>> 2013年7月




2013年7月1日(月)

「あつ……」
冷房のきいた店内から一歩出た瞬間、真夏の日差しが網膜を灼いた。
影が、墨を流したように濃い。
「あっついねー」
うにゅほが手のひらで顔を扇いでいる。
真似をすると、ほんのすこしだけ涼しかった。
「──…………」
ぱたぱた。
ほんの十秒くらいでもう疲れてくる。
「埒が明かん……」
「?」
「ジュース飲もう、ジュース」
「おー」
ゲオの店外には、十台ほどの自動販売機が軒を連ねている。
「なに飲もうかな……」
すぐそばにあった自動販売機のラインナップを眺めていると、
「そこだめ」
うにゅほが俺の手を引いた。
「そこ、ひゃくにじゅうえん。
 こっちひゃくえん」
しっかりしている。
飲み物に対し過度なこだわりがあるわけでもないので、素直に百円のココアを買った。
「ほー……」
缶を首筋につけると、冷たくて心地がいい。
「××はどれにする?」
「うーと……」
しばし指先を彷徨わせたあと、
「これ」
ぽち。
がこん。
プリンシェイク。
「この暑いのにお前……」
「つめたいよ?」
「そりゃ冷たいのは冷たいだろうけど」
「ごかいふるんだって」
振る。
振る。
「振り過ぎじゃないか?」
「いちおう」
なにが一応なのかわからないが、気持ちはわかる。
「でも、固まってるのを崩して飲むんだろ?」
「たぶん」
「もう原型残ってないんじゃない?」
「……そかな」
プルタブを引き、口をつける。
「おいしい」
「どれ」
缶を受け取り、ひとくち飲む。
「──…………」
小学生くらいのとき、プリンの容器を振りまくってドロドロにした記憶が蘇った。
「……プリンだな」
「うん」
「プリンジュース」
「うん」
飲み終えた缶を捨てるとき、うにゅほが呟いた。
「ふらなくてよかったのかな……」
もやっとしているようだ。
DVDを返却するとき、覚えていたらまた買ってみようかと思った。



2013年7月2日(火)

バイクで外出する予定だったのだが、午後から雨が降り出してしまった。
バイク本体に関わる用事のため、車で行っても仕方がない。
「朝は晴れてたのになあ……」
「そうだねえ……」
窓ガラス越しに空を見上げる。
気の滅入るような灰色が、まだらに広がっていた。
「今日は暑いから、気持ちよかっただろうなあ……」
「そうだねえ……」
曇天続きで、しばらくバイクに乗っていない。
メンテナンス費用や自賠責、任意保険などのコストを考えると、秋めく前にもうすこし乗っておきたいものである。
「──……蒸すな」
「……そだね」
蒸し暑い。
ただでさえ気温が高いのに、突然の雨で湿度まで上がり、おまけに窓が開けられないのだから、蒸さない理由がない。
「せんぷうきだそう」
「扇風機、車庫の二階だぞ。せめて雨がやまないと……」
そこそこの降りである。
電化製品には違いないのだから、雨に濡らすのは避けたい。
「ほら、うちわあったろ」
「やまだでんきじゃないほうでもらったやつ?」
「ケーズデンキな」
志村けんが報われない。
「とってくる」
「頼む」
一分後、
「たくさんあった」
「五本もいらないだろ」
「りょうてで」
「飛ぶのか?」
「とぶの?」
「飛べない」
二本受け取る。
「ああ、でも、片手で二本持つと、うちわの面積が増えるから」
「すずしい?」
「そうかも」
「さんぼんなら」
「やってみな」
やってみた。
「すずしい!」
「よかったな」
言葉を交わしながら、うちわをひとつソファに置く。
「いっぽんにするの?」
「ああ」
「なんで?」
「一分くらいしたらわかる」
一分後、
「──…………」
す。
うにゅほがうちわを置く。
「つかれる」
「まあ、一本でも疲れるから」
「うん……」
うちわを使ったり使わなかったりしながら、暑い暑いとうだうだしていた。



2013年7月3日(水)

前髪を下ろさないため、自室ではダイソーで購入したコームカチューシャを着けている。
幅が3cmほどもある、シンプルで無骨なものだ。
それが、部屋の真ん中に立っていた。
「──…………」
幅が広いと言っても、自然に立つものではない。
なんらかの人為が介在していることは誰の目にも明らかだった。
「──…………」
す、と拾い上げる。
ふと横を見ると、ソファに寝転んでこちらを窺っているうにゅほと目が合った。
「……びっくりした?」
「びっくりしたかと言えば、してない」
「あれー……」
うにゅほが小首をかしげる。
「どっきりした?」
「どっきりも、してない」
「?」
反対側にかしげる。
なんとなくわかる気もするが、一応尋ねてみる。
「……なにがしたかったの?」
「どっきり」
「──…………」
前髪を掻き上げる。
なにをどう説明すればいいものか。
「……××は、カチューシャが立ってたらびっくりする?」
「する、とおもう」
「するのか……」
難易度が上がった。
ドッキリのなんたるかを教えるために言葉を選びながら、ふと思った。
「──……うん、本当はちょっとだけびっくりしたかな」
「そう?」
「びっくりというか、不思議だなーと」
「うんうん」
ここで否定してエスカレートするより、可愛いいたずらに留めておいたほうがいいのではないか。
危険な行為に発展する可能性も、ないとは思うがゼロではない。
「♪」
満足げである。
次はどんなドッキリを仕掛けようか、計画を練り始めているのかもしれない。
布団のなかにビッグねむネコぬいぐるみでも仕掛けられたらどうしよう。
こわやこわや。



2013年7月4日(木)

適当な衣料品店で、新しい甚平を購入した。
「じんべ、ざらざらするねえ」
「麻だからな」
「なんであたらしいのかったの?」
うにゅほが小首をかしげる。
「あれ、ドンキで買った980円の安物だから、もうかなりほつれてるんだよ」
「そなの?」
「帰ったら見てみるか?」
「うん」
麻の甚平は、縫製もしっかりしており、価格も1,980円と手頃だった。
餅は餅屋、服は服屋である。
「ね」
助手席のうにゅほが、こちらを見上げる。
「まえのじんべ、おさがりしていい?」
「お下がり?」
「うん」
「あー……」
思案する。
古い甚平は、下衣がウエストゴム仕様のフリーサイズだ。
試着するぶんには問題ない。
「でも、だいぶ派手にほつれてるぞ?」
「なおせる?」
「寿命を先延ばしにする程度なら、まあ……」
「じゃ、なおしたい」
「……え、××が?」
「はい」
自分が繕うつもりで話していた。
「あー……うん、なんでも試してみるのはいいことだ」
「うん」
「駄目だったら、代わりに俺がやるよ」
「おねがいします」
「お願いされます」
ほつれ方が思ったより豪快だったので、俺が繕った。
「でーきた!」
「おー!」
隣でずっと作業を見つめていたうにゅほが、目を輝かせながら感嘆の声を上げた。
「生地自体が薄くて脆いから、あまり激しく動かないように」
「パジャマ?」
「パジャマにするならよし」
「きていい?」
「いいけど、下にTシャツ着ろよ」
「うん」
リビングで着替えを待っていると、やがて自室の扉が開いた。
「じゃーん!」
「おー、似合う似合う」
上衣はすこし大きいが、和服であるためか大して気にならない。
「◯◯もきて!」
「うん?」
「じんべ、おそろいにする」
「あー」
買ったばかりの甚平に袖を通し、うにゅほと並んで姿見の前に立った。
「いいねー」
「なんらかの工房的なかんじがするな」
「こうぼう?」
「陶芸家、みたいな」
「うーと……?」
よくわからなかったらしい。
ともあれ、今年の夏はうにゅほも甚平である。



2013年7月5日(金)

体調が悪いのか、眠くて仕方のない日だった。
朝食のシチューを平らげたあと布団に戻り、昼食のベーグルを食べたあとソファで横になった。
「──……?」
「──…………」
二言三言うにゅほと会話したはずだが、内容は覚えていない。
ただ、俺の足元で本を読んでいた姿は目に焼き付いている。
「……──ん」
ようやく目が覚めたのは、午後四時過ぎのことだった。
蓬髪を掻き毟りながら上体を起こす。
自室にうにゅほの姿はなく、レースカーテンがほのかに波打っているばかりだった。
「ふあ……」
あくびを噛み殺す。
ソファの下に、黒い装丁のハードカバーが落ちていた。
うにゅほが読んでいたものだろうか。
手に取り、タイトルを確認する。
「──……!」
絶句する。
ドナルド・タイスン版のネクロノミコンだった。
数年前に購入し、読み切らぬうちに本棚の肥やしとなった一冊である。
え、なに、これ読んでたの?
タイトルは有名だから、手に取ってもおかしくはないが。
「ただいまー」
しばらくして、母親と買い物に行っていたうにゅほが帰宅した。
「おかえり」
「あ、おはよう」
「おはよう」
「もうねむくない?」
「まだすこし眠い」
「ねる?」
「いや、さすがに起きるよ」
手遅れかもしれないが、昼夜逆転は避けたい。
「あのさ」
「?」
「さっき、俺の足元で本読んでた?」
「うん」
記憶に間違いはないらしい。
「……なに読んでた?」
「マジックツリーハウス」
「ネクロノミコンじゃなくて?」
「めぐろ?」
「いや、これ」
ネクロノミコンを掲げて見せる。
「あ、これかー」
「知ってるのか?」
「ソファのしたにおちてた」
「──…………」
あれ?
「本棚から取り出しては?」
「ない」
眉間に親指を当てる。
しばし黙考し、
「──……あ」
思い出した。
「昨夜、寝つけなくて読み始めたんだ……」
「そなの?」
足元に落ちた経緯はよくわからないが、ネクロノミコンだから仕方ない。
「なんのほん?」
ネクロノミコンを本棚に戻しながら、答える。
「……魔導書?」
「まどうしょ?」
そうなんだから仕方ない。
いつ読破するかはわからないが、まあコレクターズ・アイテムということでお茶を濁しておこう。



2013年7月6日(土)

「──…………」
蒸し暑い日和だった。
さっぱりと晴れ渡っていたが、夕方から崩れ始めるとの予報で、それを裏付けるように湿度が高く感じられた。
風はなく、穏やかで、草いきれの香りがしていた。
「夏だな……」
「──…………」
「風鈴なんてあれば、風流かな」
「──……うー」
暑い。
気温のせいでも、湿度のせいでもない。
うにゅほが俺の右腕を抱き、ぴったりと身を寄せているから暑いのだ。
「……暑くない?」
「──…………」
しかも、なんだか機嫌が悪い。
うら若き少女と密着しているという状況は、決して嫌ではない。
嫌ではないが、その少女がしかめっ面でカーペットを睨みつけているとなれば、それはそれとしてなんか怖い。
「……なにかあった?」
「──…………」
かすかに首を振る。
嫌なことがあったのか、本当になかったのか、判別がつかない。
「熱でもあるんじゃないか?」
戸惑いを押し隠して、うにゅほの額に手を伸ばしたとき、
「や!」
ぺし!
うにゅほに左手を叩き落された。
「──…………」
そんなことは初めてだった。
驚愕すると同時に、猛烈な不安が心臓を包み込む。
え、嫌われた?
自分でも信じられないほど瞬時に気分が落ち込んだが、よく考えれば密着されているのに嫌いもなにもない。
「……っ!」
うにゅほの瞳が、後悔に濁る。
「ちがう、ちがう……」
俺の左手を取り、恐る恐る撫でさする。
その素振りを見て、我に返った。
「……具合、悪いのか?」
「わかんない……」
「どんなかんじか説明できる?」
「……なんか、むじむじする」
「むじむじ……」
蒸し暑くてむずむずする、とか。
ああいうあれではないはずだし、やはり体調が思わしくないのだろう。
「横になったほうがいいよ」
「うん……」
病院も視野に入れるべきだろうと、保険証を用意しておくことにした。
一時間後、
「なおった」
起き出してきたうにゅほが、けろりとした顔でそう言った。
「それは……まあ、よかった」
「うん」
波があるのかもしれないと警戒していたが、うにゅほは何事もなく一日を過ごし数分前に就寝した。
なんだったんだろう。
女の子は大変、なのだろうか。



2013年7月7日(日)

暑かった。
あまりに暑いので、扇風機を出すことにした。
季節外れの家電製品は、軒並み車庫の二階へと放り込まれている。
備え付けのハシゴを登ると、物と言う物がギュウギュウにひしめく狭苦しい空間があった。
「──…………」
二十年も住んでいると家にも垢が溜まるもので、それをめったやたらに放り込んだらこんなふうにもなるだろう。
幸いにして、年に一度は必ず使う扇風機は、取り出しやすい位置にあった。
「扇風機下ろすから、受け取ってくれー」
「はーい」
無事に下ろし、一息つく。
「ね、◯◯ー」
階下からうにゅほが呼びかけてくる。
「にかい、どうなってるのー?」
「入ったことなかったっけ」
「うん」
「じゃあ、気をつけて上がってきな」
「うん!」
危なっかしい手つきで、うにゅほがハシゴを登ってくる。
床板の隙間からぴょこんと顔を出し、
「わあ──……」
うきうきと瞳を輝かせながら、言った。
「せまい!」
「狭いだろー」
「タイヤすごいあるね」
「たぶん、半分くらいタイヤじゃないか」
うにゅほの手を取り、引っ張り上げる。
「アイスのれいぞうこだ」
「アイスの冷蔵庫だな」
コンビニなどでよく見かける業務用冷蔵庫が、どうしてか、ある。
どうやって上げたのか、よくわからない。
「あ、つめたい!」
しかも、稼働している。
「買いだめした肉とか冷凍してあるんだってさ」
「ふうん」
うにゅほが視線を巡らせ、
「あ、ダーツある!」
業務用冷蔵庫の上に提げられたコルク製のダーツボードを指さした。
「やっていい?」
「駄目」
「えー」
うにゅほがぶーたれる。
「的の位置的に、外したら下に落ちてコンテのボンネットに突き刺さるから駄目」
「あー……」
なんでこんなところにあるか、よくわからない。
「なんか、いろいろあるんだねえ」
「奥のほうとか、どうなってるんだろうな……」
魔窟である。
「このはこなに?」
「あんまりいじるなよ、崩れるから」
「あ!」
うにゅほが歓声を上げた。
「ヘルメットだ!」
「あ、本当だ」
灰色のジェットヘルメットである。
「これつかっていい?」
「いいけど、半ヘルあるじゃんか」
「こっちがいい」
「あの半ヘルのほうが可愛いと思うけどなあ……」
「いーの!」
ジェットのほうが安全性は高いから、それはそれでいいけど。



2013年7月8日(月)

伯父の経営する床屋で髪を切ってもらった。
小さなハゲが増えていたという衝撃の事実はさておき、ちょっとしたおみやげを頂いてしまった。
観賞用の置き石である。
レジの隣にディスプレイされていたものを、うにゅほがじっと眺めていたら、なんやかんやあってくれたのだ。
あと、ガリガリ君ももらった。
爽快なソーダ味に舌鼓を打ったあと、伯父の家を辞した。
「──ね、◯◯」
帰りの車内で、置き石を膝に乗せながらうにゅほが口を開いた。
「これ、なんていしだっけ」
「えー……と」
耳慣れない名前だったはずだ。
「たしか、ジャスパー……とかなんとか」
「じゃすぱー」
「ジャスパー」
「じゃすぱーは、なんていし?」
「だから、ジャスパーって鉱物だってば」
「はじめてきいた」
「俺も……」
鉱物は好きだが、知識がそう広いわけではない。
「ふしぎだねえ……」
原石を断ち割って研磨した断面は、赤茶色と松葉色が複雑に絡み合い、奇妙に入り組んでいる。
「そういうの、いいよな」
「うん……」
うっとりしている。
「これも、こうぶつ?」
うにゅほが、肌身離さず着けている琥珀のペンダントヘッドに手を触れた。
「琥珀は、宝石だけど鉱物じゃないかな」
「ちがうの?」
「鉱物っていうのは──そうだな、地面の下で産まれた無機物とかそういうの」
「むきぶつ?」
「解説が長くなりそうだからそれは置いといて、琥珀はもともと樹液だったんだよ。
 樹液の化石。
 地面の下で産まれたものじゃないから、鉱物じゃない」
「ふうん……」
納得していただけただろうか。
「じゃ、これは?」
うにゅほの指が、俺の胸を指す。
うにゅほからもらった水晶石のペンダントヘッドである。
「水晶は、鉱物。宝石類はだいたい鉱物だよ。
 琥珀とか真珠は違うけど」
「へえー」
幾度も頷きながら、ジャスパーの置き石を持ち上げる。
「きれいだからねー」
だから?
よくわからないが、まあいい。
置き石は、本棚の空いたスペースに陳列した。
なかなかいいものだ。



2013年7月9日(火)

「おいしかったね!」
「そうだなー」
久し振りに自腹で外食をした。
個人経営のレストランなのだが、これがまた美味しい。
「でも、昼食に二千円は奮発し過ぎたな……」
「ステーキやらかかったねえ」
「あれはいい肉だった」
まあ、たまの外食だしよしとしよう。
うにゅほがぽすんとソファに座り、胸元に手を遣った。
「あ」
「どうした?」
「ペンダント、つけるのわすれてた」
「あー」
気がつかなかった。
肌身離さず身に着けているにも関わらず、意外と目が行かないものである。
「……これでよし」
枕元にあった琥珀のペンダントを着け、うにゅほが満足げに頷いた。
「──…………」
このペンダントヘッドは、うにゅほの誕生日に俺がプレゼントしたものである。
そして、俺が着けている水晶石のペンダントヘッドは、うにゅほがプレゼントしてくれたものである。
「ふむ……」
ふと思いついたことがあった。
「ちょっと交換してみるか」
「こうかん?」
「水晶石と琥珀、ペンダントを交換」
「なんで?」
うにゅほがきょとんとしている。
「いや、水晶のほう××に似合うかなーと」
「ふうん」
本当にただの思いつきで、大した意味はない。
「じゃ、やってみよう」
うにゅほが首の後ろに手を回す。
倣うように俺もペンダントを外し、交換した。
「おー、なんかしっくりくるな」
鏡の前に立ちながら、琥珀のペンダントヘッドを指先で弄ぶ。
懐かしい感触だ。
以前は俺が着けていたのだから、当たり前と言えば当たり前である。
「ね、どお?」
うにゅほが隣に並ぶ。
「お、そっちもいいなあ」
黒系のトップスに、薄く虹色に輝く水晶石が映えている。
「似合う似合う」
「ふへへ」
うにゅほが両手でほっぺたを包む。
照れているらしい。
「じゃ、しばらくこのままでいるか」
「えー……」
それはちょっと嫌らしい。
「いつも一緒にいるんだから、たまにこうして交換するのも仲良しっぽくていいかなーと」
「ん、そっかー」
というわけで、今は琥珀のペンダントをしている。
うにゅほは水晶石のペンダントを着けたまま、布団の上で寝落ちしてしまった。
まあ、戻すのは明日でいいか。



2013年7月10日(水)

「さて、今日はなんの日でしょう」
「うーと……」
天井を見上げ、うにゅほが思案する。
「……なっとうのひ?」
「正解!」
「おー」
「食べる?」
「いらない」
「俺もいらない」
納豆が嫌いなふたりである。
「DVD返しに行くかー」
「うん」
ゲオの返却ボックスにDVDを投入し、レンタルコーナーへと足を向けた。
「なにかりるの?」
「モヤさまの続きかなー」
「いいねー」
最近は、映画ではなく、バラエティ系のDVDをよく借りている。
「なにか見たいのある?」
「みたいの?」
「ああ」
「ジブリのやつ」
「金曜ロードショーで、何本かやるらしいよ」
「ほんと?」
うにゅほが目を輝かせる。
「なにやるの?」
「全部は覚えてないけど、たしかラピュタはあったかな」
「みる」
「じゃあ、テレビで見るか」
「うん」
モヤさまのDVDだけを借り、店を出た。
「あ」
「どうかした?」
「プリンシェイク」
思い出したように、うにゅほが口を開いた。
「プリンシェイクのみたい」
「この暑いのに……」
「だって」
「いや、わかってるよ。
 振らずに飲みたいんだろ?」
「うん」
以前、ぷるぷる食感が売りの缶入りプリンシェイクをシェイクし過ぎ、プリンジュースにしてしまった経験があるのだ。※1
それをずっと後悔していたらしい。
「財布あるなら、自腹でどうぞ」
百円だし。
うにゅほはプリンシェイク、俺はココアを購入し、ミラジーノに乗り込んだ。
「そのまま開けるの?」
「うん」
「すこしくらい振ったほうがいいんじゃない?」
「うーん……」
しばし思案し、
「えい」
ぷし!
「あー……」
「あけちゃった」
「いいけど、ちゃんと飲めるのか?」
「──…………」
うにゅほが缶に口をつける。
ずずずずずず……
「……のめる」
「飲みづらそうな音がしたけど」
「おいしいよ?」
「それは知ってる」
次は、ラベルに書いてあるとおり、5回振ってから飲もうな。

※1 2013年7月1日(月)参照



2013年7月11日(木)

「いへ」
ふたりでシャビィを食べていると、うにゅほが唐突に自分の舌をつまみはじめた。
「どうした?」
「なんか、いひゃい」
「痛い?」
「うん」
どうやら舌が痛いらしい。
「べーってしてみ」
「べー?」
「言ってどうする、舌出せ舌を」
「べー」
うにゅほが舌を出す。
舌先に、味蕾ひとつぶんの小さな口内炎があった。
「──…………」
つん。
スプーンの柄でつついてみた。
「いひゃい」
「口内炎だな」
「ほうないえん?」
「もう閉じていいぞ」
うにゅほが口を閉じる。
「こうないえんって?」
「あれ、なったことないのか?」
「したがいたいのは、あったきーする」
「口内炎は、口のなかの炎症というか──あ、鏡見てみな」
卓上ミラーを手渡す。
「あ、なんかしろいのある」
「それが口内炎」
「びょうき?」
「病気っちゃ病気……なのか?」
「さあー」
ふたりで首をかしげる。
「いろんな種類があるらしいけど、××のそれは、ちょっと舌を噛んだところに菌が入り込んだんだと思う」
「なおる?」
「ほっといても治るとは思うけど、とりあえず歯磨きしたらデンタルリンスでうがいしときな」
「うん」
「飲むなよ?」
「のまない」
「あと、チョコラBB的なのがあったと思うから、それは飲みましょう」
「チョコ?」
「マーブルチョコ的なものではない。
 医薬品です」
「なんだ」
チョコで口内炎が治るなら、代わりにニキビが増えそうだ。
「たぶん、一週間もすれば治ると思うよ」
「いっしゅうかん……」
「気になるとは思うけど、触ったり噛んだりしないように」
「はい」
「特に、噛んだりしないように」
「なんで?」
「俺はつい噛んじゃうから」
舌先という、前歯で甘噛みするには絶好の位置にあるので、たぶんうにゅほもやってしまうと思う。
見つけたら注意せねば。



2013年7月12日(金)

「なにさがしてるの?」
リビングの戸棚を漁っていると、うにゅほが通りかかった。
「んー……あった!」
目的のものを見つけ、立ち上がった。
「ほら、これ」
「タオル?」
「手ぬぐい」
「てぬぐい?」
「タオル」
「どっち?」
「タオルでもあり、手ぬぐいでもある」
「──……?」
うにゅほは混乱している。
「まあ、言葉遊びはさておいて」
タオルを開き、両端を持つ。
「甚平着てるときに、帽子だのカチューシャだのはあんまりだと思ってさ」
「うん」
「白いタオルなら合うかなと」
「タオルなの?」
「それはいいから」
タオルを額に当て、後頭部で縛る。
「似合う?」
「おー!」
うにゅほが歓声を上げる。
「あのひとみたい!」
「誰?」
「えと、あの、テレビの……ひと」
なにひとつとして情報が出てこなかった。
「で、似合う?」
「うーと……」
しばし思案したのち、
「にあわない」
きっぱり言われてしまった。
鏡を覗く。
「──…………」
微妙だった。
「こういうのって、似合う似合わないとかあるんだ……」
甚平を着ていれば無条件で似合うのだと思っていた。
はらりとタオルを解き、うにゅほの頭に乗せる。
「?」
されるがままのうにゅほの頭に白いタオルを巻いてみた。
「お、××は意外と似合うな」
「ほんと?」
「甚平着たら、もっと合うかも」
「きてくる」
うにゅほがとてとてと自室へ戻る。
数分後、
「できた!」
頭にタオルを巻いた甚平姿のうにゅほが自室の扉を開け放った。
「おー、可愛い可愛い」
「ふへへ……」
両手でほっぺたを包む。
「なんか、人間国宝的な爺さんの孫娘みたい」
「……?」
ピンと来ないらしい。
自分でも適当なこと言ったと思う。
「それはいいけど、俺の前髪はどうしような……」
「うーん」
仕方がないので、いつものようにコームカチューシャを着け直すのだった。



2013年7月13日(土)

夏の日差しをぼんやりと浴びながら、不意に言葉が口をついた。
「──……海が見たいなあ」
「!?」
はっ、とうにゅほが顔を上げる。
「うみいくの?」
「そういえば、去年は行かなかったなーと思って」
「みずぎ、みずぎを……」
「いや、もう三時になるからな。
 時期も早いし、見るだけにしとこう」
「えー」
「それでも、悪くないもんだよ」
海は、そう遠くない。
車で三十分も走れば、それなりのビーチに辿り着く。
駐車場にミラジーノを停め、わずかな坂道をのぼると、視界を群青が埋め尽くした。
「わー……」
潮風に流される髪の毛を押さえながら、うにゅほが感嘆の声を上げた。
「ひとがすごい」
「……海の感想は?」
唐突に夏が訪れたためか、七月中旬にしては海水浴客が多い。
雑踏と呼んでも差し支えあるまい。
「うみ、こんいろみたいいろしてる」
「海だからな」
「みどりじゃないんだ……」
「ハワイやら沖縄やらと比べちゃいかんよ」
うにゅほが海に求めているレベルが、思ったより高い。
「足だけでも浸かってみようか」
「うん」
サンダルを脱ぎ、両手に持つ。
「あっつ!」
「あちち!」
焼けた砂が、足の裏を焦がした。
「急げ急げ!」
「あはは!」
海水は、思ったより冷たかった。
本格的な夏はまだ到来していないのだろう。
「ね、のんでみていい?」
指先を海水に浸し、うにゅほが尋ねた。
「ほんとにしょっぱいから、舐めるだけにしときな」
「そんなに?」
ぺろ。
「しょっぱ!」
定番である。
ビーチをぐるりと歩いて、駐車場に戻った。
「どうだった?」
「うみだった!」
「入れなかったけど、潮風は気持ちよかったな」
「ねー」
「また今度、泳ぎに来ようか」
「──…………」
海水でべとついた両手を気にしながら、うにゅほが言った。
「……およぐのは、いいかな」
そう答えると思った。
人が多いし、べたつくし、砂を落とすのも手間である。
「じゃ、今年もプールかな」
「それがいい」
「海、嫌いになった?」
「ううん」
「なら、今度は新港のほうに行ってみるか。
 砂浜じゃないから、汚れないし」
「うん!」
いつか、沖縄やハワイで気兼ねなく泳いでみたいものだ。
ああでも観光客はこちらより多いのか。
どうやら、空いている市民プールで泳ぐしか道はないようである。



2013年7月14日(日)

なんだか小腹が空いてしまった。
アイスは午前中に食べてしまったし、牛乳寒天ばかりというのもいささか芸がない。
カップラーメンを作るほどではないし、炊飯器はカラである。
「なんかないかな……」
適当に台所を漁っていると、食べかけのチーズ鱈を発見した。
どうやら半分ほど残っているようだ。
自室に戻り、パッケージに手を入れる。
しっとりとしたチーズ鱈を指先でつまみ、口のなかに放り込んだ。
「うん、美味い」
濃厚チーズ鱈とはよく言ったものである。
「あ、おいしそう」
トイレから戻ってきたうにゅほが、チーズ鱈の袋に手を伸ばす。
「手、洗ったか?」
「あらったよ」
「ならよし!」
「はい」
うにゅほがチーズ鱈を取り出し、口に──
「?」
入れようとして、手を止めた。
「なんか、いろへん」
「え?」
うにゅほの手元を覗く。
「──…………」
カビていた。
「あー……」
二本くらい食べてしまった。
「ほら、袋に戻して戻して!」
「うん……」
袋を巻き、輪ゴムでしっかりと封じる。
「おかしかったの?」
「たぶんだけど、カビ生えてたんだよ」
「しろかったよ?」
「カビにも種類があるからな……」
「たべちゃったの?」
「食べちゃった……」
軽く落ち込む。
「だいじょぶ? おなかへいき?」
「大丈夫……だと、思うけど」
すくなくとも、吐き気や腹痛はない。
「くすり、くすり」
「どうどう」
腰を浮かせたうにゅほを止める。
「量が量だし、なにか症状があってからでいいでしょう」
「そう……?」
なにも起こらないと思うけど。
「◯◯、きづかなかったの?」
「気付かなかった」
「あじ、へんじゃなかった?」
「変じゃない、というか、ふつうに美味しかった」
もしかすると、カビていない部分を食べたのかもしれない。
「あー」
うにゅほが幾度も頷きながら、
「チーズだから……」
と呟いた。
「や、自然発生するカビで美味しくなったりはしないだろ」
「そなの?」
「たぶんだけど……」
どうなんだろう。
さすがに実験はできないので、真相は闇の中である。



2013年7月15日(月)

「おはよー」
「おあよ……」
起き抜けに牛乳を飲んでいると、足元でことりと音がした。
「なんかおちた」
うにゅほが拾い上げたものは、水晶石のペンダントヘッドだった。
「──…………」
「──…………」
うにゅほの右手が、わなわなと震える。
「あの、これ、こわし──」
むに。
うにゅほのほっぺたを両手で挟む。
「落ち着きなさい」
「はい」
「単に、接着剤が剥がれて水晶石が落ちただけだから」
「こわれてない?」
「壊れてない」
「わたし、こわしてない?」
「いや、××は拾っただけだろ」
「ほんと?」
「本当もなにも」
混乱しているらしい。
ふたりで深呼吸をして、食卓椅子に腰を下ろした。
「……なおる?」
「接着剤が剥がれただけ──っちゃあ、それだけのことだし」
「あろんあるふぁ?」
「いや、それはもう使わない」
「もう?」
「──…………」
既に一度剥がれていることは秘密である。※1
パテまで盛って失敗だったのだから、接着剤のみに頼るのは適当でないだろう。
「一応、考えはある」
水晶石の頂上に電動ドリルで穴を開け、ヒートン※2を埋め込み、液状の接着剤を流し込んで固定するのである。
「あぶないよ……」
「大丈夫、電動ドリル用の固定台があるから」
「こていだい?」
「電動ドリルを固定して、まっすぐ垂直に刃を下ろせるようにするための台だよ」
「どうしてそういうのあるの?」
「さあ……」
よくわからないが、あるものはあるのだから積極的に活用すべきである。
「まあ、やってみよう」
「うん」
結果から言うと、失敗だった。
水晶石の硬度が高すぎて、うちにあるドリル刃では削ることができなかったのである。
「どうしよう……」
「こうなると、最終手段かなあ……」
「なんとかなる?」
「なるっちゃあ、なる」
金属製の極細ワイヤーを水晶石に巻きつけ、固定する。
ただそれだけの手法だ。
「かんたんそうだ」
「まあ、うん」
「なんで、さいしゅうしゅだんなの?」
「ワイヤークラフトなんて、できる気がしないからだよ……」
「そかな」
「だって、チェーン通すとこまで全部ワイヤーで作るんだぞ?」
「あー……」
まあ、やり直しは利くのだ。
ホームセンターでステンレスワイヤーを買ってきて、とりあえず試してみた。
「うーわー……」
「びよんびよんだ」
固定できてない上に、見た目までひどい。
「××はなに作ってたんだ?」
うにゅほはうにゅほで、ワイヤーを使って適当に遊んでいたのだ。
「わかんない」
「わかんないのか」
「でも、きれいにできたよ」
ほら、と折り曲げられたワイヤーを手渡される。
「あ、ほんとだ。なんかよくわからないけど、上手くできたな」
「へへ」
「──…………」
ふと、いいことを思いついた。
「これ、使っていい?」
「?」
「この模様を活かして、固定しようかと思って」
「いいよ?」
「──…………」
水晶石とワイヤーを手に、そっと深呼吸をした。
「──……よし!」
うにゅほのワイヤークラフトを軸にしたおかげで、くちゃくちゃでもなんとか見れる代物が完成した。
「どうよ!」
「おー!」
「元よりいいかもしれない」
「きれい、きれい」
満足したが、疲れた。
二度と外れないよう祈る。

※1 2013年6月22日(土)参照
※2 ねじの頭が環状に丸められている金具



2013年7月16日(火)

録画してあったナニコレ珍百景をぼんやり眺めていると、
「──……はっ」
不意に思い出した。
「今日、病院だった……」
「なんじ?」
「一時半から」
リビングの時計を見上げる。
「さんじ」
「やっちゃったぜ……」
「え、え、どうするの?」
「すいません忘れてましたって素直に言うしかない」
「だいじょぶかな……」
大丈夫だった。
しかし、いつもより長く待合室で待つことになった。
「いっせーのーで、に!」
「いっせーのーで、3!」
「いっせーのーで、に!」
「いっせーのーで、3! よし、勝った!」
「まけた」
これで22戦10勝12敗である。
「さすがに飽きたな……」
「そう?」
まだ続けたそうである。
しかし、通りすがりの看護師さんに微笑まれるのはいささか恥ずかしいものがある。
声をひそめているとは言え、多少なりとも気は引けるし。
「なんかこう、無言で遊べるものはないかな」
「むごんかー……」
「──…………」
「──…………」
しばし思案に暮れる。
「……ないな」
「ない」
「無言あっちむいてホイしかない」
「あるの?」
「しかない」
「むごんであっちむいてホイするの?」
「いっせーのーで、と違って、まあリズムでできるかなと」
五分で飽きそうだが。
「じゃあ、やってみよう」
「そうだな」
意気込んだところで、
「──◯◯さーん、診察室にお越しください」
と、看護師さんに呼ばれてしまった。
「あっちむいてホイはまた今度だな」
「うん」
かくして、無言あっちむいてホイは幻の遊びとなった。
問題はない。



2013年7月17日(水)

母親不在のため、夕食はうにゅほが作ることになった。
「◯◯、なにたべたい?」
「そうだなあ……」
食欲がないので、なにを食べたいというのは特にない。
でも、それを言うと確実にぶーたれる。
「……なんか、さっぱりしたのがいいかな」
「さっぱりかー」
「サラダとか」
「サラダだけ?」
「サラダは副菜でしたね」
「じゃあ、そーめんにしよう」
「そうめんか……」
しばし思案し、
「では、そうめんでお願いします」
「はい」
消去法で、そうめんが妥当という結論に至った。
「なにか手伝うか?」
「てつだうことないよー」
うにゅほが朗らかに答える。
まあ、そうか。
「あ、でも、たまごとって」
「そうめんに黄身でも落とすのか?」
「それもおいしいけど、おんたまにする」
「温泉卵かー」
実に美味そうである。
すこし食欲が湧いてきた。
「それじゃ、まっててね」
「おう」
父親が持ってきた仕事を処理していると、
「できたよー」
うにゅほの号令が響いた。
男衆がぞろぞろとリビングに集まり、夕食となった。
「お、なんか豪華だ」
温泉卵を中心に、キュウリやハムの千切り、カニカマなどがそうめんを彩っている。
「冷やし中華っぽい」
弟が言うと、
「そんなかんじにしてみた……」
と、すこし恥ずかしそうに答えた。
アレンジを加えたことが照れくさいのだろうか。
「なら、冷やし中華のつゆで食べるのも面白いかもな」
「うん、そうおもった」
「去年の残ってたっけ?」
「なかった……」
後から気がついたらしい。
「めんつゆでたべてください……」
うにゅほは決まりが悪そうだったが、温泉卵と絡んだそうめんはたいへん美味だった。
キュウリは太かったけど。
「上達したなあ」
しみじみ呟くと、
「──…………」
ほっぺたを両手で挟み、照れていた。



2013年7月18日(木)

バイクショップでパーツを取り寄せてもらい、フラットバーハンドルをYAMAHA純正のアップハンドルに戻した。
アメリカンでフラットとか、変えた従兄の気が知れない。
帰宅してうにゅほに見せると、
「──……?」
と、首をかしげていた。
どう変わったのかよくわからないらしい。
「ともかく、これでバックミラーがちゃんと機能するようになったわけだ」
「きのうしてなかったの?」
あ、余計なこと言った。
「いや、見えてた。見えてたけど、見えにくかった。
 純正に戻してハンドルの幅が広くなったから、今までより後ろが見やすくなった、ということです」
「へえー」
そういうものか、という表情でうにゅほが頷く。
半分は見えていたから、嘘ではない。
そもそも、無断でハンドルを交換した上に純正品を捨てた従兄が元凶なのである。
俺は、そんな失態は犯さない。
「というわけで、元のハンドルを持って帰ってきた」
「なにこれ」
「だから、交換したハンドルだって」
「へんなかたち」
うにゅほにハンドルを手渡す。
「おもい」
「そうか?」
「ちょっとおもい」
「まあ、金属製だからな」
「なんか、あれみたい」
「あれ?」
「……ぶーめらん?」
「あー」
たしかにそれっぽい。
投げても絶対に戻ってこないけど。
「ね、これどうするの?」
「どうするの、って?」
「つかうの?」
「使わない」
「どうするの?」
「どうしよう」
そこまで考えていなかった。
しばしふたりで頭を悩ませた結果、
「おもしろいかたちをしているから、へやにかざる」
といううにゅほの案が採用される運びとなった。
どこに飾るかは、まだちょっと悩んでいる。



2013年7月19日(金)

階段の途中にある窓から家庭菜園を見下ろすと、うにゅほがホースで水を撒いているのが見えた。
微笑ましく眺めていると、うにゅほがこちらに気がついた。
ぶんぶんと手を振るうにゅほに右手を上げて答え、俺も庭に出ることにした。
「おー、やってるなー」
「うん」
うにゅほが頷く。
ホットパンツから伸びる細い足が、健康的でよい。
保護者目線でハラハラせずに済むので、ミニスカートよりホットパンツのほうが好きである。
「気温はそうでもないけど、日差しが強いなあ」
「うん、あつい」
「麦わら帽子でもあればよかったんだけど……」
残念ながら、ない。
仕方がないので、あれをやることにした。
うにゅほから散水ノズルを受け取り、天高く突き上げる。
「ひやー!」
人工の霧が視界を覆い、土がほのかに色づくのが見えた。
「夏はこれだねえ……」
「すずしいねー」
「でも終わりです」
「もうおわり?」
「あんまりやると風邪引くからね」
「しかたないね……」
残念そうである。
「さっさと終わらせて、アイスでも食べよう」
「ガリガリくん、ある?」
「カップアイスしかなかったと思う」
「じゃあ、シャビィがいい」
「俺もシャビィかな」
しらゆきも悪くはないが、シャビィがあるならそちらのほうがいい。
「スーパーカップは?」
「今はちょっとなあ」
「ひとつしかなかったら、はんぶんこね」
「あー……うん、そうだな」
買ってくるという手もあるが、面倒なのでそれでいい。
「きょうのジブリ、なに?」
「たしか、猫の恩返しだったかな。見たことなかったっけ」
「ないよ」
「じゃあ、楽しみだな」
「うん!」
感想としては、とりあえずバロンが格好良かったらしい。
あと、細目の茶色い猫が可愛かったらしい。
個人的には、猫になったあとのハルちゃんが一番可愛いと思うのだが。



2013年7月20日(土)

アリオ札幌に帽子専門店があると知り、うにゅほを連れて行ってきた。
昨日からの流れで、麦わら帽子はどうだろうかと試してみたくなったのである。
「どう?」
「おー、やっぱ夏っぽくていいなあ」
「こっちは?」
「うん、つばの広いほうが似合うと思う。実用的だし」
「そかな」
いろいろと試着するうち、うにゅほが切なげに呟いた。
「でも、かえないんだよね」
「悪い、俺のせいだ……」
お金がないから、ではない。
天気がいいからとなにも考えずバイクで来てしまったせいである。
「カバンはあるけど、小さいし」
「かぶってかえれないもんね」
「ヘルメットの上からは、ちょっとな……」
入ったとしても、シュールだ。
店員に勧められるがまま俺用のポークパイハットを購入し、帽子専門店を後にした。
「あ、すたば、すたば」
「スタバか」
実は、入ったことがない。
「行ってみる?」
「うん」
メニューを開きながら、順番を待つ。
「なににする?」
「なんにしよう……」
うにゅほがうんうんと唸っているうちに、順番が来た。
「えー、キャラメルフラペチーノの、ヘーゼルナッツシロップ追加で、ホイップ多め……の、一番大きいやつで」
我ながらたどたどしい。
肝心のうにゅほはと言うと、
「あの、あの、ふらぺ、この──……」
しばしもごもごと口を動かしたあと、
「お、おなじのください……」
恥ずかしそうに目を伏せ、そう言った。
まあ、頑張ったほうである。
「──…………」
上手く注文できなかったことに気落ちしていたが、
「おいしいねー」
キャラメルフラペチーノのおかげで、すっかり機嫌を取り戻した。
「フラペチーノって、シェイクみたいな感じなんだな」
「うん、おいしい」
飲み終わったあと、気温が下がらないうちに帰宅した。
夏が終わる前に、一度くらいは遠出したいものだ。



2013年7月21日(日)

交換したバイクのハンドルを持て余している。
部屋のインテリアにすることは決まったのだが、どこにどう飾るべきかが一向にまとまらない。※1
「つるす」
「──のは、危ないと思うんだよ」
「おもいから……」
「落ちてきて当たったら、けっこう大きな怪我しそうだもんな」
中空とは言え金属製で、重さ2キロは下らない。
吊るすのは避けたほうがいいだろう。
「おく」
「──と言っても、けっこうでかいからなあ」
π(パイ)の足をまっすぐ下ろし、横棒を引き伸ばしたような形状をしており、全長は70センチほどである。
「飾ってあるのか、片付けてないだけなのか、いまいちわかりづらいというか」
「そだねえ……」
床に置いてあると、邪魔くさいし。
「のせる」
「どこに?」
「ほんだなのうえ……しかない」
視線を上げる。
「載せられそうな本棚は、これだけだな」
「はい」
「使ってないフルフェイスも飾ってあるから、場所としては悪くないかも」
「お?」
「片付けて、飾ってみるか」
「うん」
飾ってみた。
「──…………」
「──…………」
「みえない」
「見えないな」
ハンドルを立て掛ける支えがなかったため、とりあえず寝かせてみた。
背の高い本棚であることも手伝い、ほとんど見えない。
「てつのぼうが、ちょろっとでてる」
「出てるな」
「これは、だめだ」
「駄目だな」
振り出しに戻った。
「それにしても、暑いったらないな!」
「あっちー……」
「ドア開けて、風を通そう」
開けると、すこし涼しくなった。
「でも、ほっとくと風で閉じるんだよなあ」
「ばたん!」
「そうそう」
ドアストッパーの購入を検討すべきか。
「──あ、こうしたらいいよ」
うにゅほがハンドルを手に取り、πの足の部分にドアを噛ませた。
「お、これで動かないな」
「でしょ」
「──…………」
「?」
「ドアストッパーか……」
バイクのハンドルは、大きいドアストッパーということになった。
どっとはらい。

※1 2013年7月18日(木)参照



2013年7月22日(月)

「──……おあー……っふ」
大あくびをかましながら自室を出ると、うにゅほが耳を塞いでいた。
「どうかした?」
「なんか、ぴーっておとする……」
「ぴー?」
うにゅほに言われて耳を澄ますと、限りなく高音で単調な音が響いていた。
「なんだ、うるさいな……」
「きこえる?」
「そりゃま、聞こえるだろう」
決して大きくはないが、不快に分類される音である。
「おかあさん、きこえないって」
「あー……」
なるほど、モスキート音みたいなものか。
「人間が音を聴き分ける能力は、年齢と共に衰えていくらしい」
「?」
「あんまり高い音だと、俺たちには聞こえても母さんには聞こえないってことがあるのさ」
「おとうさんは?」
「聞こえないんじゃないかな」
「おばあちゃんは?」
「ふつうに呼んでもたまに聞こえてないじゃん」
「なるほど」
うにゅほがうんうんと頷く。
しかし、問題が解決したわけではない。
「で、なんの音だこれ……」
「わかんない」
「電化製品とか、携帯とか、とにかく通電してるなにかが発信源ってことは間違いないけど」
「そなの?」
「そうでなけりゃ声の低いコウモリとかだろ」
「えー」
テレビ、ではない。
PCでもない。
スピーカーやアンプが怪しいかと睨んだが、違った。
冷蔵庫ではない。
電子レンジでもない。
掃除機も、ドライヤーも、電位治療器も、コンセントに刺さっていない。
「なんの音なんだこれは……」
「でも、なんかこのへんなきーする」
母親用のPCデスク周辺を、うにゅほがぼんやりとなんとなく示す。
リビングのなかでもごちゃごちゃした場所である。
「そんな気するけど、ここ母さんのパソコンしかないよなあ」
「パソコン、でんきついてない?」
「ついてない」
一旦諦め、家族が揃ったときに改めて家探しをした。
「──……これだ!」
うにゅほがぼんやりと示したあたりを浚ってみたところ、デジタル式の小さな腕時計が見つかった。
発信源は、それだった。
「これ、誰の?」
「あ、俺が拾ってきたやつだわ」
父親が手を挙げた。
「なんでもかんでも拾ってくるから……」
「でも、これ拾ったのって去年とか一昨年だぞ」
「──……?」
妙である。
「××、この音っていつから鳴ってたんだ?」
「あさおきたら」
「──…………」
物陰に落ちていた時計が、なにをきっかけにして鳴り始めたのだろう。
謎だ。



2013年7月23日(火)

「ぅぁー……」
「──…………」
暑くてとろけていた。
真夏日も甚だしい。
「あーづーいー……」
「アイスもうないっけ……」
「ないー」
「……外、出たくないなあ」
日差しが強すぎて、屋内が薄暗い。
「あぉー……」
フローリングの上ででろんとしているうにゅほを眺めながら、思った。
「プール行きたいなあ……」
口に出ていた。
「いく!」
弾かれたような勢いでうにゅほが上体を起こす。
「じゃあ、行くか?」
「うん!」
「婆ちゃんの病院が終わったらな……」
「あー……」
迎えに行かなければならないのである。
それからしばらくして、俺たちは市民プールにいた。
利用料金は、一般で六百円だった。
値上がりしている気がする。
「ぶぶぶぶ」
ビート板を抱えたうにゅほが、バタ足をしながら徐々に沈んでいく。
「浮力を足して、なお沈むか……」
体脂肪率が低いせいだろうか。
「なんでしずむの……」
「そんなこと言われてもなあ」
無精髭の生えた顎を撫でる。
「ちょっと、もっかい泳いでみて」
「はい」
うにゅほが泳ぐさまを、真横から観察する。
秒速5センチメートルくらいでわずかずつ前進し、やがて導かれるように水底へと姿を消していく。
「あー」
わかった。
「ビート板の持ち方が悪い」
「もちかた?」
「××は、ビート板の先を握り込むように掴んでるだろ?」
「うん」
恐らく、ビート板を不慮に離してしまうことへの恐怖心からだろう。
「そう持つと、ビート板の先が下がるんだよな。
 先が下がると、前からの水が上のほうに流れるから、ビート板は自ずから沈んでいく」
「……?」
「ビート板の先を上げれば、沈まないってこと」
「どうやって?」
「持ち方の問題だから──あ、貸して」
「はい」
軽く試行錯誤し、確からしい持ち方を導き出した。
「ビート板の真ん中あたりに両手を置いて、端は掴まない」
「びーとばん、すべる……」
「滑らないから、やってみな」
「うん……」
しぶしぶといった素振りで、うにゅほが実践する。
「──すすんだ!」
「掴まなくても大丈夫だろ?」
「うんぶぶぶぶ」
うにゅほの口元が水没する。
全体的には、沈まなくなった。
一時間ほど遊び、心地よい疲労感と共に市民プールを後にした。
「──…………」
「ぅぁー……」
「あっぢー……」
外に出ると、入る前より暑いのだった。



2013年7月24日(水)

スタジオジブリ最新作「風立ちぬ」を家族で観に行った。
上映時間より随分と早く着いたので、軽く昼食をとり、シネマコンプレックスのあるアウトレットモールで適当に時間を潰した。
「たのしみだね!」
「そうだなー」
ジブリ好きのうにゅほであるが、今作はどうだろう。
肌に合わない気がする。
「──…………」
「──…………」
予感が当たった。
上映開始から一時間ほど経過したころ、集中力が切れたのか、うにゅほが俺の左手で遊びはじめた。
放っておくと、静かになった。
「──……すう」
寝ていた。
仕方ないか、と溜め息をつく。
「風立ちぬ」は、実在の人物を主人公とした伝記的な映画である。
同じ「でんき」でも、うにゅほが好むのは間違いなく「伝奇」のほうだろう。
トトロのようなファンタジーも、ラピュタのような胸躍る冒険も、そこにはない。
うにゅほの知らない昭和という時代を懸命に生きた人々の物語である。
「──……くぁ」
うにゅほが目を覚ましたのは、スタッフロールが流れ始めたころだった。
「ねてた……?」
「爆睡してた」
「ぜんぜんおぼえてない」
くしくしと前髪を整える。
「××の肌には合わない映画だったな」
「うん……」
「ジブリっぽくなかった?」
「えはジブリ」
うにゅほの言いように苦笑する。
「俺は、けっこう楽しめたけどな」
「◯◯はむずかしいのすきだから……」
「難しいというか、大正とか昭和初期の歴史をある程度知らないとわけわからんだろうなーとは思った」
「れきし?」
「関東大震災とか、第二次世界大戦とか」
「……?」
うにゅほが首をかしげる。
予想通りのリアクションである。
「あと、夢と現実がぱかぱか入れ替わるのもわかりにくい原因だろうな」
「ぱかぱか」
「……さては、ほとんど覚えてないな?」
「おぼえてない……」
うにゅほが頭を抱えた。
「──…………」
火垂るの墓とか見せてみようかな。
いや、よそう。
結果は見えているし、間違いなく俺も号泣する。



2013年7月25日(木)

電話やメールなどの着信がわずらわしいので、普段はiPhoneをおやすみモード※1にしている。
着信の予定がある時間帯のみ解除し、あとは事後の確認で済ませているのだが、このおやすみモードに戻し忘れるときがたまにある。
──ぶぶぶっ!
デスクの上で、iPhoneが唐突に振動する。
「うおっ!」
聞き慣れていないので、びっくりする。
「──…………」
横を見ると、うにゅほの背筋が伸びていた。
両目がまんまるに見開かれている。
「……びっくりしたの?」
「──…………」
うんうん、と頷く。
「ここしばらく、ずっとおやすみモードにしてたからな……」
「しんぞうが」
「そこまで?」
固いものの上に置いた携帯の振動音は、たしかに心臓に悪いけど。
「やっぱ、音とか出ないようにしとこう」
「うん」
「──…………」
ふと、悪戯心が湧いて出た。
漫画を取るふりをして、ソファの裏にある本棚にiPhoneを設置する。
そして、三十分ほど放置したあと、GmailアカウントからiPhoneにメールを送った。
──ぶぶぶっ!
「!!!」
読書に集中して猫背がちだったうにゅほの背筋が、一瞬にしてピンと伸びた。
大きく見開かれた両目を、ぱちぱちとしばたたかせている。
面白い。
「びっくしした……」
iPhoneの存在に気がついたうにゅほが、背後の本棚に手を伸ばす。
「あ、悪いけどメール読んでくれる?」
「?」
手元に視線を下ろす。
「ごめんね……?」
「今の俺の気持ち」
「──…………」
小首をかしげ、送信者の名前を確認し、うにゅほの瞳に理解の色がともった。
「もー!!」
「つい出来心で」
「もー……」
牛になった。
「もうしないでね」
「しない」
「ほんとかな……」
うにゅほの目の前でおやすみモードに設定し、iPhoneをデスクの上に戻した。
いたずらはたまにやるから面白いのである。

※1 おやすみモード ── ロック中の着信や通知を消音する機能。



2013年7月26日(金)

「~♪」
口笛を吹きながら、弟が食器を洗っていた。
「?」
うにゅほが弟のそばへ行き、なにやら話しかけている。
しばらくして、帰ってきた。
「みて!」
うにゅほが唇を突き出し、思いきり息を吐く。
ふすー。
「あれ?」
小首をかしげる。
「ちょっとまってて」
きびすを返し、弟のところへ駆け戻る。
なにやら手ほどきを受け、自信ありげに帰ってきた。
「みててね」
うにゅほが再び唇を突き出し、ゆっくりと息を吐く。
ぴすー。
ちょっと鳴った。
「……?」
小首をかしげる。
思ったように行かないらしい。
「まっててね」
行ったり来たりと忙しい。
「いきます!」
うにゅほが三度唇を突き出し、慎重に息を吐く。
ぴゅぴすー。
「なった!」
「おー、鳴った鳴った」
軽く拍手をする。
「でも、ちょっとしかならない」
「初めて試して鳴ったんなら、上手いほうじゃないか?」
「そかな」
「俺、最初は全然だったし」
小学生のときだけど。
「◯◯はふけるの?」
「吹けるよ」
唇をまるくすぼめ、ドレミを奏でる。
「なんかひくいね」
「なんか低いんだよ」
弟より1オクターブは低い。
「おとかえるの、どうやるの?」
「えー……」
感覚で理解していることを言葉に変えるのは、けっこう難しい。
「たぶん、舌で調整してるんだと思うけど」
「した?」
「べろ」
「べろ?」
「まあ、自然とわかると思うよ」
「ふうん」
うにゅほがなんとなく納得する。
「他にも高等テクニックがあるぞ」
「?」
「口笛の必須テクニックと言っても過言ではない」
「おー」
うにゅほの目が輝く。
「口笛を吹いてると、どんどん空気がなくなって苦しくなっちゃうだろ。
 そんなとき、どうしたらいいと思う?」
「むりをしない」
身も蓋もないことを言われてしまった。
「答えは、吸いながら鳴らす」
「え」
「~♪」
猫の恩返しの主題歌を吹くと、うにゅほが目をまるくした。
「いき、すってるの?」
「吸ってないと、すぐ息切れるだろ」
「はー……」
「そんなに難しくないから、練習してみたらいい」
「うん」
果てしなく長い口笛坂を、うにゅほが登り始めた。



2013年7月27日(土)

引き出しから、未開封のワープロ用感熱紙が出てきた。
いまさらどう活用すればいいのだ。
「かみ?」
うにゅほが手元を覗き込んだ。
「これは、ただの紙じゃないぞ。不思議な紙だ」
「どうふしぎ?」
「指で字が書ける」
開封し、感熱紙を一枚抜き出す。
「なんて書いてほしい?」
「アイス」
それは食べたいものだろ、と思いながら、爪の先でアイスと書く。
「あ、ほんとだ!」
「だろ?」
「でも、アイヌになってる」
「うるさいな」
指で字なんて書き慣れているはずがない。
「わたしもやっていい?」
「いいよ」
「つめでやるの?」
「そう、なるべく強めに書いたほうがいいかもしれない」
うにゅほが大きく俺の名前を書く。
「◯◯!」
「──…………」
なんだか気恥ずかしい。
「なんで、じーかけるの?」
「熱に反応して黒くなる薬品が塗ってあるらしいよ」
「ねつ?」
「熱」
「もやしたらくろくなる?」
「燃やしたら灰になるな」
「ゆびですりすりしたら、くろくなるかな」
「摩擦熱か。試したことないな」
「やってみる」
うにゅほが感熱紙の上に指を置き、激しく前後させる。
「に、い、い、ぃ、い──……」
十秒ほど摩擦した結果、
「ならない……」
「ヤケドしない程度の摩擦熱じゃ、変色しないのか」
「じゃ、ドライヤーは?」
「あー、なるかもな」
試してみた。
「ならない……」
「ならないな」
意外である。
「ドライヤーくらいの熱なら、黒くなると思ったけど」
「もやす?」
「感熱紙関係ないからね」
「あついもの、あついもの……」
うにゅほが思案を巡らせる。
「あ、すなはま!」
「日差しが強い日の焼けた砂なら、黒くなるかもな」
「あめだもんね」
「いや、晴れてても行かないからね」
感熱紙を砂浜に押し付けるために海へ行くってなんだ。
「爪では黒くなるんだから、それでいいじゃないの」
「そだね」
感熱紙を使ってふたりで遊んでみたが、五分と持たなかった。
九十七枚の感熱紙は、引き出しの奥へと再び姿を消した。



2013年7月28日(日)

コンビニで見かけるようなアイス用の冷凍ショーケースが、車庫の二階にある。
理由はわからないが、ある。
二十年ものあいだ、備蓄用の冷凍庫として稼働し続けてきたものだ。
それを、買い換えることになった。
というか気がついたら新しい冷凍庫が車庫の一階に置いてあった。
「──それはいいけど、どうやって入れ替えるのさ」
「滑車とロープがあるだろ」
「えー……」
父親の言葉に、思わず渋面を作る。
我が家の車庫は、ロフト付きマンションのような構造をしているため、滑車とロープを使って下ろすことは不可能ではない。
不可能ではないが、重い。
冷凍ショーケースの推定重量はおよそ120kgである。※1
そう告げると、
「人手を集めればいい」
と、あっさり言ってのけた。
三十分後──
「このひも、ひっぱればいいの?」
「紐じゃなくてロープな」
車庫の二階の窓から垂れたロープの先を、うにゅほがぴろぴろと弄ぶ。
真下では危ないので、車庫の外から引っ張ることにしたのだ。
「というか、べつに××は引っ張らなくていいんだけど」
隣近所に助力を請い、ふたりほど手伝いに来てくれることになったのである。
「やるよ」
「やるのか」
やるなら仕方がない。
「手順はわかるか?
 まずは引っ張って、合図と共にゆっくり下ろしていくんだぞ」
「うん」
庫内では、父親が冷凍ショーケースの操作や向きの調節を担当する。
俺たちは指示に従えばいい。
「てのひら痛くなるから、軍手しろよ」
「はい」
近所の人の笑顔に後押しされ、うにゅほが先頭に立った。
悪くない位置取りだろう。
「──引っ張ってくれー!」
父親の指示が飛ぶ。
「よいっ、しょお!」
成人男性3.5人分の膂力でも、かなりつらい。
「ゆー……っ!」
気合の抜けそうな声が、うにゅほの口から漏れる。
「よし、下ろしてくれ!」
後方に傾けていた重心を、ゆっくりと前方へ戻していく。
がむしゃらに引っ張るより、腕に響く。
「ぬぬぬぬぬ……」
うにゅほの声に、気が抜ける。
近所の人も同じ感想を抱いたのか、最後の最後で勢いがついてしまった。
まずい。
ショーケースが壊れるのは構わないが、アスファルトがへこむのは問題である。
そう思った瞬間、
「わー!!」
ロープにつられて、うにゅほが浮いた。
「うお!」
慌てて抱きとめる。
「ういた!」
「ああ、浮いたな」
50cmくらい。
「あはは、ういた、ういた!」
「──…………」
楽しそうだが、危ないところだったのは間違いないのだし、諭すべきかと思ったが、決してわざとではないし、同じシチュエーションはまずないと言える。
なんとなく苦笑して、うにゅほを離した。
新しい冷凍庫は、ショーケースの半分くらいの重量だったので、さほど苦労せず二階へと上げることができた。
後片付けにも駆り出されて、もう汗まみれである。
疲れた。

※1 一般的な冷凍ショーケースの重量、製造年代、成人男性ふたりで持ち上げられないことなどから推定した、おおよその数値。



2013年7月29日(月)

チェアに腰掛けていると、うにゅほがとてとて寄ってきた。
「◯◯、いーってして」
「いー」
口角を上げ、前歯を見せる。
「ふんふん」
「どう?」
「しろくなってきた」
「よかった……」
前歯に茶渋がついて、変色してしまっていたのである。
「ドラッグストアで買ったそれっぽい歯磨き粉でも、けっこうなんとかなるもんだなあ」
「ねー」
痛くもないのに歯医者に通わねばならないかと思った。
「それにしても、なんで茶渋がつくようになったんだろう」
「えーっと……」
うにゅほが顔を伏せ、遠慮がちに口を開いた。
「おちゃのむから……」
「それはそうなんだけど」
煮出した烏龍茶をペットボトルに入れ、冷蔵庫で冷やして飲む習慣がある。
「ペットボトルもちゃいろくなるんだから、はもちゃいろくなるとおもう」
「夏になって、飲む量も増えたしな」
「のみすぎだとおもう……」
そうかもしれない。
「××はいいな、茶渋つかなくて」
「りょうのもんだいかと」
「お茶を含んだまま生活してる人は、茶渋つきやすいのかな」
「そのひとは、なんでそうしてるの?」
「それは、その人に聞いてみないことには」
「えー……」
呆れた視線を向けられる。
「テレビかなにかの企画で、笑いを我慢しなきゃならないとか」
「ずっと?」
「ずっと」
「にじゅうよじかん?」
「二十四時間」
「おおみそかのやつみたい」
「笑ってはいけないシリーズか」
「うん」
「尻ぶっ叩かれて茶渋ついてじゃダウンタウンも大変だな」
「だから、おちゃすくなくしたほうがいいよ」
「だから……?」
急に話題が戻ったが、言いたいことはわかる。
「水のほうがいいんだろうか」
「うーん……」
「でも、水飲むくらいならお茶のほうがいい気もする」
「そもそも、すいぶんが……」
「ちゃんと水分を補給しないと、脱水症状になるんだぞ」
「のみすぎてもだいじょぶなの?」
「飲み過ぎちゃ駄目だけど」
「のみすぎないように」
「はい」
気をつけなければ。



2013年7月30日(火)

冷蔵庫から1.5リットルのペットボトルを取り出し、チェアから手が届く位置に置いた。
「おちゃばっかり」
「いや、今日は飲んだほうがいいって」
室温はとうに30℃を超えている。
黙っていても汗が吹き出てくるくらいだ。
「××だって、汗かいてるだろ」
「うん」
「出たぶんは補給しておかないと、カラカラになっちゃうぞ」
「そっかー……」
うんうん、と頷く。
納得していただけたようである。
「おちゃ、のんでいい?」
「のど乾いてたのか」
「かわいてないけど、かわきそうだから」
うにゅほがペットボトルに手を伸ばす。
「──ぬゃ!」
表記しがたい悲鳴を上げて、うにゅほが自分の手を抱き寄せた。
「べしょべしょだ!」
「べしょ……あー」
ペットボトルに触れる。
猛暑のためか、結露がすごいことになっていた。
「川で冷やしてたみたいだなあ」
「たおる、たおる」
「俺が頭に巻くやつ、そのあたりにない?」
「つかっていいの?」
「いいよ」
どうせ洗濯するのだし。
ペットボトルの結露を拭い、人心地ついた。
「なんで、あせかくんだろ……」
「私たち人間が?」
「ペットボトルが」
「イージーとハード、どっちがいい?」
「なにが?」
「難易度が」
「なんの?」
「ペットボトルが汗をかく理由についての解説の」
「……イージー」
「了解」
こほん、と咳払いをする。
「空気には、水分が含まれてる」
「しつど?」
「そう。そして、空気が水分を含むことのできる量は、気温によって異なる。
 気温0℃と30℃とでは、同じ湿度100%でも、30℃のときのほうがずっと水分量が多いんだ。
 気温が高くなると、水を入れる器が大きくなるわけ」
「そうなんだ」
「水分をたくさん含んだ空気を急に冷やすと、器が急に小さくなるわけだから──どうなると思う?」
「……あふれる?」
「そう、溢れる。溢れた水分が、ペットボトルの汗ってことですね」
「おー」
ぱちぱち、と拍手が起きた。
「すごいねえ」
「なかなか面白いだろう」
「ハードだと、どうなったの?」
「飽和水蒸気量とかそういう単語が出てきた」
「……ほうわ、す?」
「イージーでよかったな」
「うん」
うにゅほにものを教えるのは、けっこう楽しい。



2013年7月31日(水)

「なんか、あんまりいいのないなあ……」
近所にある大きめの本屋で、とあるものを探していた。
「さっきから、なにさがしてるの?」
「いやちょっと──……これでいいかな、もう」
「?」
うにゅほが俺の手元を覗き込む。
「ドリルのおうさま、さんねんせい?」
「計算ドリルだな」
「……ばかにしてる?」
うにゅほがぶーたれかける。
あ、そうか、ふつうに考えればそうなるか。
「いや、これは××用じゃないよ」
「ちがうの?」
「俺がやろうと思って」
「えっ」
しばし硬直し、
「◯◯なら、ろくねんせいでも……」
「中学生のでもできるわ。
 最近、暗算が遅くなってきたから、ちょいと頭の体操でもと思っただけだよ」
「あー」
うんうんと頷く。
「本当は、二桁三桁の四則演算がランダムに100ページくらい並んでるだけのやつとかがいいんだけど、そういうの見つからなくて」
「これやるの?」
「暇を見てな」
「わたしもやっていい?」
「そりゃまあ、いいけど──」
ふと、いいことを思いついた。
「そうだ、同じのを二冊買って、競争してみるか」
「お?」
「そのほうが捗ると思うし」
「いいねー」
小学3年生用の計算ドリルを二冊購入し、家路についた。
「では、始めましょう」
「はい」
食卓テーブルに陣取り、ドリルを広げる。
「まずは、二桁の足し算と引き算からだな」
「うん」
「迅速かつ正確に問題を解いたほうの勝ちです。
 合図をどうぞ」
「うーと、は、はじめ」
二分後──
「できた!」
「はや!」
俺は、まだ五問も残っている。
「ふふん」
得意げである。
答え合わせの結果、
「まんてん!」
「……1問ミスった」
「はい、ごうかくシール」
俺の答案に、うにゅほがはなまるのシールを貼った。
「××は?」
「まんてんシール」
自分の答案に、王冠のシールをぺたりと貼る。
「──…………」
なんか、異様に悔しい。
「まんてんシール欲しい……」
「がんばりましょう」
「頑張ります」
左脳がこなれてきたのか、三桁の足し算では同じくらいの速度だった。
「またごうかくシールだよ……」
「どんまい」
しかも、一桁目を書き損じるというケアレスミスである。
三桁の引き算に差し掛かり、ようやく、
「まんてんシール!」
「うー……」
うにゅほも満点だったのだが、速度で追い抜かれたのが悔しいらしい。
「これが実力ですよ」
「くそう」
ちなみに、小学4年生用の計算ドリルも購入してあったりする。
しばらく遊べそうだ。


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