>> 2015年01月




2015年1月1日(木)

母方の実家へ赴き、年始の挨拶を済ませてきた。
去年の四月に生まれた従姉の赤ちゃんもだいぶ大きくなり、手足がむちむちとしていたのが印象的だった。
「はー……」
ぷにり。
うにゅほが、赤ちゃんのほっぺたを指の腹で優しくつつく。
「だんりょくすごい……」
「パンパンでしょ」
「はい、すごいです、すごい」
ぷにぷにぷに。
連打である。
赤ちゃんを抱いた従姉とうにゅほのやり取りを聞くともなしに聞いていると、弟が自嘲気味に口を開いた。
「……◇◇、俺の顔見ると一瞬で泣くんだよね」
「お前、なんかしたの?」
「してないって」
「そんなことってあるかなあ……」
生後一年に満たない赤ちゃんって、それほど視力も良くなかったはずだし。
「××、ちょいと失礼」
「うん」
膝に手をつき、赤ちゃんの顔を覗き込む。
「──…………」
「──…………」
じ。
イノセントな瞳が俺を見つめ返している。
大人しい子だ。
「……泣かないな」
「なかない」
弟を手招きする。
「知らないからな……」
溜め息と共に、弟が腰を上げた。
数歩ばかり近づいた瞬間、
「──……ひェ」
赤ちゃんの顔が僅かに歪み、呼気が湿り気を帯びた。
弟が慌てて後退ると、元に戻った。
「……なにが悪いんだろう」
大きくて怖いと言うのであれば、俺のほうが身長は高い。
顔が怖いと言うのであれば、父親のほうが強面だ。
「うーん……」
うにゅほが大きく首をかしげ、
「……ひげ、かなあ」
と言った。
「ヒゲだな」
「うん、たぶんヒゲじゃないかな」
俺と従姉も同意する。
「剃ろうかな……」
遠い目で思案する弟の姿に、皆で笑いをこぼすのだった。



2015年1月2日(金)

「はー……」
タイルカーペットの上に寝そべりながら、至福の吐息を漏らした。
「やあーっと、正月ってかんじ」
「だらしないねえ」
うにゅほがくすくすと笑い声を漏らす。
「大掃除をしたばかりの今だから、こんなことも許されてしまうのだー」
「わ」
ごろごろと転がり、うにゅほの足にすがりつく。
「お年玉をよこせー」
「いくら?」
「本当にくれようとするなー」
ごろんごろん。
「ふへへ」
ぽす。
背中にやわらかな重み。
「おとしまっさーじ、あげます」
「それを言うなら──」
おとしだマッサージのほうがいいのではないか。
そう言いかけて、口をつぐんだ。
それは、おっさんのセンスである。
「いうなら?」
「……なんでもないです、よろしくお願いします」
「はーい」
ぐい、ぐい。
うにゅほの親指が、凝り固まった肩の筋を刺激する。
もともと力がない上に、痛くないよう過度な配慮をするものだから、なにひとつ効かない。
しかし、
「──…………」
親指が押し込まれるたび、全身が床に沈み込んでいくような、不思議な感覚がある。
「──……は」
目を開いて、自分の目蓋が下りていたことに驚いた。
「××、俺寝てた?」
「? ねてたの?」
意識を手放したのは、ほんの一瞬のことらしい。
「今度、眠れないときに頼もうかなあ」
「いいよー」
「……ああ、でも、眠れないからって、いちいち××を起こすわけにもな」
「おこしてもいいよ?」
「──…………」
そう言ってくれる娘だからこそ、起こせないのである。
「──いよし!」
「わ、わ、わ」
背中にうにゅほを乗せたまま、ゆっくりと四つん這いになった。
「次は、俺のマッサージを受けるがいい」
「おねがいします」
交代交代で去年の疲れを落とし合う俺たちなのだった。



2015年1月3日(土)

健康が取り柄の父親が高熱に臥せってしまった。
そういえば、去年の正月は弟が風邪を引いていた気がする。※1
毎年毎年幸先の悪いことだ。
「おとうさん、だいじょぶかなあ……」
「大丈夫だろ」
「でも、いんふるえんざかもって」
「タミフル貰ってきたし、大丈夫だと思うぞ」
なにしろ丈夫な父親である。
治りかけの時期に雪かきをしないよう釘を刺すくらいが丁度いい。
「それより──」
ふたりぶんの使い捨てマスクを取り出し、うにゅほにひとつ手渡した。
「本当にインフルだと怖いから、部屋でもマスクを着けること」
「へやでも?」
「ああ」
「おとうさん、マスクしてねてるよ?」
「……えー、と」
首の後ろを撫でる。
なんと説明すればいいだろう。
「××、潜伏期間って知ってる?」
「しらない」
ふるふると首を振る。
「インフルエンザに限らないけど、感染してから症状が出るまで、時間がかかるものなんだ」
「ふうん……?」
あ、わかってない。
「つまり、俺も、××も、症状が出てないだけで、既にインフルエンザになってるかもしれないってこと」
「!」
あ、理解した。
「わたしかんせんしてたら──」
「俺に伝染るかもしれない」
逆もまた然りである。
「マスクしないと!」
うにゅほがいそいそとマスクを装着する。
「できた」
「鼻が出てる」
つまむ。
「ぷー……」
俺も、うにゅほも、他の家族も、父親が完治するまで無事に過ごせればいいのだが。

※1 2014年1月1日(水)参照



2015年1月4日(日)

「──ゲほ、えほッ」
左手でマスクを押さえながら、体温計の表示部に視線を落とす。
「なんど? なんど?」
「36.8度……」
どうやら熱はないようだ。
俺は基本的に体温を測らない主義なのだが、インフルエンザの可能性があるとなればそうも言っていられない。
「インフル──では、ないのかな」
たぶん。
父親もピンピンしているし。
「でも、ねたほういいよ」
「それはそうなんだけど、うーん……」
腕を組み、天井を仰ぐ。
頭を悩ませているのは、うにゅほの処遇についてだった。
あからさまに風邪を引いてしまった以上、同じ部屋で過ごすべきではない。
しかし、父親も同様の症状を呈しているわけで、自室から締め出したとしても大差ないように思える。
第一、昼間はそれでいいとしても、寝るときはどうする?
リビングに布団を敷くことは可能だが、できるできないを問う前にそんなことさせられるはずもない。
「──……××」
「?」
「寝る場所について、ちょっと悩んでるんだけど──」
「わたし、◯◯のソファでねるよ?」
「……ありがとう」
うにゅほの頬に手を添える。
「うへー……」
質問の意図とは異なる上に催促したような形になってしまったが、たいへんありがたい。
これはもう、どうしようもあるまい。
うにゅほに風邪が伝染らないよう、気休めながらマスクを二重にしておこう。



2015年1月5日(月)

「ざんじゅうななど、はちぶ……」
「──…………」
うにゅほに体温計を手渡し、はだけていた半纏を羽織りなおす。
いよいよもってインフルエンザの様相が強くなってきた。
「……××、ぎょうは、父ざん母ざんの寝室で寝たほうがいいと思う。父さん完治したし」
声が出ない。
喉が完全にやられている。
「──……や」
うにゅほがふるふると首を振る。
だろうと思った。
高熱は不安を連れてくる。
伝染らないように距離を置いてほしいのは事実だが、隣にいてほしいのもまた事実だ。
だから、強くなんて言えない。
言えるはずがない。
「……じゃあ、いぐつか約束な」
「やくそく?」
「部屋では、絶対にマスクを外さないごど」
「はい」
「あんまり近づかないごと」
「はい」
「ベットボトルに口をつげないこと」
「はい」
「……古畑任三郎でしだ」
「ふるはた?」
「いや、声の枯れ方が似でるかと思って」
「にてないー」
うにゅほが笑ってくれたことに安心して、布団にもぐりこんだ。
熱、下がればいいな。
どうかな。



2015年1月6日(火)

「──37.6度、か」
体温計の電源を切り、ケースに仕舞う。
「ごべんねえ……」
ずひ。
病床のうにゅほが鼻をすする。
「なんとなく、こうなる気はしてたんだ」
「ごべんなざい……」
「××のせいじゃないよ」
「◯◯、まだなおっでないのに、ごべんねえ……」
「だから、××のせいじゃないっての」
気を遣っているわけではなく、本当に違うのだ。
「結局、俺はインフルエンザだったわけだろ」
「うん……」
「弟もインフルエンザだろ」
「うん」
「潜伏期間を鑑みると、俺たちみんな父さんに伝染されてたんだって」
当の本人は今日も元気に仕事へ行ってしまったが。
「だから、××のせいじゃありません」
「はい……」
「それより、大変だぞ。同じ症状なら、今日明日でもっと熱が上がる」
「──…………」
ずびー。
うにゅほが鼻をかむのを待ち、言葉を継いだ。
「でも、その峠を越すと、俺みたいに多少は楽になるから」
「わがった」
額に貼りついた前髪を払ってやりながら、告げる。
「してほしいことがあったら、遠慮せずに言いなさい。大概のことはしてやれるから」
「……ありがと」
しばらく目蓋を閉じたあと、うにゅほが言った。
「い゙っしょにいてほしい……」
「はいはい」
「あ、でも、◯◯もねないど……」
「××が寝たあとな」
「◯◯も、ねよう」
「一緒に寝るのは無理だぞ」
倫理的な理由もあるが、高熱のある状態で同衾した場合、布団の中が灼熱地獄になる未来が目に見えているためである。
「◯◯、となりで……」
「……隣で?」
敷布団を敷いて、ということだろうか。
「──…………」
俺も、まだ熱がある。
いくらシーツを敷くとは言え、ソファで眠るのは、すこしつらい。
「……わかった、今日だけな」
「わあー」
というわけで、枕を並べることにした。
特になにをするわけでなくとも、すぐ隣に親しい人の気配があるということは、けっこう安眠を誘うものらしい。
たまにはいいかもである。



2015年1月7日(水)

「──…………」
熱い。
重い。
苦しい。
ひどく圧迫感のある夢を見て、目を覚ました。
「う……──」
耳元で、苦しげに喘ぐ声。
そういえば、昨夜はうにゅほの隣に布団を敷いて寝たのだっけ。
それにしても、熱い。
当然だ。
派手に吹っ飛ばされたうにゅほの布団が、軒並み俺にのしかかっていたのだから。
「うぅ……」
当のうにゅほは、一枚だけ残された丹前を抱き締めながら、寒さに打ち震えている。
露出した腕を取ると、すこし冷たかった。
額に触れると、熱かった。
熱がすこし上がったようだ。
うにゅほが起きたら、かかりつけの病院へ連れて行き、イナビルを処方してもらわなければなるまい。
そんなことを考えていたときだった。

──……ごご……ご……

大気が鳴動し、家が大きく揺れた。
カーテンを薄く開き、外を覗く。
地獄のような光景が、そこにあった。
吹雪。
吹雪。
吹雪。
刷毛で乱暴に描いた絵画のような、粗く荒い世界。
時刻を確認する。
午前十時。
こんなに暗いのに、まだ午前中なのか。
「──……はあ」
ひどい年明けだ、と思った。
うにゅほの布団を掛け直し、再び横になる。
俺も、まだ眠い。
ちいさな手のひらを優しく握り締めながら、そっと目蓋を閉じた。



2015年1月8日(木)

「おらが部屋に冷蔵庫がやってきた!」
でん!
自室の中央に運ばれたそれは、黒く、雄々しく、光り輝いていた。
当然だが、貰い物である。
脳内で「ビートルズがやって来る ヤァ!ヤァ!ヤァ!」のサビを再生しながら、冷蔵庫の頭をぽんと叩く。
「きた!!」
「──……ぶー」
マスクをつけたうにゅほが、うつろな目で鼻を鳴らした。
すこしでも元気づけようと無理に上げたテンションが、見る間にしおしおとしおれていく。
「……これ、どこ置こうか」
「……おけるの?」
「たとえば、扉の近くとか──」

置いてみた。

「……ないな」
「ちょっど、じゃまくさい」
「じゃあ、空気清浄機どけてみるとか」
「ようふくだんす、あぐ?」
「……開かないな」
「──……ぶー」
「ソファと小箪笥のあいだに、入りそうな隙間があるんだけど」
「……じゃ、そこ」

入れてみた。

「──おお!」
「おー……」
そのための隙間であったかのように、ぴったりと収まった。
「ここしかないな」
「うん」
「──…………」
「……ぶー」
「すこし横になるか?」
「うん……」
うにゅほの手を取り、寝床までエスコートする。
「……ねるまで、いでほしい」
「はいはい」
「──……ぶー」
すっかり甘えっ子になってからに。
冷蔵庫の感動を分かち合うのは、もうすこし元気になったあとにしよう。



2015年1月9日(金)

「けっこうでっかいねえ……」
うにゅほが、腰の高さほどもある冷凍庫の頭をぺたぺたと撫でる。
「開けてみるか?」
「うん」
振動と共に、冷蔵庫の扉が開く。
「わあー」
「広いだろ?」
「ひろい!」
1.5リットルのペットボトルであれば、優に十数本は入りそうだ。
「おちゃとペプシがはいってます」
「他に入れるものもないからな……」
「おやつとかは?」
「俺たち、食べるぶんしか買わないじゃん」
「あー……」
なにより、そういったものを備蓄し始めると、肥え太る未来しか見えないし。
「れいとうこないの?」
「冷凍庫あるぞ」
「──……?」
小首をかしげる。
「これ、ワンドアだから上のほうが冷凍庫になってるんだよ」
「へえー!」
うにゅほが、冷蔵庫の最上段に手を突っ込み、
「しゃりしゃりしてる……」
と呟いた。
「しゃりしゃり?」
「つめたい」
「え」
うにゅほに詰めてもらい、同じように手を差し入れる。
「……もう霜がついてる」
「しも?」
「コンビニの冷凍庫なんかにもついてるだろ、これ」
「あー」
うんうんと頷く。
「なんでつくの?」
「夏になると、ペットボトルが汗かくだろ。あれと原理は同じだよ」
「あれがこおってるの?」
「そういうこと」
それにしても、たったの一日でもう霜ができるとは。
霜を取るなり防ぐなり、なにか対策を講じなければなるまい。



2015年1月10日(土)

──ぴぴぴぴ!
うにゅほが、電子音の発信源を腋の下から取り出した。
表示部に目を落とし、
「……えー?」
不満げに首をかしげる。
「何度だった?」
「さんじゅうななど、さんぶ……」
「おー、下がったじゃないか」
「もうなおったとおもったのに……」
インフルエンザは、普通の風邪よりずっと症状が重い。
ピーク時の体調を基準にすると、まだ微熱があっても復調したと感じてしまうのだろう。
かく言う俺もそうである。
「まだまだ無理はできないな」
「うー……」
うにゅほの髪を手櫛で梳きながら、優しく言う。
「大丈夫、××を置いて、ひとりで出掛けたりしないから」
去年図書館で借りた二冊のハードカバーに視線を向け、ちいさく溜め息をついた。
返却期限を十日以上もぶっちぎってしまっているのだが、こればかりはもう巡り合わせが悪かったとしか。※1
「でも、あさって◯◯のたんじょうびなのに」
「──……あー」
そうだった。
思い出した。
忘れてた。
「そっか、また年をとるのか……」
「いや?」
「誕生日が来るのは、まあ、嬉しいけどさ」
祝ってくれる人がいる限り、それは変わらない。
「……誕生日が来ると年齢がひとつ減る仕組みなら、もっと嬉しい」
「えー」
「××は嫌か?」
「あかちゃんになっちゃう」
「赤ちゃん好きだろ」
「すき」
うへー、と笑う。
「◯◯、あかちゃんになったら、どうしよう……」
「適当に育ててくれたまえよ」
ぽんぽんと頭を撫でる。
「さあ、布団に戻りましょうねー」
「ねむくない」
「眠らなくてもいいから」
「はい……」
うにゅほを寝かしつけたあと、俺もすこし横になることにした。
全快まで、もうひと押しである。

※1
2014年12月27日(土)
2014年12月29日(月)参照



2015年1月11日(日)

「こたつ」
「うん?」
「こたつ」
「欲しいの?」
「こたつ、はいってみたい」
テレビかなにかで見たのだろうか。
「こたつない?」
「あるけど、車庫の二階の奥のほうだよ」
「あー……」
掘り出すだけで一時間はかかるだろう。
「じゃ、いい……」
うにゅほが、しおしおとソファに座り込む。
ちょっと可哀想だと思ったので、なんとかしてあげることにした。
「……えー、ニセコタツならできるけど」
「にせ?」
「コタツモドキとも言う」
「もどき……」
「やる?」
「やる!」
まず、仕事用の折りたたみテーブルを広げる。
次に、その上に布団を乗せる。
最後に、布団乾燥機の送風口を布団の端に差し入れる。
「──はい、ニセコタツの完成です」
「おー!」
うにゅほの瞳がきらきらと輝いた。
「天板はないけど勘弁な」
「こたつ! すごいこたつ!」
「俺も、思ったよりこたつっぽくなって驚いてる」
「はいっていい?」
「どうぞどうぞ」
タイルカーペットの上に腰を下ろしたうにゅほが、布団のなかに恐る恐る爪先を入れていく。
「あ、あったかい……」
布団乾燥機の温風は、足に直接当たらないように調整してある。
ちゃんと靴下も履いてるし、ヤケドすることはないだろう。
「◯◯、◯◯!」
ぱんぱん!
端のほうに詰めたうにゅほが、自分の隣を叩いて示す。
入れと。
「狭いと思うんだけど」
「あったかいよ」
「はいはい」
並んで入ったニセコタツはぎゅうぎゅうで、布団乾燥機なんてすぐに必要なくなった。
意外と実用的かもしれない。



2015年1月12日(月)

目を開けると、ぼやけた天井。
「──……ふぁ、ふ」
手探りで見つけた眼鏡を掛けて、あくびを噛み殺す。
眠い。
しかし、起きてしまったものは仕様がない。
リビングへ赴くと、うにゅほがソファの上でぼーっとしていた。
「××、おはよ」
「!」
びん、と音がしそうなほど一瞬で背筋を伸ばし、うにゅほが挨拶を返す。
「おっ、はよう、がざいます!」
「……がざいます?」
「──…………」
目が合う。
「──…………」
「──…………」
もじもじしている。
「えー……と、どうかした?」
「……きづいてない?」
「なにが」
「──……はー」
溜め息。
なんだろう、様子がおかしい。
「……えと、なにか、なかった?」
「なにか?」
「めがねのとこに……」
「──…………」
ふと、記憶に引っ掛かるものを感じた。
眼鏡のところ。
眼鏡の傍。
なにか、見覚えのないものがあったような気がする。
自室へ取って返し、枕元に視線を落とした。
「……あった」
青い小箱。
それを見た瞬間、思い出した。
「そうか、俺──」
「たんじょうび、おめでとう!」
振り返ると、笑顔のうにゅほがそこにいた。
「これ、プレゼント?」
「うん!」
起きたときに気づけなくて申し訳ない。
「開けていいか?」
「いいよ」
それなりに高級そうな小箱を開くと、
「うお、時計だ!」
「うへへ」
それは、男性用の自動巻腕時計だった。
文字盤は大きいがデザインは俺好みで、少なくとも一万円前後はしそうな代物だ。
うにゅほの誕生日に腕時計を贈ったから、そのお返しなのだろう。
「はー……」
着けてみると、ずしりと重い。
「似合う?」
「にあう、にあう。よかったー」
「ありがとうな」
「うへー……」
左手で、うにゅほの頭を撫でる。
素直に嬉しかった。
「──それにしても、いつ買ったんだ?」
今年に入ってからはずっと臥せっていたのだから、買いに行くことなどできるはずがない。
やはり、便利なネット通販だろうか。
そんな予想を立てていると、
「きょねん、おかあさんとかいにいった」
「去年……」
「じゅういちがつくらい」
「十一月!」
そんなに前から隠してあったのか。
それなら早めにもらっておけば──などと益体もないことを考えなくもないが、それはそれで風情がないものである。
せっかくのプレゼントだ。
ありがたく使わせていただこう。



2015年1月13日(火)

「……それじゃ、お願いします」
「はい」
看護婦に一礼し、病院を後にする。
「──…………」
空を見上げた。
寒くはない。
ただ、ぼんやりとした不安が胃の奥で澱んでいた。
帰宅し、玄関の扉を開くと、うにゅほが上がり框に腰掛けて待っていた。
「◯◯……」
「ただいま」
「あの、おばあちゃんは?」
「点滴だって」
「かえってくる?」
「大丈夫だ。終わったら、ちゃんと迎えに行くよ」
「……そか」
安心したのか、うにゅほが肩の力を抜いた。
「──…………」
祖母の体調が芳しくない。
詳細は省くが、長くはないように思う。
俺は、いい。
俺は大丈夫だ。
心配なのは、うにゅほのことだった。
愛犬が死んだとき、あれほど落ち込んだうにゅほが、祖母の死に耐えられるだろうか。
それだけが気にかかる。
「ほら、寒いから部屋に戻るぞ」
「うん」
うにゅほの頭をぽんぽんと撫でて、階段の踏み板に足を掛ける。
「──よっ、しょ!」
「うお、お、お、お!」
後ろから背中を押され、うにゅほと一緒に階段を駆け上がることになってしまった。
「こら、危ないだろ」
「うへー……」
うにゅほが苦笑する。
「──…………」
不安、なのだと思う。
いくら大丈夫と口にしたところで、伝わってしまうものがある。
俺たちは家族だ。
互いを知り過ぎている。
祖母が完治してくれればと思うが、それはきっと、都合のいい願いに違いないのだろう。



2015年1月14日(水)

「あー……」
入念に洗ったはずの手のひらから、依然として灯油臭がする。
ストーブの油タンクに給油する際、垂れた灯油を手のひらで拭ってしまったのである。
「──…………」
これでは、灯油のにおいが好きなうにゅほが大喜びしてしまうなあ。
喜ぶのはいいのだが、たまに離してくれないから困るのだ。
前世は犬だな、うん。
「ただいまー……」
「!」
自室へ戻ると、案の定うにゅほが見えないしっぽを振っていた。
うん、犬だ。
「てーかいでいい?」
「ああ」
うにゅほの眼前に右手を差し出し、
「──…………」
ふと気が変わって、うにゅほの顔面にアイアンクローをかましてみた。
「ぶ」
もちろん力は込めていない。
「ははは、好きなだけ嗅ぐがいい」
「うぶー……」
ふんすふんす、
はー。
ふんすふんす、
はー。
「んふぅ」
吐息があたたかい。
うにゅほは、アイアンクローなど意に介さず、素知らぬ顔で鼻を鳴らしている。
もっとびっくりするかと思ったんだけどなあ。
そんなことを考えていたときだ。
「──…………」
ちら、と俺の顔を見上げたうにゅほが、
「……れる」
いたずらっぽく手のひらを舐めた。
「おひ!」
全身の毛穴が一瞬で総毛立ち、俺は思わずたたらを踏んだ。
「?」
うにゅほが小首をかしげている。
「──手、手のひらは駄目なんだ、昔から、俺は」
「ごめんなさい」
「いや、謝るほどのことじゃないけど……」
俺は、ふと、愛犬に手を舐められたときのことを思い出していた。
やっぱ犬だわ、この子。



2015年1月15日(木)

祖母の入院の手続きを済ませ帰宅すると、時刻は既に正午を回っていた。
「──…………」
ソファに背中を預け、だらしなく天井を見上げる。
疲れた。
いつもより早起きをし、いつもとは違うことをしたのだから、当然だ。
「……ね、◯◯」
「んー」
俺の隣で膝を抱えたうにゅほが、そっと口を開いた。
「おばあちゃん、だいじょぶかな」
「家にいるよりかはな」
祖母の衰弱は、インフルエンザに罹患し胃腸の機能が低下したことに起因する。
インフルエンザの症状はとうに治まっているので、点滴などで栄養を摂取することができれば、差し当たって死ぬことはない。
「さみしくないかな」
「ちょっと休憩したら、お見舞い行こうな」
「うん」
「毎日行けば、寂しくないだろ」
「……うん」
「──…………」
「──…………」
自室を、静寂が包み込む。
ぴこぴこと動くうにゅほの爪先をじっと見つめていると、唐突に、わけもなく不安に駆られた。
「そー……、りゃ!」
「わう」
うにゅほの膝と腰に腕を回し、すくうように抱き上げる。
そして、自分の膝の上に乗せた。
「どしたの?」
「……膝が寒かったんだよ」
人の重みは、安心する。
しばらくのあいだ、そうしてうにゅほの体重と体温とを感じていた。



2015年1月16日(金)

「××、今日ルパンやるってさ」
「そなんだ」
「見る?」
「うん、みる」
「今週はカリオストロだって」
「……か、すとろ?」
「カリオストロの城」
「へえー」
「あれ、観たことなかったっけ」
「あたらしいやつ?」
「いや、新しくない。ジブリの宮崎駿が監督したやつなんだけど」
「あ、みた!」
「だよな、一緒に観たよな」
「でっかいとけいのなか、のぼるやつだ」
「そうそう」
タイトルだけ失念していたらしい。
「こたつでみていい?」
「ニセコタツ、また作るのか」
「うん」
ニセコタツとは、折りたたみテーブルと布団で作るこたつっぽいなにかである。※1
「リビングでやったら、さすがに怒られると思うぞ」
「へやでやる」
「部屋で、って……」
ぐるりと自室を見渡した。
「角度的に、だいぶ厳しくないか?」
ニセコタツを置くスペースは、ある。
しかし、その位置からでは、テレビが非常に見づらいと思う。
「だいじょぶ」
うにゅほが、ぐっ、と両の拳を握り締めた。
やる気である。
「まあ、そんなに言うなら」
というわけで、設置してみた。
「わあー」
天板のないニセコタツに突っ伏し、すりすりと布団に頬ずりをする。
「◯◯、はいる?」
「いよいよもってテレビが見れないだろ」
「そか」
「──…………」
つん、つん。
「なにー?」
「いや、届きそうだなって思って」
「ふうん」
「──…………」
つん、つん。
「なにー?」
「いや、なんとなく」
「ふうん」
パソコンチェアから伸ばした爪先でうにゅほの背中をつっついたりしながら、カリオストロの城を楽しんだのだった。

※1 2015年1月11日(日)参照



2015年1月17日(土)

祖母のお見舞いを済ませて病院を出ようとすると、正面駐車場に停めたはずのミラジーノの姿が見えなかった。
「──…………」
というか、なにも見えなかった。
「……ね」
うにゅほが俺の袖を引く。
「ゆき、すごいね」
「ああ……」
もともと猛吹雪だったものが、とんでもないことになっていた。
「うんてん、できる?」
「できないことはないと思うけど……」
ほんの十メートル先が見えないのだから、それなりの覚悟を持つ必要があるだろう。
待合室を兼ねたロビーを視線で示し、
「すこし座ってくか」
と、提案した。
「おばあちゃんとこは?」
「寝たのを起こすのも悪いだろう」
「そだね」
ベンチソファに腰を下ろし、閑散としたロビーをぐるりと見渡す。
診療時間内のはずなのに、誰一人いない。
これ以上ない説得力を放つ窓の外の光景から目を逸らすと、自動販売機があった。
「暇だし、なんか飲むか」
「あ、わたしかってくる」
「俺も──」
「◯◯、まってて」
制されてしまった。
仕方ない。
財布から120円を取り出し、しばし待つ。
「──はい!」
うにゅほが手袋越しに差し出したものは、熱々のミルクセーキだった。
「こんなのあるのか……」
「◯◯、あまいのすきだから」
「ああ、うん、ありがとう」
甘いものは好きだが、余計に喉が渇いてしまいそうだ。
「××のジュースは?」
「わたし、のどかわいてない」
「そっか」
「ひとくちのましてね」
「……もしかして、ひとくち飲んでみたいからミルクセーキにした?」
「──…………」
うにゅほが強張った笑顔で小首をかしげてみせる。
なんとまあ、わかりやすい。
ミルクセーキは美味しかったが、案の定喉が渇いてしまった。
追加で購入した烏龍茶を飲み干すころには、吹雪もすこしだけ弱まっていた。



2015年1月18日(日)

「なんだこれ」
「うん?」
顔を上げると、うにゅほの手に見慣れないものが握られていた。
「これなにー?」
「えー……、と」
なんだっけ。
親指をひとまわり大きくしたようなプラスチック製の円筒に、赤黒いメタリック塗装が施されている。
口紅ケースに見えるが、すこし太い。
「それ、どこにあった?」
「ほんだなの、ゲームのとこ」
「あー……」
そこは、処遇の決まっていない物品を無意識になんとなく置いてしまう場所である。
入手して日が浅いのだろうか。
「むーん……」
親指の腹であごを撫でながら唸っていると、
「ね、あけていい?」
と、うにゅほが尋ねた。
「それ、開くの?」
「あきそう」
まあ、そうか、開くよな普通。
「んー」
しぽん。
いまいち気の抜けた音と共に、中身が覗く。
「……あかいぬの?」
「──…………」
あれ、なんだか嫌な予感がしてきたぞ。
正月、
初詣、
帰り際、
友人から受け取って──
「わかった、おみやげだ」
祖母の入院だのインフルエンザだのといろいろ重なって、今の今まで完全に忘れ去っていた。
恒例、友人の恋人によるおみやげという名の一発ネタである。
「おみやげ……」
うにゅほが、ちいさくまるめられた赤い布を開く。
「──…………」
「──……?」
それは「LOVE」と刺繍されたハート型でスケスケの布切れに、申し訳程度にゴムひもが取り付けられたものだった。
「なんだこれ?」
ゴムをぴよんと伸ばしながら、うにゅほが小首をかしげる。
俺はわかった。
わかってしまったので、うにゅほから受け取った布切れを丁寧にケースに詰め直し、燃やせないゴミ箱にシュートした。
「すてちゃうの?」
「よくわからないものを置いておくスペースはありません」
「ふうん……」
俺の様子からなにかを察したのか、うにゅほはそれ以上なにも言わなかった。
おみやげという名の一発ネタに見せかけた無慈悲なテロ行為からうにゅほを守るのは、俺しかいない。
下ネタお断りである。



2015年1月19日(月)

今週のジャンプと豆大福の入ったレジ袋を置き、手袋を脱いでコートのポケットに仕舞う。
かさ。
「……ん?」
紙のような感触を手繰ると、本屋のレシートだった。
「なにそれ!」
マフラーを解く手を止め、うにゅほが驚きの声を上げる。
理由は明らかだ。
そのレシートが、30cmはあろうかという長大なものだったからである。
「ほら、年末に新刊まとめて買ったろ」
「そのときのやつ?」
「そう」
「そんなになってたの……」
「まあ、25冊も一気に買えばなあ」
二重にされた紙袋のずしりとした重みを思い出し、手のひらに視線を落とした。
新刊は、もっとこまめにチェックすべきである。
「ね、みして」
「ほい」
うにゅほにレシートを渡す。
「コミック、がいぜい、コミック、がいぜい、コミック……」
「漫画しか買わなかったもんな」
「いちまん、よんせん、ごひゃくきゅうじゅうなな、──あれ?」
うにゅほが小首をかしげてみせた。
「これ、かけいぼいれたかなあ」
「入力してたと思うけど」
「んー……?」
「ほら、レジで支払ったのは弟で、俺は五千円しか出してないから」
「あ、そか。そだそだ」
思い出したらしい。
レシートが俺のコートに入っていた経緯については、よく思い出せないけれど。
「これ、とっといていい?」
「いいけど……」
以前もゾロ目のレシートをうにゅ箱に仕舞い込んでいた記憶があるのだが、いったいどうするつもりなのだろう。
コレクションなのかな。



2015年1月20日(火)

「あっづー……」
ジャケットの胸元を開き、右手で首筋をぱたぱたとあおぐ。
「休憩しよう、休憩」
「はふ……」
うにゅほが、裏返したスノーダンプに器用に寄り掛かる。
三十分ほど作業して、ようやく半分といったところだろうか。
「それにしても、寒さ感じなくなったよな」
「きょう、さむくない」
「寒くないったって──」
ポケットからiPhoneを取り出し、現在の気温を確かめる。
「いま、-4℃だぞ」
「え」
うにゅほが画面を覗き込む。
「ほんとだ……」
「それだけ慣れたってことだよ」
一年のうちで最も寒さが厳しいのは、11月の下旬くらいだと思う。
今日は大寒だが、このとおり寒くもなんともない。
「──……ぐぅー……、ぐ、ぐ」
曲がっていた腰を伸ばし、ジョンバを再び手に取った。
「さて、続きやるか!」
「おー!」
「××、そっちの小山から頼む」
「はーい」
前半の作業でまとめた雪山を切り崩し、小分けにして道路の向こうへと跳ね飛ばしていく。
雪を散らさないためには、少々コツが必要だ。
作業に没頭しはじめたとき、
ぼす!
というような低い音が、雪捨場のほうから聞こえてきた。
そちらを見やると、
「──…………」
うにゅほの下半身が、すっかり雪に埋まっていた。
「──…………」
両腕を天に伸ばしながら、なんとも言えぬ瞳でこちらを見つめている。
そう珍しくもないアクシデントなのだが、どうしていつも無言で助けを求めるのだろう。
うにゅほを救出に行こうとして、
ぼす!
「──…………」
気づくと、自分も埋まっていた。
「──…………」
「──…………」
見つめ合う。
あ、無言になるわこれ。
なんとか自力で雪から抜け出し、うにゅほを助け出したあと、ようやく笑みが追い付いてきた。
雪まみれのふたりが笑い合う姿は、いささか奇妙だったかもしれない。



2015年1月21日(水)

「といれー」
と、不要な宣言と共に自室を後にしたうにゅほが、あっという間に戻ってきた。
「◯◯、◯◯」
「随分早いな」
「ちがくて」
うにゅほがふるふると首を振る。
「なんか、といれにボタンがある」
「ボタン?」
しばし思案し、
「あー、白いボタンか」
「そう」
我が家のトイレの片隅には、人目を避けるようにひとつのボタンが取り付けられている。
「……もしかして、いま気づいたのか?」
もう三年以上もこの家で暮らしているはずなのに。
「ちがくて」
ふるふると首を振る。
「きこうとおもって、わすれてて、またきこうとおもって、ずっとわすれてたの」
「あー……」
表現はつたないが、言いたいことはよくわかる。
「おしたらどうなるの?」
「どうなると思う?」
「えーと、みずながれる、とか……」
「答えが気になるなら、押してみるといい」
「おしていいの?」
「いいよ」
おもむろに立ち上がり、うにゅほと共にトイレへと向かう。
なんだか妙な感じだ。
「……おし、おしていい?」
「どうぞ」
緊張に震える指先が、恐る恐るボタンに触れる。
かち。
くすんだ白いボタンが、見た目どおりの安っぽい音を立て──
「──…………」
「──…………」
「……?」
うにゅほが小首をかしげた。
「なにもおきないねえ」
「ああ、なにも起きないんだよ」
「えー……」
「ははは」
落胆するうにゅほを見兼ねて、謎のボタンの正体を説明する。
「これ、外にある灯油タンクから灯油を汲み上げるボタンなんだってさ」
「とうゆ?」
「一階にあるみたいな大きいストーブを二階にも設置する予定だったんだけど、結局置かなかったから意味がなくなったとかなんとか……」
「へえー」
うにゅほが、うんうんと頷いた。
「おおきいストーブあったら、とうゆくまなくていいのにね」
「そうだな」
談笑しながら自室へ戻り、ふたり並んで腰を下ろす。
「──あ、といれ!」
慌てて立ち上がったうにゅほが、三度トイレへと舞い戻っていった。
当初の目的をすっかり忘れていたらしい。
なにかにつけて面白い娘である。



2015年1月22日(木)

「……なんか寒い」
全身を震わせる寒気に、半纏の上から両腕を撫でつけた。
「だいじょぶ?」
「これは、二周目かもしれないなあ……」
年始のインフルエンザに唯一かからなかった母親が、いま風邪を引いている。
完治したはずの弟が、また微熱と咳に苦しみ始めた。
「……嫌なスパイラルだ」
「ねたほういいよ」
「そうだな……」
うにゅほに手を引かれるまま、寝床へと潜り込む。
「──…………」
布団が冷たい。
しばらくしても、一向に暖かくなる様子がない。
事ここに至り、発熱しているのではなく、体温が下がっていることに気がついた。
「××、さむい……」
すぐ隣でWORKING!!を読んでいたうにゅほに、弱々しい声で助けを求める。
「さむいの?」
「寒い……」
「おっきいクッション、いる?」
「いる……」
直径50cmのふかふかもちもちクッションが、布団のなかに差し入れられた。
「あったかい?」
「──…………」
邪魔くさい。
「ふとんかんそうきは……」
「いや」
湯たんぽの代用品として優秀な布団乾燥機だが、熱風に晒される感覚がすこし苦手だった。
「じゃ、わたしいっしょにねる」
「それはさすがに──」
やんわりと断ろうとして、ふとあることを思いついた。
「××、布団に足だけ入れてみて」
「あし?」
「そう、頭そっちで、足こっち。仰向けで」
「はい」
そろそろと入ってきた足を引っ張り込み、腹の上に乗せる。
腹筋に効きそうな体勢で、うにゅほが尋ねた。
「……これ、あったかい?」
「──……うーん」
しばしの思案ののち、
「……なんか、思ってたのと違う」
「やっぱし……」
そもそも、うにゅほは冷え性の気があるのだ。
爪先を握ると、冷たいくらいだった。
「××は、どんな感じ?」
「あし、あったかい」
「じゃあ、ちょっとだけこのままで」
うにゅほの足を抱くように横臥し、目蓋を下ろす。
そのうち暖かくなってきて、気持ちよくうとうとしていたら、いつの間にか三十分ほど経っていた。
すこし楽になった。



2015年1月23日(金)

「──ふぎ!」
思いがけぬ重量に両腕が軋みを上げた。
気温の上昇によって、雪が氷へと変わりつつあるのだ。
「××、今日は俺だけでいいよ」
「えっ」
「硬くて重いけど量は少ないから、パッパと飛ばして終わりにする」
ガリ!
プラスチック製のジョンバが根雪を引っ掻き、その上の雪塊をさらっていく。
「うー……」
うにゅほが不満げに唸る。
「わたし、できるよ?」
「──…………」
できるったって、なあ。
どうしてうにゅほは事あるごとに腕力方面のアピールをしたがるのだろう。
「じゃあ、ちょっとだけな」
「はい!」
目を輝かせたうにゅほにジョンバを渡し、車庫の外壁に寄り掛かる。
「ほっ──」
黄色いジョンバが雪面を削り、
「──……ぬ、ぬ?」
そのまま、持ち上がらなかった。
「おもい」
「な?」
「ふぬ! ぬ! ぬぅー……」
「……おーい」
必死である。
「××、その持ち方じゃ駄目だって」
「ふぐ」
「もっと、ジョンバの根本を掴まないと」
末端のほうを握っていては、俺の膂力でも無理だ。
「お、お──」
ジョンバの先端部が、ゆっくりと持ち上がっていく。
「もてた!」
「おー」
ぼふぼふと拍手を送る。
うにゅほが、左右によろめきながら大きな塊を運んでいき、
「──できたよ!」
んふー、と鼻息荒く振り返った。
「でも、まだまだ半人前だな」
「えー」
「貸してみ」
うにゅほからジョンバを受け取り、軽くまとめた雪塊を次々と跳ね飛ばしていく。
「──よっ、はっ、ほいっと」
「◯◯、ちからもち」
「いや、ただ飛ばすだけなら、腕力は大して必要ないんだよ」
「そなの?」
「こればっかりは慣れだなー」
「わかった、なれる!」
結局ふたりで雪かきをすることになってしまった。
余計に時間が掛かったような気もするが、未来への投資としておこう。



2015年1月24日(土)

「──…………」
「……はんせいしてますか」
「してます」
「せいざはしなくてもいいです」
「はい」
正座を崩し、あぐらをかく。
「もうしませんか」
「はい」
「つぎ、よるコンビニいくときは、ちゃんとおこしてくれますか」
「……はい」
「ほんと?」
「はい、本当です」
「こっそりおさけかったりしませんか」
「はい」
「こっそりかけいぼにゅうりょくしたりしませんか」
「はい」
「ほかになにかったの?」
「……お菓子」
「こばらすいたの?」
「空いたの……」
「いってくれればいいのに」
「はい……」
「もうしませんか」
「しません」
「よろしい!」
「──……はー」
許しが出たので、そろそろと立ち上がる。
そして、昨夜購入しておいたふわふわ大福(カスタードホイップ)を冷蔵庫から取り出した。
「こちらをお納めください」
恭しく差し出す。
「おー」
「反省のしるしに……」
時系列で言うと明らかに保険だけど。
「ありがと」
うにゅほが頬を緩ませる。
「あ、ちがう、くるしゅうないくるしゅうない」
「そのキャラまだ続けるの?」
「◯◯、あんましおこることしないんだもん」
「いいことじゃん」
「うん、いいこと」
寝癖のついた俺の髪を、うにゅほの指が梳いていく。
「いいこいいこー」
「──…………」
まあ、いいか。
自分のぶんのふわふわ大福に舌鼓を打ちながら、されるがままに撫でられていた。



2015年1月25日(日)

「ふー……」
帰宅し、寝癖を隠していたワッチキャップをソファに投げ捨てた。
「××、シャワー行くとき洗濯機に入れといて」
「はーい」
うにゅほがキャップを拾い上げ、両手にかぶせた。
「びよん、びよん」
「伸びるから、あんま広げないで」
「ごめんなさい」
ぺこりと頭を下げる。
実に素直だ。
「ね、かぶっていい?」
「いいけど、ぶかぶかだと思うぞ」
「うん」
ずぼ。
キャップを深くかぶると、うにゅほの頭がすっかり隠れてしまった。
「みえない」
ロングワッチだから、当然そうなる。
「はは、似合う似合う」
「──…………」
反応がない。
顔の前でパタパタと手を振ってみる。
動かない。
「──……?」
不思議に思って近づいてみると、すんすんと鼻を鳴らす音が耳に届いた。
「……におい嗅いでる?」
「うん」
すんすん、はー。
「臭くない?」
「シャンプーと、◯◯のにおいする」
すー、はー。
「あと、チョコのにおいする」
何故。
「──…………」
くんくん、はふー。
「──…………」
「──…………」
だんだん恥ずかしくなってきた。
「はい、もう終わりです」
「あー!」
ワッチキャップを奪い取ると、うにゅほが不満げな声を上げた。
「帽子嗅ぐの禁止」
「えー」
「返事は?」
「はーい」
なんだろう、頭皮を直接嗅がれるより恥ずかしい。
不思議なものである。



2015年1月26日(月)

昨夜のことだ。
「──××、××」
「うぶ……」
ほっぺたをぺちぺち叩くと、うにゅほの目蓋が薄く開いた。
「××、××」
「……んーぅ?」
「ジャンプ買いに行くけど」
「!」
あ、起きた。
「おあようごじます……」
「おはようございます」
時刻は午前二時、早いにも程がある。
わざわざこんな時間に出掛けるのは、他でもない。
二日前の罪滅ぼしのつもりだった。※1
「ジャンプかいいくの?」
「とりあえずはな」
「ローソン? セコマ?※2」
「どっちがいい?」
「うーと、じゃあ、ローソン」
「わかった」
うにゅほの用意が整うのを待ち、ミラジーノのキーを手に外へ出た。
「はー……」
白い吐息が立ち上る。
「すぶいねえ……」
なるべく口を開かずに喋ろうとするものだから、なにを言っているのか聞き取りづらい。
「冬の夜だからなあ」
「なんか、くうききれいなきーする」
「わかる」
すう、と。
澄んだ空気を肺いっぱいに満たすと、すこしだけ視野が広がった気がした。
「──よし、さっさとコンビニ行って、とっとと帰ってこよう」
「えー……」
「ご不満ですか」
「せっかくおきたのに」
物足りない様子のうにゅほに、思わず苦笑する。
こうなると思っていたのだ。
しかし、未成年を連れ出して深夜のドライブというのも、いささか非常識である。
「では、深夜の散歩などいかがでしょう」
「はい」
恭しく差し出した右手に、うにゅほの左手が重なった。
冷たい手。
でも、そのうちに暖かくなるだろう。
頑是ない子供のように繋いだ手を振りながら、色のない景色のなかをふたりで歩いて行った。

※1 2015年1月24日(土)参照
※2 セイコーマートの略称



2015年1月27日(火)

「……ん?」
病院の領収書を整理していると、記憶にないものがあった。
「T病院……」
そんなところ行ったかなあ。
「××、T病院って覚えてる?」
「うーと……」
しばしのち、うにゅほが小首をかしげながら答えた。
「しらない」
うん、あまり期待はしてなかった。
「住所は──、たぶん、道庁の近くかな」
「どうちょう?」
「北海道庁。ヨドバシカメラからもうすこし──」
そこまで口にしたとき、かすかに脳裏をよぎるものがあった。
「……なんか、病院の帰りにヨドバシ寄ったことなかったっけ」
「あー」
「ほら、総合病院で、待合室が広くて、白い長椅子がたくさんあって、」
「……ココアのんだ?」
「飲んだ飲んだ」
「ココア、ちょっとしかでなかった」
「紙コップのやつな」
「うん、やすいやつ」
「それで、俺、どこが悪かったんだっけ」
「──…………」
「──…………」
はて。
「なにか?」
「総合病院だから、何科かわからない」
「うーん」
手詰まりと諦めかけたとき、うにゅほが不意に声を上げた。
「──あ、にっき!」
「それだ!」
まさに起死回生の一手である。
PCを立ち上げ、去年の日記を開く。
「××、領収書の日付は?」
「えと、しちがつ、じゅういちにち」
2014年7月11日は──
「……しゃっくりが止まらなかった、と書いてある」※1
「しゃっくりで」
「まさか」
いちおう病院へ行ったことにも触れているが、理由までは明記されていなかった。
「あーもー、これで本当にお手上げだ」
「なんだろねえ……」
すっきりしないが、仕方ない。
いずれ、ふとした拍子に思い出すか、忘れたことすら忘れてしまうだろう。
記憶なんてそんなものである。

※1 2014年7月11日(金)参照



2015年1月28日(水)

「ゆでそば」
「うん?」
作りかけのカップ焼きそばを指さして、うにゅほが口を開いた。
「ゆでそば」
「焼いてないだろ、ってこと?」
「そう」
「まあ、うん……」
議論し尽くされた感のある話題だが、そんなことうにゅほは知らないし、関係もない。
なんと答えるべきか思案に暮れていると、
「やいたらやきそばになるかな」
「……焼く?」
「うん」
「これを?」
「やく」
意外と斬新な解決法ではあるまいか。
フライパンに油を引き、湯切りを済ませた麺を小分けにして投入する。
液体ソースをフライパンの端から流し入れ、麺全体に馴染ませたら──
「……まるくなっちゃった」
ほぐしながら入れたはずの麺が、まるごと一体化してしまった。
「しっぱい……」
料理の腕に自信を持ちつつあったうにゅほが、がっくりと肩を落とす。
「いや、これ、水分が多すぎたんだ」
「ゆきり?」
「というか、戻しすぎたんだな。
 二分くらいでお湯捨ててれば、ちゃんと仕上がったと思う」
「もいっかい」
「……一緒にお湯入れた塩ラーメンのこと、忘れてないか?」
「あっ」
忘れていたらしい。
焼きカップ焼きそばは、モチモチしていて意外に美味しかった。
ソフト麺のマルちゃん焼きそばの味がした。
ちゃんと焼きそばになれたようだ。



2015年1月29日(木)

「ただいまー……」
玄関の電灯を落とし、階段を上がる。
午後十時半。
思ったより早く帰宅することができた。
「おかえり!」
「ただいま、××」
うにゅほの頭をぽんぽんと撫でる。
「ともだち、どうだった?」
「ああ、ぜんぜん変わってなかった」
ストールを解き、うにゅほの首に巻き直す。
コートをハンガーに掛けて振り返ると、うにゅほがにこにこしていることに気がついた。
「どうした?」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんか嬉しそうだから」
「だって、◯◯、たのしそうだから」
「──…………」
自分の頬に手を触れる。
笑っていただろうか。
「……そうだな、うん、楽しかった」
「よかったね」
うにゅほが、ほにゃっとした笑みを浮かべた。
「あ、しごとあるよ」
「今日のぶんは、明日まとめて──」
「はい」
手渡された書類に目を通す。
「──…………」
一瞬で酔いが冷めた。
「……徹夜かも」
「えっ」
「あ、いや、朝までかかるってほどじゃないけど……」
「だいじょぶ?」
「大丈夫、大丈夫」
こればかりは仕方がない。
さっさと終わらせて、気持ちよく眠ることにしよう。



2015年1月30日(金)

金曜ロードショーで「ルパン三世vs名探偵コナン THE MOVIE」が放送されるということで、うにゅほが張り切ってニセコタツを準備していた。※1
「好きだなあ……」
「うん」
いっそ本物のコタツを出してあげようかとも思うが、さすがに置き場所がない。
「はふー……」
天板のないニセコタツに突っ伏し、うにゅほが満足げな吐息を漏らす。
「おちつくー」
「──…………」
そんな様子を見ていたら、ちょっと入りたくなってしまった。
「……××、すこしのあいだ、よけてもらっていいか?」
「いいよー」
うにゅほが十センチほど横にずれる。
「いや、そうじゃなくて」
もともと仕事用の折りたたみテーブルなので、並んで入ると狭すぎるのだ。
「悪いな」
「ううん」
うにゅほと入れ替わりでニセコタツに入る。
「……はー」
たしかに落ち着く。
ちゃちな偽物のはずなのに、それなりにいいかんじ。
「にせこたつ、いいよねー」
「そうだな」
「わたしもはいっていい?」
「あ、うん。ちょっと待って、いま出る──」
そう言って立ち上がりかけたとき、
「よしょ」
うにゅほがニセコタツを前にずらした。
そして、俺の膝の上に我が物顔で腰を下ろし、コタツを元の位置に戻す。
「……うへー」
これで一緒に入れる、ということらしい。
正直なところ高さもギリギリなのだが、そんなことを言うのも野暮である。
それから一時間ほどうにゅほの座椅子に徹していたが、さすがに足が痺れてしまった。
ルパン三世vs名探偵コナンは、けっこう面白かった。

※1 2015年1月11日(日)参照



2015年1月31日(土)

「あー……」
デスクに顎を乗せて、うめく。
無為な休日を過ごしてしまった。
思い返すと、本当になにもしていない気がする。
「××、今日なんかしたー?」
「きょう?」
「そう」
「うと、あさおきて、かみとかして、ごはんのてつだいして、ごはんたべて、せんたくして──」
「あ、なんかすいません……」
「?」
母親と家事を分担しているうにゅほに休日はないのだった。
「いやー、今日、だらだらし過ぎたかなーと思って」
「そかな」
「そう」
「──…………」
「……いつもと大して変わらないって思ってる?」
「おも、ってないよ」
何故つっかえた。
「なんかひとつくらいやっとかないと、寝るに寝れない」
「なんかって?」
「なんでもいいんだけど……」
「じゃんけんする?」
「ごめん、もうすこし有意義なことで」
「ゆういぎ……」
「──…………」
「うと……」
真剣に悩んでくれるうにゅほの姿を見て、思いついた。
「××さん、××さん」
「う?」
「いつもお疲れ様です」
うにゅほの背後にまわり、やわやわと肩を揉む。
「ふお」
「どうですか」
「きくわあ……」
ひとつも凝っているように思われないが、気持ちいいことはいいらしい。
「次は背中を揉みましょうねー」
「おう、ねがい、じまー……」
こうして、うにゅほをねぎらいながら一日を終えたのだった。

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