>> 2013年9月




2013年9月1日(日)

最近、タニタ食堂の100kcalプリンにハマっている。
低カロリーもさることながら、なによりその控えめな甘さ、ねっとりとした舌触りが気に入っている。
「──あれ、ないなあ」
セブンイレブンのデザートコーナーをうろつきながら、そう呟いた。
「ないねえ」
「あれ、どこに行けば確実にあるのか、いまいちわからないんだよな」
「スーパー?」
「かなあ」
まあ、ないものは仕方ない。
「おやつ、どうしようか」
食べなくても構わないのだが、なにかひとつは買わないと決まりが悪い。
「あ、これたべたい」
うにゅほが、ずっしりとしたゼリーを俺に手渡した。
蓋には大満足ゼリーと記載されている。
「……290g」
これだけあれば、そりゃあ大満足だろう。
「やたら多いから、ふたりで分けて食べよう」
「だいじょぶ」
大満足ゼリーをもうひとつ取り、眼前に掲げる。
「たべれる」
「そうか……」
大食い的なことは求めてないんだけどなあ。
まあ、残したとしても、俺が処理すれば問題ないだろう。
──そう考えていた。
「──…………」
「──…………」
帰宅してゼリーをひとくち、互いに顔を見合わせる。
「……美味しくない」
「──…………」
うにゅほが無言で頷く。
不味いと言い切るほどではないが、美味しいとはとても言いがたい。
ソーダ味、ゼロカロリーという要素が負のシナジーとして作用し、薬臭くて後味が苦いという現実に至っている。
「量は満足だけど、味はちょっとな……」
「うん……」
うにゅほが暗い表情で頷く。
自分がこれを選んでしまったことに責任を感じているらしい。
「……まあ、不味いってこともないけどな」
フォローのつもりでそう言うと、
「!」
ずぞぞぞぞぞ!
うにゅほが大満足ゼリーを一気に掻き込んだ。
「え、そんな急がなくても」
「──……ん!」
こちらに手を差し出す。
「いや、いいって、自分で食べるって」
「ん!」
「美味しくないけど嫌いでもないから、自分で食べるってば」
「ほんと?」
「嘘つく理由がないでしょ」
「そう……」
しばらく無言でゼリーを咀嚼しながら、うにゅほの行動について考えた。
「美味しくないから責任を取る」という発想であったことに疑いの余地はないだろう。
しかし、そこまでするほど極端に不味いものだろうか。
「──……!」
発想の転換である。
うにゅほにとっては、そこまでするほど極端に不味かったとしたらどうだろう。
だとしたら、とてもいじらしい。
「──…………」
隣席のうにゅほに視線をやると、気持ち悪そうにおなかをさすっていた。
次からは、無理のないサイズのおやつにしよう。



2013年9月2日(月)

「おやつリベンジだ」
「──…………」
うにゅほがこくりと頷く。
昨日、大満足ゼリーに大満足できなかった俺たちは、セブンイレブンにて厳選に厳選を重ね、本日の午後三時に臨んだのだった。
「今日のおやつは?」
「あじわいクリーム、しらたまぜんざい」
「値段は?」
「にひゃくさんじゅうえん」
白玉ぜんざいに生クリームを絞った、セブンイレブンのオリジナル和スイーツである。
この組み合わせで美味しくないわけがない。
しかし、念には念を入れ、1ケースをふたりで分け合うことにした。
「では、まず俺から」
「うん」
プラスチックスプーンの包装を破り、白玉をひとつ乗せる。
生クリームとつぶあんを軽くすくい取り、そのまま口元へ運んだ。
「──…………」
咀嚼する。
「……おいしい?」
「──…………」
しばし味わい、嚥下する。
「おいしい?」
「ほら」
うにゅほにスプーンを手渡す。
「おいしくない?」
「食べてみな」
俺に勧められるがまま、うにゅほが白玉ぜんざいを口に入れる。
「──…………」
もむもむ。
ごっくん。
「おいしい」
「だろ」
「すごいおいしい」
「白玉ぜんざいと生クリームで、不味くしようがないもの」
「よかった……」
うにゅほのなかでセブンイレブンの株が元の水準まで戻ったようだった。
ふたり仲良く食べ進め、いよいよ見えていた結末がやってきた。
「俺はいいよ、××どうぞ」
「◯◯たべて」
「どうぞ」
「たべて」
最後の白玉の譲り合いである。
「じゃあ、じゃんけんで負けたほうが食べることにしよう」
「いいよ」
ふつうは逆である。
「──勝った!」
「まけたー……から、たべる」
「──…………」
不思議と釈然としない。
「余ったクリームとあんこは俺な」
「いいよ」
充実したおやつタイムだった。



2013年9月3日(火)

「ただいまー」
「おかえりー」
階段を登り切ると、うにゅほがとてとて近寄ってきた。
「はやかったねえ」
「まあなー」
「?」
すんすん。
抱きついて匂いを嗅がれる。
「おさけのんでない?」
「ああ、うん」
かゆくもない後頭部を掻く。
「飲みだと思ってたけど、違った」
「じゃあ、なに?」
「ドライブしながらずっと話してた」
友人からの誘いのメールを確認したところ、飲み会とは一言も書かれていなかった。
早とちりである。
「ごはんは?」
「食べてないな」
「なにかあったかなあ」
しばし台所を漁り、
「あぼがどのサラダ、のこってた」
「サラダ……」
腕を組み、天井を仰ぐ。
「サラダかあ……」
「サラダだめ?」
「駄目じゃないけど、俺もっと居酒屋メニューみたいの食べるつもりだったから」
「いざかやめにゅー?」
「焼き鳥とか唐揚げとかフライドポテトとか」
「あぶらだ」
「居酒屋でヘルシーなんて、豆腐か枝豆くらいだろうよ」
偏見である。
「だから、なんかがっつり食べたいと思って……」
「がっつり」
「どっか食べに行こうと思うんだけど、××来る?」
「わたし、ごはんたべた」
「デザートだけ頼めばいいじゃないか」
「うーん……」
「てか、一人飯が寂しいからついてきてください」
ぱん、と手を合わせる。
「はい」
こくりと頷く。
道連れゲットである。
「どこいくの?」
「時間は──午後九時過ぎ、か。
 ファミレスが妥当なところかな」
「はまずしは?」
「……はま寿司?」
回転寿司って閉店時間は何時なのだろう。
検索してみた。
「十一時までやってるのか……」
ネタが乾いていそうだが、はま寿司には注文パネルがあるので問題ないだろう。
「じゃ、そうするか」
「うん」
「××も、食べたければ注文していいからな」
「みるくれーぷたべる」
満腹するまで食べて、千五百円ほどだった。
俺がチョコレートケーキをふたつ注文しなければ、もうすこし安く抑えられたはずである。
うにゅほのミルクレープも美味しかったです。



2013年9月4日(水)

「──あっ」
不注意で、イヤホンのコードをペットボトルに引っ掛けてしまった。
流れ出したペプシネックスを、反射的に右手で堰き止める。
「だいじょぶ!?」
うにゅほが慌てて立ち上がる。
「ああ、大丈夫」
ティッシュを大量にドローしながら、言葉を返した。
「精密機器には掛からなかったし、砂糖も入ってないから。
 ただ──……」
それを指で挟み、掲げて見せた。
「しおりにシミ、ついちゃった……」
中学時代からずっと使っている、富士見ファンタジア文庫の紙しおりである。
「あー……」
うにゅほが嘆息を漏らす。
「べろべろだ」
「乾いても歪んでるだろうな……」
「これしかないの?」
「適当に何冊か開けば、あるにはあると思うけど──……」
ふ、と思いついた。
「ちゃんとしたブックマーカー、買いに行こう」
「わたしのみたいやつ?」
「そうそう」
うにゅほにプレゼントしたような金属製のブックマーカーがあれば、似たようなことも起こらないはずだ。
「どこうってるの?」
「……たぶん、文具屋じゃないかな」
思いつきにまかせて行ってみた。
「ね、◯◯」
「うん?」
「これかな」
うにゅほが差し出したのは、ト音記号をあしらったプラスチック製のしおりだった。
「お、そうそう、こういうのだ」
うにゅほの頭をぐりぐり撫でた。
「このあたり、しおりのコーナーなんだな」
金属や紙、プラスチックといった様々な材質のブックマーカーが、2メートルほどの範囲に所狭しと陳列されている。
「××、どういうのがいいと思う?」
「うーと……」
いろいろと手に取りながら、しばらく悩み、
「これ」
「これ?」
「うん」
それは、ピアノと猫を意匠した金色のブックマーカーだった。
センスがよく、可愛らしい。
だが、
「あんまり細長くないんだけど……」
どちらかと言えば、横に長い。
もっと言うと、全体的なシルエットは直角三角形に近い。
はっきり言って使いづらそうである。
「──…………」
でも、他にめぼしい品はない。
「これ、いいよ」
きらきらとした双眸が俺を見上げている。
「……うん、これにしてみよう」
どうしても使いづらかったら、適当な紙しおりにすればいい。
そう考えて帰宅したところ、使い心地は意外にも、ふつうだった。
デザインは俺も気に入っていたので、愛用することになるだろうと思う。



2013年9月5日(木)

布団に入ると、トイレが近くなる。
水分の摂り過ぎが原因とは思うが、神経症的な部分もあるのだろう。
ひどいときには一晩に何往復もせざるを得ず、ただでさえ良いとは言えない睡眠状態をさらに悪化させている。
「──……ふう」
幾度めかの排尿を済ませ、自室へ戻る。
寝台代わりのソファに身を横たえたとき、
「……◯◯?」
うにゅほの細い声が耳に届いた。
「悪い、起こした……」
「トイレ?」
「ああ」
「げり?」
「下痢ではないんだけど……」
なんとも説明しづらい。
「だいじょぶ?」
「大丈夫と言えば、大丈夫」
ちょっと寝入りが遅くなる程度のもので、不眠と呼ぶほどのこともない。
問題があるとすれば、こうしてうにゅほを起こしてしまったことくらいだろうか。
「ごめんな、うるさかったろ」
再び謝る。
「ううん」
首を振るような気配がした。
「またびょうき?」
「また、って……」
たしかに持病は多いけど。
「病気なのかなあ」
「びょういんいったほういいよ?」
「そうか……」
泌尿器科の門戸を叩くべきだろうか。
そのときは、うにゅほを連れて行って構わないのだろうか。
肛門科へ行くときは、さすがに遠慮してもらっているのだけど。
「……そのうち、そのうち行く」
「ほんと?」
「病院慣れしてるから、まずいと思ったら迷わず行くよ」
「そう……」
寝返りを打つ気配がして、言葉が途切れた。
しばらくして、
「──……いま、なんじ?」
「ん?」
枕元のiPhoneを手に取る。
「3時21分」
「さんじ……」
「どうかしたか?」
「ねれない」
「──……悪い」
三度謝り、うにゅほが眠くなるまで話をすることにした。
「──…………」
「××?」
「──……すう」
反応がなくなったのは、わずか数分の後のことだった。
「眠れない」の定義がかなり違うようである。



2013年9月6日(金)

「づーがれだー……」
父親の手伝いで、さんざ歩かされて帰宅すると、
「おかえりー」
にこにこのうにゅほが出迎えてくれた。
そういえば、母親と出掛けてくるという話をしていたような気がする。
「どこ行ったんだっけ」
「ガラスこうぼう」
「ガラス──ああ、小樽のほうか」
小樽は硝子工芸で有名な街と聞いたことがあった。
隣町だというのに、知人がいないからかあまり詳しくない。
「なんかあった?」
「つくった!」
「作ったのか」
すこし驚いた。
「これだよ」
ぎゅうと握られた手を開くと、そこにふたつのガラス玉があった。
「えーと、ピアス?」
「うん」
「へえー……」
1センチに満たないピンク色のティアドロップがふたつ、手のひらにちょこんと乗っていた。
幾分か歪んでいるものの、店頭に並んでいてもおかしくないほどの出来である。
「綺麗にできたな」
「うん」
嬉しそうに頷く。
「でも、どうしてピアスにしたんだ?」
ピアス穴なんて母親くらいしか開けていないのだけど。
「ピアスしかなかった」
「選択肢の少ない体験プログラムだな……」
ストラップとか、そういうのなら簡単にできそうなものだが。
「じゃあ、ピアスの穴開けるの?」
答えのわかりきっている質問を、にやりと笑って口にした。
「こわい」
真顔である。
「うん、耳に穴なんて開けなくていいよ」
「◯◯は?」
「──……ちょっと嫌な思い出があるから、開けない」
「どんなの?」
「学生時代、クラスメイトの女子がピアスの穴を開けるって言い出したんだ」
「うん」
「で、なにを思ったか友達を連れてトイレに行って──」
「え?」
「絶叫が聞こえた」
「──…………」
「畳針かなにか、とにかく太い針を耳たぶに刺したらしい」
「……えと、それで」
「何事もなかったみたいにピアス着けて出てきて、数日後に化膿して病院行ったんだよな、たしか」
馬鹿である。
「わたし、あけない……」
「俺も開けない」
うにゅほとふたり、力強く頷き合った。
「で、そのピアスはどうするんだ?」
「おかあさんにあげる」
「母さんも一緒に作ったんじゃ?」
「おかあさんのは、あおくてまるい」
「なるほど」
ピアスでなければ、俺が欲しかったなあ。
ぼんやりとそう思った。



2013年9月7日(土)

取り込んだ洗濯物を片付けていたときのことだった。
「あ、◯◯」
うにゅほが俺の手元を覗き込んだ。
「それ、ゴムのびてる」
「──…………」
両手のトランクスを見比べる。
「どっち?」
「みどりのほう」
「どっちも緑なんだけど……」
「こっち」
うにゅほが指さしたほうのトランクスを調べてみると、たしかにゴムが伸びているようだった。
「なんで知ってるの……」
「いいわすれてた」
決まりが悪そうに笑顔を浮かべる。
答えになっていないが、理由なら最初からわかっていた。
乾いた洗濯物を仕分けているのが他ならぬうにゅほだからである。
「だからって、よく見分けつくなあ」
穿いている当人すら区別できていないというのに。
「ぜんぜんちがうよ?」
右手を指さし、
「こっちがチェック」
左手を指さし、
「こっちがたてじま」
俺を見上げて、
「ね」
いや、見分けがつかないわけではないんだけど。
「じゃあ、家族全員のパンツを把握してるのか?」
「うん」
「はー……」
記憶のリソースを果てしなく無駄に使っている気がする。
「おとうさんは、はで」
そんな気がする。
「(弟)は、かわいいやつ」
キャラものが多かった記憶はある。
「でも、にまいしかない」
トランクス二枚でのローテーションはいささかきついのではないか、弟よ。
「◯◯は、じみ」
自覚はある。
「はいてるの、さんまいだけ」
弟のことは言えなかった。
「××はなんでも知ってるなあ……」
うにゅほの頭をぐりぐり撫でる。
我々の下着は、うにゅほによって完全に管理されているらしい。
管理社会である。



2013年9月8日(日)

ミラジーノがリコール対象になったらしく、お近くのダイハツへ足を運ぶことになった。
「またしゅうりするの?」
「修理というか、パーツ交換なんだか点検整備なんだか」
「?」
「後ろのウインカーがおかしいんだって」
「しゅうりするの?」
「俺もよくわかんないけど、三十分で終わるってさ」
「ふうん」
幾分か安心した様子で、うにゅほが助手席に体重を預けた。
しばらく修理に出していたからなあ。
リコールの連絡ハガキとミラジーノのキーを作業員に渡し、傍のテーブルに腰を掛けた。
「ね」
うにゅほが小声で話しかけてくる。
「ひろいね」
「広いな」
「もうかってるのかな」
「儲かってるんじゃないかなあ」
喫茶店と見紛う店員にアイスティーと緑茶を注文する。
「なんで緑茶?」
「あんまりのんだことない」
なるほど、うちは麦茶かほうじ茶か烏龍茶だもんな。
「どうぞごゆっくり」
「どうも」
「おー」
ドリンクと一緒にラスクまでサービスしてくれた。
「××」
「?」
「いいことを教えてあげよう」
「なに?」
グラスを掲げ、
「これ、タダ」
「タダ?」
「タダ」
「コーラは?」
「タダ」
「カルピスは?」
「もちろんタダ」
「それじゃもうからない……」
「喫茶店じゃないからな」
「なに?」
「自動車メーカーだ」
「……あー」
忘れていたらしい。
店内をうろうろしたり、雑談したりしながら時間を過ごしていると、
「◯◯様ですね、お待たせいたしました」
点検整備が終わったようだった。
帰りの車内で、うにゅほが言った。
「のみものタダなら、みんなきちゃうね」
「来ないと思う」
「なんで?」
「──…………」
しばし思案し、
「用もないのに行くと、車を買わされるからだよ」
間違ってはいない。
「……ダイハツ、こわいね」
「怖いんだよ」
話の流れで、ダイハツに対するよくわからない警戒心を植えつけてしまった。
車なんて買わないだろうから、べつにいいか。



2013年9月9日(月)

母親が友人と食事へ行くとき、時折うにゅほを連れて行くことがある。
なんでも、家族以外の人と接するための練習らしい。
話の種にされている気がしてならないが、他人に慣れるのは良いことである。
「で、今日はなにを食べたんだ?」
「カレーたべた」
「カレー屋さん?」
「ううん」
首を横に振る。
「スパゲティやさん」
「カレー……?」
それは本当にスパゲティの店だったのだろうか。
「なんというか、その……なんか変なこととか訊かれなかったか?」
実のところ、それが心配だった。
女性の噂話ほど恐ろしいものはない。
それが、その場にいない俺のことも含むとなれば、尚更である。
母親がフォローしてくれればいいのだが、一緒になってあることないこと言っていても不思議はない。
「うーと、◯◯へんなことしてない、って?」
「変なこと?」
「うん」
「──…………」
心当たりが無数にあるような、いっそのことないような。
「……で、××はなんて答えたんだ?」
「えと……ぬいぐるみがぼうしかぶってるよ、って」
箪笥の上に飾ってある特大サイズのぬいぐるみ×3に帽子をかぶせているのはたしかである。
あと、定期的に着せ替えしているのも事実だ。
「──……ん?」
ちょっと待ってみよう。
「それ、××が始めたんだろ!」
「わたし、たんすのうえ、てーとどかない」
「……まあ、継続してやってるのは俺だけど」
二十代後半の男性としては恥ずかしい行動が露見してしまった。
「あと、なんか言った?」
「うーと……」
しばし考え込み、
「じっぷんくらい、ずっとあしぶみしてる」
「そういう運動だよ!」
「あるけばいいのにって」
ぐうの音も出ない。
「……わかった、わかった」
最悪ではないが、微妙に恥ずかしい情報が流出しているらしい。
「あんま、俺のこと話さないでおくれ……」
「うん?」
「後生だから」
「うん」
頼んではみたものの、漏れるんだろうなあ。
素直だからなあ。



2013年9月10日(火)

「◯◯」
「あー?」
リビングを通りかかったとき、母親に呼び止められた。
「××のジーンズ買ってきなさい」
「なんで?」
「××、一本しか持ってないでしょ」
「まあ、うん」
たぶん。
「これから寒くなるし、二、三本あっても邪魔にならないから」
「ああ、わかった」
うにゅほを呼びに行こうとして、ふと思いついた。
「……俺のも買っていい?」
「いいわよ」
太っ腹である。
頂いた軍資金を財布に仕舞うと、うにゅほを連れて外に出た。
「どこいくの?」
「マックハウスあたりが無難かな」
「たまにふくかうとこ?」
「そう」
マックハウスは、ジーンズショップだけに高価で質がいい。
ユニクロやしまむらよりは無難な選択だろう。
「どんなのがいいかな」
「実用性を考えるなら、厚手で丈夫なやつかな」
「うん」
「でも、デザインで決めてもいいと思う」
「うん」
「好きに選べってこと」
「えー」
「似合うかどうかくらい見てあげるから」
マックハウスに入店し、三十分ほどが経過した。
「うーん……」
「──…………」
俺は早々に、カーキ色のカーゴパンツに決めていた。
手持ちのズボンがジーンズしかないため、選択の余地がなかったのだ。
「どれを迷ってるんだ?」
「これと──」
細身で深い色のジーンズを掲げる。
「とー」
売り場を横断し、
「これ」
カーキ色のカーゴパンツを手に取った。
「俺のと似てるな」
「うん、おなじ」
「お揃いか」
「うん」
こくりと頷く。
「どっちかと言うと、どっちがいい?」
「……こっち」
カーゴパンツを掲げる。
「でも、おかあさんが、ジーンズって」
「それは気にしなくていいんじゃないか」
それより、うにゅほの手持ちのトップスでは、カーゴパンツに合わせにくいのではないだろうか。
「……じゃあ、こっち?」
「いや、二本買おう」
「えっ」
うにゅほが目を丸くする。
「いいの?」
「ああ、いいよ」
母さんが出資するんだし。
「買ってしまえばこっちのもんだからなー」
「いいのかな……」
大胆に裾上げしてもらい、16,000円ほど支払って帰宅した。
母親は金額についてなにも言わなかったが、お釣りはしっかりと請求された。
言われなくても渡しますよ、ママン。



2013年9月11日(水)

「わー!」
市民プールに足を踏み入れた瞬間、うにゅほが驚嘆の声を上げた。
「だれもいない!」
「こんなことってあるんだな……」
とうに夏休みが終わったとは言え、貸し切り状態なんて初めてである。
プール職員って楽でいいなあ。
「あそんでいいの?」
「監視員いるから派手には遊べないけど、すこしくらいなら見逃してくれると思うよ」
「じゃ、あそぼう」
「ああ」
遊んだ。
夏を取り戻すように、大いに遊んだ。
うにゅほをバックドロップして鼻に水が入り、ふたり仲良く悶絶したり、
プールを横に使い、コースロープを潜り抜けて往復時間を競い合ったり、
遠めに投げた水中メガネを裸眼で探し当てたり、
単純にふたりで水を掛け合ったりした。
「あー、疲れたー……」
「ねー」
プールサイドに腰を下ろし、爪先で水面を蹴り上げる。
呆れたのか、監視員も途中で詰所に戻ってしまい、広い市民プールのなかで本当にふたりきりである。
「なんか、すごい贅沢をしてる気がする」
「うん」
「ひとり六百円で」
「やすい?」
「安くないけど、今日は安い」
「おとくだ」
しばらく談笑していると、スイミングスクールの生徒らしき子供たちが列をなして入ってきた。
「そろそろ帰るか」
「うん」
更衣室の前で分かれ、着替えて外へ出た。
「暑いなー」
立ち止まり、額に手をかざす。
九月も中旬だというのに、夏がまだ終わらない。
「ね」
「ん?」
振り返ると、うにゅほが決まりの悪そうな笑顔を浮かべていた。
「どうかした?」
「パンツわすれた……」
「忘れたって、更衣室に?」
うにゅほが首を振る。
「いえに」
「ああ、着替えか。
 穿いてきたパンツをまた穿けば──……」
気がついてしまった。
視線が泳ぐのを自覚する。
「……もしかして、家から水着だったり、する?」
「うん」
「小学生か!」
突っ込んでみたところで、現実は揺るがない。
「はいてないのか……」
「うん……」
「取り急ぎ帰宅しよう」
大股で歩き、慌てて家路についた。
「あ、のどかわいた」
「家まで我慢!」
どうして俺のほうが気を揉んでいるんだ。
何事もなく無事に帰宅し、うにゅほノーパン事件は幕を閉じた。
しかし我々は油断してはならない。
いずれ第二第三のうっさいばーか!



2013年9月12日(木)

「エンジン掛からないなあ」
「うん……」
花壇の縁石に腰を下ろし、ブースターケーブルを繋いだバイクを眺めていた。
「そろそろ十五分になるか……」
立ち上がり、カーゴパンツのホコリを落とす。
セルを回すと、ようやく動いた。
「かかったね」
「ああ」
「いこ」
「ああ……」
嫌な予感がする。
しかし、予感より予定を優先するのが人間というものだ。
ヨドバシカメラの傍に駐車し、ヘルメットを脱ぐ。
「ぷー」
自分の顔を手で扇ぐうにゅほを横目に、再びセルを回してみた。
きゅきゅきゅいきゅきゅいー……
「──…………」
そして、うんともすんとも言わなくなった。
「……ぷすん」
「ぷすん?」
「どうしよう」
「?」
「バッテリーが死んだ」
「しんだの?」
「死んだ」
「どうなるの?」
「エンジンが掛からない」
「そっか……」
バイクのシートを撫でながら、うにゅほが優しく呟いた。
「おつかれさま……」
いろいろ違う。
「このままじゃ帰れないんだよ!」
「あ」
理解したようである。
「……えと、どうするの?」
「ガソリンスタンドまで行ければ、なんとかなると思うんだけど」
「いくの?」
「ああ」
「おすの?」
「押すしかないな……」
「がんばる」
ふん!と気合を入れるうにゅほに、
「買い物終わってからな」
と、水を差した。
「やっぱ16Gは高いな……」
「またおかね……」
ドスパラでメモリを購入し、駐車した場所へ戻った。
「ガソリンスタンド、どこ?」
「ちょっと待って」
iPhoneで調べると、700mほど離れたところに聞いたこともないスタンドがあるらしかった。
嫌な予感しかしないが、他は軒並み倍以上も離れている。
「とりあえず、行ってみよう」
「うん」
俺のカバンを提げたうにゅほがバイクの後ろに陣取った。
地図の方角を見失い、さんざ遠回りして辿り着いた場所には、
「──…………」
「──…………」
ビルがあった。
「Googleめ!」
悪態をついたところでガソリンスタンドが見つかるわけもない。
「つぎは……?」
「えーと、1.5km離れたところにエネオスが──……」
着いた。
半死半生だった。
幸い、エネオスの店員にバッテリーを貸してもらうことができ、事無きを得た。
「よかったー」
幾分か余裕のあるうにゅほが、ささやかな胸を撫で下ろす。
「セルフじゃなくてよかったねえ」
「──……あ……」
ぞくりとした。
その可能性もあったのだ。
もしここがフルサービスでなければ、あとどれくらいバイクを押して歩くことになったろう。
検索する勇気は、なかった。



2013年9月13日(金)

「うはあ……」
仕事の手伝いで図面を引くのはいつものことだが、その分量が尋常でないとなれば話が違うというものである。
どうにでもなれとばかりに一気呵成に仕上げたところ、気づけば三時間が経過していた。
「疲れたー!」
ばふ!
うにゅほの寝床に倒れ込み、ばたばたと泳ぐ。
「おつかれさま」
「お疲れ様のお通りだー」
テンションがおかしい。
「すこし休もうかな……」
眼鏡を外し、枕に顔を埋める。
うにゅほの匂いがした。
ぽんぽん
背中を優しく叩かれる。
「なんか、ある?」
「ん?」
「してほしいことある?」
「あー……」
仕事の手伝いはできないから、ずっともどかしそうにしてたもんな。
「じゃあ、久しぶりにマッサージしてもらおうかな」
「!」
こくこくと頷く気配がする。
「いきます」
よじよじと太腿の裏に座り込んだうにゅほが、腰に当てた指先に体重を篭めた。
「うあー……」
相変わらず心地いい。
心地いいが、マッサージ効果は感じられない。
非力なのである。
休日のお父さん的な視点で和むのもいいのだが、今日ばかりは濁音で喘ぎたい気分だった。
「××」
「ふん、ふん、なに?」
「踏んでくれない?」
変態のようだ。
「ふむ?」
「今日は疲れてるから、足で強めにマッサージしてほしい」
「え、だって、ふむ……」
抵抗があるようだ。
「マッサージとしては、それほど奇抜なものじゃないと思うけど」
「でも、おもい……」
「重くないって」
紆余曲折を経て、踏んでもらうことになった。
「ふん、ふん」
「あー……」
「ふん、ふん、おもくない?」
「気持ちいい」
「いたくない?」
「気持ちいい」
軽すぎる感は否めないものの、指圧よりは効いている感じがする。
「もうちょい右」
「うん」
「ちょい左」
「うん」
「微妙に右」
「あ!」
「ッ!」
うにゅほが足を滑らせた。
「あぶなかったー」
「──…………」
無事に着地したうにゅほを横目に、ひそかに悶絶する。
脇腹の皮を踏まれたのだ。
数秒ほど沈黙し、
「……危なかったな」
「うん」
「次は、支えのあるところでやろうな」
「そだね」
こちらの判断ミスである。
痣にはなっていないようだった。



2013年9月14日(土)

キーレスエントリーというシステムがある。
言うまでもなく、鍵を鍵穴に差し込むことなく施錠・解錠を行う仕組みのことで、中古車であるミラジーノにも搭載されている。
「──…………」
されているが、不満がないではない。
「ふん! そうりゃ!」
「かぎ、かからない?」
助手席を下りたうにゅほが、半周してこちらまで来た。
送信機の出力が弱いのか、受信機の感度が悪いのか、一発で作動した試しがない。
「よいしょ!」
──カタッ
「あ、かかった」
「鍵を回したほうが早かった……」
「ふりょうひん?」
「経年劣化だと思うなあ」
中古車だし。
「運転席側に受信機っぽいのがあるから、それに向けてスイッチを押すようにはしてるんだけど──」
──カタッ
「だいたい20cmくらいまで近づけて、作動するかしないか」
「だめだ」
「駄目だ」
「なにがだめ?」
「なにもかも駄目だと思うけど、改善できるとすれば、発信機のほうかな」
「これ?」
うにゅほが発信機をつんつんとつつく。
「たぶんボタン電池だから、それを交換できれば、もしかすると──」
「おー!」
ぱん、とうにゅほが両手を打ち鳴らす。
「どやってあけるの?」
「それが、ネジとか見当たらないんだよ」
「?」
小首をかしげる。
「あかないの?」
「そんなわけはない」
「どうするの?」
「力尽く──……とか」
やってみた。
「んぎぎぎぎぎぎ!」
「!」
「ぎぎ、ぎ、ッだー!」
開いた。
銀色に輝く円盤状の電池が、アスファルトに落ちて軽い音を立てる。
「はー……型番を確認して、と」
「でんちをかう」
「そ」
百均で同じ型番のボタン電池を購入し、発信機のものと交換した。
「さて、どうなることか」
「──…………」
うにゅほの瞳に期待の色が宿っている。
「それ!」
──カタッ
「おー」
「いっぱつだ!」
「電池が切れかけてたのかな」
一歩下がり、再びスイッチを押した。
──…………
「あれ」
「だめ?」
「試してみよう」
検証した結果、30cm先からでも作動するようになっていた。
やったね!



2013年9月15日(日)

「ここ、どうしようか」
「どこ?」
「ほら、備え付けの棚と、箪笥のあいだの隙間」
書棚の整理をしたところ、雑貨のたぐいが綺麗に収まったことで、逆に空間が目立つようになってしまった。
「ここ、かぴばらさんのばしょだね」
「大、中、小、とギュウギュウに詰められてたとこな」
可哀想なので、べつのスペースに移動させたのである。
「細い収納ラックとか入れば、有効活用できていいんだけど」
「──…………」
隙間の横幅を指で測りながら、うにゅほが呟く。
「……はいるの?」
「……どうかな」
コンベックスで計測すると、16cmだった。
「じゅうろくせんち……」
「箪笥をずらしても、17cmが限度か」
「……あるの?」
「……どうかな」
検索したところ、存在することは存在するらしかった。
「あるんだ」
「隙間収納っていうらしい」
たしかに一定の需要はありそうである。
「暇だし、ニトリとかホーマックとか行ってみようか」
「おー」
「なければ通販でいいしなー」
気楽なものである。
ホーマックへ行き、ニトリへと足を伸ばし、二軒目のホーマック、家具の長谷川、二軒目ののニトリと巡ったあと、さすがに疲れて帰ることにした。
連休中だけあって、人も車も多い。
「なかったねえ」
「惜しいのはあったんだけどな」
「てつのやつ」
「スチールラックな。
 横幅は完璧だったんだけど、高さがなあ。
 重ねて繋げようと思ったのに、在庫ひとつしかないし」
「かっこよかったのにねえ」
ハンドルを握りながら雑談していると、家の近くに別のホームセンターがあったことを思い出した。
「ついでだし、行ってみるか」
「うん」
あった。
あつらえたような細長いチェストがあった。
楽しいドライブだったのでよしとする。
「──お、ほんとピッタリ入ったな」
「いいねー」
ふたりで笑い合う。
「でも、コンセントかくれちゃうね」
「ああ、本当だ」
隙間の奥にあった使われていないコンセントが、すこしもったいないように思われた。
「あ、いいのがあるぞ」
クローゼットから4個口のテーブルタップを取り出す。
「これを繋げばいい」
「おー」
テーブルタップを繋ぎ、チェストを設置した。
「かんぺき」
「完璧だ」
「あ、てーぶるたっぷ、ゆかにおいとくの?」
「傍にすのこベッドがあるんだから、布団の下に入れとけば邪魔にならないよ」
「なるほど」
「──…………」
ここで、ふと思ってしまった。
何年も使われることのなかったコンセントを伸ばしたところで、使う機会は訪れるのだろうか。
しかも、3個口が4個口になってしまった。
使わなくなったPSPを永久に充電し続けるしか道はないのかもしれない。



2013年9月16日(月)

「ね」
「んー」
「かたづけないの?」
「なにを?」
「これ」
視線を向ける。
約25kgのハードカバーが詰め込まれた大きな段ボール箱だった。※1
友人から送られてきたものである。
「あー……」
忘れてはいなかったが、気にしてもいなかった。
存在感こそあるが、動線に抵触するわけでなく、腕立て伏せをするとき爪先に触れるくらいのものである。
「ほんだなのうえ、そうじするんでしょ」
「そうだなあ……」
ごろごろと三回転ほどし、立ち上がった。
「やるか」
「!」
うにゅほの表情が喜色に染まる。
気になっていたらしい。
「まず、いらんもんを全部取り出してしまおう。
 俺が椅子に乗って手渡すから、××が受け取ってくれ」
「はい」
十分後──
「いろいろ出てきたな……」
「これなに?」
「えー……卓球ラケットかな。弟のだ」
「これは?」
「父さんのラジコンだな。
 ──……あ、箱は汚いけど、中身は綺麗じゃないか。売れるかも」
「うれるかな」
「売れたらいいな」
「あ、このきのはこは?」
「これは、弟が授業かなんかで作ったやつで……なんか入ってるな」
「なに?」
「……バイトの給与明細だ。なんでこんなとこに」
「おもしろいね」
うにゅほが楽しそうでよかった。
棚を綺麗にしたあとは、書籍を収める作業である。
もともと所有していたハードカバーを織り交ぜて1.5m幅の書棚に二段収納したところ、うまいことぴったり収まった。
「やー、気持ちいいくらいズラリと並んだな」
「いいねー」
「ハードカバーをまとめて上げたから、他の本棚にも余裕ができたし」
「そうじしやすい」
「じゃあ、今度古本屋にでも行くか」
「?」
「漫画でも小説でも、そこそこのシリーズがふたつくらい入るぞ」
「えっ」
「えっ?」
読書が趣味の人間は、本棚に余裕ができたとき、その隙間を埋めることを真っ先に考える。

※1 2013年8月31日(土)参照



2013年9月17日(火)

昨日、北東側本棚の最上段を掃除したとき、出てきたものがあった。
長方形の薄い紙箱で、可愛らしいゾウのイラストと共に、
「……チャイルドクレヨン」
と、記載されている。
クレヨンである。
ただのクレヨンである。
しかし、類まれな危険物でもある。
何故か。
考えてもみたまえ。
うにゅほがクレヨンで画用紙に犬の絵でも描いた日には、あまりに似合いすぎるだろう!
しかし、似合ってしまわれると困るのだ。
うにゅほは、それなりの年齢で、そこそこに知能の発達した、普通ではないにしろ健康な十代の少女である。
それがお前、クレヨンってお前。※1
「昨日、××の目に留まらなくてよかった……」
近所の小学生にあげるなどして、内々に処理しよう。
そう決意し、クレヨンを目立たない場所に配置して部屋を出た。
しばらくして自室へ戻ると、
「──……?」
うにゅほがクレヨンを手にしていた。
「……それ、どうした?」
「かぴばらさんのしたにあった」
持ち上げられるとは誤算だった。
「これなに?」
「……クレヨン、覚えてないか?」
「?」
うにゅほが箱を開く。
「あー」
「幼稚園とかの子供が、絵を描くときに使うやつだよ」
「あったねえ」
赤いクレヨンを指先で取り出し、うにゅほが言った。
「かいてみていい?」
「──……ああ」
断るわけにもいくまい。
メモ帳を一枚ちぎり、デスクの上に置く。
「うーと」
しばし思案し、
「かぴばらさん」
「──…………」
メモ帳には、「カピバラ3」という文字列が記されていた。
「……みっつあるから?」
「みっつあるから」
単に書き味を試してみたかっただけらしい。
というか、そもそもうにゅほは絵を描くのがあんまり好きじゃないし。
いつもの心配性が発症してしまった。
「──…………」
俺は、うにゅほがクレヨンで絵を描く姿を見てみたいと、心のどこかで思ったのだろうか。
それはきっと、うにゅほの幼いころを知りたいと願ったからだろう。
写真の一枚だって、ここにはないのだから。

※1 画材としての利用価値を貶める意図の発言ではありません。



2013年9月18日(水)

「──あれ、なに?」
うにゅほがテレビを指さしている。
「あれって?」
「あの、みどりと、きいろと、ピンクと……」
視線を向けると、トーク番組のセットのテーブルに、カラフルなお菓子が見栄えよく飾られていた。
「ああ、マカロンか」
「まかろん?」
「そう、マカロン」
「くり?」
「栗ではないんじゃないかなあ」
苦笑する。
「どんなおかし?」
「いや、俺も食べたことなくて……」
「ないの」
「カルメ焼きみたいに、軽くてカリカリっぽい見た目だけど」
「かるめやき?」
「カルメ焼きっていうのは──……」

──と、いう会話を交わしたのは、果たしていつのことだったろうか。
見かけたら、ふたりで食べてみよう。
そう決めて幾星霜、今日まで見つからなかったのは、さして真面目に探していなかったからである。
「だが、今この手のなかにある……」
まさか生協で発見するとは思わなかった。
「まかろん、おいしいかな」
「この大きさでひとつ140円もしたんだから、美味しいことを願いたいな」
茶色のマカロンを紙袋から取り出す。
「……ちょっとおもい?」
「思ったより重いな」
「かたくないね」
「俺の提唱したマカロン≒カルメ焼き説は間違いだったのか……」
「うん」
「んじゃ、食べてみましょう」
「はい」
恐る恐る、かじってみる。
糖蜜と思しき外殻はサクッと、中は意外にもしっとりとしている。
「おいしい」
「美味しいな」
140円は高いと思うが。
「チョコじゃないやつ、おいしいかな」
「どうかな」
「おいしいかな……」
「生協行く機会があったら、またな」
「うん」
近くを通りかかったら、寄ってあげよう。
「それにしても……」
「?」
「茶色はチョコレートにしても、緑とか黄色とかオレンジとか紫とか、あれはなにが入ってるんだ」
「……うーん?」
「着色料だったら、やだな」
「うん……」
アメリカではなくフランスのお菓子らしいので、なんとも言えないところである。



2013年9月19日(木)

「あー……」
姿見の前で、ぼさぼさの蓬髪を掻き上げる。
「伸びたなあ……」
「のびたねえ」
手入れの簡単な短髪のほうが好みなのだが、切るわけにはいかない。
「この、ここの、こいつがなあ……」
指の先から、さりさりとした産毛の感触が伝わってくる。
円形脱毛症だ。※1
快復の傾向は見られるが、生え揃うまでにどのくらいかかることか。
「最近、前髪がちょうど目に刺さって痛いんだよ」
「きる?」
「パッツンにでもなったら、それこそ目も当てられないだろ……」
「とこや」
「前髪のためだけに行くのもなあ」
少女のように前髪をいじってみる。
当然のことながら、見ていてあまり気持ちの良い光景ではなかった。
「カチューシャしないの?」
「うーん……」
「?」
「前髪が邪魔くさいって問題は解決できるんだけど、別の問題がさ」
「なに?」
「……すげえ真ん中分けになる」
「だめなの?」
「駄目だったの」
だから最近、コームカチューシャを着けていないのである。
「前髪がもうすこし伸びれば解決することだけど……」
エロゲーの主人公みたいになりそうで、それはそれで嫌だが。
「うー、と……」
うにゅほがとてとてと部屋の隅へ移動する。
うにゅ箱から取り出したクッキーの缶を開こうとして、
「あ、だめだよ」
身をよじり、中身を隠した。
秘密らしい。
ソファに腰掛けて待っていると、
「これ!」
うにゅほが指先になにかを引っ掛けていた。
「輪ゴム?」
「ヘアゴム」
輪ゴムにしか見えない。
「これを、こうして──……できた!」
「お?」
前髪がなくなった。
上に引っ詰めてヘアゴムでくくったらしい。
「かわいい」
「可愛いこたないだろ」
そう答えながら鏡を見てみると、
「──…………」
落ち武者がいた。
「ね」
ね、ってお前。
いや、まあ、部屋のなかでなら、いいのか。
ちなみに、ヘアゴムを外すとリーゼントみたいになった。
落ち武者よりはマシだろうか。

※1 2013年6月5日(水)参照



2013年9月20日(金)

「あ」
唐突に思い出したことがあった。
「××、一円玉の大きさってどれくらいだと思う?」
「?」
ソファの上で上体を起こし、指先をノギス代わりにする。
「これくらい?」
いまいち曖昧だ。
「一円玉の大きさのマルを描いて、本物と比べるゲームをこないだ見た」
「やる」
うにゅほが傍に寄ってきた。
娯楽に飢えている。
メモ帳とボールペンをそれぞれ手にし、
「お互いのは見ないようにして、描いてみましょう」
「うん」
描いた。
「はい」
「はい」
見せ合う。
「……××の、でかくない?」
「◯◯のちいちゃい」
「いや、××の五百円玉──はないとして、十円玉くらいあるだろ」
「◯◯の、ボタンみたい」
ひとしきりぐぬぬし、答え合わせをすることにした。
「××、俺の財布取って」
「はーい」
小銭入れを開く。
「──…………」
一円玉がなかった。
「……××、一円玉ある?」
「ないの?」
小銭の多いうにゅほの財布から無事に一円玉を入手し、手のひらに包み込んだ。
「実はこのゲーム、俺に有利なんだよな」
「?」
「一円玉の直径、知ってるんだよ」
「えー」
「一円玉の直径は20mm。こんな知識が役に立つ日が来るとは」
「ずるい!」
「ずるくない!」
自分の描いたマルに自信満々で一円玉を重ねると、
「……あれ、小さい」
「ほら」
うにゅほが得意げに胸を張る。
「いや、××のは明らかに大きすぎるから」
重ねる。
「あれー……」
「ほら、大きい」
確認したところ、百円玉とほぼ同じ大きさだった。
「なんだっけかな。本物より大きく描いた人はお金を大事にしてて、小さく描いた人はそうじゃないとか」
バラエティ番組らしい、いかにもな眉唾だけど。
「あー、だから」
「だからってなに」
「◯◯、おかねつかうから……」
「そんなでもないからね!」
ほとんど出費のないうにゅほ自身や弟あたりと比較されても困る。
「──…………」
でも、そう見えるなら、すこし節制しておこうかなと思った。



2013年9月21日(土)

自室の扉を開くと、うにゅほがテレビを見ていた。
「んー……」
なんだか、ほっぺたが膨らんでいる。
飴玉でも舐めているのだろうか。
隣に腰を下ろし、並んでテレビを鑑賞していると、
「ん!」
と、うにゅほが声を上げた。
「ひっふ、ひっふ!」
ティッシュを欲しがっているらしい。
慌てて二、三枚手渡すと、
「だぅ」
うにゅほが赤いものを吐き出した。
「──ッ!」
吐血!?
動転して腰を浮かしかけたが、それにしては量が少ないし、苦しそうでもない。
「え、なに、どうしたの」
「ふぉへはに」
「ぺっしなさい、ぺっ」
「ぺ」
血のついたティッシュを丸めて捨てる。
「ほっぺたのうらになんかあって、なめてたらやぶれた」
「あー……」
血豆である。
「最近、ほっぺたの裏噛まなかった?」
「かんだ」
よくしってるなあ、という顔をする。
「まあ、なんだ、なんてことなくてよかったよ」
「うん」
なんてことなかっただけに、狼狽えたことがすこし恥ずかしい。
「噛んだところにできるみたいだから、気をつけないとな」
「うん」
「でも、気をつけるって言ってもな……」
「うん……」
どう気をつけていいものか、よくわからない。
「噛み切れないものを食べないとか」
「ホルモン?」
「ガム?」
「うーん……」
「顔が浮腫んでるときに食べない、とか」
「なんで?」
「外に膨らんでるなら、中にも膨らんでるだろ、きっと」
「ふうん」
「あと、寝ボケながら食べないとか」
「たべないよ」
「俺は食べるかな……」
毎朝そうである。
「おきてからたべましょう」
うにゅほの言うとおりだと思った。



2013年9月22日(日)

うららかな陽気に眠気を催したので、抗うために遅めの昼食をとることにした。
「外食にしよう」
「?」
「××、おひる食べた?」
「まだ」
「というわけで、どこ行きたい?」
「どこ?」
うにゅほが会話に追いつくのを待って、もう一度尋ねた。
「おひる食べに行くなら、どこがいい?」
「うーと……」
思案する。
「あ、あれたべたい」
「どれ」
「ミスドのやつ」
相変わらず言葉が足りないが、なんとなくわかった。
「ちっちゃいのがたくさん入ってるやつか」
「そう」
「あれなー……」
昼食というかんじではない。
「じゃ、それはおやつにして、パスタかモスにしよう」
無難な選択肢により、昼食はパスタとなった。
「──……うう」
昼食後、油分で重くなった胃袋を抱えながら、ミラジーノの運転席を開いた。
「ペペロンチーノって初めて頼んだけど、あんな油まみれとは……」
「すごかったねえ」
「どうせ油まみれなら、カルボナーラ頼めばよかった」
うにゅほは、昆布とバジルソースのパスタなる色物を注文し、見事に当てていた。
ペペロンチーノより美味しかったです。
「ミスド行く前に、本屋寄るか」
「うん」
なにか新刊でも入っていないだろうか。
そう考えて駐車場に乗り入れると、めったやたらに混んでいた。
よくわからないが、警備員までいる。
近くに寄って尋ねてみると、なんでもAKB48の握手会があるらしい。
「へえー……」
と頷いて、礼を言った。
「握手会だって」
「えーけーびー?」
「名前くらいは知ってるだろ」
「ひとのなまえはしらない」
「俺も知らない」
テレビもそれほど見るわけじゃないし。
「××、アイドルとかどうよ」
「どう?」
「アイドルになって、わーきゃー言われたいとか思う?」
「おもわない」
だろうなあ。
うにゅほの興味は閉じている。
すくなくとも今は、俺に頭のひとつも撫でられていたほうが嬉しいのだろう。
「──…………」
なでなで。
「?」
不思議そうな顔をしていた。
書籍コーナーは空いていたので、棺担ぎのクロ4巻を購入し、ミスタードーナツへと車を走らせた。
ミスドビッツはそれなりに美味しかった。
ふたりで半分ほど食べて、残りは家族に残しておいた。



2013年9月23日(月)

久しぶりに、バイクで遠出をした。
もともとは八月の下旬あたりに予定していたものだが、天候が安定しないので一ヶ月もずれ込んでしまったのだ。
「忘れ物ないか?」
「ない!」
「じゃ、行こうか」
「はい」
うにゅほが俺に抱きついたことを確認し、アクセルを回した。
国道5号線を西進し、229号線に乗り換えたのち、積丹岬を目指すルートである。
「──…………」
小樽に入ったあたりで、早くも腰が痛い。
普段乗りではあまり気にならなかったが、同乗者に抱きつかれていると、腰のあたりに余分な慣性がかかるらしい。
休憩がてらコンビニに寄り、
「……腰痛くなってきたから、シートについてるベルト掴んでくれない?」
「ベルト……?」
「これ」
シートに巻かれた革製のタンデムベルトを示す。
「こわい」
「ちゃんと掴んでれば落ちないから」
「ほんと……?」
なだめすかして発進した瞬間、背中をバンバンと叩かれた。
慌ててブレーキを踏む。
「駄目か……」
「だめだ……」
「……じゃあ、帰ったら腰ふみふみしてよ」
「ふみふみする……」
余市町で遅めの昼食をとり、積丹岬に到着したのは午後三時半だった。
「わあ──……」
狭く暗いトンネルを抜けると、遥か下に島武意海岸を望む展望台に辿り着く。
「晴れてると、もっと綺麗なんだけどな」
「あ、かいだんある」
「降りられることは降りられる、けど──」
一段が膝丈ほどもある九十九折の急坂を、数十メートルも降りて行かなければならない。
そして、一度降りれば登らなければならない。
へろへろになりながら駐車場へ戻り、腕時計を見た。
「午後四時か……」
思ったより遅くなってしまった。
神威岬にも寄る予定だったのだが、あそこは突端まで1kmも歩かなければならない。
「あんまり見れなかったけど、帰ろうか」
「うん……」
「すぐ十月になるから、神威岬は来年だな」
「ここよりすごい?」
「ここは綺麗だけど、神威岬は広いかな。地球の丸みがわかるから」
「へえー」
引き返すのも面白くないので、帰りは積丹半島を大回りし、共和町から5号線に戻る周回ルートを走ることにした。
しかし、日が沈んでからが問題だった。
「──……さぶい」
「寒い……」
ガチガチと歯の根を鳴らしながら、道の駅のキノコ汁と鼻水とをすする。
ふたりとも防寒用のライダースジャケットを着込んでいるのだが、とてもじゃないが追いつかない寒さである。
「……あ、そうだ」
「?」
うにゅほに提げてもらっているカバンに手を入れる。
「雨具だけど、上下のウインドブレーカーを持ってきてたんだ」
「もっとはやく……」
申し訳ない。
直接風を受ける俺が上を、うにゅほが下を着用し、午後八時ごろ、ようやく帰宅することができた。
「つかーれーたー……」
うにゅほが布団にダイブする。
「帰りがきつかったな……」
「うん……」
「楽しかった?」
「うーん?」
「もう行きたくない?」
「いく」
懲りたころに行きたくなるんだよな、こういうのは。
「じゃあ、ふみふみしてくれな」
「はーい」
今夜はよく眠れそうだ、と思った。



2013年9月24日(火)

姿見の前でニット帽をかぶり、うにゅほに声を掛けた。
「ダイソー行くけど、行く?」
「いく」
即答し、腰を上げる。
「なにかうの?」
「ボール……いや、サインペン? なにペンって言うんだ、あれ」
「?」
「ふつうのボールペンよりインクが濃くて、サインペンより細くて滲まないペン……」
「おびにみじかし?」
「それは悪い意味だろ」
つまり、図面を引くときにちょうどいい筆記用具が欲しいのである。
「ないの?」
「パッと見ないなあ」
すくなくとも普段使いの筆入れにはない。
「ひきだしは?」
「デスクの?」
「まえそうじしたとき、たくさんでてきた」※1
「あー……」
大きい筆入れにすべて突っ込んで引き出しの奥に仕舞って以来、意識に上ったことすらなかった。
「ダイソー行く前に調べてみるか」
「うん」
三番目の引き出しから、パンパンに膨れ上がった合成皮革の筆入れを取り出し、中身をカーペットにぶちまけた。
「うわ、クルトガ何本あるんだよ」
「これは?」
「このネームペン、先が折れ曲がってるんだけど……」
「あ、これいいよ」
「それは赤ペンだろ」
喧々囂々の末、三本のボールペンが手元に残った。
「使えるの、けっこうあったな」
「かわなくていいね」
「買うにしても、百均だと一種の賭けになるからな……」
文具店に行けばいいのだが。
「あ、これかけるよ」
「どれ?」
「これ」
うにゅほの右手にはペン先の折れ曲がった先ほどのネームペンがあった。
「それは駄目だろ……」
「かけるよ」
うにゅほがメモ帳にネームペンを走らせる。
「手首をそんな不自然な角度に曲げなきゃいけないなら、それは書けないってことだろ……」
先折れネームペンはゴミ箱行きとなった。

※1 2013年5月25日(土)参照



2013年9月25日(水)

「ヤマダ電機行くか」
「いくー」
うにゅほはヤマダ電機が好きである。
平日昼間の閑散とした感じが特に好きらしい。
「なにかう?」
「PC用のスピーカーを買おうと思って」
「すぴーかー?」
「ああ」
「?」
小首をかしげる。
「まえ、なかった?」
「あった。あったけど、友達にあげちゃった」
「あげちゃったんだ」
「使わなかったしなあ」
「つかわないの?」
「使い道を思いついたから」
「ふうん」
実を言うと、PC用のスピーカーは幾度となく購入している。
主に特売時に衝動買いするのだが、そのたび使い道に困り、死蔵したり、売ったり、あげたり、捨てたりしてきた。
しかし、今回は違う。
明確な使用目的があるのだ。
「あけていい?」
「いいよ」
年間商品割引券を使い、1,480円で購入したELECOM製のスピーカーを、うにゅほが開封する。
「どうするの?」
人差し指を立て、口を開く。
「それはな──」
俺とうにゅほの部屋は、かつて二部屋であり、壁を撤去してひとつに繋げたものである。
上から見ると「凹」のような形状をしており、真ん中の突起部こと中央本棚によって、生活スペースと寝室スペースとに仕切られている。
生活雑貨の詰め込まれたごちゃごちゃとした生活スペースに比べ、寝室スペースは空間を持て余し気味である。
そこで、PCのある生活スペースからケーブルを引き、寝室スペースで音楽を聴くことはできまいか。
「と、考えたわけだ」
「ほおー」
「テーブルの上に飲み物を置いて、クラシカルなBGMを流しながら優雅に読書──なんてことも可能になる」
自分で言っておいてなんだが、やるかなそれ。
「まあ、なんだ、そうでなくても、イヤホンなしで音楽が聴ける環境ってのはあっていいと思うし」
「うん」
「じゃあ、セッティング手伝ってくれ」
「はい」
中央本棚は、90cm幅と60cm幅のふたつの本棚を組み合わせたものであり、そのあいだに僅かながら隙間がある。
その隙間にUSBケーブルを通し、寝室スペースまで引くのである。
「じゃあ、流すぞ」
「うん」
適当に目についたCDをセットする。
優美なチェロの調べがスピーカーから流れ出した。
「おー……」
「USB電源のわりに良い音じゃんか」
「ゆうがだ……」
「じゃあ、このまま読書だな」
「うん」
そのまま夕方までゆったりと読書に勤しんだ。
けっこういいな、これ。



2013年9月26日(木)

「──……ずず」
予感はあった。
頭は重いし、全身がだるかった。
なにより、昨日からずっと鼻水が止まらなかった。
「やっぱ、かぜ?」
「ずー」
「やっぱし……」
「ここ十年くらい、毎年この時期に風邪引いてる気がする……」
「きょねんもひいてた」
「そうだっけ」
日記を読み返したところ、引いていた。※1
「──…………」
「?」
うにゅほを手招きし、おでこに手を当てる。
もう片方で、自分の額を覆う。
「……完全に、あれだ、熱があるな」
「たいおんけい」
「いや、いい、いい。具体的な数値なんて知ったって、余計に具合が悪くなるだけだ」
「そういうもの?」
「すくなくとも、俺はそうだ」
あからさまな高熱なら、測らずともわかるのだし。
「ねたほういいよ」
「うん……」
しかし、やることは山積みである。
今週の目標をコピー用紙に印刷し、コルクボードに貼りつけているのだが、木曜日に至ってまだ二割も消化できていない。
持ち越すのは嫌だが、つらい。
「寝る……」
体調の悪さに負け、うにゅほの寝床に倒れ込んだ。
「おやすみ」
ぽふぽふと布団を叩き、うにゅほが扉を開く音が聞こえた。
「──……ぶー……」
二時間後、苦しみながら起きた。
体調を崩したときは切迫感が増すもので、普段であればのんべんだらりとしているものを、急いでこなさねばとたまらなくなる。
なかばほど眠りについた意識を引っ張り起こし、デスクに向かおうと歩き出したとき、
──どんっ
と、右肩に衝撃が走った。
本棚にぶつかったのである。
「あー……」
床を見ると、いつか百円ショップで購入したうさぎのオーナメントが割れて、粘性の液体が漏れ出していた。
指先ですくい取ると、無数の細かなフィルムが虹色にきらめいた。
「◯◯?」
破砕音を聞きつけたか、うにゅほが顔を出した。
「あ……」
「ごめん、割っちゃった……」
うにゅほが哀しげに眉をひそめる。
罪悪感が皮膚を粟立たせた。
「かたづけるから、ねてて」
「ごめん」
「ね」
優しく背中を押され、布団に戻った。
苦悶しながら起床すると、オーナメントは綺麗に片付けられていた。
ただ、拾いきれなかった虹色のフィルムが、本棚の足元にいくつか散らばっていた。

※1 2012年10月10日(水)参照



2013年9月27日(金)

目を開けると、午後五時だった。
眠っていたわけではない。
灼熱の布団のなかで、なかば強引にまどろんでいただけである。
それでも安静にしていたことに違いはなく、多少なりとも復調しているように思えた。
「──……ずっ」
鼻水は止まらないが。
自室の扉を開くと、リビングのソファに浅く腰掛けていたうにゅほが視線を上げた。
「おはよ、だいじょぶ?」
「昨日よりは」
「びょういんは?」
「えー……」
掛け時計を見上げる。
午後五時変わらず。
「……今日はいいや」
「いかないの?」
「行かない」
「あさ、いくって」
「言ったけど……」
診療時間には間に合うかもしれないが、面倒だった。
この年齢まで病弱を通していれば、風邪の程度は経験則でわかるし、どんな診断を下されてどんな薬を処方されるかもわかる。
それが対症療法薬であり、市販の風邪薬でも十分な効果を得られることも知っている。
「今日は様子を見て、明日──」
そう言いかけて、気がついた。
うにゅほが外出用のポシェットを提げている。
「……もしかして、ずっと待ってたのか?」
「まつ?」
「病院行くから、俺が起きるの待ってたのかって」
「うん」
さも当然のように頷いた。
「うー、あー……」
唐突な罪悪感に、頭を抱える。
いいのか。
いいのか、俺は、それで。
たかだか面倒くさい程度のことで、このいじらしい少女の気遣いを蔑ろにしていいのか。
「……行くか、病院」
「うん」
うにゅほがぴょこんと立ち上がる。
「ちょっと待ってくれ、着替えるから」
「はい」
ぽすんと座る。
その様子を微笑ましく眺め、きびすを返した。
もそもそと着替えを終え、財布をポケットに仕舞う。
「あ、診察券」
かかりつけの病院の診察券を確認し、
「──…………」
おもむろに自室の扉を開けた。
「いく?」
「診療時間、五時までだった」
「ごじ……」
掛け時計を見上げる。
午後五時五分。
「明日だな」
「うん……」



2013年9月28日(土)

自室に安置してあった愛犬の遺骨を、庭に埋めた。
本当は命日まで待とうかと思っていたのだが、11月の末日ともなると庭土も凍りついている。
天気がよかったので、なんとなく今日にした。
「──あ、墓石どうしよう」
家族で手を合わせたあと、そんなことに思い至った。
計画性のないことである。
「おはかのいし?」
「そう」
「でっかいしかくい?」
「あんなもの置けるか。あれ、すごい高いんだぞ」
「おいくら?」
「……ひゃくまんえん、くらい」
うろ覚えである。
「ひやー……」
うにゅほが目を丸くした。
「むりだ」
「無理だ」
「どうしよう」
「どうしような……」
「あ、あれは?」
名案とばかりにうにゅほが人差し指を立てた。
「ほねガム」
「……喜ぶとは思うけど」
却下した。
「とりあえず、いい形の漬物石を探そう」
「うん」
祖母の漬物石置き場を漁っていると、
「あ、これ──……ぎぎぎ」
うにゅほが抱き上げた石塊は、上下に長く、角張っていて、手頃に思えた。
「俺が持つよ」
「ありがと」
「あとは、墓碑銘か……」
ここに眠る的なものは望むべくもないが、名前くらいはあってもいい。
「でも、彫刻刀でなんとかなるもんじゃないしなあ」
「だめなの?」
「駄目だと思う。ドリルで水晶に穴開けられなかったの、覚えてるだろ」※1
漬物石が水晶と同じ硬さとは思わないが、ドリルで文字を刻むのが難しいことはわかる。
「まさか、コロの二文字を刻むために専用の工具を買うわけにもな」
「うん……」
うにゅほが小石を拾う。
「かけるかな」
「すこしは書けるかもな」
ふたりでしばらく試行錯誤して、遺骨の上に墓石を突き立てた。
「それっぽいな」
「それっぽい」
顔を見合わせて、部屋に戻った。
浅い引っ掻き文字は、すぐに雨で流れてしまうだろう。
まあ、いいか、と思った。
覚えていればいいんだから。

※1 2013年7月15日(月)参照



2013年9月29日(日)

「××、おやつないー?」
「んー?」
ぼりぼりと腹を掻きながら尋ねると、うにゅほがソファから腰を上げた。
「うーと……」
台所でごそごそしたあと、
「チョコボールあった」
右手をこちらに掲げて見せた。
「何味?」
「えと……え、うん?」
うにゅほが目を白黒させる。
「ぱちぱち……」
「え?」
「ぱちぱち」
「何味?」
「ぱちぱちあじ……」
何味だよ。
いまいち埒が明かない。
うにゅほの傍に歩み寄り、チョコボールの箱を受け取って確認する。
「チョコボール、パチパチ……」
パチパチ、と書いてあった。
「ね?」
「パチパチってなんだ」
「……くだもの?」
「や、たぶん、食べるとパチパチするんだと思うけど……」
「チョコで?」
「チョコで……?」
想像がつかなかった。
とにかく、食べてみないことには始まらない。
「いっせーので、ね?」
「はいはい」
「いっせーのー……、で!」
ためらいの混じったうにゅほの掛け声と共に、チョコボールを噛み砕く。
「!」
心地良い刺激が口内に響く。
「ぱちぱちする」
「パチパチするな」
「おいしい」
「美味しいけど、べつにパチパチする必要はないな」
「うん」
森永の意欲は買おう。
「チョコボールはピーナッツだな、やっぱ」
「わたし、キャラメルすき」
「キャラメルも美味しいけど、銀歯が取れる恐怖が常につきまとうからな……」
「ぎんば?」
「銀歯」
「ぎんばって?」
「××、銀歯ないのか?」
「……ぎんばって?」
本当に知らないらしい。
「ちょっと、あーんしてみて」
「?」
小首をかしげながら、うにゅほが口を開ける。
「──……ない」
上下の歯列のどこにも治療痕が見当たらない。
「××、虫歯になったことないのか?」
「ない」
「……そのままの君でいてくれ」
「?」
歯医者の恐怖など、知らないままでいられるなら、そのほうがいいに決まってる。



2013年9月30日(月)

福岡の親戚から梨が送られてきた。
段ボール箱を真っ先に開封したうにゅほが、
「でか!」
と驚嘆の声を上げた。
大げさな、と思いながらうにゅほの手元を覗くと、
「でかっ」
でかかった。
直径が、普通の梨の1.5倍はある。
新高という品種で、大きいものでは重さが1kg近くにもなるらしい。
ニイタカヤマノボレとは関係ないらしい。
「たべよう」
「まあ、せっかくだしな」
台所から果物ナイフを拝借していると、
「あ、わたしむく」
ソファの背もたれから身を乗り出し、うにゅほがそう言った。
「剥けるのか?」
「むけるよ」
「ふむ……」
しばし黙考する。
包丁慣れもしているし、怪我をすることはないだろう。
それに、案外するすると途切れずに剥いてしまうかもしれないし。
「じゃ、頼む」
「はい」
うにゅほに果物ナイフの柄を差し出すと、嬉しそうに受け取った。
「──…………」
「──…………」
集中している。
剥けては、いる。
剥けてはいるが、木彫りの彫刻を見ているようだ。
ゴボウのささがきのような皮が皿の上に散乱し、見るからに危なっかしい。
「……××」
「?」
「俺が剥く」
「うん……」
俺だって梨の皮剥きが得意というわけではないが、うにゅほよりいくらかましである。
「うー……」
意気消沈しているうにゅほを横目で見ながら、なんだか俺は安堵していた。
料理全般ではもう勝てないが、なんでもかんでも俺の上を行かれては、面目が立たないというものだ。
「でーきた、と」
切り分けた梨を皿の上に盛る。
「いただきます」
「いただきます」
サクッという軽い食感と共に、糖度の高い果汁が溢れる。
「あまい」
「美味しいな、この梨」
「うん、おいしい」
「でも、一切れでいいかな……」
「?」
小首をかしげる。
「梨って、二切れ目から砂を食ってるみたいにならない?」
「え、ならない」
「そうか……」
この感覚を共有できたことは、あまりない。
急いで食うからいけないのかな。


← previous
← back to top


inserted by FC2 system