>> 2013年4月




2013年4月1日(月)

仕事で使う文房具を購入するため、大きめの文具店へと赴いた。
ステンレス製の直定規と五色ボールペンをうにゅほに渡し、父親に電話を掛ける。
「──ああ、うん、わかった」
適当に会話を切り上げ、iPhoneを仕舞う。
「りょうしゅうしょ、いるって?」
「ああ、いるってさ」
千円ちょっとの額面だが、チリも積もればというやつである。
レジで支払いを済ませ、帰宅の途についた。
「あ、ちょっとコンビニ寄っていいか?」
「なにかうの?」
「ピーチティー」
「すきだねえ」
セブンイレブンの駐車場に車を停める。
「わたし、まってるね」
「欲しいものある?」
「ううん」
うにゅほが首を振る。
「じゃあ、ちょっと待っててくれな」
iPhoneをうにゅほに手渡し、車を降りた。
TEAS'TEAのピーチティーを2本購入し、フロントドアを開く。
「ただいま」
「おかえり」
「なに見てるんだ?」
うにゅほが開いているのは、文具店の袋だった。
「これ、りょうしゅうしょ?」
わずかに掲げた指から、細長い紙切れが垂れ下がっていた。
「いや、それはレシ──……」
深呼吸をするように、ゆっくりと言葉を失っていく。
背骨を氷柱と取り替えられたような悪寒が、濁音のみで構成された効果音と共に、背筋をうねり這いまわる。
「? どしたの?」
「──……た」
「?」
小首をかしげるうにゅほを見つめ、ぽつりと呟いた。
「領収証、もらうの忘れた……」
「え」
うにゅほが絶句する。
「電話で確認してすぐ会計したのに、すっかり忘れてた……」
俺は馬鹿なのだろうか。
「えー──……と」
うにゅほの視線があらぬ方向をさまよい、
「……ピーチティーのもっか」
「ああ……」
片方のペットボトルをうにゅほに渡す。
「──TEAS'TEAのピーチティーは、本当に美味しいなあ」
「うん」
「マスカット&ダージリンは、あんなに不味いのになあ」
「うん」
しばし現実から逃避したのち、すごすごと帰宅した。



2013年4月2日(火)

ぎりぎり午前中に目を覚ますと、燃えるゴミ箱が空になっていた。
俺は、ゴミ収集日を覚えていない。
必要がないと言い換えてもいい。
早起きのうにゅほが部屋のゴミ箱を空けておいてくれるからである。
「──…………」
でも、それってどうなのよと思わないでもない。
日常生活を送る上で必要な細々としたことを、うにゅほまかせにしているふしがある。
いや俺は俺でいろいろやってるけれども。
「というわけで、最低限ゴミの日くらいは把握しておこうかと思った次第です」
「というわけ?」
「そこは脳内で完結した部分だから気にしないように」
「はい」
なぜかうにゅほが姿勢を正した。
「えーと、じゃあ、そもそもなんの日があるの?」
「なんのひ?」
漠然とし過ぎていただろうか。
「燃えるゴミの日とか、燃えないゴミの日とか……」
「もえるゴミ、きょうだよ」
そういえばそうでしたね。
「もえるゴミと、もやせないゴミと、びんかんだよ」
「びんか──ああ、ビン・缶か」
いきなりなにを言い出したのかと思った。
「燃えるゴミの日って、週に二回あるよな」
「うん」
「今日と、いつ?」
「きんようび」
「へえー……」
だんだん思い出してきた。
「燃やせないゴミは、木曜だっけ」
「そだよ」
うにゅほと一緒に暮らし始めるまでは、しっかりと覚えていたのだ。
人間、必要のない記憶は風化していくものらしい。
「ビン・缶は──……えー……」
「びんかんは、どようび」
「ああ、そうだったそうだった」
ペットボトルを溜めがちなので、土曜日を逃すと大変なのだ。
「……あれ、ペットボトルは?」
「ペットボトルも、どようび」
「ビンでも缶でもないけど」
「でも、どようびなんだもん」
「えー……と」
なにか言い方があったような。
「ペットボトルも、仲間はずれは可哀想だよな」
「うん」
「ペ・ビン・缶」
「ペ?」
「ペットボトルのペ」
「かんこくのひとみたい」
「じゃあ、ビン・缶・ペ」
「びんかんぺ」
「ビン・ペ・缶」
「びんぺかん」
「なんの話だったっけ」
「しげんゴミの」
「そうだ、資源ゴミだ」
アホな会話を繰り広げてしまった。
ゴミ収集日はメモ用紙に書き留め、壁に貼り付けておくことにした。
今度は忘れませんように。



2013年4月3日(水)

俺は納豆が好きではない。
嫌いでもないので食べることはできるが、あのにおいには辟易してしまう。
対してうにゅほは、やっぱり嫌いである。
以前、鼻をつまみながら食べようとしたところを、そこまでしなくていいと諌めたことがあった。
俺とうにゅほ以外の家族は皆納豆好きなので、食卓で肩身が狭いときがある。
比喩的なことではなく、漂う納豆臭を避けるため食卓の端に身を寄せ合うので、本当に肩身が狭いのだ。
「そんなに臭くないでしょ」
と家族は言うが、臭いものは仕様がない。
うにゅほに目配せをして、渋い顔で頷き合うのが常である。
「正確に言うと、納豆のにおいが嫌いってわけじゃないんだ」
「わたしはきらいだけど……」
「──…………」
口をつぐむ。
「……えーと、納豆とごはんだけを差し出されれば、食べられることは食べられるんだ」
「わたしはいやだけど……」
「──…………」
口をつぐむ。
どうやら価値観の細部に相違が見られるようだ。
「続けていい?」
「うん」
「なにが駄目って、他のおかずがあることなんだよ」
「……?」
うにゅほが小首をかしげる。
「納豆は納豆で構わないけど、あのにおいを嗅ぎながら他のおかずを食べるのが我慢ならないんだ、俺は」
「あー!」
ぶんぶんと頷く。
コンセンサスがとれたようだ。
「おかずのあじ、わかんなくなる」
そこまでか。
「はなでいき、しないようにしてるもん」
そのせいじゃないか?
「でも、食べるなとは言えないしな……」
「そだねえ」
そんなギスギスした食卓は勘弁願いたい。
「ああ、でも、あれは美味しいよな」
「どれ?」
「納豆巻き。あれ、臭くないし」
納豆のにおいを海苔巻きに封じ込めることにより、うまみだけを引き出して味わうことができる。
なんと素晴らしき食の発明であることか。
「あれならいくらでも食べられるよなー」
「わたしはたべないけど……」
「──…………」
うにゅほの納豆嫌いは相当なものらしい。



2013年4月4日(木)

チェアにだらしなく座りながら、ぼんやりとディスプレイを眺めていた。
「パソコン、テレビにしてるの?」
「ああ」
「なにみてるの?」
そう尋ねながら、うにゅほがディスプレイを覗き込む。
「──ぷふっ」
吹き出した。
「うふ、くふふ……」
「××、マツコ・デラックス見ると絶対笑うよな」
「いきなりだったんだもん」
「たしかにインパクトあるけどさあ……」
すぐに慣れるだろうと思いながら、そろそろ一年くらい経っている気がする。
ツボに入ると長いらしい。
「……家ではマツコ・リラックス」
「ばふう!」
相変わらずダジャレも好きである。
「見るなら丸椅子持ってきな」
「ううん、いい」
「珍しいな」
「むずかしそうだから、いい」
「あー……」
池上彰がいるからな。
しばし思い思いの時間を過ごしていると、なんだか肌寒くなってきた。
手先はこすればどうとでもなるが、シャツの下は難しい。
そもそも上着を羽織ればいいのだが、それはそれで面倒だった。
ぶすー。
シャツの生地に口を触れ、呼気を送る。
一時的かつその部分に限るが、熱さを感じるほどの暖を取ることができる。
「なにしてるの?」
「いや、なんかちょっと寒くて」
「ストーブつける?」
「それほどでもないかな」
「そっか」
閉じた本をまた開こうとして、うにゅほが手を止めた。
「……さむいと、それするの?」
「これ?」
ぶすー。
「それ」
「試しにやってみたらいいよ」
「どうやるの?」
「服に口つけて、息を吹くだけだよ」
うにゅほが、右腕に唇を軽く押し当てる。
「ほう?」
「そのまま、ふーっと吹く」
「ふー……あ、あったかいね」
「だろ?」
「ふすー」
「──…………」
「ぷすー」
「──…………」
「ぴすー」
いつまでやる気だ。
「あんまりやると、息の水分で湿気るぞ」
「えっ」
読者諸兄も、やりすぎないように。



2013年4月5日(金)

子供をあやす108の技法、そのひとつに「ヒコーキ」がある。
仰向けの状態から天井へ向けて足を伸ばし、その上に子供を乗せるというものだ。
腹這いの子供が空中で前後に揺らされる姿から、ヒコーキと呼ばれている。
「ほれほれー」
「(声にならない声)! (声にならない声)ッ!」
従兄が子供を連れて遊びにきたので、適当に遊んであげていた。
以前そういった職業に就いていたこともあり、子供の喜ぶツボは心得ている。
「……託児所じゃないんだから」
子供を小脇に抱え直し、溜め息まじりにそう呟いた。
「う、うららー」
うにゅほが子供の手を取り、恐る恐る上下に揺らした。
「──…………」
まんまるな瞳が、うにゅほを見つめる。
やがて、
「ばっ!」
謎の掛け声を残し、子供は廊下を駆け去っていった。
「あー……」
うにゅほの手が力なく下りていく。
違う、違うんだ。
子供と遊ぶときは、遠慮してはいけないんだ。
安全には十二分に配慮しつつ、一緒に遊ぶくらいの気持ちではっちゃけるべきなのだ。
そう教えてはいるのだが、なかなか実践は難しいようである。
従兄が帰途につき、しばらくして、うにゅほが口を開いた。
「……ずるい」
「──…………」
そう言われてもなあ。
「こればっかりは、ゆっくり慣れてかない──と……」
うにゅほに手を引かれた。
チェアから腰を上げ、導かれるままに布団の前で立ち止まる。
「ここねて」
「え? あ、うん」
掛け布団の上に仰臥する。
足元に移動したうにゅほが、手を伸ばして言った。
「ひこーき」
「えー……そっち……?」
まあやるけど。
「そらっ!」
うにゅほの腹部に両足をあてがい、手を引きながら持ち上げた。
「わあー、あ、あ、ぁ……」
楽しげに空中を遊覧していたうにゅほの声が、どんどん細くなっていく。
「おなか、おなか、くるっ、し」
うにゅほの体重ではさすがに無理があったらしい。
慌てて下ろそうとして、
──がちゃっ
自室の扉が開いた。
「──…………」
母親がいた。
「あんたら、なにやってんの……?」
なにをやっているのだろう。
「あの、あの、うっ」
腹部を圧迫され、うにゅほがうめき声を漏らした。
「やばっ」
うにゅほを下ろす。
「まあ、経緯はわかるけど……」
呆れた顔をしながら、母親が言葉を継ぐ。
「ベーグルもらったから、食べる?」
「食べる」
「たべる」
チーズベーグルはそこそこ美味しかった。



2013年4月6日(土)

「ここにチーズケーキがあります」
「はい」
「冷凍されています」
「はい」
「食べます」
「かたいよ?」
「だって今食べたいから」
「おなかすいたの?」
「起きたらいなり寿司が一個しかなかったんだ」
「そうなの……」
「もしかしたら、シャリシャリしてより美味しくいただけてしまうかもしれないし」
「れいとうのチーズケーキ、まえもたべたきーする」
「食べたな」
「◯◯、まえもかたいままたべてたきーする」
「食べてたな」
「シャリシャリしてた?」
「固くて冷たい普通のチーズケーキだった」
「そうなの……」
「店が違うから、あるいは」
「どうかな」
「たぶん、固くて冷たいチーズケーキだと思うけど」
「でもたべるの?」
「炊飯器にごはんがないんですよ」
「ごはんがわり……」
「三食甘いものでも三日はいけると思う」
「あまいのすきだもんね」
「というか、××はなに食べたんだよ」
「あさ?」
「朝」
「めだまやきと、たまごやきと、ごはんたべたよ」
「卵ばっかりだな」
「おべんとうのあまりだって」
「目玉焼きが?」
「めだまやきが」
「え、目玉焼きが?」
「あ、ちがう、たまごやきだ」
「引っ掛かったな」
「ゆだんした……あ、おもちあるよ」
「もちとチーズケーキは合わないと思うなあ」
「そかな」
「和洋折衷にも程があるだろ」
「あれ、でも、ケーキにおもちかかってるやつ」
「ああ、求肥か」
「ぎゅうひ?」
「もちはもちだけど、塩の効いた豆餅と和菓子は別勘定だと思う」
「そっかー」
「あ、フォーク取って」
「はい」
「さんきゅー」
「ささる?」
「刺さる、刺さるけど、これは固いな……」
「あ、ぼろぼろ」
「なんか削り取ってる気分になってきた」
「たべれる?」
「中心にぶっ刺せば持ち上がるから、あとは豪快にかじりつけば」
「うーん……」
「やらないけど」
「うん」
「あきらめよう」
「それがいいよ」
「どのくらい置いとけば柔らかくなるかなあ」
「いちじかんくらい?」
「あ、オーブンで焼き直したら」
「やめたほうが……」
「やめとこう」



2013年4月7日(日)

昨夜、午後十時頃のことである。
イージーリスニングを流しながら日記を書いていると、
「──…………」
いつの間にか、うにゅほが隣に立っていた。
右耳のイヤホンを外す。
「どうかした?」
「にっき、かいてるの?」
「ああ」
「チーズケーキのはなし?」
「ああ」
「おいしかったねえ」
「……ああ」
すげえ書きにくいんだけど。
「わたし、なんでひらがななの?」
「いや、どっちが話してるかわかりやすいように」
「えー」
うにゅほが眉をひそめる。
「◯◯もひらがながいいな」
「俺は大人だから……」
「そっかー」
「──…………」
「──…………」
ディスプレイに表示された文字列を、うにゅほの視線がたどたどしく追っていく。
読まれている……。
「あ」
「どうかした?」
「きがする」
「気がする?」
「きがする、ってかいてる」
「書いてるな」
「わたし、きーするっていっちゃう」
「ああ」
「きーするっていっちゃうよ?」
え、修正しろってこと?
「気がする、のほうが正しいんだよ」
「うん、きーつける」
「気をつける」
「きをつける」
「よろしい」
「でも、きーするっていっちゃったから……」
「そうか……」
そんな細部まで正確を期する必要はまったくないのだが、うにゅほが気になるなら仕方ない。
「じゃあ、きーするに変えておくな」
「うん」
「──…………」
「──…………」
見つめ合う。
「かかないの?」
「うん?」
「つづき」
「書くよ?」
「うん」
「ソファに戻らないの?」
「うん?」
見る気だ。
書き上がるまで横で見ている気だ。
「……あの、××さん」
「うん」
「執筆活動というものは、非常にセンシティブなものでして」
「?」
「見られてると書けない」
「あ、そうなんだ」
うにゅほが一歩下がる。
「あと、ついでなんだけど」
「?」
「なんか恥ずかしいから、あんまり読まないでほしい……」
心からの叫びであった。



2013年4月8日(月)

「まだー?」
「もーちょい待って……」
セブンイレブンのドリンクコーナーで、かれこれ三分は思案に暮れていた。
「じかんかかる?」
「いや、すぐ決める」
そう答えながら、さらに逡巡してしまう。
基本的にそうなのだが、飲み物を決めるときは特に迷いがちである。
「TEAS'TEAのピーチティーがあると思ってたのに……」
「マスカットあるよ」
「マスカットは不味い」
「うん」
どうしよう、炭酸にしようか。
いや待て。
家にはペプシネックスを常備してあるのだから、炭酸、特にコーラ系は避けたい。
なら、紅茶だろうか。
一応ダイエット中ではあるのだから、脂質が含まれているミルクティーは選択肢から除外しておこう。
ミルクティーを外すとなると、残るは午後ティーのストレートとTEAS'TEAのマスカット&ダージリンしかない。
午後ティーのレモンがあればそれにしたのだが、どうやら売り切れているらしい。
甘いものが飲みたい気分だし、ストレートティーではいささか物足りない気がする。
マスカット&ダージリンは言わずもがなだ。
「──…………」
右手を見下ろす。
わらび餅が握られている。
発想を変えて、このわらび餅に合うものを選ぶのはどうだろう。
となると、お茶か?
いやしかし俺はウーロン茶と麦茶と煎茶とほうじ茶の区別がいまいち怪しい男である。
焼け石に水の弁解をしておくと、爽健美茶はわかる。
そのような惨状であるからして、ペットボトルのお茶に145円も払うのは惜しい。
家に帰れば、まあなんかよくわからないけどお茶はあるし。
残るはコーヒーだろうか。
でも、わらび餅とコーヒーって合うのか?
そもそもコーヒーって量が少なくてあまり好きじゃない。
ふと小岩井のコーヒー牛乳が目に留まる。
これはいい、これは美味しい。
しかし前述のとおり牛乳には脂質が含まれている。
ミルクティーを除外した以上、これを選ぶと一貫性が損なわれてしまう。
カフェオレも同様だ。
ああ、もうアルコールの棚まで来てしまった。
数歩戻る。
どうしよう、炭酸にしようか──
「まだー?」
「ごめん、今決める!」
ああ、困った。
「××、なににしたんだっけ」
「これ」
うにゅほがフルーツオレを掲げた。
「フルーツオレか……」
同じものを選ぼうかと思ったのだが、フルーツオレはあんまり好きじゃない。
「あー……」
最善最良の選択を求めるあまり、泥沼に足を取られている。
本当の最善とは、言うまでもなく、適当に決めてさっさと買うことだというのに。
「──……もーいいや」
「やめるの?」
「いや、もう××が決めてくれ。なんか変なループに入ってるから」
「なんでもいいの?」
「なんでもいいよ」
「じゃ、これ」
うにゅほが一秒で決めたのは、三ツ矢サイダーだった。
三ツ矢サイダー美味しいです。



2013年4月9日(火)

「ろー、ろー、六甲おろし」
「し? しー……しくはっく」
「靴」
「つ、つ、ツングースカだいばくはつ」
「え、なんだそれ」
「わかんない」
謎の語彙力を発揮するうにゅほに軽く面食らいながら、しりとりは続いていく。
「ビルマ」
「まいたけ」
「今日は随分待たせるなあ、ケツメイシ」
「いちじかんくらい? し、し、しー……しょくみんち」
「千葉」
「バスてい」
閑散とした待合室に、しりとりの声だけが響く。
「普段の倍は待ってるな、今田耕司」
「じしょ」
「ヨロレイヒー」
「よろれ?」
「やっぱヨーデルで」
「ルビー」
「ビー玉。なんか、しりとりも飽きてきたな」
「そう? まいたけ、じゃなくて、マスク」
「く、く、く──……いや決着が遠すぎるんだよどう考えても」
「たのしいよ?」
「暇つぶしにはなるけどさあ……」
伸びをしながら、待合室を見渡す。
「なんかないかな」
「ミセス」
「え、なに?」
「ミセスだって」
うにゅほの指先が俺の背後を指し示す。
振り返ると、木製のブックスタンドに女性向けの雑誌が飾られていた。
「……あれは興味ないかな」
「うん」
うにゅほもないらしい。
「あ、そうだ」
いいことを思いついた。
「廊下の先に身長計があったろ。久しぶりに測ってみようか」
「いいの?」
「身長測らなかったら、あんなの無駄に上下する帽子掛けだろ」
「べんりそう」
そうかもしれない。
逡巡するうにゅほの手を引き、まずは俺の身長を測ってみた。
「175.6センチ、だって」
「そんなもんか」
うにゅほと交代する。
「のびてるかな」
「さあ、どうだろ」
以前に測ったときは、たしか151センチ前後だったと記憶している。※1
あれから一年くらい経っているはずだが、大きくなっている感じはしないので、伸びていても152センチくらいだろう。
そう思いながら、目盛りを覗き込んだ。
150.7センチ。
「──…………」
「なんセンチ?」
「151センチだよ」
「のびてないかー」
身長計の誤差と日内変動とが重なった結果──ということはわかっている。
わかってはいるが、ちょっとびっくりした。
どちらにせよ、身長が伸びていないことに疑いの余地はない。
成長期終わってるのかな、うにゅほ。

※1 2012年5月8日(火)参照



2013年4月10日(水)

ソファで読書をしていると、うにゅほが座面に足を掛けた。
座面が斜めに沈み込む。
「どうした?」
「ちょっと」
ちょっとなら仕方ない。
俺の背中をまたぎ、うにゅほが背もたれに腰を下ろす気配がした。
「どうした?」
「ちょっと」
ちょっとなら仕方ない。
「──…………」
よくわからないが、髪の毛をいじられている。
「なにしてんの?」
「うん」
「うん、じゃなくて」
「あのね、あたまへこんでたから……」
「頭が?」
鉄球でも当たったろうか。
「ねぐせかなっておもったけど、◯◯ねぐせなおしてたから」
「直したな」
「ここ、いつもへこんでる」
後頭部に触れる。
たしかに髪型が崩れていた。
「寝癖隠すのに帽子かぶってたせいかなあ……」
これはもう散髪リセットしかない。
「まあ、そのうちでいいや」
「いいの?」
「いいや」
軽く手を振り、手元のハードカバーに視線を落とした。
スタンレー・ミルグラムによる権威への服従実験についての顛末が記されている。
「──…………」
もぞもぞ。
頭の上で、なにやら作業が続いている。
「今度はなにやってんの?」
「なおんないかなーって」
「寝癖直しとかドライヤーとかないと無理だと思うぞ」
「そっかー」
もぞもぞ。
「あっ」
うにゅほの手が止まる。
「はげてる」
「ええ!?」
禿げない家系なのに!
「じゅうえんはげ」
「あー……そういうハゲね、よしよし」
「いいの?」
「昔からたまーにあったから。
 このところ調子悪かったから、そのせいじゃないか?」
「……◯◯、さっきだいどこでさけんでたよね」
「ああ、うん」
冷蔵庫を開けたらペットボトルが降ってきたのだ。
「あれのせいかも」
「ぎゃー! ばさばさー!
 って、そんなんじゃ俺とっくに体毛ないからね」
「そっかー」
楽しそうに言いおってからに。
ともあれ、ストレスのない生活を心がけましょう。



2013年4月11日(木)

「どうしても、やるのか?」
うにゅほの双眸を見据え、問うた。
「うん」
うにゅほが頷く。
その瞳には、頑なな決意の光が宿っていた。
「──…………」
ふんすふんすと鼻息を荒らげながら、うにゅほが自分の膝を叩く。
不安を拭いきれぬまま、うにゅほの太ももに頭を乗せた。
「いくよー」
横目で天井を窺う。
逆光のなか、うにゅほが綿棒を手にしているのが見えた。
そう、耳掃除である。
男性にとって垂涎のシチュエーションと言える膝枕での耳掃除だが、心ゆくまで楽しむためには二通りの信頼が不可欠である。
ひとつ、耳かきをしてくれる相手への信頼。
無防備な姿勢を晒すのだから、これは必須と言える。
ふたつ、耳かきをしてくれる相手の手先の器用さへの信頼。
うにゅほは不器用である。
漠然とした不安が残る。
「──……ふ」
綿棒が耳の穴に入ってきた。
気配でわかる。
先端が、外耳道の内壁に触れる。
「うひ」
くすぐったい。
「だいじょぶ?」
「大丈夫」
綿棒の先がちょっと触れただけだし。
「いきます」
再び、綿棒の気配が耳のなかでじわりと広がっていく。
ぴとり。
「くくっ」
くすぐったい。
「だいじょぶ?」
「いや、どうにもなってないから」
一向に進まない。
「俺が笑っても気にしないで、もうすこし奥まで入れてみな」
「うん」
三度、綿棒が下りてくる。
先端が内壁に触れたが、声を漏らさないように我慢した。
「──…………」
外耳道の内壁に沿って、綿棒がくるくると回っている。
掃除の仕方は、いたって丁寧と言えた。
「おわった!」
達成感の籠った声が、頭上で響いた。
体を起こし、小指を耳に突っ込む。
風呂あがりなので、濡れている。
掃除が浅い。
耳の穴の入り口は綺麗になったが、奥のほうはさっぱりである。
気持ちはわかる。
俺もうにゅほの耳掃除をしたとき、どこまで綿棒を入れていいかさっぱりわからなかったものだ。
こればかりは、経験を積む以外に道はないのだろう。
だから、俺は言う。
「綺麗にできたなあ」
「そう?」
「気持ちよかったし」
気持ちよかったのは本当である。
「じゃ、はんたいね」
「あいあい」
耳掃除が終わったあと、こっそり自分でやり直した。
うにゅほの上達を祈るばかりである。



2013年4月12日(金)

雪解けも終わり、茶色い土がようやく姿を見せ始めた。
しかし、それでも雪は降る。
雨の代わりとでも言うように、我が物顔でひらひらと舞い落ちる。
積もることこそないが、鬱陶しい。
お前の顔なんて一年は見たくないんだよ!
「あー、寒い寒い」
信号の色を確認し、両手をこすり合わせる。
「見た目が春になったって、気温が冬じゃ困ったもんだ」
「ヒーターつける?」
「ああ、頼む」
愛用の手袋は、箪笥のなかで眠りについている。
つい油断してしまったのだ。
「あー……」
敬虔すぎる仏教徒のように手のひらをこすりまくる。
「そんなにさむい?」
「触ってみるか?」
左手をうにゅほに差し出した。
「あ、つめたい」
「だろう」
意味もなく得意な気分である。
信号が青になったので、左手を戻そうとすると、
「──…………」
うにゅほが離してくれなかった。
「しばらくあっためる」
「えー……?」
運転中なんだけど。
「だって、ひだりてつかってない」
「たしかにそうだけど」
ATである。
「あったかい?」
「あったかい」
「こすこす」
「あ、それはいい」
変な気分になるし。
「──…………」
それにしても、あれだ。
もしかして俺たち今ものすごくいちゃついてないか?
法的に大丈夫か。
道路交通法的に大丈夫か。
「──××」
「なに?」
「ドロリッチのプリンのやつあったろ」
「あった」
「あれ、安いプリンを崩して詰めたみたいな味したよな」
「うん」
「というか、そのままだったよな」
「うん」
誤魔化しがてら関係ない話をしてみる。
「あれなら、普通のプリンにストロー挿して吸ったほうが美味いんじゃないかな」
「でも、ほそいよ?」
「なにが?」
「ストロー」
「太めのストロー、うちにあったと思う」
「おー」
「今度やってみるか」
「うん」
「焼きプリンとか」
「かたいよ?」
取るに足りない会話を訥々と続けながら、無心でヤマダ電機を目指した。
左手だけが暖かかった。



2013年4月13日(土)

処方された飲み薬の管理が面倒になってきたので、ピルケースを購入した。
月曜日から日曜日まで区分けされたものである。
「これ、なんかっけい?」
近似円形のピルケースを掲げ、うにゅほが尋ねた。
「数えてみな」
「いち、に、ふん、ふん、ななかっけい」
「七日分だからな」
「あ」
うにゅほが目をぱちくりさせた。
すぐに気がつかないあたり、いまいち間が抜けている。
「じゃ、薬を入れよう」
「うん」
一回分に小分けされた薬包をたたみ、ピルケースにねじ込む。
「なんか、きついな」
「ぱんぱんだね」
「袋のなかの空気が、こう、邪魔くさいというか……」
「あ、ちょっとまって」
うにゅほが立ち上がり、ソーイングケースを手に取った。
「はりさしたら、くうきぬけるよ」
「名案だ」
薬包に縫い針を刺す。
「ぷしゅー」
「しおしおになったな」
「これではいる?」
「やってみよう」
地味な作業の果てに、一週間分の飲み薬を詰め込むことに成功した。
「できた」
「できたな」
かいてもいない汗を拭う。
「途中で思い出したんだけどさ」
「うん?」
「そもそもピルケースを買おうと思ったのって、飲み薬が増えたからなんだよな」
「うん」
「もう一袋って、詰まると思う?」
「むりかな……」
「だよなー」
どう見てもギュウギュウだもんな。
「とちゅうでおもったんだけど」
「ん?」
「ふくろあけて、くすりだけいれちゃだめなの?」
「うーん……」
しばし思案に暮れる。
うにゅほの提案について、ではない。
「どうして俺は、それをしちゃいけないって思い込んでたんだろう」
不思議でならない。
「ふくろあけていい?」
「ああ、うん」
数分後、一週間分の飲み薬がすっきりと収納された。
「しゃかしゃか」
うにゅほが機嫌よくピルケースを振る。
「あんまり振るなよ、粉になるから」
「はーい」
自嘲めいた笑顔で、デスクの上にそっと置いた。
「くすり、たくさんだね」
「本当だよな」
「だいじょぶなの?」
「飲まないと、もっと駄目なの」
子供の頃からずっと、薬が途絶えた記憶がない。
健康とはいったい……うごごご!



2013年4月14日(日)

HDDレコーダーの店頭価格を調べようと、ヨドバシカメラ札幌店まで車を走らせた。
立体駐車場で車を降りたとき、助手席側から、
「ぎゃ!」
と、小さな悲鳴が響いた。
「どうした?」
こころもち走り寄ると、
「せーでんきー……」
手を振りながら、うにゅほがそう答えた。
「あー……」
苦笑する。
「最近、なんか静電気多いよな」
静電気の旬は、秋から冬にかけてのはずなのに。
「なんでだろ……」
うにゅほが小首をかしげる。
「××の上着、もこもこしてるからじゃないか?」
「えー……」
小さく両手を上げて、うにゅほが自分の上着をたしかめる。
なんかかわいいな、おい。
「まえあけたら、だいじょぶかな」
「変わんないと思うなあ」
「ぬいだら?」
「寒いでしょう」
「うん」
素直である。
「◯◯も、せいでんきあるの?」
「ちょいちょいな」
「なんでだろ」
「俺はたぶん、このショートトレンチの生地のせい」
「そなの?」
「春物引っ張りだしてからだと思うし」
「ふうん……」
店内へと繋がるエスカレーターを下る。
「◯◯も、せいでんきでしょ?」
「まあ、うん」
「わたしもせいでんき」
「そうだな」
「て、つないでてもだめかな」
「駄目だろうなあ」
「ふたりともパチッてなる?」
「繋いだ手が?」
「てが」
「あー……? えー、静電気の原因は電位差だから……手を繋いだ状態の人間は電荷的に……いや、待てよ」
金属と違って人間は電荷的に不均一なわけで、そもそも足がアースにならない時点で、あれ、それは靴底がゴムだからか?
いや違う、だって裸足でも静電気は起きるもの。
なら、帯電はもっと局所的なものと考えるべきであって──
「……まずもってそんなことは起こらないと思うけど、やってみないと断言はできません」
しばし考え込んだあと、そう答えた。
「じゃ、かえりやってみよう」
「ああ、うん」
今日は、その一度しか静電気は起こらなかった。
いいことのはずなのに、うにゅほは何故か不満顔だった。



2013年4月15日(月)

「うはははは! 臨時収入じゃ、臨時収入じゃ!」
預金通帳で自分を扇ぎながら、笑いが止まらなかった。
「どしたの……」
「いいからこれ持って」
引き気味のうにゅほに通帳を押し付ける。
「その通帳で、俺の頬をはたいてくれ」
「なんで……」
「札束の代わりに!」
「ええー……」
ぺし。
「さて、儀式も終えたところで」
「ぎしきだったの」
「この臨時収入、どうしような」
大金など持ち慣れていないので、使い道に困る。
「ちょきん」
「それ、最初の選択肢に入れちゃ駄目なやつだろ」
「だいじだよ?」
「大事だけどさあ」
うーん、と首をひねる。
「まあ、いくつかは決まってるんだよ」
「なに?」
「借金を返す」
「しゃっきん!」
うにゅほの顔が青ざめる。
「いくらかりたの……」
「そんな心配しなくても、借りたのは弟からだよ」
「そなの?」
「というか、××も知ってるはずだぞ」
「?」
小首をかしげる。
「去年だったか、病院の塀にこすっちゃったことあったろ」
「あー」
「あのときの修理費だな」
この自損事故の件はちょっと恥ずかしかったので、日記には書いていません。
「これで、左脚くらいは持っていかれる」
「いたいね」
「あとパソコン欲しいな」
「どこおくの?」
「いや、買い換えるんだよ」
「……?」
うにゅほが大きく首をかしげる。
「つかえるのに?」
「こういう精密機器は、いつ壊れるかわからないし、壊れたときのダメージが大きいから、早め早めに買い換えるんだよ」
嘘ではない。
「あと、こういうときに買っとかないと買い時を逃す……」
経験則である。
「ふうん……」
納得したようなそうでもないようなもやもやした表情で、うにゅほが鼻を鳴らした。
「あ、古いの使う?」
「えー……」
嫌そうである。
どうも苦手意識があるようだ。
「ま、それくらいかな。
 ××も、なんか欲しいのあったら、なんでもいいよ」
「うーん?」
「春物の洋服とか」
「んー……」
ピンと来ないようだ。
「たまの機会だ、あんま深く考えずに、欲しいのあったら言いな」
「うん」
物欲に乏しいうにゅほのこと、いちご大福が欲しいとか言いかねない。
こちらでもなにか考えておこう。



2013年4月16日(火)

「──……××」
「なにー」
振り返ったうにゅほに、それを手渡した。
「とうにゅう……?」
渋い顔をする。
うにゅほは豆乳が苦手なのだ。※1
「ちゃんと読んでみ」
「えー、とうにゅういんりょう、けんこう……ラムネ……」
なんとなく寄ったスーパーマーケットで、えらいものを見つけてしまった。
「やってくれたな、紀文」
「うええ」
「想像の味で舌を出すなよ……」
「だって」
「美味しいかもしれないじゃん」
「ぜったいまずいよ……」
「俺もそう思う」
「えー」
お買い上げである。
「どうしてかうかな……」
助手席のうにゅほが、缶ココアを両手で持ちながらそう呟いた。
「気になるじゃない」
「そかなあ……」
「美味しいと不味いだけじゃ、世界は味気ない」
「?」
小首をかしげる。
「ま、それは置いといて、さっそく飲んでみることにしましょう」
背面のストローを毟り取り、差込口に突き刺した。
「先に飲む?」
「──…………」
後でも飲まないと言いたげに、うにゅほが小さく首を振る。
「では、いただきます」
ストローに口をつけ、恐る恐る中身を吸い上げた。
「──……う」
舌の上で踊る、まめまめしい酸味。
五百円玉を手渡されて、これはラムネだと言われれば、ラムネである。
「まずい?」
なんだかんだ興味ありげにうにゅほが尋ねた。
「そうだなあ……」
言葉を探し、数秒ほど思案する。
「甘くて……」
「あまくて」
「すっぱくて……」
「すっぱくて」
「まめまめしくて……」
「まめ……」
「まとめると、ヤクルトに豆乳を入れたような味だな」
「ラムネは?」
「炭酸じゃない時点で察してくれ」
ストローをくわえ、また一口飲む。
まずい。
「──…………」
「飲む?」
うにゅほの視線を感じて、再び紙パックを差し出した。
「──……ちょっと」
やっぱ気になるんじゃん。
「舐める程度にしときなよ」
いつかみたいに戻されてはたまらない。
ストローの先端を遠慮がちにくわえ、ゆっくりと吸う。
「──…………」
うにゅほが、変な顔をした。
「美味しい?」
「おいしくない」
「不味い?」
「まず……く、ない」
まじかよ。
「おいしくないヤクルトあじ」
「まめまめしさは?」
「あんまり……」
意外な結果である。
美味い不味いに絶対的な尺度など存在しないのだなあ。

※1 2012年5月18日(金)参照



2013年4月17日(水)

「ふとん、ほしいな」
うにゅほが遠慮がちに言った。
「布団?」
トーストにハチミツを塗りながら聞き返す。
「なんで布団?」
「◯◯が、ほしいのいえっていうから……」
軽くぶーたれる。
「や、ちがくて、布団を買うのはいいんだけど、理由がわからなかったから」
「りゆう?」
「重いとか、湿気るとか、なにか嫌なところがあるのかなーと」
なんとなく気分で、とかでもべつにいいけど。
「あのね、ずれるの」
「ずれる?」
「あの──ちょっときて」
うにゅほに手を引かれ、自室の扉を開く。
「カバーがね、ずれるの」
「ふむ」
掛け布団の端を手に取る。
たしかに、カバーだけがずるずると伸びている。
「あれ、カバーの紐って結んだよな」
「むすんだよう」
「だよな」
うにゅほがおしりを突き出しながら結んでいた記憶がある。※1
「外れてるのかな」
「みたけど、ほどけてない」
「カバーが大きいのかな」
でも、掛け布団のサイズって、シングルとセミダブルとダブル以外にあったっけ?
「ねれるけど、きになるの」
「まあ、こんだけずれてれば気にもなる──」
あれ、おかしいな。
うにゅほの布団で頻繁に眠っているにも関わらず、今の今まで気づかなかったぞ。※2
「……よし、ニトリ行くかニトリ」
「うん」
外出の準備を整え、サッと行ってパッと買って帰宅した。
「掛け布団だけでよかったのか?」
「うん」
キルト生地の掛け布団とカバーを開封しながら、うにゅほが答える。
「しきぶとん、いいもん」
「いいならいいけど」
安く上がるなら、それに越したことはない。
古いほうの布団カバーを開くと、ずれる原因がわかった。
「あー……これ、俺が小学生くらいのときから使ってる布団だよ」
「そなの?」
「プリント柄が褪せて、だいぶ色が薄くなってるだろ。
 それだけ使えば布団も縮むよなあ……」
なんとなく感慨深い。
「布団って、燃えるゴミでいいのかな」
「すてちゃうの?」
「え、捨てないの?」
「だって、もったいない」
「将来的にどう考えても使わないんだから、もったいなくもないと思うけど……」
うにゅほなりの感傷なのだろう。
「とりあえず、押し入れに突っ込んどくか」
「てつだう」
押し入れが、またすこし狭くなった。

※1 2012年12月29日(土)参照
※2 一緒に寝ている、ということではない。



2013年4月18日(木)

「──はっ!」
ふと我に返り、手に持ったセブンイレブンのレジ袋を漁る。
「チョコ大福がある……」
「?」
わなわなと震える俺を見て、うにゅほが不思議そうな顔をする。
「おいしいよ?」
「美味しいのは知ってる」
美味しいから問題なのだ。
「忘れてるかもしれないけど、俺はダイエット中なんだ」
「うん」
「でも、チョコ大福を見かけるとつい買っちゃうんだ」
「うん」
「どうしてだと思う?」
「おいしいから」
「それがひとつ」
「ひゃくえんだから?」
「それもひとつ」
「うーん……」
思案に暮れるうにゅほに、俺は答えた。
「レジ横にあるからだよ」
「えー」
ピンと来ないらしい。
「ついでに買っちゃうってこともあるけど、制限時間の存在が肝だと、俺は思う」
「せいげん?」
「店内は好きに見て回っていいけど、お金払うのに五分もかけたら迷惑行為だろ?」
「あー」
「今買わないと間に合わない、だからつい手に取ってしまう。
 そういうことじゃないかなーと」
「なるほど」
あまり興味はなさそうだ。
「それでは、こちらのチョコ大福は××に進呈しよう」
「うん」
「俺はこちらの豆大福をいただきます」
「ダイエットは?」
「脂質抜きでやってるから、和菓子ならすこしはいいんだよ」
「すこし?」
「ブドウ糖は脳のガソリンなんだぞ」
「ふうん……」
「ところで、××さんや」
「うん?」
「豆大福を半分あげよう」
「わ」
「チョコ大福をひとくちおくれ」
「いいよー」
太りはしないが、痩せもしない。
とっぴんぱらりのぷぅ。



2013年4月19日(金)

心機一転ということで、体重計を購入した。
オムロンの体重体組成計カラダスキャン──の、一番安いやつである。
ちなみに2500円である。
安いといっても馬鹿にはできない。
BMIや内臓脂肪レベルまでわかるスグレモノなのだ。
帰宅して、さっそく測ってみた。
「あー……」
「どれくらい?」
うにゅほが文字盤を覗き込む。
「なるほどなー、って感じ」
「……?
 たいじゅうわかるけど、これなんのすうじ?」
「どれかが体脂肪率で、それ以外はよくわからない」
骨格筋率や基礎代謝まで計測してくれるグレードの高いやつを買わなくて本当によかった。
「××も測ってみるか?」
「うん」
年齢と身長を入力したあと、うにゅほが体重計に足を乗せる。
「なんきろ?」
「あ、まだ動かないで」
体脂肪等の測定中である。
「なんきろ?」
「どうして自分で見ない」
「おひる、たくさんたべたから……」
見るのが怖いのか。
「──……キロだよ」
文字盤を読み上げる。
非常にプライベートな事柄であるため、うにゅほの体重は明記しない。
「そんなでもなかった」
うにゅほが照れ笑いを浮かべる。
「体脂肪率も、まあ予想どおりってとこかな」
そこそこ痩せ気味、というかんじの数値である。
「たいしぼうりつって?」
「まんまだよ。その人が、どれくらい脂肪でできてるか」
「しぼうって、あぶら?」
「ステーキの脂身を想像すると、わかりやすいかもしれないな」
うにゅほが、自分の頬をもちもちと揉む。
「……わたし、そんなにあぶらなの?」
「普通、それくらいはあるもんだよ。
 ××でそれなら俺はどうなるんだって話だし」
「あはは……」
苦笑された。
「そんなこと言ったら、××の好きなマツコ・デラックスなんて半分以上は脂身だぞ」
たぶん。
「はんぶん!」
「もう、人間と脂身のハーフだよな」
「すごい……」
マツコ・デラックスを見る目が変わってしまいそうだ。
絶対ならないと思うけど、そうならないように健康的な生活を送りましょう。



2013年4月20日(土)

「うあー……」
ほどほどに体調が悪く、布団の上でうだうだしていると、不意に思い立った。
「このままじゃいかん」
「いかんの」
「いかんでしょう」
体がなまるにまかせていては、そのうちゼリー状になってしまう。
「そろそろ若くもないんだから、健康管理くらいしっかりしておかないと」
「なにするの?」
「とりあえず、布団から出よう」
ずるりと立ち上がる。
「いくつか案はあるんだが、××はどんなのがいいと思う?」
「えーと」
数秒ほど考えて、うにゅほが答える。
「はしる」
「あー」
なるほど、定番である。
「俺、ジョギングすると絶対マメできるんだよなあ」
走り方が悪いのか、靴が合っていないのか。
「じゃ、あるく?」
「妥当なとこだな。ふたりで散歩なんて、気分もいいだろうし」
「うん」
「他には?」
「えー、じでんしゃ」
「悪くないけど、パンクしてるんだよな……」
「うーん……」
「あ、自転車の練習する?」
うにゅほは自転車に乗れないのだ。
「えー……?」
嫌そうである。
「一緒にサイクリングとか、どうよ」
「たのしそうだねえ」
「だろ」
「でも、じでんしゃひとつしかない」
「車庫の二階にいくつかあるよ」
「……かんがえとく」
そのうち引きずり回してやろう。
「室内で手軽にできるのは、筋トレくらいのものかな」
「ふっきん?」
「そう、腹筋背筋腕立てスクワット」
「わー……」
うにゅほが苦笑する。
「あと、ダンベルを持ち上げたり」
「だんべる?」
「ほら、本棚のとこに置いてあるやつだよ」
「あ、おもいやつ」
「4キロだから、そこまででもないと思うけど」
「こないだ、ホコリすごかったよ」
「気づいたんなら、落としといてくれよ」
「うん、そうじしたよ」
「あ、うん、ありがとう」
自室の衛生管理は、うにゅほが一手に引き受けている。
俺はと言えば、気が向いたときに掃除を手伝うくらいだ。
「──……待てよ」
真面目に掃除をすれば、それだけで運動不足を解消できるのではないか?
悩ましいところである。



2013年4月21日(日)

図書館からの帰り道、スクーターを見かけた。
春である。
「あ、スクーター走ってる」
「ほんとだ」
「二輪車が走ってるのを見ると、冬が終わったんだなーって実感するよ」
「そう?」
「雪道で走るのは無理があるだろ」
「あ、そだね」
意識していないと、こんなものか。
「××もどうだ?」
「どうだ?」
「いや、二輪免許。あーゆーの、乗ってみたいと思わん?」
「えー、おもわん」
「思わんか」
「おもわん」
今は無理でもそのうち自動二輪免許を取れるようになるのだが、思わないのであれば仕方がない。
「バイクはいいぞー」
でも、ちょっとだけマーケティングしてみる。
「感覚としては自動で走る自転車だから、爽快感がすごい」
「わたし、じでんしゃのれない」
それもそうだ。
「炎天下で風を切る快感は、なかなか得がたいものだと思うし」
「うーん」
しばし考え込み、うにゅほが口を開いた。
「スクーターとバイクって、どうちがうの?」
「あー……形、かなあ」
バイクはまたがるもので、スクーターは座るものだ。
そう伝えると、うにゅほは、
「スクーター、ふたりのりできないの?」
「ビッグスクーターならできたと思うけど」
「ビッグスクーター、うちにある?」
「ないなあ」
あるのはビラーゴ250だけである。
「びらーごは、ふたりのりできるの?」
「できるよ」
「わたしがうんてんして、◯◯がうしろのるの?」
「んー……?」
なんだか妙な話である。
「その場合は、俺が運転して、××が後部座席になるよな」
「めんきょ、いるの?」
「いらないな……」
論破されてしまった。
うにゅほもなかなかやるものである。
「そもそも自転車に乗れなきゃ自動二輪もないしな」
「うん」
「そこは胸を張るところじゃないと思うぞ」
「?」
うにゅほが小首をかしげた。
ビラーゴ250の自賠責を取ろうか悩む春の午後であった。



2013年4月22日(月)

帰宅して自室の扉を開くと、うにゅほがべそをかいていた。
ソファの隣に腰を下ろし、優しく問う。
「どうした?」
「──……あ、ぅ」
言葉も出ないらしい。
「よしよし」
背中を撫でて落ち着かせること数分、うにゅほの嗚咽がようやく収まってきた。
「それで、なにかあった?」
「うん、あの、あの──……うぁ」
説明しようとして、また込み上げてきてしまったようだ。
らちがあかないので、かいつまむことにする。
うにゅほは、つい先程まで、夕食である鶏肉のトマト煮込みを母親と一緒に作っていた。
料理はつつがなく完成し、あとは食器によそうだけ。
その段になって、なにを思ったか、うにゅほは料理の入ったフライパンをカウンターへと移動させようとしたらしい。
理由はよく思い出せない。
うにゅほは、その点を何度も強調していた。
その際、フライパンの取っ手の深いところを掴んだらしく、うにゅほは軽いヤケドを負ってしまった。
反射的に手を離したフライパンの中身は、狙いすましたかのようにシンクにだばあ──と、こういう事情であるらしかった。
そりゃあ母親も怒るわな。
怒鳴り散らすまではしていないことは、うにゅほの様子を見ればわかるけれど。
「……もう、りょうりできないよう」
「母さんがそう言ったのか?」
「うん……」
まあ、もののはずみということもある。
「──……××」
汗と涙で貼り付いたうにゅほの前髪を掻き上げ、優しく告げた。
「実は、事情はとっくに知ってたんだ」
「?」
ピンと来ていないらしい。
「母さんはもう習い事に行っちゃったから、伝言を頼まれたんだよ」
「──…………」
うにゅほの表情が、ずうんと暗くなる。
苦笑し、続けた。
「罰として、なんでもいいから夕食作っときなさいってさ」
「?」
小首をかしげる。
「サラダはあるから、ありもので肉野菜炒めとかでいいんじゃないか?」
「りょうり、いいの?」
「誰かが作らないと、食べるものないだろ」
「そだけど……」
「父さんは仕事帰りだし、弟は作れないし、婆ちゃんはもう自分で作って食べてたし、俺はお目付け役だもの。
 ほら、他に適任がいない」
「……いいの?」
「罰なんだから、作りなさい。
 私は腹が減っている」
「うん」
うにゅほがゆっくりと立ち上がる。
その目は赤かったが、もう涙は止まっていた。
「やさいいためがいい?」
「豚バラあったから、あれも入れよう」
「なにあじがいいかな」
「醤油ベースか、ウスターソースか──あ、カレー粉あったな」
「えー?」
結果として、なんだかよくわからないが、そこそこ美味い肉野菜炒めができた。
再現性は、ない。



2013年4月23日(火)

病院の帰り道、あるものを購入して帰宅した。
開封し、うにゅほに見せる。
「これなーんだ」
「?」
小首をかしげたので、手のひらに乗せてやる。
「ゴムの、きのこのやま?」
「あー」
三重に傘のついた形状とサイズは、たしかにきのこの山を彷彿とさせる。
「答えは、耳栓です」
「みみせん?」
「耳に詰めて、音が聞こえないようにするやつだよ」
「なんで?」
「昼寝するときとかに、いいかと思って」
「あー」
「試してみよう」
うにゅほの手のひらから耳栓をつまみ上げ、自分の耳にねじ込んだ。
けっこうきつい。
「なんか、適当に文章で話してみて」
「ぶんしょう?」
「そう」
あ、この時点でもう聞こえとる。
うにゅほはしばらく首をひねったあと、
「おやつロールケーキだったけど、もうないよ」
と言った。
おもむろに耳栓を抜き、うにゅほのこめかみを両手で挟み込む。
「ぜんぜん聞こえてましたーっ!」
うりうりうりうり。
「ダイエットちゅうだっていうからあああ」
しばしじゃれ合ったあと、うにゅほを解放する。
「思ったより聞こえるなあ」
「いみないね」
「静かにはなるから、ないことはないんだけど、きつくて頭が痛くなりそうだ」
「そうなの?」
「××はやめたほうがいいな、狭そうだし」
会話しながらレジ袋を漁る。
「──とまあ、そんなこともあろうかと、もうひとつ買ってある」
「おー」
「さっきの耳栓は、オレンジ色のきのこの山として、弟のおやつにでも忍び込ませておこう」
「こっち、どんなの?」
「細くして耳に入れると、なかで膨らんでフィットするらしい」
開封して、うにゅほに手渡した。
「今度は××が試す番だ」
「えー」
「ほら、さっさと入れたまえよ」
「はい」
さして問題もなく、うにゅほが耳栓を装着する。
「……聞こえるか?」
まずは小声で言ってみた。
「?」
聞こえていないようだ。
どうしよう、なにを言おうか。
ちょっと恥ずかしいことを言ってみようかとも思ったが、オチが見えるのでやめた。
しばし思案し、
「カネボウフォービューティフルヒューマンライフ」
と早口で言った。
「え、ぼぼー、えっ?」
うにゅほが慌てて耳栓を抜く。
「さて、なんと言ったでしょうか」
「きこえたけど、よくわかんない……」
でしょうね。
うにゅほが試したポリウレタン製の耳栓は、どうやら実用に耐えそうである。
きのこの山のほうは、とりあえず引き出しの奥に突っ込んでおいた。



2013年4月24日(水)

以前購入した革靴の靴紐がやたらに長く、それがずっと気にかかっていた。
シュープラザで靴紐を見繕ってみたのだが、色はともかくちょうどいい長さのものがない。
110cmの次が165cmなんて、過程はどこに置いてきたんだ。
「というわけで、シューレースパイプを買ってみたわけだけど」
「うん」
「これ、どう使うものか、わかる?」
「くつひものはしっこの、セロテープみたいやつ」
「おー」
不思議そうな顔をしていたから、理解していないものとばかり。
指のあいだでぷにぷにとパイプを弄びながら、うにゅほが口を開く。
「でも、すぽってぬけそう」
「ちっちっちっ」
指は振らずに答える。
「これは、熱を加えると収縮する素材なんだよ」
「もやす?」
「燃やしたら燃えるだろう……」
「あっためる」
「そう、ドライヤーを使うのだ」
「なるほど……」
深く頷いている。
心から納得しているようだ。
「そういうわけで、ドライヤー持ってきてくれるか」
「はい」
うにゅほが小走りで洗面所へ向かった。
靴紐を適当な長さにカットし、先端をレースパイプに通す。
平紐のため少々手こずったが、作業は数分で済んだ。
「──ドライヤー、スイッチオン!」
ぶおおおおー、と年代物のドライヤーが唸りを上げる。
「どうなるのかな……」
うにゅほはもう科学実験のノリである。
「それでは、温風を当ててみましょう」
ドライヤーの送風口をレースパイプに近づけると、面白いように縮んだ。
「わ」
うにゅほの瞳がきらきらしている。
さては、こういうの好きだな。
俺も好きだ。
そのまますべてのレースパイプを収縮させ、ドライヤーの電源を切った。
「思ったより、いいかんじになったな」
「うん」
仕上がりが平たいのは、平紐だから仕方がない。
「そんじゃ、さっそく結んでおくか」
革靴に爪先を入れ、ソファに腰を下ろす。
靴紐を軽く引きながら、締まり具合を調節し──
すぽっ
「すぽ?」
レースパイプが抜けていた。
「不良品だー!」
ひとりで騒いでいると、うにゅほが包装袋の裏に記された使用方法を読み上げた。
「しゅんかんせっちゃくざいを、しょうりょうつける──だって」
「え?」
「せっちゃくざいで、ふたするのかな」
「あー、なるほど」
同梱しろよ。
家に瞬間接着剤がなかったため、明日にでもホームセンターへ行くことにした。
ホームセンター万能説。



2013年4月25日(木)

ホームセンターでアロンアルファを買ってきた。
昨日の続きである。
容器の先端に針で穴を開けながら、うにゅほに話しかける。
「アロンアルファの接着力は、すごいんだぞ」
「そなの?」
「廊下にスリッパを貼り付けておくと、足が上がらなくて顔から転倒するらしい」
「すごい……すごい?」
接着力を証明する適切な喩えではなかった。
「指と指をくっつけてしまうと、死ぬまで取れないという……」
「うそだー」
うにゅほが一笑に付す。
「ゆびもあせかくし、はがれるよ」
素晴らしい着眼点である。
「よくわかったなあ」
「じょーしき」
「さすがに死ぬまでは嘘だけど、しばらく取れないのは本当だけどな」
「ふうん」
「さて、と──」
作業に入ろう。
靴紐の先端に通したシューレースパイプが外れないよう、アロンアルファでフタをするのだ。
「ほいほいっと」
さほど難しい作業でもない。
さっさと終わらせて、うにゅほに肩でも揉んでもらおう。
「あ」
案の定、指についた。
「××、やっちゃった」
「えー?」
「ほら」
「──……えっ?」
うにゅほが怪訝そうな表情を浮かべた。
「……なんで、そんなくっつきかた?」
「いや俺もよくわからないけど」
右手の薬指と、左手の中指とが、見事に接着されていた。
どうしてこうなったのか、本当に思い出せない。
「ど、どうするの?」
うにゅほがそわそわと狼狽えはじめる。
それを制するように、口を開いた。
「大丈夫、俺は自分を知っている男だ」
「?」
「レジ袋を漁ってみてくれ」
ホームセンターのレジ袋から、うにゅほがあるものを取り出した。
「あろんあるふあ、せんようリムーバー、はがしたい?」
「そう、アロンアルファ専用のはがし剤だ!」
「おー!」
「こうなることを予測し、あらかじめ一緒に購入しておいたのだよ」
「すごい!」
「──…………」
うにゅほからの称賛の声が、虚しく心に響く。
「というわけで、接着面にちゅちゅっとやってくれたまえ」
「うん」
すこし痛かったが、見事に剥がれた。
靴紐も上手く仕上がったので、全体的には花マルである。



2013年4月26日(金)

「──大切なことを忘れていた」
「?」
テガミバチ1巻に視線を落としていたうにゅほが、静かに顔を上げた。
「なに?」
「ダイエットの大原則だ」
「ふん」
「なんだと思う?」
「うんどう?」
「運動はなるべくしたくないんだ」
「そう……」
うにゅほが苦笑する。
「基本的に、栄養を取らなければ痩せる。これは当たり前だな」
「うん」
「でも、栄養が足りないことに体はすぐ慣れてしまう」
「ふうん」
「だから、ある程度のカロリーは摂取し続けないと、逆に太りやすくなってしまうんだ」
「ふん」
「興味ない?」
「ん」
首を振る。
すごくあるわけでも、全然ないわけでもないらしい。
「よくカロリーってひとくくりにされるけど、栄養素にはいろんな種類があるだろ?」
「うん」
「たとえば?」
「えー、ビタミン、だいず……りこぴん?」
すごいのが出てきた。
「炭水化物、脂質、タンパク質、ビタミン、ミネラル──これが五大栄養素」
「ビタミン」
「うん、合ってたな」
「──…………」
すこし得意げである。
「炭水化物は、ごはんとかパンとか。
 脂質は、まんま油。
 タンパク質は、肉とか魚かな。
 とりあえず、この三種類あれば説明できる」
「ほおー」
これは、わかってない返事だ。
「炭水化物は、食べるとエネルギーになる」
「ししつは?」
「脂質も、食べるとエネルギーになる」
「えー……」
「もちろん、違いはある。
 炭水化物はすぐエネルギーになるけど、脂質は貯めておけるんだよ」
「あ、ぜいにくだ」
「そう。基本的に、脂質を取らなきゃ太らない」
「◯◯、だからごはんばっかたべてるの?」
「そのとおり。
 でも、炭水化物も取り過ぎると脂肪に変わるから、食べ過ぎはいけない」
「ふうん」
ここで大きく息を吐き、話題の転換点を作った。
「最初に忘れてたって言ったのは、つまりこのあたりなんだ」
「なに?」
「タンパク質を忘れてた」
「たんぱく」
「タンパク質は、動物の肉体を構成する主成分だ」
「ふん」
「つまり、摂取しないと筋肉を作る材料がなくなって、代謝が落ちる」
「たいしゃ」
「いくら部屋を汚さないようにしても、掃除しなきゃ綺麗になりません──みたいな」
「おお」
「そのことをスポーンと忘れてたんだよなあ……」
老化現象だろうか。
「じゃ、どうするの?」
「プロテインを飲みます」
「ぷろ?」
「ほとんどタンパク質でできてる、粉」
「きなこ?」
「きなこじゃないけど、粉」
「はー」
「ダイエット向きで手軽に取れるタンパク質なんて、あとはゼラチンくらいしか思い浮かばないしなあ。
 ビーフジャーキーは高いし」
「ほー」
というわけで、プロテインを買ってきた。
用法用量を守って正しく飲みましょう。



2013年4月27日(土)

「さて──……」
60cm×60cm×30cmという巨大な箱が、目の前に鎮座している。
「これからどうしよう」
「でかい……」
うにゅほが圧倒されている。
「これなに?」
「なにって……一緒に注文しに行っただろ、パソコン」
受け取りに行ったのは、俺と弟だけど。
「こんなにでかかったっけ……」
「大きめのケースしか置いてなかったから、感覚が麻痺してたんだろうな。
 ほら、手伝ってくれ」
「はい」
段ボール箱を横に倒し、中身を引きずり出す。
「でかい!」
「わかってたけど、でかいな……」
以前のパソコンと比較すると、親と子ほどの差がある。
まあ中身はスカスカなんだけど。
「あ」
パソコン一式を取り出し空になった段ボール箱を見て、ふと思いついた。
「××、このなか入れるんじゃないか?」
「えー?」
「ほら、物は試しだ」
「うん」
うにゅほが段ボール箱の縁をまたぐ。
「そこで、体育座りできる?」
「やってみる」
できた。
「すげえ、入った! あははははは!」
「……くふ、ふふふ」
うにゅほがつられて笑う。
「ひー、ひー、フタ閉じて──」
箱入り娘だ、と言いかけて、踏みとどまった。
「よし、出荷しよう!」
「やめてー!」
ひとしきり笑ったあと、ふと冷静になった。
今のが本当に面白かったのかどうか、疑問が残る。
新PCを抱えて運び、コード類を繋ぐ。
モニタケーブルとグラフィックボードの相性による問題で、Windowsを起動するまでに二時間ほどかかった。
「あ、ついた?」
おやつの菓子パンをちびちび食べていたうにゅほが、ディスプレイの点灯に気づいた。
「おわり?」
「とんでもない──」
ああ、こんな台詞を吐く日が来るとは思わなかった。
「──ここからが、本当の地獄だ」
「えー……」
「データの移行はクロスケーブル使うにしても、4、5時間は見込まなきゃならないし、なによりPC環境の再現が問題だよなあ。
 インストールしてるフリーソフトだのツールだのをリストアップして、ひとつひとつ入れ直すなんて相当の手間だし。
 ブラウザひとつ取っても設定を再現するのにどれくらいかかるやら……」
「どうしてかったの……」
「──…………」
軽く思案して、
「……なんだかんだ言って、こういう手間が好きなのかもしれないなあ」
「へんなの」
データ及びPC環境の移行は、うにゅほが就寝してからも続いた。



2013年4月28日(日)

「──××、おはよう」
「おは──……えっ」
目を覚ましたばかりのうにゅほの眠気が、一瞬で飛んだように見えた。
「おはよう?」
「おはよう」
「◯◯、はやいね」
「まあな」
「……てつやした?」
「いや、ちゃんと仮眠はとった」
二時間くらい。
「ねないとだめだよ……」
「移行しても移行しても終わらねんだよお……」
「そうなの……」
「××えもん、PC環境をまるごと移行するソフトが欲しいよ……」
「ごろわるいね」
実在はしていそうだ。
「◯◯、ねよ?」
「そうしたいところだけど、今はちょっと目が冴えてるから」
「よこになるだけでもいいんだって」
ああ、心配をかけてしまっている。
「……そうだな、ちょっと横になるか」
「うん」
うにゅほのぬくもりが残る布団に包まれて、思い切り悪夢にうなされて起きた。
徹夜明けに眠るとよくこうなる。
それでも、一時間ほどは休息できた。
作業に戻った俺に、うにゅほが言った。
「……そんなにいそがなきゃだめなの?」
「駄目ってこともないけど……」
「おでかけするとか」
「五月も間近だっていうのに雪降ってるけど」
「──…………」
うにゅほが口をつぐむ。
「あー……なんて言ったらいいかな」
「?」
「日常には、刺激が欲しいんだ」
「そかなー」
「俺はそうなの。
 でも、刺激はちょっとでいいんだ。
 だからさっさと終わらせて、いつもどおりに戻りたい」
「うん」
「今やってるのは、そういうことだよ」
「……よくわかんない」
うにゅほの髪を、わしわしと撫でる。
「わあ!」
「明日になれば、いつもどおりってことだよ!」
そう言って、チェアに腰を下ろした。
「──……ったー!」
午後七時過ぎ、ほぼすべての作業が終了した。
「おわった?」
「ああ、終わった終わった。飯だ飯だ」
「──…………」
うにゅほが、軽く握ったこぶしをこちらに突き出した。
こつんとこぶしを合わせる。
「いぇー」
「いぇー」
夕飯は、カレーだった。
PC環境の移行は終わったから、あとは旧PCのリカバリを残すのみだ。
まだ作業が残っていることは、うにゅほには秘密である。



2013年4月29日(月)

昨日の夕飯はカレーだった。
今日の夕飯もカレーだった。
「カレーは美味いなあ」
「うん」
「明日になってもその言葉を言えるのかなあ」
「うん……」
作り過ぎなのである。
「さすがに飽きたな……」
父親がそう呟き、冷凍庫からピザ用チーズを取り出した。
「今からチーズカレーにするの?」
そう尋ねると、
「いや、焼きカレーにする」
と答えた。
オーブンを使うのだろうか。
「その食器、耐熱じゃないんじゃない?」
「いや、関係ない」
父親の右手には、ガスバーナーが握られていた。
「えっ」
「えっ」
「えっ」
「また……」
母親以外、ハモる。
「いやそういう調理法があるのは知ってるけどわざわざ食卓で──」
──ボウッ!
瞬間、テーブルの上が赤い炎に包まれた。
「ッ!」
反射的にうにゅほをかばう。
フランベのような一瞬の炎だったが、総毛立つのに十分すぎた。
「すまんすまん」
「すまんで済んだら消防車はいらん……」
呟くように言いながら振り返ると、
「──…………」
うにゅほが、小動物のように固まっていた。
かなりびっくりしたらしい。
「お前らのカレーもやってやろうか?」
「──…………」
俺とうにゅほと弟は、慌てて首を振った。
母親はやってもらっていた。
長年連れ添っただけはある。



2013年4月30日(火)

すんすん。
自室の扉を開くなり、うにゅほが静かに鼻を鳴らした。
「もものにおい」
「桃だなあ」
部屋の芳香剤を、桃の香りに変えたのである。
「いいにおい」
「でも、ちょっと濃いかな」
ふたりで生活できる程度には広い部屋なので、芳香剤もふたつ置いている。
そのためだろう。
「◯◯、ももすきだよね」
「桃自体が好きってわけでもないんだけど……」
そもそも果物が好きではない。
「まあ、桃の風味とか、匂いとかは好きかな」
「ふうん」
「あんまり関係ないけど、××って果物で言うと、桃ってかんじがする」
「えー」
喜んでるのか嫌がってるのかよくわからない反応である。
「なんで?」
「べつに、なんでってこともないけど……」
しばし思案し、
「──……なんとなく?」
「ふうん」
「こればっかりはフィーリングとしか」
「わたし、バナナすきだよ」
「そういうことでもないんだが……」
苦笑する。
「じゃあ、俺は果物で言ったらどんなかんじ?」
「えー?」
うにゅほが虚空を見上げる。
「むずかしいなあ」
「こういうのは適当に答えたほうが本質的っぽい気がするぞ」
たぶん。
「えと、じゃあ、くり」
「栗……」
果物、なのか?
木に生るんだから果物なのだろうが、いささか瑞々しさに欠けている気もする。
「なんで栗?」
「えー……」
うにゅほは律儀にしばし考え、
「……なんとなく」
と答えた。
「まあ、そういうもんだよな」
「うん」
「そうかー、栗かー……」
ひとつ、仮説がある。
うにゅほはこの問いを、好きな果物と軽く混同しているふしがある。
つまり、俺が栗ようかんをこよなく愛していることと無関係とは言えないのではないか。
というか、たぶんそうだ。


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