>> 2013年10月




2013年10月1日(火)

-昼食-

「ごちそうさま」
スプーン三杯分のチョコクリスピーを牛乳と共に飲み下し、立ち上がった。
「それだけ?」
「……あんまり腹減ってないんだよ」
「ふうん……」

-夕食-

「……今日はいいや」
「しょくよくないの?」
「食欲は、ないこともないんだけど」
「ダイエットおわったって」
「終わったことは終わったけど……」
気まずい。
「──……あっ」
沈思黙考していたうにゅほが、思いついたように声を上げた。
「あやまち?」
「う」
「やっちゃったの……」
「はい……」
あやまち。
それは、俺とうにゅほにのみ通じる「無意識の暴飲暴食」を意味する言葉である。
東の空が白む前に起き出した俺が、半覚醒状態のまま空腹に身をまかせ、そこらの食料を食べ尽くし、満足して寝床に戻る。
そして、起きたあと死ぬほど後悔する。
それをもう数え切れないほど繰り返しているのだ。
「ひさしぶり?」
「たぶんだけど、数ヶ月ぶりかな」
恐らく、目標体重まで落ちて気が抜けたのだろう。
「治ったと思ってたんだけどなあ……」
もはや病気に近い気がする。
「あさおきたら、わたしおこしたらいいよ」
「どうして?」
「そしたらとめる」
「あー……」
それは、どうなんだろう。
起こしたら食べられないのだし、起こすと悪いと思うから、二重に起こさないのではないだろうか。
「……努力はしてみる」
「うん」
ああ、でも、罪悪感はマシマシかもしれない。
克服すべき悪癖である。



2013年10月2日(水)

買ったばかりの本を、開封もせず、しばらく寝かせておく癖がある。
大抵の場合うにゅほが先に読んでしまうのだが、絵の怖い漫画や文芸書など、人知れず眠り続けるものもある。
夕刻のことだ。
「──あっ」
長時間の作業でこわばった肩を揉みほぐしていると、不意に思い出した。
そう言えば、コミカライズ版の「闇にささやく者」をまだ読んでいなかったっけ。
クトゥルフ神話のコミカライズはほとんど揃えているが、これだけずっとビニールすら剥がしていなかったのだ。
理由は特にない。
「あれ……」
だが、どうしても見当たらない。
「××、このシリーズの開けてないやつ知らない?」
「えー……」
「ダンウィッチの怪」を差し出すと、うにゅほが露骨に嫌な顔をした。
表紙でもう怖いらしい。
「しらない」
「そっか……」
しばらく探してみたが、やはりない。
もしかすると、店頭に並んでいるのを見かけただけで、買ってはいなかったのだろうか。
「──…………」
意気を挫かれると、ますます読みたくなってくる。
「××、本屋行くけど、行く?」
「いく」
二つ返事のうにゅほを連れて、最寄りの大型書店へと足を運んだ。
首尾よく目当てのものを見つけ、弟に頼まれたナルトの最新刊をついでに購入し、帰宅した。
「……それにしても、たしかに買ったと思ったんだけどなあ」
「さっかく、だね」
「錯覚かな」
「よくある」
うんうんと頷くうにゅほを見て、そんなもんかと思った。
夕食後、コピー用紙を取り出そうと、小箪笥の最下段の引き出しを開けたときのことである。
「ん?」
コピー用紙の包装の下から、なにか黒いものが覗いていた。
手に取ると、「闇にささやく者」だった。
「──…………」
なんでこんなところに。
まさかと思い、うにゅほに尋ねると、
「しらない」
との答えが返ってきた。
うにゅほが嘘をつくはずはないし、ついたとしてもすぐにわかる。
たしかに俺が仕舞ったのだ。
「……何故?」
さっぱり思い出せない。
そんなことより、二冊も買っちゃってどうしよう。



2013年10月3日(木)

ヤマダ電機でインクカートリッジを購入し、帰り道コンビニに寄った。
「なにかうの?」
「とりあえず、喉が渇いたから──」
軽く店内を見渡し、決めた。
「豆乳にしようかな」
「とうにゅう……」
うにゅほは豆乳が苦手である。
「××はなんにする?」
「──…………」
しばし思案に暮れたあと、うにゅほがショーケースに手を伸ばした。
「えっ」
それは、コーヒー味の調整豆乳だった。
「どうしたの……」
熱でもあるのだろうか。
「とうにゅう、からだにいいって」
「テレビで?」
「うん」
豆乳が体にいいのは本当かもしれないが、豆乳を飲まなければ体を壊すわけではない。
そう言おうと思ったのだが、克己心を妨げるのもどうだろう。
「……飲めなかったら、俺が飲むから」
だから、リバースしないでくれ。
会計を済ませ、コンビニを出た。
「はー……」
片手でハンドルを握りながらストローをちゅーちゅー吸っていると、助手席から溜め息のような声がした。
ちらりと見やる。
それは、溜め息ではなかった。
両手で200mlパックを握り、真剣な瞳で呼吸を整える音だった。
そんなんならもう飲まなければいいのに。
赤信号で停車したとき、うにゅほが俺の袖を引いた。
「みてて」
言われるがまま、見る。
うにゅほがストローをくわえ、ためらいがちにちゅうと吸った。
「──…………」
泣きそうな顔をする。
「……飲もうか?」
「みてて……」
ちゅう。
ちゅう、ちゅう。
青信号。
「ふー……」
アクセルを踏み出すと、うにゅほが嘆息した。
「飲み終わった?」
「まだある」
「半分くらい?」
「はんぶんの、はんぶんくらい、のんだ」
しばらくして、また赤信号。
「みてて」
「はいはい」
どうして俺が見てないと飲めないんだ。
200mlパックから豆乳がなくなるころ、帰宅した。
「飲み終わったか」
「のんだ……」
やりきった顔をしていた。
飲み続けなければ意味がないという言葉は、そっと心に仕舞い込んだ。



2013年10月4日(金)

カーテンをクリーニングに出すので外してくれと頼まれた。
我が家には、上背のあるのが俺くらいしかいない。
天井付近の雑用をすべて押しつけられるのも、むべなるかなというところだ。
「──……あー」
半分ほど外し、ぎしぎしと音を立てる年季の入った踏み台を下りる。
「ずっと上向いてると、くらくらしてくるな」
いつものことだが、はしっこのフックだけ異様に外しにくいし。
「だいじょぶ?」
「ちょっと水でも飲んでくるよ」
冷蔵庫から取り出した冷水をあおり、リビングへ戻る。
「……なにやってんの?」
うにゅほが踏み台に上り、両手を伸ばしていた。
「とどかない」
俺だって首が疲れるくらいだから、そうだろう。
「まあ、努力は買いましょう」
右手を伸ばし、うにゅほの頭を撫でた。
「うー……」
不満げである。
「フックをまとめてくれるだけでいいって」
「こっちのがたいへんそう」
「大変でも、俺しか適任がいないからなあ……」
こればかりは。
そう続けようとして、ふと思いついた。
「じゃあ、こうしよう」

「たかい……」
「頭、天井につくんじゃないか?」
「ついてる」
うにゅほを肩車してみた。
「おもくない?」
「慣れてるから大丈夫」
むしろ役得であるし。
「あ、でも、カーテンはずせるよ」
うにゅほがすらすらとフックを外していく。
目視できるはずもないが、眼前を垂れ落ちていくカーテンでそれがわかる。
「あれ」
カーテンが止まった。
「はずれない」
「いちばんはしっこのフックか?」
「うん」
「そこだけいつも外れないんだよなあ」
設計段階でのミスではないかと思うくらいに。
「ぎぎぎ……」
「無理するなって」
「もすこし」
ウルトラマンがスペシウム光線を撃つか撃たないかくらいの時間が経ったとき、
「た!」
という気合と共に、カーテンがどさりと落ちた。
「お、やったな」
「うん!」
「あとはレースカーテンだけだな」
「うん……」
コツを掴んだのか、レースカーテンを外すのにそれほど時間はかからなかった。
「お疲れさん」
うにゅほを下ろし、やわやわと肩を揉む。
「う、う、いたきもちい……」
クリーニングに出したカーテンがどれくらい綺麗になるか、楽しみである。



2013年10月5日(土)

昨夜、日を跨いだころのことである。
レンタルしたDVDを見ようとトレイを閉じたとき、うにゅほがのそっと起きてきた。
「……ねれない」
「珍しいな」
「うん」
快眠で知られるうにゅほにも、そういうときはある。
「なにしてたの?」
「映画でも見ようかと思って」
「いっしょいい?」
「えー……、と」
しばし逡巡し、答える。
「別のDVDのほうがいいかな」
「なんで?」
「たぶん怖いと思うし」
怖いだけでなく、まず面白くないと思うし。
「なんてやつ?」
「魍魎の匣」
「もうりょう……」
怖そうな単語に尻込みしたうにゅほだったが、すぐに気を取り直し、
「……それみる」
と、俺の隣に腰を下ろした。
「大丈夫かな……」
「だいじょぶ」
大丈夫ではなかった。
開幕早々少女の惨殺死体が大写しになった次の瞬間、
「でゃ!」
という悲鳴らしき奇声と共に、首筋を傷めんばかりの勢いでうにゅほが天井を向いた。
「──…………」
無言でイジェクトボタンを押す。
「ほら、モヤさま見ようモヤさま」
「もやさま……」
「見よう」
「みる」
モヤさまのDVDも借りていてよかった。
「──……あふぁ」
午前一時を過ぎたころ、うにゅほが大きなあくびをした。
「眠くなってきた?」
「うん……」
「そろそろ寝たらいいよ」
「はい」
立ち上がり、ふらふらと寝床へ向かう。
「あ、といれ」
呟き、方向転換する。
数秒ほどして、うにゅほが戻ってきた。
「こわい」
「怖いってお前……」
トイレなんてすぐそこなのに。
「ついてきて……」
「はいはい」
ずっと以前にもこんなことがあった気がする。
一年か、二年か──それくらい前に、トイレの電灯が壊れてしまい、扉の前で待たされたことがあったような。
「はあ……」
成長してるんだか、してないんだか。
「……いるー?」
「いますよ」
すぐに大人になってしまうより、寂しくなくていいけどさ。



2013年10月6日(日)

家族で居酒屋へ行った。
メニューを開いていると、隣席のうにゅほがこちらを覗き込んだ。
「なにあるの?」
「鍋が美味しいらしい」
「なべ、きのうたべたね」
「そうなると、揚げ物と串物くらいだな」
定番である。
「これおいしそう」
うにゅほが指さしたのは、牛もつの唐揚げだった。
「××内臓系好きだよな」
「ないぞうけい?」
「ホルモンとか」
「ホルモンおいしいよ」
「ホルモンは美味しいけど、レバーとかは駄目だな……」
「レバーはちをつくる」
「そんなこと言われても」
店員を呼び、メニューをめくりながら適当に注文する。
何故だかそういう役回りになることが多い。
「炭火を起こしてからになりますので、串のほう少々お時間かかりますが……」
「あ、はい」
「ドリンクはいかがなさいます?」
「えーと……」
即答でビールを注文する両親に苦笑しながら、俺はピーチフィズ、うにゅほは緑茶を頼んだ。
運転手の弟はジンジャーエールである。
「ピーチすき?」
「大好きってほどじゃないけど、ピーチティーにハマってからちょっとな」
「ふうん」
飲み食いしながらしばし歓談する。
「あ、牛もつ唐揚げすげえ美味い」
「ほんと?」
うにゅほがひとくち。
「おいしい!」
「な」
「じゅわじゅわする」
ウルトラマンの顔が脳裏をよぎる。
一時間ほどして腹も膨れたころ、ふと思い出した。
「あれ、串まだ来てないな」
「あ」
家族の顔を見回すと、皆忘れていたらしい。
そのとき、
「お待たせしましたー!」
串を盛った大皿を両手に、笑顔の店員がやってきた。
「──…………」
「──…………」
大きい。
スーパーなどで売られている冷凍焼き鳥の倍はあろうか。
誤算だった、と呟く。
追加注文のあと、ほとんど満腹と言っていいこのタイミングで、こんなものが届くとは。
しかも、鳥串豚串合わせて計二十本である。
「頼みすぎた……」
「う」
同じく満腹のうにゅほが、おなかに手を当ててうめく。
家族で数本ほど消費したのち、
「……持ち帰りで」
誰ともなく、そういうことになった。
明日も焼き鳥だ。



2013年10月7日(月)

「◯◯! ◯◯!」
風呂上がりで髪もまだ乾いていないうにゅほが、寝室スペースから俺を呼んだ。
「どした?」
重い腰を上げると、うにゅほがカーペットの上に足を伸ばして座っていた。
「て、とどいた!」
「どこに?」
「あし!」
「ああ、ストレッチか」
うにゅほの体は猫のように柔らかい。
しかし、何故か前屈だけできない。※1
それをなんとかするため、ふと思いついたときにストレッチをしているようだった。
「爪先まで届いたんだ」
「うん」
以前はぴったり九十度、背中を押すと前に進むような有様だったので、かなりの進歩と言える。
「みてて!」
うにゅほの爪先が反り返る。
限界まで距離を縮めているのだ。
「ぐ、ぬ、ぬ、ぬ……」
右手が段階的に伸びていき、
「ぬ!」
という気合と共に、右足の爪先を掴んだ。
「やた!」
「おー……?」
たしかに掴んだ、の、だが。
右手は伸びている。
しかし、左手は伸びていない。
というか、右半身の前進と引き換えに、左半身が後退している。
「……うん」
進歩は進歩なのだろうが、引っ掛かるところがないではない。
「左手は届かないの?」
「ひだりはとどかない」
「じゃあ、次の目標は左手で爪先を掴むことだな」
「うん!」
ふんす、と鼻息荒く頷いた。
左手も届くようになれば、いずれは両手で爪先を掴むことも可能になるだろう。
立位で指先が床につくのも、そう遠い未来のことではない。
はずだ。
たぶんきっと。
「よし、頑張れ!」
「はい!」
体育会系のノリって、こういうのなんだろうか。

※1 2013年6月25日(火)参照



2013年10月8日(火)

「うーい……」
ボリボリと腹を掻きながら自室を出る。
「おはよ」
「……おはよう」
うにゅほと挨拶を交わし、
「ふあ、あ、あ……」
遠慮のない大あくびをかました。
「ねむそうだね」
「眠れなくてなあ」
眠気があるのに眠れないというのは、なかなかつらいものがある。
「ごはん、なんかある?」
「うーと」
軽く思案し、うにゅほが答える。
「チョコぱひあるよ」
「チョコパフィな」
「あと、ホットケーキあるよ」
「焼いたのか?」
「ううん、はちまいでひゃくえんのやつ」
「あー、菓子パンのやつか」
とにかく腹が減っていた。
なんでもいいから適当につまんでしまおう。
チョコパフィを深皿に流し込み、牛乳を取り出そうと冷蔵庫を開く。
「あっ」
そこに、それは、あった。
「ホイップクリームだ……」
絞り袋そのままの形状をした冷凍ホイップクリームが、そこにあった。
しかも、既に解凍されている。
「あ、きのうかったんだよ」
「これをホットケーキに絞り出せば」
「おいしいねえ」
なんて豪華な朝食だろう。
「××、俺は、ホイップクリームが好きなんだ」
「しってる」
「だから、これでホットケーキをデコレーションしてくれないか」
「いいよ」
うにゅほにホイップクリームを手渡す。
自分で絞り出したなら、昇天ペガサスMIX盛りみたいになることは目に見えていた。
「どらやきみたいにする?」
「しない」
「しないの?」
「挟んだら、ホットケーキ一枚あたりのクリームの量が減る」
「そう……」
苦笑されてしまった。
「ちゅうどくだねえ」
「──…………」
砂糖依存症というのがあるらしいので、笑えない。
「できた!」
「おー」
「きれいにできた」
「さくらんぼをチョンと乗せたら、ひとつ250円くらいで出せそうだな」
「ふへへ」
うにゅほが照れ笑いを浮かべる。
「せっかくだから、××も一緒に食べよう」
「うん」
「手づかみじゃなくて、ちゃんとナイフとフォークを使って……」
「おー」
「チョコレートシロップあるから、網目状に掛けよう」
「ごうかだ」
「豪華だ」
満腹には程遠いが、満足な朝食だった。



2013年10月9日(水)

箪笥の上を掃除していると、古い体重計を見つけた。
新しい体重計を購入したため、お役御免となったものである。
「あれ、こんなとこ置いたんだっけ」
「さあー」
置いた気もするし、置いていないような気もする。
事実あるのだから是非もないが。
「うごく?」
「えーと……」
電源を入れると、液晶画面にデジタル数字が表示された。
「うごいた」
「まだ動くみたいだな」
「あれ、なんであたらしいの?」
「なんで買い換えたんだっけ……」
気分転換とかそういう理由だった気がする。
「売れるかな」
「うるの?」
「いや、でも、箱ないし、汚れてるしな……」
ここ何度かハードオフで買い取り拒否を食らっているので、持っていく気になれない。
「ふるいもんねえ」
「たしか──そう、もう十年くらい前に買ったやつだよ」
「そんなに!」
うにゅほが目を丸くする。
「すごいねえ……」
体重計をなでなでしながら、言葉を継ぐ。
「でんち、じゅうねんももつんだね」
「や、さすがに電池交換くらい──……」
言いかけて、首をひねった。
「……あれ、電池交換なんてしたことあったっけ」
記憶にはない。
「すごいでんち?」
「いや、ふつうのアルカリ電池だと思う」
取り出してみると、予想したとおりパナソニック製のアルカリ乾電池だった。
液漏れはない。
「そうなると、消費電力がめちゃめちゃ少ないのかな」
一回の測定に一分かかるとして、使用頻度を考えると、常に動き続けている腕時計などよりずっと長持ちしそうではある。
「入れっぱなしだと放電しそうなもんだけど」
「すごいたいじゅうけい」
「そういう意味では凄いのかもしれないけど……」
ちら、と新しい体重計を見やる。
「でも、ちょっと誤差があるんだよな、たしか」
新しい体重計を買ったとき、測り比べをした記憶がある。
「じゃあだめだ」
「駄目だな」
「どうしよう?」
「売れないし、捨てるのもなんだし、物置にでも突っ込んでおこう」
「いまのがこわれたらつかう?」
「使う、かもしれない」
新しいのを買うと思うけど。
こうして不要品ばかりが積もり積もっていくのである。



2013年10月10日(木)

所用を済ませた帰り道、ガソリンの残量が一目盛りしかないことに気がついた。
「ちょっと遠回りして、いつものスタンド寄る」
「ガソリン?」
「そ」
「やっていい?」
「いいよ」
うにゅほはガソリンを入れるのが好きである。
セルフスタンドに立ち寄り、ミラジーノを給油機の傍に着ける。
「ほら、カード」
「うん」
うにゅほが給油機を操作する。
「せいでんきじょきょしーと、せいでんきじょきょしーと」
「そんな触らなくても大丈夫だって」
「うん」
うにゅほがガソリンを入れるのは、初めてのことではない。
つつがなく給油を終え、うにゅほから受け取ったクレジットカードを財布に仕舞った。
「そんじゃ、帰るか」
「うん」
ぱた、と。
うにゅほが給油口カバーを閉じる。
「あれ?」
ぱた。
「えい」
ぱた。
「◯◯」
ぱた。
「しまらない」
「見てたからわかる」
何度閉じても、開いてしまうようだ。
「もうすこし強く押せばいいんじゃないか?」
うにゅほと交代し、右手にぐいっと力を篭める。
だが、閉じない。
「──…………」
ぱた。
開く。
ぱた。
開く。
「××、閉まらない」
「うん」
閉まらなかった。
「レバーが下がったままになってるのかもしれない」
「みてみる」
うにゅほが助手席の扉を開き、上半身を突っ込んだ。
ふつうに乗ればいいのに。
「あげたー」
ぱた、と閉じる。
すぐに開く。
「駄目だ、閉まらない」
「もうちょっとあげるー」
がちゃ。
トランクが開いた。
「上げすぎ上げすぎ」
「ごめんなさい」
しばしのすったもんだのあと、結論が出た。
「壊れてる……」
「なんでだろ」
「年式古いから、なにもしなくても壊れるときは壊れるんじゃないかな」
「そっか……」
「ちょっと危ないけど、まずは家に帰ろう」
ぱたっ。
運転席に戻るとき、最後になにげなく給油口カバーを閉じた。
「──…………」
開かない。
「××、閉まった」
「え、なんで?」
「わからない……」
不可解である。



2013年10月11日(金)

「なんだこれ」
玄関で靴を履いていると、うにゅほが下駄箱を指さした。
それは、サナギのような形状をした白い置き物だった。
「なんだろう、見たことないな」
用途はなんとなくわかるが。
「んー?」
うにゅほが下駄箱に近づいた瞬間、
ぷしゅ!
置き物の頭頂から白い霧が噴き出した。
「くさい!」
その場で反転し、うにゅほが俺に抱きつく。
「消臭剤みたいだけど……」
玄関が、爽やかなシトラス的香りに包まれる。
離れていても香るのだから、これを至近距離で浴びたら、それは臭いだろう。
「センサーがついてるのかな」
近づいた途端にぷしゅっ!だと、トラップにしか思えないが。
「うっ──」
うにゅほが上体を軽く反らせ、
「ぷし!」
思いきりくしゃみをした。
当然、密着している俺のシャツに着弾する。
「あー……」
「ごめんなさい」
「鼻水、出てない?」
「でてない」
「なら、まあ、いいや」
ガビガビにはならないだろう。
「しょうしゅうざい?」
「消臭剤だな」
「くさいのに」
「それは至近距離で嗅いだからだろ」
「おきゃくさん、おどろかないかな……」
印鑑を持ってくるあいだに噴霧したりすれば、ちょっと驚く気はする。
「部屋に置いてみるか?」
「いらない!」
初対面からの一発で、すっかり嫌われてしまったらしい。
かの消臭剤に自我があれば、さぞしょげかえっていることだろう。
「あれみたいなんだもん」
「どれ?」
「スカンクのおなら」
「あー、わかる」
通俗におならと称されるが、スカンクのそれは肛門嚢からの分泌液をスプレー状に噴き掛けるものだ。
似ていると言えば似ている。
「よくそんなこと知ってたな」
「うん」
「テレビ?」
「うん……?」
よく思い出せないらしい。
知識って、けっこうそういうものだ。



2013年10月12日(土)

「うう……」
自分の下腹部をさすりながら、うめく。
「おなかいたいの……?」
「おなか痛いの」
「げり?」
「いや、下ってはいないんだけど……」
理由が明確でないぶん、いささか不安ではある。
「◯◯、おなかよわいからねえ」
「弱いんだよねえ……」
よっ、と無意識に呟きながら、ソファに身を横たえる。
「つらい?」
「起きててもつらくはないけど、寝てたほうが楽かな」
「あかだまのむ?」
「さっき飲んだから大丈夫」
心配してくれるのは嬉しいのだが、大仰なので、つい笑いがこみ上げてしまう。
「腹でもさすりながら横になってれば、そのうち治まるよ」
「そっか……」
ふと、うにゅほが小首をかしげた。
「おなかさすったら、なおるの?」
「治るってわけじゃないけど……」
乏しい知識を引き出しながら、訥々と続ける。
「なんだっけ、おなかの周辺には痛みを和らげるツボがいくつかあって、さすってると自然に刺激する──とかなんとか」
「へえー」
聞きかじりである。
「じゃあ、てーどけて」
「ん?」
下腹部に当てていた手を下ろすと、入れ代わりにうにゅほの指先が触れた。
「うひ」
くすぐったい。
うにゅほの手が、恐る恐るといった具合に俺の腹部を撫でさする。
「どう?」
「どうって言われてもな」
子供の時分に戻ったようで、気恥ずかしいというか。
「いたい?」
「まだ痛いけど、苦しくはない」
「もっとさする」
「あー……うん、まあ、頼むよ」
「はい」
されるがままにしていると、いつしか痛みはなくなっていた。
それが時間経過によるものなのか、うにゅほの手当てによるものなのかは、よくわからないけれど。
上体を起こし、口を開く。
「……おかげでだいぶよくなった。ありがとな」
ぐりぐりと頭を撫でた。
「どういたしまして」
「××の頭が痛くなったら、こうして撫でてあげよう」
「あたまもきくの?」
「試してみないと」
たぶん効かないだろうが、気は紛れるかもしれないと思った。



2013年10月13日(日)

煮出した烏龍茶を冷蔵庫で冷やし、常飲している。
うにゅほはコップに注いでから飲むが、俺は飲む量が多いので、1.5リットルのペットボトルに直接口をつけている。
「──…………」
作業の途中にふと喉が乾いたので、ペットボトルに手を伸ばした。
中身をあおろうとして、
「ぶっ」
ペットボトルの蓋にキスをした。
キャップを閉めたことを忘れていたのだ。
「ぷふ!」
吐息と呼ぶには勢いのある音のほうを見やると、うにゅほが口元を押さえながら明後日の方向に視線を向けていた。
見られていたらしい。
「笑ったなー……」
「わらってないよ」
「じゃあ、今の音はなんだ?」
「……おならだよ?」
その言い訳はどうなんだ。
気恥ずかしさを誤魔化すように、口を開く。
「××だって、これくらいするだろ」
「するけど、わらっちゃったんだもん」
「それはまあ仕方ないけど」
うにゅほが同じことをしたら、吹き出してしまう自信があるし。
「ながら、でやってると、よくあるよな」
「ながら?」
「見ながら、しながら、聞きながら」
「あー」
「××も、こないだ同じようなことしてたし」
「なんだっけ」
「テレビ見ながらアイス食べてて、何度か棒だけ噛んでたじゃん」
「……みてた?」
「見てた」
アイスをなかばほど食べ進んだあと、横にするのを忘れて齧りついていたようだ。
「ちょっとはずかしい」
「自分ひとりしかいなくても、ちょっと恥ずかしいもんな」
「?」
うにゅほがきょとんとして、
「そかな」
と呟くように答えた。
「あれ、ピンとこない?」
「うん」
「立ったまま靴下履こうとしてバランス崩してソファに避難したときとか……」
「すわってはく」
「いや、うん、そうか」
そういうことではないんだけど。
なんとなく会話が途切れたので、今度はちゃんとキャップを捻り、色の薄い烏龍茶を喉元へと流し込んだ。



2013年10月14日(月)

近所のTSUTAYAはレンタルコーナーが二階にある。
たん、たん、と軽やかに踊り場まで駆け上がったうにゅほが、くるりとこちらに振り返った。
何を言うでもなく、にこやかに俺を待っている。
そんなうにゅほの姿を見て、不意に昔のことを思い出した。
俺たちは、いつだって手を繋いで歩いていた。
仲が良かったとか、好き合っているとか、そういった理由ではない。
ただ、不安だったからだ。
手を離すと、すぐに姿を消して、二度と帰ってくることはない。
そう思わせるような危うさを、俺はうにゅほに感じていた。
繋ぎ止めていなければ、安心できなかった。
「──…………」
だが、今は違う。
目を離しても、すぐに戻ってきてくれるのだと、予感じみた確信がある。
よく懐いた犬のようだ──などと言えば、うにゅほは怒るだろうか。
決まっている。
喜ぶだろう。
「きょうはなにかりるの?」
「そうだな──」
踊り場に足を掛けて、うにゅほの手を取った。
「こないだ借りて、見る前に返したやつ、もっかい借りようかな」
「? うん」
一瞬だけ不思議そうな顔をして、うにゅほは俺の手を握り返した。
繋ぐ必要はない。
繋ぎたいと思っただけだ。
DVDを物色しながら、思った。
バカップルとか、リア充爆発しろとか、現在進行形で思われてるんだろうな……。



2013年10月15日(火)

二年前の今日、俺はうにゅほと出会った。
時雨降る夕刻のことだった。
それはそれとして、今日はうにゅほの誕生日でもある。
「……あふぁ」
あくびをかましながら自室を出ると、テレビを見ていたうにゅほがこちらに気づいた。
「あ、おはよー」
「おはよ、あと誕生日おめでとう」
「ありがと」
誕生日には外食をするのが我が家の慣例だが、今日は母親の都合が悪いので、明日に順延である。
でも、ケーキくらいは今日でいいだろう。
身支度を整え、うにゅほに声を掛ける。
「誕生日ケーキ買いに行くけど、自分で選ぶか?」
「えらぶ!」
気持ちのいい返事に頬を緩ませながら、玄関を抜けた。
近所の不二家には客がいなかった。
「どれがいい?」
「うーと……」
しばし悩んだのち、
「◯◯はどれがいい?」
「自分で選ぶんじゃないのか」
「◯◯がえらんだのえらぶ」
「……まあ、いいか」
ホワイトチョコ生ケーキのMサイズを指さし、店員に尋ねる。
「誕生日用のネームプレートってあります?」
「はい、ございますよ」
「じゃあ──……」
隣を見ると、うにゅほと目が合った。
本人の目の前でネームプレートを頼むのもどうだろうかと思ったが、うにゅほも俺もそんなことを気にする性格ではない。
チョコプレートに「HAPPY BIRTHDAY ××ちゃん」と書いてもらい、帰宅した。
夕飯は湯豆腐だった。
食後の腹ごなしにバースデーソングを歌い、うにゅほの誕生日を祝った。
弟のプレゼントは、冬用のコートに合いそうなマフラーだった。
両親からは3000円分の図書カード、祖母は剥き身で樋口一葉だった。
ぶれない。
「ありがとう!」
笑顔で家族に礼を言いながら、うにゅほがちらりとこちらを窺う。
ちゃんとあるから。
自室へ戻ったあと、デスクの引き出しから深緑の小箱を取り出した。
「はい、プレゼント」
「わあ!」
小箱を受け取り、上目遣いでそわそわと尋ねる。
「あけていい?」
「いいよ」
うにゅほが小箱の蓋を開ける。
「……くし?」
「そう、つげの櫛。
 歯の折れたブラシ、ずっと使ってるみたいだから」
「つげ」
「つげって名前の木が材料なんだよ」
「へえー」
持ち手に彫り込まれた椿の花を指先でなぞり、呟く。
「きれい……」
「気に入ったか?」
「うん」
「そっか、よかった」
「なんかべたべたするね」
「椿油を染み込ませてあるんだってさ。
 ──ああ、そうだ」
うにゅほから櫛を受け取り、ソファに腰を下ろす。
「髪、梳かしてもいいか?」
「いいの?」
「こっちが聞いてるんだけど……」
「いいよ」
俺の隣に腰掛け、背中を向ける。
さらさらのロングヘアに、恐る恐る櫛を入れた。
「──…………」
空気を梳いているようだ、と思った。
しばらく、なにも言わずうにゅほの髪を梳いていた。
リビングから届くテレビの音だけが、心地よい無音にさざなみを立てていた。



2013年10月16日(水)

あまりの寒さに飛び起きた。
掛け布団がソファの下にずり落ちていたことも原因のひとつだが、根本的に気温が低いようだった。
半纏を羽織って自室を出ると、うにゅほがカーペットの上で膝を抱えて丸まっていた。
「うー……」
低くうめいている。
「どうした?」
「さむい」
「外の気温、4度だってさ」
「さむいー!」
転がる。
具体的な数値を聞いて、余計に寒くなったらしい。
「寒いなら寒いで、もうすこしあったかい格好をすればいいじゃないの」
「いえでうわぎきたくないもん」
「気持ちはわかるけど、靴下くらい……」
うにゅほの素足に触れる。
「つめた」
「あったかー……」
「よし、摩擦熱であたためてやろう」
「うひや、いひゃひゃひゃ!」
足に触れると反射的にくすぐってしまうのは、人間の性であろう。
「ひー」
ひとしきり笑わせて、多少は暖まった気がする。
しかし、抜本的な解決には至らない。
「ストーブだめ?」
「灯油使い切ってるから、買ってこないと駄目だ」
「うー……」
手のひらをこすり合わせながら、うにゅほがうめく。
仕方ない、と苦笑した。
「ほら、手でも繋いどこう」
そう言って取ったうにゅほの手のひらは、随分と冷えきっていた。
「あったかい」
「××が冷たいんだよ」
「ににんばおりしていい?」
「いいよ」
ふたりで同じ半纏を着ながら、見るともなくテレビを眺めていた。
くっついてると、あったかい。
一日遅れの誕生祝いということで、夕食は回転寿司だった。
生のずわいがにはエビの味がする。



2013年10月17日(木)

祖母の買い出しに付き合い、大量の荷物と共に帰宅した。
「よい──っしょ、と」
パンパンのエコバッグを両手に提げる。
「あ、にもつ」
「こっちはいいから、婆ちゃんのカート片付けてくれ」
「はーい」
自室に戻って一息つくと、なんだか体がぽかぽかしていた。
思いがけず、そこそこの運動になっていたらしい。
「はー……」
上着と靴下を脱ぎ去り、ソファにだらしなく腰掛ける。
「おつかれ?」
「一気に買い込むんだもんなあ」
「おもかった?」
「重いのより、手のひらに食い込んで痛い」
軍手の常備を検討する。
「でもまあ、そのおかげであったかく──……」
ぶるっ。
背筋が震えた。
さっきまで体が暖まっていたはずなのに、もう寒い。
上着まで脱ぐんじゃなかった。
「……××、寒くないの?」
アウターをハンガーに掛けている最中のうにゅほに、そう尋ねた。
「さむいけど、あさよりさむくない」
「それはそうだろうけど」
自分の体を掻き抱くようにして、両の二の腕を摩擦する。
「なんか、寒いってより寒気がする」
「だいじょぶ?」
「風邪ってほどじゃない。急に冷え込んだから、寒さにまだ慣れてないんだろう」
実際の気温はどうあれ、毎年この時期がいちばん寒く感じるような気もするし。
「はんてん、はい」
「さんきゅー」
うにゅほから半纏を受け取り、羽織る。
「あったかい?」
「あったかいな」
たっぷりと綿が入っているので、ふかふかして気持ちがいい。
「でも、半纏って首のあたり無防備だよな」
「マフラーする?」
「嫌だよ、家んなかで」
「じゃあ、うーと、じゃあ……」
うにゅほが俺の隣に座り、もぞもぞと怪しい動きを見せる。
なにをするのか楽しみに待っていると、
「はい!」
ぱさ。
なにやらよくわからないものが首筋を包み込んだ。
うにゅほの髪の毛だった。
「かみマフラー」
一周するには長さが足りないが、なるほど襟首は暖かい。
「──…………」
しかし、くすぐったい。
暖かいのは髪マフラーではなく、うにゅほの顔が近いからのような気もするし。
「あったかいけど、この状態じゃ身動き取れないな」
「そだね」
さらさらと流れていく髪の毛の感触が、名残惜しいような、そうでもないような。
「××、自分で首に巻いたりしないの?」
「しない」
「しないのか」
「くすぐったいもん」
「くすぐったいのかよ」
自分でくすぐったいものを、人に勧めるんじゃありません。



2013年10月18日(金)

伯父の経営する床屋へ髪を切りに行った。
日記で確認したところ、実に三ヶ月ぶりの散髪となるらしい。
伸ばしたくて伸ばしていたわけではない。
今年の6月頃に発症した円形脱毛症が完治していないのである。※1
産毛くらいは生えているが、アスファルトに咲く花くらいの密度に過ぎない。
「きってだいじょぶなの?」
「いや、俺も初めて知ったんだけど──」
ニット帽を脱ぎ、蓬髪を掻き上げる。
「あんまり長くても、逆にへこむみたいなんだよな」
「うん」
うにゅほが頷く。
気づいてたんなら言ってくれよ。
「おい、切らないのかー?」
「いま行くー」
伯父に急き立てられ、理容椅子に腰掛ける。
ハゲが見えない程度に切ってくれ、と伯父に注文し、眼鏡を外した。
──三十分後、
「──…………」
鏡のなかに、イジリー岡田がいた。
これはまずい。
これは、ない。
ハゲが見えてもいいから可能な限り短くしてくれ、と伯父に再び注文し、不安を抱いたまま眼鏡を外した。
──十分後、
「……よし、よし、さっぱりした!」
ケープの下で小さくガッツポーズをする。
「これがギリギリだな」
「ごめんね、文句ばっか言って」
「それが商売だからな。
 短くしたあと、元に戻してくれって言われても困るけど」
伯父と談笑していると、
「とこや、おわった?」
うにゅほが待合室から顔を覗かせた。
「終わった。どうだ?」
「おー!」
ぱん、と両手を打ち鳴らす。
「わかがえった!」
老けてたのか、俺は。
「××、ほら、見てみろ」
伯父が、足元を示す。
「◯◯の髪、こんなに切ったんだぞ」
「うわっ」
うわっ、とか言うな。
野放図に生やらかしていた蓬髪の三分の二を切り落としたのだから、小山くらいはできようというものだ。
「すごいねえ……」
「すごいだろう」
「なにかにつかえそう?」
「聞かれても」
「ぬいぐるみつくるとか」
「……自分の髪に言うのもなんだけど、怨念とか篭もってそうで嫌だな」
「うーと、じゃあ──」
うにゅほが素晴らしいアイディアを思いつく前に、かつて俺だったものはチリトリのなかへ吸い込まれていった。
もし使い道があるのなら、全国の床屋と提携して髪の毛を回収する業者なんかがいそうなものだが、寡聞にして聞いたことはない。
アミノ酸とか絞れそうだと思うけど。

※1 2013年6月5日(水)参照



2013年10月19日(土)

父親が飲みに行くというので、車で送迎することになった。
面倒だが、仕方ない。
「わたしもいく……」
腕時計の竜頭を巻いていると、うにゅほがよたよたと上着を羽織り始めた。
「おなか、大丈夫か?」
「なおった」
「嘘つきは嫌いだぞ」
「……だいぶ、よくなった」
まあ、いいだろう。
行って帰ってくるだけだしな。
「おお、××も送ってくれるのか。お父さん幸せ感じちゃうなあ!」
この親父、既に酔っ払っている。
北24条の飲み屋街まで父親を送り届け、うにゅほを助手席に移動させたあと、来た道を取って返した。
「かえるの?」
「帰るよ」
「よらないの?」
「どこに?」
「どっか」
「特に行きたいところはないけど、このまま帰りたくはないんだな」
「うん」
無茶振りである。
「どっかって言われてもなあ……」
「◯◯、いきたいとこない?」
「あったら最初から寄ってると思うんだけど」
行きたい場所、行きたい場所、と口のなかで繰り返して、なんとか捻り出した。
「帰り道にセカンドストリートあるから、そこ寄ってこう」
「せかん?」
「リサイクルショップ」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「冬用のコート、そろそろ買い替えないとだから」
「ふるぎにするの?」
「いや、何年も着るものだからな。
 どんな種類のコートがいいか、当たりをつけておこうかと思ってさ」
「なるほど」
帰途にあるセカンドストリートに立ち寄ると、店内では既に蛍の光が流れていた。
時刻を確認すると、閉店時間まであと十分ほどしかない。
「さっと見て、ぱっと帰ろう」
「うん」
早足で店内を巡る。
「あれ、コートないなあ」
「ないねえ」
「まだ十月だから、冬物売ってないのかな」
「さむいのに……」
「今朝、コンテのフロントガラスに霜が降りてたってさ」
「……あき?」
「暦の上では」
北海道に適用するのは無理があると思わないでもない。
「釧路では雪が降ったらしい」
「わあ……」
うにゅほが眉をひそめる。
「冬、嫌いだったっけ?」
「きらいじゃないけど、まだはやい」
たしかに。
今年も豪雪になるだろう。
覚悟しておかねば。



2013年10月20日(日)

あてのないドライブの最中、通りがかりに個人経営の薬局を見つけた。
化粧水が切れていたことを思い出し、来た道を取って返す。
「くすりや、よるの?」
「寄ろうかなって」
「なにかうの?」
「化粧水」
「ふうん……」
「××には面白くない店かもなあ」
「ツルハすきだよ」
「ツルハとはかなり違う。
 個人商店だからね。
 狭いなかに見たことない商品がひしめいてるから、ごちゃごちゃして面白いと言えば面白いけど……」
「けど?」
「店主がすぐそばにいるから、長居はしづらい」
「あー……」
うんうんと頷く。
隣にあったセイコーマートの駐車場を借り、薬局に入店する。
「いらっしゃい」
定年あたりをうろうろしているような白髪の店主が、朴訥そうな声音でそう言った。
「わあ……」
物珍しげに店内を見回す。
「せ」
と、なにかを言いかけ、うにゅほは慌てて口をつぐんだ。
店主の前で会話をするのが憚られたのか、あるいは「せまいねえ」などと素直に漏らしかけたのか。
後者のような気がする。
「これとこれ、お願いします」
普段使っている化粧水を手に、会計を求めた。
お釣りを受け取ったあと、店主が言う。
「はい、おまけね」
おまけ?
そういうサービスをやっているのだろうか。
店主が、半透明のビニールポーチをおもむろに差し出した。
なにか入っている。
「プリン?」
誰にともなく、うにゅほが呟いた。
たしかにプリンに見える。
というのも、三個の小さなカップが厚紙で綴じられていたからだ。
でも、なんでプリン?
「これ、ポイントね。溜まったら500円割り引くから」
店主が好々爺然とした笑みを浮かべ、薄緑色の紙をビニール袋に差し入れた。
その場で確認するのも失礼かと思ったので、一礼して薬局を辞した。
「あけていい?」
外へ出た瞬間、うにゅほがうきうきした様子で尋ねた。
「ああ、俺も気になる」
「プリンかなあ」
パックを取り出し、でかでかと書かれていた商品名を読み上げる。
「──……一膳なめ茸」
「なめたけ?」
「なめたけ……」
「プリンじゃないの?」
「プリンではないな……」
考えてみれば、化粧水のおまけにプリンというのも妙な話だ。
おまけになめ茸というのは妙な話じゃないのか、と問われれば、閉口するほかないが。
「なめたけ、おいしいのかな」
「まずくはないと思うよ」
個人経営はフリーダムである。



2013年10月21日(月)

シャワーを浴びて自室へ戻ると、うにゅほがソファで横になっていた。
「寝てる?」
「──……ふすー」
「……ツタンラーメン、ファラオ味」
「──……すー」
寝ている。
へそが見えている。
無防備である。
「──…………」
ふつふつと、ある衝動が浮かび上がってきた。
いたずらしたい。
うにゅほの寝顔を見ていると、しなければならないという責務すら感じる。
しかし、なにをどうすべきだろうか。
性的なものは当然却下するとして、なるべくなら直接的な接触をせずに事を済ませたい。
「ふむ」
夢を操る、というのはどうだろう。
意識は眠りについていても、感覚機能は常に働いている。
五感に刺激を与え、夢の内容をある程度任意に操作することはできないだろうか。
「──…………」
箪笥の上に飾っているビッグねむネコぬいぐるみを手に取り、安らかな眠りについているうにゅほのおなかの上に置いてみた。
腹部に重みを感じると、悪夢を見やすいと聞いたことがあった。
──十分後、
「──……ぷすー」
変化なし。
ねむネコでは軽すぎたかもしれない。
では、次だ。
部屋用の消臭剤を、枕元にそっと置く。
匂いが強すぎることで俺とうにゅほの顰蹙を買った消臭力(フルーツキャンディの香り)である。
「──……ふす?」
疑問形?
うにゅほの鋭敏な鼻がぴくぴくと動き、
「ほっ──……ぷし!」
小さなくしゃみをした。
しまった、起きたか?
慌てて消臭力を所定の場所へ戻し、それとなくうにゅほの様子を観察する。
「──……ぴすー」
寝ている。
熟睡である。
「……うーむ」
くしゃみはちょっと面白かったが、当初の目的はあくまで夢の操作だ。
あまり強い刺激はよろしくない。
「あれしかない、か」
口のなかでそう呟き、部屋の隅へ移動する。
ストーブから灯油タンクを引き抜き、蓋のあたりをそっと撫でた。
うにゅほは手についた灯油の匂いが好きである。※1
好きな匂いを嗅がせることでリラックス効果を誘起させ、ひいては良い夢を──
「……灯油が出てくるいい夢ってなんだ」
謎である。
とにかく嗅がせてみよう。
「──……!」
うにゅほの表情が変わった。
「──……すん、すん、はー……」
鼻の穴を広げながら、満足げに俺の指を嗅いでいる。
どんな夢を見ているのだろう。
たっぷり五分ほど嗅がせたあと、うにゅほをそっと揺り起こした。
うにゅほは、夢を覚えていなかった。
なんかそうなる気はしてた。

※1 2012年2月11日(土)参照



2013年10月22日(火)

父親が仕事用のデジカメを新調したので、SDカードを買ってくるよう頼まれた。
「♪っ」
ヤマダ電機が好きなうにゅほはご機嫌である。
「ななーにかうううの?」
マッサージチェアに揺られながら、うにゅほが何度目かになる質問をした。
「だから、SDカードだってば」
「えすでぃーかーどって、なに?」
「撮った写真を保存するもの」
「……?」
「リスで言うと、木の実を食べる口がデジカメで、木の実をためておく頬袋がSDカード」
「ふうん?」
我ながらわかりにくい喩えである。
SDカードのコーナーへ行くと、無数の紙札が什器を飾っていた。
商品をレジで受け取るシステムだ。
「たくさんあるねえ」
うにゅほが適当な札を手に取る。
「さんじゅうに、じーびー」
「32ギガな」
「どれかうの?」
「どれも大差ないとは思うけど、いちおう確認はしてきた」
「かくにん?」
「古いデジカメで使ってたSDカードは認識したから、似たようなの買ってけば間違いないだろ」
「なるほど」
「えーと……」
iPhoneのロックを外し、先ほど撮影した写真を呼び出す。
「RSDC──って書いてある」
「あーるえすでぃーしー」
「そう書いてあるのを探してくれ」
「はい」
紙札をひとつひとつ確認していく。
「……あれ、ないなあ」
「でぃーえっちしーしかないねえ」
「Sが抜けてるぞ」
見つかるのは、SDHCとSDXCの二種類ばかりだ。
パンフレットがあったので目を通してみると、SDHCは記憶容量4ギガから32ギガまでに使われる名称で、SDXCはそれ以上のものを指すらしい。
「じゃあ、RSDCってなんだ?」
「さあー」
iPhoneを取り出し、検索してみる。
「──…………」
バッファロー製のメモリーカードに使われる型番だった。
まぎらわしい。
「どれかうか、わかった?」
「わかった」
「どれ?」
「2000円くらいの手頃なやつならどれでもいいや」
「じゃ、これにしよう」
「そうしよう」
うにゅほが選んだ紙札を受け取り、確認もせずレジへ向かった。
SDカードは、なんの問題もなく認識された。



2013年10月23日(水)

なんか暇だったので、ヨドバシカメラ札幌店まで足を伸ばした。
「ヤマダ電機は昨日行ったからなー」
「でんきやさん、すきだねえ」
好きというか、特に行きたい場所がない。
揃って出不精である。
立体駐車場の五階と七階がふわっとした感じで封鎖されていたので、六階の適当なところに停めた。
定期的な修繕工事かなにかだろう。
「ね、なにかうの?」
「なにを買えばいいんだろう」
「きまってないの?」
「決まってない」
「なにしにきたの?」
「ひまつぶし」
「そう……」
うにゅほが、なにか打ち消しているような、もにょもにょした表情を浮かべる。
「でも、電器屋って楽しいじゃん」
「うん」
「ヤマダよりヨドバシのほうが品揃えいいから、一緒に見て回ろうかなって」
「……うん」
電器屋デート、という言葉もあるそうだし。
「欲しいものって言えば、真っ先に出てくるのはタブレット端末かな」
「たぶれっと?」
「簡単に言うと、でかいiPhone」
「ほー」
うにゅほの瞳が輝いた。
「なめこもでかい?」
「でかいんじゃないかな」
「へえー」
iPhone=なめこの収穫らしい。
よく飽きないものだ。
「でも、iPadって高いんだよな……」
「どんくらい?」
「三万とか四万とか、いいのだと五万とか」
「たかい!」
「そんなもの買う前にコートを新調しないと冬が越せないですよ」
「ですね」
「あとは、空気清浄機とかかな」
「ほしいの?」
「ほら、冬は換気がしにくいから、どうしても空気が篭もるだろう」
「あー」
「だから、いいのがあればなーと思ったんだ、け、ど──……」
ちょうど、空気清浄機のコーナーに差し掛かった。
「高いな」
「たかい……」
「空気清浄機も諦めよう」
「そだね」
立ち寄らず、通り過ぎた。
「あとは?」
「えー、そうだな。うちの掃除機ってそろそろ限界だと思うんだよ」
「そかな」
「もうすこし小さくてハイパワーならなー」
「さっき、ちいさいのあったよ」
「あれ、気づかなかった。いくらくらいのやつ?」
「ごせんえんくらい?」
「えっ?」
いささか安すぎはしないだろうか。
「こんくらいのやつだよ」
広げられた両手を見て、理解した。
「ハンディクリーナーか」
「はんでぃりーなー?」
「小回りのきく小さな掃除機だよ。
 そうかー、ハンディクリーナーかー……」
デスク周りの掃除にいいかもしれない。
掃除機コーナーで実物を撫でまわし、帰宅してからネットで注文した。
ネット通販のほうが安いんだもん。



2013年10月24日(木)

「◯◯ー!」
俺の名前を元気に呼びながら、うにゅほが自室のドアを開いた。
「これみつけた!」
その手には、折り紙の束があった。
和紙製の折り紙で、一片が7.5cmと小さめである。
「懐かしいなあ」
「つるがおれない」
「鶴、けっこう難しいからな」
「うらにおりかたあるけど、よくわかんない……」
言われて裏返す。
「あー、なるほど。これじゃ、わからなくても仕方ないわ」
なにしろ、最低限のことしか記されていない。
これだけを見て鶴が折れるようなら、それはそれで稀有な才能だろう。
「◯◯、つるおれる?」
「折れるぞ」
「おしえてくれる?」
「いいとも」
お手本の鶴を折りながら、訥々と折り方を教授していく。
何年も折っていないと結構忘れているもので、内心ひやひやしながら折りきった。
「できた!」
「なんとか鶴になったな」
くしゃくしゃの鶴を見て、そっと苦笑する。
「おりがみちいさいんだもん」
「慣れれば綺麗に折れるよ」
「◯◯の、ぴしっとしてる」
「そりゃあ、折り鶴を趣味にしてたこともあるからな」
「おりづる、しゅみ?」
我ながらわけがわからないが、事実である。
「早く折ったり、小さく折ったり、繋がったのを折ってみたり、いろいろ」
「へえー……」
「今はもうできないけどな」
何年前のことだったか、それすらよく思い出せない。
「はやいの、どんくらい?」
「ちゃんと測ったことないけど、一分半くらいだったかな」
「はや……い、の?」
「さあー」
比較対象がない。
「じゃ、ちいさいのは?」
「五円玉くらい」
「ちいさい!」
うにゅほが親指と人差し指を近づけながら、
「これくらい?」
と尋ねた。
俺はにやりとした。
「五円玉それ自体じゃなくて、五円玉の穴くらいだよ」
「?」
「これくらい」
震える指先で5mmを示す。
「うそだー」
うにゅほが、またまたーという表情を浮かべる。
「写真あるぞ」
「えっ」
「たしか、このあたりのフォルダに──……あった」
「ちっちゃ!」
うにゅほを驚かせることができたので、満足である。
二度と折れる気はしないけど。



2013年10月25日(金)

昨夜の夕食の雑炊が余っていたので、ごはんと水を継ぎ足して適当に味を付けてみた。
「おいしい」
「な、味噌と粉チーズは合うんだって」
「ふしぎなかんじだねえ」
熱々の味噌雑炊にふたりで舌鼓を打つ。
「でも、ごまあぶら、よくわかんないね」
「完全に味噌に負けてる。最後に入れればよかったな」
「うん」
半分ほど食べ進んで、気が付いた。
「……ちょっと物足りないな」
うにゅほが、おなかをさすりながら、こくりと頷いた。
「なんかつくる?」
「まだ雑炊残ってるし、継ぎ足してべつの味にしてみよう」
「いいねー」
「さっきは俺が味付けしたから、今度は××やってみるか?」
「やるー」
茶碗の中身を掻っ込み、台所へ戻る。
「どうするんだ?」
「うーと……」
がさごそと調味料を漁り、
「コンソメあった」
「コンソメか」
下味として味噌が残っているはずだが、どうだろう。
味噌の風味を打ち消してくれるような気がしないでもないけど。
「あと、あと、ふりかけ!」
丸美屋のすきやきふりかけを掲げながら、うにゅほが得意げに言った。
「雑炊にふりかけ……?」
「うん」
「あとからかけるのではなくて?」
「にる」
ふりかけの妙味であるサクサク感が完全に殺されると思うのだが、調味料として使うのであれば、うーん?
「……まあ、試してみればわかるか」
「うん」
「じゃあ、最後に粉チーズを」
「えー……」
うにゅほが不満げに眉根を寄せる。
「こなチーズすきだねえ」
「俺、粉チーズをかけて不味くなる料理って基本的に存在しないと思うんだ」
「あまいのは?」
「甘いものはお菓子」
「ふうん……」
ぱたん。
会話をしている間に、粉チーズを仕舞われてしまった。
「あと、たまごいれる」
「定番だな」
ぐつぐつ煮込んで、
「できた!」
さっそく味見してみる。
「あ、悪くないな」
「でしょ」
「ふりかけに入ってたゴマが、ちょっといいかんじ」
「ごまりべんじ」
「逆襲のゴマ」
ふたりで笑い合いながら、雑炊を頬張った。
楽しい昼食だった。



2013年10月26日(土)

注文していたハンディクリーナーが届いた。※1
「でっかいねえ」
「部屋で見ると、思ったよりごついな」
デスク周りで使うと、なにもかも吸い尽くしてしまいそうだ。
「ふつうのそうじきじゃだめなの?」
「部屋に欲しかったの!
 ほら、電源入れてみよう」
「うん」
異常に長いコードを解き、コンセントにプラグを差し込む。
「いいぞー」
「はい」
うにゅほが電源をONにする。
──ぶおおおおおおおおおおおおおおおおお!!
「わ!」
「うるせえ!」
慌ててOFFにする。
「びっくしした」
「サイクロンで手元だから、覚悟がいる音量だな……」
同価格帯なら可能な限りハイパワーを、と俺のゴーストが囁いた結果である。
「……まあ、深夜に使わなければ、いいか」
「そだね」
たしかにうるさいが、会話できないほどではないし。
「さて、吸引力はどうだろう」
フロアブラシを装着し、カーペットを掃除してみる。
ずぼぼぼぼぼぼ。
「おお、吸い付く吸い付く」
「ほおー」
うにゅほに取っ手を渡す。
「おおおおお」
「な、吸うだろ?」
「うん!」
「うちの掃除機の、なんと弱っていることか」
「うん……」
さすがに十年は使っていないと思うが、それくらい古い。
「そうじき、すてるの?」
「いや、用途が違う。
 こんなので家中掃除してたら、腕パンパンになっちゃうよ」
「?」
「隙間とか、高いとことか、ふつうの掃除機が難しいところを掃除するの」
「おー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「じゃあ、さっそく掃除してみるか」
「はい」
──十分後、
「……腕がパンパンだ」
本体重量は2kgだが、コードが重い。
取扱説明書で確認したところ、6mもあるらしい。
どこまで行くことを想定しているのだ。
「かみパック、ないの?」
「サイクロンだからないよ」
「どうするの?」
「ここ押して、ケースを外して──」
ころん。
毛玉が排出された。
「たまだ」
「ホコリと髪の毛が絡まり合ってるな」
「こんなにおちてたんだねえ」
「言っとくけど、ほとんど××の抜け毛だからな」
吸引力の弱まった掃除機では吸えなかった長髪が、まとめて絡まったものらしい。
「うへへ……」
「何故照れる」
ともあれ、部屋の清潔度がさらに上がりそうである。

※1 2013年10月23日(水)参照



2013年10月27日(日)

うにゅほは、日付が変わる前に就寝し、午前六時ごろ起床する。
「──……う」
もぞもぞと布団が動き始めたかと思うと、前触れなく上体を起こし、目蓋を下ろしたまましばらく左右に揺れる。
そのうちに、だんだん目が開いていく。
「……あれ…………」
目が合った。
「おはよう」
「おはよ……?」
目をこすりながら、うにゅほが問う。
「てつやしたの?」
「……眠れなかったんだよ」
あふ、と生あくびが漏れる。
体は睡眠を欲しているのに、神経ばかりが爛々と冴えている。
困ったものだ。
「横になっててもつまらないだけだから、眠気が出るまで起きてるよ」
「そっか」
そう頷き、うにゅほは柔和な笑みを浮かべた。
さして珍しいことでもないので、同棲しているうにゅほの理解は深い。
「着替えたら、洗濯するのか?」
「うん」
「じゃあ──」
物干しを手伝おうかと思ったが、窓の外は生憎の空模様だ。
屋内で干すとなれば、図体の大きい俺は、かえって邪魔になると思った。
「朝ごはん、は……」
扉の外から忙しない音が聞こえてくる。
母親は、既に朝食の支度に取り掛かっているらしい。
「──…………」
効率よく回っているところに気まぐれで混ざるのは、迷惑でしかない。
「……部屋でおとなしくしとく」
「そう?」
うにゅほが小首をかしげた。
午前十時を過ぎたあたりで、ようやく眠気が訪れた。
「ふぁ──……ふ」
「あくびながい」
「このまま夜まで起きていられれば、体内時計も狂わずに済むのになあ」
既に狂っているという意見は一時保留しておく。
「ねれないよりいいよ」
「かもしれない」
うにゅほの寝床に全身を沈め、呟く。
「俺、調子悪いのかなあ……」
「え!」
うにゅほが驚いた。
「きづいてなかったの?」
「──……?」
言葉の意味が理解できなかった。
「かおいろ、ずっとわるいよ」
「え、まじ?」
ぺたぺたと頬に触れる。
「やすんだほういいよ」
「……そうする」
掛け布団を頭までかぶり、目を閉じた。
起きると午後四時だった。
すこしだけすっきりした気がする。



2013年10月28日(月)

左肩と人差し指に痛みがあったので、整形外科を受診した。
人数のわりに長い待ち時間とX線撮影を経てようやくお目通りのかなった医師に、
「目に見えて悪いところはないですね」
と言われてしまった。
うにゅほは安堵していたが、なんだかなあという気分である。
「日常的に運動なんてされてます? 草野球とか」
「したことないです」
「お仕事で、肉体労働なんかは」
「しないです」
「左肩、脱臼された経験とか……」
「ないです」
医師が困惑の表情を浮かべ、
「なにか、心当たりないですか?」
と尋ねた。
心当たりと言われても、あったら最初に言っている。
「うでたては?」
うにゅほが口を挟んだ。
「腕立てってなあ……」
いくらなんでもそれくらいで。
「いえ、強度と回数によっては痛めることもありますよ」
「そうなんですか?」
「ええ。参考までに、どの程度──」
「すごいです」
うにゅほが食い気味で答えた。
「すごくはないだろ……」
俺の呟きは医師に届かなかったようで、
「腕立て伏せはしばらく控えてください」
と、注意されてしまった。
そういうことに決まったらしい。
「あと、人差し指のほうなんですが──」
こちらも大したことはなかったが、いちおうテーピングの必要があるらしく、うにゅほが看護師から巻き方を教わっていた。
太巻きにされないことを祈る。



2013年10月29日(火)

自室のドアは立て付けが悪い。
開けにくいのはまだしも、閉まりづらいのが難点で、こつんと突っ掛かってから、もう一度力を込めなければならない。
家人が退室するときは、ほんのわずか隙間が開いているのが常である。
「んじゃしつれーい」
書類をコピーした母親がリビングへと戻っていく。
こつん。
──…………。
本来、「こつん」のあとに「かちゃ」がなければならない。
「──…………」
互いに視線を交わすと、うにゅほが無言で立ち上がった。
かちゃ。
きちんとドアが閉じられる。
「ふう」
「ちゃんと閉めてくれって言ってんのになあ」
母親からすれば、俺たちがここまで神経質になる理由がわからないのだろう。
部屋のなかにいれば、それは明白である。
つまり、
「テレビ、うるさいもんねえ……」
うにゅほの一言に尽きる。
薄い壁を隔てた隣にリビングのテレビがあるという家具配置上、騒音が漏れることは避けようがない。
しかし、音とは本来的に空気を振動させて伝わるものである。
ドアにほんのわずか隙間があるだけで、リビングから漏れ出す騒音は、体感で1.5倍にもなるのだ。
「……まあ、ずっと部屋にいないとわからんわな」
「そだねえ」
うにゅほが苦笑する。
「あ、でも、(弟)はちゃんとしめる」
「あー、そうかもな。そうだろうな」
「だろうなの?」
「ほら、ずっと前はこの部屋を兄弟で使ってたって言ったろ」
「うん」
「部屋を真ん中で仕切って、寝室側──ふだん使ってるドアのあるほうが弟の領地だったんだよ」
「あ、だから」
「うるさいのがわかってるんじゃなくて、立て付けの悪いドアを閉め慣れてるんだろ」
「あー」
うにゅほがうんうんと頷く。
「じゃあ、◯◯はどこからでてたの?」
「そこ」
本棚で塞がれたドアを示した。
「そか、それドアだもんね」
「なんだと思ってたんだ」
「うん」
「あんまり意識してなかったの?」
「うん」
あるある。
「あかずのま、みたい」
「内側からだけ見ればな」
開けてもテレビの裏に出る。
浪漫のない開かずの扉もあったもんだ、と思った。



2013年10月30日(水)

「♪~」
小澤征爾のラヴェルに合わせてうにゅほがヘタクソな鼻歌をうたう。
PC用のスピーカーを購入して以来、部屋に音楽が流れていることが多くなった。
「ノッてるなあ」
膝を抱え込みながら読書をするうにゅほの爪先が、リズムよく動いていた。
よく観察してみると、足の親指と人差し指が交互に前後している。
すっ、すっ。
かすれた音が耳に届く。
「──××」
「?」
「もしかして、これがやりたいのか?」
うにゅほに爪先を向け、親指と人差し指とを思いきり擦り合わせる。
ぴしっ! ぴしっ!
激しい擦過音がラヴェルを遮った。
「そう、それ」
「できてないぞ」
「できない」
「まあ、これができたところで人生においてなんらメリットはないんだが……」
「でも、すごい」
「……すごいか?」
「おとすごい」
「ああ、音か。音はな」
およそ考えられるあらゆる点において不器用な俺だが、足の指だけは器用である。
その握力は幼稚園児のそれを凌駕する。
「──…………」
だからなんなのだろう。
「……あ、いや、そうだ、これできるか?」
「?」
遠い目をしかけた自分を奮い立たせ、うにゅほの眼前に爪先を差し出した。
「親指と中指がこんにちわ」
足の親指が人差し指を跨ぎ越え、中指にぴたりと寄り添った。
「!?」
うにゅほの目がまんまるに見開かれた。
「そんなことが……」
愕然としている。
「ちなみに、親指と中指でもパシパシできる」
ぴしっ! ぴしっ!
「おお、おおお……」
うにゅほが俺の爪先を両手で包み込んだ。
ここまでリアクションが大きいと、このわけのわからん特技も報われるというものである。
「このあし、すごい」
この足て。
ちなみに、時間をかければ親指と薬指をくっつけることも可能なのだが、そこまで行くと気持ち悪がられそうなので、やめた。
言うまでもないが、小指は無理である。



2013年10月31日(木)

「あつい」
小春日和という言葉がぴったりの、穏やかで暖かい気候だった。
やわらかな日差しが世界を包み込んでいる。
「あつい……」
「暑いな……」
それはそれとして、暑かった。
北海道のような寒冷地の住宅では、二重窓が用いられることが多い。
あいだに空気の層を挟むことで断熱効果を高めたものだが、熱を逃がさないということは、熱が篭もりやすいことと同義である。
ぴ。
ストーブの電源を一瞬だけつけて、室温を確認する。
「……27度」
夏か。
「まどあけよう」
「窓……」
憂鬱な視線を二重窓へ向ける。
「開けたくないなあ」
「なんで?」
「閉めるとき、あんなに苦労したの、忘れたのか?」
「……あー」
思い出したらしい。
二重窓の断熱性は、通気を遮断することで成り立つものである。
窓と窓のあいだに熱伝導率の低い空気の層を取り入れることで断熱効果を高めているのだが、内部の冷やされた空気が室内に流入しては本末転倒だ。
そこで、引き違いの窓を密閉する仕組みが必要になる。
我が家の窓には、閉じた状態の二枚の窓枠を貫通するネジ穴が開いており、それを締めることで密閉度を上げるという設計になっている。
しかし、だ。
我が家はそこそこの築年数であり、ところどころ綻び始めている。
それは、二重窓の建て付けも同様だ。
ネジを通すということは、二枚の窓枠に開いたネジ穴をぴったり合わせなければならないということである。
それがどれほどの難事か、
「この窓は、春まで開けないって決めたんだ……」
という悲壮な覚悟から理解していただきたい。
ちなみに、冬期間の換気はドアを開けることで賄っている。
「あついー……」
うにゅほがソファでぐったりしている。
「せんぷうきほしい」
「どうせ、夜になったらストーブをつける羽目になる」
「うー」
うめく。
「……あ、そだ」
うにゅほが立ち上がり、自室を後にした。
リビングで涼むのかと思いきや、
「うちわー」
二枚のうちわを持って帰ってきた。
「はい」
「……あ、うん、ありがとう」
うちわを受け取る。
「あついねー……」
ぱたぱた。
「──…………」
リビングは涼しいはずなのだけど。
わかっていて、あえて部屋にいるのだろうか。
どうしよう。
天然だったらどうしよう。
「……××?」
「?」
「なんでもない……」
聞けなかったのだった。


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