>> 2012年9月




2012年9月1日(土)

ヤマダ電機で大きめのマウスパッドを購入し帰宅すると、従姉が子供を連れて遊びに来ていた。
三歳の長男と、生まれたばかりの次男である。
次男はまだ母親である従姉から離れることができないが、遊びたい盛りの長男は家のなかをうろうろと落ち着きがない。
しかも、今年の初めに遊んであげたことを覚えているのか、俺によく懐いている。※1
邪険にすることもできないので、家の前の公園へ連れて行くことにした。
従姉に渡されたシャボン玉の包装を解き、遊ぶ用意を整える。
「これ、なに?」
「なにって、シャボン玉の──××、知らないのか?」
「しってるよ。でも、やったことない」
それは、ちょうどよかった。
ストローがふたつあったので、うにゅほと長男にそれぞれ手渡した。
「そっと吹くと、大きくなる。強く吹くと、たくさんできる」
説明する間に、シャボン玉が視界を覆った。
「わあー……」
子供がふたり。
シャボン玉で遊ぶふたりの様子を、しばらく眺めていた。
やがて飽きた長男が、公園の水道で遊び始めた。
涼しげである。
涼しげではあるが、嫌な予感がする。
「だめだよー」
長男を止めようと立ち上がりかけたが、うにゅほに先んじられてしまった。
ここはうにゅほに任せてみよう。
「みずであそんだら、ぬれちゃうよ?」
うにゅほが笑顔を浮かべながら、長男を優しく諌める。
しかし、それでは駄目だ。
このくらいの子供は、周囲からの注目を浴びるために生きている。
笑って諫めることは、子供の行為を認めるも同じなのだ。
なあなあで済ませるのではなく、駄目なものは駄目とはっきり伝えなければ、子供もそれに気付くことができない。
仕方がないと腰を上げたとき、長男が水道を全開にした。
「わあ!」
びしょ濡れになった。
……俺が。
蛇口がこちらに曲がっていたのである。
残暑が厳しいとは言え、下着まで濡れると気持ちが悪い。
長男に軽く怒って見せて、着替えるために家へ戻った。

※1 2012年1月9日(月)参照



2012年9月2日(日)

暑かった。
今日も暑かった。
扇風機の前に二人で陣取って、暑苦しいのか涼しいのかよくわからなくなっていた。
うにゅほの腰まである長髪が、しっとりと汗を吸って重くなっている。
「髪、編んでやろうか?」
結い上げてポニーテールにしたほうが首元まで涼しいに違いないが、うにゅほの髪の毛で久々に遊びたくなったのだ。
うにゅほは無言で頷くと、ソファの肘掛けに腰を下ろした。
三つ編みなどしたことはないが、やってやれないことはあるまい。
俺は半袖を肩まで捲り上げ、うにゅほの髪を手櫛で梳いた。
「──…………」
すいません、舐めてました。
そして自分が不器用であることを忘れていました。
うにゅほがサイドの髪を編み込んでやり方を教えてくれたのだが、なにをどうすればそうなるのかがさっぱりわからない。
なんとか三つ編みらしきものは完成したが、隙間だらけでひどく不恰好だった。
解こうとすると、うにゅほが止めた。
「このままがいいな」
うにゅほの優しさに甘んじたくなかったので、聞こえなかったふりをして解いてしまった。
そして、納得が行くまで編み直させてもらった。
幾度か挑戦して、最後にはなんとか形になったはずである。
それにしても、うにゅほの髪をいじるのは、楽しい。
長いのでいじりがいがあるのだ。
うにゅほが迷惑そうでなければ、またいじらせてもらおう。



2012年9月3日(月)

讃岐釜揚げうどんの丸亀製麺へ行ってきた。
つい最近、近所にできたのである。
注文方法がよくわからなかったが、前の客を見てなんとなく理解した。
「とろ玉うどんの、冷やしで」
「とろたまうどん?の、ひやしで」
うにゅほが俺の真似をして注文する。
お揃いが好きなのはいつものことだが、今日に限ってはそれだけが理由ではない。
カチカチに肩肘を張ってトレイを滑らせているうにゅほを横目に、口元を隠して苦笑する。
正直なところ、うにゅほの気持ちもわからないではないのだ。
俺も緊張しいだが、それと気取られないよう表面を繕う術に長けているに過ぎない。
違いなど、その程度のものだ。
さて、人生の先輩が緊張を和らげてあげようか。
俺は小皿を手に取ると、三角いなりをそっと載せた。
「いなりずし、食べるか?」
「あ、うん……えっ? それ、おいなりさんなの?」
「おいなりさんなんだよ、これが」
「へえー!」
思っていたのとは違う方向で、緊張がほぐれた。
とろろを混ぜて温泉卵を落とした冷やしとろ玉うどんは、コシが強くなかなかの味だった。
今度は温かいうどんも食べてみよう。
いなりずしは、甘くて、味がしみていて、金ゴマが入っていて、やたらと美味だった。
理想のいなりずしと言える。
うにゅほも、味には満足していたようだった。
ふたつずつにすれば良かったかもしれない。
今度行くときは、隣にあったわさびいなりをうにゅほに取らせないよう気をつけよう。
俺も、うにゅほも、わさびは苦手だ。



2012年9月4日(火)

体調が悪く、午後はまるまる横になっていた。
こういったとき、うにゅほは俺の浅い睡眠を妨害しないよう、リビングに出ていることが多い。
本当によくできた子である。
残暑の厳しく、風の強い日だった。
窓を開ければ寒く、閉めれば暑く、扇風機は徐々に体温を奪っていく。
その調整を半覚醒状態で行ったあと、倒れるように床に伏した記憶がある。
夕刻に目を覚ますと、体中が汗でドロドロだった。
上着を脱いで汗を拭いていると、首元にあせもができていることに気がついた。
服を着て、リビングへの扉を開く。
「おはよ」
と挨拶をしてくれたうにゅほに苦笑で返し、戸棚からメンソレータムを取り出した。
「どうしたの?」
「首のとこ、赤くなってるだろ。あせもだと思うから」
うにゅほが俺の手からメンソレータムを奪い取る。
「ぬってあげる!」
「え、ああ、うん……」
しかし、俺は失念していたのだ。
かつてうにゅほが汗でかぶれたとき、俺がした所業を。※1
メンソレータムを腹部に塗ると同時に、百合の花がぽとりと落ちるほどくすぐりまくったことを!
「じゃ、ぬるよ?」
うにゅほは復讐の機会を虎視眈々と窺っていたのである。
「ぬりぬり──こちょこちょこちょこちょ!」
「──…………」
「こちょ、こちょ……?」
しかし、俺のスイートスポットは首筋ではない。
これが横腹や足の裏であれば結果は違っていたことだろう。
「××、お前がいけないんだ……」
俺は、そっと手のひらを見つめた。
足元にはヒクヒクと僅かに身じろぎするうにゅほが転がっていた。

※1 2012年8月8日(水)参照



2012年9月5日(水)

小樽のワーナー・マイカル・シネマズで「おおかみこどもの雨と雪」を観賞してきた。
キャラクターが活き活きと描かれており、良作と言えた。
俺はあまり涙腺を刺激されなかったが、うにゅほはべそべそと号泣していた。
家族愛に恵まれなかったうにゅほは、そういったものにひどく弱い。
泣きそうになるにつれ、手の繋ぎ方が徐々に変わっていくのが、なんとなく微笑ましかった。
感情が昂ずるに従って手遊びが激しくなっていき、いよいよ涙を流す段になると俺の手をぎゅうと掴むのである。
無意識なのだろうから、余計に面白い。
昼食は海の見えるフードコートでモスバーガーを食べた。
これが二人きりであれば雰囲気もあったのだろうけれど、母親と弟も一緒である。
母親も同じく泣いていた口であるためか、うにゅほと映画の話で盛り上がっていた。
俺と弟は「るろうに剣心も見たいなあ」などと適当な会話を交わしていた。
どうでもいいが、女子学生が多かった。
学校はどうした。
帰宅してしばらく経ってから、ふと履歴書が必要だったことを思い出した。
百円ショップへ行こうと思ったが、自動車がなかった。
必ずしも自動車が必要な距離ではないが、歩いて行くにはいささか遠い。
専用の座布団を手に、車庫から自転車を取り出した。
うにゅほは百円ショップが好きである。
というか、いろんな種類のものがたくさん置いてある店は概ね好きである。
買うつもりのない商品を二、三十分ほど見て回ったあと、履歴書と単四電池を購入して店を出た。
なんとなくチョコレート菓子が食べたい気分だったので、近くのツルハドラッグでたけのこの里を買って帰宅した。
牛乳が切れていたのは誤算だったが、それでもたけのこの里は美味しかった。
きのこも悪くはないが、たけのこには劣る。



2012年9月6日(木)

整骨院での施術が長くなった。
帰宅の途中、うにゅほが尋ねた。
「せいこついんって、なにしてるの?」
なに、と言われても難しい。
「腰に電気かけたり」
「うん」
「足を曲げたり、引っ張ったり、伸ばしたり……」
「ふうん?」
「あと、けっこうおっぱいが当たる」
俺と同年代くらいの女性職員がいて、彼女が担当のときは押し付けられることがある。
「──…………」
うにゅほが無言になった。
やばい。
軽率だった。
完全に男友達と駄弁っているときのノリだった。
これではまるで整骨院がいかがわしい行為をする場所のようである。
「あ、いや、違くて。腰痛を治すためにストレッチを──」
「──……ッ!」
うにゅほが俺の手を取り、自分の胸元に押しつけた。
信号待ちのときでよかった。
運転中であれば、確実に事故を起こしている。
「え、お、あう」
どうしていいかわからず、俺も固まってしまった。
怒るべきか?
しかし、元はと言えば俺の軽はずみな言葉が原因である。
考えてみるといい。
うにゅほが見知らぬ男性に股間を押し付けられていると聞かされたならば、チャゲとアスカを召喚してその場でYAH YAH YAHであろう。
うにゅほも同じ気持ちだったに違いない。
いや細かなニュアンスはかなり違うだろうが、そう的外れでもあるまい。
俺はうにゅほの胸元から左手をそっと抜き取り、なにかいい感じの言葉で締めようとした。
瞬間、背後からクラクションが鳴り渡った。
信号が青になっていた。



2012年9月7日(金)

スーパーで無脂肪乳を見かけたので、つい購入してしまった。
ダイエット中の奥様にも嬉しい、ゼラチンを使った簡単ヘルシー牛乳プリンを作ろうと思い立ったのである。
無脂肪乳を鍋に空け、中火で温めながら砂糖とパルスィートで味を調える。
うにゅほには、少量のお湯を使ってあらかじめゼラチンを溶かしてもらった。
「◯◯……」
「うん?」
「だまになっちゃった」
「あー」
オレンジ色のダマがお湯の表面にぷかぷかと浮いている。
「もうだめ?」
「大丈夫、大丈夫」
スプーンでダマをすくい取り、シンクに次々と捨てていく。
「かたまる?」
「固まるよ。多めに作るから、これくらいは誤差だ」
俺もよくダマを作ったものだ。
言わないけど。
とろみのついたゼラチン液を無脂肪乳と混ぜ合わせ、ガラスのボウルに注いだあと、粗熱を取ってから冷蔵庫に入れた。
八時間ほど待つと、ぷるんぷるんになった。
やわらかなゼラチンが崩れないよう、レンゲで小皿に盛り付ける。
最後にチョコレートソースをかけて完成である。
「どうだ?」
「ぷるぷるしてる」
牛乳プリンがうにゅほの唇にちゅるんと吸い込まれた。
どうでもいいが、うにゅほはチョコレートソースをかけ過ぎである。
寒天やゼラチンを使うと、それらしいおやつを簡単に作ることができる。
まだいくつか同じようなレシピを持っているので、気が向いたら作るのもいいだろう。
偽ドロリッチなんかいいかもしれない。



2012年9月8日(土)

俺とうにゅほは同じ部屋で生活を送っている。
自室は部屋をふたつ繋げたもので、比較的広い。
しかし、二人分の寝床を常備する余地はさすがにない。
元々あった寝床はうにゅほに譲り、俺はソファで眠ることにしている。
一年弱も寝台代わりにしていれば、ソファと言えど体が慣れてくる。
しかし、慣れでは解決しない問題も多い。
寝汗を掻くから除菌用のファブリーズが欠かせない。
寝返りが打てないから、眠りが浅くなりやすい。
そして、なにより腰に悪い。
腰痛持ちの俺には死活問題である。
整骨院で軽度のギックリ腰と診断されてから、時折うにゅほが寝床を交換してくれるようになった。※1
俺に気を遣って、と言うより、修学旅行気分で楽しんでいるらしい。
何故なら、寝床を交換した日は、決まって夜更かしをするからである。
パソコンチェアとソファは2メートルと離れていないので、普段の寝床とは異なり互いの顔が見える。
きっと、それが愉快なのだろう。
他愛ない話をしながら時を過ごして、気がつくと目を閉じている。
それがあまりに唐突で、驚くことさえある。
「──…………」
さて、読者諸兄には告白しておこう。
眠りに落ちたうにゅほを前にして、どうしてもこらえ切れない衝動が俺にはある。
それは、うにゅほのほっぺたをもにもにすることである。
もちもちしたほっぺたを片手でそっとつまみ、僅かに力を入れて、離す。
この行為を心ゆくまで繰り返すのだ。
これが、なんとも言えず、楽しい。
起きているときでも抵抗はされないだろうが、眠っているうにゅほにイタズラをしているという背徳感がたまらない。
昨晩のことである。
寝息を立てているうにゅほの隣に佇み、いつもと同じようにそっと手を伸ばした。
ぱしっ。
うにゅほの両手が、俺の右手を掴み取った。
「つかまえた」
してやったり、という表情で、うにゅほが言った。
しまった、寝たふりだったか!
悪事がバレたような焦燥感にどぎまぎしていると、うにゅほが俺の右手を自分のほっぺたへと導いた。
起きているときのもにもにも、悪くない。

※1 2012年8月27日(月)参照



2012年9月9日(日)

我が家の前には児童公園がある。
遊具だけでなくサッカーゴールまで備え付けてある大きめの公園で、幼稚園児から高校生にまで広く利用されている。
犬が老いた今となっては、散歩もこの児童公園を一周するのみである。
午後六時、外には既に薄い帳が下りていた。
一時間前まで降り注いでいた通り雨は、目に見えない塵芥を諸共に叩き落としていた。
清冽な、雨上がりの空気。
それを肺いっぱいに吸い込んで、吐き出した。
隣で、うにゅほも同じように深呼吸をした。
うにゅほはお揃いが好きだ。
いつものように俺を真似たあと、はにかむことなく笑顔を浮かべた。
笑顔は俺の真似ではない。
俺はこんなふうに笑えない。
なんとなくうにゅほの頭に手を置いて、立ち止まった。
風が頬を撫でる。
その先に、ブランコがあった。
もう何年も乗っていない。
掘り下げられた公園の敷地に飛び降りて、うにゅほを待った。
「ブランコでも乗るか」
「うん」
犬のリードを受け取り、ブランコに腰を下ろした。
ブランコは、小さかった。
これに乗って遊んでいたことが信じられなかった。
「××、漕げるか?」
「うん!」
うにゅほの乗ったブランコは、段々と高度を増していった。
「ついでだ、サンダル飛ばしてみな!」
「あはは、うん!」
「拾ってきてやるから!」
「しってる!」
うにゅほは右足を引き絞り、頂点で思い切り振り上げた。
空高く舞ったサンダルは、俺とうにゅほの背後に落ちた。



2012年9月10日(月)

「? なにこれ」
ダスキンでホコリを落としていたうにゅほが、本棚から小さな冊子を抜き取った。
「たくさんあるよ」
「ああ……それは、睡眠日誌だな」
「すいみんにっし?」
「寝る時間と、起きた時間。
 それに、布団に入ってるけど寝ていない時間を、グラフにまとめてるんだよ」
睡眠日誌は、担当医の指示で付けているものだ。
持病があることは幾度か触れたが、睡眠障害を併発していることは書いていなかったように思う。
睡眠の状態を把握し、治療に役立てるのだと言われたことがあった。
なんだかんだと一年以上も続けているのだから、我ながら生真面目なことである。
「あ、しんぴんある」
担当医が過剰にくれるので、余っているのだ。
「……やってみたいな」
言うと思った。
うにゅほは規則正しい生活を送っている。
おまけに寝付きもすこぶる良い。
午後十一時から十一時半にかけて就寝即入眠、午後六時起床。
それが四週間続くだけの睡眠日誌が完成することに疑いの余地はない。
「じゃ、一冊やるよ」
「いいの?」
「いいよ」
余ってるし。
他人の迷惑やうにゅほ自身の害にならない限り、やりたいということを止めるつもりはない。
それに、自分の記録をつけるというのも、なかなか乙なものである。
三日坊主になったりして。
どうかな。


2012年9月11日(火)

ようやく残暑も治まり、いよいよ秋めいてきた。
悪天候が続いていることもあるのだろう、つい数日前まで30度を超えた超えないと騒いでいたことが嘘のようである。
ひんやりとした空気に肌寒さを感じ、箪笥から長袖のシャツを取り出した。
「──…………」
臭かった。
古い木材と樟脳を混ぜて、良いところを引いたような香りがする。
箪笥が腐っているのではないか。
以前からニオイはしていたのだが、ここまで強烈ではなかったはずだ。
「うへえ……」
他に着るものもないので、仕方なくシャツに袖を通す。
……臭い。
問題は、このように衣類にもニオイが移ってしまっていることである。
幾度か洗濯をすればニオイは落ちる。
しかし、箪笥に入れればまた悪臭、しっかりばっちり元通りである。
頻繁に着る衣服はいちいち箪笥に仕舞わないので、問題はないと言えばないのだが……。
「どうしたの?」
頭を悩ませていると、うにゅほがちょこちょこ寄ってきた。
「箪笥が臭いから、服まで臭くなっちゃったんだ」
「ふが」
袖口のあたりをうにゅほの鼻に押し付ける。
「ふんふん」
「箪笥をどうにかしなきゃならないと思うんだけど、どうすればいいかなって」
「すぅー……」
「消臭剤入れたり、引き出しごと天日で干すくらいしか思いつかないけど」
「はあー……」
「……臭い?」
「くさい!」
笑顔で言われた。
灯油といい、汗といい、つくづく臭いものを嗅ぐのが好きな子だ。
優しく振りほどくと、背中に貼りついてさらに嗅がれた。
まあいいけど。



2012年9月12日(水)

我が家は父親に権威が集中しているためか、男性陣の露出に躊躇がない。
父親はバスタオル一枚で歩き回るし、弟は上半身裸でリビングに寝転がっている。
うにゅほが我が家に来た当初は男性陣も遠慮していたのだが、いつの間にか元に戻ってしまった。
当のうにゅほも慣れたもので、家族の半裸になんら動じることなくちくわの穴にマヨネーズを注入していたりする。
そういった面々のなかにあって、俺はあまり肌を露出しない。
うにゅほの前で肌を晒すのは、パジャマから普段着に着替えるときくらいのものだ。
いつものようにうにゅほに背を向けたまま上着を脱いでいると、背後で息をひそめるような気配がした。
視線を感じる。
振り返ると、うにゅほが文庫本で顔を隠した。
なんてわかりやすい。
ああ、うにゅほもとうとうそういったアレがソレで思春期的に云々なのかな。
物陰に隠れて着替えなければならない時期が来たのかもしれない。
意識を遠い彼方に追いやりながら着替えを済ませ、うにゅほに声をかけた。
「着替え、気になる?」
「きにならないよ?」
「でも、見てたな」
「みてないよ?」
いや見てただろう。
見てた見てないの押し問答の果てに、うにゅほが立ち上がった。
俺の背後に回り、シャツのなかに手を突っ込む。
「おい──」
「これみてたの!」
「いてえ!?」
背中にできものができていた。
なるほど──とその場では納得したが、それなら誤魔化す必要はなかったのではないか。
女心はなかなかに難しい。



2012年9月13日(木)

うにゅほが母親と買い物に出てしまって、半端に暇を持て余していた。
リビングのソファに寝転がりながら午後の情報番組を流し見ていると、弟が二階に上がってきた。
これでいて俺と弟は仲が良い。
同世代の兄弟より幾分か距離は近いと思う。
「あれ、××は?」
「母さんと買い物行った」
「ふーん。ま、ちょうどいいや」
弟が小さい方のソファに腰を下ろす。
「兄ちゃん。どうすんの?」
「なにが」
「××のこと」
「だから、なにがだよ」
「どう責任取んの」
「なにもしてないっつの!」
後ろめたい記憶がいくつか脳裏を過ぎるが、責任を取るほどのことはしていないはずだ。
……まだ。
「してるしてないじゃなくてさ。兄ちゃんが、どれだけ××の人生を背負う気があるのかって話」
「──…………」
「俺と××は兄妹の距離感だけど、兄ちゃんは違うだろ」
「いや、俺は」
「少なくとも、××に兄妹のつもりはないよな。人前でべったべたして。さすがにもう慣れたけどさ」
「──…………」
否定できない。
「べつに、大したことを言う気はないよ。ただ、どう思ってんのかなってさ」
「俺は──」
「あー……いいや。答えなくていい。余計なお世話だったかもしんないし。そーゆーとこは信用してるし」
「──…………」
「ただ、俺は俺なりにあいつの兄貴のつもりだからさ。ちょっと心配だった。それだけ」
弟は冷蔵庫からメローイエローを取り出すと、後頭部を掻きながら階下へと戻っていった。
俺とうにゅほの関係は、家族によって支えられている。
それを忘れてはいけない。
それを裏切ってはいけない。
そう思った。
あと、お前は青春恋愛漫画によくいる主人公の友人か、とも思った。
空気的に突っ込めなかったのが惜しまれる。



2012年9月14日(金)

昼寝から目覚めると、汗だくだった。
見送ったはずの残暑がブーメランのように返ってきている。
九月に真夏日というのだから恐れ入るが、そのおかげで捗ったこともある。
カビ臭い箪笥の天日干しだ。※1
一日に一段ずつ引き出しをベランダに晒し、衣類を地道に洗濯すること三日間。
仕上げに微香性の防虫防カビ剤を投入し、全工程が完了した。
箪笥のなかに鼻を突っ込み、大きく息を吸い込んでみる。
うーん、せっけんの香り。
「ほら、××も嗅いでみな」
俺のシャツを畳んでくれていたうにゅほを手招きする。
一段下の引き出しを開き、ゆっくりと深呼吸。
「……いいにおい」
だから、どうして不満そうなんだ君は。
物足りないのか。
「!」
うにゅほが唐突に身を寄せてきた。
そして、パジャマの胸のあたりに顔をうずめる。
すんすん。
「◯◯、あせくさいね」
そう言って満面の笑みを浮かべるのだから、こちらはたまったものではない。
うにゅほの前髪を指先で払い、ほとんど無意識に言った。
「××は可愛いな」
うにゅほが下を向いた。
照れているのだと気付くまで、幾ばくかの時間を要した。
そう言えば、真っ向から逃げ場なく「可愛い」と言葉にしたのは、初めてのことだった気がする。
うにゅほの耳朶から赤みが消えるまで、数分ほど抱き着かれていた。

※1 2012年9月11日(火)参照



2012年9月15日(土)

「あめのにおい、する」
窓を開けながら、うにゅほが言った。
「そう言えば、今日の予報は雨だったな」
「うん」
本当に雨が降り始めるまで、数分とかからなかった。
うにゅほは鼻が利く。
俺はと言えば、鼻が詰まっている。
「他に、なんか匂いする?」
「ほかに?」
うにゅほが立ち上がり、窓際へ寄った。
「すうー……」
深呼吸。
「やきにくのにおいもする」
近所に天気予報を確認しなかった間抜けな家族がいる。
うにゅほがとてとてと歩み寄り、俺の膝の上に腰を下ろした。
ソファに座っているときはよくあるが、パソコンチェアでは珍しい。
なにか面白い動画でも見せてあげようかと、適当にマウスを操作した。
うにゅほの髪が、目の前で香る。
同じシャンプーを使っているのに、どうしてここまで匂いが違うのだろう。
不思議である。
「──…………」
ふと、思いついたことがあった。
うにゅほは臭いものが好きである。
汗臭い汗臭いと笑いながら、幾度シャツを嗅がれたかわからない。
ちなみにバスタオルの部屋干し臭なんかも好きらしい。
「どうしたの?」
「いや──」
うにゅほの髪を鼻先で掻き分けながら、「汗臭い」と言ってみたらどうなるのだろう。
喜ぶのだろうか。
ショックを受けるのだろうか。
いや、言わないよ?
嘘になるし言わないけど、気になる。
女性のきつい体臭が好きだという男性でも、デオドラントスプレーを腋に噴霧していたりするからなあ。
自分が発するのと他人の体臭を嗅ぐのとでは、まったく意味が異なるのだろう。
ましてうにゅほは女の子だし。
「? なにー?」
「いや、なんでもないです。なんでもない」
赤ずきんがオオカミのメタボリックシンドロームを解決する動画を再生して、誤魔化した。



2012年9月16日(日)

東京に住む友人の恋人に名刺を作成してもらった。※1
謝礼として有り余るぬいぐるみを幾つか送ることにしたのだが、それだけでは面白くない。
なにか笑えるジョークグッズでもないものか。
ジョークグッズ。
TENGAなんてどうだろう。
それもEGGのほう。
下ネタ大好きだし。
そうと決まればアダルトショップへ行きたいが、うにゅほを連れ歩くわけにはいかない。
うにゅほがシャワーを浴びている隙に、こっそりと家を出た。
アダルトショップはそう遠くない。
三十分ほどで帰宅すると、
「どこいってたの?」
と不審がられた。
不審というより不満顔である。
置いて行かれたのが面白くないらしい。
「まあ、ちょっと」
と適当に誤魔化して、背中に隠した紙袋を段ボール箱に入れた。
梱包こそ済んでいないものの、中身は既にギュウギュウである。
軽く蓋を閉じてしまえば、二度と開かれることはあるまい。
安心してシャワーを浴びに向かった。
戻ってくると段ボール箱が開いていた。
と言うか、うにゅほがニョロニョロのぬいぐるみを抱き締めながら、手にした紙袋を不思議そうに見つめていた。
「な、なにしてるのかな」
「おわかれしようとおもって」
意外と思い入れがあったらしい。
「これなに?」
「えーと、あー……送るやつ」
うにゅほが紙袋を蛍光灯に透かす。
「たまご?」
「たまご……型の、置物……」
「ふうん?」
それほど好奇心を刺激されなかったのか、うにゅほは紙袋を段ボール箱に仕舞った。
俺は右手を胸に当て、早鐘のような鼓動を感じていた。
な、なんだこの罪悪感は!
ぐあああああ!

※1 2012年8月11日(土)参照



2012年9月17日(月)

東京へ荷物を送ろうと郵便局へ行ったが、休みだった。
敬老の日の存在を忘れていた。
帰宅して祖母に手伝いを申し出たが、特にないと断られた。
仕方がないので階段に腰を下ろし、黄昏れることにした。
階段の窓からは犬小屋が見える。
愛犬がふらふらうろついているのを眺めていると、うにゅほが隣に座った。
「コロ、げんきだね」
そうだろうか。
うにゅほは年老いてからの愛犬しか知らない。
若い頃の愛犬は、もう凄かった。
リードを引っ張りすぎて祖母を転倒させ、骨折の憂き目に遭わせたことすらある。
要するにバカ犬だったのである。
強風に煽られて亀のようにひっくり返り、必死に四肢をバタつかせているさまを見ると、バカ犬の称号は返上されていないように思えるけれど。
「あはは、かわいー」
うにゅほが笑う。
俺は笑えない。
うにゅほには遊んでいるように見えているのかもしれないが、それは違う。
必死だ。
耄碌しているのだ。
それも、だいぶ。
今年の冬は越せないかもしれない。
俺は、そっと覚悟を決めた。
口には出さなかった。
散歩のあと、缶詰の比率を多くしてエサを作った。
敬老の日であるからして。



2012年9月18日(火)

シャワーを浴びて甚平を羽織り、リビングのソファで井村屋のあずきバーを頬張っていた。
通りすがりのうにゅほが、俺の髪の毛に鼻先を埋めた。
眼前に膨らみが迫る。
正面ではなく、横からにしてほしい。
「……臭いか?」
風呂上がりに臭いなんて言われたら、立ち直れない気もするが。
うにゅほはたっぷりと深呼吸したあと、
「いいにおいだよ?」
けろっとした表情でそう答えた。
その言葉を聞いてほっと胸を撫で下ろしたあたり、臭い臭いとうにゅほに追いかけられたことがトラウマとなっている気がする。
悪意がないぶん余計にタチが悪い、というか。
うにゅほの左肩から垂れ下がっていた長髪の一房を手に取り、鼻先にあてがう。
いいにおい。
見知らぬ果実が薄く香るような、とでも表現すべきだろうか。
もしかすると、これがラックススーパーリッチシャイン(シャンプー)の本来の香りなのかもしれない。
俺が短髪であるが故に、自分では気がつかないだけなのでは。
いや、まさかなあ。
でもなあ。
「──…………」
ふと思い出したことがあった。
「××」
「?」
「ちょっと、このあたり嗅いでみて」
甚平をはだけ、首筋を露出させる。
「ふんふん」
前髪が頬に触れてこそばゆい。
「なんか変な匂い、するか?」
うにゅほは首を振った。
「におい、しないよ?」
「そっか」
ならよし。
実は、間違ってラックススーパーリッチシャイン(シャンプー)で体を洗ってしまったのだ。
うにゅほは不思議そうな顔をしていたが、笑い話にもならない微妙な失敗談だけに、言葉にするのも恥ずかしい。
井村屋のあずきバーを一口あげて、お茶を濁した。



2012年9月19日(水)

家族で、近所に新しくできた回転寿司へ行った。
うにゅほにレーンの傍を譲り、俺は通路側に腰を下ろした。
「××、回転寿司は初めてか?」
少なくとも、俺はうにゅほを連れてきたことはない。
「ううん?」
うにゅほが首を振った。
そうか。
まだ子供の頃に、家族と来たことがあるのかもしれない。
すこしだけ救われた気分になった。
「──…………」
母親と弟が、不自然に視線を逸らしていた。
問い詰めると、すぐに吐いた。
今月の初め、三人で回転寿司を食べに行ったのだそうである。
俺が眠っている隙を突いて。
怒るほど大人気ないわけではないが、一言くらいあってもいいのではないか。
まあいい。
それにしても、最近の回転寿司はハイテク化が著しい。
タッチパネルで注文ができるとは驚いた。
シャイなヤングにバカウケである。
「××、コーン注文して」
「コーン?」
「たぶん、ハンバーグと同じページにあるから」
「? わかった」
俺は子供舌なので、コーンだのエビマヨだのが大好きである。
うにゅほはホタテやサーモンあたりを中心に食べていた。
ホタテ好きだなあ。
「××、それ」
注文したコーンがレーンを流れてきた。
「コーンって……ほんとにとうきびなの?」
「そりゃコーンだし。正確には、コーンをマヨネーズで和えたものだけど」
「おすしに、とうきび……?」
うにゅほ的にはありえない組み合わせであるらしい。
「ひとつ食べてみる?」
「うん」
箸で軍艦巻きを掴み、すんすんと鼻を近づける。
そして、そっと口に入れた。
「──…………」
咀嚼し、嚥下する。
お茶を一口すすり、ほっと一息ついて、タッチパネルに触れた。
コーンを二皿。
美味しかったらしい。
うにゅほはそれからコーンしか注文しなかった。
もしかすると、俺はうにゅほに禁断の果実を食べさせてしまったのではあるまいか。
まあいいや。
年に何度もない贅沢の機会にくらい、好きなものを食べればいいんだ。



2012年9月20日(木)

夕飯はサンマの塩焼きだった。
うにゅほは不器用である。
しかし、焼き魚は好きである。
サンマの半身を左手で押さえながら、一所懸命に小骨を抜いていく。
几帳面に小骨を取り除いたあと、軽くほぐしたサンマの身をごはんに載せ、醤油をかけて食べる。
至福の表情である。
そんなうにゅほを隣で見ている俺は、まだ小骨を取りきれていない。
どちらかと言えば、俺のほうが不器用である。
うにゅほは好き嫌いがあまりない。
あまりないが、ひとつもないわけではない。
そのひとつが青汁である。
スティック状に小分けされた粉末を水に溶かすタイプのものを夕食後に常飲しているのだが、これがどうも苦手らしい。
青汁といっても、大麦若葉や抹茶を主成分としているので、味はほとんどお茶である。
「まずい! もう一杯!」の時代はとうに過ぎ去った──はずだ。
マドラー代わりの箸でコップの中身を過剰に掻き混ぜながら、うにゅほが渋い表情を浮かべる。
「うー……」
目を細めながら、一口。
目を閉じて、二口。
固くつぶって、三度喉を鳴らす。
「うぇー……」
そして、水を足してまた混ぜる。
これを二、三分ほど続けて、ようやく飲み終わる。
水を足すと苦しみが長く続くのではないか、と思うのだが、まあ好きにしたらいい。
青汁のなにが駄目なのか尋ねたところ、
「なんか、緑色なところ」
と、色で答えられた。
味じゃないのか。
しかし、ドリンクバーにあるメロンソーダには抵抗がない。
どろっとして濃い色なのが嫌なのだろうか。
難しいものだ。
うにゅほをぼんやりと眺めていると、左手の指が魚臭いことに気がついて、慌てて手を洗っていた。
魚臭いのは嫌いなのか、自分が臭いのは嫌なのか、これもまた難しい。
うにゅほを観察するのは、楽しい。



2012年9月21日(金)

うにゅほはキレイ好きである。
三日に一度は部屋の掃除をするし、週に一度は本棚の整理をしようとする(あきらめる)。
汚さない代わりに掃除もしない教の信者であった俺も、今ではダスキンでホコリを落とす仕事に従事している。
ただし、本棚の上は除く。
手は届くが、目は届かないので。
パソコンデスク周辺は危険地帯である。
パソコン本体を動かさなければ掃除機のヘッドをねじ込めない場所があるし、パソコンチェアも邪魔くさい。
燃える・燃やせないゴミ箱を動かして、チェアをずらして、掃除機本体を運び入れて、ようやくデスクの下が掃除できるようになる。
大変である。
ダスキンと代わろうかと提案したこともあったのだが、うにゅほの身長では届かない場所が多すぎた。
天井まである本棚の上から三段目あたりを必死にぱたぱたするさまは、眼福でこそあれ掃除の役には立たない。
「あっ」
掃除機をぶおおと鳴動させながら、うにゅほがデスクの下にもぐる。
掃除するのにもぐる必要はないのではないか。
そう思い、うにゅほの傍に近づく。
声を掛ける前に気がついた。
震える肩越しに見えたのは、ぺろんと剥がれたフローリングの表面だった。
「あの、ごめ……ごめな──」
過剰に責任を感じている。
うにゅほの頭にそっと手を乗せて、優しく撫でた。
そして、体重を込めてデスクを大きく動かした。
「このあたり、もうだいぶめくれてるんだよな。古いから」
フローリングの惨状が白日の下に晒された。
過積載のデスクを置いていることも、理由のひとつなのだろうけれど。
うにゅほはあからさまにほっとした表情を浮かべたあと、慌ててそれを取り繕った。
「ごめんなさい!」
べつにいいのに。
掃除の最中に起きた過失くらい、笑って許す度量はあるつもりだ。
しかし、それではうにゅほの気が済まないというのなら、仕方がない。
「じゃ、掃除が終わったら腰でも揉んでくれ」
そのままうとうと昼寝に突入した。



2012年9月22日(土)

水曜日と土曜日の午前中は、祖母を整形外科へと送迎することになっている。
短距離を二往復することになるため、うにゅほを連れて行くことはあまりない。
ついでに祖母の買い物を済ませてしまうとき、声を掛けるくらいのものだ。
午前十時半に設定した携帯電話のアラームを苦しみながら止め、ソファからずり落ちた。
最悪の目覚めである。
体調が悪いときは、寝ても寝ても寝足りない。
許されるなら夕方まで眠り果てたいが、祖母の膝のためだから仕方がない。
なんとか奮起して顔を洗い、寝癖を軽く整え、普段着へと着替えた。
階段を下り、祖母に声を掛ける。
「病院行くぞー」
祖母はきょとんとした表情で答えた。
「今日は旗日だよ」
旗日。
祝日。
カレンダーを見る。
秋分の日。
「──…………」
やってしまった。
起き損である。
とぼとぼと階段を上がっていると、うにゅほが玄関の扉を開いた。
振り向く間に階段を駆け上がり、元気よく右手を挙げる。
「おはよう!」
こんなときに限ってやたらと元気である。
俺も真似をして右手を挙げ、
「おやすみ!」
ハイタッチを交わした。
「おや、えっ?」
戸惑っているあいだに部屋へ戻り、うにゅほの寝床に潜り込んだ。
それからしばらくうにゅほと会話をしていた気がするのだが、あまりよく覚えていない。
夢かもしれない。
気がついたら午後二時だった。
すこしだけすっきりした。



2012年9月23日(日)

「ちゃめ、ちょっと醤油取って」
「はーい」
「ちゃめ、八時からなんの番組ある?」
「えーと……」
「ちゃめ、悪いけど背中踏んでくれ」
「うん」
父親は、うにゅほのことを「ちゃめ」と呼ぶ。
最初はちゃんと名前で呼んでいたのだが、かなり早い段階で呼称が変わっていた。
いつからそう呼んでいるのか、俺もよく覚えていない。
うにゅほが我が家に住むようになって二、三ヶ月目には、もう「ちゃめ」だった記憶はある。
「──……◯◯?」
夕食を終えてくつろいでいると、うにゅほが口を開いた。
「ちゃめってなに?」
「ばふう!」
今更!
半年以上経って、今更!
「──…………」
思わず吹き出すと、うにゅほに睨まれた。
申し訳ない。
佇まいを直し、答えた。
「なんだろうな……」
うにゅほがすっと立ち上がる。
「すいません!
 ああいや、おおよその意味はわかるんだけど、たぶん方言かなにかだろうから」
「ほうげん?」
「違うかもしれないけど──まあ、小さいとか、子供とかって意味だと思うよ。
 ほら、父さんが××以外の子供にちゃめちゃめ言ってるの、聞いたことないか?」
「うん……あるー……?」
「いや、ないならいいんだけど」
単に居合わせる機会がなかったのかもしれないし、うにゅほ以外には言わなくなったのかもしれない。
それは、父親のみぞ知るところである。
「こども、かなあ?」
自分の顔をぺたぺたと触りながら、うにゅほが自問する。
まだ子供だよ、とは答えなかった。
子供はみんな、自分のことを大人だと思っているものだ。



2012年9月24日(月)

リビングに3Dテレビがあった。
父親が買ってきたらしい。
弟から3Dメガネを拝借すると、飛び出すぎた国分太一がリビングでせんべいを食べていた。
「──という夢を見たんだ」
父親なら唐突に買ってきてもおかしくはないだけに、妙な現実味のある夢だった。
目を覚ましてしばらくは夢と現実の境目が曖昧だったほどである。
などと心の底からどうでもいい話をうにゅほにしていると、
「……ずるい」
と言われた。
そんなに国分太一が好きだったろうか。
いやまさか。
「最近、夢見が悪いとか?」
「ううん」
首を振る。
「じゃあ、なにがずるいんだ?」
「わたしも3Dのやつ、みたい」
妙なところに食いついたな。
「ヤマダ電機とかヨドバシカメラとかで、さんざ見たじゃない」
「おもしろかったねー」
あ、わかった。
遊園地のアトラクション気分なのだ。
なんというか、ディズニーランドとか連れて行けなくて本当に申し訳ない。
「……じゃ、今度また見に行こうか」
「うん!」
「今日のところは3DSで勘弁してください」
自動車もないし。
「わー……」
洞窟物語3Dをプレイしてみせると、うにゅほはとても満足げだった。
うにゅほでもできるゲームとか、今度探してみようかな。



2012年9月25日(火)

母親に臨時収入があったということで、家族で回転寿司を食べに行くことになった。
読者諸兄の感じているそれは、既視感ではない。
数日前にも行きました。※1
困ったなあ。
ダイエット中なのになあ。
太っちゃうなあ。
しかし、食べる手を緩めるつもりはない。
寿司は何よりも優先されるのだ。
「コーンって、しょうゆつけるの?」
「好きなように食べたらいいんじゃないか?
 俺はつけないけど」
うにゅほは先日味を占めたコーン軍艦を中心に攻め、俺はバラエティ豊かに皿を選びながら半貫ずつうにゅほと分けて食べていた。
うにゅほは嫌いな食べ物があまりないわりに偏食の気があるので、放っておくと本当にコーン軍艦とホタテだけで食事が終わりかねない。
外食のときくらい別に構わないのだが、なんとなく味気ないように思えたのだ。
「あんたはなんで箸使わないのよ!」
デザートのタイミングなどは考慮せずミルクレープに舌鼓を打っていると、隣席から怒声が上がった。
隣席は家族連れで、母親が幼稚園児くらいの子供を叱っているようだった。
店内に轟くような大声で叱りつけることもないだろうに。
怒声は人を不快にさせる。
しかし、うにゅほに限っては「不快」では済まない。
そのことを俺はよく知っていた。
震える箸先でコーン軍艦を何度も取り落とすうにゅほの頭を撫でて、軽く抱き寄せた。
家族も、茶化すことはなかった。
やがて怒声も静まり、店内に穏やかな喧騒が戻った。
うにゅほはしばらくのあいだ俺の脇腹のあたりに顔を擦りつけていたが、そのうちむくりと起き上がり、渋い顔でコーン軍艦を口に運んだ。
さらにコーン軍艦を二皿も追加注文するのだから、健啖である。
ふと気がつくと会計という流れになっていて、俺は大して食べたくもないビンチョウマグロを慌てて口内に放り込んだ。
どうにも食べ足りない。
うにゅほが満足げに腹を撫でていたので、横っ腹をつまんでやろうかと思ったら、肉がなかった。
不平等である。

※1 2012年9月19日(水)参照



2012年9月26日(水)

うにゅほの前髪が長い。
普段はさほど気にならないが、シャワーを浴びた直後は鼻先に届かんばかりの勢いである。
適当に分けている髪の毛が、水を吸ってまっすぐに下りるためであろう。
まるで、厨二病をこじらせかけた高校時代の俺のようである。
「──…………」
ひっそりと心に傷を負った。
「……前髪、ちょっと長過ぎないか?」
「んー?」
「前、見えにくいだろ」
「んー……」
うにゅほは自分の前髪をのれんのように払い、
「たいしょー! やってる?」
と真顔で言った。
誰に教わったんだよ。
「ちょっとじゃまくさいけど、ちょっとだけだよ?」
「なんか、シェルミーみたいだぞ」
「しぇるみー?」
「前髪で目が隠れてるキャラ」
「んー……じゃ、きって」
「誰が?」
「◯◯が」
「なにを?」
「かみを」
「──…………」
「──…………」
規定回数の天丼を行い、さっさとハサミを手に取った。
うにゅほがゴミ箱を抱き、目を閉じる。
この時点で、俺は思い上がっていた。
前髪を切るくらい、なんてことはない。
適当にシャギーでも入れて誤魔化せば、どうとでもなるはずだ。
ショリ。
僅かにハサミを入れて、気がついた。
シャギーってどうすればいいの。
そもそも小学生のときから使っている緑色のハサミで可能なのか?
スキバサミとかじゃないと無理なのでは?
「──…………」
しかし、もう戻れない。
どうしよう。
いや、答えはひとつしかない。
変に冒険して失敗することだけは避けなければならない。
ならば──パッツンしかない!
「……できました」
やった。
やってしまった。
地面と平行に、一筋の歪みもなくパッツンである。
「……姫、どうぞ」
恐る恐るうにゅほに手鏡を渡す。
「おー」
怒るかな。
どうかな。
「きれいになった!」
それはもう、これ以上なく。
「ありがと」
「えっ?」
「え?」
「怒らないの?」
「なんで?」
「いや、なんか……いつもと違う感じになったから」
「これ、かわいたらなおるよ?」
「そうなの?」
「じぶんできるとき、こんなかんじだもん」
ドライヤーをかけると、うにゅほの言葉通りになった。
自分で前髪を切っている光景を幾度も見ていたのだから、過度に気負う必要はなかったのだ。
パッツンもわりと似合っていたので、それだけはすこし残念な気がするけれど。



2012年9月27日(木)

リビングへの扉を開くと、なんとも言えず焦げ臭かった。
慌てて一階へ急ぐと、既に鎮火した後だった。
祖母がきんぴらごぼうを温めようとして、火を消し忘れてしまったらしい。
こういうことが時折あるので、油断ならない。
「どうしたの?」
騒ぎに気がついて下りてきたうにゅほに、事の次第を説明する。
「そっかー。きんぴら、もったいないね」
もったいないが、仕方ない。
ボヤ騒ぎに発展しなかったことを喜ぶべきである。
一息ついて喉が乾いたので、無事だった味噌汁をおたまから直接すすった。
祖母の作る味噌汁は、相変わらず美味い。
味噌汁を飲むさまをうにゅほがじっと見つめていたので、
「××も飲むか? 美味いぞ」
と、おたまを手渡そうとした。
「──…………」
すると、うにゅほが下を向いてしまった。
なにか機嫌を損ねるようなことでもしてしまっただろうか。
そう考えてうにゅほの顔を覗き込むと、真っ赤だった。
不意を突かれた。
え、なに、俺なんかした?
「え──あの、なんだ、その」
「……ふふ」
おたまを振りながら慰めの言葉を探していると、うにゅほが笑い声を漏らした。
「みそしる、わたしもつくったの」
「え?」
「おばあちゃんと、わたしで、つくってるの」
「そうなの?」
「そうなの」
祖母が味噌汁を作るのは、まだ朝も早い時分である。
当然、俺は起きていない。
いつの間に料理ができるようになったのだろう。
言ってくれればよかったのに。
いや、本気で教えてくれればよかったのに。
ものすごくもったいないことをしてしまった気がする。
「××は、なにをしたんだ?」
「ほうちょうはだめだから、だしいれて、おみそといて──」
うにゅほが楽しげに調理工程の話をする。
当たり前かもしれないが、ちゃんと料理している。
初めて包丁を握ったとき、派手に指を切らなければ、今ごろはいっぱしの料理人だったかもしれない。
それはそれで、嬉しいような、寂しいような。
「味噌汁、毎日飲もうかな」
俺はそう言って、うにゅほの頭をぐりぐりと撫でた。
うにゅほは、また照れていた。



2012年9月28日(金)

俺は、うにゅほが就寝したあとにシャワーを浴びている。
うにゅほがぐっすりこんと眠りこけているものだから、つい油断してバスタオル一枚で歩き回っている。
自宅なので猥褻物陳列罪には当たらない。
昨夜のことである。
バスいちで廊下を練り歩き、階段に足を掛けたところ、二階のリビングから物音がした。
テレビにしては静かである。
大して疑問も持たずに階段を上がりきると、ソファの上にうにゅほがいた。
「わ」
「おおう」
反射的に半身になり、両手で軽く下半身を隠す。
うにゅほも心なしか視線を逸らしていた。
……あれ?
弟や父親のおかげで男性陣の半裸は見慣れていると思ったが、俺に対してはそうでもないらしい。
あまり脱がないからだろうか。
嬉しいような、こっ恥ずかしいような。
「……どうしたんだ、こんな時間に」
既に日付が変わっている。
「なんか、おきちゃった」
「ふうん」
「おはなしして、いい?」
「ああ、いいよ」
何はともあれ、パンツを穿きたい。
そっと自室の扉を開くと、うにゅほもソファから立ち上がった。
「──…………」
「──…………」
箪笥からパンツを取り出す。
背後から視線を感じる。
さすがにうにゅほの前でパンツを穿くわけにもいかないので、リビングに戻った。
うにゅほも出てきた。
お前はサマルトリアの王子か。
「……あの、とにかく、パンツを穿かせてほしいんだが」
「あ」
うにゅほは途端に赤面し、
「わ、ごめ、あの、きづかなくて──」
と言いながら、自室の奥へとフェードアウトしていった。
本気で気がついていなかったらしい。
ほとんど反射的に俺の後ろをついてまわっていたのだろう。
出会ってもう一年近くになるものなあ。
しみじみ。



2012年9月29日(土)

午睡の最中に見た夢が、淫夢だった。
当然のようにうにゅほが登場した。
当然のように具体的な描写は割愛する。
「おはよー」
体を起こすと、ソファで読書をしていたうにゅほが挨拶をした。
「……ああ、おはよ」
挨拶を返しながら、僅かに罪悪感を抱く。
僅かで済んでしまうあたり、実家住まいだけど郷里の父さん母さん、俺は東京で汚れてしまいました道民だけど。
まあ、あれだ。
うら若き少女と同じ部屋で過ごしていて、一切の劣情を抱かないようであれば、そいつにはちんこがない。
夢など見なかったことにして、うにゅほの隣に座った。
幸いなことに理性は強いほうだ。
「ねぐせ、ついてるよ」
うにゅほの手が、俺の頭頂部に乗せられる。
しかし、剛毛を誇る俺の寝癖が軽く押さえた程度で直るわけがない。
シャワーを浴びるか、すべての髪の毛を濡らしてドライヤーでセットし直すしか道はないのである。
「あ、そだ」
なにかを思いついたらしきうにゅほが、ソファの上に立つ。
そして、俺と背もたれのあいだに体を滑り込ませた。
ああ。
ああ。
どうしてこんな日に限って、こう密着したがるのだ。
うにゅほのアゴが、俺の頭頂部に乗せられる。
手ではなくアゴで押さえることで、頭皮が適度に刺激され、いろいろあって結果的に寝癖が直るともっぱらの噂なのだ!
そんなわけはない。
わかっている。
これは、単に甘えたいだけだ。
「わーれーわーれーはー」
なぜ扇風機。
アゴが動いて微妙に痛いが、逆はよくやるので文句も言えない。※1
「……うーちゅーうーじーんーだー」
とりあえず調子を合わせてみた。
「わーれーわーれーはー」
「どこから来てどこへ行くのか」
「?」
結論。
アゴで寝癖は直らない。

※1 2012年8月29日(水)参照



2012年9月30日(日)

「ほあー」
ヤマダ電機へ行き、3Dテレビを観賞した。
「これは、とびでるね」
「飛び出るな」
「あっちもとびでるかな」
「飛び出るだろうな」
3Dテレビは店頭に二台しか置いていなかった。
普及するまでには数十年単位の期間が必要なのではあるまいか。
帰り際、久しぶりにゲオへ寄った。
子供のころに見た記憶のある「アイ・シティ」というアニメ映画を探していたのだが、結局見つからなかった。
1986年に公開された作品だが、2002年にDVD化されているらしい。
いつか見てみたいものである。
代わりに「ドラえもん のび太と夢幻三剣士」を借りて帰宅した。
うにゅほがすぐに見たがったので、早速PCで再生した。
うにゅほはドラえもんが好きである。
テレビ版は新ドラ、大長編は旧ドラのほうがいいらしい。
まあ、旧ドラのテレビ版は数本しか見せたことがないのだけれど。
先入観のないうにゅほから見てもそうなのだから、新ドラの大長編は微妙という結論でよかろう。
再生が終わって面白かったか問うと、満足そうな答えが返ってきた。
七泊八日のあいだに、また幾度か見ることになるだろう。
まあ、それくらいは付き合おうじゃないか。
うにゅほがイヤホンを外し、ソファへと移動する。
スピーカーは結局、使わないまま電源だけ入り続けている。
俺も、トイレへ行こうと立ち上がり、
「うおッ」
何者かによって耳を引っ張られた。
外し忘れたイヤホンだった。
「ぶふ!」
うにゅほが吹き出していた。
このやろう。
「見ぃー……たぁー……なぁー……」
イヤホンをソファに放り投げ、うにゅほに迫る。
「みてない! みてないです!」
「嘘つきには罰を与えなければなるまい」
そっとうにゅほの首筋に触れて、
「──…………」
うにゅほの瞳が期待に輝いていた気がしたので、やっぱりやめた。
「あ……」
と見せかけて、やっぱりくすぐった。
楽しいですよね、人をくすぐるのって。


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