんだ!」
この店にまた来ようか、別の店を開拓しようか、悩みどころである。



2015年4月14日(火)

──パチッ
「てっ!」
運転席のドアを開こうとして、人差し指にかすかな痛みが走った。
「せいでんき?」
「ああ……」
指先をこすりながら答える。
「春先はいっつもこうだなあ……」
「◯◯、ことしすごいね」
「××は?」
「まだ」
「いいなあ」
髪の毛のぶん、うにゅほのほうが静電気が溜まりやすそうなものだが。
「──…………」
「?」
ミラジーノに乗り込み、助手席のうにゅほを観察する。
背中に届くロングヘアが、シートとの隙間に挟まっていた。
まさか、髪の毛がアースに?
「……いや、ないない」
仮にそうだとしても、逃がすぶんより発生させるほうが大きいに違いない。
「そういえば、静電気で髪の毛広がったりしないの?」
ふるふると首を振り、
「しないよ?」
「しないのか」
「うん」
一昨年の誕生日にプレゼントした柘植の櫛が役に立っているようだ。
「どれ」
うにゅほの髪に触れようとして、
──パチッ
「ぎゃ!」
「わ」
慌てて左手を引っ込めた。
「××、痛くなかったか?」
「う、うん」
俺は痛かった。
「……手袋しようかなあ」
「ゴムのやつ?」
「いや、絶縁体じゃないほうがいいな」
「そなの?」
「ゴム手袋だと静電気が逃げないから、どんどん溜まって逆に危ない」
と、思う。
「要は、パチッてなっても痛くなければいいんだ」
「なるほど」
うんうんと頷く。
「そのうちダイソー行って、薄手の手袋みたいの探そう」
「いまは?」
「今は──、うッ」
胃腸がぐるると唸り声を上げた。
「……いまは、ちょっと腹が痛い」
「は、はやくかえろ!」
「大丈夫、そこまで急は要さないから……」
寄り道をする余裕はないけれど。
なお、玄関の扉を開けようとした際、三度パチッとなったことを、ここに付記しておく。



2015年4月15日(水)

ダイソーで薄手の手袋を購入したあと、市民図書館へと足を向けた。
アタゴオル玉手箱を返却し、検索用端末を操作する。
「……うーん」
「あった?」
「ずっと貸出中なんだよなあ」
どこかひとりで詰まっているのか、予約が殺到しているのか。
「なんのほん?」
「銃・病原菌・鉄、っていう本」
「……なんのほん?」
「歴史とか地理とか」
「ふうん」
「Kindleで買っちゃおうかなあ……」
せっかく本棚を増やしたのだから、単行本でも文庫本でも構わないのだけれど。
「うーん」
何の気なしにうにゅほが呟く。
「ちりとかれきしとか、わかんないなー」
「俺もよくわからん」
「◯◯もわかんないの?」
「中高一貫してずっと苦手だったもん」
「わかんないのに、よむの?」
「わからないから読むんだろ」
「……?」
小首をかしげる仕草が面白くて、思わずちいさく吹き出した。
「××、ほとんど漫画しか読まないからな」
知識に対する欲求を自覚したことがないのかもしれない。
「ぶー……」
不満げである。
「すまん、すまん」
知識欲を手軽に満たすことのできる書籍で、うにゅほにも読めるようなものなんて、自室の本棚にあったかな。
あったら勧めてみよう。
まかり間違っても黒死館殺人事件なんかを渡さないように気をつけよう。



2015年4月16日(木)

「人間は、無用な知識の数が増えることで快感を感じることのできる、唯一の動物である」

──なんてこと、本当はアシモフは言っていないのだけれど、ひとつの真理ではあると思う。
「……これ、かな?」
本棚を漁り、とある新書を手に取った。
「××、ちょっとこれ読んでみない?」
「?」
世界奇食大全。
この世に存在する奇なる料理や珍なる食材を集め記した一冊である。
「なにこれ」
「何の役にも立たないけど面白い本」
「ふうん……」
あまり興味はなさそうだ。
知識欲を満たす快感をうにゅほにも知ってもらいたいのだが、難しいのだろうか。
「どんなことかいてるの?」
「そうだなあ」
新書をパラパラとめくる。
インパクトが強く、かつとっつきやすいものが良いだろう。
猛毒の魅力、フグの卵巣の糠漬け。
喫茶マウンテンの代表メニュー、甘口イチゴスパ。
昆虫食の基本、ザザムシ・ハチノコ。
決して食べたくはないが、傍から見ているぶんには面白いものばかりである。
「──おっ」
ちょうどいいものがあった。
「××、ほら、これ」
「どれ?」
「こないだ買ったやつも載ってるぞ」
世界一マズい飴、サルミアッキ。
「──…………」
「?」
「……◯◯、こういうのよんで、ああいうのかうの?」
あ、墓穴の予感。
「いや、サルミアッキはもともと気になってて……」
「──…………」
「けっこう有名だから……」
「──…………」
「すいません……」
世界奇食大全を、そっと本棚に戻す。
完全に逆効果である。
同じ北欧なら、スウェーデンのシュールストレミングにしておけばよかった。

※1 2015年3月6日(金)参照



2015年4月17日(金)

「ただー……、いま!」
「おかえりー!」
「おかえり」
飲み会から帰ると、家にうにゅほと弟しかいなかった。
「あれ、父さんと母さんは?」
「のみかい」
日程がかぶっていたらしい。
「××、弟に変なことされなかったか?」
「へんなこと?」
「するかッ!」
怒られてしまった。
「あめとーくのでぃーぶいでぃー、みてたんだよ」
「こないだ借りたやつか」
「うん」
「面白かったか?」
「うん」
「……あれ、どの回を借りたんだっけ」
アルコール漬けの脳では、思い出せることも思い出せない。
「うと──」
「運動神経悪い芸人の回だよ」
うにゅほを遮り、弟が答えた。
「そうそれ」
「あとで観ようかな」
「わたしもみる」
「見たのに?」
「またみる」
「そーか、そーか」
「うへー」
うにゅほの頭をうりうり撫でていると、弟がぼそりと呟いた。
「……ふたりきりだと、どうしていいかわからん」
「あー……」
わからんのも、わからんではない。
「一緒にテレビでも観たらいいんじゃない?」
「観たんだって」
「だから、それでいいんじゃないか?」
「……うーん」
弟は納得していないようだったが、難しく考える必要はない。
だって、家族なんだから。



2015年4月18日(土)

「──空想科学読本」
しばし思案し、
「やめとこ」
本棚にそっと戻す。
山本弘がガチギレするほどのトンデモ本ではあるが、その点を踏まえて読むぶんには面白い。
しかし、ウルトラマンやマジンガーZの知識を一切持たないうにゅほに楽しめる内容とは思えない。
「えーと……」
ソファの肘掛けに片足を乗せ、壁面上部の本棚を漁る。
「変な学術研究? ──あ、駄目だ」
肛門拳銃自殺とか書いてる。
「都市伝説の謎……あー、怖い系か。ボツ」
そもそもあんまり面白くなかった記憶があるし。
「超芸術トマソン、か」
不動産に付属し、まるで展示するかのように美しく保存されている無用の長物──トマソンを集めた路上観察学の本である。
個人的には大好きだが、知識欲を満たすかと言えば疑問は残る。
「──…………」
ない。
うにゅほの知識欲を刺激するような書籍が、どうしても見つからない。
雑学本の一冊でもあればいいのだが、当然ながら俺が読まないような本は本棚にはない。
「あー……」
天井を見上げ、唸る。
「どしたの?」
「……××、星新一でも読む?」
「ほし?」
「ショートショート。一話が数ページで終わる小説なんだけど」
「ふうん?」
興味なくもない、と言ったところか。
うにゅほにボッコちゃんを手渡し、チェアに腰を下ろす。
うん、解決はしてない。
してないけど、漫画以外の本に触れるのも大切なことだと思うし。
「はあ……」
ブックオフで豆知識の本でも買ってこようかな。



2015年4月19日(日)

「……よし」
先日買った薄手の手袋を装着し、TSUTAYAのレンタルバッグを手に取った。
「あ、せいでんき」
「そうそう」
「みぎてはつけないの?」
「両手にすると、さすがに不便だから」
ドアを開けるだけなら左手で十分だろう。
なんだか鬼の手を封じているようで気恥ずかしいが、背に腹は代えられない。
「んじゃ、行くか」
「うん」
ジャケットを羽織り、玄関を抜けて、リモコンキーで解錠し、運転席のドアハンドルに触れた瞬間、
──パチッ
「て!」
思わず左手を引っ込めた。
「え、てぶくろしてるのに」
「いや、静電気が起きるのは仕方ないんだ」
「そなの?」
手袋をしたところで電位差が埋まるわけもない。
「起きるのは避けられないから、せめて痛くないようにってことだったんだけど……」
「だけど?」
「……いま、普通に痛かったんだよね」
どうやら手袋が薄すぎたらしい。
いったん自室へ戻り、冬用の手袋に取り替えてから出発した。
「あつくない?」
「ちょっと」
「うんてんするとき、ぬいだら?」
「そだな……」
案の定、手袋を着け忘れ、再び静電気の洗礼を受ける俺なのだった。



2015年4月20日(月)

「──…………」
「…………」
ぺら。
ページを繰る音ばかりが静かな部屋に響いていた。
うにゅほの頭を乗せた膝が暖かい。
「──…………」
左手で文庫本を開きながら、空いた右手でうにゅほの前髪を掻き上げる。
「ん」
くすぐったそうに声を上げ、ニ、三度、目をしばたたかせた。
「──…………」
「──……」
読書の時間。
穏やかな時間。
うにゅほの頭を優しく撫でながら、Amazonで買った「銃・病原菌・鉄」を読み進めていく。
「あ」
文庫本がぱららと音を立てた。
手元が狂い、数十ページほど飛ばしてしまったのだ。
うにゅほの髪から手を離し、元のページを探す。
そのまま両手で把持していると、
「──…………」
くい。
右手の袖を引かれた。
「ん」
頭を撫でろと言っているらしい。
「──…………」
「うひ」
顎の下に指を這わせると、うにゅほが全身を強張らせた。
鼻をつまむ。
「んや」
目元を隠す。
「みえない」
額に手を当てる。
「──……ほー」
満足そうだ。
触れているだけで喜んでくれるなら、いつだってそうしよう。
今日の午後は、そんなふうに過ぎていった。



2015年4月21日(火)

「──…………」
スタンドミラーを覗き込みながら眉毛を整えていたところ、抜き過ぎてしまった。
「××、眉毛短くなっちゃった……」
「ほんとだ」
「さすがに変だよなあ……」
「そかな」
抜くことは容易だが、生やすことは難しい。
生え揃うまで麿でいるしかないのだろうか。
「あ、そうだ」
いいことを思いついた。
「××、化粧ポーチ貸して?」
「けしょう……」
うにゅほが小首をかしげる。
「ほら、母さんに買ってもらったのがあるだろ」
「あー」
いくら化粧をしないからって、無頓着にも程があるような。
うにゅ箱から取り出した化粧ポーチを受け取り、中身をあらためる。
「なにするの?」
「アイブロウ」
「……あいぶろ?」
「どうしようもないから、眉毛を描き足すんだよ……」
こんなギャル男みたいな真似はしたくないのだが、背に腹は代えられない。
麿でいるよりかは幾分かマシである。
「まゆげかくの?」
「ああ。あんまり好きじゃないんだけど……」
「じゃ、わたしかいてもいい?」
そういう意味じゃない。
「……ま、今回は練習みたいなもんだから、好きにやってくれい」
「うん」
うにゅほが、ぽんぽんとふとももを叩いた。
「……膝枕?」
「うん」
え、横から?
まあ、いいか。
五分後、修正に修正を重ねて星飛雄馬のような眉毛になった俺がいた。
ふたりで大笑いしたあと顔を洗ったら、タオルに黒い筋が引かれてしまった。
ちょっと虚しくなった。



2015年4月22日(水)

ネットで注文したパソコンチェア用の低反発座布団がようやく届いた。
「おー、こりゃいいわ」
チェアの座面と同じ大きさだから、敷いている感覚がない。
そのくせ、厚みのある低反発ウレタンが、体重を見事に分散してくれている。
ちょっと高かったけど、買ってよかった。
「すわりたい、すわりたい」
「はいはい」
うにゅほに席を譲る。
「うへー」
「どうだ?」
「もちもちしてる」
「いいよな」
「うん」
リクライニングで遊ぶうにゅほを眺めていて、ふと、おまけがあるらしいことを思い出した。
ダンボール箱の底を漁る。
「……LOVEプレゼント梱包材?」
それは、「L」「O」「∨」「E」「ハートマーク」をかたどった五つの小さなスポンジだった。
どう使えと。
「それなにー?」
「……おまけ?」
「らぶ」
「LOVEとは限らないぞ」
四つのスポンジを並べ替え、
「ほら、VOL3」
「ハートは?」
「──…………」
VOL3の上に、ハートマークを逆さにして置いた。
「バーミヤン」
「──…………」
「──……」
「……ふ、ふふふ、ばーみやん……くふ、ばーみやん……」
うにゅほが静かにウケている。
ツボだったらしい。
「××、××」
「?」
今度はディスプレイの上に置いてみる。
「バーミヤン」
「ぶっ!」
うにゅほが吹き出した。
なにに使えばいいかわからなかったが、しばらくうにゅほの笑いを取れそうである。



2015年4月23日(木)

「──いよし、できた!」
日立製の電動ドライバーで五連のウォールハンガーをビス止めし、ほっと息をついた。
「おー」
「斜めってない?」
「うん」
うにゅほが小首をかしげる。
「でも、なにかけるの?」
「言ってなかったっけ」
「いってなかった」
「ここにベルトを掛けようと思ってさ」
「べると……」
クローゼットの扉を開き、内側を示す。
「ほら、いままでずっとネクタイラックに無理矢理引っ掛けてたから」※1
「あー」
「それに、ちょっとしたインテリアにもなりそうだし」
「なるかなあ」
「なるなる」

掛けてみた。

「ならなかった……」
「うん」
ベルトをインテリアにする、という発想自体は間違っていなかったようなのだが、
「ベルトがみんな中折れしてるのがなあ……」
「へろへろしてる」
ネクタイラックに掛ける際、半分に折り曲げていたのがよくなかったらしい。
「まあ、便利だからいいけど……」
最低限の仕事は果たしている、はず。
「ね、◯◯」
「うん?」
「わたしのベルト、かけていい?」
「いいけど……」
うにゅほが、穿いていたジーンズから細身のベルトを抜き取った。
「はい!」
「──…………」
そういえば、うにゅほの持っているベルトってこれ一本だけだったっけ。
「ズボン下がらないか?」
「だいじょぶ」
「……なら、いいか」
真ん中のフックにうにゅほのベルトを掛けると、なんだかすこしマシになったような気がした。
使わないベルトとか、処分しようかなあ。

※1 2014年3月9日(日)参照



2015年4月24日(金)

「◯◯、◯◯!」
「うん?」
「きょう、きせいじゅうだって」
差し出されたiPhoneにテレビ番組表アプリが表示されていた。
「金曜ロードショーか」
「うん」
「……見るの?」
「うん」
「えっと、大丈夫か?」
「だいじょぶ」
うにゅほが鼻息荒く頷いてみせる。
まあ、アニメは最後まで見れたのだし、たぶん大丈夫だろう。

放映開始から十分後、

「──ナぅ!」
謎の奇声と共に、うにゅほが両目を覆い隠した。
「だめ、だめ!」
実写版の「ぱふぁ」に耐えられなかったらしい。
「ほら、テレビ消したよ」
「……ほんと?」
「本当」
「ミュートじゃない?」
「なんでそんなことしなきゃならん」
うにゅほがショボショボと目蓋を開き、ほっと安堵の息を吐いた。
「映画、観に行かなくてよかったな」
「うん……」
「映画館だと逃げ場ないもんな」
「だいじょぶとおもったのに……」
「人間、駄目なもんは駄目なものだよ」
「でも」
うにゅほの頬にそっと触れる。
むにむにして心地よい。
「でも、昔よりずっと、いろんなことが大丈夫になっただろ」
「……そかな」
「初めて会ったころなんて、古畑任三郎で怖がってたじゃないか」※1
「あー……」
きまり悪そうに、うにゅほが苦笑する。
「あれは、うん、その、ふしぎ」
「だから、そのうち、寄生獣だって見られるようになるよ」
グロ耐性のついたうにゅほ、というのも、いまいち想像がつかないけれど。

※1 2011年11月30日(水)参照



2015年4月25日(土)

弟がディスプレイを買い換えると言うので、古いほうを貰い受けることにした。
俺のPCはもともとデュアルディスプレイである。
つまり、
「……やっちゃったぜ」
禁断のトリプルディスプレイに手を出してしまいました。
「──…………」
漢字の「品」の形に設置されたディスプレイを見て、うにゅほが恐る恐る口を開いた。
「◯◯、はっかーになるの……?」
なりません。
「ディスプレイ増やしたくらいでハッカーになれたら世話ないって」
「じゃあ、こんなにどうするの?」
「──……」
「──…………」
どうしよう。
正直なところ、「やってみたかった」というのがいちばんの理由である。
グラボも換装したばかりだったし。
「……まあ、うん、広いぶんには困らないから」
「そかな」
「ほら! なんか適当に動画とか見てみようぜ」
「うん」
うにゅほを膝に乗せ、レンタルしてあったゲームセンターCXのDVDを再生する。
「なんのゲーム?」
「バトルゴルファー唯だって」
「ゴルフ?」
「たぶん」

十分後──
ずっと上を向いているためか、だんだん首のあたりが疲れてきた。
「……××、首痛くない?」
「いたくないよ?」
「そっか」
なるほど、俺の膝のぶんだけ視点が高いからか。
トリプルディスプレイを活用するために乗り越えなければならない障壁は、まだいくつかあるらしい。
「ちょいと失礼」
「わ」
俺は、うにゅほを抱え上げると、チェアの座面を限界まで上げた。



2015年4月26日(日)

知識欲を満たす快感をうにゅほに知ってもらうためには、やはり図書館であろうという結論に至った。
検索用端末に「まんがで」と入力し、画面をスクロールする。
「──あった!」
学研の、まんがでよくわかるシリーズ。
これこそ俺の求めていたものだ。
「××、こういうの読んでみない?」
「……まんがでよくわかる、トランプのひみつ?」
「他にもたくさんあるぞ」
将棋のひみつ、
化石のひみつ、
統計学のひみつ、
アイスクリームのひみつ、
衛星多チャンネル放送と衛星通信のひみつ──
「……節操ないな」
「うん」
「でも、面白そうじゃないか?」
「うーん」
「一冊借りてみよう」
「うん」
「どれがいい?」
「うと……」
しばらく悩んだのち、うにゅほが画面を指さした。
「きのこのひみつ」
「××、そんなにきのこ好きだったっけ」
うーん、と小首をかしげる。
「ふつう?」
「なら、どうしてきのこなんだ?」
「えりんぎ、ほんとにしめじじゃないのかなって」
「……?」
なにを言っているのだろう。
「◯◯、しめじがおっきくなったのが、えりんぎだって」※1
「──…………」
そんな冗談を言った気もする。
「あー、そうだな、ちゃんと調べないとわかんないもんな」
「うん」
なんであれ、興味を持ってくれたのなら僥倖だ。
「じゃ、これ借りて帰ろうな」
「うん」
まあ、エリンギはエリンギ、しめじはしめじなんだけども。

※1 2014年3月16日(日)参照



2015年4月27日(月)

きのこのひみつを紐解きながら、うにゅほがぽつりと呟いた。
「えりんぎは、えりんぎ……」
「──…………」
「しめじは、しめじ?」
「そうそう」
「いろんなきのこのってる」
「美味しそうなの、あった?」
「これ」
うにゅほが、作りものじみた赤いきのこの写真を指さした。
「たまごたけ、あかくてかわいい」
「……食えるのか?」
真っ赤だけど。
「たべれるらしい」
真っ赤なのに。
「これ、かざりたいな」
「食べたくは?」
「ない」
なるほど。
「他に、面白いきのこは?」
「うと、やまぶしたけ、とか」
「ヤマブシタケ……」
ぺらぺらとページを繰り、
「これ」
「うわ、なんじゃこりゃ。毛玉?」
チアリーダーが使うポンポンのようだ。
「たべられるんだって」
「美味いのかな」
「わかんない」
「こんなの落ちてたら、つい拾っちゃうな……」
「あと、こんなのある」
「どれどれ」
うにゅほの講釈に耳を傾ける。
うまいこと知識欲を刺激することができたようだ。
「これ返しに行ったとき、きのこの図鑑でも借りてみようか?」
「うーん……」
ちいさく首をかしげ、
「それより、べつのよんでみたい」
と言った。
「そーかそーか」
うにゅほの頭をぐりぐり撫でる。
まんがでよくわかるシリーズはあくまで導入だ。
そのうち、うにゅほが本当に興味を抱くものが現れるだろう。
それがなんなのか、楽しみである。



2015年4月28日(火)

「──……ぐ、」
両腕を天に突き上げ、吠える。
「終わったァー……あ!!」
「おわったの?」
「ああ、ひとまずは」
なにをしていたかと言えば、大したことはしていない。
ただ、作業量は膨大だった。
「おつかれさま」
うにゅほが俺の肩をやわやわと揉む。
「あ、かたい」
「肩だけに」
「ぶふっ」
うにゅほが吹き出した。
「うふ、かただけに、ふふふ……」
不意のダジャレに弱いのは相変わらずである。
というか、恥ずかしいからそんなにウケないでほしい。
「おきゃくさん、こってますねえ」
「凝ってますか」
「すごいかたいよ」
肩だけに。
「──……うん」
二度目はさすがにやめておこう。
「きもちいい?」
「ああ」
肩の凝りには無力だが、気持ちいいのは嘘じゃない。
耳元で弾む息づかいが心地いい。
かぼそい指先が愛らしい。
触れた場所から疲れが溶け出していくような気がする。
「──……あ、ふぅ」
あくびを噛み殺す。
「◯◯、ねむい?」
「ちょっとだけ」
「ひるねする?」
「しようかな」
気がついた瞬間、眠気が急に強くなった気がした。
「……三十分経ったら起こして」
「さんじゅっぷんでいいの?」
「仮眠は、三十分くらいがちょうどいいんだってさ」
「そうなんだ」
起床したのは二時間後だった。
うにゅほはちゃんと起こしてくれたのだが、俺の「もうすこしもうすこし」が始まったのだそうな。
「つかれてたんだね」
「……そうかも」
フォローまでさせてしまった。
甘やかされてるなあ、と思うのだけど、あまり改める気はしないのだった。



2015年4月29日(水)

ソファに腰を掛けながら、うにゅほが靴下を履いていた。
「──…………」
じ、と見つめる。
「?」
黒とピンクのボーダー柄。
爪先の生地が薄くなってきている。
しかし、いま気になっているのは別の事柄だ。
「××さ、立って靴下履けないの?」
「たって?」
「できないと運動不足なんだって」
「えー」
うにゅほが、片方の靴下を持ったまま立ち上がった。
「やってみる」
そろそろと右足を上げる。
ふらふらと重心が傾く。
あ、これは危ないな。
靴下を履くために背中を丸めようとして、
「わ、わ、──わぶ!」
俺の胸元に顔から突っ込んだ。
「大丈夫か?」
「ぶー……」
鼻を打ったらしい。
「××、運動不足だな」
「◯◯、うんどうぶそくじゃないの?」
「……運動不足だけど、最低限の筋トレはしてるだろ」
腹筋とか、背筋とか、その場足踏み千回とか。
「××は脚力が足りないんだな」
「あし?」
うにゅほが、葡萄踏みの娘のようにスカートを持ち上げた。
あのくらい足踏みができれば、立って靴下を履くなんて余裕なのだろうけれど。
「……スクワットとかしてみる?」
「あたまにてー?」
「それは、まあ、どっちでもいいけど」
ぱん、ぱん、と手を打ち鳴らす。
「さあ、何回できるかやってみましょう」
「はい!」
「あ、靴下履いてからな」
「うん」

結果:七回。

「……運動不足だな」
「はっ、は、は、うん、はー」
「足踏みとスクワット、どっちがいい?」
「あ、しぶみ……」
だろうなあ。
「あと、散歩とかも行こうな」
「……さんぽがいい」
だろうなあ。
俺は、窓の外を見やった。
春である。
散ってしまう前に、うにゅほと桜を見に行こう。



2015年4月30日(木)

「わー……」
感嘆の声と共に、うにゅほが空に手を伸ばした。
白い白い花弁のあいだに新緑の葉が顔を覗かせている。
「さくら、きれいだね」
「ああ」
しかし、いまいちありがたみがないのは、玄関を出て一分のところに立派な桜があるからだろう。
贅沢な悩みではあるが、せっかくなら遠出したいものだ。
「──××、ヨドバシ行くか」
「いく」
即答するのが実にうにゅほらしい。
財布とキーを持ってきていたので、そのままミラジーノに乗り込んだ。
「なにかうの?」
「ちょっとな」
実を言うと、ヨドバシカメラへ行くのが目的ではない。
新川沿いの通りを札幌駅に向かって南下していくと、
「わあー……!」
そこに桜並木があった。
散り際の桜が枝を震わせ、その花びらがアスファルトを化粧している。
「すごいね!」
「俺も最近知ったんだけど、日本一の桜並木って言われてるんだってさ」
「にほんいち!」
「長さがな」
「ながさ!」
うにゅほのテンションが高い。
桜、好きだもんな。
俺もだけどさ。
「はー……」
「この桜並木を見ようと思って」
「すごいねえ……」
「ぐるっとUターンして、もっかい見るか?」
「ヨドバシは?」
「ヨドバシは──」
桜並木を通るための口実だ。
特に用事があったわけではない。
「ヨドバシのかえり、またみよう」
「……そうだな」
電器屋さん、好きだもんな。
俺もだけどさ。

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