>> 2012年8月




2012年8月1日(水)

寝起きに必ずソフトモヒカンになる癖がついたので、床屋へ行くことにした。
いずれにしても髪を切る時期である。
「◯◯は……来てないのか」
伯父が残念そうに呟いた。
髪を切られすぎたことが、いまだに尾を引いている。※1
悪感情を抱いているというより、怯えていると表現したほうが近い。
うにゅほにとって髪の毛とは、それほど大切なものなのだろう。
帰り際、伯母に呼び止められた。
「これ、おみやげ」
花火セットだった。
「ごめんね、って伝えといてね」
快諾し、帰宅した。
花火セットをうにゅほに手渡すと、目を丸くして驚いた。
「これ、はなび?」
「そう。伯父さんと伯母さんにもらったんだ」
「やっていいの?」
「夜になってからな」
「そっか!」
そわそわと落ち着かないうにゅほに、そっと切り出した。
「伯父さんたちに、お礼を言わないとな」
「……うん」
「電話、しようか?」
「うん」
伯父と伯母に電話を掛けて、うにゅほに携帯を手渡した。
たどたどしいながら、礼は言えたようだった。
わだかまりが解けたなら、よかった。
午後八時頃、弟を誘って三人で花火をした。
それほど量はなかったが、うにゅほはこれ以上ないほど楽しんでいたようだ。
アスファルトに花火でうにゅほの名前をでかでかと書くと、その隣に俺の名前が書き足された。
すこし恥ずかしい。
いつまで残っているだろうか。
消えてしまうのも、すこし残念な気がするけれど。

※1 2012年5月27日(日)参照



2012年8月2日(木)

うにゅほの体調が戻ったようなので、市民プールへ行くことにした。
誘ったときの喜びようと言ったらなかった。
四字熟語で表現するなら、挙動不審である。
犬小屋と自室と台所を落ち着きなく往復し続けていたのだから、これ以上に適した言葉はあるまい。
水着のボトムスを穿いて行くと言うので、下着を忘れないよう再三の注意を促した。
ありがちな展開にしてたまるか。
車内で最終確認を行ったところ、
「はい!」
と、バッグから下着を出して見せてくれた。
いや見せなくていいです。
市民プールの利用料金は、市民プールのくせに五百円もした。
これは元を取らねばなるまい。
うにゅほにロッカーの使い方を教え、水着に着替えたあとプールで落ち合った。
「◯◯、泳げるの?」
「わかんない」
まず泳げまい。
ビート板を一枚渡し、入水する。
「これを支えにして、バタ足してみな」
「ばたあし?」
「足をばたばた……いや、いい。やるから見てな」
わかりやすいよう、飛沫を上げて泳いでみせた。
「わかった?」
「おー」
どっちだ。
うにゅほにビート板を返し、バタ足をさせてみる。
「ぶぶぶぶ」
足は動いているが、水面から出ていない。
そもそも顔がついていない。
結果として、ほとんど前に進まない。
「そうか、顔を水につけるところからか……」
長い道のりである。
水中メガネもしてるのになあ。
そのままうにゅほに泳ぎ方を教え、時間は過ぎて行った。
「◯◯は、およげるの?」
「まあ、25メートルくらいなら」
「およいで!」
そう言われては泳がないわけにはいかない。
運動不足の体を押して、必死に水を掻き分けた。
途中で数度ばかり諦めそうになったが、見栄だけでなんとか泳ぎ切った。
完全になまっている。
うにゅほに教えられるくらいの実力は取り戻しておかねば。



2012年8月3日(金)

ホームセンターから帰宅して、玄関の扉を開いた。
なにかが震えるような音が玄関フードに響く。
「わああ!」
うにゅほが俺の陰に隠れ、頭上を指さした。
振り返り、視線を上げる。
「……嗚呼」
冷静ゆえの溜め息ではない。
驚いて声がうまく出なかったのだ。
そこにいたのは、親指ほどもある巨大な虫だった。
しかも、数匹いる。
な、何故こんな事態に!
俺ひとりであれば迷うことなく戦術的撤退を選択するところだが、うにゅほに情けない姿は見せられない。
俺はうにゅほを屋内へ押し込むと、無言で玄関の扉を閉めた。
これ以上の侵入を許すわけにはいかない。
物陰の多い屋内で奴らを殲滅するのは至難の業である。
ここで食い止めなくてはならないのだ、絶対に!
「◯◯!」
うにゅほが悲痛に俺の名を叫ぶ。
「待ってろ! 俺がなんとかする!」
俺はホウキを手にすると、
「──来い!」
などと言ってみた。
本当に来られても困るので、とりあえず小声で。
「やるかー……」
自らを犠牲にしてヒロインを助ける主人公ごっこはおしまいにして、数匹の虫を適当に叩き落とした。
「終わったぞー」
玄関を開くと、
「さされてない? はれてない?」
と、うにゅほが心配してくれた。
「おつ」
一部始終を見物していながら手伝う素振りも見せなかった弟が、片手を上げて俺たちの横をすり抜けていった。
結果は申し分ないが、微妙に納得が行かない。



2012年8月4日(土)

本屋から帰宅し、アウターを脱いだ。
ほのかに蒸し暑く、ペンダントチェーンが肌に触れるのを疎ましく感じ、ついでに外してデスクに置いた。
「──…………」
うにゅほがペンダントをじっと見つめている。
「見る?」
「いいの?」
駄目な理由は思い当たらない。
うにゅほの手のひらにペンダントをそっと載せた。
「おー……」
琥珀のペンダントヘッドを陽光に透かし、うにゅほが溜め息をつく。
「綺麗だろ?」
「うん」
このペンダントヘッドは友人の海外土産である。
グリッターも多く見目麗しいが、土産と言いつつ幾許かの金銭を要求された。
「◯◯も、宝石とか興味ある?」
うにゅほも女の子だ。
アクセサリーのひとつやふたつ、持っているほうが普通である。
「うーん……」
「興味ない?」
「……だって、おたかいでしょ?」
金銭感覚がしっかり身についているようで、お兄さん嬉しいよ。
「欲しくないわけじゃないんだ」
「うん」
ひとつ、いいことを思いついた。
物事には相応の時期があり、相応の舞台がある。
幸い、そう遠くはない。
今は雌伏して時を待つことにしよう。
「なんか、たのしいの?」
「なんでもない、なんでもない」
にやついた口元を左手で隠し、右手でうにゅほの頭を撫でた。



2012年8月5日(日)

町内会の祭りがあった。
家の前の公園で執り行われる予定だったが、生憎の雨模様で開催場所がずれた。
人が集まって楽しそうにしているさまを屋内から眺めるのが好きな俺としては、いささか残念である。
雨がやんだ隙にうにゅほと出かけようとしたところ、母親に呼び止められた。
「浴衣があるから着て行きなさい」
「買ったの?」
「私の。××なら着れるでしょ」
うにゅほが着つけてもらっているあいだに、俺は甚平へと着替えた。
両親の寝室から姿を現したうにゅほは、朝顔模様をあしらった紺色の浴衣を身にまとっていた。
いつもより、すこしだけ大人っぽい。
「にあう?」
「似合ってるよ。
 もう、××の浴衣にしちゃえばいいのに」
「おいおい」
母親が苦笑した。
「でも、ちょっときつい」
ある一部分のことかと横目で視線を送ったが、ふつうに帯がきついだけだった。
母親に締め直してもらったあと、雪駄と下駄で足元を飾り、外へ出た。
祭りの会場は狭く、人でごった返していた。
祖母に頼まれた、おでんとうどんを購入し、ひとまず帰宅した。※1
「どうだった?」
「ひとおおかったねー」
「祭りだからな」
それでも町内会の主催する小規模なものだから、露天はあまり充実していない。
「もう一度行って、くじでも引こうか?」
「……ちょっと、つかれた」
「そっか」
俺たちは、非日常な恰好で、日常を謳歌した。
時折うにゅほと目が合って、互いに笑みを交わした。
窓の向こうから届くざわめきが、なんとなく、楽しい。
それが醍醐味であるならば、俺たちは誰よりも祭りを満喫していたのではないだろうか。
夏の恒例となっている盆踊りのお囃子は、今年は聞こえてこなかった。
それだけが心残りだが、夏はまたやって来る。
来年もこうして過ごせるよう、誰にともなく祈った。

※1 ラーメンズを彷彿とさせるが、無関係である。



2012年8月6日(月)

ソファに寝転がりながらPSPを天井にかざしていると、リビングへ通じる扉が開いた。
「◯◯! ◯◯!」
うにゅほが喜色の混じった声音で俺の名を連呼する。
なんだろうと上体を起こすと、目の前に赤いものが差し出された。
「トマト!」
紛うことなきトマトである。
大ぶりでなし、小ぶりでなし、色鮮やかと言うほどでもなく、青みが混じってもいない。
普通のトマト以外の何物であろう。
「トマトだねえ……」
どう返答すればいいのか考えあぐねた結果、見たままを口にすることとなった。
「ちがうの! はつもの? はつなり?」
「……ああ!」
ようやく理解した。
晩春に購入したトマトの苗が、ようやく実をつけたのだ。※1
「じゃあ、これが?」
「そう!」
「へえー、立派なもんだな」
うにゅほが育てたのだと思うと、表面が艶めいてさえ見えるから不思議だ。
「◯◯、たべていいよ」
「え?」
俺の表情筋が硬直する。
気持ちは嬉しい。
気持ちは非常に嬉しいのだが、俺は生のトマトが嫌いなのである。
それはもう、蛇蝎の如く。
「は、半分こにしよう」
「……いいの?」
「××が手伝って育てたトマトだろ。
 ××が食べないでどうする」
「じゃ、たべる」
ノルマが半分になった。
台所へ向かい、トマトを五分の三と五分の二くらいの大きさに切り分けた。
「わたし、ちいさいのでいいよ」
余計な真似をしてしまった。
覚悟してかぶりつくと、青臭いトマトの香りが口いっぱいに広がった。
とれたて新鮮なだけに、味も匂いもやたら濃い。
可能な限り素早く咀嚼し、一気にたいらげた。
「おいしかった?」
「……美味かった!」
俺は悟った。
どんなに新鮮でも、誰が育てたものだとしても、トマトはトマトであると。

※1 2012年5月23日(水)参照



2012年8月7日(火)

起床すると、猛烈に腰が痛かった。
寝台代わりのソファから立ち上がるときも、まずガウォーク形態を取らなければバトロイド形態に変形できないほどである。
原人の一歩手前のような前傾姿勢でなければ、歩行すらままならない。
「こしいたいの?」
「腰痛いんだよ……」
もう、見た目ですぐにわかるらしい。
「こしもむ?」
「……頼む」
しかし、うにゅほのクレーンゲームのような握力では、心地良くはあれど気持ち良くはない。
「まさこちゃんだす?」
マサ子氏とは、四つの揉み玉とヒーターを内蔵した、我が家が誇る高性能マッサージクッションである。
「きもちいい?」
「気持ちいい、けど──」
マサ子氏による痒いところに手が届くマッサージも、気持ち良くはあれど事態の改善には至らなかった。
これは病院へ行くより術はない。
うにゅほに軽く手を引いてもらいながら、近所の整形外科の門戸を叩いた。
医師曰く、
「ただの腰痛ですね」
腰痛は知ってるよ!
一時間ほど待たされた挙句これである。
医師の言わんとするところを要約すると、椎間板ヘルニアのような「ただじゃない腰痛」ではないから安心して構わない、ということらしい。
「筋肉疲労なので、安静にしてください」
診察のあと、十五分ほど電気治療を行い、ほんのすこしだけマシになった。
自動販売機でうにゅほにいちご牛乳を奢り、帰宅した。
「きょう、わたしソファでねる」
できた子だ。
たしかに、ソファで寝ると悪化してしまいそうである。
明日は今日より良くなっていますように。



2012年8月8日(水)

「うー……」
ビッグねむネコぬいぐるみをギュウと抱き締めながら、うにゅほがリビングのソファの上に転がっていた。
よく見れば、ぬいぐるみを絞め上げているのは右腕だけである。
「かゆいー!」
左手は服の下に差し入れられ、もぞもぞと動いている。
「そんなに痒いのか?」
「かゆいよー」
また虫に刺されたのだろうか。
俺は戸棚からウナコーワクールを取り出し、うにゅほに渡そうとした。
「や」
突き返された。
塗ってくれ、ということだろう。
この時期、うにゅほはやたらと俺に甘えたがる傾向がある。
俺は複雑な感情を溜め息と共に吐き出して、うにゅほの傍に膝をついた。
うにゅほがシャツを上に、腹巻を下にめくり、腹部を露出させる。
「──…………」
虫刺されではない。
患部は赤くなっているが、以前のように腫れ上がってはいなかった。※1
「あせも、かな」
「あせも?」
「汗でかぶれると、痒くなるんだよ。
 それが、あせも」
となると、ウナコーワクールではまずかろう。
俺は戸棚を探し、メンソレータム軟膏を手に取った。
蓋を開き、呟くように確認する。
「……やっぱ、俺が塗るの?」
「うん」
単純に役得と割り切ることができれば、どんなにか楽な人生であることだろう。
俺はわざと手荒に軟膏を塗ったあと、思うさまうにゅほの横腹をくすぐってやった。
「わひゃひゃひぃはひやあ、ひっ、うひぃひひゃひひひ──」
上半身だけをソファの下に投げ出したうにゅほに一言、
「悪い、照れ隠しなんだ」
そう告げて、部屋へ戻った。
後でしっかり復讐された。

※1 2012年7月27日(金)参照



2012年8月9日(木)

ハードカバーの書籍をめくっていると、隣に座っていたうにゅほに左手をそっと取られた。
指先で手首のあたりをまさぐられ、うっすらとくすぐったい。
「どうかした?」
「しこり、なくなってるよ?」
「え? あ、本当だ」
三週間前、ガングリオンという良性腫瘍が手首の付け根に現れた。※1
それが綺麗サッパリ消え去っていたのである。
なんのために生まれて、なんのために生きるのか、わからないままの完治であった。
「よかったね」
俺の手を取ったまま、うにゅほが満面に喜色を湛えた。
放置して悪さをするような病気ではないが、治ったとなればやはり嬉しい。
「このしこり、正式名称はなんだったでしょー……か」
「えっ」
嬉しさのあまり、意味もなくクイズを出してみた。
「が、が──こんがりおん?」
「惜しい!」
何故、途中で「こ」に切り替えた。
「が、が、がが……がんだむ!」
「ある意味惜しい。正解は、ガングリオンでした」
「あー」
「不正解だったので、××のアイスは六十円のやつです」
「え! あ、うん。いいけど」
「冗談。好きなの食べていいよ」
アイスは早い者勝ちが、我が家のルールである。
俺はスーパーカップのバニラを、うにゅほはクッキーバニラを食べて、また読書に戻った。

※1 2012年7月19日(木)参照



2012年8月10日(金)

十年振りにコンタクトレンズを購入した。
普段は眼鏡、人と会うときにだけコンタクトに切り替えるという使い方を想定し、一日で使い捨てるタイプを選んだ。
眼鏡を着用していない自分の顔と、十年振りに相対する。
「──…………」
例えるなら、成長して痩せたジャイアンみたいな顔である。
違和感しかない。
「俺ってこんな顔だったんだ……」
まあ、こんなところだろう。
がっかりしたような、そうでもないような。
「いつもどおりだよ?」
「そりゃ、××はいつも見てる顔だろうけどさ」
うにゅほの前で眼鏡を外す機会など、いくらでもあるのだから。
帰宅して家族に披露してみると、
「目が大きすぎて怖い」
「顔に愛嬌がない」
「寝癖ついてる」
などと散々な言われようだった。
購入したばかりのコンタクトレンズなのに、どんどん着用する気が失せていく。
「眼鏡とコンタクト、どっちがいいと思う?」
うにゅほにそう尋ねると、
「……どっちも、いいとおもう」
すこしの間を挟み、そう答えた。
どっちでもいいと言われるより随分とましだが、お兄さんはその間が怖いのだよ。
気遣いがちゃんとできるようになってきているだけに。
まあ、せっかく購入したのだから、ちゃんと使おう。
それが亡くなった樋口一葉への何よりの供養なのだから。



2012年8月11日(土)

友人の恋人が東京からやって来て、俺とうにゅほにそれぞれお土産をくれた。
俺にはヤシの実だった。
何故ヤシの実。
名も知らぬ遠き島から東京に流れ着いたものだろうか。
うにゅほには、飴玉を模した飾りのついたヘアゴムだった。
名前の通りに髪をくくるもよし、手首を飾るもよし。
「きれいだねー」
うにゅほは、ヘアゴムの飾りを蛍光灯にかざし、御満悦である。
「ちょっと髪、結ってみるか」
「じぶんでできるよ?」
「まあまあ」
ここだけの話、俺がうにゅほの髪をいじりたいだけである。
「じゃ、どんな髪型にしたい?」
ヘアゴムを受け取り、うにゅほの背後へ回る。
「うーん、ポニテ」
「了解」
髪の毛をまとめて、手櫛で梳いた。
意外に思われるかもしれないが、うにゅほは髪の手入れを欠かさない。
その甲斐あって、指通りもなめらかである。
濡れたような感触にも関わらず、指のあいだを砂のようにするりと落ちていく。
それが、楽しい。
間もなくポニーテールが完成し、俺は名残を惜しみながらも髪の毛から手を離した。
「あめちゃんみえない……」
手鏡を片手に、うにゅほがぶーたれた。
「じゃ、サイドテールにしようか」
「うん」
髪の毛を耳の上でまとめると、今度は飾りが見えたようで、
「おー!」
手鏡を両手で持ちながら、満足げに幾度も頷いた。
ヘアゴムはいくつか持っているようだが、しばらくはこれを愛用しそうな反応である。
やたらと飴を貰う体質に拍車が掛かりそうで怖い。



2012年8月12日(日)

家族で墓参りへ行った。
父方の墓は富良野にあり、車で三時間かかる。
日帰りのため、午前八時には家を出た。
「おはか、まだ?」
初めての墓参りであるためか、うにゅほはやたらと元気だった。
家族総出でどこかへ行くことが珍しいからかもしれない。
「──…………」
うにゅほ。
墓参りを日帰り家族旅行だと思っていると、ものすごくがっかりするぞ。
午前中に墓参りを済ませ、定食屋で昼食をとったあと、菩提寺へと参った。
車を降りては手を合わせ、車を降りては手を合わせの繰り返しに、うにゅほも辟易し始めているようだった。
うにゅほ。
これが墓参りなんだよ。
帰り際、両親の友人が経営している農場へ寄った。
御中元のためのメロンを格安で大量に購入するのが毎年の慣例となっているのだ。
ここでメロンを口にして、ようやくうにゅほに笑顔が戻った。
「あ、ねこ」
うにゅほが指さした先に、虎縞の猫がいた。
「なでてだいじょぶかな」
撫でて大丈夫だった。
とても人懐っこい猫で、撫でろとばかりに四肢をおっぴろげてくれる。
思うさまもふらせていただいたあと、農家のおじさんが言った。
「メロンあげてみな」
メロンを食うのかこの猫は。
道理で栄養の行き届いた体型をしている。
食べかけのメロンをあげると、猫は果肉をざりざりと舌で削り取っていた。
珍しいものを見た気がする。
農業機械を収める広い車庫のなかを見て回っていると、カブトムシやクワガタの飼育ケースを見つけた。
エサがメロンだった。
思わずうにゅほと顔を見合わせた。
さすが農家である。
帰りの車内、俺はいつの間にかうにゅほの膝を枕にして眠ってしまっていた。
体を起こすと、うにゅほも大口を空けたまま寝こけていた。
家族全員疲労困憊で、帰宅するころには午後八時を回っていた。
墓参りを済ませると、夏が終わる気がする。
やり残したことがないか考えておこう。



2012年8月13日(月)

「あれ、いいの?」
うにゅほが天井を指さした。
視線を上げると、本棚を天井に固定している災害防止用の突っ張り棒が斜めになっていた。
よくはない。
よくはないが、面倒くさい。
気づいてはいたが、ずっと放置していたのだった。
「だいじょぶ? たおれないかな」
「大丈夫だろう。この本棚、裏は柱だし、もし前に倒れても──」
寝ているところを潰されたりはしない。
そう言いかけて、ふと気付いた。
前に倒れると、PC本体がRAR形式で縦方向に圧縮されてしまう。
「なんとかしよう」
台所から丸椅子を持ってきて、足を掛けた。
突っ張り棒を前後左右に動かし、なんとか垂直に戻す。
「ふう」
一仕事終え、丸椅子から下りた。
なんとなく足元を押さえてくれていたうにゅほが、
「よっしょ」
入れ替わりで椅子の上に立った。
「◯◯、どうかした?」
「ん? ちゃんと、かくにんしなきゃ」
「俺がしたから大丈夫だよ」
うにゅほが突っ張り棒を掴み、軽く引っ張った。
すぽん。
抜けた。
「──…………」
うにゅほの視線が痛い。
「これ、もうのばせないの?」
「うん……」
「あたらしいの、かってこなきゃね」
「はい」
俺は素直に頷いた。
こうしてまた財布にダメージを負うのだった。



2012年8月14日(火)

昨夜うにゅほと約束をした通り、午後からプールへ行った。
一時間ほど泳ぎを教え、体力の限界を感じたところでプールを後にした。
元気が有り余っている様子のうにゅほに比べ、俺は疲労でへろへろである。
年齢の差を嫌というほど感じる。
帰り際、図書館へ寄った。
漂流教室全6巻とCDを返却したあと、二階の児童書コーナーから見て回ることにした。
階段を上るとき、足が持ち上がらずに、うにゅほに手を引いてもらったのは御愛嬌である。
なにか面白そうな本はないかと、視線を上へ下へと彷徨わせる。
「お」
ひとつ、意外なものを見つけた。
「なんかあったー?」
うにゅほが俺の手元を覗く。
「ふぉーつんくえすと?」
「フォーチュン・クエスト」
「ふぉーちゅんくえすと」
「よくできました」
フォーチュン・クエストとは、剣と魔法の世界を舞台としたファンタジーライトノベルである。
駆け出しパーティのドタバタ冒険譚、とでも表現すべき内容で、世界を救ったり英雄になったりはしない。
図書館に所蔵されているものなんだな。
「おもしろいの?」
「面白いよ。内容も、◯◯向きだと思うし」
俺はそう答え、フォーチュン・クエスト1巻を本棚へと戻した。
「……かりないの?」
うにゅほが残念そうに言う。
「いや、借りる必要がないんだ」
「?」
「うちにあるんだよ、フォーチュン・クエスト」
帰宅して本棚を漁ると、フォーチュン・クエスト全巻と新フォーチュン・クエストが5巻まで発掘された。
とりあえず、4巻までをうにゅほに渡す。
「おー」
「ひとまず、読んでみるだけ読んでみな」
「うん」
夕方に渡して、今の今までずっと読んでいるということは、肌に合ったのだろう。
家にあるぶんを読み尽くすのに、どれくらい掛かるやら。



2012年8月15日(水)

調子が芳しくないときは、読書をしながらまったりと過ごすに限る。
うにゅほの寝床でうつ伏せになり、胸の下に枕を敷いて、借りてきたばかりの本を開いた。
最近は、小説ではなく、学術書ばかりを読んでいる。
物語を取り入れるには、どうしても気力が必要だ。
無意識に物語を避けてしまうのは、弱っている証拠かもしれない。
──ばたん!
「ぴ!」
風が吹き、扉が大音声を響かせた。
今日は風が強く、肌寒い。
しかし、窓を閉めてしまえば蒸し暑い。
帯に短したすきに長し、である。
現代風に言えば、少年誌にエロし成人誌に本番なし、である。
ToLOVEる ダークネスみたいなものである。
違う気がする。
そんなことを考えていると、うにゅほが隣に寝転んだ。
「どうかした?」
「さむい」
寒いなら人肌でなく、まず上着を着るとかだな。
そう言いかけて、なんだか面倒になってしまった。
足元にまとめられていた布団の束から、うにゅほが毛布を引き上げる。
同衾である。
俺が止めないと、わりとやりたい放題な気がする。
「ふふー」
うにゅほが、ほんの隣で、満足げに微笑んだ。
「なんか、たのしいね」
そうだな。
なんか楽しいなら、仕方ない。
俺は本を閉じると、ぐるりと姿勢を反転させて、低反発枕に後頭部をうずめた。
いいや、このまま寝てしまえ。
うにゅほの隣で目を閉じた。
一時間ほどして、暑くて起きた。
「おはよ」
「……おはよう」
しばらくのあいだ、そのままうにゅほを眺めていた。



2012年8月16日(木)

ヤマダ電機の商品割引券が余っていたので、チャタリングの酷かったマウスを買い換えることにした。※1
売り場へ行くと、ワイヤレスマウスがいくつか値下げされていた。
ふむ。
ワイヤレスは試したことがないが、友人知人から話を聞くに、使用感は有線とさほど変わらないらしい。
マウスのコードに関しては、以前から鬱陶しいと感じていたのだ。
どれ、価格と性能が釣り合う製品はどれだろう。
マウスの箱を逐一裏返しながら十分ほど迷っていると、ふと気がついた。
うにゅほがいない。
マウス売り場の裏側を覗き込んでみる。
いない。
意表を突いて振り返ってみる。
いない。
そのまま一回転してみる。
いない。
恐らく、飽きて別の売り場へ行ったのだ。
飽きたなら飽きた、どこかへ行くならどこかへ行くと、一言残してくれればいいのに!
文句を言わない性格も、場合によっては短所たりうる。
早足で歩き出そうとして、ある妙案に思い至った。
うにゅホンに電話を掛けてみては?
先月の日帰り旅行の際にイルカの携帯ストラップをプレゼントして以来、うにゅほは携帯電話をポシェットに入れて持ち歩くようになっていた。※2
電池が切れていなければ、繋がるかもしれない。
早速iPhoneから連絡先を呼び出し、耳に当てる。
Prrrrr...Prrrrr...
『はい』
繋がった。
「今、どこにいる?」
『てれびの──』
そこまで聞いたところで、小走りに駆け出した。
テレビの売り場はさほど遠くない。
十数秒でうにゅほを見つけ出し、近寄りがてらチョップを入れた。
「ふぎゅ」
「××も悪いけど、俺も悪い」
自分の頬を軽く叩いた。
「俺の傍から離れるときは、一言でいいから言ってくれ。
 じゃないと、心配するから」
「……うん」
うにゅほが俺の小指を遠慮がちに握った。
俺はうにゅほの手を軽く振りほどき、しっかりと繋ぎ直した。
どこかへ行ってしまわないように。

※1 チャタリング
シングルクリックがダブルクリックに誤認識されてしまう現象。

※2 2012年7月29日(日)参照



2012年8月17日(金)

お盆にはいささか遅いが、叔従父夫婦が遊びに来た。※1
うにゅほとは初対面である──と思っていたのだが、既に顔合わせは済ませているらしかった。
叔従父は美容室を経営している。
母親と幾度か髪を切りに行っているので、顔見知りにもなるだろう。
むしろ、お調子者の叔従父にからかわれて、俺ばかりが居たたまれなくなってしまった。
うにゅほめ、のんきな顔で寿司を頬張りやがって。
俺もうにゅほに乗じたかったが、あいにくとダイエット中である。
寿司に手をつけようとしない俺に気づいたか、うにゅほが口内のものを飲み下して言った。
「おいしいよ?」
言われるまでもない。
「知ってるだろ、ダイエット中なんだ」
「……たべたほうがいいよ?」
食べ過ぎたツケを支払っているのだよ。
うにゅほが小皿に寿司を取り分けて、俺に渡してくれた。
押し戻そうとして、逡巡する。
小皿にはホタテがふたつ載っていた。
俺は、ホタテがさほど好きではない。
俺が好きなのは、サーモンや中トロ、ウニなどである。
ホタテが好きなのは、うにゅほだ。
俺のために、残り少ない好きなネタを、ふたつも取り分けてくれたのだ。
「──……はあ」
負けた。
俺はホタテの上から醤油を垂らし、一口でたいらげた。
「俺はひとつでいいよ」
うにゅほの小皿にホタテを載せようとして、ふと思いついた。
「ほら、あーん」
反射的に開かれたうにゅほの口に、ホタテをそっと入れる。
そして、からかわれる前にその場を立ち去った。
叔従父に思うさま冷やかされるがいい。
その後の顛末は聞いていない。

※1 叔従父
いとこおじ。父親の従兄弟を意味する。



2012年8月18日(土)

ダイエット中である。
ダイエット中ではあるが、体が飢餓状態に陥らないよう、土日は食事制限を解除すると決めている。
今日は弟と三人連れ立って、本格的なインドカレーの店へ行った。
「おー?」
象頭の神ガネーシャの黄金像の鼻を、うにゅほが物珍しげに撫でる。
折れては困ると軽く諌めながら、ラミネート加工されたメニューに視線を落とした。
俺とうにゅほはバターチキンカレー、弟はラムカレーを注文した。
雑談をするうち、程なくして注文の品が運ばれてきた。
バターチキンカレーをサフランライスに垂らし、すくって口に入れる。
懐かしい味だ。
隣席のうにゅほに視線を向けると、なんだか難しい顔をしていた。
まあ、気持ちはわかる。
「……かれー?」
最初にバターチキンカレーを食べたとき、俺もまったく同じ感想を抱いた。
「これもカレー。
 俺はけっこう好きだけど」
「うん。おいしい、けど……」
期待していたカレーの味ではなかったのだろう。
特に、この店のバターチキンカレーは甘めに仕上げてあったので、日本人向けに改良されたものとは百二十度くらい違う。
遠戚のスープカレーよりまだ遠い。
弟のラムカレーを一口もらってもまだピンと来ていないようだったので、帰りにコンビニでカレーパンを買った。
ふたりではんぶんこして食べると、
「おいしい」
と言って顔をほころばせた。
うにゅほにインドカレーは合わなかったようである。



2012年8月19日(日)

寝間着代わりの甚平を脱ぎ、畳んで部屋の隅に置いた。
数時間ほどして、うにゅほが言った。
「じんべ、きてみたい」
両腕で俺の甚平を抱き締めている。
「お、おう……」
いや、まあ、べつにいいけど。
今日はいささか蒸し暑い日和だったので、涼しげな甚平に興味を引かれたことも頷ける。
「着方はわかるか?」
「ううん」
だろうなあ。
「まず、この紐と左の内側の紐を結ぶんだ。そして──」
安易なオチを避けるため、丁寧に甚平の着方を教える。
「──わかった?」
「うん」
リビングへ行くと、父親と弟がテレビを見ていた。
母親は出かけているらしい。
牛乳をコップに注ぎ、ちょびちょびと飲んでいると、自室への扉がそっと開いた。
「◯◯……わかんなくなった」
顔だけを出したのは、成長の証である。
俺は静かに深呼吸をして、部屋へと戻った。
予想通り、紐を変なところで結んであられもない姿になっていた。
同じ部屋で暮らしているのだ。
うにゅほの下着姿を見慣れていないと言えば嘘になる。
しかし、間近で凝視したことはさすがにない。
「──…………」
なるべく視線を上げないようにして、手早く甚平の紐を結んだ。
「おー」
「どうだ?」
「◯◯のにおいする」
「嗅ぐな」
「にあう?」
「サイズが合ってないなあ」
七分袖が長袖になっている。
「そっかー」
そんな会話をしながらも、うにゅほは涼しい甚平が気に入ったようだった。
ただし、その恰好で外へ出ることは固く禁じた。
腕を上げると、腋下の隙間から下着がちらりと覗くからである。



2012年8月20日(月)

今日は蒸し暑かった。
気温はさほどでもないにしろ、湿度が抜きん出ていた。
たっぷりと水分を吸い込んだ空気のなかを、泳ぐような気分で歩く。
「あついー……」
部屋に戻ると、うにゅほがフローリングの床にぼてっと倒れていた。
うにゅほを跨ぎ、PCチェアに腰を下ろす。
「そんなに暑いなら、アイスでも食べたらいいのに」
先日、大量に購入し、備蓄してある。
「◯◯はたべる?」
「俺はダイエット中」
「ならたべない」
うにゅほは何でもお揃いが好きだ。
だからと言って、そんなところまでお揃いにしなくともいいだろうに。
「すこし、運動でもするか?」
「うんどうー?」
乗り気ではなさそうだ。
「汗をかいて扇風機に当たると、涼しい」
「ほんと?」
うにゅほが上半身を起こす。
まあ、霧吹きで露出部を濡らしても同じだが、あまり健康的とは言えまい。
「なにするの?」
「手軽に、その場足踏みでもするか」
「そのばあしぶみ?」
「名前の通り、足踏みだよ。膝をこう、ちゃんと上げて」
「こう?」
「そう。じゃあ、とりあえず百回やってみるか」
「うん」
その場足踏みは、家人が寝静まったあとに俺が行なっている運動である。
俺は毎日三百回ほどこなしているが、うにゅほにはさすがに無理だろう。
「も、むりー……!」
そう思っていたら、半分の五十回でギブアップだった。
もたつく足取りで扇風機にシャツをかぶせる。
「ひやー」
涼しそうだが、目の毒である。
そんなふうにして、だらだらと過ごした一日だった。



2012年8月21日(火)

日中の最高気温が30度を超える日を真夏日、同様に35度を超える日を猛暑日と呼ぶ。
リビングの温度計を確認すると、37度あった。
観測上は真夏日かもしれないが、我が家は文句なしの猛暑日である。
屋内の暑さから逃げるようにプールへ行き、小一時間ほど涼んだあと、クーラーの効いた図書館でもう一涼みした。
帰宅すると、うだるような暑さに思わず舌を出したくなった。
扇風機の首を固定し、ソファに腰を下ろす。
借りてきたばかりのつげ義春全集を開くと、うにゅほも隣でフォーチュン・クエストのブックマークを取り外した。
ぴとり。
何故か密着する。
「……暑いなあ」
「あついねー」
どうにも落ち着かない。
トイレへ立ち、小用を済ませて戻る。
うにゅほから十センチほど距離を取り、ソファに腰掛けた。
ぴとり。
また密着する。
「今日は、本当に暑いな」
「ほんとだねー」
「……暑い、よな?」
「あついよ?」
うにゅほが不思議そうな表情で顔を上げた。
不可解なのはこちらのほうである。
「いや、なんか距離が近いから」
「え、だって、37どだから──」
「まさか、体温のほうが涼しいって?」
「うん」
超理論きた。
脳裏を熱伝導率という単語がよぎる。
しかし、うにゅほにも理解できるような説明が可能なほど、俺の頭はよろしくない。
ただ一言、
「……それで、涼しいか?」
と口にすることしかできなかった。
「すずしいよ?」
「嘘だあ」
俺は暑い。
「うそじゃないよ!」
ムキになるということは、自分を騙しきれていないのではないか。
「それに、ぺたぺたしてきもちい」
そう言って、俺の腕に自分の腕をくっつけた。
たしかに、ぺたぺたしていた。



2012年8月22日(水)

祖母が階下からうにゅほを呼んだ。
家庭菜園に水を撒いてほしいのだと言う。
涼しげな予感を覚え、一緒に外へ出ることにした。
玄関前の水道からホースを伸ばし、キュッと音を立てて蛇口をひねる。
「水、出たー?」
「でたー!」
傍へ戻ると、うにゅほは楽しげに水を撒いていた。
土が黒く湿っていくのが面白いらしい。
しかし、俺は面白くない。
面白くないというより、単純に暑い。
風があるだけマシではあるが、気温は昨日より幾分か高いのである。
このまま日干しレンガにでもなろうかと覚悟を決めたとき、ふといいことを思いついた。
「ちょっと貸して」
うにゅほから散水ノズルを受け取り、右腕を天に掲げた。
「ひや!」
霧状になった水分が、俺とうにゅほの皮膚から体温を奪っていく。
「涼しいなー……」
「つめたいねー……」
暑さに感謝を覚えるほど、気持ちいい。
しかし、長時間は続けていられない。
数秒で散水ノズルを下ろし、うにゅほに手渡した。
「もうおわり?」
「あんまり長くやると、体によくない」
たぶん。
衣服を濡らしたせいで夏風邪を引いてもつまらないし。
「そっかー……あっ」
なにかを思いついたように、うにゅほが散水ノズルを両手で握った。
「えい!」
そして、俺の胸のあたりに水を噴射する。
「つめた!」
「え、あ、え──あれっ?」
タンクトップの胸から下がびしょ濡れになってしまった。
「××ー……」
「ごめんなさい!」
なにか、想像と現実とのあいだに齟齬があったらしい。
俺はうにゅほの頭部に軽く手刀を入れたあと、タンクトップを脱いで絞った。
湿ったタンクトップに、無い袖を通す。
涼しい。
涼しいけど、それは口にしなかった。
うにゅほの性格からして、自分の服を濡らしかねないからである。
しょんぼりとしていたうにゅほの頭を撫でて、水撒きを再開した。



2012年8月23日(木)

飴をよく舐めるので、南部せんべいの缶に常備している。
千円分ほども詰めれば一杯になる。
購入する飴は、約八割が厳選したものである。
残り二割の枠で、新たな美味なる飴を探し求めている。
今日は、塩レモン飴なるものを試しに購入してみた。
塩飴もレモン飴も好きである。
さて、このふたつがどんなアンサンブルを奏でてくれるのだろうか。
包装を裂き、暑さでべたべたしている塩レモン飴を口内に放り込む。
ころころ。
「どんなあじ?」
うにゅほの問いに、表情で答えた。
くそまじい。
「ケーキと納豆が好きだから、混ぜちゃえ!」的な発想の不協和音が舌の上で踊る。
「まずい? ね、まずい?」
どうしてそんなに嬉しそうなんだ。
「わたしもなめていい?」
「やめたほうが」
返答を聞く前に包装を破いていた。
まあ、臭いものとか不味いものとか、試してみたくなる気持ちはわかる。
「──…………」
ころころ。
口のなかで塩レモン飴を転がしたあと、
「……まずい」
うにゅほのテンションが急降下した。
派手な不味さではなく、地味で堅実なリアリティのある不味さなのである。
「うええ」
しかも、だ。
飴玉なので、噛んだとしても五分は味の呪縛から逃れられない。
「まずいよう」
「はあ……」
あまりにつらそうなので、うにゅほの口の前に手のひらを差し伸べた。
意図を悟ったうにゅほが、俺の手のひらに塩レモン飴を吐き出す。
唾液で濡れた飴玉を見つめ、しばし黙考する。
いろいろと、まあいいや。
食べものを捨てるわけにもいかないし。
口のなかに飴玉を放り込み、ふたつまとめて噛み潰した。
残りの塩レモン飴は、防災用に取っておくことにした。
生きるか死ぬかの瀬戸際なら、味も気にせず食べられるに違いない。



2012年8月24日(金)

犬小屋は家庭菜園の傍にある。
家庭菜園は駐車場を囲むように拓かれており、犬小屋へ行くためには、ランドクルーザーによって作られた隙間を通る必要がある。
「ぎゃ」
うにゅほが麻を引き裂いたような悲鳴を上げた。
「くものす!」
頭ひとつ分も身長の高い俺が先導していたにも関わらず、こういうことはまれによくあるものだ。
髪の毛や衣服のみに付着したため、先導者が気づかなかったというケースではないだろうか。
そうなると俺も引っ掛かっていることになるが、まあいい。
「うー」
うにゅほが半べそで両腕を払う。
ああ、もう。
「取ってやるから、じっとしてなさい」
「うん」
そうは言ってみたところで、見えない糸を取り払うのは至難の業である。
「蜘蛛の巣、どこについてるかわかる?」
「うでと、くび……」
箏を奏でるように、左腕のあたりの空間ををめくらめっぽうつまみ上げる。
「取れた?」
「まだ」
「取れた?」
「こっちはとれたけど……」
「取れた?」
「とれないー」
いつまで経っても犬の散歩へ行けないではないか。
もう色々と面倒になって、うにゅほの右腕の露出部分を両手でごしごしと擦り合わせた。
「これでどうだ!」
「あ、とれた」
「じゃあ、あとは首だな」
「あうぶぶぶぶ」
うにゅほのほっぺたを思うさまこね回したあと、首筋の糸を排除した。
その後、随分と待たされて不貞寝を決め込んでいた犬を散歩へ連れて行った。
散歩の最中、うにゅほは再び蜘蛛の巣に引っ掛かることになるのだが、詳しい描写は割愛する。



2012年8月25日(土)

弟が、リトルスプーンへ行きたいと言った。
リトルスプーンとは、札幌発のカレー専門店チェーンである。
先週行ったインドカレーの店とは異なり、日本人の改良した日本人のためのカレーを提供している。※1
うにゅほも興味があるのか、弟と二人で盛り上がっていた。
以前よく行っていた北24条の研修店は無くなって久しいので、北大前まで足を伸ばした。
天ぷら屋になっていた。
「──…………」
なんだか嫌な予感がした。
さらに自動車を駆り、大通西11丁目店へ。
ボストンベイクになっていた。
「なくなったの?」
「潰れたっぽい……な」
うにゅほの小腹を満たすため、狸小路3丁目のマリオンクレープへ寄った。
三人が三人ともチョコ生カスタードをパクつきながら、今後の対策を練る。
リトルスプーンは札幌から姿を消してしまったのだろうか?
いや、待て。
俺の記憶によると、この周辺にもう一軒だけチェーン店を構えていたはずだ。
札幌駅地下、APIAのフードコート内である。
そこになければ、もう諦めよう。
そう三人で頷き合った。
十数分後、諦めた。
リトルスプーンはもう、この極北の地から撤退してしまったのだ。
たぶん樺太とかにあるのだ。
さすがに小腹では済まないくらい空腹に苛まれていたので、もはやカレーでなくとも構わぬと、目の前にあったオムライスの店「卵と私」に入店した。
非常に美味だった。
うにゅほより小食な弟の食べ残しもたいらげて、満足しながら店を出た。
正面にカレー屋があった。
リトルスプーンではないにしろ、こちらに入ればよかったのではないか。
うにゅほと弟は気がついていない。
遥か地上を仰ぎ見る。
今日は札幌までオムライスを食べに来ました。
美味しかったです。

※1 2012年8月18日(土)参照



2012年8月26日(日)

札幌で開催された東方イベントへ行った。
当然ながら、うにゅほは留守番である。
人混みが苦手なこともあるし、よくわからないのに連れ歩くのも可哀想だ。
打ち上げの二次会を終え帰宅すると、既に日を跨いでいた。
帰宅が遅くなると、うにゅほがどういった行動に出るか、俺はよく知っている。
俺を待ちながら、ソファでうたた寝をするのである。
風邪を引くから布団で寝ろと、何度言っても直らない。
しかし、言い換えれば行動を予測できるということである。
俺はカバンから冷えた缶コーヒーを取り出すと、あられもない姿で眠っているうにゅほの頬に押し当てた。
「……ひや!」
「ただいま」
「え、ふゃ、お、おかえり?」
うにゅほの手に缶コーヒーを握らせる。
「おみやげ」
「?」
俺の意図が掴めないらしい。
それはそうだろう。
わかったらわかったで、むしろ驚く。
「今日は夜更かしして遊ぶぞ!」
まだ打ち上げの興奮が抜けきっていないのだ。
夏も、じき終わる。
徹夜で夜遊びなんて、思い出にちょうどよかろう。
「いいの?」
「いいの!」
「うん!」
「でも、ちょっと待ってくれ。まず日記を書いちゃうから」
現在、うにゅほの監視のもと日記を書き殴っている。
これが終わったらどうしようか。
本当は深夜のドライブにでも行きたいのだが、残念ながらアルコールが入っている。
夜の散歩にでも出かけよう。
いつもはやらないことを、やろう。
そう思っている。



2012年8月27日(月)

昨夜の日記から続く。
一時間ほど深夜の散歩を楽しんだあと、家人を起こさないよう静かに帰宅した。
缶コーヒーのせいか、うにゅほの目はギンギンに冴えているようだった。
カフェインのような刺激物は、普段からあまり摂取しない人に対して絶大な効果を発揮するものである。
トランプでもないかと机のなかを漁ると、花札が出てきた。
「あ、はなふだ!」
「知ってるのか?」
意外である。
「サマーウォーズ?でやってた」
「あー」
言われてみれば、登場していた。
しかし、うにゅほにこいこいだのオイチョカブだのを仕込むのは抵抗がある。
どうしたものかと花札を切り混ぜていると、思いついたことがあった。
「××、神経衰弱でもやろうか」
花札は、一月から十二月まで折々の花が描かれた札が四枚ずつ、計四十八枚から成る。
神経衰弱なら、トランプと同様に花札でも可能なはずである。
「しんけいすいじゃく?」
「知らないか?」
「しってる。やったことないけど……」
うにゅほが自信なさげに言う。
俺は、不敵な笑顔を崩さないよう意識しながら、花札をカーペットの上に広げた。
「──…………」
数分後、その表情は逆転していた。
強い。
強いが、圧倒的ではない。
それが逆に俺の自尊心を傷つける。
自分の記憶力が貧弱であることを認めなければならないからだ。
「これも、あやめ!」
「ぬう……」
うにゅほが楽しそうなのは嬉しいが、それはそれとして一矢報いたい。
報いたいが、神経衰弱は運の要素の限りなく少ない、純粋な記憶力の勝負である。
三戦して一勝できるかどうかというアベレージで、なにをどうすれば一矢が報われるというのか。
「──……んう」
数時間ほどして、うにゅほが船を漕ぎ始めた。
窓から外を見ると、空がうっすらと白んでいる。
この隙に完封でもしてみてはどうか。
そう思ったが、さすがに情けない。
うにゅほを布団へ導き、俺もソファで横になった。
正午過ぎに起床すると、情けないくらいに腰が痛かった。
整骨院へ行くと、軽いギックリ腰だと診断された。
べつに悪いことなんてしていないのに、なんだか天罰のような気がしてならない。



2012年8月28日(火)

四週間に一度の通院日だった。
光陰矢のごとし、とはまさにこのことである。
既に幾度も同じことを書いているじゃないか、というツッコミは受け付けない。
わかっていて書いていることを免罪符としたい。
薬を受け取って病院を後にし、整骨院へ寄って帰宅した。
二階へ上がると、ちょうどトウモロコシが茹で上がったところだった。
俺はトウモロコシが好きである。
甘いから好きである。
フルーツ以外の甘いものは、だいたい好きである。
うにゅほも、トウモロコシは好んで食べているようだ。
甘いからかどうかは、よくわからない。
リビングに腰を据えてトウモロコシにかぶりついていると、うにゅほの動きが止まった。
じっと母親の手元を見つめている。
母親は、トウモロコシを列ごともぎって食べるタイプである。
俺も子供のころはそうやって食べていたが、いつしか面倒になって今に至る。
「わたしもやりたい!」
そう来ると思っていたさ。
せっかくなので、俺も久しぶりにもぎってみることにした。
「ばらばらになっちゃう……」
「親指の腹で、均等に優しく力を入れるんだよ」
「こう?」
「そう」
「あ、4こ! 4こつながった!」
「甘い! こちらは7個だ! 素人にこの記録は抜けまい!」
「くそー」
という会話をしていると、母親が手のひらを差し出した。
「面倒だから、数えて」
数えた。
19個繋がっていた。
「惜しい」
惜しいことあるかい、いったい何を目指すつもりなのだ。
まさしく桁の違う技量に、俺は一発でやる気を失くしてしまった。
トウモロコシの腹にかぶりつき、頬袋いっぱいに咀嚼する。
うにゅほは、母親を目指してもぎもぎともぎり続けるようだった。
器用と不器用の差は、こんなところから始まるような気がしてならない。



2012年8月29日(水)

体調が悪い。
横になったままネットサーフィンができる環境を、ドラゴンボールを集めてもいないのに神龍に願うくらい悪い。
俺の周囲だけ重力が1.5倍になったような体感である。
うにゅほに具体的な病状は伝えていないが、つらそうに階段を上がる俺を見て、感じるところがあったらしい。
「かた、つかんでいいよ?」
心配は掛けたくない。
しかし、伝わってしまったのなら強がることはしない。
ありがたく肩を貸してもらった。
おかげで、随分と楽に二階まで上りきることができた。
「──…………」
そこで、ほんのすこし調子に乗ってみることにした。
両腕に軽く力を込めてうにゅほの歩みを止め、頭頂部にあごを乗せる。
「なにー?」
「なんでもないよ」
両肩から手を離し、バランスを取る。
さて、どのくらいのあいだこのけったいな状態を保つことができるだろうか。
ちなみにうにゅほが嫌がっても終了である。
「……?」
繋がった状態のまま台所へ行き、うにゅほがコップに牛乳を注ぐ。
「のむ?」
「いや、俺はいいよ」
うにゅほが牛乳を飲み下す。
俺に気を遣っているのか、なんだか飲みにくそうな様子である。
チョコボールの箱から数個ほど取り出し、
「たべる?」
「食べさせてくれ」
うにゅほの指ごと口に突っ込まれた。
咀嚼する。
甘い。
うにゅほがリビングのソファに腰掛け、テレビの電源を入れたところで、これは長期戦になると判断した。
覚悟はなかったので、あっさりとあごを下ろす。
「もう終わり?」と言わんばかりの表情で、うにゅほが俺を見上げた。
すこしは嫌がれよ、と思わないでもない。
変に大物である。



2012年8月30日(木)

残暑厳しい晩夏である。
どのくらい厳しいかと言えば、ベランダに設置してある温度計が42℃を指していたほどである。
日光の直射する位置とは言え、げんなりな数字としか言いようがない。
「アイス食べるかー……」
「たべる……」
冷凍庫を漁るが、アイスが切れていた。
この暑さのせいに違いない。
「コンビニ行くかー……」
「いく……」
足を引きずりながら自動車に乗り込み、最寄りのコンビニを訪れた。
俺は井村屋のあずきバー、うにゅほはガリガリ君ソーダ味を手に取った。
うにゅほはガリガリ君が好きである。
なんでもお揃いにしたがるうにゅほが、アイスだけはガリガリ君を譲らない。
ちなみにカップアイスは別腹である。
車内へ戻り、アイスの包装を開く。
シャクシャクと小気味良い音を立ててガリガリ君を食べるうにゅほを尻目に、あずきバーの先端を歯で削る。
「◯◯、たべないの?」
必死に食べようとしているのだよ。
そう口にしようとして、やめた。
言葉で伝えるより適した方法がある。
「ひとくち食べてみるか?」
「うん」
うにゅほがあずきバーの先端を口に入れる。
かちん。
衝撃が手元に伝わった。
「かた!」
これがモース硬度1以上を誇る井村屋のあずきバーだ!
脂肪分が限りなく少ないため、ほとんど氷と変わらない硬さになるらしい。
うにゅほよ、このあずきバーをどう攻める!
「──…………」
しばらくしゃぶって溶かしていた。
知的である。
「あ、おいしいね」
「ガリガリ君ひとくち」
「はい」
こう暑いと、アイスはなんだって美味い。
残暑はしばらく続くらしいので、アイスの消費量がぐっと増えそうである。



2012年8月31日(金)

昨夜、うにゅほが就寝したあとにこっそり食べたガリガリ君が、当たった。
何十本ぶりであろうか。
最後に当たってから、恐らく片手では足りない年月が経っている。
起床したあとうにゅほに自慢したところ、
「すごい!」
と、はしゃいでくれた。
金銭価値にして60円なのだが、珍しいものは珍しい。
整骨院の帰り、立ち寄ったセブンイレブンで交換することにした。
自動車から降りようとして、ふと思い出した。
前回のあたり棒は、交換しないままいつの間にか失くしてしまったのである。
何故か?
交換するのが恥ずかしかったからに他ならない。
アイスが当たったからっていい年こいていちいち交換しに来るなよ、買え! ワンコイン!
みたいなことを店員に思われそうで抵抗があったのである。
しかし、今回の俺には最終兵器がある。
俺はうにゅほにあたり棒を手渡し、
「ガリガリ君あげるから、交換してきて」
と告げた。
「いいの? なんで?」
気恥ずかしいとは言いにくかったので、
「せっかく当たったんだから、××にあげたいと思ったんだよ」
と視線を逸らしながら答えた。
嘘ではない。
嘘ではないが、比率としては3:7くらいである。
どちらが3かは伏せる。
「じゃ、いってくる」
車内で待つこと数分、うにゅほが小さなビニール袋を提げて戻ってきた。
「ただいま」
「おかえり」
「これ、とっといていい?」
うにゅほが差し出したのは、ガリガリ君のあたり棒だった。
「使わなかったのか?」
「もったいなくて、じぶんでかったの」
「……ああ、いいよ。××にあげたんだから、好きにしたらいい」
「やった!」
うにゅほがあたり棒を大事そうにポシェットに仕舞う。
その姿を見て、罪悪感を覚えた。
なんだか妙にいい話っぽくなってしまったぞ。
誤魔化すように井村屋のあずきバーを買ってきて、ボリボリかじった。


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