>> 2012年3月




2012年3月1日(木)

俺は、異常心理が描写されている作品を好む。
創作物において、そこから導かれる結果は、おおよそ殺人である。
あくまで心理に興味があるのであって、グロテスク趣味でないことをここに宣言しておこう。
幸いにして、そういったものを人に見せて喜ぶような、下卑たサディズムも持ち合わせてはいない。
だから「ハンニバル」の脳調理シーンに差し掛かったとき、うにゅほに
「今、こっちを見るなよ。絶対見るなよ」
と、相手によってはお約束とも取られかねない警句を発することもできたのである。
うにゅほの素直さは、美徳だ。
俺が「もういいよ」と告げるまで、固く目蓋を閉じていた様子に、悪戯心がむくむくと湧き上がったが、強靭な意思でもってそれを撥ねつけた。
借りる映画を、すこし吟味すべきだろう。
俺が映画を見ているとき、うにゅほは、ディスプレイになるべく視線を向けないようにしているらしい。
しかし、そういった窮屈さは、あまり感じさせたくない。
そんなことを考えつつ、ゲオで借りてきたのは、「エド・ゲイン」と「ねじ式」だった。
いや、違う。
これは違う。
うにゅほが寝たあとに見るのだ!
うにゅほに我慢を強いたくはないし、俺も我慢はしたくない。
そういった意味で、生活サイクルがずれているのは、願ったり叶ったりと言える。
うにゅほを邪魔だと、思いたくないのだ。
なんという紳士ぶりであろう!
あまりに紳士すぎて、寝ているうにゅほのほっぺたを指でつつくような所業も、許されてしまうのです。



2012年3月2日(金)

「◯◯! ◯◯!」
と、うにゅほが声を弾ませて部屋に戻ってきたので、なんだろうと視線を上げると、右手にケサランパサランのようなものを持っていた。
小汚くて、すこし臭い。
犬の冬毛である。
ごっそりと抜けたので、楽しくて集めてしまったらしい。
うにゅほが左手に持っていた小さなビニール袋を受け取って、中身が多量の冬毛であることを確認し、そっと口を縛った。
嫌な春の訪れである。
あまりに抜け毛が激しいので、近所のペットサロンへと連れていくことにした。
毛を切るわけではないので、トリミングとはすこし違う。
さしあたり「洗濯」と言っていたら、うにゅほにたしなめられた。
今後はクリーニングと呼ぶことにする。
クリーニングから返ってきた犬は、つやつやとして毛並みもよく、心なしか自信に満ちた表情を浮かべていた。
うにゅほが犬の胴体に鼻を突っ込んでいたので、臭いは取れたか尋ねてみると、
「……まだちょっとくさい」
という答えが返ってきた。
俺が嗅いでもシャンプーの香りしかしなかったので、うにゅほは鼻がいいのかもしれない。
俺の鼻が詰まっているだけ、という可能性もある。



2012年3月3日(土)

ブックオフへ行く車中、ラジオパーソナリティが雛祭りを話題に出していた。
「ひなまつりって、なに?」
その質問が意味する事実に、見知らぬ誰かへの黒い感情が胸中を満たしかける。
しかしそれは、今抱くには激しすぎるものだ。
だから、なにも感じなかったことにした。
俺は男性であり、姉も妹もいない。
雛祭りという行事を具体的に説明する言葉など、持ち合わせてはいなかった。
「あー」だの「うー」だの唸った挙句に出てきたのは、
「あかりをつけましょ、ぼんぼりに……」
という、質問の答えとは掛け離れた、不安定な音吐だった。
危うく「あかりをつけたら消えちゃった」と歌いかけたことから、三つ子の魂がいかに拭いがたいものかがわかる。
なにかそれらしい雛飾りでもないものかと、百円ショップへ寄った。
店側もしたたかなもので、雛壇までは望めないものの、お内裏様とお雛様だけならば、何種類かを揃えてあった。
うにゅほにどれがいいか尋ねると、しばらく悩んだあと、
「これ!」
と、陶器製のくまの雛人形を指差した。
箱をひとつ、ぽんと手渡して、レジへ向かった。
並んでいる最中、うにゅほが箱をカリカリと引っ掻いていた。
支払いを済ませる前に開けるのはどうかと思い、注意しようとして、その中身に驚いた。
お内裏様しか入っていない!
ひとつの箱に両方が揃っているのかと思いきや、想像していたよりもかなり大きなものだったのだ。
見本が写真のみだったために起きた勘違いである。
慌てて戻り、お雛様が入っている箱を探して、手に取った。
危うくお内裏様だけの雛祭りになるところだった。
一対の雛人形は、ソファの正面にあるPC本体の上に、寄り添うように置いてある。
気に入っているようでなによりだ。
雛人形を早く片付けないと行き遅れるらしいので、年中飾っておくことにする。



2012年3月4日(日)

弟に連れられてパスタ専門店へ行った。
おごりと言うのだから、実にリッチである。
パチスロで大勝でもしたのだろうか。
このパスタ専門店へはたびたび訪れるのだが、いつもカルボナーラを頼んでしまう。
弟は常にイカスミだ。
よって、新しい味を試してみたいときは、うにゅほ枠を使用するしかない。
同じくカルボナーラを頼もうとしたうにゅほに「半分ずつ食べよう」と持ちかけて、明太子マヨネーズを勧めた。
いやいやイカスミもさっぱりとして美味いと言いながら、弟がたらこマヨネーズをマーケティングする。
お前明太子もたらこも大して変わらねえだろ!
などと思いつつ、おごりなのですごすごと引き下がった。
パスタをどうやって食べるか、実はこれも考えどころである。
当然フォークとスプーンだろう、と考える読者諸兄もおられるだろうが、これがなかなか難しい。
不器用な俺は早々に諦めて、箸で食べることにしている。
けれど、せっかくなので、うにゅほには正しいマナーを身につけてほしいものである。
そして歯がゆいことに、弟がまたやたらと得意なのだ。
うにゅほが箸を取る前に、フォークとスプーンを手渡して、弟の真似をしながら食べるよう言いつけた。
弟もこれでいて面倒見がいいので、なんだかんだと言いながら丁寧に指導してくれる。
孤独にカルボナーラを啜りながら、「これでいいんだ」などと胸中で呟いていると、
「◯◯!」
うにゅほが俺の名を呼んだ。
反射的にそちらを向くと、口のなかにフォークが突っ込まれた。
たらこマヨネーズの味がした。
よくできました、とうにゅほの頭を撫でて、頬の内側に舌で触れた。
勢いが良すぎて、ちょっと血が滲んでいる。
すこし痛いが、なかったことにした。



2012年3月5日(月)

昨夜のことである。
冷蔵庫の奥でソウルマッコリ(微炭酸)なるアルコール飲料を見つけ、飲んでみることにした。
マッコリがどんな味であるか、以前から気になっていたのだ。
炭酸の抜ける心地良い音と共に、軽く口内へと流し込んだ。
鼻を突き抜ける、米ぬかの香り。
ああ。
誤解のないように言っておく。
俺が悪いのだ。
好きな人は、好きなのだ。
ただ、合わなかっただけなのだ。
まだずっしりと重い350ml缶を前に、どうしようかと途方に暮れた。
開けたからには、飲まなければならない。
しかし、何度も味わうのはつらい。
そこで、一気呵成に飲んでしまうことにした。
空になったアルミ缶を机の上に叩きつけ、ぬか臭いげっぷを吐く。
そして、トイレへと駆け込んだ。
便器に顔を突っ込んで吐瀉していると、背中を撫でる感触があった。
うにゅほを起こしてしまったらしい。
胃の内容物をおおかた吐き出して、便器から顔を上げたあたりで、
「だいじょぶ? だいじょぶ?」
と、うにゅほの気を揉む声が、ようやく意味のある言葉として理解された。
気恥ずかしいやら、申し訳ないやら。
とりあえず事情を説明して、床に就かせた。
すべて吐いてしまったから当然なのだが、今朝の体調はそう悪くなかった。
ただ、うにゅほに
「お酒はしばらくだめです」
と、断酒を宣言されてしまった。
チューハイなら吐いたりしないんだけどなあ、と思ったが、自業自得なのでなにも言い返さなかった。
まあ、発泡酒も駄目だし。



2012年3月6日(火)

排便時、トイレットペーパーに血液が付着することがあったため、肛門科を受診してきた。
以前にも書いたが、俺は痔の手術を受けたことがある。
再発に対しセンシティブになるのも仕方のないことだろう。
こんな俺にも羞恥心はあるもので、肛門科へ行くことは、うにゅほにはなるべく知られたくなかった。
連れて行くなど、言語道断である。
何食わぬ顔で日常に没頭しながらうにゅほの様子を伺い、隙に乗じて外へ出た。
診断結果は、軽い切れ痔だった。
かかりつけの病院が近いこともあり、三十分ほどで帰宅することができた。
うにゅほに心配をかけてしまったが、これは俺の自尊心に関わる問題である。
少々の罪悪感と共に、コンビニへ行ったのだと嘘をついた。
帰り際、本当に寄ったので、正確に言えば嘘ではないことになるけれど。
ふたりでからあげクンチーズ味を食べた。
一個増量期間中だったので、ジャンケンの必要はなかった。
「……? これ、なに?」
無造作に置いた袋に、うにゅほが反応した。
しまった!
なかに入っているのは、無数の注入軟膏である。
わからない方は、ボラギノールのCMを思い浮かべていただきたい。
色々な言葉が脳内で踊る。
いったい、どう答えるのがクレバーなのだ!
「く、くすり……」
「ふうん?」
うにゅほはあまり興味なさそうに袋を置き直すと、残りのからあげクンを口へ放り込んだ。
助かった。
いや、考えてもみたまえ。
注入軟膏の正しい用途を教えて、「やってみたい!」などと言われたらどうするのだ!
さすがの俺も、そんなマニアックなプレイに身をやつすほど落ちぶれてはいない。
軟膏をトイレにこっそり持ち込む日々が始まる。



2012年3月7日(水)

俺の髪の毛は、ひどく硬い。
まさに剛毛である。
硬い、ということは、太い、ということだ。
生え際の悩みと縁が薄そうなのは幸いだが、別の問題がある。
寝癖が直らないのだ。
今朝も、楕円形の粘土を床に落としたような髪型のまま、祖母を病院へと送迎した。
水をつけても、ドライヤーを使っても、一向に直らない。
そこで、ふと思いついた。
帽子をかぶればいいのである。
俺は頭が大きいため、普通の帽子はもはや笑うしかないほど似合わないが、ニット帽は別だ。
弟のニット帽を借りてかぶってみると、やはり悪くない。
しかし、こうなると自分のものが欲しくなる。
うにゅほを誘って古着屋へ行き、いろいろと試してみた。
ここでわかったことがひとつ。
うにゅほは、こういった際のアドバイザーとして、まったく役に立たない。
基本的な感想は「にあう」と「かわいい」で、どちらかと言えば後者のほうに寄せようとする。
ボンボンのついたのとか、ミッキーマウス柄とか、そんなものを常用する気はさらさらないんだよ俺は!
結局、自分で気に入ったものを一枚と、うにゅほの選んだもののなかでまだましなものを一枚購入し、寄り道をしながら帰宅した。
明日からはもう、魔王に挑むような気分で寝癖と戦う必要もない。
こうして、ただでさえ威圧的な俺の風貌は、さらに不審を深めたのである。



2012年3月8日(木)

図書館を出たあと、ぽっかりと時間が空いた。
このあいだはたしか、ゲームセンターへ寄ったのだった。
べつにそうしても構わなかったのだが、行動をパターン化するのもつまらない。
うにゅほを連れて行ったことのない場所はどこだろうか、と頭を巡らせて、ふと思いついた。
ジャスコなんてどうだろう。
延べ面積が広いため、ぐるっと一回りするだけでも時間を潰せるし、手軽におでかけ感も演出できる。
ただ、うにゅほは人酔いをするのだ。
平日の昼間とは言え、あまり混んでいるようであれば、すぐに帰ろうと心に決めた。
そして、うにゅほを着せ替え回して遊ぼうとも決めた。
意外に思われるかもしれないが、うにゅほは衣装持ちである。
俺や家族が買い与えたものもあれば、知人からお下がりとして頂いたものもある。
特に母親はうにゅほと背格好が近いので、よく、買ったはいいけれど若作りが過ぎた洋服などを着せて遊んでいる。
そういう遊びを、俺もしたいのである。
去年のクリスマス以来、していないのである。※1
婦人服の専門店で、うにゅほに着せたら楽しそうな洋服を物色していると、
「◯◯! これかわいい!」
と、俺のセンスでは少々野暮ったいスカートを嬉しそうに掲げてみせた。
意匠化された花柄がいささか派手ではないかと思ったが、うにゅほが自分で選んだのだから、尊重したい。
並んで試着室の前まで行ったとき、
「はい!」
と、スカートを手渡された。
ん?
思わず受け取った。
うにゅほが俺を試着室に押し込もうとした時点で、ようやく気がついた。
こ、こいつ!
昨日の帽子選びの続きだと思っていやがる!
世の中には紳士服と婦人服というものがあってだね、と訥々と説教しようかと思ったが、店員のお姉さんがにこやかにこちらを見ていたので、やめた。
その後は着せ替えを諦め、ブティック以外の店を見て回った。
鉱石を売っている店が印象的だった。

※1 2011年12月25日(日)参照



2012年3月9日(金)

ここ数日、外出が続いていたので、今日は家でゆっくりすることにした。
図書館で借りてきた本もあるし、たまには日向で読書なども、風情があっていいだろう。
俺とうにゅほの部屋は、南東と南西に窓があり、日当たりはすこぶるよい。
午後はソファに日光が燦々と降り注ぎ、この季節でもいささか暑いほどである。
夏は地獄だし、ソファも日に焼けてしまっているので、いいことばかりではないけれど。
自戒がてら告白すると、俺は落ち着きがない。
読書をしていても、すぐに姿勢を変えたり、爪先で床を規則的に叩いてしまったりする。
そして、そういった性質が、うにゅほにも伝染してしまっている気がする。
一緒に住んでいると、たとえ血縁関係がなくとも、なんとはなしに似通ってくるという。
夫婦などが顕著な例だ。
その説が正しいとすれば、俺もだんだんとうにゅほっぽくなってきているということになるが、まあそれは置いておこう。
一人が寝起きするに十分な、二人であっても普通に座るぶんには余裕のあるソファで、その二人が二人とも落ち着きのない人物であれば、どうなるか。
そう、足バトルが勃発するのである。
足バトルは互いに足を向け合った姿勢で開始される。
顔面の近くまで領有権を主張してきた相手の足をどかすなり、同じ行為をやり返すなりして徐々に緊張感を高めていき、やがて読書そっちのけでじゃれ合い始めるのだ。
足バトルには暗黙のルールがあり、主に
「蹴らないこと」
「手を使わないこと」
「変なところに触れないこと」
といったものが挙げられる。
なんだかよくわからないが、最終的に互いの足の裏を合わせ、天井に向けて伸ばすことで終わりを告げる。
そのあとは、何事もなかったかのように読書に戻るのである。
ちなみに、うにゅほがスカートのときは、ちゃんと止める。



2012年3月10日(土)

人が掃除をするのは、なんのためだろう。
部屋を綺麗にするためだよ、などと諭すように答えられたなら、口をつぐむほかはない。
けれど、そういうことを聞きたいわけもない。
うにゅほにとって、家事とは、家庭内での居場所を確立するための行為なのだと思う。
うにゅほと俺たちのあいだには、血縁関係がない。
それは、互いを繋ぐためのアンカーが、他の家族よりひとつだけ少ないということである。
だからうにゅほは積極的に家事をやりたがるし、学びたがる。
自分の仕事がないと、不安なのだ。
俺の口がどれだけ上手くても、俺の手がどれほど温かくとも、それを拭うことはできない。
方法はなきにしもあらずだが、それは置いておこう。
うにゅほにとって今日は、どうやら掃除をする日であったらしい。
例によってビッグねむネコぬいぐるみをヒョウタン型になるまで抱き締め、うーうーと唸りながら、それでも掃除をすると言う。
まあたしかに、ちょっと汚いのだ。
ブックオフオンラインで購入した古書が三千円分届いたし、うにゅほの枕元には漫画が山と積まれている。
代わりに掃除をすると言ったのだが、うにゅほもこれでなかなかに頑固である。
最終的に半分ずつ折れて、俺がうにゅほの指示通りに動く、ということになった。
うにゅほと話し合いをすると、いつもわけのわからない地点に着地している気がする。
ちょっとゲーム感覚なところもあって、わりと楽しく掃除ができた。
毎度は勘弁だが、同じようなことがあれば、またこうしてもいいかもしれない。



2012年3月11日(日)

天気がよかったので、外出した。
なにか当てを作ろうと、着なくなったコートをいくつか売ることにした。
雪解けはもうすぐである。
深みを増した轍は、軽自動車にはいささか厳しいけれど。
うにゅほの着ているジャケットは、俺が初冬によく羽織っていたものである。
当然ながらサイズは合っていないが、裏地がファーになっていて、とても暖かい良品だ。
うにゅほ用にコートを買うまでの間に合わせのつもりだったのだが、そろそろ長い冬も終わる。
春になったら、冬物処分市でも覗きに行こう。
古着屋は混んでいて、査定にすこし時間がかかるとのことだった。
そのあいだゲーセンに行くと、ポヨポヨ観察日記のポヨのぬいぐるみがプライズコーナーに並んでいた。
俺とうにゅほは互いに視線を交わし、頷きあった。
いくらかかったかは、あえて述べまい。
ちなみに古着の査定価格は、トータルで三百円だった。
がっかりである。
帰宅したあと、開いた本のなかで「サンクコスト効果」という単語が解説されていた。
既に投資した資金を惜しむあまり、計画を中断することができず、だらだらと続けてしまう心理のことだそうである。
あー。
あー……。
……うん。
まあ、ね、ほら。
車中でポヨのぬいぐるみを抱き締めながらうにゅほが見せた笑顔は、金銭に代えがたい価値がある。
とかなんとか、そういう。
……プライズゲームはやめよう。



2012年3月12日(月)

日がな一日部屋にいると、気がくさくさしてしまう。
気温が上がれば空気の入れ替えもできるのだが、ベランダに雪が残っているこの状況では、窓を開ける気にもならない。
なんとなく息苦しいような気分になって、一人外へ出た。
玄関を出て正面にある児童公園は、周辺住民の雪捨場になっており、雪解けは遠そうである。
区画を軽く一周して、部屋に戻った。
チェアに腰を下ろすと、しばらく姿を見なかったうにゅほが、にこにこしながら寄ってきた。
背中になにかを隠している。
なんだろうか、と思っていると、
「ささ、いっこんどうぞ!」
と、お猪口を差し出された。
もう一方の手には、「鬼ころし」と書かれた徳利を持っている。
昨年末、友人と旅行に行った先で、デザインが気に入って購入したものである。※1
ついこのあいだ近所のリカーショップで同じものを見つけてしまい、なんだかげんなりした一品でもある。
そんなことを思い返していると、うにゅほがお酌をしてくれた。
意味もなく「おっとっと」などと言っているあたり、祖母にでも仕込まれたのかもしれない。
お猪口をなみなみと満たした液体は、薄く濁っており、底から気泡が立ち上っていた。
炭酸である。
こぼさないように口をつけて、吟味した。
なんだこれ。
美味しいけど。
「CCレモンだよ」
なるほど、言われてみればレモン味。
一気にあおって、お猪口をうにゅほに返し、代わりに徳利を受け取った。
「ささ、一献」
徳利の中身がなくなるまで、かわりばんこに酌をし合った。
当の徳利はきちんと洗い、逆さまにして水を切っている最中である。

※1 2011年11月26日(土)参照



2012年3月13日(火)

月日が経つのは早いものだ。
というのも、今日は月に一度の通院日だったのである。
「前に行ったのが、先週くらいに思えるなあ」
そう呟くと、
「? 先週じゃないよ?」
マジレスされてしまった。
時間は、年少者には長く、年長者には短く感じられる。
この現象は、ジャネーの法則として広く知られている。
五歳にとっての一年と、五十歳にとっての十年は、同等であるというものだ。
そう考えると、俺とうにゅほの時間感覚は、倍くらい離れているのかもしれない。
それは、時間の密度が濃い、ということだ。
俺にとっては、あっという間に過ぎてしまうことでも、うにゅほにとっては、そうではないのだ。
ぼんやりとそんなことを思いながら、なんとなく、襟を正した。
家を出るのが早すぎたせいか、予約の時間まですこし余裕があった。
昼食も少なかったし、なにか買おうと思い、スーパーへ寄った。
お菓子がいいかとも思ったのだが、なんだかそんな気分でもない。
ぶらりと足を踏み入れたおつまみコーナーで、うにゅほがナッツに興味を示した。
ああ、くるみが食べたいな。
うにゅほの同意を得て購入し、車内で半分ずつ食べた。
味付けのされていないくるみは、ほんのり甘かった。
(子猿の脳みそみたいだな……)
と思ったが、口にはしなかった。
紳士であるゆえ。



2012年3月14日(水)

言葉とは「枠」である。
表現すべき「点」を追い込み、狭めていく。
「点」そのものを言い表すことは、不可能だ。
俺はうにゅほが好きである。
そうとしか言えない。
「恋愛感情」という枠に入れるには、いささか庇護欲が過ぎる。
「家族愛」という枠に入れようとすれば、独占欲が邪魔をする。
好き、という言葉から、枠を狭めることができない。
誰しも、そういうものなのだろう、と思う。
自分の感情に名前をつける必要もない。
祖母の送迎にかこつけて、スーパーのホワイトデーコーナーを物色しながら、一人そんなことを考えていた。
バレンタインデーにうにゅほからもらったのは、たけのこの里である。※1
二人で分けて食べたのだ。
そして、なにを物思いにふけっていたのかと言えば、本当に大したことはない。
ジャンボたけのこの里なるものを見つけてしまったのである。
買うべきか。
いや、どうだ。
たけのこの里のお返しにジャンボたけのこの里を渡す行為は、三倍返しに当たるのだろうか。
値段的には相応だが……。
さんざ悩んだ挙句、スペイン産の洒落たチョコレートトリュフを手に、レジへ向かった。
ジャンボたけのこの里は別の機会にしよう。
イベント期間以外にも売っている商品ならいいのだが。
帰宅してうにゅほにトリュフを渡すと、早速牛乳を二人分用意してくれた。
ホワイトデーであることを伝え忘れた気がするが、まあいい。
トリュフは当たりだった。

※1 2012年2月14日(火)



2012年3月15日(木)

日記、特に不特定多数に見せるものを毎日書き続けるとなれば、避けられないことがある。
ネタ切れだ。
この「うにゅほとの生活」は、名前の通りうにゅほを中心に据えた日記である。
毎日違うことをして、毎日いろんなことを話しながら、毎日にぎやかに過ごしている。
うにゅほがすぐそこにいるのだから、ネタに困ることなんてないだろう──と、読者諸兄は思われるかもしれない。
だが、考えてみてほしい。
書けることは、毎日減っていくのである。
一度ネタにしたことは、続けて書いても面白くない。
たとえば今日は、
昼食にうにゅほの作った目玉焼きを食べて、
まだまだブームの終わらない「いっせーのーで!」に付き合い、
誤魔化すように外出して、
図書館で一時間ほどを過ごし、
すこし遠回りしながら帰宅して、
犬の散歩に行き、
今、いつものように穏やかに過ごしている。
生活は、サイクルである。
同じようなことを繰り返し、生きていく。
サイクロイドを描きながら、すこしずつ前へ進んでいくのだ。
などとそれらしいことを言って茶を濁すつもりだったが、これでは日記と呼べたものではない。
よし、うにゅほの靴下でも脱がしてくるか!



2012年3月16日(金)

母方の実家は、近いようで遠い。
その距離感が絶妙で、気軽に寄るほど近くはないが、旅行と言うほど遠くもない。
またぐべきが跳ぶべきか、ためらう大きさの水たまりを想像していただければ、なんとなく腑に落ちると思う。
本来であれば正月に訪ね、うにゅほを紹介するつもりだったのだが、先方にいろいろあってお流れとなってしまった。
それ以降、何度か行く機会はあったのだが、逃し続けて現在に至る。※1
今日の訪問は、ほとんどうにゅほの顔見世のようなものである。
到着し、車を降りると、うにゅほが俺の背後にぴたりと位置取った。
見知らぬ景色を警戒しているのだ。
まあ、ここまでは予想通り。
問題は、母方の祖父母にちゃんと挨拶できるかどうか、である。
他者からの評価は、第一印象に左右される。
面接ではないのだし、うにゅほの年齢を考えれば、基準は極めてゆるい。
しかし、教育係としての矜持がだな。
ソファから立ち上がって柔和な笑みを浮かべる祖父母を前にして、うにゅほはカチンコチンになっていた。
車内で脅しすぎたかもしれない。
そっと横にずれて、祖父母とうにゅほを対面させ、ぽん、と肩のあたりを叩いてやった。
「──×、××です!」
言えた。
よかった。
俺は、うにゅほの頭を撫でた。
祖父母の家は不思議と落ち着くもので、昼食をいただいたあと、居間に面した仏間で軽く横になった。
なんだか、幼いころに戻ったような気がする。
「牛になるぞ」と揶揄されながら、そのまま意識を沈めていった。
目を覚ますと、うにゅほが懐にいた。
そういえば、一緒に寝るのは初めてである。
そのまま目を閉じて、今度は夕方まで眠っていた。

※1 2012年1月21日(土)参照



2012年3月17日(土)

朝から体調が悪く、正午を過ぎたあたりから、ずっと横になっていた。
今日は眠ることができたので、まだよかった。
ぼんやりとレベルの下がった意識で、金縛りに怯えることもない。
夕方になり、目を覚ました。
うにゅほはリビングで、母親と二時間ドラマかなにかを見ていた。
たぶん、眠っている俺に気を使ってくれたのだと思う。
母親はサスペンスを好んで見るが、うにゅほはそうではない。
うにゅほが好むのは、善意にホイップクリームを塗り固めたような、優しい物語である。
もしくは、悪意をすべて悪役に押し付けた、勧善懲悪ものだ。
すこし、過敏にも思える。
空腹を覚えて、冷蔵庫を漁るが、なにも見つからなかった。
母親は「夕食まで待ちなさい」と言うが、こちらは朝から何も胃に入れていないのだ。
コンビニへ行こうと上着を羽織ると、うにゅほもそれにならった。
からあげクンチーズ味と一本満足バーを購入し、車内で食べた。
食べものを分けるのは、帰属意識の確認であるという。
アッラーもヨハネも、分け与えよと言っている。
うにゅほが俺にそうするのは、不安だからだろうか。
俺がうにゅほにそうするのも、不安だからかもしれない。
一本満足バーは、半分にしても、そこそこ満足だった。



2012年3月18日(日)

電子レンジが壊れたので、新しいものを購入した。
購入した、と言っても、買ったのは俺ではないけれど。
調子の悪さを引きずって、布団でうーうー唸っているうち、両親とうにゅほで電器屋へ行ってきたらしい。
新しい電子レンジには、ターンテーブルがない。
大丈夫なのだろうか。
電子レンジは、マイクロ波によって食品の水分子を振動させ、その摩擦熱で加熱を行う。
ターンテーブルは、マイクロ波を満遍なく被加熱物に当てるために必要不可欠だと思うのだが……。
家電は詳しくないので、よくわからない。
楽しそうに電子レンジを撫でさするうにゅほの傍で、取扱説明書を熟読する。
どうやら、赤外線センサーなるもので、なにかがどうにかなってしまうらしい。
ふむ、実験してみよう。
俺は冷凍庫から、父親の弁当用の冷凍食品をひとつ取り出し、電子レンジの中央に置いた。
この赤外線センサーなるものは、あろうことか適度な加熱時間をも自動で割り出してしまうのだという。
まさにワンタッチ。
なんという家電革命。
あたためボタンをぽちっ押して、うにゅほの上から電子レンジを覗きこんだ。
広いレンジ内に、ぽつんと置かれた冷凍食品。
ターンテーブルがないのだから当然だが、本当に回転しない。
じ、と無言で観察を続ける。
「……なんか、へんなにおい」
「匂いくらいするだろ」
「なんか、煙……」
うわ。
慌ててレンジの扉を開き、中を確認する。
容器の底が溶けてしまっていた。
しおしおのパーである。
「それ、食べれる?」
「……やめとこう」
家電革命はまだ遠い。



2012年3月19日(月)

あてもなく、リサイクルショップをはしごした。
スマートフォンとは便利なもので、周囲にあるショップから、地図上の現在位置まで簡単にわかってしまう。
これで道に迷うようなら、筋金入りの方向音痴だ。
ふと使うあてのないコンパス機能のことを思い出し、iPhoneごとうにゅほに貸し与えてみた。
「おー!」
と歓声を上げながら、ぐるぐるとiPhoneを回して遊ぶ様子に、購入したてのころを思い出した。
それ、俺もやったなあ。
道を曲がるたびに、
「こっちが北!」
と、得意気に教えてくれたりもする。
楽しそうでなによりだ。
それより問題は、生憎の悪天候で、視界が真っ白に染まっていたことだ。
四月も間近だと言うに、吹雪とは恐れ入る。
冬の悪足掻きと考えれば、すこしは風情も感じられるだろうか。
何軒かめのリサイクルショップに、「ご自由にお持ちください」と書かれたぬいぐるみが、箱いっぱいに詰め込まれていた。
「……う」
中を覗き込み、思わずうめいた。
なんか、おどろおどろしい。
使用感たっぷりである。
「これ、かわいい」
うにゅほはそんなことお構いなしに、ゴマフアザラシっぽいぬいぐるみを眼前に掲げていた。
「……やめない?」
「なんで?」
なんで、と問われても、なんとなくとしか答えられない。
霊的なものを信じているわけではないが、なんか宿ってそうだし。
「このサイズなら、ほら、キュゥべえ玉があるだろう」※1
「……あれ、こわいもん」
「……そうだな」
ゴマフアザラシを手のひらに乗せて、嗅いでみる。
異臭はしない。
潰してみる。
ぷう!
音が鳴った。
元は純白だったのであろう毛皮は、すこし黄色味がかっている。
まあ、いいか。
気に入っているようだし。
iPhoneに替わる新しいおもちゃを手に入れたうにゅほは、帰りの車内でぷうぷうとぬいぐるみを鳴らしまくっていた。
うるさい。

※1 キュゥべえ玉
以前、ゲームセンターで獲得したプライズ。
白い球体にキュゥべえの顔が刺繍されている。
耳はない。
体もない。
総じてキモい。



2012年3月20日(火)

今日は父親の誕生日である。
うにゅほが誕生日プレゼントを決めかねているようだったので、お金を出し合って購入することにした。
うにゅほの懐事情は、案外あたたかい。
そもそも自主的になにかを買うことがないし、一人で外出もしないからである。
いつだったか、とろろ昆布にはまっていた時期に、十袋ほど大人買いをしたくらいのものだろうか。
あと、俺の誕生日に円座クッションを買ってくれたこともあった。※1
ありがたく尻に敷かせてもらっている。
父親の喜ぶものと言えば、ひとつしかない。
酒である。
俺はほんの子供のうちから、父親の誕生日にはビールだのウイスキーだのを送り続けてきた。
と、いう話をうにゅほにすると、
「お酒ー……?」
渋い顔をした。
アルコールに対し、あまりいい印象がないのだろう。
ついこのあいだ、俺がマッコリを飲んで吐いたばかりだし。
けれど、うにゅほよ。
父親が毎日リビングで飲んでいる透明な液体は、水じゃないんだよ。
焼酎だ。
まあ、その件は一旦置いておくことにする。
それなら、こいつはどうだろう。
近所のリカーショップを訪れ、真っ白な缶を軽く掲げてみせた。
「なに?」
「ノンアルコールビールだよ」
「ビール……」
正確には、ビール味の炭酸飲料だ。
「……?」
よくわかっていないうにゅほを、
「レモン味の飴は、レモンじゃないだろ」
とらしい理屈で言いくるめ、六本セットを購入して帰宅した。
夕食時、やたらうにゅほに酒を飲ませたがる父親が、うにゅほのコップにノンアルコールビールを軽く注いだ。
普段は俺が代わりに飲むのだが、アルコールではないし、静観することにした。
うにゅほの感想は、
「にが」
の一言だった。
予想通りである。

※1 2012年1月12日(木)参照



2012年3月21日(水)

鏡の前で百面相をしていた。
右手には毛抜きを持ち、左手で前髪を掻き分ける。
目当てのものを見つけ出し、毛抜きの先で慎重につまみ、一気呵成に引っこ抜く。
「あー……」
黒い。
しかも二本だ。
目測を誤ってしまったらしい。
またニ歩、ハゲに近づいてしまった。
ハゲない家系なので、大して気にもならないけれど。
「なにしてるの?」
「白髪を抜いてるんだよ」
二十歳を過ぎたころから、白髪が生えるようになった。
目立つほどではないが、探せば必ず数本は見つかる。
しかも不器用なので、白髪一本に対し五本の黒髪が犠牲になっていく。
前髪でこれなのだから、頭頂部や後頭部はどうなっていることやら。
そう考えて、うにゅほに毛抜きを託してみることにした。
したのだが。
頭頂部をまさぐられながら、俺は唇を噛んでいた。
なんというか、以前にもこんなことがあった気がする。※1
目を閉じて南無阿弥陀仏と唱えても、なんだか目蓋の向こう側に気配がある。
音がするわけではないのだが、落ち着かない。
どうにも耐えかねて、後頭部のほうを頼んだ。
そうすると、今度は別の問題が浮上した。
耳元で吐息が聞こえて、やたらくすぐったいのである。
音がくすぐったい、という感覚は、久しぶりだ。
たまらなくなって、立ち上がった。
うにゅほは作業を中断させられて不満顔だったが、もう無理です。
その後は、代わりにうにゅほの枝毛探しを手伝った。
こんなこともあろうかと購入しておいた小さなハサミが役に立った。
こんなこともあろうかと、と思ったのは数年以上も前のことだが、「こんなこと」がやってきたので報われたはずである。

※1 2011年12月17日(土)参照



2012年3月22日(木)

うにゅほと母親が食卓に並び、なにか作業をしていた。
夕食の準備であることは明らかだが、メニューがなんなのか気にかかる。
近寄ると、ステンレス製のボウルに、ボイルされた甘エビが山積みにされていた。
なるほど、甘エビの殻を剥いていたのか。
冷蔵庫から牛乳を取り出しながら、二人の様子を伺う。
うにゅほと母親は、仲が良い。
たぶん、俺の次に懐いている。
女性同士ということもあるし、うにゅほが母性を必要としているということもあるのだろう。
うにゅほにやたら名探偵コナンを勧めることを除けば、良い母親である。
俺はコップの中身を飲み干すと、うにゅほの前に置かれた皿から、剥いた甘エビの尻尾をつまみ上げた。
「あー!」
うにゅほが非難の声を上げる。
しかし、もうエビは俺の口のなかだ。
ふむ、コクのあるみそが舌に触れ、サイズのわりに確かな満足感が──
などと思いながら咀嚼したところで、違和感を覚えた。
甘エビならぬサクラエビのようなものが、いくつも口内を刺激しているのだ。
吐き出してみると、甘エビの足だった。
ちゃんと剥けてない。
つまみ食いをしておきながら文句をつけるのも不遜の極みなので、殻剥きを手伝うことにした。
うにゅほに手本を見せようと思ったのだが、これがまた面倒くさい。
いいや、べつに毒じゃないし。
結局、綺麗に剥けているのは、母親の担当したエビだけになってしまった。
俺はこのまま、不器用を抱えて生きていくよ。
でも、うにゅほ。
お前はまだ、間に合うから。
きっと間に合うから……。



2012年3月23日(金)

妙に肩が張るなあ、と思っていたら、大きなめんちょができていた。
めんちょとは関西地方の方言で、おできのことである。
語感が可愛らしいため好んで使っていたが、調べてみると島根県では女性器を指す方言らしい。
以降できものとする。
襟を肩口まで広げ、指先でおっかなびっくりつついていると、
「わ」
と、うにゅほが東方三月精3巻を取り落とした。
そ、そんなにひどいのか?
たしかに熱を持っているし、膿もたっぷり孕んでいそうだ。
うにゅほは皮膚に炎症を起こしにくい体質なのか、ニキビのひとつもできたことがない。
見える部分には、と但し書きがつくけれど。
遺伝もあるのかもしれないが、規則正しい生活をしているし、思い思われ振り振られ、なんてものとも縁遠い。
できものを見慣れていなくとも不思議はない。
でも、そんなに驚かなくても。
「あの」
うにゅほが本を拾い上げた姿勢のまま、俯き加減で口を開いた。
「あんまり、さわんないほうが」
わかっている。
もういっそ搾り出してしまうならまだしも、いたずらに触れて悪化させては事だ。
わかっているのだが、ついいじってしまう。
つ、潰すか?
殺ってしまうか?
でも、肩だから両手が使えない。
うにゅほに頼もうかと思ったが、いつの間にかリビングへと姿を消してしまった。
むう。
そのまま放っておいたら、いつの間にか忘れていた。
こうして日記を書いている今はもう、うにゅほは夢のなかである。
ルパン三世VS名探偵コナンは、そこそこお気に召したようだった。



2012年3月24日(土)

父親の会社は飲み会が多い。
単に年度末だからかもしれないが、多いことは事実である。
最寄りの駅まで送迎を頼まれることもまた、多い。
俺を一人にさせないことに並々ならぬ情熱を傾けるうにゅほだが、何故か父親の送迎にはあまりついてこない。
少なくとも行きは二人だからかもしれないし、単に父親が苦手だからかもしれない。
しかし、今日はついてきた。
助手席に父親、後部座席にうにゅほを乗せ、ギアを一速に入れる。
父親とは普段あまり会話をしないぶん、こういうときにはよく話す。
駅までは、ほんの十五分ほどだ。
父親を下ろし、代わりにうにゅほが助手席へと乗り込んだ。
なんとなく、うにゅほが父親の送迎を避けていた理由が、わかった気がした。
うにゅほは往路の最中、ずっと押し黙っていた。
会話に入れなかったのだろう。
父親の声が大きいせいかもしれない。
もしかすると、邪魔をしないように無言を貫いていたのかもしれない。
さすがに、そこまで気を使っているということは、ないか。
確認するのも無粋である。
行きとは打って変わって口が軽くなったうにゅほと談笑しながら、来た道を戻った。
途中、ローソンでからあげクンを購入し、二人で分けて食べた。
信号待ちの最中にひとつ食べさせてもらったのだが、後ろの自動車にクラクションを鳴らされてしまった。
まだ赤である。
なるほど、シルエットですね。
気持ちはちょっとわかるけど、うにゅほがびっくりしていたので許さない。
父親を迎えに行くのは、深夜になる。
うにゅほはもう就寝している時間なので、一人だ。
起こさないように気をつけて出かけることにする。



2012年3月25日(日)

たまにはドライブもよかろうと思い、小樽まで足を伸ばしてみた。
国道5号線を通ると、途中で海が見える。
さほど風光明媚でもないが、うにゅほからすれば馴染みのない光景のはずだ。
「ほら、向こう」
運転席側の窓を指す。
初春の海は、漢の世界っぽい色をしていた。
「おー!」
「もしかして、初めてか?」
「ううん」
どこで見たのかと尋ねてみると、
「映画のとき」
あー。
そういえば、小樽のシネマコンプレックスへ行ったことがあったっけ。
あれ、なんで覚えてないんだ?
このときは思い出すことができなかったが、道中寝こけていたからだ。※1
ウイングベイ小樽は、巨大なショッピングモールである。
小樽はあまり、ここ以外に行くところがない。
地下駐車場から二階へ上がり、適当に見て回った。
うにゅほを着せ替えしようとして案の定失敗したり、
ヴィレッジヴァンガードのなかで軽く迷子になったり、
並んでクレープを食べたりした。
俺にはひとつ、アイディアがあった。
車内からも見えていた、虹色の観覧車。
あれに二人で乗ってみようと思ったのだ。
絶対喜ぶ。
うにゅほの手を取りながら、さりげなく観覧車乗り場を探した。
途中で寄り道をしつつも、外へ出ることができた。
ショボいと思っていた観覧車も、下から見るとなかなか大きい。
しかし、なんだか様子がおかしかった。
乗り場が封鎖されている。
貼り紙には、「運転停止のお知らせ」と書いてあった。
や、やはり冬か!
雪のせいか!
肩を落としていると、うにゅほに慰められてしまった。
逆じゃなかろうか。
観覧車だけなら、札幌市街にもあるのだが、ちゃんと海を見せたかったんだよなあ。
まあ、またそのうち来よう。

※1 2012年2月29日(水)参照



2012年3月26日(月)

ジャンプを買いにセブンイレブンへ寄ったら、ふとおでんが食べたくなった。
うにゅほにどれがいいか尋ねると、
「……どれがいいの?」
困惑した表情で、オウム返しにそう答えた。
そういえば、うにゅほと一緒におでんを買うのは初めてである。
どれが「いい」のかはわからないが、後ろに並んでいる人にも悪いので、俺が五種類ほど選んだ。
ベーシックな種がいいかと思い、
大根
ゆで卵
はんぺん
あらびきソーセージ
あたりを、適当に。
四種類しかないのは、あとひとつが思い出せないからであり、ソーセージは単に俺の好物だからである。
薬味に柚子胡椒をひとつ取り、車内で食べた。
うにゅほははんぺんが気に入ったようである。
白くて、ふわふわしていて、すごく美味しいと、身振り手振りを交えながら感動を伝えてくれた。
原料が魚であると教えたら、数秒ほど固まっていた。
混乱したらしい。
俺があらびきソーセージに柚子胡椒をつけているのを見て、食べてみたいと言ったので、うにゅほの口まで箸を運んだ。
咀嚼しながら、なんだか微妙な顔をしていた。
俺は好きなんだけどなあ、柚子胡椒。
ここだけの話、柚子胡椒は胡椒じゃないらしいですよ。



2012年3月27日(火)

犬が、元気である。
それはまあ、元気であるに越したことはないのだが、十五歳の老犬らしからぬバイタリティに戸惑うほどだ。
ゼンマイ式のおもちゃのように、そのうちパタリと倒れてしまいそうで怖い。
ケージの扉を開けるや否や飛び出して、俺とうにゅほのあいだを八の字に二回転ほどする。
そして玄関への道を一旦間違い、踏ん張りのきかないフローリングの廊下で滑りながら、外へ出る。※1
そうなれば、独壇場である。
リードを持つうにゅほをぐいぐいと引っ張り、散歩コースをひた走る。
うにゅほも押しに弱いものだから、引かれるがまま徐々に加速してしまうらしい。
初春を迎え、アスファルトが露出したため、滑って転ぶことはないにしろ、運動不足の身にはいささかきつい。
駆け足、駆け足、駆け足、深呼吸、駆け足、駆け足、糞を拾い、また駆け足。
うにゅほも似たような生活をしているくせに、息すらほとんど切らさない。
これが若さかと遠い目をしかけたが、よく考えると俺は、十代のころから既に体力がない。
人によりけりである。
帰宅して、犬のごはんを作る。
缶詰とカリカリを混ぜ合わせるだけの簡単なものだが、犬の反応は凄い。
尻尾を千切れんばかりに振り回し、両目をまんまるに見開きながら、鼻先をエサ皿に近づける。
食べはしないのだが、一応うにゅほが胴を押さえている。
スプーンを舐めさせたあと、ケージのなかにエサ皿を置く。
犬がエサをがっつくのを二人で眺め、軽く撫でてから部屋へ戻る。
あと何年生きるかはわからないが、今元気であることを喜ぼう。
なんて、口に出しては言わないけれど。

※1 何故か、絶対に間違う。



2012年3月28日(水)

弟がテレビの前で、うつ伏せに寝転がっていた。
馬乗りになって足の裏をくすぐってやると、弟の笑い声を聞きつけたのか、うにゅほが部屋から顔を出した。
「……ずるい」
うにゅほが不満顔で呟いた言葉に、軽く混乱する。
な、なにがずるいんだ。
うにゅほも弟をくすぐりたいのかと思い、席を譲ろうと立ち上がる。
しかし、うにゅほは弟の上に座ろうとはしなかった。
弟の隣で、うつ伏せに体を横たえた。
急かすように、足がぴこぴこと動いている。
そっちか!
うにゅほの思考は、時折想像の斜め上を行く。
まあ、しろと言うならば、やぶさかでもない。
体重をかけるのも忍びなかったので、うにゅほの腰の上にかがみ、左足を取る。
黒とピンクのボーダー柄の靴下は、新しいものなのでさほど汚れていない。
く、くすぐるぞ……。
許可を取ってそうするのは、何故だか妙に緊張する。
すれ違いざまに脇腹をくすぐったりとか、けっこうしているのに。
意を決して足の裏に指を這わせると、うにゅほは身をよじりながら笑い転げた。
笑い転げたあとで、もう片足もと催促するのだから、よくわからない。
最終的に俺は、復讐に燃えた弟と善意のうにゅほの手によって脇腹を死ぬほどくすぐられ、半死半生に陥った。
目尻に涙を滲ませ、ひゅうひゅうと細い呼吸音を鳴らしながら、思った。
ここまではやってないじゃん……。



2012年3月29日(木)

今日は作詞依頼をこなしていた。
音源を聞きながら譜割りを数字に起こし、言葉を当てはめていく作業だ。
全体の構成さえまとまってしまえば、一、二時間で終わる。
右手の指を折りながら、フンフンと鼻歌を鼻ずさんでいたのが気になったのか、うにゅほがディスプレイを覗き込んだ。
「……?」
小首をかしげて、俺を見た。
わけがわからない、という様子だ。
そういえば、うにゅほが起きている時間帯に作業をするのは、初めてだったっけ。
わからないのも、当然と言えば当然かもしれない。
ディスプレイが映しているのは、謎の数列が書かれたメモ帳である。
「作詞をしてるんだよ」
「さくし?」
「音楽に、言葉を入れてるんだ」
「……ふうん?」
あまりわかってなさそうだ。
うにゅほにイヤホンを片方渡し、ボーカルラインだけを抽出した音源を開く。
「この音に合わせて、言葉を入れる」
半分ほど完成した詞を見せると、うにゅほが言った。
「◯◯、歌って!」
う、歌うんですか?
たしかに、頭のなかでメロディと歌詞を合わせるのは、すこし聞きこんでからでないと難しい。
まあ、歌ったさ。
おまけにうにゅほの反応は芳しくなかったさ。
べつにいいけどね!
そこそこ納得の行くものが書けたから、俺は泣いてない。



2012年3月30日(金)

昼間、掃除をした。
PC本体の上に飾ってあったくまの雛人形をずらし、ホコリを落とした。
掃除機を片付けて部屋へ帰ると、すこし遠ざかっていたお内裏様とお雛様が、いつの間にか寄り添っていた。
うにゅほが位置を直したらしい。
当の本人は素知らぬ顔で、さけるチーズを食べていた。
手を洗ったか確認して、すこし分けてもらった。
夜、カリオストロの城を一緒に見た。
先週に続き、ルパン三世づいている。
カリオストロの城はいかにもヒロイックな作品で、うにゅほのツボにはまったようである。
有名なラストシーンのあと、面白かったかと尋ねてみた。
うにゅほは既にCMへと切り替わった画面を見つめながら、何度も頷いた。
「でも、なんでクラリスをつれてかなかったの?」
ああ、それは──
そこまで口にして、思い止まった。
俺にとっては、当然のことだ。
ルパンは他の作品でも活躍しなければならない。
クラリスは単発のヒロインであり、ルパン一味に彼女の席は存在しないのだ。
しかし、そんな約束事なんて、うにゅほには関係がない。
「二人で幸せに暮らしました」では、どうしていけないのかと、真剣に問うている。
俺は答えられなかった。
代わりにうにゅほの頭を撫でて、言った。
「俺も、そんな結末を見てみたいな」
寄り添ったくまの雛人形のように、仲良く泥棒稼業に明け暮れる二人の姿が、かすかに見えた気がした。



2012年3月31日(土)

優しいお兄さんであることに、嫌気が差すときだって、ある。
衝動に身をまかせてしまいたくなることだって、ある。
今日の俺はチョイ悪だ。
死語とかそういうのはいい、うにゅほにイタズラをしてやる!
それも、小指の爪の先くらいえっちなやつをな!
そんなことを考えながら、うにゅほを観察した。
いやらしアイがターゲッティングするのは、やはり胸である。
豊満とは言えないが、歳相応の大きさだ。
「もういっそ正面からわしっと掴めばいいんじゃね」と強硬派が囁くが、それはいけない。
俺の想像力が、その選択の先にある未来を垣間見せる。
うにゅほは不思議そうな表情で、掴まれた胸をじっと見つめるだろう。
その場は何事も無く過ぎ去るだろう。
そして、夕食の際、うにゅほが悪意なく昼間の出来事を話題に挙げるのだ。
俺は、家庭的に、死ぬ。
そもそも女の子の胸をどうにかするなんていけません。
度が過ぎています。
腕を組み、天井を見上げた。
くすぐるのは、このあいだやったばかりだ。
膝枕も、イタズラとは言いがたい。
ふといいことを思いつき、うにゅほを図書館へと誘った。
玄関でわざとゆっくりブーツを履き、うにゅほを先行させる。
今だ。
背後からうにゅほの胴に腕を回し、持ち上げる。
その勢いを利用し、左腕でうにゅほの足をすくい上げた。
強制お姫様抱っこである。
身を縮こませながら激しくまばたきをしているうにゅほに、言った。
「びっくりした?」
「……びっくしした」
自動車が来ていないことを確認し、その場でぐるぐると回ってみせると、うにゅほは楽しげに声を上げた。
うむ、イタズラ成功である。
えっちじゃないけど、満足したからいい。


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