>> 2014年7月




2014年7月1日(火)

おなじみ友人の恋人から、うにゅほへのプレゼントをいただいた。
「──……うーん」
「あけていい?」
「ちょっと待って」
毎度リアクションに困るものを贈りつけてくれるので、警戒しておくに越したことはない。
俺は、エロトランプ事件のことを忘れてはいないのだ。※1
「どれ……」
薄手の紙袋を開くと、ふたつのものが入っていた。
ひとつは、
「れんあいじょうじゅ……」
と、書かれた絵馬型のメモ帳である。
「……成就はいいけど、すげえ使いづらそうな形だな」
「うん」
需要がわからん。
もうひとつは、
「あ、きれい」
「綺麗──っちゃ、綺麗だけど……」
ちいさな星形のラベルシール45片入りだった。
「はっていい?」
「いいけど、変なとこはやめてくれよ」
「へんなとこ?」
「本とか、テレビの画面とか……」
「はんないよー」
うにゅほが苦笑し、
「あ、といれ」
不要な宣言をして自室を後にした。
これは、あれだな。
あまり自覚はないけど、俺の口癖がうにゅほに伝染したんだろうな。
「──…………」
それはそれとして、ひとつ思いついた。
「ただいまー」
トイレから戻ってきたうにゅほに、シールの台紙を手渡す。
「?」
「なにか、変わったところはないか?」
「ふたつへってる?」
「どこに貼ったでしょー……、か!」
「!」
こうして、変形宝探しゲームが始まった。
「──あ、かぴばらさんのめーきらきらしてる!」
「正解!」
「つぎわたしはるね」
リビングでしばし待機し、
「いーよー」
「よし、速攻で見つけてやる」
三分後──
「うあ、キンチョール☆になってる!」
「せーかい!」
「んじゃ、次俺な」
絵馬型のメモ帳は死蔵される運命だが、星形のシールではなかなか楽しく遊べました。

※1 2013年6月2日(日)参照



2014年7月2日(水)

「ゔー……──」
正午ごろ、暑さで目を覚ました。
寝床からのそのそと這い出すと、ちょうどうにゅほと母親が帰宅したところだった。
「おがえりー……」
「だいじょぶ?」
「腕とかべたべたして気持ち悪い……」
「あついもんねえ」
両手で首元をあおぎながら、うにゅほが苦笑した。
「パンかってきたよ」
「パンか……」
胃のあたりをさする。
「あんま食欲ないなあ……」
「たべたほういいよ?」
「それは、まあ、そうなんだけど……」
ないものは仕方がない。
「アイスない?」
「ちょっとかってきたよ」
「じゃあ、とりあえずそれ食べる」
涼しくなれば食欲も湧くかもしれないし。
スーパーカップとスプーンを握りしめ、自室へと取って返す。
うにゅほは、念願のガリガリ君である。
カドの部分をちゅうちゅうと吸いながら、うにゅほが呟いた。
「おいしい」
「よかったな」
「でも、あんましかたくない」
「しばらく外気に晒されてたから、すこし溶けてるんだろ」
それは、スーパーカップも同じだった。
普段であれば削るように食べ進めていくバニラアイスが、いまやバターのようだ。
「──……!」
ふと、懐かしい食べ方を思い出した。
スプーンを逆手に握り直し、カップに思いきり突き立てる。
「?」
うにゅほが小首をかしげた。
「見てな」
突き立てたスプーンで、柔らかなアイスをぐりぐり掻き混ぜる。
「ほー……」
うにゅほの視線を受けながら練り続けること約一分、
「ほら、できた」
「なに?」
「バニラシェイク──みたいなもの」
「みたいな?」
「ほら」
「んぶ」
うにゅほの口にスプーンを突っ込んだ。
もごもご。
「あ、おいしい」
「ちょっとだけど、味違うだろ」
「うん、おいしい」
「どれ──」
子供のころを懐かしみながら、舌触りのなめらかなバニラシェイクを楽しんだ。



2014年7月3日(木)

「……特殊技能ってあるよな」
両開き戸の食器棚からタンブラーを取り出し、うにゅほに向き直った。
「とくしゅぎのう?」
「必要から、自然発生的に生まれた技能──みたいな」
「……?」
「具体的に言うと、頭に大きな水がめを乗せて歩くアフリカの女性とか……」
「あー」
「ああいうのが、俺にもひとつある」
「!」
うにゅほの興味を引けたようだ。
「どんなの?」
「本当に大したことじゃないんだけど──」
右手のタンブラーを眼前に掲げる。
「食器棚を開けて、コップとか出すだろ」
「うん」
「すると、右手が塞がる」
「うん」
「××はどう閉める?」
「うーん……」
目蓋を閉じ、両手を胸元でもじもじと動かしている。
シミュレーションをしているらしい。
「……みぎての、にぎったところで、おす」
「なるほど」
「◯◯はー?」
「見てな」
扉の縁に肘を当て、
「──ふん!」
ぶるりと振動させる。
食器棚の扉が、ゆっくりと、音も立てず閉じた。
「わずかに肘を震わせることで、扉が閉まるに過不足のない勢いを与えた……」
「おー……」
「これが、汎用性もなく、応用もきかない、無駄な技能というものだ」
「ちょっとすごい」
「ちょっとすごいだろう」
この食器棚の扉を閉める以外の役にはまったく立たないけど。
「わたしもできる?」
「危ないからやめときな」
「えー」
「××は、俺と違って、ちゃんと役に立つ特殊技能を持ってるだろ」
「? なに?」
うにゅほが小首をかしげる。
「なんでか知らんが、俺の体調が俺よりわかる」
「……とくしゅ?」
「特殊です」
「ちょっとすごい?」
「ちょっとすごい」
単に俺が不健康慣れし過ぎているだけかもしれないけど、悪い気はしないのだった。



2014年7月4日(金)

映画「トランセンデンス」を観に行ってきた。
シネコンの売店でナチョスを購入し、つまみながら上映時間を待つ。
「おもしろいかな」
「評論家からは酷評されてるみたい」
「おもしろくないの?」
「面白ければいいな……」
この映画は、評判の善し悪しに関わらず観るつもりだった。
技術的特異点※1を扱った映画など、知る限り他にないのだ。
レイ・カーツワイルの予測した2045年に近づくにつれ、徐々に増えていくとは思うけど。
「あ、えいがどろぼう」
「あれフィギュアあるらしいよ」
「へえー」
小声で会話していると、やがて映画が始まった。
「──……あ」
「──…………」
開始早々、うにゅほと顔を見合わせる。
字幕だった。
「──…………」
視線で会話を試みる。
(大丈夫か?)
(がんばってみる……)
うにゅほが、不安げな表情でスクリーンへ向き直った。
「──……すー」
寝息が聞こえはじめたのは、上映開始から三十分後のことだった。
思ったより頑張った。
「トランセンデンス」は、前評判通りの出来だった。
技術的特異点という概念を持ち出しながら、既存のSFから抜け出すことができていない。
駄作とまでは言わないが、期待に応えてはくれなかった。

「──…………」
「面白い?」
「…………うん……」
こうして日記を書いている今、うにゅほは俺の隣でもののけ姫に見入っている。
もう夢中である。
何度か見たはずなんだけどなあ。
やはり、ジブリは特別らしい。
火垂るの墓だけは、二度と見せないけど。※2

※1 技術的特異点 ── 収穫加速の法則に従い指数関数的に進歩する科学技術に対し、歴史を元にした従来の未来予測が通用しなくなる限界点のこと。
※2 2013年11月22日(金)参照



2014年7月5日(土)

ぐう。
腹が鳴った。
「おなかへった?」
「減った」
「おひるごはんたべないから」
「××だって、羊羹しか食べてないだろ」
「おなかへった」
うへー、と笑う。
「なんか、カレー食べたいな。
 こないだ見かけたカレー屋行ってみる?」
「こないだ?」
「ほら、ゲオ行く途中の」
「あー」

行ってみた。

「──…………」
狭い店内に客の姿はない。
昼食時を思いきり外した時間帯のためだと思いたい。
「××、なにカレーにする?」
「んー……」
悩んでいる。
「◯◯は、なにカレー?」
「カツカレー」
「カツすきだねえ」
「まあね」
「……うん、チキンカレーにしましょう」
うにゅほが、ぱたん、とメニューを閉じた。
五分後──
「あ、美味いな」
「うまい」
「カツいっこ食べるか?」
「たべるー」
俺は、食べるのが早い。
うにゅほは、食べるのが遅い。
そして、うにゅほは少食である。
「──おなかいっぱい」
「ごちそうさんか」
「うん、おねがいします」
うにゅほが皿をこちらへ寄せた。
外食の際、うにゅほの余したものを食べることが通例となっているのだ。
なので、
「骨、だいぶ肉が残ってる」
「うん」
こうして特別な具を取っておいてくれたりする。
注文の品が逆だったら、カツを二、三切れは残してくれたことだろう。
「──…………」
「?」
口元を隠す。
思わずにやけていたらしい。
「チキンカレー美味しいな」
「うん、おいしい」
こういうところが可愛いと思う次第である。



2014年7月6日(日)

「──……!」
なにか、ごくちいさなものが、視界の端をよぎったような気がした。
天井をぐるりと見渡す。
いない。
「××、××」
「?」
うにゅほが漫画から顔を上げる。
夏だからか、イカ娘が最近のお気に入りらしい。
「虫、いる、気がする」
緊張のあまり、カタコトになってしまった。
「……むし?」
「ああ」
「おっきい?」
「ちいさいと思う……」
チェアから腰を上げ、ディスプレイの向こうを恐る恐る覗き込む。
いない。
「××、ハエたたき取って」
「うん」
うにゅほが、プリンタの上に置かれていたハエたたきを手に取ろうと──
「あっ」
「いたか?」
「いた」
「どこだ」
「ハエたたきのうえ」
「──…………」
究極の護身である。
やるな、小虫よ。
それはそれとして、どうしよう。
いったん飛ばしてから、改めてハエたたきで狙おうか。
キンチョール☆を使用するという手もあるが、あれは死ぬまでに暴れるのが難点だ。
どうすべきかと思案していたとき、
「えい」
ぺし。
うにゅほが平手でハエたたきを叩いた。
「あー」
手のひらを見て、嘆く。
「え、潰した?」
「うん。ちっちゃかったから」
相変わらず、大きい虫には無力だが、ちいさな虫には無敵を誇る娘である。
「◯◯、ティッシュとって」
「手、洗ってきたほうがいいぞ」
「はーい」
どうも、虫コナーズの効果が実感できない。
信じていいのだろうか。



2014年7月7日(月)

「ふあんのたね」
「んー?」
キーボードを叩くのをやめ、ソファに視線を向ける。
うにゅほがTSUTAYAのレンタルバッグをいじっていた。
「ふあんのたね、みてないねえ」
「それホラーだよ」
「そなの?」
「ホラーの棚から選んだだろ」
「おぼえてない」
ふるふると首を横に振る。
「とにかく、それは、俺が深夜にひとりで観るために借りたやつだから」
「ふうん……」
しばし考え込んだあと、
「……みていい?」
「駄目」
「えー……」
「見たら、絶対に後悔するって」
「しないよ」
「すると思うけどなあ……」
「しないよー」
そこまで言うのなら、仕方ない。
「……自己責任だぞ」
「うん」
無人のリビングへ赴き、DVDをプレイヤーにセットした。
冒頭の予告CMを早送りし、タイトルメニューから全編再生を選択する。
「──…………」
「──…………」
開始一分で、アスファルトの上を無数の眼球が這っていた。
「──……!」
そして、その眼球が、自動車に轢き潰されていた。
隣のうにゅほを見やる。
ソファに背中で座りながら、座面についた両手をものすごく突っ張っていた。
無意識に後ずさりしているように見えなくもない。
その体勢の意味はよくわからないが、とても怖いことだけはよくわかった。
リモコンを掴み、停止ボタンを押す。
「──……な?」
「……これ、ひとりでみるの?」
「ああ」
「……よる?」
「そうだけど」
「……こわく、なったら、おこしていいからね」
「えー……と、うん、ありがとう」
グロとホラーはとことん駄目なうにゅほであった。



2014年7月8日(火)

ソファの上でうつ伏せに寝転びながら読書をしていたとき、
「──……!」
足のあいだに挟まって落ち着いていたうにゅほが、ハッと天井を見上げた。
「……ゆれてる」
「地震?」
「うん、ゆれてる」
「本当かあ?」
まったく感じない。
「ゆれてるよ、ほら──」
そう言って立ち上がった瞬間、
「お、お、あ、ほっ」
うにゅほがふらふらとよろめいた。
「ほら、ほら、ゆれてる!」
見ればわかる。
「本当だ」
「ね!」
得意げな顔をしてソファに戻ろうとしたうにゅほの足が、
「あっ」
もつれた。
「──ぐぶ」
カエルの潰れたような声が喉から漏れた。
腰に、衝撃。
うにゅほのおしりに、文字通り敷かれたらしい。
「わ、わ、ごめ、ごめんなさい!」
「大丈夫、大丈夫……」
たぶん。
足を下ろし、ゆっくりと起き上がる。
地震は既に収まっていた。
「……だいじょぶ?」
俺の顔を心配そうに覗き込む。
「大丈夫だと思うけど……」
その場で腰をひねり、しゃがみ、前屈し、ひと通りの動きを確かめてみた。
どうやら深刻なダメージはなさそうだ。
でも、せっかくなので、
「いちおう腰揉んでくれる?」
「はい……」
うにゅほにマッサージしてもらいながら漫画を読むという、この世の贅沢を堪能したのだった。
ちなみに、震度は3だった。



2014年7月9日(水)

イヤホンを外し、ぐっと伸びをする。
作業が終わったわけではないが、いちおうの見通しは立った。
根を詰めても仕方がない。
ジュースでも飲もうと部屋を出ると、
「──…………」
リビングのソファでうにゅほが眠りこけていた。
夏用のラグの上にイカ娘6巻が落ちていることから、恐らく寝落ちしたのだろうと思う。
「──……すー……」
たおやかな胸が呼吸に上下する。
薄く開かれた口元から、鮮やかな色の舌が見えていた。
無防備である。
これはもう、いたずらをするしかないのである。
なにをするか?
そんなこと、もう決まっている。
「──…………」
デスクの引き出しから、あるものを取り出した。
友人の恋人から贈られた星形のラベルシールである。※1
これを──
「……ぺた、と」
うにゅほの目尻に貼ってみた。
「あー……」
似合う。
ふつうにかわいい。
こんなファッションをどこかで見たような気がする。
しかし、それ故に、いたずらとしては物足りない。
「──…………」
ラベルシールの台紙を注視する。
星の大きさは、約1cm。
行ける、か?
俺は、台紙からシールを剥がし、うにゅほの額にぺたりと貼った。

五分後──
「……え、兄ちゃん、なにさ」
「いいから来い来い」
自室でくつろいでいた弟を連れ、二階のリビングへと戻ってきた。
「××寝てんの?」
「寝顔をごらん」
弟が、うにゅほの顔をそっと覗き込み──
「ぶふぉ!」
思いきり吹き出した。
「く、クリリン……ッ!」
「××リン」
うにゅほの額に、むっつの星がきらめいていた。
「兄ちゃん、これ怒られるんじゃない?」
「やー、大丈夫でしょう」
余談だが、いま日記を書いている俺の額には、うにゅほによって貼り付けられたむっつの星が輝いている。
爆笑しながら怒るんだもんなあ。

※1 2014年7月1日(火)参照



2014年7月10日(木)

「──…………」
ばたん。
祖母の送迎を終え、うにゅほの寝床にふらふらと倒れ込んだ。
ただひたすらに眠かった。
「……◯◯、ぐあいわるい?」
俺の背中をそっとさすりながら、うにゅほが尋ねた。
「なに言ってんすか……、ちょーお元気っすよ……」
「げんきなの?」
「元気、元気……」
「げんきなさそうだけど……」
背中を撫でていた手が、今度は首筋に当てられた。
「いまなら42.195kmだって全速力で走破できるね……」
「うそだあ」
「証明してやろう……」
「はしるの?」
「ちょっと待って、いま夢のなかで──」
「……おきてから?」
「いや、あの、そういうことではなくて……」
ボケが通じなかった。
らしくないことはするもんじゃない。
「……具合が悪いというか、ただただ眠いんだ」
「ねたほういいよ」
「寝る……」
「おやすみなさい」
ちいさな手の感触が消えて、毛布が腰まで引き上げられた。
小声で礼を言い、
「──あと、できれば冷凍庫から保冷剤を持ってきてほしい」
「つめたいやつ?」
「ああ。手がめっちゃ熱い……」
力なく差し出した右手を、うにゅほの両手が包み込んだ。
「あつい」
「だろ」
「ほれいざい、もってくるね」
「頼む……」
うにゅほが持ってきてくれた保冷剤を握りながら、日が暮れるまで昏々と眠り続けた。
いろいろなものが悪化している気がする。



2014年7月11日(金)

「──ヒっ!」
「?」
うにゅほが顔を上げた。
「──…………」
「──…………」
「……いッ」
「ひゃっくり?」
「そう」
「ごはんたべたからかな」
「関係あるのか?」
「わたし、ごはんたべたらなる」
「パンだったけど……」
「パンかー……」
「──ヒッ!」
横隔膜の痙攣によって、上体が弾むように揺れた。
俺は、しゃっくりが大きいほうである。
「みずのむ?」
「さっき飲んでみ、イっ!」
「いきとめる……」
「──…………」
十秒後、
「──ゔっ!」
駄目だった。
「あと、したひっぱるとか……」
「あー……」
舌の唾液をティッシュで拭き取っていると、うにゅほが俺の口元に手を伸ばしてきた。
自分で引っ張るつもりだったのだが、まあいいか。
うにゅほの人差し指と親指が俺の舌先を挟む。
「いたくない?」
ちいさく頷く。
「──…………」
「──…………」
「──……い゙ッ!」
「だめかー」
しつこいしゃっくりである。
「あとは、かきのへたをせんじて──」
その言葉で、ようやく思い出した。
うにゅほの知識の源泉は、恐らくあずまんが大王だろう。
たしかそんなシーンがあったはずだ。
病院へ行って帰宅し仮眠して仕事を終えたころ、しゃっくりはいつの間にか治まっていた。
今夜の金曜ロードショーは、となりのトトロである。
うにゅほの邪魔をせずに済みそうでよかった。
トトロ好きだからなあ、うにゅほ。



2014年7月12日(土)

「──ン゙っ!」
「!」
うにゅほがソファから腰を上げたので、なんだろうかと視線を向けた。
「◯◯、ひゃっくり」
「えっ──、いっク!」
作業に集中していて気がつかなかった。
「ふつかれんぞく……」
「あまりいい気は、ひッ、しないな。ちょっと調べてみるか」
吃逆、つまりしゃっくりは、横隔膜等のけいれんによって起こる。
ほとんどの場合、一時間ほどで自然に治まるが──
「驚かせる、息を止める、舌を、イ゙っ、引っ張るなどの方法で、人為的に止めることもできる──と」
「おどろかすの、やってない」
「俺を驚かすの?」
「うん」
「……どうやって?」
「──…………」
しばし思案したのち、
「……ひっく」
うにゅほが棒読みでしゃっくりをした。
「ひっく、しゃっくり、うつった」
「──…………」
なんとリアクションすればよいものか。
うにゅほの耳元に口を寄せ、
「……わっ!」
「!」
と小声で囁いてみた。
「……治った?」
「なおった」
しかし、俺のしゃっくりは一向に治らない。
原因を調べているうちに、脳梗塞などという物騒な単語を見かけ、ちょっと不安になったりした。
「えー……、ヒッ! しゃっくりと引き起こす刺激と同じ刺激を与え──」
「ふんふん」
「喉の奥をめ、ン゙ッ、綿棒で刺激する、とか」
「なおるかな」
「どうかな」
うにゅほから綿棒を受け取り、喉の奥をなぞる。
「……おえってしない?」
「んぁー」
首を横に振って答える。
しばらく喉の奥を刺激するうち、いつの間にかしゃっくりが止まっていることに気がついた。
「なおったかな」
わからないと言おうとして、
「ぼえッ」
「わあ!」
さいわい、夕食を戻すには至らなかった。
しゃっくりは止まったが、まだ胸のあたりに気持ちの悪い感覚が残っている。
再発しなければいいのだけど。



2014年7月13日(日)

「スパゲティ食いたい」
「くいたい」
と、勢い込んで行ったパスタ専門店が満席だった。
日曜の昼間だから仕方ないと言えば仕方ないし、考えなしだったと言えば否定はできない。
「どうしよう」
「大丈夫、この店は──」
満席と書かれたボードの掛けられたスタンドに置かれている、一冊のノートを手に取った。
「車のナンバーを書いておくと、空いたとき呼びに来てくれる」
「へえー!」
うにゅほが感嘆の声を上げ、
「あたまいいね」
と褒め称えた。
この店オリジナルのシステムではないが、たしかに賢いやり方だと思う。
涼しさの残る車内へ戻り、エンジンを掛け直した。
「はー……」
シートを倒し、天井を撫でる。
「腹が、もうね……」
「わたしそうでもない」
病気のせいだろうか、やたらと腹が減る。
「ちょっと、目ー閉じるな」
「ねるの?」
「寝ない。なんとなく。だから、話してていいよ」
そう言って、目蓋を下ろした。
「ねてない?」
「寝てない」
「ねむい?」
「眠くない。なんか、目が乾くんだよな」
目薬が切れそうだから、そろそろ買い足しておこうかと思った。
「──…………」
ふと、左手を取られた。
両端の指を優しく折られ、
「……ちょき」
遊んでいるらしい。
くすぐったいが、好きにすればいい。
「きつねー」
くすくすと笑う。
楽しそうだ。
「ね、◯◯」
「んー」
「ゆび、ぱきってやっていい?」
「あー……」
指を鳴らすのは俺の癖である。
自分では痛くて真似できないから、本人の指でやってみたいのだろう。
「小指ならいいよ」
「こゆび」
逆に、人差し指は駄目である。
あれは自分でも痛い。
「いきます」
「はいよ」
「──……えい!」
パキ。
「いたくない?」
「痛くないよ」
ほっと胸を撫で下ろす気配がした。
「──……!」
ふんす、と満足げな鼻息を耳にしながら、俺はカルボナーラを大盛りにすべきか迷っていた。
結局、そうはしなかった。
うにゅほが残すぶんのことを計算に入れると、大盛りでは多すぎるからである。



2014年7月14日(月)

「◯◯ー」
交流磁気治療器を腰に乗せながら漫画を読んでいると、うにゅほがとてとて寄ってきた。
「なすと、きゅうりの、なに?」
「──……?」
相変わらず言葉が足りない。
「茄子とキュウリが、なに?」
「わりばしとかつまようじ、さすやつ」
「あー……」
わかった。
「精霊馬のことな」
「しょうりょうま?」
「お盆の──……、お盆ってまだ先じゃない?」
「?」
小首をかしげる。
「それ、何で見たの?」
「テレビと、あと、なんかみたことある」
なにかしら見たことはあるだろうな。
「えーと、そうだな。お盆には死んだ人が帰ってくるって話、聞いたことあるか?」
「ある」
うんうんと頷く。
「精霊馬は死者の乗り物なんだよ。キュウリが馬で、茄子が牛──だったっけ」
「むりがある」
「だよな」
キュウリに爪楊枝を刺したところで、爪楊枝を刺したキュウリにしか見えない。
「おじいちゃん、かえってくるかな」
「どうかなあ」
「それのって?」
「……いちおう馬だからな?」
「じゃあ──」
一瞬だけ息を詰まらせ、
「……コロも、かえってくるかな」
うにゅほが、二年前に死んだ愛犬の名を口にした。
「ああ、帰って来るといいな」
「それのって?」
「馬に乗って帰ってきたら、ちょっと面白いな」
「ねー」
キュウリに乗って帰ってきたら、もっと面白いが。
「──……ふう」
そっと溜め息をつき、交流磁気治療器の電源を切った。
夏は好きだが、墓参りは苦手だ。
お盆はそれなりに憂鬱なので、愛犬の夢でも見られれば嬉しいのだが。



2014年7月15日(火)

台所を漁っていると、ちいさいオレオを発見した。
「──…………」
冷蔵庫の冷凍室を開く。
スーパーカップ超バニラがあった。
「ふむ」
ひとつ、あれをやってみようかな。
「××ー!」
「はーい」
うつ伏せで漫画を読んでいたうにゅほが、ソファの上に正座した。
「これ持ってて」
「スーパーカップ?」
「そう、手で暖めておいてくれ」
「あっためるの?」
「ちょっと面白いことをしようと思って」
「……おもしろい」
うにゅほの瞳が期待にきらめいた。
娯楽に餓えているのである。
「つめたー……」
うにゅほがスーパーカップを暖めているあいだ、俺は俺ですることがある。
オレオの袋を開封し、中身を半分以上取り出す。
そして、スプーンの柄で、残り僅かなオレオを袋の上から砕いた。
「なにしてるの?」
「だいたいわかってるだろ?」
「だいたいわかってる」
うへー、と笑う。
まず、柔らかくなったバニラアイスをスプーンで練り、シェイク状にする。
そこに砕いたオレオを投入し、さらに混ぜる。
「できたー!」
「名付けて、スーパーカップクッキーバニラ」
「もうあるやつ」
「食べてみなさい」
「んぶ」
うにゅほの口にスプーンを突っ込んだ。
「──…………」
しばし咀嚼し、
「さくさくしておいしい」
「粗く砕いたからな」
クッキーバニラというより、マックフルーリーのオレオに近い。
あれ、まだ売ってるのかなあ。
「おいしいねえ……」
満足そうな顔をしたうにゅほと一緒に擬似マックフルーリーをたいらげた。
とても、とても、暑い一日だった。



2014年7月16日(水)

映画「オール・ユー・ニード・イズ・キル」を観に行ってきた。
売店でポップコーンと白桃ピューレソーダを購入し、上映時間を待つ。
「にあう?」
「似合わない」
「えー」
うにゅほの声が弾んでいる。
大きめのサングラスに似た3Dメガネを掛けて、たいそうごきげんであるらしい。
3D映画なんて初めてだもんな。
「◯◯、めがねかけてるひとは、どうするの?」
「ああ、それはな──」
ポップコーンと一緒に買ったクリップオン型の3Dメガネを取り出す。
「こうして、眼鏡のブリッジをクリップで挟んで、レンズを二重にするんだってさ」
「おー……」
眼鏡を掛け直し、尋ねる。
「似合う?」
「へん!」
「だろうなあ」
真っ暗な館内でファッション性を求める理由はない。
「おーるにー、きる、なんだっけ」
「オール・ニード──……、違う、オール・ユー・ニード・イズ・キル」
「ながい」
「俺もそう思う」
「なんていみ?」
「あー……、と、殺すことが必要とかなんとか」
死ぬと時間が巻き戻る、いわゆるループものの作品らしい。
好きなジャンルである。
いざ上映が始まると、
「ほー……」
隣席からうにゅほの溜め息が聞こえてきた。
「……りったいてきだね」
小声で囁く。
飛んできた破片に驚くくらい臨場感のある映像だが、いささか目が疲れそうだと思った。

結論として、「オール・ユー・ニード・イズ・キル」は面白かった。
ループものとして王道であり、それゆえに期待を裏切らない。
「──…………」
スタッフロールが終わり、館内が明るくなる。
「面白かったな」
「うん……」
映画の世界から抜け切っていない顔で、うにゅほがぼんやり頷いた。
そして、
「──……!」
はっ、と立ち上がる。
「どうした?」
「といれ、といれ!」
今の今まで尿意を忘れていたらしい。
作品に没入できるのは一種の才能だと思う。
「──…………」
二時間半の作品でなくてよかった、とも思う。



2014年7月17日(木)

死ぬほど暑いのに、死ぬほど眠い。
夏場につらいことは数あれど、これを超えるものはそうそうないと思う。
自室から這い出し、フローリングの床で涼を取っていると、
「──◯◯!」
うにゅほに頬を叩かれた。
「だいじょぶ? だいじょぶ!?」
心配させてしまったらしい。
そりゃそうか。
「あぢぃ──……」
「……ねてたの?」
「寝てた……」
「こんなとこでねたらだめだよ」
もっともである。
「暑い、眠い、おれ、しぬ」
「えー……」
くるぶしにあせもができてしまい、それがまた死ぬほど痒い。
痒み止めを塗ろうにも、立ち上がるのがつらい。
目を開けるのもきつい。
しかし、暑くて眠れない。
この世の地獄である。
「じんべ、ぬがないの?」
「脱いだら腹壊すから……」
胃腸も弱い。
我ながら、つくづく生きるのに適していないと思う。
「うー、と……」
思案に暮れたうにゅほが俺の手を引く。
「とりあえず、ゆかでねないで……」
「はい……」
「ソファでねてね」
「──…………」
リビングのソファに横たわる。
うとうとしていると、
「よっ、しょ!」
という掛け声と共に、涼やかな風が頬を撫でた。
「せんぷうきもってきた」
「ありがと……」
「くびふる? ふらない?」
「振らせといて……」
「はい」
そこから意識がなくなって、気がつくと午後一時を過ぎていた。
祖母を病院へ連れて行かねばならない。
むくりと起き上がると、
「あ、おはよ」
うにゅほが俺の顔を覗き込んだ。
「おはよう……」
「おにぎりたべる?」
「食べる」
塩昆布おにぎりをたいらげると、じわりと元気が湧いてきた。
自分が情けなくもあり、なんだかすこしうにゅほのことが誇らしくもあり。



2014年7月18日(金)

夕方ごろ帰宅すると、リビングに新品の電子血圧計があった。
「おとうさんとおかあさん、かったんだって」
なるほど、血圧を気にすべき年齢だ。
「××、測ってみた?」
「──…………」
首を横に振る。
うにゅほは、好奇心よりも現状維持を優先する性質である。
「じゃ、試しに測ってみな」
「いいの?」
「血圧測るために買ったものだろう」
「どうやるの?」
「この穴に腕を入れて、肘を──」
軽くレクチャーし、開始ボタンを押した。
「う、うでが、う」
血圧計がうにゅほの細腕を圧迫する。
「病院で血圧測ってもらったことあるだろ?」
「あるけど、うー……」
測定結果はすぐに出た。
「──上が114で、下が72か。ちょっと低めかな」
「ね、◯◯」
「ん?」
「けつあつって、なに?」
「あー……」
知らなくて当然か。
血圧それ自体の説明は煩雑になるので、
「基本的に、血圧は高いほどよくない。血管や臓器に負担がかかるからな」
とだけ教えた。
「だから、××は大丈夫だ」
「そかー」
理解はしていないが、納得はしてくれたようだった。
「◯◯もはかって」
「はいはい」
血圧計に腕を通し、開始ボタンを押す。
しばしして結果が表示された。
「上が108で、下が44……」
「ひくいね」
「低い」
俺はもともと低血圧である。
高校時代には最高血圧が100を切ることもあったから、多少ましになったとも言える。
「ひくくてよかったね」
うにゅほが微笑む。
低すぎるのも問題だ、とは言わなかった。



2014年7月19日(土)

「──あれ」
手回しシュレッダーのハンドルがなかった。
「××、これのハンドル知らない?」
「どれー?」
「シュレッダー」
「しらない」
ふるふると首を振る。
「ないの?」
「ドアストッパー代わりに使ったとき、どっか行ったのかな……」
他に適当なものがなかったのだ。
「うーと……」
うにゅほが小首をかしげる。
「しゅれっだー、なんでつかってるの?」
「──…………」
非常に今更な質問だった。
「……いちおう、個人情報を漏らさないためにって買ったんだけどさ」
「うん」
「個人情報の書かれた紙なんて郵便物くらいしかなくて、」
「うん」
「ほとんどの場合、いらない紙を捨てるとき畳むとかさばるからって理由で使ってる」
「ふうん」
「今も、ほら」
「?」
うにゅほにA4の紙を手渡す。
「ミスった図面を捨てたいんだけど……」
「ハンドルないとだめ?」
「指で回せと?」
「うん」
「絶対無理」
どこぞの死刑囚なら可能かもしれないが。
「とにかくハンドル探さないと」
「うん」
しばらくしてハンドルは見つかった──と、日記を結べればいいのだが、これがまた見当たらない。
布団をひっくり返し、漫画を片付け、ゴミ箱を漁っても、ない。
「ないねー……」
「ああ」
右手の図面を四つ折り、八つ折り、そのまた半分に折り、ゴミ箱に捨てた。
「いいの?」
「どうしてもってわけじゃないから」
「そか」
そのうち、ひょんなところから現れるだろう。



2014年7月20日(日)

寝起きにアイスが食べたくなった。
「あ、おはよー」
「おはよ」
冷凍庫を漁ると、スーパーカップが幾つかあった。
愛用のスプーンを手に自室へ戻る途中──
「がッ!」
「!」
強烈な痛みが左足を襲った。
ソファのカドに小指をぶつけたのだ。
しかも、ちょい早足で。
「……あ、あ、いたい? だいじょぶ、いたい?」
一部始終を見ていたうにゅほが、慌てて俺の腕に触れた。
「ああ、大丈夫」
軽く手を上げ、自室へと──
「や、やや、まって、◯◯、まって」
「──……?」
「……あの、いたくないの?」
「すげえ痛いよ」
今だって死ぬほどジンジンしている。
「へいきそう」
「痛い痛いって暴れ回っても、いいことなんてないしなあ」
「そういうものかな……」
小首をかしげている。
「あ、あのときもあれだったね」
「どのときさ」
「カップめんもって、あるいてて──」
「……ああ、つまずいて熱湯が漏れたときのことか」
「そのときも、てーはなさなかった」
「手を離したら足まで火傷するし、なによりもったいないじゃんか」
「そうなんだけど……」
反対側に小首をかしげたのち、
「……にぶいのかな」
などと失礼なことを言われてしまった。
「顔に出さないだけですー」
「あしみして」
「はいはい」
ソファに腰を下ろし、左足を差し出した。
「──あ、ちーでてる!」
「うわマジだ」
幸いなことに、生爪は剥がれていないようだった。
「ばんそーこばんそーこ!」
「──…………」
うにゅほに絆創膏を巻いてもらいながら、子供のころを思い返していた。
どうしてだろう。
足の小指の爪だけが、いつも黒ずんでいた気がする。
もしかして──
「……単に、小指を打ち慣れているだけ、とか?」
「なにー?」
「いや、なんでもない」
痛みに強い、ということにしておこう。



2014年7月21日(月)

「──…………」
膝が暑い。
うにゅほの腹部が密着しているためだ。
ソファに座って小説を読んでいた俺の膝の上で、いつの間にかうにゅほが寝転んでいた。
「……××、暑くないの?」
「あついねー」
ぺら。
答えながら、イカ娘のページを繰る。
暑いなら、と思わないでもないが、こちらとしても別に嫌ではない。
「──…………」
おもむろに膝を上げてみる。
「う」
息が漏れた以外は無反応。
「……ふむ」
ソファの背もたれに両手を突き、ゆっくりと立ち上がっていく。
「?」
違和感に気づいたのち、
「あ、あ、おちる、おちる!」
うにゅほが十分に慌てたところで腰を下ろした。
「おちない……」
「落とすわけないでしょう」
「もー」
怒るというより呆れた様子で、うにゅほが体勢を仰向けに変えた。
膝に背中を預け、猫のように反り返っている。
「これでおちない」
満足げに読書を再開しようとしたので、ちょっと腰を上げた。
「わ!」
「こっちのほうがバランス悪そうだけど」
「もー!」
怒られた。
「わかった、もうしません」
「ほんと?」
「約束します」
「はい」
約束したので、もうしない。
「──…………」
ああ、へそが出ている。
シャツの裾を直し、うにゅほのおなかを撫でた。
反っているからだろうか、張りがあってなだらかである。
良い音が鳴りそうだと思ったので、軽く叩いてみた。
ぺち……
ぺち……
「なにー?」
「思ったほどじゃないな」
「なに?」
「気にしない気にしない」
うにゅほにそう答え、俺も読書に戻った。
今日もまた、暑い一日だった。



2014年7月22日(火)

俺の寝床は自室のソファだが、うにゅほ起床後はうにゅほの寝床に移動することが多い。
いくら慣れたと言え、ソファは長椅子であり、寝具ではない。
眠りが浅いのは当然と言える。
「──……う」
アイマスクを外すと、ぼんやりと天井が見えた。
「……あふぁ」
大あくびをしながら起き上がり、カーテンを開けてから自室を出る。
「あ、おはよー」
「おはよ」
うにゅほがテレビを見ていた。
内容は覚えていない。
「なんか食べるもんある?」
「うと、きょうはごはんないから──」
しばし思案し、
「……カップめん?」
「他は?」
「たまごやく?」
「白飯がないとなあ……」
まあ、いいや。
腹は減っているが、空腹には慣れている。
魚肉ソーセージのフィルムを剥き、マヨネーズを垂らして食べることにした。
すると、
「──……ん?」
なにか違和感がある。
ソーセージを咀嚼する顎を止め、舌で口内を探る。
「──…………」
なにか、とても細いものが、口のなかに紛れ込んでいるような──
指先で「それ」をつまみ、引っ張る。
ずる。
ずる。
ずる、ずる、ずる、ずる。
「んお……」
引っ張っても引っ張ってもずるずる出てくる。
それは、うにゅほの髪の毛だった。
「……××、口から××の髪出てきた」
「え!」
「ほら」
「ほんとだ……」
寝ているときに口に入ったのは間違いないが、60cmはあろうかと言うロングヘアが偶然すっぽり収まるはずはない。
たぶん、夢のなかでもぐもぐやっていたのだろう。
口から長い髪の毛が出てくるというのは、もはやちょっとしたホラーである。
飲み込まなくてよかった。



2014年7月23日(水)

セブンイレブンに立ち寄って、シュークリームを買った。
「北大路魯山人いわく、うまいは甘い……」
「だれ?」
「昔の人だよ」
「へえー」
あまり興味はないらしい。
当初の目的を達し、帰宅の途についたとき、
「……なんか、しょっぱいもの食べたくなってきたな」
「うまいはあまい、じゃないの?」
「しょっぱいものが不味いとは言ってない」
「うーん……」
「いいとこがあるのだよ」
そう言って、ある店に車をつけた。
「やきとり?」
「そう。注文してから焼くから、スーパーみたいに冷たくないし、コンビニみたいにぐにゃぐにゃじゃない」
「おー」
豚串を三本、鶏皮を二本、豚トロを一本頼み、五分ほど待ってからふたりで三本ずつ食べた。
「おいしい」
「だろ」
「やきたていいね」
喜んでもらえたようで、なによりである。
「これどうしよう」
空の容器を輪ゴムで留めて、うにゅほが言った。
「家で捨てるとなんか※1言われそうだし、次のコンビニで捨てようか」
「そだね」
ローソンの駐車場に車をとめ、
「──…………」
軽く腹をさする。
「どしたの?」
「……なんか、甘いものが食べたくなってきた」
「もうだめだよ?」
「まあ、キリがないもんな……」
「れいぞうこに、わらびもちあったよ」
「あ、いいじゃん。それ食べよう」
帰宅後、ふたりでわらびもちを食べた。
「……しょっぱいもの食べたくなってきたな」
「もうごはんだよ」
夕飯は、スパゲティナポリタンだった。

※1 なんか ── この場合、おみやげの催促など。



2014年7月24日(木)

「──…………」
網戸に虫コナーズを貼っているにも関わらず、網戸に虫がやってくる。
「わー……」
うにゅほが俺の背中に隠れる。
親指ほどもある蛾が、こちらに腹を向けていたからだ。
「……◯◯、へいきなの?」
「俺は、自分の生活スペースに虫が入り込むのが怖いのであって、見るだけなら──」
「すきなの?」
「好きなわけないだろ。多少は平気なだけだよ」
ぺし。
指先で網戸を弾く。
一瞬だけ飛び去った蛾が、ほんの数センチ離れたところに張り付いた。
「……虫コナーズ、効かないんじゃないかな」
「そだね……」
万難を排し上下にひとつずつ設置した網戸でこのざまだ。
網戸一面埋め尽くすように敷き詰めればどんな虫も寄ってこないのだろうが、それはもう網戸ではない。
「◯◯、こいつなんとかしたい……」
背中に隠れたうにゅほが見当違いの方向を指さした。
蛾のことを言っているのはわかる。
「そうだなあ」
思いついたことがあったので、くるりときびすを返した。
「わ」
ぴったりと背中に張り付いたまま、とてとてと歩きづらそうについてくる。
肝試しじゃないんだから。
「ほら、これ」
「きんちょーる?」
「そう。虫が暴れて収拾がつかなくなる使いどころの難しい殺虫剤だが、この場合なら」
蛾の腹をめがけてキンチョール☆を噴射する。
「……うあ、あばれてぅ」
キンチョール☆を真正面から浴びた蛾は、苦しみ暴れ回りながら網戸に幾度も衝突し──
「あ、しんだ」
ベランダの床に、ぽとりと落ちた。
「網戸の外の虫に使えば、いくら暴れても問題ない」
「あんまみたくない……」
苦しみ悶える蛾の姿が、呂律が回らなくなるほど衝撃的だったらしい。
虫コナーズ以外のなんらかの手段を講じるべきだろうか。



2014年7月25日(金)

昨日の日記において、
「網戸に虫コナーズを貼っているにも関わらず、網戸に虫がやってくる」
と書いたが、
調べてみたところ、網戸に貼るタイプのものは、ユスリカとチョウバエにしか対応していないようだった。
「蚊──は、たしかに見てないけど」
「ちょうばえって、なに?」
「検索してみる?」
「してみない」
俺も検索したくない。
「蛾がとまる理由はわかったけど、適用害虫少なすぎるだろ……」
「ね」
ふたりで顔を見合わせる。
「──あ、スプレータイプのやつは蛾も対応してるっぽい」
「あみどにしゅーって?」
「そうそう」
というわけで、虫コナーズに汚名返上のチャンスを与えることにした。

「じゃーん」
うにゅほが、ドラッグストアのレジ袋から虫コナーズ スプレータイプを取り出した。
「しゅーってやろ!」
「クリームパン食ってからにしようぜ」
「はい」
おやつの時間を終えたあと、網戸に防虫処理を施すことにした。
「◯◯、うえたんとう。わたし、したたんとう」
「××じゃ上まで届かないからな」
「うん」
網戸から30cmほど距離を取り、
「縦、縦、縦、縦、横、横、横、横──と」
格子を描くようにスプレーを噴射する。
「ななめは?」
「二回も重ねがけすれば十分だろ」
うにゅほにスプレー缶を手渡す。
「……たて、たて、たて、たて、よこ、よこ、よこ、よこ」
俺の真似をする姿が微笑ましい。
「とりあえず、家にある網戸という網戸にスプレーしまくろう」
「おー!」
自室、リビング、階段ときて、両親の寝室でのことだった。
窓を開けた瞬間、心地よい風が頬を撫でる。
「──……はー」
涼しい。
向かい風だと注意する前に、
「しゅー……、わー!」
うにゅほがスプレーの煽りをモロに受けていた。
「大丈夫かー?」
「……うん、くさくない」
臭くなくても有害なものはいくらでもあるが、この程度なら大丈夫だろう。
寝室の網戸の防虫処理は、風向きの良い日に行うことにした。



2014年7月26日(土)

今日は、祖父の四十九日法要──だと思っていた。
四十九日法要は、昨日母親らのみで済ませており、今日は納骨と会食だけらしい。
俺がその事実を知ったのは、今朝、出発する直前のことだった。
「……××、知ってた?」
「うん」
こくりと頷く。
「弟は?」
「なんか、兄ちゃんだけ情報遅れるよな」
「昔からそうなんだ……」
この現象は、家族内だけでなく、友人間でも頻繁に起こる。
決してハブられているわけではないのに、何故か情報が回ってこないのだ。
「……よくわからんけど、なんか知ってそうな顔してるらしい」
「あー」
「あー」
うにゅほと弟が同時に頷いた。
「いまいち納得いかないんだけど……」
そんな会話を交わしながら、霊園までの道中を過ごしていた。

納骨をあっさりと済ませ、やたら豪華な管理事務所で会食と相成った。
「お、売店あるぞ」
「おー」
ぐるりと回ってみる。
「……供物とか、仏花とか、まあ、霊園って感じだな」
「あ、ゆうばりメロン」
「夕張メロンの、なに?」
「……キャラメル?」
「んー」
うにゅほの指さした箱を手に取る。
「キャラメル──じゃ、ない」
「なに?」
「夕張メロン線香……」
「おせんこう?」
なんだこの商品。
身箱をずらすと線香の束が覗いたので、すこし匂いを嗅いでみた。
「うわ、メロンっぽい」
「ほんと?」
すんすん。
「……うぇ」
「ちょっと気持ち悪い甘さだよな」
「うん……」
「隣のミルキーも線香なのかな」
「かぎたい」
すんすん。
「……おぇ」
うえってなるのに嗅ぎたいらしい。
「ちょっと面白そうだし、ミルキー線香ひとつ買って帰ろうか」
「ひーつけたらどんなにおいかな」

──と、購入したミルキー線香(650円)を、管理事務所に置き忘れてきてしまったのだった。
ごめん、うにゅほ。
見かけたら買い直そう。



2014年7月27日(日)

横殴りの風雨が窓ガラスを叩き、ぎしぎしと家を揺らす。
「うー……」
うにゅほが不安そうな顔で俺を見上げる。
見上げるのはいいが、丹前を着て足元で丸まっているのはどうなのだ。
「暑くないの?」
「さむい」
うにゅほの言う通り、今日は寒い。
なにも考えず半袖を着てしまって少し後悔しているくらいだ。
面倒だから着替えはしないけど。
「足を掴まれてると動けないんですけど……」
「こわい」
「──…………」
「──…………」
「……本当は、そこまで怖くないだろ」
「こわい」
「怖いのは本当だけど、足に抱きついて一歩も動けないほどじゃないだろ?」
「……?」
「えーと……」
言葉を探す。
「……怖いけど、ちょっと楽しいんだろ」
「うん」
うへー、と笑う。
「よし、まーるくなれ、まーるくなれ」
「?」
膝を抱えたうにゅほを丹前でくるみ、その上に円形のもちもちクッションを置いてみた。
「一発芸、かがみもち!」
「なにー?」
「──…………」
うん、そんなに面白くない。
あんまりかがみもちっぽくもないし。
「……うーん」
クッションの上に、ほとんど体重をかけず形だけ腰を下ろしてみる。
「椅子!」
「おもいー」
「──…………」
うん、そんなに面白くない。
よくよく考えてみると、丹前にくるまって床の上で丸くなっているうにゅほというだけで十分に面白い。
フォアグラにマヨネーズをぶっかけるようなものである。
そのまましばらく放置していると、やがて寝息が聞こえてきた。
体勢的に寝違えそうなので、三十分ほどで起こしてあげた。



2014年7月28日(月)

「あぢー……」
「あついねー……」
昨日は寒かったように思うが、俺の記憶違いだろうか。
「アイスなかったっけ」
「アイスない……」
「そっか……」
買いに行こうにも車がない。
母親と弟がそれぞれ外出してしまったのだ。
コンビニまで歩いて行くことも考えたが、アイスが家までもたないだろう。
「なんかこう、涼しげなものを食べたい」
「れいぞうこみる?」
「そうだな」
冷蔵庫を漁ると、スーパーの100円わらびもちが2パック見つかった。
「おー、いいじゃんいいじゃん」
「いいねー」
「どうせだから、最大限に涼しく食べてやろう」

まず、わらびもちを水ですすぐ。
100円わらびもちは一体化していることが多いので、この段階でひとつひとつ千切って分ける。
適当な大きさの容器を用意し、氷水で満たす。
わらびもちを氷水に投入し、十分に冷えたらできあがり。

「──そして、付属のきな粉と黒蜜を別の皿に空けておく」
「おー……、そうめんみたい」
「いただきましょう」
「いただきます」
氷水のなかで涼しげに揺れるわらびもちを箸ですくい取り、黒蜜ときな粉をつけて食べる。
「美味い!」
「つめひゃいねえ……」
「コスパ最高のおやつだな、これは」
「うん」
わらびもちを食べ終えると、アイスはどうでもよくなっていた。
猛暑に備え、どちらも買いだめしておかねば。



2014年7月29日(火)

「あっぢぃー……」
「うー……」
「今日は、土用の丑の日だって」
「うなぎ?」
「そう」
「うなぎかー……」
「××、うなぎあんまりだっけ」
「あんまり」
「俺は、うなぎよりタレのほうが好きだな」
「たれ?」
「あの甘いタレでカルビ丼つくったら、すげえ美味そう」
「ほぁー……」
うにゅほが嘆息を漏らす。
「おいしそうだねえ……」
「だろ?」
なんだか腹が減ってきた。
「あ、そうだ。××、うなぎのゼリー寄せって知ってる?」
「うなぎのゼリー?」
「ロンドンの名物──って、聞いたことがある」
「おいしいの?」
「クソがつくほど不味いらしい」
「えー……」
「テムズ川でとれた泥臭いうなぎをぶつ切りにして煮込むだけの料理だからな」
「ゼリーは?」
「うなぎから出たゼラチンで、勝手に固まる」
「◯◯、たべたことあるの?」
「ないけど、話を聞いたことはある。
 泥臭さを消すためにハーブややレモン汁を入れるから、やたら酸っぱいらしい」
「すっぱいうなぎ……」
「画像見てみる?」
「うん」
うなぎのゼリー寄せで画像検索すると、
「う」
「……Oh」
一瞬で食欲がなくなった。
「……うなぎの蒲焼き、楽しみだな」
「うん、かばやきたべたい」
夕飯のうな丼は、いつもよりずっと美味しく感じられた。
日本人でよかったです。



2014年7月30日(水)

本日の気温は32℃。
寝汗をかく夏こそ布団乾燥機の出番である。
「よいしょっ、と」
乾燥が終わったばかりの掛け布団の端を掴んで波打たせ、熱気を逃がしていたところ、
「うあー!」
傍にいたうにゅほが悲鳴を上げた。
「あつい!」
熱気の煽りを受けたらしい。
「──…………」
にやり。
「おりゃー!」
うにゅほに頭から布団をかぶせてみた。
「なー!」
布団の熱気から逃れようと、うにゅほが必死にもがく。
面白い。
「ふー、はー……」
しゃがみこんだうにゅほから掛け布団を引き剥がすと、息も絶え絶えの様子だった。
「もー!」
「悪い悪い」
乱れた髪を手櫛で直してやる。
「……あ、ちょっとすずしい」
「サウナから出たようなもんだからな」
「◯◯もやる?」
「えー……」
「◯◯もやる!」
「はい」
言われるがまま、掛け布団にくるまる。
「──フワッつ!」
ダニが死滅する温度で延々と温めたものだから、尋常じゃないくらい暑い。
首から下が一瞬にして汗ばんだ気がした。
30秒ほど我慢して、掛け布団を脱いだところ、
「……涼しい」
「でしょ」
うにゅほが得意げに頷いた。
しかし、その涼しさは一分ともたず、
「……暑い」
「あちぃねー……」
扇風機の前に座り込みながら、再び真夏日に苦しめられるのだった。



2014年7月31日(木)

夏用ラグの上で足を伸ばしながら、リビングでDVDを鑑賞していた。
うにゅほは、ソファの上で仰向けになって漫画を読んでいる。
あまり興味を引かれなかったらしい。
「といれー」
不要な宣言と共に、うにゅほが漫画を持ったままトイレの扉を閉めた。※1
間違いなく俺と弟の影響である。
「~♪」
しばらくして戻ってきたうにゅほが、俺の右足の向こう脛に腰を下ろした。
随分と細いところに座るものだ。
「おしり痛くないの?」
「ちょっといたい」
「じゃあ──」
両足をピンと揃える。
「この上に乗んなさい」
「ありがと」
うにゅほが両足の向こう脛に腰を下ろす。
ふにっとしたおしりの感触に、なんとなく得をした気分になった。
「──…………」
「──…………」
しばし無言でドラマに集中していると、足先から迫り上がるように暑くなってきた。
真夏日に密着しているのだから、当然と言えば当然である。
ただ退いてもらうのも味気ないので、すこし遊んでみることにした。
「……ッ!」
床に突いた手を支えにして、爪先を徐々に持ち上げていく。
「ぎ、ぎぎぎ……」
「?」
読書に集中していたうにゅほが違和感に気づいた。
「ういてる」
「ぐぎ、ぎ、ぎ」
「おー!」
ちょっと楽しそうなうにゅほを尻目に、
「──ノぅ!」
爪先を限界まで持ち上げる。
「わー!」
うにゅほの体が滑り落ち、すっぽりと胸に収まった。
「あはは、すごい!」
「はー……」
うにゅほは大喜びだが、こちらは息も絶え絶えな上にふとももが攣りそうである。
思ったより体力を消耗してしまった。
「もっかい」
「無理、無理……」
「そっかー」
残念そうに呟き、うにゅほはソファへ戻っていった。
涼しい遊びをしたい。

※1 不要な注釈 ── うにゅほは、小用の場合でもトイレに漫画を持ち込むことがある。


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