2011年11月25日(金)
原稿明けの疲れが抜けきれず、何度かうとうとと昼寝を繰り返した。 うにゅほの寝床はかつての俺の布団で、現在俺はソファで眠っている。 けれど昼になるとソファはうにゅほの定位置になるので、昼寝は布団ですることになる。 男くさかったかつての枕から、言葉で表現しにくい、けれど快い匂いがして、うつぶせで眠った。 起床したあと本屋へ行こうとすると、うにゅほもついて行きたいと言った。 凍りたての道路はよく滑る。 一度タイヤが横滑りして危ないところだったが、うにゅほは「おー」と楽しそうだった。 うにゅほは好奇心旺盛だ。 普段読むのは漫画だが、本屋に行くと立ち読みのできる雑誌に夢中になる。 今日は表紙につられてか、お手軽ケーキのレシピに見入っていた。 そのあいだに新刊コーナーを回るが、よつばとやリューシカはまだ入荷されていないようだった。 うにゅほのところへ戻ってくると、 「これ、つくってみたい、です」 と、遠慮がちな上目遣いで、一番単純なシフォンケーキのページを開いてみせた。 「食べたい」ではなく「作ってみたい」というところに女の子らしさを感じる。 それじゃあクリスマスケーキは一緒に作ろうか、と言うと、 「うんっ!」 と花の咲いたような笑顔を浮かべた。 デコレーションは一緒にするとして、シフォンケーキが失敗してもいいように、市販のスポンジケーキも用意しておこうと思った。
2011年11月26日(土)
友人とふたり、一泊二日の旅行へと出かけた。 うにゅほは留守番である。 気の置けない友人とは言え、男だけの旅行にうにゅほを連れて行くのは、たぶん互いによくない。 胸の前でちいさく手を振るうにゅほに「行ってきます」と告げ、出発した。 目的地は羽幌炭鉱周辺の廃墟群である。 凍りついた山道に、助手席で戦々恐々としていると、携帯電話が震えた。 「どこ」 うにゅほからのメールだ。 うにゅほには携帯電話を持たせている。 けれど、おおよその時間を共に過ごしているため、メールを受け取ったのは初めてだった。 できる限り丁寧に返信し、友人との会話に戻った。 次のメールは、夕飯を食べた後だった。 「どこ」 羽幌の道の駅だよ、と返した。 次のメールは、温泉に浸かり、ホテルの部屋へと戻ったときだった。 「どこ」 ホテルだよ、と返そうとして、ふと思い出した。 携帯電話を買ったとき、うにゅほに「電話は用事があるときに掛けるんだよ」と教えたことを。 俺はうにゅほの携帯に電話をかけた。 うにゅほと三十分ほど、他愛ない報告や世間話をしたあと、電話を切った。 そしてメールで「電話は相手と話したいと思ったときに掛けるんだよ」と送り、床についた。
2011年11月27日(日)
夕方、旅行から帰ってきた。 うにゅほへのお土産は、鳥をデザインした塗り箸にした。 特に名産というわけでもない。 うにゅほが家に来てから一ヶ月、家族になった証のようなものをあげたいと思っただけである。 案の定、うにゅほはとても喜んでくれた。 なにをあげても喜んだとは思うけれど、どこへ行くにも箸をグーにして持って歩くさまを見ると、これにしてよかったという気持ちが去来する。 夜になり、富良野に住んでいる伯父が泊まりに来た。 うにゅほは人見知りである。 刷り込みのようなものか、俺にはすぐに慣れたけれど、いまだに父親と話すときは怯えた様子を見せる。 それが初対面の伯父であればなおさらだ。 「は……はじめ、まして……」 と言うのがやっとで、すぐに俺の背中に隠れてしまった。 あまりよい印象ではないだろうと思ったけれど、伯父はさほど気にしていなかったようだ。 夕食は寿司だった。 けれど、うにゅほは俺と背中合わせに座ったままだった。 あまり行儀はよくないが、うにゅほの好きな甘エビとホタテを中心に、小皿に取ってあげた。 うにゅほはあの塗り箸を使って、不器用に寿司を食べているようだった。 うにゅほの体温を背中で感じながら、思った。 だんだん慣れていけばいい。 ただ、箸の正しい使い方は、早めに教えようと。
2011年11月28日(月)
今日は伯父の経営する床屋で髪を切ってきた。 床屋の伯父は長兄、富良野の伯父は次兄で、別人である。 髪を切ってもらっているとき、うにゅほについて話をした。 伯父はあまりよい顔をしなかった。 それはそうだろう。 甥が、見も知らない女の子を、家に囲っているのだから。 ジャンプを買って帰宅すると、うにゅほが俺の手を引いて、定位置のソファへと座らせた。 週に一度、ジャンプは一緒に読む決まりなのだ。 後に弟がつかえているので、いつのまにかそうなってしまった。 うにゅほは新連載の恐竜のギャグマンガがお気に入りだ。 俺は絶対に十週で終わると思うけれど、口に出すことはしなかった。 台詞が多いためか、うにゅほがあまり好まないバクマンを読んでいる最中、唐突に頭を撫でられた。 どうやら切りたての髪の毛の感触が心地よいらしい。 気恥ずかしさを感じたが、うにゅほがあまり上機嫌に撫でるため、するがままにしておいた。 伯父は別れ際、「後がつらいぞ」と忠告するように言った。 もっともだ。 それでも俺は、今が大切だと思う。 いずれ訪れる未来を、できるだけ遠くに追いやろう。 そのくらいならきっと、俺にだってできるはずだから。
2011年11月29日(火)
下唇が割れたので、リップスティックを買ってきた。 うにゅほに見せると、 「……のり?」 と小首をかしげた。 形状は同じだし、仕方ない。 唇に塗ろうとして、止められた。 いわく、口が開かなくなってしまうそうだ。 リップスティックの用途と使い方を教えると、目を丸くしていた。 ようやく唇にうるおいを与えることができると、塗り始めた途端、うにゅほに取り上げられた。 「ちーがーう!」 そして、俺に見せるようにして、自分の唇に塗り始めた。 間接キスに照れるような年齢でも性格でもないが、すこしだけ戸惑う。 塗り終え、軽く唇を噛んでみせたうにゅほから、リップスティックを受け取った。 以前、俺の母親から化粧の仕方を学んだのだそうだ。 口紅とはまた違うような、塗り方はだいたい同じような。 そんなことを考えながら、うにゅほの指示通り塗り直していると、 「く、くちがヘン!」 と言いながら、手首で自分の唇をこすり始めた。 ああ、薬用だからな。 俺は笑いながら、テカってしまったうにゅほの口のまわりを、そっとティッシュで拭き取った。
2011年11月30日(水)
唐突に見たくなり、堂本金田一のDVDを借りてきた。 うにゅほが興味を示したので、十六年前のテレビドラマだよと答えた。 Wikipediaに書いてあったその情報に、ああ自分も年を取ったものだと感慨にふける。 うにゅほは両手の指を折りながら、 「……わたし、何歳?」 と小首をかしげた。 お前が知らないなら、俺も知らないよ。 下手をすれば、まだ生まれていないかもしれないけれど。 そう告げると、なんだか不思議そうな顔をしていた。 うにゅほが専用の丸椅子を持ってきて、俺のパソコンチェアの隣に置いた。 再生を始めると、途端にうにゅほの顔色が悪くなった。 俺はにやりとした。 古畑任三郎ですら、わあわあと声を上げながら逃げ出してしまううにゅほなのだ。 ホラータッチの描写が多い堂本金田一に耐えられるはずがない。 案の定布団にくるまってしまったので、一緒に買ってきたよつばと11巻を渡して機嫌を取っておいた。 うにゅほは読むのが遅い。 二時間弱が経過し、DVDの再生が終わっても、まだ読み終わっていなかった。 一コマ一コマ丁寧に読んでいるのか、あるいは最初から読み直しているのか。 専用の丸椅子は、片付けなかった。 なにせ堂本金田一は、あと二本残っている。
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