>> 2014年4月




2014年4月1日(火)

弟が無線LANの回線速度に文句を言うので、ルータを新調した。
消費税増税直後だが、自腹じゃないから問題ない。
「ッ、はー……」
天井を見上げ、深く息を吐いた。
「おわった?」
「終わった、けど、こんなに手間取ると思わなかったなあ」
iPhoneがWi-Fiに接続されていることを確認し、ポケットに仕舞う。
「なんでてまどったの?」
うにゅほが無邪気に尋ねた。
「──…………」
しばし黙考し、
「……本当に聞きたい?」
そう問い返す。
「うと、いちおう……」
怯みながらも、うにゅほが小さく頷いた。
「そうか」
咳払いをし、唇を舐める。
「そもそもルータを買うとき、ひかり電話のことを忘れてて──」

「新しいルータと回線終端装置のあいだに前のルータを噛ませようと──」

「ルータ同士が干渉しないように、無線を飛ばすためだけの──」

「──で、なんとか繋がったんだ」
「うん」
「わかった?」
「わかった」
「嘘つけ」
あっけらかんと聞き流す豪胆さには恐れ入るけれども。
「……あ、なるほど」
「?」
「今日はエイプリルフールだから、嘘でも問題ないもんな」
意地悪くそう言うと、
「!」
うにゅほがハッと目を丸くした。
「えと、うと、えーと──」
そして、すこしのあいだ真剣に考え込んだあと、ためらいがちに口を開いた。
「……ほたては、きのこなんだよ」
「え?」
「なんだよ?」
「──…………」
どんな反応を返せばいいのだろう。
「……えーと、だ」
「うん……」
「わかってると思うけど、エイプリルフールは、嘘をつかなきゃいけない日じゃないぞ」
「はい……」
うにゅほが、がっくりと肩を落とす。
咄嗟についた嘘の完成度の低さに、慙愧の念を禁じ得ないらしい。
きのこは無理がある、うん。



2014年4月2日(水)

「──…………」
疲れた。
もう、動きたくなかった。
「……だいじょぶ?」
「だいじょばない……」
なにしろ、ルータ新調に合わせて弟が購入したPCの初期設定とデータ移行、
ならびに弟の旧PCを母親の新PCとしてお下がりするための諸作業を丸一日かけて行っていたのだから。
「こしもむ」
「ありがと……」
ソファの上でうつ伏せになり、うにゅほのマッサージに身をまかせる。
「◯◯ひとりでたいへんだ」
「そうなんだよ……」
「いやー、俺も悪いとは思ってるんだけどさ」
弟が、苦笑しながら言う。
「でも、なんかよくわかんなくて……」
「そなんだ」
うにゅほがぼんやりと頷く。
「◯◯、パソコンとくいだもんね」
「好きで得意になったわけじゃ──」
言いかけて気がついた。
そうだ。
俺は、必要に迫られていたからPCに詳しくなったのだ。
「……そうか、うん、わかった」
「?」
「俺も悪かったんだな。
 弟が困ってるときに、なんでも代わりにしてやったから……」
必要は発明の母。
窮しなければ成長はないのである。
「そうそう」
弟が、深く頷いた。
かちん。
「お前に同意する権利があると思ってんのかコルァ──ッ!!」
「すいません!」
「どうどう」
「ふー……」
うにゅほの制止を受け、浮かしかけた上半身を再び横たえる。
「カリカリすんなよー」
「疲れてるんです。お前の冗談に付き合う気分じゃないんです」
「まあまあ」
もみもみ。
「──…………」
ああ、癒される。
マッサージは一向に効かないけど、些細なことだ。
「××が一家にひとりいたら、誰もケンカなんてしないのにな……」
「あはは」
苦笑するうにゅほの声を耳にしながら、だんだんと意識を手放していった。



2014年4月3日(木)

「うー……む、む、む」
部屋の真ん中で仁王立ちしながら、思案に暮れていた。
「どしたの?」
「いやさ、ふと思ったんだけど」
PC本体を指先で撫でる。
「これ、大きすぎて邪魔じゃないか?」
「え」
うにゅほが目をぱちくりさせる。
「……なにその、今更なに言ってんのみたいな顔」
「えー」
ぽすん。
うにゅほがソファに腰を下ろし、PCを指さした。
「さいしょからずっと、おっきいよ?」
「それはそうだけど、弟の新パソを見て改めて気づいたというか……」
なにしろ、50cm×50cm×22cmという偉容である。
家具として扱うべき大きさだ。
「だから、デスクの右側じゃなくて、左側に置こうかなーと」
「かべとつくえのあいだ?」
「そうそう」
「いいね」
朗らかな笑みを浮かべ、うにゅほが頷いた。
「代わりに、デスクが30cmほどソファ側に張り出すことになるけど……」
「うーん、しかたない」
ずっと邪魔くさいと思ってたんだな。
「……ま、いいか。悪いけど、ちょっと手伝ってくれな」
「はーい」
まず、背面のコードをすべて抜き取り、PC本体を寝室スペースへと退避させた。
「俺がデスク動かすから、××は隙間にダスキン頼む」
「わかった」
腰を落とし、
「──……ふー」
大きく息を吐く。
古く頑丈なデスクの引き出しに、夢とか希望じみたあらゆるものがパンパンに詰まっているのだ。
もちろん、相応に重い。
「ぎ、ぎ、ぎぎ……」
「うごいた」
うにゅほがダスキンモップを隙間へと差し入れる。
「あっ」
「思ってたより汚かったか?」
「うん、きたないけど、なんかおちてる」
奥まで腕を入れ、うにゅほがなにかを拾い上げた。
「──…………」
「──…………」
「……落花生、か」
節分のとき、ハッスルしたうにゅほが撒いたものだろう。※1
「ごめんなさい……」
「いや、まあ、いいけど」
「たべる?」
「やめとこう」
いくら殻に覆われているとは言え、どう考えても不衛生だ。
落花生をゴミ箱に捨てて、作業を再開した。

※1 2014年2月3日(月)参照



2014年4月4日(金)

「ただいまー」
友人と昼食を取り、午後三時ごろ帰宅した。
「おかえり、なに──」
階段まで出迎えてくれたうにゅほが、すんすんと鼻を鳴らす。
「やきにくのにおいする」
「あ、わかる?」
コートにファブリーズを噴霧しておかなくては。
「そうそう、おみやげあるぞ」
うにゅほに青いバッグを渡す。
「つたや?」
「ひみつ道具博物館、ようやく見つけたから」
「わあ!」
ホワイトデーにドラえもんの映画を観に行ってから、足を運ぶたびに探していたのだ。※1
まさか半月かかると思わなかったけど。
「さっそく見るか?」
「うん」
リビングでは母親が二時間ドラマに夢中だったので、PCで再生することにした。
「◯◯、いすさげて」
「はいはい」
チェアに深く腰掛けた俺の膝に、うにゅほが座布団をセットする。
「しつれいします」
ぽす。
膝の上に、それなりの重み。
あいだに座布団を噛ませることで、長時間の密着による暑苦しさを軽減できるのだ。
「再生するよ」
「はい」
座布団ぶん高いうにゅほの座高では、肩越しの視聴が難しいので、すこし斜めになりながら再生ボタンをクリックした。

「──……へえー」
スタッフロールを眺めながら、なんとはなしに頷いた。
「おもしろかった?」
「ああ、けっこうよかったな」
悪を打ち倒すことによるカタルシスこそないが、旧来のファンをニヤリとさせる演出が多かったように思う。
「でしょー」
うにゅほが笑顔でこちらを振り向いた。
「──……?」
違和感。
「えーと、××って、これ見るの初めてだよな」
「ちがうよ」
ふるふると首を振る。
「え、あるの?」
「あるよ」
「いつ?」
「こないだテレビでやってた」
「……え、なんで俺は観てないの?」
「わかんない」
調べたところ、ひみつ道具博物館がテレビで放送されたのは、ホワイトデー以前のことらしかった。
見たなら見たと言ってくれればよかったのに。
面白かったし、いいけど。

※1 2014年3月15日(土)参照



2014年4月5日(土)

顔の産毛を剃るためにフェイスシェーバーを購入した。
「ひげそるの?」
「ヒゲというか、産毛な」
「ひげじゃないの?」
「いや、ヒゲはヒゲなんだと思うけど」
「……?」
うにゅほの頭上にはてなが浮かぶ。
「えー……と、太いのがヒゲで、薄いのが産毛かな」
「なるほど」
うんうんと頷く。
はてながまだ残留している気がする。
まあいいか。
「俺、ヒゲ剃るのあんまり得意じゃないからさ」
「そなんだ」
「太いのは毛抜きで引っこ抜いて、薄いのはこれで剃れたらなーと」
「ふうん……」
気のない返事だが、興味はあるようで、サインペンほどの大きさのフェイスシェーバーをつついている。
「じゃ、試してみるかな」
「おー」
卓上ミラーを覗き込みながら、シェーバーの電源を入れる。
刃部が上下に振動するだけの単純なつくりのようだった。
数分後──
「……すげえさっぱりした」
「あんまかわんないね」
「触ってみ」
うにゅほの手を頬に導く。
「あ、もちもち」
「な?」
大した肌質でもないが、触り心地は悪くない。
「わたしもやりたい」
言うと思った。
「××は、産毛目立たないじゃん」
生えていないことはないが、産毛としても細く薄いため、よほど至近距離で見なければわからない。
「やってみたいな……」
「──…………」
産毛用とは言え、シェーバーはシェーバーだ。
眉毛を剃り落とされても困る。
「じゃ、俺がやってあげよう」
「えー……」
「駄目か?」
「いいよ」
いいのかよ。
「××、目ー閉じて」
「はい」
うにゅほのほっぺたに手を添えて、フェイスシェーバーを構える。
眉毛の周囲がすこしぽわぽわしてるから、これでいいや。
「はい、終わり」
鏡を渡す。
「んー……」
「なんか、すこしキリッとしたな」
「そかな」
「わかんない?」
「かわんない」
あまり満足していただけなかったようだ。
便利なので、フェイスシェーバーは使い続けると思う。



2014年4月6日(日)

TSUTAYAからの帰途、のどかな住宅地を通り掛かったときのことだ。
「あ、いぬだ」
助手席のうにゅほが前方を指さした。
「犬──……、か?」
細い体に、立派なしっぽ。
そして、薄汚れた茶色の毛並み。
「きつねっぽい」
「きつね?」
うにゅほが目を丸くする。
「ほら、よく見てな」
アクセルを緩め、悠々と道路を横切る四足獣に近づいていく。
「あ、ほんとだ、きつねだ」
「だろ」
「へえー……」
「あれ、初めてだっけ」
以前にも一緒に見かけた気がするのだけど。
「まえみたとき、よるだった」
なるほど。
「わー、きつねだー……」
静かに感動するうにゅほに胸中で笑みを浮かべながら、徐々に遠ざかるきつねの姿をバックミラー越しに目で追っていた。
「だれかかってるのかな」
「きつねを飼うってのは、あんまり聞かないなあ」
寄生虫もあるというし。
「のら?」
「野生って言ってあげなよ」
「やせい」
「でも、よくこのあたりで生きて行けてるよな……」
野原や雑木林がないではないが、基本的には住宅街だ。
「ごみあさり?」
「だと思うけど、それだと──」
保健所が黙っていない気がする。
そう言いかけて、慌てて口をつぐんだ。
「……まあ、野生動物はしたたかだってことなんだろう」
「したかか」
「したたか」
「しかたた?」
「しかた──あーもう!」
つられた。
「またみれるかな」
「わからん」
「えー」
うにゅほが不満げに眉をひそめる。
「わからんけど、TSUTAYA行くときは、なるべくこの道を通ることにしようか」
「うん!」
いい返事だ。
あのきつねが、したかかに生き延びてくれることを祈る。



2014年4月7日(月)

ぱたぱたと部屋を掃除するうにゅほの姿を眺めながら、ぼんやりと考え事をしていた。
「あー……」
バリボリと髪の毛を掻きむしる。
どうにもまとまらない。
「──ね、◯◯」
「うん?」
呼び声に、顔を上げる。
「これ、なんのはこ?」
うにゅほが手にしていたのは、ティッシュ箱を一回り小さくしたような厚紙製の箱だった。
「あ、懐かしい。どこにあったんだ?」
「そこ」
と、うにゅほが指さしたのは、本棚でも特に目立つ一段だった。
「……そこに?」
「うん」
視界に入っていても、意識に上るとは限らない。
「なんのはこ?」
「MDウォークマンの箱だよ」
「……えむ?」
「あー……」
MDとウォークマンの説明を個別にしなければならないのか。
「とりあえず、ウォークマンは、どこでも音楽を再生できる機械だよ」
「あいふぉん」
「昔はiPhoneなんてなかったんです」
「へえー」
わかってるんだかわかってないんだか微妙な表情でうにゅほが頷いた。
「んで、MDは──」
寝台として使っているソファの背もたれに足を掛け、その背後に面した南東側本棚の最上部を漁る。
「お、あった」
ちいさな正方形のディスク。
手に馴染むそれを、うにゅほに差し出した。
「なんだこれ」
「それがMDだよ」
「ちっちゃいでぃーぶいでぃーはいってる」
「いや、CD──じゃないけど、なんて言ったらいいのか……」
DVDのほうが身近な世代なんだなあ。
「ともかく、このなかに音楽が入ってて、それを再生するためのプレイヤーなんだよ」
「ほおー」
ちょっと興味を引かれたようだ。
「きいてみたいな」
「ああ、開けていいよ」
「うん」
わくわくとした表情で、うにゅほがケースの蓋を開く。
「──……?」
頭上にはてなが点灯するのが見えた。
「ない」
「ない?」
箱の中を覗く。
「ほんとだ、からっぽ──」
そこで、思い出した。
「……そうだ、売ったんだ」
「うったの?」
「ああ、何年か前に」
「えー……」
うにゅほが渋い顔をする。
「悪い悪い」
ということは、我が家にはMDを再生する環境がまったくないということになる。
本棚の最上部で塩漬けにされているMDたちを再び聞く機会が訪れたらなあ、と願うばかりだった。



2014年4月8日(火)

──ぴんぽーん
リビングでぷにたま※1を食べていたとき、不意にチャイムが鳴った。
インターホンに出た母親が、
「××、スズ来たよ!」
と、うにゅほに告げた。
「う」
ぷにたまをくわえたまま、うにゅほが固まる。
スズとは、半月前に数日ほど預かった仔犬の名前である。※2
「……わたし、へやにいる」
そして、うにゅほはこの仔犬がすこぶる苦手なのだ。
「わかった、わかった」
苦笑して、うにゅほを見送る。
入れ替わりに、仔犬を抱いた知人が二階へと上がってきた。
「◯◯くん、どうもねー」
「こんにちわ」
「スズも、ほら」
知人が仔犬を下ろす。
キャン!
仔犬が、挨拶とばかりに小さく鳴いた。
「──……あれ?」
おかしい。
預かっていたときは、睡眠を妨害するほどやかましく吠え立てていたのに、今日はなんだか静かである。
じゃれついてきた仔犬に右手を差し出すと、甘噛みして遊びだした。
「スズ、今日は大人しいですね」
そう知人に言うと、
「たぶん、私がいるからじゃない?」
なるほど、飼い主が傍にいるから安心しているのだろう。
「──…………」
視線を感じて顔を上げると、扉の隙間からうにゅほがこちらを窺っていた。
「××、今日は大丈夫みたいだよ」
「──…………」
目元に不信が満ちている。
駄目っぽい。
溜め息をつきかけたとき、ちゃかちゃかと足音を立てながら仔犬がうにゅほに近寄っていった。
「!」
扉が閉まりかけ、再び薄く開いた。
「──…………」
恐る恐るといった素振りで、うにゅほが隙間から指を出す。
スンスン…
仔犬がうにゅほの指を嗅ぎ、
ペロ
と舐めた。
「!」
ばたん!
音を立てて扉が閉じる。
びっくりしたらしい。
ともあれ、すこしだけ距離が縮まったようだった。

※1 ぷにたま ── ぷにぷに食感のシュークリーム
※2 2014年3月21日(金)参照



2014年4月9日(水)

飲みに行くという父親を、北24条の歓楽街まで送り届けることになった。
パジャマの上からジャケットを羽織り、あくびを噛み殺しながらコンテの運転席に乗り込んだ。
「いつも悪いねー」
と言いながら、父親が助手席に座る。
「ねー」
同意しながら、後部座席のうにゅほがシートベルトを締めた。
わざわざついてくる必要はないと思うのだが、あまりにいまさらなので口には出さない。
「……にしても、平日から飲むのはどうなのさ」
「おれだって行きたくて行くわけじゃねーっての」
「でも、飲みたいから飲むんだろ」
「うんうん」
うにゅほの頷く気配がする。
「そりゃーそうだけどよ、今日は違う」
「なにさ」
「──…………」
軽く溜め息をつき、父親が口を開く。
「こないだ部下が、俺の行きつけで吐き散らかしたから、お詫びをかねて行くんだよ……」
「──…………」
「──…………」
バックミラー越しに、うにゅほと目が合った。
「……その、大変ですね」
「な、大変だろ」
出向いて謝罪するくらいだから、よほどの粗相をしたのだろう。
目的のスナックに到着し、
「んじゃ、帰りは勝手に帰るから」
そう言って、父親が車を降りた。
「気ーつけて帰れよ」
「わかってるよ」
「事故ったら、お前らふたりとも寝間着で警察だからな」
「──……あー、うん」
うにゅほもパジャマなのだった。
普段より安全運転で帰路についたのは、言うまでもない。



2014年4月10日(木)

大長編ドラえもんを数本借りてTSUTAYAを出ると、ドーナツの移動販売車が目についた。
「あ、どーなつ」
「ドーナツだなあ」
「どーなつだって」
「うん」
「──…………」
ちら。
「食べたいなら食べたいって素直に言っていいんだぞ」
「たべたい」
「よし」
折しもおやつの時間である。
ひとつ140円と少々値が張るが、試しに買ってみることにした。
メニューの張り紙とにらめっこしながら、
「えーと──シュガー、チョコレート、を、ひとつずつ。
 ××はどれがいい?」
「うと、クリーム……」
「クリームひとつで」
五百円玉で支払いを済まし、お釣りとドーナツを受け取る。
「思ったよりでかいな」
「でかい」
大きいと言うより、厚い。
ミスドのオールドファッションをふたつ重ねたようなボリュームだ。
「車のなかで食べちゃおう」
「うん」
なんとなく察したような顔で、うにゅほが頷いた。
家で食べようとすると、自分のぶんがないことに母親が文句を言うだろう。
買って帰ればいいのだが、ちょっと高かったし。
使い捨て容器のフタを開け、粉砂糖をふるい落としてからドーナツにかぶりついた。
「……あ、ふまい」
「おいしい?」
「ああ」
猛烈な勢いで奪われていく水分を、飲みかけのカフェオレで補給する。
「わたしも──」
ドーナツを掴んだまま、うにゅほが固まった。
ただでさえ分厚いドーナツが、サンドされている生クリームのせいで更に厚みを増していたからである。
「──…………」
ちら。
「分離して食べたら?」
「あ、そか」
うにゅほがドーナツを剥がし、
「はい」
クリームの多いほうをこちらに差し出した。
「……ありがと」
ちょっとだけ複雑な気分だ。
質も量も申し分なかったので、DVDを返却するときにまた食べようかと思う。



2014年4月11日(金)

「──……◯◯」
「どした?」
自室に戻ってきたうにゅほが、俺の袖を引いた。
「といれ、へん」
「変?」
「なんかあかるい……」
事態がさっぱり飲み込めない。
「きて」
「はいはい」
言葉足らずのうにゅほを問いただすより、出向いたほうが早い。
手を引かれるまま部屋を出て、トイレのドアを開けた。
瞬間、
「──うわ!」
こぼれる白色の光。
「なんだこれ、明るい……」
「ね?」
だから言ったでしょ、という顔をされた。
「──…………」
明るさの原因はすぐにわかった。
「白熱電球がLEDに変わってる」
「えるいーでぃーって、あかるいやつ?」
「そう」
父親あたりが取り替えたのだろう。
「……なんか、落ち着かないな」
「おちつかない」
白熱灯の橙色の光が、明るい昼白色のLED照明に変わったのだ。
違和感を覚えないほうがおかしい。
「うーん……」
うにゅほが唸る。
「……でも、あかるくて、いいのかも?」
「明るいのはいいけどさ」
窓際の造花を人差し指で撫でる。
指の腹に付着したホコリを吹き散らし、言った。
「明るすぎて、掃除行き届いてないのがバレバレになってる」
「あー……」
「壁紙が黄ばんでるのも、あんまり気づきたくなかったなあ……」
「いいことばっかしじゃないね」
「ほんとだな」
トイレの大掃除が行われる日も近い。



2014年4月12日(土)

「ごはんだよー」
扉から顔を覗かせたうにゅほが、両手でピースサインを作って言った。
「カニだよ!」
「お、おう……」
動揺した俺はネットに毒されている。
「カニなんて久し振りだな」
「きょねんたべたね」
「ああ、忘年会でな。あれはけっこう美味しかったけど……」※1
正直なところ、家でカニを食べるのはあまり好きじゃないのだ。
かけた手間ほどは美味しくないし、家族みんなで和気あいあいと生き物を解体する絵面もどうだろう。
足を二本くらい食べて、さっさと引き上げよう。
そう思ってリビングへ行くと、
「──……わーお」
毛ガニが八杯、テーブルの上に並べられていた。
「すごいでしょ」
「すごいけど」
父親に尋ねると、漁師の知人から獲れたての毛ガニを一万円で譲ってもらったのだそうだ。
八杯で一万円なら安いわな。
「……でも、多くない?」
「はんぶんはきょう、はんぶんはあした」
「そりゃそうか」
カニめしにでもしたらいいと思うのだけど。
「いただきます」
「いただきます」
食卓につき、軽く手を合わせる。
早速とばかりに、母親が包丁で毛ガニの甲羅を断ち割った。
「うわー……」
グロい。
「はい、××」
「ありがと」
うにゅほが甲羅の片割れを受け取り、
「はい、◯◯」
そのまま俺に差し出した。
「いや、いい、いいです」
慌てて首を振る。
「たべないの?」
「俺は足のほうが好きだから……」
「ふうん」
そう告げると、うにゅほは料理用のハサミを手に取り、
「きってあげるね」
「あ、うん……」
嬉しいけど、なんだか介護されてる気分だ。
とにかくカニが嬉しいらしく、うにゅほと父親は終始楽しそうにしていた。
ちろりと舐めたカニミソの味は、そう悪くなかった。
味はね、うん。

※1 2013年12月7日(土)参照



2014年4月13日(日)

「た、ただいま……」
友人と久闊を叙し、午後十時ごろ帰宅した。
「おか──、だいじょぶ?」
「……おぷ」
両手で腹部を押さえる。
「──…………」
うにゅほがすんすんと鼻を鳴らし、
「……やきにく?」
小首をかしげてそう言った。
「そう、焼肉……」
「また?」
「また……」
つい先日も、別の友人と焼肉食べ放題に行ってきたばかりなのである。※1
「いくらなんでも食べ過ぎた」
「どんくらい?」
「あー……」
ぼんやりとした頭で言葉を探し、すぐに諦めた。
「……こうなるくらい」
まるくなった腹を撫でてみせる。
逆流しそうで叩けない。
「そんなにたべなくてもいいのに……」
「いや、俺も、こんなに食べるつもりはなかったんだよ」
「そなの?」
「……友達が、ふたりとも太っててな」
「うん」
「一緒に食べてたら、いつの間にかこうなっていた」
「ともだちのひとは?」
「びくともしない」
胃袋の大きさが違うのだろう。
身を投げ出すようにしてソファに寝転がると、うにゅほがおなかを撫でてくれた。
「かたい」
「パンパンなんだよ……」
「たべすぎだねえ」
「はい……」
反省しきりである。
「体重計に乗るのが怖い……」
「──……えーと、あれだ」
すこし思案し、うにゅほが言った。
「じごうじとく」
ぐうの音も出なかった。

※1 2014年4月4日(金)参照



2014年4月14日(月)

「ぐあー……」
うにゅほの寝床に倒れ込み、両足をじたばたさせる。
「疲れた!」
「おつかれさま」
数時間歩き通しというのは、運動不足の身にはこたえる。
ほぼ月一のペースだからまだいいものの、
「──…………」
いや、違う。
「むしろ、月一だからきついんじゃないか」
「?」
「毎日外回りだったら、運動不足にならないじゃん」
「うん」
「ちょうど体がなまったころに仕事が入るからこそ、つらい……」
枕を抱き寄せ、寝返りを打った。
「あ、じゃあ──……うん、なんでもない」
うにゅほがなにかを言いかけて、やめた。
なにを言うつもりだったのか、どうして途中で止めたのか、なんとなくわかってしまう。
そろそろ付き合いも長いのだ。
「あしもむね」
「頼むう」
腕力があまり必要ないからか、腰より足をマッサージしてもらうほうが幾分か気持ちがいい。
疲れが取れる、気がする。
「おわったら、しっぷはろうね」
「モーラスな」
「うん、もーらすのしっぷ」
湿布なのかな、あれ。
「──…………」
やわやわとふくらはぎを揉まれていると、なんだか気が遠くなってきた。
「ごめん、このまま寝るかも……」
「うん」
マッサージの手を止めて、うにゅほが囁いた。
「……じゃ、しずかにするね」
大真面目なうにゅほの様子に思わず笑みを浮かべながら、徐々に意識が薄れていき──

気がつくと、三十分ほど時間が飛んでいた。
ふくらはぎにはモーラステープが貼られていて、うにゅほは夕食の支度をしているようだった。
「──…………」
ぼんやりとした頭で思案し、やがて布団を引き上げた。
起こしてくれる相手がいるのだから、自分で起きることもない。



2014年4月15日(火)

晩酌をしていたときのことだ。
「──……◯◯?」
不安げに眉をひそめながら、うにゅほが俺の顔を覗き込んだ。
「うん?」
グラスから唇を離し、そっとデスクに置いた。
緋色の液体がまるく波を打つ。
「◯◯、ぐあいだいじょぶ……?」
「え、なんで?」
モーラステープのおかげか筋肉痛もないし、体調だって悪くない。
うにゅほに心配される理由が思い浮かばなかった。
「だって、くち……」
「口?」
下唇をつまむ。
「くちのいろ、へんだよ」
「──…………」
卓上ミラーを手に取る。
「おあ!」
思わず妙な声が出た。
なにしろ、唇の色が真紫だったのだから。
「なんだこれ……」
すわ奇病かと唇を撫でたとき、あることに気がついた。
「……線が入ってる」
「せん?」
「ほら、内側のとこ」
下唇をめくってみせる。
「ほんとだ」
「ぶ」
うにゅほの指が俺の唇をなぞる。
「えびのせわたみたい」
もうすこし気持ちのいい喩えはなかったものか。
「……でも、これで理由がわかった」
「?」
うにゅほが小首をかしげる。
「これ、ワインの渋だよ」
「しぶ?」
「渋ってか色素かな。拭けば──」
ティッシュを取り、唇を拭う。
「……ほら、綺麗になったろ」
「すこし」
「すこし?」
鏡を覗き込むと、黒い線は取れたものの、唇の色味は変わらず悪いままだった。
「毎日飲んでるから、蓄積されてるのかな……」
「かも」
しばらく気をつけてみよう。



2014年4月16日(水)

「──…………」
サクサク
「──…………」
サクサクサクサク
「──…………」
サク、サク、ペロ
指を舐めたのを見届けて、声を掛ける。
「うまい棒、美味しいか?」
「おいしい」
うにゅほには、虚空を見つめながら無心でお菓子を食べる癖がある。
ポッキーやうまい棒といった棒状のお菓子に対し、その傾向が強いようだ。
げっ歯類を見ているようで、飽きない。
飽きないが、
「……ちょっと食べ過ぎじゃない?」
「そかな」
ゴミ箱を覗き込むと、赤と銀色の包装が降り積もっていた。
「そだね……」
ちょっと反省したらしい。
「にしても、けっこう食いでがあるよな」
「うん」
うまい棒の30本入りパックを見かけたので、たこ焼き味とチーズ味をひとつずつ買ってみたのだ。
計60本と言うと相当な量に思えるが、実売価格は600円弱である。
「つぎさいごにする」
「何本目?」
「うと、じっぽんめ」
食べ過ぎだと思っていたが、まだ100円分しか食べていなかったのか。
さすが駄菓子、コストパフォーマンスが半端じゃない。
「俺も最後にしよう」
「なにあじ?」
「チーズ」
「じゃ、わたしもチーズにする」
うにゅほのお揃い好きは、いつになっても変わらない。
「──…………」
サクサクサク
「──…………」
サク
うにゅほの動きが止まる。
「どうした?」
「……した、ひはい」
「あー」
調味粉がヤスリの役目を果たすのか、うまい棒を食べ過ぎると舌が痛くなることがある。
「ぴりぴりするう」
「とりあえず、牛乳飲んできたら?」
「うん」
根拠はないが、牛乳ならなんとかしてくれる気がする。
俺も、食べ過ぎないようにしよう。



2014年4月17日(木)

床屋からの帰り道でのことだ。
「──……?」
アクセルペダルから爪先を離し、徐々に減速していく。
うにゅほが前方を指さし、言った。
「はとだ」
そう、鳩である。
二羽の土鳩がぽてぽてと車道を横切っていたのだ。
「うーん……」
気にせず走っても飛び去るとは思うが、いちおう軽くブレーキを踏んでおく。
土鳩との距離が、じわじわと詰まる。
「飛ばないな……」
「とばない」
後続車がないことを確認し、完全に停止する。
「座ったな……」
「すわった」
一羽はくつろぎ、もう一羽は首を前後に振りながらのんきに歩きまわっている。
なんだこれ。
「あのはと、とべないのかも」
「あー……」
怪我をしているのかもしれない。
なるほど、身を挺してつがいの鳩を守っているようにも、
「──…………」
見えない。
ちょっと無理があった。
「仕方ない、ちょっとどかしてくるよ」
「わたしも」
シートベルトを外しかけたうにゅほを制止する。
「いや、××は後ろ見ててくれ」
「はい」
車を降り、運転席のドアを閉じた瞬間──
ばさ!
と音を立て、二羽の土鳩は飛び立っていった。
「──…………」
ドアを開き、乗車する。
「はと、どいた?」
真正直に後方を確認していたうにゅほが、そう尋ねた。
「……飛びやがった」
小馬鹿にされた気しかしない。
「とべたんだ……」
よかった、怪我をした鳩なんていなかったんだね、などと言い出しそうなうにゅほの額をぺちんと叩き、再び帰途についた。



2014年4月18日(金)

「うあー……」
ちょっと落ち込むことがあって、デスクに突っ伏していた。
「どしたの?」
うにゅほが俺の顔を覗き込む。
目を合わせたくなくて、そっぽを向いた。
「……言いたくない」
「そっか」
ぽす。
ソファに腰を下ろす気配がした。
「──…………」
「──…………」
ちら。
うにゅほの様子を窺うと、目が合った。
「──…………」
静かに微笑みを浮かべている。
ああ、母性。
「……慰めてください」
「はい」
うにゅほがぽんぽんと膝を叩く。
導かれるまま、ふとももに頭を乗せると、体温の低い手のひらが額に乗せられた。
「どうしたの?」
「言いたくない」
「そか」
ちいさな手が俺の両目を覆い隠す。
「──…………」
目を閉じた。
ああ、俺はいま、甘やかされている。
情けないことこの上ないが、たまにはいいだろう。
いいはずだ。
なんだっていいや。
そうして横になっていると、いつしか気分も晴れてきた。
「……ありがとう」
小声で礼を言うと、
「うん」
うにゅほは、穏やかに頷いてみせた。



2014年4月19日(土)

「──…………」
自分の頬に手を触れる。
熱い、気がする。
「風邪引いたかな……」
「かぜひいてるよ」
「引いてるか」
「うん」
断定されてしまった。
「だって、こえへんだもん」
「変か」
「うん」
軽く咳払いし、口を開いた。
「あー、えー、いー、うー、えー、おー、あー、おー」
喉元を撫でる。
たしかに、かすれている気がする。
「どう?」
「ひくい」
「風邪かな」
「うん」
うにゅほが断言するなら、そうなのだろう。
これでいて、けっこう信頼しているのだ。
うにゅほに指摘されてから自分が風邪だと気づくことも、たまにあるし。
「──…………」
それは、単に俺が鈍いだけか。
「たいおんけい──は、いらない?」
「いらない。あって微熱だろうし、測ったら気が滅入るし」
どてらを着込んで安静にしていれば、そのうち治るだろう。
「……あ、そうだ」
ふと、あることを思い出した。
「俺、風邪を引くと聞きたくなる曲があるんだよ」
「かぜのときだけ?」
「だけじゃないけど、風邪のときが多いかな」
「なんてきょく?」
「たまの、夏の前日って曲」
「……なつじゃないよ?」
「前日だから、夏の曲じゃないんだよ」
「あ、そか」
うんうんと幾度も頷く。
素直すぎて、なんだか騙したような気分にさえなる。
「CDないから、動画サイトで聞くしかないんだけど──」
キーボードを叩き、動画を呼び出すと、特徴的なオルガンの音色がUSBスピーカーから流れ出した。
「──…………」
「──…………」
やがて、再生が終わる。
「……どうだった?」
「なんか、ちょっとこわいきょく」
「あー」
すこしわかる。
「かぜのとき、またききたい」
「でも、風邪には気をつけないと駄目だぞ」
「そだね」
顔を見合わせ、苦笑した。



2014年4月20日(日)

買い物のついでに、近所のダイソーに立ち寄った。
「なにかかうの?」
うにゅほが無邪気に尋ねた。
「──……うーん」
「?」
「いや、そう大したものじゃないんだけど」
言いよどむ。
「……毛抜きを買おうと思って」
「けぬき?」
うにゅほが目をしばたたかせる。
「たくさんあるのに」
「うん……」
だから、ちょっと言いにくかったんだよな。
「毛抜きにもいろいろあるんだ」
「ふうん?」
「たとえば──」
陳列棚のフックから、ふたつの異なる毛抜きを手に取った。
「こっちの毛抜きは先が太いだろ」
「ふとい」
「俺の場合、ヒゲを一本一本抜きたいだけだから、こういうのは使いにくい」
「ほー」
うんうんと頷きながら、うにゅほが問う。
「じゃ、こっちのほそいの?」
「どちらかと言えば……」
「だめなの?」
「たぶんこれ、いま使ってるやつだと思うんだよな」
「だめだ」
「いや、そうでもない」
「?」
「いま持ってる毛抜きの先端が潰れてきてる気がするから、買いに来たわけだし」
「そうなんだ」
「だから、この毛抜きでいいんだけど──」
別の商品を取り、うにゅほに手渡す。
「こっちのも気になるなー、と」
「あ、ななめだ」
先端が斜めになっている、百円のわりに高級そうな毛抜きだ。
「すごいぬけそうだ」
「そう思うだろ」
「ちがうの?」
「いや、使った記憶はあるんだけど、使い心地は覚えてない……」
「──…………」
あ、うにゅほが呆れた顔をしている。
「よし、両方買おう」
「もったいない」
「消費税が8%になっただろ」
「うん?」
「百八は煩悩の数なんだ」
「──……?」
うにゅほを煙に巻いて、毛抜きをふたつ購入した。
斜めカットの毛抜きの使い心地は、案の定微妙だった。
いま我が家に何本の毛抜きがあるのか、怖くて数えたくありません。




2014年4月21日(月)

「え──……と、ブリキの迷宮と、夢幻三剣士と、ワンニャン時空伝。
 これでいいか?」
「うん」
「夢幻三剣士は前見なかったっけ」
「またみる」
「そっか」
ドラえもんのDVDを手に、ほくほく顔でうにゅほが歩き出す。
「◯◯は、なんかかりないの?」
「そうだなー」
しばし思案し、
「……お笑い系の新しいやつでも借りてくか」
「ないとすくーぷ?」
「あれはこないだ借りたろ」
「うん」
準新作のDVDを4枚ほど見繕い、レジへ向かった。
財布からTポイントカードを取り出そうとしたとき、店員が口を開いた。
「こちら、準新作のDVDなんですけど──」
「はい?」
「5枚まとめてだと1080円になりますので、4枚レンタルされるよりお安くなりますが、どうなさいますか?」
「──…………」
料金表を見上げ、暗算する。
準新作は7泊8日で350円だから、4枚で1400円。
「もう1枚借ります」
「それでは、こちらお預かりしておきますねー」
店員に背を向け、DVDコーナーに取って返す。
「なにかりるの?」
「考え中」
「ドラえもん?」
「ドラえもんの準新作は、ひみつ道具博物館だけだったろ」
「もうみたね」
「××は2回も観たもんな」※1
向こう数年はいいだろう。
「無難に、お笑いコーナーから──」
数秒ほど指を彷徨わせ、
「うん、さまぁ~ず×さまぁ~ずでいいや」
まだ観てないと思われるDVDを手に取った。
レジで精算を済ませ、車内に戻ったとき、うにゅほがしみじみと言った。
「◯◯、さまーずすきだねー」
「わりと好きかな」
「でぃーぶいでぃー、ぜんぶさまーずだもんね」
「……全部?」
レンタルバッグの中身を確認する。

内村さまぁ~ず Vol.45-46
トゥルルさまぁ~ず Vol.13-14
さまぁ~ず×さまぁ~ず Vol.17

「本当だ……」
完全に無意識だった。
「レジのお姉さんにさまぁ~ずの大ファンだって思われたな」
いいけど。
「わたしも、ドラえもんのだいファンだって」
「思われてもいいだろ、べつに」
「うん」
そんなことより、一週間で8枚も見きれるかが問題である。
ノルマは一日1枚だ。

※1 2014年4月4日(金)参照



2014年4月22日(火)

あてどもなくドライブしていると、いつの間にか昼食の時間を過ぎていた。
「なんか食べるかー」
「うん」
「なにがいい?」
「え」
うにゅほが固まる。
「えと、うーと──……」
ああ、これは長考の流れですわ。
「なんでもいいぞ」
「……◯◯は、なにたべたい?」
「そうだなあ」
赤信号で停止し、軽く思案する。
「正直、なんでもいいんだよな」
「わたしも」
「でも、腹は減った」
「わたしも……」
ふたり並んで頭を捻る。
しかし、どうにも決まりそうになかったので、
「……次に見かけた食べ物屋に問答無用で入るってのはどうだろう」
「お」
うにゅほの頭上に「!」がともる。
「いいかも」
「じゃ、決まりだ」
青信号を確認し、アクセルを踏む。
走り出してすぐ、ある看板が目に留まった。
「とんかつかー」
「いいじゃん」
「うん、とんかついい」
というわけで、昼食はとんかつに決定である。
入店すると、テーブル席に通された。
対面のうにゅほにも読めるよう、メニュー表を開く。
「……ちょっと高めだな」
「たかいね……」
店員との距離に気をつけながら、小声で会話を交わす。
「まあ、千円ちょっとなら妥当か」
「そなの?」
「とんかつは、どこもそんなもんだよ」
「へえー……、──ん?」
うにゅほの視線が、ある一点で止まる。
「◯◯、すごいのある」
「すごいの?」
「ほら、これ」
とろ旨ロースかつ 2,289円
「──…………」
「ね?」
「よし、これ行ってみよう」
「うそ!」
自分の声に驚き、うにゅほが口元を押さえる。
「たまにはいいもん食いたいじゃん」
「うん……」
「半分くらい交換してさ」
「……はんぶんずっこする?」
かけそばじゃないんだから。
「うーん、まあ、うーん……」
うにゅほが思い悩んでいるあいだに注文を済ませ、とろ旨ロースかつに舌鼓を打った。
たいへん美味しかったが、うにゅほは値段が気になって仕方がないようだった。
金銭感覚があるのはいいことだけど、逆にちょっと損してる気がする。



2014年4月23日(水)

母方の祖父が入院したと聞いた。
祖父はもう94歳である。
「覚悟する」という言葉が不謹慎な響きを持たない年齢だ。
入院先への道中、母親が言った。
「……父さん、夢に死神が出てきたんだって」
「──…………」
笑えない。
後部座席のうにゅほをバックミラー越しに窺う。
緊張しているのが、目に見えてわかった。
うにゅほが祖父と会った回数は、十指に満たない。
悲しくは、ないかもしれない。
不安ではあるだろう。
なにかが失われ、決定的に変化する予感。
底の知れないうねりのなかにいて、繊細なうにゅほがなにも感じないはずがない。
「──…………」
病室に着き、予感は確信となった。
死相があるとしたら、この祖父の顔がそれだと思った。
「……お、おお」
薄く目を開き、祖父がうめいた。
「──……!」
うにゅほが俺の袖を掴む。
優しく解き、手を握った。
震えている、気がした。
たぶん、俺の手も震えていたと思うから。
「とうさん……」
囁くように、母親が祖父を呼んだ。

──十分後、
「やー、よくきた、よくきた」
祖父は、お見舞いのいちごをもりもり食べていた。
単に寝起きだったというだけらしい。
「……先入観ってすごいな」
「うん……」
うにゅほと小声で言葉を交わす。
「しにがみとかいうから……」
「問答無用の説得力だったもんな……」
ともあれ、よかった。
ゴールデンウィークにまた行く予定だから、そのころにはもうすこし元気になっているだろう。
ロウソクは消える間際に──という言葉が脳裏をよぎったが、口にはしなかった。
いくらなんでも縁起が悪い。



2014年4月24日(木)

「◯◯ー」
「──……んが」
春の陽気に誘われて窓際でうとうとしていると、うにゅほが俺を呼んだ。
「あ、ごめん。ねてた?」
「寝てない、寝てない」
寝てたのに寝てないと言い張ってしまうのは何故なのだろう。
「とんぷそんかってきたよ」
「……なに?」
「とんぷそん」
「トンプソンって、なに」
まさか、サブマシンガンのことではあるまい。
「えと、くだものだよ」
「果物……」
果物は、あまり好きじゃない。
表情に出たのか、
「とんぷそん、おいしいよ?」
念を押すように、うにゅほがそう言った。
「うーむ……」
味がどうこうより、その正体が気になる。
重い腰を上げてリビングへ赴くと、食卓テーブルの上にそれがあった。
「……ブドウ?」
縦長の実をつけたマスカットのように見える。
「とんぷそん」
「それはわかったから」
買い込んだ食料品を片付けていた母親に視線で尋ねると、
「ブドウだよ。皮を剥かなくても食べられるの」
「へえー」
皮を剥かなくても、ねえ。
「でも、剥いたほうが絶対に美味しいと思うな……」
「むけないよ」
「剥けない?」
「たべたらわかるとおもう」
うにゅほがトンプソンを一粒もぎ、こちらに差し出す。
「はい」
「あー」
口を開くと、ころころしたビー玉大のものを押し込まれた。
「──……?」
想像していたより、随分と固い。
思い切って前歯で噛み切ると、
しゃく。
「!」
なんだか、すごく歯ごたえがあった。
「なにこれ」
「とんぷそんだよ」
知ってる。
「ブドウって感じしないな」
「でしょ」
「でもって、なにかに似てる気がする……」
数秒ほど熟考し、思い至った。
「これ、リンゴだ。リンゴに似てる」
「りんご、かなあ……」
うにゅほはピンとこないらしい。
「面白いブドウだなー」
「でしょ」
あまり美味しいとは思わなかったが、それは言わぬが花である。



2014年4月25日(金)

「ただいまー」
枕元に散らばっていた漫画を片付けていると、うにゅほと母親が帰ってきた。
「おかえり。映画、面白かったか?」
「うん!」
楽しげに頷く。
アナと雪の女王を観てきたらしい。
俺と弟も誘われていたが、ディズニー映画にはあまり興味が湧かなかったので断ったのだ。
たまには女同士で出かけるのもいいだろう。
「◯◯、そうじしてたの?」
「してたというか、しようとしてた」
ぐるりと部屋を見渡すと、本やレジ袋が隅に押しやられているのが見て取れる。
こまめに掃除機をかけてくれるうにゅほだが、整理整頓はあまり得意じゃないのだ。
「天気もいいし、布団も干そうかなって」
「いいかんがえですね」
「だろ」
どうして急に敬語なのかはわからないけど。
「よし、役割分担だ。
 俺が片付けるから、××がそこを掃除する」
「わかった」
「ラジャーって言ってみて」
「らじゃー」
散乱していた漫画をあらかた片付けたあと、うにゅほの布団から干すことにした。
「──よっ、と」
敷布団を両手で抱え上げると、湿気防止用のすのこが顔を出した。
「すのこの下も掃除機かけないとな」
「うん」
掃除機のノズルを隙間用のものに替えながら、うにゅほが頷いた。
ベランダに布団を干して戻ってくると、
「──…………」
なんだか様子がおかしかった。
「どうかした?」
うにゅほの両手が、なにかを包むように組まれている。
「……なんでもないよ?」
「本当に?」
「うん……」
なにか隠してるな。
「そっか。じゃあ、俺の布団も干してくるな」
追求はしないことにした。
わざわざ隠すくらいだから、なにか理由があるのだろう。
「──…………」
ソファの上に畳まれている毛布と掛け布団をまとめて持ち上げたとき、
「……あのね?」
「ああ」
「これ……」
うにゅほが右手を差し出した。
なにも言ってないのに耐え切れなくなったらしい。
「──……落花生か」
「うん……」
節分のとき、テンション高めのうにゅほが撒いたものに違いない。※1
「まだあったのか」
「ごめんなさい……」
「謝らなくていいって」
苦笑し、落花生を受け取った。
「すてる?」
「もったいないけどな」
午後三時をまわったころ、布団を取り入れた。
今夜はよく眠れそうである。

※1 2014年2月3日(月)参照



2014年4月26日(土)

「暑いっすなー……」
「そうっすねー……」
春の陽射しを受けないよう、ソファに斜めに腰掛けていた。
本日の最高気温は24℃だと言う。
「初夏じゃないか……」
春はどこ行った、春は。
「窓、開けますか」
「わたしあけます」
うにゅほが、ベランダに通じる窓を開け放つ。
──すう、と、
室内にこもっていた熱が外気にさらわれていくのを感じた。
「──…………」
深呼吸をする。
「すずしいねー……、ですねー」
「ですなー」
外の空気は乾いていた。
陽射しは強くとも、夏はまだ遠い。
その事実に、ほんのすこしだけ安堵を覚えた。
しばらくして、
「──…………」
「──…………」
「……肌寒くないですか?」
「はだざむいです」
あっという間に室温が下がってしまった。
外気が冷たいので、当然と言えば当然である。
「窓を閉めましょう」
「わたししめます」
がらがらと窓が閉まる。
春の陽射しを浴びて、ほっと一息ついた。
しばらくして、
「暑いっすなー……」
「そうっすねー……」
陽射しから逃げるように、ソファの端で寄り添っていた。
くっついてるせいで余計に暑い。
「なんか、ちょうどいい室温にできないものですかね」
「そうですねー……」
思案し、うにゅほが言う。
「まど、はんびらきにするとか、です?」
「あ、なるほど」
どうして思い至らなかったのか。
うにゅほのアイディアを採用し、日暮れまで快適に過ごしたのだった。



2014年4月27日(日)

「あ」
冷蔵庫を開くと、プリンがあった。
「××、このプリン食べていいの?」
「いいよー」
許可が出た。
セブンイレブンの牛乳寒天にハマっていたとき備蓄したコンビニのデザートスプーンを手に、焼きプリンのフタを開ける。
たまご色のプリンが、誘うように甘く香った。
ひとくち食べて顔を上げると、
「──…………」
こちらを見つめるうにゅほと目が合った。
「たまに思うんだけどさ」
「うん」
「俺がもの食べてるのって、そんなに面白い?」
「うん」
頷かれてしまった。
なんだか気恥ずかしくて、プリンをすくう手が止まる。
「そういえばさー」
誤魔化しがてら、適当な話題を振ってみることにした。
「子供のころ、プリンをシェイクして食べてた記憶がある」
「ふるの?」
「ドロドロになるまで振る」
「なんか、おいしくなさそう……」
「味は変わらないけど、見た目はひどかったな」
「なんでしたの?」
「子供って、そういうものだから……」
「そうなんだ」
「ヨーグルトは、振ると、飲むヨーグルトになるんだけどな」
「あー」
うにゅほが、うんうんと頷く。
「そのうち学習して、プリンはシェイクしなくなったんだけどさ」
「うん」
「その代わり、ストローで吸うのが流行ってさ」
「すうの?」
「吸う」
「おいしそうかも」
「見た目も悪くならないし、食べ方としてはアリだと思う」
「やってみたい」
「いいぞ」
「──…………」
「──…………」
「──……?」
「いや、今はストローないからできないけど」
「あー……」
「あと、焼きプリンだと固いから、プッチンプリンのほうがいいな」
「なるほど」
コンビニに行ったときにでも試させてあげようと思った。
どちらかが覚えていれば、だけど。



2014年4月28日(月)

いいことと悪いことがあったので、やけ寿司と洒落込むことにした。
「コーンいっこたべる?」
「食べる食べる」
「ほたておいしい」
「ミルクレープ注文するけど」
「はやい」
食べたいときがデザートである。
「◯◯、ケーキなんこもたべるよね」
「美味しいんだもの」
「ふとらない?」
「やけ寿司だからいいんだよ」
「いいのかな」
「太ったら、そのぶん痩せればいいだけの話だし」
食べないから太らないのがうにゅほだとすれば、食べるから太るのが俺である。
しかし、増減を常に管理しているため、おおよそ一定の体重に収束する。
ちょっと食べ過ぎたくらいでは揺るがないのだ。
「プリンも食べようかなー」
「プリン!」
うにゅほがハッとする。
「ストロー!」
メロンソーダのストローを指さした。
「──…………」
「──…………」
見つめ合う。
言いたいことはわかる。
「出先ですることではないんじゃないかな……」
「あ、そか」
うにゅほが、納得したように微苦笑を浮かべる。
常識ある娘に育ってくれてよかった。
「それに、はま寿司のプリンって固めだから吸えないと思うよ」
「そうだっけ」
「××もプリン頼むか?」
「たのむ」
ふたりなかよくプリンに舌鼓を打ち、はま寿司を後にした。
会計は、二千円でお釣りが来た。
平日一皿90円(税抜)は伊達じゃない。
そういえば、スシローって美味しいんだろうか。
今度行ってみよう。



2014年4月29日(火)

「──……?」
背筋をぶるりと震わせる。
「ちょっと寒くない?」
「さむいよー」
没頭していた専門書から顔を上げると、うにゅほが半纏を着込んでいた。
「いつの間に」
「さむいんだもん」
つい昨日までは暑い暑いと思っていたのに、もうこれだ。
無理は言わないから、せめてどっちかにしてほしい。
「◯◯、さむくないのかなっておもってた」
うにゅほの視線を辿る。
「──…………」
まくり上げていたシャツの袖を、無言で直した。
「なんでまくってたんだろう……」
「さあー」
思い出せない。
「◯◯のはんてん、だしてあるよ」
「お、気が利く」
「うへー」
うにゅほが照れたように笑う。
「出したとき言ってくれてもよかったけど」
「しゅうちゅうしてたから……」
「そんなに集中してた?」
「うん」
半纏に袖を通し、壁掛け時計を見上げる。
「──うわ」
二時間くらい吹っ飛んでいた。
「そのほん、おもしろいんだね」
「ああ」
「なんのほん?」
「──…………」
気取られないよう、うにゅほの様子を観察する。
「ほら、こないだ図書館で借りただろ」
「うん」
「素粒子物理学の」
「そりゅうし」
あ、聞き流しモードに入った。
うにゅほには、興味のない話をされたとき、どこか遠くに焦点を合わせながらオウム返しをする癖がある。
「──ま、もうすぐ読み終わるから、明日か明後日にでも図書館行こう」
こんなときは、さっさと話を切り上げるに限る。
「うん、いこう」
戻ってきた戻ってきた。
半纏にくるまりながら、読書漬けの一日だった。



2014年4月30日(水)

ポケットからiPhoneを取り出し、親指でロックを解除する。
「──……?」
違和感があった。
理由はすぐに判明した。
バンパーケースの一部が破損していたのである。
「あー……」
「?」
嘆息に気づき、うにゅほが顔を上げる。
「バンパー壊れてる……」
「え!」
「ほら」
うにゅほにiPhoneを手渡す。
「ほんとだ……」
「けっこう高かったのに、三ヶ月しか持たなかったなー」※1
「──……あの」
うにゅほが、上目遣いで俺を見た。
「あのね、わたし、おとしたかも……」
しゅんとしている。
「あー、そういうのやめよう」
「?」
「どっちが壊したとか、そういうの。いいことないもの。俺も落としたような気がするし」
責任の所在をはっきりさせたところで、壊れたものは壊れたのだ。
次に取る行動は変わらない。
うにゅほを手招きし、ディスプレイの電源を入れる。
「××、今度はどんなケースがいい?」
「どんなの?」
「丈夫なのとか、ふつうのとか、カッコいいとか、可愛いとか」
「うーと……」
百聞は一見に如かず。
適当に検索し、楽天のページを開いた。
「ディズニーとかキティちゃんとか、女性向けのけっこうあるなあ」
「でぃずにー?」
「ああ」
「アナとゆきのじょおう、ある?」
そういえば、母親と観に行ったんだっけ。※2
「あるんじゃないかな」
検索してみると、あっさりヒットした。
「これ?」
「うん、これ。あるんだー」
へえー、とうにゅほが頷いた。
「──…………」
「──…………」
「……?」
無言でいると、不思議そうにこちらを振り返った。
特に欲しくはないらしい。
あれやこれやと見て回り、今度は折れないようにとソフトケースを注文した。
一年は持ってほしいところだ。

※1 2014年1月21日(火)参照
※2 2014年4月25日(金)参照


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